1 :
名無し三等兵 :
04/02/16 12:47 ID:aRZfZ/C/ デ・ロイテル、ネルソン、東郷平八郎(李舜臣)は世界3(or4)大提督と呼ばれる 李舜臣は本当に凄かったのか? それともただ輸送艦隊を狙っただけか。 軍版のエロい人たち、教えろ。
国際的に見た、豊臣政権下の日本水軍の評価ができないので、 それを翻弄したと言われる李舜臣を評価する言葉もございません。 他の人はどうかわかりませんが…。
2
4 :
2 :04/02/16 12:50 ID:???
私は敗北主義者です
誤爆ですごめんなさい>2
>それともただ輸送艦隊を狙っただけか。 兵站線破壊は軍事戦略の基本でそ?特に彼我の正面戦力に格差があるときは。 軍事無知で現実性皆無の王宮の下にありながらそれを行ったというのは、彼の 軍事的能力と合理的判断力が一定の基準をこえていたことを意味する。 優れた将帥であることは疑いない。
いつも思うのだが軍版(グンバン)では無く、 軍板(グンイタ)なんだが。
殆どの日本人は李舜臣なんか知らん つーか李舜臣←何と読みか分からん
10 :
李舜臣 :04/02/16 15:54 ID:???
これは将来の宣伝工作のための日本人の意識調査スレッドです。
とはいえ対して歴史の帰趨に影響を与えていないことを考えると その軍事的才能はともかく世界〜大提督に数えるべきとはあまり思えない。
>11 デ・ロイテルも奮戦したけど、イギリスが覇権を握ったことを 考えるとそれは微妙也。サンディウッドワード提督はポイント高いかな。
15 :
コピペ :04/02/16 21:25 ID:uvLIVmmU
李舜臣は、日本の補給路を遮断する事は出来なかった。 それが事実。 彼に出来たのは、日本軍が海路半島を北上する事 「阻止」 できただけ。 日本〜半島の補給路は文禄慶長の役を通じて終始日本側が確保していた。 補給路が断たれたというのは誇張された表現。 殆どの歴史書が軍事を無視した情緒的表現をしているので みんなだまされている。
16 :
コピペ :04/02/16 21:26 ID:uvLIVmmU
(なぜなら) 李舜臣や朝鮮水軍の行動範囲をみれば分かります。 慶長の役は当初の朝鮮水軍壊滅で問題外。 問題の文禄の役は日本側が海戦を望まず、陸上から砲撃、銃撃で 応戦するようになると戦果が上がらなくなった。 朝鮮水軍は沿岸沿いにしか航海できず、陸上の拠点が重要になるが、 それらは日本側が押さえている。 拠点の麗水から釜山までは100キロもある。 そんなところに常時貼り付いていることはできない。 当初勢いに乗って釜山攻撃をしたが撃退され、それで終っている。 距離的には釜山も対馬と変わらないのに、対馬におもむいた事は一度もない。 朝鮮水軍の限定された力では 補給路を断ち切るのは物理的に不可能でした。
明国の大砲>>>>李なんとか
>デ・ロイテル、ネルソン、東郷平八郎(李舜臣)は世界3(or4)大提督と呼ばれる 1へ。 ソースは?
19 :
名無し三等兵 :04/02/17 17:31 ID:BO8SNseU
李舜臣の実績がいわれているほどのものではなく、 客観評価がなされるとsageですか。
20 :
名無し三等兵 :04/02/17 18:26 ID:b2HEAJJn
李舜臣は慶長の役当初は朝鮮水軍を指揮していなかったよ。 「沿岸海軍」ということで2ちゃんでたたかれているけど 国力相応の海軍でその能力を最大限活用していたんだから 指揮官としてはなかなかのもの。慶長の役の時も日本軍は 補給を心配してソウル攻略を断念。問題は当時の朝鮮政府が 李舜臣に頼りきっていたこと。慶長の役末期の頃は李舜臣は 肉体的にも精神的にもぼろぼろだったらしい。だから最後は 無茶な追撃戦をやり戦死。 まあ、世界〜大提督は言い過ぎだけどね
ま「世界の大提督」というには少々無理があるが 「稀代の名将」くらいなら差し障りないね
22 :
名無し三等兵 :04/02/17 19:11 ID:7d5qNjBx
そのオッサーンならば、ソウルで銅像に成って 固まっていたよ!
稀代の名将なら何で明治時代まで忘れ去られていたのだろうか?
>>8 李舜臣は中学校(小学校?)の教科書に出てきたのだが。
教科書会社によって違うんだろうか。
読みは、日本だから普通に音読みするだけでもOK。
まさかそれもできないというわけではなかろ。
ってか、
李舜臣にはそんなに能力がなく、実は副官が有能で、
ほとんどの戦果は彼が上げたものだという話を聞いたことがあるんだけど、
どうなのかな。
副官の名前忘れた・・・王なんとかいう人だったような気もするが。
>>25 まあそうだとしても、その副官を使いこなせる度量を持ってたのだから名将では有るでしょう。
3大提督は明らかに誉めすぎでしょうが。
>>23 あの国は忘恩の国だから、は冗談で文官優先の国ですから仕方がないかと。
都の貴族にとっては所詮田舎武将ですから。
チョンコの誇る数少ない軍事的栄光なんだから、あまり苛めてやるなよ。
>26 マキャベリもそんなこと言ってたな
それにしても、 MSIMEで「りしゅんしん」=李舜臣 と一発で出るのに、 「あんこくじえけい」=安国寺恵慶 と入力するためには1分はかかる。 このIME、本当に日本人が作っているのか? それとも洗脳されているのか・・・
30 :
名無し三等兵 :04/02/17 20:33 ID:aRqOsUbb
乃木希典 も出ないなあ。>MSIME
>>29 やすい→バックスペース→くに→てら→めぐみ→けいおう→バックスペース
で、20秒足らずで何となるが?
李舜臣の水軍が日本軍の補給路を断ってたなら、加藤清正は何で日本に帰ってこれたんだ?
特別な名前は、MSとかJUST SYSTEMとかにちゃんと頼んで それが正しい(?)と認められたら次バージョンで反映される… と4,5年前くらいに聞いたことがあります。 最近は事情が違うんですかね?
>>25 >慶長の役の時も日本軍は
>補給を心配してソウル攻略を断念
というのは間違ってはいないが、補正を要する。
これは半島西岸を北上してのソウル方面への
海路補給に見通しが立たなくなったため、
ということ。
日本本土と半島の間には厳然と補給路が確保されていました。
李舜臣の活躍を叙述する情熱の余り、誇大な評価をするケースが多すぎます。
たとえば、
http://www.bell.jp/pancho/travel/korea-3/isunsin.htm にあるような次のような記述。
(鳴梁海戦)
>鳴梁海峡の地形と早い流速を利用した戦術で130隻を撃破した。・・・(略)
>この勝利によって朝鮮水軍はいったんは奪われた韓半島沖の制海権を
>再び奪い返した。豊臣軍はこの敗戦で補給難の状態に陥った。
>そこに太閤病死の報が届き、ついに撤退を余儀なくされた。
大嘘である。
>33 「ひゃく〜じゃなければゼロで〜すか♪ ああ 聞こえない♪ ああ 届かない♪」
130隻を本当に撃破したかどうかはさておこう(怪しいが)。 それよりも、 「豊臣軍はこの敗戦で補給難の状態に陥った。」 というのは全くのデタラメ。 鳴梁海峡というのは半島南部の西端にある。 こんな場所での戦闘結果で豊臣軍全軍が補給難になるわけがない。 しかも、時期は慶長の役が始まって二ヵ月後。 秀吉が死ぬのはそれよりも一年後のことである。 李舜臣の功績を強調したいがためにこのような非常識で修飾に満ちた 解説が多すぎる。 始末の悪い事に教育的、啓発的な歴史本にも平気で書かれている。 それが一般書などにもがだらだらと流れ、マスコミもだらしなく引用したりする。そして、 「日本軍の補給難」 という言葉が定着する。 軍板住人としては、こういう虚飾を見抜く必要がある。
38 :
名無し三等兵 :04/02/17 21:31 ID:aRqOsUbb
韓国では名高い「鳴梁海戦」というのは、 慶長の役の当初、朝鮮水軍が全滅した後を受け、 復帰したり舜臣が、なけなしの船団で、 半島南部を伝って、西岸部に進出しようとする日本の船団を迎撃し 成功した戦い。 これによって、西岸部への日本側の海路北上が妨げられた。 この功は李舜臣にとって大きいものがある。 しかし基本的には朝鮮側にとって防御体勢下での戦いだった。 積極的な補給路切断の海上作戦は最後まで取れなかった。
>李舜臣の功績を強調したいがためにこのような非常識で修飾に満ちた >解説が多すぎる。 逆に功績を否定したいが為に・・・という傾向もあるようだね。 ま、強大な豊臣軍をいくらかでも足止めできたのなら それはそれですごいことだと思うがね。
40 :
名無し三等兵 :04/02/17 21:36 ID:JzXxHFlc
そんな臭い話は、マトモに語るなよ〜 韓国人のポルノだろうが?始まりから 終りまで、果てない”あの話”じゃん か?っくぅ〜
近代以前の海戦では数百隻単位の沈没は普通だが
42 :
名無し三等兵 :04/02/17 21:39 ID:aRqOsUbb
>>36 軍板住人とは思えない。
百があるから云々じゃなく、
補給路というのは確保されていた。
制海権もあった。
だから悠々と帰還したのだよ>清正。
43 :
25 :04/02/17 21:41 ID:???
>>26 それが、李舜臣はその副官の手柄を自分のものとした上、
邪魔だから最後にはあらぬ罪を着せて処刑したとかなんとか。
その話は、「李舜臣に大した能力はなく、ただ名声欲が強かっただけ。
本当の功労者はその副官だ」と結んでた。
>>32 一応、日本の田舎の公立小中学校の卒業生w
教科書は確か東京書籍だった。
44 :
名無し三等兵 :04/02/17 21:41 ID:aRqOsUbb
>>41 普通かどうか、これは信じるかどうかの問題。
>>39 >逆に功績を否定したいが為に・・・という傾向もあるようだね。
これも軍板住人とは思えない。
客観的に見たらどうだろう。
45 :
名無し三等兵 :04/02/17 21:44 ID:KbJsxYlk
李舜臣の活躍というのは、「ポケットの中の戦争」と言う意味でよろしいか?
そりゃあ、日本軍は14〜15万の軍勢を何段階かにわけて朝鮮に送り込んで いたからね。それをすべて海上で撃破するのは無理だろうよ。 でも、秀吉が当初考えていた「明に攻め込む」という目標を文禄の役では 断念させたし、慶長の役でも日本軍は補給の安定を確保するために戦力を割かれ 半島南部の制圧もあやしくなっていた。そこまで李舜臣を叩かなくてもいいと思う んだがね。それよりも俺的には文禄の役の後に李舜臣を人事で干しあげた朝鮮の 役人の感性に興味があるな(w
47 :
名無し三等兵 :04/02/17 22:04 ID:aRqOsUbb
>>46 別に叩いてはいないが。
功は認めるし。
しかし、その認め方に誤りや誇大宣伝があるということ。
李舜臣の責任ではない。
結 論 文 禄 ・ 慶 長 の 役 は 豊 臣 軍 の 圧 勝
李なんとかって誰? 中国人?
近頃の若者の物知らずには呆れるな・・・・。 若者じゃなかったらもっと深刻だが・・・。
>>49 てめぇー、戦国時代も知らない癖して軍板に来てんじゃねーヴォケ
54 :
名無し三等兵 :04/02/18 03:07 ID:FcSWr16R
結論 清正も小西も島津も正宗も、みんな帰ってきた >海安全じゃん
ここはレス数少ないのに常に上の方にあるな。 今上から3番目だ。
56 :
49 :04/02/18 03:34 ID:???
>>53 釣りも兼ねてだけど…マジで知らないよ。
漏れは基本的にナポレオンより前の戦史や歴史に興味は無いし。
戦国とかが好きな人を腐している訳では無いよ、ネンタメ。
大学行ってわかったけど、所詮は教科書上の人物なんだよね いわば一種のファンタジー 普通に歴史学ぶ上では存在感など殆どないし
58 :
名無し三等兵 :04/02/18 04:09 ID:bP0i0oQO
俺は高校で世界史を取ったけど、李舜臣なんて名前は一度も見た覚えは無い。 つまり日本史、朝鮮史の範中の人物だろう。
59 :
名無し三等兵 :04/02/18 04:26 ID:cg5ZPCa1
慶長の役で、日本の城が半島南岸に連なって築かれた。 これを見て今の通俗的な歴史説明は、 「日本は南岸にへばりつくしかなかった。追い落とされようとしていた」 という説明になる。 しかし、これは必ずしも正しいとはいえない。 朝鮮水軍が活動できるのは沖合いを行く日本の船団に攻撃を仕掛けること。 この面において李舜臣は卓抜だった。 ところが沿岸に城を築かれると、沿岸からの銃砲撃で日本の船団は守られる。 つまり日本の城がある海域はそのまま日本側の制海権となっていた。 文禄の役では、朝鮮水軍の実態を知らなかったため、 南岸を不用意に航行し李舜臣に襲撃を受けた。 しかし沿岸拠点の有効性を知った後は このような方式で制海権を保守しつづけてきたわけだ。 南岸に築かれた城はそういう意味がある。 その面では李舜臣の初期の功績は その後の日本側に作戦変更を強いたという点で功績を認められる。
60 :
59(つづき) :04/02/18 04:28 ID:cg5ZPCa1
ところで、これらの城はそれだけの目的で作られたのではない。 その周辺に経済域を形成し支配の既成事実を築き上げる拠点なのだ。 実際そのような交易が行われていたらしい。 城にも数年分の食料が常に蓄蔵されていたという。 これらは海上補給の安定を物語るものであり、 かつ城が経済拠点になっていたことを髣髴させる。 秀吉が慶長の役に当たって当初打ち出した南部切り取りの具体化である。 制海権問題と合わせてみれば 「へばりついて落とされそうになっていた」 というのは一面的な見方であるのが分かる。
おまいらもっと歴史を勉強しる! 「文禄・慶弔の役」(上垣外憲一/講談社学術文庫)には 圧倒的な李舜臣の活躍で補給路を断たれた 日本軍の様子が記述されてるよ! 引用されてる武功夜話にも 「一日二度の雑炊で飢えをしのぎ」って書かれてるから 補給路が断たれたのは間違いないよ!
