521 :
2:2006/01/14(土) 17:36:39 ID:???
一方、ヘンシェル社のVK.36.01(H)は、ゲレート0725の名称で開発が進められていた75.5口径7.5cm口径漸減砲を搭載することを
予定していたが、口径漸減砲の砲弾には戦略物資で保有量が限られていたタングステンを使用するため、
1941年夏にヒトラーは口径漸減砲の使用を禁止してしまった。
このため、急遽主砲を8.8cm戦車砲KwK36に変更することになったが、VK.36.01(H)用の砲塔に搭載することは不可能だったため、やむを得ず、ポルシェ社がVK.45.01(P)用に設計した砲塔をVK.36.01(H)に流用することになった。
しかし、VK.45.01(P)用砲塔のリング径がVK.36.01(H)用砲塔より200mm大きかったため、搭載するにはVK.36.01(H)の車体を拡大しなければならなかった。
車体の再設計によってVK.36.01(H)は45t級の戦車になり、名称もVK.45.01(H)に変更された。
VK.45.01(H)のパワープラントは、マイバッハ社製のHL210P45 V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力650hp)と、同社製のオルファー401216A油圧操作式プリセレクタ型変速機(前進8段/後進4段)の組み合わせとなっていた。
一方、ポルシェ社のVK.45.01(P)の方は、電気駆動式という特殊な駆動方式を採用していた。
これは、ガソリン・エンジンにより発電機を駆動させ、これにより得た電力を電動機に伝え、起動輪を動かすというものであった。
この背景には、従来の変速機よりも信頼性が高く、無段階変速が可能というメリットがあったが、
実際には機構が複雑過ぎて、故障は従来の変速機よりも多かったことも事実である。
522 :
3:2006/01/14(土) 17:39:03 ID:???
エンジンは、グラーツ・ジンマーリング・パウカー社製のタイプ101/1 V型10気筒空冷ガソリン・エンジン
(出力320hp)が2基搭載された。
発電機はジーメンス社製のaGV、電動機は同社製のD1495aが使用された。
VK.45.01(P)およびVK.45.01(H)の試作車は、1942年4月20日のヒトラーの誕生日に合わせて展覧することになったため、
大急ぎで製作が進められた。
東プロイセン、ラシュテンブルクの総統本営で披露された2両の試作車の内、
ヒトラーは明らかにポルシェ社のVK.45.01(P)を贔屓していたが、
同年7月からクンマースドルフ試験場で開始された試験の結果、
VK.45.01(P)はその特殊な駆動機構に問題が続出し、
ヘンシェル社のVK.45.01(H)がVI号戦車「ティーガー(虎)」(Sd.Kfz.181)として制式採用され、
8月から本格的量産が開始された。
競作に敗れたVK.45.01(P)であるが、実は、試作車も完成していない1941年9月10日に
すでに100両の生産が発注されていた。
この生産発注を受けて、ポルシェ社はクルップ社に対して100両分の装甲板を発注し、
ニーベルンゲン製作所において1941年末より生産を始め、
翌42年4月には第1号車が完成、6月には第2号車が完成して、クンマースドルフ試験場において試験に供された。
しかし、試験の結果は芳しくはなく、1942年10月26日から31日まで行われた検討会において
VK.45.01(P)の生産中止が決まったが、
その時点ですでに10両の車体(製造番号150001〜150010)が完成しており、
うち4両には砲塔も載せられ、転換訓練もスタートしていた。
523 :
4:2006/01/14(土) 17:44:45 ID:???
問題となったのは残された資材で、すでに所定のサイズにカットされた
装甲板はそのまま他に転用することもできなかったが、
これに先立つ9月22日の総統会議において、
クルップ社が開発中であった71口径8.8cm対戦車砲PaK43を搭載し、装甲厚は前面で200mmという、
当時例を見ない強力な自走砲へこの車体を転用することが決定された。
この決定に伴い、アルケット社に対して自走砲化の設計が命じられ、
1942年11月30日にはその作業を終了した。
車体後部に71口径8.8cm対戦車砲を収める完全密閉式の固定戦闘室を設け、
機関は車体中央部に配して後部に電動機を置き、車体前面は避弾傾始を考慮した形状に改められて、
戦闘室前面のボール・マウント式銃架に7.92mm機関銃MG34を備えるというのがその骨子であった。
基本的にはこの設計がそのまま用いられたが、改造期間の短縮を図るために車体前面はVK.45.01(P)と
同じ形状とし、100mm厚の増加装甲板を装着することに設計が変更された。
また、200mmという装甲厚に対応したボール・マウント式銃架を開発するには時間が必要だったため、
結局、自衛用機関銃は未装備とされてしまった。
これは後に問題視されることになるが、開発期間の短縮のためには仕方なかった。
エンジンは、VK.45.01(P)に用いられたタイプ101/1 V型10気筒空冷ガソリン・エンジンに替えて、
III/IV号戦車に用いられて信頼性が保証されている、
マイバッハ社製のHL120TRM V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力300hp)が2基搭載されることになった。
この自走砲は当初、「長8.8cm付き突撃砲」と呼ばれていたが、
1943年2月6日に開かれた総統会議において、VK.45.01(P)の設計者であるフェルディナント・ポルシェ博士の
創造的な貢献を称揚するために、「フェルディナント」の名称を与えることが決定され、
同年3月23日に、「8.8cm砲加農突撃砲フェルディナント」として制式化され、
Sd.Kfz.184の特殊車両番号が与えられた。
524 :
6:2006/01/14(土) 17:45:21 ID:???
