SBCTについて その2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無し三等兵
SBCTとは、米陸軍が編成中の装輪車両を主体とした
ストライカー旅団戦闘団のことです。以前はIBCT(暫定旅団戦闘団)
と呼ばれていたこともあります。ネット時代を反映して多数の資料が
同戦闘団構想については溢れ、中には反対意見もあります。
このSBCTについて皆で語りましょう。

過去スレ (あえなく22レスでDAT落ち)はこちらです。
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1063772016/

#機甲戦術スレを捜索中です。
2名無し三等兵:03/09/29 10:44 ID:???
2
3名無し三等兵:03/09/29 11:00 ID:mW8K2kGr
まず基本的な紹介と検索のキーとなる言葉から。
SBCT とは stryker brigade combat team の略語です。
ストライカーとは人名で、名誉勲章を受章した二人の兵
(一人は第2次世界大戦の際の兵、一人はベトナム戦争の際の兵)を
記念して付けられています。

具体的な車両は、米海兵隊の使用するLAV-25に似ています。
つまりモワグ社のピラーニャ系列の車両です。メーカーは
h ttp://www.army-technology.com/projects/stryker/
によると、GMランドシステムズとGMカナダの合弁。

現在
歩兵輸送車両 対戦車車両 指揮車両 工兵車両 救急車両
偵察車両 迫撃砲車両 火力支援車両が完成して配備されています。
開発中なのは
NBC偵察車両 機動砲(MGS)の二つ。

#MGSは装輪戦車とはとらえないほうが良いと思います。機関銃火点や
援体壕の撲滅、家屋に突入孔を開けるなど、歩兵突撃を火力支援するための
車両です。
4名無し三等兵:03/09/29 11:34 ID:mW8K2kGr
イラク戦争から重戦力と軽戦力の例をあげると

M1A1D(M1A1の能力向上型)とM2A2の組み合わせが大活躍
でした。例えばバグダッドでは、防衛側が陣地を構築する暇を与えずエイブラムズと
ブラッドレーが都市内部に襲撃を繰り返すことで組織的抵抗を打ち砕いたと思います。

また、イラク北部のクルド人自治区には、第173空挺旅団が飛行場に空挺降下して
います。イタリア アビアーノ空軍基地からC-17輸送機(4発の大型輸送機)に搭乗して
夜間降下(3月26日)、4月10日には戦車の増援を得て前進しています。
5名無し三等兵:03/09/29 12:52 ID:???
この手のスレは伸びない、というかrom者だらけ。
なんなら

編成について語るスレ3
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053610032/

なんてどうよ
6名無し三等兵:03/09/29 17:58 ID:???
>5 1は素人ですので、質問、訂正、突っ込み、叱咤激励など大歓迎也。
編成スレは以前は書き込ませて頂いてましたが、まだこちらの考えが整っていない
ので、どうしようかなと。ともかくネット上の情報量が多くて整理するのに手一杯です。

考えていることだけでも
とりあえずイラク戦争のユーフラテス河南を突進した第3歩兵師団とチグリス河の東を
突進した第1海兵遠征軍の動きと絡めて北部の第173空挺旅団の動きを追うこと。
これは、4月10日になってはじめてM1エイブラムスが空輸されて、それに伴い
前進するという記事があるのですがこの時期はどういう時期なのかを見るため。

それから、迅速滑走路補修について、空挺師団工兵大隊の訓練要領を見る必要が
あります。戦力投射作戦の初期においては空港の能力維持、向上が工兵の作業の中心と
なるだろうということまではFMに書かれていましたが、これでどの程度空港の能力が向上するのか
ということ。これが不明です。ここをはっきり分からないと現地までの展開時間数は現地空港の能力に
よってのみ決定されることになり、各報告書を良く読むことができないです。

続いて、C-130Jの能力について。最新号の航空ファンでストライカーの韓国展開が
触れられています。C-130Jならば、C-130Hと違い、戦域内輸送に問題はないという
話がでているのですがこれの確認。

それで目標はどのようにストライカー旅団が運用されるかを把握することと
この改編は成功なのか、それとも失敗するとなれば何が原因かを見ること。
単にMGSの開発難航を理由にするよりも色々事情を見ていったほうが面白かろうと。
7名無し三等兵:03/09/30 14:24 ID:???
SBCT配下の工兵中隊の装備
中隊本部(ハマー 装甲車×2 牽引車付トラック)
 戦闘機動小隊×3(ドーザ-付装甲車 ドーザ-付ボルケーノ牽引装甲車 ローラー付MICLIC牽引装甲車×2 ドーザ-付MICLIC牽引装甲車)
 機動支援小隊
  小隊本部(ドーザー付装甲車×2 牽引橋)
   機動班×3(BMEE×2 DEUCE×2 装甲橋)

#ドーザ-ブレードをつけているか、地雷除去ローラーをつけているかは
歩兵学校の図式によりました。ボルケーノはボルケーノ ホーネット センチュリオンが
名称です。ホーネットとは広域地雷のこと。MICLICは索状爆薬を発射して地雷原を除去する装置)

#迅速滑走路補修を訓練するのに必要な機材についてはサイトがありました。
それとも比較すればモビリティパッケージの中身が少しは判明するはず。
けども、滑走路の舗装と照明灯以外は工兵は担当していないようです。また、
具体的な空港の拡張の話が航空機の発着回数とあわせて載っている文書などが
あると良いのですがこれも捜索中。
8名無し三等兵:03/09/30 17:49 ID:1+TRnMAj
Defense Bill Reported Out of Conference
h ttp://www.senate.gov/~appropriations/releases/record.cfm?id=211763
ストライカー戦闘旅団の5つ目と6つ目の部隊編成の予算が委員会を通過
#予算審議過程については全く無知なので正確なところは不明

ハワイの第25歩兵師団第1旅団と州兵第56旅団の改編のため
3500万ドルの支出を承認 非公開と思しき空白行があるので詳細は不明。

#ということでこれの前提となる議会への報告書を予算委員会、軍事委員会などの
サイトで探していますが未だに見つからず。
9名無し三等兵:03/09/30 18:54 ID:???
とりあえず、ラムズフェルド君はこの計画が大嫌いだという事を指摘しておこう。
10名無し三等兵:03/10/01 10:33 ID:???
>9
確かにSBCTの提唱者のエリック・シンセキ前陸軍参謀長との対立が伝えられる
ことが多かったです。ベレー帽事件、クルーセーダー開発中止、イラク占領後の
軍規模などでシンセキが批判されることも多かったかと。
 が、陸軍を代表して政治家と折衝するという場面や、前任者の計画に後任者が
手を入れるという性向は一端捨象してSBCTの特徴を見てみるとどうでしょうか。

イラク戦争でのブッシュ大統領の5月1日の主要な戦闘終結宣言後海兵隊が撤退するまで
に戦闘で死亡した米兵は圧倒的に陸軍が多いです。これは海兵と陸軍の編制の違いに
よるのではないかという議論があります。
 機械化師団の歩兵総数と海兵師団の歩兵総数を比較すると海兵師団が遥かに多い。
という論調でした。

機械化師団は普段のパトロールではハマーでやりますが、海兵隊はLAV-25を
使うことができるのも強みだと思います。
 勿論、これはスンニ・トライアングル(待ち伏せ多発地帯 バグダッド、ラマディー
ティクリットなどを結んだユーフラテス河沿いの地帯)を担任しているのが
陸軍という事情があるのですが、占領任務は歩兵の数が物を言うことは否定できない
と思います。そこでSBCTの歩兵の数を数えてみると確かに歩兵大隊あたりの歩兵総数が
とても多いです。占領任務ばかりでなく、平和執行、平和維持、非戦闘民救出など
でも歩兵の数は有利に働きます。
11名無し三等兵:03/10/02 10:47 ID:???
さらに調べてきました。M113A3応援サイトで知ったのですが
SSIというところが軍内部のシンクタンクでして、そこが緊急展開について
色々研究提言しています。シンセキの軍改革提言は1999年ですが
SSIで改革について、21世紀の軍隊像というテーマで1993年に提言があったことが
分かります。(その前年1992年刊行の提言は一つだけ確認 SSIの歴史については
不明 1992年は湾岸戦争の1年後)
12名無し三等兵:03/10/03 14:21 ID:???
さらに追加。ARMY AFTER NEXTという計画が1997年あたりで存在していた
模様。それから、オブジェクティブフォースではなくてフューチャーフォース
という言い方になってきている模様。中身はFCSなどで変わらないのですが。

イラク展開については米陸軍のニュースをチェックしないと不明です。
基地からバスを借りて空港まで移動するというのでバス会社から情報を取ったりする
のも他の師団でならありえるのですが。演習からの帰路、車列を組んで移動するので
一般車両は車列の中に混じって走行しないで下さいなどどいう掲示もあったりするの
ですが、移動は基本的に通勤時間帯を避けるものらしいです。
13名無し三等兵:03/10/04 01:27 ID:???
さらに追加。ラムズフェルド氏がトップを務めていたこともあるはずの
ランドの1997年あたりの研究報告にも軽部隊をどのように強化するのかという
題名がついたものがあります。ラムズフェルド氏の務めていた時期は調査不足で
不明ですが。ARMY AFTER NEXTもランドで多く報告が出されています。

発想の源を辿るとフォート・ルイスにあった第9自動車化師団の失敗にまで
遡りそうですが。また、1998年のSSIの研究報告では第2次世界大戦後から
軽と重に戦力が分かれていると述べています。

#ラムズフェルド氏の側近には10個から8個に現役師団を減らそうという動きが
あったこともあると新聞で指摘されていますが、減らすとしたらばどっちから
なんでしょう。
SBCTは些か変則的編成の第2歩兵師団から1個旅団、軽の第25歩兵師団から2個旅団
独立している第172歩兵旅団、第2装甲騎兵連隊(軽)(これは第9自動車化師団の
流れを組んでいます。湾岸戦争時の第2装甲騎兵連隊とは別物)と州兵1個旅団から
改編されます。重師団からの改編はないです。また、湾岸戦争時の第2装甲騎兵連隊長
だったかが書いたブレイキング ファランクスに1998年のSSIの研究報告は影響を受け
単位部隊を師団ではなく、旅団にするという考えを前提にしていると述べています。
この本はアマゾンで売られていますが、ランドの研究報告は無料、本は有料という理由で
読むのは後回しにしております。
14名無し三等兵:03/10/04 10:29 ID:???
AANにおいてair−mechanizedという構想がair-motorizedの前にあったことが
分かりました。

Vice Chief bids farewell to Army
h ttp://www4.army.mil/ocpa/read.php?story_id_key=5286
シンセキ参謀長とともに副参謀長を務めた副参謀長 退役
・大尉の退役率を低下させる
・軍改革の中で航空部隊の予算確保に熱意を示す
・シンセキ後シューメーカー就任までイラク戦争での部隊ローテーションに応対
15名無し三等兵:03/10/04 11:52 ID:???
Readiness of Fort Lewis' Stryker brigade questioned
h ttp://archives.seattletimes.nwsource.com/cgi-bin/texis.cgi/web/vortex/display?slug=stryker06m&date=20030906&query=stryker
ストライカーに批判の声(2003年9月6日付)
・装甲板は重機関銃弾に堪えられるはずが一部耐えられないところがある
・RWSは走行中射撃できず、装弾は車外に体を出さないとできない
・ミレニアムチャレンジ02では待ち伏せやその他の交戦により14両中13両が小火器、擲弾、
車両搭載砲により撃破された

イラク展開時期については10月後半から11月はじめとのこと
中央軍司令官のストライカーの展開を期待する発言を紹介
16名無し三等兵:03/10/04 16:16 ID:???
もう少し調べたので、AANについてはARROYO CENTERというところがランドの中に
ありそこが中心となって進めていることが判明。
1998年のレポートを書いた人はランドの研究員です。
(1998年の研究報告の執筆者紹介のとこにもともと書かれている)

その後2000年にも研究報告が出ています。

#本日が1993年10月3日のブラックホークダウンから10周年ですが
研究事例として扱われている報告もこのセンターから出ています。
17名無し三等兵:03/10/04 16:32 ID:???
>>15
なんか初期のブラッドレーを思い出させる試験結果ですな。
18名無し三等兵:03/10/04 20:10 ID:???
>16訂正
 AANはTRDOC、RANDのARROYO CENTER、AMC、SARDAなどが協同して進めている
 計画 TRADOCとは陸軍の訓練教義司令部、AMCは不明 SARDAは陸軍省の模様
 詳細不明

>17
 ブラッドレーは映画が作られましたね。ネット時代の前はいきなり暗黒時代に
なるのがインターネットによる資料探しの限界でしょうか。
 新しいことならばいくらでも情報はあるのですが。

ストライカーの場合、どう対策が取られたのかは後続の記事が出ています。
アバディーンで実射試験を行い、不適格と判断されたセラミック装甲板には
補修を行うという内容でした。
19名無し三等兵:03/10/05 22:33 ID:???
ストライカー小隊とブラッドレー小隊の編制の比較。

ストライカー小隊(4両 46名)
 小隊本部(5名 内訳:少尉 小隊軍曹 前進観測員 無線兵 衛生兵)
 乗車班(8名 内訳:各車両の操縦手と車長 1名ずつ)
下車班 
3個小銃分隊
(9名 内訳:分隊長 組長×2 擲弾手×2 分隊火器手×2 対戦車特技兵 指名狙撃手)
1個武器分隊
(7名 内訳:武器分隊長 軽機関銃手×2 機関銃手助手×2 弾薬携帯手×2)
20名無し三等兵:03/10/05 23:19 ID:???
>19 補足
小隊本部の衛生兵は配属されてくることを想定しているので人数には
入っていません。

ブラッドレー小隊(4両 40名)
乗車班 
・乗車A班
・・(小隊長 砲手 操縦手 代替砲手)
・・(小隊掌砲軍曹 砲手 操縦手)
・乗車B班
・・(車長 砲手 操縦手)
・・(小隊軍曹 砲手 操縦手)
下車班
3個小銃分隊(9名 内訳:分隊長 組長×2 擲弾手×2 分隊火器手×2 小銃手×2)

#1 ブラッドレーの小銃分隊の小銃手が指名狙撃手や対戦車特技兵であるかどうかは資料の関係で
不明。
#2 ブラッドレー小隊の小隊本部については不明。小隊長が下車戦闘をする場合、
砲手が車長に、代替砲手が砲手になる。
#3 ブラッドレーは全て25mm機関砲を搭載、ストライカー小隊の各車両は
12.7mm機関銃かMk19擲弾銃を搭載している可能性がある。M2とMk19で組んで一つの
班としていると想像。
21名無し三等兵:03/10/06 16:39 ID:???
現在、グローバルセュリティのホットトピックのところにあった
ストライカー反対の立場からの文書を読んでいます。
そこで引用されているイラク自由作戦の戦訓がネット上にありました。
h ttp://209.157.64.200/focus/f-news/982206/posts

#反対派の文書は確認できないけども具体的な話が多いです。
ストライカーの燃料タンクの容量は60ガロン 1ガロンで2〜3マイルを走行できるとか、
1マイル1両が走るとコストは52$という数値 またMGSについては主砲を発射すると
乗員がフライになると書いています。MGSについては以前から言われているとおりですが。
22Lans ◆xuWpzOS65c :03/10/06 21:36 ID:???
ああ、何時の間にか専用スレが立ってたんですね。
お疲れ様です。
生暖かく見つめさせていただきますので、がんばってください。
23名無し三等兵:03/10/06 23:25 ID:???
>>22
せめて「見つめる」のではなく「見守って」いただければと…
24名無し三等兵:03/10/07 10:14 ID:???
>22 >23 ご声援ありがとう御座います。質問何でもして下さい。出来る限り
答えます。一度に一つずつ対応していきますので答えるのは遅くなりますが。
基本的にネット情報過多でして、書籍情報はアメリカの装輪装甲車両について
6月頃に輸入された洋書位しか見当たらない状態です。ネット時代に入ってからの
構想と開発なのでとても情報が多いです。

>21 所在はグローバルセキュリティ→ホットドキュメントのところでした。訂正します。

<空港建設
グローバルセキュリティに該当するFMが置いてありました。
PLANNING AND DESIGN OF ROADS, AIRFIELDS, AND HELIPORTS IN THE THEATER OF OPERATIONS--ROAD DESIGN
h ttp://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/5-430-00-1/toc.htm
空港偵察 建設、補修などが扱われています。

>21 追加
パンツァー誌にイラク戦争特集写真で登場した第64機甲連隊第1大隊の将校が
筆者だと書かれています。つまり、第3歩兵師団の戦車大隊です。
ブラッドレーの車長ハッチに機関銃が欲しいとか、エイブラムスの装填手はM240の
射撃訓練を受けておく必要があるとか、装填手ハッチに防楯が必要だとか
スペアパーツが届かず共食い整備が行われたとかいろいろ書かれています。
25名無し三等兵:03/10/08 11:28 ID:???
US Air Force B-2 Bomber Drops 80 JDAMS in Historic Test
h ttp://www.spacedaily.com/news/gps-03y.html
1回の航過で、MK-82JDAM(250s爆弾)80発をB-2Aが投下 (9月10日 ユタ州)

#反対派の文書についてはMTVLについて調べる必要があると思います。
C-130による戦域内輸送ついてはC-130Jがどうなるのか、また欧州のA400M開発
の動向などに注目でしょう。RPGに堪える装甲についてはブラッドレーと比較するのが
もともと誤謬であるし、開発コスト、運用コストについては陸軍から数字を引き出そうとすると
毎回異なる数字がでてくるなどと書かれています。繰り返しが多いですけども
いろいろと視点を教えてくれる文書だと思います。
26名無し三等兵:03/10/09 11:03 ID:???
反対派文書をやっと一通り読み終えました。
<感想
リトリックとして、”我々は戦争中なのだ”という台詞を使う点
また、MTVLの詳細について、そしてM113A3の製造年度についてはあまり触れていない
のが気になります。一方、SBCT関係者のコンフェレンスでの発言などを丁寧に
収集して、ストライカーは金が掛かることの裏づけにしています。根拠として
引用されたものには自分が知らなかった陸軍機関の評価報告書などが含まれていて
とても参考になりました。

<情報過多にさらに情報を
フォートレーベンワースの米陸軍の指揮幕僚課程の修士論文に空軍少佐が
提出した論文が検索で引っ掛かりました。空軍の世界打撃任務部隊とSBCTを
統合運用できれば、フォースエントリー作戦を行えると論じています。

#AAN(次の陸軍)研究で、軽機動軍と武器ポッドの組み合わせで従来型重編制師団に
多大な損耗を強いることができるが、生残性と機動力の欠如が問題であるというのも
読みました。これはAANで空輸自動車化旅団が構想される以前の年度の研究ですが
ウォーゲームの妥当性について、特に武器ポッド(重砲やMLRSに対空ミサイルを
発射するプラットフォームで空輸可能なもの)の生存性とシナリオの選択という点から
説明してあり面白かったです。
27名無し三等兵:03/10/10 02:23 ID:???
さらに別な論文で、湾岸戦争時の第2装甲騎兵連隊長が書いた本
breaking the phalanxをSBCTの起源にあげているものがあります。
空輸自動車化旅団構想の筆者も師団単位ではなく、旅団単位とする構想
軍団−旅団−中隊で組む構想は同書の影響を受けていると述べています。
1997年の本ですが、市販されているのでさすがにネットでは全文無料閲覧は
不可能な模様。こうなると第9自動車化師団の構想の源も知りたくなります。
また、strike forceとか、medium forceなどという構想もあったとのこと。

#国防大学というとこでは、”衝撃と恐怖”、”山越えした熊”などが
無料で読めます。有り難い事です。未読ですが。
#米国内では、5回目の基地統合の波がありワシントン州でも危ないとされる
施設がいくつか。ホイットビーアイランドやエベレットなどが閉鎖される可能性が
あるそうです。フォートルイスは安泰と見られています。
28名無し三等兵:03/10/10 16:24 ID:???
時折浮上。

SBCTの対戦車中隊は、対戦車誘導弾車両×9+火力支援車両×1で編成されています。
使用しているミサイルはTOW2Bですが、これをcommon missileに変えるという研究が
あります。例によってシム上で幾つかのシナリオのもとで検証して教義の妥当性と
装備更新の意味を考察するものです。コモンミサイルとはヘルファイアとTOWの双方の
後継で、既存のシステムから運用できるのを目指す対戦車ミサイルのこと。

#各歩兵中隊毎のMGS小隊も空輸性を高める為4両編制から3両編制になり、75%の削減
を受けたというのがでていましたが、対戦車中隊も同じかも。
29名無し三等兵:03/10/11 02:56 ID:???
28の続き
そこでこの研究ではJANUS(ローマの戦争の神に由来する名前)というシムを
使って3つのシナリオで対戦車中隊の能力を、敵損害、自生存、交戦距離の
3つの点から評価しています。
 シナリオはセルビア、南西アジア、欧州を部隊としており、対戦車中隊が
布陣しているところに敵が前進してくるというもの。

#小規模紛争を越える主戦域戦争(MTW)では対戦車中隊の能力が他部隊と
編合して行動する上で重要に成るのだと思います。その意味でシナリオの選定は
とても面白いです。
30名無し三等兵:03/10/12 01:50 ID:???
C-130Jについては既に納入がはじまっており、海兵隊、空軍、沿岸警備隊や
イギリス、クウェートなどとも契約していることが判明。
CMについては頑張って読み進めています。ストライカーの仕様策定までの
TRADOC内の調整について詳しく纏めている箇所がありました。
31名無し三等兵:03/10/13 01:52 ID:???
どうも最近引っ掛かる論文の傾向を見ると
SBCTの一部を既存部隊とどう組み合わせるかを考えるか
部隊の編制をどうするのかを考えているものが多いようです。

一つには第2装甲騎兵連隊のSBCT化にあたってどのような編制にするかが
詳細は不明ながらもヘリは含む模様であること。9月の議会提出報告書には
防空などの戦力強化をどうするかについての報告が含まれているいたはず
であることなどがあるようです。
32名無し三等兵:03/10/13 14:40 ID:???
h ttp://www4.army.mil/ocpa/read.php?story_id_key=5306
LMSR(大型中速RoRo船)シュガートとシスラーにタコマ港で搭載中
・搭載を担当するのは833輸送大隊

Large, Medium-speed, roll-on/roll-off
ships - T-AKR
h ttp://www.chinfo.navy.mil/navpalib/factfile/ships/ship-takr2.html
・戦車58両その他48両のトラック、さらに900両の車両を搭載可能
・船尾ランプは両舷どちらへも回せるので搭載、卸下が楽にできる
・110tクレーン2機 昼間に使用可能な緊急用ヘリポート有り

シュガートT-AKR295は1981年にデンマークで建造 1987年にヒュンダイが船体延長工事
#ローラマースクという名前だったそうなのでマースク社の船だったことがある模様
シスラーT-AKR311はサンディエゴ建造 名称は名誉勲章受賞者から

833輸送大隊はシアトルにいる港湾管理と交通統制を行う部隊
33名無し三等兵:03/10/14 09:40 ID:???
搭載を行っているタコマ港については
h ttp://www.portoftacoma.com/files/PortMapRevised01_03.pdf
ここで埠頭の配置が分かります。企業専用埠頭と公共埠頭の違いは
色で示されています。

搭載についてですが、同時に2隻のLMSRに搭載するのであれば
搭載に掛かる日数は2分の1になります。また、ルイジアナのフォートポーク
に駐屯する第2装甲騎兵連隊がSBCT化されるまではアラスカの第172歩兵旅団と
ワシントン州フォートルイスの第2歩兵師団第3旅団と第25歩兵師団第1旅団
のみなので欧州に再配置が実現するまではタコマ港を使うことになります。
34名無し三等兵:03/10/14 11:05 ID:???
SBCT members convene at Fort Benning Conference aims to solve Stryker issues
h ttp://www-tradoc.army.mil/pao/TNSarchives/August03/strykerseminar.htm
第172歩兵旅団の84名 フォートベニング歩兵センターでSBCTについて2週間の講義を受ける
・ストライカー装甲車が引き渡しされるのは2004年5月から

#歩兵学校とはべつに歩兵センターというのもあるのかも。
#MGSの開発が続行する中、SBCTへの改編は進んでいくことになります。
40mm機関砲や25mm機関砲や76mm砲などで105mm砲を代替するという手は
どうでしょう。76mmはイギリスの偵察車両や歩兵支援車両の採用する口径で
40mmがCV90、スウェーデンの歩兵戦闘車両、25mmはLAV-25と同口径。
ロシアの低圧砲なら100mmがBMP-3。そういえばグローバルセキュリティに
置かれていた反対派文書ではLAV-25は25mmと7.62mmに堪える装甲ですが
それはそれでよいのだとストライカーの装甲を非難するのに巻き添えにならない
ように注釈を付けてました。
35名無し三等兵:03/10/15 00:47 ID:???
29の続き
話が飛び飛びになっておりますが。
3つのシナリオとも、T-72×10両編成2個中隊とBMP−2×12両 1個中隊を敵としています。
対するSBCT 対戦車中隊は3両編成小隊×3個で小隊陣地を相互に援護する形で布陣し
車体を完全に隠蔽か半ば隠蔽した状態で待ち受けます。
 砲兵支援、航空支援、他兵科抜きでこのまま戦闘するわけです。

この結果、TOW2B装備中隊の場合とCM装備中隊とで大きく差がでるのが
生存性です。同一シナリオをそれぞれの部隊が25回試行するのですが、
シナリオによってはTOW2B装備中隊は9両の損害を出す一方、CM装備中隊は
小隊1個の損害で済むことがあります。

#CMミサイルをSBCTの対戦車中隊が装備する意義を証明するシムなのですが
そのためにTOW2B装備中隊では劣勢に追い込まれる規模の敵が選ばれているのです。
又、TOW2Bの射程3750mのうち3km〜2.5kmのところで大体敵と交戦していますが
この距離ではMGSはどの程度戦闘に寄与できるか疑問です。つまりSBCTが現在
単独で戦闘しうる敵の大まかな規模が明らかになっているとも言えます。
CMの射程は6kmと設定されています。長射程と撃ち放し能力が生存性を高めていると
評価されています。
36名無し三等兵:03/10/15 00:55 ID:???
#ところで、スレを専有する意図はございませんので質問など頂けると幸いです。
それにしても最大の問題は戦力投入のタイミングや、現地親米軍事勢力の問題
などの扱いです。
かつてのソ連がグレナダにした如く、米国が長大な滑走路を世界中に建設して回る
わけにはいかないでしょうし。事前集積といってもカザフスタン、ウズベキスタンなどの
旧ソ連諸国への前方配置、事前展開はロシアとの関係を損なう可能性が大きいです。
グアム、ディエゴガルシア、カタールなどに陸軍が事前集積している装備を
さらに増やすというのについては分かりませんが、これらは沿岸への海上輸送には
良いですが、内陸国への戦力投入は空輸による他ありません。
37海の人 ◆STEELmK8LQ :03/10/15 07:59 ID:???
 読んでまっせ〜:-)
38名無し三等兵:03/10/15 17:21 ID:???
>37 有難う御座います。質問がありましたらどうぞお願いします。

その後シアトルタイムスを見ていつ船積みが終わるかと待っているのですが
続報がありません。もう一箇所楽に情報を入手できるところはグローバルセキュリティの
イラク戦争関連の兵力展開のところになりますがこちらには現在のところ
第2歩兵師団第3旅団の装備船積み開始については出ていません。
一方、例の反対文書で都市環境での作戦には旋回半径が大きすぎると言われている
ストライカーですが市街戦訓練場がヤキマに建設されたことがシアトルタイムスに
乗っていました。(地方紙はアーカイブを無料で見せてくれるのが有りがたいです
NYタイムスだと2週間より昔は概要のみ無料。記事本体は有料です)
39名無し三等兵:03/10/15 17:23 ID:???

Soldiers would train at $35 million project in Fort Lewis area
h ttp://archives.seattletimes.nwsource.com/cgi-bin/texis.cgi/web/
vortex/display?slug=fortlewis25m&date=20021225&query=stryker
名称はLeschi Town
警察署、役場、模擬の発電所などを備え600名が入れる
半マイル以上の長さの村で建物数は54軒
役場は3階建てで玄関ホールあり 警察署は地下に留置坊有り 村西にはコンクリ用水路有り
訓練官は村中に設けられたカメラで訓練の様子を見ることが出来る
最初のストライカー旅団の大隊副官はブラックホークダウンの戦闘に参加 足に負傷
当時は第3レンジャー大隊B中隊の火力支援将校だった

これとは別の施設なのか不明ですが
Soldiers will study, try urban warfare near Yakima
http://archives.seattletimes.nwsource.com/cgi-bin/texis.cgi/web/
vortex/display?slug=urbanwarfare22&date=20030622&query=stryker
Urban Assault Courseがヤキマ演習場の北部に作られる

#はじめのはAP通信の記事 後者は署名記事となっています
シアトル周辺の地理に明るくないと両者が同一なのかは不明です。
ヤキマは自衛隊の90式が実弾演習をしているところでもあります。
コンバットマガジンを観ればそのうちに記事がでるかも。
前者の工事期間と後者の工事期間は異なるので同一ではないと思いますが。
40名無し三等兵:03/10/16 11:16 ID:???
>36
現地親米軍事勢力という表現は適切ではないかもしれません。
元の論文では、代理母などの代理で使われるsurrogateという語を使って
surrogate armyと名付けています。これが統合軍に組み込まれて活動することで
国益を実現するという話です。

#戦力投射の話はすぐ戦略の話に結びついてしまう、流れてしまうのでいきなり
話の間口が広くなったというか風呂敷を広げる形となりました。
船積みについてはタコマ港の予定表などや海上輸送集団のサイトを調べると予定が
出て来るかもしれません。
41名無し三等兵:03/10/16 21:56 ID:???
>35の続き
IBCT O&Oや要求項目ではMGSはT-55から自衛できること程度を求められています。

#要求項目に出て来る自走榴弾砲車両はキャンセルされており、自走迫撃砲車も
反対文書によると120mm迫の発射反動を受けるのに問題があるという話が出ている。
また、自走迫は砲塔型をもともと要求されていました。これはサウジアラビアの
SANG(サウジアラビア国家防衛隊)に配備されているLAV-25シリーズの自走迫と
同様のものを念頭に置いているはずです。SANGはデネル社が教義作成から訓練に
整備まで請け負って建設されている軍隊です。

旅団に対戦車中隊は1個で9両ですが、MGSだと27両(中隊毎に3両小隊1個 大隊は3個中隊 旅団は3個大隊)
あります。また迫撃砲も対戦車誘導迫撃砲弾を撃てたり、さらに牽引式榴弾砲も
精密誘導弾を撃てる(現行はカッパーヘッドなど)ので、このモデルで使われている敵以上まで
撃退できるやもしれません。
 また、CMのMはミサイルの略なのでCMミサイルという言い方は間違いなのです。
42名無し三等兵:03/10/17 11:23 ID:???
>41 IBCT O&OについてAKOの管理下に置かれていました。
AKOというのは、army knowledge onlineで.mil、.govのドメインから
登録した者のみが閲覧できるサイトです。従ってネット上での閲覧は不可能な
模様です。OIF関連で市街戦の戦術小話などが見れないとか、前線部隊のTTP
(戦術、技術、実施手続)などが見れないというのは分かるんですが、IBCT O&O
ガ見れないのはどうしてでしょう。
43名無し三等兵:03/10/17 20:12 ID:???
>42続き
その後、歩兵学校のPPTに引用されているのをみて又探してみました。
TACOMのサイトのどっかにあると書いているリンクがありました。
が、TACOMのサイトのHPが見つかりません。民間業者への契約状況、契約応募サイト
ならば各工廠ごとに分かれているところまで行けるのですが。

<空港
工兵軍団の空港舗装のマニュアルを見つけました。またSBCTの工兵中隊については
機動支援を主とし、生存性、対機動阻害については限定的な能力を持つとしている
概要紹介文が見つかりました。肝心の空港の受け入れ能力向上については陸軍側には
資料はないのかも。空軍のサイトで探す必要があるようです。mobility supportという
のが大元のマニュアルであるようです。これらはまだ未読です。

#歩兵学校のサイトや機甲学校のサイトにある編制資料や、PPTブリーフィングを
読んでいるとTRADOCとこれらの学校でのIBCTの概念作成についての役割分担が
大まかに出てきます。歩兵学校は歩兵大隊、対戦車中隊(独立)、狙撃手関連を
担当していた模様。これらの関係を纏めてたのがCMの装備について書いてた
シムの論文でした。
44名無し三等兵:03/10/18 03:03 ID:???
Strykers readying for first deployment
h ttp://www4.army.mil/ocpa/read.php?story_id_key=5314
10月15日付け 船積み終えてあとは11月に人員の空輸を待つだけ
・14.5mm抗堪するセラミックタイルは下請けの仕様変更により内側に金属板を張り付けてるものあり
・金属板内張りがされたタイルは展開中か後に交換される予定
・RPG対策の鳥篭装甲は6ヶ月で開発され、8月に承認された
・来年春には爆発反応装甲をつけることを予定
45名無し三等兵:03/10/18 12:41 ID:???
2000年1月21日付けと書かれているTACOMのPPTには
・自走榴弾砲型が延期となったこと
・MGSとATGMがそれぞれ4両編制小隊であることが書かれています。
・作成時点では2001年12月にIOC(初期作戦能力)を獲得予定でした

2001年5月付けのPPTによると代用として使用していた車両は
34 X LAVs
10 X Lynx(SCT)
16 X Centauro (MGS)
10 X Fuchs (RECCE LAV)
3 X FOX (NBC)
18 X APC
191 X HMMWV
12 X LMTV

#このうちLMTVは工兵中隊が使用していたものと思います。43で紹介した概要文に
そのような記述がありました。
46名無し三等兵:03/10/20 00:00 ID:???
h ttp://www.comw.org/rma/fulltext/ustrans.html
これまでSBCTの起源関係でみてきた論文や提言を網羅しているページを
見つけました。

#まだまだ修業が足らないと実感したのでした。
#FA MAGAZINEのイラク戦争特集号が出ました。HIMARSは3両がイラク南西部に
送られて特殊作戦部隊とともに活動したということです。内容は伏せられていますが。
同戦争での砲兵隊の活動概要のとこで紹介されています。
47名無し三等兵:03/10/20 02:34 ID:???
h ttp://www.mmt-kmi.com/archive_article.cfm?DocID=78
SBCTの旅団支援衛生中隊(BSMC)についての概要紹介文
旅団支援大隊(BSB)に属する 人員定数 士官12名 下士官兵55名

○組織
中隊本部
・指揮班(2−9) 旅団司令部区域で旅団の医療作戦を指揮
・予防医薬班 疾病と非戦闘負傷の予防 戦闘以外の原因での疾病、負傷を予防する
・精神衛生班 旅団救護所(brigade clearing station)を中心としつつ旅団作戦域で機動
 ストレスの抑制に関する訓練と助言 積極的なストレス行動の奨励 ストレスの原因の解明
・処置小隊
・・小隊本部 
・・処置分隊 日常の救急処置を行う 旅団救護所で活動するが前線への展開にも備える
 チームAとチームBに別れて短期間それぞれ救護所を運営できる
・・地域処置分隊 看護分隊とともに旅団救護所を運営 旅団医療基盤となる BSMCから動かない
・・地域支援分隊 医療設備 野外X線設備を持ちレベル2医療処置の能力がある
・・看護分隊 20名を看護可能 72時間内に後送予定の患者はここで看護する
・後送小隊 大隊救護所から旅団救護所までの地上後送

○任務
負傷時の緊急医療処置 地上後送 歯科衛生 (限定的)医療設備・放射線医療
看護 戦闘・作戦ストレス統制 トリアージ 除染
○規模が小さいので初期投入時には前方支援医療後送班(forward support medevac team)の支援を受ける
A 84床の戦闘支援病院から44床の初期投入モジュール
B 沿岸海軍病院船
などがFMSTの陣容である
48名無し三等兵:03/10/20 03:03 ID:???
47続き MEV(衛生後送車両)について
衛生後送車両(ストライカー歩兵輸送車両の派生型の一つ 救急車 アンビのこと)
・後部室の形状が異なり、側面は垂直 天井が10インチ高い C-130搭載は可能
(空軍の認証は未だない)
・基本装甲は7.62mm抗堪 追加装甲で14.5mm抗堪 地雷と152mm砲弾の空中炸裂にも堪える
・RWS(遠隔武器システム)に搭載したスモークチャージャーは全周旋回可能 
M6煙幕擲弾を使用すると煙幕を120度展開できる
・乗員は、操縦手、車長、衛生兵の3名 全員の職種は91W
 患者は6名 担架は4つまで収容可能
衛生兵は患者後送時は通路折り畳み席に座るが、分隊長席に普段は座る
・各歩兵大隊に4両 RSTA(偵察捜索目標捕捉)大隊に4両 1両が作戦予備(ORF)で
旅団で17両が装備定数
・MEVは負傷地点または中隊救護所から大隊救護所までを輸送
大隊救護所と旅団救護所はHMMWV M997 ambulancesが輸送する
・現在22両が生産され、17両は1SBCTが装備、残り5両はテストに用いられている

出典は、軍事医療技術 2003年3月12日号
49名無し三等兵:03/10/21 09:56 ID:???
#47、48に関して
SBCTの作戦地域はポンチ絵では、50km×50km。
道路網の中心である都市に旅団本部が位置し、その外周を3つに分けて
歩兵大隊が陣取り、さらにその外周をRSTA大隊が中隊ごとに分かれて
警戒する図式です。
 従って、迫撃砲とか榴弾砲は文字通り全周360度に砲弾を送り込める能力が
必要になることに。
 また、非線形的、非連続的な分散しての作戦を遂行できる能力を強調する
話や、スウォーム戦術と絡めた話も出て来るのですがこれの位置付けは不明です。

また、47と48は原文では、歯科設備とレントゲン設備にさらに詳しく触れている
記述と、MEVの担架は省力化がはかられているという記述があるのですが
勢いで省いてしまいました。
50名無し三等兵:03/10/22 13:41 ID:???
めでたく50レス。

SBCT切片とGSTFを統合運用するとフォースエントリー作戦を実行できるという
論文を読み終えました。EBO(効果に基づく作戦)という言葉とGSTF(地球打撃任務部隊)
という言葉が繰り返し出てきます。
また、ショートトンでSBCTの輸送所要量を計算し、SBCT切片であれば
フォースエントリー作戦に必要とされる短時間内に投入できると見ています。
SBCT切片とは、原語ではsbct sliceで、歩兵大隊1 RSTA大隊1 砲兵大隊1 対戦車小隊2
工兵中隊1 軍事情報中隊1 通信中隊伝達小隊1からなります。
GSTFの編成は、目安としてFA-22が72機 B-2が3−20機 C4IRは3−12機
UAVが10−20機 空中給油機KC-10とKC-135が6−12機 そして既存部隊が必要に応じてという規模です。  

 論文で使われている想定は、イラクに権力の空白が生じてイランがイラク南部へ
侵攻する一方でホルムズ海峡を封鎖。近隣国は基地を提供しない状況でイランの
ペルシャ湾岸の都市Bushehrの空港を奪取し保持するというもの。

#この論文のおかげでジョイントドクトリンなるものの存在を知りました。
#空軍の打撃力のみで空挺堡を孤立化させることができるのかという点が
よく分からないです。
#ストライカーの空中投下ができればSBCTの戦力投入に要する時間は短縮できると
提言しています。また、人員は空挺降下し装備機材は空輸でも短縮できるとも。
51名無し三等兵:03/10/23 10:17 ID:???
IBCTへの改編について、組織、教義、装備の点から纏めている論文が
50で出した論文に紹介されており読み始めました。
CM(コモンミサイル)のシムでの文献調査よりも詳しい内容です。

#GSTFについては、各国空軍の公式雑誌がググルと出てきます。
近年になってでてきた概念で本国か前方展開しているB-2とFA-22を組み合わせて
地球上どこでも、これまで以上の任務を果たすという考えの模様。
#GSTFとSBCT切片の組み合わせについては海兵隊のMEUと似ている点がある
ことに気付きました。が、両用群抜きで空輸と遠方の基地から行動する空軍とで
空挺堡の確保を可能とする点は大きく異なります。
52Lans ◆xuWpzOS65c :03/10/24 02:20 ID:???
>空挺投下

ここは、シェリダンの後継車両を開発しる!
今の技術で、シェリダンを再設計して新素材に新火器システムに・・・
素材の変更と、一部の再設計だけでも、結構いいのが出来そうに思えるけどなぁ・・・

まあ、それでも主力戦車的な運用は無理だけど(w

でも、シェリダンはかわいい!いやっほーう!シェリダン最k PAM PAM

(50レス突破おめでとうございます)
53名無し三等兵:03/10/24 11:02 ID:???
>52
それこそまさにM-8なのです。MTVL(M113の車体延長能力向上型)と部品などが
共通で制式番号も与えられていました。そして第82空挺師団にシェリダンの後継として
導入されるというときに、予算不足が原因でキャンセルされてしまい、同空挺師団の
第73機甲連隊第3大隊は閉隊されてしまいます。
 これについては、ストライカー反対M113推進サイトは当時の陸軍参謀長を非難して
おりますが。

こちらが3−73機甲大隊の記事です
h ttp://www.globalsecurity.org/military/agency/army/3-73ar.htm
こちらがM−8の記事
h ttp://www.globalsecurity.org/military/agency/army/3-73ar.htm
#対戦車ミサイルジャベリンの評判が良かったようですしM-8も追加装甲を第3段階まで
付けると重量が24.75t。C-130Hによる空輸は非現実的と反対派文書に批判される
20tを超えます。

こちらがデータ
h ttp://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/m8-ags.htm
54名無し三等兵:03/10/24 11:32 ID:???
C-17A: OPERATION ENDURING FREEDOM
EMPLOYMENT/DEPLOYMENT: LESSONS OBSERVED
www.au.af.mil/au/awc/awcgate/awc/shanahan.pdf
を見つけました。アフガン作戦の際のC-17Aの運用について得られた戦訓を
纏めたものの模様。

#GSTFとSBCT切片の統合運用について述べた論文で言われている
MOG(マキシマム オン グラウンド)が目次に出てきます。
工兵隊の方を見ても滑走路の舗装の仕方しかないし、AFDDは抽象的で分からん
のですがこれで少しまた前進できたかも。
55名無し三等兵:03/10/24 15:01 ID:???
FA magazineってどこの出版社ですか?????
56名無し三等兵:03/10/24 15:59 ID:???
>55
出版社は調べておりませんが、米陸軍砲兵の公式雑誌のことです。
Fとはfield AとはArtilleryつまり野砲雑誌というのが直訳になります。
米陸軍の各兵科の公式雑誌、各学校の機関誌、CGS学位取得論文などは
ネットで大概無料でDLすることが可能です。また文書蔵も整っています。
一部雑誌は1年経過してからでないと読めないものもありますし、
軍関係者でないと読めないものもありますが。

#ここいらの事情は911事件の影響が大きいようです。機微に触れる情報は
AKO(陸軍知識共有オンラインサイト)に入れる者のみが閲覧可能です。
ざっと見た限りではドメインが軍か政府のPCから登録者のみがアクセスできる
システムの模様です。

#ちなみに海軍の機関誌や潜水艦乗り協会の雑誌(準機関誌とでもいうべきでしょうか)
などや、RAFにパキスタン国軍などもネットで閲覧可能な記事があります。
#さらに付け加えるとADA MAGAZINE(対空砲兵雑誌)がオンラインは一番
充実しているといえると思います。リンクがあるので陸軍の雑誌へは大抵ここから
飛べると思います。
57名無し三等兵:03/10/24 16:40 ID:???
>55さん
質問有難う御座います。初心者スレでも質問されている方が居られましたが
出来る限り対応を早くするよう心掛けておりますが場合によっては暫く掛かることも
あります。また、米軍の組織や、そもそも軍事関係のことには疎いのでして
宿題とさせて頂くこともあります。ちなみにFA MAGAZINEは画像も多いし
記事も短いし、単語も難しいものをやたらと使う人が居ませんので手始めに
読むのに良いと思います。
58名無し三等兵:03/10/24 18:53 ID:???
54について
著者
不朽の自由作戦の際に前方展開したC-17部隊、第7遠征航空隊(EAS)の司令官
内容
これまでは戦域間輸送をC-5とC-141が、戦域内輸送をC-130が分担していた。
が、C-17には本国から前線の小規模かつ設備の整わない飛行場まで直接輸送する能力がある。
実際に不朽の自由作戦でそれを行い得た戦訓は以下の通り。(続く予定)

#ワシントン州の空軍基地が本拠であるとのこと フォートルイスから一番近い
軍飛行場である可能性があります。つまりストライカーのKPP(主要な性能要素)
の一つC-130による空輸がある程度緩和される見通しを抱かせる内容ではないかと
思わせます。
59対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/10/24 23:04 ID:???
と言っても、C-130かC-17かって話になると、空中給油機の手当からなんから
変ってきますからねぇ。
C-17の4〜5機も投じて、N1A2小隊(4輌)かストライカーMGS中隊(9輌)かって
言われてしまうと、かなり微妙になるんですね。
歩兵大隊の支援というカタチであれば、なおの事。
局所反撃能力に雲泥の差がありますから>MBTとMGS(M8軽戦車含む)
いっそロシアからBMD3でも。あれならC-130で十分(苦笑)

という戯れ言はともかく、フォース・エントリーというカタチでの論議が為される
のであれば、ロシア空挺との比較が興味深いですな。
60名無し三等兵:03/10/25 03:34 ID:???
>59
<ロシア空挺
OPFORを探してきて見ているところです。
空挺歩兵旅団の編成はこちらで
h ttp://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/100-63/Ch5.htm#s5

FM100-60が機甲部隊のOPFORになりますがざっとみたところ2S25がでてこないです。
2S9なら砲兵大隊に入っているのですけども。SBCTと同様の戦闘部隊と言う点では
空挺歩兵旅団(IFV)が該当するとみて間違いはないと思いますが。

<C-17とC-130の比較
C-130の場合、中継飛行場でC-17やC-5からの積み替えがあることになります。
また飛行速度がC-17に比して遅いこと、そしてC-130Jでないと能力が不足して
いるらしきこと(航空機について無知なので航続と搭載重量、最大離陸重量と燃料搭載量
などの関係が全くわからないため)などが問題となるかと。
また、C-17はC-130と比べて機数が少ないし調達価格も高価であることも、
高価で貴重な資産をどの程度の危険に晒すのかという問題があると思います。

<MGS
ストライカーMGSは歩兵突撃支援のみで対戦車はストライカーATGMに分けてます。
かといって両方安全にこなせるM1はSBCTの旅団支援大隊では支えられないでしょうし。
もともと、SBCTは上級部隊や展開先国からの支援をあてにしている節があります。
例えば、弾薬交付所のシムがあるのですが展開先国のトラックが弾薬を港から運ぶことを
前提にしてモデルを組み立てています。証拠としては弱いですが。
61名無し三等兵:03/10/25 12:05 ID:ELap7iFc
MGSの主砲は、DFSV(direct fire support vhiecle 直射支援車両)で使われて
いたものだったことを知りました。

M-8の前身であるAGSと同様に
第9自動車化師団に直射支援を提供する目的で競合開発されていた車両の一つで
能力が不十分だとして開発は打ち切られた車両の模様。
 画像はここにあります。
h ttp://www.mainbattletanks.czweb.org/Tanky/dfsv.htm
要目表の文字が読めませんが戦闘重量は19tでしょうか。

#”スティングレーを探せ”の巻頭写真解説集にスティングレー、M-8などと
並んで登場していたかどうか思い出せません。
62Lans ◆xuWpzOS65c :03/10/25 16:44 ID:???
MGS、やはり直接支援専門車両として運用予定ですか…

そうなると…本当にあの規模の長砲身105mm砲の必要はあるのでしょうか?
(低圧砲ではありますが…)
場合によっては、無反動砲とかでも良いような気もします。
106mm無反動砲+精密硬目標攻撃用の軽ATMの組み合わせとか(w

今度はオントスを自動装填付で再開発キボンヌとか言ってみるテスト(w

>M8
M-8が後継というのは承知しています。ですが…最大の問題は…

M-8は……かわいくないっ!(w
PAM!PAM!