>61 武功夜話 ってのは、 「俺が若かった頃は〜、それに比べて近頃の若いモンは〜」って話だよ。 戦国期、一日二食は普通だったし、話半分に聞いておかないと。 それに、補給が苦しかったのは海路を使えない内陸。 朝鮮半島にはまともな街道がなく、物資の運搬には苦労したみたいだね。
63 :
61 :04/02/18 10:31 ID:???
>62 スマン、軍板はsage基本で、誰もメール欄見ないのを忘れてた 61は、武功夜話みたいな偽書を典拠としている クソ本さらしageだった(叩いてほしかった) 期待して買ったら、あまりにも内容が酷くてさ… ちなみに武功夜話は武勲譚がメインじゃないよ 陸路補給が困難だった点は同意
64 :
名無し三等兵 :04/02/18 11:15 ID:alv4cyYO
オンかオフで物事判断し過ぎる。
そりゃ要人が乗った船団なら厳重な護衛が付くだろう。
だが全ての船団に同様な護衛が付けられるのか?ゲリラ戦ってのは
相手の隙を突くもんだ。
わざわざ優勢な敵に突っかかっていって味方に損害出してどうする?
また帰路の船団を狙うより、増援や補給物資を積んだ往路の船団を
狙うのが兵法の常道だぞ?
俺はこの時代の戦史には全然詳しくないのだがこの程度の事は容易
に想像がつく、それがなんで
>>54 みたいな結論になるんだ?
>>54 氏へ、説明してくれ
65 :
名無し三等兵 :04/02/18 11:52 ID:e31KFFrA
「海から見た日本の防衛」って本では李舜臣はベタ褒めされてたな。
66 :
名無し三等兵 :04/02/18 11:59 ID:cg5ZPCa1
>>64 >全ての船団に同様な護衛が付けられるのか?ゲリラ戦ってのは
相手の隙を突くもんだ。
54ではないのだが、
あなたの言っていることは、反対側(ゲリラ側)にも言える。
つまり、常時「往路を狙って隙を突く」ポジションを取れたかが問題。
慶長の役では李舜臣の拠点麗水から釜山航路まで150キロある。
足ののろい亀甲船を含む戦闘力のある船団をそのような場所に
常時浮かべておくわけにはいかない。
入り組んだ入り江、島影、そういうところに潜んで奇襲しないと
獲物はかからない。
つまり、遠すぎたわけだ。
(実際この時期麗水から釜山を攻撃した記録はない。合ったら教えてほしい。
また、仮にあったとしても、対馬まではほぼ等しい距離。ならば対馬を襲えば
いいものを対馬を襲った記録は役すべてを通じてない。すなわち
行動のきわめて限定された水軍であったということ。)
やってくるものを迎撃するのがゲリラ。
李舜臣が戦果を上げたのもそういう状況だった。
みずから進んで補給路を撃砕する状況にはなかった。
基本的に日本の城の築かれた海域は安全だった。
だってほら、日清戦争以前については、仮に日本自体が存在しなかったとしても、 世界史的(中国史的にも)には何の影響もないし。 朝鮮半島の世界史的出来事って、朝鮮戦争のみ。 まあどっちもあってもなくてもどうでもいいような片田舎の国だから。 当然そんなちんけな国の英雄や名将なんて世界史的には無名ですよ。 多分小林綾子の方が東郷平八郎や李舜臣より有名なはず。
>>67 どうも君が在日に見えて仕方ないのだが
(話をそういうふうに持っていくのが特徴だから)
ベトコンはアメリカ軍を全滅させなかったからベトコンはたいしたことない
<<62 しかしあの本(武功夜話)は貴重な記録を残してくれている。 補給に関する記述の認識はあなたの言うとおりだと思う。 内陸部への補給が大変だった。道が悪く、多大な労力を要した。 「義兵」といわれるゲリラの活動の効果はそいううところにあったろう。 だからこそ半島西岸を北上して補給するのがベストだった。 これを阻止したところに李舜臣の功績がある。
>>62 それにあの本は慶長の役に関しては記述されていないからね。
その部分は紛失されたのかもしれないが。
まあわかる限り(江戸時代以降)、先祖代代日本海側に住んでるから、 数百年前の先祖の中に半島からの漂着民がいたかも知れないけどね。 少なくとも半島の原住民に対するアイデンティティなんかないよ。
朝鮮半島の人って教科書に出てきた記憶がないだが・・・・
74 :
名無し三等兵 :04/02/18 12:33 ID:VNYjwtw/
低学歴・低偏差値の嫌韓厨が社会科や世界史の不勉強を晒すスレはここですか? と釣られてみる
75 :
名無し三等兵 :04/02/18 12:35 ID:VNYjwtw/
いや、ていうか中学生の時に全国模擬テストで 亀甲船とか書かされた記憶があるのだが。
李舜臣が世界4大提督なら、毛利元就やドレイク、スプールアンスは神になって しまう罠。 李舜臣なんて半島人しか知らんよ。
>>76 ニミッツも入れてやってくれ。前線には出てないが、太平洋戦争の立て役者だし。
対馬は朝鮮半島から離れているのが大きいだろうと思う。 麗水に船団集めて出撃するのは繰り返しているのだけども、毎回海戦に なったわけでもなく、待機を続けて、空しく引上げることもあった。 倭城は半島の沿岸や島にも設けられているが、たしかに釜山襲撃後は 襲うのは辞めたらしい。 戦闘力については水軍大名の一人を戦死させ、豊臣軍の撤退の際におきた 海戦でも打撃を与えるなどしているのでそれなりにあった。
>>80 >対馬は朝鮮半島から離れているのが大きいだろうと思う。
これが重要なんですよね。
釜山までの進路と対馬までの進路の距離はかわらない。
なのに対馬に行けなかった。
絶対的な「戦闘力」を保持するなら、行けたはず。
近代になって黒船が日本に来たように。現在イラクに展開する米機動部隊のように。
中世で鄭和の艦隊がセイロンを制圧したように。
それらの例を引き合いに出すのはお門違いかもしれないけれど、
要するに沿岸から離れて活動することが出来なかったわけ。
「制海権」を得たとは言えなかったというのはそのため。
ふと思ったのだが、〇〇大提督と言う場合、李舜臣を出すなら「鄭和」のほうが
ふさわしいかもね。
>>81 鄭和は間違い無く大提督だろう。つーか東アジアって有名な提督少ないな・・・。
東アジア限定なら確かに李舜臣も名提督だろうな。
しかしこれだと大昔読んでた多くの本に共通して書いてあった 「李舜臣さえいなければ日本が勝てた」というのは間違いだったのね。
84 :
名無し三等兵 :04/02/18 16:26 ID:1H+LvJva
鄭和の艦隊の一部は、実は世界一周をしていたと言う話も有るよな。 艦隊の一部でも良いからヨーロッパまで行ってみて欲しかった。 当時の鄭和の船はヨーロッパ船の何倍もあったわけだし 見たらビビっただろ(w
>「李舜臣さえいなければ日本が勝てた」というのは間違いだったのね 李舜臣さえいなければ勝てたとは思わないが、 李舜臣がいなければ、秀吉の朝鮮支配が現実になっていた可能性もなくはない。 明国支配は無理にしても。 というのも、もし李舜臣の指揮能力がなく日本船団が 半島西側から北上しソウルに直接糧秣を補給できる状態を想像すればいい。 あとはIFの世界だからテーマと外れてしまう。 いずれにせよ、李舜臣は朝鮮人にとって救国の英雄であるには変わりない。
>>84 その話は眉唾でしょうね。
アフリカ喜望峰を回ったとしたら、
西欧スペインあたりに行ったのは確実だったろうから。
行かなかった(証拠がない)ということは、世界一周もなかった
ということだと思う。
88 :
名無し三等兵 :04/02/18 20:30 ID:Fab+eTdJ
朝鮮史のなかで李舜臣以外にも名将はいたんだろうけど どうして李舜臣だけがこんなにも持ち上げられるのかと不思議 に思ったんだが、考えてみたら「敵を追い返した」のは李舜臣 だけなんだよな。中国相手じゃどんなにがんばっても絶対勝てないし 死に方もドラマチックだし
89 :
名無し三等兵 :04/02/18 20:36 ID:pPTYq312
李舜臣がいなかったら朝鮮人は皆鼻をそがれていたよ 朝鮮で有能なのは金春秋と李舜臣ぐらいか
90 :
名無し三等兵 :04/02/18 20:51 ID:GG/GfB4p
忘れられていた李舜臣を掘り起こしたのは日本海軍てホント?
横須賀の鎮守府に、海の軍神として李舜臣を祭る場所があったとか、黄海海戦の折、連合艦隊司令官が李舜臣の霊に勝利を祈った話とか、司馬遼太郎の本で読んだことがある。
横須賀の鎮守府に、海の軍神として李舜臣を祭る場所があったとか、黄海海戦の折、連合艦隊司令官が李舜臣の霊に勝利を祈った話とか、司馬遼太郎の本で読んだことがある。
会いゴー会いゴー!!
94 :
61 :04/02/18 21:17 ID:???
>77 偽書だよ メール欄と>63も読んでね。スマソ
同時代の日本は 東南アジア各地に日本人街を作るぐらい 遠洋航海ができたんだよね? そのへん、朝鮮の造船技術や航海技術はどうだったの?
どう見ても源義経のほうが上に見えるな。
だいたい当時の李氏朝鮮は毎年春季は飢餓状態。搾取が酷すぎて豊臣軍の上陸を解放軍と見なして歓迎した。 補給不全は予想外の朝鮮の貧しさが現地調達を不可能としたためのもの。 京城の攻防戦で日本が確保した李氏朝鮮の国庫米一万四千石が中国軍によって焼き払われたのがいたかった。 李舜臣が勝っても負けても大勢に影響なし。
>だいたい当時の李氏朝鮮は毎年春季は飢餓状態。搾取が酷すぎて豊臣軍の上陸を解放軍と見なして歓迎した。 ワラタ んじゃ戦費の半分使って現地住民をてなづけて武士団とともに蜂起させ国のっとり ってのはどうだろう。 ゲリラ戦に苦しめられることも無いと思うし、李朝臣下に降伏勧告して組み入れる。 戦国を生き抜いた大名ならこのくらいやれるはず。
んで朝鮮切り取ったあとは明に女真の脅威を煽って日明で女真を滅ぼし、 返す刀で明を打つ。 大陸満州朝鮮を平定〜♪
そう言う調略をもっとも得意としていたのが秀吉じゃなかったっけ? それが出来なかったって事は、何か理由があったんじゃないかと思うんだけど。
>100 言語・文化的背景を理解してなかった
現在の海自でも北や中国に対して洋上撃破率3割なのを考慮すると すさまじくね?
あと10年くらいかけて慎重にやれば
>>98 みたいなことも可能だったかも。
ついでに国内を幕府並に纏め上げて、光成みたいなアフォは追放、
使える香具師を側近にどんどん登用。
>104 秀吉が老化する前の能力を維持してればそうしたろうけどね。 いや、民力造成から始めて利益が出るまで何年掛かるか判らん朝鮮 (大日本帝国も朝鮮経営に38年費やして赤字だった)には手を出さないで 他を当たったろうけど。
李朝より多少マシな施政なら問題ないべ。 大日本帝國とは時代が違う。 直接明攻めは無理無理だろうし、現地軍を先頭に立てて 李朝を滅ぼし明の国力を漸減させ、お次は対女真でまた漸減ですよ。
>>88 全く分かっていない、
か、
煽り
か、
必死か。
108 :
名無し三等兵 :04/02/19 13:10 ID:kcRFmP3S
この時期は明治以前の日本で最強の時期とも言われてるね 朝鮮出兵時の日本軍>>幕末の幕府軍 という評価さえあるぐらいだ
戦国時代を勝ち残った最強の武士団とサラリーマン化した幕末の幕府軍じゃナ。
111 :
名無し三等兵 :04/02/19 16:24 ID:f5hI+Iju
>>98 実はそれに似た事はありました
清正が朝鮮半島北部の満州辺りの町を平定した際
地元の人々から
「毎年馬賊が襲ってきて困ってる」と言う嘆願を聞き
清正は部下を連れて馬賊征伐に行こうとしたのですが
その際、地元の若者たちが
「ぜひ俺たちも連れて行ってくれ」と立ち上がり
清正軍とともに豆満江を渡り
馬賊を倒してきたそうです
他にも似たような話はたくさんあります
ルイスフロイスも書き残してますよ
当時の為政者なんて大概は税金取るだけの存在ですから、 まあ税金安ければ民衆にとっては誰でもいいんではないかと言う気もします。 まあ言葉が通じた方が便利なので、どっちかって言うと同民族の方が良いでしょうが。 それも直接接触する下級官吏が同民族ならあまり関係ないかも。
113 :
名無し三等兵 :04/02/19 16:36 ID:f5hI+Iju
もともと日本軍の人質になった朝鮮の王子2人も 王宮から逃げ出す所を、朝鮮の民衆に捕まえられて 清正に引き渡されたんです こう言う事は韓国では全然教えてないですね
114 :
名無し三等兵 :04/02/19 16:45 ID:wS65/gFb
少なくとも帝國海軍の提督よりは優れていたな。 補給線の重要性をよく認識していたからなw
自治厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
>>80 > 戦闘力については水軍大名の一人を戦死させ、豊臣軍の撤退の際におきた
大名で戦死した人っていたっけ?
>>110 >>115 >>119 君達は軍事版に多く巣食う在日のような気がして仕方ないのだが。
それはそれとして、
推奨するスレは大した事書いてないし、君らみたいなのが荒らしている。
こっちのスレの方がよほどマトモだ。
削除するならあっちだろう。
いずれにせよ、李舜臣への客観評価が気にいらないらしいね。
でなけりゃ、そのことの一つくらい述べてみなさい。
あっちのスレは昨年11月までに書かれ、ほとんどがAA貼りなどのアラシ。 このスレを破壊するためにわざわざ上げている。 まともな論争の能力がないなら消えろよ。 >110以下
言ってることにはほぼ同意するが反論するのに 「在日」レッテルで反論するのがなんとも香ばしい
_( @)___ >>100 梅毒という説も在りますな。 / 爪゚∀゚) /\ /| ̄ ∪∪ ̄|\/ |さいたま .|/
>>122 このネタで必死になるのはニダーぐらいのものだよ、日本人はたいして興味ないし
世界的に有名じゃないのが一番致命的
李舜臣を知らないのは 日本だけかもしれない…
129 :
名無し三等兵 :04/02/20 02:02 ID:lMo0HXGA
李舜臣に対する日本人の評価は高い。 それは、(作られたイメージかもしれないが)、 戦いにおいて日本に対して明白な勝利を収めたからだ。 敵ながら天晴れ、 という敵を称える気風を日本人は持っている。 いいスレだ。
陳舜臣とは別人か?
