トンキン湾事件からサイゴン陥落まで
ベルリン陥落
このスレはベトナム化する!
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>>1 !.' , i! l ! ゙i! l! .,' / 口でクソたれる前と後に『サー』と言え!
`-ゝ i! ;,'"⌒゛ヽ,; .i! .,' ‐" 分かったかウジ虫!
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ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ
| ヽ く ! .>ーく / > / !
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.∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧
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ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
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ナパーム弾でグークを焼き払う素晴らしい戦争
第二次大戦の2倍の爆薬を使用した戦争
ベトナムはハイテク戦争じゃないよね。
アポロ11号に搭載されたコンピュータはファミコンレベルだし。
当時のハノイはWW2のベルリン並みの防空要塞都市だった
11 :
名無し三等兵:04/10/08 01:44:06 ID:1GSIkvY0
良くまああれだけAAM詰め込んだ都市に爆弾落としに行く気になったと思うよ。
12 :
名無し三等兵:04/10/08 03:17:49 ID:woU1lkND
ナ・ナタヤ・ハン将軍
13 :
名無し三等兵:04/10/08 04:19:32 ID:u+13ajIZ
ナム戦時に投下された爆弾の総量がドイツに投下された量を上回ってる
からって単純に比較する事はできん、ドイツの場合、工場や都市部が
主な目標だったのにたいして、ナムでは輸送路やジャングルへの投下が
主だった、
14 :
名無し三等兵:04/10/08 04:23:06 ID:XKTEtYIS
ナム戦に異常な興味を示すオレは何者ですか?
ナム戦映画で一番ええと思うのなに?
自分はプラトーンだと思うんだが…
コウノトリの歌
プラトーンは全てのヴェトナム戦争映画の中で一番イイ。
>>18 ワンス・アンド・フォーエバーはもっとイイ!
漏れは「地獄の黙示録」。
完全版はコメディーになってるので駄目。
ワンスアンドフォーエバーの戦闘場面が一番リアルだった。
23 :
名無し三等兵:04/10/08 23:18:00 ID:1GSIkvY0
ツアー・オブ・デューティかな。テレビだけど。
24 :
名無し三等兵:04/10/08 23:21:38 ID:eMi3G93G
オマエラ、地獄の突破口、を忘れてないか?あのスペイン系の兵士がM60撃つシーンが萌ぇぇぇ
/ノ 0ヽ
_|___|_
ヽ(# ゜Д゜)ノ まったく、貴様らときたら正真正銘のクソ虫だ!
| 个 | 「ハンバーガーヒル」なんかはどうですか!?
ノ| ̄ ̄ヽ
∪⌒∪
見なけりゃ良かったハンバーガーヒル。
ベトナム1967、グットラックサイゴンでしょ?
TVシリーズじゃなかった?
28 :
名無し三等兵:04/10/08 23:38:05 ID:aRW+5GlP
フルメタルジャケットだな俺は 逃げる奴は皆ベトコンだの人最高
はっは、まぁ良いじゃないですか・・・
>>28 ハートマン軍曹も最高だったな
パパのセーエキがシーツのシミになり
ママの割れ目に残ったカスが貴様だ!
「地獄のヘリ作戦」を映画化してほしいんだけどなぁ。
喪前等、映画板池。
プラトーンの兵士の生活感とかラフな感じの服装の再現とかがいい!!
プラトーンの俳優格好良すぎ!!
プラトーンは装備のちょっとしたディティールがマニアックなんだよね。
改造ファティーグとかさ。監督が第52歩兵のLRP隊員だっただけの事はある。
チャーリー・シーンのホットショットは笑えた
2しか見たこと無いが…
>>34 ARVNパックがアーミーの標準装備と勘違いさせる装備モナ。
プラトーンやワンス・アンドでやってた、
腕時計を上着のエリのボタン穴に付けるのをマネしたよ。
記録写真でもたまにやってるね。手首のムレ防止だとか。
>>37 そんなのあった?
おれはピースマークび萌えた。
40 :
名無し三等兵:04/10/13 23:21:19 ID:PaH1JQue
バイクのヘルメットに黒ゴムバンド巻いて、ポケベル挟んでたが、何の真似なのかというと上手く説明できない。
おれは丸メガネに萌えた
フルメタルジャケットは一人一人の個性が強くておもしろい映画だ
エンディングの歌もいい!
ところでエンディングの歌はなんて名前なんですか?
ミッキーマウスの行進だ♪
>>31 おっ知ってるヤシがいたか。俺はあの本売っちまってもう手元にないや・・・。
あえてグリーンベレーと言ってみる。
ベトナム戦争を話すスレがいつの間にか
ベトナム戦争映画を語り合うスレに変わって
しまっているが、気にしない気にしない
「グリーンベレー」はオタ的に見ると、映画としてはともかく
絵自体はなかなか興味深い。
相模原とか戦車輸送邪魔しに行ったヤシはいるか? (装甲車だったけど)
ナム戦映画は航空戦モノが少なすぎ。いくらでもネタがあるのに。
金がかかる上にヒットが見込めない。
そもそも史実に基づいた航空戦モノって少ないよ。
>>50 同意。
やっぱベトナム戦争は陸上戦闘じゃないと興行収入が得られないと思われ。
けど空戦の映画もみたい・・・・
ナム戦末期を舞台に、ラオス辺りで暗躍する空軍のA-1パイロットの話とか
マニア好みでいいんじゃないか。比較的金も掛からないし。
地上支援任務とかで、越境任務中の特殊部隊員なども絡めればなおよい。
是非ラインバッカーUを、ハリウッドの大作史劇のノリで。
ベトナム戦の場合
歩兵物ファンには67〜70年あたりがオイシイ所だろうけど
航空ファンにとってはやはり72〜73年頃がポイントだね。
イントルーダーがあるじゃないですか!
BAT21は割と良かったな。使われてるヘリは考証的に?だったけど。
この前、初めてプラトーンにジョニー・デップが出てたことを知った(今更だけど…)
「コウノトリの歌」を見た香具師はいる?
いや、知らないうちに東京ロードショー終わってた。
メディア化に期待だが、 有るのか?
3歳から4歳の頃、病院へ入院してたんだが、病室の白黒テレビに映る
ニュース番組にはいっつもベトナムでの野砲撃ってる同じカットだけ、毎日毎日
放映されていた。 多分米軍が許可した映像が当時アレくらいしかなかったんだ
ろうな〜って…。覚えてる人いますか? 他にはドリフのカトちゃんが当時、
私生活では怖い人だった事も覚えてる。
お前が見てなかっただけだろう。
当然ながら様々な映像が流れてたぞ。
衛星放送しねえかなぁ>コウノトリの歌
米兵が北ベトナム兵をまるでジャングルで生まれ育った
ケモノのごとく恐れていたというのはよく聞くハナシであるが、
当の北ベトナム兵たちもまた、米兵を恐れていた。
“ジャングル戦の特殊訓練を受けた米兵の個人的な戦闘力も侮りがたいものがあった。
キエンはその事を体験で知り抜いていた。
獲物を狙う虎のように狡猾で敏捷、しかも残酷。”
バオ・ニン著 「戦争の悲しみ」277p
ジャングル戦ではお互いがお互いに対してビビリまくってたわけか・・。
66 :
65:04/10/18 12:35:00 ID:???
また、いかに当時の北ベトナム兵がジャングルを嫌っていたかという
くだりもあり、なかなか興味深い。>戦争の悲しみ
左翼系の人が翻訳したせいか、原著には無い北ベトナムマンセー
な記述多数といった事で数年前にミソがついてしまった感のある
同著だが、ナム戦を語る上では資料的価値はかなりあると思う。
67 :
65:04/10/18 12:41:24 ID:???
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
中国映画
「大行進」知らない?
パレード練習も命がけ。
中国の懲罰戦争(?)ってどういうことですか?
>>69 陳凱歌監督ですな。
製作を頼んだ軍は出来上がった映画を見てどう思ったんだろうな…
>>69 見たことないで聞くけど、つまずいて前のヤシを銃剣で突いちゃうとかのギャグ?
ひとつの国家が消滅する瞬間に萌え
サイゴン陥落の時系列に沿ったドキュメントみたいなのある?
>>73 入門編はNHKスペシャル「ベトナム戦争」。ビデオ化されてる。
おれは、例の戦車突入は当日見ているんだが、ライブ中継だったのかどうか自信がない。
サイゴン陥落の当時は小学4〜5年生だったから、何の興味も無かった。
そもそも外で遊んでばっかりで、あまりTV見なかったからなぁ。
月間少年ジャンプの「カバゴン先生」のコラム記事で、
「おまえら、ベトナム戦争が終ったぞ!」って書いてあるのを
読んで初めて終結した事を知った小学生時代。
翌年のMiG-25亡命事件も興味無いから知らなかったんだけど、
騒がれてたからか、「ミグニジューゴ」という言葉だけは頭に入ってた。
79 :
名無し三等兵:04/10/26 02:14:59 ID:gwxEcE4i
>>78 新宿のピリカというラーメン屋で塩ラーメン食ってるときにニュースを聞いたことまで覚えている。
戦争なのかなあと思った。その少し前に松本零時のデスバードとかいう漫画読んでたし。
当時厨房だった知人は、マジで「函館が戦場になる」ってオモタそうな。
81 :
名無し三等兵:04/10/26 12:38:59 ID:uJuD/K4u
>>80 潜水艦来てたよ。おそらく10人くらいの陸戦チーム載せてたと思う。
10人…て事は、ミグ機体と中尉をあぼーん?
83 :
名無し三等兵:04/10/26 13:22:25 ID:uJuD/K4u
なんだけど、函館の発端にしてもCABの車で近寄ったらピストル撃ってますって逃げてきたくらいだから、おそらく来てたら機体燃やすくらいの目的は達していただろうね。
市電に乗ってスペツナズがやってくるって感じだったかも。
あんた、ハンドルやばいね。
84 :
名無し三等兵:04/10/26 13:24:57 ID:uJuD/K4u
あ、それから、WPはよく白燐と誤訳するけど、物質としては黄燐だからね。
>75
当時の状況を考えれば「生」中継ってことはないでしょう。
ちなみにT-54の突入シーンは当日官邸占領後に、
北側の演出で何度も撮影された。 よく見る白黒フイルムね
白リン手榴弾って、本来の(メインの)用途は発煙信号用なんだけど、
焼夷弾として使う方が多いんじゃないか。
ウィリーピートの成分はホントは黄燐か…アリガトン!(・∀・)
市電の乗り方も、スペツナズは演習していたのか?驚愕!!
今年ってトンキン湾事件から40年、フォックロン陥落から30年らしいですな・・・
今年って昭和80年?79年?
90 :
名無し三等兵:04/10/27 01:30:30 ID:e1APEW2h
西暦−25で昭和です。大正とか平成はしらんけど。
市電の乗り方ったって、金は払わないと思うよ。
>>69 すまんがそれは「大閲兵」のことではないか?
ちなみに王学圻が演じる李偉成排長は「中越戦争帰り」という設定だった
92 :
69:04/10/27 14:00:28 ID:???
オウ!「大閲兵」ネ!!やん…(∩0∩)
一応、ベトナム帰還兵の映画ネ。
保守
先日、フリーマーケットで「ベトナム戦争時のアメリカ軍の軍服(長い靴つき)4000円」「本物の軍隊の帽子」
というのを1000円
で買いました。丸いひらひらの帽子で、パッと見は
カウボーイハットみたいです。片方だけツバがとめられるようになっていて
そこにピンバッチやらワッペンやらがはってあります。
帽子の中には「ARVN」と書いてあります。靴は長い靴
なんですが、皮でなくて布が多くてちゃっちいです。
店主は「靴と帽子は実際にベトナム戦争で使われてた」と言っていましたが、
そういう装備はあったのでしょうか? すこ〜し位は価値はあるでしょうか?
ナム戦の、私物やローカルメイドを含めた個人装備の真贋判定は
非常に難しい。パッチが絡むとなおさら。
96 :
名無し三等兵:04/10/28 22:50:16 ID:3Niququs
>>95 たぶん本物だろう。
布の鍔付き防止はブーニーハットと言います。スナップで片側が跳ね上げられるようになってるの?
ANZAC 第一次大戦のオーストラリア/ニュージーランド派遣軍が片側を折る元祖だけど。
通称「カウボーイ」の華僑系、M2カービンとマチェット
持った南べトナム兵が脇役の・・・ええい!映画のタイトル
度忘れした!!
昔、すごい高い厚さ4cmくらいのベトナムの本あったような…
コンバットか何かの雑誌に広告のってた気がする
「NAM 狂気の戦争の真実」でしょ。
海外で出てたディアゴスティーニみたいなシリーズ本をまとめた邦訳版。
ナム戦全般を広く浅く知るには手頃な本だね。
100 :
名無し三等兵:04/10/29 10:51:20 ID:zoCDBL+F
田舎の図書館にはかなりの率であるよ。本屋で売るような本ではないから。
>>99 漏れそれ2冊持ってるが持つと凄く重い・・・orz
15〜20年くらい前に集めてたナム戦のジャングルファティーグ、
全然相場値上りしてねえじゃねえか!!
ナム戦ブーム来る迄、抱えとくしかねえよ。
ホーチミンサンダルがオクで3200円ですがぼりすぎです。
ベトナムでは800円くらいです。
人民ヘルメット(て言うのか?)は300円だ。
「戦場」・・・そうだった。サンキュウ
彼がブーニーハット被ってた。
ブッシュハットとブーニーハットとタイガーストライプの違いが詳しくわかる人は教えて!
↑ ↑ ↑
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
同じ物 カテゴリー違い
>>99さん
>>海外で出てたディアゴスティーニみたいなシリーズ本をまとめた邦訳版
ほ〜知らんかった。ココに書いてみて良かった^^
今はもう無い雑誌で「ゲームグラフィックス」ってあったんだけど、
そこに毎号少しずつ載ってたベトナム戦の解説記事?
あれイラスト付き(挿絵って言った方がいいかな)で自分的に読みやすかった。
ベトナム戦争中のアメリカ軍の兵士ってドックタグに黒いサイレンサー
つけてたんでしょうか?おしえてエロい人!
周りにかぶせる黒いゴムのは無かったハズ、
全体が入る透明なビニール製のヤツがベトナム戦争当時のタイプ
でもビニールテープで巻くのが一般的、
漏れのドックタグ、缶切りやらなんやら
ぶら下げ過ぎ。重い。
ベトナム戦争のドキュメンタリーなら、ボストンWGBHの「ベトナム戦争」(Vietnam : A Television History)
質量ともに最高じゃないかな。
NHK、また放送してくれないかなぁ。
>>113 VHSならまだ中古で出回ってるよ
ナレーションが伊藤惣一から石田太郎に変わってるけど
>>114 DVD、出ないかなぁ。
それに、あのナレーションの雰囲気が好きだったんだが。
軍板的には、どうしても戦闘についての本がメインになるんだろうけど、
D・ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」(上・下、朝日文庫)は必読。
めちゃくちゃ面白い。
「NAM」で一番興奮したのは、コルト・ピストル一挺でベトコンのトンネルに入るトンネル・ラットだ。
117 :
名無し三等兵:04/11/04 02:09:36 ID:v5excT40
英雄(?)ケリー敗れたり
118 :
名無し三等兵:04/11/04 17:13:23 ID:laiE95oe
>>42 ロ−リングスト−ンズのペイント・イット・ブラックですね
フルメタルジャッケットもいいし曲も合ってて良いですよね
調子に乗ってコテ使い続ける奴って痛いなw
やっぱA-1が萌え処だな。
>>118 FMJが記憶にないのだが、ツアーオブデューティは毎週ペイント一途ブラックで始まってたぞ。
同じ曲使ったのかなあ?
意味もなくバイクのヘルメットにゴムバンド巻いて、スペードのエース挟んで走り回ってたオレに萌え。
ツアー・オブ・デューティーはどっちかってゆーとマニア向けだよね
フルメタは妙な厨ファンが多くて萎え気味だが
妙な厨ファソって・・w
気が利いたコテハンが俺には思い浮かばねぇ。
名付けてやる
ベトナム1号
ナム(^▽^)モエ ◆VietnamWar
ナム(^ー^)モエ◆.NG/155800
チャーリー田吾作
もっと痛いヤツをお願い。
中越地震という活字を見るたびに萌えてしまうオレは逝った方が良いですか。
132 :
名無し三等兵:04/11/07 02:59:22 ID:bB0zOnkG
サイゴンの大使館警備隊員を乗せたスイフト22号機がいい
135 :
名無し三等兵:04/11/08 19:25:10 ID:gVawpRfF
やってくれましたね、みなさん…
よくわたしのベトナム共産化阻止への夢を見事に打ち砕いてくれました…
南ベトナム政府の反応がありませんね…あなたたちが陥落させたんですか?
どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
それにしても、あと一息のところで反戦運動が盛り上がってしまうとは…
フランスさんには残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
はじめてですよ…
このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
ゆ…
ゆるさん…
ぜったいゆるさんぞベトコンども!!!!!
じわじわとなぶり殺しにしてくれる!!!!!
ひとりたりとも逃がさんぞ覚悟しろ!!!
「お・おのれ・・原爆さえ使えれば・・・」
「・・・落としてみろよ」
「なっ・・・! あの世で後悔しやがれーーーーーーーッ!!!」
良いねえ。それぐらい壊れてると、戦争楽しいだろ。羨ましいよ。
原爆落とさなかったんだよなー。
ニクソンもフォードも。
みんなの前で枯葉剤撒いたっていいじゃないか。
戦局打開になりそうなことならなんだって協力するよ。
好戦的じゃんか。
カンボジア爆撃させろって言ったら、
やらせてくれるのか、国防省?
(あーまた降ってきちゃったよ。)
は・・・はは・・・まいったな…
冗談はよし子さん。
降って来ちゃったよって・・・・お前時々そういうのがやってくるのか?
141 :
名無し三等兵:04/11/10 14:23:21 ID:8VXiZsXt
オカルト板にいけ。何百人目のパラノイアかは知らんが
ぐっどもーにんぐべとなむ
>>121 同じ曲使ってましたよ。
というか、個人的にはTour of Dutyというと
第一話のBorn to be Wildに燃えるんですが。
146 :
名無し三等兵:04/11/14 14:08:25 ID:Vd8R0NP4
同じ頃チャイナビーチというシリーズをアメリカのテレビではやってたらしいのだが、一度も見ることができなかった。
チャイナビーチはダナンの地名だから、海兵隊のストーリーなのかな。
147 :
名無し三等兵:04/11/24 18:59:22 ID:oXI9CnrE
FMJでサ−フバ−ドって、曲流れてる時に、テレビ局だかが
カメラで撮影してる時に、顔が白い兵隊が通りますよね?
あれは何なのか教えて下さい!!疑問に思います
んで米軍派兵が決まった時、「ベトナムなんぞ爆撃だけで
占領してみますよ」と豪語してたのは、あのル・メイだっけか。
>>147 単純に顔(と手)に怪我をして包帯を巻いているとか
ガーゼ貼っているとかじゃないッスかね? 担架で
運ばれている怪我人達と同じ方向に歩いていたから
あの人も怪我人と考えるのが自然かと。
因みにあの曲はSurfin' Bird(サーフィン・バード)です。
細かい点だけど、一応…。
我々は明日のジョーである!
151 :
147:04/11/25 18:10:57 ID:WPMZ2g0c
>>149 そう言う事ですか!ありがとうございます!
あの辺の戦闘シ−ンかっこいい!!
152 :
少佐:04/11/25 19:43:11 ID:JAEEven1
北ベトナムは共産圏の支援によって強力な防空網を敷いていた。
よくなぜアメリカは北ベトナムを爆撃しなかったのかという意見があるが、
被害甚大が予想されるので怖くてできなかったのだ。
アメリカがトマホークやステルス爆撃機を開発したのはこの教訓からだ。
153 :
名無し三等兵:04/11/25 20:31:56 ID:CfGTjXnl
138
ニクソンは実際、核を使おうとしていたが、キッシンジャーに反対され断念したって、何年か前に新聞で読んだような…
>>153 そうそう
しかもニクソンの言い方が「なっいいだろ?」みたいな感じでえらく低俗だったのが印象的
>>152 え!?じゃあ北爆って何処を爆撃する事なの!?
ラインバッカー作戦って何処を爆撃したの?
ドラゴンジョーって南ベトナムに有ったの?
157 :
名無し三等兵:04/11/27 09:36:37 ID:S0HhoyNj
まあ、この自称少佐ってヤツは、空気抵抗も理解できないバカですから
「プラトゥーン」に登場するキャラクターは、実際に監督がベトナムで出会った人物をモデルにした。
名前もほぼそのまま使用した。
他は知らないけど、
エリアスのモデルは、ストーンが第52歩兵時代に一緒だった
ファン・エンジェル・エリアスという軍曹だそうだよ。68年に戦死してるけど。
プラトーンとかは移動の時とか引き金に指が掛かってなくていいね
バーンズは曹長だっけ?
>>162 吹き替えじゃ軍曹って言ってたがどうだろ?
>>160 ファーストネームが「ファン」
ファミリーネームが「エリアス」(どちらもスペイン系ORヒスパニックの名)なら
ミドルネームは「アンヘル」じゃないかな?
>>162 日本語版の小説では小隊付曹長と書かれていますが、
劇中の階級章と小説(英語)を見るとどうやら
Staff Sergeant、2等軍曹らしいです。
えーと、小隊付の2等軍曹ってコトでいいの…かな?
>>164 ああそうなんだ。その辺は全く知らないもんで。最初は「ジュアン」って読んでたし(w
スペルは Juan Angel Elias です。ちなみに死因はフラッギングらしい。
同じ隊にバーンズという名の隊員もいたそうな。もちろん顔に傷あり。
むか〜し二見書房で、実際のベトナム帰還兵が書いたベトナム戦の漫画本って
出たのかな…。別の二見の本買ったとき、折り畳んだチラシが入ってたんだけど。
出てくるキャラなのか三人組のイラストも描いてあった。
日本人の三島軍曹?って人もそのチラシに何か紹介の一文書いてような。
ウサギと猫が戦うマンガなら見たことあるけど。
ミサイル至上主義の大誤算がムキ出しになった戦争だな。
漏れが漫画で初めて読んだNAM戦ものは
秋本治の「平和への弾痕」だったな
今でも秋本の漫画ではこれがマイベスト
>>169 北爆に対するSAMの効力は無かったと?
15機/200発ぐらいかと。(B52VS SA−2)
B-52は72年からしか北爆参加してないからね。
いきなり落とされまくったけど(w
サンダーチーフは対空機関砲によく落されたらしいが
ジェット戦闘機でも当たるもんなんだな。
米国帝国主義を追い出した後、果たして
ベトナムの国民は幸せだったの?
>>167 二見書房は知らないけど、並木書房のThe NAMだったら
出版されました。多分もう絶版でしょうが。
>>176 カンボジア、中国を追い出して経済制裁も解除されてこれからと言うところだろう。
正直幸せの意味を考える暇があるだろうか?
しかし、民族統一と独立と言うのは勝ち取った者にしかその意味は解るまい。
といった所でいきなり高地少数民族が大量にアメリカに移住する話をやっていたが。インドシナで高地少数民族は仏米の徴集を受けて特殊部隊に参加していたから今のベトナムで居心地が悪いのかもしれないが
(というより商品農業が伝来の焼畑農業を壊滅させて生活できないのかもしれんが)
どっちが悪いって事になると徴集していたアメリカが悪いのか、社会主義の理想のもとで平和共存できないベトナムが悪いのか、果たしてどうだろうか?
ただし、アメリカに移民してアメリカ式の豊かな生活を送ればオールオッケーというのではアメリカユニテラリズムの独善だと思う。
>>175 雨季に雲が低く張るからね。対地攻撃で低空飛行の米軍機はいい的になるんだよ。
米軍は稲穂を踏みにじって作戦するが解放戦線はあぜ道を使うと言うのは本当だろうか?
>>177 あ、並木書房だったかも…
うしろの「書房」しか合ってないけど、何せもう何年も昔の記憶なので。
すまんなり。
実家に帰ればキッとダンボール箱の中にその折り畳んだチラシがあるんだけど。
教えてくれてありがとなり。
コンポンソム港ルートの補給路を個人的にシアヌークルートと呼んでいたが正式名称もそうなっていたか。
183 :
177:04/11/29 12:04:51 ID:???
>>181 どういたしまして。
もし並木書房のTHE NAMだったら、中古で見つけられたなら
買っても損はないと思いますよ。確か2巻まで出ていたと
思います。
個人的には絵が結構良いなぁ、と。細かいディティールが正確に
書かれているっていうんじゃなく、兵隊の雰囲気が凄くそれらしい
って感じで。
184 :
名無し三等兵:04/11/29 17:43:22 ID:t1yx6ogo
田圃があってあぜ道があったら、あぜ道を歩く歩兵はいないだろ。
ベト戦の頃って
第3次印パ戦争とかビアフラ戦争に対する関心ってどんなもんでしたか?
アメリカが関わらなければ誰も気にしないとかですか?
ブラドック大佐
ベトナム戦争中は陸軍特殊部隊で活躍しその後退役。
アメリカで暮らすが人質救出作戦を志願し戦後ベトナムへ戻る。
政府はベトナムとの友好条約締結中でマスコミに捕虜の存在が露見するのを恐れ
抹殺を計るが大佐はこの妨害を乗り越え見事に捕虜を発見、救出した。
人は彼を地獄のヒーローと呼んだ。
>>184 憶測じゃなくてちゃんとした情報が欲しいんだけど。
>187
オレは184ではないが、
あぜ道にはトラップをてんこ盛りにしてキルポイントを設定される事が多い。
なぜなら行軍ルートを予測しやすいし、目立つ。
それと、米軍は比較的規模が大きいためあぜ道を通ろうとすれば長い縦列になってしまう。
そのフォーメーションで交戦したら各個撃破されるだろう。
というわけで、米軍の部隊はNLFの支配エリアに遠征するワケだからそれを避けようとする。
それとNLFは自軍が設定したトラップを当然熟知しているし米軍よりも小規模でおまけに私服。
遠目からみたら農民があぜ道を移動してるにしか見えない。(つまり攻撃されにくい)
こういう条件ならあぜ道の方が楽に移動できるのだからNLFがあぜ道を選択するのは当然だろう。
目立つ正規軍と私服のゲリラの立場の違いダナ。
こんなコトばっかNLFがやっていたので業を煮やした米軍は無差別攻撃をするようになったのである。
ベトナム撤退後も抑留されてた米兵捕虜っていたの?
頼んでもいないのに勝手に来る米軍は迷惑だな。
ゴジンジェムのかみさんが呼んだのよ
頼んでもいないのにゴ政権擁立する米政府はおせっかいで片付けられないほど迷惑だな。ホーの要請断っといて。
193 :
名無し三等兵:04/11/30 00:23:19 ID:gIcCyiGw
キューバの時もそうだが、当初は向こうから頭下げてきたのに、「基地外マルキストだから叩きつぶす(・∀・)」とかいってそっぽ向いちゃったんだよな。
ベトナムというと海軍や空軍のハイテク的なイメージと陸軍の泥臭さみたいなのが対照的で(;゚∀゚)=3ハァハァ
なイメージですた。
アメリカ式の生活が最高で皆同じにしてやれば満足だろうと言う考えは、共産主義や全体主義とどう違うんだ。
ベトナム撤退後も抑留されてた米兵捕虜っていたの?
今日の東京12チャンネルをチェックしてみろ。
セックス!セックス!
>>189おもいっきし居たと思うぞ。
全員のたれ死んで骨になっただろうけど
>>193 ドールやドミノの工場焼き払ってから、じゃあこれからは仲良くしようぜっていうのは、頭下げたことにならんぞ、フツー
ランボーに出てくるような捕虜虐待場面って実際にあったの?
