何か、勘違いしていないかい?
マンシュタインのように東部戦線を経験しながら、
戦犯の訴追を免れた高位の陸軍司令官を批判するもので、
大きな要素を占めているのは、いわゆるコミッサール命令と
焦土作戦の命令をあっさりと通しているということなんだが。
これらに対して、ヒトラーを批判もせずに、命令を右から左に通告したことが、
人間性に対する罪であるみたいにね。
占領地域におけるユダヤ人抹殺のお仕事は、
>>842が指摘するように、
SSのお仕事。ただね、「詳解 独ソ戦史」なんぞにも書かれているように、
国防軍内の一般の将兵はナチ的傾向が強いわけでね。
積極的にユダヤ人に対する処置に加担した将兵も多かったろうことは、
予測に難くない。
これらに関しても積極的にストップさせなかったということが、
罪に問われるのならば、やはり責任があったということになるだろう。
因みに、興味深い対比がある。1943〜1944年初頭に
南方軍集団司令官だったマンシュタインとA軍集団司令官だったクライスト…。
どちらも西側連合国によって拘束された。
どちらも一貫して東部戦線で指揮を執り続け、
コミッサール命令、焦土作戦命令をあっさりと通しているし、
後方におけるユダヤ人虐殺も積極的にストップさせていない。
しかし、西側における知名度に劣るクライストは、
ソ連に引き渡され、戦犯として有罪。捕虜収容所の劣悪な環境の中で獄死。
一方、西側に留め置かれたマンシュタインは戦後ほどなくして釈放、
著作などを通して、名将としての評価を揺るぎのないものとした。
上まあ
>>824へのアンカーの打ち間違いで在ろうが
>>827 知名度の問題では無いと思うが...
クライストはユーゴ侵攻の戦争責任を取らされただけ。
病死したのはモスクワ近郊のウラジミール捕虜収容所だが、その裁判はユーゴスラビアで受けている。
勝てば官軍とはよく言ったもの
832 :
名無し三等兵:04/02/04 19:46 ID:wLqBV1vD
赤軍には結構モンゴル系兵士がいたんだね。映像でも出てきたが。
200人以上倒した狙撃兵もモンゴル系だったし。
そういやあ、スターリングラードの比較的近いボルガ川沿いに仏教徒の
共和国があったね。
833 :
名無し三等兵:04/02/04 19:53 ID:23XgSsgR
l. ,' i ___,,iレ'´l|. l }!/ //レ /|,! リ ! ,! /
! i | i !| /! l' /イ / 弋フ~厂/' /'/ ほっほぅ〜だよぅ
l | i|!. ! l.!_レっ´厂 ´ `¨, , 'イ、イ'′
ll |lハ ', l|^ー-‐' jィl ほっほぅ〜だよぅ
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つまらんAA貼るなよ。。。
勝てば捕虜虐殺も不問か
>>814 イタ公は、たぶん、ひとにく喰えなかったのね。
シベリア抑留の関東軍兵士を思い起こさせる。
終戦間際のドサクサに駆け込み参戦されて、
ろくに戦わずに降伏して捕虜になった日本兵とどっちが不幸かな
>>838 それなら抑留初期の栄養状態はまだマシだろうね
>>839 スターリングラードのドイツ軍よりかはマシだったとは思うよ。といってもドイツの捕虜とアジア人の
捕虜ではかなりあつかいがちがうらしく強制労働に関してはアジア人のがきつかったらしいです。
知人に当時工兵隊の士官だった人がいるので聞きいた話です。まあ苦労話だし何十年も前の話ですし
何割引かはする必要があるかと思いますが。ただ工兵隊は重宝がられたらしくしかも士官で工学部大卒ですから
扱いは意外と良かったといっていました。そのせいか抑留自体はかなり長がかったとも行ってました。
よく、抑留された方が寝床で凍死している話がありあますが実際には前日の晩ぐらいには衰弱して
低体温症を起こしかけているのでお湯を飲ませたりしたらしいです。しかし体温を維持する能力自体が
弱っているのであまり効き目が無くその日もっても翌日にはアウトだったという話を聞きました。
マルクスやエンゲルスの同じ出身地の人間を無碍に出来んわな
842 :
名無し三等兵:04/02/05 00:16 ID:ROiI+bTs
>>838 捕虜になる前の栄養状態、抑留年数を考えるとドイツ兵のほうが悲惨でしょう。
843 :
輜重兵:04/02/05 00:25 ID:???