》130 ちょっと別人
》130 ちょっと別人
134 :
通常のスカッドの3倍 :04/02/20 09:37 ID:H64TOdnF
>>133 自治厨はこんなところで油売ってる暇があったら
アニメスレを何とかしやがれ。連中はもはや軍事の話すらしていない。
それとも貴様らも連中と同じく分別の無いデブアニヲタか。
李舜臣は家康と利家が仲介して停戦し、朝鮮から撤退途中の 日本軍を襲い反撃されて戦死している。 ただの典型的な朝鮮人だ
で、世界三大提督だか四大提督だかにカウントされてるってソースはまだ?
少なくとも、アミラーリ・ビア認定、世界の24大提督には入っていない。 > 404 名前:名無し三等兵 投稿日:04/02/19 18:15 ID:??? > Horatio Nelson > Klas Horn > Sir Francis Drake > Otto Nordenskjo"ld > John Rushworth Jellicoe > Carl August Ehrensva"rd > 東郷平八郎 > Alfred von Tirpitz > Michel de Ruyter > Oscar von Kraemer > Edward "Old Grog" Vernon > Klas Larsson Fleming > Fredrik Henrik af Chapman > Carl Gustav Wrangel > Peder Tordenskjo"ld > 山本五十六 > Lauritsa Creutz > Stepan Makarov > Niels Juel > Carl Olof Cronstedt > Caspar de Coligny > Arthur Wilson > Zinovi Petrovits Rozestvenski > Niilo Ehrenskio"ld > > 上まあ、アミラーリ・ビアのラベルになった24人の提督。 > さあ、軍オタ諸氏、何人知ってる?
>>134 「軍事板はアニメ板の植民地」ということで
やりたい放題になったらしい。
戦ってた連中は皆遁走して注意する人すらいなくなったのが現実。
(ごっぐのみ孤軍奮闘)
>>137 少し偏ってないか?
ハルゼー、スプルアンス、サマービル、カニンガムあたりから二人ぐらい選ばれていても良いような・・・、
>>139 まあ、フィンランド人の考えることだからねえ。
お国柄とか歴史教育の結果の反映ってこともあるわけだろうなあ。
サマービルよりトーヴェイでは?
日本では村上武吉とか九鬼義隆とか義経とかのが李舜臣よりうえだろ?
>137 五十六が入っているのは納得いかない。 どうせ入れるなら権兵衛の方じゃないか?
近代の提督だと指揮してなくても評価されるからな 上のリストだったら山本とかニミッツは外して現場指揮官から選ぶべきじゃないか? アメリカならジョンポールジョーンズとかフレッチャーとかスプルアンス スペインのセルベラとかロシアのロジェストヴェンスキーはどうか。
>>143 さあ?李舜臣が評価されてるのは指揮能力よりも亀甲船を実戦投入した事と大砲で敵
艦船を沈める戦術を採用した事だろ?
少なくとも、事亀甲船に関しては余り意味がなかったという説もあるから……。 デザイン的に非常に使いにくそうだし。
鉄装甲と大砲なら織田信長(九鬼嘉隆)が木津川口海戦でとっくに採用してるしな
あぼーん
151 :
名無し三等兵 :04/02/22 00:48 ID:4LSihP0z
152 :
名無し三等兵 :04/02/22 00:54 ID:mwAr7JN6
みなさん、シュウユ(名前でない)は?
>>143 村上や、九鬼はともかく義経を水軍提督として評価するのはどうかと思うな。
(陸戦なら文句無いですよ、もちろん)
非戦闘員の、船頭を狙っただけだし。
周ユは水軍だろ?海じゃねえ。
154 :
名無し三等兵 :04/02/22 06:45 ID:6AvKBa0R
李舜臣は女真族相手の陸戦でも活躍してるよ
李舜臣は掃き溜めの鶴、確かに買収に乗らなかったり身を捨てて攻撃してくる勇敢さは評価できる。 しかし、日本に限らず世界史にはこういう奴がゴロゴロいるだろ。 他が腐っているので粒が小さくても光っているし、ここを美化するしかないので虚構を纏ってしまっている。 終盤で李氏朝鮮二人と明二人の武将の内三人までが小西行長に買収されてしまって動かなかった・・・ 戦争はもう終わりだったのだのに李舜臣は死んだ。
ほっとけば勝手に退却する日本軍を攻撃して返り討ちにあったアフォ。
つか、李舜臣を評価してたのは朝鮮人じゃなく日本人のほうで、愛国反日教育がむこうで始まるまでまったく無名の人物だったんだがな
かわいそうだな
159 :
名無し三等兵 :04/02/22 10:16 ID:SJcQJis2
日本で一番有名な李氏朝鮮時代の人。
あまりに怠惰な現地人、そして言葉も通じない、 李朝の搾取を逃れて避難民が増える。 士気のあがらぬ秀吉軍は現地調達さえ出来ない。 そんななか一人の英雄が誕生した!
あまりに怠惰な現地人、そして言葉も通じない、 李朝の搾取を逃れて避難民が増える。 士気のあがらぬ秀吉軍は現地調達さえ出来ない。 そんななか一人の英雄が誕生した!
鉄砲が なかった
その恐ろしく終わっている李朝が20世紀まで生き残っていたのは世界史的にも恐ろしい事であるわけだが。
>>163 > その恐ろしく終わっている李朝が20世紀まで生き残っていたのは世界史的にも恐ろしい事であるわけだが。
あまりに腐敗すると自壊すらできない。
そういう体制はたいがい外部勢力の侵入によって始めて倒れるものだが
李朝の場合、周辺は徳川体制下の日本と清でどっちも李朝に介入する
つもりが無い。
166 :
名無し三等兵 :04/02/22 20:39 ID:G8fiIpwn
ロジェストウエンスキーが入っているのが一番わからない 聯合艦隊に勝っただけでも李舜臣は名将
勝った?
聯合艦隊?
韓国政府と韓国国民が必死にアピールしてるから、そのうち世界大提督に数えられるようになると思うぞ。 所詮、まともな記録もろくにない時代のことだし、いくらでも捏造、誇張できるだろうし。
韓国一大提督
172 :
名無し三等兵 :04/02/23 09:50 ID:ee0mfwdi
いまでこそ、いろんな本や教科書に必ず登場する李舜臣だが、 昭和40年代までは一般的にはこの日本ではほとんど軽視されていた。 昭和44年に発行された岩波の広辞苑二版には登場していない。 今は多分出ているだろう。 大百科事典にも30年代までは登場していないのだ。 李舜臣が今のように声高らかに(教科書にさえ出ている!!) 語られだしたのはつい最近のこと。
>>172 日本海海戦に望む司令官達がリスペクトしてたから
戦後のなんたらとかではないです
名将は名将として称えればよいと思うがどうか
そのうち、李舜臣が大阪城攻めて豊臣滅ぼしたことになりそうだな
>174 東京書籍の教科書の実物見たこと無いからそう言うこと言えるんだよ。 日清日露がそれぞれ一ページちょっとしか説明がないのに、 朝鮮半島の独立運動についてはまるまる一章使ってたりするんだから。 しかも、日清日露は端折られすぎて意味が分からなくなってるし。 新しい教科書を作る会の教科書も少々あれだが、 東京書籍の歴史教科書はマジで問題がある。日本の教科書じゃない。
177 :
名無し三等兵 :04/02/23 11:54 ID:2V5COykn
日本史なんか大学の講義でやったのしか覚えてないけど、 あの教科書は学校教科書にくらべるとずいぶんまともだったな。 あれは基本的に古代スキーだけど日清日露もちゃんと書いてあったし、 もちろん東郷平八郎もでてきたし、他国賛美も無かった。日本史だしね。 大学教授の人が書いた本だけど。
>>174 >李舜臣の扱いはとりあえずそーいう歴史観の人たちには我慢ならないことの一種らしい
李舜臣の扱いが我慢ならないんじゃなく、左翼偏向が酷すぎる事を批判してるようだが?
日本の歴史教科書に、李舜臣の名前が出てくる事そのものは批判してないと、何度も
念を押してるが、読解力ゼロなのか?それとも、ソースろくに読まずにURL貼ってるのか?
>>176 ほほう、今度確認してみよう
で、本題は李舜臣の扱いで東京書籍の教科書の内容全般じゃない
>179 つうか、国で選んだ物にリップサービスが載っていること自体問題だと思うんだが。 教科書に普通リップサービスを載せるものかね? それこそ、必要以上に国外に気を使っている証左になると思うんだが。
んっと、すまん。 これでは李舜臣の事を話そうとしていないばかりか脱線している。 教科書の話はまたどこか別の場所で別の機会に……。 所で、韓国では李舜臣は英雄扱いなわけだが、 北朝鮮ではどうなるんだろうか?やはり李朝の人間だからダメ、扱い?
李舜臣がどんなに評価が高くても日本の歴史を教える場合、 北条時宗、東郷平八郎より重要だとは思えんがナ。
183 :
名無し三等兵 :04/02/23 12:52 ID:sfQqOnU1
朝鮮人にも過去に一人だけ立派な人物がいたのです その事実を忘れてはいけません、抹殺してはいけません ただし二人はいません
安なんたらとかいう直情径行のおまぬけテロリストがおったろ。
白将軍とか朴大統領はやはり英雄ではないのか? もしや陸士出身だからかな?
>>185 この二人は間違い無く本物の名将&名政治家なんだけどなぁ。
元植民地の台湾と韓国は李登輝や朴正煕みたいな優秀な政治家を輩出したのに元宗主国
日本は二流三流の政治屋ばっか・・・。
>>183 偉大なる将軍様ハー?
上は冗談として、世界史で使った歴史資料集には李舜臣の銅像カラー写真のついたコラムがあった。
内容はたしか、日本軍に大きな被害を与えました。韓国の英雄として
安重根共々称えられています。て感じだったけな。
>>187 一種の危機感であるとか使命感であるとかが働いたんだろうかね。
それに日本の場合、民族的なモノなのか、文官は調整方の人間が多い気がする。
明治期の指導者層は武士階級出身の人間が多かったから、果断な決断が取れたんじゃない?
他の国の人間の事はようわからんですわ。
>>185 白さんは確か『今から突撃に行こう、私に続け!』の演説が教科書に
載っていたかと。朴正煕さんは一部からはチンイルパ認定。
>>183 北朝鮮では主体思想の結果
李舜臣をあまり英雄視されなくなったようです。
やっぱり金日成を超える英雄はいらんということで…
193 :
172 :04/02/24 05:03 ID:???
>>173 名称として称えるのは異存はない。
ただ、事実関係を言っているだけ。
李舜臣が日本国内の教育界、出版界でどう取り上げられてきたか。
その変遷を押さえておくのは重要だと思う。
戦後、常に語られてきたわけじゃないのだ。
あと、 >日本海海戦に望む司令官達がリスペクトしてたから という話。 東郷平八郎が、その祠のある方向へ敬礼し日本海海戦に臨んだ という話は聞いたが、「司令官達」というからには、 その他にもあるのだろうか? また、東郷たちのそうした気持ちの真意とは何なのだろうか。 深く掘り下げた話は聞いた事がない。
196 :
名無し三等兵 :04/02/24 14:31 ID:QRo9ucMW
李舜臣の戦闘行為、その成果に関するさまざまな書籍からの引用を 少しずつやって見ようと思います。 どんな表現がなされているか。 あくまで軍板的に。
197 :
名無し三等兵 :04/02/24 14:53 ID:c+La8a1q
>>194 その有名な話だが
俺は司馬遼太郎以外にソースを知らない
秋山が揺れる船の中で李舜臣に勝たせてくれって祈ったとか
なんか色々別な説があるんだが
どうも、そんな話無かったんじゃないか?って思ってる
なんせ、司馬だし・・・
何を作り話真剣に語ってるんだヴォケ
199 :
名無し三等兵 :04/02/24 15:33 ID:SbebUiM0
司馬はハッタリ虚構名人。
200 :
名無し三等兵 :04/02/24 16:02 ID:1u2r5QIy
202 :
名無し三等兵 :04/02/24 18:46 ID:QRo9ucMW
>>197 やはりそうか。
2chでは定説として流布しているが。
「坂の上の雲」だったのだろうが、そのソースは何だったのだろうねえ。
>>202 確か水雷艇の艇長が言った事が、
東郷が言った事にされたという話を聞いた事がある。
うろ覚えなんで事実か否かは知らぬが。
日本〜釜山の間の補給路が李舜臣の水軍によって遮断されたという「神話」は一人歩きし、 いろんな本で無造作に援用されている。 さしあたって手頃な本屋で立ち読みしてみた。 日本文芸社「歴史新聞」文禄の役の項は、 「朝鮮海峡の補給路を遮断された」 と表記している。 朝鮮海峡とは日本と対馬海峡の間約50キロの海路を指すが、 この間の補給路が遮断されたという証拠はない。 なぜなら李舜臣が日本船団の本拠地である釜山を襲撃したのは一度だけで、 この海峡の間で日本船団を襲撃した記録は皆無である。 しかもその襲撃によって補給路が遮断された事実はない。 このような誤った前提は、次のようなトンデモない見解を生む。
「2時間でマスター・戦国早分かり」(題名未確認) 金○○○郎 中○出版(あえて伏字) ここででは、「李舜臣の活躍で食糧が運べなくなった。 その表れとして平壌の小西行長は水軍が大敗した直後(文禄元年七月)は敵を撃退できたのに、 半年後は食糧難になって敗れている。」(要旨) 平壌の敗退は食糧難とは関係もなく、戦力の多寡が主因。 平壌に潤沢な補給があったとは思えないにせよ、 釜山〜平壌という陸上補給路の長大さのためで海での敗北とは関係はない。 著者は塾教師の経験をもつという。 この本は慶長の役の清正の蔚山戦を「敗北」と規定しているほどの暴論を展開しており、 こういう人が若者に講義をしていると思うとゾッとする。 恐ろしい事だ。
上述「2時間でマスター・戦国早分かり」(題名未確認)でさえ、 慶長の役の制海権には触れていない。 ところが、 集英社「まんが日本の歴史」(全20数巻)では、 慶長の役について、 「陸と海で苦戦を続け、海では大敗しました」 「海からの補給を閉ざされてしまいました」(詳細には記していないが、 日本〜半島の補給が閉ざされたというふうに読める) と絵の説明に書いている。 慶長の役では、日本〜半島の補給路は微動だにしなかった事は、 上のほうのレスにもある。 漫画を読んだ子どもらは、 「ああ、秀吉軍は食糧が生みから半島に送れなくなったので、困ったのだな。 太平洋戦争と同じだな」 というような誤った認識を抱くのは間違いない(書き手本人など大人が間違っているのだから嘆かわしい) こうした、明らかな謬見が一般化しているために、それが定説となり、 世の中に流布する。 恐ろしい事だ。
一方、 山川出版「日本史広辞苑」や、 学研、教育出版の中学校参考書(各一冊) は、李舜臣の活躍ぶりを美化している部分はあるものの、制海権には触れていない。 山川「日本史広辞苑」はさすがに専門書らしく、 「沿岸の制海権を確保した」 と、厳密に記述している。
204の訂正 朝鮮海峡とは、釜山と対馬の間の海峡の事。
209 :
名無し三等兵 :04/02/24 23:43 ID:G1TaTcnO
俺の持ってる小学館(講談社だっけ?)カラー写真たっぷりの ブリタニカ日本百科事典なんてもっと凄いよ 秀吉の朝鮮出兵の記述が無いの! で、いきなり日本軍大敗!とか出て来るのよ 秀吉の天下統一と同じくらいのスペースで その次あたりにいきなり大敗!って(w・・・ 開戦が載ってなくていきなり敗戦かよ! 真珠湾が無しでいきなりミッドウェー載せるような暴挙 この本は結構ベストセラーだから持ってる人多いんじゃない? 他にもつっこみどころ満載でした
朝鮮南岸へ上陸した日本軍は破竹の勢いで進撃し、瞬く間に漢城、平壌など 朝鮮の主要都市を攻略し、一部は明領内にまで到達しました。 しかし、朝鮮の道路事情は極めて貧弱で、しかも、各地には*ゲリラや山賊が 跋扈していました。(*ゲリラや山賊→韓国では、義民・義兵と呼ばれます) そこで、日本軍は黄海へ水軍を進め、前線近くまで海路で物資を送りたかった のです。しかし、それは李舜臣が率いる朝鮮水軍の活動により阻止されていま した。 このため、日本軍は前線への輸送を、困難な陸上輸送に頼らざるを得なくなり ました。日本軍が進撃するにつれて、せっかく釜山などに陸揚げした物資も、思 うように前線へ送れなくなっていきました。 また、朝鮮はもともと日本よりずっと人口が少なく、田畑は荒れており、食糧な どを現地で入手することも難しかったのです。 このような事情から、前線の日本軍の中には、少しずつ、補給に悩む部隊も出 て来るようになりました。
211 :
名無し三等兵 :04/02/25 00:22 ID:npqc56Z2
>>210 OKではないですか!