現代のアメリカがイラクであれだけのことをやってたんだから
当時はもっと凄いことをやっていたと思われ。
元POWは散々殴られたって言ってます。
>201
捕虜は敵の内情を知る上で貴重な情報源だ。
そして軍事作戦は友軍の人命がかかっている。
そこで両陣営も情報収集のために捕虜を拷問していた。
拷問については様々な方法があり、詳細についてはここでは触れないが
”ランボー”に出てくる虐待はまだ生ぬるい事は言うまでも無い。
ちなみに日本のマスコミが天使のように報道していたNLFだが実際はかなりトンデモであった。
NLFはゲリラ戦術の基本通り少人数による奇襲を多用し、反撃を受ける前に撤収していたが
このとき、作戦上得た捕虜の多くは足手まといになる為にその場で殺害している。
生かして連れてこられた捕虜は前述のように情報収集のために拷問されたり
政治宣伝のために利用された。
誰の国だか考えようね。
日本が出来なかった、「攘夷」を達成した国。
でもその後が大変だった・・・。
>>203 まあ「SAPIO」での落合タンの言う通り国際法なんてまったく意味の
ないようなモノってコトですね。
攘夷なんて本気でやっちゃだめということが良くわかるよ。馬鹿を使い倒すためのスローガンとしては役に立つんだけどね。
何故米軍はGCIを攻撃しなかったのだろう?
だからってサイゴン政権なんて絶対当てに出来ないだろ。
だが李承晩政権なんてさらに糞だぜ。結果オーライってことでしょ。
ベトナム戦争ってさ。米国が当事者じゃなくて軍事介入しただけなんだろ?
なのにたまにベトナムで米国は宣戦布告していないって言われてるけど、軍事介入するときも宣戦布告しなくちゃいけないの?
正統な政府に要請されて、国内治安のために軍隊を送ったのだから、宣戦布告する相手がない。
宣戦布告と同時にトマホーク大量ぶっ放しのイラク戦争のほうが真珠湾より卑怯に思える
卑怯もクソもねーんだよガキが!!!!!!!!!!!!!!!!!!
215 :
テンテン:04/12/10 06:58:31 ID:xgkDlDXu
ベトコン帽ってあるけど、あれってみんな同じですか。
例えば時期によって特別なものとか、ビンテージ物みたいなのってあるんでしょうか。
他にもベトナム戦争関係の装備品が興味あるんですが、例えば服とかで、マニアックなものってあるのでしょうか。詳しい方がいたら教えて下さい。
サバゲ板のナム戦装備スレッドに行って教えてもらえ。
ナム戦装備の装備考証についてはここよりはるかに詳しい。
>213
宣戦布告と武力行使のタイミングの点からみれば真珠湾の方が不当だ。
ただイラク戦争で問題なのは初っ端から問答無用でフセイン個人を狙い撃ちにしている事で
もはや米国のやり方はテロリストと同レベルという事。
司令部を狙っちゃいけないのかよ。
そんな戦争がどこにあるんだよボケ。
それに、同レベルってなんのレベルのことなんだ。
もしかするとドラクエのレベルのことなのか?
適当なことばっかりいってるんじゃないよ。カス。
>>220 そんなに突っ込まれたところが痛かったかw
でまかせ野郎が。
>218
緒戦のアレは巡航ミサイルを使った暗殺だろ?
「世界のリーダー」と自称している国の「正義の軍隊」がやることじゃねーよ。
どう考えても「ならずもの国家」のやり口だろーが。
巡航ミサイル使って金正日を暗殺できないかな?
「衝撃と恐怖」ていう作戦名からしてテロリズムだった.し
自爆テロ攻撃で金正日を暗殺できないかな?
>>222 「世界のリーダー」や「正義の軍隊」と自称できるのは強いから。
「ならずもの国家」呼ばわりされるのは弱いくせに楯突いてくるからだ。
世の中正義も悪も無いんだよ。強い方が正義だ。
なんでまたこのスレに住み着かれたかなあ。駆除きぼん。
229 :
テンテン:04/12/11 04:51:13 ID:8J3wqT2W
>>216 ありがとうございます。早速行ってきます。
>
>>222 君の納得する「正義」や「世界のリーダー」は
多分君が見てるアニメやトクサツの中にしか存在しないよ?(w
つーか、君が一番「正義」とか「世界のリーダー」なんて米のプロパガンダに
踊らされてますよ?
231 :
名無し三等兵:04/12/14 10:43:56 ID:dAOPscQ5
構うなよ
悪評の高いベトナム戦争だが、勿論アメリカにも正当性があった。
この戦争にはイデオロギー戦争の側面がある。
イデオロギー戦争は昔風に言えば宗教戦争のことだ。
この点を理解しなければなるまい。
そうでっか。
234 :
名無し三等兵:04/12/15 20:45:33 ID:7rXPPStk
ハノイに核を投下すべきだった。
↑ 少なくとも時代を共有した人間ではなさそうだな
236 :
名無し三等兵:04/12/15 22:36:28 ID:7rXPPStk
うん、19歳童貞です。
ニクソンは核使う一歩手前だったみたいだがな。
キッシンジャーさえ居なければ!
>>238 ○キッシンジャーさえ居なければ!
◎ソ連さえいなければ!
原爆は兵士や市民の犠牲を最小限にするのに効果的ってアメリカが本気で信じてるならベトナムやイラクにも落とせばいいのに
やっぱ本心ではアメリカ人もそうは思ってないんだろうな
241 :
名無し三等兵:04/12/16 21:22:12 ID:iNXqP1qK
>原爆は兵士や市民の犠牲を最小限にするのに効果的
当時はそうだったんじゃない?
>>240放射能汚染さえなければ原爆は兵士や
市民の犠牲を最小限にするのに効果的です。
おまいさんはチェルノブイリを知らんのか?
>240
今でも信じてる奴は多い予感。
俺も信じてる(・∀・)
攻撃の役には立たないが防衛では効果的だと信じてるんだ・・・
ただ、核兵器を使った場合の国際世論を考えて使わないんだと思う。
ベトナム戦争中はアメリカが北ベに原爆落としたら
ソ連と中国が対抗措置に出る可能性が非常高いし。
朝鮮戦争の時もマッカーサーが原爆落とそうだの核廃棄物を敵支配地域にばらまこうだの言ってたね。
そのソ連も広島と長崎の損害を聞き当初原爆の威力には懐疑的だった、
「え、都市2つにでたった30万人ぐらいしか死ななかったの?」
という認識だったらしい。
マッカーサーは北朝鮮じゃなくて中国に5つくらい落とすべきと発言しちゃったのが痛かった
優秀な軍人だったのか知らないが政治家としては才能はゼロ
>245
あ、中国に落とそうって言ってたんでしたっけ。
中国と朝鮮どっちかに落とそうって言ってたと覚えてましたが
まさか中国はないよなって勝手に脳内変換してました。
しかし、米国では凄い人気でトルーマンの次はマッカーサーが大統領に成るって話まで合ったらしいですね。
パットンやマッカーサーみたいな失言もあるけど男臭い軍人が好きだ
パウエルみたいな器用な政治家タイプはNG
PC専門学校の教室に入ってみろ。
男臭くて死ぬぞ。
>>247は相撲部屋でもいってハアハアしてきなさい。
フル・メタル・ジャケットのM16ってMGCのだっけ?
末期には北もかなり疲弊していたようですが、もうちょっとがんばっていたら
勝てた?テト攻勢も軍事上失敗したようだし。
来月DMZ近辺に旅行してきます。いまさら何も無いだろうけど。
>>251 世論を抑えるのに限界だった。
ミライ村虐殺のニュースが流れてからは、
当初の大義名分は消えてしまいムリポ。
72年にアメリカ兵は既に完全撤退してます
75年にサイゴンが陥落するまでの3年間はアメリカが訓練した南ベトナム傀儡兵と軍事顧問だけしかいなかった
現在のイラクも同じ方向に向かってるようで
>>253 >現在のイラクも同じ方向に向かってるようで、、、
冬厨の典型だな。
イラクの場合は世界中が反フセインにまわってるからな。
ただアメリカのあれほどのボコりかたは他国に対する威嚇に見えるな。ローマ帝国みたいなもんで手に負えないな。
>イラクの場合は世界中が反フセインにまわってるからな。
君それ本気で言ってる?(w
本気です。どこかフセインに軍事支援なり経済支援なりしてましたか?
イラン・シリアは国境接してるから今も軍事的に支援してるとみていい
ヨーロッパの多数の国とロシア、中国などは事実上政治的に支援してる(溺れかけているアメリカの足を引っ張っている)
世界中のイスラム教徒が各地で支援してるので世界中といっても決して間違いじゃない
要するに実際はフセイン支持ということだ
すごいデジタル世界ですね
なアホな。ベトナム戦争に例えたらシアヌークとベ平連レベルくらいじゃないの。世界中のイスラム教徒たって日本赤軍レベルのテロではないか。そんなもんミジンコみたいに微力じゃ。
世界中のキリスト教徒が各地で支援してるので
バチカンが全てを操っているといっても決して間違いじゃない、みたいな
263 :
256:04/12/29 03:27:37 ID:???
考えるな、感じるんだ。
>>261 阿呆がおる…。
反米テロやってる奴だけが「フセイン支持」か?(w
そんな思考回路こそテロリストの思う壺だな。
>世界中のイスラム教徒たって日本赤軍レベルのテロではないか。
つーか君の脳内じゃ「イスラム教徒=テロリスト」なの?
だとしたらますますテロリストのイメージ戦術の犠牲者だな。年もあけないうちから御目出度いこっちゃ。
でそんなにイスラムは勝ってますか?
なんかこれをイラクスレにしようと必死な厨がいるな
>>251 北ベトナムは、都市を確保するという純軍事的な目標を果たせませんでしたが
「大規模な一斉都市攻撃さえも米軍が食いとめられない」という事実が
衛星中継で全世界に報道されたため、結果的により大きい実を手に入れました
(これはグエン・チ・タインらがもともと期待していた結果ではなかったのですが)
自由諸国、特に米本国では、厭戦気分の高まりだけでなく
コスト的にもベトナム派兵が合わないというプラグマティックな意見が蔓延しました
いずれにせよ米軍の足かせは大きくなるだけだったようです
DMZに行かれるようですが、バスででしょうか?
仰る通り、ベンハイ川近辺にはろくなものが残っていません
北側のビンリン地区は、住民が疎開した地下トンネル村も残っていますし
北爆や砲撃に耐えたのみならず、北に浸透しようとした
米軍・南ベトナム軍特殊部隊を何人も捕虜にしたという「英雄村」ですので
その記念館などがあります
ケサン基地跡は廃墟で、一部を人民軍基地に転用してるので見物は無理かも
あと、根気良く探せば、DMZの南側でマクナマラ電子網の残骸とされるガラクタが
放置してある野ッ原がいくつかあります
フエから北上してベンハイ川方面に行くのなら
クアンチ省の旧省都・クアンチ市に行かれてみては
あそこには71年のイースター攻勢でボロボロになった小学校の建物が
まだ残されています
今テレビの湾岸署見てるんだが、織田裕二の顔は昔毎日グラフに出ていた、ベトコンの死体から肝臓を切り取る山岳ゲリラそっくりだな。
金本位制が維持できなくなったのもベトナム戦争の影響ですか?
>>269 いえ、ジェミニ計画とアポロ計画の影響です。
やっと観た「コウノトリの歌」がとんだ糞映画で腰が抜けた。
「ワンスアンドフォーエバー」に比べればどんなベトナム戦争映画も名作に見える
この映画のベトコン描写ひどすぎ
273 :
名無し三等兵:05/01/02 20:29:10 ID:bMq/77cu
南ベトナムってわざと負けたとしか思えない。
>>272 ブサヨ映画よりましだろ?
>>273 自由世界中に浸透していたブサヨと工作員に足引っ張られたからな
どんなに愛国心発揮しても、肝心の支援がとどかなかった
275 :
名無し三等兵:05/01/02 21:38:41 ID:8gjaRh36
VXガス
並みの274の屁
>>272 あれはベトコンじゃなくて北ヴェトナム軍では?
ベトコンと北ベトナム軍の違いは?
そんなことも知らないの?
うん。
プw
↑
これはマスタードガス
いまだにVCとNVAの区別がつかない奴がいるんだね〜(笑
284 :
名無し三等兵:05/01/02 23:39:31 ID:JIJsyCXn
まぁベトコンってのはベトナム人共産主義者野郎ども、という意味の蔑称で、しかもアメリカは
ずっと北の関与を主張してたんだし(実際54年以降の居残り組もいたわけだが)、
北ベトナム軍との違いは無いっちゃあないのかもしれんな。殆ど言葉遊びの気もするが。
アメリカ人ってベトコンと呼んでた?
映画だとVCだけど?
嘘です。チャ−リーっていってました。
>>284 支援こそ受けていたけど、正規軍とゲリラでは戦後の待遇からして違う。
NVA兵も黒パジャマに着替えた時点で米軍からみればVCになるんだろうか?
南越でNVAと交戦したときは制服姿の正規軍のように描かれている書物が多いから
脳内推測するとそんな気がする。
289 :
名無し三等兵:05/01/03 17:42:27 ID:JKK9ryZa
日系人の人が2人名誉勲章もらってたよね
日系人は兵隊になる人が多いのかな?消防士に多いとTVで見たことはあるが・・
ベトコンの描写はリーアーメイ閣下主演の「スクワッド」が良かったな
日系人の人に会ったことがあるけど
あいつら日本とアメリカがまた戦争になったらアメリカのために戦うとか言ってたぞ
見た目が日系なだけであって中身はアメリカ人なのだから、当然アメリカの
ために戦うだろうよ。
442連隊とか有名だべよ
294 :
名無し三等兵:05/01/04 00:35:10 ID:SwWydZ6i
>>293 へー、日系人も結構ベトナム戦争に参加してたんだね
295 :
293:05/01/04 00:37:12 ID:???
すまん、漏れがいいたいのは太平洋戦争時の442連隊の話。
ベトナムに日系人部隊がいたかどうかは知らん。てかさすがに無いだろ。
日系人部隊は居なくても日系米兵なら居ただろ。
日系人はベトナム戦争で数十人戦死してる
そんでヤノさんとカワムラさんがメダルオブオナーもらってるよ、
朝鮮戦争でも日系人のミヤムラさんが7人の朝鮮戦争の英雄の1人に選ばれてるし
みんな結構頑張ってる。我々も頑張ろう。
米軍のSOGやレンジャーだって
記章無しの黒ファティーグやタイガーを着た時点でゲリラなのだ。
>>290 敵の大佐がフィリピン系俳優だったがな
しかしあの敵、装備と言い規模と言いどう見てもNVA系の部隊なのにNLF名乗ってたな
300げっと
ベトコン描写なら、アメのTVM「ベトナムウォーストーリー」もおすすめ
ベトナム系の俳優使って、解放戦線の悲壮かつマタ-リした日常が出てくる
日系人どころか日本人留学生も志願入隊してベトナムに言ってるわけだが。
通称「サムライ・サム」とか。
302 :
名無し三等兵:05/01/05 19:22:49 ID:TPE1YJ0J
ベトナム映画といえば地獄の黙示録だろ、キルゴアたん最高にかっこいいでつた
ベトコン
VC
チャーリー
グーク
コミー
まだある?
グークの語源だけど、もう一説あるの知ってる? 朝鮮動乱の頃、朝鮮人がアメリカ軍から物もらおうと集まるときに、ミーグック(美国)と口々に叫ぶ。
GIは、ミー(私はグーク)と受け取ったというの。
グークの起源は韓(ryです、だったとは Σ(゚д゚lll)ガーン
307 :
名無し三等兵:05/01/08 13:50:39 ID:/CeRNB3d
MIAってゆう小説の後書きでみたんですけど、うろ覚えながらも一部を抜粋します。
「1986年2月15?日、ベトナムの外務大臣?は不法に(ベトナムに)進入したアメリカ人
数人を人里離れた場所に抑留している可能性があると示唆した(以下忘れました」
この(不法に進入したアメリカ人)と言うのはラープ隊員の事でしょうか?
カーツ大佐
特攻野郎Aチーム
ストリングフェロー・ホークの兄、セントジョン・ホーク
テト攻勢はじっさいは北ベトナム側の被害が甚大であった!
そんな今更な事を力一杯言わんでも。
被害甚大な方イコール負けというのが
最近この板でも発生している厨の「理論」の基本だな
60年代のアメリカのラジオ音楽はかなりいいよ、大量に持ってる
うpしたいけどタイホされたらヤダからうpしないけど
何度言われても干支を間違える、モー娘。の紫電改。
What this?
ニューズウィークによれば派越韓国軍の戦果はゲリラ1万以上、民間人3万以上殺害という大戦果
それに引き換え韓国軍側の死者はたったの五千人たらず。大変誇らしいですね。
>>318 そんな強い朝鮮人がなぜ自国を一度もまともに守れなかったのでしょうか?
(ちなみにその戦果の大半は支援の米空軍、米陸軍の航空機によるものですよ、おめでたい
韓国びいきさん。)
民間人3万殺害のレスが韓国びいきとも思えんが。
米制空権下でゲリラ相手にキルレシオ2.0ってのも強いと思えんが。
歴史にifはないけど、南ベトナムの指導部が腐敗してなくて、ある程度国民の支持を受けていた場合、
それだけでベトナム戦争の勝敗はひっくり返るかな?
歴史にifはない。
信じられないが、本当だ。
>>321 引っ繰り返るというより国まるごと北への合流の動きが出て、(国民の支持を受ける指導部
ってそういう事になると想定)慌てたアメリカが南ベトナムの誰かに金や利権握らせてクーデ
ターを起こして政権掌握。
しかし当然南ベトナムは内戦が激化してより一層手がつけられなくなる・・・
で、恐らくベトナム戦争の終結が早まるんではなかろうかと予想。
>>323 そうそう。あの当時のアメリカの方針として、
国民の支持を受けているような政権は転覆させて
軍事独裁政権を傀儡に作らせるのが基本。
転覆こそないけど、韓国の朴政権とかね。
325 :
名無し三等兵:05/01/11 00:12:27 ID:kdnPZrFr
山岳民族の戦闘能力はもの凄かったらしい
まさにグルカ兵並み
戦争法規完全無視だっただけです
そのせいで戦後大量の山岳民族が消されたけどな。
>306
開拓時代の米国が起源だと思った。
つーか、この話は軍板ではデフォだと思ったが。
>319
練度が全く異なる。
大隊レベルの訓練さえ満足に受けていない上に北チョンの浸透工作によってボロボロ状態だった1950年と
軍事独裁政権下で旧日本流に徹底的にしごかれていた1960年代は
全く異なる戦闘力を有していたと考えるのが妥当だろう。
>318
民間人の定義が曖昧なのがあの戦争の特徴だ。
本勝の取材でNFL支配下の農村は概ね地下施設が構築され兵器弾薬が備蓄されていた事は明白な事実だ。
軍事施設化していた農村およびそこに居住している農民を民間人と考えるか否かで見解が分かれるだろう。
警察程度の装備でT34に立ち向かえて言われたら俺は逃げる。
韓国軍は朝鮮戦争の戦訓を生かしてるんだよ、後ろから撃たれるくらいなら
全部殺すしかない、でも猛虎師団は流石にやりすぎだと思う。
韓国軍のことについて例の分厚い本に
空き缶つぶして平らにして屋根の材料にしてる写真のってた。
それと確か“朝鮮戦争の経験から共産を憎んで激烈に当たった”みたいな事が
書いてあったような気がスル。
あとなんて言う車両なのか名前は忘れたけどM113よりも大きくて
ずんぐりむっくりした車両の上に(地雷よけで?)米兵がいっぱい
乗ってた写真があったっけ。
自営業閣下によると捕まえたべトコンとかはみんな撲殺してたらすぃ
共産主義者は殺さなければいけないという思いが強かった。
朝鮮戦争では国民の殆どが甚大な被害を受けたからね、憎しみも強烈だった。
アムトラック。
べトコンがグリースガン持ってた
ベトコンが部隊の一人を殺す→そのベトコンが潜んでると思われる村へ行く→女、子供、老人お構いなしに殺しまくる→家畜まで全部殺した後火をつけ、村の存在自体を消す。
>>318 その民間人のうち3割くらいはきっと心情的にゲリラよりの連中だろ。
いずれべトコンになるような芽を早いうちに摘まないと。
共産主義者の女もべトコンを産むから危険だし。
>>338 その通り。朝鮮人や韓国人は根絶やしにせねばならない。
341 :
名無し三等兵:05/01/12 02:24:52 ID:z32WCEiY
>337
当然の行い
同志スターリンの言葉を思い出せ!
ここはとってもホルホルしたスレですね
ベトコンに協力してたベトナム人って脅されて強制的に協力させられてた。
そーゆー理由を無視して大量虐殺したチョンコどもは鬼畜ですな。
鮮人許すまじ!
民間人とゲリラの区別が出来るような戦いではなかったんだよ。
全員殺すしかなかった、仕方が無かったのさ。
ちなみに捕虜は基本的にテコンドー用のサンドバックだったそうな。
お前らだって仲間が殺されたら村の一つや二つ消したくなるだろ
おれ、仲間とか友達いないから大丈夫。いるのは知り合いだけ。
ベトナムはポルポト相手になんで大苦戦したの?
クメールルージュが強かったから
いつ大苦戦したんだよw
あこがれの355th TFWゲット!
>352
複雑な地形・に加えて補給ルートを絶つ事が出来なかったからだ。
(ポルポトは中凶とアセアン(特にタイ王国)から支援を受けていた。)
北の方に追い詰めてからの話だろう
流れ乱してすまソ。
ベトナム戦争時に米軍が兵員輸送に使ったヘリコプターの機種名
分かる方っていますか?
359 :
名無し三等兵:05/01/27 00:53:48 ID:JnFnaRjJ
CH53、CH47、UH1、H-21 とそれぞれの派生型。
まだある?
チヌークとバートルてやつ?
CH-34、CH-37、UH-19を忘れるな。あとH-3もか。
CH-46も。
UH-1はナム戦前半ではUH-1B型、後期からD型。
てゆうか、分けるなら前半がB&D型、後半がH型だろう。
chopper!
367 :
359:05/01/29 15:47:28 ID:???
皆さんレスサンクスです。参考になりましたw
なぜ最後がWなんだ
>>267 大変遅レスですが、フエ行ってきました。
DMZツアーなるものもあったのですが、あまりたいしたものは見られなさそうなの
でフエ市内および近郊をブラブラしてきました。
それでも弾痕の残るパゴダや廃墟等々それっぽい物を見ることができたので良かっ
たです。アドバイスありがとうございました。
370 :
名無し三等兵:05/02/01 16:21:36 ID:vaJn0JAP
元戦場で地雷とか不発弾とか危なくないの?もう除去されてるんですかね。
俺もベトナムはホーチミンだけ行ったことあるけど、竹槍仕組んだ落とし穴とか地雷とかあると嫌だから観光コースしか行かなかった。
ノノ从从
从 _ゝ)、<呼んだ?
>>372みたいなアホが指揮権を握っていたから負けた、と言ってみる。
374 :
372:05/02/01 22:55:53 ID:???
そうかもしれんw
おれ無能だけど学歴だけはメッサ自慢可能だからw
こんど観光でサイゴンに逝きますが、
米軍が置いていったファティーグとかブーツとかは
どこに逝ったら買えるのでしょうか?
つーかそんなもんまだあるのでしょうか?
業者はナムで仕入れしてくるようですが、
どんなとこで買ってるんでしょうね。
いまどきそんなもんありません。
>>372 酷い糞スレだな
…というとこちら側でも叩き厨が沸いてきそうだからそんなことは言いませんよ
戦争市場ってのが有ってそこなら南無戦物買えるってきいたけどどうなんでしょ?
常連になってる店の店主と」話した時日本の雑誌がむこう行って相場の研究をしてるとかなんとか。
俺も今度タイいくのでついでに隣のカンボジアの戦争博物館に行く予定。
ナム戦のパッチ付きファティーグなんて、真贋の判定は
ほとんど不可能に近いんじゃないの?
M14ってそんなに駄目だったんですか?
駄目じゃないよ
当時陸軍はずっとM14で行く予定だった
M14自体は悪くない銃だと思う。
ただ、元々の設計思想がヨーロッパの平原で
使うために作られたものなので、ジャングルでの戦闘には
あまり向いていなかったらしいです。うろ覚えですいません。
>>383 SPIW計画とCOIN計画があって…
ゴメン内容忘れた
>>375 >>378 YERSIN通りのDAN SINH市場ね
あそこは工具と作業服の市場だけど
もともとが泥棒市場なので、人民軍の放出品(旧南ベトナムの鹵獲品、旧ソ連の援助品やカンボジア物も)
を打ってる店が数軒ある
米やサイゴン軍のデッドストックを扱ってる店は2軒だが
日本からのバイヤー(サープラスショップの奴ら)が値段を吊り上げて行くので
ここ5、6年で相場が10倍以上になった
偽物も多い(人民軍の現用タイガー迷彩服を「米軍SOGのものだ」と言ったり
市販のベレー帽にそれらしい記章つけて「SOGやLLDBのものだ」としたり
ひどい場合、日本じゃユニクロでも売ってないようなペラペラのMA-1もどきを
「米海軍のだ」とか言ったりして売りつけようとする)ので
初心者はあまり行かないほうが吉
Military Action Hostile Dealths Wounded Non-Hostile Deaths
World War I (1917-18) 53,513 204,002 63,195
World War II Total 293,121 670,846 115,185
European Theater 185,179 498,948 66,805
Pacific Theater 107,903 171,898 48,380
Korean War (1950-53) 33,629 103,284 20,617
Vietnam War (1961-75) 47,358 153,303 10,817
http://www.kyowva.com/bbacks/nationalmisfortune.htm
AH-1のベトナムでの活躍話ってないですか??
ネットで探せばいくらでもあるよ。
カップヌードルのCMのM41ってCG?
391 :
389:05/02/06 23:31:10 ID:???
ゴラン高原やイラクから破壊された戦車を持ってきて撮影したら本物だったのに
イラクのは劣化ウラン弾が怖いような…
アメちゃんの広報は大丈夫いうとるよw
巨大な花が咲いたりして(笑)
396 :
名無し三等兵:05/02/11 18:12:44 ID:i3sY+G9B
テト攻勢を解かりやすく説明してください
おせちに飽きたから大使館占領してみた。
399 :
名無し三等兵:05/02/11 20:26:27 ID:Zbj2AFH/
米国のジョンソン政権が、米国内で拡大する戦死者/徴兵/戦費増大への不満を、制圧地点(実際には点と線だった)全域を占領/恭順させたと米国内向けに宣伝して押さえ込んでいる点をつき、これに打撃を与えることで
1968年の米国大統領選挙で反戦派候補が選出される事を期待したベトコン(当時は北ベトナムより南部のベトコンが対米戦の主導権を執っていた)勢力が、
農村/ジャングル部に分散展開させていた兵力の大部分を集結させて旧正月前後に各地の米軍拠点/都市を攻撃した作戦。
実際の作戦成果としては地方都市やサイゴン市内の重要拠点の一時的選挙に成功するが、米軍の反撃を受け数日で撤退するに至り 攻撃兵力として集結していたベトコン部隊は米空軍の猛爆撃により壊滅した。
この攻撃の結果、ジョンソン大統領は道義的責任をとって大統領選出馬を断念するに到ったが、大統領選挙の結果では よりタカ派のニクソンが当選した。
また、大兵力を失ったベトコン勢力は、以降 北ベトナム正規軍に作戦の主導権を握られ、戦後の一方的な南北統一を許してしまった。
このあたり『ベトコンメモワール』チュオン・ニュ・タン著 原書房 に詳しいゆきさつが書かれている。
ゾウさんや、キリンさんとかだして
おはなししてくれなきゃいやだよぅ〜
401 :
名無し三等兵:05/02/11 23:26:04 ID:XaevV5NK
ヒストリーチャンネルでやってたけど、
北ベトナムの米兵捕虜の扱いは酷かったらしいね。
捕まえた米兵を逆さに縛り上げて気絶するまで殴ったり、
足がへし折るほど町中を引きずり回したり、肥溜めに一日中投げ込まれたり。。
ベ平連とかはこーゆー事知ってたんだろうか?
402 :
小田実:05/02/11 23:41:23 ID:???
