【わが】 アドルフ・ヒトラー Part3 【闘争】
916 :
910:05/01/06 01:36:49 ID:???
>>914 ごめん言葉足らずだった。
>>895の番組で時空班と伍長閣下がどう意思の疎通を
図ったのかなーと。
あと番組HPをみたら廃墟っぽい所で撮影してたらしいけど、
「ドイツが第一次大戦で焼かれた」とか言ってたりした?
演説の研究をして人気を集めたのは知っていたが、
オカルト預言者の話ははじめて聞いたな。それだけでも番組の価値あり。
新撰組を日本、幕府をアメリカ、と無理やりこじつけた
TBSの関口番組に比べればはるかにましといえよう。
スワスチカの起源はチベット密教だった
>>915 ポーランドの軍隊の駐留は認めてない。
それをポーランドが破って、要塞の建設を始め
兵士の駐屯を行ったから、戦争になった。
ドイツはそのような違法行動は止めるように、言っていた。
どちらに開戦責任があるかは、議論するまでも無かろう。
>>901 だからさ、そこでいうドイツ系住民がプロイセンの旗の下に統一ドイツを
形成したのは1871年、たかだか40年程度の歴史しかないじゃん。
そもそも第一次大戦の勃発は、ドイツの膨張欲が欧州の勢力均衡を崩そうとしたのが
最大の原因だろ。何とか独軍を破った結果、この強国を元どおりバラバラにしてしまえば安全だと
戦勝国が考えたって何の不思議も無い。現に戦後、バイエルン等で分離独立運動が
あった位だし。
統一国家としての長い歴史を誇る我が国と同列に語るのは無理があるっての
>>919 独が回廊地帯の返還を求めたから警戒しただけ。紛争を引き起こしたのはドイツ側
>>919 > ポーランドの軍隊の駐留は認めてない。
> それをポーランドが破って、要塞の建設を始め
> 兵士の駐屯を行ったから、戦争になった。
要塞って、ヴェスタープラッテのことだろ。
1925年に国際連盟はポーランドに部隊の駐留を認めているわけだが・・・
1939年の秋にかけて部隊を増強したのは(といっても全部で200人程度になっただけ)、
ドイツが沖に戦艦をさしむけたりしたため。
>>921 >1925年に国際連盟はポーランドに部隊の駐留を認めているわけだが・・・
それは聞いた事無いな。
まずはソース出せ。
1920年1月9日に、ポーランドは国際連盟管理下のダンツィヒ自由市に
「ポーランドはポーランドとの直接結合のためダンツィヒ港内に
郵便、電信、電話局を設置することができる」っていう条約を結んでいた
事は知っているが。
軍隊の駐留を認めていたのは知らんな。
それと、ポーランドがダンツヒのドイツ住民の追い出しを図って
いた事はどう正当化するんだ?
ヘベリウス広場にある郵便局も問題だ。
職員もすべて軍事教練を受けた予備役兵からなっており
防護用の強化壁、鋼板でかためまるで要塞だった。
ダンツィヒ自由市におかれていたすべてのポーランド側事務機関も同様
抵抗拠点の様相を呈していて、なにかあればポーランド軍の
援兵が確保される仕組みになっていた。
>>920 >ドイツ系住民がプロイセンの旗の下に統一ドイツを
形成したのは1871年、たかだか40年程度の歴史しかないじゃん。
それだったら、日本が明治維新で統一国家になったのも
1868年だろ。
ほとんど差は無い。
ドイツ人が現在のヨーロッパの土地に定住したのは
約2000年前の民族大移動によるもの。
当時の日本は、せいぜい九州から近畿地方ぐらいしか
勢力範囲が無かった。
東北や関東は蝦夷地であって、日本領土とは言えない。
北海道や沖縄は語るまでもない。
>>922 > それと、ポーランドがダンツヒのドイツ住民の追い出しを図って
> いた事はどう正当化するんだ?