あなたの頭脳は明晰で文章も秀逸だ。
ただ、
>そこで、日本軍は黄海へ水軍を進め、前線近くまで海路で物資を送りたかった
>のです。しかし、それは李舜臣が率いる朝鮮水軍の活動により阻止されていま
>した。
の、まさに当スレの主題部分ですが、
黄海に水軍を進め、前線に海路物資補給という点ですが、
実際にそういう計画が日本軍にあったかどうかを示す資料も見当たらないんですよね。
あるのかもしれないが。
これは李舜臣の戦いと日本の船団および陸上軍の行動の足跡を見て
そうじゃないかと推察されるだけです。
当然ながらその足跡を見ると、日本〜釜山までの補給路が遮断され
その海上補給路がなくなり兵糧その他を運べなくなった、
という説が胡散臭いとわかるわけですが。
212 :
名無し三等兵 :04/02/25 00:28 ID:g/hBW93P
>>210 朝鮮はもともと日本よりずっと人口が少なく、田畑は荒れており
食料などを現地で調達することは難しかった・・・・
昔からそんな国だったのだな
213 :
続き :04/02/25 00:31 ID:???
その後、明の軍隊が朝鮮救援のためにやって来ました。 日明両軍は平壌で激突し、日本側が一度はこれを撃退します。 しかし、明はなおも大軍を朝鮮に送りこみ、多勢に無勢となった日本軍は 補給の問題も踏まえ、平壌、さらには開城からも撤退し、漢城まで引き下 がりました。明軍は追撃してきましたが、日本軍は、漢城近くで再び明軍を 撃退しています。 しかし、漢城ではこの頃、飢饉が発生していました。このこともあって、いよ いよ補給に困ることになった日本軍は、明との講和を決意し、明の使者を 連れて日本へ帰ることになりました。 こうして、文禄の役は終わりました。
214 :
名無し三等兵 :04/02/25 00:35 ID:npqc56Z2
>>213 「補給」という言葉を中心に据えて記述するとすれば、
それでOKじゃないでしょうか!
>明はなおも大軍を朝鮮に送りこみ、多勢に無勢となった日本軍 これ違う。半島で日本が寡勢になったことはない。 慶長末期に一時的に12万になったのが最大。
216 :
210 :04/02/25 00:37 ID:???
>>211 講評ありがとうございます。
>あなたの頭脳は明晰で文章も秀逸だ。
恐縮です。(´∀`*)
>資料も見当たらないんですよね。
そうなんですか。皆様の御説を読んで、いくつかサイトもみまして、
多分そうなんじゃないかと思ったものでして。
明軍は慶長末期に一時的に12万になったのが最大。
>>215 >>217 これは私の書き方が悪かったです。
在朝鮮の日明の総兵力の比較ではなくて、1593年1月の平壌での
状況を書いたつもりでした。
補給の問題に焦点を当てていたもので、大事な所を端折り過ぎました。
219 :
裸足侍 ◆cljj.KUKAI :04/02/25 00:51 ID:v0uxqE2j
まぁ朝鮮は昔から不毛の地ってことよ
>>202 司馬にしても「ソースを思い出せない」と言ってたようなw
つまり朝鮮を放置したのは明の焦土戦術
>>217 >これ違う。半島で日本が寡勢になったことはない。
しかし、当時、半島の秀吉軍は兵の半数を撤退させていたので、
推定6万くらいしかいませんでしたよ。
慶長の役は、開戦半年くらい(正確には忘れた)して、
秀吉の命令で戦線を縮小、同時に戦力も半減させているのです。
だから、明12万で押し寄せた時分は兵隊の数は逆転している。
縮小の理由は多岐にわたると思いますが、
積極的な意味を見つけるとすれば戦略的な意図(攻勢期を伺っていた)、
消極的な意味では、経済的負担の軽減ということでしょうか。
本スレの論点からはズレますが。
>>222 そうそう。
清正の篭城あたりだと、駐屯してた明軍の数は6万から8万程度なので
ほぼ同数。
最後の最後に新たな増援の結果12万にまで達してる。
この連中はもはや戦力にならない廃兵がほとんどだけど。
李舜臣 政治22・戦闘56・采配61・知謀38 こんな感じ。
226 :
考察 :04/02/25 15:19 ID:npqc56Z2
海上補給に関する秀吉軍への影響に関する謬見が一人歩きしてしまうのは、 李舜臣の活躍を漠然としかとらえておらず、 具体的にどのような場所で、 いつ、 どのような動機で、 どのような状況で 戦果を上げたかを客観的に見ていないからだろう。
227 :
場所 :04/02/25 15:20 ID:npqc56Z2
(1)場所=李舜臣の水軍が活動したのは朝鮮海峡(日本〜釜山の補給路)を遮断する空間ではなく、 半島南岸の沿岸である。 文禄の役では一時的に半島東端まで活動範囲を広げたが、 慶長の役では、半島西半分までしか進出できなかった。
228 :
時期 :04/02/25 15:21 ID:npqc56Z2
(2)時期=文禄の役で秀吉軍が釜山に上陸してわずか一ヵ月後には 李舜臣の水軍は活動をはじめ、戦果を上げている。 その後も秀吉軍の陸上での進撃は続いていたのだから、 李舜臣の活躍と秀吉軍の停滞とは必ずしも符合しない。
229 :
動機(作戦目的) :04/02/25 15:22 ID:npqc56Z2
(3)=文禄の役初期は日本の船団が停泊する場所への奇襲攻撃。 後期は基地への積極攻撃。前者は成功するが、 後者はそれほどでもなかった。 兵站基地を制圧する事は出来なかった。
230 :
状況 :04/02/25 15:23 ID:npqc56Z2
(4)状況=ほとんどは多勢に無勢、 つまり李舜臣の側が船の数において 日本船団よりかなり優位に立っての攻撃だった。 少ない船で多くの日本の船を打ち負かした例として、 慶長の役における鳴梁海戦があげられるかもしれないが、 これも記録が大げさすぎて、 かえって疑問が生じ実態はどうだったか分からない。 日本側が沿岸築城し少数の船団で行動しなくなると 戦果はさほど上がらなくなっている。
231 :
日本側の反応 :04/02/25 15:24 ID:npqc56Z2
(5)日本側の反応=水軍敗北の記録の一方、 陸上での戦闘状況や海上行動を見ると必ずしも連動していない。 つまり、水軍敗北が全般の状況に決定的影響を与えたとは見受けられない。
232 :
結論 :04/02/25 15:25 ID:npqc56Z2
李舜臣が日本の海上での行動を大幅に制限させる事に成功したのは認められるものの、 それによって半島の秀吉軍と日本本土との 「補給路が切断された」 とは言いがたい。
もう一つのスレはスレタイの征伐の文字が気になって書き込みにくい。 陸戦もこっちで語っていいのだろうか
>>233 歓迎ですが、スレタイは李舜臣関連。
あっちは淋しがり屋の粘着引きこもりが村八分になってすねているようなので、
行ってやれば喜ぶでしょう。
自作自演で引き伸ばしレスばかり書いているようです。
レベルを上げてやってください。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>232 まとめ乙andサンクス。
以下は個人的な感想。
李舜臣は、一定の戦果を挙げているし、
戦況を一方的な敗退から膠着状態にもちこんだ功績は大きく、
同時代の水準からみても、
高い評価を与えるべき武将であることは確かなようですな。
李氏朝鮮にとって「救国の英雄」であることはまちがいない。
だが、現在の日本の教科書のように
あたかも「頽勢を一気に挽回し、日本軍を追い落とした」かのごとく
記述するのはひいきの引き倒しである、ということですね。
結論が出ましたね。
まだ250もいってないが・・・後どうするの。
日本史板の方々にでも見てもらいますか?
じゃ金春秋の評価を頼むニダ
「救国の英雄」というのも言いすぎのような気がするよ。 李氏朝鮮を救ったのは略奪さえできない貧しい国土と後から来た明の援軍(中央軍の方)。
あぼーん
あぼーん
まぁ、半島の人たちにとっての救国の英雄、でいいじゃない。
あぼーん
>>246 妄想への逃避時間を延ばしてるのは救いになるのか?
宗教と同じで歴史捏造も阿片だと思うガナ。
>>248 もう半島はウザイからどうでもいいの。
そこそこの名将だから、香具師らが救国の英雄と呼びたければ呼ばせておけばいい。
日本の教科書では「まぁまぁがんばった将軍がいましたとさ」と触れる程度で。
正直、本当に日本軍にやられたのかね? 背後からやられた可能性も高いと思うが。
(;´Д`)
世界史板の李舜臣スレで最後(明をそそのかして講和後の撤退中の日 本軍を急襲、逆に返り討ちにあい戦死)を見た時「何だかなぁ」と思ったけ ど、このスレでの「前半活躍・後半不活躍」を知って、無理にでも大きな 功績を挙げておかないと、当時の朝鮮王朝(の重臣とか)に疎まれて、 謀殺されたりしたんだろーなー、とか思った。
>>252 おもしろい見方。
李舜臣も後役ではそれほど活躍の場はなかった。
文禄慶長の役に関して、戦後の「権威」となっている北島万次の著述が、 文禄の役での李舜臣の活躍によって、 「補給路を切断した」 と表現している。 これが一斉に流布しているのだと思う。 「乱中日記」(李舜臣の当時の日記)の翻訳本を出している権威だから、 みんなこれに依拠しているのだろう。
当時の秀吉軍にとって「補給」とは いうまでもなく、近代的なそれではない。 真相かどうかわからないが、 糧抹確保に関しては、 戦場での人さらい強奪が当時の習いだったという話からすれば そうした行為や、あるいは穏便には交易によって 半島内で自足していた部分が大きい。 李舜臣が一時的に釜山を攻撃したことも、 その一点では「補給路切断」と評価されるにしても、 たった一度の行為で役全体の補給に関して影響したとは思えない。
やはり大敵は援軍として来てた明軍だったんだな。 さして数が多いわけでもないのに。
なぜここまで必死なんだ
あぼーん
あぼーん
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まあ、「それなりに有能な提督」といったところ
ていうか何故荒らされるの? 重複スレとか主張している人がいるが向こうは朝鮮出兵全般を、 こっちは李舜臣個人に付いて語ればいいじゃん。 李舜臣について語ると都合の悪い事でもあるのか?
>>270 初めて聞く真実にうろたえているのでしょう。
必死だな(w
李舜臣しか居ないんだろ。 あとはテロリストくらいかw
一応ね、白村江で日本に半島から手を引かせ、さらに唐も追い出して 民族初の統一王朝を築いた新羅の国王なんか、見事な手際だったと 思うし、他に誰もいないということはないでしょ。たぶん。
275 :
名無し三等兵 :04/02/28 22:23 ID:A+qC1Z9S
>>274 禿同
国内の争いに外国勢力の介入なんてとても危ないことしてるけど…
名前は知らないけど新羅の国王は英雄といえると思う。
276 :
名無し三等兵 :04/02/28 23:35 ID:hrCS1Z27
金春秋のことかな? 英雄で大政治家なのは間違いない ただし民族統一といっても 唐・高句麗・新羅・百済そして倭。どことどこが異民族?どこが同一民族?
