1 :
スカパフローの亡霊:
Uボートに比べて日陰者の印象を拭えない独水上艦隊。
スポットが当てられるとしても大半はビスマルクなどの有名艦や初期の戦いのみ。
このスレッドでは軽巡以下の艦艇や、ツェルベロス以降の戦いなどを中心に、
その組織の変遷や指揮官、戦略や戦歴について語っていきたい。
個艦の性能に関するスレは過去にもあったので、
ここではソフトウェアと全体像を主題に据えたいと思う。
なにぶん情報の少ない分野であるので、諸氏の協力を願う。
2 :
名無し三等兵:04/01/28 18:00 ID:NuJWvRuk
2
高速艇の話ももちろんありだよな?
4 :
スカパフローの亡霊:04/01/28 18:10 ID:EVawbAYt
>>3 もちろんOK。
WW2独海軍の普段話題に出ない所を突っついて行きたいと思うので、
高速艇や駆逐艦など大いに歓迎。
5 :
スカパフローの亡霊:04/01/28 18:12 ID:EVawbAYt
北朝鮮系 神トリップまとめ
鳥屋様より
◆MANSEEES.c #侫I{*7xi
◆MANSEEEyhA #檪M}vァクシ
◆MANSEEEGVo #薦Mrqwx\
◆manSeeeEEY #辰MxA^z\
◆MAnSEeEEE2 #廖@p犢笊
L2様より
◆MANSEEE/sw #01ateWp,
◆Kitagawa/A #01Ozsmソ連
◆Q.MASSGAME #WXrLlUッX
◆NGO.LOVE.Q #WXuV1Cッr
その他の北朝鮮系トリップは下記のスレまで!
北朝鮮トリップスレ【●-●】★横田めぐみ編★No.2
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/qa/1071312217/l50
7 :
スカパフローの亡霊:04/01/28 18:18 ID:EVawbAYt
8 :
スカパフローの亡霊:04/01/28 18:23 ID:EVawbAYt
そのほか
ツェルベロスのチリアックス
北洋船団襲撃のシュニーヴィント
バレンツ海のクーメッツ
など、末期のクリーグスマリーネを支えた将星にも注目したい。
空襲で乗車ごと戦死したグスタフ・キーズリツキー提督に涙
といっても黒海海軍部隊司令官だから水上艦隊部隊かビミョー
仮装巡洋艦とか武装商船とか
11 :
名無し三等兵:04/01/28 19:59 ID:EVawbAYt
コメート、アトランチス、オリオンとかだな。
費用対効果では正規の水上艦艇より大きな戦果を上げてるよな。
>>1も言ってるけど、ドイツ海軍の編制って日本で手に入る資料が少ないよな。
海軍総司令官
艦隊司令長官
戦艦部隊指揮官
巡洋艦部隊指揮官
駆逐艦部隊指揮官
etc
って感じか?
何か大雑把な気もするが、規模が小さいからこんなんでいいのかな。
ノルマンディ上陸作戦の頃に独水上艦隊最後の水上戦があったよな?
確か捕獲駆逐艦と正規駆逐艦で上陸部隊に向かって突撃していた気が・・・・・
>>12 OKMの下に軍令部(Skl)の存在も一応
旧軍の軍令部と比べるとあくまで総司令官補佐の参謀部と規模は小さめですが。
加えて隷下に作戦部と共に軍務局なんて訳されるMarinekommandoamtなんて部署を
抱えてるのが謎。ドイツ海軍系サイトを見る限りでは雑用局のようです。
他に方面海軍司令部もありますね。旧海軍の鎮守府と表現されることが多いようですが
「巨大戦艦ビスマルク」ではリュッチェンス部隊が北方方面海軍司令部から西方方面海軍司令部の指揮下に移る・・・
といった描写があったことから、方面司令部と艦隊が同等の位置にあるのか謎です。
艦隊指揮下の各艦艇部隊も43年には駆逐艦を除いて戦闘群に改編されていますし、
そもそもこの区分の理由もいまいち不明。己の研究不足が祟っているだけですが興味深い編制です。
海軍総司令官
軍令部長
艦隊司令長官
駆逐艦・水雷艇部隊指揮官
潜水艦部隊指揮官(のち総司令官直轄の潜水艦隊司令長官)
各方面海軍司令部
こんなとこなんでしょうか
>>13 6月9日の海戦ですね。ブレストからシェルブールへの移動を図ったテオドール・フォン・マウヒェンハイム=ベヒトルスハイム大佐の
第8駆逐戦隊の駆逐艦3、水雷艇1隻とバジル・ジョーンズ大佐の英第10駆逐戦隊(艦艇は英・加・ポーランド混成)8隻が夜間交戦、
2隻撃沈、2隻大破、マウヒェンハイム〜司令は捕虜、残余はブレストに撤退、しかも英軍の空爆で後に破壊と散々な結果になっています。
ご指摘のオランダ捕獲駆逐艦のZH1も撃沈されています。
上陸船団に突撃したのは6月6日/7日の第5水雷艇隊です。魚雷艇と共に夜襲で自由ノルウェー海軍の駆逐艦スヴェンナーなどを
撃沈していますが、14日にはル・アーヴル空襲によってこちらも壊滅しています。
長文スマソ
15 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :04/01/28 21:41 ID:ov0JUZdx
>12
世界の艦船増刊「第2次大戦のドイツ軍艦」をどうぞ。
それとも既読かな?
16 :
12:04/01/28 21:56 ID:???
>>15 ありがとうございます。
いろんな本の文章から拾って推測してただけですので、
参考にさせて頂きます。
>>16 『呪われた海』も
邦訳のドイツ海軍史ものだと必須かと
>>14何処の海軍も追い詰められれば残存艦艇で突撃か
イタリアも駆逐艦未満なら勇敢なんだがそれ以上だと(ry
リッツェンスはいまの船の名前になっている?
>>14 海自の地方隊的な存在として東部(バルト海)、北部(北海以北)、西部(大西洋)方面司令部があり、
Uボートや小型艦艇からなる部隊を有し、
同じく自衛艦隊的な存在として機動打撃力たる大海艦隊が、必要に応じて派遣される、
と言うような組織ではないかと考えているのですが、どうでしょうか。
少ない外洋戦力を有効活用し、かつ長大な海岸線を守る為のシステムとしては、悪く無いと思うのですが。
>>19 独海軍唯一のミサイル駆逐艦クラスがリュッチェンス級だったはず。
独海軍に関する文章で、単に『艦隊司令長官』とあった場合、
ホッホゼーフロッテの長官ってことになるのかな。
ドイツに限らず、小規模な海軍では実働部隊を単に『艦隊』とだけ呼ぶパターンが多いような。
23 :
名無し三等兵:04/01/28 23:06 ID:EVawbAYt
>>22 >独海軍に関する文章で、単に『艦隊司令長官』とあった場合、
>ホッホゼーフロッテの長官ってことになるのかな。
それであってるんじゃないかな。そんなに幾つも艦隊ないし(涙)
大戦中の高海艦隊司令長官って、
マルシャル→リュッチェンス→ツィリアクス→シュニーヴィントであってるよね?