フェルディナント重駆逐戦車の主砲に採用された71口径8.8cm対戦車砲PaK43/2は、
Pz.Gr.39/1風帽付被帽徹甲弾を使用した場合、砲口初速1,000m/秒、射距離1,000mで165mm、2,000mで
132mmの均質圧延装甲板を貫徹することが可能で、
ドイツ軍戦車を苦しめたソ連軍のT-34中戦車やKV-1重戦車を遠距離から一撃で撃破することが可能であった。
1943年11月25日には、たった2両のフェルディナント重駆逐戦車で合計54両ものソ連軍戦車を撃破する戦果を挙げている。
本来ならば、VK.45.01(P)用の装甲板を製作したクルップ社がフェルディナント重駆逐戦車への改修作業を
行うべきであったが、期間短縮のために、ニーベルンゲン製作所の隣町といえるリンツのオーバードーナウ製鋼所が
機関位置の移動などの改修を行い、戦闘室と主砲はクルップ社で製作されることになった。
オーバードーナウ製鋼所では、まずVK.45.01(P)の最終号車(製造番号150010)の車体に対する
改造作業に着手し、次いで、新たに90両分の装甲板を用いた車体製作を1942年11月頃から開始して、
翌43年4月には全車の改修生産を終了した。
当初、最終組み立てはクルップ社で行われることになっていたが、
1943年2月6日の総統会議において、当時国務大臣を努めていたシュペーアにより
ニーベルンゲン製作所で行うことに方針が変更され、
3月から戦闘室や砲などのクルップ社からニーベルンゲン製作所への移送が始まった
そして、3月中にフェルディナント重駆逐戦車の試作車と生産型第1号車がロールアウトし、
5月12日には生産型最終号車が塗装を施した完成状態で引き渡されて、90両全車(製造番号150011〜150100)の生産を終了した。
いま、このスレにはちょうぶんのカキコがあります。
そのころ、このスレはかそかがすすんでいました。レスがだんだん
なくなって、ひとをよぶネタがほしいふいんきでした。
めらんa.co.jpさんは、ぞうのうんちくをかけば、かっきてきなネタ
になるとかんがえて、レスをかこうとおもいました。
でも、うんちくをかんがえるのはめんどうだったので、てきとうに
ぱくってきてこぴぺしました。
いよいよ、6レスにわたるちょうぶんを、みんなにおひろめすることになりました。
けれども、いきなりついたレスは「とうようおつ」で、もりあげる
どりょくをむくいようというものではありませんでした。
しょくにんさん、かいてくれえ!かいてくれえ!