追い出しどころかNSDAPの工作員がつぎつぎとドイツから流入していた。
>>924 >国際連盟理事会は
2人の将校と20人の下士官、66人の兵の駐留を認めた
実際、ポーランドはこれを大きく上回る兵力を駐留させていたんだろうが。
それから、ダンツヒはもともとドイツの領土で96%がドイツ住民
公用語もドイツ語だった。これは忘れてはいけない。
ポーランドの領土ではない事は言うまでも無い。
国際連盟の統治下だった。
>>922 > ヘベリウス広場にある郵便局も問題だ。
> 職員もすべて軍事教練を受けた予備役兵からなっており
> 防護用の強化壁、鋼板でかためまるで要塞だった。
映画「ブリキの太鼓」には、ドイツ軍がその郵便局を攻囲、攻撃する
シーンが描かれているらしいな。そんときの話じゃないか?
この郵便局はダンチヒにおけるポーランドの出先機関のようなもので、
39年のドイツ軍の侵攻に対して最後まで抵抗をつづけた。
ドイツ軍に捕らえられた郵便局職員らは処刑されてしまうわけだが、
何年かまえにドイツは賠償をもとめたこの職員らの遺族に対して
和解金を支払ったりしている。
>>923 >それだったら、日本が明治維新で統一国家になったのも
>1868年だろ。
>ほとんど差は無い。
豊臣政権や江戸幕府は日本を統一してなかったか?w無論近代国民国家とは違うが
19世紀までのドイツは幕藩体制程度のまとまりすら、一度として
持ったことがなかったぞ?
>東北や関東は蝦夷地であって、日本領土とは言えない。
>北海道や沖縄は語るまでもない。
北海道・沖縄はともかく、東北・関東は16世紀末には中央政府に服属した。
それ以来一度として手放されたことが無い。
貴殿は先ず日本史を勉強されたい
>オーストリアおよびドイツはゲルマン民族の国家。
前から不思議だったんですが、言語・民族が同じでなんで別の国家になって
しまったんでしょうか?
>>929 同じ民族だから、同じ国っていうのは
欧州じゃあ珍しいよ。
ベルギーやルクセンブルク、フランスのアルザス地方
の住民もドイツ人だし。
ロシアにもドイツ系の住民はいるし。
欧州は他民族国家が多いからね。
>>928 >19世紀までのドイツは幕藩体制程度のまとまりすら、一度として
持ったことがなかったぞ?
それは、あまりにもドイツ史を知らなさ過ぎだろ。
ドイツには神聖ローマ帝国( 962年 - 1806年) があった。
神聖ローマ帝国はHeiliges Romisches Reich Deutscher Nation
(ドイツ民族の神聖ローマ帝国)と称され
ドイツ第一帝国に当たる。
第二帝国=ドイツ帝国、
第三帝国=ヒトラー・ドイツ
となっている。
少なくとも、ドイツ人はまとまりがなかったなどとは
考えていないよ。
>>929 分裂しているドイツ人を糾合して統一国家を作るとき、オーストリア(ハプスブルク家)主導か
プロイセン(ホーエンツォレルン家)主導か、という問題があった。この2カ国は宗教(宗派)も異なる。
結果として戦争になり、後者が勝った。
いわゆる「大ドイツ主義」ってのは、ドイツ語を話すあらゆる民をただ一つの旗の下にまとめよう、
という思想。当然オーストリアも含まれる。だが、ビスマルクはオーストリアを
ハブにしたかったから、この考えを拒否したという訳。
>>930 >>932 ありがd。欧州の歴史・宗教・政治というのも複雑怪奇ですね。
「大ドイツ主義」というものをある程度まで達成したヒトラーは
やはり政治家としては凄かったんだなあ。
(その代償はあまりにも大きかったけど。)
ちなみにナチス・ドイツによるオーストリアのいわゆる併合は、法的には併合
ではなくて違法な占領だったというのが現オーストリア政府の立場。
つまりオーストリアは被害者だった、ということね。
そのロジックは、
多くのオーストリア人がドイツに吸収されることを歓迎したのは事実だが、
予定されていたオーストリア独自の国民投票はドイツ軍の侵入によって阻止され、
その後おこなわれたナチによる国民投票は自由な秘密投票ではなく、
共産主義者・社会民主主義者・キリスト教民主主義者ら数万人の逮捕という
政治的恫喝をともなっていた、
しかもヴェルサイユ条約80条(ドイツは国際連盟理事会の同意なしに
オーストリアから独立を奪ってはならないとする)に反する国際法違反だった、
というもの。
Austria's international legal status between 1938 and 1945
http://www.austria.it/resten.htm
>>931 >それは、あまりにもドイツ史を知らなさ過ぎだろ。
>ドイツには神聖ローマ帝国( 962年 - 1806年) があった。
ププ神聖ローマの紐帯が極めて弱かったことなんか高校教科書にすら書いてある事実じゃねーか
1648年には有名無実化しちゃったことだって知ってるだろ?
