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>>930を砲撃しろ >(´∀` ) \\\_____,|:::::::::
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\:::::::::::ヤマート
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えー、このスレには二度目の書き込みです
祖父(故人)は元軍人では無いですが、戦時中の体験話でも
祖父は明治35(1902)年生まれ、乙種だったのと
既に40近いおっさんだったためシナ事変には従軍せずに済んだとの事
霞ヶ浦のとある水運会社で働いており、運送用の小型汽船の船長でした
昭和20年、既に敗戦間近で艦載機の空襲もあり危険でしたが、軍からの支援もあり
水運会社は休業も出来ずに危険な運送を行い、2月の関東地区艦載機迎撃戦の際には沈没船も出しています
そこで船長たちは申し合わせ、遠回りで燃料も食うが霞ヶ浦の岸に沿って航行
いざとなったら岸壁に乗り上げて人員は退避する事にしていたそうです
そんな梅雨時の6月ごろ、いつもの様に運送中だった祖父は爆音を聞きました
聞き慣れた陸海軍機とは明らかに違う爆音だったので驚いて探すと、銀色に光る飛行機の編隊が見えたそうです
「危ない!」と感じた祖父は船を増速、気づかない事を祈りながら様子を伺っていました
と、気付かれないわけもなく、2機が祖父の汽船目がけ旋回 降下してきました
祖父は必死で岸目がけ転舵を命じましたが、飛行機の速度にかなうはずもなく、まず1機目の銃撃を受けました
バリバリ、キュンという凄まじい音と共に鉄板が射抜かれガラスが割れ、周りの水が沸騰したように沸き立ちました
乗客の悲鳴が起こり(連絡船も兼ねていたので)隣にいた船員が撃ち抜かれて引っくり返る
小型船なのであっという間に浸水が始まり傾きだし、機関もやられたらしく速力が低下
すぐに2機目の銃撃を受けたものの、蒸気を噴き出し急速に傾く船を見てすぐにやめたそうです
船は機関停止、惰性で岸壁近くまで来ましたが、力尽き転覆沈没
結局死者5名 生存者全員負傷の悲惨な結果になってしまいました
死者の中には霞空のまだ少年の水兵さん(頭部を吹き飛ばされた)もおり、暗鬱な気分になったそうです
霞ヶ浦は(岸のすぐ近くということもあり)水深が浅く、乗客の女性も何とか救助
ただ積荷の貴重な物資はワヤ あとで缶詰を引き揚げて私物化したとか
同日の空襲で同僚の船も攻撃を受け、こちらは岸壁に乗り上げるのに成功したものの
結果的に破壊されるまで銃撃を受ける羽目になり、同僚の船長も撃たれ死亡
船は機関から出火し座礁したまま焼けたそうです
また霞ヶ浦の桟橋も攻撃され、帆引き舟や汽船は半分が沈没
沈まなかったのも蜂の巣のようになってしまっていたとか
ただ祖父の船はその後引き揚げ修理され、再使用されたそうです
祖父は部下と乗客から死者を出した事を最後まで悔やみながら、86年に死去してしまいました・・・
935 :
名無し三等兵:04/03/09 21:44 ID:FbkKtDFd
祖父はブーゲンビル島にいました。
員数の足りないときに差し繰るのが非常に上手かったそうです。
風呂に入ってイイ気分になると、
「敵の飛行機がグーンと来て、アアーンと唸りよる、
そいからヒューンとな…」
と、敵機の空襲を受けたときの話しをしてくれたものです。
それから十数年の歳月が経ってから、戦記を読んでよくあんな
島から生きて帰ったものだと感じたものです。
ウソくせー
お前に戦争の何が分かるってのよ。
こういう香具師がいるからオチオチ軍隊を復活させたり出来んのだ。
まあ、俺も知らんがな・・・・
>>934 「銀色の飛行機」ってことはP-51あたりだろうかね?