助長なレスを。独海軍組織スレは好きなもので・・・
>>18 「追い詰められて突撃」という表現ほど悲劇的な作戦では無かったようですが
やる方にとっては確かに十分キツい作戦ではあったとは思いますが・・・
どうでもいいことですがフォン=ベヒトルスハイム大佐の親族には
伊集院五郎元帥大将がキールを訪問した際案内を務め、
後にWW1でチンタオの総督府参謀として日本の捕虜になった人間もいるようです。
>>19 ご指摘の地方隊的な性格は間違いないと思います。
ただ、派遣された艦隊の艦艇もOKM-艦隊に直結しているのか、という点がちょっと謎で
自衛艦隊-地方隊の関係で捉えられるのか、とも思います。
ノルウェー侵攻は東方/西方海軍司令部がリュッチェンス部隊以外の指揮を分担し、
レーゲンボーゲン作戦では巡洋艦部隊司令官が北方司令部の作戦案に従い行動しています。
一方でノール岬海戦では
艦隊長官/北方方面司令官(シュニーヴィント兼任)
|
北極海提督(北方司令部隷下)
|
艦隊戦闘群指揮官
のような指揮系統となっています。
艦隊の指揮権は残っているようだし、一方で方面司令部も関わっているので不明なところです。
>>22 外戦部隊指揮官の職名がそのままFlottenchefですからね。
それなりの規模のイタリア海軍外戦部隊もただの「艦隊」になっていたと記憶しています。
>>23 リュッチェンス以後の艦隊長官はシュニーヴィント、メーンゼン=ボルケンです。
チリアックスは艦隊隷下の戦艦部隊指揮官は務めていますが、艦隊長官には就任していません。
そういえば『高速戦艦脱出せよ』でも作戦終了後に新任のシュニーヴィントが到着するシーンがありましたね。
ドイツ高速魚雷艇(Eボート)の資料が見つからねぇ・・・・・・・
ドイツ海軍って陸軍、空軍にくらべてあまり目立たないから資料がそんなに多く
ないんだよなぁ・・・・・ビスマルクやUボートの資料なら結構あるんだけど。
27 :
名無し三等兵:04/01/29 17:03 ID:17c77BKP
故・デルタ出版のドイツ海軍シリーズはなかなか充実している。
というかドイツネタだけで何冊出したのやら・・・
28 :
ゆうじん:04/01/29 17:11 ID:wVLH8aTS
>26
Eボートってのはエネミィ(敵)のEから取った連合国側の呼び名で、ほんまはSボートですよ。
“Schnellboot”ですな。
30 :
名無し三等兵:04/01/29 18:32 ID:SwkEWenl
何故独海軍の水上部隊指揮官は評価の高い人が余りいないんだろうか。
リュッチェンス、チリアクス、クーメッツ、皆割りと辛い点を付けられる場合が多いよね。
リンデマンやラングスドルフとかの佐官クラスは名艦長と呼ばれているのに。
>>30 『呪われた海』などを読んでいると、提督の能力如何以上に軍令部、
さらにヒトラーからの命令が彼らの自由裁量を奪っている感が。
リュッチェンスは軍令部との不和で2名の前職者が解任されたことから
軍令部の通商破壊命令を絶対として、海の藻屑に。
クメッツも軍令部からの制約でバレンツ海でも制裁を欠き、
オスロ侵攻時も幾度とない部隊の編成替えに苦慮しています。
「シチリア」作戦ではクメッツは十分な戦果を収め、
水雷総監も務めており、決して言われるほど無能だったのかは疑問です。
他に活躍した水上部隊指揮官というとアウグスト・ティーレ中将などはどうでしょう。
リュッツオー艦長、艦隊参謀長のほかは方面司令官などばかりですが
末期には戦闘群指揮官として東部戦線の陸軍支援で活躍しています。
中将の名前をあまり数多く聞かないね
「ドイツ機動艦隊」という本がある。2巻はまだっすか?
34 :
スカパフローの亡霊:04/01/30 18:00 ID:KQKzPZ8T
>>31 同意。
やはり一枚看板の艦隊と言う現実が、アクティヴな作戦指導をOKMに躊躇わせたのでしょうか。
エーリッヒ=バイ少将はどうでしょう?
ツェルベロスの際の駆逐艦部隊指揮はなかなかのものだと思います。
北岬沖海戦では例によってOKMからの指示に翻弄され、戦死してしまいましたが。
佐官クラスならクランケ大佐も忘れずに。
単艦出撃でシェーアとドイッチェラント(=リュッツオー)、シュペー、ヒッパー。
それ以外でシャルンホルスト&グナイゼナウ、ビスマルク&オイゲン。
早期に戦没したブルッヒャーと完成が遅れ時期を逸したティルピッツを除けば、大型艦艇のほとんど全てを通商破壊戦に投入しちゃってるのね、ドイツ海軍は。
他に使い道無かったのかなあ?
>>35 相手が老いたりとは言えロイヤル=ネイヴィーだからねえ。
しかも戦力差は一次大戦の時以上。
スレタイ通り、現存艦隊&通商破壊ということになってしまうのではないかな。
むしろ、数えるほどの艦艇をやりくりしてよく戦ったと思いたい。
37 :
名無し三等兵:04/01/31 05:22 ID:jRO61n3N
>>35 通商破壊で使い潰すくらいなら、レニングラード攻略の支援に投入すべきだったと言う意見を聞いたことがある。
38 :
名無し三等兵:04/01/31 05:23 ID:jRO61n3N
>>35 通商破壊で使い潰すくらいなら、レニングラード攻略の支援に投入すべきだったと言う意見を聞いたことがある。
ところで旧式老朽艦でも最後まで対地支援に活躍したシェレージェンについて
分かる資料ありますか?
40 :
名無し三等兵:04/01/31 10:26 ID:vfbu1qqP
>>35 シュレージェンとシュレスヴィヒ・ホルシュタインの立場は無視ですかそうですか。
>39の質問を見てなんとなしに検索を掛けていて気付いたんだけど、ダンツィヒ砲撃したのってシュレジェンとシュレスビッヒ・ホルシュタインのどっち?。
記憶ではどちらか片方だと思っていたんだけど、ひょっとして二隻とも砲撃に参加してたのかな。
シュレースヴィッヒ・ホルシュタインの筈。
第一次大戦でのドイツ巡洋艦の追悼式典に参加するという名目で同地を訪れ
ヴィステル・プラッテのポーランド軍を砲撃した。
しかし資料によって発音がまちまちだなw
43 :
41:04/01/31 10:39 ID:2Fa0h98Y
>>42 おれもシュレスヴィッヒ・ホルシュタインだと思っていたんだけど、シュレジエンが砲撃したっていう資料もあってね。
しかし、このスレでは意外と人気ものだなw。>練習戦艦姉妹
「ホッホゼーフロッテ」は日本語にどう訳す?
資料によって大海艦隊だったり大洋艦隊と書いてあったりするので誰か上手い訳キボン。
45 :
スカパフローの亡霊:04/01/31 12:46 ID:jRO61n3N
>>44 高海艦隊は明らかな誤訳だからねえw(カッコいいんだけども)
Hoch seeはおおよそoceanの意味で取れるから、「海」だとどうも力不足。
となると「外洋艦隊」か「大洋艦隊」になるのではないかと。
普通名詞的に訳すなら前者、固有名詞的なら後者ってかんじかな?
46 :
名無し三等兵:04/01/31 13:26 ID:Yg2smFnx
ドイツ艦隊はよくやったと思う。ヒトラーの無理解、伍長戦略で消耗しつつも、終戦直前のドイツ住民のソ連軍からの救援の援護の為の砲撃戦など良くやったと思う。
キルケネスとか辺地の話が好きだなぁ
48 :
名無し三等兵:04/02/01 09:30 ID:reC3RyMh
>>34 軍令部-GF程度の独立性がOKM-艦隊の関係にもあれば
いくらか変化したとは思うのですが。財布の事情が絡むと厳しいですね。
加えて方面司令部という仲介者もいますし、どうにも作戦指導に
無用の混乱を生んでいるな、と感じます。
バイ提督はナルヴィクでも活躍されてますね。
獰猛そうな顔が印象的です。
>>39 洋書でもあまりに見つかりませんね。
シュヴィーネミュンデまで負傷者を移送したエピソードは萌えます。
>>48 怪談スレでも見ましたが物凄い内容ですね。オスロに戦艦とは。
ノルウェーには海防戦艦が2隻ナルヴィクにあっただけなのに(;´Д`)
>軍令部-GF程度の独立性
山本五十六の独立性なんじゃあ
>>49 大戦初期には海軍・艦隊ともにそれなりの裁量権があったと思いますよ。
ただ、それを上手く活用出来ず徐々にヒトラーの信頼を失って行き、後半になればなるほど海軍、特に艦隊の自由裁量権が失われていったと。
>>51 やはりビスを失ったのが信頼喪失の原因でしょうか。
>>52 ビスマルク喪失がもっとも大きな要因の一つであるのは間違いないでしょう。
でも、大型艦の喪失と言う意味ではシュペーの自沈もヒトラーにそれなりの影響を与えていたかなと思いますが。
まあビスマルクに関しては、リュッチェンスがデンマーク海峡突入以前に給油してさえいれば、結果は変っていたはずなんですけどねえ。
この時は軍令部側から、各地に給油船を用意してあるから任意の地点で補給してよし、通過海峡・時間の選択も自由、とリュッチェンスにかなりの自由裁量権が与えられていたんですが、その結果がアレですから。
以降の作戦で軍令部・各方面司令部共に艦隊に対して頻繁に作戦指導を行なう(=艦隊側に自由裁量権が無くなる)のも致し方ないかなと。
>>53 リュッチェンスの判断が拙かったのか、英海軍が手強すぎたのか……。
リュッチェンスはシャルンホルストとグナイゼナウを率いたベルリン作戦ではそれなりの手腕を見せていますから、
やはり英海軍がてぐすね引いて待っていたと言うことでしょうか。
>>51-53 確かに。裁量制限の過程には艦隊側のミスにも原因が認められますね。
一方で「ユーノー」作戦におけるOKMからの制約のような例も存在しますし、
悪い相互作用を生じたなと感じます。
ビスマルク喪失が一つの起点となることは同意です。
そういえば読みかけで放り出してあったレーダーの回想録を読み返したりしているのですが
他に当時の高級海軍軍人の回想録やヒアリングはあるんでしょうか?
