【用兵】次世代の戦略ドクトリンとは?【組織】

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さて、そこで突然名無しロサ・カニーナに戻るわけですが、今私は森義信氏の「西欧中世軍制史論―封建制成立期の軍期と国制」を読んでおります。
最近めっきりチェコづいているのですが、とにかく欧州史は面白いので本を読み始めると止まりませんね。

さて、スレ違いな雑談だけで反しを進めるのも気が引けますので、スレに適切な話でも。
本来は、別スレでおきゅきゅきゅきゅ〜様へのレスとして考えていたネタではあるのですが、上手くまとまらないので、ざっとアイデアだけをここに。

現代の人間を生存ならしめているシステムは、物流と生産を有機的に連接し、そこで生産される財に対し発生する付加価値を、独立した財として再評価する事で再生産可能とする事によって蓄積される財へと変換させるものであると、私は考えております。
物流と生産の連接が密接ではなかった時代においては、生産と物流はあくまで需要に対する供給という意味において存在したのに対し、財の再生産というサイクルが成立した現代では、需要=消費は、財の再生産過程の一つとなりました。
この場合、蓄積された財は消費財と生産財とに分類され、消費財の消費は財の生産の過程の一つとなり、消費によって生産された財を生産財に転化するという意味でシステムの中に組み込まれることになります。

問題は、この「需要を満たすために供給する」という生産と物流の関係が、生産そのものが自己目的化し、そのために需要を創出するというシステムを発明したのか、という点にあります。
需要を常に増大させ、消費を増やし続ける事によって、初めて財が有する価値を財へと転化する錬金術が成立するわけですね。
以上の再生産のサイクルは、かつては一国とその植民地内での循環でまかなえておりましたが、第一次世界大戦以降、この戦争需要によって強化された再生産のシステムは、もはやかつてのサイクルではまかなえないほどに大型化してしまったわけです。
このシステムを世界的に敷衍する事が、アメリカの第二次世界大戦後の国家戦略であり、さらそのシステムの管理を一手に独占することによって、再生産される財の蓄積を自国に集中させようと言うのが、彼らの変わらぬ国家戦略なのではないでしょうか。

第一次世界大戦以前においては、戦争はこのサイクルの適用範囲を広げるためのもの、つまり植民地及び領土=市場獲得のための手段でした。
しかし、第一次世界大戦によって財の再生産のシステムが肥大し、全世界規模での市場の獲得が不可欠となった事で、軍事力はこのシステムを維持するための暴力的調整機能が重視されるようになったのではないでしょうか。
第二次世界大戦においての連合国側の戦争目的は、閉鎖的な経済圏の確立の阻止であり、そのために閉鎖的経済圏確立を目的としたナチス・ドイツやファシズム・イタリアを打倒しなくてはならなくなったわけです。

現代の世界規模での経済システムは、その理念の基本が登場したワシントン体制とその政策的集約であるハル・ノートに基本的な性格が現れているのではないかと、私は考えております。
すなわち、全世界規模での自由市場の成立と、通貨の安定化制度の確立、物流の障壁の撤廃、という政策は、アメリカによって第一次世界大戦後の連合国による世界統治システムの中で提示されたものであるのですから。