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ミ '、 ............\ヽ、 _ _ _ , ' / .!.....|
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ミ `ミー 、 _ _,.'_ _ _ _ _ _ _(´ ....... \ \-‐'´ 三 三 ≡
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ミ ミ `ヽ、. \....\
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うちの親父68歳と戦争の話してて、俺が「南京大虐殺は無かった」っていったら
「いや虐殺はあった」って言うんですよ。
何でも親父のオジサソが徴兵で支那にいって支那人をたくさん斬ってきたそうです。
山形の部隊だったそうですが、戦後山形に帰ってきて農作業をしていたら突然腕が曲がらなくなって
オジサソは「支那人の呪い」だといっていたそうな。
でも支那人を斬ったってだけじゃ支那兵を斬ったのか民間人を斬ったのかわからんし
便衣兵かも知れないし虐殺の根拠にならないよね。>>親父。
あとやっぱり朝鮮人は終戦直後態度がでかかったそうな。
親父の家に近所の朝鮮人が押し掛けてきて「おれたちは戦勝国だから飯食わせろや。」って言って
バアサソも「私たち負けたんだからご飯くらいしょうがないよ。」って言って飯食わせてやったそうな。
で、俺が朝鮮は戦勝国に入ってないよって言ったら、親父曰く「なにー、そうなのか。騙された畜生。」
実家のおばあちゃん(84歳)は子供のころ遊びに行くと
必ず貰い物のチョコケーキやカルピスでオイラを歓待してくれた。
で、全部食べちゃうと「はい。トクハイよ♪」と言って
手作りのきなこ餅を出してくれた。
今年の正月に遊びに行ったときは日本酒と寿司で歓待してくれたが
全部飲んじゃったら「はい。トクハイよ♪」と貰い物の洋酒を開けてくれた。
トクハイ=特配=特別配給ってな言葉が、いつ生まれたのか知ったのは最近のこと。
戦争中はオイラの母(双子)を妊娠している身で今の蔵前付近に住み、
東京大空襲をモロに食らいながらも見事に生き残った強運の持ち主は、
決して戦争体験を語ることはないけど、言葉の端やちょっとした性癖
(米が減ることをとても嫌がり、少し待てば新米が出る時期とかにも
20`とか買ってきちゃったりするらしい)
に、その体験が出ます。
死んだ爺さん(大阪空襲)も、親戚の婆さん(東京大空襲)も、
「空襲のあとはマネキンのような死体がごろごろしてた」
って言ってたなあ・・・そういうもんなの?
>>943 恐らく「空襲のあとは(黒こげになった)マネキンのような死体がごろごろしてた」
と言う意味だと思われ
945 :
名無し三等兵:04/03/10 22:24 ID:72ODZmvO
で、東京大空襲の日なわけだが。
俺は横網公園の慰霊祭に逝ってきた。
ここでは空襲の史料とかも展示しているんだけど、
焼けた鉄骨とかガラクタみたいなのがほとんどで
まぁはっきりいってパっとしない。
ここは是非B29を一機と月光あたりを一機、
高射砲とサーチライトなどを展示すべきだ。
あ、失念してた。黙祷。
947 :
名無し三等兵:04/03/11 00:03 ID:j5EXw3C0
無類の酒好きだった漏れのじいちゃん。
飲むと上機嫌で「x雄(漏れ)、自衛隊の小銃はそんなにすごいのか?」
漏れの軍ヲタを知っているから、話題を合わせてくれているらしい、
何度も何度も話したことだが、
「64式小銃っていうやつで、自動で連発もできるやつだよ」
「そうかあ、じいちゃんはな、三八式でこうやってな、こうやって・・・」
ボルトを操作する真似をしてくれて、
「じいちゃん、もう戦争の話なんてしなくてええのよ」と、
ばあちゃんにたしなめられ、ついでに酒も取り上げられていた。
お迎えが近くなったとき、ばあちゃんはお猪口に少しだけ酒を入れ、
意識もさだかでないじいちゃんの口に、唇を湿らすぐらいの酒を差し入れた。
「このひとは、これなしではあっちにも行けないひとだからね・・・ほら、じいちゃん」
その時、確かにじいちゃんの顔がほころび、幸せそうな顔になった。
その何時間かあと、じいちゃんはこの世を去った。
今でも、じいちゃんが好きだった地元の酒をよく飲むが、
ボルトを操作する真似をするじいちゃんを思い出して飲んでいる。
>947
ホロリとくるいい話です。お爺様に黙祷。
949 :
名無し三等兵:04/03/11 00:26 ID:u2PZDo5r
漏れの友人の爺さん
兵役拒否して戦争に行かなかったそうだ
漏れがそいつ(友人)と知り合った10年位前には既にボケていて
友人宅近辺を徘徊していたので話も何も聞けなかったが(w
数年前に亡くなった時に「何故かアサピーに爺さんが死んだことが
記事になって載ったんだ」と友人が言っていた・・・。
友人が造ったヽ(-@∀@)ノ デッチage話だろうと思ったけど
そんなネタ話する程賢い奴じゃないし(プ
だけど家族で美味しんぼ愛読してるしアサピー購読してるらしいし・・
アサピーって全国紙でしょ?当時アサピーが
デムパwwヘ√レvv〜(゚∀゚)─wwヘ√レvv〜─新聞だと
知らなかったからただのお悔やみだろ?と思ってたんだけど・・・
何してた人なんだろうか?