(スレ違い気味の)デーニッツ、ルーゲ、クランケは知っているのですが、
シュニーヴィントなどのものがあればと興味があります。
>>26 ご存知かも知れませんが、プリンツ・オイゲンをメインにSボートの話などもあり。
ttp://www.prinzeugen.com/ >>51 ヒトラーの海軍に対する締め付けの強まりは、対ソ戦の開始とその行き詰まりも
影響しているかと。
41年
3月 水上部隊の通商破壊最高潮
5月 ビスマルク喪失
6月 対ソ戦開始
12月 モスクワ門前でソ連軍大反攻、独軍撤退
陸軍主要指揮官(ブラウヒッチュ、ルントシュテット、グデーリアン他)の解任or辞任と
ヒトラーの陸軍司令官兼任
陸軍ですらこの有様なので海軍ごときの裁量など論外なのかも。
>>54 ライン演習に関していうなら、リュッチェンスのミスの方が大きかったかと。
カガテット海峡の通過した事、当初の予定に反しデンマーク海峡突入前に給油艦から補給しなかった事、特に後者が致命的です。
ここで補給していれば、追撃の英艦隊を振り切れた可能性は極めて高かったでしょう。
>>55-56 ヒトラーの海軍不信のもう一つの大きな要因として、ツェルベロス作戦の成功があると思います。
58 :
スカパフローの亡霊:04/02/02 17:29 ID:r2nVrBBu
>>57 確かに、自分が要求したツェルベロスが成功して、
伍長殿が自分の「天才的ひらめき」に余計な自信を抱いたと言うのはありますね。
まあ、
>>56氏の言われるように海軍に限った話ではないのでしょうが。
デーニッツの心中いかばかりか
>>59 あとレーダーも。
準備未了で開戦、そして罷免。
自分の育てた艦隊が壊滅していくのを指をくわえて眺めるしかなく、しかも戦犯。
61 :
名無し三等兵:04/02/02 22:32 ID:SUtjUJfq
終戦まで生き残った1万トン以上の戦闘艦艇は重巡プリンツ.オイゲン
だけかなあとは北海 バレンツ海 バルト海の海の藻屑となったのか
大戦末期に日本の駐在武官に持ち掛けた依頼。
「この戦争はもはや仕方ない。
だから、将来のドイツ海軍の教育のために何人か日本に送りたいと思っている。
例えば連合艦隊の乗り組みとして、機動部隊の作戦を実地で体験させてもらいたいのだが…」
>>61 リュッツオー、シェアー、ヒッパーなど港湾内で着底が結構多いです。
>>61 >63さんも言っているが、残っていた水上艦の多くが終戦前後に自沈してるんだよね。
逆に何故、プリンツオイゲンだけが自沈しなかったのかが疑問なんだな。
65 :
名無し三等兵:04/02/02 23:03 ID:SUtjUJfq
Z計画が実現したとしても敗戦後はスカパ.フロ−の再現か
主力艦 みんなそろって 海の底
第一次大戦と一緒
66 :
64:04/02/02 23:04 ID:???
普通に考えりゃ、プリンツオイゲンが無傷だったから自沈させなかったとみるべきか。
自沈組みはまともに動けず、軍港にソ連軍が迫っていて修理してる余裕もなかったから自沈したと。
プリンツオイゲンは終戦時にはコペンハーゲン在泊らしいから、安全な港に退避させてたんだな。
>>65 それどころか、下手すりゃ全艦ビキニ環礁に直行だよ。
一次大戦の時は独艦艇の処理について各国の意見が分かれたけど、
今度は米英(+ソ)しかないから、核実験に使うのがあっさり決まったりしそう。
68 :
名無し三等兵:04/02/03 00:54 ID:Rcsaikmw
>>67 スタリンおぢちゃん「全部、我が国が責任もって回収します!」
71 :
名無し三等兵:04/02/03 07:50 ID:a9gyVwSw
スレの趣旨に従って、話題を変えてみる。
ツェルベロス作戦以降にドイツ海軍が水上艦艇を能動的に用いて成功させた作戦・海戦てありましたっけ?
バレンツ沖海戦はアレだし、北岬沖海戦はもっとアレだし。
末期の支援砲撃くらい?
>>71 艦艇を用いないならワルキューレ作戦のカウンターがあるけど。
リラ作戦の成功があれば、もう少し華々しいお話も出来るんだろうけどなぁ
>>72 リラ作戦、というかフランス艦隊の接収失敗は確かに痛手ですね。
ただし時期的にバレンツ海海戦の直前ですから、たとえ接収出来てもヒトラーから無用の長物扱いされてしまいそうですがw
ワルキューレ作戦のカウンターの方は、知りませんねえ。よければ教えてください。
チャンネルダッシュ以降で成功した作戦はマジで末期の東プロイセン撤退作戦
ぐらいじゃない?
バレンツ沖海戦なんて、独重巡に再三突撃する英護衛部隊に萌えるための戦闘だし。
潜水艦なら色々あるけど、水上艦はお寒い限り。
>71
作戦といえるかどうかはともかく、ティルピッツとシャルのスピッツベルゲン砲撃は成功してるよね。
>>74 東部戦線の住民救出は萌えるな。
樺太の日本陸軍もそうだが、やはり殿軍こそ男の花道晴れ姿。
良スレage
>>73 “7月20日”事件の鎮圧の事です。
呼応したパリ駐留軍をクランケ提督の海軍部隊が制圧したんですよ。
80 :
73:04/02/05 22:36 ID:l7mYKVpJ
>79
ご教授感謝です。
クランケ提督といえば、西艦の司令長官で大将になっておられた頃かな?
