で、「南方は果物のたわわに実る楽園であるから、腹が減ったらそれを取って食えばよい」と
漫画みたいなことを言って補給を軽んじたのも辻。(w
モントゴメリーじゃあるまいし、日本陸軍には発起点への兵力の蓄積を待ち、圧倒的な火力差を攻勢してから
カーンに突入するって贅沢はできない。
中国軍相手に大胆な機動作戦(機を見てともかく動け!たいてい、逃げるから)を
くりかえしてきたし、一木隊長もけして無謀じゃなく、
「飛行場が稼動すると制空権を取られ、爾後の作戦に重大な禍根を残す」というプレッシャーで
やむをえず早期攻撃をしただけ。
ま、アメリカ軽視いうか「戦はやってみなけりゃ判らん」の乱暴な部分もあったけど
859 :
名無し三等兵:2005/11/02(水) 14:29:16 ID:TfR137qp
飛行場を奪回するところを漫画にしたのがあったよな。旭川の師団が突撃するところは
俺も道民だし泣いたな。
やむを得ずも何も、敵が弱兵だという思い込みに基づいて攻撃すること自体が
日中戦争でぬるい戦闘しかしてこなかった一木の判断の誤り。
攻撃したところで、勝てないなら、制空権もへったくれもない。
858>860
一木隊長って「敵は弱兵だから攻撃しよう」ってだけで、意思決定したの?
>>851 急いで攻撃しろという命令と、敵は2000名くらいという情報を受けていた。
敵は退却中なのでもっと急げという話もあったとか。
急いだことは、攻撃した兵力が一木支隊全兵力の半数以下という少数だったことでわかる。
>861
事前の攻撃計画(一木支隊作戦命令甲第4号)によると、上陸第一陣の任務は
”状況に応じまたは敵の動きらしきものを察知したるとき第一次上陸部隊は
その地区付近に留まり第二次上陸を援護して後上記命令に従い行動すべし”とあり
第一陣のみでイケるとは予想していなかったと思われ。
(ちなみに事前に予想していた米兵力は二千名程度、一木支隊とほぼ同数。
盲目的なイケイケ主義ではなく、同程度の戦力を揃えてから当ろうとする意思はあった。)
ところが、上陸後に将校斥候団が全滅した後は、増援が必要だという意見具申をうけても
「こうなっては攻撃を続行するしかない」と突っぱねるようになる。
斥候団全滅はよほどショックだったらしいという証言もあり、「敵は弱兵だから攻撃しよう」
というよりむしろ「ヤバイ、うち等だけで手に負える相手とは思えない。しかし散々イケイケ論を
振りかざしていた以上、ここで引いては顔向けデキネ」
ってな追い詰められた心境での意思決定だったと思われ。
無血上陸できたので調子にのったのかもね。
ミッドウェー上陸中止の後に駐屯したグアム島でも血気にはやった訓練していたそうだし。
功を焦ったと思われ。
日本 アメリカ
人数:700 2000(と思ってたが…)
装備:携行火器のみ 陣地構築済み、火砲充実、航空支援アリ
補給:4日(だっけ) 継続的補給あり
精神力:大和魂 ヤンキー魂
これで、攻勢をかける判断をできるのは、やはり日本陸軍お馴染みの
精神主義で「大和魂があるからOK」という逝かれた判断をしていたとしか
思えない。第一陣のみではイケないということが解っていて攻撃したと
したら、各個撃破されるのは目に見えてるので、それはもう基地外の沙汰としか
言いようがない。
いやまぁ中国大陸では、
一個大隊が一個師団を蹴散らしてしまうような戦いをしてたからなぁ・・・
その戦術がまた振るっている。
日本軍は一人につきたった5発の実弾を手渡されたが、実弾の使用は禁止された。
実弾は飛行場占領後に使用せよ、というのである。
つまり、闇夜に乗じて銃剣だけで飛行場を制圧する作戦だった。
(700人でワラワラやってきて、気付かないわけがないのだが)
しかもジャングルを事前偵察なしで攻撃配置に付いて、定時に一斉攻撃を開始するという
攻撃計画だったが、行った事のないジャングルで自由が利くはずもなく、
配置につくこと自体ができず、バラバラに攻撃が行われたために小部隊ずつ、
丹念に砲火にいたぶり尽くされる結果となった。
これでも作戦といえるのだろうか?