有名人の名前を覚えたくても覚えにくいの多いし、発音もなんて言っていいか分からん。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
なぜ荒らすんだろうね(w
上がっても無いのに荒れてる・・・やなスレだと思うならとっと放置して DAT落ちするのをニヤニヤしながら待てばいいのに・・・
286 :
名無し三等兵 :04/03/01 09:14 ID:lCZ8tPID
粘着に、李舜臣の戦いの後を振り返って、 その果した役割を冷静に分析してみれば分かる。 繰り返す事になるようだが、結論から言うと、それによって戦局全般に 果した役割はあるものの「補給路切断」とは言えない。 半島の日本軍に決定的ダメージを与えたのではない。 どうして秀吉が失敗したか、ということの判断の材料になる。
287 :
まあみてくれ :04/03/03 19:44 ID:QwKx0nIq
では 李舜臣=アーレイ・バーク ということで。
289 :
名無し三等兵 :04/03/03 20:01 ID:990VQFzj
田中頼三ぐらいじゃないか?
>>287 でたらめばっかり、という他にも、韓国の将軍を持ち上げるあまり、
明軍の評価が低すぎると思う。
291 :
名無し三等兵 :04/03/03 21:16 ID:Mtl7JZ0B
292 :
名無し三等兵 :04/03/03 21:36 ID:0HI7vhP3
>>290 明軍が秀吉軍以上に略奪・暴行の常習者であることは
歴史の常識であると思うのだが?
293 :
名無し三等兵 :04/03/03 21:37 ID:QwKx0nIq
上の教育資料(287)にある内容の一節。 T(先生)「海を朝鮮国に押さえられた秀吉軍は,ど うなったと思いますか。」 S(生徒)「人を送れないし,帰ってこられない。」 S「人だけでなくて武器や食料も送れない。」 T「すると陸での戦いはどうなるだろう。」 S「秀吉軍は負けていったと思う。」 そこで,「蔚山城の戦い」の図を調べた。 中心部では,鉄砲を打ちかけているそばで牛 を殺して食べようとしている加藤清正軍の兵 士の様子を見て,「やはり食べ物がなくて困 っているようだ。」と発言していた。 +++++++++++++++ これが「授業」の実態だ。 つまり李舜臣のために「「人を送れないし,帰ってこられない。」 「人だけでなくて武器や食料も送れない。」 と子どもに認識させる。 これが大嘘である事はこれまでの上述のレスにもあった通りであるし、 少しでもまともな著述ではそうは決して書いていない。 ところがこうした教育現場ではまかり通っているのだ。 戦慄を覚える。
294 :
293の続き :04/03/03 21:38 ID:QwKx0nIq
しかし、教育現場の軽薄な教師たちだけではない。 一般書にもある典型的な表現がここにある。 もっとも悪意的に採用していることも考えられるが……。 すなわち、「補給の困難」を言った次にすぐに、 「蔚山・清正」を引用するという典型である。 ご承知のように蔚山城の「飢餓」の原因は李舜臣や海上補給の話とは無関係な、 たんなる篭城戦の有様に過ぎない。 こうした「印象づけ」が一般書物でまかり通っており、 こうした悪質な教育現場にも活用されている。 こういうのは社会問題、教育問題でもあり改善の必要があるだろう。
海外進出に備えて補給の重要性を教えようとしてる 帝国主義者の教員ですね
296 :
294 :04/03/03 21:40 ID:QwKx0nIq
やや文章が荒れたが、ご容赦。
297 :
290 :04/03/03 21:50 ID:???
>>292 いや、それはもちろんそうなんだが、韓国のいう義民・義兵以外の、軍隊同士の
戦闘で果たした役割を無視しているように思えたので。彼らも日本軍にそれ相応の
被害は与えているでしょう?
明軍では最初に来た遼東半島の現地兵は軍紀が緩く略奪が酷い割にはあまり役に立たなかった。 戦力になったのは後から来た中央軍。
299 :
名無し三等兵 :04/03/06 01:18 ID:cUlqR0cD
明軍は島津に大敗して壊滅したらしいぞ
300 :
名無し三等兵 :04/03/06 03:26 ID:8NLIqYob
>>299 それは、李舜臣とは関係のない話。
島津は桜大根でもしゃぶってイモ焼酎飲んでなさい。
301 :
某研究者 :04/03/06 03:29 ID:MNf/LAqF
島津が最初から出陣していれば 朝鮮本土は李舜臣が活躍する前に制圧され 明迄或いは滅ぼされていたのだろうか
302 :
名無し三等兵 :04/03/06 04:00 ID:8NLIqYob
ちょっと、最近の某研さんも 脳梗塞かかってません?
朝鮮出兵に対応して兵を動員したのが弱りかかっていた明に 多大な負担となって滅亡を早めたのは事実でなかったかな。
秀吉は自分で行けって感じだよな。
この手のスレは日本びいきもアホなこと言い出すから スレそのものがネタ化してしまうんだよな。
>>305 それ重要な点なのだよね。
秀吉は自分で渡海する意志を明確に示していて、途中状況が変わり
取りやめたけれども、
その理由は「制海権」問題などじゃなかった。
↑ 訂正。 304へのレスだった。
308 :
名無し三等兵 :04/03/09 16:42 ID:lU/BsSjS
初期、李舜臣が活躍した直後あたりでも朝鮮海峡を武将たちが往来している。 李舜臣が取った戦法は各個撃破が基本。 なので、まとまった船団を組んで行動する。 朝鮮海峡を封鎖するには釜山港を封鎖すればいい理屈だが、 それができなかった事実を考えてみる必要がある。 文禄慶長の役を通じての李舜臣の「快勝」とは 閑山島(文禄)、鳴梁(慶長)の2つに絞られるんじゃないか。 あとは、沿岸にたむろする少数の日本船団(目的は不明) やたまたま遭遇したのを襲撃したものがほとんど。 撃破した「大中船」というのも概念が曖昧。 結局南岸を日本の船団が自由に往来できなくした という防御的性格が濃く、とても「補給路を遮断」したとは言えない(文禄)。 慶長役では沿岸城のうち最西の順天の小西に海路補給が不便だったのは事実だろうが、 実際は、李舜臣復帰後もしばしば在陣武将に本土から兵糧を送っていること、 (順天は不明だが)周辺耕作やそれ以前の備蓄から、 困窮するような事態ではなかったように思われる。
何時も亀甲船で思うんだけどこれどうやって帆の向き変えてたの? 天井がふさがっている以上どこから帆の向きを確認していたんだろうか。
このスレ凄まじい落ち方をしていると思うのは被害妄想?(w
>>311 全く分かりません(w
313 :
名無し三等兵 :04/03/10 03:50 ID:V8pDJKNt
2ch軍事板の「猛者」が中世の「軍艦」に関するウンチクを 語らなくなってしまってはオシマイという感じがする。 亀甲船に関する考察はいろいろあるとおもうのだが。 写真など見る限り。 あの模型を見て当時の「海戦」の実像がどれほどリアルに体得できるものか・・・ 中には戦闘要員兵士が充満しているはずだから、 片舷8本の櫂(櫓?)ですばしっこく戦闘船として活動できたのか? 出来たとしても限界があろう。 李舜臣の「戦果」は事実なのだから、その実像をぜひ知りたいものだ。
韓国人の知り合いが「李舜臣は世界中で一番評価高いの!知らないなんてありえない。 常識だよ!」だってさ。ちなみにリトル以外にも松井も中田もイチローもキムタクも チョンらしい。普段はいい奴なのにやっぱチョンはチョンだな。
フレッチャー提督はパプアニューギニアの神
俺は神だ!と言う人に お前は神なのか?と聞いてどうするw
http://www.nagare.or.jp/nagare/20-4/20-4-danwa.pdf に亀甲船の工学的な説明が書いてある。
それによると現在、博覧用に陳列されている亀甲船は、
李舜臣死後200年経ってまとめられた「李忠武公全書」に記載された図を
現在の造船工学者が近代工学の立場から分析し設計図にまとめたものだという。
櫓は両舷全部で20本(片側10本)あり、これを一本5人のチームで漕いだという。
計算の結果、亀甲船は「余裕で6ノットを出せた。これは日本の小早船と同じ快速となる」
との説明である。
これによると亀甲船の乗員は148人という。 漕ぎ手衆の合計が20×5=100名だから、戦闘要員は48人になる。 漕ぎ手衆も戦闘に加わるということになれば戦闘中は船は機動しない理屈となる。 砲門(窓)の位置が櫓の位置と交錯しているようなので、 発砲時(戦闘時)はほぼ碇泊した状態であったと推察されるがどうなのだろう。 6ノットという数字は文献から、 「出発点から到達点までの所用時間が2時間と見積もられる」 ことをもって、距離から割り出した速度らしい。 穏やかな海だったことを前提に2時間、100人が全力の三分の一くらいの力で漕ぎ続けると 計算上可能な数字という。
>>320 >>319 のリンク先によると各櫓の人員5人のうち1人は班長で
残り4人の漕ぎ手が2人ずつ向かい合って漕いだと考えられると書いてある。
つまり、実際に漕いだのは4人×20本=80人。
細かい事でスマソ。
>319 私は流力は解らないのだが、その記事の最後にある「櫓が失速状態」ってどういう意味? なんか、復元が根本的に間違っているんように思える。 そもそも、死後200年たって編まれた資料なんてあてになるのかな? 朝鮮も海禁政策をとっていたから、亀甲船なんて机上の空論になってたんでないの。
>322 その記事が述べていることは(カッコ内は私による補足) ・人間が継続して発生しうるのは0.1馬力(現代の日本人成年男子の平均値だったはず) ・シミュレートによって得られた「亀船を6ノットで航行させるのに漕ぎ手一人あたりが発揮すべきパワー」は 0.03馬力 ・つまり、亀船は「パワーの割に異常に遅い」 ここまでは流体力学の知識無しに読み取れるはずです。 ・ソウル大学での実験から原因を推定すると、 「櫓が失速状態で動かされている(櫓ではなくオールとして作動している)ので効率が悪いため」 ということです。 「櫓のセット状態が正しく復元されていない」と仮定するならば 「実際には抵抗が数倍大きな形状だった」 「漕ぎ手が現代の成人男性よりずっと非力だった」 「漕ぎ手の人数が間違っている」 などの可能性を検証することになります。
>>323 >亀船は「パワーの割に異常に遅い」
(櫓の失速を考えなければ)
「日本の小早船」と同じくらいの快速(6ノット)を「余裕」(一人0.3馬力)
で出せるのだから速度についてはそれなりの満足な船である、
というふうに読めるのだが。
↑ 訂正=一人0.03馬力。
>324-325 はい。「戦術上は十分な性能」と読めます。解説する必要もないほど明確に書かれていますね。 櫓の失速云々の話に答えたまでです。
>>326 ということは、
櫓が効率的に設定されてなかったか、
あるいは、復元したものよりも、もし効率的に設定されていたとするなら、
1)船の形状が造波抵抗の大きい形状(もっと幅が広かった等)であった
2)漕ぎ手が非力であった
3)1チーム5人編成でなく、3人くらいであった
4)文献の一例からすると当時、海流、波浪の悪条件があった
という可能性があるわけなのですね。
(以上は、想定された前提条件=2時間で到着したという文献の信憑性、
亀船の資料の信憑性などを肯定してのことですが。
というのも復元された亀船の写真を見るとマチマチなので、
例の工学的検証は亀船をできるだけ合理的に解釈するという
前提で考究されているように見えるから)
>327 「櫂は三日で櫓は三年」という諺があるくらい櫓を漕ぐ技能の修得には時間が掛かるものですが、 0.「櫓ではなく櫂(オール)を使っていた」(復元は正しい)という解釈もありえます。
手元に有る学研歴史群像シリーズ35【文禄・慶長の役】のP125に
『李忠武公全書』の意訳が載せられていますが
ここの統制営亀船の記述では“二人漕ぎの大櫓”が二十挺と記されています。
>>319 のリンク先は『李忠武公全書』を元にしている筈なのに
一本五人のチームで漕いだという話は、一体何処から出た人数なんだろう
寧ろ二人で漕いだと云う方が納得いくのだが。
>329 李忠武公全書 の時代には、すでに亀甲船の詳細が不明になっていたのだろ。 「二面の絵図と694文字の説明」では、いかに漢文の情報量が多いといっても限度がある。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>328 櫓が十全に機能していたとしたら、
復元された亀甲船の船体構造が、
あまりに近代的合理的すぎる、
という解釈にもなりませんか?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>334 ループは止しましょう。 >323で私も書きましたし、>327氏も指摘しています。
339 :
名無し三等兵 :04/03/12 16:23 ID:PRh1xghj
>>335-
>>337 君に聞きたいのだが、何故荒らすのか?
340 :
名無し三等兵 :04/03/12 16:59 ID:PRh1xghj
>>335-337 そういうのもつれないので、一つ聞いてみる。
李舜臣の戦いで最大の謎が、慶長の役での鳴梁海戦だと思うのだ。
12隻で130数隻(10倍の相手)を迎え撃ち30数隻を撃沈破したという。
朝鮮側は漁船100隻をカモフラージュにしたという話だが、
何か講談地味ている。
この一戦で李舜臣が勝利し日本側が大きな痛手を受けたのは
このとき来島通総が戦死していることからして確かだろう。
しかし、
疑問1、戦力差からして被害が非常識
疑問2、亀甲船が活躍したとしても、それまでの経験から日本側も警戒心はあったはず。
疑問3、これらの日本側船団の目的が分からない
341 :
名無し三等兵 :04/03/12 17:00 ID:PRh1xghj
考えられる事。 日本側は前線の戦闘船が交戦しただけであとは逃げ帰った。 実際は朝鮮側の戦闘戦力(「100隻の漁船」が問題)が圧倒していた。 日本船の目的は周辺のどこかに上陸して拠点を築くのが目的で、 朝鮮の全羅右水の攻撃が目的ではなかったのではないか(朝鮮側の抵抗を予想してなかった) 当時内陸で最も北進した黒田軍が内陸で反転したのはこの一週間ほど前なので、 海戦との関連が符合しない。(この海戦が日本軍の反転の原因になったとは断定できない) 以上、どうなんだろうね。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
345 :
名無し三等兵 :04/03/12 20:15 ID:ZYyvHrfk
これ以上荒らされるなら、このスレのまとめHP作った方がいいな。
下げて荒らしているのを見ると、 どうも話題が気に食わない、李舜臣の話を神話化したままでとどめたい 朝鮮人のような気がするが・・・
(´-`).。oO(亀甲船=潜水艦という電波を浴びせられた事があったなあ)
>>348 だって、あっちの166が俺だけどさ、止まってるよ明らかに。結局朝鮮(と言うより本来明国なんだが)進行時に軍事的に語る価値があるのは、李提督ぐらいって事じゃないの?