いま、ドイツぐんにはさいしんえいのとらがいます。
すこしまえ、ドイツはソれんにせめこみました。そこではじめてT-34やKVに
であい、びっくりして、つよいせん車をぜんせんにおくることにしました。
ヘンシェルしゃは、VK3601(H)をりゅうようすれば、88mmほうをとうさいした
せん車がはやくできるとかんがえて、VK4501(H)とらせん車をつくりました。
でも、ういじんのレニングラードせんくでていしっちになやみ、ぬまぽっち
ゃんをやらかして、ソれんぐんにろかくされてしまいました。
ソれんは、つかまえたとらで、いろいろじっけんをしました。
おどろいたことに、そのときのすべてのソれんせん車は、とらにちかよるま
えに、アウトレンジでげきはされてしまうのです。
>>527 と、心の中で さけびました。
ついにどのしょくにんもあきました。
「すれが しんだあ.すれが しんだあ」
ぐんいたの中の人がさけびながら、がいどらいんいたにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのかわいそうなぞうも、今は過去ろぐそうこの中に、しずかにねむっているので
す。
いま、くうぼひりゅうにはすうじゅっきのあらわしがじょうかんしています。
そのころ、にほんはあめりかとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、ミッドウェイでけっせんすることになりました。
やまもとちょうかんは、きどうぶたいでミッドウェイをせめたてれば、はんげきにでてくるあめりかきどうぶたいをほそく
できるとかんがえて、つよいなぐもきどうぶたいをおくりました。
でも、とねよんごうきはやくたたずだったので、りくようばくだんかこうくうぎょらいかかいへんするのにうおうさおうしました。
いよいよ、じょうくうけいびのあらわしも、てんやわんやでげいげきすることになりました。
けれども、ぐうぜんにもばらばらにこうげきしてきたあめりかがわこうげきぶたいによってていくうにおびきだされたため、ちかよっ
てきたどんとれすきゅうこうかばくげきたいによってぼかんがつぎつぎにげきはされてしまうのです。
今までどのくうぼも、自分の子どものようにかわいがってきた、きどうぶたいの中の人は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とせんとうしつの中を、いったりきたりして、うろうろするばかりでした。
どのさんぼうも、じょうくうをみあげたまま、
「きゅうこうかを やめさせろ」
「きゅうこうかを やめさせてくれ、やめさせてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにどのこうくうぼかんもしにました。
「あかぎが しんだあ.かがが しんだあ、そうりゅうが しんだあ.ひりゅうが しんだあ」
なぐもきどうぶたいの人がさけびながら、れんごうかんたいしれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのあらわしも、今はちゅうぶたいへいいようのうみの下に、しずかにねむっているのです。
やっぱ読み辛いわ
532 :
527:2006/01/20(金) 02:17:50 ID:???
ありがとうございます!!!
やっぱオモロイわ、ここ。
>530
「男たちの大和」思いだした。
いま、くうぼたいほうにはすうじゅっきのあらわしがいます。
そのころ、にほんはあめりかとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、ぜったいこくぼうけんでけっせんすることになりました。
れんごうかんたいは、かんぱんをそうこうでまもれば、かっきてきなぼうぎょ
ができるとかんがえて、つよいそうこうくうぼたいほうをつくりました。
でも、きどうぶたいのくうぼぐんはとらのこだったので、てきこうげききのこうぞくきょりのそとがわに
きどうぶたいをおいてばんぜんをはかるあうとれんじせんぽうにかいぞうしました。
いよいよ、すうじゅっきのあらわしも、しゅつげきすることになりました。
けれども、近くのてきせんすいかんをけいかいがてうすなきどうぶたいは、ちかよっ
てきたあめりかせんすいかんにつぎつぎにらいげきはされてしまうのです。
今までどのくうぼも、自分の子どものようにかわいがってきた、きどうぶたいの中の人
は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とせんとうしつの中を、いったり、
きたりして、うろうろするばかりでした。
どのさんぼうも、かいめんをみつめたまま、
「らいげきを やめさせろ」
「らいげきを やめさせてくれ、やめてさせくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにどのくうぼもしにました。
「たいほうが しんだあ.しょうかくが しんだあ.ひようが しんだあ」
きどうぶたいの人がさけびながら、れんごうかんたいしれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのそうこうくうぼたいほうもおおくのあらわしも、今はまりあなのふかいうみに、しずかにねむっているので
す。
ひようはせんすいかんじゃなくてこうくうこうげきだったとおもいます
535 :
名無し三等兵:2006/01/20(金) 13:58:34 ID:JWRePoEj
いま、ライブドアには30まんにんのかぶぬしがいます。
そのころ、ライブドアはいろいろなかいしゃをばいしゅうしていました。しきんぐりがだんだんくるしくなって、ふんしょくけっさんをすることになりました。