うーん。ストライカーシリーズは基本的に好きなんですが…
なぜかシリーズ中でMGSだけ、気に入らないんですよねー

なぜだろ??
63名無し三等兵:03/10/25 18:55 ID:???
>62
<MGS
105mm砲の必要性については25mm機関砲では螺旋状に多数撃たないとコンクリに突入孔を
開けられないということがあるのだと思います。この点、105mmの榴弾ならばコンクリに
孔を開けかつ内部の鉄筋をも切ることができると見込んでいるのでしょう。
 また、フレシェット弾にも期待しているのだと思います。これは例えば
ソマリアのブラックホークダウンのような事態で、突撃してくる民兵の群れに
対抗することを考えているのだと思います。
 そして、同軸機銃の7.62mmよりもはるかに長い射程は対戦車火器を備えた
陣地を射程外から潰す能力を意味する為です。この点はジャベリンが2500m、
TOWが3750mなので微妙ですが、ともかくRPGよりは優ります。

反対派文書の言い方では、歩兵輸送車両に25mmを搭載しなかった代わりに
各中隊に3両ずつMGSを付けて火力を補う車両だと位置付けています。
実際に3両という編制では2両づつに分けて相互に支援しつつ躍進する、というよりは
3両一緒に市街地外を機動して有利な地形を占めつつ市街地内や市街地外縁の目標を
小隊で集中射撃する使い方となるのではないかと。
 つまり歩兵中隊長の意図のもと、長射程を生かして火力基盤を提供する
なんというか、自走歩兵砲なのだと思います。

<106mm無反動砲+軽ATM
ジャベリンの成績がイラク戦争で大部良かった為海兵隊のプレデター(短射程
対戦車ロケット)とLOSATは開発の雲行きが怪しいそうです。(ソースはstrategypage.com。
かつて82空挺は無反動砲をたしかに装備していたそうですし(ソースは失念)
可能性はあるのかもしれません。が、開発されているとの話はでてきていないです。
64名無し三等兵:03/10/25 20:17 ID:???
<SBCTは実際にどのような訓練をしているのか?
フルスペクトラムフォース(あらゆる形態の軍事力の行使を可能とする部隊)
とは言われていますが、MTW(主要な地域戦争)では既存の重編制師団と編合して
任務を遂行することになっています。
このフルスペクトラムというのは本当に幅が広いのです。
災害救援、人道支援、国内騒擾対応、対麻薬組織、対テロ
非戦闘員脱出、平和維持、平和執行と言った戦争以外の軍事作戦を広く含みます。

これから引用するソースは
h ttp://www.lewis.army.mil/123in/training/YTC02/123_in_regiment_strykers_at_ytc.htm
最初のSBCT化した旅団の第23歩兵連隊第1大隊のサイトです。

2002年7月14日〜8月9日にヤキマ演習場で行われた小隊外部評価演習の概要
目的 大隊の各小隊の戦闘能力の評価
時間表
7月14日に大隊の一部がストライカーの操縦訓練第2段階をヤキマで行う
7月22日 大隊本体が到着 各中隊は指定された地域で集合訓練 本部中隊はTOC(戦術作戦中心)を開設
1週間後、戦術作戦中心はヤキマ演習場内の多目的複合演習場に移動 通信を確立
65名無し三等兵:03/10/25 20:46 ID:???
各小隊の課せられた想定は3つ
1 MSR(主要補給線)の通っている道路にTCP(交通検問所)を設けて警備する
幹線道路の交通をさばきつつ、暴徒、狙撃といった突発事態に対応しなければならない
2 展開国の難民収容所を守る小隊陣地を確立する
難民役の市民を、敵歩兵の攻撃から守る 夜間に敵の侵透を防ぎ、収容所内部に
潜む敵に対応 ハイライトは小隊陣地全体への敵攻撃
3 敵の指揮通信結節点が近在するとの情報により、強襲による敵指揮本体破壊し通信能力を奪う
ストライカーは砂漠を前進し敵を奇襲し打撃 12.7mmや40mm擲弾銃で敵を制圧し
120mm迫や60mm迫が撤退する敵人員に降り注ぐ 下車歩兵が突撃を残存部隊に
行おうとしたときに反撃部隊が現れ対応を余儀なくされる
ハイライトは敵の増援が最後の反撃を行い、これをAT-4で破砕

#この後に中隊外部評価演習があると書かれています。そしてこの年は
ミレニアムチャレンジ02にも参加し、翌年には旅団全体がNTCとJRTC
(旅団全部が一度に演習できる、仮想敵部隊あり、前者は重師団向け、後者は
軽師団とPKO展開部隊向け)での演習となったわけです。

66名無し三等兵:03/10/25 22:01 ID:???
それでは旅団に与えられる任務の例としてはどういう感じだろうかというと
これもソースがあります。
h ttp://call.army.mil/products/newsltrs/01-18/appenda.htm
h ttp://call.army.mil/products/newsltrs/01-18/annexb.htm
h ttp://call.army.mil/products/newsltrs/01-18/annexa.htm
これはCALL(陸軍戦訓収集中心)の公式サイトです。ニュースレターを出しているの
ですがその補遺扱いとなっています。
67名無し三等兵:03/10/25 22:38 ID:???
1 訓練想定
展開先国の要請により多国籍軍の一部を構成する第1IBCTがジブチ港に
展開してD+2である。CENTCOMとJFLCはエチオピア国境で増大する軍隊の移動に
関心を寄せている。 Meles' Tigray Peoples' Liberation Front (TPLF)は
ジブチ内の全主要都市で一連のテロ活動を行っている。このためジブチ全域は不穏な状態
が発生している。状況見積もりによると、TPLFはバブアンデルマブ海峡、紅海と
スエズ運河の入り口にあたる戦略要衝の制圧のためジブチの支配を企図している。
テロ組織は、米軍のインド洋へのアクセスを抑え、OPECの石油輸出を人質にし、
同海峡を通過しての石油輸出を阻むことができるようになる。
 
ジブチ首都から北部と東部に通じる道路は135000人のジブチ避難民で渋滞。
IBCTは現在、ジブチ空港近くの集合地域に展開。大隊は
平和執行作戦の一環として24時間内に接敵前進せよとの準備命令を受けた。
非デジタル化のサウジアラビア機械化歩兵中隊1個が大隊の作戦統制下に置かれている。
JFLCCが旅団にこの命令を発したのはH+48時間(D+2)。
JFLCCの意図は速やかに国境を回復し作戦域で敵対するTPLF部隊を撃滅すること。
IBCT司令官は大隊指揮所への移動途上にあり、あなたの立案する作戦説明を求めている。

サウジアラビア機械化歩兵中隊は113名 最近SINCGARSを支給されたがシングルモードで
でしか使用していない。連絡将校が2名大隊指揮所にいる。一人はジブチ防衛国軍将校、
一人はサウジ将校。サウジの中隊は集合地域への行軍途上にある。
68名無し三等兵:03/10/25 23:28 ID:???
2 生徒への課題事項
それぞれの班で、旅団司令官に説明する作戦概要と作戦図を作成せよ。
全員に方策と方法について説明する準備を整え、他班の方策について賛否を論じよ。
説明に当っては以下の項目に留意すべきだが、以下の項目に限定するものではない。

a この種の任務に適した機動計画と戦術上の必要項目を解明し、あなたの作戦に
必要な任務編制、支援編制を明らかにせよ
b この場合の任務達成とはどのようなものを指すか
c 任務の達成のために警備すべき主要な施設は何か、また受け入れ国や展開先国に求めるべき
要請は、もしあるとすれば何か
d 任務に使える期間は、取りうる行動に影響を与えるか
e 大隊付連絡将校をどのように用いるか
f 任務編成はどうするか、サウジアラビア機械化歩兵中隊(SMARC)をどう使うか
g 大隊はどのように機動するか、また戦術隊形はどうするか
h 計画と実行におよそ24時間が与えられている。時間をどう配分するか
SMARCをどのように戦闘訓練と予行演習に組み込むか
i 作戦はどのように戦闘空間を形成し、決定的な作戦の為の状況を整えるか
j 町を確実に抑えるか、それとも将来の国境での作戦に備えるか
K 技術的優越の獲得と敵の拘束にどんな装備を用いるか
l 接敵前進は大隊標準作戦手続に則しているか
m どのような致死性、非致死性効果を大隊は行使できるか、どのように調整し
どのように決定的な作戦の為の状況を整えるのに使われるか
o どのように目標捕捉を実行するか
p RSTA(遠隔捜索目標捕捉)大隊は目標探知、評価段階でどのように支援できるか
 
69名無し三等兵:03/10/25 23:59 ID:???
JFLCCの準備命令抜粋

1 最新情報
TPLFの準軍事組織がエチオピア国境を越境しジブチに侵入。
Yobokiの北西20kmでエチオピア国境からは35km〜40kmの地点に敵1個大隊有り。
敵のもっとも取り得る行動は、山岳部に居続けてMSR(主要補給ルート)で部隊を
伏撃し、枢要施設にテロ攻撃を続行するというもの。準軍事組織はIBCT司令部のある
キャンプジブチに戻るIBCTの車列に攻撃することが続いている。港ではテロ攻撃が増加。
本日、Yobuki付近でUAV1機が携帯式SAMまたは小火器により撃墜された。

2 友軍
共同部隊Tadourjaは、CH-46シースタリオン4機、ブラックホーク10機、AH-64 4機を
旅団の機動とジブチの港湾からの補給支援に提供する。
海軍任務部隊は、艦砲、ハリアーを提供、また、航空戦術作戦サイクルによりF-15の支援あり。

3 任務
IBCT第1大隊は、命令あり次第、接敵前進し目標Yobokiを確保し、TPLFの北からの
侵透ルートを封鎖せよ。途上で作戦域内のTPLF部隊を捕捉し、撃滅せよ。
命令あり次第、作戦域内のCENTCOMの平和執行部隊とジブチ行政の治安回復と
人道支援活動を増援、支援せよ。

4 任務の配分
a IBCT第1大隊は目標Yubukiを確保し、以降の作戦に備えよ。
b IBCT第2大隊は目標Dikhilを確保し、以降の作戦に備えよ。
c IBCT第3大隊は初期はIBCT予備である、命令あり次第、第1大隊に代わり任務を遂行せよ
d RSTA大隊はIBCTが機動する左側面を遮蔽せよ。

#以上です。
JFLCC joint force land component commander で統合軍地上部隊司令官
CENTCOMは米軍中央軍司令部 中近東、アフガニスタン、アフリカ等が担任地域
OPECは石油輸出国機構のこと
70名無し三等兵:03/10/26 00:55 ID:???
>66〜69について
これはIBCT全体がまとまって投入される話であり、現在の動向をみていると
特に空輸で緊急展開の場合は一部のみ他部隊と編合して投入されるのではないかと
思わせることあたりがまず問題です。
 また、戦力投射の話は重師団と編合して自動車化軽歩兵として機動するような
ことはなくて、政治状況に応じて手軽に遠隔内陸地に展開できる能力の確保という
点からみられるあたりも問題です。

#冷戦後の戦力投射ということだったらば、米軽師団の戦力、特に打撃力向上に
ついてもみなくてはならないと今気付きました。
71名無し三等兵:03/10/27 06:33 ID:???
<SBCT歩兵大隊への歩兵支援について
中隊のみで72時間独立して任務遂行することを規定しているところがあり、
大隊レベルでみるべきなのか、中隊レベルでみるべきなのかが良く分かりません。
中隊レベルで迫撃砲班と狙撃班とMGS小隊があり、一応諸兵科連合部隊として
編成されているのですが。

<市街戦での歩兵支援について
SBCT関連のFMが書かれたのと同時期に書かれているFMはそれぞれ強い関連性があるようです。
FM3-06.11
h ttp://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-06-11/toc.htm
このFMでは、作戦間の移行、平和維持作戦から他の作戦への移行は急速に起こりうると
述べています。また、市街戦は大量の歩兵が分散的に戦闘するのだが、諸兵科連合は有効であるとも
述べています。

#戦車に代表される重と軽歩兵に代表される軽との協同運用は市街などの錯雑地形での
統合としてよく見かけます。
#戦力投射の話については、例えば南米やカリブ海と中央アジアで従来は異なる姿勢を
米はとっているだろうとしか現在知らぬためいろいろと調べないと不明です。
72名無し三等兵:03/10/28 12:29 ID:???
FM3-06.11について
はっきりとはしないながらも、旅団と大隊情報参謀と中隊長の話が
多く出て来るのが印象的です。攻撃作戦と防御作戦の章では大隊の行うそれぞれも
論じられているのですが、その以前の章、特に作戦地域の分析の話などでは
大隊長の行う状況分析などの話が出てきません。
 また、第1章で論じている非線形的、非連続的、同時進行的作戦と
移行の重要性と、以降の章で論じられている内容の関連がいまだ明らかでないです。
これは従来の線形的作戦を論じたFMをみないと分からないのですがちと探せません。

#改訂される前のヴァージョンは電子公開されないことのほうが多いようです。
最近、ジョイントドクトリンの番号の振り方と一致させる為、前の版と今の版が
ともに公開されているなどということがありますけども。
73名無し三等兵:03/10/29 10:34 ID:???
>72
旅団-中隊という図式を頭に置いて読むのはちと誤りだったかも。
IBCTの中隊は独立して運用しうる、という注釈がいきなり本文中に
出て来るもので予断を持ってしまいました。
3章に入ると今度は分隊レベルの戦闘技術の話になりました。
影を晒さない、開口部は足元にもある、通りを横断するときは向い側を良く見て
最短距離で遮蔽物から遮蔽物へ渡ることというような話です。

<中隊長のする分析
大雑把に纏めると目標のある地域の建物群をそれぞれ個別に見て
建物の開口部を見て制圧すべき窓などを頭に入れ、また建物の強度、内部壁の強度や
構造を予測し内部での制圧の手順を考えるなどの内容だと思います。
74Lans ◆xuWpzOS65c :03/10/30 01:51 ID:???
そういえば、もうすぐ11月ですね。
そろそろSBCTのイラク派遣の実施が近づいてきてます。

さて、今回の機動は

1)本来の想定実証もかねて一斉短時間空輸に挑戦してくれるのか?
2)従来のような装備は海上、人員は空輸なのか?
3)もっと普通に、海上分波輸送なのか?

ぜひ、1)を実証して、世間をあっと言わせてみてもらいたいものです。
(まあ、それで緊急輸送の問題点の改めて洗い出せるでしょうし)

韓国では1個小隊規模でしたが、
今度こそ、やってくれるかな? わく(・∀・)わく
75名無し三等兵:03/10/30 09:38 ID:???
>74
こちらも空輸を期待しておりました。
が、残念ながら2番の海輸+人員空輸だったようです。
LMSR(大型中速RoRo船)2隻でタコマ港にて重装備を搭載、
人員は航空機で運ぶという手段だったようです。
要するに、通常の部隊回転の一環であり、緊急性は低いということだと思います。

普段、空軍のC-17は何を運んでいるのかということも未だ知らないです。
世界各地に補給物資(パーツ、その他)を定期便で回しているのかも。
前方展開は欧州では冷戦後規模縮小されていますが、東アジアは変わらずで、
演習などで部隊が実働することもありますし。
76名無し三等兵:03/10/30 12:34 ID:???
FM3−06.11の目次
都市地形における諸兵科連合作戦
h ttp://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/fm/3-06-11/toc.htm
第1章 導入
1概説
定義 全スペクトラム作戦、都市戦の概念 戦術上の課題 都市地域の重要性
都市作戦の基礎 都市作戦の特徴 都市戦闘空間 
2個別考慮事項
武器使用上の考慮 目標との交戦 弾薬と装備 非戦闘員 疾病予防 ストレス
誤射回避 状況認識 メディア 不発弾

#これが第1章の目次です。特に概説の方は色々と面白いかも。
77Lans ◆xuWpzOS65c :03/10/31 00:48 ID:???
ぬー、通常輸送でつか・・・
期待してたのになぁ

でも、一度はやらないと、内包された問題点が
なかなか見えてこないですからね・・・

それとも、編成が進まずに批判が横行する昨今
下手に問題がばれないように、わざと避けてるのかも(w
78名無し三等兵:03/10/31 12:53 ID:???
>77
<空輸のテスト
旅団全てが一度に投入される機会がこの先あるのだろうかという問題もありますね。
主要な戦域戦争はその後の維持支援作戦が陸軍全体に重荷を課すということが
イラク戦争で明らかとなったかと思いますし。これは些か最近のメディアの影響を
受けすぎてはいますし、一つには師団削減の動きを封じようとする、あわよくば
師団増設へつなげるキャンペーンに乗せられている見方かもしれませんけども。
 FAで出てきた話でも、GSTFとあわせてフォースエントリーをするという話でも
旅団全体を一度に送り込むのではなくて必要に応じて部隊を抽出して任務部隊を
編成して用いるという形になっています。
 SBCT自体の編成についても、軽歩兵大隊に1個変える案や、2個歩兵大隊とする案などが
あったと書いている論文がありました。
 SBCT自体への一番鋭い批判はMR(ミリタリーレビュー)の2002年5月・6月号
(隔月刊行)に載せられていたごく短い記事だと思います。
この記事をみていると、第9自動車化師団が失敗したときからずっと批判勢力は存在したのでは
ないかと思えます。

<部隊改編の速度
1SBCTの情報と3SBCTの情報がごく少数ならばでてくるのですが2SBCTについては
あまり出てきてないような気がします。これは特に調べていないということもあるのですが。
3SBCTの話では演習場の地形改良の話を扱ったPPTがありました。

#歩兵雑誌に、SBCTの小隊編成で武器分隊に分隊長が置かれている
理由の説明となるような文が出ていました。機関銃組を小隊機動にあわせて配置して
撃つには、小隊長が全て指揮するのではなく分隊長が必要になるという話でした。
79名無し三等兵:03/10/31 15:55 ID:???
SBCTの補給面についての論文を見つけました。これは読んでいる最中。
まず、SBCTについてはシンセキのAUSAの昼食会での演説での構想発表
続いてJV2010とJV2020があったと指摘。
SBCTなどのRMAを支えるのはRML(軍事補給上の革命)だという話に続いて
CSS Reachの掲げる目標とは
・迅速に危機に対応でき、移動途上にある資産でも追跡し振り替えることができ、
要求に合わせた補給パッケージを運べ、戦略的、作戦的、戦術的作戦を維持できること
を可能とする情報、補給、輸送技術の融合
・ますます分散化し機動する部隊の要求に完全に適合して支援を、
週ではなく、時間または日で与える
・将来の統合軍がより機動的、より広汎に、世界のいかなる所からでも投射される
ことを可能とする
・過去の固定的かつ垂直的組織からの移行に際して情報技術を組み入れる
・要求に合わせた戦務支援パッケージを活用する
・軍、防衛官庁、必要に応じて民間部門と共同して活動し統合する、これにより
先進的な企業の手法や、商業経済、世界的ネットワークを活用する
これをどう実現するかというと
・情報技術の活用 ・DoDと産業界とともに協働し調整する ・迅速で信頼性のある輸送の活用

#論文はSBCTに留まらずオブジェクティブフォースの補給についても
視界に入れてる模様。また、結論は論文冒頭にでてきてまして予備部品の補給に
ついて特に批判しているとのこと。

80名無し三等兵:03/10/31 16:09 ID:???
CSS Reachの定義 
FM3-0(2001年6月)では
戦務支援リーチ作戦とは、産業基盤から戦場の兵士に至る全てのCSS資産と能力の作戦的配置と有効な利用
をも意味する。また、部隊司令官が作戦リーチを延伸し、休止せずに同時に部隊を展開し使用することを可能とする。
CSSリーチ作戦は作戦技術と科学を作戦可能要素へと統合する。作戦地域に展開するCSS部隊を最低限必要なものに
限定し、かつ、あらゆる利用可能な支援源への接続を確立し十分に活用することでCSS負荷を最小とする。
CSSリーチ作戦は、暫定的展開基地の使用、前方展開基地、陸軍事前集積物資、米国本土資源の使用も意味する。
CSSリーチ作戦は分散に基盤を置くモジュール的作戦を資本とする。事後の維持に
おいてはあらゆる利用可能な支援源を最大限活用する。
81名無し三等兵:03/10/31 16:19 ID:???
FM4-0/100-10 CSS Support(2001年8月22日 最終草案)での定義
CSSリーチ作戦とは、作戦地域に最小限の陸軍CSS部隊を展開し、あらゆる利用可能な
支援源への接続を確立し十分に活用することをいう。
CSSリーチ作戦は通常の支援関係を利用するほか、契約業者、展開先国、他軍種、多国籍
同盟軍、作戦地域の非政府組織からの利用可能な支援を得るためあらゆる方面へと手を伸ばす。
82名無し三等兵:03/10/31 16:39 ID:???
IBCT O&Oでのリーチバックの定義
多くの編制内に含まれぬ資源を活用して、付与された任務を遂行するIBCTの能力のこと。
IBCTは普段から計画的に、射撃/効果、諜報及び情報、計画及び分析、部隊保全、維持の
5つの分野において戦力倍増素および維持倍増素としてリーチバックを行う。
リーチバックのおかげでIBCTは付与された任務を遂行する能力を損なうことなく
作戦地域における負荷を軽減できる。また、IBCTの作戦上の敏捷性を増大させ、
部隊保全の必要を軽減する。リーチバックは主として師団を経由して実行されるが
そうすることが賢明でありまた効率的でありる場合にはARFOR(army force 陸軍)は
IBCTと資源供給者との間に直接の接続を許可する。

#一番初めの定義の訳は我ながら酷いですね。一番下でも何を言っているのか
よく分かりません。そもそもBSB(旅団支援大隊)の中身を良く知らなかったり。
陸軍補給部隊という雑誌を良く読まないとだめかも。
83名無し三等兵:03/11/02 11:33 ID:???
補給について書かれた論文は、用語の定義を引いてきて実例をのせないまま
議論が進行するので苦戦しております。というか転進。産業界でのサプライドチェーン
マネジメントや、ジャストインタイムの話を知っていると面白そうなのですけども。
その間、GSTF(地球打撃任務部隊)とSBCTにつながる記事がFAの2003年7月・8月号に
出ていました。
 筆者の一人は第9自動車化師団で連絡将校を務めたことがあり、現在、SBCTで
また連絡将校的なことをしている空軍大佐。もう一人がGSTF+SBCT切片の話で
登場した空軍将官です。
 TACP(前線航空統制部隊 terminal air control party)にもストライカー装備の
必要性があること、ネリス空軍基地の航空戦争センターの空地学校の設立と
軍種間での戦闘航空統制員に関する統合基準の必要性、BAO(battlefield air operation)
という概念の紹介、特殊作戦部隊の航空作戦への統合などについて書いています。

#SFなどの少数の地上部隊、或いは全く地上部隊がいない状態での航空作戦について
新たな教義が統合司令官に必要だと言う話もしています。が、この記事も先の論文も
あちらこちらに配慮しながら筆を進めて、言いたいことを最後に出すような節があって要約しにくいです。
84名無し三等兵:03/11/03 04:04 ID:???
Third Infantry Division (Mechanized) After Action Report
h ttp://www.carson.army.mil/Moblas/NBC/3rdIDAARIraqJuly03.pdf
を見つけました。都市環境での機械化部隊
受け入れ、前方移動、展開、統合と陸軍事前集積について
それぞれ1章割いています。

#公的使用に限るとあるのだけどもググルられるとこに置いてあります。
AKO(陸軍のイントラネットみたいなもの)の向こうに置いとかないのは
何故だろう。
#見つけられたのはイラク国防相スレのおかげ。
85海の人 ◆STEELmK8LQ :03/11/03 09:29 ID:???
>84
 陸海空問わず、日本だと資料を公開すると、すぐにねじ曲げて政治的に利用しようとする
キチガイがひしめいているので公開できないんですよ。
 かの国の資料公開のあり方が民主主義国家の本来の形であるのはわかってるんですけどね。
 たぶん、日本という国は国民自身が民主主義を拒否してるんだと思う。
86名無し三等兵:03/11/03 15:49 ID:???
>85
情報公開のあり方についてはAKOはとても有り難いです。ググルは強力すぎて
企業の内部情報が検索できたりしてしまうのがこまりものなためです。
この場合はNYタイムズの記事に出てきてそれでも見えるところにおいてあるので
みても良いかなぁと思いますけども。
自衛隊の教範などについてはとても読みたいですけども、情報公開すると
国防が立ち行かない可能性があるのでは仕方がないのかもと思います。
 でも一昔前は市街戦の訓練自体が禁忌だったことを考えると、国民の意識も
変化しているのかもしれないとも思います。

シアトルタイムスに来週の半ばから12日間掛けて1SBCTと1000名の支援部隊が
マコード空軍基地から出発するという記事が10月31日付けで出ました。

#LAV-25を選んでおけば、先に展開した海兵隊の装備を受け継いで
また、海兵隊の事前集積装備を使用して展開できると思うのですが、
LAV-Vを選ぶ当りが軍種の違いによる仕様の違いなのかも。
ストライカーは浮航性がないというのも反対文書では指摘されていました。
87名無し三等兵:03/11/04 21:00 ID:???
「灰色の領域:強制外交と段階的拡大」をやっと読み終わりました。
米海軍の”toward ....from the sea"を参照して段階的拡大を求める政治の
要求に応じた戦略と教義の確立を訴えたものです。

#コソボのクラーク司令官についていろいろ書いているところがあるので
そこいらの話は時節柄微妙なのかもしれません。クラーク氏の出馬表明は
この論文が書かれた以降ですけども。
で、これが何でストライカーに関係するかというと、フルスペクトラム
(全様相)対応と言う点で空軍と陸軍の教義がいまだ不足な点があると
述べているためです。
 もう一つ面白い点はカナダ軍将校が書いた論文だと言う点です。
88名無し三等兵:03/11/05 01:03 ID:???
United Defense Unveils Thunderbolt 120mm Demonstrator
h ttp://www.uniteddefense.com/pr/pr_20031006c.htm
M8AGSに120mm砲を搭載した技術実証車両をUDIが陸軍協会の年次総会で公開
・主砲は自動装填
・電気駆動hybrid electric propulsion system
・履帯はadvanced band track system
・砲塔は全周14.5mm堪弾、正面は30mm堪弾
・車体は20t級
89名無し三等兵:03/11/05 13:21 ID:???
40であげた、代理陸軍の話も読み終えました。87にあげたコソボの事例がこちらでも
扱われています。代理陸軍を統合軍と共同させることはこれまで関与しなかった領域へも
戦力を投射できる可能性を開かせる一方で、代理陸軍は独自の勢力であり、その行動を
米国の国益に沿うものにするには努力が必要であるとも述べています。

#もともと統合参謀議長杯の入選論文なので各軍種を見渡して戦略の話をする
という趣旨のものなのです。JV2010とかJV2020などやFM3-0がよく引用されてます。
JV2010やJV2020については統合軍司令部というのが1999年10月に創設されたそうで
そのサイトで見ることが出来ます。

h ttp://www.dtic.mil/jointvision/index.html
こちらがそのサイトです。

#88の履帯はたぶんゴム履帯を意味しているのかも。電気駆動で静粛行動を4マイルできる
とも書いてますので、サンシャモン戦車の子孫と言えなくも無いのかも。
90名無し三等兵:03/11/07 00:17 ID:???
ストライカー旅団戦闘団のニュースが纏めて追えるサイト
h ttp://www-tradoc.army.mil/pao/Web_specials/Transformation/Transformationarchives.htm
10月22日にフォートルイスを統合本部議長が訪れ自らストライカーを20分に
渡り操縦したという話が出ています。M113との比較をする話も別記事であります。

#ここでも2SBCTの話が不明です。旅団の公式サイトを見てみるべきかも。
はじめから探すべきと言う話もありますが。
また、マコード空軍基地から航空機でイラクへ移動しているはずなのですが
そのニュースはないです。

National Guard brigade ordered to serve in Iraq
h ttp://archives.seattletimes.nwsource.com/cgi-bin/texis.cgi/web/vortex/display?slug=guardiraq31m&date=20031031&query=stryker
ワシントン州兵第81機甲旅団(独立)、イラク展開へ
・旅団の人員は11月15日にフォートルイスに出頭 ワシントン州とカリフォルニア州で訓練後
イラク展開

#州兵にはそれぞれ訓練を密接にしている現役部隊がいると思うのですが
この旅団は1SBCTが相手だった可能性も。第2次世界大戦後初の大規模な展開だと
書かれています。また、重装備をイラクへ持っていくことになるだろうとも
書かれています。

#サンダーボルトについてはG2MILの反応を見ようかと思います。
91名無し三等兵:03/11/07 12:10 ID:???
G2MILではサンダーボルトについて言及していない模様です。
h ttp://www.g2mil.com/Nov2003.htm
現役の軍団砲兵旅団4個を閉隊し米本土と欧州に1個ずつ歩兵師団を創設せよと主張しています。
目的 イラク占領での歩兵任務に当てる
背景 現役でイラク展開せずに冷戦時の任務に備えているものが居る一方で
州兵と予備役に動員が掛けられていることについての州兵の不満
軍団砲兵を削減する理由
・師団砲兵旅団が現役師団それぞれにあり強力であること
・火力の発揮には航空戦力のほうが補給段列を要する砲兵旅団より
も機動力に富み適切であること
・軍団司令部は必要に応じて師団間で砲兵を融通することができること
・州兵にも16個砲兵旅団があること 実際に第1軍団は州兵砲兵旅団を軍団砲兵としている
人的資源
・4個砲兵旅団の人員+ROTECの廃止による2千人+欧州の第7軍団の基地、支援要員の3分の1
第5歩兵師団の開隊過程
フォートシルの第3軍団4個砲兵旅団のうち3個を閉隊 1個は師団砲兵として存続
フォートフッドの支援が見込まれる
第8歩兵師団の開隊過程
第1機甲師団がドイツから1年のイラク展開後本土帰還するので
そのあとの施設と第7軍団の訓練能力を活用 欧州の基地要員と第7軍団の支援部隊の3分の1を
組み入れる

新に人員規模を拡大して師団2個を創設する場合との比較
・師団ができるのは2年以上先でありその頃にはイラクの問題は終わっている
・3万の新たな人員を募集し、訓練し、行政事務を行うのに5万人を要するので
結果として8万人が必要となること
92名無し三等兵:03/11/07 13:00 ID:???
1-25 Stryker Brigade Combat Team の公式サイト
h ttp://www.lewis.army.mil/sbct-2/main.htm
旅団長は歩兵将校で、主に第25歩兵師団で幾つかポストを経験。
国家戦争大学卒業後旅団長として戻ってきた人。
MRの2003年5月6月号に寄稿が掲載されています。共著者は同旅団の
brigade sergent majorだから旅団最先任曹長です。

#2SBCTではなくて、SBCT-2が正しい名称ということが判明。
93名無し三等兵:03/11/07 21:44 ID:???
strategypageにてストライカー関係の議論が盛んに行われていることが分かりました。
そこで引用されていたサイトが
www.sfu.ca/casr/101.htm です。カナダ軍の装備について詳しいページです。
カナダ軍はM113、MTVL、LAV-T、LAV-U、LAV-Vを使っているのでこの点では
装輪と装軌について一日の長があるはずという話でした。
94名無し三等兵:03/11/08 00:41 ID:???
>91 関連で砲兵についていろいろ書いている資料です。
h ttp://sill-www.army.mil/FA/Boards/2003%20SFC%20Promotion%20Board.pdf
軍団砲兵と砲兵旅団とは別扱いで書いている表があります。

#よく分からなくなってきました。
95名無し三等兵:03/11/08 18:01 ID:???
THE ARMY AT WAR AND TRANSFORMING
h ttp://www.army.mil/features/aaw/index.html
というストリーミングに2番目に出て来る人がSBCT-2の旅団長です。
窓が小さいので文字は良く読めませんが。

こちらの音声記録の文字化で確認できます。
h ttp://www.army.mil/features/aaw/AAW%20As%20Recorded.rtf

#AUSAの会合というのは陸軍の方向を全体に告げる機会として利用されるもの
らしいです。シンセキ前陸軍参謀長がIBCTを打ち出したのも1999年10月のAUSA昼食会
今度のシューメーカー陸軍参謀長がour army at war relevant and readyを
打ち出したのもAUSAであるためそう考えます。11月の軍事研究の短信欄では
どう扱われるのか知りたいです。
96名無し三等兵:03/11/08 18:35 ID:???
our army at war relevant and readyの私訳

我々の陸軍は戦争にあり、その勢力のほぼ50%は戦闘に従事している。
予見しうる将来においても我々はこのままであるであろう。

我々の陸軍は国家と市民にプロとして奉仕する統合軍の誇りある一員であり
新たな目標へと努力し運用を改善し続ける。

我々の兵士、彼らの訓練、準備、福祉は我々のすべきことの中心である。

我々個々人の又組織の義務と任務に対する態度は戦争にある陸軍にふさわしい
真摯さと喫緊事であるという意識を反映していなければならない。
我々の兵士と国家はこの態度にこそふさわしい。

我々は戦争にある。

#とても短いです。で、SBCTが盛んにでてくる上のストリーミングとこの宣言が
どう結びつくのかということですが、ここが不明です。
97名無し三等兵:03/11/08 19:28 ID:???
>95続き 作成は2003年2月22日
登場する人物のほとんどはSBCT−1かSBCT-2の兵士や士官に歩兵学校の士官です。

#作成日時はトランスクリプトの記載によります。シューメーカー就任前
NTCとJRTCでのSBCT-1の演習前の時期ということになります。
掲載開始日時は不明です。このページは殆ど見たことがありませんでした。
#あともう少しで100レス達成。
98名無し三等兵:03/11/08 20:47 ID:???
>95訂正
音声では2番目に登場する人物です。数人のちには画像に顔を出して
agile leadershipという話をする人物もそうです。ついでだから登場人物をトランススクリプト
の順に肩書きを見てみると(二度目以降の登場は書かないで置きます)
米国大統領 SBCT−2旅団長 歩兵学校諸兵科連合戦術部長?(dir) 
歩兵学校第二十九歩兵連隊第2大隊B中隊スタッフサージェント
第75レンジャー連隊第1大隊スタッフサージェント(2002年アフガニスタンにて)
SBCT-2 第24歩兵連隊第1大隊 作戦補助下士官 SFC
SBCT-1 第14騎兵連隊第1大隊(RSTR)大隊長
SBCT-2旅団長
SBCT-1 第24歩兵連隊第2大隊A中隊分隊長 スタッフサージェント
歩兵学校G-3大佐
TRADOC DepCG for Transformation准将 (改革担当総司令官付副司令官?)
SBCT-1 第14騎兵連隊第1大隊(RSTR)G−3少佐
SBCT-1 第14騎兵連隊第1大隊(RSTR)副S-2 CW2
SBCT-1旅団長
PEO 兵士 大佐
TADOC システムマネージャー 兵士システム SGM(曹長?) 
PEO 戦術ミサイル 准将
歩兵学校 第11歩兵連隊第1大隊 本部及び本部中隊 PFC
歩兵学校 第29歩兵連隊第2大隊B中隊 スタッフサージェント

#PFC、SSG、RSTRなど階級の略語がちと謎です。
RSTRについてはRSTAの誤記だと思います。
99名無し三等兵:03/11/09 09:30 ID:???
98続き
陸軍の兵、下士官の階級はこちら
h ttps://www-perscom.army.mil/tagd/tioh/Rank%20page/Enlisted%20Rank%20Insignia.htm
SSGは軍曹とSFCの間
PFCとはプライベート ファースト クラスなので直訳では一等兵
SFCとはサージャント ファースト クラスなので直訳では一等軍曹
CW2とはチーフ ワラント オフィサー2なので2等准尉?
PEOとは プロジェクト エヴァリュエーション オーガニゼーション 計画評価部?
DepCGとはデピュイ コマンド ジェネラル?

#大体上記のような感じです。
100名無し三等兵:03/11/10 01:19 ID:???
GAOのIBCTについての報告書を読んだのですが
BCC(旅団連絡班)という組織が作られて軍内での調整に機能を発揮した
という話が出ていました。また、MGSについては2002年5月の時点で
SBCT-1が初期作戦能力を獲得するまでに配備されないのが見積もられていたことも
書かれていました。

#めでたく100レス。GAOの報告書は繰り返しが多いけども読みやすいです。
部分を引用されて論拠とされるのに備えた作りなのだろうか。
F/A-22とF-35と新型軽量砲に空軍の給油機リースの話、それから人事の話なども
盛んに報告書が出されているようです。
101名無し三等兵:03/11/10 10:11 ID:???
SBCTについての公式情報 サイトがアローヘッドライトニング演習
(NTCとJRTCでの旅団演習)一色から衣替えして毎週新たなニュースが
でることに。
h ttp://www.lewis.army.mil/transformation/news/news.asp

DepCGとはデピュイ コマンデイング ジェネラル
ということが判明。副司令官というとこでしょうか。フォートルイスから
南方軍司令官に転出とのことです。
102名無し三等兵:03/11/10 12:05 ID:???
>101 訂正
これは従来のCERTEXについてのサイトとは別立てであることが判明
h ttp://www.lewis.army.mil/Arrowheadlightning/

BCC(brigade cordination cell)についてはADA401438を半ばまで読むと
重要な役割を果たしていたことが分かりました。

#road to IOC と IBCT O&Oが再三出て来る話です。前者はPPTですが未見。
まだネットにあるでしょうか。
103Lans ◆xuWpzOS65c :03/11/11 00:00 ID:???
100スレおめでとうございます。




実は、100を横からゲットしようと思ったけど
必死の自制心で耐えたのは秘密でつ(w

(つーことで、ほぼ毎日チェックしてまつ。油断は禁物でつよ)
104名無し三等兵:03/11/11 10:18 ID:???
>103 有難う御座います。専有スレではございませんでこれからもどしどし
書き込んでくださると嬉しいです。

United Defense LP, B-286925.3; B-286925.4; B-286925.5, April 9, 2001
h ttp://www.ogc.doc.gov/ogc/contracts/cld/rd/gao/2001/B-2869255.html
ユナイテッドデフェンスがGM/GDLSによるIAV(暫定装甲車両)受注に抗議した件に
ついての決定 却下された理由が書かれています。

#選考、契約の過程が書かれているので面白いです。

IOC獲得までの流れを追った論文ではSBCT-1の3番目の歩兵大隊は改編ではなく
新設だったことが書かれていました。SBCTの編成案には歩兵大隊を2個とする案も
あったということの背景になるかもしれません。
 その他、旅団内のハマーの装備数の参考になりそうな話がでているところも
ありました。引用されている資料はroad to IOCです。
 また、既存部隊との編合に際しては支障が大きいという話があり、
旅団の上に師団を作ることも検討されているという話がGAOの報告書に出ていました。
これはほかでは見ていない話です。
105名無し三等兵:03/11/11 19:30 ID:???
An Agenda for Peace
Preventive diplomacy,
peacemaking and peace-keeping
h ttp://www.un.org/Docs/SG/agpeace.html
アフガニスタン 国連和平活動と地域紛争
という本で予防外交、平和創成、平和維持、紛争後の平和再建の4つの局面に
紛争処理の段階をわけその有機的連関を強調した文書だと紹介されています。

#国連のPKOも冷戦後に大きく変化したという見方をしている点で
米陸軍の戦力投射が冷戦後大きな課題になったという見方と一致する点があります。
また全様相(フルスペクトラム)に対応する能力という話はこれと共通する性質が
あると言えそうです。でも、第9自動車化師団は1980年代だったわけで
さらに遡って理論の先祖探しをする必要はあるでしょうけども。戦力投射とSSC
(小規模紛争)への対応の話が出て来るのがいつ頃だろうかということになりそうです。
106名無し三等兵:03/11/11 22:44 ID:???
◎Canada to buy Strykers and phase out Leopards
h ttp://www.kojii.net/jdw/jdw031105.html
カナダ軍はレオパルト1A5 114両を退役させ、MGSを66両2006年〜2009年に購入する予定
36両〜40両で3個機甲中隊を形成、残りは作戦予備に

LAV III (Light Armoured Vehicle)
h ttp://www.army.forces.gc.ca/LF/English/2_0_48_1.asp?uSubSection=48&uSection=1
25mmチェインガンと同軸7.62m機銃を装備した砲塔
派生型の内訳
歩兵班輸送車両313両 指揮車両181両 TOW車両71両 砲兵観測車47両 工兵車39両

カナダの掲示板でも論議されています。10月31日の記事全文引用有り
h ttp://army.ca/cgi-bin/ultimatebb.cgi?ubb=get_topic;f=19;t=000084;p=0

Commander speaks about Army Transformation
h ttp://www.army.forces.gc.ca/LF/English/6_1_1.asp?id=64
・戦略展開性のある直射火力を一つのシステム、一つの車体で実現するシステムである
107Lans ◆xuWpzOS65c :03/11/12 00:07 ID:???
>104
おお、ストライカー師団ですか?
以前は、あくまで旅団編成として
師団は編成しないとか言ってたような記憶があります。米軍

しかし、ストライカー旅団だけで師団を組むのでしょうかね…

バランスを考えれば

3個旅団中の1個旅団は
戦車大隊x1、機械化歩兵大隊x2を中核にした
重装備旅団にして欲しい気がします。
(当然、M1&M2装備旅団)

この重旅団x1、ストライカー旅団x2、航空旅団x1、機甲騎兵大隊x1
あたりを基幹とするとバランスよさそう。

ストライカーを先遣とし、派遣地域を確保、その後主力の到着後、
機甲騎兵が先導し重旅団が最終的な攻撃戦力として機能な感じで(萌

こんなのキボンヌ
108名無し三等兵:03/11/12 01:43 ID:???
<ストライカー師団というかinterim divisionと呼ばれています。
GAO-02-442の7ページ目に出て来る話です。

主要地域戦争においては、IBCTは師団または軍団の下の列線部隊として戦闘する。
任務に応じた戦闘能力として、機甲、航空、対空部隊が旅団に配属されるだろう。
一方で陸軍はIBCTを列線部隊とする暫定師団を作ることも検討している。
というのは、分析によってはIBCTを既存の歩兵師団や機甲師団に配属することは
これらが十全に能力を発揮し戦闘遂行する妨げになるとするものもあるため。

というような話が出ていた時期もあることが分かります。結局IBCTの上に
編成するということはなかったわけですけどもここいらはGAOのこの報告書で
存在を知ったばかりなので。

#でもそんなこと言ってたら海兵隊はLAV-25とM1とAAV7を組み合わせて
バグダッドまで行ったわけですけども。
#カナダ軍のMGS採用の話がショックだったり。
109名無し三等兵:03/11/13 06:36 ID:???
>Lansさん
 既存部隊との編合については奥が深いので悩んでいます。

#”interim division"で検索中。
110名無し三等兵:03/11/14 00:09 ID:???
11日発売の軍事研究に、イラク戦争時のイラク北部への第173空挺歩兵旅団投入の
記事がありました。ARMORの2003年9月・10月号とARMYの2003年6月号を資料とした
とあります。
 また、もうひとつ戦略投射と全様相作戦能力ということで興味深い記事が
コブラゴールド演習をNGOの研究員が参加視察したというものです。上の記事よりも
今後読むものを選ぶ上で参考になりそうです。

#補給については軍以外も利用するという考えがリーチという概念で出てくるのですけども
NGOとの協力についてはSBCTのマニュアルに出ているのでしょうか。
111対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/11/15 21:34 ID:???
SBCT、ついに湾岸に展開ですな。
ついに新世代陸軍の旗手、ストライカー登場という華やかさ。
重装備はとっくに駆逐された後だし・・・っていうのはヤッカミでしょうか(笑)
しかし、こうした国家の戦略予備的な、ニッチ戦力としての使い方が本来の
使い方なのかもしれません。
M1はすでに展開してるので、今回はMGSの不在は問題にならないでしょう。
むしろ均整のとれた歩兵分隊〜小隊の編制がモノを言いそうです。

というわけで遅レスですが
>ATGWとMGS
TOE-J編制の機械化歩兵大隊でも、M2“ブラッドレイ”とは別にM901が配されてました。
それを考えれば、LAV-25の25mmの代替、という説には、ある程度の説得力は感じます。
112名無し三等兵:03/11/15 21:47 ID:???
初心者質問スレでストライカーについての質問がありましたので
一応回答を自分なりに出してみます。

<装甲
素の鋼板に加えてセラミックの追加装甲があります。これで車体全周は14.5mm弾に
堪えられることになっております。イラク展開にさいしては車体のさらに周囲に
鳥篭上に金属の格子を付けてます。これでRPGにも堪えられるようになると言っています。

#反対派サイトでは車輪格納部の脆弱性が指摘されています。操輪のため
車輪の外にはこの装甲を取り付けることができないのです。

<任務
装甲自動車に乗った軽歩兵という性格の部隊であり、イラク戦争のような
非連続、非線形的戦場での様々な任務に備えた訓練もしています。
寧ろ、小規模紛争の抑止、拡大封じ込め、支援維持作戦などを都市などで
行うことに備えている部隊だと言えると思います。
113対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/11/15 22:28 ID:???
>追加装甲
これが整備所要を増やしてるという話もあり、それは即応性を謳うSBCTにそぐわない、
と臼砲は考えてます。
96時間で到着しても、そこから戦闘可能に持ってくまで、部隊は非常に脆弱です。
つまりSBCTは、なんらかのカタチで整備廠を事前に用意しておかねばならない。
その一方で・・・・・・

>任務
歩兵小隊に機銃班もあり、降車部隊は均整が取れた運用し易い歩兵部隊です。
(1車に1個分隊全員乗ってるし)
降車戦闘が相応に重視されているのでしょう。
歩兵とは古来より非連続、非線形的戦場での様々な任務に対応してきた兵科ですから、
(対麻薬戦に投入されている米第7軽歩兵師団等)特にSBCTについてこれを強調する
リリースには、恣意的なものを感じます。
重装機甲部隊と対比されて喧伝される事の多い部隊ですが、軽歩兵との対比の方が
実際的なのかもしれないです。
114名無し三等兵:03/11/15 22:28 ID:???
h ttp://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=114723&p=irol-newsArticle&t=Regular&id=453134&
h ttp://www.businesswire.com/photowire/pw.092603/bb1.jpg

シアトルタイムスのコラムに出ていた話から探してきました。
ストライカーの車長がハッチから顔を出したまま戦術状況図をみることができる
ディスプレイを100個納入したそうです。

>111 レス有難う御座います。
米陸軍の好敵手が不在であり、一方東西対立で色分けできない紛争は
従来放置していたのですが冷戦後は積極的に介入することになったことなどが
背景にあるというのが大体の話の流れのようです。
MGS関係についてはg2milではTOWランチャーから撃てるロケット弾を作れば
掩体壕に高価なジャベリンを撃たなくて済むと書いています。
対戦車中隊に対掩体壕用弾薬を配備するという話を時々見かけるのですが
これが近いかもと思います。
115対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/11/15 22:35 ID:???
臼砲も軽MATと互換のチューブに入った擲弾をー、とかほざいてました。
照準機を援用出来るようなの(笑)

TOWからロケット榴弾ですか。そうすると無反動砲(ガンランチャー)になってしまうなぁ。
116名無し三等兵:03/11/16 00:59 ID:???
<第7歩兵師団(軽)
州兵だとしか分かりませんでしたので調べ中です。フォートルイスとも由来的には
関係あること、JRTCの訓練支援をしていることが分かりました。
対麻薬関係についてもいまグローバルセキュリティの以下のページで見ている
ところです。
h ttp://www.globalsecurity.org/military/ops/drug-ops.htm
南方軍の遂行している作戦は結構多いのを知りました。パナマ撤退後は
フロリダから指揮をしているそうですが。

<ストライカー対戦車型のTOWからロケット
発射機は上下することができ、上に出して発射、下に引っ込めて装填する
形式の車両ではないかと思うのでバックブラストは大丈夫だと思います。
117名無し三等兵:03/11/16 02:28 ID:???
うわーい、イラクで実戦経験積んでこよーっと。
118名無し三等兵:03/11/16 14:15 ID:Wxwxt2r7
599だゴルァ!
良スレ保守age
119名無し三等兵:03/11/16 14:25 ID:Wxwxt2r7
昨夜のNHKニュースにストライカー登場!
クエートで待機・編成中だそうですよ。
華奢で繊細なストライカータンは
邪悪なイラキ八路軍のロケット弾に耐えられるか?
がんがれストライカーー
まけるなストライカーー
増加装甲ぐらい追加しても良さそうな予感。。。
120対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/11/16 23:33 ID:???
SBCT大活躍の予感?