>神聖ローマ帝国はHeiliges Romisches Reich Deutscher Nation
>(ドイツ民族の神聖ローマ帝国)と称され
>ドイツ第一帝国に当たる。
こんなもん思いっきり後付けの理屈だろ。
ドイツ人が過去の歴史を美化してロマンチシズムに浸るのは勝手だが、それにかぶれる
日本人もいるもんだねえ
神聖ローマ帝国=非神聖非ローマ非帝国
>>934 >違法な占領だったというのが現オーストリア政府の立場。
そりゃ、現在は違法という立場に決まってるだろうが。
当時は合法的だという認識だった。
>共産主義者・社会民主主義者・キリスト教民主主義者ら数万人の逮捕という
政治的恫喝をともなっていた、
不穏分子を逮捕するのは、当時なら普通の政治行動。
それくらいで、国民選挙が変動することはありえない。
だいたい、オーストリア国民が併合を歓迎する証拠写真は
一杯あるのに、反対している証拠は一つも無い。
終戦で、ドイツから分離されるまで、オーストリア国民が
分離活動をした事は一度もなかった。
これが、オーストリア併合が合法で民主的、かつ友好的に
行われた証拠。
>>934 >ナチによる国民投票は自由な秘密投票ではなく、
共産主義者・社会民主主義者・キリスト教民主主義者ら数万人の逮捕という
政治的恫喝をともなっていた、
しかしなあ、当時の世界で、国家の併合時に住民投票という、
民主的な行為をやってたのは、ヒトラー・ドイツのみだろう。
例えば、当時の日本で天皇反対とか、体制反対とか、
日韓併合の反対派や独立活動とかしてた奴は、問答無用で
逮捕の対象だった。
当然、国民投票なんてやってない訳で。
そう考えると、ドイツはかなり民主的な事をやっていたといえる。
>>938 >しかしなあ、当時の世界で、国家の併合時に住民投票という、
>民主的な行為をやってたのは、ヒトラー・ドイツのみだろう。
圧倒的な武力を背景にした住民投票が「民主的な行為」かい。
「異様な」投票率の高さがそれを物語ってるだろうに。
北朝鮮も民主国家だって言い出しかねんなチミは
ところでチミが
>>931だとしたら、
>>935に反論してよ。
なんでそんなにドイツに片思いしてるの?