>>348 じゃあ、君がそっちのスレを伸ばせばいいのじゃないのかな。
それなりの考究を深めて。
文禄慶長の役は李舜臣に関する事柄だけじゃないのだから。
こっちを荒らすことはないだろう。
少なくともこのスレでは、李舜臣に関する微細な疑問、
事実関係が述べられている。
君が「重複」として軽視する前に、例えば、
>>340-341 にあるような疑問にまず答えてみてくれないか。
君の認識力が判定できる。
言っておくけどネットをくぐっても満足な回答は探せないよ。
(あったら紹介して欲しい)
荒らすのが信じられない。
李舜臣の定説への追求を煙たがる者としか思えないね。
>李舜臣の定説への追求を煙たがる者としか思えないね。 あっちのスレの >1 が拗ねているという可能性も捨てがたい。
1 名無し三等兵 04/02/16 12:47 ID:aRZfZ/C/
こっち、
1 名無し三等兵 sage 03/08/05 21:12 ID:???
あっち。
期間ととしては、一ヶ月余りで、300超えるこっち。
五ヶ月以上だって、こっちの合流勧告除けば半分くらいなあっち。
すねる気持ちも分かるな。
>>348 合流勧告は、立派です。
それは認めますから、あっちでの俺の意見にレスくれない?
やっぱ例えなら田中頼三提督程度だよなー アーレイバークは言い過ぎだろ?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
358 :
名無し三等兵 :04/03/31 10:38 ID:5Sjd/s4n
海底からはいまだに当時の日本船が発見されていないが。 それより400年近く前の元寇の船でさえ発見されているのに。
>>1 ←こんな出鱈目を流布した司馬遼太郎はA級戦犯以上のS級売国奴だ。
日本の厨房のみならず韓国のネチズンに「架空」歴史評価を信じ込ませた。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
363 :
名無し三等兵 :04/04/01 02:52 ID:fxCZkeNs
364 :
名無し三等兵 :04/04/01 04:28 ID:tRWpJVNV
>>354 田中少将を舐めるな!
米軍のキンケイドあたりが関の山だ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
368 :
1 :04/04/01 11:57 ID:sRY3BXDb
亀甲船は沖縄起源って知ってたー 日本の脅威や倭寇などで日本を嫌ってた沖縄人が 朝鮮に亀甲船をおしえたんだって!!! だから!!!ずばり!!! 亀甲船は日本起源!!!!!!!!!韓国の教科書にちゃんと書け
あぼーん
あぼーん
あぼーん
372 :
名無し三等兵 :04/04/01 15:29 ID:nch5j9PW
亀甲船とは実はガメラだったというのはガイシュツか? 秀吉が実は腕が六本あったというのは歴史的事実らしいので 亀甲船=ガメラ、秀吉=バイラスという可能性が高い ガメラ・ゴヂラの影響を無視しようとするのは日本の歴史学の 欠陥の一つである・・・・・『逆説の日本史』より
近ごろの調査で東郷が褒めたという話は小説の記述以外にソースがないことが判明しました。
374 :
名無し三等兵 :04/04/01 16:42 ID:fxCZkeNs
>>373 それに「乱中日記」が編さんされたのも李舜臣死後200年近くたっての話で、
朝鮮ではそれなりに知られていた。
「李舜臣は近代まで忘れられていた」
というのは、誰が言い出したのか・・・。
ソースは怪しいものだ。
375 :
名無し三等兵 :04/04/01 16:45 ID:fxCZkeNs
しかし秀吉軍のいくさの中身を 誇張したりデマに近い過大評価をすることへの批判は、 妨害されるべきではない。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あらしウザイ。 消えろ。
380 :
名無し三等兵 :04/04/02 14:02 ID:+XAcbE2U
李舜臣の勝利の原因は、亀甲船とか、そういうアイデアじゃなく、 結局は多勢に無勢、日本側より常に数倍の戦闘船で攻撃したからだよね。 そのことだけはシッカリ抑えておこう。 軍事板らしく。
381 :
少佐 :04/04/02 14:31 ID:H6d3LdfQ
偉いのは秘密兵器「亀戦艦」を作った技術者だろう。 あんなもんが来たら日本の船じゃ勝てる訳がないじゃないか。 大きさも火力も速度も違いすぎるんだよ。 船の先にドリルまで付いてるんだよ。 お前等は古代ギリシャ人なのかよと言いたい。
382 :
少佐 :04/04/02 14:34 ID:H6d3LdfQ
秀吉はスペインに頼んで「サル戦艦」を作って戦いに臨むべきだった。
383 :
名無し三等兵 :04/04/02 18:34 ID:ymSfTmdW
アンジョンファンが日系人って知ってたー
>>104 三成がいなかったら朝鮮までの食糧補給が不可能だったはず。
それだけの優秀な官僚を追放なんて・・・
李舜臣は掃き溜めの鶴だったということ 世界レベルじゃ並の提督
あぼーん
あぼーん
あぼーん
武功夜話が偽書扱いされているようだが、まだ確定されているわけではないぞ。 「歴史研究」誌上での論争とかまだ続いているよ。俺は偽書のように思うがw 李舜臣が名提督で亀甲船が非常に優秀な船だったりしたら、島津の輸送船団と 戦って戦死したりするようなことはないと思うのだが。
ヘンな嵐が住み着いてますね。このスレ。 内容は良いのにもったいない。
亀甲船がそんなに優秀ならその後も作られていただろう。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>393-395 なんとまあこまめに荒らすことだこと。
一日中貼り付いているのか、ここに。
呆れるな。
お前の過去のログを見て、粘着どころか頭がおかしいのじゃないかと思う。
たまに見て誰かが書き込むと即反応しているものな。
>>390 オレも「武功夜話」に書いてある内容は部分的な歴史的信憑性はともかく、
同時代的な貴重な資料だと思う。
このスレに関して言うと、文禄の役で創作とは思えない活写がある。
李舜臣に関しては触れていないが。
まあ、重複スレに書き込む荒らしもいるものだ。 このスレ自体、板への荒らしだ。
399 :
名無し三等兵 :04/04/04 02:30 ID:cT8fdvFe
>>398 驚いたね。
400近いレスに対して「荒らし」とは。
荒らしているのはお前1人。
いいか、2chはお前のためにあるのではない。
400 :
名無し三等兵 :04/04/04 03:15 ID:yJrnHQu2
ナポレオンのエジプト遠征やハンニバルのローマ遠征などなど、世界史の上でも有名な遠征の数々と比較しても、当時の日本の朝鮮征伐での十五万もの将兵を派遣した遠征は相当な大遠征であり。 それが実行できた日本の国力はかなりのものだと言えるのだけどね。 まあ。それでもやはり無理があったか。 もともと土台が揺らいでいた明は、日本との戦争でいよいよガタが来て新興勢力の清に滅ぼされるし、朝鮮半島は国土全体が焼き尽くされる。 結局、遠征は失敗だったと言っても、これが出来た当時の日本軍は強いと言えるだろうな。 後に台湾の鄭一族は、清に対抗するために日本に援軍を求めたのは、このときに日本の国力を知ったからに他ならない そしてそれを追い詰めた李舜臣の軍略家としての技量も評価するべきだろう
戦争とあまり関係ないところで数度勝っただけの将軍でしょ? 朝鮮側の絶対評価で最高てんかもしれないけど全国偏差値では並みでしょ?
あぼーん
>>400 >そしてそれを追い詰めた李舜臣の軍略家としての技量も評価するべきだろう
追い詰めたのかどうかを検証し直そうというのがこのスレの要旨です。
お国自慢の前半部は、非常に論理的ですので、李舜臣についても論理的な書き込み
をお願いします。
この板もDQNが住み着いたか。 重複スレッドということだけで進行させることは 即荒らしだということは事実なのに。 レスの数は関係ないものだ。
405 :
名無し三等兵 :04/04/04 23:55 ID:cT8fdvFe
>>404 日本語がまともでないですね。
「こと」
という語句の乱用のため意味が通じません。
どう見てもこちらのスレッドの方がレベルが高い
>>390 構造上、亀甲船からでは指揮が取れないんじゃなかったっけ?
>>374 「乱中日記」(李舜臣の当時の日記)
「李忠武公全書」(後年編さんされたもの。この中に亀船の絵図あり)
この絵図と700文字足らずの文章から復元作業が行われた。
重複スレを認めると、板のレベルが下がるからねえ。 このスレはすでにそういうレベルになっているがw
李舜臣の最後の攻撃は明・朝鮮の三将が小西に買収されて停戦合意してしまった後だが空気読めないよね
414 :
某研究者 :04/04/06 06:55 ID:KM+J6O2I
亀甲船も当時の絵も設計図も実物と言うのは 残っているのかだろうし 実際どう言う物だったか確証は有るのかだが
415 :
名無し三等兵 :04/04/06 08:12 ID:tBzOZyqK
>>409 どうも全体像がよくわからないが、素人目でみても競艇のボートのように船の下部は平べったい感じがするな
この構造では、速度は出るかもしれないけど、横波でも受けたらひとたまりもなく転覆するだろう。
確かに沿岸部で波が穏やかなときしか使えない船かもしれない
416 :
名無し三等兵 :04/04/06 11:26 ID:WBMc0Co0
417 :
名無し三等兵 :04/04/06 11:37 ID:WBMc0Co0
>>415 上のほうにあるPDFのサイトや
>>410 のサイトなどによると、
「速度6ノット」は確かに速い部類に入る。
その場合「静水」の状態であるということが条件になっている。
つまり、嵐や波が高いときには所定の速度は出せないかもしれない。
一方、李舜臣は日本船に対して「風の如くに速い」(引用句いかもしれない)
と評価している。
船の構造からそうなるらしい。
=========
これらから想像できる結論は、
波が高いと亀甲船の昨日が発揮されなかった。
(日本船は不利と見るやさっさと逃げることができる)
ということか。
418 :
名無し三等兵 :04/04/06 12:34 ID:tBzOZyqK
地中海の覇権を決めた。ローマとエジプトの戦い あるいはナポレオンとイギリスのネルソン提督 日露戦争での日本海海戦などの戦いでも分かるように、海戦というのは元来、決戦傾向になりやすい。 海上では、長期間留まることは難しいことなどから、一度の戦いで全てが決まるからだ。 第2次大戦では航空機優勢となり、海上決戦はついに行われなかったが、その当時の海軍は日米共に最後まで海上決戦に拘っていた。 その点で言えば、李舜臣の戦法は得意と言える。 あの時代に輸送船を狙い撃ちにした持久戦を行った点でね。 やはり第二次大戦でドイツは圧倒的な戦力差のイギリス海軍への海上決戦は無理と諦め Uボートでの海上航路の遮断を求めたのと同じ発想かな? それにしても、それが出来た背景がよくわからん 朝鮮征伐については、ネット上の朝鮮半島側の資料は、例によって針小棒大が過ぎるし 日本側ではあまり語るサイトも本もないからな。どしてだろ?