「ストライカーで勝ったのでは無い!その均整のとれた降車歩兵のおかげだという事を忘れるなァ!!」
「ま、負け惜しみを!」

というインターミッション。
121名無し三等兵:03/11/17 00:16 ID:???
APCを歩兵抜きで語るアホがいるわけないっしょ。
122名無し三等兵:03/11/17 01:31 ID:???
突然の千客万来に驚きかつうれしい思いです。これからもどうぞよろしく。

イラク展開は来年に交代する部隊も発表されています。今度の展開では
第3装甲騎兵連隊が現在担任している地域に入ることになります。
この部隊は、重編成の旅団と報道では扱われる規模の部隊です。
戦車やヘリを持ってます。これに対してSBCT-4になる予定の第2装甲騎兵連隊は
ハマー中心の編成でして、かつての第9自動車化師団の流れを受けています。

<ストライカーの装甲
いまだ反対派サイトも健在ですし、メーカー関係者も頑張るでしょうから
様々な情報が今後も出て来ると思います。

<実戦経験
低烈度紛争であろうとも、弾の飛び交う戦場にいる兵士にとっては実戦と言う点で
高列度紛争と同様であるということは確かに言えるかなと思います。
123名無し三等兵:03/11/17 11:24 ID:???
<軽師団とSBCTとの違い
どうも蝙蝠めいた理屈になりそうですけども、つまり重師団に対しては空輸展開能力と
新概念を取り入れた補給負荷の軽減と精密投射火力の活用で意義を主張し
かたや、軽師団に対しては戦術機動性と生存性で意義を主張することに。

軽師団とSBCTの違いについて軽師団をどう変革するかという話である
”大洋を渡る稲妻”を読み始めました。これでまた読みかけや読み飛ばしのリストが増えることに。

付録Aによる現代に求められる軽歩兵の能力とは
(1) be light enough to be transportable by air,
空輸が可能な軽さであること
(2) possess or control the firepower necessary to accomplish its missions
任務を達成するのに必要な火力を持つか統制するかしていること
(3) have sufficient mobility to both move and maneuver effectively after arrival
到着後、移動し有効に機動できる十分な機動性
(4) survive against assaults by enemy heavy forces and be able to logistically sustain itself
敵重戦力の攻撃に対して生存でき自立して補給を維持できる能力

だそうです。例として米独立戦争やナポレオニックの軽歩兵と比べて
現代の軽歩兵にはこれら全てを満たすものはないとしています。
124対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/11/17 21:59 ID:???
>>121
んーや。
TOE-H/J機械化歩兵や陸自旅団普通科連隊に比しても、マン・パワーの発揮に
十分留意した編制であるぞよ?
それはさておき、趣味誌とかでは“ストライカー”って名前は独り歩きしそうだなぁ。

>>123
それを過不足無く備えた単一の部隊を採るか、あるいは(例えば)軽歩兵旅団と
重機甲大隊(or中隊)のような軽重の組合わせを採るか、というのもあるでしょう。
C-17が、どこまで乗り付けてこれるかって問題も含め。

第2機甲騎兵連隊(以下ACR)は湾岸戦争後にハマーを中心とする自動車化偵察部隊に
改編されたとか。この時、第199歩兵旅団が併合されてます。
3ACRは在来型機甲部隊ですが、30ノットを超える高速輸送船<SL-7>級の全力で
一発輸送出来るのも売りのひとつ。
さすがに96時間で世界中どこにでもってワケにはいきませんが・・・・・・
125名無し三等兵:03/11/18 11:03 ID:???
>124
<2ACR
orders of battleによると、第9自動車化師団の閉隊時に残っていた部隊は
第199歩兵旅団となりこれが現在の第2装甲騎兵連隊(軽)へと名称変えして
伝統ある名前を現役部隊に残したということです。

<重+軽の組合せ
軍事研究のイラク北部に投入された173空挺旅団の記事を呼んでいると
米欧州陸軍の緊急即応部隊は4月5日以降一日1、2両のペースで空輸されていた模様です。
地上には空挺歩兵2個大隊(3月26日に1個大隊降下、翌日1個大隊が空輸)して展開していた
そうですけども。また、軽部隊向けに重部隊との連携で留意すべき点はこうだという
内容のレポートが出たり、度々CALLで重軽の連合に関するニュースレターが出されることを
見ても問題があるのではないかと。


<”大洋に掛かる稲妻”
湾岸危機(1990年8月のイラクがクウェート侵攻した直後)
にサウジ東部展開した第82空挺旅団の師団即応旅団(師団の3つの旅団が交代で
即応体制に置かれる制度によって指定されていた旅団)は当時のイラク軍に対して
弱体であったことをもとに軽師団の戦力向上の方法を模索しているものです。
海兵隊のサウジ展開よりも82空挺と一部のイスラム諸国軍が先に展開しています。
そして当時のサウジ軍(陸軍と国家防衛隊)にはイラク軍に抗し得る戦力はなかったと
されています。
126名無し三等兵:03/11/19 09:10 ID:???
>125
<2ACR
その後、199th inf brigadeを調べたところ
h ttp://www.army.mil/cmh-pg/books/DAHSUM/1993/ch04.htm
陸軍歴史中心の1993年の陸軍活動要約に当りました。
・1992会計年度で陸軍参謀長は2ACRのフォートルイスへの帰還と
199歩兵旅団(独立)の資産を用いて軽装甲騎兵連隊を作ることを承認
・編制は3個騎兵大隊 1個航空大隊 1個支援大隊 
1個対空砲兵中隊 1個工兵中隊 1個化学中隊 1個軍事情報中隊
・AGS(装甲砲 M-8のこと)の開発と配備は延期されているので装備は
ハマーとTOWハマー
・1993会計年度において2ACRの本部がフォートルイスに移転
改編中途においてフォートポークに移転

#199歩兵旅団(独立)の資産とは資機材のみならず人員も指すと思います
そして199歩兵旅団のさらに前歴が9歩兵師団(自動車化)の残部なのです。

<大洋に掛かる稲妻
JANUSというシムを中心に統合したシムを用いる
3つのシナリオ(南西アジア、東欧 ラテンアメリカ)において、
1個軽旅団の編成案3つそれぞれを重旅団と対決させています。
このうち1つの案はSBCTに近い案です。

#他の研究への言及が多いので参照していくのに便利
127名無し三等兵:03/11/19 10:03 ID:???
ソース
h ttp://www.army.mil/cmh/collections/DAHSUM.htm
<第9歩兵師団
・1986会計年度の活動要約
改編がこの年度に完了
1個戦車大隊 3個歩兵大隊 1個軽攻撃大隊 2個軽諸兵科連合大隊 から
5個重諸兵科連合大隊 2個軽諸兵科連合大隊 2個軽攻撃大隊へ

また韓国前方展開の第2歩兵師団の改編完了
2個戦車大隊 3個歩兵大隊 1個機械化歩兵大隊 から
2個戦車大隊 2個機械化歩兵大隊 2個航空機動大隊へ

・1987会計年度活動要約
3個の歩兵旅団本部 5個重諸兵科連合大隊 2個諸兵科連合大隊 2個軽攻撃大隊 1個航空旅団
という自動車化師団の暫定編制に結実した革新的な装備と戦術を開発することを任務とした
128名無し三等兵:03/11/19 10:46 ID:???
・1988会計年度要約
1985年度に軍は第9歩兵師団向けの自動車化師団の編成案を承認
3個歩兵旅団本部 5個重諸兵科連合大隊 2個軽諸兵科連合大隊 2個軽攻撃大隊

加えて 1個戦闘航空旅団
師団砲兵(3個砲兵大隊 M-198 155mm牽引榴弾砲 と1個複合砲兵大隊 MLRSと105mm榴弾砲)
を現在持つ
現役8600名の人員削減により陸軍は第9師団第2旅団を閉隊
暫定編制で、第81独立歩兵旅団(重)ワシントン州兵を第9歩兵師団の補完部隊に指定
#roundout unitを補完部隊とした
129名無し三等兵:03/11/21 11:13 ID:???
1989会計年度要約
<軽師団
1989会計年度時点で5個軽師団 2個は編成完結 3個は編成途上
人員規模は10778名で軽装備

第7歩兵師団 1985会計年度にカリフォルニア州フォートオードで開隊
1986年8月に軽師団としての認証を受ける

第25歩兵師団 1987年10月に改編完了

第10山岳歩兵師団 1985年2月にニューヨーク州フォートダーラムで開隊
・フォートダーラムでの施設建設にあわせて編成が進められている
・1個歩兵旅団がジョージア州フォートベニングから移転 対空砲兵大隊、軍事情報大隊の
開隊は1989会計年度に予定通りに完了
・師団は現役2個歩兵旅団編成で補完部隊の指定を受けているのがニューヨーク州兵第27歩兵旅団
・師団支援集団を重師団と同様の編成にし軽重混合部隊の支援能力を高めることが検討され
陸軍参謀長は人員規模の拡大無しという条件で承認

第6歩兵師団
1986年3月アラスカ州フォートリチャードソンとフォートウェインライトで開隊
・第172歩兵旅団を核とする
・1989会計年度で1個旅団と2個大隊が欠
・補完部隊は第205歩兵旅団(ミネソタ州)は軽師団へ改編中 
大陸本土にいるのでフォースコムの指揮下にある
・1989会計年度に予定された2個現役大隊の開隊は予算制約のため取消し
うち1個については1989会計年度後半にアラスカ州兵第297歩兵連隊(軽)第6大隊を
現役編入することで対応
・師団砲兵の本部及び本部中隊、憲兵中隊がこの年度に開隊
・1990会計年度に師団本部はフォートリチャードソンからフォートウェインライトへ移転予定
これにより人員補充が遅れる見込み
130名無し三等兵:03/11/21 12:05 ID:???
州兵第29歩兵師団(軽)
1985年10月に開隊  本部はバージニア州フォートベルボア
・2個歩兵旅団は バージニア州兵第116歩兵旅団 メリーランド州兵第58歩兵旅団の
2個の州兵旅団を軽師団編成に改編したもの
・1989会計年度に、対空砲兵大隊を除き編成完結

#原文では現役、州兵の師団数、人員充足、即応度のカテゴリーなどの説明をして
それから重師団、軽師団、軽師団の近代化について 第9歩兵師団(自動車化)の改編と続きます。
軽師団の現状と近代化についての検討が第9歩兵師団の改編の背景にあると思うので
長めに持ってきました。
activation と inactivationというのが訳すのが難しいです。
開隊もしくは現役編入とし、閉隊として訳していますが。またconversionも改編として
良いのかよく分からんのですけども。
 紛争、低烈度紛争に適した簡素な編成の師団として、またC-141で500回の空輸で
運べる師団として軽師団ができてから編成には多大な苦労をしている模様。
・第1軍団(ワシントン州フォートルイス)は師団本部がそれぞれ韓国とハワイにある
師団の1個旅団ずつがいるので改編には比較的抵抗が少なかったのかも。とはいえ
第2歩兵師団のSBCT-1は重編成であり、エイブラムスとブラッドレーからストライカーに
に乗り換えているわけですが。改編で持ち越せたのはハマーとLMTV(中トラック相当)
だというPPTファイルがありました。で、このPPTファイル以外に旅団装備のハマーと
LMTVの総数をうかがわせる資料がなかったりします。輸送負荷の話を見るのに
欠かせない話なのですけども。もっともショートトンとかの話をよく抑えていないので
そこいらから調べないといけないのですが。
#フォートベルボアというのはフランス語っぽいので発音は違う可能性大。
かつてエセックス級揚陸艦ボノムリシャールをボノムリチャードと表記していた
こともありますし。
131名無し三等兵:03/11/22 10:54 ID:???
#米軍の戦力投射の歴史は地続きでなく海を挟む場合は米西戦争のキューバと
フィリピンまで遡るかも。カナダとメキシコへ攻めていったこともあるのですが
いずれも地続き。カナダでは撃退され、メキシコはテキサスを切り取りました。
快傑ゾロはスペイン統治時代の西海岸が舞台だったりします。
軽師団の起源についてはAOEのあたりで戦力整備を進めた模様ですけども
それ以前、第2次世界大戦後も山岳、軽などの師団を研究した歴史がある模様。
第2次世界大戦で米師団編成に軽師団があったかどうかは調べてません。
これはペントミック編成、つまりソヴィエトが核を保有したことを反映した時代よりも
昔でROAD師団の二つ前になります。軽師団誕生のあたりから96時間=4日間という
投入時間は議論されている模様ですがこれの根拠についても知りたいですが
不明です。ギリシャの軽装歩兵の歴史を扱ったlight infantlyという本が確か
1970年代に出ているのですが軽師団誕生と関係あるのだろうか。

#CALLが大幅に模様替えしました。ニュースレターなどやNTCのトレンドフィードバック
(NTC演習参加部隊の悪い癖を一般的な言い方で指摘してその是正策を書いたもの)など
が全て見れなくなりました。テロとの戦いの余波でしょうか。イギリス、オーストラリア
ニュージーランドの防衛関係者はそれぞれ見れるチャンスがある模様ですけども。
military reviewはまだ見ることができます。
132名無し三等兵:03/11/24 07:23 ID:???
#ちょっと解説
会計年度とは10月1日に始まり9月30日に終わります。
例えば現在時点2003年11月24日の会計年度は2004年度ということになります。
h ttp://w3.access.gpo.gov/usbudget/fy2004/maindown.html

#軽師団の話を改めて追う方向と第9自動車化師団の最後の話と
米陸軍の改編の歴史を追う方向とごっちゃになってます。また
カナダ軍の改編の話についても同軍の雑誌をみてある程度追ってみようかなと。
とりあえず優先順位は89会計年度の陸軍活動報告要約からかなと。
要約でないバージョンが政府印刷局のサイトあたりにあるのでしょうか。
湾岸戦争後の軍構成(フォースストラクチャー)を扱う記述が概略的になり
今一つ面白くないです。
133名無し三等兵:03/11/25 12:16 ID:???
<1989会計年度陸軍活動報告要約
1988年10月に陸軍参謀総長が指示した重軽戦力構想と、軽師団近代化計画のもと
軽師団の見直しをTRADOCが始めた
・ワルシャワ条約機構とNATOの対決という中、高烈度戦争に機甲戦力が備えているが
このような紛争に軽師団は適合性があるのかが疑問とされた
・1989会計年度中にTRADOCの見直しは終わり、戦略戦力としての役割を評価したが
弱点も裏付けられた
・TRADOCは重軽戦力を連合して用いることを推奨し、軽師団がもっとも役立つのは
紛争や低烈度紛争においてであるとした
・軽師団の簡素な編制は最大の利点であるが、一方で均整の取れた旅団諸兵科連合任務部隊の
編成を困難なものとしている
・不十分な携行対戦車火器、車両機動性、持続力、時代遅れの装備が機械化作戦への参加を
困難なものとしている
134名無し三等兵:03/11/25 12:51 ID:???
1989会計年度の夏、陸軍参謀長は組織の改編よりも装備近代化に重点を置いた
軽師団近代化計画をTRADOCに命じた
・諸兵科連合センターによる初期の研究で装備近代化と組織改編は切り離しがたいことが
明らかに
・TRADOCでは歩兵師団96の一環で軽師団編制に関する研究が既にあった
・これは A L B - Fに関する研究と良く似ていた
・歩兵師団96では軽師団は師団が一体となって戦闘することはおよそありえないとし
旅団任務部隊や大隊任務部隊として、或いは任務部隊や軍団の一部として特定任務のもと
戦闘する
・緊急反応部隊としては、後続増援部隊の足掛かりの確保に留まらず、力関係を
自軍に有利なものとできるのに十分な戦闘力を有する
・軽師団の3個旅団のうち1つを中または重旅団に改編し、特定任務においては
軍団からの戦闘支援、戦務支援部隊の配属を受けることをこの構想では示唆した
・また、戦略任務に相応しく軽師団を改編し、装備更新を優先させることも検討
135名無し三等兵:03/11/25 13:14 ID:???
中、高列度戦争における重軽連合をNTCでの訓練想定、リフォージャー88、欧州で行われた
キャラバンガード89で試験した
・リフォージャー88では、第10山岳師団の大隊任務部隊が中隊、小隊、分隊が
独立して作戦できることを示した
・機甲戦力に不向きな地形を徒歩移動し、開豁地で直接対峙しないかぎり機甲戦力に
抗しえる
・キャラバンガード89では、重軽連合が重師団の能力を増大させることを示した
・第10山岳師団第2旅団が第3機甲師団の部隊と作戦し、軽師団が機甲部隊のために
地域偵察を担うことで重師団は欧州の中列度紛争においてより早く、より深く移動できた

軽師団を6日間に500回のC-141による空輸で世界中どこへでも運べるかについて疑問がもちあがる
・コンピューターによる分析では陸軍と空軍の搭載能力の計算方法の違い
軽師団の装備更新、特定の任務にあわせた編成などにより達成できないとしている
・ Combined Arms Combat Development Activityによると当初の見積もりは
人員、装備とも現在より少なかったとのこと

#機械翻訳に負けているかもしれませんが。演習についてはとりあえず
グローバルセキュリティでみて見ます。チームスピリットやウルチフォーカスレンズや
コブラゴールドにタンデムスラスト、それから最近ではコープサンダーなどが
知られているのですがリフォージャーは欧州への米大陸本土からの来援演習だと
しか知りません。確かベルギーに3個師団分の事前蓄積装備があるとかだった
ような。
136Lans ◆EDLansNRRQ :03/11/26 01:29 ID:???
>134/135
>・軽師団の3個旅団のうち1つを中または重旅団に改編し、特定任務においては
>軍団からの戦闘支援、戦務支援部隊の配属を受けることをこの構想

まさしく、前々から、私がSBCTを師団化した場合、1個旅団は重旅団に!と主張する所以です。
現在、この編成に一番近いのは…実は陸軍ではなく、海兵師団であると思っています。

さらに、この辺りを元ネタに、
以前の編成スレでの陸自L師団案も同様の考察から出していました。
(師団内に機動連隊をってやつでつ)
(まあ。これは無理を承知のネタでしたが)
137名無し三等兵:03/11/26 10:16 ID:???
ミリタリーレヴューの1989年6月号に
”将来の機動師団”という記事が出ています。過去号でリフォージャー演習を
扱っているものを探していて見つけました。

#ネイバルプロシーディングとほぼ同様の位置付けにある雑誌と考えてよいかも
しれません。ネイバルプロシーディングの場合は、潜水空母提案記事や
戦艦復活提案記事などが出て来ることがあるのでこれと似ていると言えるかと。
#リフォージャーについては93年を最後に終わった大規模な年次演習で
ドイツに米大陸本土から師団を運ぶ能力を実証するもの。1回目は1969年1月。
93年の場合は補給関係の指揮所演習であったと言う事です。規模などは
不明ながらも大規模であった模様。
 キャラバンガード演習はグローバルセキュリティに出てこない模様。
なので目下正体不明です。
138名無し三等兵:03/11/26 10:40 ID:???
>136
<SBCTと重旅団
イラク展開では第3装甲騎兵連隊の担任地域にあとから増援として加わっている
ことなどが参考になるかと思います。また、第2装甲騎兵連隊(軽)のSBCTへの
改編では航空部隊を含むという話があります。

<SBCTと軽旅団
第173空挺旅団への増援にSBCTが投入される可能性があった場合実現した組み合わせ
です。173空挺旅団は2個空挺大隊(1個は出来たてでした)基幹。これをC-17が
空輸で支えた模様です。クルド人自治区とトルコの交易はイラク戦争期間中どうで
あったのか不明ですが。M1とM113の代わりにストライカーを運び込んでいたらば
キルクークへの進撃はもっと早い日時で出来たのでしょうか。
 この場合、旅団全体が投入されることはなく大隊か中隊単位で投入されたのでは。
中隊固有の編制で一応諸兵科連合部隊ですし、建前では独立して72時間行動できる
ことになっています。

#HTTB師団であった第9自動車化師団について構想の変遷を追うと面白そうです。
インターネット普及の前に姿を消しているので今一つ分からないことが多いです。
139名無し三等兵:03/11/26 13:04 ID:???
Transformation Under Fire : Revolutionizing How America Fights
という本が出ています。ブレイキングファランクスを書いた著者の最新刊です。
SBCTも批判されている箇所があるようです。
140名無し三等兵:03/11/27 18:35 ID:???
米軍の世界展開見直しのニュースがありました。
大統領声明が11月25日にでて、DoDの国防長官記者会見で質疑応答の中で
触れられ、DoDサイトの国防総省高官と国務省高官による背景説明が
出ています。関係国と会合して相談の上で戦力展開を見直すとしています。

現在、イラク展開中の師団が元のドイツ国内の駐屯地に帰還せず移転する
いう性急なものではないようですが。

#キャラバンガードについては検索に引っ掛かりません。ミリタリーレヴューを
各号の記事を丁寧に見ていけば演習特集などありそうですが。リフォージャーに
ついても相変わらず規模など詳細に書いたものは無いです。
141Lans ◆EDLansNRRQ :03/11/27 23:43 ID:???
>リフォージャー

その昔はTVでもよく聞いた名前だったんですけどねぇ〜
142名無し三等兵:03/11/28 10:51 ID:???
Reforger More than Just an Airlift
h ttp://www.airpower.maxwell.af.mil/airchronicles/aureview/1975/sep-oct/larsen.html
NATOの柔軟抑止構想の要石である演習
・第1機甲師団の2個旅団の人員をラムシュタイン、ライン=メイン、エヒターディンゲンに空輸
・同部隊は11日間の演習を欧州で行う
・攻防3対1をワルシャワ条約機構側が達成するためには
リフォージャーで増援された機甲旅団1個につき1+2/3個機甲旅団
1個機甲師団につき5個機甲師団が必要となる
(米軍機甲師団は3個旅団戦車351両 人員15400名
ソヴィエト機甲師団は戦車335両 人員9000名)
・米欧州陸軍向けに指定されている3個機甲師団が全て欧州展開した場合
ワルシャワ条約機構は15機甲師団を追加で必要とする。これは内線である同機構にも
多大な補給負荷を掛けることになる
・また、NATO側の増援部隊の展開時期、地域、目的は攻勢か防御かなどのワルシャワ条約機構に
とっての不確定要素が大きくなる
・また英国にも二重基地のある即応部隊3個旅団があり、これは数日のうちに欧州展開可能

#リフォージャー68は第1回目 ワルシャワ条約機構によるプラハの春のあった年でもあるとのこと
dual-basing philosophyという概念を初めて知りました。米本土や英本土と同時に欧州大陸にも
基地を持つ制度の模様 事前集積と海輸については記述無し
#記事自体はリフォージャーの意義、ワルシャワ条約機構に対する抑止、
NATO諸国への米国の関与の証明である一方で欧州への増援がいかなる信号として
ワルシャワ条約機構に受け止められるか、つまり対立をさらに煽る可能性について、
また対外政策として増援投入の時期が過早である場合、遅きに失する可能性など
についても触れています。
#年次演習なので年度ごとに内容も異なるでしょうし、74年、75年だと軽師団は
米陸軍の編制になくROAD師団の時代ということに。
#細かい話 例えば第3歩兵師団は欧州に展開してリフォージャーで展開してきた
州兵や予備役部隊の演習支援をしたという話なども出て来るのですけども
この年度のリフォージャーはいつ、誰が、どのように参加したという全体の話が
ないのです。陸軍活動報告要約の動員関係を見たほうが早いかも。
143名無し三等兵:03/11/30 11:58 ID:???
リフォージャー関連記事をミリタリーレヴューで探すのは諦めて
TRANSLOGという雑誌を捜索中です。また、ARMYの1969年ごろには出ているらしい
のですが、ネット上では2000年までしか過去号は置かれていません。

#1982年5月号(このころのミリタリーレヴューは毎月発行)に
軽師団の話が出ています。この前後を探すと第9自動車化師団の創設に関する記事も
探せるはずですが。なかなか題名だけから記事内容がわからないものもあるので
苦戦中。
144名無し三等兵:03/12/02 06:14 ID:???
>143 軽師団の話ではなく空挺師団の話でした。戦略機動性を持つ軽部隊とは
空挺師団であるという主張の話です。
 CGSCの修士論文データベース中に手持ちの本の元となる同一著者による
論文を発見。章立てがほぼ同一であることから気付きました。
145名無し三等兵:03/12/02 17:03 ID:???
クウェートの基地にてストライカー旅団の女性兵士1名が強姦され調査中
という発表が旅団報道官からあり、現在クウェートにて訓練中であることが判明

・陸軍犯罪捜査部がウダイリ基地の現場を封鎖して捜査中
・同基地では車両置き場や酒保でも盗難事件が発生している
・ウダイリ基地にはSBCT-1の5000名の他、基地の2000名と民間業者数百名がいる
146名無し三等兵:03/12/04 10:17 ID:???
#現在の課題
●第9自動車化師団の改編についての1989年度の陸軍活動報告要約の下訳
●1980年代のAOEについてエアランドバトルの話についてもでているミリタリレヴュー
の特集号を探すこと 1982年5月号が近いけども軽師団の話が出ているかどうか不明
●空軍の航空機動支援についての話 イーグルフラッグ演習の話の下訳
●MR1755などの読み SBCTへの調理要員の配置について論じた論文などもネットにはあり
一応集めているけども MR1755はSBCTのパッケージ化について論じています
●DL管理ソフトの捜索 ファイルを落とすついでにコメントを付けられる奴 DL元のアドレスを記録できる
奴を見つける必要があり 同じファイルを違う名前で別のディレクトリにDLすることが多発
●IBCT O&Oの捜索 公式サイトではAKOにより保護されているけどもそれ以前は誰でも読めていた
ことが、とある事情から判明 おそらくは配布自体はしないが公開資料扱いなのではないだろうか

#順調に戦線拡大中 
147名無し三等兵:03/12/06 11:15 ID:???
MR1755を一応読みました。車両のみの空輸とパレットカーゴ主体の空輸では
卸下空港での作業時間が異なるはずという指摘と、空軍の計画用数値は短縮可能
であるという見通しを述べています。
これは事前の手順の確立と演習による計画数値の入手と文書化、空軍にあらかじめ
搭載内容について検閲を受けておくことなどを含めています。
 部隊の前方展開、例えばドイツのラムシュタイン空港やグアムへの一時的な、
或いは交代制で、或いは移転、またSBCTの装備の一部、ハマーやMTV(5tトラック)など
を前方集積することの利点は空輸の必要機数の低減に主としてあること。
そして、SBCTは段階展開をできる体制を研究しており、軍種を越えてモジュール化
することで統合軍司令官により素早い反応速度で展開負荷の軽い統合部隊を提供できる
ようになること。これは例えば空軍の全地球打撃部隊をモジュール化して組み入れることも
視野に入れています。

空輸を96時間内に達成可能であるか否かについては否定的な見方ですが
展開相関空間(展開すべき部隊規模、展開距離、卸下空港の能力の相関)を
探求することで、展開にかかる時間リスクと展開する戦力とを釣り合わせること
ができるという見通しを持っています。

#給仕要員をSBCT固有の編制に含めるかという論文はSBCTの戦務支援中隊の機能を
糧食の点から論じたもののようです。
#SBCTのストライカー以外の車両定数が選択的前方集積の話でこの論文では
出てきました。1隻の船でSBCTに必要なトラックとハマーの大半を搭載していることが
例示されています。
148名無し三等兵:03/12/08 07:41 ID:???
Troops Ready for Iraq With a Battle Cry
h ttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A41887-2003Dec6.html
旅団全部が集合し隊旗の掲揚が行われ旅団長が演説した式典があったようです。

#イラク展開は間近な模様
149名無し三等兵:03/12/09 21:41 ID:???
#今本屋に並んでいるJグランドという雑誌がヤキマ演習場での陸自の演習
(実射訓練)を特集を組んで取扱っています。SBCTが普段演習しているところ
だと思いますがその光景が良く分かります。
 ストライカーはモノクロのページの小さな白黒写真の遠景か中景に一枚だけ
でていました。記事本文では50両程度が走り回って演習している光景が見られた
という記述がありました。撮影時期は9月上旬から中旬で50両が同時に演習をする
というのは大隊規模だということになります。SBCTの練成に関する時間線表の
出ているPPTファイルかSBCT-1の訓練、教義について書かれた論文をみないと
推測できないのですがSBCT-1とSBCT-2どちらかの部隊でしょう。
誰にも推測できる範囲の話になってしまいましたが(今SBCT-1とSBCT-2しか
ストライカーを装備している部隊はないため)、カナダ軍がヤキマまで同時期に
きているなどのことがない限りこれで正しいはず。
150名無し三等兵:03/12/10 11:18 ID:???
めでたく150レス。148で間近だと書いたあと事故がありどうもイラクに既に展開している
可能性もあります。

まずはソース
Three in Stryker brigade killed
http://www.tribnet.com/news/story/4500154p-4478102c.html
Duluiyahの町の北東にて月曜の午後5時30分、ストライカー2両が崩れていた土手から
灌漑水路に転落、3名が死亡 1名が負傷
・負傷者はバラドの陸軍病院に後送
・第2歩兵師団第3旅団がイラク展開して最初の週に、ストライカーによる初の死者となる
・敵対行動によるものではなく、事故前に降った激しい雨により土手が崩れたのか調査中
・転覆した車両は車輪だけが水面上に見えている状態であった
・先週、クウェートでの約2週間の訓練後、幾つの車列を組んでバグダッドから北の基地に展開
・旅団の最初の負傷者は車上で武器交換中に40mm擲弾が爆発して負傷した2名
・また、バグダッドの北で重トラックが車列に割り込んできたバイクを避けようとしてハンドルが効かなくなり
横転し負傷者が出ていた

#タコマトリビューンが同行特派員を派遣していることが判明。
これまではシアトルタイムズだけを見てました。迂闊でした。気付いたのは
世界安全網のおかげです。
#別スレのストライカースレが止まってしまいました。ネタ切れでしょうか。
151Lans ◆EDLansNRRQ :03/12/11 00:44 ID:???
>150
150到達おめでたうござります。

>#別スレのストライカースレが止まってしまいました。ネタ切れでしょうか。

流石に、あのペースで来ましたから…
いろんな意味でネタ切れかと(w
152名無し三等兵:03/12/11 17:22 ID:DM7uOGEo
現在652にて緊急空輸発動!!!
「俺はストライカーでGTOをマジでぶちぬきますた・・・」
以下(略
153名無し三等兵:03/12/12 11:41 ID:???
>151 有難うございます。疑問等ありましたら何でもお願いします。
>152 懐かしいコピペです。256号線のことらしいですね。652っていうのは。

Last of 5,000 Stryker soldiers due in Kuwait as brigade gears up for forward deployment
h ttp://www.tribnet.com/news/iraq/stryker/story/4385942p-4396166c.html
・マコード空軍基地からの空輸は6日間を要した
・LMSR(大型中速RoRo船)2隻からの卸下はクウェート市の港で水曜日に始まり
金曜まで掛かった

Troops install cagelike armor to fend off attacks
h ttp://www.tribnet.com/news/iraq/stryker/story/4401016p-4405847c.html
クウェートで鳥篭装甲をボルト止め
・GD(ジェネラルダイナミックス)の技術者とともに作業中
・GDは陸軍とRPG対応装甲を開発中 SBCT-3が編成される2005年にできあがる見込み
・ U.S. Army Tank and Automotive Commandのストライカー計画担当部門の少佐が
ストライカー旅団とともにイラク展開しストライカーの修理整備工場を運営する
・クウェートで装甲取り付けをしている100名程度のGD技術者のうち50名もイラク入りする
・鳥篭装甲を旅団全部のストライカーに取り付けるのには14日間掛かる見込み
・兵士50名(大半は歩兵)がGDの技術者が鳥篭装甲を取り付けるのを介助している
・鳥篭装甲の重さは5200ポンド つまり2355.6s 開発中の装甲は3714.6sほど
・記事の画像は砂漠迷彩を着た2名と青いツナギを来た人物、車上に砂漠迷彩を着た人物が
鳥篭装甲をストライカーの車体後部に取り付けている状況
砂漠迷彩を着た人物はキャメル(ストローで吸える背負い式水筒)を背負っている模様

#GDの技術者50名とインタビューに応じている少佐というのはSBCTが作戦能力を持続させる
上で補給を外部からも取り込んでいる、取り込むことを想定して作られている一例になるかと。
M-1やブラッドレーの整備も本国後送しないでイラク領内で行っているのか、ということなどは
全然知らないのですが。整備所要の切り分け方は装軌と装輪で異なるのでしょうか。
154Lans ◆EDLansNRRQ :03/12/13 00:46 ID:???
当初想定の整備所要を大幅に超過してそうな雰囲気ですね。
この状態は、さらにストライカー反対派をあおる結果になりそうな悪寒…

しかし鳥かごの設置に14日間ですか…
もう96時間どころの話ではありませんね。
155名無し三等兵:03/12/15 13:28 ID:???
>154
装着するのに14日間というのは100名でやっているからで緊急時には
大部早くできそうですけども、重量増加により各所に負担がよりかかり整備所要が
増大するというのはありそうなことだと思います。

装輪と装軌でともに何の問題もなく進める地形、一方は注意して進まなければ
ならない地形、両者とも注意して進まなければならない地形、一方のみが
進入できる地形、両者ともに進入できない地形と分けて考えると
実はカナダ人の軍人と名乗る人が英米の掲示板で8×8であれば装軌とほとんど
変わらないといっていたりしますが。積雪時や重量増加が走破性に与える影響
はどう言っていたのかちと思い出せません。

「攻撃か、自衛か」では、96式装輪装甲車を装備した部隊が11師団の対抗部隊を
相手に迂回路を使い、最終目標を攻撃し、想定されていた日数をはるかに短縮して
任務達成したという話が出ています。詳細が書かれていないのですがとても
気になります。また、ボスニアとコソボでは米軍が大規模空爆する時期は
紛争が沈静化していた時期に行われたと見ています。
156名無し三等兵:03/12/17 09:22 ID:???
上の訂正
「攻撃か、自衛か」→「攻撃か、それとも自衛か」でした。
湾岸戦争初期の第18空挺軍団の兵力投入の仕方をcertain victoryで読んでいます。
82空挺1個旅団到着、海兵隊上陸、101空中強襲到着、24機械化歩兵到着で
陸軍主体の本なので海兵隊と湾岸諸国同盟軍の話はやや手薄です。

#24機械化歩兵の航空旅団と師団支援集団(DSC Cは例によってコマンドなので
司令部、または集団、群などと訳すべきでしょうか)を搭載したFSSアンタレス
(高速船)がボイラー爆発のため大西洋を漂流、スペインでFSSアルタイルに
積み替えたという話が出てきます。航空大隊ではなく、航空旅団である点。
海輸の場合、全ての卵を一つの籠に入れる欠点があるのかもと思いました。
 コソボ関係ではランドのMR1406というのがでているのですが、加藤健二郎が指摘する
期間、つまりコソボ航空攻撃開始前の期間についての動向はあまりくわしくないです。
またイギリスの第4機甲旅団がギリシャ経由でマケドニア展開していた話、
SFORからKFORに衣替えした話などはでているのかどうか不明。もう少し政治よりの
話を探さないとSBCTがあったら早期投入できたのかという疑問を解く手掛かりにならないです。
ランドの報告書は地上部隊展開を排除しない軍事行動を選択肢として持たなかったことが
ミロシェビッチに対する強制外交に失敗した根幹だとみているようですが。

IBCTのときから、コソボ展開は改編する理由としてあげられているだけにもう少し
調べないといけないのかも。

#現在の意味での軽歩兵師団ができはじめたのは1983年度だということに
気付きました。たしかこの年以降、1992年位までの陸軍活動報告要約はネット公開されていた
はず。
157海の人 ◆STEELmK8LQ :03/12/17 10:54 ID:???
>156
>海輸の場合、全ての卵を一つの籠に入れる欠点があるのかもと思いました。

 仰るとおりで、このあたりが古今東西の戦争で全く不変の要素となる、SLOC防御の重要性
につながっていくのでありました。
158名無し三等兵:03/12/19 12:20 ID:???
>157 海上輸送以外に大陸間で軍隊を輸送する手段が従来なかったわけですけども
これに対して軽歩兵師団や空挺師団にSBCTなどは空輸の可能性を追及しているというようにも
これまでの話を整理できると思います。海上輸送が脆弱であることを指摘するならば
空輸はさらに脆弱であろうことを見ないといけないのでしょうけども。
海上輸送は人工浮桟橋と人工埠頭をコンテナに積んで運んでいって浜辺から揚げられる
ことになっていますが、空輸の場合は空挺堡に空港がないと難しい。
AAN(次の陸軍)構想ではオスプレイの発達したようなティルトローター機による
旅団展開も取り上げられているのですが、これは近い将来に実現する構想として
考えていたわけではないようです。
159名無し三等兵:03/12/19 12:44 ID:???
TFホーク(1999年アルバニアに展開した任務部隊)の当初予定規模
総人員1700名 C-17 126回で空輸
本部
○第11航空連隊
○○第6騎兵連隊第2大隊(AH-64アパッチ12機)
○○第6騎兵連隊第6大隊(AH-64アパッチ12機)
○航空旅団
○○第6騎兵連隊第1大隊(−)
○○1個航空中隊(UH-60 10機)
○○1個航空小隊(電子戦ヘリEH-60 3機)
○○1個航空小隊(CH-47 4機)
○○1個航空小隊(指揮統制ヘリUH-60C2 2機)
○1個機械化歩兵中隊(警備)
○1個通信中隊(−) 
○第27砲兵連隊第1大隊(−)(MLRS 18両)
○○対砲迫レーダー小隊(Q−36レーダー 1基 Q-37レーダー 1基)
○縦深作戦調整班
○火力調整班
○航空連絡将校
○空間調整班
○軍事情報小隊
○支援部隊

#MR1406 第4章から引用 #当初はオディエルノ大佐が指揮予定の任務部隊  
160名無し三等兵:03/12/19 13:27 ID:???
実際に展開したTFホーク 総人員5100名 C-17 500回で空輸
○第11航空連隊
○○第6騎兵連隊第2大隊(AH-64アパッチ12機)
○○第6騎兵連隊第6大隊(AH-64アパッチ12機)
○航空旅団
○○第6騎兵連隊第1大隊(−)
○○1個航空中隊(UH-60 10機)
○○1個航空小隊(電子戦ヘリEH-60 3機)
○○1個航空小隊(CH-47 8機)
○○1個航空小隊(指揮統制ヘリUH-60C2 3機)
○○1個航空小隊(医療ヘリ UH−60 6機)
○第6歩兵連隊第1大隊(−)(ブラッドレー中隊2個 戦車中隊1個)
○第505空挺歩兵連隊第2大隊基幹の1個軽歩兵大隊(−)
○工兵中隊(−)
○憲兵中隊
○1個通信中隊(+) 
○第27砲兵連隊第1大隊(−)(MLRS 27両)
○1個自走砲兵中隊 (M109A6 8両)
○1個牽引砲兵中隊(M119 105mm砲 6門)
○対砲迫レーダー小隊(Q−36レーダー 1基 Q-37レーダー 1基)
○対空中隊 (アヴェンジャー)
○縦深作戦調整班
○火力調整班
○航空連絡将校
○空間調整班
○軍事情報小隊
○支援部隊
161名無し三等兵:03/12/20 23:31 ID:???
Another Stryker rolls, one soldier thrown
h ttp://www.tribnet.com/news/iraq/stryker/story/4537431p-4512895c.html
第20歩兵連隊第5大隊のストライカー1両が灌漑水路脇を走行中、地面が崩れて水路に転覆 
・車長は転覆の際、投げ出される 
車内の4名は事故を見た他車両の兵士2名が後部ランプのハッチを開けて救出
・水に浸かったエンジンと電子装置を交換するが、車体自体に損傷は無い

#第44軍団支援大隊がSBCT-1とともにフォートルイスから派遣されている
ことが書かれていました。
これまで、水路への転覆による内装交換3両、偵察車1両が路傍爆弾の爆破で全損
の損害が報道されています。死者は3名
#サマラは東半分を第2歩兵師団第3旅団が包囲捜索し、西半分を第4歩兵師団が
担当している模様 それぞれ作戦名がアローヘッドブリザード アイヴィブリザード
としています。

h ttp://www.flameturnsblue.net/
こちらを発見
162対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/12/21 23:47 ID:???
遅レスの嵐(いや、そよ風か)

>ライト+ヘヴィか、ミディアムか
重装備の輸送は、常に兵站上の悪夢であって来たわけで、SBCTにしろ、かつての
第9師団にしろ、その構想の動機となって来ました。
ハイテクやニューデヴァイスによって、その解決が今度こそ成されるのではないか
という期待と、現実との狭間で、こうした論議は揺れ続ける事になるのでしょう。

ところで第9自動車化師団、当時いろいろもてはやされた記憶がある割には、
手元にパッとした資料が残ってません。(そういや持ってたという覚えも無い)
編制等については、上レスにある程度のものしか無く、あとはC-141輸送機の
1000ソーティ(!)で全力を空輸可能という簡単なキャプションがある程度。
163名無し三等兵:03/12/22 02:37 ID:???
>162
第9自動車化師団について、概略的な歴史は必ず師団改編史の中に出て来るのですが
大隊の内訳は不明です。探してみてもヴェトナム戦争に参加した第199歩兵旅団の
サイトなどが掛かる程度です。HTTD(高度技術実験)師団から名称換えした後などは
編成、教義、訓練教育が焦点となっているはずなので書籍まで手を広げればありそうですが。
ネット上にはいまだ見つけられていません。
CGSCとACGSでこのテーマを扱っている論文を探したほうが早いかもしれません。
164名無し三等兵:03/12/22 03:26 ID:???
ACGSというのはちと適当で略語を知らなかった為使用しました。
CGSCはどうも修士に該当するので、その上ですから博士課程のようなものでしょうか。
certain victoryには、cgscから分かれる形でできたのはヴェトナム戦争後の
改革の一環だと書かれていました。