>>401 ベトナム戦争はアメリカ侵略に対するベトナムの崇高な戦いやからね、
侵略軍の兵隊は多少の乱暴されても仕方ないと思うんや。
そら彼らも人間で、言わばアメリカ帝国主義の犠牲者やからね、
中立国に逃げる、いうんやったら手、貸したるし。
>>402 のちにベトナムがカンボジアに侵攻した時、
「俺は騙されとったんや!」と、寝言のような言い訳をした小田さんですか?
道義的責任て...
>>404 うちの嫁は北朝鮮人ですけど北朝鮮は夢のような国といってますよ、とのたまった小田さんですよ
>>403はどうやら、ベ平連の親分が小田実であることを知らないらしい。
あれぐらい香ばしく脳が煮上がったサヨジジは、
見て楽しい、経歴を見て楽しい、今までの言葉を聞いて楽しい、
一粒で3度楽しい、希に見る人材なのに・・・。
408 :
名無し三等兵:05/02/12 09:06:27 ID:BlsQee6J
>>404 ベトナムはカンボジアに侵攻して絶滅寸前のカンボジア人多数を救った訳だが、現在のカンボジア人は ベトナム人に対して殆ど感謝していない。
最近のベトナム人は「ポルポトにカンボジア人を絶滅させてから侵攻すればよかったのに失敗した」と言っているw
>>408 当のポルポト派は「カンボジア人がいなくなってもどっと中国人がやってくるだろうから
人はいるだろう。」と思っていたらすぃ…。
410 :
名無し三等兵:05/02/12 14:45:06 ID:BlsQee6J
ポルポトが本当にカンボジア人を絶滅させてしまったら、当時の中国政府は大量の移民を送り込んでいたかもしれない。
実際、ポルポト時代には農業技術顧問などの名目で多くの中国人がカンボジアにやって来て、彼らの趣味に合うように 長い髪をおかっぱに切られたクメール/ベトナム女性もいたらしい(ベトナム側の宣伝報道なので信憑性には疑問が残るが...)。
ベトナム戦争終結後も中国政府代表がベトコン勢力(既に関係が悪化し始めていた北ベトナムではなく)への独自/継続支援を表明しているし、メコンデルタ(元々はカンボジアの土地)〜カンボジア本土一帯を中国の植民地にするチャンスを狙っていたと考えられる形跡もある。
>>407 ベ平連は「アメリカはベトナムから出ていけ」と、はっきりした目標があって、
そのためには米兵の脱走幇助など、非合法スレスレのことをやってのけただけ、
現在の「何でも平和」腰抜けサヨより、まだしも見どころがなくもない。
自分に不利な情報は徹底して知らないフリをする態度は現在のサヨと同じだが、
「中途半端に知識人を気取り屁理屈を謳う分、小賢しい」現在のサヨとは違って、
「デムパに徹して疑わない」態度はいっそ、頭の悪さを極めて、すがすがしい。
まあ、現在のプロ市民やサヨとベ平連を比べて「ベ平連まだマシ」と言ったところで、
「チンピラ愚連隊より任侠ヤクザの方がまだマシ」という物言いと同じではあるが、
高度成長時代のサヨは、モーレツ社員と同様、気合いが入っていたのだろう。
412 :
名無し三等兵:05/02/12 23:18:58 ID:BlsQee6J
あの当時は銀座でバイトしてた重信房子が一晩で数百万円(現在だと千万単位?)のカンパを会社の重役連中から集めてたらしい。
体制側も歯向かう側も豪気でしたなぁw
413 :
名無し三等兵:05/02/13 00:27:11 ID:lUsp/T73
このまえオーストラリアにホームステイしたさきのおっさんが
元オーストラリアSASのヴェトナムがえりだった
DMZやドンハーなどで活動したらしいけど、
ドンハーって南側の都市なのに活動したってのはおかしくないですか?
415 :
名無し三等兵:05/02/13 01:21:51 ID:fTNSaIhp
ジェンキンズも議政府あたりのバーでそそのかされて脱走したわけだが、幸運にも帰国が叶うだろう。
小田にそそのかされた水兵はまだ帰国できない。
月刊プレイボーイの記事を読んだとき、べ平の連中が水兵を軽蔑しきっていたのが伝わってきて不快だった。
417 :
名無しの格闘家:05/02/13 03:55:37 ID:zmQ2bAtx
>>413 ゲリラ狩とかゲリラの主要人物への強襲でもやってたんじゃないか
イギリス系ならアイルランドとかでの経験があるから
それがオーストラリアの部隊へも伝わってやってたとか
それかそのおっさんがベトナム関連の後遺症で少し記憶生涯
起こしてるとか
418 :
名無し三等兵:05/02/13 03:59:59 ID:zmQ2bAtx
このスレを見た瞬間頭の中でランボーのBGMがリピートする
俺はあほですか?
>>415 うんにゃあ、あの国のやり方はそんな生温くはない。
そもそもラオスを超えてカンボジア支配はできまい。
北朝鮮やネパールでもわかるが生殺しにしておいて
生かしも殺しもしないことだよ。徹底して属国化することだ。
北朝鮮辺りの貧困や飢饉の温存と食糧援助の繰り返しは正しくそれだ。
ネパールの恒常的な政情不安もそう。
だから正直な仲買い人よろしくベトナムでも17度線での分断を推進したかったわけだよ。
ジュネーブ協定に一番熱心だったのは中国。
あれは「メリケンさん、朝鮮半島方式でいきましょうよ、民族の分裂を
生かすことは粛清よりも効果的ですよ。うちの粛清半分手伝ってくださいよ。」
と言うメッセージ。クルドやバスク方式とでも言おうかな。
だから北ベトナムは統一選挙に固執した。
1000年の属国の歴史を知っているからだ。
ベトナムは山地が多く実はアフガンのように山岳民族や部族の自我強い。
強権的な一党独裁でなければ独立や統一は難しかったろうな。
まただからホーチミンはインドシナ独立をスローガンにしたんだろうな。
ベトナムだけで独立維持するのは困難と考えたんだろう。
今のカンボジアの憲法考えて味噌。組閣に3分の2の議席が必要なんて
議会機能を停止させるための政策だ。議会を殺して行政を生かす。
フンセンが苦労している理由だ。
中国と地続きでなくてくれぐれも良かったなw
>>153 その前にダレスが考えていた。
更にそれ以前にフランス軍にも提示したらしいよ。
新聞どころか国会答弁でも言及されている。
中国初の核実験1964年10月。本格的な北爆以前に米国は手足が縛られていたんだよ。
トンキン湾事件は8月。中国は実に効果的なデモンストレーションをやったものだ。
したたかな国だ。
因みに北朝鮮の外交政策は中国のミニチュア版に思えてしかたがない。
>>16 やっぱハンバーガーヒルだ。ベトナムの戦場を描いていながら実は
米国の内政を描いていて当時の米国の苦悩が良く現われている。
プラトーンや地獄の黙示録は派手だがその視点がない。
ベトナム戦争はベトナムの内戦であると同時に米国の内戦ならぬ内政
だった。これはフランスのアルジェリア紛争とやや似ている。
ドゴールも撤退したがやはりそれと平行して強攻策にも出た。ニクソン同様撤退の難しさを表しているな。
フランスは財政破綻までしたからな。当時は西側も必ずしも一枚岩ではなかった。
結果国際問題が内政に収斂していって戦略が破綻する。アルジェリア独立1962年。
米国は苦々しいフランスに学ぶべきだったな。
敵から学ぶ事は実に重要だよw
米国はもともとホーチミンが反米ではなかった真意を
もう少し汲んでやるべきだったな。ホーチミンが一番恐れていたのは恐らく中国だ。
そういったデリカシーがないのがあの国の悪いところだな。
似たような馬鹿はフランスでアルジェリアに執着した植民地主義左翼だ。
このアホウどももクリスチャンのせいかイスラム独立派を敵視した。
どの面下げて戦前にレジスタンスしていたのやら。
で財政破綻だ。相変らずEU内でもトルコ敵視だなw
国内の大衆ヒステリーに被れて宗教を前面に出す国は
碌なことをしない。
さて我国だが、新興宗教の政党が選挙のキャスティングボードを握っているわけだが、
この政党が好きな国はどこだ?
民主党は選挙で勝っても単独政権までは待てまいな。
今更左翼の馬鹿と連立はしまい。
そこで連立となると、、、、やはり困ったものだなw
キャスティングボートな・・・・最後はテンテンいらない。
アメリカ好きと中国好きで、我が家のバランスは、取れている
朝鮮戦争といい、ベトナム戦争といい、
アメリカの戦争は、日本であまり評価されているとは言えないが、
実は、経済的にも政治的にも大変な恩恵を被っているね。
なにしろ、行かないで済みましたから。ホワイト
ハウスに足を向けて寝られません。
アメリカに無断で国交回復しに行く総理大臣なんか
いたらもう、即タイーホでつから。
角栄さんは、ツガイのパンダを輸入した罪でタイーホされたの?
428 :
名無し三等兵:05/02/16 11:04:29 ID:O0r0wDh/
シェリダン戦車とM14どっちがいい?
ベトナムって良いとこだよ〜
処女ローティーンの褐色の美少女と現地婚して一月くらい生でやりまくっても15万くらいだし
勿論妊娠はするけど扶養なぞせんでも良いしね
また制服持って行きたいな〜
ベトナム戦争と言ったら
M48A3“パットンV”戦車と思う漏れは変人・・・
RPGって発射しないのに装填したら弾体が抜け落ちるってほんと?
>>431 抜け落ち防止のストッパーなかったけか?
シェリダン戦車は欠陥?
↑シェリダンはアルミなのでRPG一発で装甲が燃えまつw
>>429 コラコラ、扶養くらいはしてやれよw 100ドル/月で充分なんだし、日本人の評判を落とすな...
だいたい15万/月なんてボラれ過ぎだ。
ベトナム戦争の写真集でおすすめのものはありますか?和洋問いません。
今は澤田/酒井のThe Battlefieldしか持っていません。
集英社の「レクイエム」は?
人気どころ勢揃いでなかなかよい。
>>435 むかし戦車マガジンから出てたよ。
ベトナム戦争1〜3までだったかな?
ティム・ペイジの「アナザー・ヴェトナム」でも買うがいいさ。
439 :
名無し三等兵:05/02/21 18:44:32 ID:igOMV9e3
新生ベトナム軍が捕獲品のコブラを戦闘で使った事ってあるんですか?
440 :
435:05/02/21 19:22:48 ID:???
とりあえずレクイエムを購入しました。
ありがとうございまいた。
カンボジア侵攻ではコブラやらバートルやらAPCやら南から巻き上げた米式装備をふんだんに投入w
でもコブラって南ベには供与されてないでしょ。
443 :
名無し三等兵:05/02/24 18:40:36 ID:Rmbh2JWM
中越戦争では巻き上げ品は使わなかったんですか?
444
>>441 人民軍はコブラを入手はできなかったみたいです
実戦に使えるような鹵獲航空機は
固定翼のA37、F5A/B/E、C130
回転翼はUH1ぐらいなものだったようです
>>443 ジャラム(ハノイ)やカットビ(ハイフォン)の基地に
中国軍の空襲に備え待機していた邀撃機の中には
タイガー(フリーダムファイター)があったようです。
446 :
名無し三等兵:05/02/24 19:47:46 ID:Rmbh2JWM
>>445 ありがとうございます。
フリーダムファイターとか持ってたくせに北に勝てなかった
南って、、、
>>439 柘植久慶氏がグリンべレーで活躍していたときに、夜起きたらすぐ隣に寝ていてびっくりしたと書いていたよ。
どうも、暖かいところを探してやってきたらしい。
こんなのに巻きつかれたら、それこそ骨を折られて圧死するかもしれない と書いていたな。
生物兵器でしかも捕獲品とは知らなかったです。
448 :
名無し三等兵:05/02/24 20:54:37 ID:xcjFZgNz
こち亀の作者がまだデビューする前に描いた作品で、ヴェト戦が舞台のものがあった。
「平和への弾痕」という名のコミックに作品が載っているので一度見てはいかがか
同胞よ、兄弟よ、全人類の良心よ、
きみらは聞け、1000人の殺害されたひとびとの叫び声を、
かれらは死んだ、限りない悲しみを抱いて死んでいった。
1000人の無実の魂はこの世をただよっている、
これは永遠の憎しみである。
きみら聞け、1000個の死体が叫んでいるのを、
あの痛ましい日、南方の大収容所のなかで、
かれらは苦しみながら死んでいった。
きけ、このように死ぬのを欲しなかった、あの1000個の死体が叫んでいる
かれらは空を指し、敵のあくどい仕打ちを訴える。
「12月1日のあの日、だれも命がなくなるなどとはつゆ知らなかった
やつらが飯の中に毒を盛り、毒薬はぼくらの内臓を破壊した、
ぼくらはもだえ苦しみながら、ついに死んでいった。
残虐で卑怯なやつらはまだ生きている、
体は死んでも、気力は尽きても、
血に染まったすべたの心は憎しみを死んでも抱いている」
「ぼくらは祖国をこのうえなく愛しているひとびと、侮辱を受けいれないひとびと
戦争に反対する子ども、民族の尊厳を汚されたくない父親、
子どもが奴隷にされたくない母親。
ぼくらは生きたい、
ぼくらはこのように死んでいきたい。
「同胞よ、兄弟よ、ぼくらはひとの世の生活を望む、
だが、民族の生存と、平和と統一のためには、
ほとばしる血をそそいでも、血をなげうっても、
ぼくらは生を惜しまない」
「やつらは殺した、だが、どうして殺されたままでいよう。
ぼくの魂は祖国の空をさまよっている、
愛する村を抱いているように、朝早く、また夕暮れに鸛が舞うように、
小川の水がすすしげな田んぼにそそぐように、
海の波がくりかえし高い声で、歌を歌っているように」
「南方で、アメリカのやつらはまだ大量の毒薬を匿している、
まだこっそりと人目につかないように飯の中に混ぜている。
やつらがするのはドルとひとを殺す凶器のため、
口では『国家』とか『独立』とか『人間尊重』だとか唱えているものの。
ぼくらはあの毒薬を手にする強盗どもと、
あのホワイトハウスの財宝をかかえたやつらとを
いっしょに葬ってしまわなくてはならない」
「同胞よ、兄弟よ、やつらはぼくらの生命を奪った、
ぼくらを地上から消してしまった。
南方の収容所のなかには、まだ幾千万の祖国のこどもたちがつめこまれている、
やつらの休むことのない残虐にあって、声もたてず息もしないで死んでいっている」
「すべての生きているひとびとよ、きみらはぼくらのために
頑強で不屈の南方のひとびとの発する
世界をゆり動かす悲惨さと憤りの叫びを、地球じゅうに伝えねばならない。
アメリカとかいらいどもの血に染まった爪をたたき切り、
最後まで戦い抜かねばならない」
アメリカとかいらいのひと殺しよ、聞け、
ひとびとがお前に対する宣告を聞け、
あすの暴風雨はきょうのたけり狂う風のかきたてるもの、
あのぼくらを殺した毒薬、手枷足枷と凶器は、
いまにお前ら自身を消滅させるはずだ、稲妻は怒り狂う雷のまえぶれだ
トー・フー「永遠の憎しみ」
>>448の「平和への弾痕」にも出てくる有名な詩です
1958年、サイゴンのフーロイ監獄で
転向を拒んだ1000人以上の政治犯が政府に毒殺された事件をうたっています
>>449 今や、1000人規模どころの騒ぎではありませんが、何か?
>>450 アカと仲良しは石器時代に戻ってもらいますが、何か?
>>451 同胞と兄弟は$欲しいと言ってますが、何か?
>>452 なかなか消滅しませんが、何か?
78年のカンボジア侵攻にはM48A3“パットンV”は使用されたのかな?
無反動砲みたいなの載っけてたM113は使用してたみたいだけど・・・。
>>453 ベトナムの国民的詩人の詩に、いちいちハイリン付きでファビョるなよ
軍板でアカだのなんだのって、厨丸出しだな
何なら巣に帰るか?
>>454 現地で出版されてる外国人向けの人民軍の書籍(英語)で
「(カンボジアで戦った)M48戦車」っていうキャプションで映った写真がありますが
不鮮明で判別できないんですよね。
関係者の話では「M48もM113もポルポト相手に有効活用した」とのことですが
456 :
名無し三等兵:05/02/26 12:12:35 ID:RfixnKEQ
キリングフィールドではポルポト派の兵士が投降したロンノル派兵士にM113を運転させてたね。
ハノイの軍事博物館の正面に展示されてるT55の説明にはカンボジア解放戦に参加って書いてあった。
近所のバイク屋のおじさんも、もとは戦車兵でカンボジアへ行った英雄だったよw
ニクソンは滅びたじゃんw
458 :
名無し三等兵:05/02/26 20:41:17 ID:RfixnKEQ
ニクソンは自滅だよ。フォレスト ガンプをウォーターゲートホテルに泊めなければバレなかったw
ベトコン勢力がその政治生命を奪ったのはジョンソンだね。
ケネディ暗殺後の昇格とベトナム戦争のおかげでジョンソンの評判は悪くなったが、国内の政治的業績としては貧困層の救済、人種間宥和の推進、経済の拡大(戦費で相殺されてしまったが...)と名大統領と呼ばれるに足る業績を残していた。
しかし、テト攻勢のおかげで大統領選挙への出馬を断念せざるを得なくなった。
ちょっと佐藤栄作の最後に似ていた...
佐藤とニクソンがノーベル平和賞を受賞していると言う驚愕の事実。
>>441 小火器では相当数の米軍火器を入手してはいるが、
さすがに弾薬の補給に問題があったか、北ベトナム正規軍ではなく、
民兵の装備に回されている。
デヴィ夫人は佐藤栄作のノーベル平和賞受賞のニュースを亡命先のパリで聞き、「スカルノを殺した男が平和賞なんて」と天を呪ったそうな。
大作君も平和賞をもらった途端に失脚かもねw
アカのオフェラ豚め!
>>458 ジョンソン大統領が68年大統領選にもし出馬してたら勝てたのかな?
大統領選挙のジンクスに戦時下の大統領は負けないなんてのもあるし、
今のブッシュ大統領だってイラク戦争泥沼化でも再選されたよね。
465 :
名無し三等兵:05/02/27 20:46:32 ID:A/XvZxtr
>>456さん
「近所のバイク屋のおじさんも、元は戦車兵でカンボジアへ行った英雄だったよ」
詳細キボン
>>464 戦歴にリアルっぽいエピソードを加味して、退役した国民に
受けようとしてるんは?
戦死した子供や夫がいる家族にも親近感が沸くとか?
敵を大勢やっつけた男では無く、危機一髪をくぐり抜けて帰って来た
男で売った方が万人受けして商売もしやすいのでしょう。
>>459 アラファトがノーベル平和賞を受賞していると言う驚愕の事実。
468 :
少佐:05/02/27 21:40:12 ID:NOZ/ma0i
ベトちゃんはディエンビエンフーで大砲を上手く使いこなしてフランス軍を撤退
させてる。
ベトナム戦争でも当然大砲を駆使したのだろう。
また機関銃の数もベトちゃんのほうが上だ。
地上兵力だけに限れば、ほとんど武器が小銃だけのアメリカ兵は不利だったのだ。
469 :
少佐:05/02/27 21:44:15 ID:NOZ/ma0i
アメリカ兵というのはとにかくよく弾を撃つ。
趣味じゃないのかというくらい撃つ。
そしてあっという間に弾が尽きる。
さっさと核を使えばよかったんだよ!!!!!!!!!
471 :
少佐:05/02/27 21:54:32 ID:NOZ/ma0i
グリンベレーだった三島瑞穂さんの本を読むとグリンベレーの食事は
インスタントラーメンが主体だったとか書いてあるが、これもアメリカ
が撤退した原因のひとつじゃないかと思うぞ。
経験者の話というのは、参考になる反面で
当事者の周りに限った話でもある事が多いからな。
それだけを信じるのは危険だ。
ザップってまだ生きてるの?
ザップは不死身だよ
ディエン・ビィエン・フー?だっけか?
NHKの番組に写ってなかったっけ?
製作したのはフランスとかだろうけど。
>>470 核の使用はディエンビエンフーが包囲された際に検討された。
アイゼンハゥアー政権の副大統領でフランスの対ベトミン戦に強い発言力を持っていたニクソンが、自分が立案してドゥラットルに押し付けたディエンビエンフーの基地が包囲されたと知り、アイクへ核使用の許可を求め拒絶された経緯があった。
この辺の経緯は、ニクソンが著し日本語訳はNHKの局アナでジジイのペットと呼ばれた 宮崎緑とその弟が訳した「ノーモア・ヴェトナム」 リチャード・ニクソン 講談社 に詳しい。
やたら気持ちがこもってるタイトルだなw
→ノーモア・ベトナム
ニクソンにとってのベトナム戦争は「聖戦」であり「私戦」でもあった。
ゴージンジェムや宋美齢といった関係者との個人的関係や、究極の政敵だったケネディの裏切り(とニクソンには見えた)など、個人的感情が渦巻いていたらしい。
そして、その渦の中でケネディ暗殺/米中国交回復といったトピックが生まれ、世界史に刻まれる事となった。
479 :
名無し三等兵:05/02/28 00:48:32 ID:O0rkRWXi
./ ;ヽ
l _,,,,,,,,_,;;;;i <いいぞ ベイべー!
l l''|~___;;、_y__ lミ;l 逃げる奴はベトコンだ!!
゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | 逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ!!
,r''i ヽ, '~rーj`c=/
,/ ヽ ヽ`ー"/:: `ヽ
/ ゙ヽ  ̄、::::: ゙l, ホント 戦場は地獄だぜ! フゥハハハーハァー
|;/"⌒ヽ, \ ヽ: _l_ ri ri
l l ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| | / |
゙l゙l, l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
| ヽ ヽ _|_ _ "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
/"ヽ 'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄ [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/ ヽ ー──''''''""(;;) `゙,j" | | |
>>466 だからJFKの兄貴も箔付けのためWW2に参加、戦死している。
そして駆逐艦に衝突して生還したJFKは怪我の功名で政治家への階段を駆け上った。
魚雷艇踏み潰した後爆雷投げ込んでやればよかったのに。
↑最終的に核使用を拒否したのはアイクだったとニクソンは記している。
勿論、フランスは自軍の兵士を蒸発させるような行為に反対だったろうが...
ディビークロケット30発がホーチミンルートにむかって
ぶっぱなされた事実もしらんのか
>>485 そりゃ撃った香具師も蒸発確定な代物だから記録にゃ残らんな。
アークライト任務はB−52の通常爆撃だけではなく
ランス対地ミサイル等もあったが、秘密にされてるからな。
まだアメリカの機密保持もバカにできねえぜ
>>465 456じゃねえが、untacだったんじゃねえの?
UNTACをウンタックと呼んでしまったオレは敗北者ですか
ドイツの人ハケーン
>>465 遅レススマソ
10年ばかし前にハノイに駐在してた頃、ホンダのカブが3000ドルもするのがバカくさくて800ドルのロシア製ミンスクに乗ってたんだわ。
んでロシア製は始終壊れるから 近所のバイク屋のおっさんに世話になってたんだが、話を聞いたら そのおっさんは元戦車兵で1979年のカンボジア解放戦でプノンペンに突入した戦車隊に所属してたんだそうな。
1989年に初めてサイゴンに行った時には、カンボジアで脚を失った復員兵が集団で物乞いをやっててショックだった。
最近は手漕ぎ三輪車に乗ってる人も増えたが、ベトナム社会自体が底上げされたからだね。
解放戦なのか・・・
カンボジア人の現状を見ると、解放する値打ちのある国民だったかどうかという点には大いに疑問が残るが、圧制と殺戮から彼等を救ったのはベトナム軍のT55を始めとするソ連/米国がもたらした大量の兵器だった。
ベトナム人自身もカンボジアへの介入は何も得るところのない戦いだったと言う人が多かったが、私個人としてはカンボジア帰りの連中には最大限のレスペクトを払ったよ。
世代的にも重なる部分があったしねw
>>493 それは中国を甘くみたからだろうな。未だに続く議会の不安定はその結果だろ。
カンボジアが緩衝地帯になっているからベトナムの統一や安定の維持ができたと思うけどね。
また中国はやってくると思う。
もうひとつの要素はクメール人の精神的な不安定さ。
行くたびに思うけど、思考回路が変だし半島人以上に火病るw
米軍のインドシナ介入による近代兵器の流入と戦火がポルポトを出現させたのは、ある意味必然だったともいえる。
カンボジアというと何故かビーラーゲリラを連想してしまう…
>>494 何処と何処の緩衝地帯?
良く意味が取れないので説明してくれ。
↑おそらく
>>494 は地理的関係を誤解してるんだろうが、ベトナム介入後のカンボジア内戦が長引いたのはタイとの関係が大きい。
タイは共産主義と戦車で武装したベトナムに自分達が呑み込まれるとの恐怖に怯えて、中国/日本/米国の反越三国同盟によるポルポト派を始めとするカンボジア反政府勢力を支援し続けた。
結果、いち早く共産主義に見切りをつけたベトナムの経済成長重視への方針変換により、カンボジアはタイ・ベトナムの緩衝国家として再出発する事となった。
歴史的に見れば、もともと ベトナム南部はクメール帝国領だった場所に、明末清初の動乱期に発生した中国人難民を当時のベトナム王府が送り込み、ベトナム領としてしまった場所。
(そのため、ベトナム南部と北部はもともと人種的にも文化的にも相容れない要素が大きい)
その後も一貫してベトナム側のクメール領土侵食が進み、ベトナムがフランス植民地となる直前には、カンボジア全土がベトナム領とされる寸前まで事態は進行していた。
500ならロン・ノル生存
>>499 シアヌーク派を応援していたはずのフランスの立場は?
プノンペンにあるフンシンペック党(元シアヌーク派)の本部は、館内に軍隊まで駐留させている巨大な敷地のフランス大使館の隣にあって、いつでも逃げ込めるようになっている。
対する人民党(元ヘンサムリン派)は町内会単位で支部があって、カンボジアの行政/治安を完全に掌握している。
日本は公式にはどの派閥を支持してるの?
元々はポルポト支持だよね。
フランス>シアヌーク
日本>ポルポト
ベトナム>ヘンサムリン
こういう関係だったと思ったけど
日米中反越三国同盟の時代には
日本→シアヌーク派/米国→ソンサン派/中国→ポルポト派 という支援構造で、
ソ連→ベトナム→ヘンサムリン政権と対抗していた。
今はポルポト派がなくなり、ソンサン派が空中分解したんで、
日本+ベトナム→人民党(元ヘンサムリン政権)
日本+フランス(EU)→フンシンペック党(元シアヌーク派)
という構図になったが、中国は華僑(現地経済の99%を握っている)勢力を組織化して第三勢力として台頭している。
一時期は1997年の返還に備えて大量の香港人がカンボジア国籍を買って流入し、プノンペンは空前の活況を呈していたが、今では大部分が香港に帰り何も残っていないw
日本のODAは政権党との癒着がデフォだから、政治的な立場とは別に人民党とも太いパイプで繋がっているw
505 :
名無し三等兵:05/03/04 19:42:55 ID:YieJj3y3
結局ベトナムが資本主義社会になると、
北越の戦死者は何の為戦ったのか、分からなくなるね。
祖国統一の為? だったら最初から南に併合されれば
何十万・何百万も死ぬことはなかったのにね。
そんな自立心の無い糞の国になるのはベトナム人の自尊心が許さんだろう。
どうせ後方に居たコミュニストとその取り巻きが実権握って、
戦闘員や民間人は冷や飯食わされただろうが。
>>454 カンボジアはM-113を現在も使用しているみたい。
509 :
名無し三等兵:05/03/04 20:06:40 ID:YieJj3y3
自尊心がある割には、何万人もボートピープルとして
棄民するというのはどうかと思うのだか?
社会主義体制に馴染まぬ人々を、ああいう形で放り出すのは
とても無責任なことと思うし、近来希なことでしょうね。
自立心と言うにはあまりに、中ソの援助漬けだね。
で、中ソの後追いで資本主義化というのも、ね?