>>867 基本的に当時の陸軍はジャングル戦の研究も訓練も施されていないんだから、それを望んでも無理だよ…
大陸の経験からか敵前上陸の訓練は念入りで、それを見た海軍将校が感心したらしいが。
地理感の無いジャングルで浸透戦術やろうなんて大間違い。
870 :
名無し三等兵:2005/11/02(水) 22:52:21 ID:TfR137qp
海兵隊魂はどうした おまえたち 永遠に生きたくはないのか?
永遠は嫌だが飽きるほど生きてみたいよ
恥を忍んで以前私が書いたレポートを晒してみる。参考文献は主に戦史叢書
18日 一木支隊先遣隊(約900名)ガ島上陸(糧食七日分、小銃弾250発)進撃開始
先遣隊は支隊本部、歩兵大隊、工兵中隊 重機8、軽機36、擲弾筒24、歩兵砲2
20日 海軍 ガ島付近に米第61任務(機動)部隊を発見 第三艦隊現場へ急行
21日 一木支隊先遣隊包囲全滅(戦死777名、戦傷30名 米軍 戦死34名、戦傷75名)
→ 陸軍 川口支隊を増強 一木支隊(本隊)上陸延期
23日 海軍 空母龍驤らをガ島攻撃のために分離南下させる(上陸船団援護のため)
米軍 避退する日本輸送船団を発見→ 日本機動部隊が付近に存在しないと判断
24日 第二次ソロモン海戦(東ソロモン海戦) 両軍とも空母に被害を受ける
日本 龍驤沈没、翔鶴中破、航空機損失大 米軍 エンタープライズ中破
25日 日本上陸船団、空襲を受け揚陸中止(上空護衛機無し)→ 輸送作戦失敗
海軍 駆逐艦による夜間輸送に変更(重火器輸送不可、丸通、トーキョーエクスプレス)
米軍 陸海軍が全力でガ島に支援 (航空機 20日36機→30日64機)
28日 海軍 鼠輸送(川口支隊)第一陣、空襲を受けて失敗 29日(〜9/7)輸送成功
29日 陸軍 第十七軍 ガ島撤退論表出 → 31日 大本営 第二師団第十七軍へ編入
日本 “見敵必戦”“信長の殴り込み““鎧袖一触”“意気軒昂”
米軍のガ島上陸の報告を受けるや否や“見敵必戦”の精神よろしく、第八艦隊による即時反撃を決定、
同時に連日に及ぶ第25航戦のガ島飛行場への攻撃を実施した。
大本営は当初、本格的な反攻作戦ではないかとこれを危惧したが、
米軍の反抗は昭和18年以降との予想や第一次ソロモン海戦や連日の空襲による大戦果から敵を過小評価するに至った。(ガ島上陸兵力約1万人→2000人)。
そこで陸軍は海軍の報告を受け、撤退中の米軍を攻撃するために一木支隊(旭川第28連隊)を投入、
結果は十倍以上の兵力差のある陣地に白兵突撃を決行する形となり、先遣隊は全滅どころか潰滅の憂き目にあう。
873 :
872:2005/11/03(木) 01:26:16 ID:???
>>865と
>>867はちょっと史実と違うかな。(同一人物かな)
>>865だと日本側の兵員と装備あたりが?
>>867は何を参考にされたかわからないがほとんど嘘では?
事前偵察は斥候を出しているし、(ただし斥候部隊数十人が全滅している!)