1985年12月に、ソヴィエトを敵とした欧州戦においては軽歩兵でも重歩兵でもない装甲軽歩兵が
都市戦に必要だと概要に書いている論文が有りました。IBCTの予言をしているのか
第9自動車化師団の編制と教義に一定の方向を見出そうとしたものなのかは未読ですので
不明です。この前後の年はエアランドバトルの話を各兵科にひきつけて書かれたものや
軽歩兵に関するもの、指揮統制に関するものなどが目立ちます。

#PDFファイルに落としてくれているのがとてもありがたいです。年度によっては
よく分からないUPの仕方をしてあり、ネットから直接プリンタに印刷させる形式なの
でしょうか、他で見ないやり方です。電子化がとても早い時期から進んでいたのかも。
165名無し三等兵:03/12/22 21:32 ID:???
Stryker crews find new vehicles can take a punch
h ttp://www.tribnet.com/news/iraq/stryker/story/4544450p-4519311c.html
第4騎兵連隊第1大隊C中隊のストライカー偵察車両の写真有り

#SLAT装甲、もしくは鳥篭装甲は全周に巡らされていることが分かります。

12月13日の事件の経過
偵察部隊が歩兵部隊に包囲捜索作戦に備えてサマラを案内して
展開地域に戻る途中 7両の車列の最後尾の偵察車両が攻撃を受ける
左前部操縦手席直下で路傍爆弾が爆発し、操縦手は右足骨折。
乗車していた兵は周囲に制圧射撃をし、救護員が操縦手を操縦席と後部兵員室とを
結ぶ狭い通路から引きずりだして、車外の建物内にて安置。
他の兵が来て他車両に負傷者を移した。

損害
エンジンから出火し、消火の甲斐なく搭載弾薬に火が回り爆発。
乗員と歩兵の衣服と身の回り品(写真、お菓子、プレイステーション)なども
も燃えてしまった。

土曜日の事件
その後、同じ地点付近で再び路傍爆弾による攻撃
車両の左前部車輪と車軸が損傷 乗員に損害無し 車両は行動を続行
OH-58ヘリが付近を捜索し、現場から遠ざかるピックアップトラックを発見
他のストライカーが追跡、包囲して乗っていた5名の男性を拘束
拘束された男性はAK-47など4丁の銃を携行していた
その後
旅団の第23歩兵連隊第1大隊が現場脇の2階建ての泥煉瓦造り建物をブルドーザで破壊。
166名無し三等兵:03/12/22 21:41 ID:???
#164の論文は、ソヴィエトの編制と教義と装備で立て篭もる相手に
対して攻勢作戦を取るには重師団でも軽歩兵師団でもない新たな部隊が必要とだと
述べています。議論の過程で1973年のスエズ市におけるイスラエル第217機甲旅団の
失敗、1982年のベイルート市攻略(PKOをチュニスに撤退させた事件)、ガリラヤの平和作戦
がでてきました。このうち前者はFM3−06でも戦例として紹介されています。
167名無し三等兵:03/12/23 12:21 ID:???
<第9歩兵師団(自動車化)の編制
Motorized Experience of the 9th Infantry Divisionという本があるのが
分かりました。市販は不明。CMHの"火力と機動"では、
諸兵科連合大隊は小銃中隊2個と突撃砲中隊1個(TOWハマー装備)となっています。

#TOW装備ハマーは代用装備だと思います。

<リフォージャー演習
76のAARと77の最終報告書を偶然見つけました。21MBあるのはどうしてだろう。
<164の論文
Hシリーズの歩兵大隊(M113装備)+戦車大隊で1個歩兵師団を作ることを
提案しています。

#Hシリーズの編制はJシリーズ編制の一つ前でしょうか。
Iは数字の1と紛らわしいから飛ばすと思うのです。
168名無し三等兵:03/12/23 12:38 ID:???
2000年度のCGSCから第9自動車師団の教義に関する論文を
見つけました。164ページあります。長いです。読んでみます。
169対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/12/23 16:42 ID:???
>TOE-H/J
HシリーズはM60戦車とM113装甲車
JシリーズはM1戦車とM2戦闘兵車を主装備にしてますね。
TOE-Hは1970年代の策定のようなのですが、(多分)改訂されつつもTOE-Jと
ハイ・ローミックス的に併存していたと記憶してます。
TOE-Hは主に州兵部隊に配されておりましたが。

旧装備(M60&M113)と新装備(M1&M2)への過渡期だから当然のカタチでは
ありますが、当時はM60A3戦車は、長期に渡ってM1戦車と共に就役を続けるもの
と考えられました。

>師団のリフト
軽歩兵師団は500機のC-141&C-5輸送機を使って、4日で中東展開(96時間ですな)
空挺/空中突撃師団は1000機のC-141と100機のC-5輸送機とされてます。
第9師団と空挺/空中突撃師団のリフト量が、大差無いのが気になりますね。

どうも苦労して提供していただいた御話に、茶飲み話的感想文入れるのが定型化。
けっこう心苦しいのですが(でも止めない面の皮;^^)
170名無し三等兵:03/12/23 22:16 ID:???
>169
 レス有難う御座います。Hシリーズについてどころか、Jシリーズも
FM7−7Jしか知らない有様です。M113はまだAPC装備歩兵大隊のFMがあったかな
程度しかしりません。改訂前のFMでネットにおかれているのはFM100−5位
でしょうか。たしか1976年版がどこかにあったはずです。

M60A2がシェリダンと同様の152mmガンランチャー搭載でM60A3が湾岸戦争で
海兵隊が使っていた車両だというように覚えていました。
 エイブラムス、ブラッドレー、MLRS、パトリオット、ハマーは
米陸軍の開発重点だった装備だと”certain victory”で書いてましたが、M60A3を長く使うつもりだったとは
知りませんでした。

エアリフトについては、一番新しいランドの報告書では搭載機種を統一した
ほうが積み込みをあらかじめチャークごとに分けておけるし、C-17は狭い空港での
取り回しがC-5よりも優れると言っていました。1973年のヨムキプール戦争では
イスラエルに緊急空輸を行っているはずですが、ここいらの話はまだ見つかりません。
軽歩兵師団やストライカーの投入の目安となる4日間という数字算定の根拠も
どこかにはあるのだと思うのですが。ここいらは肝心のシンセキ大将のスピーチを
まだ読んでいないせいなのかもしれません。
 
#米大陸本土からは商用貨物機でドイツはラムシュタインやインド洋の
ディエゴガルシア、太平洋はグアムか沖縄に輸送し、そこでC-17に積み替えて
目的地のマケドニア、ザイール、台湾などに輸送という形も考えられるかと
いまふと思いつきました。民間貨物機はストライカーを搭載できるんでしょうか。
B747などだったらどうでしょう。貨物室の床が車軸荷重に耐えられず抜けたり
容積が足りなくて上面ハッチがつかえなくなったり、タイヤの空気圧を調節しないと
入れなかったりとか、色々ありそうですが。
171名無し三等兵:03/12/24 11:22 ID:???
まずは訂正から。
168の自動車化師団の教義を扱った論文というのは間違いでした。
機械化歩兵の教義を扱った論文でした。motorizedとmechanizedを取り違えて
おりました。2001年のAMSにはIBCTを扱った論文が多いことを発見。

<第9自動車化師団
米軍師団編成史をHOUSEという方が書いていて、CGSCでの論文ならネットに
ありますがこれは書かれたのが1984年のことで第9自動車化師団は扱われていない
のです。その後、21世紀に向けての諸兵科連合戦争という本では扱われていまして
購入して乱読してその後行方不明に(泣。各時代の編制表が多数出て来る本でした。
が、中隊の内訳まで書かれていたかは定かではないです。

<wheeled cehicleを扱った論文が
早いものでは1980年代に出ています。CGSCでもあるのですがPDFファイルでも
DOCファイルでもないためDLに挫折しております。

<MGS
2002年5月にMGS小隊の編制について3両か4両かを研究した結果を纏めた報告書が
出ています。これも一般公開可なのですけども本文は入手できていません。
172名無し三等兵:03/12/25 10:43 ID:???
2004年度ミスアメリカ クウェートにてストライカー旅団を訪問
h ttp://www.missamerica.org/meet/gallery-details.asp?id=6
第2歩兵連隊第3大隊A中隊の将兵とともにストライカーの上で記念撮影しています。

#確か先行訓練、装備して、ワシントン議会訪問した中隊が確かこの中隊だった気が
しますが記憶頼りなので不確かです。
#交差した銃は歩兵の象徴で、交差したサーベルが騎兵の象徴なんでしょうか。
173名無し三等兵:03/12/25 10:48 ID:???
#172書き忘れ これは今年の感謝祭の話です。クリスマスじゃないです。
#タコマニューストリビューンは1ヶ月位でストライカー特集のページから
記事へのリンクが消えるようなので忘れる前にということで。
174名無し三等兵:03/12/29 05:31 ID:???
171の続き
その後、機械化歩兵に関する論文を見ると歩兵を機甲歩兵、機械化歩兵、軽歩兵
の3つに分けていることが判明。機械化歩兵に関しては歩兵科と機甲科双方から
教義上の孤児であると表現しています。
 ブラッドレー歩兵戦闘車の導入以降から、機甲歩兵の諸兵科連合部隊での役割
などを扱った論文があり、SAMS(cgscの博士版)では1985年にも出ています。

#車両と教義、つまり、技術と教義と編制を扱った論文なので丁寧に概要をまとめて
見ようかと思います。
#余り読み飛ばして編制表だけ拾うのも著者に失礼だし、論理の流れがいろいろ
入り組んでいるところを豪快にすっ飛ばすのもなにかなぁと思ったのです。
175対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/12/29 15:00 ID:???
ああっ!それ編成スレで語ろうかと思ってたネタなのに
>機械化歩兵に関しては歩兵科と機甲科双方から教義上の孤児である
臼砲は機甲科兵科と考える事にして、軽歩兵とは別個のものと捉えるべきだろう、
という話でもしようかなと思っておったのですが。

というわけで、リポート楽しみにしておりますなどとヌケヌケ抜かす面の皮。
176トルエン大尉:03/12/29 15:04 ID:???
歩兵科は残敵の掃討と占領地域の確保がメインの仕事で、
機甲歩兵は機甲戦闘のサポートという位置付けですな。
177対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/12/29 15:22 ID:???
そうですな、そういうあたりです。軽歩兵だってメインな戦闘に参加するかもですが。
そういう事で、先ず重師団が投入され、その後に掃討・確保のためにSBCTが入るという
なんだか順番逆じゃん、みたいなケースは、今後ともありそうな事ではありますです。
178トルエン大尉:03/12/29 15:31 ID:???
SBCT計画の背後には在外駐留米軍を大幅に減らすためだとオイラは思うのです。
とくにサウジやクェートなど反米感情の強い国の。
本来の戦闘様式は重師団が先で歩兵は後になるのが定石ですが、
駐留軍がいなければSBCTが先にならざるを得ない(苦笑
179対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/12/29 16:16 ID:???
問題は
「駐留軍のいないトコにSBCT送ってええのんか?」ですな。
「増加装甲ドコでボルトオンすんだよ〜!」みたいな(笑)
180トルエン大尉:03/12/29 16:25 ID:???
>>179
駐留軍の居ないところではその国の軍に預かってもらう。
いざ、逝ったら横流しされて、無かったりして(w
181名無し三等兵:03/12/30 19:32 ID:???
MMAS2000の論文
”教義上の孤児か、それとも現役の仲間か?米国陸軍における機械化歩兵教義の歴史”
SAMS1985の論文
”機甲歩兵の諸兵科連合における役割”
を読んでいます。で、まず前者の概要の訳を以下にしてみます。

<SBCTの投入
サウジの場合はデネル社を通じてサウジ国土防衛隊との繋がりがあり、おそらく
投入はできるかと。強行エントリーについては空軍の全世界展開能力と組合せれば
できるとしているものもありますが。
 主要な戦域戦争としてイラク戦争を見ると、主要戦闘終結後の投入、安定化支援作戦
任務は想定していたと思います。が、対砲迫レーダーで駐屯地に飛んできた砲弾の発射地点を
割り出して、対砲兵戦を行うあたりは違うというか、他の陸軍部隊とやっていることが
変わらない気がします。目覚まし時計付きの砲弾がコングレーブのロケットのように
駐屯地のほうに向いた斜面に並べられていて、時刻が来ると発射しているだけだと
思うんですが。
182名無し三等兵:03/12/30 19:48 ID:???
本論文は機械化歩兵の教義に関する歴史研究である。1982年に歩兵戦闘車両が米国陸軍に
導入されたことにより生じた問題に焦点をあてる。IFV(歩兵戦闘車両)の配備に対する
反応は軍、民間有識者の間で様々であった。1985年までにブラッドレーを装備した歩兵は
特別の、機甲歩兵であり、運用上の問題は正しく用いられていない事から生じるとの主張が
現れている。
 本論文では軍事史を精査した上で、機械化歩兵を戦車支援という役割に狭める機甲歩兵
という概念はそぐわないと結論する。さらに陸軍が適切な諸兵科連合戦術教義を開発する上で
害となっている枠組みや概念についても言及する。

 機械化歩兵教義をその初期から今日に至るまで研究することで、諸兵科連合教義において
適切な役割を機械化歩兵に与えられない原因は、歴史に基づいた教義研究の欠如と戦術級に
おける諸兵科連合の不適切な把握にある。

 本研究は戦力、教義開発において歴史研究が不可欠であること、誤った枠組みの
危険性を指摘し、さらに機械化歩兵の役割を定義するうえで理解と柔軟性が必要であると
提言する。
183名無し三等兵:03/12/30 20:29 ID:???
目次

論文審査記録
概要
緒言
本文
第1章 導入
第2章 第2次世界大戦中における機械化歩兵
第3章 第2次世界大戦後及び歩兵戦闘車両
第4章 結論
参考文献
初期配布一覧

#論文審査記録では2000年6月2日に提出されたと書かれています。
184名無し三等兵:03/12/30 21:09 ID:???
第1章 導入 方法論、文献批判

機械化歩兵部隊の降車時における汎用性と技能についての論議は米国や他国軍で
ずっと続いている。機械化戦闘における降車歩兵の機能については様々な見解がある。
車両の火力が降車歩兵の不足を補うという主張や、現代戦闘の動向では徒歩歩兵の
必要性はないという主張も見かける。後者については、1945年以降の戦時記録が
示すように徒歩で戦闘する戦力は未だ有効であり、専門家で主張するものはほぼ
皆無である。

一方、車両の火力が機械化歩兵部隊内の歩兵減勢を可能とする主張が多数ある。
本研究の目的は機械化戦闘において徒歩歩兵が重要な要素であり続けていると証明するもの
ではない。諸兵科連合戦闘を前提とした上で、機械化部隊もしくは重部隊が機能する
局面で、機械化歩兵の役割とはないかを究明することにある。
 このため、米国陸軍における機械化歩兵教義の発達史を、特に歩兵戦闘車両の導入の行われた
現在を中心に精査する。
185名無し三等兵:03/12/30 21:32 ID:???
 本研究がとりわけ主軸とした問題は、正規の機械化歩兵、軽歩兵のほかに
機甲歩兵があるべきかということである。この問題は機械化歩兵の役割と
歩兵の区分という問題でもある。従来、機甲歩兵、機械化歩兵、軽歩兵という
区分がなされてきた。が、機甲、機械化、軽の定義は文脈と時代、主張者などに
よって一定しない。

 歴史的な歩兵の区分に関する用語について。リデル・ハートは”列線”と”軽”とい
う用語を用いた。後者が現在の米国陸軍での機械化に当る。機甲という用語が米国陸軍
で導入されたのは1940年の機甲科の独立が最初である。当時は機械化とは、騎兵科の機
械化部隊のみを指した。今日の意味での機械化歩兵は機甲師団の機甲歩兵大隊であった。
186名無し三等兵:03/12/30 21:48 ID:???
方法論

 米国陸軍がIFVを装備することで生じた問題を分析すると、歩兵を多数に区分すべきか
ということである。そしては車両と降車分隊の任務、諸兵科連合戦闘、とりわけ歩戦協同に
おける機械化歩兵の役割という問題に解答することを迫られる。
 歩兵の区分とは単に言葉の綾や兵科間の競争ではなく、さらに問題を明確化する
ならば、なぜ機械化歩兵が必要なのかということである。

 この問題については種々の回答があるがそれらに共通するのは米国陸軍機械化歩兵の
欠陥はIFVの導入に歴史的根源があるという点である。

 IFVの時代はソヴィエトが1968年にBMP-1を導入した事に始まると広く考えられているが
これは事実に反する。
187名無し三等兵:03/12/31 01:46 ID:???
 IFVの嚆矢は1950年代後半の西独のSPz HS30、さらに先んじて1954年仏の
AMX VCIである。AMX VCIの特徴は戦闘に直接加入することを考慮した車体上の機銃、
歩兵分隊の小火器用ポート、分隊を降車するまでに戦闘に入っていける装甲、
身をさらさずに降車できる後部ドアなどである。

 フランスの1954年、その1,2年後の西独、1968年のソヴィエトと比べて
米国の導入は1982年と大幅に遅かった。IFVを装備した機械化歩兵の現代の動向に
30年も後発であったということである。

http://www.panzerbaer.de/types/bw_spz_hs30_a.htm
http://www.iei.net/~doghouse/amxvci.htm
188対潜臼砲 ◆embTH1EblY :03/12/31 04:35 ID:???
おお、始まったですな。とても楽しみにしておりますです。

>本論文では軍事史を精査した上で、機械化歩兵を戦車支援という役割に狭める
>機甲歩兵という概念はそぐわないと結論する
これが興味深いです。
臼砲は重歩兵(IFV)と軽歩兵(APC/HMV等)という分け方した上での話ですがね。
189海の人 ◆STEELmK8LQ :03/12/31 11:47 ID:???
 わしも楽しみに読んでます:-)
190名無し三等兵:03/12/31 15:58 ID:???
 1964年から1982年まで米国のIFV開発が長引いたことは米国機械化歩兵に
教義上の混乱をもたらした。

 IFVは無から作り出されたのではない。IFVの開発は概念的には大戦時まで
繋がりがある。第2次世界大戦後のみに焦点をあてると機械化歩兵の教義史が
連続していることを見失う。とりわけIFVの導入により浮かび上がった問題は
機械化戦闘についての最初期の思想に根源がある。

#144ページ中の5ページの段階です。実は第9自動車化師団の各種大隊の装備定数と
人員定数を発見しました。motorized experience of 9th inf. div.からの図表を
引用してます。AoE時代、つまり1980年代の陸軍についての歴史論文です。
軍団より上にも触れているあたりがなかなか凄いかなと。
191名無し三等兵:03/12/31 18:00 ID:???
 機械化戦闘の進展により、戦間期における将来の戦争予測は盛んであった。
歩兵がどのようにして戦車の速度についていくのかという問題が認められ、そこから
歩戦協同(tank-infantry coordination)、歩兵の役割、歩兵の編制改良と教義、
歩兵が採用すべき車両とその武装などの問題も取り上げられていた。

 仏のAMX VCIや西独のSPz HS30にさらに先行する車両が第2次世界大戦中に開発されて
いる。歩兵分隊車両の火力と防護をさらに増大させる意図がその開発には認められる。
開発趨勢を第2次世界大戦にまで遡ってみるならば、革命的というよりは斬新的なものだと
いえる。

 車両は元来歩兵分隊を戦場の戦車に伍して輸送する為のものであり、防護と機動性で
歩兵を支援するものであることに異議を差し挟むものはなかった。近年では
教義執筆者、司令官らは機械化歩兵に関して車両に重点を置いている。
192名無し三等兵:03/12/31 18:21 ID:???
 車両に重点を置く理由として、高度化した現代装甲車両を扱う訓練の複雑化、
IFVが対決すべきBMPやBTR群という脅威があり、又、西独との協同作戦性や互換性という
同盟上の考慮も小さいものではない。

 米国陸軍の機械化歩兵の現状は独逸の歩兵乗車戦闘志向の性格と起源が教義上明確でない
ことにも起因している。実地では車両の必要性は受け入れられているが、それがため
不適切な教義から逃れられないでいる。結果としてIFVは火力と機動の革新的向上と
して賞賛されるか、呪いだと忌み嫌われるかのいずれかとなっている。
193名無し三等兵:03/12/31 18:44 ID:???
研究の意義および文献批評

 機械化歩兵の発達史と教義についての枠組みを構築しようとすると直ちに
困難に面する。米国でも他陸軍でもIFVの配備により問題が生じたことでは
一致する。そしてこの問題はなお続いている。それにも関わらず、機械化歩兵
教義の歴史を扱ったまとまった著作はない。

 1970年代と80年代、IFVは米国の防衛改革論者にとって魔法の杖であったから
扱った著作はあるが、大半は装備調達や技術面からのものである。機械化歩兵教義
へのIFVの影響を扱った著作はほとんどない。機械化歩兵自体、戦車戦闘を扱った
専門家や市井の著作で扱われておらず、装備調達計画の不適切な統制や不合理性、
浪費についての記事の前に、教義へのIFVの影響に関する歴史など消え去っている。
194名無し三等兵:03/12/31 19:31 ID:???
 機械化歩兵の置かれた窮地があまりに目立つため、防衛政策や戦争遂行術の
より大きな問題の象徴となっている。機械化歩兵を巡る問題は、他の兵器、システム、
部隊、技術要素、教義論争にもあてはまる。技術が教義を駆り立てるべきなのか、
それとも教義が技術を御するべきなのか、諸兵科連合教義と兵科特有の戦術手続との
交互作用とは何か、米国陸軍は歴史的に、機動理論よりも火力−消耗基盤でないか、
火力と機動の二分法は実際よりも見かけだけのものなのか?教義を明確化する方法は
その内容と同様に重要なのか、実際のところ米国陸軍の諸兵科連合戦はどこに記述
されているのか、FM100−5か、それとも部隊級野外教範か、それらのいずれにもか。
教義と戦力組成の交互作用とは何か、それはどうあるべきか。歴史研究と教義史は
どのように教義執筆と兵器開発に生かされるべきか。
195名無し三等兵:03/12/31 20:54 ID:???
 選良戦士文化の具現としては、機械化歩兵は二方から罵られている。
機甲科の主力戦闘戦車の実に有効な装甲と絶大な火力を機械化歩兵は欠く。
一方、歩兵の頑健さと技能の点では軽歩兵と空挺歩兵の眼前では顔色がない、
と一般には思われている。この通念は意図せずして作用している。1973年の
第4次中東戦争におけるイスラエル国防軍の機械化歩兵の惨状はその例である。

 本稿執筆時点で、米軍は主要戦闘部隊、或いは主展開部隊の戦力組成の問題に
取り組んでいる。現陸軍参謀長シンセキ大将は軽部隊は軽すぎ、重部隊は重過ぎると
みている。つまり、軽部隊は攻撃力と防護に欠け、重部隊は展開するのに時間が掛かり
過ぎ、大抵の紛争ではあまりに補給部隊が重くなりすぎる。つまり、現在の戦力構造は
冷戦時代の二極化した世界、重部隊はソヴィエトの欧州侵攻を抑止し、軽部隊は
主要な二極対決の周辺で受入国の紛争に即座に戦略的対応を行う。
196名無し三等兵:03/12/31 21:20 ID:???
 実際には紛争の全様相、平和安定、平和執行から装備程度の良い現代軍間での通常紛争に
至るまで機械化歩兵は固有かつ不可欠な様々な能力を提供する。歩兵の広範な能力と
装甲車両の防護と機動力を併せ持ち、戦場において最も柔軟性に富んだ戦力の一つである。
この能力が良く知られていないのは機甲戦の歴史研究と教義が誤った傾向にあることも
一因である。歴史研究の中には戦闘記録に反するものもある。とりわけ、戦車が
戦術防御行動をせざるをえない度合い、歩兵が現代機械化戦において戦術攻勢をとる度合いを
軽視している。

 機械化歩兵が軽視された中にあって、二人の著作家は機械化歩兵に取り組んでいる。
英国准将Richard Simpkinと米国学究のWilliam Blair J. Haworthである。
197名無し三等兵:03/12/31 22:14 ID:???
 本論文はSimpkinが存在していないことを発見した歴史的枠組みを提出すると
ともに、Haworthが言う機械化歩兵が機甲科と歩兵科双方からの孤児であることに
発する不明確さを軽減しようとするものである。

 先に述べたとおり、IFVを装備した機甲歩兵は機械化歩兵よりも任務を限定さ
れた別な歩兵なのか、或いは、IFVを装備した歩兵は機械化歩兵の任務全てを
こなすべきなのかが、文献中の教義の緊張のもととなっている。
1920年代以降の文献では、機甲歩兵は戦車の前進を可能ならしめる任務と訓練に
特化すべきとする主張が見られる。一方では、機械化歩兵、場合によっては
機械化騎兵は歩兵集約的任務、とりわけ、周到陣地や強化拠点の防御と奪取、
騎兵の場合は補助的な独立任務に集中すべきとする。
198名無し三等兵:03/12/31 22:39 ID:???
 この論の代表としては、1985年のingantryに退役准将Huba Wass de Czegeが
寄稿した記事がある。同記事では歩兵には3つの区分、軽、機械化、機甲があると
論じている。現在の米国陸軍歩兵の問題は軽歩兵や機甲歩兵に正規歩兵或いは
機械化歩兵が最も適している任務の遂行を求めることに発していると彼は主張する。

#正規歩兵 regular 軽 light 機械化 mechanized 機甲 armored

 本研究は、混乱は歩兵の3つの区分を認めることができなかったがゆえではなく、
教義の形成要因と歩戦協同に関する戦闘記録の歴史研究の欠如から生じていると
主張する。形成要因とは陸軍の戦力構造設計に影響するあらゆる制度上の力を意味する。
例えば、財政上の制約、敵対国家に伍したいという意思、防衛支出に反対する社会的
政治的勢力などである。第2次世界大戦では戦闘経験により各陸軍は軽戦車の装甲を増加し
遅速の歩兵戦車を退けることとなった。戦車は汎用化し、機甲部隊の役割はより
総合的なものとなった。
199名無し三等兵:03/12/31 23:05 ID:???
 同様に戦闘経験の結果、初期の機甲戦論者の構想では元来狭かった機械化歩兵の役割
が大きく拡張された。その原因は諸兵科連合は敵を板ばさみにするがゆえに機能する
ことにある。過度に専門化した部隊、狭い機能に限定された部隊は諸兵科連合において
使い勝手のあるものではない。この理解は陸軍が重部隊をより展開可能とし、敏捷なものと
しようとしている現在、重要である。

 現在、陸軍はより大なる展開性を求めて戦力開発しているが、本論文の提示する問題
歩兵の区分とはどうあるべきかはその根底にある。この問題を再び問い返すことは
現在の意思決定者にとっても有益であろう。
200名無し三等兵:04/01/01 01:42 ID:???
 文献

 機甲戦や戦車の教義史と異なり、機械化歩兵教義のみに焦点をあわせた文献はほとんどない。
Simpkinは戦車、対戦車兵器、NATO戦域の戦力の関係、ソヴィエトの作戦理論といった現代機械
化戦についていくつか著作があるが、機械化歩兵について書いたとき直面したことは、機械化歩兵
の歴史的枠組みを作るために使える公式資料がないことであった。今日でも一次史料、二次史料、
ともに入手困難である。が、これはこの問題を追究することは新たな地平を切り開くということでもある。

 参考になるのは、SimpkinのMechanized Infantry(1980年刊行)
刊行当時はM2ブラッドレーはまだ配備されていなかったが開発はかなり進んでいた。
有用であるが、欧州の視点から書かれており、ソヴィエトとの戦略対峙時代のNATOが
直面する問題に焦点がある。また、同じ著者でDeep Battle and Race to the Swift
もIssersonやTukhachevskiyといったソヴィエトの思想家の背景やソヴィエト教義の
展開を知るのに役立つ。
201名無し三等兵:04/01/01 02:20 ID:???
 機械化歩兵に関する文献が皆無に近いのは、William Blair J. Haworthの
 博士学位取得論文中の言では

 機械化歩兵について研究するのが困難なのは、軍事史の主流からは見えないためである。
 つまり、歩兵科と機甲科の椅子の間に転げ落ちているのだ。両者とも機甲部隊の中の歩兵を
 他の科のものだと思っている。これは機械化歩兵の性質に由来し、自分で売り込むという
 手は封じられている。このような部隊は各兵科志向の理論にそぐわない。

 HaworthはSimpkinの著作研究に大いに時間を割き、機械化歩兵教義の歴史研究が
なぜ未発達なのかをかなりの程度明らかにした。上記の言は、機械化歩兵の
戦場での力の源泉を明らかにする一方で部内での政治的主張の弱みの所以も示している。
機械化歩兵とは現代の諸兵科連合の現われである。竜騎兵に例えるのはロマンを
掻き立てるが、実際には古の乗馬歩兵と、歩戦協同の所産であり第1次世界大戦後に
時として行った独立行動との間に共通点はない。機械化歩兵は機甲科と歩兵科の合いの子
である。Howarthを敷衍するならば、機械化歩兵は兵科志向の教義への取組みには
容易にはそぐわないのである。 
202名無し三等兵:04/01/01 02:44 ID:???
 HowarthやSimpkinの言が意味することは、この分野はさらなる歴史研究が必要であるということ
である。また、この研究を通じて痛感したことは意思決定者が機械化歩兵については歴史的真空の
中で分析しているということである。1999年に刊行された、さる米陸軍4つ星の退役将軍にして
機甲将校の言は、1920年代にJ. F.C. Fullerの言と驚くほど似ている。
1918年以降の戦闘史は戦車単一のみでは良くても不均整であり、最悪の場合は重大な欠陥である
ことを明らかにしてる。にも関わらず現代戦闘の論には顔を出す。

 第2次世界大戦以降の戦闘史についても頑固な再評価論者はいる。1973年の第4次中東戦争での
戦車単一戦術の災厄的登場に先立ち1971年に出版されたTank WarfareではKenneth Macksey
は第2次世界大戦の結果である諸兵科連合という手法は素早い決定の妨げであると論じた。
203名無し三等兵:04/01/01 03:20 ID:???
 今日の諸兵科連合戦における機械化歩兵の役割を理解しようとすると
J.F.C.Fuller、Liddell Hart、Guderian、Estienne、DeGaulle、Eisenhower、
Chaffee、Tukhachevskiyとこれらに影響を受けた者に言及する必要がある。
が、本研究ではそのうち米国陸軍での機械化歩兵の発達に影響を与えた者に絞る。

 FullerのArmored WarfareとLiddell HartのThe Remaking of Modern Armies
とThe future of Infantryは機械化歩兵教義の起源について理解するのに必須である。
これらの著作は機械化戦全体の広い議論の中に位置付けている。
204名無し三等兵:04/01/01 03:39 ID:???
 ここで注意すべき事は、米国陸軍の場合、機械化への最大の要因はポーランドと
フランスでのドイツの劇的な勝利であるということである。

 米国陸軍の機械化歩兵史中の進展や提言は、歴史的文脈を考慮しなくてはならな
い。例えば、Wass De Czegeによる歩兵の3区分は1950年代後半に始まる師団改編の
影響を考慮する必要がある。機械化歩兵や機甲歩兵という用語は歩兵の区分ばかり
ではない。師団の区分からきているのである。1960年代初期のROAD師団の進展により
これらの用語は師団区分をも意味することになり、さらに用語が混乱した。こういう
わけで、陸軍が置かれた政治的安全保障政策的状況を伝える資料は有用である。

#ここで16/144終わり。
205名無し三等兵:04/01/01 23:52 ID:???
 戦間期と第2次世界大戦期は機械化歩兵の編制・教義史について大変有用な資料が
ある。ブラッドレーIFV開発中には無数の研究、ことにVirgil Neyが
旧戦闘開発集団でまとめた研究、専門雑誌、修士論文、博士論文などが行われた。
(# http://www.army.mil/cmh-pg/books/www/www2.htm ここの脚注18にて確認)

加えて、欧州戦域作戦総委員会が行った研究のうち、No.15歩兵師団、No.17師団の区分、
No.48機甲師団はとりわけ重要である。

(欧州戦域策戦争委員会 "european theater of operations general board")
206名無し三等兵:04/01/02 00:14 ID:???
 戦闘報告書は、部隊級の報告書ですら概要的で機械化歩兵などの分析に使える
戦闘経過が記載されていないことが多い。が、中にはそうしたものもある。
Michael DoublerのClosing with the Enemy
http://www.kansaspress.ku.edu/douclo.html
は第2次世界大戦における諸兵科連合戦術に焦点を当てている。
彼が指摘するように、第2次世界大戦における米国陸軍の教義の適用の仕方は
様々なところで工夫されていた。総委員会報告書とclosing with the enemyで
描かれた戦術は今日の教義論争では無視されたり、取り上げられることがない。
207名無し三等兵:04/01/02 00:42 ID:???
 第2次世界大戦後から1973年の第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)までは
大規模な通常戦闘は発生していない。この間は冷戦で対峙していた国家の機甲部隊
における機械化歩兵の編制と教義改良がされている。ドイツ、米国、ソヴィエトが
顕著である。

Harriet and William ScottのThe Soviet Art of War:Doctirne Strategy and Tactics
(ISBN: 0891589066 又は 0865313342)
はロシア語ができない者にとって原資料に基づいた教義論争を含んでいる点で有益である。
ことに”BMPの戦闘”という記事が翻訳されているのは素晴らしい。

 IFV導入以前の冷戦期のソヴィエト陸軍は第2次世界大戦における経験に留まっては
いなかった。政治的要素もあるが、より大きな理由は戦場における核の使用についての
思想である。この時代の教義論争については、ソヴィエトの文書は発掘されておらず、
Scottの著作はソヴィエトの教義について視点を与えてくれる。
208名無し三等兵:04/01/02 01:12 ID:???
 核の登場は、歩兵部隊を教義上に位置付けて正当化するどころか陸上部隊の役割を
確立するよう迫った。
 Maxwell Taylor Uncertain Trumpet
(ISBN: 0837175771)は核時代にあって均整のとれた防衛政策を
訴えた著作である。また、
The Evolution of US Army Tactical Doctrine
("combat study institute")はこの時代をうまくまとめている。
核と航空戦力は将来戦争に関する思想を支配し、なお米国の軍事思想に影響を 
及ぼしている。さらに戦場が放射能汚染される可能性があることは車両設計に
影響を及ぼし、意図せずして機械化歩兵の能力にまで及んだ。
209名無し三等兵:04/01/02 02:14 ID:???
 機械化歩兵教義史で大きな境目となるのは1973年の第4次中東戦争である。
政治的にも影響し、冷戦期の各国軍を変革もしくは改善する契機となっている。

 もう一つの境目となるのはヴェトナムから向き直り1973年の戦争の戦訓を
教義に組入れる動きが生じたことである。その結果、1976年版FM100-5が書かれた。
この動きについてはTRADOC(Training and Doctrine Command)(訓練教義集団)の
初代司令官William E. DePuyについて書いた
http://www3.sdstate.edu/Academics/CollegeOfArtsAndScience/MilitaryScience/Alumni/DistinguishedAlumni/DePuy/Index.cfm  
Paul HerbertのDeciding What Has to Be Done:General Wiliiam E. DePuy and the 1976 edition of FM100-5, Operations
が決定版と言えよう。この他、DePuyの論文、インタビュー録なども
ブラッドレーの分隊輸送能力や火力対機動力論争についての背景を明らかにしてくれる。
彼自身が書いたものは、なぜヴェトナム後の陸軍が戦術の中心に兵器を置き降車機動が
軽んじられたのかを理解するのに大変重要である。
210名無し三等兵:04/01/02 02:36 ID:???
 1973〜1995時代はTRADOC付き歴史家(command historian)John L. Romjueが
重要である。彼はHerbertの著作について解釈するのを大いに助けてくれた。

 本研究は米国軍事と教義の歴史に関する広汎な論争に位置付ける必要がある。
米国陸軍の作戦方法は機動戦志向よりは火力と消耗志向であると論じる主張がある。
主張者達自身は火力消耗論者だとは認めないので話が複雑になる。この論文は
火力を基盤とした方法が米国の技術または文化的志向に合致するのかまでは立ち入らない。
William Lindは米国陸軍の教義と文化についての批評家の一人である。
http://www.military.com/NewContent/?file=Lind_Index
James G. BurtonのPentagon Wars (ISBN: 1557500819)はブラッドレー配備当時の
技術面と戦力開発面での論争を扱っている。
211名無し三等兵:04/01/02 03:07 ID:???
 ブラッドレーの開発初期については
William Haworth
The Bradley and How It Got That Way
Technology, Institutions, and the Problem of Mechanized Infantry in the United States Army
http://info.greenwood.com/books/0313309/0313309744.html
が不可欠である。ブラッドレーに関する教義論争についてはややぶれるところがある。
Haworthは機甲歩兵を認め、降車班の人数が不十分という指摘を簡単に退けてしまった。
降車行動を懸念するのは歩兵科に蔓延している正規化信者の名残だと考えている。
また、諸兵科連合に関する歴史記録から歩戦行動を調べたり、ブラッドレーが配備
された時点での野外演習で判明した機械化歩兵の役割に関する欠陥などについては
不十分である。
 Haworthが気付かなかった問題は、IFV導入後の機械化戦闘において徒歩歩兵は固有
の貢献ができるのか、その貢献とは何かということである。火力が降車行動の大部を
代替したという見解は同意しがたい。この点で本研究は少数派である。

http://yarchive.net/mil/bradley.html
212名無し三等兵:04/01/02 03:42 ID:???
 Haworth、フォートノックスの機甲学校付歴史家、フォートベニングの歩兵学校付歴史家
元計画責任者退役少将Stan Sheridan、退役准将Philip Bolte'との電話インタビューは
はかり難い価値があった。Bolte'は退役後も兵器開発に関する著作を出版している。

#(Stan Sheridanは故人の模様)

Philip L. bolteはこちらで確認
http://www.geocities.com/equipmentshop/bv206s.htm 
213名無し三等兵:04/01/02 04:27 ID:???
#今宵はここまでにしとうございます。21/144
人名と著作名を確認しているのは論文はどうもOCRで読み取ってPDFファイルに
しているらしいのですが、機械の調子が悪かったみたいで文字化けしているため。
a→e d→ci IFV→WV bolte'→bolte6  nn→mという感じに変化してます。
特に名詞の中のaがeに化けるのはなかなか辛いものがあります。

#98年3・4月号ARMORにLAV装備の偵察中隊を提案する話が出てました。
SBCTと同様に展開性についても意識してます。
214海の人 ◆STEELmK8LQ :04/01/02 10:43 ID:???
>213
 たいへんおつかれさまでした:-)
 OCRに関しては、わたしもPROCEEDINGSの文章を読み込むときに、ときどき苦労してます(^_^;
 あれソフトウェアによって、ずいぶん違うみたいですね。
215名無し三等兵:04/01/02 15:30 ID:???
 戦後の回想録、Heinz GuderianのPanzer Leader、 (ISBN 0306811014)
MellenthinのPanzer Battles (ISBN 0345321588)
MansteinのLost Victories (ISBN: 0891415254)
(邦訳 中央公論新社 失われた勝利 上・下 有り)
などは戦時の経験と思想について貴重である。本研究では
ドイツの戦前の思想を調べる上で用いる。
Bryan Peret A History of Blitzkrieg (ISBN 709188676)
Charles Messenger The Blitzkrieg Story (ISBN 0684148013)
Trevor N. DuPuy A genuis for War (ISBN 0133511146)
http://www.dupuyinstitute.org/tndupuy.htm
もこのテーマを扱っている。
Larry Addington The Blitzkrieg Era and German Staff, 1855-1941
(ISBN 0813507049)はドイツの機械化に関する思想の背景を知る上で役立つ。
戦後研究、しばしばドイツの将軍の協力により行われたのだが、は無数にあり、
捕獲文書、ドイツの編制及び装備定数表と教義も利用可能である。

>214 海の人さん 有難う御座います。
ネイバルプロシーディングスは無料で見れる記事が毎月2つ位あるので嬉しいです。
でも、トンでも兵器提案とかがもっと目次の下のほうにあるのだろうと思うと
少し残念だったりします。潜水空母は面白かったです。
216名無し三等兵:04/01/02 16:13 ID:???
 ドイツの機械化歩兵思想や機甲擲弾兵の実際についての戦後研究では注意すべき点も
ある。機械化戦の発達に対するLiddell Hartの影響とGuderianの果たした役割は強調され
すぎていることが近年の研究により明らかになっている。Liddell Hartは
話し好きだがさほど事情に通じていなかったWilehim Ritter von Thoma
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/GERthoma.htm
に戦車師団内の歩兵の厚みについてのドイツの傾向に関して依拠している。
Samuel J. Lewis Forgotten Legions:German Army Infantry Policy 1918-1941
(ISBN 0275902358)
James Corum The Roots of Blitzkrieg:Hans von Seekt and German Military Reform
http://www.kansaspress.ku.edu/corroo.html
は戦後40年の研究での説や見解を知るうえで貴重である。
217名無し三等兵:04/01/02 17:43 ID:???
 歩兵や諸兵科連合戦闘について参考となる枠組みを与えてくれたのは
John EnglishのOn Infantry (ISBN 0275949729)は
戦場に置いて歩兵は代替不可能な役割があるか否かが彼の主題である。
惜しむらくは機械化歩兵教義にまで掘り下げていない。
機械化歩兵教義全般については
Paul Albert Dysterの博士学位取得論文
In The Wake of the Tank:The 20th Century Evolution of the THeory of Armored Warfare
(Johns Hopkins Univ, 1984. 598 p. UD540D97)
が本研究と同様に思想史として書いている。

上級軍事研究課程専攻論文では
Edward Gibbons
Why Jonny Can't Dismount:The Decline of America's Mechanized Infantry Force
("CGSC" SAMS 1996)は諸兵科連合戦闘と機械化歩兵の役割について貴重な視点を与えてくれる。
Robert St. ONge
The Combined Arms Role of Armored Infantry (SAMS 1985)
はWass de CzegeのInfantryでの記事の限られた枚数では書ききれなかった
歩兵の3つの区分のうち、特に機甲歩兵についてより深く、しかも偏らずに
掘り下げている。
1986年と1989年のブラッドレーとブラッドレー小隊編制に関する白書
(# white paper オンライン文書蔵を捜索中 )
は米国におけるIFV配備史と司令官や兵士が面した問題の理解に欠かせない。
218名無し三等兵:04/01/03 02:15 ID:???
 機械化歩兵の運用思想の発達についてはThe Cavaley Journal、Infantry、
Armorなどやその前身が良い。(#これらは全て兵科雑誌。
Armorは1年落ちをWEBにて閲覧可能 Infantryは記事によっては閲覧可能
WEB公開の基準は不明 この他にも兵科雑誌は多数WEBで公開されている。
ただしテロとの戦い以降は公開を取りやめた雑誌もある)
雑誌記事は当時の関心をありのままに伝え、公式の意見や個人の考えのどちらも後世
の視点で歪められていない。機甲学校付歴史家と歩兵学校付歴史家は兵科雑誌を
それぞれの時代での機械化歩兵の役割に関する各兵科の思想を知るのに最適だと勧めた。

 機械化歩兵教義史を研究するにあたって関連する問題を考察するための資料は
多い。第2章では第2次世界大戦前の思想、野外演習、機械化歩兵教義に関する
第2次世界大戦の戦闘経験を扱う。第3章では今日に至る米国陸軍機械化歩兵教義史を
検討する。第4章では本研究の根底にある問い、IFV装備歩兵は伝統的な機械化歩兵と
は異なる特別な歩兵なのかに対して解答する。
 
 2つの兵科間に挟まれて機械化歩兵は二重に孤児である。にも関わらず
今日の戦場においてかなりの成果を収めてきた。IFVの導入により三重の
孤児になる危険に面している。戦闘での運用と教義思想史は親を再発見する
道筋を示している。

#第1章終わり。24/144
219名無し三等兵:04/01/03 02:32 ID:???
 第2章
基礎となる経験:第2次世界大戦中における機械化歩兵教義

 FullerとLiddell Hart
まずFullerとLiddell Hartの伝説、著作、支持者と対決することから開始する。
FullerとLiddell Hartが戦間期の機械化戦闘について最も影響ある著作のある
思想家だというのは良く知られた伝説である。まずFlller、ついでLiddell Hart
を取り上げることにする。
 
 Fullerは著作の上では戦車を信奉しているが、実際にはより均整の取れた見方を
していたと信じるに足る理由がある。大抵の歴史家はFullerが著作や公で
第1次世界大戦中における戦車の成果強調しすぎ、その将来性の計算し損ねたとみて
いる。Fullerは諸兵科連合団において戦車は有効に運用されるのを理解していなかった。
220名無し三等兵:04/01/03 02:57 ID:???
 Fullerは戦車と戦車の区分を海戦になぞらえた。これは海上と陸上という環境が
同様でなければ成立しない。彼は兵器に焦点を合わせており、兵器が運用される場所
についてではない。が、彼の比喩は単一の兵器に優位を与えた理由を大いに語る。
海洋も陸塊からの距離、洋上の嵐、海底の深さ、潮と海流と多様性はあるが、陸の
植生、等高、人造物、河川、沼沢、山岳、稜線といった多様性はより戦闘に影響を与える。
加えて、現実の海戦では航空、水上、水中の部隊が参加する。が、彼は水上戦とのみ
比較している。
 
 陸上環境では海上よりも様々な障害が視界と運動を妨げる。彼の単独で作戦する
戦車の決定力とは地形のない御伽話の環境でのみ成立するにすぎない。彼の思想の
欠陥はその素材よりは戦争の他の局面との繋がりを欠いたことにある。
Liddell Hartも初期の著作ではFullerの強調ぶりを共有しており、戦車軍は
伝統的な兵科を飲み込むとまで述べていた。
 