844 :
838:04/02/05 00:29 ID:???
ドイツ兵は最後まで戦い抜いて矢尽き刀折れての降伏だけど、
日本兵の場合まだ戦いはこれからって時に本国が降伏したので
やむなく武装解除されたのであって、正確には戦時捕虜じゃないし。
わずか数日間の戦いで数年から十数年も抑留され、生きて
虜囚の辱めを受けたのだから心理的には日本兵の方が悲惨じゃないかと。
845 :
名無し三等兵:04/02/05 00:39 ID:s3PSbY0G
屋外では生きたまま凍っていき、地下室では生きたまま腐っていく
でも戦争だからしかたがない・・・シカタガナイ・・・シカタガナイ・・・
スターリングランドで捕虜になったドイツ兵約30万人
戦後生きて帰れた人数約6千人
これでも日本軍の方が悲惨かな?
10万じゃなかったっけ
心理的にはなんて第三者である漏れ達には実際のところどうかなど知る余地などない。
最初の包囲時300000人
その後2ヶ月あまりで脱出・死亡
最終的には100000人ほどが捕虜
でも、300000人でも100000人でも凄い数だ
肉体的にだって第三者である漏れたちにはわからんね
ユダヤ人に次ぐ劣等民族であるスラブ人の捕虜。世界の支配民族であるゲルマン人には耐え難い屈辱です。
黄色人種はスラブ以下なんでしょ?
>>853 優秀なスラブ人の虜となった劣等黄色人種の日本兵は幸福だったのですか?
次のボルゴグラード戦は何時かな?
涙するには寒すぎた
ドイツ捕虜の手記によれば、捕虜収容所でのイタリア兵は寒冷地での生活知識が
無いために多くが倒れ、おまけに宿敵のドイツ捕虜よりも警備兵に馬鹿にされて
いて扱いが悪かった。これはマジ。
米軍投降日本兵の場合、収容所の方が栄養状況が良かったって話もあるね
ガリガリの家族のもとに肥満しきった息子が帰還したとか
859 :
名無し三等兵:04/02/05 08:51 ID:uV52lnfD
>>854 戦前の満州国では白系露人は日本人より格下で、ロシア人売春婦を抱いた人も
多いので意識の上では劣等人種。だから劣等人種に抑留されたのだから屈辱は
ドイツ人と同じ。
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! i | i !| /! l' /イ / 弋フ~厂/' /'/ ほっほぅ〜だよぅ
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ll |lハ ', l|^ー-‐' jィl ほっほぅ〜だよぅ
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861 :
名無し三等兵:04/02/06 17:47 ID:IiNllRoj
>>859 あれ?五族協和の理想郷じゃなかったんじゃないの?
>>840 白人からしたらアジア人なんて黄色いサルで動物扱いですからね
産業革命が白人優位の世界を作った事は確かだ
>>805、
>>806、
>>822 第57装甲軍団のスターリングラード救出作戦が中止になった背景には、
12月末における赤軍の「小土星」作戦の矢面に立たされた、
イタリア第8軍の戦線が崩壊したという要素もあったのではないかと
記憶しているのですが。
そもそもスターリングラード包囲は赤軍が、ルーマニア第3軍と第4軍の戦区を
突破してために発生したのであって、イタリア軍正面はそれまで主攻撃の対象と
なっていないように思うのですけれど。
誤りがあればご指摘頂ければ幸いです。
独ソ戦の天王山であったことは事実だね。
記録フィルムを見ると、大勢のドイツ兵士の顔が出てくるが、皆死んだんだと思うと不憫だな。
これが戦争なのかってね。
868 :
ななしさん(6歳):04/02/07 19:08 ID:VdQEANpw
あれ?
中尉がまともなことをいってる…
>>866 そのとおりだよ。
ただ、第57装甲軍団の前進自体が、第2親衛軍の展開で、
史実のところでいっぱいいっぱいだったし、隣接戦域での防御のために、
一部の戦力を割かざるを得なかった。
それで、第6軍自身がスターリングラードから脱出するようにマンシュタインは求めていた。
しかしながら、第6軍に燃料ストックが十分ではなかったところへ持ってきて、
ヒトラーの死守命令。パウルスは結局は、包囲脱出を発令することはなかった。
で、そこにとどめを刺したのが、小土星作戦によるイタリア第8軍の崩壊。
第57装甲軍団つーか、ドン軍集団の総力を挙げて、
ロストフ方面への赤軍の突破に対処せざるを得なかった。
>>869 ちょっと待て、イタリア第8軍がドン川にへばりついていたのをやめて
退却開始>総崩れとなったのは年を越えた1月半ばからだから、その時
すでにスターリングラードぼドイツ第6軍のとどめは刺されていたのでは?