けれども、ふんしょくけっさんがばれてしまったライブドアは、ろっぽんぎひるずのなかまでそうさされてしまうのです。
今まで、らいぶどあがなにをやってもゆるしてきた、らいぶどあのかぶぬしは、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とぱそこんの中を、いったり、きたりして、うろうろするばかりでした。
どのかぶぬしも、うりねがつかないまま、
「ついしょうを やめろ」
「ついしょうを やめてくれ、やめてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにかぶけんはかみくずになりました。
「じょうじょう、はいしだあ.じょうじょう はいしだあ」
かぶぬしの人がさけびながら、とうきょうしょうけんとりひきじょにとびこんできました。
げんこつでぱそこんをたたいて、なきふしました。
その30まんのかぶぬしも、今はふじのじゅかいのしたに、しずかにねむっているのです。
いま、ドイツぐんにはたくさんのくまばちがいます。
そのころ、ドイツはソれんとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、つよいせん車をつくることになりました。
ポルシェはかせは、はつでんきでモーターをまわせば、かっきてきなせん車
ができるとかんがえて、つよいタイガーせん車をつくりました。
でも、ポルシェ・タイガーはやくたたずだったので、じょうぶなせんとうしつをつけてエレファントというじそうほうにかいぞうしました。
ところが、エレファントもまけずおとらずやくたたずだったので、たいほうだけはおなじで、じょうぶなせんとうしつはあきらめたナースホルン(ホルニッセ)というじそうほうにかいぞうしました
いよいよ、たくさんのくまばちも、しゅつげきすることになりました。
けれども、てきだんをはじきかえすほどのそうこうも、とんでくるてりゅうだんをはらいのけるてんじょうもないナースホルン(ホルニッセ)は、ちかよってきたソれん兵につぎつぎにげきはされてしまうのです。
今までどのくまばちも、自分の子どものようにかわいがってきた、くまばちの中というか外というかの人は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とせんとうしつの中というか外を、いったり、
きたりして、うろうろするばかりでした。
どの兵士も、くまばちにとじこめられたまま(ではないのですが)、
「せんとうを やめろ」
「せんとうを やめてくれ、やめてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにどのナースホルン(ホルニッセ)もしにました。
「くまばちが しんだあ.くまばちが しんだあ」
ナースホルン(ホルニッセ)ぶたいの人がさけびながら、しれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのたくさんのくまばちも、今はロシアのつちの下に、しずかにねむっているのです。
537 :
名無し三等兵:2006/01/21(土) 04:04:53 ID:JGr4wt+c
ライブドア
ワロタ!!!www!!!
538 :
154:2006/01/21(土) 06:42:01 ID:9cANGbq5
すみません。
かわいそうな百舌鳥とか
かわいそうなツバメとか
もO.K.でしょうか?
かわいそうな すごいはやぶさ
どうでもいいが。。。。
このスレ、レスが長いのでそろそろ打ち止めになるのではないかな?
昔「編成を語る」スレが長文連続で、容量オーヴァーの為打ち止めになったような。。
192 KB [ 2ちゃんねるが使っている 完全帯域保証 レンタルサーバー ]
543 :
名無し三等兵:2006/01/22(日) 01:29:00 ID:UmBfmVRj
まだ行けるよね!?
まだいけるさ・・・!!!!
まだまだ行くぞゴルァ!!!!
なんでもかんでもひらがなで書けば良いというものではない。
適宜、漢字、カタカナを使用されたく。
幼年兵の教科書書くのは大変だったろうなぁ
スレ容量制限が256KBなら現状ペースで後100レス前後って事だな。
スレ容量制限値は鯖によって違ったと思ったけど、現在の鯖毎設定値って
どこかで見れたっけ?SETTING.TXTにはそれっぽい設定項目は無さ気だが。
いま、宇宙にはたった一人のはやぶさがいます。
そのころ、人類はいろいろな星を無人探査していました。技術がだんだん進歩して、
小惑星サンプルリターンを試みることになりました。
けれども、あいつぐトラブルに見舞われたはやぶさは、満身創痍になってしまうのです。
はやぶさを作った人たちも、面倒をみてきた人たちも、ただ見守ってきた人たちも、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」と地上をうろうろするばかりでした。
人々はみな、空を見上げて、
「無事に帰ってきておくれ」
「無事に帰ってきておくれ」
と、心の中でさけびました。
ついにはやぶさとの通信が途絶えました。
「帰還は延期だあ。帰還は延期だあ」
JAXAの人が宇宙ニュースを出しました。
はやぶさの運用は、救出モードに転換されました。
はやぶさは、今も宇宙のはてで、たった一人で戦っているのです。
いま、れんごうかんたいにはすうせきのどきゅうせんかんがいます。
そのころ、にほんはあめりかとせんそうをしていました。せんそうがだんだんますます
はげしくなって、いよいよふぃりっぴんでけっせんすることになりました。
れんごうかんたいは、じょうりくさくせんちゅうのあめりかぐんゆそうかんをたたけば、ふぃりっぴんのあめりかぐんをげきたい
できるとかんがえて、つよいくりたかんたいをおしだしました。