ま、元々が腐りきったプチブル農民革命だからな。あんなものはニセモノの
革命です。
>>509 日本じゃほとんど知られていないけど、ベトナムにも
「キリスト教VS仏教」という宗教紛争や「南北格差」、キン族ベトナム人
と華僑、山岳少数民族(『地獄の黙示録』に出てきたモン族など)との
間にある差別問題がある。
ボートピープルは大半が南ベトナム出身でキリスト教徒といわれる。
あと、華僑も多かった模様。
(北ベトナム政府は仏教徒出身者の力が強かった)
ベトナム政府がボートピープルを看過したのは、国内に反体制派を
抱え込みたくなかったのと、彼らの悲惨な状況に追い込む事による
一種の見せしめ的な要素があったんだと思う。
モン族は1990年代まで山岳地帯でゲリラ戦を続けて、最後はカンボジア
の国連部隊に投降して米国に亡命した。
よく言われるように火種の何も無い地域に大国が来て戦争になった訳
じゃなくて、そもそも小さいながらも火種はベトナムにあった。
ボートピープルは共産主義を良しとしないベトナム人だから彼らなりの自尊心が有るんじゃない?
何も統一ベトナム政府が船を用意して送り出したんじゃあるまいし。
華僑系の話は金融政策とか中国本国の指示とかあるから別問題ね。援助と言う点では年代によって激しく異なると言う事実を認識するべきだろう。
大まかだが1960年代〜73年中国とソ連の援助。
(細かい話だがアメリカがサイゴン政権に援助した額の4分の一程度だ)
'73年〜’75年以前より少な目のソ連、中国の援助。
’75年〜’80年頃までソ連の高度な軍事情報の援助。でソ連崩壊後は援助なし、自立で西側諸国との公益。
だいたいソ連、中国の莫大な援助を受けていながらニクソンのデタントの影響があるはずの’73年パリ会談、南北に分けておきたい中国の意志を覆して’75年の統一。
カンボジアを通してインドシナのコントロールをしたい中国をポト政権打倒で間接的に排除、北方国境で直接に排除、と立派なもんだ。
以上のことから自立心と自尊心が高い民族だと判断する。
>>511 山岳民族に限らず住む高度によって暮らしぶりが全く異なるんだから生活が近代化
されるに連れ各種族間の利害対立が生じるのはベトナムに限らない事だよ。問題の解決には
政府の実力が大いに影響される事だろう。
でもその問題は植民地を脱した後に生じる問題
で、居住地域(高度)による対立の前に大勢力の
ベトナム人、それに押される形のカンボジア人、ラオス人という対立軸が存在して、それ以前に
フランス人による植民地支配という最大の対立軸が存在するので、大きい問題から順番に問題解決するべきことだと思う。
それに現地インドシナ人の対立の「火種」にフランスやアメリカが介入してきた訳じゃないからね。
514 :
名無し三等兵:05/03/04 20:54:07 ID:YieJj3y3
>>511 そもそも小さいながらも火種はベトナムにあった、
という君の思いは疑問だ。
1.北の仏教徒と南のキリスト教徒の「宗教紛争」がベトナム戦争の発端ということはあり得ない。
2.北のベトナム人と南の華僑との紛争がベトナム戦争の発端ということはあり得ない。
3.山岳少数民族との 差別問題がベトナム戦争の発端ということはあり得ない。
君の例示している「宗教紛争」は、キリスト教徒のゴジンジェム大統領と南越の仏教徒との対立のことではないのかな?
これは日本でもよく知られたこと。
大統領夫人の「バーベキュー」発言とかね。
唯物主義の北越共産党に仏教徒勢力というのは、かなり違和感がある。
少なくとも漏れには初めての話だな。 なんかソース有るの?
続く
515 :
名無し三等兵:05/03/04 21:03:21 ID:YieJj3y3
>>511 南越で華僑が経済を牛耳っていたことはよく知られているが、
あくまで南越内でのこと。
北越対南越華僑の紛争がベトナム戦争の発端と言うことはあり得ない。
ましてや、南部辺境の少数民族と北越の諍いがベトナム戦争の発端であるはずは絶対無い。
君の言う「火種」というのは全部南越内の状況じゃないの?
北ベトナムよりも南のベトコン勢力とその協力者に仏教徒が多かった事を
>>511は誤認していると思われw
純真なところを仏米(やポルポト)に利用された高地民族はほんと可哀想です。
全員アメリカに移住って最低な解決法に頼るしか尚何て
尚何て→無いなんて
519 :
511:05/03/04 21:17:08 ID:???
520 :
名無し三等兵:05/03/04 21:30:51 ID:1RNhyOfH
>>464 ジョンソンと坂井三郎の話は、「英雄伝説」のひとつだ。
ウィキペディアの記述にもあるが、機体故障のためラエに接近する 前に単機で引き返した。日本機とは「交戦」どころか「遭遇」もして
いない。ただ、攻撃に向かった機の大半が撃墜されたり、重大な損傷
を受けたのでそのままラエに向かっていたら、ジョンソン議員の運命
も定かではなかった。これを聞いたマーシャル参謀総長が激怒して、
ルーズベルトに議員など「VIP」たちの戦場での「危険なパフォー
マンスやスタンドプレー」を禁じる法令を出したのだ。
誤爆に近い話題だなw
522 :
名無し三等兵:05/03/04 21:34:24 ID:YieJj3y3
>>512 統一ベトナム政府が船を用意して
実態はかなりこれに近い、といわれてもしょうがないぞ。
>>華僑系の話は金融政策とか中国本国の指示とかあるから別問題ね
いつからベトナムの華僑は、中共の指示を受けるようになったの?
>> (細かい話だがアメリカがサイゴン政権に援助した額の4分の一程度だ)
ソースを示してくれ。 漏れにとっては初の情報だ。
>>デタントの影響があるはずの’73年パリ会談
米軍が撤兵を決めたのだから、矛盾しているとは言えない。
全体の印象として、君が読書家なのは分かるような気がするが、
どうも今ひとつ的外れだよ。
ベトナム難民の少女がアイドルとして昔のTBSベストテンに出演してたけど
その後どうなったんだろ…たぶん本名だっただろうけど名前も忘れてしまった。
華僑系のベトナム脱出組みには計画経済を
妨害しがちな為統一ベトナム政府に制限されて国外脱出を選んだシンジケート系の華僑組みとそれ(経済的に制限した事)を中国に対
する敵対行為としてベトナムから全ての華僑
を中国本国に帰還するように指示を出した経緯があったのだよ。そこで経済シンジケー
トに属してない庶民華僑は財産を持ち出し
耕地を放棄したりしてベトナム脱出をしたものだからそれが経済混乱に結びついた。
こういうことが中越戦争の前哨戦として
有ったのですよ。(良い資料が今無いけどね)
援助4分の一という出典は大月書店刊の
「ベトナム戦争の記録」が出典。
P167に以下の記述がある、「68年前後から中国・ソ連からの食料の援助が急増した。中ソが北に提供した援助はアメリカの南への援助の4分の1程度で、国民一人当たりのGNPを目に見えて増大させるような力は無かった・・・」
ご存知のとおり大月出版は日本共産党系の
会社なので信じないのは自由だが、図書館
に結構出回ってるから一度目を通してから判断して欲しい。
自分としては以下の観点からこの数字は信頼性が有るものと思っている。
*中国、ソ連の経済が失敗気味でアメリカほどの余裕が無かった事。
*直接人員投入の人件費、兵器の製造費がドル換算してアメリカより安い事。
次にデタントの影響とは要するに北越の頭越
しにニクソンが中国、ソ連と手打ちして北越の政治的意図を懐柔させようとするものだ。
しかるに、12月のクリスマス爆撃をはさんで
秘密会談、正式調印があった訳だが南ベトナムの政治意思決定者に南越政府、解放戦線、
第3勢力を認めると言う北越側の主張が通って
解放戦線を認めない南越側の主張は退けられたこと、これをベトナムの自主性と考えて書き込みした。(だが北越側も妥協はしている。チュ-政権退陣と言う要求を引っ込めた)
525 :
524:05/03/04 22:27:07 ID:???
まぁこれは社会主義国家の人件費、命の値段が安いと言うことだけどね
>*直接人員投入の人件費、兵器の製造費がドル換算してアメリカより安い事。
526 :
524:05/03/04 22:43:02 ID:???
国を二分して30年も激しく争ったんだから統一ベトナムでの生活になじめない人間が大勢出るのも仕方が無いだろう。
いくら北越政府でも全てを丸く納めるよう超人的対応を期待されると言うのはきつすぎないかね?
こういった場合敵対勢力の虐殺と言う結果を招くのが歴史においては大勢を占めるだろう。
527 :
524:05/03/05 00:23:10 ID:???
反応が無いのはトンデモ扱いされてるのだろうか?w
まーちょっと待てば
米軍基地で働いてた人や米軍関係の仕事をしてた人は逃げざるを得なかったという話を聞いたな
これだけ色々、ナム戦映画の話題が出ている84チャーリーモピックが出てこないのは何故だろう・・・・・
マニアック過ぎるのか?
↑もひとつ、要素としてはホーチミン(胡志明/阮愛国)やザップ将軍のようなベトミン第一世代とレズアンに代表されるモスクワ直系の共産主義者との世代間ギャップが挙げられる。
ホーチミンの死後、テト攻勢の失敗もあって 南部解放戦の主導権は共産主義者に移り、解放後の華僑抹殺政策へとつながってしまう。
とはいえ、経済政策が市場経済主義へ戻った途端に華僑の多くは帰国し、現在でも米仏に留まっているのは北部から南部へ移住したゴージンジェム派のベトナム人カトリック教徒が多い。
ホーチミン自身が共産主義者として世界にデビューしコミンテルンの忠実なメンバーだったのは紛れも無い事実だが、
北部の農地改革が破壊的色彩を伴った時にラジオで涙ながらに国民に謝罪して以来、ベトナムにおける社会主義政策導入には慎重となっていた。
(この点では、同時代のチトーに近い選択だった)
彼の足跡を見ると、民族独立という大義の実現のために共産主義を利用した人物だったのではないかと思える。
(この点では、若い世代ながらベトナム/フエの華僑でシンガポールに渡ったリークワンユーが似ている)
阮愛国といい、フエの貴族ゴディンジェムといい、阮氏最後の皇帝バオダイといい、
カトリックを招いて植民地の契機をつくった阮福映といい、中部の一族が
随分国を掻き回したものだなww
南北ばかりに注目するのもいいが中部と言う区分けをして味噌。
リンカーンも南北の統一を成し遂げたわけだが、中部の出だよ。
だから南北の事情が良くわかった。
インドシナや東南アジアの場合極論すると南北の差はインド(アラブ)と中国の影響の差だ。
抹殺なんつったら殺したみたいじゃん。
活動の制限って言いなよw
ベトナム労働党指導部が民族独立の為に社会主義を「手段として」志向したってのは当然の認識だったと思ってたけど軍板ではそうじゃないみたいね。
まずホーチミンが革命直後にアメリカに支援を求めた事、中国の内政干渉には戦争をもってしても抵抗した事、等を知って欲しいものだ。
一等自営業の漫画では「東西冷戦下の代理戦争の一つ」で簡単にかたずけている。
だからあの漫画は嫌いだw
軍板っていうより春厨にとっては、と言ってほしいね。
この時期、どこの板でも最大勢力はそういう聞きかじり厨だもの。
そうなら救われるな。
>>531 ゴジンジェムはフエ王朝の科挙試験最後の合格者のひとりで貴族ではない。
既出だが、南北の差はキン族主体の北と 近世に入って南部に流入して来た漢族との違い。
>>533 WW2終焉直前の抗日勢力マップでのOSS支援と中越戦争だけで、ホーチミンの深いたくらみが見えるとも思えんが?w
ベトナム労働党/共産党自体はマジメに社会主義を志向した集団であって、南部解放後の諸政策でつまづき 社会主義を放棄するに到っただけの噺。
ん?OSS支援?8月革命後にアメリカに支援を求めたのはOSSが相手?
抗日運動中はOSSよりの支援。革命成功後は
アメリカはフランス支援にまわったと思ってたんだけど。
もちろんベトナム労働者党は境主義を目指していてこれは戦時経済において非常に有効に働いたが、彼らの行動の根底にはまず「民族独立」と言う大命題があって社会主義政策が失敗した場合それといっしょに心中するほどおろかではなかったと思うんだよね。
境主義→社会主義
539 :
あと:05/03/05 11:51:46 ID:???
中越戦争に代表される中国の内政干渉に「兄弟国家だから」「支援してくれてるから」と安易に従わなかった事にまず民族自決、そのために社会主義体制、というベトナム人の考えが見て取れるように思ったんだがな。
>>537 抗日運動(といっても実績はほとんど無かったが)のホーチミン達はOSSの顧問団を受け入れ(当時は毛沢東も受け入れていた)ていた。
8月革命(実際には権力の空白にホーチミンが降り立っただけ)の後に進駐して来た国民党軍の撤退と引換えに英軍(仏軍の代理)の進駐を認めている。
当初からホーチミン&ベトミン排除を指向した英軍は投降した日本軍兵士にまで兵器を再供与して権力維持を図っている。
この時期、米国はOSSに英軍とベトミンの仲介役を勤めさせているが、むしろベトミン寄りだったとされている。
また、南部では自律したベトミン勢力への支援を米国が行い、フランス人入植者勢力への攻撃要員として育成しようとしていたとも言われる。
これに対抗してフランスはカオダイ教を育成した訳だが...
ややこしいいな・・・
でもアメリカがトゥルーマン政権になってからフランスよりになり、ホーチミンの援助要請を無視してフランスの復帰を望んだって言う流れがあると思うんだがね。
>>537 レズアン体制が比較的安穏に終焉できたのは 戦中世代がまだ健在だった事と、カンボジア派兵中で軍内の意向が無視できなかった点が大きい。
もちろん、その後の中国の市場経済導入の成功やソ連の変化が、ベトナムの脱共産主義の追い風となったのは間違いない。
>>541 米国がホーチミンと決別するのは朝鮮戦争勃発から(モメ事は決まってニダーからだ)。
この時期からホーチミンにかわるベトナム人指導者としてのゴージンジェムが米国に支援されて台頭する。
しかし、この動きもフランスにとっては歓迎できるものではなく、ゴージンジェムの南部政権樹立後のカオダイ&フランス勢力のサイゴン政権への攻撃へとつながっている。
そして、1954年から正面にしゃしゃり出て来るのが、副大統領になったニクソンだったw
追い風と言うか・・・
ドイモイ政策導入.の頃は中国の市場経済導入はまず香港の返還と周囲の特別経済区の建設がはじまったばかりで、そんな先が見えない中国の政策を後追いしたといえるだろうか。
ソビエトの崩壊が反面教師になったと言うのはありえると思うけど。
>>544 こう言うとベトナム人に激怒されるが、中国とベトナムはほぼ同じw
中国が極めて早い時間で市場経済への移行に成功できるであろう事は、同じ商業民族であるベトナム人から見れば自明の理だっただろう。
成功してるかなー?中国の市場経済。
後ベトナム人が商業民族と言うのは始めて知った定義だな。気候からして農漁業と軽工業主体の国のはずなんだが。
商業は華僑系ベトナム人の仕事なんじゃないのかな。
中国も商業民族か?
大半は農業だと思うのだが
客家とかを別にすれば
まあ、公共心が低いのは専制体制が長く行われてた国の国民に良くあることだな。
↑いきなり話が飛びましたね。
確かに一党独裁化での市場経済の導入は貧富の格差増大、官僚の腐敗、人身の荒廃を招くよ。
550 :
549:05/03/05 12:37:12 ID:???
一党独裁下
人心の荒廃
の間違い。
>>529 ビデオで観た。
確かビデオで出た当時、軍もの系雑誌にも紹介が載ってたような気がする。
イタリアで製作されたちょび髭マリオっぽい人がいっぱい出てくるベトナム物観た後だけに
余計に面白く観れた。
>>545 レベルの話は大学で専攻でもしてないと無理そうなので、もっと続けてください。
>>546 中国の市場経済が今後も成功するかどうかは別にしてw
中国人/越南人をともに商業民族と定義できるか? という点だが(商業という言葉自体の起源が殷=商滅亡後にある訳だが)、中国/越南ともに農漁業が市場と直結した存在であり、よく組織された社会を維持して来ているという点で見なしても良いと思われる。
越南北部を東南アジアに入れて良いのか?という疑問は残るが、越南が他の東南アジア諸国と越南が決定的に異なるのは、市場(資本/流通)を担っているのが越南人と越南化した華僑であるという点。
また、あまたいた組織コンサルタントのアイデア中最後まで生き残った儒教による社会ヒエラルキーを持つという点でも、中国/越南は共通している。
よく似た社会構造を持つ朝鮮/日本と比較すると、単なる役人である士大夫が貴族化した朝鮮や、職人の位置付けが中国/越南/朝鮮より高い日本とは微妙に異なってもいる。
ここまで中国/越南が似ていると、キン族と中国人との差異を見出すのが逆に困難になる。事実、ホーチミン/ゴージンジェム以前の越南人にとっては、越南=南国/中国=北国(ここでいう国とは文明社会を指す)という意識から脱却出来ていない。
尚、越南人の認識では廣東/廣西/海南島地域は中国に奪われたキン族地域との事。
越南の民族的英雄は、全員中国に抵抗した人物達であり 路の名前になっている。
さすが、大学の研究科目?
つーか、越南戦争は長く続いたし 日本とも関係性が深いから研究者は多いよねw
なんといっても米国を敗退させた唯一と言って良い国な訳で...
>>536 それは嘘。南部と中部の違いは主にメコンデルタと
山岳部の違いだよ。メコンデルタはインドの影響が昔から強いところだよ。
近世に始ったものではないよ。タイ、カンボジア、インドネシアと比べて味噌。
他方、北部の中国1000年の属国の歴史はいつからいつまでだ?
前漢時代より始り10世紀の李朝により終焉したものだろ。この時代にほぼ基盤ができあがった。
だいたい南北と言う境界をどこに求めているんだ?
>>553 それが中国属国1000年の結果。
知識人どうしで妥協点を見つけてください。
>>557 知識人は妥協点を見つけられないから粛清をするんだよ。
権力を振るうのは似非知識人です。
話のレベルが落ちるがボートピープルの大半はアメリカのドルに頼って生活してた都市部の住民だろうな。
農民がボートピープルになるってありえないし。
>>556 ヲイヲイ、北部 紅河デルタを忘れちゃったのかい?
北部/南部の線引き前に中部との境も決めないといけないが、大まかな区分しか出来んよ。
山岳地帯から流れ出た河口扇状地上に発達した農地と都市が中核となって成立したという点では、南北ともに共通の環境を持つ。
しかし、キン族(と称する中国人の一分派)が中国から独立した後、1000年に渡って中国とは別の政体が存在した北部+中部(ここももともとはチャム人のエリア)と、
統治行き届かずだったクメール帝国領に中国からの難民を送り込んで開発し、フランスに奪われるまで越南王朝の強力な統治下になかった「自治領」に近い存在だった南部との間には、現在でも肥え難い壁が存在する。
>>560 サイゴン陥落直後のボートピープルの中核となったのは米ドル(実際は軍票)で生きていた西貢(サイゴン)人だったが、それ以降の大量脱出の中核は華僑だった。
南部華僑(北部華僑は1979年までに一掃=強制帰化させられている)の多くは西貢の実権を握るのを焦るゴージンジェム政権に、フランス植民地当局が設けた華僑への就業制限法を使って弾圧され、その捌け口としてベトコン勢力を支援し テト攻勢でも重要な役割を果たした。
しかし、サイゴン陥落後に進駐して来た北部の共産主義者(レズアンの一派)は、ゴージンジェムと同じ民族差別意識に基づいた華僑抹殺政策(経済活動を禁止されれば抹殺と同じ)をとった。
尚、戦後の一方的南北統一に幻滅したベトコン指導部からもボートピープルとなった人達が出ている。
ベトナムを南北に分かつ線?
そんなもの北緯17度線しかなかろう。
北緯17度線? そりゃ政治的な線引きだw
>>561 だから知識のある人は罵り合わないで盛り上げてくださいな。
それから華僑のベトナム脱出にはそれを煽る中国政府の政策もあったよね?
>>564 この程度の知識ではあまり威張れるものではないw
華僑の越南脱出に際して中国側の働きかけはほとんど無かった。
逃亡した南部華僑の大部分は米軍や近隣諸国の保護だけを信じ、タイ人漁民のアルバイト海賊(とはいえ本職以上の残酷さだった)の脅威を知りつつ越南漁民から船を買って逃亡するか、越南軍侵攻でルートが開けたカンボジア経由でタイを目指した。
また、強制帰化された北部の華僑達も中越国境を目指して逃亡している。
この時期、越南から難民が発生するように仕向けたのは、他でもないレズアン一派の政権内の純粋共産主義者だった。
越南統一とソ連による援助を拠り所として重化学工業プラントによる工業化と計画経済の徹底を計っていた彼らにとって、華僑勢力は抹殺すべき存在であり 統一越南には不要な存在だった。
そして、一連の華僑弾圧政策は願っても無い副産物として 激怒したケ小平による懲罰戦争発動に至り、越南国内は反中/反華僑で団結し レズアン達の政策を阻む要素は消滅してしまった。
社会主義の教科書通りに進めば、このまま越南は60年代の北朝鮮(工業化に成功しGNP比で韓国を上回っていた)のような国家となるハズだったが、ソ連圏の衰退&変化と カンボジア派兵の負担という対外要素と、
南部農村の集団化による食料生産の激減と戦時経済統制撤廃に伴う超インフレの発生という事態から、1986年に社会主義計画経済の一時的放棄と市場経済/自営農業復活を決定した。
この結果、南部の農業生産は急カーブで復活し、カンボジアからの無傷での撤兵(1989年の時点で軍事的にはカンボジア平定は実現していた)に成功し、現在に到っている。
その副産物として南部での賄賂(礼銭と表現し手数料のニュアンスが強い)社会の復活と北部への浸透や 単独での農業経営に不慣れな北部農民の破産なども相次いだが、全体としては上手い事進んでいると言える。
現在の越南共産党指導部は北欧型の重負担/高福祉(社会主義時代の社会保障制度)社会を目指して過酷な税体制を敷いているが、実態は南部からの税収入を暫定的に北部へ投入するという形態であるため、南部の不満は依然として高い。
しかし、これが再度 南部の政治的自立を目指す方向に転換するかどうかは不明である。
華僑の弾圧はしかたあるまいなー、ナショナリズムと中越紛争の結果だな。
インドネシアでもさんざんやられていたしな。
どうかな? 越南共産党の華僑抹殺政策には 何も正当性はなかったし、越南側にも利益はなかった(華僑が叩き売った家財を買い叩いた越南人ブローカが一部儲けたが、そいつらも結局国外に逃亡した)。
それ以前のフランス時代にも南北分立時代にも、南部の華僑は充分過ぎるほど苛められていた。
やっぱり あーゆー事はやっちゃいけないよw
世界は道徳なんかでは動いていないと言うことだろうな。
所詮は武力による強弱。経済力があっても武力がない
ものは抹殺されると言う良くある話しだろうな。
「華僑を苛めると懲罰を与えるぞ」と中国は行動した訳だが、越南相手にはボロ負けしたね。
越南軍に中国軍が完膚無きまでにブチのめされた理由は、中国軍が近代戦に不慣れで 山岳地帯に投入したトロい軽戦車部隊が火炎瓶と手持ちパンツアーファウストに撃破されまくり、山岳部を抜けた所でソ連が供与(おそらく散布も担当)した神経ガスにやられてしまったため。
ベトナム(共産党)政府が華僑はじめ中国系に恐怖を感じたのは
77年にハノイで発生(未遂)した中国系住民主導のデモだろうな
どうもこれが「文革派の蜂起」とみなされたことで、
党や政府内での華僑追放論の追い風になったようだ
>>570 たしかに その時期から越南共産党内でマオイストという表現が敵を指す表現として使われるようになっている。
デモ自体は商業活動への制約(北部は社会主義経済体制下だったのでヤミ商売)への抗議と中国による仲介を期待したものだった訳だが、国内に新たな敵を探していたレズアン達にとっては渡りに船のチャンスだったようだ。
ちなみに、最近ハノイでは暴走族が出現しているが、彼らの多くは旧華僑系の子弟。
勉強が出来ても公務員にはなれず、商業活動も制約と重税にあえぐしかない現状に、越南人警官相手に暴れまわっているw
つまり最後は経済力よりも武力と言うわかり易い結論でつね。
>>526
レ・ズアンの治世の話が出てかなり統一後のベトナムの印象が変わったな。だいたい'75年以後の情勢は軍事関係の書籍じゃ見た事ないからな。
ところでファン・バン・ドンからいつレ・ズアンに実権が移ったの?
レズアン時代と言っても、実際には集団指導体制下での筆頭権力者だったので、やはり1968年のホーチミン死去以降と見るべきだろう。
ファンヴァンドン自身も集団指導体制の一翼を担っていた訳だが、いわば戦時の指導者であり 北ベトナムの社会体制を構築したのはレズアン達という事になる。
もっとも ここら辺の話はハノイの人達が思うところの、1980〜86年の飢餓時代を象徴する人物としてのレズアンへの酷評から影響されている部分も大きい。
仮にホーチミンがもっと長寿であったとしたら、戦後の政策は変わっていただろうか?
こればかりは永遠に謎だが...
一般書では Rニクソン著 宮崎緑姉弟訳の「ノーモア ベトナム」 講談社 と、チュオン・ニュ・タン著 「ベトコンメモワール」 原書房 が入門書として良いんじゃないかな?
あとは、アジア経済研究所の発行書籍を読むと面白いと思う。JETROの図書館に置いてある。
ニクソンなんて読みたくねえよ。アメリカ視点の本は何だか想像つくからな。
漏れはレ・ズアンの治世と、華僑追放、カンボジア侵攻、中越戦争について知りたいのよ。
乱暴なレスで御免。
ニクソンは反面教師?として非常に面白い。越南戦争を起こした当事者→結局 全てを失った男 なんて他にいないし、一貫して「自分だけが正しい」という信念で一貫している。
もっとも、宋美齢との関係(肉体的/金銭的)やJFK&RFKの死については、一切記されていない。
レ ズアン時代の話というのは、実は今の所ほとんど資料がない。越南共産党はいまだに健在だから内部資料がほとんど流出していないからね。
漏れはたまたま仕事の関係で、レ ズアン時代以降の北側の人達と知合う機会に恵まれたおかげで、結構露骨な酷評も聞かされたりして、ある程度 当時をイメージ出来るようになった。
そんな中で亡命組の書いた タイン・ティン著 「ベトナム革命の内幕」 めこん があるので、これを入門書に加えると良いと思う。
レズビアンって読んじゃった
海兵隊ダナン上陸40周年記念パピコ
>>573 革命後のソ連や統一後の中国考えれば大体想像はつくけどな。
コピペだが、以下の文に尽きるだろ。
ファン・バン・ドンは1941年ベトミン軍に加わり解放運動で活躍。55-76年に北ベトナム首相となる。
しかしその後経済悪化を理由に引責辞任、その後フランス人記者に
「平時に国家を運営していくことは戦争を続けていく以上に難しい」と述べた
統一後の国内政策に失敗して失脚したわけだろ。レズアンとの路線対立だろ。
1976年は毛沢東死亡。ファン失脚の1977年前後はベトナムが大きく新ソ路線に舵取りした転機になった頃だろ。
カンボジア侵攻も親中のポルポトの排除のためだろ。1978対ソ同盟。1979年カンボジア侵攻、中越紛争。
ホーチミンは多分各派の纏め役だろ。ソ連ではレーニンだな。
内戦終了後、死亡後はやはり路線対立で露骨な権力闘争や粛清になるのだよ。
レズアンは相変らず農村重視の中国よりも工業国としてのソ連をとったんだろ。
しかし、それがまた農村の軽視にも繋がったのかもしれない。
レーニンは多くの都市革命理論馬鹿の革命家の反対を押し切ってネップを強行して農村の支持をも獲得したわけだ。
ユダヤ系革命家も上手く使っていたわけだ。スターリンは全員粛清したけどな。
ホーチミンにはそこまでのバランス感覚があったかどうかは疑問だな。
毛沢東は逆に農村に肩入れしすぎ工業化のブレーキとなった。
>>581 中々興味深い視点だな。私の意見に重なる部分も多いが...