>>870 まず、「土星作戦」の発動は12月11日。
それを方針転換して、イタリア第8軍の担当部分に作戦正面を変えた
「小土星作戦」が12月16日だったか17日だったかの発動。
ただ、
>>868のように鎧袖一触という感じでもなさそうなんだよね。
第57装甲軍団の攻勢がもたつくのが、ちょうど小土星作戦の発動と重なる。
で、その後、第57装甲軍団は防御に転じて、攻勢発起地点まで後退するのが、
12月26日。
同日から43年1月1日までに、ヒトラーは、さらなる兵力増派を決定して、
再度、スターリングラードの救援を命じている
(まあ、このころには第6軍はあらあらで、
赤軍ドン方面軍は1月初旬に包囲網内への攻撃を強化している)。
このあたりに、恐らくイタリア第8軍の崩壊過程が重なっていると思われる。
>>869,
>>870,
>>871 11月19日のウラヌス作戦開始〜2月初めのハンガリー第2軍崩壊までは複雑だけど、本当に興味深い時期ですね。時系列にまとめてみました。
11月19日 ソ連軍ウラヌス作戦開始
ソ連第5戦車軍がルーマニア第3軍/第2軍団戦区を攻撃
ソ連軍第21軍がルーマニア第3軍/第4軍団戦区を攻撃
11月20日
ソ連軍第51軍がルーマニア第4軍/第6軍団戦区を攻撃
11月21日
ルーマニア第3軍/第4・第5軍団が包囲される
ルーマニア軍が奮戦しようがしまいが、僅か3日でルーマニア第3軍が壊滅したことがドイツ第6軍の包囲という結果をもたらしたことが地図からは、はっきりわかる。
11月23日
カラーチ東方にてソ連軍第21軍/第4戦車軍と第51軍/第4機械化軍団が遭遇、包囲網完成
12月6日〜12月23日 チル川攻防戦(ドイツ軍第4装甲軍/第48装甲軍団 vs ソ連軍第5戦車軍攻防戦)
第79農場をめぐり、ドイツ軍第11装甲師団がソ連軍第5戦車軍の突破を食い止める。
12月12日〜12月23日 スターリングラード救出作戦(冬の嵐作戦)
ドイツ軍第4装甲軍/第57装甲軍団が救出作戦を行うが、第51軍が土星作戦用の第2親衛軍の増援を受け、救出作戦失敗
12月16日〜12月30日 ソ連軍小土星作戦
ソ連軍第1親衛軍の3個戦車軍団がイタリア軍第8軍ラヴェンナ師団戦区を突破し、タチンスカヤを占領するがドイツ軍第11装甲師団の反撃を受け、壊滅
12月23日〜12月30日 ソ連軍コテルニコヴォ作戦
ソ連軍第2親衛軍がドイツ軍第57装甲軍を追撃し、ロストフを目指す。
1月10日〜2月2日 ソ連軍の環作戦(ドイツ第6軍殲滅戦)
1月13日〜1月27日 ソ連軍のイタリア第8軍殲滅戦
1月24日〜2月2日 ソ連軍のハンガリー第2軍包囲作戦
ドイツ軍は第6軍という大部隊を包囲されたにもかかわらず、少ない戦力でよく機動防禦したものだと思う。
それにしてもドイツの同盟軍は全く弱いね。
そりゃやる気ゼロだからね。
>ドイツ軍は第6軍という大部隊を包囲されたにもかかわらず、少ない戦力でよく機動防禦したものだと思う。
この当時のソ連戦車軍団はT34戦車より、頭数としてのT60戦車やT70戦車が多いよ。
ソ連軍も攻撃する上で戦車部隊よりも歩兵部隊が足りなかったから、側面ががら空きで反撃を受けやすく、
そのためにスターリングラード包囲軍を早く転用したくてしょうが無かった。
スターリングラード集団墓地〜
スターリングラード集団墓地〜
スターリングラード集団墓地〜
スターリングラード集団墓地〜