221名無し三等兵:04/01/03 03:36 ID:???
 Fullerは航空戦力に傾倒したイタリアの航空論者Guilio Douhet
http://www.lib.byu.edu/~rdh/wwi/bio/d/douhet.html
他の第1次世界大戦後の新兵器支持者と似ている。DouhetとFullerに共通する
のは、単一の決定兵科を信奉し、他兵科の努力はその周囲で純粋に2次的なもの
にすぎないということである。彼らは兵器体系志向でのみ軍事力と戦場での効果
を描く。これは第1次世界大戦後の軍事思想の傾向の代表である。このある兵器
一つのみを決定的とする見方は問題解決にあたり技術と量への西洋の拘りの表れである。
物理科学の分野で環境を操作するのに成功したゆえ、他の人間の所為にも同じ方法を
適用しようとする。が、20世紀の戦争史で明らかなように戦争は複雑であり技術のみに
よる解決は通用しない。新しいより良い装備ばかりでなく、人と技術の接点を工夫する
ことが必要なのである。戦場の難題を技術的に解決する”銀の弾丸”を作れるという信念
は西洋では一般的なものであるが。 

 戦車単一思想の欠陥に関わらず、Fullerは将来の戦争を予測する上で他よりも
正確であった。機械化の重大性、航空戦力の台頭、これらによりもたらされる増大
する速度の意味などを同時代人よりも明確に理解していた。一方で、同時代人は
将来の戦争では機械化が重要であり、現代戦闘の輪郭をより正確にかつ論証にあまり
よらず把握している。
222名無し三等兵:04/01/03 04:31 ID:???
Fullerは将官になり多くの者に影響があった。多作であり1966年まで存命した。
機械化歩兵の役割に関する見解を改める機会はあったが実質的にはしていない。
1943年には米国歴史家S. L. A. Marshallの勧めもあって有名な野外勤務規定に
関する講義が米国でArmored Warefareの表題で出版された。原本は1932年に
発行された。

S. L. A. Marchall
http://web.sbu.edu/friedsam/marshall/biography1.htm
223名無し三等兵:04/01/03 04:49 ID:???
 1943年版では第2次世界大戦の知見で得た意見が加えられているが、これらの意見を
と現代歩兵に関する考えをわずかなりとも見ると、戦闘記録が彼の理論に疑問を投げか
けているに関わらず手入れするのに乗り気でなかったことがわかる。彼は軽歩兵部隊は
森林や山岳での戦闘に必要であると常々認めていた。加えて、補助民兵という考えは
自動車化ゲリラという概念へと変化した。さらに別の区分の歩兵が必要だと考えていた。
それは”正規”歩兵であり、伝統的歩兵を引継いで征服された領土の占領に適している。
軽歩兵、自動車化ゲリラ、正規歩兵のいずれも第2次世界大戦において戦車と協同して
戦闘していた歩兵の現実を描いていない。彼が機甲部隊に組み込まれた歩兵、機械化
諸兵科連合団の現実を前にした妥協は、このような歩兵部隊は歩兵ではなく対戦車徒歩兵
というものであった。

軽歩兵 light infantry 補助民兵 auxiliary militia 
自動車化ゲリラ motorized guerilla 正規歩兵 normal infantry
対戦車徒歩兵 antitank foot
224名無し三等兵:04/01/03 05:03 ID:???
#29/144で本日は終わり。interim cavalry regiment analysisをDL。
超訳風味のとこが多く反省。原文と引き合わせるとばれます。
225対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/03 05:38 ID:???
いえいえ〜。
原文読む気力は無いので、訳の是非についてはコメント出来ませんが、楽しく
読ませていただいてます。
歩兵の複雑多様な任務と、それに影響したヴィークルの固有性能(教義云々ではなく
技術的、物理的制約)、そして戦訓を突き合わせて理論化する困難さが仄見えて
興味深いですな。

>彼が機甲部隊に組み込まれた歩兵、機械化諸兵科連合団の現実を前にした妥協は、
>このような歩兵部隊は歩兵ではなく対戦車徒歩兵というものであった。
う〜む。そういう結論に達した人もいたわけだ・・・・・・
226トルエン大尉:04/01/03 05:56 ID:???
>>224
超訳風味はOKです。英語は日本語にノリにくく、それをしないと日本語が不自然になりますよ(w
227名無し三等兵:04/01/03 13:44 ID:???
>225 対潜臼砲さん >226トルエン大尉さん レス有難う御座います。
超訳というのは段落ごとに論理をおおまかに抑えているだけなのでどうしても
細かいニュアンスを落としてしまう点が大きいです。
 ともあれ、肝心の2章が始まったばかりなので頑張ります。
この論文の場合、最後の結論は総まとめでなく新たな提言まで盛り込んでいるので
気が抜けません。
228名無し三等兵:04/01/03 14:08 ID:???
 Fullerは機動性ある軽戦車と重戦車を連合して運用することで錯綜した山岳の地隙を
戦車単一部隊が通過できるとみていた。彼は軽戦車はゲリラが蔓延る地形を単独でしかも
無事に切り抜けられると考えていた。機械化歩兵の役割については不条理なまでに
盲点となっている。第1次世界大戦の戦術を繰り返さぬようにという念が大きかった
のかもしれない。さらに妨げとなる思想と対決して道を切り開かねばならなかったことも
要因である。諸兵科連合理論の可能性を受け入れたまま道を切り開いたものもいたのだが。
Fullerにとっては地上戦闘に歩兵が主要な役割を果たし続けるということは機動の
欠如であり、優柔不断であり、不適切な作戦指導ということであった。

 彼の思想と影響が示すように、生まれたての機械化歩兵を囲む知的環境は恵まれた
いなかった。戦間期の理論化における機械化歩兵の地位は”赤毛の継子”である。
彼が順調に少将まで昇進して退役したことは、一定の支持を得ていたことを示している。
229名無し三等兵:04/01/03 14:25 ID:???
 Liddell Hartの歩兵についての初期の言明はFullerと似通った点がある。
1927年には将来の歩兵は戦場を固有の小型戦車に乗って移動すると考えていた。
また、Fullerによる海戦の比喩からも影響を受けている。1920年代と1930年代、
機械化について考え続ける中で、戦車の前進運動力の障害を除去するためにのみ
戦闘する”陸上海兵”(landmarines)というFullerの用語を受け入れている。
Fullerと異なりLiddell Hartは歩兵の将来の役割と汎用性を深く探求し、
戦場における降車機動あるいは徒歩機動の機能を退けなかった。
230名無し三等兵:04/01/04 01:18 ID:???
 彼は戦争直後に歩兵戦術に関する記事と1920年の歩兵訓練教範改訂を手伝ったことで
有名となった。この教範ではすでに”戦果拡張奔流”という有名な思想が明らかである。
後の著作ではさらに思想を発展させた。ことに
The Remaking Modern Armies http://www.rubylane.com/shops/pendragons/item/x78-3928-d7_93abと
Future of Infantry http://www.kcl.ac.uk/lhcma/cats/liddell/li0911.htmでは
は第1次世界大戦後の歩兵の概念的枠組みがされている。これらの著作では
彼は明らかに第1次世界大戦のドイツの突撃隊戦術の異郷を受けているが、丸写し
というわけではない。

英国陸軍での動きは新たな区分の歩兵が必要である事を裏付けていた。彼は
どこでおころうとも戦術級にて戦果を拡張できる柔軟性のある歩兵部隊を構想した。
より下級の階層の歩兵部隊に機動する権限を委任することを主張したのである。
兵器の改良は確かに重要であるが、今日の歩兵はさらなる分散と下級における柔軟性
と機動性により生き延びるのだと指摘した。
231名無し三等兵:04/01/04 01:40 ID:???
 この傾向は歩兵分隊を独立して機動できる最下級の部隊とする考えに行き着く。
彼はこの方向を目指していたが明確に支持していたわけではない。分隊の歴史的
発達は機械化歩兵の発達の文脈においても重要である。

 20世紀の歩兵の発達により、ある斑(element)が抑制する間に別の斑が突撃、
敵に近接するという能力がある分隊が出現した。これを柔軟にこなすには
班、つまり組(team)は指揮官と敵を抑制できる武器を持ち、交互に抑制と突撃を
行える必要がある。Liddell Hartは分隊の編制まで正確に予言してはいなかった。
が、徒歩歩兵が何をどのようにすべきかは驚くほど正確であった。彼は”陸上海兵”
が戦車に随伴するのは敵を2つの兵科により板ばさみに追い込むのに不可欠だと分かって
いた。戦車と歩兵は、一方を払いのけるともう一方に身をさらす状況を敵に強いる
よう協同する。

232名無し三等兵:04/01/04 02:22 ID:???
 1927年のSalisbury Plain Trialは米国戦争省も観閲したが、この頃は
機械化歩兵の必要性と戦車とどのように歩兵が組み合わされるべきかはまだ
解決が定まっていない問題だった。観閲者は自動車化歩兵すら戦車部隊の速度を
低下させると結論しがちだった。が、Liddell Hartはそれでもなお、歩兵の
完全な機械化を主張し、攻撃行動におけるその意味に関心を持ち続けた。

 英国と米国どちらでも、伝統的な騎兵の役割になぞらえて将来の機甲を考える傾向が
あった。この文脈では戦車は既に潰乱し破砕された敵に対する戦果拡張のためにのみ
控置されることになる。Richard Ogorkiewicz
http://www.iss.co.za/Pubs/Monographs/No2/Authors.html
によれば、初期の機甲の発達は伝統的騎兵と歩兵の役割の線を堅持して進められた。
戦果拡張のための戦車と歩兵中心攻撃支援のための移動トーチカとしての戦車である。
彼の指摘では、これでは戦車、機械化、諸兵科連合を十全に運用しているとはいえない。
全戦車(騎兵)運用と歩兵支援運用は戦車の持ちうる力を引き出していないばかりか
機械化歩兵の必要性は埋もれてしまう。
233名無し三等兵:04/01/04 03:36 ID:???
 騎兵衝撃行動の後継として戦車を運用するのは戦車を十全に活用しているとは
言えない。もっとも適した運用は諸兵科連合団である。敵後方や側面を攻撃する
決定的かつ大胆な機動という構想は機械化所兵科連合部隊の運用を厳しく制約した。
戦車の大量集中運用は意味があるが、戦車が単独でできることには限りがある。
諸兵科連合は初期の理論家達の大半には思い浮かばなかった。歩兵部隊は2つの点で
信用されていなかった。まず時速2.5マイルでしか移動できないこと。次に
第1次世界大戦の西部戦線における不効率な大部隊、大規模な人的基盤の結果として
財政的にも政治的にも高くつくという古い方法と結びついていた事。

 歩兵を重荷とみる見方は米国陸軍では1929年のメリーランド州Fort Meadeにあった
機甲学校司令官James K. Parsons大佐の報告にも見出せる。
h ttp://www.army.mil/cmh-pg/matrix/2ID/2ID-Cdrs.htm
(36年10月〜38年5月 少将第2歩兵師団長この人物でしょうか?)
戦争省長官から機械化部隊の実地開発を命じられて1930年に陸軍副官を通じて
提出した報告書では、歩兵の時速2.5マイルでの移動と、戦車師団は
8119名定数で編成できるが、歩兵師団は21175名であることが指摘されている。
のちほど、戦闘経験ばかりでなく第2次世界大戦以前の野外演習により
機動性のために歩兵師団の規模が縮小され、機甲師団で歩兵が増加していくことを
みていく。
234名無し三等兵:04/01/04 03:59 ID:???
 Parsonの報告書では、歩兵部隊基盤の大規模陸軍と比べ機械化は少ない費用で
安全保障の要求を満たせるという主張がみてとれる。歩兵自体がさらなる分散化、
より大きな火力、下級部隊での兵器の複数化や、主導権を委譲する傾向など
革新の最中にあることは初期の戦車理論家の頭中に常にあったとはいえない。
フランスの有名な格言”砲兵が征服し、歩兵が占領する”は歩兵は大規模な補助兵科
であり、主戦闘で大きな役割を果たさなくなっているということと受け止められた。
機械化によりもたらされる速度は歩兵が伴うと生かされないと考えられた。
勿論、歩兵に戦車に随伴できる輸送車両を与えればこの問題は解決する。
FullerもLiddell Hartもこの解決に辿り着いたが方法は異なった。この差異の
影響は今日まで及んでいる。
235名無し三等兵:04/01/04 04:17 ID:???
 米国陸軍の機甲発達初期に関与した人物にFullerやLiddell Hartが与えた影響を
見積もるのは難しい。1968年の修士論文でTimothy K. Nenninger
http://www.smh-hq.org/ が第2次世界大戦に参戦した機甲科の上級将校にインタビュー
しているが、ほとんどはfullerとLiddell Hartを両方とも読んだと言っている。
これにも関わらず実際の野外演習が機械化歩兵の役割が次第に拡大していったことに
最も影響している。騎兵科内で、機械化部隊と騎馬騎兵が対決したある初期の演習では
騎馬騎兵による夜襲が成功した。このことで夜間に戦車を守るためには機械化騎兵は
十分な歩兵が必要だと参加者は結論している。
 
 機械化した全兵科部隊が必要という見方はこのような野外演習により次第に
認識されつつあった。この見方が確固としたものとなるには第2次世界大戦での
ドイツの成功が最も大きな影響を与えている。

#35/144 今日はここで終了
236名無し三等兵:04/01/04 20:17 ID:???
 ドイツ人達

 戦間期のドイツ軍はドイツ参謀本部の後裔であり、ワイマール共和国軍の厳格な
効率重視という点でも恵まれていた。これらの要素のため、戦間期において機械化部隊と
空軍の革新を柔軟に受け入れることができ、比較的均整の取れた機甲部隊を持つことがで
きた。

 が、それでも1939年9月〜10月のポーランド戦役の結果最初の機甲部隊編制改編を
行っている。戦車師団内に歩兵を増やしたのである。もっともドイツの編制は全部隊で
共通していたわけでもなく、戦闘経験のみが改編をもたらしたわけではないが。
ポーランド戦役時点ではドイツ戦車師団は4個戦車大隊と3個自動車化歩兵大隊、2個砲兵
大隊で編制されていた。が、戦役後3個戦車大隊へ削減した。ヒトラーが戦車師団の増加を
求めたことも原因ではあるが、戦訓とも一致していた。   
237名無し三等兵:04/01/04 20:31 ID:???
 戦闘経験によりドイツ人はさらに戦車師団内の歩兵を増やした。機械化作戦に
おいて歩兵集約的任務が多数あったためである。多数の歩兵部隊無しには、突破、
包囲、敵作戦縦深への突破能力の十分な活用などを遂行できなかった。タイフーン
作戦(1941年9月のモスクワへの進撃)時点で、機甲将軍(Panzer generals)は
戦車軍団や戦車軍に徒歩歩兵の協同さえ嘆願している。これは1941年夏の戦闘で
囲むことはできたがロシア軍の大軍を封じ込めることができなかった経験による
ものであり、歩兵が十分にないよりは自動車化されていない歩兵と協同することを
機甲将校は望んだのである。

 ドイツの第2次世界大戦における作戦、戦術の成功はある特定の兵器、戦車の
能力を活用することによったという考えがあるが、これは見当違いである。
ドイツの成功は、機械化を推進する意志、下級での主導権発揮、戦術航空戦力による。
 有能な歴史家であっても、戦術教義に関心のない者は特に、第2次世界大戦の
機械化作戦を戦車戦としてのみ記述しがちである。
238名無し三等兵:04/01/04 20:50 ID:???
 George S. Patton大将の伝記を著したCarlo D'Esteもその一人である。
http://www.historyofmilitary.com/Patton__Genius_for_War_A_0060927623.html
彼は間違いなく有能な歴史家であり退役中佐でもある。が、パットンを”戦車の勝利”
をもたらした軍事実践者にして革新者として描いており、これは砂漠の嵐や中東戦争に
おいても明らかだとする。彼の描写はラフなものであり、これだけで彼の現代機械化戦闘に
関する見解とするのは誤りであろう。が、戦車の勝利という言い方はあたかも
唯一の決戦兵器があり、他の兵器はその成功を確保する為に扱われるべきだと言っている
かのようである。当人に話を伺えば、諸兵科連合に関する突っ込んだ議論ができ、
訂正もするだろうけども、とにかく、機械化戦闘を戦車中心に描くのは一般的なのである。
本研究では機械化戦闘についての通俗的な描写が思いがけずして米国陸軍が諸兵科連合
戦闘を確実に把握するのを妨げていることをもみていく。 
239名無し三等兵:04/01/04 21:10 ID:???
 戦車は機械化戦闘において重要な兵器でなかったと主張するのではなく、戦車を
決戦兵器とみなして機械化戦闘が円滑に進行するためには適切に支援されねばならない
という見方は単純すぎるし史実に反すると主張するのである。航空戦力が重要な
役割を果たす機械化諸兵科連合団は現代の機械化戦闘において戦術的に最適の部隊の
編成だといえる。精緻を極めた理論であっても実際の戦闘からの戦訓とは同一ではない。
軍隊は戦術を受容し、失敗から学ぼうと苦心し、通常は余裕がない実験をする自由
がある。

 結果として戦術級戦闘に焦点をあわせていない理論よりも当時の戦闘記録こそ
研究に有益であるということになる。米国陸軍の場合は機械化歩兵の戦闘記録は
第2次世界大戦である。部隊記録と戦闘録は多いが、その多くは機械化歩兵の運用に
関しての詳細な戦闘経過を含まない。幸い、陸軍は第2次世界大戦終了時に、無数の委員会で
調査をしている。中でも欧州戦域作戦総委員会報告書は良い資料である。
この報告書はいかにして史上最大の機械化歩兵運用が生きた有能な敵を前に対して
行われたかを伝えてくれる。
240名無し三等兵:04/01/04 21:51 ID:???
 Joseph A. Holly准将が欧州戦域作戦総委員会の機甲師団に関する報告書の長で
あった。
(#Northeastern University (Boston) Class of 1928 - Sophmore Class, 1926
に同名を発見 関係不明。)
彼は戦前の米国陸軍の機械化の先頭にあった騎兵将校達の一人である。
報告書作成に加わったのは機甲将校の大佐5名、中佐1名。これに彼自身を足して
7名が総委員会の機甲班であった。
241名無し三等兵:04/01/04 22:49 ID:???
機甲師団の編制について提言するために師団内に配属される他科将校の助言を
受けている。憲兵、通信、野砲などである。委員会報告書では助言者として
目次の次に名前が出ている。うち一人は科が書かれておらずかわりにG-3課と
なっている。助言者は機甲科以外の必要な点についてのみ助言したと見られる。
委員会の班自体は機甲科からの7名で構成されていたことを考えると、歩兵科を
偏重する者はいないように思える。

 機甲科班報告書は、欧州戦域作戦での機甲師団が果たした任務の内容、実際に
機甲師団が用いた隊形、機甲師団の運用の実例、機甲師団に関する意見の簡単な
要約といった内容である。班から大佐4名と中佐1名が総委員会の上級将校会合での
報告書の討議に出席している。この会合は1945年11月7日に当時米国第7軍司令官
Geoffrey Keyes中将を議長として開催された。
h ttp://www.arcent.army.mil/history/com_bios/cg_gkeyes.html
彼はMolly(Holly?)と同様、戦前米国陸軍の機械化に努力した経験がある。
この会合には少将3名、准将3名、大佐7名、中佐1名と全部で議長とあわせて
15名が参加した。その大半は機甲師団で戦闘経験がある。この会合では
報告書に簡潔な1ページの提言を加えて機甲班の見解を承認して送り出した。
まとめると報告書は総委員会機甲班の努力によるものであることがこれらの経過から
明らかである。つまり報告書は機甲科将校が作成したものであり、欧州戦域作戦に
おける機甲師団での上級機甲将校の戦闘経験から将来の陸軍のよすがとなるよう
経験を把握し判断を残そうとした所産である。
242名無し三等兵:04/01/04 23:13 ID:???
 この報告書の内容は機械化戦闘を戦車の勝利としてとして見る者にとっては驚倒すべき
ものである。が、欧州戦域作戦は歩兵の勝利であったと書かれているわけではない。
機械化された歩兵、砲兵、戦車の戦闘団の密接な協同が戦術級機械化戦闘の不可欠な
本質だとしている。さらに歩戦の大隊数比率は少なくとも1対1でしばしばこれより
も遥かに歩兵が大であったとしている。

 戦闘部隊の実際の編制については、第2次世界大戦における機甲師団の編制及び装備
定数表として、重機甲師団と軽機甲師団の2種をあげている。重と軽の区別は
人員定数と部隊定数の違いであり、それぞれの師団の戦車が異なったわけではない。
この機甲師団の重と軽という区別は当時の記録では一般的である。が、正確には
重機甲師団は1942年型機甲師団編制装備定数表を指し、軽機甲師団は1943年機甲
師団装備定数表のことである。本研究では当時頻用されていたことを考慮して重
と軽を用語として用いる。重編制は1942年に北アフリカで第2次世界大戦に表向き
参戦した時の編制である。軽編制は独英の第2次世界大戦初期2年間の戦闘経験
による改編を学ぼうとした所産である。が、さきほどみたように騎兵科やのちには
機甲軍団内で行われた戦前の演習により戦車部隊にさらに歩兵と砲兵を増加させる
動きはあった。戦闘経験、戦前演習の成果は陸軍地上部隊司令官Leslie McNair中将
の戦闘部隊を合理化しようとする意図とうまく噛み合った。彼は戦闘部隊と支援部隊の
比率、機動性の増強、戦前の師団編制にまさる敏捷性を達成するのに合理化が
不可欠だと考えていた。

leslie McNair
http://personal.pitnet.net/heathde/749/749-C.htm
この人物と同一かは不明
243名無し三等兵:04/01/04 23:48 ID:???
 重編制だったのは第2機甲師団と第3機甲師団の二つだけである。編制は
6個戦車大隊と3個機甲歩兵大隊。欧州戦域作戦参加の残り14個機甲師団は
軽であり、編制は3個戦車大隊と3個機甲歩兵大隊である。これらの6個大隊は
旅団に相当する本部である戦闘司令部(A、B、R)のもとで戦闘する。
これらの戦闘司令部は本部機能のみである。

 初代機甲軍司令官Adna Romanza Chaffee大将は早くも1936年にはCCA、CCB、CCR
を構想していた。
http://www.arlingtoncemetery.net/achafjr.htm
彼の構想では戦闘司令部は固有部隊を持たない。機甲師団長が特定の任務に応じて
戦闘部隊を配属する。彼の構想は修正されつつも機甲師団の多くで用いられた。
戦闘司令部は固有配属部隊を持たないが、特定の部隊との繋がりが深くなることは
大抵の師団であった。戦闘司令部は配属の戦車駆逐車、機甲工兵、対空砲小隊
や他種の部隊など任務編成された大隊を受取る。今日の米国陸軍の大隊任務部隊
と第2次世界大戦の戦闘司令部内の任務部隊はは統合された諸兵科連合部隊という点で
大変良く似ている。本研究では機甲師団の作戦において見られた大隊と中隊の比率に
着目する。
244名無し三等兵:04/01/05 00:19 ID:???
 重編制についての記述で注目すべきは戦闘司令部は大抵2つの任務部隊で構成
されていたという点である。戦闘司令部下の2つの任務部隊は大抵それぞれが
1個戦車大隊、1個歩兵または機甲歩兵大隊、1個砲兵大隊と配属された工兵、対空、
戦車駆逐部隊からなる。この方法では歩兵を師団外から配属することが必要になる。
報告書は軍団から1個歩兵連隊丸々が重機甲師団に配属されたと述べている。
報告書は結論として重編制は歩兵が不十分であるとしているが、歩兵師団全体の3分の1
である連隊1個の配属を受けていたことを考えると理由は明らかである。

 報告書は重師団の歩兵が不十分と指摘する一方で軽師団は必要な強度を欠くと
している。その結果McNairの師団あたり機動大隊(歩戦あわせて)6個とする
合理化には反対し、歩兵の増加と師団9個大隊を支持した。 
245名無し三等兵:04/01/05 00:49 ID:???
 軽師団編制については、時として歩兵の配属を受けることがあったと述べている。
軽師団の戦闘司令部はそれぞれ戦車中隊が多いのと、歩兵中隊が多いので2個任務部隊
を指揮することが時としてあった。この場合は戦闘司令部Rをも本来的な戦闘司令部
として用い、任務部隊2つを指揮させた。また、別の例では戦闘司令部Aと戦闘司令部B
が各3個任務部隊を指揮したものもある。この場合は、戦闘司令部R下には大隊規模部隊は
割り当てられない。予備または本部の予備として用いられている。師団長は戦闘司令部を
どちらの方法でも、また他の方法でも用いた。が、かつての3個連隊として司令部を
標準化するのはうまくいかなかった。

 現在の米国陸軍の師団編制でも理論上は可能だが、この種の旅団級での流動的な
任務編成は師団の将兵に自然に受け入れられるとは想像しがたい。任務部隊は
中隊の数によって戦車重編成、または歩兵重編成と呼ばれた。大抵は
まず1個任務部隊が戦車大隊本部下にその固有4個中隊のうち3個中隊(うち1個中隊は
軽戦車)と機甲歩兵中隊1個の配属で作られる。そして2つ目の任務部隊は機甲歩兵大隊
本部の下で固有3個歩兵中隊のうち2個中隊に1個戦車中隊が配属されて作られる。この
配属される戦車中隊はほぼ常にシャーマン中戦車装備であってスチュアート軽戦車装備
ではない。委員会はこの戦車重編成と歩兵重編成は流動的局面では問題があると見てい
た。まず、それぞれの任務部隊毎に別の前進軸を見つけることができなかったこと。
つまり地形は米国機甲師団編制の欠点を明るみに出したのである。
 どちらの編成の任務部隊も様々な地形で作戦可能である必要からも、歩戦比率が
少なくとも1対1であるべきという意見は支持できる。
246名無し三等兵:04/01/05 02:24 ID:???
44/144で終わり。ストライカー旅団はサマワでの作戦終了して新たな基地へ
移動中。
247対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/05 03:52 ID:???
今日も御疲れさまでした。
臼砲はROM諸氏のために、WW2における軽機甲師団の編制を書いておきましょうか。

軽機甲師団は、
・A機甲戦闘団司令部
・B機甲戦闘団司令部
・R予備戦闘団司令部
を持ち、その下に
・3個戦車大隊
・3個機甲歩兵大隊
・機械化騎兵(偵察)大隊
・師団砲兵
・機甲工兵大隊
・機甲通信中隊
・師団軍楽隊
・戦闘情報分遣隊
・師団段列(本部&本部中隊、機甲整備大隊、機甲衛生大隊、憲兵小隊)
かな成っており、これに軍団高射砲兵自動火器大隊、軍団戦車駆逐大隊が増強されるのが
標準でした。

戦車大隊は大隊本部&本部中隊、本管中隊、3個中戦車中隊、1個軽戦車中隊を持ち
中戦車中隊はM4戦車18輌(本部3輌、3個小隊に各5輌)、軽戦車中隊はM3/M5軽戦車17輌を
装備していました。(他に大隊本部にM4中戦車2輌、M4自走105mm突撃砲3門、
M4A1半装軌81mm迫撃砲3門)
機甲歩兵大隊は大隊本部&本部中隊、本管中隊、3個機甲歩兵中隊で、M3半装軌装甲車72輌、
M4自走81mm中迫3門、M8自走75mm榴3門、M1牽引対57mm戦車砲他を有します。
機甲歩兵中隊はM3半装軌装甲兵車20輌他を持っており、中隊本部、3個機甲歩兵小隊と
対戦車小隊(57mm対戦車砲3門)でした。
248名無し三等兵:04/01/05 11:04 ID:???
>247 有難う御座います。Tankdestroyerはそう訳すのですね。用語を
もう少し調べないといけないなと。このあとノルマンディーのボカ−ジュ
をどう歩戦協同で克服するのかという話だともう少し細かくなります。

>246訂正 サマワは南部イラクの自衛隊が展開する都市 SBCT-1が居たのは
サマラでした。移動中は目的地と日付を報道してはいけないことになっているので
分からないのです。当初の展開予定地だったキルクークに行くのだろうか。
郵便物の配送が混乱した話なども記事にされていました。また、兵士に欲しいものを
インタビューして記事にしたら読者から送ってあげたいという申し出が相次いで
近親者と恋人以外の慰問小包以外は遠慮願っているという話が出るなどしています。
249名無し三等兵:04/01/05 11:40 ID:???
 報告書には戦闘の実例が幾つか含まれている。機甲班の会合議事録は現存して
いないようなので記載されるに至った経緯は明らかではない。が、戦術級の機甲
戦闘をどのように陸軍が行っていたのかを伝えてくれ、第2次世界大戦末の
機械化歩兵教義に対する見方を知る上で有益である。これらの例は機械化戦闘に
おける降車行動と機動の重要性を本研究に示してくれた。

 最初の例は”機甲による都市の奪取”である。これは機甲部隊が都市地形を避けうる贅沢
が許されるかどうかを見直すことを迫る例である。第6機甲師団は人口30000人の
都市Muhlhausenを攻撃し奪取した。師団は戦闘司令部Aと戦闘司令部Bにそれぞれ
3つ任務部隊与えて運用させている。戦闘司令部Aは、各1個機甲歩兵中隊が配属された2個の
戦車重編成任務部隊とシャーマン中戦車装備戦車中隊1個配属の1個歩兵重編成任務部隊で
編成された。戦車大隊の一つが1個中戦車装備中隊を差し出し、もう一方の大隊は
中戦車装備中隊1個と軽戦車装備中隊1個を差し出している。任務編成には軽戦車装備中隊が
含まれて居ないのは記録されていない支援任務に送られたためだろう。戦闘司令部Aは
全部で6個戦車中隊と4個機甲歩兵中隊から編成されている。当時戦車大隊は
4個中隊編制で、うち1個はスチュアート軽戦車装備。機甲歩兵大隊は3個大隊編制である。
従って1個機甲歩兵中隊は戦闘司令部B下の機甲歩兵大隊から交差配属されたことになる。
 この例では戦闘司令部Bは2個機甲歩兵重編成任務部隊と1個戦車重編成任務部隊からなる。
第2次世界大戦の米陸軍機甲師団運用では大隊任務部隊において戦車中隊と歩兵中隊を
交差配属するのが一般的であった。言い換えると戦車大隊も歩兵大隊も単一で戦闘することは
なかった。この例では戦闘司令部Bは5個戦車中隊と5個機甲歩兵中隊から編成されている。
つまり1個戦車中隊を戦闘司令部Aから交差配属されていたことになる。
250名無し三等兵:04/01/05 12:07 ID:???
#Muhlhauzenは同名の都市がドイツ国内に複数あり。
http://www.europe.opel.com/vicinity/waydrive/uk/en/waydrive_output.jhtml?_requestid=265981

上の例をまとめてみると
まず師団の固有は4個中隊編制戦車大隊3個と3個中隊編制機甲歩兵大隊3個
●●●● ●●●● ●●●●
○○○  ○○○  ○○○

うち戦闘司令部Aが2個戦車大隊と1個機甲歩兵大隊を
戦闘司令部Bが2個機甲歩兵大隊と1個戦車大隊を配属される。
戦闘司令部A ●●●● ●●●● ○○○
戦闘司令部B ○○○ ○○○ ●●●●

戦闘司令部Aは2個戦車重編成任務部隊 1個歩兵重編成任務部隊を作ろうとする
●●●○ ●●●? ○○●  ●が余り○が不足
戦闘司令部Bは2個機甲歩兵重編成任務部隊 1個戦車重編成任務部隊を作ろうとする
○○● ○○● ●●?○ ○が余り●が不足

そこで戦闘司令部Aと戦闘司令部Bとで1個戦車中隊と1個機甲歩兵中隊を交差配属する
戦闘司令部A ●●●○ ●●●○ ○○●
戦闘司令部B ○○● ○○● ●●●○

最後に戦闘司令部Aの戦車重編成任務部隊から1個軽戦車装備中隊を他の任務に送り出す
戦闘司令部A ●●●○ ●●○ ○○● これで戦車中隊6個 機甲歩兵中隊4個
戦闘司令部B ○○● ○○● ●●●○ これで戦車中隊5個 機甲歩兵中隊5個
251名無し三等兵:04/01/05 14:24 ID:???
 Muhlhausen攻撃では、師団の大部分は町を迂回するかのように機動してから旋回し
脱出路を封じた。その後、歩兵重編成任務部隊2個が町を掃討した。今日ブラッドレー
装備歩兵の降車行動で抱える問題は降車人員数の問題ではなく用いられ方の問題である
という本研究の主張を裏付ける上で、この1個機甲師団による建造物密集地域への攻撃は
意味がある。機甲歩兵は戦車の前進を助けるためにあり、正規歩兵のように準備陣地の
奪取や防御をさせるのは誤りという見方はとらない。

 この第6機甲師団の密接な歩戦協同の例で分かるように、正規歩兵と機甲歩兵に二分す
るのは教義を限定しすぎている。現実と作戦上の好機と戦場が第6機甲師団に都市の奪取を
求めた。戦争の現実は第6機甲師団が正規歩兵部隊が教義により割り当てられた準備陣地の
奪取という任務をこなすべく到達するのを期待して迂回することを許しはしなかった。
むしろ、この例では第6機甲師団が機甲化されていたがゆえに抵抗は短期間で、大量の降伏へと
繋がっている。
252名無し三等兵:04/01/05 15:37 ID:???
 第6機甲師団の将校はドイツ軍は実際よりも頑強に抵抗することができたと
判断していた。捕虜となったドイツ軍将校によると素早い包囲と攻撃で防御が混乱
したとのことである。2個歩兵重編成任務部隊の攻撃を受けつつ撤退していた
ドイツ軍部隊は封鎖していた他の任務部隊に泡を食った。その結果多くは降伏した。
この例では複数の砲兵大隊が4つの任務部隊に配属されており、市を攻撃した2個任務
部隊にはそれぞれ1個砲兵大隊が割り当てられている。つまり、4個機甲歩兵中隊と
2個戦車中隊に配属の戦車駆逐車と工兵が砲兵の密接な支援のもと町へ突撃したのである。
市の掃討は歩兵集約的任務であるが完全定数だとして34両の戦車は突撃部隊に機動力ある
防護された火力を与えて歩兵行動を支援した。同様に封鎖地点でも戦車と歩兵が協同
していた。ドイツ側が対戦車砲を運用していたとしても、戦車砲、歩兵の機関銃、迫撃砲、
そして近接突撃の前に脆弱だっただろう。具体的な戦術状況はこの報告書からは
分からないがドイツ軍の板ばさみは戦車単独または歩兵単独の突撃と封鎖では
生じなかった。

 2番目の例は”重機甲師団の1個戦闘司令部が運動力を失った攻撃を再興するために攻撃”である。
Huertgen森作戦の厳しい時期1944年12月9日〜11日において第3機甲師団はドイツの
LangerweheとHoven間で攻撃を推進した。戦闘司令部Rは1個戦車重編成任務部隊と1個歩兵重編成
任務部隊から編成され、攻撃は成功した。が、報告書は戦車重編成任務部隊は歩兵が不足が認められて
いたと記している。機甲戦闘司令部は歩兵が追加されないと、死に物狂いのドイツ軍の抵抗を
駆逐することは難しいと判断していた。同時に歩兵単独攻撃が既にこの地域で頓挫していたことから
戦車が必要なことも分かっていた。重師団内の歩兵は希少であったから隣接の第9歩兵師団から
1個歩兵連隊丸々が戦闘司令部Rに配属されて、歩戦協同部隊を編成した。
253名無し三等兵:04/01/05 15:40 ID:???

 攻撃の経過がHovenに至る経路上の中間目標の奪取の連続であったのは興味深い。
目標が奪取され敵部隊が掃討されるにつれて、任務部隊の編成は柔軟に変更された。
ある時点では第9歩兵師団から配属された第60歩兵の1個大隊と1個中戦車装備中隊が
新に1個任務部隊を編成している。その間、この1個戦車中隊を引き抜かれた2個任務
部隊は1個に統合されて前進を継続。これは戦闘損失の反映でもあるが、状況にあわせて
部隊を編成したためでもある。また野戦司令官が歩戦協同に重きを置き、局面に応じて
柔軟であったことも意味する。
254名無し三等兵:04/01/05 16:23 ID:???
 3つ目の例は”歩戦協同”である。これは戦車と歩兵が互いに近接することに
どれだけ力点が置かれたのかを示す好例である。第2機甲師団の戦闘司令部Rは
2個任務部隊で攻撃。1個任務部隊が戦車が先導し歩兵は徒歩で200ヤードの距離で
随伴。2つ目の任務部隊は一番目の任務部隊が突撃している敵陣地の防衛を
制する稜線を迅速に奪取するため展開。注目すべきは2つ目の任務部隊の歩兵は
半装軌に乗車したのでもなく、徒歩だったのでもなく、戦車に跨乗して行動したこと
である。この行動では戦車は稜線の直前で停止して歩兵が前進して占領した。
255名無し三等兵:04/01/05 16:39 ID:???
 4つ目の例でも機甲歩兵が戦車に跨乗して運用されている。第6機甲師団はコンクリ
掩体内にある33門の88ミリ砲を攻撃。野砲が煙幕と榴弾で準備射撃をし、続いて
戦闘爆撃機が任務部隊が接近する間、制圧する。機甲歩兵小隊1個が跨乗した中戦車
装備戦車中隊が敵の左側面を包囲し、同時に同様の編成で右側面も包囲した。

 米国機甲歩兵の戦車跨乗はこの2例でみるように例外的なものではない。
Creighton Abrames中佐率いる大隊の第4機甲師団のBastongeとの連絡のため行った
機動での役割などは有名な例である。米国陸軍には半装軌車両が十分に配備されていた
が、装甲車両が不足していたソヴィエト機械化歩兵と同様に跨乗していたとは驚きである。
これは密接な歩戦協同を当事者が念頭に置いていたことを示す。歩戦協同が確実に
なされるように、歩兵が後落しないように戦車の上に暴露した状態で歩兵を乗せることを
選択したのである。半装軌車両はトラックよりは優れていたが戦車に随伴して
不整地を走破する能力はなかった。跨乗が一般的であったことは1944年11月版
FM17−40機甲歩兵中隊の付録Gに分隊の戦車跨乗する図表があることでも明らかである。
半装軌車両を装備していた機甲歩兵の教範にこの教練が含まれてたことは密接な
歩戦協同に経験を重ねた兵士たちが価値を認めていたことを物語る。
256トルエン大尉:04/01/05 17:52 ID:???
>「歩兵が後落」しないように戦車の上に暴露した状態で歩兵を乗せることを
>選択したのである。半装軌車両はトラックよりは優れていたが「戦車に随伴」して
>不整地を走破する能力はなかった。

なるほど。米軍歩兵が戦車に跨乗している映像は見たことがあるが、歩兵が後落させないためだったか!
257名無し三等兵:04/01/06 03:07 ID:???
>256 ”戦車に随伴”という訳は戦車を決戦兵器として捉える見方の影響が
残っているのかも。”不整地機動において戦車と速度を合せて機動する能力がなかった”
が原文のままの訳です。随伴だと戦車に他兵科がお膳立てするという見方を再生産
していることにありこの論文で批判されている立場となってしまいます。

 5つ目の例はEngeman任務部隊のよるRemagenのLudendorff橋の奪取である。
降車した機甲歩兵中隊が中戦車小隊と密接に協同して橋を奪取している。戦車小隊は
橋の此岸から援護射撃を行う。歩兵は橋を防護する機関銃を掃討しつつ対岸まで突撃を
継続、狙撃手と対戦車砲を撃滅。任務の性格からいって戦車単独でも歩兵部隊単独でも
橋を確保するのは困難だった。
258名無し三等兵:04/01/06 03:30 ID:???
 6つ目の例は東部戦線におけるドイツ軍の経験と似ており、敵が川の此岸に築いた
橋頭堡に対する機械化歩兵重編成部隊による反撃である。機甲歩兵重編成任務部隊
(2個機甲歩兵中隊と1個中戦車中隊)が1個砲兵大隊の支援のもとドイツ軍が陣地構築
中の森林地帯へ主攻。興味深いことに歩兵部隊が配属された軽戦車中隊がこの作戦では
助攻を成功させている。スチュアート装備の軽戦車中隊は主戦闘には大抵参加させられ
ず、遮蔽、阻止、遅滞任務を戦闘司令部下で行っている。森林地帯の陣地構築していない
敵歩兵に対する突撃に歩戦戦闘団として参加させた司令官の判断は興味深い。

 第2次世界大戦中に密接な歩戦協同という機械化戦闘が効果的に運用された例は
欧州戦域作戦総委員会の報告書以外でも見受けられる。部隊史と少数の学問的著作
は上記の例と大変よく似た戦術や戦闘手続に焦点を当てている。Michael Doubler
のClosing with the Enemyはこうした著作で近年でたものの一つであり、後ほど
取り上げる。が、隙間ない歩戦砲協同が第2次世界大戦での戦術の成功には不可欠で
あったという認識は著作において広汎かつ深く受け入れられているとは言い難い。
その理由の一端は戦術に関する軍事史書が少数であること。が過半は戦前の機械化論争で
頑固な指導者が歩兵を他科が支援すべき主要兵科と主張し続けたことに対して
機械化信奉者が戦車の自己完結性を強調しすぎるという反応を示したことにある。
259名無し三等兵:04/01/06 04:20 ID:???
 戦術に焦点をおいた歴史書で近年優れている著作はMichael D. Doublerの
Closing with the Enemyである。過去の戦術を詳細に理解しても時の経過とともに
時代遅れとなる可能性もある。が、彼は第2次世界大戦における戦術級の諸兵科連合
戦闘は今日においても不可欠な本質であると主張する。また、近年の第2次世界大戦
における米国陸軍は非効率であったとの学問的評価と自らの著作を関連付けることで
専門家にとどまらず市井にも戦闘史を伝えている。彼は米部隊の受容性、学習能力、
実験をしようという姿勢を強調している。

#bocageについて
http://home.worldoptions.com.au/fourpipers/rapid/misc.html
Close combatなどでもおなじみですが念のため。垣根の構造については
http://www.bernwoodecs.freeserve.co.uk/page2%20cstwd.htm
hedgeでイメージ検索すると恐らく同様のものがでて来ます。英国のですが。
頑丈な土手(石も使っていることあり)の上に木が密生している。これが
所有地の周りを四角に囲っている。と考えて良さそうです。
260名無し三等兵:04/01/06 05:45 ID:???
DoublerはNormandy戦役においてボカ−ジュ地帯を突破する為に陸軍が辿り着いた
方法を記述している。これらは例外的な状況における密接な歩戦協同の例である。
最も面白いのは第29歩兵師団の例であろう。同師団の生垣突撃部隊は創意的な小混成隊
と言える。編成は戦車1両、1個歩兵分隊、1個工兵組、軽機1丁、60mm迫撃砲1門。
まずシャーマン戦車が生垣に体当たりして向い側の垣根を射撃開始。戦車の正面に
溶接されたパイプが戦車が衝突したときに生垣の土手に食い込む。そして機関銃座の
ありそうなところに白燐弾を撃ってから機銃で向かい側の垣根を制圧。迫撃砲が
向かい側の垣根の向こうに落下している間に歩兵分隊が突撃。分隊が戦車の射界に
入るようになると、戦車は此ら側の垣根から後退。すると戦車の車体前面に溶接で
取り付けられたパイプのおかげで垣根の土手に2つの穴が空く。そこに工兵が素早く
爆薬を入れて爆破。垣根は戦車が通れるだけの隙間ができるのでここを通って
戦車は前進し、向かい側の垣根を軽機、小銃、手榴弾と近接突撃で掃討している歩兵
を支援。

#ファイアフライの例ですがこれなど近いかも hedgerow cutterで検索すると
プラモがたくさんでて来ます。
http://www.missing-lynx.com/gallery/canada/adhybrid.htm
http://www.missing-lynx.com/gallery/canada/adhybr-2.jpg
261名無し三等兵:04/01/06 06:32 ID:???
 この第29歩兵師団の例は戦術級における諸兵科連合の統合のまごうごとなき例である。
戦車が出現するや、陣地と思われるところに制圧射撃をする。同時に陣地背後には
迫撃砲弾が落下し、防御側が位置転換して携行対戦車火器で戦車を攻撃する動きと
増援しようとする動きを妨げる。なお同時に歩兵の小火器も制圧射撃を敵陣地に加える。
敵歩兵が歩兵分隊に射撃を開始すると位置を戦車と12.7mm機銃に暴露することになる。
戦車に携行火器で攻撃しようと機動する部隊は歩兵分隊の前進と迫撃砲の修正射撃に
対応しなくてはならない。工兵の機動支援のため、歩兵分隊と戦車を分離できる機会は
ない。典型的なドイツ軍の生垣防御戦術では第29歩兵師団の戦術の前に板ばさみに
追い込まれることになる。ある兵科に対応しようとすると思いがけずして他に弱点を
さらすことになる。これは戦術級で諸兵科連合を同時に適用することで得られる。

 ここで当時の戦車と降車歩兵の数について触れておく。戦車と機甲歩兵の大隊数や
中隊数の比率を1対1や3対2だと議論するのと実際の装備数や人員数をさらに深く理解しておくのとは別物である。
戦車の数は簡単である。第2次世界大戦の戦車小隊はM1充足度の場合、5両。
中隊は3個小隊で、加えて本部班にも3両あるから18両。大隊は中隊4個であるから
72両。これは大隊本部の車両を除いている。大隊のうち1個中隊は軽戦車中隊だから、
大隊あたり中戦車は54両。
(原文注44 大隊全体でみると中戦車装備定数は60両で大隊装備定数は78両。
大隊本部3両と砲兵大隊に3両ずつ配備されているため。が、本研究は機動中隊に焦点を
あてているから54両が比較する上で相応しい)
262名無し三等兵:04/01/06 07:19 ID:???
 機甲歩兵大隊は3個の頑健な機甲歩兵中隊からなる。各中隊には対戦車小隊1個、
3個小銃小隊。各小銃小隊には1個60mm迫撃砲班、1個軽機関銃班。単純に小銃分隊の
数と人員を数えてみる。後代の編制でも迫撃砲班、軽機関銃や対戦車小隊に該当する
部隊は含まれる。また、分隊は降車機動の要である。第2次世界大戦中は機甲小銃分隊の
編制は立て続けに改訂された。が、分隊は通常12名でうち1名は操縦手で常時車両とともに
いる。従って機動中の小隊あたり、歩兵分隊にいる人員数は33名であり、中隊あたりに
すると99名となる。部隊全体では対戦車小隊や軽機関銃班も主として降車戦闘するので
さらに規模は大きくなる。