バレンツ海海戦の頃はヒトラー付きの海軍武官で中将だったはずですが、えらく出世が早いですね。
やはりシェ−アでの活躍の影響なんでしょうか。
>>80 他の大型艦の艦長経験者も中将ほどには進級していますが、クランケ大将の場合は
1941年4月少将、翌年4月中将、43年5月に大将と、少将の昇進までは他と大差ありませんが、
中将以降の昇進が格段に早いですね。
他にこの種のスピード進級をしているのは軍令部長になるマイゼルや
水上艦組と大きく異なるフリーデブルクぐらいです。
シェーアの経歴が影響している面は大きいかと思います。
82 :
スカパフローの亡霊:04/02/05 23:48 ID:9887Fpdj
諸提督の戦歴をうpします。
と言っても、『提督の決断4』の攻略本の丸写しですが。
他に資料も無いので、何かの足しになれば。
R・カール
ドイツ東部方面艦隊、バルト海艦隊司令官などを歴任したドイツ水上部隊のベテラン指揮官。
その能力を買われ、のちに総司令官候補として指名されたこともある。
このときは、水上部隊を軽視していたヒトラー総統の意志により、正式な任命には至らなかった。
T・クランケ
ポケット戦艦「アドミラル・シェーア」の艦長を務める。
40年には、通商破壊作戦のためインド洋まで出撃。
イギリス海軍の北大西洋における航路を混乱に陥れ、数々の戦果を挙げた。
帰還後は海軍本部の幕僚となり、西部方面艦隊司令長官にまで昇進した。
G・リュッチェンス
マルシャル提督が病気になった際、臨時で高海艦隊司令官に就任。
ノルウェー侵攻作戦を指揮し、成功を収めた。
41年5月、旗艦「ビスマルク」に搭乗して、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」などとともに通商破壊作戦に出撃したが、
イギリスの執拗な追撃によって「ビスマルク」は沈没。
艦と運命を共にした。
O・チリアクス
フランスのブレストで孤立していたドイツ主力艦の本国回送を指揮した艦隊司令官。
白昼堂々にドーバー海峡を突破するという、大胆な作戦を決行し、機雷に何度も触雷しながらも、戦艦、重巡洋艦3隻を無事本国に帰還させた。
のちには、ノルウェー方面艦隊司令長官に就任している。
A・ティーレ
デーニッツ総司令官当時に、北部方面艦隊司令を務めていたが、デーニッツとの意見の食い違いから更迭されてしまう。
終戦間際には東部方面艦隊司令に就任。
陸上への支援砲撃を積極的に行い、クールラントで敵勢力圏で孤立していた市民や兵士の撤退に尽力した。
W・マルシャル
開戦当初の高海艦隊司令官。
40年5月に、ノルウェー沖海戦で指揮をとった。
イギリスの空母「グローリアス」こそ撃沈したものの、作戦海域で敵艦を発見できず、独断で転進。
この勝手な行動を非難され、司令官の座を退いた。
その後復帰し、バルト方面艦隊司令、西部方面艦隊司令などを歴任している。
O・シュニーヴィント
開戦時のドイツ海軍作戦部長。
のちに大海艦隊司令官に就任し、北部方面艦隊司令を兼任した。
40年から開始された通商破壊作戦では、北部方面に出撃、不利な状況下においても艦隊を温存し、
ムルマンスク護衛船団に脅威を与えつづけた。
H・ブリンクマン
重巡「プリンツ・オイゲン」艦長。
リュッチェンス提督のもと、ライン演習作戦に参加した。
この戦いでは、戦艦「ビスマルク」とともにイギリスの戦艦「フッド」を撃沈する。
途中から「ビスマルク」と別行動をとり、単独でブルターニュ半島のブレストに向かっている。
その後、43年には黒海管区司令に就任した。
O・クメッツ
ドイツ巡洋艦隊指揮官。
旗艦「アドミラル・ヒッパー」を率いて、ムルマンスク護衛船団攻撃に出動した。
一度はイギリス艦隊を窮地に追いこむも、反撃を受けて艦を損傷。
海軍本部の命令を受けて全艦を撤退させた。
このふがいない戦いぶりに激怒したヒトラーは、ドイツ海軍の全大型水上艦解体を命令した。
E・バイ
駆逐艦隊指揮官から昇進し、巡洋艦隊指揮官を務める。
43年12月25日、巡洋戦艦「シャルンホルスト」を率いてバレンツ海に出撃したがイギリスに強力な部隊が存在することを確認し、船団攻撃を中止する。
急ぎ帰路についたものの、挟み撃ちにあい、「シャルンホルスト」は撃沈。
自身も戦死を遂げた。
P・ボンテ
ヴィーゼル演習作戦では、駆逐艦10隻を率いてオフォト・フィヨルドに突入。
ナルヴィク上陸、および占領を成功に導いた。
だが、その直後にイギリス軍と激戦になり、手持ちの艦船をほとんど失ってしまう。
ついには砲雷撃によって旗艦「ヴィルヘルム・ハイドカンプ」も轟沈、ボンテもともに生涯を閉じた。
E・リンデマン
戦艦「ビスマルク」艦長。41年のライン演習作戦に参加し、戦艦「フッド」を撃沈、戦艦「P・O・ウェールズ」を大破させる。
この戦果に脅威を感じたイギリス海軍は「ビスマルク」撃沈を最優先することを決断し、必死の捜索の末に発見し撃沈した。
リンデマン艦長も多くの乗員とともに戦死している。
H・ラングスドルフ
ポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」艦長。
敵将からも称賛された紳士的な人物で、開戦当初より、南太平洋からインド洋にかけての通商破壊戦で功績を残した。
のちにイギリス南米艦隊の執念深い追撃を受け、ラプラタ河口沖で「アドミラル・グラーフ・シュペー」は自沈。
ラングスドルフはその責任をとり、自殺した。
R・シュタンゲ
ポケット戦艦「リュッツォー」艦長。
バレンツ海海戦において、クメッツ提督の指揮下でムルマンスク護衛船団を襲撃したが、おりからの吹雪が船団を隠した。
危険を冒すなとの命令を守るため、戦果をあげることなく、駆逐艦とともに帰還した。
のちに、ベルギー・オランダ管区司令官に就任した。
H・マイアー
大西洋最大の戦艦、「ティルピッツ」艦長。
ムルマンスク輸送船団をたびたび襲撃するも、大きな戦果をあげることはできなかった。
だがイギリス海軍にとっては、ノルウェーのフィヨルド内に潜む「ティルピッツ」の存在は悪夢であった。
44年11月、爆撃を受けて「ティルピッツ」は転覆。
マイアー自身は、終戦まで海軍作戦部長を務めた。
91 :
スカパフローの亡霊:04/02/06 00:39 ID:9TYxD/M3
以上。
レーダー元帥とUボート関係者を除いてうp完了。
やった後でアレだが、著作権云々に引っ掛かりませんように。
ほんとに丸写しだし。
さて、何かの役に立つかな……。
>>25 艦隊司令長官の件、リュッチェンス提督の後、Leopold Siemens少将が
41.5.27 〜 41.12.6の間任に就いているようです。この後がOtto Schniewind大将。
細かい話で恐縮。
転載乙です。
ただ内容に細かな間違いがあるのがある意味光栄らしいかも
>>79 『SS第12戦車師団史』にもクランケ提督の鎮圧行動の話が少し出てきますね。
当時はそれで止むを得なかったのでしょうが、戦後どう評価されたのだろうか・・・。
96 :
スカパフローの亡霊:04/02/06 00:50 ID:9TYxD/M3
>>94 はいw
やはり信頼性が今ひとつですね。
適宜、ご指摘願えればなと。
レーダー元帥ってなんで偉いの?
WW1で実績あるのかな。
>97
ワイマール時代からヒトラー体制下にかけて海軍再建に功績があったから。
第一次世界大戦では偵察艦隊の参謀長。軽巡ケルンの艦長を歴任。
即レス感謝。
100get
>>92 ご指摘感謝します。
元々艦隊が通商破壊作戦中の長官代行職から横滑りした方のようですね。
状況が海軍甲/乙事件に似ているなと思うと共に、軍令部から本部長が
次の長官職に横滑りしてくるのも今更ながら納得しました。
>>96 名前の指摘程度ですが、R.カールではなくカールス Carls、
ボンテもファーストネームはフリードリヒだったと記憶しております。
確か「リュッチェンス」は駆逐艦の名前になってるんだよね。
103 :
ゆうじん:04/02/06 01:46 ID:cEm6S2b3
レーダーは1897年任官、数年の海上勤務ののち報道官に就任。
1911年には航海長として皇帝のヨットに乗り組んでいます。
1913〜1918年まで、ヒッパーの参謀長を勤めていますが、
1920年にはカップブッチに加担したとされ、戦史部に左遷されています。
そこで過ごす2年の間に、海事史や通称破壊戦に造詣を深めました。
1922年には少将に昇進すると同時に教育訓練監督官に、24年には中将
に昇進し、バルト海艦隊司令官になっています。
1928年には海軍総司令官に就任。
ヒトラーとは1933年に出会ってますね。
カナリス中将は蚊帳の外?