実包五発はいくつかの記述を比較してもありえない。
たとえ、証言にばらつきがあることを考慮してもね。
あと闇夜の銃剣突撃は火力を持たない苦肉の策だということを考慮しないとね。
あくまで他に手段がなかっただけで斥候が全滅した時点で
おそらく敵を過小評価していることに気づいていたのではないかな。(ここは状況からの私の推測)
実包五発はミッドウェイ上陸の話。
875 :
名無し三等兵:2005/11/04(金) 14:20:29 ID:TsxRMIrQ
もし日本にティーガーやパンター戦車(と十分な弾薬)があったら…
>>875 もし日本が原油資源も鉱物資源も豊富で、
アメリカ並みに工業が発達していて、
大本営上層部が馬鹿じゃなくて、
開戦時に空母10隻くらい運用可能だったら…
>>875 あってもガ島になんて配備されるはずも無い
>>876 それが揃っていれば、開戦なんてしない
もし日本がデイジーカッターでヘンダーソン飛行場や守備隊を攻めていたら…
>>879 実際にデイジーカッター投下してるMC-130HコンバットタロンIIのスペックなんて二式大艇とそんなに変わらないが
三式弾の投下型を作って、ガ島を火の海にするというのでもよかったと思うが
>航空機の消耗も、中間基地ブインがないせいで、無茶したしね。
不時着機は回収不能でほとんど全損。
ラバウルでさえ事故機は部品取りされた挙句、放置で雨ざらし。
貧乏国の癖に回収、修理システムがしっかりシテナイ。
>>875 あのジャングルでどうするってんだよ馬鹿w
>>878 ラバウル当時に、アメリカではすでに普通に使われていたんだね。
「ディジーカッター爆弾で部下がやられた」という記述が度々登場する
「一軍医のラバウル日記」(麻生徹男著)
886 :
名無し三等兵:2005/11/05(土) 13:21:19 ID:fJsbtaws
888 :
名無し三等兵:2005/11/05(土) 22:51:26 ID:SWkUcRgI
惜しむらくは三式弾すら100発程度しか当時はなかったことか。
890 :
名無し三等兵:2005/11/06(日) 14:24:32 ID:O8XzOj33
↑え?そうなんだ?
じゃ、飛行場に艦砲射撃したときに、1000発位撃ち込んだらしいけど
それって何を撃ち込んだの?俺はてっきり三式弾と徹甲弾を半々位に
撃ったんだと思ってた。
金剛にだけ100発ほど積み込まれたのだよ
893 :
戦湯:2005/11/06(日) 17:04:55 ID:AGqXPdMk
>>892 三号爆弾は、地上攻撃にも使ってる。
ラバウルの再生零戦による敵飛行場攻撃なども記録されている。
894 :
889:2005/11/06(日) 21:17:20 ID:???
>>890 主に徹甲弾と零式対空散弾だね。
「金剛」は三式弾104発、徹甲弾331発、副砲27発
「榛名」は零式弾189発、徹甲弾294発、副砲21発をわずか1時間19分で打ち込んでる。
徹甲弾は飛行場攻撃には必要ないといって積まないという案まで出たが
接敵の可能性などを考慮して積んでいくことになっていた。
当然この砲撃の後、この両巡洋戦艦の主砲は磨耗して交換が必要になっていたわけで
ソロモン海からの離脱を余儀なくされているね。
895 :
戦湯:2005/11/06(日) 22:46:08 ID:AGqXPdMk
>>894 >この両巡洋戦艦の主砲は磨耗して交換が必要になっていたわけで
各主砲の発射数は50-60発程度だが、命数ってこんな程度なのかな。
当然、それ以前に訓練等でも発射しているだろうが。
砲身の寿命は、200発前後のようです。
主砲の発射数もあるかも知れんが普通に燃料が乏しくなったからだったと思うが。
ただ一時間以上撃ちまくったという事実を考えれば
砲身が加熱して精度が著しく落ちていたのは事実だろう。
このとき金剛か榛名の主砲塔内の兵があまりの熱さで死んでるんだよね。
これって設計ミスでは・・・
>>883 貧乏だから揃えられなかった、と見ることもできるが。
>>897 砲塔内で死亡?それは本当ですか?
ニュージャージー牛の話ではないのか?
>>899 さすがに参考文献が戦史叢書なのでこういう類の嘘は書かれないかと。
連続した艦砲射撃時には米戦艦でも熱射病で死者が出ていたはず。
砲塔内全滅って訳じゃ無いので、兵隊の当日の体調によるんだよね。
それでも一部で米軍陣地を制圧した日本兵・・・つд`
もうすぐ、ペリリュー島の守備隊が玉砕した、11月24日ですね・・・。
ほしゅ
タカ