でも、ぜんどきゅうのろうせんかんのふそうとやましろはどんそくだったので、べつどうたいのひとつ
としてばんぜんをはかるさくせんということにされました。
いよいよ、ふそうとやましろも、しゅつげきすることになりました。
けれども、くりたかんたいがおくれたため、たんどくでれいてわんにとつにゅうをこころみたにしむらかんたいは、
まちかまえていたあめりかかんたいにつぎつぎにたこなぐりにされてしまうのです。
今までどちらのせんかんも、ふたごのきょうだいのようにてをとりあってきた、にしむらかんたいの中の人は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とせんとうしつの中を、いったり、
きたりして、うろうろするばかりでした。
どのさんぼうも、かいめんをみつめたまま、
「ふそうは たすけてくれ」
「やましろは たすけてくれ、みのがしてくれえ」
と、心の中で さけびました。
いっきにどちらのせんかんもしにました。
「ふそうが しんだあ.やましろが しんだあ. やっぱり むりだったあ」
にしむらぶたいの人がさけびながら、れんごうかんたいしれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのふそうもやましろも、今はすりがおかいきょうのふかいうみに、しずかにねむっているのです。
いま、にほんかいぐんにはやまとがた3ばんかんがいます。
そのころ、にほんはあめりかとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、つよいせんかんをつくることになりました。
かいぐんは、しゅほうのこうけいを46aにしたちょうどきゅうせんかんをつくれば、かっきてきなふちんかん
ができるとかんがえて、つよいやまとがたせんかんをつくりました。
でも、たいかんきょほうしゅぎはやくたたずだったので、3ばんかんにいたってはじょうぶなそうこうかんぱんをつけて
しなのというそうこうくうぼにかいぞうしました。
いよいよ、くうぼしなのも、かんせいまぢかになりました。
けれども、かんじんのてきをうつひこうたいがまだないしなのは、ちかよっ
てきたあめりかせんすいかんにさっそくぎょらいでこうげきされてしまうのです。
たったのとおかかんほども、自分の子どものようにかわいがってきた、しなのの中の人
は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とせんとうしつの中を、いったり、
きたりして、うろうろするばかりでした。
どのじょういんも、かくのうこにとじこめられたまま、
「やまとの ように」
「ほてるに してくれ、えいがにしてくれえ」
と、心の中で さけびました。
あっけなくしなのはしにました。
「しなのが しんだあ.えいがかされずに しんだあ」
しなのぶたいの人がさけびながら、しれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのしなのも、今はにほんきんかいのうみのそこに、えいがかされることをゆめみて、しずかにねむっているのです。
いま、びょうしつにはおにーちゃんと90にんのかんじゃがいます。
そのころ、いもうとはびょうまとたたかっていました。びょうじょうがだんだん
はげしくなって、いもうとのねがいをきいてあげることになりました。
くうぐんしれいのるめいは、あらすかからもすくわをおうふくできるおんそくかくばくげききがかいはつできれば、
かっきてきなさくせんけいかくができるとかんがえて、つよいバルキリーをつくらせていました。
でも、ばくげききだけのたんどくこうにはむりがあったので、きょうりょくなごえいずいはんき
レイビアというせんとうきもかいはつけいかくをおこしました。
いよいよ、おにーちゃんと90にんのかんじゃも、きたいすることにしました。
けれども、ぎじゅつてきにはむぼうでただいなよさんをひつようとするばるきりーけいかくは、
まくなまらちょうかんやたいりくかんだんどうみさいるかいはつによってしっそくしてしまうのです。
今までどのかんじゃも、自分の子どものようにかわいがってきた、びょういんの中の人は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とびょうしつの中を、いったり、
きたりして、うろうろするばかりでした。
どのびょうにんも、びょうしつでふせったまま、
「ばるきりを かんせいさせろwwwwwwwwww」
「よさんさくげんを やめてくれwwwwwwww、だんどうみさいるなんて やめてくれえwwwwwwww」
と、心の中で さけびました。
ついにすべてのかいはつがしにました。
「ちょwwwwwwwwwwwwwおまwwwwwwwwwwwwばるきりーが しんだあ.れいびあが しんだあ」
おにーちゃんがさけびながら、なーすすてーしょんにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
その90にんのびょうにんも、今はまつりがおわったということで、しずかにねむっているのです。
552 :
名無し三等兵:2006/01/25(水) 16:18:11 ID:rCJMGNVa
大変面白かったのですが
おにいちゃんと90にんのかんじゃ
というのがわけワカメ
いま、にこうせんにはとうしょうのたもんがいます。
そのころ、にほんはあめりかとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、みっどうぇいでけっせんすることになりました。
とうしょうたもんは、りくようばくだんでもじゅんびができたこうげきたいからはっしんすれば、
せんてをうつことができるとかんがえて こうげきたいのそくじはっしんをぐしんしました。