>>104 アブヴェールは余り水上艦隊に絡んでこないしねえw
>104
カナリス中将は海軍軍人なれど国防軍総司令部(OKW)の防諜部門の長なので。
海軍自体とはちと離れた立場、より高次の立場というか。SSの誰かさんとは危険な関係。
スカパフローの亡霊殿の御尽力に敬礼。
根性無しの自分はロッゲ氏のみ略歴紹介。
ベルンハルト・ロッゲ(Bernhard Rogge)中将
1899年11月4日、シュレスヴィヒにて出生。
1915年、海軍兵学校に入学。
1935年8月、軽巡カールスルーエ副長。36年12月練習帆船ゴルヒ・フォック船長(少佐)。
38年2月から大戦勃発まで練習帆船アルベルト・レオ・シュラゲーター船長(中佐)。
39年11月、大佐に進級と共に補助巡洋艦アトランティス(7,862総トン)艦長。
1940年3月11日、キールを出撃。南大西洋〜インド洋で通商破壊戦を展開。
翌41年11月22日、英海軍巡洋艦デヴォンシャーに撃沈されるまでに得た戦果は商船22隻
(145,968総トン)。洋上にあること622日の長きに及ぶ。
ロッゲ艦長及び乗組員はUボートに救助され帰国。
42年4月、教育部隊参謀長。43年3月、同監察官(少将)。44年9月、艦隊教育部長。
45年3月、中将。ティーレ提督率いる第2戦闘グループ(プリンツ・オイゲン、リュッツォ、
アドミラル・シェーア)に参加。バルト海沿岸で苦戦を続ける陸軍支援及び避難民救助に
従事。
戦後、旧西独海軍に勤務。1962年退役。
叙勲
柏葉付騎士十字章(1941)(他にイタリア、日本からも叙勲あり)
連邦功労十字章(1962)
著書
『Schiff 16』1955, G. Stalling, Oldenburg
>>107 ありがとうございます。
独海軍の場合、詳細不明以前に名前さえ知られていない提督が沢山いますから、
どんどん哨戒してください。
スレとは関係ないが時々政治系の板に出てくる「ドイツを見習って戦後処理しろ」
とかいう人間はリュッチェンス級駆逐艦の存在を突っ込まれると面白い反応を
してくれるぞw
>>110 何か特殊なフネなの?
普通のミサイル駆逐艦だと思ってたんだけど。
112 :
:04/02/07 08:24 ID:???
今更ながら、提督列伝乙
>110
ホントに突っ込んだことあるのかよ(w
114 :
:04/02/07 09:08 ID:???
リッチェンス
メルダース
>>111 ただの駆逐艦なんだけど「ドイツではナチス時代の軍人が英雄視されている」
事の紛れもない証拠だから「ドイツを見習え」と言っている連中にとって凄く
都合が悪い。
まあ今ではそんな連中は殆ど駆逐されちゃったけどね。
116 :
名無し三等兵:04/02/07 14:41 ID:mREazZZO
でも戦後西独海軍にもナチス時代の軍人がいるのは
人材不足か
>116
別に陸でも珍しくないし
ロンメル基地ってなかった?
警察予備隊創設時には旧軍の高級将校は除外されたけど、
独軍の場合はどうだったんだろう。
>118
スレの趣旨から外れるので手短に書くと、
55年に個人審査をやって不適格者を排除した。
それ以前に米英軍管轄の準軍隊みたいなものがあり、そこの幹部(当然旧軍人)は
丸ごと連邦軍に編入しろとロビー活動。
しかし時の宰相アデナウアーはこれを拒否したわけ。
間違えた。120は>119氏へのレス。
122 :
119:04/02/07 18:04 ID:???
>>120 レスサンクス。
やっぱりそのまま受け入れって訳には行かないですね。
>>122 つーてもアデナウアーは西ドイツ政府発足のわずか一年三ヶ月後には
連合軍によって追放されたドイツ人の99%以上を復帰させるという
事をしてるので、早い話が一部をスケープゴートにしただけ。
124 :
名無し三等兵:04/02/08 07:35 ID:xElYCXHc
ドイツの駆逐艦って、日米英に比べてどうなの?
なんかドイツの兵器って過大評価される傾向があるけど。
125 :
:04/02/08 08:04 ID:???
独駆の特徴は15センチ砲搭載。
ナチとドイツはイコールじゃないからなぁ。
>>125 ほとんど軽巡みたいなフネつくってたよね。
>>126 『「ドイツを見習え」と言っている連中』には理解できないのでしょう。
ドイツ駆逐艦は設計思想的には日本と大して変わらなく、水上戦志向。
対空、対潜能力は低い上に、ノルウェーでウォースパイトに叩きのめされてからは
エジンバラ沈めた以外にろくな戦果がない。
しかも15cm搭載型はトップヘビーで後期の艦は5インチクラスの砲に
戻ってる。
129 :
:04/02/08 15:26 ID:???
カイザーマリーネの流れが脈々と続いているわけか。
131 :
ゆうじん:04/02/09 19:20 ID:vS16bXap
ドイツは水雷艇がけっこう有力でしたよね。
後期の艇はほとんど駆逐艦並とも。
あと見逃しがちだが独海軍って機雷戦能力も相当なものがある。
敷設でも、掃海でも。
>>128 元から、Z級の対潜能力はそんなに低く無いよ。対空能力も後期にはかなり強化されているし。
残念ながらその戦術思想は失敗だけど。
134 :
名無し三等兵:04/02/09 21:39 ID:FvlDaPxj
ドイツ海軍がアメリカ潜水艦を撃沈したのは
一隻だけというは本当か 逆は数え切れん
>>134 つーか、ドイツ海軍の行動範囲内にほとんどアメリカ潜水艦は入って来なかったんですけど。
>>132 アメリカが日本に大量に敷設した音響機雷や水圧機雷も元々はドイツの技術のはず。
ドイツ海軍も大戦後半はUボート戦よりも隠密にイギリスやフランス沿岸に機雷敷設する作戦が主だったはず。
バルト海に敷設した機雷礁は凄まじく、1944年9月にフィンランドが降伏して自国担当部分を掃海するまで
ソ連海軍艦艇はほとんど出撃できなかった。
潜水艦などは20隻以上機雷にひっかかって沈没している。
136 :
名無し三等兵:04/02/09 22:48 ID:FvlDaPxj
陸軍の地雷敷設といい勝負をしている 地味だが相手にすると
かなりやっかいなことになる
Ju-52にどでかい磁気アンテナ(?)を付けて、空中から磁気機雷を掃海する方式も実現しているね。
138 :
名無し三等兵:04/02/09 22:54 ID:rKfVJDzA
>>132 そうだね。
大戦劈頭の駆逐艦を使っての英国港湾への機雷敷設は、磁気機雷の使用と相まってかなりの戦果を上げているし、ツェルベロスの時も短期間で航路の掃海してるしね。
そう言えば、ツェルベロスの時に西艦管轄内の航路の掃海を担当したルーゲ代将が結構お茶目。
チリアクスの部隊が英国海峡を無事に通過したら乾杯しようとシャンペンを用意していたんだけど、通過直後にシャルンホルストが触雷したとの連絡が。
で乾杯を取り止め掛けるんだけど、触雷した位置が西艦の管轄外だったのが分かり、シャンパンを開けちゃうの。
まあ、気持ちは分かるんだけどさ。
139 :
名無し三等兵:04/02/09 23:48 ID:IRDo6Olm
>>138 漏れも『高速戦艦脱出せよ!』で読んでニヤリとしたよw
ちなみにシャンパンの追加まで命じたんだそうな。
何とルーゲ氏の話題が出ている。で、以下不定期提督列伝ルーゲ提督の巻。
フリードリッヒ・ルーゲ(Friedrich Ruge)中将
1894年12月24日、ライプチヒにて出生。1914年、海軍兵学校入学。
第一次大戦中は魚雷艇B110に乗り組み、戦後スカパ・フローにおける自沈計画に
加わった際、英国側に抑留さる。1920年1月帰国、ワイマール共和国海軍に参加。
戦間期、いくつかのスタッフ職を経験する中で機雷戦に関する知識を深め、
同分野のスペシャリストとなる。
またベルリン工科大学に学び、言語学の課程を修了(英語・イタリア語)。
1937年、掃海司令部参謀(1939年1月大佐)。
第2次大戦中、様々なポストを歴任。
東部掃海部隊司令(1940年2月代将)
西部方面防備部隊司令(敷設艇隊と掃海艇隊を指揮、1942年4月少将)
42年2月11日に敢行された「ツェルベロス」作戦では、海峡地区の困難な
掃海作業を遂行。
43年5月22日〜8月12日、イタリア方面海軍司令部司令官(43年2月中将)
43年11月、B軍集団付提督。
ロンメル元帥の下、海岸防備の推進、諸兵科との連絡調整を担当。連合軍上陸後
輸送分野で活躍。
44年8月、海軍総司令部造兵局長
戦後、1949年から52年にかけて米軍の海軍戦史研究チームに参加。
1956年3月1日、旧西独連邦軍初代海軍総監に就任(中将)。
豊富な経験と知識、幅広い人脈を武器に草創期の連邦海軍整備に尽力。
1961年、チュービンゲン大学より政治学分野で名誉博士号を授与される。
著書
『Der Seekrieg 1939-1945』1954
『Rommel und die Invasion』1959(邦訳『ノルマンディーのロンメル』)
『Politik und Strategie』1967
ところで『ポケット戦艦』でデュケサから鹵獲した卵でつくった、
肉の見えないくらい卵の乗ったステーキってどんなのなの?