これで戦車大隊1個と機甲歩兵大隊1個で見ると、中戦車54両に対して完全充足
分隊で降車機動歩兵が297名となる。ブラッドレー装備歩兵の場合は数が大幅に
減る。最初に導入されたとき降車分隊は6名。しかもこれはうち1名がTOWミサイルの
再装填にとられていない場合である。ブラッドレー装備の場合は戦車56両に対して
(本部班の2両を除く)分隊の降車人員数は216名。これは2個大隊丸々が任務部隊に
入れられたときの数値である。
263名無し三等兵:04/01/06 18:38 ID:???
#ブラッドレー装備機械化歩兵大隊の降車班人数合計
 1個分隊6名×4で1個小隊24名 これに×3で1個中隊72名 これに×3で1個中隊214名
264名無し三等兵:04/01/06 20:53 ID:???
#ストライカー旅団の歩兵中隊のTOEについてはこちらが纏まっています。
FMを見れない人にはお勧め。
h ttp://www.orbat.com/site/toe/issues/4/usarmy_SBCT_infco.pdf
#263続き 現在のブラッドレー装備機械化小隊は9名分隊×3で27名と
なっています。これはこの論文でも後ほど触れられています。216名は
導入当初の数値です。現在は27×3×3で243名。これは武器分隊を除いた
ストライカー歩兵中隊も同じ数値です。
265名無し三等兵:04/01/06 21:08 ID:???
 第2次世界大戦前の理論と実際の第2次世界大戦の経験を比較すると戦前の機甲戦闘
に関する理論は機械化歩兵の負担の大きさを過小にみていたことが分かる。これは、
総委員会研究No.17、”戦後陸軍における師団の区分”からの引用である。

戦闘経験は、機甲師団内の歩戦比率は少なくとも同数である必要があることを示してい
る。実地部隊長は中隊数の歩戦比率は3対2という点で一致している。

大戦直後の研究もこの見方を変えていない。1946年の陸軍地上部隊研究No.27では
”戦闘経験により機甲師団内の歩兵部隊は重要なものとなった”と述べている。
実のところ、歩戦比率3対2でも低いと思うものもいた。総委員会機甲師団委員会の
13名の出席者のうち、7名は3対2、5名は2対1、一名のみは1対1に投票している。
266名無し三等兵:04/01/07 00:16 ID:???
 戦前の理論が機甲師団内の歩兵を扱い損ねた理由は戦車を決定的兵器とみて他科は
その支援としてお膳立てするという見方の兵器志向で理論を構成したためである。
この兵器志向は支援=被支援の枠組みが明らかになったものである。この枠組みでは
統合するよりは特定の機能を兵科に割り当てることになる。皮肉な事に戦車を
決定的兵器とみる見方は歩兵を決定的兵科と見る見方と概念的には同一である。
第2次世界大戦ではより各兵科の柔軟かつ密接な協同が進み、主要兵科として
戦車が歩兵に取って代わるということはなかった。また、戦闘経験により
機甲師団や戦車の役割を限定するという方向も抑えられた。過去も今日でも
密接な諸兵科連合が機甲部隊の決定力を十全に実現する妨げとなっているという
見方はあるが、戦術級における諸兵科連合の歴史はこれを否定している。
267名無し三等兵:04/01/07 00:28 ID:???
 第2次世界大戦の不変の遺産

 前段では第2次世界大戦参戦者の目からみて、高度の機械化した状況にあっても
戦車と密接な協同のもとの降車歩兵が歩兵の諸兵科連合戦闘における不変の役割
であり、車両の火力ではないのだということをみてきた。本研究では降車機動とは
1942年版FM17−33戦車大隊教範で求められている密接な協同作戦における機甲歩兵
の講堂を指す。これは機甲師団内の機械化歩兵である機甲歩兵の行動である。
その重要性は総委員会報告書に挙げられた実例でも、またその実例を残した構成員の
意図を考えても明らかである。総委員会研究の将校達は第2次世界大戦の欧州で陸軍が
得た組織知を保存するという重要な役割を担っていることを承知していた。
268名無し三等兵:04/01/07 02:07 ID:???
 徒歩歩兵が戦車にごく近接して戦闘している例では戦車の火力と衝撃行動が
歩兵の地皺に入っていける能力により補われている。地形に浸透突破でき、敵歩兵を
駆逐できることで、戦車が寸法、搭載武器、武器射界ゆえに対し得ない敵部隊の
撃滅を可能とする。また、大規模な戦車部隊では過剰殺傷となる場合もある。そして
大規模な歩兵部隊を少数の戦車が支援することで作戦が進行することもある。
この戦車の過剰殺傷は騎兵軽戦車派が生存性で難があるゆえに主力戦闘戦車に道を
譲ってから一層顕著となった。主力戦闘戦車は多目的に使えるはずだが、大口径砲を
搭載するに連れて主砲弾搭載弾数が減少する。

 上記の例での戦術は今日の米国陸軍が訓練しているものとは異なる。例では
歩兵中隊全部がしばしば戦車中隊全部と組み合わされているのがしばしばだった。
これを概念的に説明しているのがPaul A. DysterのIn the Wake of the Tank
である。この論文で彼はRichard Ogorkiewitczの第2次世界大戦における戦闘経験
と以降の兵器発達が各国陸軍に機械化戦闘と歩戦協同について与えた影響の要約に
ついて言及している。この影響により第2次世界大戦の各国軍は機甲師団内の
歩戦比率を1対1にすると方向を目指していた。

 諸兵科連合では、戦車や歩兵の役割を個々に考えるのは不可能となりつつある。
”戦車は自ら突出した突撃部隊であることを辞めた”とRichard M. Ogorkiewicz
は書いた、機甲戦闘団の中で”そしてかわりに機動中重量級火力としての役割を担
った。”歩兵もまた、伝統的な決まりきった役割を追い求めるのを辞めざるを得な
くなった。歩兵はもはや戦車を従えた主力部隊を装うことはできず、また、”初期
の機甲師団で強いられたように土地を占領し保持するだけの後続”でもありえなく
なった。戦車と歩兵はいまや”有能な仲間”である。

#この論文の表題 教義上の孤児か有能な仲間か?はここに由来している模様。
doctrinal orphan or active partner?が原文です。
269名無し三等兵:04/01/07 02:26 ID:???
 このOgorkiewitczの見方へのDysterによる照射は軍事著作家や野外教範が従来
諸兵科連合を論じる際に用いてきた枠組みを浮かび上がらせている。兵科の関係を
支援=被支援で描く枠組みが批判されている。語源的には支援=被支援という用語は
19世紀の戦争のいまだ線的世界が優勢だったときの歩兵支援にまで遡る。
そして、縦深戦闘、電撃戦、敵作戦縦深全域における攻撃といった進んだ概念の
妨げとなっている。

 機械化戦闘における機械化歩兵の不変の貢献は降車機動にあると第2次世界大戦中
に認識されたということをここまで見てきた。機械化戦闘に対する歩兵の不可欠の
貢献が降車機動であることは歩兵の持つ兵器の攻撃力の価値を低く扱うことには
ならない。つまり、火力が重要ではないということではない。フラー主義者の言う、
戦車が獲得した土地を歩兵は保持し強化するだけだという考えは実際の機械化戦闘
経験の前に堪え切れなかったと主張するのである。降車機動という言葉は
第2次世界大戦の機械化戦闘における歩兵の機能を示した実例を指すのに便利であるから
今後も用いていく。
270名無し三等兵:04/01/07 03:54 ID:???
 またこれまでの例は下級の部隊における歩戦間の交差配属がごく日常のことであり
実際上統合であったことを示している。交差配属は創意に富んだ例が陸軍内であり、
例えば第5機甲師団の場合、戦車1両、半装軌車両1両、歩兵分隊1個の班を作っていた。
この部隊は肩を並べて戦い、ひとなみならぬ歩戦協同の結合を得ていた。

 戦中、戦後において、僅かの例外を除いて、機甲師団内の歩兵を増加する趨勢は
圧倒的に一様に覆っていた。戦中の改編では歩兵部隊の増加は理想とされ実行された。
その結果諸兵科連合にとってよりよいバランスが得られ、また戦車の防護に留まらぬ
歩兵の役割がが規定されるに至っている。ドイツ軍1941年版教範ではさらに進めて
”自動車化歩兵部隊は機甲師団の攻勢を担う歩兵部隊を成す”と述べている。
271名無し三等兵:04/01/07 04:05 ID:???
 戦前期の予想は歩兵の数量を低めに見積もっていたばかりか、機械化戦闘における
歩兵の攻勢的役割を限定することで大変誤っていた。現実には、ドイツ軍1941年版教範
がいうように、柔軟性、全兵科、諸兵科連合戦闘における歩兵の攻勢的役割を強く
求めた。

 後に米国陸軍がブラッドレーについて抱えた問題について、第2次世界大戦経験者の
機械化歩兵の車両に関する考えを指摘するのは意味がある。彼らは対戦車防御を制圧
する武器を搭載することを歩兵車両に求めなかった。もちろん、1940年代と今日とでは
対戦車兵器の射程は大きく異なる。けれども、総委員会出席者も他の同様の組織の構成員
も、車両はより大なる防護、これは頭上の掩蓋を含む、と装甲のもとで移動する能力、
不整地走破能力を求めている。
272名無し三等兵:04/01/07 04:22 ID:???
 上の要求のうち優先は不整地走破能力、つまり戦車と速度を合せて走る能力で
あった。M2半装軌車両もM3半装軌車両も、半装軌車両であり、全装軌車両ではない。
つまり、半装軌車両が擱座したり、速度を緩めないで通過できる地形を全装軌車両
はそうせずに通過できてしまう。米国歩兵が戦車に跨乗したというのは驚くべき
ことだが、事実が証している。跨乗は一般的であったので、陸軍野外教範には
歩兵分隊の誰が、小隊本部の誰がどの戦車のどこに乗るべきかを定めている。
機動性が頭上防護よりも頻繁に取り上げらたということは戦車との密接な協同
の重要性を物語っている。

#61/144 あとわずかで第2章終わり 次は戦後の核とソヴィエト、ドイツの
革新と受容 そんでBMPとBTRの群れとの対決となります。
273名無し三等兵:04/01/08 01:10 ID:???
 降車機動と諸兵科連合

 歩兵の降車機動の要は分隊を独立した機動を遂行しうる部隊に確立することにある。
第2次世界大戦中と戦後、歩兵分隊には少なくとも二丁の軽機関銃か自動小銃と携行対戦
車または対掩体兵器の配備が進んだ。質の高い歩兵とは独立して機動を遂行できる分隊だと
いうことになった。機関銃射撃を一括して支援する部隊に依存した厳格に斉一な分隊は歩兵
の質が劣っている証拠だった。この傾向は20世紀中一貫しており、分隊が主導権を発揮し、
独立機動するばらば、制圧兵器を分隊に配備する必要があった。
裏を返せば、分隊に信頼を置けぬときは制圧兵器は小隊もしくはそれより上級の部隊に
集められることになった。

 戦車は制圧火力を榴弾、機銃(これが好まれる方法)、歩兵の突撃と射撃に依存する。
戦車は衝撃行動の効果を一層強め、地形の奪取をさらに決定的なものとするのに
歩兵が相補効果を発揮することを期待とする。この効果は目標奪取、応急防御、阻止任務
などで歩兵が履帯と肩を並べて戦うことで発揮される。応急防御と阻止行動は
機甲戦が成功するにはますます欠かせないものとなった。これはことに包囲作戦に
あてはまる。歩兵が攻勢に降車機動を加えることで戦車単独では不可能な敵撃滅を
達成することができる。
274名無し三等兵:04/01/08 01:26 ID:???
 同様に降車機動は大抵の地形において戦車が同伴するときのみ十分に力を発揮する。
歩兵の地形を奪取し掃討し、敵に近接し確実に敵対戦車部隊を撃滅もしくは駆逐する
能力は機甲部隊が迅速に防御を突破することを可能とする。これも理由で第2次世界大
戦の機甲将校は様相を変えた戦場に応じた諸兵科連合の一員として歩兵をみていた。
戦車と常にともにある機甲歩兵は敵防御を混乱させ、包囲された敵部隊を封じ込める
ことができる。理想では歩兵師団も固有の戦車部隊を編制に持つべきだと考えられていた。

 戦車の任務が敵への近接を求めるときは戦車師団の機甲歩兵が戦車を防護した。
敵防御を混乱させることで機動突破が可能となる。さらに包囲された敵部隊を封じ込める
ことで機動突破の真価を発揮させる。
275名無し三等兵:04/01/08 02:07 ID:???
 第2次世界大戦の影響が以降の思想に与えた影響を理解するということは、戦前の
理論家達の記述を機械化戦闘の経験がいかに退けたかを理解することである。さらに
Liddell Hart、Fuller、Estienneといった者が諸兵科戦闘理論の確立にどれほど
貢献したのか見直すことでもある。彼らが確立したとするには問題がありすぎる。
以降の世代には、諸兵科連合と機動志向戦闘の確立とを混同する向きがある。
戦術級の諸兵科連合の価値を理解することと、機甲機動力による敵作戦縦深打撃の
機会とに必然的関連があるわけではない。論者は諸兵科連合のみがこのような機動を
可能とすると知っているが、そう言った認識は後からのものである。歴史的には
機械化の先進的形態は諸兵科連合戦闘であると把握されていなかった。本研究は
諸兵科連合の本質を捉えそこなったことが教義執筆と軍事思想を蝕んできたと主張する。
Fullerの海上戦闘の比喩はそのもっとも悪名高い極端な例である。

 1967年の第3次中東戦争(6日間戦争)以降イスラエルが導入した全戦車教義
(all-tank concept)は、この思想の実例である。Fullerは新天地を切り開いた
のであるから言い訳も許されようが、続く世代が誤りを犯すのに言い訳は効かない。
既に指摘したように、第2次世界大戦の戦場での経験による機械化戦闘における歩兵の
必要はは戦前の歩兵数に関する理論的予想を上回っていた。ソヴィエト、ドイツ、米国、
さらに比較的限定的だが、英国でも第2次世界大戦により機甲編制内の諸兵科連合の比率
は驚くほど似た結論に達している。中隊、大隊における歩戦砲比率は少なくとも1対1で
あった。この傾向は米国陸軍総委員会報告書ばかりでなく、ドイツ国防軍戦車師団司令官
にも見受けられる。
276名無し三等兵:04/01/08 02:23 ID:???
 理論家達のある者達にとっては思いがけない事に第2次世界大戦の戦闘経験はフラー主義者
の歩兵が保持し掃討する間に機甲が突破するということを証明しなかった。むしろ、兵科間の
密接な協同と、戦車単独もしくは戦車と最低限度の歩兵のみでは追撃や拡張さらには
敵作戦縦深への有効な突破といった攻勢作戦を実行できないことを示した。

 戦車は十分な歩兵がともに行動する必要があった。必要な歩兵の数と密度ははじめ
部隊編制者や教義執筆者が想定していたよりも大きかった。これはドイツ軍の場合も同様である。
彼らが異なるのは他国よりも早く問題を発見して対応したことにある。ポーランド侵攻後の
調査による再編制は戦車師団内の歩兵連隊の大隊数を3つから4つへ増やすことだった。
第2次世界大戦中のこういった調査と分析では戦車部隊に一層多くの歩兵部隊を入れるという
結果に常になるのだった。
 
277名無し三等兵:04/01/08 02:44 ID:???
 第2次世界大戦時の趨勢要約

 第2次世界大戦後の機械化歩兵に関する思想としては4つの傾向が以降に大きな影響を
与えている。まず第一に、これは今日最も同意を得やすい点だと思うが、どの階層の
戦車部隊へもさらに多くの歩兵部隊を入れて、より均整のとれた部隊とする傾向である。
欧州戦域総委員会は歩戦比率を3対2としており、ドイツ国防軍の将官Hasso von Manteuffel
は戦車師団の靡下機動司令部として歩兵連隊2個と戦車連隊1個を望んでいた。
http://users.pandora.be/dave.depickere/Text/manteufel.html

 第二に、大変下級の部隊における戦車と歩兵を直接統合することが第一の部隊比率
に関する傾向により可能となり、また実現した事。第5機甲師団では班の段階にまで
統合を進め、戦車1両、半装軌車両1両、歩兵17名が最小の戦術単位となった。各国陸軍
の多くでは戦車中隊を歩兵中隊と対応させる形となっている。また、ドイツ軍では戦車
の不足からSdkfz.251半装軌車両やSdkfz.253半装軌車両を戦車の代わりに用いている。
その運用は大変限定されていたが、機甲歩兵が歩兵輸送車両に機動防護火力を求めた記憶
はドイツ将校の中に残った。が、これは戦車が不足していたという事情から生じている。
278名無し三等兵:04/01/08 03:13 ID:???
 第三に、そしてこれがもっとも重要な傾向なのだが、実際の経験が支援=被支援の
枠組みで考える向きを追いやったことである。戦闘経験により、他兵科の努力を
お膳立てに注がせる単独で決定的な兵科はないことが明らかとなった。全兵科を
機械化することができなかった軍ではその失敗は明白であった。この失敗により
有効な速度で諸兵科連合戦闘を実行できなくなった。上記の戦力比率は
より下級の部隊において諸兵科連合が行われるのが現代戦闘における傾向である
ことを物語る。

 第四に、これは戦争によってのみではないが、ある思考概念が不適とされたことで
ある。上記の歩兵の役割の享受は戦車を今日の装甲騎士とみなす一夜の夢からの別離で
あった。Fullerが戦車を海上における海軍の運用の比喩で見ていたとすれば、諸兵科
連合戦闘の現実はそれを陸に引き戻したのである。戦間期の戦車が支配的となるという
見方は、小規模で選良的で職業的軍隊の創設には理論を与えてくれる上で便利だった。
これは戦間期の予算は大規模な軍組織を支えきれなかったから現実的な長所といえる。
さらに大英帝国では防衛予算の大部を海軍支出が占めていた。が、Fulerのような初期の
精力的な代弁者達の、機甲は大規模な歩兵を代替できる賢い選択という考えは第2次世界
大戦の経験の前に持ちこたえられなかった。大規模な歩兵の衝撃行動は過去の事物であった
が、よく訓練された大量の歩兵は時代遅れではなかった。
279名無し三等兵:04/01/08 03:19 ID:???
 大規模な徴募制軍隊を小規模の選良的機甲軍に代えたいという望みはかなり惹き付ける
ものがあった。小規模で選良的機甲部隊は歴史研究よりも技術研究を、教義の統合よりも
武器効果を優先させる信念とうまく合致した。Fullerなどは第一次世界大戦の大量の徴集制
地上部隊を避ける方法として機甲を見ていた。この意味では単独で戦闘する戦車という考えは
最後の戦争を後から見ている例だといえる。
280名無し三等兵:04/01/08 03:31 ID:???
 軍事界や軍事理論家が機械化の革新時代の議論をどれだけ修正できたのかは議論ある
ところである。西洋の文化的選好として、国家の地上部隊において大量の歩兵を必要と
するかわりに正しい機械が取って代るというものがある。FullerやLiddell Hartは
機械化によりよりわずかな人的資源で国防が達成できると予想した。第2次世界大戦の
経験によりこれは退けられた。ここで言っておくべきことは、大規模な徴募制軍を小規模
の選良的機甲戦熟達者で代替する以上の意味合いが彼らの思想にはあったことである。
含意されていたのは、とりわけ戦車が、全体的には機械化が、ある特定の兵科または兵器を
決定的なものとし、他科はそれに奉仕するという考えである。そしてその裏には歩兵は
戦闘で何かを果たしうるような機動力も火力もかけているという考えがあった。

 驚くべき事に、そしてこれは大部分歴史に基礎を置いた教義研究がなかったせいだが
第2次世界大戦後の米国陸軍の機械化諸兵科連合戦闘思想はFullerの初期の思想へと
退化することになる。

#第2章終わり 68/144 今日はここまで。超訳というより直訳と時々訳文に
噛み合わない単語をすっとばして前進しているという感じです。
281海の人 ◆STEELmK8LQ :04/01/08 08:21 ID:???
>280
> #第2章終わり 68/144 今日はここまで。超訳というより直訳と時々訳文に
> 噛み合わない単語をすっとばして前進しているという感じです。

 おつかれです:-)
 このところ蒟蒻問答に疲れてたので

>  戦車は制圧火力を榴弾、機銃(これが好まれる方法)、歩兵の突撃と射撃に依存する。
> 戦車は衝撃行動の効果を一層強め、地形の奪取をさらに決定的なものとするのに
> 歩兵が相補効果を発揮することを期待とする。この効果は目標奪取、応急防御、阻止任務
> などで歩兵が履帯と肩を並べて戦うことで発揮される。応急防御と阻止行動は
> 機甲戦が成功するにはますます欠かせないものとなった。これはことに包囲作戦に
> あてはまる。歩兵が攻勢に降車機動を加えることで戦車単独では不可能な敵撃滅を
> 達成することができる。

 このあたりのすがすがしさに癒やされる思いです(笑)

 訳文の内容に関しては、ひとまず全体の訳出が終わった時点で原文と見比べて
直すところがあれば訂正していきましょう:-)

 行き足を大事にしないといけませんからね:-)
282名無し三等兵:04/01/08 13:29 ID:???
>281 有難う御座います。今読み返してみて日本語になってないなぁと。

タコマニューストリビューンに続いてシアトルタイムスも特派員をSBCT-1に
送っていたことが判明。派遣期間は1ヶ月だそうです。第101空中強襲師団が
本土帰還を今月には開始する、一方で海兵隊の第1海兵師団はスンニトライ
アングルの一角を第82空挺師団から引継ぐ準備を進めているとのこと。
283トルエン大尉:04/01/08 16:26 ID:???
>そしてその裏には歩兵は戦闘で何かを果たしうるような
>機動力も火力もかけているという考えがあった。

確かに歩兵を数値化するのは難しい。特に戦術級SLGなんか見ているとそう思う。

>>282
乙です!
まぁ意味は分かるので問題ないです(w
284名無し三等兵:04/01/08 23:51 ID:???
>283 有難う御座います。頑張ります。

#interim cavalry regiment analysisを読みました。
JANUSというシム上で仮想敵と交戦させ、同一シナリオでの各編制の運用を
試行するものです。人が意思決定過程に介在する方法で試行しているため
直ちには比較できないのですが、ストライカー装備の第2装甲騎兵連隊、ストライカー
旅団戦闘団、ハマー装備の第2装甲騎兵連隊の順に遮蔽任務には適していると判定。
MGS3両小隊とMGS4両小隊の比較では3両は機動する余地が限られるとして敵と
接触した場合、撃破されるまで高発射レートで撃ちまくる傾向が出た。4両編制は
班に分けて機動することができ、柔軟に陣地変更を行えた。が、交換比率では
3両編制のほうが4両編制よりも高く、生存率は両者差異はないとのことでした。
シムスレでもでて居たのですが、なにやら精密なシムが発売されたらしいです。
American ArmyやGuard Forceの上、大隊編成までいじることができる模様です。
285名無し三等兵:04/01/09 00:59 ID:???
 第3章 機械化歩兵教義:第2次世界大戦後と歩兵戦闘車両の時代

 導入

君は歩兵と機甲がともに互いの長所を最大限に活用しつつ、そして常に一団となって
戦闘することを実現させるために優れた規定を発行せねばならない。
 Paul Gorman准将がWilliam DePuy大将にあてた1974年の覚書から引用

上記のGormanからDePuyにあてた文章は教義、部隊編制、訓練に諸兵科連合を
まごうことなく確立しようとするたびに出て来る困難さを示している。上記の場合、
Gormanが警告しているのは米国陸軍機甲学校が教義を兵器志向でみており、これを
制する必要があるということだった。DePuyは彼の忠告を聞き入れなかった。という
のは、兵器志向は、兵器としての戦車とNATO戦域を陸軍の計画と戦力開発の主な焦点
とする見方に合致していたからである。

Paul Gorman
286名無し三等兵:04/01/09 01:13 ID:???
 核兵器の導入

 程度の差こそあれ、第2次世界大戦の機甲実践者達は彼らの経験を振り返って
機械化戦闘の将来の進展へ提言しようとしていた。機械化歩兵の諸問題も、これ
ばかりが彼らの関心を占めているのではなかったが、第2次世界大戦直後はかなり
の関心が寄せられている。が、これらの努力の大半は主として2つの理由により
米国陸軍の刊行した教義思想の隅に押しやられることになった。この理由とは
核兵器の導入と、航空戦力が地上戦全般、ことに徒歩の兵士の戦闘を時代遅れと
するであろうという予想である。
287名無し三等兵:04/01/09 01:46 ID:???
 軍事の未来を語る者の中には、戦車の死をほのめかすものもいた。さすがに
朝鮮戦争における中心的ではなかったが不可欠の兵器だったという事実の前にその
妥当性は疑われはしていたが。けれども、核兵器、核搭載誘導弾、航空戦力のさら
なる発達により通常戦争は日陰者となったというより、1950年代の米国陸軍は
教義上でその目的を定義するにあたり危機に面していたというべきである。
朝鮮戦争と以降の冷戦期の軍拡によりうっすらと日が射しはした。、通常戦力の
日陰者となったことに対抗して、より均衡のとれた安全保障政策こそ米国に
とってより良いと防衛関係者を説得する事が歴代の陸軍参謀長の主な仕事となった。
1955年〜1959年の陸軍参謀長Maxwell Taylor大将はこの不均衡ぶりに不満を
表して、陸軍のバビロン捕囚と呼んでいる。 

#babylonian Captivity バビロン捕囚
Paul Gorman 元南方軍司令官 退役大将に同名の人物あり
Maxwell Taylor
http://en.wikipedia.org/wiki/Maxwell_Taylor
288名無し三等兵:04/01/09 02:15 ID:???
 とりわけ、機械化戦闘は時代遅れだという早まった考えは機械化歩兵に関する
教義論争に否定的影響があった。核の傘は第2次世界大戦の機械化戦闘に関する
戦訓を収集している、最悪の時機に到来した。核への対応が支配的であったことは
1956年に第101空挺師団にはじまるいまや悪名高きペントミック師団改編を陸軍が
行ったことでも分かる。これらの全ては、大規模な非機械化戦争であった朝鮮戦争
での地上部隊の運用によっても影響されなかった。そして、米国陸軍機械化歩兵教義
の発展に歴史的空白をもたらすことになった。

 歩兵のみ、いや機械化歩兵のみがこの空白の犠牲であったわけではない。1950年代は
地上戦闘の目的に関して総じて危機が生じていた。核兵器が地上戦闘を時代遅れとする
予想にあっては、徒歩で戦闘する兵士はとりわけ脆弱であるとみられていた。
Eisenhower政権は軍事安全保障政策の中核に大量報復を据える方向に進んでいた。
ドイツ軍は消滅し、1955年に再登場したとき、おそらくはドイツ国防軍が考えていな
かった機械化歩兵に関するある思想を持ち込んでいた。ドイツ将官の思想は、
ドイツでは組織に生かされなかった。が、連合国に協力して第2次世界大戦に
おけるドイツの作戦を分析する者もおり、米国や英国の研究に纏められた。
また、のちには、著作をあらわすものもおり、さらには論文や本を職業軍人
の世界で出すものもいた。第2次世界大戦で経験により得られた古強者達の知識
にも関わらず、西洋の政策思想は最新の技術資産、ことに原子爆弾に集中していた。
この見方は、1957年の米国防長官の政府方針についての言明、”航空戦力を最大に
し、徒歩歩兵を最小にする”に現れている。

289名無し三等兵:04/01/09 02:31 ID:???
 現代戦の技術と攻撃力は徒歩兵士をほとんど無意味にするという態度は第2次世
界大戦後の西洋の軍事予想に繰り返し出て来る。実際には第2次世界大戦の戦闘記
録をみれば、技術の進んでいた民主主義国ですら歩兵は引っ張りだこであったこと
が分かる。が、この傾向はあまりにも強く、大規模な戦争はこれで最後だという発
言はずっと出て来るだろう。

 第2次世界大戦時の陸軍上級将校達が核の傘の下での陸軍の役割を定義しようと奮
戦している一方で、核は車両開発の契機ともなっている。装甲された密閉空間で乗り
回すことができれば、放射線からある程度防護される。この機械化への契機は、しかし、
どんな区分の歩兵が必要なのかという教義研究から生じていない。陸軍がいみじくも
名付けたバビロン捕囚は機械化戦闘思想に断絶をもたらした。この断絶はあまりに大き
く、第2次世界大戦末の諸兵科連合志向である教義の隆盛とこれを脇に追いやった
要素は取り上げておく必要があるだろう。諸兵科連合戦闘への理解の低下は戦闘記録
を省みなくなったのと手を携えている。このような状況で機械化歩兵の実戦での運用は
第2次世界大戦後期に全く忘れ去られたのである。
290名無し三等兵:04/01/09 02:45 ID:???
 ドイツ連邦軍による戦術上の影響

 戦後、米国陸軍、なかんずく機甲戦闘部隊はドイツの成功の理由を知ろうとした。
1956年にドイツ連邦軍(Bundeswehr)が創設されたとき、その将校の大半は国防軍出
身だった。国防軍は不足を抱えながらも機械化戦闘を行ったことが、連邦軍将校達の
記憶に引継がれることとなった。連邦軍のこれらの不足への対応が米国機械化歩兵にも
大なる影響を与えた。大戦後半に、戦車の不足および戦車部隊の不足からドイツ軍は
機甲擲弾兵つまり機甲歩兵部隊に主機動の役割を強いた。司令官は機甲擲弾兵と戦車
の組合せがよりよく果たすであろう任務に機甲擲弾兵部隊を割り当てた。これはことに
広大な東部戦線において顕著だった。総じてこの任務を機甲擲弾兵は成し遂げたが、
より均衡のとれた歩戦砲戦闘団ほどにはうまくはいかなかった。

291名無し三等兵:04/01/09 02:58 ID:???
 連邦軍将校はこの経験をもとに、乗車しつつ機甲歩兵が戦闘する必要性を強調し
すぎた。すでに指摘したとおり、Richard Simpkinは英国准将であり、現役時も
退役後も機械化戦闘、その装備、部隊編制について精力的に研究していた。
Mechanized Infantryの中で彼はこう指摘している。

 東部戦線でのドイツ国防軍の経験による機甲擲弾兵教義は連邦軍からみて
聖櫃であるかの如くであった。(中略)が、少なくとも私は大規模な歩兵部隊
が乗車中に個人武器を用いることを作戦計画で考慮したとか、さらには戦闘
の勝利をもたらす要因となったなどということを聞いたことがない。

 Simpkinの指摘は筋が通っている。が、連邦軍は国防軍の戦闘経験から
歩兵が移動中の車両から戦闘する必要性をがあると結論していたのにも
関わらず、第2次世界大戦当時の上級指揮官がこのような必要性を述べた例は
ない。こうなると、連邦軍の概念と米国指揮官への後の影響との間に確かな
繋がりを見出すことは難しくなる。それでも、どの程度米国の軍事思想家と
軍、民間双方の学徒はドイツの思想を受け入れたのかという問題は残る。
292名無し三等兵:04/01/09 03:29 ID:???
 連邦軍と米軍での解釈

 初期の連邦軍は米国のM113装甲兵員輸送車両を退けてSchuetzenpanzer 12-3
(以後Spzと略す)を配備した。ソヴィエトのBMP-1が最初の歩兵戦闘車両(IFV)
だと書く者は多いが、Spzはわずか8名の分隊、20mm砲1門、乗車戦闘を強調した教義
などBMPに帰せられる定義を全て満たしている。もっとも、既に第1章で見た通り、
仏のAMX-VCIと第2次世界大戦の実験車両がさらに先行してIFVを予感させていた。

 ドイツ軍教義の米国での受け入れ方はひとまず置き、実際の連邦軍のをみると
単に歩兵分隊が車両内から戦闘するのとは異なる意味合いが見て取れる。
実際にドイツ軍では1950年代後半の機甲擲弾兵旅団内には、Spz装備の小さな歩兵分隊
編制の大隊2個のほかに、3番目の歩兵大隊があった。これは当初は自動車化であり、
後にはM113を装備している。これは主として徒歩戦闘する歩兵重部隊という意味あいが
ある。つまり、歩兵集約的任務において大型の歩兵部隊を提供するということである。

#78/144 Spz HS 30 のことだと思うのですが、Spz 12−3とずっと表記されている。
さらに調べないといけないかも。
293名無し三等兵:04/01/09 11:04 ID:???
 米軍のドイツ軍教義受容は歩兵分隊の乗車戦闘を強調しすぎたことで歪んでいる
ことを幾つか例をあげて見て行く。
1964年のArmy誌の"The Panzergrenadiers Roll Again"は同誌で連邦軍の教義を
取り上げた最初の記事である。筆者は乗車攻撃の運用について語っている。この
攻撃は、記事によると歩兵分隊が車両に乗車したまま内部から攻撃するというもので、
筆者はこれは第2次世界大戦では広く用いられたと保証している。この戦術は
その成果と損害が僅かであるゆえに広く受け入れられたとも述べている。記事全体
としては、ドイツ機甲擲弾兵を主に衝撃部隊としている。そして騎兵を比喩として
”擲弾兵は古の騎士の如く、移動しつつ射撃する”とか、”多くの点において、
連邦軍の機甲擲弾兵は伝統的な軽騎兵の任務を受け継いでいる”としている。

 この記事の歴史の見方は大いに疑わしい。本章の機甲擲弾兵についてのSimpkin
の引用のほうが正しい。記事が言う騎兵の衝撃行動に似た役割が装甲兵員車両
の大量運用により連邦軍で行われていたということはない。が、このようにして
米国陸軍全体が移動中の車両から戦闘する教義を導入していった。
294名無し三等兵:04/01/09 11:16 ID:???
 1975年には陸軍は機械化歩兵戦闘車両(MICV)計画と騎兵戦闘車両(CIFV)計画を
統合している。この統合は騎兵教義をみる場合、なお論争の種となっている。が、
統合の時期はMICVがついに成熟したとの印象を強く与えた。またこの一本化は議会
に対して陸軍はあたう限り開発費用を低減しようと努力しているとの証拠となった。
MICVは1978年に予算法で一時的に中止されているが、この要求統合は計画前進に
かなりの運動力を与えた。

 教義面では、1975年のInfantry誌にフォートベニングの米国陸軍歩兵中心の
戦闘開発会の一人が"Mounted Combat"という記事を書いている。この記事は
1970年代に登場したMICVの能力について最新情報を掲載する以上の意図があった。
機甲擲弾兵の考えを再び強調している。移動しながら射撃する能力は、分隊が
射撃孔から小火器を撃つ能力としてのみ扱われており、記事の3分の1はこの能力
の意味に割かれている。 
295名無し三等兵:04/01/09 11:27 ID:???
 当時からの時間の経過を考えると、連邦軍の影響を記録の上で正確に追うのは
困難である。思うにNATOでの接触は頻繁にあり、連邦軍と米軍将校が公式にも
非公式にも接触することは多かったであろう。連邦軍Frietz Birnstiel少将は
Infantry誌に1971年に記事を書いている。彼は確かに乗車しつつの戦闘と目標
まで戦車に随伴することを強調している。彼はまた、この方法が適用できず
歩兵が降車せざるをえない場合についても、その状況を徹底して論じて詳細に
列挙している。ことに、1970年代の米軍上級指揮官達のように、戦車を諸兵科
連合戦闘団における主要兵器とみなしておらず、より正確に把握していた。
ドイツ軍では戦車派強力な機甲化された敵に対する最良の防御であった。
296名無し三等兵:04/01/09 11:33 ID:???
 彼の記事が意味する所は、そしてドイツ軍の過去、現在の作戦教範に明確化
されているのは、様々な状況下で用いられる技術などよりはるかに重要なある
性格を機甲歩兵に求めていることである。機甲擲弾兵の本質的役割とは、
”乗車戦闘と降車戦闘間の迅速な転換”である。ドイツ軍機械化歩兵教範は
機械化歩兵固有の戦闘への寄与をその柔軟な性格だとしている。
297名無し三等兵:04/01/09 11:43 ID:???
 繰り返すが、連邦軍教義が分隊が移動しつつ戦闘する例に言及していることは
事実である。が、それは単なる例であり、圧倒的に好まれているわけではない。
ドイツ陸軍にとっては、現行の100/100教範でも、機械化歩兵が他の区分と異なる
のは、乗車戦闘から降車戦闘へ、また降車戦闘から乗車戦闘へ迅速に転換できる
ことである。米軍の執筆者はこの意味合いを汲み上げそこなったようである。
これ以上に機械化歩兵を他の区分の歩兵に対して特徴付ける教義概念はないことを
考えるとまことに不運なことである。機械化歩兵の最大の特徴を明確化する概念、
乗車行動と降車行動を可能とする柔軟性は米国陸軍野外教範には取り上げられていない。
298名無し三等兵:04/01/09 12:03 ID:???
 既にみてきたように、第2次世界大戦の経験に基づいて、機甲歩兵を輸送するには
より良い車両が必要であるという意見に一致して到達していた。が、歩兵戦闘車両の
開発にはかなりかけ離れた見方があった。Richard Ogorkiewiczは軍事組織の変革は
戦場の要求を教義上で吸収した上ではなく、技術革新への対応であることがしばしばで
あると観察している。彼はソヴィエトのBMP-1の配備に始まる歩兵戦闘車両の開発に
は懐疑的な見方をしている。彼にとって、IFVは歩戦協同を複雑にする厄介者であり、
IFVに陸軍が期待している役割の大半は戦車のほうがよりよく果たせる。例えば
降車歩兵にたいする制圧射撃の提供などである。彼が専門誌に米国のIFV開発期に
盛んに発表していたことを考えると関連はある。
299名無し三等兵:04/01/09 12:22 ID:???
 1973年、これまでとりあげてきた記事が書かれていた時期に、米国陸軍は
訓練教義集団(Training and Doctrine Command)を創設した。戦闘開発集団
(Combat Developments Command)は吸収された。ここは伝統的に歴史研究、
いうならば、歴史に基づく教義研究、軍事技術における思想史の解明を行って
きた部門であった。実質的にはこの集団が消滅した事で1979年に指揮幕僚大学
(Command and General Staff College)に戦闘研究所(Combat Study Institue)
が出きるまで同種のものはなかった。残念なことに今日に至ってもどの程度
CSIが戦力及び教義開発に関与しているかは議論しべきことである。

 広汎な歴史研究の消滅はベトナム後の米国機械化教義が本質的に諸兵科連合機動
志向でなく、単一の決定的兵器、戦車を教義を確立の中心においた理由である。
技術への関心の集中とあいまって、陸軍は諸兵科連合の本質は異なる兵器の火力の
適用にあるという明確化を始めた。1983年の機甲部の長の言明、
”M1/M2/M3/AAHfire支援の相互作用は諸兵科連合の根幹である”この思考の典型的
表出である。歩兵という語は明らかに出てこない。
300名無し三等兵:04/01/09 21:17 ID:???
 ソ連軍教義:戦略級、作戦級、戦術級を通しての一貫性

 数年の間、ソヴィエト軍機械化教義は西側との戦争では敵は核の敷居を跨ぐ、
つまり跨ぐ可能性があるとみるのではなく、恐らく跨ぐでもなく、必ず跨ぐという
枠組み内にあった。ソヴィエト軍事教義の目的は、帝国主義者の軍隊がソヴィエト
連邦とその同盟社会主義国に対して開始しかねない核奇襲攻撃を抑止することであ
った。社会主義指導者のうちどれだけが実際にこれを信じていたかは問題ではない。
初期フルシチョフ時代のソヴィエト軍事教義の主要点を纏めているというだけで
十分であろう。
301名無し三等兵:04/01/09 21:47 ID:???
 ソヴィエト人は核戦争は第3次世界大戦でのみ起こるとみていなかった。ソヴィエト
連邦に対する直接攻撃以外でも核の引き金を引くことはありえた。これは核兵器導入
直後の初心者的な反応ではない。1968年にもなってから、ソヴィエト連邦元帥
Matvey V. Zakharovはロシアの傘下国や帝国主義者に起因する紛争が発展した場合も
核は使われうると述べている。

#Matvey V. ZAkharov
・Chief of the General Staff 総参謀長
First Deputy Minister of Defense 1960-63 and 1964-71 国防第一副大臣
・1898−1972
#祝300達成
302Lans ◆EDLansNRRQ :04/01/09 22:45 ID:???
300達成おめでとうございます。
毎日楽しみに読ませていただいておりまつ。

ちなみに私は「歩2:戦1」派でつ(w
303トルエン大尉:04/01/10 18:42 ID:???
保守
304名無し三等兵:04/01/10 19:51 ID:???
>302 レス有難う御座います。今機甲側から諸兵科連合を見た
話を探しているんですが、これがないのです。装輪を導入する可能性について
92年にでているのがあったり、戦車戦の記述(イスラエル将校が1973年の
第4次中東戦争のゴラン高原の戦いについて語った話)1985年に装軌と装輪
を比較した話、他には戦車大隊の編制をCCTT(シムの一種)で試行した話や、
将来の戦車戦においてTERM(8km飛ばせるHEAT弾 末端誘導は戦車以外がし
てくれる)の話などならあるのですが。
 
 戦車と歩兵を絡めると歩兵師団に戦車をどう入れるかとか、空挺師団には
軽装甲部隊が必要だとか、軽師団に輸送部隊としてM113A3をとか、それから
機械化歩兵の話になります。


SBCT-1は今イラク北部の大都市モスルに入り、101空中強襲師団の統制下?
あるいは指揮下にあるそうです。これまではサマラで第4歩兵師団の下にあり、
この際は1個歩兵大隊を第4歩兵師団の旅団へ貸していました。全部がモスルに
移動したのかどうかは不明です。

>303 保守有難う御座います。
305名無し三等兵:04/01/10 21:51 ID:???
 イデオロギー的にも財政的にも、また彼らとしては現実的な理由からも、
Nikita Khrushichev時代のソヴィエトロシアは戦争の決定的な要素として
核ロケット部隊をみていた。これはこの時代の政治、軍事関係者の公式演説
や公式政策論説などで明らかである。

 赤裸々で足並み揃ったまた発展的なソヴィエトの思想にも関わらず、西側の軍事専門家
の中には初め教義開発における核戦争の支配的影響を受け入れることができぬもの
もいた。ソヴィエトロシアの安全保障への関心とマルクス主義手法の墨守の交互作用から
軍事教義を編み出す原則として核の使用された戦場を用いてた理由をある程度説明できる。
イデオロギー上の関心がBMPの開発に不可欠の役割を果たし、米国の同等の車両開発の
触媒となったことは奇妙だといえる。
306名無し三等兵:04/01/10 22:16 ID:???
 RMA(Revolution in Military Affairs)という語を作り出したのは1990年代の
西洋知識人ではなく、共産党ロシアである。ソヴィエトの政策立案者は、Stalinを
全時代を通じた最高の軍事指導者として崇拝することから解放され、原子爆弾、
先端ロケット技術、精密な誘導システムの3つを軍事における革命とみていた。
彼らにとっては機械化を除けば火薬の登場と比肩するほどの革命であった。
軍事革命を受け入れる彼らの態度はマルクス=レーニン主義の弁証法から生じている。
ロシア人にとっては、教義の中核は、マルクス=レーニン主義的科学方法の中に
埋め込まれているヘーゲルの見通しの効かぬ弁証法世界により育まれた、本質である。
彼らにとっては、マルクス主義的方法のみが生み出しつつある軍隊の具現化に際して
取るべき唯一の方法である。米国人からみるとこれは愚かな信仰としか映らなかった
だろう。が、時として無意味に見えるロシア人の方法にも関わらず、ソヴィエトの国家
安全保障の関心に応じた目的と手段は論理的な形を整えることになった。
 
 核兵器の登場は軍事革命であるから、ソヴィエト機械化歩兵の編制と装備配備を
行う組織的努力と概念枠組みをも作り出した。この枠組みは米国と異なり、
兵器効果に偏って焦点をあわせていなかった。
307名無し三等兵:04/01/10 22:36 ID:???
 教義の枠組みの権威はソヴィエト政府の最高層と共産党の権威に発する。
この権威の典型的表明は1964年に軍事雑誌に掲載された
Svatoslav N. Kozlov少将の言明に見られる。

 ソヴィエト軍事科学の発展における多大な役割(中略)はソヴィエト連邦
共産党代議員大会と(中略)またN.S.Khrushchevの報告と演説による。
(中略)これら全てはソヴィエト軍事科学の、とりわけ軍事革命と関連した
問題のさらに広範で大胆な探求の基礎をなすのである。

http://users.skynet.be/terrorism/html/russia_spetsnaz.htm
KOZLOV, Sviatoslav NikolaevichでスペツナズとGRUについて著作のある人物
がいるが関係不明
308名無し三等兵:04/01/10 22:59 ID:???
 核への強力な関心がソヴィエトの軍事において戦力大構築の正当性を与えた。
この正当化は教義の種子となり、これは軍の要求の基礎を既に築いたと主張する
政党による一党体制と政府にあらかじめ承認されているのであった。ベトナムの
混乱から振り返ると政府から完全に支持を受けたソヴィエト機械化教義が戸口を
叩いていることに気付いた経験は何ものでも描写しがたい。参謀長にあてた覚書
草案の中で1975年にDePuyはこう書いていた。