419 :
某研究者 :04/04/06 12:40 ID:R5/7fd1M
>着目すべきは日本側史料で、 >この形からすると亀甲船の姿は復元されたイメージを >ほぼ伝えている。 >もちろん細部は分からないが。(掲載された絵も極めて近い現在に加筆されていると思われるが) 此れは果たして当時の絵なのかだが 当時の絵と言う物は 細部の分かる物は残っていないかも知れぬだろうか 実物も無いのなら細部は全くの推測であるかも知れぬが 亀甲船も亀甲船以外の船を元に作成されたので有るなら 亀甲船以外の朝鮮の船から大体構造は推測出来るかも知れぬが 亀甲船以外の当時の朝鮮の船の実物や当時の絵は残っているのだろうか
420 :
某研究者 :04/04/06 12:47 ID:R5/7fd1M
まあ輸送部隊がやられたとの記述は見ないし 移動中の軍隊がやられたと言う記述しか無い訳だろうし 物資は当時の軍隊は現地調達が基本である訳だろうか (例外は秀吉の小田原攻めの際に用いられた輸送船位だろうし これは物資の現地調達が可能なら無用な物だろうか) 輸送部隊は存在せず海上を移動中の軍隊がやられただけなら 物資の現地調達を妨げた陸上の民衆の抵抗こそが 進撃を遅滞させた原因でであるのかも知れないが
421 :
某研究者 :04/04/06 12:50 ID:R5/7fd1M
物資の不足で進撃が遅滞したのかだろうし 海上でやられたのが原因かも知れぬが 陸上ルートでもっと攻めていれば 或いは部隊の消耗も無かったのかも知れないが 日本側は朝鮮は飽く迄明への通り道にと考えており 陸地は迂回した方が得策との判断が働いたのかも知れないが
422 :
某研究者 :04/04/06 12:53 ID:R5/7fd1M
民衆を最初は殺さなかったと言う記述も有ったから 抵抗を許し物資調達も出来なかったのかも知れぬし 李舜臣が居なく成ったからではなく 民衆を殺し初めてから進撃が容易に可能と成ったと言う事も 有るのかも知れないし (確か二度目の出兵時には民衆を殺していたとの記述が 有っただろうか) そうであれば秀吉が生きていれば勝っていた可能性も有るだろうか
423 :
某研究者 :04/04/06 12:57 ID:R5/7fd1M
軍が勝利し続ければ民衆が居なく成って焦土化しても 攻め込む事で物資は(相手が焼き払わねば)奪えるだろうし 本土から人員を移住させる事も可能だろうし 其の船が狙われる可能性も有るだろうが地上の根拠地を制圧して仕舞えば 朝鮮水軍も活動は困難だろうか
424 :
某研究者 :04/04/06 13:00 ID:R5/7fd1M
矢張り異民族同士の戦争であるから 日本軍も日本国内程円満に物資が調達出来なかったと言う事も有るかも知れぬし 物資を調達するには 民衆を殺すしか無い場面も有った言う事だろうか
425 :
某研究者 :04/04/06 13:02 ID:R5/7fd1M
兎も角過去の文献で補給部隊がやられたとの記述は無いだろうし 海上を移動中の軍がやられたと言う事だろうか 補給船を送ったとの記述は幾らか有るが これがやられたとの記述は見当たらない訳だから 海上で兵力はやられていたが物資は調達出来ていたのだろうか
426 :
某研究者 :04/04/06 13:06 ID:R5/7fd1M
ローマに攻め込んだハンニバルや 仏に攻め込んだ英軍に補給部隊等居らぬだろうし 当時の戦争では物資は軍が最初に持ち込んだ物を使うか 現地調達が基本だろうし 秀吉の小田原での輸送船の利用と言うのは 例外的な物かも知れぬし下手をすると此れが世界初の 補給部隊の利用と言う事にも成るだろうか
427 :
某研究者 :04/04/06 13:10 ID:R5/7fd1M
明もどうせ攻めるので有るなら 明軍も自分達の地の利の有る場所に引き摺り込んで殲滅すると言う 手も有っただろうし 明と朝鮮軍と同時に当たる事を無用に恐れた部分も 有るだろうか
428 :
某研究者 :04/04/06 13:17 ID:R5/7fd1M
429 :
某研究者 :04/04/06 13:19 ID:R5/7fd1M
進撃より領地の獲得・足固めを 武将達が優先したと言う事は 無いのかだが 朝鮮に根拠地を確保して秀吉の死後に秀吉に対して 叛旗を翻そうと言う考えは 武将達には無かったのかだが
430 :
某研究者 :04/04/06 13:25 ID:R5/7fd1M
民衆に歓迎されている様な状況で 戦いだけに専念出来るのかと言う事は有る訳だろうし 矢張り足場を固める事を優先しようと言う意識が 起きても可笑しくは無いだろうか (苦戦を伝えれば本国から物資も届くかも知れぬし 其の物資も着服しようと考えた可能性も有るだろうか)
431 :
某研究者 :04/04/06 13:40 ID:R5/7fd1M
第一次出兵では民を殺さず 第二次出兵では殺したのは 秀吉が前線の武将と民が融和し朝鮮が反秀吉の 根拠地と成るのを第二次出兵では恐れた故かも知れぬし 第二次出兵で突然民を殺し始めたのは 秀吉の命令だったかも知れないが 和平と称して一旦兵を引かせてから 再度侵攻し其処で民を殺させようとした可能性さえも 有るだろうか
432 :
某研究者 :04/04/06 13:55 ID:R5/7fd1M
同じ対外侵攻作戦でも、陸続きの隣国を攻め入るのと、海を渡って攻め入るのではその意味合いはまったく違う。 必要となる物資や輸送そして補給路の確保は、当然のことながら、後者の方が圧倒的に困難だ よく持ち出される例として、孫子では十万の兵を維持するのには最低限その三倍の三十万の戸数が必要となる。 兵站を維持するには、どしてもそれだけの後方支援が必要ってことだ。 これは孫子が書かれた歴史的背景を見れば、間違いなく陸続きの場合を想定しての計算だ。 海を越えての遠征となれば、その数倍あるいは何十倍の戸数が必要だったはずだよ。 世界史の上で有名な遠征でも、陸続きでの遠征なら、数十万や百万単位の遠征の例もある。 しかし海を越えての遠征となれば、ナポレオンのエジプト遠征でも確か二、三万程度だ。 史上最大の大蒙古帝国でさえ日本遠征には十万程度の動員が精一杯だった。 しかし当時の日本は十五万の軍勢を朝鮮半島に送った。この点は当時の日本の国力と航海技術が、決して馬鹿に出来たものではないことを示している
要するに日本の敗因は兵站を破壊し尽くした 朝鮮農村の恐ろしいほどの貧しさにあったということだね。
435 :
名無し三等兵 :04/04/07 00:09 ID:3CZ6/jd6
>>418 > その点で言えば、李舜臣の戦法は得意と言える。
> あの時代に輸送船を狙い撃ちにした持久戦を行った点でね。
> Uボートでの海上航路の遮断を求めたのと同じ発想かな?
それはないと思うんです。
補給路遮断とか輸送船狙い撃ちとか、戦略とかいうものはなかったと思う。
王朝のほうもそういった指令は出していない。李舜臣に対しても、
「日本軍の根本(釜山)を狙え」とか「退路をふさげ(文禄の際の講和交渉中)といった発想だった。
持久作戦とかの戦争全体を見たパースペクティブな構想は感じられない。
事態に直面してひたすら現場処理をしようとしたのではないか。
李舜臣は役が始まってすぐに(1ヵ月後)に活躍している。
賊(日本軍)が入ってきたことへの機械的な応戦という感じ。
これは戦いの内容、日取りを見れば推察がつく。
たとえば初期の戦果以後の活動は断続的であり、陸戦との呼応は確認できない。
(知識のある人など反論キボンヌ)
436 :
名無し三等兵 :04/04/07 00:11 ID:3CZ6/jd6
437 :
名無し三等兵 :04/04/07 00:13 ID:3CZ6/jd6
> まあ輸送部隊がやられたとの記述は見ないし いいところに着眼していると思う。 「輸送部隊、戦闘部隊」という区別は後年の恣意的な規定じゃないのかな。 明確な概念(これこれが輸送部隊、これこれが戦闘部隊というような)にもとづいて 朝鮮側が「輸送部隊を狙った」とは思えないし、 日本側も整然とした船団編成をしていたとも思えない。 輸送船が戦闘船に早代わりする(あるいはその逆) というのが実態ではなかったのか。少なくとも初期には。 脇坂の閑山島の抜け駆け出撃のとき初めて日本側は「戦闘のための」船団を編成したと思う。 (これも、知識のある人反論キボンヌ)
陸でも荷駄隊と戦闘をする部隊の区別はできていたのに、 水上ではその区別ができていない。というのはおかしくない? 例えば石山本願寺を支援し続けた毛利の水軍(輸送船と戦闘船の混成)を叩いたのは 鉄甲船を中心とした戦闘船団じゃないの?
>>419 >亀甲船も亀甲船以外の船を元に作成されたので有るなら
>亀甲船以外の朝鮮の船から大体構造は推測出来るかも知れぬが
板屋船という文字通り上部を板で覆われた船がモデルという。
日本でいう大安宅船のようなものか。
海戦では亀甲船よりも、この板屋船が活躍したのではないだろうか。
亀甲船はあくまでも象徴として在ったのでは?
亀甲船が戦況を覆す程に優れたモノなら、日本がそれを取り入れるはず。
上のレスで、李朝の船団が基地から日本軍までいちいち長躯するのはしんどい。
という主旨のがあったけど、中国風に(あれは河川だが)洋上に水塞を築くというのはどうだ?
そこを中継していけば、かなり柔軟に行動できるかもしれない。
荒唐無稽すぎてダメですよね。
440 :
名無し三等兵 :04/04/07 13:32 ID:ItjGsRka
>>438 石山本願寺の例は極めて特殊な事例です。第一次木津川合戦で配下の水軍衆をほとんど
失ってしまった信長が陸戦の発想で船団を再編成した結果、あのような海戦となりました。
しかしその艦隊は従来の水軍(海賊)衆から見ると異様なものだったはずです。
しかしながら水軍衆は知行システムやら伝統やらが難関となって信長の持つような艦隊を
持つことはできませんでした。
彼らの生活の中では安宅よりも関船や小早の方が重要だったからです。
艦隊の維持費という点でも水軍衆が独自に戦闘船団の編成をすることが如何に困難だったか
ということが説明できるでしょう。
また朝鮮征伐時に新たに編成された水軍ですが、これはただ単に既存の水軍をまとめて
何人かの武将に配分しただけのものですので、従来の水軍と変わらないものでした。
資料をお持ちでない方も藤堂やら脇坂やら加藤嘉明の知行地を御覧いただけるとそのことは
よく分かることと思います。
441 :
某研究者 :04/04/07 13:53 ID:Xo6bfeXi
>亀甲船が戦況を覆す程に優れたモノなら、日本がそれを取り入れるはず。 まあ西欧の船がコピー出来たのだから 亀甲船もコピーは可能だったと言う事かも知れぬが >「輸送部隊、戦闘部隊」という区別は後年の恣意的な規定じゃないのかな。 まあ矢張り海上を行軍していた戦闘部隊を襲撃したのが正解だろうし 軍を伴わない部隊がやられたと言う記述は 見た事が無いのだが もう少し陸上を行軍すると言う事は出来なかったのだろうか
442 :
名無し三等兵 :04/04/07 15:06 ID:zAsFqC/t
確かに、当時は「水軍」なんて呼び名は使われず「海賊衆」と呼ばれるのが通例で その財政は陸上の(通常の土豪のような)収入と、 あと海上での通行料金もしくは海賊行為によって収益を支えていた、わけで。 安宅船はまさに戦艦、水上決戦には有用でも普段の収益にはぜんぜん繋がらぬただの大物。
秀吉は在来の海賊勢力を転封して無力化してしまった。 それは瀬戸内海の自由通行とか通商強化の一環な訳だが・・・ 朝鮮の役の頃にはまともな水上戦闘をするような態勢にないので脇坂にしても 陸戦を水上に移したような鉄砲による射撃戦を企画している。 船はあったが、元々水軍による決戦指向もなかったのではないか?
>>442 秀吉は海賊禁止令を出していたので、中世以来海賊衆の収入源だった通行料金の徴収や海賊行為は厳禁だった
文禄、慶長の役当時、呼び方も「海賊衆」から「舟手衆」と呼ばれるようになっていた。
以後、幕末まで江戸時代を通じて「舟手衆」、又は「舟手組」という呼び名が公式に使われていた。
「水軍」は俗称として江戸時代から使われるようになっていたが、公式な呼び名ではなかった。
>>443 在来の海賊勢力を転封して無力化してしまったのは家康時代で、
秀吉時代は中世型の「海賊衆」を近世型の「舟手衆」に再編成して利用している。
具体的に「舟手衆」は、在来の海賊勢力の九鬼嘉隆1500人、来島兄弟700人、
菅野正影200人、桑山小伝次1000人、堀内氏善800人、若杉伝三郎650人
プラス、秀吉の子飼いの家臣の藤堂高虎2000人、脇坂安治1500人、加藤嘉明750人、
から成る。
日本側水軍の不振の原因は
1.朝鮮水軍が古い中国様式とはいえ大口径火器を多く装備していたのに対し、
日本側は小銃の装備は多いものの大口径火器の装備は極めて貧弱だった事。
2.朝鮮水軍が殆どの場合、李舜臣の元に一元的に指揮されていたのに対し、
日本側は水軍を束ねる最高司令官を置かず、一元的に指揮される事が無く
戦力の分散や逐次投入といった愚を犯してしまった事。
以上二点が主な原因として考えられる。
日本の場合は、もともと交易を行う氏族もあり 古代史に欠かせない和邇氏や継体天皇を排出した息長氏など、交易で栄えた氏族だったはずだ。 彼らは当時のことだから、海賊のような行為もやっていたはず。 それを日本の水軍のルーツと見ることも出来る また。白村江の戦いで分かる通り、半島に勢力を伸ばした日本は、当時から軍を朝鮮半島に送る航海術を持っていた。 平安時代の海賊、藤原某の乱ってのが平将門の乱と一緒にあったのも、日本の海賊の良い例だが そうした水軍の伝統は、果たして秀吉の時代はどうだったのだろうか? 少なくとも江戸時代でも泳術は、何処の流派の武道十八般に含まれているとこを見ると、海戦も決して否定されていたとは思えないが
和歌山の雑賀衆は鉄砲傭兵の前は海賊やってたってじいちゃんが言ってた。 ウチのご先祖様。何を扱っていたかしらないけど、琉球まで交易にいってたそうだ。 その内の一人が、帰り道にある種子島で鉄砲を知って、それを持ち帰ったんだとさ。
韓国人が言っている李舜臣の使った鶴翼の陣の優位性ってなに?
朝鮮水軍は遠距離からの大砲による船体破壊 日本水軍は近距離からの小銃による船員殺傷 つーことで朝鮮軍にアウトレンジされたので日本は敗北を重ねたと理解して良いのかな?
449 :
名無し三等兵 :04/04/10 22:54 ID:kEnq7k+X
韓国人が言うには李舜臣の鶴翼陣をパクって東郷平八郎がT字戦法を編み出したそうな
李某なんて誰も知らないよ
451 :
某研究者 :04/04/11 07:39 ID:xOlg0Swn
まあしかし鶴翼陣成る物が使われたと言う確足る証拠は有るのかだが どうなのだろうし 有ったとしても李舜臣が使う前に有ったと言う事は無いのかだが
452 :
某研究者 :04/04/11 08:06 ID:xOlg0Swn
453 :
某研究者 :04/04/11 08:09 ID:xOlg0Swn
因島村上水軍戦法要領図と言うのは 古い物なのかだが 朝鮮側にはこの手の物は 残っているのかだが
朝鮮軍には鉄砲がないのに大砲はあるのかよ
明軍が使ったのもポルトガル砲だったそうだが
458 :
名無し三等兵 :04/04/11 12:25 ID:RqQeS2sI
朝鮮の役は資料が少ないからな 奴らが何隻ぐらい軍船を持っていたんだかもわからん
日本は国土こそ小さいが、しかし実に起伏と多彩な季候に富んだ国だ。 東北の方は寒くて、亜熱帯の地域もある。 しかも海の近くまで山が迫っている。 それだけに他の地域との交流が困難で、各地域に独立性がある。 その結果、各地域に多くの少数民族が存在した。熊襲や隼人に土蜘蛛など、全てそうした民族だよ。 こうした各地域の独立性や固有性は、実に明治維新まで続いた。 だからこそ各地域同士の対立の中で、封建制度が確立したのであり。各地域同士の対立が日本に多彩な文化と戦乱の歴史を生み出した。 一つわからんことを言えば、日本と同じような地理的な条件に囲まれた朝鮮半島では、早い時期に統一王朝が出来ていたようだが、これは中国の影響だろうな 実際に地域ごとの対立はかなりあるようだし。 それはともかく、このように日本と朝鮮半島や同じ島国のイギリスの歴史を見比べると、色々と面白いよ 似かよった地政学的な位置付けと似通った地形に囲まれながら、どうして違う歴史を歩んだか考えてみればね
何いってんだ統一王朝は日本の方が早い
日本はなぜ負けたのか
462 :
少佐 :04/04/11 17:23 ID:8O9QHl3G
偉いのは李将軍では無く、「亀戦艦」を作った朝鮮の技術者だろう。 日本の水軍の船とは性能が違いすぎて戦いにならない。
>>462 亀甲船は実際には大して役に立たなかったらしいぞw
ハードよりはソフトの方が結果に影響するのは当然でしよう。 李舜臣だと勝てて元均だと負けるのはなぜ?