中越の利害関係の衝突が始まるのは1967年頃からと思われる。
中国全土で文革が破壊的色彩を帯び始め、紅衛兵の械闘活動によりソ連からの軍需物資が越南へ届くのが送れたり、横取りされたりするようになり、ソ連側は高性能防空兵器であるミサイルの送付を見送ったりしている。
この時期、越南側はテト攻勢を準備しており 中国経由での物資が遅れる事は、乾季にしか攻勢をかけられない南部での作戦に重大な影響を与えていた。
テト攻勢後、制空権を握る米国が反撃を開始した際に、ソ連製対空兵器があれば米軍へ与える損害を より甚大にし、集結したベトコン部隊をムザムザ空爆で失う事もなかった。
また、中国軍と越南軍 そしてソ連軍(中ソ対立中ではあったが)との仲介役として多大の影響力を持った林彪が 1969年に失脚(自滅)してしまいモンゴルにて墜落死した事も、中越の軍事協力関係に悪影響を及ぼした。
この時期に重なるようにホーチミンが死去し、越南は頼りにならない中国を離れて ソ連に接近して行く。
ここら辺の情報は当然ながら南越南→台湾経由で米国にも流れて行き、宋美齢の立案した米中秘密交渉がニクソン+キッシンジャーにより実行されるに到る。
カンボジアが国境に侵入を繰り返さなければベトナム軍のカンボジア侵攻はなかったと思うけど。
↑ポルポト時代のカンボジアは国内の敵を粛清し尽くしていたので、国外に敵を求める方向性しかなかった模様。
当時のポルポト派大幹部は ユーゴ(当時のカンボジアに代表部を置いていた数少ない国のひとつ)の外交関係者に対して
「コブラ=ポルポト派は虎=越南と戦っているがコブラの後ろには龍=中国が付いているので安心だ」と語り、対越南挑発行動に対する越南側の反撃を恐れていないとの見解を示していた。
実際には、ポルポト派が思っているほど中国の軍事力は強力ではなかったが、ケ小平の能天気な「懲罰戦争」発動を見ると 中国自身がその事に気付いていなかったのではないかとも思われる。
ソ連の偵察衛星の事情に付いて詳しく教えてください。
↑余り詳しくはないが、知ってる範囲でw
1960〜70年代のソ連偵察衛星はフィルム撮影後、地上に投下する形式だったので、情報にタイムラグがあった。
現代のように地上部隊の移動がリアルタイムで掌握出来た訳ではない。
米国は偵察衛星の情報を最大限に活用していたが、越南側は米国のハイテク重視を逆手に取って 影武者やら竹カゴ戦闘機といったローテクを駆使して偽装作戦を行っていたらしいが、この辺り物語性を重視したベトコン噺の要素も多く 効果のほどは不明。
こうしたハイテク情報収集能力を持たない越南側は、人間による情報収集と南越南政府高官〜シクロの運ちゃん/農民達による越南全土を覆う緻密な情報収集ピラミッドを利用していたが、こちらの精度はなかなかのものだったようだ。
現在でも北越南地域にはこうした情報網が一般人を監視するシステムとして残り、外国人が越南人の家庭に出入りしようものなら、速攻で隣組監視員が確認しにやって来るし、外国人と接触した越南人には隣組への報告義務(会話の内容、相手の特徴、etc)がいまだにある。
587 :
465:05/03/13 12:11:58 ID:BfsnrxRC
491 殿
御礼申し上げます
最近、NHKだったか、後ろ手に縛られこめかみに撃たれる瞬間の奴、
ピューって噴出してるトコも流してた。
有名な映像だよね。ベトナム戦争の大義に決定的な疑問符を付けてしまった。
撃ったおじさんは戦後米国に亡命してレストランを経営。
撮影したカメラマンは自分の映像で米国の大義を傷つけたのではないかと、撃ったおじさんが激昂していた理由を必ず付け加えている。
撃たれたベトコンは、確か女子供合わせて4〜5人殺した
テロリスト。 報道のされ方が悪かった。
そのベトコンが殺した4〜5人ておっさんの親族も含まれてたような(うろ覚え)
あと警察のお偉いさんだよねおっさん。
映像の世紀20のまとめサイトにあったので転載
> ・第九集『ベトナムの衝撃』において、ベトナム人を路上射殺した人物は
>
>ベトナム人を撃ったのは南ベトナムの国家警察長官であるグエン・ゴク・ロアン。射殺されたのはグエン・バン・レム。
>ロアンは後にアメリカへ亡命し、1998年まで生存。バージニアでレストランを経営していた。
>一見私刑に見えるこの映像の裏には深刻な事情があり、
>まず彼はゲリラで戦時国際法の「どこの国の軍隊か分からない格好で戦ってはいけない」という中身の規定に違反している不正規兵。
>(*北ベトナムやベトコンはこれらについて「アメリカ軍は宣戦布告をしていない」という理由でベトナム戦争を戦争と見なさず、
>よって戦時国際法は無効という理由で捕虜にしたアメリカ軍に対し戦時国際法違反である拷問を行っていた。
>また捕虜の虐待例として“ハノイ・ヒルトン”は余りにも有名。)
>そしてロアンは射殺前に彼等ゲリラ達に友人を、妻と幼い子供達を含め家族全員を皆殺しにされていた。
>一ゲリラを至近距離で銃殺した警察長官。しかし彼等の間にはこのように広く深い溝が穿たれていた。
>また因みに、射殺されたグエン・バン・レムの家族は射殺後勇士の遺族として北ベトナムに祭り上げられた。
まぁたしかにアメリカは宣戦布告もしてないし、選挙もしなかったからな。
このベトナムでの報道を参考にして米国は戦時に報道をある程度統制し、
広告代理店を使ってまで自国に有利なキャンペーンを展開することとなる。
(湾岸戦争の時の例のオイルまみれの鳥ね。)
妊婦の腹切り裂き捏造証言などもあったな。
↑越南では韓国兵の得意技だったようだが?
597 :
名無し三等兵:05/03/19 05:23:34 ID:zO8SgZdo
本当かね?
ベトコンが流す噂のたぐいじゃなかったの?
↑越南人の間では韓国兵の非道さの1例として語り継がれている...
599 :
名無し三等兵:05/03/19 12:37:53 ID:zO8SgZdo
だからね、確かな報道例などあるの?
ベトナム派遣韓国軍の今だからはなせる話でも、
流石になかったような気がするが。
確かな報道例というと南京だって…
過去から現在までの韓国人の行いを考えれば自明だ。
>>599 あくまで越南人の間で伝わっている話だよ。
現在の韓国は現地合弁企業を多く展開し、越南人を直接雇用している。
そういった関係から越南政府も、韓国軍の過去の行為を表沙汰にはしていない。
将来 状況が変化すればいろいろ出て来るだろうが...
604 :
名無し三等兵:05/03/19 21:36:45 ID:zO8SgZdo
女子供を殺した、などという告白は、ベトナム派遣韓国軍
の兵士などからあったと思うが、流石に妊婦の腹裂きは
実際にはなかったのでは?
訴追の可能性が残る加害者が、罪を告白するのは例外的なケース。
ほとんどの連中は口をつぐんで普通の生活を送っている。
越南側が韓国の投資に見切りを付けた頃には訴追される連中も出て来るだろうが、その頃にはベトコン地域の女子供は捕虜資格のない便衣兵だったと言い出す香具師も出て来るんだろうなw
>590
> 撃たれたベトコンは、確か女子供合わせて4〜5人殺した
>テロリスト。 報道のされ方が悪かった。
それは本質的な問題ではないだろう。
路上での公開処刑という行為自体が、「ちゃんと裁いた上での処刑なのか」
「法に則らず感情的に処刑したんじゃないか」という疑惑を招く行為。ただで
さえ、「南の政府は腐っているんじゃないか」と色眼鏡でみられていたのに、
やり方がまずすぎだろう。
相手がテロリストなり不正規兵でも、「だから即決裁判で処刑して良い」と
いうことにはなっていない。(それを認めると、文民保護等の規定は完全に骨
抜きになるから。)
公開裁判->処刑であれば、「当然の罰を正当に加えただけ」という事で、な
んの問題にもならなかっただろうに。
殺された一家が何故ベトコンに恨まれたのかも掘り下げる必要があるかも...
>>604 あったよ。事実に目を背けてはだめだよ。このチョンコロが。
>>606 しかし「軍事研究」といった専門誌でも
あの処刑は国際法上、「私服のテロリスト」への処断としてしごくまっとうなもの
という結論は出ているのだが
問題は、その正当な処断を、さも残虐行為であるかのように喧伝し
正当な独立民主政府だったベトナム共和国を悪
極左テロ集団のベトコンを正義であると偏向報道する
アカヒのような赤化マスコミの存在だろう
>>608
ソースは?
>>609 あの処刑は国際法上、「私服のテロリスト」への処断としてしごくまっとうなもの
投降した無抵抗状態の犯人を 道端で射殺する警察官の行為がまっとうだなんて意見は初めて聞いたな。
実際、南越南は裁判も司法も、力とカネでどうにでもなる場所だった訳だがw
>609
>あの処刑は国際法上、「私服のテロリスト」への処断としてしごくまっとうなもの
どんな論理で「まっとうなもの」にできるんだか、知りたいね。交戦の資格がない
とか捕虜としての権利が無いというのは、「何をしても構わない」という事じゃない。
単に、「正当な戦闘行為」ではなく「犯罪者、人殺し」として裁かれるというだけ。
正当化できる可能性があるとすれば、南ベトナムの法律で、犯罪者を逮捕後即時処
刑するという行為を認めている場合だが、その場合、行為は違法でなくとも、「そう
いう制度がある国家が、犠牲を払ってまで支援すべき『まともな国家』なのか」とい
う疑念を抱かせることになるのは当然でしょう。
捕らえた奴が怒りに任せてその場で射殺し、「逃亡を図ったので…」ととりつくろ
うとかというのは、映画や小説ではありがちだが、公開の場で一国の警察の長が、言
い逃れのしようもない状況でやったんでは、どうにもならないだろう。
>あの処刑は国際法上、「私服のテロリスト」への処断としてしごくまっとうなもの
そう言う事にしておかないと南京での便衣兵の大量処刑が正当化出来なくなるからな。
赤い人民服がチラホラ
横から御免なさい
以前から疑問い思ってたんですけど、サイゴンが陥落した時点でまだ南ベトナム
軍の支配地域だった都市ってあるんですか?
又、そういった都市は4月30日以降に制圧されたんですか?
特にコンソン島とかどうなったのか気になりますです。
>>612 交戦地帯では降伏していない敵兵を射殺しても罪に問われない
テロリストは敵兵ではあるけど正規兵ではないから降伏の資格がない
したがってどこまでも一行目の規定が適用される。
私服のテロリストは「降伏していない敵兵」として取り扱われるのが国際法上の交戦規定なんだが
もしかして物凄く頭の悪い人なのかな?
4/30 サイゴン陥落
同日、南方にいたサイゴン政府軍第四軍団(7・9・21師団)の最後の反撃
5/01 同域に革命軍事委設置(サイゴンの実効支配始まる)
同日、第四軍団はほぼ自壊。組織的抵抗終わる。
5/03 軍事管理委設置
5/04 日刊紙「解放」第一号発刊
同日、フークォック島でクメール・ルージュ軍と紛争
5/06 コンダオ(コンソン)島解放、抑留反政府政治犯の549人帰還
5/10 以降クメール・ルージュの挑発と在カンボジアのベトナム軍問題で紛争続く
1978/12/02 ベトナム軍19個師団・救国戦線軍、カンボジア侵攻
こんな所ですか、ひまだったんで久々の書き込み・・・・ orz
ちなみに今年はサイゴン解放30年・・・・早いもんだなぁ(しみじみ)
619 :
615:05/03/20 15:12:40 ID:???
名無し中止さんレスありがとうございます
第四軍団の最後の反撃・・・・源文先生のマンガのような絶望的な
反撃だったんでしょうね。
敗残兵狩りとか厳しくやってたんでしょうか?
南ベト敗残兵マニアなもので・・・
第四軍区のサイゴン政府軍第四軍団の反撃って軍団司令部のあったCan thoから
Vinh long方向への攻撃だったと記憶してます。戦局が決定的となった5/1未明には
脱走兵が相次ぎ自壊。解放側第八軍区の諸部隊が追い討ちをかけてほぼ終了。
詳しくはベトナム人民軍公刊戦史1955-1975を(ベトナム語ですが)。
敗残兵・・・ボートピープルとか再教育キャンプとか悲しいキーワード多数ですが(爆
621 :
615:05/03/20 15:49:18 ID:???
敗残兵マニア・・・言葉が悪かったです、すいません。
ただ、あの南ベトナム兵達のたくましさに魅了されたもので
最弱の軍隊の様で名無し中止さんが教えて下さったように最後の最後で
反撃に移ったりと訳のわからない所が好きです。
17の頃からサバゲで南ベトの装備で出てました。
サイゴン政府軍は結局の所、軍閥ですから。
Can Thoの第四軍団のNguyen Coa Nam将軍が有利な条件で解放側と交渉すべく
自部隊を戦闘待機状態に置いておきたかったのが発端だったような。
主流強硬派Nguyen Van Tieu将軍(大統領)らは逃げ、交渉の余地があると思ったのでしょう。
まぁサイゴン政府軍の最後の見せ所はやはりXuan Loc攻防戦でしょう。
「スアンロクの傀儡軍は命知らずの頑強な敵だった」Van Tien Dung将軍談
>>616 国際法なんて屁理屈出してもメディアで断罪されればそれまでだよ。
戦場を支援できるのは最後は国民の支持だよ。法律家の解釈ではない。
国民総力戦も知らない馬鹿かな?
624 :
615:05/03/20 16:52:37 ID:???
「Can Thoの第四軍団のNguyen Coa Nam将軍が有利な条件で解放側と交渉すべく
自部隊を戦闘待機状態に置いておきたかったのが発端だったような」
「スアンロクの傀儡軍は命知らずの頑強な敵だった」Van Tien Dung将軍談
おおっ!これも初耳です!しかし首都も敵の手に落ちて、補給や空からの援護も無くなった
とはいえども相当な数の兵器や兵員を温存してた筈ですよね?
もっと長期に渡って真剣に戦えば他の地域の敗走兵達と合流するなりして
兵力を拡大できたのでは?ちなみに第四軍には航空機とかあったんですか?
>>623 あ〜
「国際法よりメディアでの露出を意識するほうが重要」
ってデンパ源は君かい?(w
じゃあ捏造でも何でも言ったモン勝ち・声のでかいモン勝ちって事かい?
そもそも「当時その地域にメディアなんてものが存在しえたのか」
「当時の視点で当該者の行動が『虐殺』と呼びえたのか」
を無視して
現在の視点から国民の支持だの法解釈だの言う君の態度自体非常にナンセンスなのだが。
例えて言うなら君の脳内は痛快時代劇と同程度だって事だね。後出しジャンケンと言ってもいい。
そもそも「国際法」も何も、「テロリストに人権無し/テロリストとは交渉せず」
は常識ですけど?
国民総力戦も知らない馬鹿は君の方だと思うよ?
626 :
少佐:05/03/20 19:35:19 ID:lr9123MO
北ベトナムはレーダー、無線機、妨害電波も使いこなすし、暗号も解読する。
予想に反して電子戦に強かったのだ。
またスパイ活動も質、数ともに揃ってる。
カラシニコフ突撃銃も狙撃銃もお手のものだし、機関銃、迫撃砲、大砲も使いなれてる。
RPG7も子供でもポイポイ撃つ。
おまけに手製の天然ブービートラップ作りも職人のごとく上手い。
それで共産圏から送られた武器弾薬がギッシリ。
そりゃ3ヶ月訓練しただけのアメリカ兵じゃ勝てないよ。
627 :
少佐:05/03/20 19:46:58 ID:lr9123MO
さらにベトナムは南国だから1年に2回コメが収穫できて食料も豊富だし、
川では名物のエビがたくさん取れる。
628 :
名無し三等兵:05/03/20 21:13:12 ID:yF/0o2g7
サイゴンが陥落したあと、南ベトナムの軍政府関係者は殺されたの?
629 :
少佐:05/03/20 21:17:57 ID:lr9123MO
ベトちゃん達の大半は小学校も行って無い百姓だったのに、なぜあんなに
巧みな電子戦を展開できたのか不思議だ。
もしかして彼等は生まれながらの電子オタクだったのか?
630 :
名無し三等兵:05/03/20 21:44:08 ID:Ig9Cu0jp
>>627 北部、中部はかなり状況が違うそうです。
>616
> テロリストは敵兵ではあるけど正規兵ではないから降伏の資格がない
>したがってどこまでも一行目の規定が適用される。
>
>私服のテロリストは「降伏していない敵兵」として取り扱われるのが国際法上の交戦規定なんだが
どの「国際法」ですか?そもそも「敵兵」としての資格自体がない、交戦規則の適用外
の存在に対して、都合のいいところだけつまみ食いという解釈は成り立たんでしょうに。
テロリストには、「敵兵」なんていう上等な地位は与えられていない。ただの「犯罪者」
なんで、相応の扱い(逮捕して、殺人犯として処罰。逮捕に抵抗すれば射殺、等々)をす
べき存在です。ただ、捕らえた後に無裁判で処刑というのは認められない。
ttp://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/s-kokusaiho.htmより、戦前の国際法解釈につい
て孫引き。(「上海戦と国際法」信夫淳平 丸善 1932年からの引用とあります。)
> 陛戰法規に於て前に述べた三種に限れる交戰者は、非交戰者の有せざる特権を有する。
>例へば敵に捕へられたる場合に於て俘虜としての取扱を受け。戰時重罪犯(War crimes)
>として處罸せらるゝなきの特權の如きである。(中略)又非交戰者の行犯としては、その
>資格なきに尚ほ且敵對行爲を敢てするが如き、孰れも戦時軍罪犯の下に概して死刑、若
>くは死刑に近き重刑に處せらるゝのが戦時公法の認むる一般の慣例である。
>
> 便衣隊は間諜よりも性質が遙に悪い(勿論中には間牒兼業のもある)。間諜は戦時公
>法の毫も禁ずるものではなく、その容認すち所の適法行爲である。(中略)
>黙るに便衣隊は交戦者たる資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交
>戦法規違反である。その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正當防衛として直
>ちに之を殺害し、叉は捕へて之を戦時重罪犯に間ふこと固より妨げない。(後略)
捕らえた後の連中に対しては「正当防衛」は成り立たないんで、普通に「犯罪者」と
して、然るべき刑に処するというのが、昔からの建前です。
>625
> じゃあ捏造でも何でも言ったモン勝ち・声のでかいモン勝ちって事かい?
>
>そもそも「当時その地域にメディアなんてものが存在しえたのか」
>「当時の視点で当該者の行動が『虐殺』と呼びえたのか」
>を無視して
>現在の視点から国民の支持だの法解釈だの言う君の態度自体非常にナンセンスなのだが。
ベトナム戦争の話をしていたんだと思っていたが、勘違いかな?
この「路上処刑」の件は、まさに「当時その地域に存在していたメディア」に「虐殺」
的イメージで報道され、「当時の米国民の支持を弱めさせることとなった」典型例だろ
うに。
この件だけでなく、それこそ戦前の日本が反日的報道にしてやられた例とか、いくら
でもある。で、それを踏まえての現代の対応が、報道管制であったり、広告代理店を使
った宣伝工作だったりするわけだし。
>>625 いや、君もかなりの電波源だから。
いまどきこんなナイーブなこと言う奴が居ることに感動したよ。
>じゃあ捏造でも何でも言ったモン勝ち・声のでかいモン勝ちって事かい?
ついこの間のイラク戦争の戦訓すら脳内から消去されてるようですな。
米軍が公開したAH-64のガンカメラ映像を、民間人虐殺の瞬間!
なんてやってたTV局があることをご存知ない?
初心者な質問。
ベトナムが南北に分断された原因は
フランスかな?
アメリカ、フランス
軟派主義
ソビエト、中国
バリバリな硬派主義
って
考えると
ソと中がベトナムへ武器援助などの
支援をきっかけに
アメリカとかが
反発したと考えるのが正解かな?
>>632 >ベトナム戦争の話をしていたんだと思っていたが、勘違いかな?
たいした勘違いだ。
テロリストの扱いに関する話をしていたんだと思っていたが、勘違いかな?(w
>>633 >いまどきこんなナイーブなこと言う奴が居ることに感動したよ
必死なレッテル貼り乙(w
>米軍が公開したAH-64のガンカメラ映像を、民間人虐殺の瞬間!
>なんてやってたTV局があることをご存知ない?
ソースが米軍の画像で何ピンボケな事言ってるんだか。
で、それが「メディアによる断罪」なんて大袈裟な効果があったのかい?(w
まあ君の脳内ではあったんだろうねぇ。
>635
おやおや。
>たいした勘違いだ。
>テロリストの扱いに関する話をしていたんだと思っていたが、勘違いかな?(w
元々、ベトナム戦争時の「路上処刑」が正当かどうか、という話なんで、当然に「ベト
ナム戦争時のテロリストの扱い」に決まっているでしょう。
で、ベトナム戦争時の話でないとすれば、>625の
>そもそも「当時その地域にメディアなんてものが存在しえたのか」
>「当時の視点で当該者の行動が『虐殺』と呼びえたのか」
>を無視して
>現在の視点から国民の支持だの法解釈だの言う君の態度自体非常にナンセンスなのだが。
は、一体いつの時代の、どの行為を念頭においてのものですか?
637 :
少佐:05/03/21 01:10:32 ID:t+xP0JlC
やはり日本軍が教育したこともベトナム軍の強さの秘密じゃないかと思うぞ。
639 :
少佐:05/03/21 01:20:41 ID:t+xP0JlC
>>638 ベトちゃん達は日本軍がベトナムを占領してた時に日本軍式の教育訓練
を受けたと聞いてるぞ。
実際ベトナム戦争でも38式を愛用していたベトちゃんもいたそうだ。
>>639 なるほど…あの戦いぶりは確かに日本兵の戦術…。
もし本当だとしたらペタ、BIAと並んで、日本軍の遺産だな。
38式歩兵銃…いい銃だったんだな。
日本軍はフランス植民地政府(ヴィシー対独協力政府の組織下にあった)と協調して越南に進駐したので、インドネシアやビルマと異なり越南人には軍事訓練を与えていない。
もっとも、越南人はWW1に安南兵として欧州へ動員されたので、軍事訓練を受けた人間も多かった。
38式を使うベトミン/ベトコン兵士が多かったのは、中国が老朽化した日本軍装備を援助品として与えたため。
ディエンビエンフーの戦いでは、あのZB26機銃がベトミン軍の主力軽機だった。
なんでも南越南政権の警察では、フランスから供与されたMP43/Stg44も使われていたそうな。
>>635 >ベトナムが南北に分断された原因は
>フランスかな?
むしろアメリカですね
ご存じの通り、ベトナム民主共和国の対仏独立戦争(第1次インドシナ戦争)は1954年に終結。
ディエンビエンフー陥落直後、英ソを協同議長国としたジュネーブ会談では
インドシナ終戦についての協定が定められました。
この協定では
・2年後に、国際管理下の自由選挙を実施し、ベトナム全土の統一政府を選出する
・それまでの間、北緯17度線に軍事境界線を設置、北部にベトナム民主共和国軍(ベトミン)
南部に仏、ベトナム国(バオダイ帝国)と、兵力引き離しを実施する
・軍事境界線はあくまで兵力引き離しのための暫定的なものであって、
国境ないし政治的領土の境界ではなく、かつ恒久的なものではない
ということが合意されました
643 :
続き:05/03/21 01:42:53 ID:???
フランスはこの協定調印で、満身創痍でベトナム植民地問題からの離脱にこぎつけました
ところが、フランスの戦費8割を負担していたアメリカは
この協定に調印はしませんでした。
(傀儡政権の枠を出ていないバオダイ帝国はこの協定で事実上無視されてました)
アメリカの当時の有名な「ドミノ理論」では
インドシナのどこか一国が共産化すれば他へ波及するのが必定とされていました。
もし統一選挙が実施されれば
1600万人の人口を抱える北部を支配し(南部は1200万)
かつ54年の終戦時点でベトナム全土の7割を「解放」していた
ベトミン側が勝利するのは目に見えていました。
そこで米国は、自らの影響下にあったバオダイの首相・ゴ・ジン・ジェムに肩入れし
南部での「住民投票」でバオダイ皇帝に対する事実上のクーデターを起こさせ
彼を首班とするベトナム共和国政府(南ベトナム)を樹立、
熱烈な反共主義者でカソリック信者のジェムに、協定をボイコットさせたわけです
>ソと中がベトナムへ武器援助などの
>支援をきっかけに
>アメリカとかが
>反発したと考えるのが正解かな?
これもむしろ逆かと
第2次大戦中、アメリカはOSS(戦略事務局)の軍事顧問団をホーチミンのもとに派遣
日本やヴィシーフランス勢力に対する対抗馬として、ベトミン軍の訓練にあたりました
ベトミン軍も、当時ベトナムを支配下に置いた日本に対する小規模なレジスタンスを展開
連合国軍人やドゴール派仏軍人の中国脱出を支援していました
1945年の「八月革命」で、日本の無力化に乗じて独立政府を樹立した際
ホーチミンは、ソ連ではなく米国に支援を非公式要請しています
これは、反植民地を標榜する米国が仏植民地勢力への押さえとなりうること
ソ連が大戦で荒廃した中、大規模な支援国は米しか期待できないこと
さらに、米ソ英仏中といった大国のパワーバランスをぬって独立を維持しようという
ホー主席の現実主義から発したものでした
米国務省のアジア局は、ベトナムが親米の新興独立として期待できるとして
ベトミン支援を主張しましたが
欧州での新秩序を重視する欧州局は、重要なパートナーである仏を優先すべきとして
かなりな論争になったといいます
結局、冷戦の激化により、欧州局の方針が勝ち、米のベトミン支援は泡と消えました。
ベトミンはやむなく、本来の「師匠筋」だった東側に接近
さらに中華人民共和国成立、中ソのベトミン支援表明(ともに1949年)により
米は「反共戦争」として仏植民地主義に多大な肩入れをすることになりました
>>641 ちょっと残念な話だなあ。
阮王朝の皇族が陸軍士官になっていたって話もあったし。
少佐がアフォなのはなぜですか?
↑その話は初耳だ。 越南は伝統的に文民支配の国だから、王族が軍人になるのは考え難いが...
越南の軍人を多く輩出して有名になったのは中国国民党の黄浦軍官学校。
若き日の阮愛国(胡志明/ホーチミン)も教育指導に当ったロシア人/ドイツ人の通訳にあたっていた。
WW2終結後の仏印駐留日本軍は 進駐して来た国府軍に武装解除されているが、その後 ホーチミンとの交渉で国府軍が撤退した後に フランスの代理で進駐して来た英国軍に再度武器を与えられて、しばらくの間 治安維持任務に当っている。
このため、他の地域と違って戦後も組織と規律は維持されていたので脱走してベトミンに参加した日本兵は皆無だった。
唯一、民間人の医者がベトミン軍に軍医として参加しているが、この人も1954年に帰国して 田舎で診療所を開いている。
旧日本兵ながらインドシナに(おそらくは残置諜員として)残ったのは ラオスの赤坂勝美氏が有名だった。
彼はパテトラオ(ベトミンのラオス人部隊)と米国CIAの両方に太いパイプを持ち、日本大使館員として働きながら、あの辻正信をパテトラオに殺させた主犯と言われるなど、諜報の最前線に身を置いていた。
その後 赤坂氏は1980年になって、突然パテトラオ政権から国外追放処分を受け 日本へ帰国後 謎の急死を遂げたため この当時の背景を知る日本人の関係者は誰も生き残っていない。
>>647 ガセというか、伝説だったのか。
二度がっくし。
>>648 終戦時海南島にいた旧海軍の水兵約10人が、
対岸のベトナム北部沿岸で船の難破によりベトミン軍に逮捕され
そのまま戦列に参加したという話はありますね。
北部のタインホア省(ハノイ南方約100`)で、主にベトナム兵の基礎教練にあたりました
ディエンビエンフー戦の前年秋には、同地区が補給基地になったため
ライチャウ省方面への人力補給線構築にも参加したとのとことです
ディエンビエン要塞攻撃前に、赤十字の手で国外に出され
1954年、中国経由で日本に帰国しています
>辻正信をパテトラオに殺させた主犯
素晴らしい。
>>651 辻はムカデ退治だけやっていればよかったんだ。
辻のせいで、何人の高砂兵が無益に死んでいったことか…。
655 :
名無し中士:2005/03/21(月) 12:03:05 ID:???