 陸軍はどうしてこの兵器がいるのか、ましてやどのようにその兵器が他の装備や
組織内にうまく働くのかを説明するのにいつも苦労している。(中略)我々の
文民統治者は我々の理屈を追うのもある装備の問題を理解するのも苦手である。
309名無し三等兵:04/01/10 23:13 ID:???
 ソヴィエトの将軍や提督たちがある兵器を根拠付けるのに苦労していた事は
疑う余地はない。が、DePuyの組織上の閉塞とKozlovの確信を比較すると、
ソヴィエトの国家安全保障教義と、作戦級教義及び戦力開発の確固とした繋がり
が明らかとなる。この対照はこれ以上にないほど衝撃的である。ソヴィエト側で
は、国家戦略と結びついた戦場の要求に対する教義に基づいた基礎が見て取れる。
が、米国の同時期の努力とは違って、これは対抗国の技術発展のサルまねではない。
米国側では、ソヴィエトがあれほど時間をかけて議論した国家戦略教義合理性を
欠きつつも、要求を明確化しようと奮闘する陸軍を省みてのDePuyの嘆きがあるのである。

310名無し三等兵:04/01/11 00:52 ID:???
 ソヴィエト機械化部隊には何の困難もなかったかのような印象のままにするのは
誤りだろう。米国陸軍がペントミック師団を切り抜けようと苦労していたとき、
ソヴィエト通常戦力部隊は戦略ロケット軍の優位を忍ばねばならなかった。
が、これは完全な平行線ではなく、というのはソヴィエト人は他兵科を健全にも
尊重し続けていた、ただ核の戦場に対応することを迫りはしたのであるが。
例えば、Khrushchevは1961の爆撃機は時代遅れという発言は戦略ロケット軍への
支出のために通常戦力部隊を縮小するということであり、伝統的航空戦力の効用
を一様に否定しているわけでない。全兵科は核使用に適合しなければ生き残れなか
った。核軍事革命以前から有効であった何ものでこれに生き残って現れたのが
ロシアのboyevaya mashina pyekhota(歩兵戦闘車両 BMP)である。

http://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/row/bmp-1.htm
こちらでは Bronevaya Maschina Piekhotaとなっています。

#86/144 今日はここまで。ここからBMPとソヴィエトの縦深戦闘における
機械化歩兵の話が核使用と絡みつつあってその後に米軍でのIFV開発となります。
311対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/11 17:57 ID:???
おお〜半分超えたですな。
ちょっとレスつける気力が無いのですが、大変面白く読ませていただいたます。
今夜も休出だし・・・・・・( つ皿T)

>歩・戦
臼砲的には戦車大隊5、機械化大隊5の機械化師団が理想形なんで、1:1になりますかね。
(全軍規模になると、国情によるとしか言いようが無いですが。)
312トルエン大尉:04/01/11 18:17 ID:???
アメリカ人が乗車戦闘を過度に意識したのは、旧ドイツ軍の装甲兵員輸送車がオープントップだったから・・・
とう言うのはどうでしょうか(w
確かドイツ週間ニュースでsdkfz251から身を乗り出して射撃しているシーンを見たことがある。
歩戦の割合については分からない・・・
むしろ投入できる歩兵の数から算定すべきか・・・・

ソビエト編、楽しみにしてます。

313名無し三等兵:04/01/12 00:29 ID:???
>臼砲さん トルエン大尉さん レス有難う御座います。
円高万歳ということで洋書をこうてきました。
クラーク退役陸軍大将の”現代戦のやり方”です。ユーゴ紛争全般の話になりそうで期待しています。
円高ということもありますが、1$の洋書屋さんでの換算価格が低下しており
かなりお買い得でした。

<諸兵科連合を機甲科から書いた論文捜索
かかれていないのかもとも思います。海兵隊の戦車乗りまで手を広げるべきなのかも。
最良の対戦車兵器として戦車との対決に関心が集中しているのか、それとも既に
金字塔的著作が民間か軍で出されていてそれを越えるのが難しいからなのか。
ここまで読んできてOgorkiewicz氏の偉大さというのを実感しました。参照すべき
権威として扱われていることが明らかでしたから。それから、houseに続いて
closing with the enemyももとはCGSCの論文をさらに手を入れ取り上げる範囲を
拡げて著作にしたことが判明しました。こうなるとレーベンワースの図書館は
そこの資料を使って書かれた論文が蓄積し、それを生かしてさらに研究が進んでいる
ということも言えるのかも。白将軍が半生記の中で褒めていたのも分かるような
気がします。doublerはCGSC1988で本になったのが1994。ペーパーバックで
まだ入手可能です。
314トルエン大尉:04/01/12 00:54 ID:???
>>313
乙です。
>諸兵科連合を機甲科から書いた論文捜索
オイラが見聞きした範囲では戦車乗りはどうも他の兵科のことは気にしない性質みたいです。
315名無し三等兵:04/01/12 10:01 ID:???
>314 トルエン大尉さん 有難う御座います。オゴキエヴィッツさんの書いた記事を
探す方向に切り替えました。1970年代と1050年代にmilitary reviewにでてきているの
までは分かりました。他にアフリカのシンクタンクの論文集にも記事を2000年位に
書いています。これは有料なので後回しにしようかと。
316名無し三等兵:04/01/12 10:42 ID:???
 挑戦と顎:BMP

 BMPとBMP装備自動車化歩兵大隊(motorized infantry battalion)は
核戦場で生存するというソヴィエトの教義上のリトマス試験に合格するように
設計されている。軍事概念や戦力編成計画は、1955年から少なくとも1968年までは
真剣に放射能汚染された戦場において機能することを実際的に配慮していた。
核戦場において行動するという要請から機械化歩兵車両には2つの要求が生じた。
第一に残留放射能に対する防護であり、これはBMPの鋼板の密閉構造と、後の型では
過圧により解決した。これにより車両内から分隊が戦闘できるという第2の要求が生じる。
BMPは小火器射撃孔、対戦車誘導弾、73mm滑腔砲でこの要求を実現した。この第2の
要求は前章でみたドイツ軍の要求と同一ではない。ソヴィエト人が求めたのは
機械化歩兵が放射能から防護してくれる密閉内から戦闘できることであり、移動中に
戦闘することではない。またこれはBMPを装備した歩兵が敵作戦縦深後方に降車班を
配置できる能力を重要だと考えていたことの現われでもある。
317名無し三等兵:04/01/12 10:59 ID:???
 乗車戦闘能力は、ソヴィエトの縦深戦闘概念に結びついている。
これは戦術面では攻勢行動と防御行動の結合により実現するものであり、ある
兵科の特化を否定するものであった。ソヴィエト人は陣地を奪取したり保持
することを求められない特化した機甲歩兵を作り出す意味はないと分かっていた。
彼らは敵防御縦深において”抵抗の中心”や”強化拠点”をBMP装備歩兵が奪取
することを構想していた。そしてソヴィエト陸軍では機械化歩兵を縦深突破攻撃
には欠かせない部隊として見る原動力となっている。機械化歩兵は戦車の前進する
運動力を手助けすることにほぼ限られるべきという考えはソヴィエトの縦深戦闘
概念にそぐわないものだった。
318名無し三等兵:04/01/12 11:15 ID:???
 BMP装備機械化歩兵は汚染された戦場を迅速に移動できる能力がなければならなかった。
1976年にViktor Merimskiy上級大将(general colonel)が書いた軍事専門記事によると

 BMP内からの攻撃は敵防御が核兵器によりかなり打撃を受けている場合に行われる
ことが知られている。通常兵器を用いて攻撃した場合には、自動車化小銃下級部隊は
通常、敵を徒歩にて攻撃する。

ロシア軍の階級
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/on_russia/russian-army-classes.htm
Viktor Merimskiy
Takticheskiye ucheniya -- vysshaya forma boyevoi ucheby
(Tactical exercises -- the superior form of combat training)
という著作を表している同名人物あり
Deputy C-in-C for combat training, Soviet ground forcesという肩書き
はソヴィエト地上軍戦闘訓練副総司令官と訳せるかも。
319名無し三等兵:04/01/12 11:35 ID:???
 この記事からはソヴィエト人も、主に敵が核攻撃により粉砕された後においてならば
分隊が移動しつつ射撃する能力も必要であると信じていたことが分かる。米国の機械化
発展に影響を与えた諸問題の多くはソヴィエトでは言及されていないことは注意すべき
だろう。これはソヴィエトが核戦争に没頭していたことと機械化歩兵に積極的役割を
与えていたゆえであろう。なお、1967年頃になって初めて”ある種の状況では核兵器を
使用せず戦闘行動が遂行される”という可能性が教義に表明されている。

 ソヴィエト機械化教義がBMP装備歩兵の役割を、敵戦闘空間後方へ
迅速にこうげきすることで戦果を拡大することにあるとみていたことは確かである。
同教義ではいわゆる遭遇戦の状況を作り出すことに重点を置いていた。遭遇戦では
陣地転換中の敵を高度に機動的ソヴィエト軍が、防御を確立できる前に圧倒する。
320名無し三等兵:04/01/12 11:49 ID:???
 1967年のソヴィエト軍"Dnieper"演習に見てとれるという教義の変更については
著作家によっては強調しすぎているものもいる。House、Simpkin、Dysterは
TukhachevskiyやZukhovに連なる通常作戦と作戦術への一層の回帰だとこれらの
演習をみている。が、この立場に反対してソヴィエト一次史料を使い、説得力ある
議論を展開したのがWilliam and Harriet Scottである。彼らによると
演習の初期段階のみが非核であった事実を見過ごしているということである。
Scottの見解を補強するのはMerimskiyがDnieper演習からほぼ10年後に書いた
歩兵が乗車して戦闘できるBMPの能力と核兵器との関連についてごく当然の如く
触れたさきほどの見解は重要であろう。

 勿論、突破は突破であるから、敵部隊後方への機動戦拡張は突破が通常戦力
によると、核兵器によるとをとわずほぼ同一である。が、Tukhachevskiyが
初めて構想した速度と作戦縦深は核戦場と結びつく2つの理由から今や
不可欠なものとなった。一つは通常戦力の撃滅のみならず敵の核運搬手段の除去
のために縦深打撃する必要性であり、もう一つは西側政治家が核兵器の使用を
決断する前に勝利を達成する必要があることである。
321名無し三等兵:04/01/12 12:10 ID:???
 核の問題とは関係なく、西側は1967年11月7日のBMP-1の登場に備えていなかった。
DysterはBMP-1を”アメリカ人はほとんど装備を整えていない類の機甲戦を行う意志”
の表明だと見ている。

 とはいえ、核登場時代には、ソヴィエト諸兵科連合教義は当初、劣化しており
戦車重部隊を拘束戦力とし、戦術核兵器の火力を縦深打撃戦力としていた。
これは、圧倒的火力の典型である核兵器にこれまでの機動の役割を行わせようという
ある種の逆説のようなものを産み出した。
322名無し三等兵:04/01/12 12:22 ID:???
 当初、ソヴィエト人は核兵器のロケット運搬を敵作戦縦深への打撃という以前から
の概念と同じに考えていた。1950年代のこの見方と同時期に戦車部隊と核兵器について
反対の見方も支持を集めていた。この見方は、A. Kh. Babadzhanyan機甲軍元帥が
最も有力であったが、核手段は突破を作り出し戦車重部隊が拡張するというものであった。

A. Kh. Babadzhanyan
h ttp://www.adamfive.com/guerrero/RAS/title_sort.htm
同名人物有り
323名無し三等兵:04/01/12 12:46 ID:???
 1960年代初期には、ソヴィエト作戦概念は核時代への本質的には安易な反応を
乗り越えていた。Thkhachevskiyの教義と第2次世界大戦での実例という根源への
回帰をScott達がいうように戦術核兵器との統合を維持しつつ果たすことにより乗
り越えたのである。この回帰の徴候の一つは、ソヴィエト思想における自動車化
小銃部隊の重要性が増大したことである。実のところ、小銃部隊、つまり、ソヴィ
エト機械化歩兵は装備要求を優先してうけていた。ソヴィエト陸軍は空挺歩兵も
含めた全歩兵部隊を機械化するため無数の車両を生産する一方でT-62戦車の後継を
作ったのは15年もかけている。車両調達と開発は歩兵部隊に焦点を置いており、
戦車部隊ではなかった。60年代初期から70年代半ばにかけてソヴィエト軍の
機械化歩兵師団と戦車師団の増加比率はさらなる証拠となる。1960年代初期には
1.8対1で機械化歩兵が戦車師団に優り、1974年になると2.2対1へと拡大。
この師団数の全体的動向は、第2次世界大戦末の各国軍の大半で共通だった評価と
同様になるように各種師団内で戦車と歩兵の均衡をとろうという動きとも重なる。
324名無し三等兵:04/01/12 13:22 ID:???
 少々補足しておくと、米国陸軍における現在の比率は大隊数ではほぼ1対1である。
が、この1対1比率は、現在よりも大型の11名か12名分隊でうちわずか2名が
分隊降車時に車両についているに過ぎなかったときにもともと構想されたものである。
ブラッドレーがはじめて配備されたときは9名分隊で、うち3名は経験により
分隊降車後車両に取られることが証明されている。
325名無し三等兵:04/01/12 21:59 ID:???
 ソヴィエト機械化歩兵の作戦上の重要性

 それでは資源をよく割り当てられたソヴィエト機械化歩兵はソヴィエト教義で
どのように運用されることになっているのだろうか。1975年には、ソヴィエトの
用語に”全兵科概念”というのがあり、これは敵作戦縦深における機械化歩兵部隊
の行動を中核としている。機械化歩兵が梯団部隊が突破するために必要な戦闘力
を与える役割を負っているのもまた確実なことである。が、教義上の運用では、
戦車を中心とした機動戦の原則に直感的には反しているようであるが、縦深突破
部隊は十分な機械化歩兵を必要とする。

 1980年代にSimpkinは当時のソヴィエト軍事刊行物に基づいて、機甲戦果拡大の
極致である、作戦機動群(OMG Operational Maneuver Group)ですらも、多数の
機械化歩兵を含んでいると指摘している。この見方ではソヴィエト陸軍司令官が
戦車師団1個をもとにOMGを編成する場合には、ほぼ歩兵の編合を必要とする。
核の引き金を避け、敵部隊を縦深において混乱させるために、ソヴィエトの刊行物
および実例には歩戦の戦術運用での深い統合が含まれる。
326名無し三等兵:04/01/12 22:39 ID:???
 ソヴィエトのNATO部隊を遭遇戦で捉えるという期待は速度に重点を置いた。これに
より全歩兵部隊の機械化のみならず、敵防御を突破し拡大することができる歩兵部隊
の創出を促進した。拡大により歩兵重部隊が地形を占領することで敵防御を破綻させ、
不備なままの反撃を強いると考えられていた。敵作戦縦深の拠点奪取とは本質的に
旋回運動である。攻勢行動の一環として、この旋回運動は拠点防御を行うことを
求める。その結果としてソヴィエトの著述家やソヴィエトについて論じた者の中には
、歩兵戦闘車両導入後の米国著述家と異なり、IFV装備機甲歩兵とは別に、拠点防御
を保持、奪取するために”正規”機械化歩兵が必要だというものはなかった。

 アメリカがIFVを装備し始めた直後に歩兵の数という問題が生じた。ソヴィエト人も
同じ問題、機械化部隊内には歩兵集約任務をこなす歩兵が不足する、を認識して
部隊の歩兵を増加することで解決した。
327名無し三等兵:04/01/12 23:43 ID:???
 西側では米国のIFVの防御のなさは犯罪的だと嘆く声が多数あがった。ソヴィエト
の対処法は、防御では危険を受け入れて奇襲と速度を活用するというものだった。
ソヴィエト戦車軍総監A. Bondarenko中将は1975年にこう述べている。

 BMPを装備した小部隊を効果的に運用するには、機動性に富むこのような
小部隊は敵防御縦深後方における大胆な急襲、つまり敵強化拠点を迂回して
防御の側翼と後方に出現することである。

 率直に言ってブラッドレー装備歩兵について同様に語る米上級指揮官はいない。

 核戦場で機能するという要求に支配されつつも、何ものにもまして数量と速度に
信頼をおき、敵部隊縦深への同時攻撃という歴史的教義的重点に合致して、
ソヴィエト人は攻勢作戦における機械化歩兵の重要な役割を形作ることができた。
BMPの容積の限界による分隊戦力の制約に対しては、軍の歩兵師団の増勢と
戦車師団と自動車化小銃師団における歩兵大隊の増勢で応じた。
328名無し三等兵:04/01/13 00:35 ID:???
#92/144 本日は少々重いのでここまで。次からはDePuyとFM100−5とIFVの
話になります。
329対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/13 08:57 ID:???
お疲れ様〜。

機械化歩兵(あるいは機甲歩兵か)がBMPにしろブラッドレイにしろ、はたまた
ウォーリアやマルダーにしろ、ヴィークルの固有のキャパシティに束縛されているのは
事実でしょうねぇ。
臼砲がストライカーを買ってるのは、この点です。

逆にいえば、新世代IFVが望めぬ現状では、機械化歩兵(IFV)が機甲歩兵的役割に
特化するのもむべなるかな、と思うですなぁ。
でなければ、編制スレで触れたようなIFVの戦場タクシー化が見えてしまう・・・・・・
330名無し三等兵:04/01/13 10:25 ID:???
>329 大きい車体は歩兵分隊の人数か、歩兵小隊の人数を増やせるし、車両の派生型を
簡単に増やせるということでもあるということですね。
 戦場タクシー化については敵陣地前縁にできるだけ近づいて歩兵を安全に降車させる
能力があるかどうかが大きいかなと。小火器射撃孔、というかポートと孔とでは
違うかも分かりませんが、この際の兵員室から直接周囲を視認できるかどうかは
日本の車両では重視されているのかも。96式にも外部視察窓ありますし。
降車戦闘と乗車戦闘の間で迅速に転換するには、戦場の手前で歩兵を
降車させて徒歩で攻撃開始させるのは避けたほうがいいというのはこの論文で
これからでて来ます。

派生型を作る拡張性についてはブラッドレーは対空型、砲兵観測型、それから
車体を延長した司令部型、提案はされている工兵型などがあります。ウォーリアは
同種のがあるかは不明です。他はCV90がそれぞれ派生型があるのが良く言われています。

M113についてはアルミ車体が非難されることも多かったと思うのですが
思い返してみるとストライカー反対派文書はこの点については触れていなかったです。
331名無し三等兵:04/01/13 10:42 ID:???
 ベトナムの陰から出る米国の教義

 ベトナム後に機械化歩兵教義を再興しようとした努力においてWilliam DePuy
ほど大きな役割を果たした者はいない。この再興は、ベトナムのような歩兵集約
的戦争は例外であるという彼の見方と固く結びついている。彼にとって、戦車は
戦場の決定的要素であり、機甲歩兵の機能は戦車の前進運動力を助け、時折
戦車が迂回した敵陣地を攻撃することであった。彼のこの見方は当時も現在も
同じくする者がいる。指摘しておくべきなのは、彼の仕事は公式の機械化教義の
必要性の再発見としても評価されるべきであり、教義開発にあたっては
兵器を中核に据えることを信奉していたということである。以下に彼の思想に
おける兵器を中核にすえる見方とそのもたらした結果を探っていく。
332名無し三等兵:04/01/13 10:56 ID:???
 このDePuyに対する否定的な見方はベトナム後の最初の教義の明確化である
1976年版FM100-5の刊行で起きた激しいが実りある論争と近い。刊行直後当時に
出た批判のうち最も長く続いたものに、この教義は機動教義ではなく、典型的
な米国の火力、消耗に基づいているというのがあった。火力、消耗に基づく
教義を支える戦術概念は、組織が忘れ去った史的な教義研究に焦点をあわせて
おらず兵器体系志向である。ベトナム中の米国陸軍歩兵科には陸軍の諸兵科
連合教義の中に機械化歩兵を確立するだけの力を持ったものはいなかった。
この断絶は勿論歩兵はベトナムでの戦争に傾注していたということであり、
機械化歩兵の役割は、(有意味ではあるが)より集約的でないものとみていた。
333名無し三等兵:04/01/13 11:16 ID:???
 ベトナム後の機械化歩兵の装備に対するDePuyの明らかに否定的な影響については
公正を期しておくべきだろう。彼が活動したのは陸軍に決定的な役割に集中せよという
環境下であった。この要求に答えようとした結果、他の観点や手法は考えの上で
取られなかったり、短命に終ったりした。また、多くは欧州、中東、韓国で
おこりうる状況に対応することができないものであった。DePuyがTRADOC
(訓練教義集団)の司令となったとき、陸軍は立て続けに2つの衝撃的な出来事に
遭遇していた。一つはベトナムでの敗北であり、もう一つは1973年の第4次中東
戦争で示された予想外な現代戦の激しさである。彼の訓練教義、陸軍への要求の
確立、戦術、指揮官育成などの仕事は米国陸軍へ多大な貢献となっている。
さらには、火力と、機動に基づく教義との緊張は自己流の機動理論家が許容している
より以上に見せかけ上の対立であることがしばしばである。DePuyは彼を消耗論者
だと非難に応じてこう反応している。”機動戦は教義上で選択すべきものではなく、
努力の結果得られる成果である。”
334名無し三等兵:04/01/13 11:36 ID:???
 それでも、しばしば分裂気味な米国陸軍のIFV後の機械化歩兵教義はDePuyの
とった手法、方法、と兵器能力の強調に大いに関連がある。本研究は兵器能力が
重要ではないと主張するものではないが、兵器調達の仕組みには既存の教義に対
する史的研究が現在よりも一層関与すべきであると論じる。さらには
TRADOCの”概念に基づく要求”は(戦闘経験に基づく)教義概念を兵器開発の原動
力として重きをおいていないことを指摘するものである。

 1973年の第4次中東戦争を当時みていた者は軍事史における境目であるとみなしていた。
対戦車誘導弾の登場と戦車の高損失率の結果、軍事分析家は第2次世界大戦以来
6回目か7回目の戦車の死を語った。初期のイスラエルによるエジプト軍橋頭堡への全戦車
攻撃で用いられた戦術は、対戦車誘導弾という新兵器の登場と比べるとそうあるべき
であったほどには大きく扱われなかった。
335名無し三等兵:04/01/13 12:06 ID:???
 米国陸軍、ソヴィエト陸軍ともに1973年の戦争を徹底的に事後調査した。
この戦争から浮かび上がった戦訓に諸兵科連合、歩戦協同の必要性がある。
これは第2次世界大戦の結果が強く示すように、戦車と歩兵の大隊比率は
1対1が最適とする観察の再評価に繋がるべきであった。実際にはそうは
ならないこともしばしばであったが。米国では、1973年の戦争はDePuyが
米国陸軍の教義を見直すための根拠を与えることになった。米国機械化歩兵
にとって残念なことに、1973年の戦争は諸兵科連合への確固とした集中を
形成しなかった。DePuyの渋りながらの妥協は”戦車は単独でできない”という
発言にのみ見出せる。
336名無し三等兵:04/01/13 12:30 ID:???
 第4次中東戦争とDePuyの仕事が米国陸軍が訓練と装備調達の双方で大きく
前進するよう促したのは疑いない。この前進のさなかにその結果が
諸兵科連合志向を反映したものとはならないと言うのは直感に反するように
見られただろう。それでも、長年にわたりTMDOC付き歴史家をしている
John L. Romjueは、1976年版FM100-5に対する不満足は大きく以下の点に
まとまったことに注目している。それは1976年FMは
”1970年代に盛んだった戦力比と火力に基づいた戦闘観であり、目標に
対して割り当てるべき戦闘力という戦闘の描き方は機械的方法である”
ゆえに欠陥であるというものだった。

 DePuyの仕事の中に見られる火力に基づく戦闘観は1976年版Fm100-5に彼が
大きく関わった詳細な武器効果表を含めたことにも現れている。DePuyはドイツ
陸軍が彼らの教範にこの部分を入れたことを誇らしく話している。彼が
1976年に当時の陸軍参謀長Fred C. Weyrandに宛てた手紙の中の以下の部分ほど
DePuyの兵器中心的火力志向を明白に伝えるものはない。
337名無し三等兵:04/01/13 12:55 ID:???
 かつては陸軍は、部隊の任務の達成を可能とする兵器を装備した大規模な
部隊が特徴であった。現在、戦場を左右しうる現代兵器を運用し維持するように
陸軍を組織しなければならない時にごく、ごく近づいている。それゆえ
我々はFM100-5を兵器効果の趨勢とその意味についての長い議論から始めたのだ。

 この引用箇所はDePuyが消耗を基礎とする火力信奉者だということを証拠立てる
ものではない。敵作戦縦深での機動は戦い取らねばならないこともあるという見解
を別の機会に言及している。実際、彼は上記の引用を限定するようなことを述べている。
その中で、技術が教義を形成するのであり、その逆ではないと述べている。また、
陸軍は兵器体系に適合するように組織されねばならないと述べている。このような
見方において、歴史に諸兵科連合を統合しようとする基礎付けられた教義研究や教義概念
はほとんど価値がない。この図式では、各兵科を活用して敵に諸兵科がもたらす板ばさみ
を作り出すよう兵器と部隊を設計する方向ではなく、さらなる火力の方向へと
陸軍は向かうことになる。この図式では降車機動には場所がない。この手紙に
見られる力学の視野に現れるには、降車機動はあまりに融通無碍であり不連続である。

338名無し三等兵:04/01/13 20:22 ID:???
 DePuyの影響を十分に理解するには彼は西側の軍事思想の文化的、教義的傾向
を体現していることに注目すべきだろう。火力対機動論争は1980年代、改革しようと
する政治の動向が1世代かそれ以上の間なされなかった車両や兵器設計を取り返そ
うとする陸軍の真っ当な願望と衝突したことで公の場にも出て来ることとなった。
この陸軍の願望をDePuyは代弁しまた推進している中心であった。この論争が
あまりにも公で行われた為に火力対機動論争という地点からさらに進んだ概念を
覆い隠してしまったと本論文は非難するものである。DePuyは将来の諸兵科連合
戦闘とその進展は火力と兵器のみを中心としたものであると説得しようとした。
DePuyや他の者にとって兵士に適合するように兵器を設計するという思考は
多くの点で歩兵中心の時代遅れであり陸軍は捨て去らねばならないと主張した。
将来には、陸軍は空軍や海軍と同様に兵器体系に投資してそれから人間と部隊を
兵器の周囲に組織することになると見ていた。
339名無し三等兵:04/01/13 20:45 ID:???
 兵器と兵士、装備と人間要素との力学は現代諸兵科連合戦闘において徒歩戦闘が
不可欠の要素であるという本論の主張にとって重要な意味がある。兵器体系の
教義における位置に関する論争と我々の諸兵科連合戦闘の理解に深みをもたらす
可能性が当時のいささか素人じみた消耗対機動の狂熱に覆い隠されてしまったのは
残念なことである。

 興味深いことにWeyandへの手紙ではなぜ兵器中心志向が正しいのか権威を引いて
訴えている。DePuyが依拠した権威はドイツ軍とイスラエル軍であった。
”ところで、ドイツ軍はFM100-5のこの箇所丸々を基礎教範にいれています。
イスラエル軍が兵器志向であることは明白です。”
340名無し三等兵:04/01/14 02:08 ID:???
 ソヴィエト人は第4次中東戦争の結果、部隊の歩兵を増加させたが、米人は
兵器の数を増やした。米国の公式な戦訓とは、戦場は激しさを増したこと、
戦車が優越しているのはかわらぬが単独で戦争を遂行することはできぬこと、
戦車と航空機を近年のATGM(対戦車誘導弾)とSAM(地対空誘導弾)から守る
兵器を開発する必要があることであった。諸兵科連合ではなく、戦車を地上
戦闘において決定的とする見方の教義への影響は1976年版FM100-5で明らかな
ように以降の米国の教義開発に浸透している。
341名無し三等兵:04/01/14 02:49 ID:???
 これらの戦訓の結果、米国機械化歩兵にM113の代替を与えるのがさらに喫緊となった。
とりわけ1973年の第4次中東戦争でイスラエル軍の戦車単一機甲部隊の潰滅に役目を
果たした新たなATGMの制圧ができる兵器を与える必要があった。けれども、戦場に
おける歩兵の教義上の役割を担う当然の部署、歩兵科はこの探求の主導をとろうとは
しなかった。後にこのことを振り返ってDePuyはこう書いた。

 私は歩兵に時速2.5マイルの精神から脱して欲しかったのだが、彼らは軽歩兵の
掌中にあった。(中略)彼らは全く機械化歩兵を良くしようとしなかった。彼らは
理解していなかった。。。それで私は彼らには厳しい方法を取ることにした。
非活発な状態から揺り動かすためである。
342名無し三等兵:04/01/14 03:11 ID:???
 DePuyの1973年第4次中東戦争にたいする考えは、多数の覚書や演説で記録されている
ところによると、戦車を決定的とする見方をさらに強化したのである。が、その一方で
ベトナムで機械化部隊が驚くべきことに有効に使われたという戦訓にも関心を向けている。
彼は中東戦争で明らかになった戦場の現実は米国陸軍をロシア人に対して追いつく立場
においたと考えていた。これは確かに正しい見方だった。彼の端的な発言が
”ベトナム戦争への費出と没頭がゆえに、陸軍は近代化を1世代失った”である。
この近代化の一つは戦車の火力を増し、対戦車誘導弾を制圧する火力を持った車両を
歩兵に与えることであった。

 歩兵がさらなる火力を持つという考えは連邦軍の対戦車兵器の増強という要求と
うまく噛み合った。対戦車誘導弾の制圧と装甲車両の火力を増強するのは本質的に
無関係の概念である。が、1978年から1986年にかけては一緒になり歩兵分隊は
通常、攻撃の際は乗車して戦闘することが公的な刊行物で強調された。機械化歩兵
は通常乗車戦闘するという見方は1980年という早期にある歩兵総監
(Chief of Infantry)が明言しており、これは1973年の戦争から7年後、
FM100-5の発行からわずか4年後のことである。
343名無し三等兵:04/01/14 03:28 ID:???
 連邦軍の影響は、中東戦争から得た結論とあいまって第2次世界大戦末に出現し
広く受け入れられていた、歩戦の密接な協同という教義からの退化をもたらすこと
になった。IFVにより、軍は歩兵とIFVが行動を調整して行う有効な戦術や技術の
開発に奮闘し、戦車と徒歩歩兵の協同を訓練する時間や教義上の余地はなくなった。
けれども、西ドイツ軍の場合はこの退化も理解できる。西ドイツが面した脅威は
地理的戦略縦深を国として欠くこととあいまったソヴィエトロシアの大量の装甲
車両であり、大きなものだった。イスラエル人が1973年に鹵獲したNBC対応の
ソヴィエト車両を西側が調査した結果、この脅威はさらに強調された。さらに
1973年の戦争では対戦車誘導弾で武装した歩兵が防御する有効性を示したが、
イスラエル、アラブ双方において、攻撃でも反攻でも機械化歩兵はおよそ
有効に用いられなかった。
344名無し三等兵:04/01/14 03:41 ID:???
 IFVが米国機械化歩兵教義にもたらした混乱が、それほど語られることがないのは
IFVそれ自体には何も悪いことがないからである。むしろ、IFVは初期の機械化思想
に由来する単純な概念の復活を触媒した。米国陸軍の上級指揮官達の中にはこれらの
初期の概念を支持し続けたものもいた。

 1999年という後になって、第2代TRADOC(訓練教義集団)司令官Donn Starry退役陸軍
大将は書いている、”機械化戦闘とは、ごくわずかの兵士にさらなる戦闘力を与える
方法に過ぎないということを無視するのは愚かであろう。。。ならばなぜ米国は
現代機械化技術の兵士を節約する能力を心底活用しないのだろうか?”
345名無し三等兵:04/01/14 04:00 ID:???
 Starryの1999年の発言はFullerやLiddell Hartが少なからず大戦間にとっていた
立場の名残である。元は戦間期の議論の文脈に位置付けられる。Starryは
歴史家Edward Katzenbachは戦間期の米国陸軍機械化への障害として騎馬歩兵を
不当にも名指したと考えていた。が、彼のKatzenbachへの不同意はより広くかつ
意味のある発言となって現れている。”Katzehbachは米国軍事思想に従来ある
欠陥を無視していた。それは、歩兵を軍事行動の中核とする盲目的な拘りである。”

 第2次世界大戦の実際の経験では機械化戦闘における歩兵の役割を実証した。
既にみたように、以降の発展、例えば核兵器の問題はこれを覆すほどの脅威で
あり、降車行動はもはや中核とはならず、全くの時代遅れだとしていた。
Starryの発言は兵科偏狭な感情と支援=被支援の枠組みがどれだけ根深いものか
ということを明らかにした。いずれにせよ、IFVを装備した米国歩兵の経験は
降車部隊の能力を甦らせようとする企ての一つであり、この能力は機械化部隊に
とって不可欠だと戦争経験は示している。が、技術により決戦兵器が具現し、
歩兵部隊の小型化を可能とするという考えは米国の戦争に関する思想に繰り返し
出て来る。あらゆる可能性においてこの傾向は消え去ることはないだろう。
346名無し三等兵:04/01/14 04:11 ID:???
 火力の増加と機械化はより僅かな兵士にさらなる戦闘力を与えることを実現する
だろうか。機械化と歩兵との間に摩擦を認める見方の根底にあるのは戦車はわずか
な兵士で大きな火力を発揮するよう求められているという発想である。これは
疑いも無く真実であるが、歩兵の役割は単に諸兵科連合戦闘にどれだけの火力を
提供できるかという意味も含んでいる。これが興味深いのは降車機動が果たしうる
役割を完全に無視している点である。これは地形を度外視した発想であり、
世界中の陸軍が機械化歩兵の降車部隊に通常割り当てている役割すらみていない。
347名無し三等兵:04/01/14 04:25 ID:???
 火力の増強と歩兵数の減少はとの釣り合いというのは理論上は魅惑的だが
戦術的には誤った概念である。これが誤っているのは実際の戦闘記録の研究では
なく、機械化戦闘を総じて歪めて描き出す中から発想を得ているからである。
この概念は優れた戦術として戦闘経験が実証した兵科間の密接な協同に反する。
第2次世界大戦末以来の米国陸軍の歴史記録に基づいた教義概念からの退化には
幾つかの原因があった。それは、連邦軍の機械化歩兵教義の誤解したままで取り
込もうとしたこと、米国歩兵戦闘車両の開発が紆余曲折したこと、先端技術志向
が教義の上で歴史研究を脇に押しやったことである。そして最も大きな原因は
枢要な意志決定者の地位に歩兵の徒歩行動には重きを置かない者がついたことである。
これらの原因全てにより、機械化歩兵の開発にあたって、前例となる戦闘記録に対する
組織ぐるみの健忘症が生じた。

#102/144 次もアメリカの話です。
348名無し三等兵:04/01/14 23:29 ID:???
 アメリカのIFV
 対抗しうるIFVを作ろうとして、米国の刑書く者はドイツ軍の経験とソヴィエトの
脅威に関心を向けた。が、Richard Ogorkiewiczが言うように、
組織的、文化的圧力によりこの分野の思想は戦場の現実以外のことを見るように
なった。1980年にRichard Simpkin准将が苦言を呈したようにアメリカのIFV追究は
”他の皆が持っているから我々も持たねばならないと思う”というような節があった。
これはIFV(歩兵戦闘車両)、元々はMICV(機械化歩兵戦闘車両)に携わっていた者には
些か不当であったであろう。なぜならば、要求は1964年という早くに明確化されており、
これはソヴィエトがIFVを配備する以前であるから。さらには陸軍には1958年以来、
機械化歩兵車両開発計画があった。

 ブラッドレー車両開発と調達は絶え間ない見直しと対立する要求の込み入った
話である。ある要求項目を最大限に組み込むと他を軽んじることになった。
が、歴史と教義優先志向が数量主義と対立した困難な戦いの物語でもある。
349名無し三等兵:04/01/14 23:42 ID:???
 数量分析の深さとデータで説を証明するという組織の傾向を前にしては、計画
責任者ですら、教義上の要求と概念の真の理解を適用することは難しかった。
ある例でこの数量化の独裁に光を当てることにする。ブラッドレーの開発を
巡っては射撃孔用武器の導入に関して、筋の通った論議があった。本論文は既に
第2次世界大戦におけるドイツ軍の乗車戦闘への要求とは何であったのかを論じて
いる。が、1978年の費用対作戦効果分析によると、射撃孔用武器を装備した
ブラッドレーは数学的モデルで(当たり前であるが)優位であった。
信じがたいことだが、1973年の第4次中東戦争により得られた戦訓、対戦車誘導弾
を制圧する能力に関して既に微妙となりつつあった。計画責任者がこの武器の
有効性は最低限でしかなく、実際の運用ではほとんど意味がないほど問題がある
とみていたにも関わらず射撃孔は残り続けた。
350名無し三等兵:04/01/15 00:12 ID:???
 計画の区切り目の評価で歩兵の意見を取り入れる機会はあったが、大佐以上の
階級の士官に限られていた。

 車両要求項目よりも一層重要なものは要求を形成する要因である。1965年の
戦闘開発集団(Combat Development Command)の機甲歩兵分隊の開発に関する
分析は編制及び装備定数表の一覧表にとどまらず、教義と開発史についても
多く記しており、戦場経験の教訓を伝えようと尽力している。1970年代には
この仕事はもはや正式なものとはされず、陸軍の調達過程には組み込まれて
いなかったことは確かである。operational researchとsystem analysis
は開発に組み込まれており、開発を支配している。この論理的空白を当然に
満たすべき歩兵科は、奇妙なことにIFV開発には関心がなかった。主要な
計画責任者は例外なく機甲科の経歴の将官ばかりだった。
351対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/15 09:21 ID:???
毎度乙です。
射撃孔ってGun-Portですかね。
ならば「ガン・ポート」ってぇカタカナ英語の方が通りが好いかしら。
この装備も微妙です。
臼砲はどうも、決定的局面において投入される“虎の子”としてのIFVなのか、
普通に機械化歩兵の“友”としてのIFVなのかで線が引かれてる気はするのですが。
352名無し三等兵:04/01/15 11:53 ID:???
>351 はい、射撃孔=ガン・ポートです。
射撃孔というと73式のT字型視察孔+射撃孔を思わせてしまうです。
で、ブラッドレーの場合は
中から撃っているところがこういう感じで
http://afvinteriors.hobbyvista.com/bradley/bradley1.html
外からガン・ポートを見ると
http://www.globalsecurity.org/military/systems/ground/images/m2-022_31.jpg
一応後部ランプについているポート2つは残されていた時代もあったようです。現在は不明也。

で、射撃孔用武器というのがこちらのM231です。M16の親戚でフルオートで撃ちます。
http://www.securityarms.com/20010315/galleryfiles/0900/916.htm
M231はM2に降車戦闘時に使うM16とは別に備えられていました。

<機械化歩兵の足としてか、決定的局面で投入される虎の子か
決定的局面がありうるだろうかということを考えているのかもしれません。
戦果拡張部隊のために部隊を控置したり、他の機械化歩兵と、この場合は
M113に乗ったのと分業するのは好ましくないと見ているのだと思います。
353名無し三等兵:04/01/15 12:19 ID:???
 車両への要求や陸軍の兵器調達の特性よりも大きな影響を及ぼしたのは
機械化戦闘において降車機動が果たす他に替え難い役割を明確にすることを
当時の陸軍がしなかったことである。この問題は分隊の降車する人数を
決定する前に解決すべきであった。そして降車する人員数は車両の設計に
大きな影響がある。IFV後の陸軍で降車歩兵の人数ほど組織をあげての論争と
なったものはおそらくない。ブラッドレーの計画では様々な分隊規模を試験した。
が、設計上の要素から解決策は限られていた。主武器を生かそうとすると
降車するかわりに兵士が付いていなければならず、車両が不整地機動力を
得るには搭載能力と防護を制限せざるをえない。初期の歩兵学校の刊行物では
分隊を3名が車両に付き7名が降車するとしていたが、これを達成する能力は
実際には早々と消えうせてしまった。
354名無し三等兵:04/01/15 12:33 ID:???
 歩兵戦闘に関する第2次世界大戦後の委員会と機甲歩兵の発達の筋道について先に論じた
ことを振り返ってみるのも重要だろう。本論文は、機械化歩兵の編制と教義を史的研究する
ことで、たまたまの習慣や癖ではなく、最低限必要な分隊編制を明らかにできると主張する。
手短にいうと、Haworthの結論、米国のIFV開発において伝統的な車両の役割と分隊編制を
維持しようとしたのが最大の問題であったというのは不正確であった。第2次世界大戦後
につづいて、ブラッドレー装備部隊の仮想敵対抗演習での視察官の所感でも、
大型の歩兵を支持している。縦深戦闘教義におけるソヴィエトの機械化歩兵運用
でも大型の歩兵を支持している。最も重要なのは機械化戦争の実際の戦闘記録が
大型の歩兵を支持していることである。

 
355名無し三等兵:04/01/15 13:04 ID:???
 現代歩兵分隊の最低限の編制は降車時の射撃と機動を最大限にする必要がある。
3名の指揮官がいて、2組に別れ、どちらの組にも指揮統制があり、もう一方に
制圧を提供できる武器装備があるという降車部隊は偶然できあがったものではない。

 ブラッドレー装備機械化歩兵は降車戦力が不十分なままで陸軍に取り入れられた
のが明らかとなり、無数の修正案が出てきた。まず、これらの小型分隊は、場合に
よっては7名や5名すらあったが、大型の分隊よりも優れているという研究があった。
その手法は歴史を基礎とする教義研究と、ガン・ポートの価値を認めたCOEA(費用
対作戦効果分析)とだった。1970年代後半、ブラッドレーの配備が迫ったころに
小型分隊の話は陸軍参謀長Bernard Rogersの耳にまで届いたようだ。DePuyは
多分記録されていない会話でRogersにブラッドレーの火力は分隊の規模を埋め合わせ
られるとしてブラッドレーを進める必要があると伝えている。
356名無し三等兵:04/01/15 15:01 ID:???
 この決定の論理的支持材料もあった。
TRADOC Deputy Chief of Staff for Training and Schools study
(訓練教義集団副司令官による訓練および教育研究?)の
”中烈度戦闘における歩兵”は1974年1月に完了した。分隊を車両組
と降車組に分けるべきとのDePuyのRogersへの震源にも恐らくは正当性を
与えたのだろう。1973年の第4次中東戦争と同時期にでた”中烈度戦闘における
歩兵”は車両組と降車組に分けられた分隊を称賛し、
”歩兵分隊を7名、または8名に減勢することを可能とし、さらなる兵器、とりわけ
対戦車兵器により車両の能力を活かせる”点で革新的だとしていた。
357名無し三等兵:04/01/15 15:12 ID:???
 既に指摘したように、この概念は歩兵の諸兵科連合戦闘に対する貢献を火力を
提供することのみに限れば意味がある。この見方はでは戦場での歩兵の役割とは
主として車両の火力と機動力であり、他の兵科を補完してて敵部隊を板ばさみに
追い込む諸兵科連合効果を作り出す降車機動にあるのではなくなる。小型の分隊
を採用した理由には歩兵分隊について有名な研究を書いているDePuyへの配慮が
あったのではというのは推測できるのみである。陸軍にはMICV計画をやり直す
余裕はなかった。あまりにも時間を掛け過ぎており、ドイツ連邦共和国では
安定化されていない12.7mm機関銃装備のM113大隊があまりにも多くのBMP-1と
場合によってはBMP-2の可能性もある、と対峙していた。
358名無し三等兵:04/01/15 15:27 ID:???
 1980年代初期にブラッドレーが配備されたとき、歩兵が経験したことのないし
全く分析したこともない複合的な小隊/分隊が作り出された。機械化歩兵分隊は
降車機動に制圧を提供する乗車班と書類上の定数6名の降車機動班に分かれた。
BMPに影響されつつも進んだほぼ20年間と、ドイツとソヴィエトのIFVの出現を
目撃したこと、そして後に浮航能力の追加、対戦車誘導弾能力の追加、1975年の
騎兵戦闘車両(CFV)との統合により、ブラッドレー計画は蚊帳の外だった機械化歩兵
にとっておそらく最大で今なお続く課題をもたらした。
359名無し三等兵:04/01/15 15:48 ID:???
ベニングの手番:チャタフーチー川の25mm

フォートベニングとは米国陸軍歩兵学校の所在地
チャタフーチー川とはアラバマ州とジョージア州の境目の川で
同基地の付近を流れる。つづりはこの論文ではchattahoochieで
辞書ではchattahoocheeとなっているものもある。
http://www.yourdictionary.com/ahd/c/c0260300.html
http://www.508pir.org/odessey/benning.htm
地図はこちら
http://www.visitcolumbusga.com/directions.shtml#
360名無し三等兵:04/01/15 16:14 ID:???
 1986年に陸軍参謀長がだした最初のブラッドレー白書(Bradley white paper)
では、ブラッドレーはより機動力のある戦車部隊に拘束戦力を提供すると主張している。
このあまりに限定された概念は今日なおも影を落としているが、白書を読むといかに
予算力学が教義論争を形成することがあるか明らかにしてくれる。

#department of the army "Bradley Fighting Vehicle" 1986
1989にも同題で出ています。参考文献中の主要参考資料にあげられています。
361名無し三等兵:04/01/16 00:12 ID:???
 1968年から1990年までの刊行物をみると米国機械化歩兵教義は2つの要素に支配
されていたことが明らかとなる。第一にドイツ陸軍の東ドイツとチェコスロバキア
との国境での前方防衛する意思に合致した教義を確立しようとしたことである。
ドイツ軍はソヴィエトによる侵攻初期段階で可能な限り多くのソヴィエト戦車と
装甲車両を撃滅する必要に大変専念していた。MICVを作ろうとする官僚的闘争
においてドイツ軍との一致することは政治的交渉材料として強力だった。第2は
1973年の第4次中東戦争から得られた赤裸々な分析である。