ずっと疑問に思ってるんだけど
やはりご自分で調理されるのが最良かと。
シェア風ステーキも食べてみたいが、しかしステーキにはオニオンソースかと。
え?大根おろし?沖縄の炒り塩?
そうですか。すいません。
食い物の話題はやめとけ
145 :
名無し三等兵:04/02/10 06:49 ID:JFAVhka4
>140
へー、ルーゲ代将って戦後も活躍したんでしね。
>144
いや、このスレ的にはデュケサの卵絡みの話ならありでしょ。
俺も「ポケット戦艦」読んで卵料理食べたくなった口だしw
で、お詳しい人がいそうなので質問させて頂く。
ドイツ海軍に上級中佐って階級はホントにあるんでしょうか?
「巨大戦艦ビスマルク」でエールス副長の階級がそうなっているんですけど、「戦艦ビスマルクの最後」だと普通に副長なんですよね。
多分、どちらかが誤訳だと思うんですけど、ご存知のかたいたらご教授下さい。
146 :
145:04/02/10 07:35 ID:???
訂正
誤:「戦艦ビスマルクの最後」だと普通に副長なんですよね。
正:「戦艦ビスマルクの最後」だと普通に中佐なんですよね。
147 :
名無し三等兵:04/02/11 11:26 ID:iAFGxNFr
保守
148 :
名無し三等兵:04/02/11 12:13 ID:zHznwed9
もしヒトラーの希望通り開戦が1946年だったらドイツ海軍はどうなったでしょうね?
>>148 Z計画の艦艇が中途半端に出来上がってるだけで人員の教育が追いつかない予感
潜水艦も大型中心でデーニッツの好みじゃないし。
それに46年だと39年の段階より英米との差が開く罠。
H級は43〜45年の間に6隻全艦完成予定なのでほぼZ計画の主力は揃っていると思われます。
というかそれを見越しての46年開戦予定だったわけです。
間違いなく日本が死に体になってて(封鎖に耐えきれず、英米側についている可能性も
高い)、米軍の戦力がほとんど大西洋側に回ってくるし、ソ連も強化されているから、絶望
的な戦いになったと思われ。
海軍戦力で言えば、世界中を敵に回した状態でしょ。下手すると、H級戦艦対策に、大和
武蔵とモンタナ級が轡を並べてやってくるかも。
>>151 日本の場合、40年に戦線の縮小により日中戦争終結の動きがあったけど、ドイツの
電撃戦によるフランスの屈服に幻惑されて戦線を拡大してしまっているから、
もしドイツが開戦してなかったら日中戦争は終結していた可能性が高いよ。
まあここまでいくとスレ違いになってしまうけど。
>152
んー、私が言っているのはそういうことではないのですが、まあスレ違いですな。
仮想戦記の話題もやめとけ
>H級は43〜45年の間に6隻全艦完成予定
ドック足りるかね?O級に空母もあるぜよ。
>>155 Z計画では1939年にH、Jを起工し43年完成。K、L、M、Nが40年に起工され、
44年にK、Lが45年にM、Nが完成の予定で後の4隻は39年5月25日に発注まで
行われてます。
157 :
毘式:04/02/11 19:11 ID:???
>>149 保有し得た主力艦の のべ数に限れば、公試のものも含めて1941年時の英18に対し独4。
史実として最終的に保有し得たものは 英のべ21に対し独のべ4。
仮にZ計画の補完が1946年時に成ったとして 英もまたライオン級4隻と後続による戦
隊をこれに加えると思われ、英は30以上 独はポケット戦艦を含めても16。
確かに差は開くが その絶対数から独側も柔軟な戦術が可能となり、英は史実以上に苦
労するかと。
もっとも依然として英側有利なのは、洋上航空戦力の充実と 米側の支援を期待し得る
点でしょう。
ただやはり 1946年まで英仏が黙って見ている可能性が、既にして低い訳なのですが。
>>155 戦艦6巡戦3の計9隻を 海軍工廠と4社で建造、うち1社以外は全て2隻建造 それ
も恐らく立て続けの為、可能ではあるが すこぶる強行でもあります。
>>157 R級は近代化改装の予定も無かったから恐らく退役かと。
ドイツ側の有利な点を探せばイギリスが長年の軍縮条約の縛りの結果として
老朽艦が多いことでしょうな。
159 :
毘式:04/02/11 21:15 ID:???
>>158 英軍は大量に発生する15in.Mk-1を有効活用せずにはおかないでしょう。
また、KGV級の4、5番艦あたりはライオン級として竣工するのかも知れない。
英軍は補助艦艇たる巡洋艦の活用や運用に長けた戦略海軍ですが、事更な主力の隻数増
大はそれ自体負担でもある事を考えると、仰る通り手持ちの艦艇の更新を慎重に行った
でしょうね。
ドイツは仮に主力を補完し得ても、補助艦艇と航空戦力の充実が最低限なされなければ
それを活かす事もままならない。
かつて主力艦艇による艦隊こそ有しはしたが、この時までにドイツにそのようなバラン
スのとれた戦略海軍が存在した試しはなかった。
>>145 Fregattenkapitan Hans Oels ※aはウムラウト
「中佐」で宜しいかと。
Z計画に対する答えは、
「戦艦では英国に勝てない」
「地理的優位に立つ英国に対し、ドイツが戦闘によって脱出を強行できる可能性はゼロに近い」
ヘルムート・ハイエ中佐(建白書『対英海戦』1939年)
でFAとしたいところですが。
以下ではスレ本旨に戻りたく。
フリッツXが艦艇から撃ち出せれば五分とまではいかなくとも
46年にはいい勝負まで持ち込めるのでは。
ノルウェー攻略戦で駆逐艦がぼこられたのは痛かった。
164 :
スカパフローの亡霊:04/02/21 18:49 ID:CRhcEL2A
ノルウェー戦の独海軍損害
沈没
重巡ブリュッヒャー
軽巡ケーニヒスベルク、カールスルーエ
駆逐艦10隻(フォン=ローダー級5隻、レーベレヒト=マース級5隻)
Uボート4隻
損傷
巡戦シャルンホルスト、グナイゼナウ
装甲艦リュッツォー
重巡ヒッパー
他
参加艦艇の大半が何らかの損傷を受け、
>>163氏の言われるように駆逐艦にいたっては参加14隻のうちの10隻、
実に7割以上が失われました。
この損害は戦闘終了後に大きな批判の対象になったそうですが、
一次大戦の独海軍の敗因を考えると、
ノルウェー占領に支払う代価としては決して高くないでしょう。
今度からは「Z計画完成後のドイツ海軍大戦記」にしないか?
開戦は1946年の設定で。
所詮は負け犬艦隊
>>164 魚雷の信管さえちゃんとしてればねぇ。
せめてウォースパイトぐらいは大破できたのに・・・
まぁこの時期のUボートの隻数が少ないことも原因かもね。
168 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :04/02/21 23:49 ID:99ikp0Hj
>>167 魚雷の信管に関しては日本もアメリカも苦労しており、はっきり言って万国共通の問題と言えます。
そしてその背景には共通の理由、
すなわち「魚雷一本、家一軒」と揶揄されるほどの魚雷の値段が高く、
平時において実際に信管を作動させるような経験の蓄積がまるで足りなかったことがあります。
そして無論のこと、魚雷信管を作動させる=実標的もそうそうあるものではありませんし。
実艦射撃というのは錬度の問題だけでなく、そういう砲・弾薬関連の問題を洗い出す意味でも重要なんですね。
169 :
145:04/02/22 01:01 ID:pVOSH2il
>>160 遅くなりましたが、ありがとうございます。
>>164 ちなみにヴェーゼル演習における、連合国側海軍の損害ってどれほど出てましたっけ?