源義経の指揮の方が上
他に有能な司令官はいなかったのか? といっても、日本側も秀吉配下の海戦素人ばかりだが・・・
>>466 結局はゲリラと騙まし討ちしかやってないし・・・
賤ヶ岳の七本槍出身とかを水軍の将に回している。 本職は弱小海将の来島と菅とか小粒ばかり、九鬼が一度戦っているが主軸でなく陸戦へ回された。。
469 :
名無し三等兵 :04/04/11 23:37 ID:RqQeS2sI
鉄砲がないのに大砲があるというのもおかしな話だ。 輸入品か?
>>469 おかしくない。
世界的に見て、殆どの地域は小銃よりも大砲が先に普及している。日本が例外といえる。
対人狙撃なら火縄銃が完成するまでは弓のほうが実用性が高く、普及が遅れた。
大砲の場合、早くから投石器よりも実用性が上回り小銃よりも先に普及する地域が多かった。
総大将の秀吉が李舜臣の存在を意識した、という記述が漏れの知る限りまったくない。 チャーチルにとってのロンメルほどの活躍はしなかった、ということなのか。 日本の船は渡海作戦にむけての急造ばかりで、性能面では不利だった可能性もあるらしい。 ついでにいえば構造船では、朝鮮のほうが優れていた可能性もある。日本の船は竜骨 がないし。 亀船は、三隻しか作らなかったらしいので、戦役でどれだけ役立ったかは微妙。
>>465 非戦闘員を狙った義経が水軍指揮官として優秀とは認めない。
>>472 朝鮮の船も竜骨は無いが。
>性能面では不利
具体的にどういう性能が不利?
本当に李舜臣の力だけで勝ったと言えるのだろうか? 百戦百勝とは思えない。
無条件に全勝じゃないっしょ
477 :
名無し三等兵 :04/04/18 22:13 ID:1VXtYQui
研究したくても朝鮮側の記録が少なすぎて信用できねぇ
東郷が李舜臣を讃えたというのは司馬遼太郎の坂の上の雲以前には遡れない話です。 その坂の上の雲でさえ東郷が祈ったとは描写されていない。 ただし、朝鮮で日本統治が始まってから初めて朝鮮人達のアイデンティティ発掘のために 朝鮮総督府が朝鮮の偉人として李舜臣を紹介したのが有名になる事始め・・・
その頃の朝鮮船ってどんな帆? ジャンクの帆?
李舜臣は島津義弘に焼き殺されますた。
朝鮮での海戦を見ていると侵攻側の敗退が目立つ傾向にある。 機動力に劣る大砲搭載船が射撃に有利な戦列陣形を作るのに動かない方が有利だからでしょうか?
亀甲船はなんで19世紀の後半まで残ってないの? そんなに優秀なら作っておけばよかったじゃん。
何隻撃沈したのか? 大砲よりも投擲焼夷弾による焼き討ちの方が戦果を上げたのではないかな?
日本が朝鮮を中国の精神的支配から独立させようとして過剰に持ち上げた英雄。 軍事と言うより政治的にとりあげるべき人間だな。
485 :
名無し三等兵 :04/04/23 14:01 ID:LgOSaDWi
李舜臣の最期って島津の返り討ちだよね。 島津が、海でも陸でも「勝ち」ってこと?
486 :
名無し三等兵 :04/04/23 14:01 ID:LgOSaDWi
>>484 興味深い話です。詳しいソースきぼん
487 :
名無し三等兵 :04/04/23 21:34 ID:Iipv392p
亀甲船に手足が生えてガメラになるんだろ、違うのか? 火を噴きながら回転して空を飛ぶんだ 秀吉軍が歯が立たなかったのも無理ないよ
李舜臣は強い。 それに勝った島津はさらに強いと言う自慢話の「島津を引き立てるためのネタ」と言うのが正直なところではないか。 だから、朝鮮側ではあまり評価されていない。 漁船かなにかを沈めたのを誇張しているんではないかな。 ところで、李との戦いで討ち死にした有名武将って誰が居るんだ。
>>488 死んだ人間は何人かいるけど、有名な武将は一人もいない。
>>486 >>488 ttp://homepage3.nifty.com/khf11063/ss/key/KGnayu2.htm 戦闘で戦死した日本側の武将で名前が残っていそうなのは、伊予・来島城主の来島通総だけである。
しかも1万4千石の小領主であり、とても有力武将とは言えない。
有力大名では13万石の播州三木城主・中川秀政が半島で死亡しているが、
これは陽智付近で鷹狩中に毒矢で暗殺された事故なのであって、合戦での討ち死にではない。
つまりは朝鮮軍も明軍も、秀吉軍の有力武将を一人として討ち取ったことはないのである。
しかもこの『東郷元帥が誉めた』説は、詳細な調査によると事実ではなく、
別の人間がそう言ったのを、いつの間にか東郷元帥が言ったことにされてしまったとのことだ。
もっと具体的には、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の登場人物に李舜臣を誉めている機雷長が居るだけで、
東郷平八郎自体とは全く関係無い。
これらをさらに尾ヒレを付けて、日本の海軍元帥を踏み台にして李舜臣の神格化するために、
戦後のつい最近に朝鮮人が広めた単なる噂話である可能性が高いらしい。
李舜臣の死後は少しの期間だけは祀られていたらしいが、
すぐに忘れ去られて1707年以降は放置されていたらしい。
それが再建されたのは、日本の統治時代になってからである。
しかも東亜日報という新聞が募金を募ってやっと行えたのであり、それまで粗末に扱われていたのは明白である。
491 :
名無し三等兵 :04/04/24 01:37 ID:1hCEeTuL
>>490 そこまで貶めるのもどうかと……。
来島兄弟の戦死は水軍としては大きいものがある。
これは初期の奇襲と慶長の役の鳴梁海戦においてのものだが、
とくに後者については重要で真相を究明するのも興味深い。
また、
> すぐに忘れ去られて1707年以降は放置されていたらしい
当地での扱われ方だが、
もしそうだとしても死後100年以上評価されていたわけだから、
朝鮮人にとっては重要な存在であったのは認めなくてはならない。
近代に入った時分、忘れ去られていたように見えるのは、
それを継続、発展させなかった朝鮮人の性格、意志、朝鮮社会の問題だろう。
>>491 その程度の軍功を100年も褒め称えたと言うほうが異常だろ。
493 :
名無し三等兵 :04/04/24 02:00 ID:1hCEeTuL
>>490 あと水軍の規模=来島の評価の問題だが、
文禄慶長の役の動員力で考えるのではなく
国内における水軍の実力で評価する必要がある。
来島水軍は瀬戸内水軍の主力である。
瀬戸内水軍は、同じ戦国水軍で有名な伊勢水軍(九鬼水軍)
と比べても経済的軍事的にこれを凌駕する。
伝統的にも信長の話とともに注目された九鬼の紀伊半島沿岸と異なり、
瀬戸内海は古代〜中世の日本の海上輸送の動脈だった。
ここを押さえていたのが瀬戸内水軍だった。
瀬戸内海の地図をよく見て、来島らの掌握していた水路を眺めて欲しい。
まさに「補給路」の要所を押さえている。
そいういう水軍の長だった。
そこでおまいら、安東水軍ですよ。
来島は元来の拿捕戦術だから撃沈戦術の朝鮮軍には弱かったのさ
なるほど。 ROMってないでネタ投下した甲斐あった。
>>29 > このIME、本当に日本人が作っているのか?
> それとも洗脳されているのか・・・
韓国の子会社かチームに委託されてる。
其処に日本人が居るかまでは知らない。
正直全然登録されてなくて不便なのは確かだ。
ATOK使え。
でもこういうのでフリーのヤツって無いの?
ベクターとかにある人名辞書でも入れれば?
小説ならば 再び罪に落とされようとしている事に気づいた李舜臣があえて自殺的攻撃を行う なんて筋書きにしたいところでありますな
「李舜臣将軍の亀甲船は2階ではなく3階構造」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/27/20040427000049.html >張博士が従来の学説に疑問を抱くようになったのは10年程前に海軍士官学校
>博物館長だった時代にさかのぼる。
>
>「海軍士官学校にある復元亀甲船を生徒たちと共に毎日、方式通り櫓を漕いだが
>10分も経たないうちに皆引っくり返ってしまいました。何かが間違っていたと
>思いました」
>
>韓国の学者たちの沈黙とは違い亀甲船に関心を持つ外国の専門家たちの執拗な
>問い掛けも張博士を刺激した。
>
>「櫓を漕ぐ船内で大砲を撃つのは可能ですか?」「今の形態ではスピードを出す
>ことが不可能だが突撃船の機能を果たすことができたでしょうか?」
>
>これらの問いに対する答えを得ようと何回も内部の仮想設計図を作ってみた結論が、
>1階が船室と武器庫、2階が櫓隊と槍隊、3階が大砲部隊の構造だ。
>
>張博士は「3階建て内部構造の亀甲船を作り運行実験をした後、従来の復元亀甲船
>について再検討する必要がある」と指摘した。
501 :
名無し三等兵 :04/04/27 22:53 ID:e1hH7NyY
>>500 おれも、あの復元された亀甲船で漕ぎ手と、砲手との関係を疑問に思いつづけてきた。
お互いの位置が交錯していてとても砲撃できる環境にない。
だから、砲撃する時は漕ぎ手が砲手に変身するか、砲手の補助をするか、
とにかく漕ぐのを止めなければならないと想像した。
すなわち砲撃のさいには亀甲船は静止している。
こういうことを本気で追求する気になれなかったのは、
重要なのは李舜臣の戦果の内容であり、
亀甲船そのものへの興味はなかったから。
だが、疑問点を挙げればいくらでも生じる。
朝鮮の役の海戦で待ち受け側有利なのはそういうところにあったのかもね。 日本も動かないときは勝率がいいから
503 :
名無し三等兵 :04/04/27 23:07 ID:e1hH7NyY
>>319 の
http://www.nagare.or.jp/nagare/20-4/20-4-danwa.pdf 復元船の解説資料だが、ここでは乗員150名、漕ぎ手はうち100名(5×オール20)
となっている。
漕ぎ手が戦闘員でないとすると、残る50名が戦闘要因となる。
しかしこれでは余りに少ない。だから漕ぎ手も戦闘要員と想定されるわけだ。
だが、三階建て構造で二階が漕ぎ手と槍隊、三階が砲手というのも、
一時印象だけでは、
(1)船の重心が高くならないか
(2)漕ぎ手と槍隊を別にしてしまうと、乗員数(上記サイト150名として)
から考えて槍隊の頭数が恐しく少なくなる。
>>500 の記事を読んで驚いたのは、士官学校生徒たちと実際に復元船を漕いで見たところ
10分でダウンしたという話。
こんなことは
>>319 の解説文は一言も触れておらず、運用については問題なしという前提で書かれたと
信用してしまっていた。
実証されないままに書いたものであるとしたら学術論文とはいえない。
504 :
名無し三等兵 :04/04/27 23:18 ID:e1hH7NyY
あと、ああした船体が密閉された中での砲撃というものはどうなんだろうね。 問題は生じないのだろうか。爆煙、周囲の構造物への影響。
亀甲船が実際には活躍していなかった事の証左ではあるまいか?
亀船はほとんど戦闘結果に関係していないのでは?
508 :
名無し三等兵 :04/05/04 11:44 ID:t+9Nvfoc
<結論> ・大昔のことなので、よくわかりません。
泗川の戦いや露梁津に関しては正確だと思う。 「明軍20万」を吹聴した司馬は切腹もんだな。
>>295 俺も同じことを思った。子供の頃から兵站および制海権確保の重要性を叩き込むのは
非常に良いことだ。
>>472 >総大将の秀吉が李舜臣の存在を意識した、という記述が漏れの知る限りまったくない。
その頃の秀吉は茶々と於拾のことで頭がいっぱいだったからねー。
そもそも秀吉って、朝鮮に人が住んでいることをきちんと認識していたのだろうか?
某研償還あげ
百戦百勝と朝鮮人に言いくるめられました
無名海賊
軍事専門家の話では この戦争での海戦は 同時期のアラブや欧州での海戦と比較すると 海戦といえるほど、大それたモノでは無いらしい... ちなみに、日本側は、海戦重視ではなく アクマデモ、現地での野戦が主眼で 兵、食料、武器を送り届けるためだけに主眼が置かれていた。 かなり、いい加減な計画だったらしい。 初期の朝鮮出兵では、本気に大陸制覇考えていたけれども、 朝鮮半島制圧に3ヶ月かかり、この辺から補給に限界が生じていた。 2回目では、補給の確保に限界があることが分かっていて 諸大名は、乗り気になってなかったと思われ。 競争大名の力を弱体化できるだけで、一石二鳥だったんじゃないの? まあ、秀吉は、現地に行くわけでも無いし、 彼の財力は、天下人という特権で、全国の大名から税を徴収できたので、 他の大名を圧倒していて(2位の家康の10倍)、 石高は、秀吉の直轄領自体は、2位の家康と変わらなかったが、 秀吉の譜代的な大名との合計石高なら、家康を大きく凌駕し、 地理的に、畿内、濃尾平野という重要地域を押さえていたわけで。 安泰だったから、大して深刻に考えていなかったんじゃないの?
>>519 つーか、秀吉は明に半島南部の割譲を要求したりもしてるから
最初から一気に唐入りすることを目指していたかはあやしい。
大陸進出の礎としての半島併合が目的のようにも思える。
>>520 それは邪推だと思うのよ。
一部の人間なんかがよく言っているようだけど。
秀吉はソウルが落ちた段階で、中国支配の配備、配置を表明したのじゃなかったかな。
最初から「唐入り」。
実戦の成果を見て具体的な示唆。
やっぱり明国支配が念頭にあったのはまちがいないと思うのだけどね。
文禄の役は明への討ち入りが目的で清正軍は日本海側を急進、 小西軍も平壌に達しているが戦意がないので講和してしまった。 慶長の役は朝鮮南部の割譲が目的。