もう死んじゃった一所に暮らしてた父方のおじいちゃんの体験。
おじいちゃんは兵役を逃れ、日本本土でフツウの戦時下ライフを送っていた。
あるときアメリカの飛行機に見つかってトラックの下に隠れた。
飛行機はミサイル(?)を撃って来た!(???)
トラックの下に隠れていたので助かった・・・。あのときトラックに隠れて
いなかったら俺も生まれていなかったのかもしれない。
これって軍オタさん、どう思います?オレはミサイルって!?と思って
機関砲の間違えだと思ったんだけども、大戦末期のコルセアの巡回に
発見されたならありえるのかなぁ〜?とか思いますた。
みなさんの見解教えて下さい。
>>950 たぶんロケット弾のことでしょう。P-47とかP-51、それにコルセアとかは積んでたと思います。
形は今のミサイルそっくりですし、たぶん上記の機種のどれかが撃ったロケット弾をミサイル
と、あなたのおじい様はおっしゃったということだと思います。
死んだ父の友人の話
陸軍だか海軍か忘れたが、某基地(すんません、子供の頃聞いた話なんで細かいことわすれました)
終戦時、徹底抗戦を主張するグループともう家に帰りたいグループに別れた。
基地の偉い人が考えた。
飛行機があるから徹底抗戦などと言い出す奴がいるんだ。
家に帰りたいグループに、飛行機に乗って勝手に帰っていいよと言った。
そしたら、あっと言う間に飛行機がなくなってしまった。
そしたら徹底抗戦派は、腑抜けのようになってしまい、僕らもお家に帰ろうと言い出した。
父の友人は、この基地の偉い人に仕えていたそうだが、偉い人は徹底抗戦派に殺される覚悟をしていたそうです。
ところが、徹底抗戦派も腑抜けになって帰宅してしまったので、偉い人もおうちに帰りましたとさ。
こんな話、ホントにあったのかな?
>>945 東京大空襲はほんと凄かったそうだ。
うちの母親は東京大空襲時二十歳。
墨田区で生まれ育って地元の学校へ行った。
東京大空襲時二十歳。
母親はたまたま、引越しして地元にいなかった。
小学校の女の同級生は嫁に行くにはやや早い、学童疎開の年でもない、ということで
ほとんどが地元に残っていた。
おかげで大空襲でほとんど死んだ。
男の同級生は、軍隊へ行っていたが、もう敗戦間際で外地に行かず内地にいたのが、多かった。
その為、意外に戦死してない。
よって母の同窓生は女はほとんど全滅、男の方が残っている。
すごい話だね。
954 :
952:04/03/12 21:55 ID:???
ホンデもって、母はその後、墨田区に戻ってきて、そのまま住んでいるんだけど、
この辺は男は戦争に行っていて、助かり、残っていた家族は死んだってのがめずらしくない。
子供の時、世話になった近所のお医者さんもそうだった。
軍医として出征して、帰ってきたら一家全滅。
裏の家のおじさんは、当時、小学生だったそうだが、本人以外、一家全滅。
出征していた父親が帰ってきてようやくふたりで暮らし始めたそうだ。
母の同級生も出征している間に、母親を残して全滅だったそうだ。
この辺(墨田区)じゃ、まだまだこういう体験をした人が残っているから
震災記念堂(横網公園のこと地元じゃこう言う)にB29なんざ飾られた日にゃ、一晩で放火されると思うよ。
>>955 しょっちゅう再放送している「助さん、角さんやっておしまいなさい」の
あの人が特攻隊員で、しかも97艦攻で里帰り…。
マジ話なら凄い人生だな。余り羨ましいとも思わないが。
>>955 西村のじいちゃん以外に、戦争体験した有名人じいちゃんはいないかな?
お願いしたら戦争体験話をテレビでしてもらえるかも。
>>957 小さん師匠は2.26事件の経験者でしたが、
鬼籍に・・・
森光子は慰問団で歌ってました。
あとは、誰だろう・・・
野中広務メンバーは四国で穴掘りばっかりさせられていたはず。
陸軍の下っ端で、さんざ殴られてた。
だから、広務メンバーは病的に戦争が嫌い。
>>958 THX!
森の婆はジャニ追ってるだけじゃなかったんだね!
そして野中の爺にはそんな過去が・・・(w
中曾根の爺と宮沢ヨーダ爺は海軍だっけ?
何か教えてくれそうだね!
中曽根と宮沢は主計士官でなかったっけ?