2chは流れが早くてついていけん orz
>624さん
Nguyen Coa Nam将軍の政治的立場を調べないと解りませんが解放側と別個に停戦交渉
しようとしていた節があります。ただ4/30のサイゴン中央の無条件降伏のあと、指揮
下の部隊の戦意喪失による自壊があり翌日には軍隊の体を成していなかったようです。
第四軍団には強力な河川軍がありましたが、戦わずして「ボートピープル」となりタイへ
逃亡しました。
そう考えると南軍の抗戦継続は甚だ不可能だったと思います。
解放側に傀儡軍の末路などと嘲られるのも無理ない話と言う事でしょう(爆。
ベトミンに参加した日本人兵士と言えば井川少佐(Le Chi Ngo)も有名ですが、
当時の産経にベトミン体験を赤裸々に語った日越友好協会理事の加茂徳治氏も
お忘れなく。後の人民軍のエリートを輩出したクアンガイ士官学校に4人、
バクソン士官学校に3人の元日本軍士官が指導に当たっていたと語ってます。
ソースが古いから誤差はあるかも知れませんが・・・加茂氏はまだご存命の
筈だから新証言を期待したいが・・・・喋らないだろうなぁ(爆。
656 :
名無し中士:2005/03/21(月) 12:17:17 ID:???
今、産経のコピー保存を呼んでたら加茂中尉は初期のベトミンゲリラ率いて
インドシナに戻ってきたフランス軍を「やっちゃって」いたようです。w
ある意味、真証の革命戦士だな。(*´-`*)
>>656 1945年当時の日本軍からすると
「ベトミンは味方、フランス軍は敵」だからね。
実際にはベトミンはアメリカを頼ったので
日本とは手を結んでくれなかったけど。
↑1945年8月当時なら日本軍は中立だよ。ベトミンは抗日活動もロクにやらず、もっぱらフランス当局へのゲリラ活動と地主襲撃&借金証文焼き捨て作戦で、急速に農民の支持を集めて行った。
廣東から進駐して来た国府軍と日本軍は敵同士だったとは思えない位に和気藹々とやっている。
中国にしては珍しく、ホーチミンのような ぽっと出の人間を越南の指導者として認め、国共内戦が再開したので英軍が進駐して来ると さっさと引き揚げてしまっている。
「中国人のクソを1000年喰らうくらいならフランス人のクソを100年喰った方がマシ」と言っていたホーチミンにしても拍子抜けだっただろう。
しかもOSS経由で米国とホーチミンはツーカーの仲で、フランスは植民地を維持できるような状態ではなかった。
なんであんなに話がこじれたかといえば、結局は 宋美齢の愛人で1946年から「反共」で売り出したニクソンという男の存在につきる...
>>658 仏印始末ってなことをやったので、対仏は戦争状態でしたが…
↑詳細ヨロ
>>658 「フランス人の糞の臭いを嗅いだ方が」な
ホー翁は、漢詩からこういう大衆向けの気の効いたアジ文まで
文才に恵まれてたな
明号作戦か、桂林爆撃と並ぶ日本軍の最後っ屁だねw
>>662 それを言うならホー伯だろw
あの人は文才と一緒に 人たらしの才も抜群だったようだが、イヤミさを全く感じさせないのが凄いw
665 :
662:2005/03/22(火) 04:04:03 ID:???
確かにw
ベトナム語は血縁名称を人称にも使って上下関係表すからややこしい
でもその表現だとバク・ホーが爵位持ってるみたい
当人が苦労人だからだろうね>イヤミのない人たらし
農民としても下級労働者としても儒教型インテリとしても近代知識人としても
国際的党活動家としても民族主義者としても
たいていの人にとって尊敬に値する豊かな経験を持ってたから
それとやっぱ当人が誠実(を演じようと努め続けた)のもあるかな
666 :
名無し三等兵:2005/03/22(火) 20:33:54 ID:j3paM+z4 BE:161425679-#
間違いがあったら指摘してね。
最初の発端は
フランスがベトナムへゴルァってなって
喧嘩になったけど
ベトナムが気合で撃退したのを
硬派バリバリ主義の
ソビエト、中国が
おまいらなかなかやるじゃん
と
木刀やら火炎瓶を援助しだして
軟派パコパコ主義の
フランス、アメリカと
4カ国で話し合いした結果
北と南に分断
で
いいかな?
で、
北は報知明とかいうひとがアタマになるって
ことかな?
死んでろ。
なぜワザワザ ゲッツ板谷をパクル?
だってゲッツの例えがワラタから
671 :
少佐:2005/03/23(水) 17:27:49 ID:rMw5o6dG
それから思うにベトちゃん達はよく働く。
ベトナム戦争の写真なんか見ても、老人から女子供までが必死で手製のブービー
トラップや陣地をスコップで作ってるだろ?
大砲をバラバラにして担いで山の上まで運んだなんていう逸話も彼等の勤労精神
を物語るだろう。
なんか凄まじい人力生産力がそこにあったのだ。
おまけに手製のブービートラップやモグラ陣地を見れば解るように、手先も器用な
奴が多かったのだろう。
これじゃアメリカは勝てない。
672 :
少佐:2005/03/23(水) 17:31:19 ID:rMw5o6dG
あとカンボジアなんか見ても、田植え感覚で陶器やプラスティックの地雷
を埋めたんじゃないかと思うくらい地雷を埋めてるじゃないか。
ありゃどう見ても田植え感覚だろ?
ベトナムも同じようなものだったんじゃないかと思うが、これじゃアメリカ軍
は進めないよ。
ソビエト修正主義裏切り者集団とか、ロンノル傀儡政権とか(もっと一杯修飾語が付いた気もする)
激しい罵倒合戦が懐かしい。
674 :
少佐:2005/03/23(水) 17:34:57 ID:rMw5o6dG
またベトちゃんの女スパイはセックス、酒、マリファナを駆使してアメリカ軍
から体で情報をスパイしたんだろ?
もうCIAじゃ勝てないよ。
さらにその女ベトちゃんスパイもベットの下にカラシニコフだろ?
アメリカ軍はもう止めてという心境だったと思うぞ。
675 :
少佐:2005/03/23(水) 17:38:18 ID:rMw5o6dG
階級戦争というのは、それこそそのエリアの爺さんや赤ちゃんまでが敵
なんだから、そもそもそのエリアに足を踏み入れた時点で負けになる。
ベットで寝てたら赤ちゃんがカラシニコフを撃ってくるんだろうからな。
寝ることも小便をすることも油断できない。
676 :
名無し三等兵:2005/03/23(水) 22:30:43 ID:08Nl/KHo
「ベトナム戦記」開高健は是非読むべきだ。
元々朝日新聞社の本とは思えぬほど、記述が中立。
やはり作者が良いのだろうね。
677 :
少佐:2005/03/24(木) 16:35:19 ID:SH8iWgnI
大砲を正確に撃つには暗算もできなきゃいけないし、地図も正確に見ないと
いけない。
無線機や暗号解読機も妨害電波発射装置も馬鹿じゃ扱えないし、修理もできないだろう。
こうしてみるとベトちゃん達は結構頭が偉く、手先も器用な勤勉な奴らだったんじゃ
ないのか?
数表があるだろ、チンカス。
ソ連と中国の軍事顧問のことが忘れられてるな。
そういや雲南省で訓練した以外に直接にSAM要員等派遣してたんだっけか。
ベトコンって言葉は
なにの略かな?
差別用語じゃないよね?
報知明ルートがあるがために
北ベトナムとカンボジアは仲が良かったのかな?
支那の糞千年 フランスの糞百年には笑った。
日本の糞三十五年くらい我慢すれば良いのにと思った。直に舐めさせてやっても良いぞ。
>>661 ベトコンは越共=Viet Comの意味。
米国人は差別的(特に難民で米国に来た越南系市民に対して)に使うが、越南人にとっては普通の表現。
中共という表現が、日本では多少蔑視を含むのに中国では普通の表現なのに似ている。
>>680 昔は胡志明/阮愛国が雲南で国民党ゲリラを指導してた時期もあったw
文革中だった中国にはSAM等の高度な兵器の供与を与える気も能力もなかった。
もっとも、自国上空を飛行するU2偵察機を打ち落としたSAMもどきは中国の科学者手製だったらしいが...
>>682 カンボジアはフランスに植民地化される前の越南に占領されかけていたし、南部越南はもともとカンボジア領だったのに越南人(正確には越南に逃げ込んで帰化した明朝遺臣のみなさん)が住み着いて奪われてしまったりと、越南人への感情は非常に悪い。
カンボジアのシハヌークが北越南/ラオスからのホーチミンルートを黙認していたのは、直接国境を接する南越南政権への対抗手段として北越南とベトコン勢力を利用しようとしたため。
決して仲が良かった訳ではない。
もっとも シハヌークは正直な人物なので、ポルポト政権崩壊後に「越南軍の戦車が来なければ我々(カンボジアの王族)は皆殺しにされていた」と述べている。
エアアメリカについて質問させて下さい。
そこのパイロット達はCIAの職員だったのですか?
それとも海軍、空軍他からの出向者だったのでしょうか?
または退役扱いにしてスカウトしてきたのでしょうか?
はたまた現地人だったのでしょうか?
ググってもほとんどメルギブソンしか出てきません。
何かご存知の方いらっしゃいましたらよろしくお願いします。
689 :
687:2005/03/25(金) 19:40:19 ID:???
>>687 エア アメリカw
例によってCIAが設立した航空会社で公式には米軍が関与していないとされたラオス親米派のバンパオ将軍系 赤メオ族やホーチミンルートに近接する反越南系少数民族に資金がわりの阿片や武器を空輸していた。
阿片取引の縁でビルマの中国国民党軍やクンサー一派とも深い関係を持ち、黄金の三角地帯の麻薬生産が国際市場にデビューするきっかけをつくったとされているが、実態はほとんど不明。
パイロットがCIA職員だけだったとも思えないが、あくまで民間会社なので軍人は所属を明示した形では搭乗しなかった。
国府中国に民航空運公司(CAT)というのがあって、66年頃にコンベア880を落としたり(無資格の重役が強引に操縦していたという話もあり)して70年代前に消滅した会社。
これが事実上エアアメリカだよ。
こういう事情もあるので、60年代後半にはCATから離れた組織になってゆくけど。
75年のサイゴン脱出で、大使館屋上から発着しているツートンのUH-1なんかはエアアメリカだよ。
>690
wた。
ベトコンは越共=Viet Com
ですか。
ここで使うぶんには問題ないかな?
viet cong じゃないかなあ。Commieでも良いんだけど。
75年4月30日正午、サイゴンの独立宮殿に「北」正規軍の戦
車隊が突入し、南ベトナムは最終的に「解放」された。「解放」後
のサイゴンに残留した数少ない日本人記者の一人、毎日新聞特派員
の古森義久氏は、次のようにレポートしている。
サイゴンに軍政を布いた軍事管理委員会が「米植民地主義や
傀儡政権の低俗な書物を禁止する」布令を出したのをきっかけ
に、焚書が始まったが、エロ本だけではなく、欧米の文学や一
般教養書までが燃やされた。「解放学生青年連盟」と名乗る青
少年が本屋や民家を一軒一軒回り、「反革命的不良図書」を片
端から没収した。さすがにこれは民衆から激しい反発を買った
ので、軍事管理委員会も行き過ぎを戒める布告を出し、外国の
本でも医学や自然科学の本は除外し、また民家に立ち入って没
収するのは禁止された。
人民裁判や公開処刑も始まった。初めは刑事犯が対象だった
が、間もなく旧政権下の「反人民的行動」まで処罰の対象にな
った。通常の訴訟手続きは行われず、当局が動員した民衆のな
かから有罪の声が上がれば処刑するというやりかたである。
臨時革命政府の法相だったチュオン・ニュ・タンによると、「解
放」後の1年間に逮捕された旧政権の将校・国家公務員・政治家の
実数は最小限に見積もって約30万人にのぼったと述べている。
>>695 ボートピープルになるか思想矯正キャンプに行くか…
いずれにせよあまり楽しい話じゃないねぇ
訂正・CATに引導渡した事故は、B727で68年でした。
いろいろ読むと、CIAは戦後しばらくはアメリカ世論や議会の目が届かない国府の会社を重宝していたようだが、公式にアメリカ政府事業に入札するようになると逆に、米国企業を設立する必要が生じ、エアアメリカが作られたとなるようだね。
台湾のフラッグキャリアとしての地位を、中華航空に移したのは、蒋介石蒋経国一族への利権返還みたい。
前後するが、CATが設立された理由はシェンノートに対する戦後恩賞です。
↑へ〜へ〜へ〜w
あの飛虎隊のシェンノートにね〜。
考えて見れば飛虎隊ってCIA設立以前のCIA的任務だもんね...
ベトナムの再教育キャンプってどんなとこだったんですか?
この世の楽園。いろんな意味で。
704 :
名無し三等兵:2005/03/27(日) 15:20:52 ID:nOKiqSYx
>>676 開高はホーチミンの生まれ故郷で北政府に対する農民の武装蜂起とそれに伴う
数万の死者についても批判的に書いていたからね。
当時の日本だと本田勝一とかのように北、解放戦線、民衆=絶対善とかの
思想が蔓延していたから珍しいことだと思う。しかも開高はこの農民放棄に
ついては無視しているが、南や米国の蛮行には筆鋒鋭い日本のマスコミにも
批判的だった。
ベトナム戦争前後での日本の文化人の発言は調べてみると面白いよ。
小田とかいいだ・ももとか。
705 :
少佐:2005/03/27(日) 15:32:05 ID:aMolNsgS
ベトナムは近代以前から強く、何度も大国中国と戦争をして勝ってる。
そこにフランスの近代化政策が加わり、旧日本軍から戦争を学び、共産圏
の武器が加わったら、そりゃメチャ強くなる!
おまけに暑くて雨が降り捲るので、食料に困らない!
さらにカリスマ指導者ホーチーミン。
アメリカは戦争を挑んだこと自体が失敗だ。
706 :
少佐:2005/03/27(日) 16:17:55 ID:aMolNsgS
ベトナム人は見た目と違って手先が器用で勤勉なのだろう。
そうでなければ近代戦を行うことは不可能だからだ。
無線機を使うことも、修理することもできないはずだからだ。
まぁあれは米国が自滅した戦争だからなw
>>704 べトコンのやりくちで、目玉を書いた紙を
南の村の家々に張って・・・ってな話があったね。
エッセイだったか何か、忘れたけど。
オーウェルの小説1984にある「Big Brother Is Watching You」
と重ね合わせて、共産主義の怖さみたいなものを書いてたね。
でも、小田実とはベ平連で共闘してたよね。
漏れ、このあたりの話、時代背景がよくわからない。
ただ、開高健は共産主義とか社会主義は嫌いだったんじゃないかとは思う。
中国共産党を皮肉るようなエッセイもたくさん書いてるし。
よくわからないのが、文壇での評価。
漏れの文学の教授は、『「僕は」開高を文学的には評価するよ』と言っていたが、
この感覚は普通じゃないってことなのかな?
>>706 他国人を未開人だと思い込んでる馬鹿が居るな。
戦前の日本人の世界観から、一歩も抜け出せてないな。
歴史から学ばない阿呆は軍事板に居る意味がない。
710 :
名無し三等兵:2005/03/27(日) 18:03:40 ID:nOKiqSYx
>>708 べ平連で、開高は小田に対して
「南やアメリカの武力行使を非難するなら解放戦線のも非難しないのはおかしい」
と言っていて、どちらかと言うと途中で脱け出した感じ。
開高は現地取材やその行動性は評価されていたけど、北や解放戦線に懐疑的な
姿勢には反対者が多かったのじゃなかったかな。
この時代の日本のマスコミや文化人は北賛美、解放戦線賛美、米帝、南傀儡
非難というワンパターンな意見や主張が多かったと思う。
そしてそれは北の南による武力併合を「侵略」ではなくて、「民族の輝ける
統一」、「帝國主義からの勝利」といった形で賛美していて
(小田は「祝え!祝おう!」という題の文を発表して無邪気に「いやー、本当
に目出度い!」と喜んでいた)、ボートピープルの流出や共産党政権の過酷な
政策がある程度表に出るまで続いていた。
だから、この後に日本で北ベトナムや解放戦線を支援していた文化人なんか
には失望が広がり、ベトナムのカンボジア侵攻、中越戦争で自分達が
支援していたもの、エールを送っていたものの正体が表に出るとそれまでの
出来事は全くの恥ずかしい過去になってしまった。
だからこの時代はベトナム反戦運動は知識人や文化人には盛り上がった
けど、異常な盛り上がりの割に後の時代の人が知らないのは
「善対悪の単純な図式に盛り上がっていた」ということを抜くと何も残ら
ないからじゃないかな。
そこら辺は稲垣武の「悪魔払いの戦後史」を読めばだいたい分かると思う。
711 :
少佐:2005/03/27(日) 18:08:34 ID:aMolNsgS
>>709 アメリカだって「一週間で勝てる」と豪語してベトナム戦争を始めたの
だから、誰でも読み間違えるわい。
だがベトちゃんは非常に頭が賢く、チームワーク抜群で手先も器用で根性
もあったのだな。
そうじゃなければ近代戦で勝つのは不可能なんだからさ。
>>710 どもです。
ははあ、小田実らしいですな。
「悪魔払いの戦後史」は読んだことあります。
朝日新聞あたりが、まだその頃のことを引きずっているのもわかるんですが、
バリバリの右翼(三島あたり)や左翼系は評価されているのに、
その点で、政治的であってもニュートラルな開高の評価が、
文壇的には低いというのがよくわからない、ってことなんです。
でも、スレ違いですね。すいません。
ベヘイレンってもはや変換辞書にも入ってないのだな。
こいつらにそそのかされて脱走した水兵4人の行く末は?
月刊プレイボーイの記事では、随分とこの4人の知性のなさを批判していたようだが。
あっ!そういえばベトナム戦争中にベトナムで脱走した米軍兵士って
結構いましたよね。
終戦後もベトナムに残った人いるのかなー?
水兵が後発航期やらかしたときは、明らかに脱走とわかるけど、戦地で陸兵が行方不明になるとMIA扱いになってるのではないかな。
もちろん帰ってきてない人は多数。
>>712 開高はなんつーか、
「自分を極限状態に置かないと書けない」人だった、という話を聞いた事がある。
彼のベトナム関連の著作は、言わばその極限状態の副産物だったのでは。
要するに、ドキュメントを書く事ではなく、極限状態下で書く事が目的だったのではないかと。
「文学的には評価する」とはそういう意味ではなかろうか。
俺はヘタレてた時分の釣りやら民族紀行やらは2,3冊読んだ事があるが…どうもしっくり来ない。
良く考えると月刊プレイボーイに記事が載ったのは、開高健が接点だったんだな。脱走水兵4人のソビエト渡航ルートも、北海道から占領千島なんて書いてたけど、この辺は嘘っぱちだろう。
>>710 別にこれは「ベトナムの正体が明らかになった」訳じゃなかろう
→ベトナムのカンボジア侵攻、中越戦争で
中国とポルポトの正体が明らかになったというだけで。
今までの情報を総合しても戦争下においてはベトナムの統一、治世は穏やかでおとなしい方だね。
「普通」が凄すぎるから。
おまいの脳内ではクメールルージュの農場が並みかい?
ベトナムとポルポト分けて書いてあるのになにからんでるの?
お仕事ご苦労さまですw
面白いことに
ベトナムがカンボジアに侵入してポルポト討伐戦争やらかした時、
ベトナム批判を大々的にやらかしたのはむしろサヨクの先生方だった
国際的にほとんど友達のいない日共は
早いうちからベトナム支持、ポルポト・中共非難に回ったけど
その他の「市民団体」やベ平連の残党までもがなぜか必死になって反ベトナム
ポルポト擁護に苦心した
反代々木系左翼多数派のお里が知れた一幕ではあった
当時は日米含めて国連でベトナム批判していたんだから左翼だけ
たたけないよ。
また左翼なんぞは植民地維持していた国のそれをみればだいたいお里は知れとる。
どういうわけか他人の植民地にだけは厳しいww
日共はソ中から内部干渉された歴史から大国には反発し社会主義の小国と親交を結んできた歴史がある。ルーマニアでは裏目に出たが。
竹島の武力奪還を主張していたり、
北方四島だけでなく全千島の領有権を主張していたり、と
プロ市民勢力が増すまでは非常に強硬な主張をしてたのも日共の特徴。
「天皇を中心とした国家組織」への忠誠を右翼ととらえるなら日共はサヨクだが、
「日本人という民族集団」への忠誠を右翼ととらえるなら日共はウヨだかサヨだかわからなくなってくる、と。
先輩方質問です。南ベトナム歴代大統領なのですが
1955/10〜1963/11 ゴ・ディン・ジェム
1963/11〜1964/1 ズオン・バン・ミン
1964/ 1〜1965/1 グエン・カーン
1965/ 2〜1967/10 ファン・カク・スー
1967/10〜1975/4 グエン・バン・チュ-
4/28〜4/30 ズオン・バン・ミン
以上で抜けていたり間違えがあれば教えて下さい。
グエン カオ キが抜けてない?
>>724 >竹島の武力奪還を主張していたり、
>北方四島だけでなく全千島の領有権を主張していたり、と
>プロ市民勢力が増すまでは非常に強硬な主張をしてたのも日共の特徴。
へええ、そうなんだ。
つか、武力奪還、って、共産党って自衛隊を認めてたっけ?
それともプロレタリア人民軍が泳いで渡るのだろうか?
だから物事を一面だけで見るなとアレほど言ってるのにこの娘はっ!
>>725 1975/4/27-28 ファン・バン・チュオン
チューの大統領辞任により副大統領から昇格
30年前の4月下旬の南ベトナム政界は、早い話ババ抜き状態
はっきりいって最後に解放勢力に降伏したやつが負けかなと思っている
>>726 キは副大統領までしかやってなかったはず
>>727 日共は北方領土武力奪還までは言ってなかったと思うが?
現在では日共ですら自衛隊の存在を合法と言ってる。
違憲だが合法という事らすぃ...
うーん、革命軍なり解放軍なりに名称変えればOKなんだろw
ジークジオン!
> ベトナムがカンボジアに侵入してポルポト討伐戦争やらかした時、
> ベトナム批判を大々的にやらかしたのはむしろサヨクの先生方だった
これは世界中の左翼に衝撃をもたらしたからね。
アンダーソンの『想像の共同体』の書き出しもカンボジア紛争と中越戦争。
タイ国境に押込められたポルポト派を主体とする三派連合政府の国連議席維持に、一番熱心だったのは官民/左右とりまぜての日本だった。
(右の代表は中曽根氏、左は社会党〜新左翼に到る玉石混交w)
当時の日本は、中国を反ソ三国同盟(日米中)に取り込もうと必死だった関係もあり、巨額の円借款を中国に供与した。
現在の成功に到る各種インフラ整備を中国が進めたのもこの時期。
日本の選択は米国の対ソ&越南(当時は正統共産主義者のレ ズアン時代)封じ込め政策へ便乗する状況下で行われたが、現在に到って日本のクビを占める結果となった。
まぁな、カンボジアの議会が機能不全に陥っている最大の原因だな。
わざわざ東南アジアの不安定要因維持したわけだ。
現実のカンボジアは越南傀儡政権と誹られたチアシム/ヘンサムリン/フンセン等の人民党が支配している。
議会はUNTAC以降の国際支援を繋ぎ止めるための方便でしかない。
>>736 しかし少数派と妥協せざるをえないだろ。3分の2が賛成しないと
法案一つ成立しないと言うのはどう考えても異常なシステム。
そんな議会世界にないよ。
イラクも将来はそうするらしいけどなww
あれはフンシンペック党(フランスが丸抱している)が自由選挙でも勝てないので導入された制度。
プノンペンのフランス大使館は軍隊まで駐屯している広大な敷地を誇るが、フンシンペック党の本部はその隣にあって 何かあったらいつでも逃げ込めるようになっている。
米国や中国も支持しているはずだよ。
米国はシハヌークの政党であるフンシンペックよりも、サムレンシーなんかの弱小民主政党を支援している。
カンボジアの議会は機能停止状態だが、人民党は全土/全軍レベルでの組織で、事実上の統治機関となっている。
中国は香港返還前の華人大量流入で一挙に影響力を確立するかに見えたが、華人が香港や上海へ移ったため、それも過去のものとなった...
↑米中よりも少数派ながら権力基盤を維持したいシハヌークの意向が強く反映されている。
現在のカンボジアでは米中は権力闘争に参加できるほどの存在ではなく、メインプレーヤは仏(EUと名乗ってはいるがw)と 越(人民党は依然として越南と深い関係にある)がカンボジアの進路を決めている。
743 :
名無し三等兵:2005/04/08(金) 20:02:11 ID:1pyZKwWx
ブラドック大佐みたいな捕虜救出の話って本当にあったの?
あったよ。
ベトナム戦争っていうと、まずクソ塗った竹槍を思い浮かべる
>>743 「地獄の7人」は実際にあった退役軍人たちによる救出作戦を基にした内容だった。
実際に行われた作戦の経緯は、ラオスの収容所を奇襲して捕虜/MIAを救出するというものだったが、国境を越えてすぐに交戦となり逃げ帰っている。
タイの空軍将校を買収して参加してもらう予定だったのが、騙されてそれっきりだったり と、いかにも東南アジアでの米国人らしい哀れを誘う内容ではあったが、資金を出したのがクリント爺さんとカーク船長というハリウッド人脈だったので、一時話題になった。
実際にMIAの存在を証言しているのは、日本人の県会議員→僧侶になり南越南で社会奉仕活動を行っていてスパイ容疑で逮捕され、1976〜1988年まで越南で強制労働に従事させられていた人物がいる。
彼は日越政府の手打ちで釈放されたが、山中の強制労働キャンプで黒人兵のMIAと実際に合って会話もしたそうだ。
現在の越南には既にMIAは存在しないようだが、彼らがどこへ行ったのか何の手掛かりもなく、米軍のMIA捜索隊は単なる遺骨収集団と化している。
747 :
名無し三等兵:2005/04/10(日) 09:22:57 ID:6H38DzpX
↑利用価値の情報が取れる将校なんかは、ソ連に連れて行かれたといった噺もあったようだが、実際には越南領内から出す事はなかったようだ。
MIAは米国に対する人質としての側面と同時にソ連への米軍情報の提供源でもあったので、計算高い越南人はMIAを領内に止めておく事が有利と判断したようだ。
もっとも、ほとんどのMIAは一般兵士やパイロット止まりで、将官クラスは皆無。
将官クラスや技術将校の場合には、米国側が非公式ルートを通じて身代金や米軍がおさえていた捕虜/政治犯と引換えに釈放させたりしている。
ここらへんにMIA問題が発生当時から放置されていた背景がある。
よくよく考えたらランボー2も実は存分に重々なテーマだな
MIAで帰ってきた米兵は居ないドコロか遺体の行方さえも不明なのだから
もっとも、MIA全員がランボー2のような生活を送っていたかどうかは分からない。
越南側に洗脳されて、協力する事でジェンキンス爺さんのように それなりの生活をしていた人間もいた事だろう。
そういった人達は自己意思で越南に留まっているのかもしれない。
752 :
名無し三等兵:2005/04/16(土) 12:46:19 ID:ckSsvbWL
753 :
名無し三等兵:2005/04/21(木) 22:13:48 ID:UC5YTbPb
遅レスですが、ベトコンは越南共産を表すベトナム語、
ベトナム・コンサンの略です。
英語のベトナミーズ・コミュニストの略ではありません。
ベトナム・ドクラプドンミン
ベトナム独立同盟
じゃあ「生コン」は何の略?