でも、すいらいやなぐもはしんちょうなせいかくだったので、きょうりょくなせんとうき
をつけてせんばくれんごうというかたちにこしゅうしました。
いよいよ、だいにじこうげきたいも、じゅんびがととのってしゅつげきすることになりました。
けれども、せんてをうつきかいをいっし、じょうくうけいかいのふいをつかれたきどうぶたいは、
ちかよってきたきゅうこうかばくげきにつぎつぎにげきはされてしまうのです。
おもえばしんじゅわんのだいさんじこうげきのときも、自分のいけんぐしんをしりぞけられてきた、たもんまるの中の人は、
「おのれ、スプルーアンスめ、てきくうぼめ」とせんとうしつの中を、いったり、
きたりして、さらなるとうこんをもやすばかりでした。
どのとうじょういんも、とうしをもやしつづけたたまま、
「よーくたうんを やっつけろ」
「えんたーぷらいずも やってくれ、やってくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにさいごのはくぼこうげきをまえにしてたもんまるもしにました。
「たもんが しんだあ.たもんが しんだあ」
なぐもぶたいの人がさけびながら、いきながらえてしれいぶにとびこんできました。
いきはじをさらしながら、なきふしました。
そのなぐもちょうかんのなかのひとも、今はさいぱんのつちの下に、しずかにねむっているのです。
いま、あめりかぐんにはかいへいたいというせんとうぶたいががいます。
そのころ、あめりかはきたべとなむとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、さらにつよいへいしをおくることになりました。
かいへいたいは、しがんへいをてっていてきにきたえなおせば、かっきてきなへいし
ができるとかんがえて、つよいばりすあいらんどくんれんきちをつくりました。
でも、しがんへいはそのままではちきゅうじょうでさいかとうのせいめいたいだったので、
じょうぶなくんれんきょうかんをつけてかいへいたいいんというせんとうましんにかいぞうしました。
いよいよ、うじむしも、かいへいたいのきょうだいとしてくんれんすることになりました。
けれども、にやけわらいをとめることのできないほほえみでぶは、ちかよっ
てきたはーとまんぐんそうにことのほかひょうてきにされてしまうのです。
今までどのじんしゅもさべつせずに、おなじようにかちがないとかわいがってきた、くんれんきちの中の人は、
「ああ、くされまらめ、くされまらめ」とくんれんきちの中を、いったり、
きたりして、どやしつけるばかりでした。
どのぶたむすめも、はーとまんぐんそうにどやされたまま、
「にやけがおを やめろ」
「どーなつをこっそりくうのを やめてくれ、やめてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにほほえみでぶはぶちきれました。
「おれは ひでーくそだあ.おれは ひでーくそだあ」
はーとまんぐんそうがさけびながら、べんじょにとびこんできました。
えむ14でぶちぬかれて、ふっとびました。
そのはーとまんぐんそうもほほえみでぶも、今ははかばのつちの下にしずかにねむっているのですが
かいへいたいはえいえんなのです。
再び保守の日々
556 :
名無し三等兵:2006/02/06(月) 15:32:55 ID:Vt+1PR7Z
あげる
なにを?
処女と童貞どっちがいい?
スマン今頃読んでマジ泣きしてる恥ずかしい俺。「かわいそうなチハ」。
いま、ドイツぐんには10代のしょうねんぶたいがいます。
そのころ、ドイツはソれんとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
きびしくなって、つよいよびへいりょくをおくることになりました。
ゲッペルスはかせは、さきのたいせんでじゅうぐんされたようなろうじんをぼうえいへいりょくとしてまわせば、
かっきてきなせんとうへいりょくができるとかんがえて、つよいこくみんてきだんへいをつくりました。
でも、さすがにろうへいではやくたたずだったので、じょうぶなせいしょうねんそしきをあつめて
ヒトラーユーゲントというしょうねんぶたいいんをどういんしました。
いよいよ、10代のしょうねんたいも、しゅつげきすることになりました。
けれども、近くのてきをうつきかんじゅうのないぼうえいぶたいは、
ちかよってきたソれん兵につぎつぎにげきはされてしまうのです。
今までどのまちかども、自分のせんねんていこくのようにかわいがってきた、そうとうかんていの中の人は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とぶんかーの中を、いったりきたりして、うろうろするばかりでした。
どのしょうかんも、ぶんかーにとじこめられたまま、
「ろすけを とめろ」
「だい9ぐんが たすけてくれ、12ぐんがきてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにどののぞみもしにました。
「そうとうが しんだあ.そうとうが しんだあ」
ワイトリンクぶたいの人がさけびながら、しれいぶからとびだしていきました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
その10代のわかものも、今はせんねんていこくのしゅとのつちの下に、しずかにねむっているのです。
>>560 こうしてみるとアレだな。
「最後の60日間」くらいにしてくれれば、
グデーリアンとの最後の怒鳴り合いあいだとか、
ハインリーチの冷静で理性的な突っ込みだとかも映像化されたのに、と残念でならんな。
562 :
名無し三等兵:2006/02/17(金) 00:04:21 ID:Ndxw8Tu8
おっと!保守捕手!