少佐も以前言ってたけど
ナチス・ヒトラー=悪
という固定観念(先入観)を捨ててから歴史を見つめるべきだよ
「戦争は政治の最終手段」 これは総統の言葉です
負けたら何言っても無駄。
日帝、ナチ、腰抜けイタ公、最近じゃ崩壊した露助等々、みな同一。
>>941 靖国の名誉回復の日は遠いなあ・・・・( ´・ω・)ショボーン
とにかくこの国の政府は対外宣伝、説得が下手なんだよ。
靖国関係も今回の地震の援助も。外交下手杉
負け犬語録は誰も聴かないし、為にならないという事で…
>>940
>>937 > >違法な占領だったというのが現オーストリア政府の立場。
> 当時は合法的だという認識だった。
当時は合法という認識、って何それ。
いったいどこからそういう電波を受取っているんだか・・・
フランス、イギリスはドイツに抗議し、ソ連は国際連盟でドイツを非難したうえで
これに対抗するための集団安全保障体制の構築を提案。
メキシコに至っては、たんに抗議するにとどまらず、ドイツの行為は決して受け入れ
られないと宣言し、連盟規約10条(領土保全と政治的独立)にもとづく理事会の
招集を求めるという行動に出た。
そしてアメリカはパリ不戦条約(ドイツも当事国だった)は無効になった、と発表。
> これが、オーストリア併合が合法で民主的、かつ友好的に
> 行われた証拠。
あほくさ。
>>944 当時のオーストリア政府は合法的だという認識だった。
外国が干渉するべき問題じゃない。
ドイツとオーストリア2国間の問題だ。
当時のオーストリア政府やオーストリア国民、
ドイツ国民やドイツ政府が併合を合法、民主的でなかった
と認めるような証拠を出してもらおうか?
1938年当時の証拠じゃなくては駄目だぞ。
戦後の政府発表とかは、連合軍に占領されているから
信憑性はない。
>>945 > 当時のオーストリア政府は合法的だという認識だった。
ソース希望。
> 当時のオーストリア政府やオーストリア国民、
> ドイツ国民やドイツ政府が併合を合法、民主的でなかった
> と認めるような証拠を出してもらおうか?
日本語になってない。
>>946 オーストリア併合は、1938年4月10日にオーストリア国民投票で
99%以上のオーストリア国民の意思により決定された。
一度も反対運動が起こらなかった。
オーストリア国民が、ドイツとの併合を歓迎している写真が
関係書籍に一杯ある。逆に反対している写真は一枚も無い。
>>946 > 当時のオーストリア政府は合法的だという認識だった。
これのソースだよ。どっから引っ張ってきたんだよ?
>>948 じゃあ、1938年の併合当時のオーストリア政府が
非合法だと、言ってるソースを出せ。
出せなければ、合法という事だ。
>>949 > じゃあ、1938年の併合当時のオーストリア政府が
> 非合法だと、言ってるソースを出せ。
何だよ、その「じゃあ、」っていうのはw こっちが出す必要はないだろ。
そもそもオーストリア首相が併合を拒否して国民投票に訴えようと
したために、ドイツが最後通告を発して軍事侵攻したという流れ。
どこから「当時のオーストリア政府は合法的だという認識だった」
という発想が出てくるんだよ。
そもそもオーストリア併合についてはドイツ政府内部でも意見の対立が
あった。ゲーリングが軍事侵攻を推進する一方で、パーペンはオース
トリア自身による国民投票を尊重するという考えだった。
結局、軍事侵攻がおこなわれたわけだが、その必要があったのか
ということも含めて、いろいろ問題のある行為だったな。
>>951 >オーストリア首相が併合を拒否して国民投票に訴えようと
したために、ドイツが最後通告を発して軍事侵攻したという流れ。
あほ過ぎ。
オーストリアの国民投票はちゃんと1938年4月10日
に行われている。
しかも、その国民投票で99%以上の賛成を得ている。
だいたい、軍事侵攻したら、交戦状態になるだろうが。