762 :
えICBM:2005/04/23(土) 05:35:01 ID:jtuDE4P7
この前ベトナム南部に行ったのだが、ホーチミンで市の戦争証跡博物館に行った。
完全にアメリカ軍は悪者扱いで数々の虐殺行為の写真が展示されていた。
別の日に近くのクチトンネルと呼ばれる南ベトナムの反攻勢力の拠点にも行った。
トンネルを作りカモフラージュをした司令部機能もあるゲリラ施設である。
しかし驚くのはホーチミン、当時のサイゴンから80kmほどの場所にあること。
ここに反政府勢力が首都から逃げて立てこもり終戦まで維持された。
ここを拠点に北に連絡し支援を要請した事をきっかけに北ベトナムは南ベトナム解放戦線を組織する。
そして、南ベトナム内で反政府運動が組織的に行われ、それを北朝鮮が様々な支援を行った。
驚くべきは南ベトナム政府は首都から80kmにある反政府勢力の拠点を潰すことが出来なかった事である。
そして、ベトナム戦争は純粋な内戦から始まったことである。
アメリカはその後南ベトナムのバックアップに参加するが、航空攻撃以外は主に南ベトナム軍が主役。
時期によりその陸上勢力の関与には変化があるが。
んで、ベトナム戦争が終了しはるか経ったときに私はベトナムを訪れたのだが、連中はベトナム戦争の悲劇の原
因を全てアメリカに摩り替えており、旧南ベトナム政府の悪政はスルーしていた。
ベトナム人はタフだと思ったよ。
タクシーに乗ると、ドライバーのタフさには開いた口がふさがらない。
人名解りにくいよなバオダイ帝とか。すげーなベトナム帝国かよ
765 :
名無し中士:2005/04/23(土) 14:55:39 ID:???
>ホーチミンで市の戦争証跡博物館
つい前までベトナム語で「アメリカの戦争犯罪を糾弾する証跡博物館」だった
んだから展示がそうなっているのは至極当然。
ベトナムの勝利だから当たり前。
征服されたインディアンは博物館に飾られる羽目になったがベトナムはアメリカを飾ってしまったww
久しぶりにジェーン・フォンダを見たbyブロードキャスター
>>768 元を辿ると和製漢語だったりするが。
(政治、経済、科学系の欧米語を訳した漢語の多くは、明治期に
日本で訳された和製漢語が中国でも用いられている))
越南の国名についてる共和とか社会主義なんてのも日本語起源だが、越南語では圧倒的に漢語起源の言葉が多い。
何しろ中国歴代王朝に直接/間接に支配された歴史が長いからね。
4/30 1975 サイゴン陥落、 無条件降伏
772 :
名無し中士:2005/04/30(土) 09:25:43 ID:???
BS1見ろYO。同志諸君。
あいわかった。
ベトナム戦争・サイゴン陥落・最後の58日
「大国アメリカはなぜ敗れたのか」
4月30日(SAT) NHK衛星第1 22:10〜00:00
775 :
名無し三等兵:2005/04/30(土) 21:27:07 ID:9sTauwS2
下げすぎだよ
危うく見逃すとこだったし
M-60
,, __
(::,、::))=ヽ <age
(∀` ,, ) |
/ 0) l
━==/二二二ヽ__,n_,,l!___
__ _,,_, - ,r--‐‐ '  ̄o ̄:lニニl!::l::Tl l]]`i
iニニl二二二二二ill__,,_l二二|;;li:|:i!:l 8ゞ::. : ̄: ̄: i__i,l ;;::: l
 ̄`ヾヽ;;_________,,_, --- == ' ニニニ二二)
, --=======l二二二二二二二:l:::iニニニl)il二二l]ロ::l!、
''ilγ⌒ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;0;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;0;;;;;;;;;;;;;;;;0;;;;;;;;;(:o:)~゙ _ヽ
`ヽ,,__ノ --------------------------------- (::@::)/
ヽ;;;;;;;γ⌒ヽ;γ⌒ヽ;;γ⌒ヽ;;γ⌒ヽ;;γ⌒ヽ;;γ⌒ヽ;;;;/
ヾ;;;;;;ヽ,,__ノ;;;ヽ,,__ノ;;;;ヽ,,__ノ;;;ヽ,,__ノ;;;;ヽ,,__ノ;;;ヽ,,__ノ/
~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~ ̄~"~ ̄~ ̄"
776 :
名無し三等兵:2005/04/30(土) 21:32:18 ID:urtjThPt
終戦30周年記念マキコ
>>768 ベトナム社会主義共和国
nuoc cong hoa xa hoi chu nguia viet nam(nuoc=クニ、のみ土着語彙
後は共和 社会主義 越南でいずれも漢語からの語彙)
ベトナム民主共和国
nuoc cong hoa dan chu viet nam(共和 民主 越南)
そういや、「コウノトリの歌」で、モノホンのT54つかってたのは当然にしても
25年ほど前の「無人の野」では、鹵獲品のUH-1が悪役の米軍ヘリで出てきたな
777get
はじまった。
BSage
トップが阿呆だと現場がいくら頑張っても無駄か…他人事とは思えん。
しかし十榴多いなあ。Pak40も一瞬写ってたけど。
ベンチがアホだと(ry
782 :
名無し三等兵:2005/05/01(日) 00:31:45 ID:HvKD2Drm
アメリカって肝心なときにハシゴをはずすようなことをする。
日本も気を付けないとな。
頼りにしちゃなんねぇ‥
見始めたんだけど、眠くて寝てしまった・・・
南べトナム軍も一応は頑張ってたんだ。
やる気が無くてあっさり負けたと思ってたよ。
私ら、72年のアメリカ撤退から次はいきなり75年4月が来ちゃってる。その間に各省でどんな戦闘があったのかまったく知らないわけ。
大した戦闘がなかったのは事実じゃない?
漏れ的には、1968,1972そして1975だな。
南軍はやけくそで、サイゴン陥落寸前、スアンロク?で
気化爆弾を使用したようだが、なんでその後使用しなかったのだろうか?
なかったのか?
あったとしても報復を恐れて使わなかったんじゃないんですか?
テト攻勢時に北側が仕掛けた中部侵攻作戦(北が初めてT34/85を投入した北朝鮮由来の歩兵随伴型電撃戦)で大量の火力を投入すれば南越南政権軍でも北の正規兵を撃退できる事が分かったんで、米国と南側には軍事技術的な安心感が生じていた。
その後 北側は外交と国際世論への浸透戦術で米軍を撤退させるのに成功するが、この後も米国が南側への大量武器援助を続けていれば、南側はかろうじて持ち堪えられたかもしれない。
しかし、ニクソンが白宮を追われた後の米国政府/議会には 南側を積極的に支援する勢力は存在しなくなったので、
北側とベトコンは、現地軍単位での備蓄弾薬等のベトコン側への横流しと ベトコンによる租税の横取りにより、南側の継戦能力は徐々に失わせる戦術を取っていて、大規模な交戦を避けるようになって行った。
実際、北側では南側の継戦能力に対する自軍の攻撃能力/必要な物資の備蓄が上回るのを1980年代と想定していたw
しかし、南側の自壊は北側の予想より早く訪れ、1975年に南越南政権は終局を迎えた。
このため、北側では労せずして南越南地域を入手し、疲弊したベトコン勢力を抑えて一方的な南北統一を断行してしまう。
更には余ってしまった自軍の装備/物資と南越南軍から鹵獲した大量の米製装備を旧南越南地域の不満分子を徴兵した部隊に与えてカンボジア侵攻に投入してしまい、中国の出先だった狂犬ポルポト政権と南部反乱の火種をあっさりと葬るのに成功した。
1975〜79年は北側の指導者だったレズアン一派にとっては、まさに笑いの止まらない時期だっただろう。
その後に訪れる難民の大量流出とカンボジア侵攻による国際世論からの爪弾き、無理な農業集団化による飢餓と工業生産の停滞、東側への出稼ぎに依存する事になる暗黒の5年間の到来を知らずに...
詳しいですね。
カムラン湾租借の経緯。ソ連からみた損得勘定なんかも解説願えませんか。
再放送無しか。
多分、歴史板なんかで私よりも詳しい人はいっぱいいると思うが、幸いにもドイモイ前後から越南と関わる機会に恵まれていたので...
もともとカムラン(カムザン/カムザィン)湾はフランス政府が旅順/香港/シンガポールと並ぶ極東の良港として開発しようと企図していた地点で、
日本海に散ったバルチック艦隊が入港を希望しながら同盟国のフランスに拒絶されて、休養を摂るどころか石炭の補給も得られず全艦隊が発狂状態で出港する羽目となって 途上で上海に給炭艦を向かわせて三井物産の社員に位置を通報される結果となったりもした。
越南戦争中には南越南政権が日本と同じく有力な同盟国たり得ると考えた米国も 10億ドル相当を投資して軍港としての整備を進めたが、米軍の撤退と南越南政権の崩壊で 整備途上のまま北越南が接収した。
その後、レズアン政権下の越南はソ連の忠実な同盟国として振る舞い、この時期に駐留したソ連海軍の手でカムラン湾の軍港としての機能は完成し、対中国南部〜フィリピン〜沖縄を睨む拠点として南シナ海の軍事バランスを大きく変える存在となる予定だった。
しかし、1986年からのドイモイ政策により越南は急速にソ連以外との外交関係を修復し、ソ連自体もペレストロイカ以降の変化を受けて、大規模な外洋艦隊の展開とその基地としてのカムランの重要性は低下してしまう。
最終的にソ連軍がカムランを含む越南での活動を停止したのは1989年頃だったようだが、ソ連の撤収に伴い、越南もそれまで派兵していたラオス/カンボジアから軍を撤収させている。
その後のカムランは使用されることも無く、私が現地を見た1996年には湾内にはソ連軍が構築した迷彩塗装の洋上トーチカがそのまま残る湾内には漁船しか活動していなかったし、
昨年行った時には そのトーチカも撤去され 軍港施設の一部を使用したカムラン空港がオープンしていてリゾートとして開発されつつある隣のニャチャンの玄関となっていた。
結局、ソ連にとってのカムラン湾はブレジネフ時代に潰えた大ソ連主義の幻想の一部だったろうが、実際にソ連の国益にかなったかと言えば はなはだ疑問が残る。
中国との関係改善を果たし、米国の友人となった現在のロシアにとっては尚更であろうが、将来に渡っては南シナ海におけるロシアの軍事プレゼンスの復活も有り得るだろうが...
カムランは、ソ連が採掘に成功した大熊(ダイソン)油田のような外貨収入を確保してくれた訳でもなく、越南にとってもカムランのソ連海軍駐留に、ほとんど見返りはないと思われたが、
仕事の関係で知合った越南の漁業会社の社長の話では、カムランへのソ連軍駐留に対しての見返りで、北洋漁業の操業区画が譲渡されたそうだが、多くの越南人は海水魚を好まないので海外に缶詰として輸出しているとの事だった。
しかし、対中国の抑えとしてのカムランは絶大な威力があった事が、ソ連海軍の完全撤退とソ連邦崩壊を受けて判明する。
海南島の南洋艦隊は1992年から中国が主権を主張する南沙/西沙への艦隊演習を発動し、無人島への中国兵駐留、越南側が駐兵させる島への攻撃/占領を行い、この海域での主導権を握ったまま現在に到っている。
そして、米国はクリントン政権下での対越国交樹立に伴い カムラン湾の使用を含めた米越軍事協力計画をスタートさせていたが、ブッシュ政権に変わり一転して反越南的なスタンスに戻ってしまっているため、米軍がカムラン湾に復帰するのは早くても3年後となるだろう。
ポイントはそこなんですよ。対中の押さえ。ロシア艦隊にいて欲しかったなあと思わなくもないわけで(w
ベストなシナリオは、ある程度 経済成長に成功した越南が自力で海軍力を強化し、日本が経済的支援で 米国が軍事的支援で南シナ海の対中抑止力として育成する事。
現在の南シナ海では中国の海軍力が突出し過ぎてしまっている。
こうなった原因は1980年代にソ連憎しのあまり日本と米国が中国へ過剰な支援を行ったためだった訳だが、当時のレーガン&中曽根-旧田中派/経世会の失策の尻拭いを、私達の世代が負わなければならなくなってしまった...w
更にはそれが、ナンシーレーガン夫人のお抱え占星術師からの助言に基づくものだったとすると、中共の対米浸透工作の巧妙さを 外交下手な日本は見習うべきかもしれない。
蒋介石の時代から、対米浸透工作では支那政府は日本の一枚上手ですからなあ…鬱。
米国人のメンタリティには日本人よりも中国人の方が合ってるからねw
798 :
名無し三等兵:2005/05/12(木) 18:19:06 ID:0oV1iUN8
あげ
799 :
名無し三等兵:2005/05/26(木) 23:48:44 ID:v2RgSFnj
グエンザップ、元気そうだな。90歳とは思えん・・・
800
801
802 :
名無し三等兵:2005/05/27(金) 22:54:05 ID:Ci5shC+k
ニューズウィークによれば派越韓国軍の戦果はゲリラ1万以上、民間人3万以上殺害という大戦果
それに引き換え韓国軍側の死者はたったの五千人たらず。大変誇らしいですね。
稲垣武の「悪魔払いの戦後史」には、当時取材した(一部2chねらー人気の)本多勝一は韓国軍は実際の
所、米軍よりはるかに軍紀厳正だったと「公平さを保つ」態度をとっていた…と書いてあったが。
(確かに当時の左翼の評価では韓国軍は米国の傀儡で残虐非道の軍隊ということだったし。)
韓国軍自身の戦記ではどういう風に書いてあるのかねえ。
と書いていたら>802は>318のコピペかよ!
つーか、同じ南北分断国家の危機的状況を救いにやって来たという意識と、でも本当は出稼ぎなんだよな っていう感情のアンビバレントが韓国兵の抱えていたジレンマではあった。
現在の越南では日本企業より韓国企業の方が圧倒的に多い。
越南が対外開放した時期が、ちょうど日本のバブル崩壊期に当っていた事もあるが、韓国側の対越南進出の意欲は非常に旺盛だった。
賄賂/人脈/コネといった越南では不可欠な要素のマネジメントも、日本人にとっては縁遠いものとなっていたが、韓国人にとっては依然として日常のもの。
こういった面からも韓国人の越南への同化は早かった。
ちょっと話は飛ぶが、カンボジアのプノンペンとシェムリエップには北朝鮮が外貨稼ぎにやってる平壌冷麺館というのがある。
ここの従業員のおねーさん達は全員北朝鮮からの出稼ぎで、喜び組ほどではないが美女応援団クラス。
カンボジアはノロドム シアヌークと金日成の個人的友情から、伝統的に北朝鮮が強い。
94年の和平成立でシアヌークがカンボジアに戻って来た時から今に到るも、彼の護衛を勤めるのは朝鮮人民軍特殊部隊の隊員達だw
805 :
名無し特務軍曹:2005/05/28(土) 10:33:48 ID:IC1XleHd
南ベトナムのグエン・ファン・ガイ将軍極秘来日
>>804 カンボジアがベトナムの有形無形の影響を受け
さらに日本の影響と中国の影響と、タイやASEAN影響の中で
北もいるわけか。
シアヌーク氏とフンシンペックは北と中国が、そして
フン=セン氏はどっちかといえば日本に近いが… 次世代のカンボジア
指導者はどこを選ぶんだろうかね
>>806 図式としてはこんな感じ
フンシンペック(モニク王妃+ラナリット) ←日本/フランス(EU)
人民党(フンセン系) ←越南/日本/インド/ロシア/ドイツ(EU)
シアヌーク+生き残りの王族 ←北朝鮮/日本/フランス(EU)
華僑軍団(たぶん最強) ←中国/タイ/シンガポール
カンボジアの場合、影響というより直接移民して来る連中が多いからね。
そんな中でカンボジア人は何の関与も出来ず、祖国でありながら傍観者でしかない。
香港返還直前には、人民党が国籍のバーゲンセールをやったおかげで、香港人が大量流入したが 今は香港に戻ってしまっている。
例の日本人ロリオタが捕まった少女売春も出稼ぎ越南人の少女相手だった。
どう見ても10代前半の中学生みたいな女の子が、揃って「19才」と言うのには笑ったが...
娼館の立ち並ぶ場所で「子供、子供いるよ〜」と絶叫しながら追いかけてくる客引きの越南兄ちゃんの必死の形相を覚えている...
808 :
名無し三等兵:2005/05/28(土) 12:16:08 ID:O5UK6La5
>>788 ひょっとしてベトナム人の出稼ぎ先って
東独とか多くなかった?こないだドイツで買ったメリケン用のガイドブック(歩き方落とした)
に旧東ドイツ領域にはベトナム人が多いと書いてあったので。
>>807 売春婦はおとこだからお世話になるかもしれないが、この板にもいる
一部の変態とは違うから子どもは要らないなあ
諸外国のせいでわけが判らない国内情勢でも、まだポル・ポト時代よりはGDPも人口も
ましになったとはいえ… ベトナム戦前は周辺国よりいい国だったはずなのにな。
祖国分断されてる火病の国とどっちが幸せなのかは、わからんが。
>>808 レズアン時代(1975〜85)の越南が、大量の出稼ぎを送ったのは東独やハンガリー ソ連などの東欧圏。
その後はイラク等にも行っているし、現在は台湾や韓国が多くなった。
ソ連時代のカザフスタンに出稼ぎに行っていた建築系の職人さんに当時の話を聞いたら、家族と離れていたのは辛かった(越南人は家族に密着しているので結構辛い事だったらしい)そうだが、
給料(兌換ルーブル払いだった)はかなり良く コンテナ4本分の土産を持って帰って来て、帰国時には一族全員が空港に出迎えて英雄扱いだったんだそうな。
一時期言われていたような寒いシベリアで薄給で強制労働にコキ使われ といった噺は真実ではなかったようだ。
>>809 子供系は漏れも要らんが、売春婦の主流が中学生だから困ったもんだよ。
カンボジア人の悲劇は、越南の侵食を受けて崩壊寸前の時点で 越南がフランスの植民地になった事。
それ以来、常にフランス/越南の存在なしには自立できてない状態が続いている。
シアヌーク時代(1950〜60年代)も現在もこの構図には変化は無く、恐ろしい形ではあったが自立していたのはポルポト時代だけだった。
結局、カンボジア人には国家の運営能力がないという事だわな...
日露戦争で日本が負けちまった場合の「朝鮮」より悪い状況か。陸続きだし…そら悲惨だな。
かつてはインドシナ半島の大部分を支配していたクメール帝国w
その歴史と現状のギャップが多くのカンボジア人の心理に病的な影響を与えてしまっている。
カンボジア人の多くに共通する心理は「バカにされる事への恐怖感」。
現在のカンボジアを実際に動かしている華僑/越南人/フランス人/その他の全員が内心ではカンボジア人をバカにしているのを知っているので、いったんそれが表に出ると火病に近いキレ方をする。
昔、日本に難民でやって来たカンボジア人の一家で、仕事先で毎日バカにされていた父親が、とうとう家族にまでバカにされていると思い込んで、自分以外の家族全員を殺してしまった事件もあった。
実際にカンボジア人を見るまでは「日本社会が閉鎖的で」なんて思ってたが、カンボジア人の多くに精神的異常さが普遍的に見出される事を知ってから、あの事件は特殊なものでなくポルポトの大虐殺に繋がるものであると知った。
尚、ポルポト時代を経験した連中(特に男性)に共通するのがSM趣味だとも知った。
縛り上げられてビニール袋を頭からかぶせられて窒息死して行く人間達の、絶望と恐怖と苦痛に苦しみもがく姿を実際に見て育って来ているので、性的嗜好に取り込んでしまっているらしい。
民族特有の精神病として
日本人 対人恐怖症
韓国人 火病
中国人 腎虚
マレー系民族 アモック
などがあり、カンボジア人が「切れる」のはアモックに当たるそうだ。
しかし、ベトナム人の方はカンボジア人の様にアモックになることはあるのか?
ベトナム人が激昂のあまり精神錯乱というのはあまり聞かないが…
越南人は社会的なプレッシャーを強く受ける環境(日本以上に過密な人口密度)にある事が多いので、結構 精神病の発症者が目立った。
>>814 マレーシア 幽霊付き(精霊付き)
今でも田舎の女の子とかが、精神的にストレスを感じると幽霊に取り付かれた!
と気絶したり人格が変わることがあるそうだ。
(番外アメリカ ジャンクフード症候群・・・?)
>>814 >日本人 対人恐怖症
>マレー系民族 アモック
ホロン部乙。
全部が全部そうだと決め付けてるわけでもないのに何言ってるんだ?
馬鹿だろおまえ?
819 :
名無し三等兵:2005/05/31(火) 18:07:28 ID:i9GdTt1v
>>815 日本人とよく似ているな。
その他にも
強固な村落共同体
尚武の伝統
中国への対抗意識からきた強烈な民族主義(日本の皇国思想とベトナムの南国思想など)
以上の点から来る強力な軍事力は周辺民族にとっては恐怖と嫌悪の的
料理の趣味
なんかがある。
あっちにも「東京」とか「河内」といった馴染み深い地名があるしね。
ベトナム軍のカンボジア侵攻は明らかに早過ぎた。
後四年待てば労せずして領土拡張が成功したと思われ
>>819 挙げられている文化的伝統のうち“尚武”は日本とちょっと異なっている。
日本は外敵の来寇が少なかったので、日本人同士の内部抗争に打ち勝つための“尚武”だったが、越南の場合 朝鮮のような文官偏重で軟弱な歴代王朝に対して民衆が外敵(主に中国)からの自己解放を実現するために武を選び取ったという側面が強い。
>>820 確かに早すぎた。北越南政権は当初、1980年頃を南部制圧の目処としていた。
しかし南部政権の崩壊が予想より早く進み、しかも米国がそれを見捨てるという事態に、備蓄していた戦力が丸々余ってしまった。
そこへ来て狂気の自国民虐殺と中国の支援を受けて対越南挑発を繰り返したポルポト政権を早急に打倒するために、余っていた戦力と南部の潜在的反抗勢力となりそうな青年層を徴兵してカンボジアに投入してしまった。
>>816 日本にも昔は「狐憑き」というのがあってな。
>>821 ポルポト派のテロが猩獗を極めて、統一ヴェトナム政府の治安維持能力を国境の住民がマジで疑い始めたってのもあるな。
なんせ、ほんの数年前まで敵国としてドンパチやってた相手だし、武威を疑われたらえらい事になる罠。
>>823 ポルポト派の場合、テロと言うより越境攻撃だったがな...
キツネたん萌えとかいってる人間でも知識階層として
ひどい目に合わされたんだろうな、カンボジア
日本に生まれて良かった。本当に良かった。
そういや、近代以降ベトナムが平和になったのはカンボジア撤退の後、ほんの10年か
そこらに過ぎないんだよなあ…
フランス、アメリカ、中国と戦争に次ぐ戦争の連続。
本当に凄いや。
829 :
名無し三等兵:2005/06/13(月) 08:32:47 ID:C0W7f9wD
>>822 西洋に言わせれば
どちらも「トランス」でかたずけられそうだな
830 :
名無し三等兵:2005/06/14(火) 04:35:26 ID:fpfVjDlR
世界史板で訊いても答が得られなかったので、このスレで質問させて下さい。
質問は「ベトナム戦争で米国が使った軍事費は、幾ら位なのでしょうか。」
今の米のイラクでの戦費は年に約1,000億ドルで、これがベトナム戦争を凌ぐ
という説を聞いたのですが、これが定かでは有りません。また、NYT社説に、
ベトナム戦争の8年間に米は、約2兆ドル使ったと読んだ記憶が有るのですが、
肝心なその記事が見つかりません。ウェブも調べましたが、戦費の明確な数値
が出て来ないし、普通の百科事典等にも戦費の記述が見つかりません。
例えば、戦死者の場合には、大体10万人ということが常識化しているので、
戦費のほうが一般に知られていないとしたら不思議です。勿論、当時との
インフレ修正が必要とか、戦争の期間の微妙さや、複数の数値も有り得る事も
分かっていての質問しています。(もし、このスレの人達にも分からないと
したら、もう2chで質問するのを止めます。)
最大50万人駐留させて、人件費が年間5万ドルくらいとかで概算すれば?
ベトナムではたしかに積極的な徴兵もあったけど、それでも常備軍が倍にふくれあがるような数ではなかったし、武器弾薬にしても使わなければ使わないで期限切れで処分していたものも含まれるし、これだと決めようのない議論だと思うけどね。
832 :
名無し三等兵:2005/06/14(火) 13:16:16 ID:fpfVjDlR
>>831さんのレスに謝辞。
ただ、それで換算すると、年に250億ドルで、NYTの記事に書いて有った数値の
約1/10で、かなり少ない気がするな。
今のイラクでは10〜15万人の米兵が駐留していて、年に1,000億ドル、つまり、
一人当たり年間66万〜100万ドル使っているから、武器弾薬資材なども含めると、
大体戦争には人件費の10倍程かかると思うのが妥当な所かな。
そう考えてみると、NYTの記事の数値が大体当たっているという気がする。が、
今度は、年平均でイラク戦争のほうがベトナム戦より費用がかかっているという
説が怪しくなって来る。やはり、ベトナム戦争の方が年間出費が多いと思うな。
たとえば、人件費5万ドルといったって、GIが受け取る金額は戦時加給入れても2万ドルにならない時代だしね。
大きな常備軍を持つ国が戦争に赴いた場合、実戦によって増大した金額のみを戦費とするのか、常備軍維持に要した費用の派遣人数分も加えるのかとか、比較の条件をまず決めないとね。
10年前の湾岸戦争でかかった費用は、日本に請求した90億ドルの10倍くらいじゃないかって推測もあるけど。
726 名無しさん@6周年 2005/06/14(火) 01:00:00 ID:uSQJJDau
↓こんな国にとやかく言われる筋合いはサラサラ無いんだがなぁ
☆中越戦争 ・・・中国とベトナムの間で1979年に行われた戦争
1979年2月17日、中国共産党政府は雲南と広西から20万人の中国人民解放軍をベトナムに侵攻させた。
中国人民解放軍は、ベトナム領内の占領都市を徹底的に爆破したのち3月6日から撤退を始め3月16日撤退を完了した。
この戦争で、両軍とも戦死者約2万。ベトナム一般市民約1万人が犠牲になった。
この戦争でベトナム外相が江沢民に「中越戦争の謝罪」を要請したが、
「もっと未来志向にならなくてはならない」と江沢民は謝罪を拒否。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89 コピペで回して。
別にスレ違いじゃないし、普通に書き込めば良いんだから。コピぺする必要はないと思うよ。
836 :
中国兵:2005/06/14(火) 18:31:13 ID:???
ん?
中越戦争というのは、国際的に認められた合法政権であるカンボジアを無法にも侵略し傀儡政権を
樹立した悪逆非道なベトナムに対し、これ以上の侵略を防止するために中国政府がアメリカを始め
とする主要国の承認を受けて攻撃を加えた懲罰戦争だろ?