563 :
名無し三等兵:2006/02/20(月) 17:52:28 ID:twfUdVhW
軍板とやおい板との壮絶?な戦いをネタにキボン
いま、ていこくかいぐんにはすうせきのくうぼがいます。
そのころ、ていこくはれっきょうとけんかんきょうそうをしていました。きょうそうがだんだん
はげしくなって、つよいぐんかんをつくってはりあうのはおやすみすることになりました。
かいぐんのなかのひとは、せっけいずからこうくうきのうんようをいとしてぐんかんをつくれば、
かっきてきなせかいはつのこうくうぼかんができるとかんがえて、くうぼ ほうしょうをつくりました。
でも、ほうしょうはちいさすぎてやくたたずだったので、よりおおくのとうさいきすうをつけてりゅうじょうというこうくうぼかんをけんぞうしました。
いよいよ、にちべいのたいへいようのたいりつもふううんきゅうをつげることになりました。
けれども、ほうしょうよりすこしおおきいだけでしじょうはつでもなんでもない、
ましてや、きかのあらわしたちをみまもるかんきょうもないりゅうじょうは、
たちまちべてらんのとうじょういんをひきぬかれたうえで、よんばんめのこうくうせんたいとしてかくさげされてしまうのです。
今までどのうみわしも、自分の子どものようにかわいがってそだてあげてきた、りゅうじょうの中の人は、
「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とかんきょうの中(ただしくちくかんのようにかんしゅよりのちゅうおうにあります)を、
いったりきたりして、うろうろするばかりでした。
どのさんぼうも、みずしぶきをうけるかんきょうのそとをながめたまま、
「なぐもぶたいに くわえろ」
「かんきょうを うえにつけてくれ、かんぱんを のばしてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにソロモンではおとりあつかいで、せんこうしてしにました。
「りゅうじょうが しんだあ.りゅうじょうが しんだあ」
りゅうじょうぶたいの人がさけびながら、しれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのりゅうじょうも、今はソロモンのうみのそこに、しじょうはつのそろもんでしずんだていこくくうぼとして、
しずかにねむっているのです。
565 :
名無し三等兵:2006/02/25(土) 12:19:09 ID:0O1JYT/p
たまに職人さんが来てくれるから目が離せない
いま、にほんこくにはもとこうぐんへいしといういさましくていさぎよいおとしよりたちがいます。
そのころ、にほんはれんごうこくとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、そろそろしなせんせんのほうはけっちゃくをつけることになりました。
しなはけんぐんのなかのひとは、さくせんへいりょくでいっきにたいりくをじゅうだんすれば、かっきてきなえんしょうるーとのくびきとなり
いっきにしなせんせんのけんあんをかいけつできるとかんがえて、たいりくだつうさくせんあんをつくりました。
でも、こうくうしえんときこうへいりょくにかんしてはいささかやくぶそくだったので、
じょうぶなにほんだんじをそろえてほへいしだんによるとほこうぐんにたよるさくせんにかいぞうしました。
いよいよ、ちんぴらごろつきも、ねんぐのおさめどきになりました。
あんのじょう、こうぐんをむかえうつきりょくもとうしもないこくみんとうぐんは、ちかよってきたこうぐんにつぎつぎにげきはされてしまうのです。
いままでもどのさくせんでも、ちんぴらごろつきのなにふさわしくれんせんれんぱいにまみれてきた、
こくみんとうぐんの中の人は、「ああ、かわいそうに、かわいそうに」とぜんせんほんぶの中を、
いったり、きたりして、うろうろするばかりでした。
どのごろつきも、なすすべもないまま、
「だつうを やめろ」
「3000キロは やめてくれ、らくようくらいで やめてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにどのちんぴらごろつきもしにました。
「たいりくを だつうしたあ.たいりくを だつうしたあ」
しなはけんぐんぶたいの人がさけびながら、だいほんえいにとびこんできました。
ちょうちんぎょうれつでおいわいしながら、なきふしました。
そのむてきこうぐんも、今はこうどのつちの下に、せかいのぐんじしにさんぜんとのこるこうぐんのめいよとしてしずかにきおくされているのです。