グローリアスを筆頭に巡洋艦で2〜3隻、駆逐艦も10隻近く失っていたように記憶しているんですが。
>>164 やられた駆逐艦や軽巡の乗員は寄せ集めの陸戦隊として上陸してきた英軍相手に奮戦しているよ。
終戦までノルウエーの鉄鉱石を確保出来たし、バルト海の制海権を維持できたのは大きい。
>>164 極端に言えばレイテ沖の日本海軍並の損害を被ったわけですな。
172 :
名無し三等兵:04/02/22 11:17 ID:2Rk86ofe
でも海軍陸戦隊は意外と陸軍以上に強かったりするからあなどれない
>>171 というか、無傷の艦艇が数えるほどしかいなかった状態だからねえ。
レイテとマリアナとミッドウェーとソロモンを同時にやっちゃったって感じでしょう。
まぁレイテ、マリアナ等々との違いはとにかく勝ったつーことか。
損害を奇貨としてすっぱり潜水艦に集中とはいかんかったのかね?
スレ違いだよ
そうか?
大艦を切り捨てる時期なんかも興味あるけどな。
史実どおりがいいのか、もっと早くとか。
レーダーの後任のデーニッツが潜水艦戦以外は明るくなかったのも問題なのだが。
基本的にバルト海の制海権さえ握れれば、ドイツが最低限、生存していくための物流には問題が無い。
水上艦艇が機雷敷設、掃海が主な任務になっていくのは、そう言う事情もあったと思われ。
確かに沿岸防備を主任務とするのは自然な流れかな。
ノルウェーも物流は船舶に頼っていたそうだが、1940−45の損失率は0.5%に止まった。
名も無き(番号はあるけど)小艦艇の功績か。
あと大型艦艇の大西洋投入は、頑張っても1941年末までが限界だったように思う。
アメリカの参戦もあるし、42年になってもレーダーが水上艦による通商破壊に固執してたのは
如何なものかと。
ノルウェーのフィヨルドは大戦後期に航空機からドイツの商船や軍艦を隠すのに大いに役に立ったそうだが。
もし、イギリスがノルウェーに侵攻上陸を行っていたら、鉄や食料等の物資不足からドイツの終戦は早まった
と思うよ。
>>103 しかしカップ一揆に荷担してよく主流に戻れたもんだ。
全体的に一揆に対する処分が甘かったのか、
レーダーが優秀だったのか。
>>104 元々は巡洋艦乗ってたらしいけどね。
WW1後から潜水艦の建造が始まるまではデーニッツは水上艦に乗ってるね。
たしかエムデンの艦長だったような気がする。
>>179 兵隊が足りませんがな。
保守age
砲術練習艦ブレムゼマンセー!
>>181 フランスはマジでドイツを封鎖すべくスウェーデンの鉄鉱石とソ連の石油を
武力で押さえる計画を立ててました。
185 :
名無し三等兵:04/03/10 22:37 ID:XHH0tC4/
>>184 初耳。
ノルウェ―上陸だけじゃなくて、バルト海に艦隊でも送り込むつもりだったんかな?
時期的にはまやかし戦争中だとは思うけど、イギリスじゃなくてフランスが計画した
ってところが面白いな。
187 :
185:04/03/10 23:19 ID:???
>>186 あれ、今月の歴史群像にその話出てましたか。
読んだはずだったのになあ、気付かなかったw
188 :
名無し三等兵:04/03/12 21:48 ID:Fqwp7a1u
そういえば駆逐艦「リュッチェンス」は退役後にハンブルグで記念艦になったんだよな。
リュッチェンスを「ドイツ海軍の英雄」として将来に渡って称え続けるつもりなのは明らか
だが、ちょっと違和感があるなあ・・・
違和感ありますか?
功績からすればリュッチェンスは間違いなく英雄ですよ。
個人的にはエルンスト=リンデマンのほうが良いけどw(『巨大戦艦ビスマルク』を読んだ)
リュッチェンスは曲がりなりにもフッドを沈めてるからねえ。
ドイツ海軍初のDDGのネームシップだからってところもあるのかもしれんけど。
191 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :04/03/15 11:49 ID:P/qRXzzW
>>157-158 R級の主砲塔は極東艦隊用高速戦艦(後のヴァンガード)向けに転用されることが決定しています。
とにかく英海軍はこの15インチ砲に対する評価が極めて高いんです。
功績だけだとUボート組のほうがよっぽどあると思うんだが船の名前にはならないねえ。
>>191 と言うことはもし開戦がヒトラーの希望通り1946年だったらライオン級に
続きヴァンガード級が6隻(史実の1隻+R級の主砲流用5隻)も出来ていた
のですな。
想像するだけでハァハァ・・・チャーチルの馬鹿野郎!何でそれが待てなかったんだ!
194 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :04/03/18 07:31 ID:h5bA09qE
>>193 隻数は不明です。最低でも複数であることは確実なのですが。
後、ご承知とは思いますが、史実のヴァンガードよりは弱小な戦艦に仕上がったでしょうね。
あれは大戦の戦訓がタップリ盛り込まれて4万4500トン、ですから。
「シュレージェン」や「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」って
機関変えたりしたんでしょうか?
また、ドイツの大型艦は戦隊を組まず単艦で運用されたようですが、
練習艦である同級もこの限りだったんでしょうか?
196 :
毘式:04/03/25 22:21 ID:???
シュレージェンが1938年の練習艦への改装の際、4個の石炭専焼缶を撤去し、そこが候
補生の居住区と教室に (世界の艦船増刊26集)とありますが、僚艦の改装要領や詳細
は詳しい資料がありません。
>195
Hessenは、缶を4基分重油自動専焼缶にして、18,000ihpの出力を出し、
速力は18.25ktから20ktになったそうです。
Schleswig-Holsteinは、毘式氏の書かれている通りですが、ボイラーは8基
新しいのに換装しています。
また、練習艦改造の際には、煙突を1本取り払って、其処に後部Mastを取り付けて
います。
Schlesienも同様みたいですね。
丁度1939年のJane's Fighting Shipsを入手し損なったので…。
そういえば、英軽巡エジンバラは独駆逐艦に沈められたんですよね。
ベイ少将が指揮していたのは分かるんだけど、この時の海戦名はなんていうんでしたっけ?