言わばイラクのクウェート侵略に対し、アメリカを始めとする多国籍軍が懲罰を加えたのと同じことだ。
湾岸戦争を溯ること十年の時点で国際秩序を守るために血を流していたとは、中国は実に偉大だな。
カンボジアでやってることがばれちゃ困るからやったわけでしょ。
>>837 全然隠蔽の役に立たないぞ。
というか、火に油を注ぐ行為にしか思えん。
訂正
ばらされたので切れました
>>836 中越戦争の契機となったのは、越南政府の華僑弾圧政策の方が要因として大きい。
南部からのボートピープル大量流出を招いた越南政府の華僑抹殺政策ともいえる自営業の営業禁止措置には“やり過ぎ”の感があった。
南部を統一したばかりの北越南共産主義政権が、西貢(サイゴン)政権以上の大勢力であり 社会主義化の障害だった華僑集団を警戒し過ぎた故に発生してしまったといえるだろう。
もっとも、南部の華僑弾圧に対しては中国政府の対応も腰が引けていたが、ケ小平を本当に激怒させたのは北越南政権に永年に渡って協力して来た北部の華僑へ対する
強制帰化(越南国籍に入るか、全財産を残して中国へ出国するかの2者択一)という明白な中国への挑発&裏切り行為だった。
但し、米国が中国の“懲罰戦争”発動に支持を与えていた訳でもなく、単に傍観していただけ。
この時期、ウガンダもインド人追放という類似した政策をやったね。流行だったのかな。
ノロドム・シアヌークと貴乃花の類似点について
>>841 欧米の民族主義者が19世紀からやってきたことを真似しただけじゃねーの?
ジャングルでの戦闘は、米軍はどのぐらいの心積もり(ソフトハード両面)で
臨んだんかな。
大戦ではニューギニアとかを転戦してるけど
中米はおれんち感覚だから決しておざなりな準備ではなかったかと
輸送システムの問題で本国からは送り出しているのにそれらを実際に使用する
最前線の部隊では慢性的な弾薬不足に悩まされてた、ってのは洒落になりませんよね。
仕方ないから軽装備で出撃しておざなり程度に空爆してさっさと戻ってくるって感じで。
荷揚げ←→輸送ルートの間に相当な物資が消えたそうで。
>>847 補給部隊がしょっちゅう襲われたりもしたんでしょうかね
>>848 南ベトナムのハイエナ高官に襲われたんだろうな。
自衛隊がベトナムに派遣される可能性とかは当時なかったのかな?
>>850 征途みたいなケースは有り得たのかなー?
安保紛争以後、自民党政権は
「日本に軍事要求を強めると、60年のときのように暴動が起きて
日本は共産化しかねませんよ」という言い回しで米国の要求を封じ
「その代わりに後方協力で貢献しますよ」という外交姿勢でずーっとやってきてるもの。
自衛隊がベトナム派兵なんて、そんなの米軍が日本占領でもしなきゃ無理。
いや、派兵といっても後方支援くらいのもので。つまりは派遣か。
安保闘争がなかったらいまのイラク派遣のように自衛隊も行ってたのかなあ。
実は秘密裏にオメガが(PAM!
>>852 なるほど。イラク派兵してるから今は米軍占領下なんだな。
>854
状況は変化したのですよ。
四十年近く昔のころと今とを同一視してどうしますかw
↑ モレシャンかよ
太平洋戦争では火炎放射器をガンガン使ってたけど、
ベトナムでは見ないな。
有効ではなかったのかな?
建物とか洞窟とかトーチカ、塹壕といった場所に立てこもっている相手には有効でも
常に移動していて神出鬼没な相手には使いづらいんでは。
遮蔽物といえば植物程度しかないだだっ広いところで撃ち合いが始まっちゃったら
爆弾みたいなのを背負って飛び出したくないYO。
>857
伝聞で恐縮だが
農村のコメがベトコンに供給されていたので
農家のコメをかき集めさせて
火炎放射器で焼き払っていたとか。
それをやっていた米軍部隊の事をライスバーナーと呼んでいたとか。
もしかして戦車・装甲車のたぐいの活躍の場は少なかった?
ダナン上陸のときに使われてたし、投入はされてたとは思うけど
どのぐらい戦果を挙げ、被害にあったのやら
歩兵のダイレクトサポートに使っていたんだから、すげー地味だろーな。
相手は歩兵ばかりだし・・・戦果と言っても・・・
末期ともなればT55相手にガチバトル展開して
ましたけどね。
>>860 現場の要望でM113の車長キューポラにシールド付けたりして
移動式のトーチカとして活躍してましたよ。
>>戦車
どっからともなくRPGがガンガン飛んで来る戦闘には不向きだね。
>>860 一度だけ1500人の兵士と10タイプの装軌車からなるリメージェン機動部隊というのを作り、
43日間に渡ってかなり広範囲な地域で作戦を行った。
国道9号線を西進しケサンへ入り、ラオス国境沿いの偵察。
ジャングルをドーザーで切り開き川に架橋し・・・
86両の戦車のうち50両が機械的故障をおこしたが、
補給は2時間以内に届き一両も放棄したものは無かった。
NVAとベトコンはラオス領内に逃げ込み、機動部隊はNVA制圧下にあった926号道路を遮断している。
敵の確認殺害数73人・・・・・・軍事的には無意味に近い作戦であった。
結果として成功を収めたが一人の中将のわがままと言える、実験的な作戦に過ぎなかった。
機甲部隊の最も適した任務は歩兵の支援ではなく、
独立した攻撃軍としての(しかもロクな通信手段も持たなかった)作戦にあるということをスティルウェル中将は試してみたかったのだ。
が、こうした作戦における技術と兵站などのノウハウはかなり得るところが大きかっただろう。
ロケットを発明した国から大量流入という歴史を知らないキミは何歳か是非教えてください。
RPG-2およびRPG-5だったっけ?
北鮮がロケット教の開祖を主張してますが(笑)
朴李民族はどうしようもねえな。
…5? クマー、なのかマジなのか悩む所だ。
nva-rpg2
つうか兵士の服装で分かるだろ。
忘れないで.......ビンセント....ラングライリ
>>875 すげー・・・この程度の知識だけで軍板出入りしてるヤツっているんだ・・・・
少し感動した。
1961年には無印RPG-7が出てる。
>>879 仲間がいてよかったじゃん。
(本当に博識な香具師はお前みたいな反応は絶対にしない。)
無能 発見(*゚Д゚) ムホムホ
>>881 はー?自分が博識だなんてこれっぽっちも思っちゃいないけど?
RPGがベトナム戦争で使われてたことぐらい、
全然軍ヲタじゃなくてもベトナム戦争映画見てれば知ってる可能性もあるぞ?w
かっこいーねーお前w
>>875が何を根拠にアフガンと判断したのか知りたい。
ベトナム戦争映画見てれば知ってる可能性
>>885 あ?例としてあげただけだろ?
映画の内容にを無批判に飲み込むとかありえねーだろ。
なんか文句あんのか?一行レス君よ。
無能 発見(*゚Д゚) ムホムホ
アメリカ軍が前哨所防衛の決め手としていた弾道レーダー(対迫レーダー)が、RPGに対しては通用せずに非常に困ったとかね。
複数束ねてタイマーで発射するみたいな仕掛けも多用された。
RPG等の榴弾対策の為
空の弾薬箱をM113にぶら下げてたらしい。
ベトナム戦争映画見てれば知ってる可能性w
どうして休みの日はこんな流れになるんだろう。
>>884 もしかして 875はソ連軍のアフガン侵攻直後に投入されたと噂される、越南軍出稼ぎ部隊の存在を“あえて”示したかったんじゃないのか?w
>>887 そのAAと喋り方、ニュー速の基地外コテハン連想するからやめて
894 :
名無し三等兵:2005/06/20(月) 20:22:50 ID:wifdFvFc
誰かはなそう!!
グリーンベレーマンセーしよう
896 :
名無し三等兵:2005/06/20(月) 22:02:11 ID:nXYsCmr+
ヴェトナム当事のSEALSの写真やビデオを見てるとピッチピチのブルージーンズを履いているのをよく見ます
濡れると動きずらいように思えるんですけど何か意味があるのでしょうか??
つまんねえ規則はクソ喰らえだ、というチンピラ根性で〜〜す
という意味です。
あれは実はジーンズに似せたウェットスーツなんですよ。
マジレスすると、過酷な作戦環境でジーンズぐらい丈夫でないともたなかったから。
当時流行ったスタイル(すそをぎざぎざに切りっぱなしにする)してたり、おしゃれしてたりもするが。
それと、水兵にはデニムは身近な素材だぞ。ダンガリーが制服にある。
これが本当のマヂレスだが、あれはすっぽんぽんの上に描いてるんだよ。
よく見ると真ん中にホルスターを吊ってるだろ。
地肌を紙やすりで削ってるってきいた。
米軍艦が定期寄港するらしいね
903 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 22:32:09 ID:n+Otu/Ut
ケサン基地は何であんな簡単に落ちたんだ?
PT-76戦車などゴミなのに・・・
>ケサン基地は何であんな簡単に落ちた
ベトナム軍の攻勢は頓挫しましたがなにか?
バカじゃねーの
(´▼`)オマエガナー
908 :
名無し三等兵:2005/06/28(火) 16:24:42 ID:MmNUsJAS
RAMBO2、3ホウリュウkibonn
912 :
名無し三等兵:2005/07/02(土) 20:07:02 ID:5x9NU95Q
サイゴン陥落時、日本人や西側諸国の民間人はどうやって脱出したのですか?
それとも数週間前から順次避難&渡航禁止とか?
西貢(サイゴン)陥落時に逃げ出したのは米国系の人間だけで、欧州諸国や日本人/韓国人の多くはそのまま陥落を迎えた。
その後の西貢は急速に共産化されるが、韓国人は6,000人近くが残留し続け、ドイモイ後の韓国企業の越南進出成功の先兵となった。
西貢に入城した解放戦線軍/北越南軍はともに軍規厳正で、一般人への略奪強盗といった事態は発生せず、世界は安堵した。
これは、先立って陥落したプノンペンにて、その後の大量虐殺の幕開けたる 都市住民の強制移動が行われていたため。
>>911 たしか「鉄壁の壁 万里の長城」
とか言うオーストラリアで製作された
人民解放軍のドキュメンタリー映画では
「トンネル戦争」とか言う題名で
取り上げられていたね。
私のテレビで見たベトナム戦争
大使館の前で手を合わせたまま燃え盛る仏僧、そしてその後ろで泣き叫ぶ人たち
道の真ん中に後ろ手に縛られたまま引き出されて、おもむろに頭を打たれ、射殺される
ベトコン被疑者
田んぼに囲まれた田舎道を泣きながら、頭をナパームの火に包まれながら
走っていく丸裸の女の子(写真でしか見たことがないが、ビデオが実在するらしい)
大使館の銃撃戦、白いシャツが血だらけだ。
航空母艦からチョッパーを数人がかりで海に捨てている映像
少年時代、テレビで見ていたが、意味が良くわからなかった。
今は、わかるが、それらも忘れ去られようとしている。
これらの画像はリアルタイムではなかったように思う。しかし、アメリカではリアルタイムで
一家団欒の食事時とかで、見ていたのではないかと思う。
厭戦傾向になっていったのは至極当然ではないかと思う。それだけ。
テト攻勢までの米国のTVで流されていた越南戦の映像は、米兵が敵を掃討する様子や越南人相手に楽しい行事を開く様子などが多く、むしろ米国優勢を伝える内容だった。
しかし、無差別に届き始めた徴兵カードや戦死を告げるためにやって来る軍人といった存在が日常生活の中で目立ち始め、TVで流される映像に付く解説に違和感を覚える人達が静かに増え始めた頃、テト攻勢での大損害が伝えられた。
このニュースは越南での勝利が遠のいた事を告げ、米国世論の大勢は厭戦へと傾き 政府への信頼も また戻る事はなかった。
終わってもう30年。
先月は米越首脳会談。
来年はブッシュが訪越らしいね。
>>914 トンネルって手で掘っていける?ツルハシとかスコップ使うのかな?
やっぱりドリルや掘削機とかのイメージがある。
日本は防空壕があったようだけど、トンネルとかじゃないし。
すごい技術が要るような気がするなあ、、
NHKでみたベトナム特集では、ホーチミンルート開発とか、石油パイプライン
建設、あと地下にある頑丈な軍事会議室とか、すごいのがいっぱい紹介されてた。
本当にすごいよ、ベトナム人は。
栗林中将に謝れ! 大田少将に謝れ!
>>918 当然ながらトンネルを掘るのにはツルハシとスコップとモッコが要る。
現在の日本のようなモグラ型のトンネル掘削機があった訳ではないので、あのトンネル群は全て越南人の手で掘られた。
ボーグエンザップ将軍によれば、ディエンビエンフーの戦いでも 仏軍陣地へ迫るための塹壕堀りのため、ツルハシとスコップがこの上なく重要な武器になったそうだ。
尚、日本でも戦時中の突貫工事で建設された松代大本営に巨大なトンネル群があった。
東京が相模湾や九十九里と想定されていた米軍の上陸により東京を放棄せざるを得なくなった事態に備えて、大本営と昭和天皇の御所を移す先として建設されたものだった。
戦前の日本は そこそこの工業国だったが、建設にあたっては893が集めた大量のドカチン(かなりの数が朝鮮人だった)を動員して人力で掘る方法が採られ、過酷な労働から多数の死者が出た。
この手法は、幽霊トンネルで有名な常紋トンネル(近年コンクリ土台から多数の死体が発見された)と同じ手法で、軍からの仕事を請け負っていた○○組といった現在のゼネコンの母体が提案/仕切った仕事だったようだ...
>>建設にあたっては893が集めた大量のドカチン(かなりの数が朝鮮人だった)を動員して人力で掘る方法が採られ、過酷な労働から多数の死者が出た。
ホロン部か?
>>921 朝鮮人が嫌いなのは構わんが、松代大本営の建設にあたって大量の朝鮮人が死んだのは事実だ。
事実は事実として受け止めた方が宜しいw
924 :
名無し三等兵:2005/07/03(日) 23:47:11 ID:/SkELmQi
ベトナム独立史の裏面に日本人の血涙 井川一久 元朝日新聞編集委員
血で結ばれた国際関係は何よりも強い。だがベトナム独立戦争(一九四五〜五四年)に
命懸けで参加した日本人の事跡は、当の日越両国ですら意外に知られていない。
日本軍諸部隊の将兵が、ベトナム全土で続々と離隊(脱走)し始めたのはそのころである。
筆者らの調査によれば、離隊者約八百人のうち少数(約十人)の民間人を含む約六百人が
ベトミンの戦列に加わり、その半数以上は戦病死した。「新ベトナム人」と呼ばれた彼らの墓は
随所にあり、一部は各地の「烈士墓地」に葬られているが、すべてベトナム名なので本名の
確認は不可能に近い。
同年六月、ベトナム中部のクァンガイ市にグエン・ソンを校長とする陸軍中学(北部のチャン・
クォック・トアン武備学校と並ぶベトナム初の士官学校)が設立された。
生徒約四百人の大半が後年ベトナム人民軍の上・中級幹部となり、対米戦争(ベトナム
戦争)で作戦参謀や連隊長級の野戦指揮官として米軍を苦しめたことは、彼ら日本人の指導
がいかに優れていたかを示唆している。
これまでに公式記録などから判明した日本人受勲者は三十数名である。
彼らの活躍が独立戦争初期の戦局展開に決定的な意味を帯びていたことは、人民軍古参
幹部の多くが非公式に認めるところである。にもかかわらず彼らの功績に触れることは、
ベトナムでは長らくタブーとされ、現地遺族の会合すら憚られる空気があった。九〇年代初頭
までの険悪な日越関係などが原因だろう。
しかし近年、両国関係の緊密化につれて、このタブーは大幅に解け、ベトナム国防省戦史
研究所までが筆者らの調査に協力姿勢を見せ始めた。(以上、抜粋)
http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/chikara19_8.shtml
日本を捨てた兵隊だ。
926 :
名無し三等兵:2005/07/04(月) 00:18:25 ID:HsmWNMdB
ディエンビエンフーの戦いに日本人元将校が貢献したというのは本当か?
ベトナム共産党はそもそも兵隊達の貢献を殆ど省みなかった
(そして党関係者で利権を独占した)という小暗い過去があるからなァ。
越南労働党は独立達成後に、独立戦争に加わった多くの日本兵に帰国(事実上の強制退去)を命じている。
これは当時最大の支援国で日本とは戦争状態が続いていた中国に配慮した結果だったが、その後 中越関係が悪化した後の支援国であるソ連とも日本は対立関係にあった。
こうしたタガが外れて歴史を再認識できるまで生活水準が向上したおかげで、現在の旧日本兵再評価へと繋がっていると言えよう。
もうスレッドも900前半だな。
ベトナム戦で言えばラインバッカーIIが終わって
パリ和平協定の辺りだな。
民主カンプチアによるプノンペン解放の時期だな。
933 :
名無し三等兵:2005/07/05(火) 01:06:47 ID:kTiN2jQk
ヤングチャンピオンの漫画みた?
銃器描写が下手糞で話題沸騰
ア ジ ア 無 頼 だろ?
>>904 ケサンでは確かに北ベトナム軍の攻撃を撃退した米軍だが
結局68年7月には自身で基地を放棄してるからなあ
しかもテト攻勢後も猛攻を続ける北ベトナム側を揺さぶるために
ジョンソンが「北爆停止の用意あり」というカードをきらざるをえなかったし
北ベトナム軍は大損害を出して包囲攻撃自体には失敗してるけど
最終的には、ホーチミンルートへの重大な脅威になる機動軍の基地の
無力化に成功した
936 :
名無し三等兵:2005/07/07(木) 15:11:41 ID:HkKtglJF
アジア的優しさage
冥福。
ナム。
両軍の海軍はどんな働きだった?
北爆で艦載機がある程度働いたことしか知らない
>>937 敗軍の将 兵を語らず...
パットン戦車軍団出身のウェストモーランドにとって越南という戦場はあらゆる意味で彼の理想とはかけ離れていたようだ。
幽霊のような敵。解放したはずの農民が見せる裏切り、薬物に溺れる兵士達...
ウェストモーランドはファティーグ姿がよく似合ってた。
エイブラムスはあまり似合ってなかった。
>>935 ウェストモーランドが配置換えにならなければ、放棄はなかったかな?
第2のディエンビエンフーと散々言われていたから。
>>943 放棄しなければ越南側の延々と続く攻撃を受け続けて、救援と航空機での物資支援によって巨額にかさむ維持コストで、本当に米国にとってのディエンビエンフーになってただろう...
>>940 米海軍の艦艇だと戦艦や重巡が沿岸付近にある目標に艦砲射撃を加えたり。
駆逐艦か何かが空母に接近してきたMigをミサイルで撃墜なんてのもありました。
あとはブラウンウォーターネービーがデルタ地帯を中心にあれこれと。
ヤンキーステーション
Brown Water Navyとか
海兵隊が自前でボート運用すると後が五月蝿いと思って、セイラーを出したのが本音でしょ。
どんな強い軍隊もゲリラ戦には勝てないという現実。
旧軍もそうだが。
戦闘で勝っても戦略的不利を崩せない、ってのは別に珍しい話でもなんでもない。
「ゲリラ」が正規軍相手に生き延び続けるには、かなり戦略状況がゲリラ側に有利でないと無理よ。
ゲリラ戦ってのは負けないけど勝つこともできない戦い方だからな。
勝つにはどこかで戦い方を変えなきゃならない。
相手国に沿線気分にさせて撤退には追い込める。
実質勝利。
地の利がある、侵攻された側にとってはこんな良い戦い方もないようだな。
なんか惨めだが。
抗日って言い方も、下から上へあがらう意味を感じされる事に
奴らは気づかない。
「下から上へあがらう」というのはカッコイイと思うんだが。
ボコボコにされたヒーローが最後には立ち上がって傲岸不遜な悪漢を打ち倒す
というのはアクション物の基本だし。
957 :
955:2005/08/02(火) 21:20:52 ID:???
>>956 (´Д`lli)ゞ OK!勉強になりました!
「自由のためなら鬼となりー♪あらがう大人にとどめさすー♪」
こういう使い方でいいんだね。
>954
「国」が救われるためならいくら国民の生命財産が失われようと気にしない、っていう
人権思想が存在してる国では到底選択できない方法だけどな。
独立戦争以来、アメリカ人のほとんどはいざとなれば銃を取ってゲリラ戦をする
覚悟が出来ているわけだが。
「我に自由を。しからずんば死を!」
だな。ホ・チ・ミンも合衆国独立宣言をヴェトナム独立宣言で引用してるし。初志忘れるべからず。
ホーチミンは米国に敬意と好意を抱きつつ、やむなく長期戦を戦う羽目に...
越南戦争はボタンのかけ違いを最後まで直せなかった戦いだったとも言える。
ベトナムしかり、キューバしかり。
イデオロギーに変にこだわったせいで敵を増やしてしまった、戦後アメリカ外交の失策のひとつだ罠。
俺のイメージは、ゲリラ=土地の住民の支持を得ている武装集団だから、
そんなの相手に戦争したら、正規軍でもきついと思う
土地の住民の支持があっても、外部からの兵器の供給先がなければダメ。
土地の住民が支持してくれても、絶対安全な隠れ家を提供してもらえないのではダメ。
むろん土地の住民の支持がなくてはどちらもかなわないけどね。
保守
ゲリラが住民の支持を得ているというのは幻想だよ。徹底的な報復による恐怖統治。
>>966 そう・・・住民はゲリラに従わないとゲリラに殺され、政府軍に従わないと政府軍に殺される・・・・
大変だよなぁ・・・
越南に限定すれば、ベトコン(越共)と南部住民の関係は幻想ではなかったようだ。
米兵はもちろん、その支援を受けた南越南政権は南部住民の政府ではなく、北部からやって来たカトリック系の難民が権力を握っていて、徴税を巡って常に南部住民とは対立関係にあった。
南部住民の利益を代表する武装集団としては、フランスが育成したカオダイ教団が存在し 西貢政権との抗争(テロ攻撃)を繰り返していたが、より住民の支持を得たベトコン勢力の伸張に押され、テト攻勢を受けて西貢政権と和解してしまった。
農民が徴税を嫌がるのは当たり前のことであって、納税に協力しないと何が起こるかが問題なのよ。
訳のわからない“西貢政府”なる存在の派遣して来た徴税吏に納税しても、自らの利益になる見返りは全く無く、納税を拒否すれば「お代官様、ご無体な!」な要求を突きつけられる。
それならベトコンさんに頼んでAKやブービートラップでやっちまえ、となってしまったのが南部越南の農村だった。
これに米軍が輪をかけて農民を強制移住させたりしたおかげで、“西貢政府”は農民の支持を永遠に得る事が出来なかった...
本来戦争の一方の主体となるべき西貢政府が
「共に働き、共に食い、共に戦う」というVCのやり方を一向に真似もできず
アメさん直営のMIKE FORCEだけがかろうじてヤード相手にそれをできた、
という事実が端的に語ってるな
ベトナム=ホーチミンの手法が勝利につながったのは
単にゲリラ戦をやったというだけではなく
敵が正規戦を望めばゲリラ戦に、対ゲリラ戦に乗り出してくれば正規戦に
敵が戦闘でカタをつけようとすれば外交交渉で、敵が外交交渉でくれば戦闘で
と、常に戦場を自分達側が主体的に選んで、敵の有利な土俵に持ち込ませなかったあたりだ
それと、ジャン・ラクチュールが書いてることだが
ホー大統領が常に「目標は極力単純に、味方は極力多く、敵は極力少なく」という
原則を軍事、政治の両方で守ってることだな
二次大戦中は日本、ヴィシーフランス両方を敵とするため米OSSの支援を受け
対米戦争中は逆にフランスを西側の数少ない同情的外交相手として活用した。
独立後、仏軍が再進駐してきた時は、フォンテンブロー予備会談でも多くを望まず
「フランス連合枠内での独立」を主張、あくまで独立の既成事実化を優先したし
ジュネーブ協定でも、2年後の統一選挙の線で妥協、
対米戦も、まず「南ベトナムにおける非米、ジュネーブ協定遵守勢力」擁立
という手法をとった
そう、米国と西貢政府が勝てなかったのは、ホーチミンだったんだよね。
アイク政権当時からホーチミンと対決したニクソンの“ノーモアベトナム”には、序文から異例のホーチミンへの悪口雑言罵詈が書かれているが、ニクソンにとって最後まで超えられない壁がホーチミンだったと、自ら告白していたようなものだった。
越南人にとっての最大の幸運はホーチミンがいた事、そして最大の不幸はニクソンがホーチミンに挑み続けた事だったかも。
973 :
名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:46:51 ID:5FluvILj
>>971 てことはホーチミンがもうちょっと長く生きていれば、
ベトナム戦後の歴史ももう少し違った物になったのかもしれないね。
>>973ホーチミンが無名の内に死んどけばベトナム戦後の歴史
(主にと言うかポルポト関連がメイン)も健全になってたかもな
運に見放されて沢山死んだカンボジア人カワイソス
ニクソンの子孫がタイムマシンを使って子供の頃のホーチミンを暗殺、って失敗してホー少年に天命を悟らせるきっかけになりそうだなw
ホーチミンは、明らかに歴史が望んで その役割を与えられた人間だよ。
彼はその役割を見事に成し遂げ、ちょうど良い時期に去って行った...
>>975カンボジアで死んだ300万人も歴史が望んで
その役割を与えられた人間だな。
↑カンボジアで死んだ300万人(以上?)については、ホーチミンよりもポルポト/ニクソン/シアヌークにこそ、その責があるのではないかな?
サロトサルだった頃のポルポトはベトミンに参加しているが、越南人が越南の事にしか興味がないのに失望して脱退している。
その後、西部山岳地帯の少数民族を母体にポルポト派を立ち上げるが、並行して存在した南部越南のベトコン勢力とは ほとんど無関係に勢力を拡大している。
当時のポルポトにとって最大の打倒目標はシアヌークだった訳だが、当のシアヌークは西貢政権を弱体化させるためにベトコンとその補給路を保護していた。
この状況がごちゃ混ぜになるのは ニクソンのカンボジア侵攻からで、ベトコン/シアヌーク/ポルポト派は反米で協調してしまう。
そして、ニクソンの侵攻からポルポト派はベトコン補給路から届く中国経由の近代兵器を入手し、親米勢力だったカンボジア国軍を打倒してしまった。
このホーチミン死後の事態の、いったい どこに彼の責任が発生するのかな?
>>977最大かつ唯一の責任は戦争に勝ってた事。
負けてたらカンボジア侵攻も起きずに百万人以上も死なないで済んだ。
↑それでは半島人の斜め上論旨になってしまうよw
しかも、ホーチミン存命中の北越南は、戦争に勝っていたとはとても言えない状況だった。
唯一“負けない”事だけで米国を消耗させ、西貢政権を機能不全状態に追い込んでいたに過ぎない。
>>850 事実かは分からんが空挺団の隊員を秘密裏に派遣したって話はあったらしい。
一度自衛隊を除隊させ、米軍に参加させ、帰国後に再入隊?
小林源文の本に少し書いてある。
噺には聞くが、日本国が関与していたものなのかどうかと言う点になると怪しい。
除隊した自衛官が米軍に入隊したり、米国市民権欲しさに志願した在米日本人も居る。
航空自衛隊のF-4パイロットも、72年に交換研修員の名目で
コラート基地の388th TFWに派遣されたという話がある。
なんでもラインバッカー作戦に参戦したという話だが(w
>>982 米空軍の機材を飛ばしてたのか?
F4EとF4EJって、同じ滞空証明なんだっけ?
たかだか数人程度のパイロットに実戦経験積ませたところで
得るところは少なそうだけどなあ。
コンドル軍団みたいに、飛行隊単位なら判らなくもないけど。
985 :
984:2005/08/16(火) 23:09:50 ID:???
>>983 錬度の高い米軍に、わざわざ「義勇兵」を乗せる意味が米軍にはない。
朝鮮戦争のロシア人パイロットも、越南の北朝鮮パイロットも、
部隊単位の派遣だったんじゃなかったっけ?
ROTC取ってた留学生がそのまま出征した話なら読んだことがある。しかもLRRPだと。
>>985 可能性としてあるのは、かつての観戦武官のような扱いでの搭乗じゃないかな?
米軍にとっての空自は、あくまでお客さんだろう。
朝鮮/越南での第三国(参戦していない国家)空軍部隊の参戦とは、ちと異なる。