紅軍兵士
いま、インドにはいんどぞうとかべんがるとらがいます。
そのころ、にほんはれんごうこくとせんそうをしていました。せんそうがだんだん
はげしくなって、そろそろつよいえいゆうがあらわれることにかつぼうしていました。
むたぐちちゅうしょうは、びるまからしんぱつしていんどをおびやかせば、かっきてきなだいとうわのかいほうのけんでんと
せんきょくのだかいができるとかんがえて、つよいいんぱーるさくせんあんをつくりました。
でも、あらかんさんみゃくはけわしいやまやまだったので、あとでしょくようにまわせるうしややぎ
をつけてぶっしうんぱんとしょくりょうほきゅうのりょうりつをはかるジンギスカンさくせんにかいぞうしました。
いよいよ、れつさいゆみのかくへいだんも、しゅつげきすることになりました。
けれども、へいたいさんのようにがまんをして、わがみをなげうつかくごのないかちくは、
けわしくそびえたったやまやまにつぎつぎにへたりこんでしまうのです。
今の今までどのへいだんも、自分のしんねんのようにかならずかんてつしてくれるとおもいこんでいたえいゆうしこうの、
むたぐちの中の人は、
「ああ!?、???…… それでもこひまはまもるように、それでもいんぱーるはおとすように」とせんとうしつの中を、いったり、
きたりして、げんめいするばかりでした。
どのしだんちょうも、はちのすじんちにおさえこまれたまま、
「ほきゅうを とどけろ」
「たいきゃくを させてくれ、させてくれえ」
と、心の中で さけびました。
ついにどのしだんちょうもぶちきれました。
「さんこしだんが しんだあ.さんこしだんが しんだあ」
ぜんせんぶたいの人がさけびながら、しれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
が…せきにんは…うやむやにされてしまいました…
そのへいだんのつわものたちも、今ははっこつかいどうのつちの下に、しずかにねむっているのです。
いま、ていこくかいぐんにはすうせきのくうぼがいます。
そのころ、ていこくはれんごうこくとせんそうをしていました。
せんそうがはげしくなってきたので、ぐんぶのひとたちはぽーともれすびーという
ところをせんりょうすればあめりかがたたかうきをなくすとかんがえて
も さくせんというさくせんをつくりました。
そのさくせんのなかには、しょうかく、ずいかく、そしてしょうほうという
わかいくうぼがさんせきいました。うまれたばかりでからだもちいさいしょうほうは
ほかのにせきとはべつにこうどうすることになりました。
いよいよたたかいがはじまり、ひこうきがおたがいのくうぼをこうげきしました。
しょうかくとずいかくのひこうきはてきのくうぼをしずめたとおもっていました。
しかし、それはゆそうせんのまちがいだったのです。
そして、あめりかのくうぼからとんできたおおくのひこうきがしょうほうのところへ
やってきました。
しょうほうはへいたいさんたちをのせたふねをまもるためにちいさいからだを
いっぱいにつかってあめりかのひこうきのまえにでてたたかいました。
けれども、まだちいさいしょうほうではたくさんのひこうきとたたかうのは
むりだったのです、しょうほうにばくだんやぎょらいがめいちゅうしました。
いままでしょうほうをじぶんのこどものようにかわいがってきただいろくせんたいの
ひとたちは「ああ、かわいそうに、かわいそうに」としょうほうのまわりを
うろうろするばかりでした。
どのすいへいさんもほのおとくろいけむりにつつまれるしょうほうをながめたまま
「ばくげきを、やめろ」
「らいげきをやめてくれ、こうげきをやめてくれえ」
と、こころのなかでさけびました。
ついに、しょうほうはめったうちにされてしんでしまいました。
「しょうほうが しんだあ、しょうほうが しんだあ」
も きどうぶたいのひとがさけびながら、しれいぶにとびこんできました。
げんこつでつくえをたたいて、なきふしました。
そのしょうほうも、いまはさんごかいのうみのそこに、しじょうはつのくうぼどうしの
たたかいでしずんだていこくかいぐんくうぼとして、しずかにねむっているのです。
570 :
名無し三等兵:
かわいそうなとう
とうはこくみんにほめてもらおうとなんどもなんどもじみんとうにぶーめらんをなげますが
ぶーめらんはじみんとうまでとどかずにもどってきてみんしゅとうにあたってしまいます。
そしてとうとう、このかわいそうなとうはうごかなくなってしまいました。