☆信じられないが、本当だPart13

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478ジーナ
 1943年6月4日、左翼エンジンが2基とも停止するほど損傷を受けたハロルド・フィッシャー機長のB-17が、一機本隊から落伍しつつも懸命に基地に帰るべく飛んでいた。
と、そこに「戦闘機接近!」との警報を機銃手が叫ぶ。一瞬クルーに緊張が走ったが、それが見紛える事がないほど独特なP-38のシルエットだと認めて安堵した。
 フィッシャーは超短波通信で護衛を頼むと、P38は後上方の守備位置につき・・・B17に機関砲の連射を浴びせかけた。全く油断していたフィッシャーの機は海面に叩き落されるほかなかった。
 こうしてクルーと愛機を失いつつも辛くも生還したフィッシャーによってP38の裏切りが明らかとなり、情報部によってこのP38を駆っているのがイタリア軍のギドー・ロッシー中尉であることが判ってきた。
ロッシーは、ムッソリーニ直々の許可を得て鹵獲したP38の米軍塗装そのままに、落伍機狩りに精を出していたのだ。
 復讐に燃えるフィッシャーは、16丁の機銃を積んだ銃撃専用型B17“YB-40”に乗り込み、爆撃編隊から落伍した機を装ってロッシーのP-38を返り討ちにする案を提出し、許可された。
 それから暫らくの間、フッシャーはロッシーを釣るべく編隊の殿を飛び続けたが、ロッシーは本物の落伍機撃墜のスコアを重ね続け、全くYB-40の相手をしなかった。
479ジーナ 続き:04/06/30 20:32 ID:???
 必死になったフィッシャーは、情報部から連合軍の占領地域コンスタンチーヌにロッシーの妻子が居るとの報告を受けると、すぐにロッシーの妻ジーナのアパートへ面会に向かい、
それから基地にとんぼ返りすると、中隊所属の絵描きにYB-40の側面に黒髪の美人像とジーナという名前を大書きさせた。
 8月31日フィッシャーのYB-40“ジーナ”号は、ピサへの爆撃編隊とともに出撃したのだが、ドイツ軍のMe109によって右翼エンジン2基ともが停止するほどの損傷を被った。
現実に落伍機になってしまって、囮どころの騒ぎではなくなっていたとき、副機長が単機のP-38を発見した。
 そのP38は片方のエンジンをフェザリングし速度を落としつつ近づいてくると、パイロットが手を振っているのが見え、そして無線で爆撃機と共に帰投したいと呼びかけてきた。
フィッシャーはこれに応じて、重い弾薬と機銃の投棄をクルーに命じた。
そのとき、「粋な名前だな。ジーナってのは・・・彼女はコンスタンチーヌ出身かい?」とP38からの通信ががあった。ロッシーだ!!フィッシャーは慄然とすると、すぐに機銃投棄中止を命じたが、すでに左後側部と通信士は機銃を捨ててしまっていた。
 次の数分の間、フィッシャーはジーナ・ロッシーと過ごした夜について惚気話でっち上げて時間を稼いだ。ロッシーはまんまと釣られ、逆上するや喚きながら方エンジンを再起動し、前方から攻撃をかけようとした。
 今だ!YB-40の二つの前方砲塔は、ロッシーのP38を捕らえた。P38の補助翼は飛びエンジンからは火が噴出した。
しかしロッシーはあきらめず、フィッシャーに体当たりを試みようとしたが、コントロールを失い、結局果たせず海面に着水した。
着水したP38の翼の上に立ち、拳を上げて挑発するロッシーを機銃掃射すべきだと言うYB-40のクルー達をフィッシャーは諌め、そればかりか海空急難隊にロッシーの位置を通報してやった。

その後フィッシャーは、ベルリン空輸従事中に事故で亡くなったが、その死を悼む者の一人に、ギド・ロッシーがいた。