交戦状態になっていたとは知らなかったな。
ドイツ人同士で撃ち合って、何人死んだんだ?w
(知ってるだろうが、オーストリア人はドイツ民族)
お前の認識だったら、ドイツのラインラント地方
(連合国によって軍隊の進駐が禁止されていた)
にドイツ軍が進駐したのも、侵略とか言い出しそうだな。
お前が、歴史捏造とか改竄とか平気でするから、国際評価が
ドイツ>日本のままなんだよ。
ドイツには、法律上「戦争犯罪」という規定は存在しない。
ドイツで旧ドイツ軍兵士が裁かれる時は、通常の「刑法犯」として裁かれる。
つまり、ドイツは戦犯の存在を認めていない。
確か日本も、同様に戦犯の存在を認めていなかった、と思うがそれと同じ。
だから、「ユダヤ人虐殺は戦争犯罪ではなく、政治犯罪として一般刑法で裁かれているのだ。」
と言う者がいるが、これは日本の戦争犯罪を、ドイツと相対化させ、軽減させようという
意図があって、言われているだけで、このような主張が通じるのは、日本国内だけ。
国際的な議論の場では、通用しない。
>>952 あほ過ぎ。
38年2月 ベルヒテスガルテンにてオーストリア首相シュシュニク・ヒトラー会談。
ヒトラー、オーストリア併合の承認を要求。シュシュニクはこれに対し、
国民投票に訴えようとする。
3月11日 ヒトラー、オーストリアに対し事実上の最後通告。
3月12日 ドイツ軍、オーストリアに進攻。シュシュニク亡命。親独派の内相ザイス・
インクヴァルトが首相となり、独軍進駐を「要請」という形で承認。
3月13日 「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関する法律」発効。(大統領
ミクラスは署名を拒否し、辞任)同法第2条の規定により、4月10日に両国の
合併を確認するための国民投票が行われることになった。
既に独軍が進駐している中で、「自由意思による」国民投票が成立するワケが無い。
>>954 あほ過ぎ。
まず、ドイツとオーストリアはドイツ人の国家。
ドイツ語をしゃべっているし、文化的にも同じ。
ここがまず重要。
だから、ドイツ軍がオーストリアに進駐した時も
オーストリア国民は歓喜して、同胞として歓迎した。
オーストリアの国民投票も、不正に行われた
訳じゃなく、ちゃんと正当に行われていたから、
これもオーストリア国民が併合を支持していたという
証拠にしかならない。
日本に例えれば、東北地方や北海道に自衛隊が
進駐したのを、「日帝軍による侵略!」とか言ってるのと
同じなんだよ。
つまり、お前の主張は、日本赤軍と同じという事。
厨は放置ということで、よろ
957 :
954:05/01/10 18:24:15 ID:???
>>954 あのなあ、それならなぜヒトラーはシュシュニクによる国民投票を妨害すべく、
最後通告を突きつけたんだよ?真にオーストリア人の自由意思を尊重するなら、
独軍を進攻させることなく国民投票の結果を見守ればよかったじゃん。
それから言っておくが、俺にせよ
>>934氏にせよ、ドイツ・オーストリアの統合自体を
非難してるわけじゃない。それが両国民の自由意思によるものなら当然だろう。手続きが
明らかに違法だと指摘してるだけだ。かといって君のように
「同じ民族ならば統一国家を作らなければならない」とは全然思わん。
それは単なるイデオロギーに過ぎんからな。
そもそも
>>954で羅列したことは単なる事実経過に過ぎないが、これに照らして
>>951(俺ではない)に何か間違いがあるか?「進攻」「侵攻」のどちらを使うかで
ニュアンスは異なるが。
>だいたい、軍事侵攻したら、交戦状態になるだろうが。
>交戦状態になっていたとは知らなかったな。
>ドイツ人同士で撃ち合って、何人死んだんだ?w
君、もしかしてドイツ軍の進攻自体を知らなかったんじゃないの?w
どっちとも取れる愉快なレスだ(w
シュシュニク首相はファシストだったが、ナチではなかったんだナ。
