ロシア最高の戦車T−34

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1名無し三等兵
もまいら、今こそWW2最高傑作戦車を語りつくせ!
2名無し三等兵:04/04/20 00:55 ID:???
勃起障害
3名無し三等兵:04/04/20 01:02 ID:???
自営業阻止砲火

そういや,「T-34は戦車じゃ無い!」と叫んでたコテは
何処に消えたんだ?
4名無し三等兵:04/04/20 01:13 ID:???
確かに見た目的にはWW2最高だと思う。
5名無し三等兵:04/04/20 01:14 ID:???
まとめ

・接地圧が低いので不整地に強い
・傾斜装甲
・1941年としては大口径76.2mm砲を装備
・大量生産

が良い点

・乗員が4名で足りない
・照準器が安っぽい
・無線が無い

は後期に改善されたが、

・車体前面が傾斜45mmのまま
・最初の6発以外は砲弾を足元のゴムシートを取ってから持ち上げなければならない

欠点は残った
6名無し三等兵:04/04/20 01:23 ID:???
また厨房の糞スレか!
7名無し三等兵:04/04/20 04:42 ID:???
溶接搭乗口も長所に含めておいてくれ。
8名無し三等兵:04/04/20 14:15 ID:JCd2TrDp
そらん製造
9名無し三等兵:04/04/20 14:21 ID:???
しかしなんでソ連最高じゃなくてロシア最高になってるんだ?
10名無し三等兵:04/04/20 14:31 ID:???
ロシアにはこの先T34以上のヒットは作れないという嫌味だろうか
11名無し三等兵:04/04/20 15:02 ID:???
つまり現在の技術力でT-34を再現すれえjkfh

チョット、シベリアマデイッテキマス
12名無し三等兵:04/04/20 16:51 ID:???
ああ、あのごみね
13名無し三等兵:04/04/20 17:13 ID:???
戦車の性能も大事だが戦車兵の能力や戦術も大事
14名無し三等兵:04/04/20 17:36 ID:???
最も大事なのは「勝利すること」
15赤色大元帥:04/04/21 20:54 ID:???
>>5
乗員4名は、実は41年の段階で解消されてる
予定だったんですけどねぇ・・・。
16名無し三等兵:04/04/23 15:31 ID:???
>15
T-34Mは2人用砲塔で、T-43は42年開発でそ?
41年で解消は無いと思う…
17名無し三等兵:04/04/23 20:44 ID:???
Mが3人用だよ。
18 :04/04/24 23:00 ID:???
3号とか4号とかは装甲厚をだんだん増していったが、T-34みたいな傾斜装甲だと、設計変更はやっぱりきついのか?
前面だけでも80-90mmぐらいにできればな。
1916:04/04/26 05:38 ID:???
>17
すまん、Mが3人用砲塔って出てるソース教えてくれないか?
そうだったのかーってこの週末に使用あさってたんだけどわからなかった…
2016:04/04/26 05:40 ID:???
×使用
○資料

失礼しましたー
21名無し三等兵:04/04/27 14:19 ID:???
いろいろ見たが手持ちが今少ないんで、とりあえず明記してあるのはP誌2000/5だな。
他の資料を持ても乗員は5名だし、確かあのキューポラにはハッチが付いていたので3人用だろう。
22名無し三等兵:04/04/27 21:13 ID:Mw7OGktl
 
23名無し三等兵:04/04/27 22:06 ID:vE2UwdId
しかし、人間リアクティブアーマーはたまらんな。
24名無し三等兵:04/04/28 20:38 ID:???
>>23

タンク・デサントの事かい
2516:04/04/28 21:27 ID:???
>21
THX、でもP誌2000/5は持ってないんだ…
26名無し三等兵:04/04/29 01:42 ID:???
戦争中どこの工場でつくっていたのですか?
ドイツ軍に何処も爆撃されていたと思うのですが…
27名無し三等兵:04/04/29 01:48 ID:???
ドイツ空軍に何処もかも爆撃する能力は無いんですが

大体からしてドイツの爆撃機は「短足」です
ウラル爆撃機が何故計画されたかよく考えてみましょう

生産工場はここを読んで
ttp://homepage3.nifty.com/tsaoki/maniacs/t34/taxonomy/zavod.htm
28名無し三等兵:04/04/29 02:00 ID:???
>27
ありがとうございました
29名無し三等兵
>>26-27
実際にはソ連の戦車工場の一部はドイツ軍に爆撃されている。
例えば、第4航空軍と第6航空軍のHe111は1943年6月にゴーリキーのソ連戦車工場に対して
合計7回の夜間爆撃を行い、延べ684機が1015トンの爆弾を投下した。(損害は6機のみ)
結果、第112工場は無傷だったが、T-60、T-70とT-34の部品を製造していた国営第1自動車
工場は大損害を受けて全面操業停止に陥ったと、後に空軍情報部は捕虜の尋問で確認している。