お二方、ありがとうございます。
一部缶を撤去して、残りを新しいものにということは
速度はそうかわってないんでしょうかね。
上の方にもありましたが、この二艦は資料ないんみたいですね。
どの隊所属で何してたか等も知りたいのですが。
>>196 ありがとうございます。
次辺り手を出してみようと思っていたんですが、
26集にも資料が無いんですか。
>>197 ありがとうございます。
ジェーンとは……。
レベルが全く違う。
>>194 39年度に計画4万t(完成すると恐らく4万2千t前後)のものがありますが、実際の
ヴァンガードがおおむね9,000(千£)と、KGVの2割強増なので、仮に戦時急造が
なされたとしても、KGV並みの費用は掛かったかも知れませんね。
>199
本当は、ドイツ語の1860〜1945の独海軍艦艇に関する3分冊の本を持っていたのですが、
その頃は、若気の至りで(と言うかドイツ語が読めないと言う単純な理由で、買ったは良いけど
さっさと古本屋に売りに出してしまったので(あの時、ドイツ語の本は売れないと言い張った
親父に無理矢理売りつけたんだけど、2年以上店ざらしになってたっけ)、今更ながら悔いて
いたり。
ちなみに、前回の補足で、Hessenですが、1936〜37年にかけて、ラジコン操縦の標的艦に
改造されました。
上構、武装は全て撤去され、機関部に少し構造物があり、太い1本煙突が突っ立てるだけの状態
で、司令塔も基部だけ残して、円筒形のものが突っ立っているだけで、かなり異様な艦容になって
います(攝津よりも改造は徹底されていたり)。
この状態で、煙幕展張装置が付けられました。
その後、標的艦任務に就き、終戦時も健在で、後にソ連に賠償艦として接収され、Tselと命名され
使用されていたようです。
同じく、標的艦としては、他にZoaringenがありました(抜けてましたね)。
こちらは1927〜28年に掛けて機関を撤去、残ったボイラーは重油専焼に換装し、5,000ihpで、13kts
しか出ません。
改造は武装を撤去し、煙突2本を撤去して前方の1本だけ残した状態になっていました。
こいつは、1944年12月13日ににGotenhafefnにて英国空軍の爆撃に遭い撃沈されました。
ちなみに、これの代艦として、Hanoverが残されていたのですが、改造が間に合わず、こいつは、
そのままデンマーク海峡の警備、後にハルクとして用いられ、終戦時に自沈しています。
>>201 平甲板の船体に、ネルソンに似た単煙突と、同じような太さで倍の高さの柱のみ。
柱の頂点から四方へ水平にアンテナが伸びており、垂直にも一本。
なぜか艦首はそれまでの逆クリッパーから、垂直に改められてますね。
新造計画当時は、英ダンカンやK.エドワードらに対抗する事になったはずが、竣工数ヶ
月で2戦級に。
WW1時の写真は、格好いいのですが。
age
age
19,000nm/19kt(だっけ?)は魅力だなぁ…
閑古鳥が鳴いちゃってるようなのでスレタイから
ちょっと外れ気味ですけど一つ疑問を投げかけてみます。
つい最近「呪われた海」を手にして読み進めているのですが、
付録のZ計画を見ると41年には空母を二隻持つつもりであったようです。
これは、ツェッペリン型空母を二隻持つつもりであったと言う事でしょうか?
それとも別の型の艦を作るつもりだったのでしょうか?
207 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :04/04/23 21:08 ID:/wHc6qDw
>>206 Z計画は正規空母2隻(ツェッペリン級)+補助空母2隻が含まれています。
以前ポケット戦艦スレかどこかで書きましたが、その後42〜3年頃には各種改装空母が検討されてもいます。
ちなみに、ツェッペリン計画当時は適当な搭載機がなく、計画当時の艦載機案は
はっきり言ってイギリスの母艦航空隊を全然笑えない編成です(笑
イギリスもドイツも空軍が独立した為に艦載機は開発大変
>>208 ドイツはゲーリングの嫌がらせみたいなんもあったんじゃない?
ドイツ空母
CV−1 グラーフ・ツェッペリン
CV−2 ペッサー・シュトラッサー(グラーフ・ツェッペリン級二番艦)
CV−3 ヴェーゼル(プリンツ・オイゲン級甲巡の二番艦ザイドリッツの改装)
CV−4 エウロパ(客船改装)
>>207 どうも、ありがとうござます。
実験艦の様な感じで違う艦作ると言うわけではなかったんですね。
艦載機ですが、フルマー乗っけてる英海軍より、
ドイツのほうが幾らかマシなような気がします。
フィーゼラーだかアラドだかの雷撃機はダメな気がしますが。
>>210 二番艦はドイツ海軍航空の始祖
シュトラッサーになる予定だったんですね。
>実験艦の様な感じで違う艦作ると言うわけではなかったんですね。
ただ、ツェッペリン自体何に使うという明確な目的があったわけではなく、
習作的な色彩は結構強いです。
ちなみにツェッペリン級2番艦はドクトル=エッケナー(ツェッペリン伯の協力者)だという説もあります。
正式決定はされておらず、どちらも候補の段階だったようで。
>CV−4 エウロパ(客船改装)
ドイツ語ではオイローパ、ですな。
なんかエウロパで浸透してしまってますがw
光栄あたりでしたっけね、発端は。
上でも信用ならんというお話が出てますがw
Graf Zeppelinは日本の資料の提供を受けて、航空艤装の参考にしたのもありますが、
その前の1935年に、英国のFuriousをドイツ士官が見学する機会があったそうです。
実際は、関係ないところをチョロチョロ回らされた為、全然参考にならなかったらしい
ですが。
後、Italy降伏で、AquilaとSparvieroを接収していますね。
後者は完成しても空母としては、日本の大鷹や海鷹よりも使えなかったですが。
>>212 私はエッケナーだと思っていました。
両方あったんですね。
>>213 元が客船なだけにわざと別の言葉なりで読んでる、
とかではないですかね?
>>214 海軍協定の絡みで一時期英の態度が軟化していた折、
ということでしょうね。しかし、イギリスは上手ですね。
>>215 英語読みとドイツ語読み
シーザー、カイゼル、カイザー、カエサルみたいなもの
P型戦艦ってこれどう使うつもりだったんでしょう?
速くなって、主砲威力が増した
ドイチュランドなんて凄く微妙だと思うんですが。
>217
Z艦隊計画の艦隊決戦構想は、巡洋艦Pと巡洋戦艦Oが通商破壊を
含む遊撃戦を展開して、英の戦艦戦隊を分散させた上で戦艦Hの
戦隊が決戦を挑むと言うもの。
Pはこの構想に基づき、「巡洋艦に砲力で勝り、戦艦に速力で勝る」
ことを念頭に設計された艦なのです。
>>217 ちなみにP型の主砲が28センチ三連装になったのはシャルンホルスト級の
主砲を38センチに換装する事を前提にしてその主砲を流用することで経費
が節減できるという計画だったからです。
>>219 P型は砲身の短い52口径砲なんですけど
>>220 あくまで計画。
大体12隻(→8隻)もの大量産予定してるのに、シャルの砲塔が足りるわけない。
・・・つっても、H級もHとJはもともとZ計画艦じゃなかったわけだし、
当初計画ではP級は主砲塔流用で3隻だけ建造の予定だったのかも。
>>221 手抜きせずにちゃんと>.219の時に書いておけよ
224 :
名無し三等兵:04/05/26 08:01 ID:J1a7gK1f
ここで演習作戦発動揚げ
225 :
名無し三等兵:04/06/02 23:44 ID:nqLGYaEl
アドミラル=ヒッパー級重巡各艦がそれぞれ何番艦か教えてくらはい。
本によってヒッパーとブリュッヒャーが逆だったり、
オイゲンとザイドリッツとリュッツォウが入れ替わってたり、
よく分からないんです。
>225
計画番号であれば
ヒッパー=H
ブリュッヒヤー=G
オイゲン=J
ザイドリッツ=K
リュッツオウ=L
だから、ブリュッヒヤーが一番艦だとも言えますね。
ただし、起工順ならヒッパー・オイゲン・ブリュッヒヤー・
ザイドリッツ・リュッツオウの順になるし、竣工順なら
ヒッパー・ブリュッヒヤー・オイゲンになります。
様は捉え方ではないかと思います。
>>226 有り難う御座います。
計画〜完成どの段階で番号をつけるか、と言うことなんですね。
後期の二隻は完成してすらいませんがw
age
ほぜっておきますよ
232 :
名無し三等兵:04/06/29 00:46 ID:2Snx+AQN
誰もいないな・・・
>>233 というか、
>ザイドリッツみたいな未成巡洋艦が有るのに、グナイゼナウがなぜか無い…
自分で挙げたサイトちゃんと見てるのか?
あ、ごめん。
見てなかったのは漏れだった
>Seydlitz (Battle Cruiser, 1913-1919)
>Seydlitz (Heavy Cruiser, launched 1939 but not completed)
>>233スマヌ
リュッツオーだけでも廻航できれば・・・
238 :
名無し三等兵:04/07/07 12:25 ID:z5n1jfIY
ヒッパーがインド洋にもう一度突入してシンガポールあたりに来てりゃもっと活躍出来たろうね。シュペーの二の舞の気がするが
ヒッパーの機関じゃムリじゃないかと。>インド洋
>234
ごちそう様です。
history.navy.mil/photos/sh-fornv/germany/gersh-t/tirpitz.htm
上から二段目の写真(NH59668)、ティルピッツとあるが、恐らくビスマルクであり。