>>950 曳光弾ってけっこうロケット弾と間違えられるみたいだよ
大きく見えるし、煙の筋ひくし
昔読んだ大和の生存者の回想録でも間違えてた
なんか良スレにもどったね。
みんなの書きコがうれしい。
じいちゃんやばあちゃんを思いつつ、愛情あふれる優しき文に触れるとき、
漏れもまた、今は亡き、じいちゃんやばあちゃんを思い出す。
もっと、優しくすればよかった、もっと話たかった。
こんな思いもたくさんあります。
じいちゃんやばぁちゃんを大切にしてあげてください。
関係ないから、サゲ。
>>957 日本経済新聞に「私の履歴書」というのがある。
だいたい第一線を引退した方が人生を振り返る。
世代的には、戦争を経験しているので、だいたい戦争のことを書いてある。
有名人という範疇なら、参考にされたし。
少し前は、水木しげる氏が書かれていた。
>>963 「私の履歴書」は良いですね。
銀河で出撃、撃墜されて捕虜になった方の話を
覚えています。
どなただったかなあ。
中曽根さんは短期現役士官ですね。
主計科の。
台湾での中尉時代を書いたのがあったなあ。
965 :
名無し三等兵:04/03/13 01:56 ID:gCcnOIvQ
台湾繋がりなら、李登輝前総統は陸軍士官。西村さん繋がりなら,茶道裏千家前家元千玄室氏。
西村さんの戦友で海軍士官。大戦時16-30歳の男性は大抵軍に関係有りです。
おじい様の話じゃないし、戦争体験ともあんまり関係ないんだが。
ボア付の皮ジャンバーに白っぽいマフラーを巻いて婆さんの
病院に見舞いに行ったところ、婆さんはしんみりしみじみと
「昔はあんたよりまだ若いような(今22歳)子が、戦争に行って死んできたんだよ。
千人針って知ってるかい?私もやったけど、飛行機の服に長いマフラー巻いててね。
きれいだったけど今思い出しても涙が出る。あんたの格好見てたら思い出しちゃった」
と話しておりますた。隣のベッドで寝てた婆さんも
「あの頃は毎日『どこの家の誰が戦死した』なんて話ばっかりでね。そんな話珍しくもなんも
無かった。みんな表じゃ名誉だなんだって言っちゃいたけど、家じゃみんな泣いてたよ」
と言っておりますた。
>>965 ウチの伯父は19年に14歳で海軍に志願しましたよ。
高等小学校を卒業したくらいから行っている人も多いんじゃないかな。
もう死んでしまったけど、うちのばあちゃん、中曽根が主計科士官だったとき、
そばで仕えてたらしい…。
ほんとうかいな?と思ってるけど、女学校で、周りからは“お嬢”と呼ばれてた
良いところの出らしい(戦前・戦後に稼いだ材木商の娘だったみたい)から、
もしかすると本当かも。
969 :
名無し三等兵:04/03/14 04:25 ID:NH+woGCQ
968さんへ、おばあ様は理事生だつたかもしれませんね。中曽根さんみたいな主計は基地や役所に居るので。
部下に軍属の女子事務員がいても不思議ではないです。
>>960 中曽根さんは東大法→内務省→海軍経理学校→海軍主計少佐(終戦時)
宮沢さんは、東大法→大蔵省一筋
中曽根さんと同期ではないがうちのじいさんは海軍経理学校を受かったそうだ。
ところが「お前のようにいい体している者が経理学校とはなにごとか、飛行機へ行け」
と経理学校入校前に学校の人から言われ飛行機の学校へ行かされた。
じいさんは中学から大学までずっとスポーツをしており写真をみると相当いい体をしている。
幸い、生きて帰ってきたが戦死したらどうしてくれると言うところだ。
元勲中曽根は、巡洋艦「青葉」で主計科任務に就いていたはず。
あと李登輝といえば、一つ上の兄が特攻で戦死なさったそうで、靖国参拝は老の念願の一つだそうな。
>>964 長谷川薫氏ですな。つい先頃新聞に訃報が載っていました。合掌。
975 :
964:04/03/14 23:18 ID:???
>>974 レス、感謝です。
そうですか、鬼籍に入られたのですか・・・
合掌。
>>973 やはり、内地の桜が満開の頃に
是非とも参拝していただきたいですね。
976 :
名無し三等兵:04/03/16 15:22 ID:hPLUB3P9
三波春夫さんがシベリアに行ったって歴史読本に
書いてあったな。アパート建設の最中に覚えたての
ロシア民謡を歌っていたら、いつの間にか周りの
住民が集まってきていて拍手されたそうな。
シベリア帰りの有名人って他にいますかね?
漏れは後、水原茂しか知らないな・・・
帝国ホテルの元料理長も
978 :
名無し三等兵:04/03/16 17:02 ID:4Ym47/uM
>>976 三波さんは思想教育を受けて赤化されてしまい帰国してから共産主義の理想を説いてまわって変人扱いされてた時期があったそうだ。
>>978 へえ、あの愛国者が。どうやって洗脳とけたんだろ。