1934年にナチのクーデタがあり、それは失敗に終わったのだが、
首相のドルフスが暗殺されてしまった。それで後を継いだのがシュシュニク。
彼らの率いるキリスト教社会党は、カトリック教会と政府の結びつきを強調する一方で、
オーストリアがナチス・ドイツに吸収されてしまうことには反対していた。
シュシュニクについて言えば、彼はハプスブルク帝国の再興をめざしていて、
汎ゲルマン主義とは逆の立場だった。
そんななか、38年1月にナチ党員による陰謀が発覚し、シュシュニクはヒトラーに抗議。
しかし逆にヒトラーから併合を迫られてしまう(38年2月のベルヒテスガルテン会談)。
その後の流れは
>>954 氏の年表に詳しくまとめられているのだが、
ドイツ軍のオーストリア侵入は、それを推進していたゲーリング自身シュシュニクらの
抵抗による内戦を予想しており、必ずしも生やさしいものとは考えられていなかった。
しかし侵攻目前の3月11日の夜、シュシュニクはラジオ演説をおこない、
「神よ、オーストリアを護りたまえ」(Gott schütze Österreich!)の
言葉を最後に抵抗をやめてしまう。
背景には、英仏に介入を求めたが断られた(あとになってからドイツに抗議してもらえただけ)、
ドイツに対する緩衝国として支援してくれていたイタリアが独伊枢軸のほうを優先した、
といった国際的要因があるのだろう。
だが、あまりにもあっさりと抵抗をやめてしまったシュシュニクは腰抜けに見えなくもない。
それが誇り高きオーストリア人の気に障るのか、オーストリア人の掲示板では
どうしてドイツ軍に抵抗できなかったのか、という声も聞かれる。
Schuschniggs Sturmschar - derStandard.at | Wissenschaft | Zeit | 70 Jahre nach 1934
http://derstandard.at/?id=1643219
というか、実際オーストリア人が歓喜して、ドイツ軍を
受け入れたのは歴史的事実なんだから、仕方ない。
オーストリア人=ドイツ人で同一民族なんだから。
他国から、とやかく言われる筋合いはない。
いずれにせよ、独立運動起こりまくりの日韓併合とは
雲泥の差がある。という事だ。
962 :
名無し三等兵:05/01/11 21:28:50 ID:HrFNCCyj
少佐降臨キボンヌ
963 :
名無し三等兵:05/01/15 18:54:21 ID:YL7kHSie
オーストリア人=ドイツ人なんて乱暴なくくりをすると
「典型的なドイツ人」という条件が訳解らなくなりますね。第1次大戦でオーストリアはハンガリーと2重帝国を組むほどの異民族同居、多民族国家であり
カイゼルを輩出したプロイセンとは戦争すらしています(普襖戦争)
そもそもオーストリア地方の住民は歌、酒、ワルツと人生を享楽的に送る性質があってラテン的だともいえます。(この辺北方ドイツあたりの重厚な気質
とは違いますね)
ナチスが「ドイツ民族」と言う記号を利用して一種の宗教的である自己思想を膨張させようとしたのは
明らかですね。
それに乗った人は利害関係でファシズム国家に属した方が利益になると思った人たちでしょう。
サウンド・オブ・ミュージックではオーストリア人の
トラップ大佐はナチスに祖国が蹂躙されるのを良しとせずに亡命するのは有名な話です。
かつてハプスブルグ家を中心にヨーロッパに一台覇権を広げたオーストリア人がナチスドイツに属するのは誇りの面からも「自由」と言うものの定義の面からでも許されるものではなかったでしょう。
ナチは異質だモノ。
我等が総統閣下の初期のドイツ国内における扱われ方を見よ!
与太助だぞ与太助。その不遇を著書に書いておられる。
それを同じ民族だからナチに対して拍手喝采という括りにするのは乱暴すぎだろ。
閣下の初期の苦労と挫折を知らないお前等ではあるまいに。
かの大三帝国の輝きへの系譜を捻じ曲げるなんて…遺憾だよ。