#ここまで1973年の第4次中東戦争と訳してきたのは原文では
1973 Arab-Israeli Warとなっています。
362名無し三等兵:04/01/16 00:28 ID:???
 明らかに2つ目の要素、第4次中東戦争の分析は戦場の現実から要求を形成しようと
した結果である。これは本論文の主張である歴史的戦闘記録の教義的反省からではなく
あまりにも技術に偏りすぎている教義への批判の根拠を薄めるように思われるかもしれ
ない。が、調達過程において用いられた分析手法は兵器能力主体であり、戦術主体
ではない。技術は確かに戦術に影響を与えるが、米国の方法は、兵器体系を他から
切り離してみている。これは陸軍戦闘開発集団(Army Combat Developments Command)
や陸軍作戦試験評価庁(Army Operational Test and Evaluation Agency)など
に見受けられる。これらの分析試験や手法ではIFVが他のIFVや車両を撃破する能力
に重きを置きがちで、この傾向は後に、何対何といった教義執筆やさらにのちの
野外教範でも見られる。武器効果試験を根底とする志向は戦争の心理面への教義上
の考察をする余地はほとんどなくなる。
363名無し三等兵:04/01/16 00:36 ID:???
 が、兵器体系志向の手法への退化よりもさらに注目されるべきはブラッドレーが
配備されたときのフォートベニングの教義執筆者達の苦労であった。1980年の
Special Text 7-7-1, The Mechanized Infantry Platoon and Squad(IFV)
特別教範7-7-1機械化歩兵小隊及び分隊(IFV装備)はこう述べている。

 より保守的な思想家はIFVを改良されたAPCか”戦場タクシー”だとみなしがち
 であろう。一方その逆にIFVを軽戦車(light tank)と考える向きもあるだろう。
 IFVの正しい役割とはこの両極端の中間であるが、少々軽戦車よりであろう。
364名無し三等兵:04/01/16 01:15 ID:???
 現場の者の手にかかると兵器体系志向はブラッドレー戦闘車両の技術能力への
称賛となる。新しいブラッドレー装備歩兵について書かれたものは新兵器の
大きな可能性を前にした崇敬するかのような衝撃を記している。1986年にも
なって、フォートベニングの諸兵科連合および戦術司令官
(the Chief of Combined Arms and Tactics)であり、のちの歩兵総監
(Chief of Infantry)であり、長年軽歩兵としてすごしてきた将校は書いている、
”車両能力が向上し、複雑さが増したことで歩兵の仕事のやり方は根本的に
変化した。”これはたしかにこの限りにおいて正しい。が、意図せずして狭い視点
を反映したものとなっている。 実際にはBFV(ブラッドレー戦闘車両)の役割を
定義することは機械化歩兵の教義自体を定義することと同じであるという傾向を
映し出している。この傾向は崇拝者にも批判した者にも見て取れる思考傾向である。
365名無し三等兵:04/01/16 01:43 ID:???
 1980年にSimpkinが述べたように”戦術級の諸兵科連合の本質は戦車と歩兵の協同
である”が、IFVの登場を歩兵の生活における革新的出来事とみて兵科での新たな受け
入れが求められていると見たものもいた。米国のIFV、一般にはブラッドレーと呼ばれる
がは思いがけぬ作用をもたらした。機械化歩兵教義の擁護者たるべきものは車両に
のみ拘るようになってしまった。これは機械化歩兵の降車部隊を事実上無視することに
なった。が、この無視は完全に意図されていないものではなかった。ドイツの
機甲擲弾兵教義を過度に単純化して吸収し、同時に対戦車、対車両の役割の
方向で改善するようにTRADOC(訓練教義集団)に強いられたあげく、歩兵の多くは
この種の歩兵は小型の分隊が適していると考えるようになったのだろう。

 ブラッドレーの導入に伴う車両の火力へ訓練と戦術が集中したことは理解できるが
その結果歩兵はこれまでにない訓練の難題に取り組むことになった。が、歩兵科は、
組織としては、機械化戦闘において歩兵が果たしうる、或いは果たしえぬ代替の利かぬ
役割について主張するつもりも能力もなかったように見える。William Lindのような
批評家が正しいとすると、彼は当時の降車機動がなおも価値があると信奉していたが、
歩兵科は過程により関与すべきであった。さらに、Simpkinすらも、少々筋道が通らない点は
あるが、機械化歩兵の役割を大きく制限した見方、諸兵科連合戦闘において戦車と歩兵は対等
の仲間であるというしばしば述べた見方の変奏のようにみえるがについて語っていた。
366名無し三等兵:04/01/16 01:56 ID:???
 BFV(ブラッドレー戦闘車両)の配備から3,4年のうちに小隊編制が不適であるとの
不満が現れてきた。1985年〜1986年の歩兵総監John Foss少将は乗車戦闘の要求を
信じ続けたが、彼の任期後半には陸軍は未だにIFVについて理解すべきことがあると
いう声がますます増えてきた。

 陸軍全体として降車部隊について向き合う契機となったのは1988年に
諸兵科連合センター司令官(Combined Arms Center commander)Gerald Bartlet
中将の覚書である。彼は陸軍の師団長にNational Training Center(仮想敵対抗
演習場)でのブラッドレー装備大隊の降車歩兵が役に立たず、練度が低いという
所感に注意するよう求めた。これによりブラッドレー小隊編制に改正がいくつか
加えられた。
367名無し三等兵:04/01/16 02:14 ID:???
 ブラッドレー小隊の編制の立て続けの改編は降車する兵の人数と分隊長の役割が
中心であった。分隊長の役割については2つが競合していた。一つ目は分隊長は
車両と兵を同時に指揮することができるとしていた。2つ目は初期の実際の経験
の観察からでてきたもので、新IFVは一人が兵と同時に見るにはあまりにも複雑
であるから、戦車と同様に、そして以前の装甲兵員車両とは異なり、有効に運用
するには専任の軍曹が車長として必要だというものであった。最終的には
2番目の見方がとられ、その結果ブラッドレー装備機械化小隊の最初の改編となった。
368名無し三等兵:04/01/16 02:33 ID:???
 1988年かそれ以前に、歩兵総監Michael Spigelmire少将は、ブラッドレー小隊が
経験している問題を解決する案を検討することを決意した。現場からの意見を取り入れた
白書を1989年のブラッドレー世界会議(Bradley Worldwide Conference)参加者は受取った。
1990年にはTRADOC司令官は新編制を実施することを承認している。この編制では
車両2両を一組にして小隊2班とすることで、分隊降車中に”座席に座っている人”の
数を大きく削っている。この改編の眼目は、機械化歩兵分隊は乗車組と降車組からな
るという虚構にとどめをさすことにあった。白書の改編では乗車班の2個組も降車した
場合は完全9名分隊となる。Spiegelmireがいうように、”改編の狙いは射撃組の降車に
掛かる時間を短縮し、分隊の射撃と機動能力を向上させ、ブラッドレー装備機械化歩兵
を他の部隊に合せることにある。”
369名無し三等兵:04/01/16 02:45 ID:???
 興味深いことにこの改編は(射撃組の降車に掛かる時間に注意)ドイツ軍教義、
機械化歩兵の主要な性質とは、乗車戦闘と降車戦闘間の迅速な転換にあるという
ことを認識していることからも生じている。この改編により小隊の4両全ての
ブラッドレーには専任のNCO(下士官)がつき、言葉どおりにブラッドレー車長
(BC Bradley Commander)となった。これにより分隊長は分隊の任務に精通し
て他の者に教えるばかりでなくブラッドレー車両の砲術と戦術に通じてこれを
他の者に教えるという必要はなくなった。士官の中にはこれは分隊長の自信の欠如
だと思うものもいたが、この改編は教義論争にも深く影響があった。改編以前の
編成は6人組3個であった。各組は、分隊内の他の組と密接に協同して機能することに
なっていた。その分隊内の他の組がたまたまブラッドレー戦闘車両であるという
だけであった。これがBartlettが陸軍訓練センター(Amry training center)での
欠陥とみた、BFVの制圧射撃を生かして機動する徒歩歩兵の不足へと繋がった。
370名無し三等兵:04/01/16 02:56 ID:???
 既に多くの観察で言われていたように、ブラッドレーの武装はIFVと(後のTOWの追加
もあり)戦車を撃破することにある。1973年の戦争の観点からFulda Gap(フルダ地峡)
を見渡すと車両撃破する兵器体系を優先するのは理にかなっている。その帰結として
降車機動の役割は縮小した。面白いことに元々の編制への擁護が1992年のSAMS
(先端的軍事研究課程 School of Advanced Military Studies)選好論文に出ている。
その反論の基調は機甲歩兵は特化したものであり、Wass de Czegeがいうように、
機甲歩兵の役割は戦車の前進を支援することにあり、これ自体で歩兵の区分を作り
だすのに十分なのである。

 1990年代後半には、歩兵総監Carl Ernst少将のもとで、ブラッドレー歩兵小隊は
9名分隊3個へと改編された。これにより車両の内部は開発者達が分隊室に7名を
搭載しようとしていた開発期へと戻った。これはTOWミサイルを追加して積んだことで
実質不可能となっていた能力の復活である。

# 112/144 第3章はこのあと、要約に入り、第4章は結論となります。
371名無し三等兵:04/01/16 03:23 ID:???
#chief of Infantry 歩兵総監とは
ぐぐってみたところ、フォートベニングの司令官で歩兵学校の校長と
歩兵センターの司令官を指すと思うのですが公式のサイトで挨拶とか
しているところがないのか見ようとしてちょっと手間が掛かっています。
372名無し三等兵:04/01/16 11:20 ID:???
#Wass de Czegeは退役米国陸軍准将でエアランドバトル概念の構築者の一人。
SAMS(school of advanced military studies)の創設者で初代の統括者。
というのがmilitary reviewの2002年5・6月号の著者紹介ででていました。

#今月の軍事研究はストライカー旅団だったとの話が編成スレで出ています。
Enhancements in store for future Stryker brigades
h ttp://www4.army.mil/ocpa/read.php?story_id_key=5536
これが最近のニュース2003年12月23日付け。
・SBCT5とSBCT6の航空、火力支援、コンピューターネットワーク、センサー能力を
増大させ、これをSBCT1〜4までに付加する
・SBCT5は第25歩兵師団(軽)第2旅団で転換は2006年
・SBCT6は第28歩兵師団(機械化)第56旅団(機械化)で2008年
ペンシルヴァニア州州兵(州兵でSBCTへ改編される唯一の部隊)
・SBCT2 第25歩兵師団第1旅団は現在ストライカー車両を受領中
・SBCT3は第172歩兵旅団(アラスカ)、SBCT4は第2装甲騎兵連隊(ルイジアナ州)の改編は
数年内
・まずコンピューターネットワークの能力向上は衛星通信能力の向上による統合作戦能力の増大
・センサー能力の向上は10mマストを車両に装備し隠蔽状態のまま10km先の目標を偵察可能
・火力支援は現在はM-198 155mm牽引式榴弾砲12門から新型軽量155mm榴弾砲 18門へ増強
・現在SBCTは直接航空支援をうけているが、SBCT5と6からは編制内に固有となる
・SBCT5にはRAH-66が配備され、その教訓を受けつつSBCT6も配備
SBCT2〜4はSBCT1の現在受けているパッケージと同様、OH-58とUH-60が直接支援する
373名無し三等兵:04/01/16 11:52 ID:???
 要約

 歩兵は移動しつつ射撃できるばかりでなく運ばれる分隊も装甲内部から移動しつつ
射撃できる車両を求め受取った。ガン・ポートはこの能力を実現する為のものであり
機械化歩兵に関する専門刊行物の幾つかは主題として取り上げている。ドイツ軍は
IFVを武装する先鞭をつけ、20mm砲を装備し、米国のIFVは25mm砲を装備している。
当初のブラッドレー分隊はドイツの先例に倣い、かつての分隊の一部は車両に世話に
取られた。配備後に歩兵科は不平や訓練センターの所感に応じた。その要点は、
ブラッドレー装備歩兵は必要な降車任務を遂行できないというものだった。1983年に
ブラッドレーが配備されて以降の17年間を歩兵科は教義と技術の不整合を修正しよう
と費やしていたといっても過言でない。その不整合が出て来るのを許した責めのかなり
は歩兵科にある。

 機械化歩兵の役割は車両の役割へと縮小された。例えば、DePuyはIFVの本質的
役割は降車機動を支援するための制圧兵器ではなく、ソヴィエトの車両と対戦車
兵器で一杯の戦場で戦車の大口径火力を補完する速射砲だとみていた。この重点
と、既に指摘した、他から孤立した兵器志向は諸兵科連合教義を損なう戦術適用
の原因となった。これは同種が同種と戦闘すべきという見方となり、米国陸軍教義
の大局では確立されなかったが、機械化歩兵野外教範には確かに浸透している。
1987年と1988年の野外教範FM7-7J、71-1、71-2、71-3、71-123(1992)は
降車部隊、戦車、BFV(ブラッドレー戦闘車両)を防御教義においては同種のものと
戦闘するものとして役割を記述している。この記述では諸兵科連合教義の複数
の兵科が同時に効果を与えることで敵を板ばさみに追い込む効果が把握されない。
この板ばさみを明確化したのが1982年のFM100-5であり、
”相互補完的な諸兵科連合は敵を板ばさみに追い込み、ある兵器の効果を逃れ
ようとすると他の兵器から攻撃に身を晒すこととなる。”

374名無し三等兵:04/01/17 00:53 ID:???
 今後の課題

 Simpkinらは現代戦車がますます特化していることに注目している。彼らの考え
では、戦車を撃破することに集中し元来構想されていた戦果拡張の役割からは離れ
てしまっている。この戦車の特化を背景に、主砲の大口径化とそれに伴う搭載弾数
の減少により、IFVの主砲は戦車を単に補うというよりもむしろ相互補完的だとす
る見方をする者もいる。このような見方は諸兵科連合と火力の増大とを混同している。
これは1970年代の米国陸軍教義思想で主だった武器効果への関心の一種だといえる。
ブラッドレーの砲火力が相互補完効果を発揮するには、ブラッドレーは戦車に不可能
な範囲で火力機動できる必要がある。現実にブラッドレーはこれがある程度可能である。
M1エイブラムス戦車よりも狭い路地で取り回せるし、急傾斜にも対応できるし、橋を
崩壊させたり擱座したりせずに難地形を切り抜けられる。が、このような機動性を
発揮する機会はかなり限られたものである。
375名無し三等兵:04/01/17 01:20 ID:???
 ブラッドレー小隊の絶え間ない編制改編に意味があるとすれば、それは機械化歩兵
は徒歩による射撃と機動を機械化戦闘において遂行する能力が求められているということ
である。徒歩による射撃と機動はある程度の数の歩兵を必要とし、その数を決定する
には分隊規模の史的研究にまかせるべきだろう。機械化部隊の戦士が求めるのは
敵と地形がそうするよう強いる場合を除いては、歩兵が機械化戦闘を遅らせないこと
である。ドイツ軍は、移動中の戦闘に関心を注ぐよりもはるかに、機械化歩兵が
乗車戦闘と降車戦闘間で迅速に転換できることを常に、絶えず強調している。
これは速度の問題に思われるかもしれないが、戦闘位置に近接して降車する能力、
これにより戦闘に長時間、遅い徒歩速度で向かうことを避けることのほうが遥かに
重要である。これは、Simpkin、Wass de Czegeらが主張した特化した機甲歩兵に
もあてはまることである。防護が車両の能力で最も重要である。防護は他の能力
にも増して降車地点を行動へ近づけることを可能とするからである。
376名無し三等兵:04/01/17 01:43 ID:???
 がこれはある問題を未解決のままである。これは1980年代半ばに明白に表明され
て以来、未解決である。機甲歩兵は特別な歩兵の区分であるべきか?機甲歩兵は
軽部隊のみならず、正規機械化歩兵とも別であるべきか?実際機械化歩兵に対して
機甲歩兵が存在しているという証拠はある。初期のドイツのSpz12-3や初期の
ソヴィエトのBMP-1装備部隊はその例である。が、問題はなおも残る。このような
特化は正当で、有効なのか?
377名無し三等兵:04/01/17 02:14 ID:???
 フォートベニングの歩兵総監には歩兵には5つの区分があるとしているものもいる。
それは、機械化、空挺、空中強襲、軽、レンジャーである。また歩兵総監の中には
米国陸軍歩兵の共通性を強調し、区分は主として戦場での移動手段であるとしている
ものもいる。1980年代後半に、Kenneth C. Leuer少将が野外教範を空挺、空中強襲、
正規歩兵と全く異なるとして軽を分ける方向に動いたことがある。が、この軽歩兵
教範は不必要に専門化しすぎているという批判の前に1990年代まで持たなかった。
歩兵の区分問題について情勢がどうであれ、それは兵科が歩兵編制、能力と戦場での
任務の共通性と多様性を確立する必要を反映している。Leuerの軽歩兵関係教範は
陸軍が教義の多様化を拒絶した例である。一方では第101空中強襲師団長の空中強襲
戦術に対するかなりの支持は陸軍が教義の多様化を受け入れた例である。空中強襲
師団の性格は異なる歩兵の区分として認識される。この線からいうと、機械化歩兵
と他の区分には能力に明白な違いがあり、独自の教義を必要とするほどこれは大きい。
機械化歩兵に特別な教義上の取扱いを求めても普通は不必要な専門化だとの批判は
受けない。機械化と非機械化は、歩兵を明白な境界線で二分する。残る問題は
現代の進展は歩兵科が教義上2つよりも多く区分されるべきかである。

#第3章終わり。116/144 このあと第3章注がありますが飛ばします。で
123/144からの第4章を訳します。
378名無し三等兵:04/01/17 02:41 ID:???
 第4章 結論
 専門化した機甲歩兵?

  本質的には一握りの歩兵のための室がある小さい戦車である歩兵戦闘車両は
 以下のような任務で役立つ。主力戦闘戦車に対歩兵、対対戦車防護を与え、
 機甲部隊のため偵察し、支援の車列を護衛するなどである。これを装備した歩兵
 部隊に対する直接の作用は、歩兵とは異なる何物かへと変えてしまうことにある。
 これは小銃分隊の規模と数を減少させ、掩護射撃から移動までの全てを歩兵組
 が車両に依存してしまうことからきている。 John English Infantry
                           
 上記の引用から、English、彼は退役カナダ軍歩兵将校であり尊敬されている
歩兵史の歴史家であるが、の歩兵の区分問題での立場は明らかである。彼にとって、
少なくとも上記の挑発的な文章を1994年に書いたときは、IFV装備歩兵はあまりに
も徒歩兵がわずかであり、歩兵であることを辞めていた。彼の専門化した機甲歩兵
という見方は真剣に検討するに値する。彼のOn Infantryは現代歩兵の論述として
なおも価値のあり最も説得性があり、また前世紀を通していかに歩兵が運用され、
戦闘力が受容されたかを描いている。                 
379名無し三等兵:04/01/17 02:50 ID:???
#とりあえず本日はここまでとセンター試験ですね。受験生の皆さん頑張って下さい。
こういう私は英語の偏差値は34でした。単語を覚えるのが嫌いで一時は英語の先生が
とても苦手でした。現在 上級機甲将校課程での論文などがないか捜索しています。
上級歩兵将校課程のレポートが掲載されているサイトがあったためあるかなということで。
380名無し三等兵:04/01/17 21:51 ID:???
 Englishが歩兵の区分についてこのような定義をしたということは、歩兵の区分の
議論は単に語法に留まるものではないということである。歩兵の区分について概念を
定義することは、部隊編制、教義と戦闘に重要な意味がある。この問題が長年論議
されていることは、我々の議論でも扱うにふさわしいということである。

 米国陸軍機械化歩兵編制の近年の主要な変遷は降車歩兵の数を減勢したことである。
この論文が指摘するように、これは最も論争となった。ブラッドレー配備初期の1980
年代前半、陸軍はこの減勢を受け入れていたが、この編制では機械化師団は余りにも
後者歩兵が不足しているということにたちどころに気付いた。陸軍の戦闘訓練センター
(Combat Training Centers #仮想敵対抗演習訓練場のこと)での部隊の失敗が
この欠陥を明らかとした。この歩兵の欠陥を解決すべく編制表を17年間も修正し、
最終的に9名分隊3個からなるブラッドレー装備歩兵小隊となった。9名分隊は
分隊の人員数としては比較的少ない。歴史上の編制表を比較すると戦時には分隊
規模は12名程度まで増加する。
381名無し三等兵:04/01/17 23:39 ID:???
 1983年後機械化部隊指揮官は当初のブラッドレー小隊の降車人数は不適切であり
重大な問題を抱えているという結論にたちどころに到達した。陸軍の実際の対処は
全ての機械化歩兵部隊で降車人数を増加するというものだったが、1980年代半ばに
新たな対策が提案された。この提案はHuba Wass de Czegeの既に述べた案である。
歩戦協同は準備陣地に対する攻撃や準備陣地の防御といった歩兵集約的任務に関わる
必要のない機甲歩兵を必要とするということである。残念ながら、歴史記録はこの
種の、機械化歩兵とは別に機甲の役割があるという矮小化した見方を支持しない。
また、実地経験では、広く認められている機甲歩兵の任務を遂行する徒歩歩兵として
減勢した降車人数で十分ということはなかった。 

 彼の提案は、結果としてはブラッドレー小隊編制の進展がしめすように退けられた。
が、考えそのものはなおも魅力があり、これは10年後にHaworthが同意していること
からも分かる。
382名無し三等兵:04/01/18 00:02 ID:???
 Wass de Czegeの歩兵集約的任務以外の戦車支援に集中する専門化した機甲歩兵が
あるべきという考えには歴史上の先例がある。1980年代には学問的に詳らかに、或いは
正確に明らかにはされなかった。Robert St. Ongeの修士論文を除いては歴史に基礎
付けられた教義研究はなく、歴史的先例を欠如したままで議論は進んだ。Wass de
Czegeの専門化した機甲歩兵は実際上は初期のブラッドレー大隊という形で存在した。
彼はブラッドレー大隊が改編されるのではなく、適しない役割を与えないようにと
主張した。適しない任務とは歩兵、装備集約的任務である準備陣地の防御や攻撃
である。これらの任務は機械化歩兵に属すると考えていた。この1980年代の見方は
1930年代後半の見方とほぼ同じである。つまり、戦車は集中して戦果拡張にのみ
用いられるべきであり、比較的少数の歩兵部隊のみが必要であるという点において
である。1930年代と1940年代初め、”戦果拡張のみ”戦車師団内の小規模な歩兵
部隊の役割として構想されていたのは、戦車の防護と戦車攻撃後の掃討のみであった。
この理論は、第2次世界大戦初期の野外教範でも支持され、機甲師団内の戦車の任務
は主行動(main action)を避けて、かわりに敵の”司令部、通信中枢、補給施設、
予備と砲兵”を撃滅することであった。
383名無し三等兵:04/01/18 01:35 ID:???
 戦車師団は戦果拡張専門であり、戦果拡張は”軟”目標にのみ指向できるという
この1930年代の考えは第2次世界大戦時の双方の戦闘経験により実現不可能と分かった。
生身で、思考し、適応性ある敵は機甲指揮官に戦車攻撃を軟目標にのみ指向させる
ことを許しはしない。同様に作戦指揮官は戦車師団の運用を拡張のみに限るのは
理論のために選択肢を限定するということであることにたちどころに気付いた。
384名無し三等兵:04/01/18 02:01 ID:???
 機械化戦闘経験の成果という歴史的文脈に位置付けると、専門化した機甲歩兵
は戦果拡張に専門化した戦車師団が不適であったのと同じ理由で不適である。
実世界の経験はお気に入りの兵科志向の戦術理論の整然とした区分を受け入れな
かった。また専門化理論への概念面からの評価もある。戦車と機甲歩兵の専門化
理論は支援=被支援枠組みと結び付いている。この論文で既に指摘したように、
この枠組みで各兵科の努力を扱うことは、陸軍が戦術級で諸兵科連合戦闘を理解し
遂行する能力を衰えさせる。

 米国陸軍歩兵が専門化した機甲歩兵を作り出すとすれば、それは戦闘経験により
否定された、ある区分の戦車部隊を支援するために編制された歩兵の区分を作ると
いうことである。史的記録は明確に機甲部隊は歩兵が少なくては不可であると示し
ている。なぜなら、歩兵集約的戦闘に関与せざるを得ないからである。これは
戦車部隊の最良の運用は点的戦闘へ投じるということを意味するわけではない。また、
ROAD機械化歩兵師団のような、編制内に多数の歩兵と少数の戦車がいる機械化歩兵
師団が目的にかなうという考えを否定するわけでもない。
385名無し三等兵:04/01/18 02:59 ID:???
 専門化した機甲歩兵が不適であるという結論が意味するのは、強化陣地周囲と
内部での戦闘が歩兵集約的であることは戦車部隊内の歩兵数の減勢を正当化しない
ということである。確かに戦車重部隊を拠点戦闘に投じるのは資産の最適の運用
ではない。けれども、野戦指揮官の選択肢を過度の専門化で限定するのも賢明な
部隊編制の区分だとはいえない。なによりも戦車部隊で必要とされる歩兵数を
決めるのは歴史記録と能力の分析に基づくべきである。

 機械化戦闘の現実は、第2次世界大戦と中東戦争が根底となっているが、
歩兵が突破を作り出し、戦車が拡張するという、整然と秩序だった区切られた
歴史ではなかった。むしろ、陸軍が戦術効果は中隊級の階層での歩戦砲の密接
な協同により最大となるということを学んだ記録である。
386名無し三等兵:04/01/18 03:08 ID:???
 Wass de Czegeの考えはRobert St. Onge少佐とある点で一致している。それは、
M113装備歩兵が部隊編制内に含まれるべきだという点である。これは1950年代後半
に、Spz装備大隊のほかにAK装備大隊がドイツ連邦軍機甲擲弾兵旅団に含まれていた
のと同様である。この同一旅団内の組合せは、機甲歩兵という区分を作り出したもの
ではない。それは機械化部隊内に大型の歩兵の必要があるという証拠である。この
観点からすると、John EnglishのIFV装備歩兵に関する本章冒頭の引用に込められた
批判が明らかとなる。戦闘史が不適と示した方向に特化した機械化歩兵は、歩兵である
ことを辞めているのである。つまり、17年間にわたり、ブラッドレー装備歩兵に十分な
数の適切な規模の歩兵分隊を与えようとした苦労は、米国陸軍がJohn Englishが正しい
と認めたということである。またこの苦労は彼が平らげた批判に対する解毒剤でもある。
387名無し三等兵:04/01/18 03:24 ID:???
 全体の結論:過去の混乱 現在の不和

 第2次世界大戦前の米国では、機械化の進展はそれぞれ歩兵と騎兵が兵科中心的に
行っていた。騎兵科は当初、伝統的な騎兵の警戒と偵察の役割に機械化を適用しよう
とした。その構想では歩兵の役割は限定的で矮小化されていた。

 一方、歩兵科は戦車は歩兵攻撃の支援のみを行うという狭量な教義を追求していた。
米国陸軍にとって幸いなことに実地演習での実際の経験と第2次世界大戦初期に機械化
部隊の有用性が明らかとなったことで、役割の過度の専門化に対して共闘していた戦車
と機械化歩兵はともに解き放たれた。戦車師団を戦果拡張のみとする見方は野外教範に
のみ残りはした。が、多様かつ流動的な戦場の現実の最中の歩戦協同は理論の厳格な
適用を緩和し、結局、戦後に教義執筆者はこれを野外教範の改訂板に反映させた。

 
388名無し三等兵:04/01/18 11:02 ID:???
 第2次世界大戦の古強者が車両の火力について考えるとき、その中心は歩兵機動を
支援する制圧火力としてである。降車歩兵自体については、分隊級に割り当てられた
新たなそして向上した武器の組合せが主要な火力であるのが大戦中の傾向だった。
繰り返すと、歩兵の火力は重要であることが証されたが、多様な武器の発達こそが
どれか一つの武器の運動エネルギーや爆発効果などの性能よりも重要なのである。
様々な武器を持つ歩兵は敵部隊に脅威を与える。なぜならば、敵がそこからのある
武器の攻撃に対して防御を整えていない地点まで機動する能力があるからである。
これを可能とするのは徒歩機動のみである。これは機械化歩兵が用いる車両の能力
とは全く関係がない。

 既に見たように、戦前の理論家の機械化戦闘に対する見解は、常にではないが
機械化戦闘における徒歩歩兵の機能に関し誤っており、実際の戦闘経験に照らして
修正される必要があった。理論家の多くはすくなくとも当初は機械化戦闘において
は、歩兵は非常に限定的な役割のみであるとみていた。
389名無し三等兵:04/01/18 11:42 ID:???
 機械化戦闘における歩兵の役割の見方としてこれは今日なおも残っている。
この論文ではこの見方を機械化歩兵の”矮小化された役割理論”と呼ぶ。様々
な著述家が様々な一覧表を作ったがこの矮小化された役割理論の背後にある
主な考えは機械化歩兵は戦車の前進を助ける為にのみ存在するということである。
この概念には多々誤りがあるが、根本的なのは戦車を最善に活用するには
支援する歩兵からは切り離して、設計本来の意図により真に損害を与えること
であるというものがある。この考えに対して批評家がいろいろ言うことはできようが
、これは第2次世界大戦と中東戦争という機械化戦闘の最大の実験場で学んだ
ことに反する。これらの戦争で諸兵科連合戦闘について少なくとも一つの教訓
が血と恐怖でもって体得された。それはEdward G. Gibbons中佐が1996年に専攻論文
でもっとも適切に文章にしている。彼がいうには、”同時的歩戦協同により生じる
相互支援は戦術級諸兵科連合戦闘における主要原理である。”
390名無し三等兵:04/01/18 12:39 ID:???
 このSAMS(school of advanced military study)専攻論文でGibbonsは
相互補完的諸兵科連合効果は最も敵に損害を与えるのであり、この効果を達成する
には同時性が必要だと論じている。これをさらに進めると少なくとも1918年以降、
有能な敵に対する戦闘では諸兵科連合ばかりでなく、少なくとも戦術級においては
諸兵科連合の同時適用が必要であるといえる。

 戦車の最適な運用は支援する歩兵から切り離して用いることという考えについては
あらゆる理論上の失敗と同様に、ある程度真実が含まれている。大抵の任務では戦車は
歩兵の運用と速度から切り離されることを求める。というのは徒歩歩兵の時速2.5マイル
に戦車を低下させてしまうからである。歩兵が戦闘で重荷として扱われる度合いは
歩兵将校がこの懸念の正当性を認めようとしない度合いと一致している。歩兵から
切り離されるということは、けれども別の問題をもたらす。
391名無し三等兵:04/01/18 13:09 ID:???
 戦車は徒歩歩兵戦闘の速度に足を取られてはならないというのが機械化歩兵教義の重要な
点である。が、歩兵と分離した戦車は度々悲劇に見舞われる。悲劇の種は戦車部隊と随伴
歩兵の協同は少数の緊扼地点を通過する為の暫定的なものだとすることにより始まる。
機甲歩兵は、もちろん、この問題を解決すべく戦車の速度に合せられる戦闘車両を装備した。

 第2次世界大戦後の軍事著述家と実践者はなぜ戦前の理論は歩兵の役割を低く評価して
いたかを反省する立場にあった。彼ら自身の戦闘経験がFullerが説き、Liddell Hartも
完全には免れ得ず、ドイツ人はほとんどではあるが全部を回避できなかった矮小化理論
を不適だと証した。理論面では、とりわけLiddell Hartが機械化戦闘における歩兵の
必要と機械化時代もなおも続くその意味について包括的な論文を書いている。
それでもなお、戦前の理論が機械化歩兵の役割を見積もりそこなったのは戦間期の機械
化戦闘熱狂者の中には戦車の単独作戦能力を強調したことに原因があると指摘しておく
のが公平だろう。
392名無し三等兵:04/01/18 13:53 ID:???
 機械化戦闘教義とは実質的には諸兵科連合教義である。ある兵器や兵科が決定兵器
や決定兵科として上に立ち、他はその周囲で支援をするのではない。特定の兵器を決
定的とし他の全ての兵器はこれを支援する教義を作る傾向がある。これは支援=被支
援の枠組みによる諸兵科連合戦闘といえる。Ogorkiewiczのこの枠組みとその欠陥に
ついての見解については既に触れた。歴史的には、第2次世界大戦において、戦車の
衝撃力が消えうせ始めていたこの時代に歩兵は機甲部隊内で一層対等の仲間にならざ
るをえなかった。

 勿論、ドイツの理論家が戦車に攻勢戦闘の中核として力点を置いている例はある。
が、これは全兵科を強く強調するという文脈においてであり、さらにはドイツの軍
事文化は非定式的であり、非規定的である。彼らの第2次世界大戦初期の経験は、厳
格な被支援=支援枠組みへのいかなる動きも抑制した。この議論においてドイツ人を
取り上げるのは彼らを戦術の極致として称賛する米国人の性向ゆえである。

#132/144
393対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/18 15:51 ID:???
お疲れ様です〜。大分進みましたねぇ。

>実世界の経験はお気に入りの兵科志向の戦術理論の整然とした区分を
>受け入れなかった。
この下りは、日本のみならず、各国の国防関係閣僚、軍事評論家から
市井の軍ヲタまでもが陥り易い弊ですかね。(臼砲も例外では無いですが)

>機甲歩兵
そんな事言ったって、IFVの降車歩兵数では、その役割に限定するしか無い、
という。( ̄▽ ̄;
ストライカーが“スクールバス”の批判をおしてまで搭乗者数を確保したのは、
その意味において正解だと思います。
臼砲は(前にも触れた通り)IFV歩兵は、戦車と不可分の機甲兵科に含まれるべき
存在であり、APC/HMV装備の“歩兵”とは分けて考えた方が好いと思うように
なりました。
この考え方は「IFV既にいっぱい造っちゃった」欧米陸軍では受け入れられない
でしょうが。
この問題は、十分な搭乗歩兵を確保出来る新世代IFVの出現までは続くでしょう。
・・・・・・そんな開発計画無いですけどね。(米海兵のAAAVが近いかもですが)
思うにIFVは、熟成の前に冷戦終結によって成長を止められてしまった
未熟児なんではないのかな、と。
394トルエン大尉:04/01/18 16:46 ID:???
やはり戦術教義を先に構築しないと結論がでないかもしれない(w
395名無し三等兵:04/01/19 11:36 ID:???
>393 394 昔ナイトライダーという賢い自動車のドラマがありましたがあれを
脈絡もなく思い出しました。車両に付いている人数を降車班に組み込めたら
ストライカーの場合は1両あたり11名、ブラッドレーの場合は10名となります。
 車両の火力は歩兵分隊の小型化を正当化できないという主張については
判断する材料がとても不足しているので分からないです。これはGibbonsさんの
論文を次に読んで少しでも材料を増やそうかと。

 この論文で取り上げている資料のうちSAMSとMMSの論文は比較的入手しやすい
のですが、white paperとFMの改訂前などが入手困難です。FM100-5の1976年度版
はあったはずですが、編制をいじって、おそらく細かな改訂が小隊編制と分隊長の
役割で相次いでいたであろうFM7-7Jの各改訂というか差し替えはなかなか見つからない
です。white paperについてはGPO(政府印刷局)サイトを回るとどうにかなるかも
しれませんが。fullerについてはNDUなどを見るとネットで無料公開されていると
思います。

批判のもう一つの核はシムで部隊編制を検討するのはどれだけ正当なのかという
ことにありそうです。シムでも人が介在する形式もあり、CCTTなどの場合は
車両内からの視点を再現はしているのですけども、心理までも再現できるのか
ということはありそうです。

雑談スレで出ていた話でこちらのアーカイブにはノルマンディーのボカ−ジュの
空中写真が出ている可能性がありそうです。
http://www.keele.ac.uk/depts/is/airphoto/
396名無し三等兵:04/01/19 12:41 ID:???
 作戦級戦争との関係

 本研究では作戦思想や戦略思想と機甲教義との関連については必要な程度でのみ
触れることにする。1920年代や1930年代のソヴィエトの軍事思想家は高度に独創的
で諸兵科連合効果について深い理解を示していた。彼らの考えは真の兵科統合を
損なう被支援=支援の枠組みを覆すうえでとりわけ意味がある。

 ソヴィエト軍事理論家Georgiy S. Issersonの”戦力の解体”という概念は
彼の現在戦争の研究から得られたものである。現代戦争の複雑性と兵器体系の
多様性は突出した革命的性格であると彼の研究は述べている。現代戦争の一様相
は兵器と能力の倍加と複雑化にあるとする指摘は反論し難い。彼のこの分野での
思想は決定兵科や被支援=支援の枠組みに対する批判となっている。彼は作戦術
の任務は多様な効果を再統合することにあるとした。彼の作戦級への取組は
戦術級でも同様の力学がありうることを示唆している。それは諸兵科連合の本質
とは異なる戦力の再統合にあるということを示唆している。
397名無し三等兵:04/01/20 05:05 ID:???
 彼の解体概念が戦術級に適用できるとすれば、戦術級の規模と範囲を考慮する必要
がある。規模が違えば、兵器と部隊効果を統合するために各級にて用いる方法も異なる
こととなる。作戦級の戦争においては諸兵科連合効果を同時的とも連続的ともする余地
があることはありえる。が、戦術級においては連続的適用は、力対力、同種対同種の
戦闘という惨憺たる結果に終りがちである。彼の主な関心である作戦級と戦術級の規模の
違いが、同時性がより戦術級での問題である所以である。この論点が正しいとすれば、
Gibbonsの先に述べた概念に理論的支持を与えることになるだろう。
398名無し三等兵:04/01/20 05:30 ID:???
 戦車という新兵器の中心性を強調する西側の傾向は被支援=支援枠組みの一例である。
この枠組みでは戦闘能力は実質的に解体されたままである。その結果、現在戦争の複雑性
による主問題の一つは手付かずとなる。戦術級において再統合する必要を満たせなかった
歴史上の教義の欠陥の最たるものは、決定兵科をある兵科から他の兵科へと変えたことで
あった。極初期の西側の機甲戦支持者達はその頑固な反対者とある一点で共通していた。
彼らが新たな兵科を持ち上げる為に用いた枠組みは全くのまねだったのである。

 彼らはある単独兵科が戦場で決定的戦果をもたらせるという物語を語った。過去
との主な違いはどの兵科であるかにあった。彼らの視点では歩兵は中央舞台を退場
し戦車に道を譲るべきだった。多くの者、とりわけ英国の理論家達の場合、決定兵
科は変わったが戦術観は変わらなかった。かつて二次的兵科の努力は歩兵支援に注
がれるべきであったのと同様に、今は戦車に注がれるべきだとしていた。解放には
程遠かったが、ある種の宮廷追放劇が1940年に起こった。真に統合された諸兵科連
合ではなく、ある暴君が別な独裁君主の戴冠を見届ける群集を前に転落しただけで
あった。戦場の現実により各国陸軍の大半は均衡の取れた部隊、少なくともその方
向への志向をもつようになった。が、より根底にある問題、被支援=支援枠組みを
なおも我々は抱えている。
399名無し三等兵:04/01/20 05:52 ID:???
 米国陸軍機械化歩兵

 残念なことには、この被支援=支援枠組みを超越した戦闘に裏打ちされた方法は
第2次世界大戦後期の教範には取り入れられていたのだが、米国陸軍の集合的記憶
から失われた。陸軍の組織的記憶は機械化歩兵に関しては健忘症に掛かったのであ
る。この理由は二重にある。機甲師団が朝鮮戦争に参戦しなかったこと、そのため
戦車が大きな役割を果たす歩戦協同が実際経験からは失せてしまったこと。この事
実と、核と航空戦力の支配という概念により、教義の上で陸軍の目的について危機
が生じた。この状況はあまりにも厳しく、Maxwell Taylorは聖書の言葉を用いて
陸軍の”バビロン捕囚”と呼んだ。技術への固執と陸上戦力が隅に追いやられたこ
とで、降車機動の価値を確立しようという可能性は大いに阻まれた。大量報復とい
う防衛概念は地上部隊全体の役割を失わせ、これがあいまって徒歩で戦闘する歩兵
の役割は消えうせた。この状況で、車両と車両の火力に関心を注ぐ傾向が勢いを
得た。
400名無し三等兵:04/01/20 06:34 ID:???
 第2次世界大戦後、各国陸軍は現行の車両が機械化歩兵に不適であることに直面
した。ドイツ人はとりわけ戦車と速度を合わせられることと乗車戦闘と降車戦闘間
を迅速に転換できることにこだわった。この迅速な転換能力は機械化の成果であり、
歩戦協同を可能とするものであり、ドイツ人にとっては機械化歩兵の枢要な能力だ
った。また移動しつつ射撃する能力も含まれていた。が、移動射撃の主な火力源は
車両搭載砲であった。連邦軍時代のドイツ人は車両から分隊が武器を使用する意味
を知ってはいたが、このような運用が実際的ではい状況をも列挙している。

 これらのドイツの概念は米国IFV開発に決定的な影響があった。この時代
の刊行物はかなりの混乱させた上で米国陸軍がこれらの考えを移入したこと
を示している。特に分隊が車両内から戦闘する能力は米国の戦闘開発上の
強迫観念となった。これはMICV(機械化歩兵戦闘車両)開発でガン・ポート
とガン・ポート用武器要求に注がれた精力と傾倒をみれば分かる。ベニング
の戦闘開発者達はガン・ポートを用いて文体が車両内から小火器を運用する
重要性について大部の文章を書いている。が、ドイツ人が車両から分隊が射
撃することを限定的に強調したの比べると、ガン・ポートへの傾倒は不釣合
いである。ドイツ人は小火器に限らずあらゆる火器を射撃することを考えて
いた。降車人数の減勢と同様に、実地経験でこの要求はたちどころに否定さ
れた。ロシア人が放射能汚染された戦場で戦闘することを強調したことは
移動しつつ防護内から射撃する設計要求に材料を与えた。

401名無し三等兵:04/01/21 01:00 ID:???
ちょっとお休みを頂いて他のを読んでおります。あと12ページ位なのですが。
次に何を読もうかとGibbonsを見たのですが、訓練関係を扱っていることを
除いてはほぼ全てがこの論文の観点として受け継がれているのです。先行論文
として諸兵科連合に関する視点を含め踏まえて論文が構成されているのが
わかりました。そこで結論で意義を再評価しているわけですね。
それで、1993年のLACR(軽装甲騎兵連隊)か、1989年の戦車駆逐車かを
考えています。いずれもMGSの前に議論されていた軽師団に装甲火力を与える
手立てとしてもみなせるでしょうし、また、LACRはIBCTの発想が冷戦後から
あり、それが様々な形で受け継がれてきたことを示しています。
 それとも、AoE時代の第9歩兵師団(自動車化)の話を編制表と一緒に
抜き出すのも良いかと。こうなると、AGS(armored gun system)の話は
避けられないです。それにしても1989年というのは微妙な時期です。
ドイツでベルリンの壁が崩壊した年であり、次の年にはイラクがクウェート
に侵攻してます。そして砂漠の盾作戦となるわけです。

 反対派サイトではM8を使え、M113A3を使えと言っているわけですが
M8がSBCTに絡む度合いは深いのかもしれません。全様相作戦能力として
insergency作戦での軽装甲部隊の有効性について論じている流れと、
軽歩兵に機動防護対戦車火力を求める流れのいずれが古いのか、これらが
合流するのはどこいらへんだろうかというのとで関わるためです。
402名無し三等兵:04/01/22 04:05 ID:???
 分隊の走行間射撃能力へのこだわりの影響は、意図されたものではないが、大変に
大きいものだった。分隊の乗車戦闘能力を要求したことで降車機動の価値を教義上配
慮する余地が無くなるという2次的効果があった。分隊は車内から走行間射撃をする
ということに結局されてしまったからである。この傾向は1960年代半ばから後半と
1970年代初期の米国陸軍機械化歩兵教義に影響を与えた。このような逸脱は開発過
程に機械化歩兵教義史の広範な研究が含まれていれば避けえたであろう。この歴史
研究とはソヴィエト軍、ドイツ軍、英陸軍の今日に至る経験や第2次世界大戦の記録
をも対象とすべきである。
403名無し三等兵:04/01/22 04:32 ID:???
 ブラッドレー装備機械化歩兵の開発で明らかとなった歴史を見渡す視野を欠く
という欠陥は今日も米国陸軍の戦力開発に残っている。歴史に基礎を置く教義研究
が戦力開発過程において相応に扱われるようになるまではこの欠陥は改まらない。

 中東戦争の激烈さと、ベトナム戦争中機械化車両の近代化を1世代分し損なった
こと、ドイツの戦略上の関心に沿った政治上の要求、ベトナムからの感情的逃避
であるドイツ或いはNATO中央正面への没頭。これら全てが走行間射撃への要求
により降車機動を隅に押しやる背景にある。これらの傾向がWilliam DePuyの兵器
志向と重なり合い、第2次世界大戦以来の最適な機械化編制と歩兵分隊編制の全て
を否定する根拠となった。彼の陸軍は人間が兵器にあわせる時代に既に入りつつあ
るという示唆は諸兵科連合戦闘団内の徒歩歩兵の価値理解に止めを刺すものだった。
404名無し三等兵:04/01/22 04:57 ID:???
 兵器中心志向はTRADOCに数年の間、浸透していた。機甲総監が諸兵科連合資産を
列挙したうちに歩兵が含まなかったということもあった。また、歩兵総監が下級将校
に諸兵科連合技能を確かめようと、”兵器を用いてどのように戦闘するのか理解して
いるか”と尋ねたこともあった。

 結果として、陸軍は不適で問題のある部隊編制をとることとなり、歩兵科はとり
わけ予定もしておらず準備不足であった。歩兵科にとって火力組の一つが砲と砲塔
のついた車両である分隊編制は予定外であった。ここまであげてきた傾向と影響は
とうとう、機械化戦闘においては小型分隊を火力で埋め合わせるという教義概念と
をもたらした。軍人ではない学究(Haworth)を見る限り、外部者には火力志向論は
納得がいくもののようだ。DePuyはRogersの説得にこれを使ったし、2代目のブラッ
ドレー計画責任者は分隊の小型化の言い訳に使った。
405名無し三等兵:04/01/22 05:46 ID:???
 再度強調しておくと、機械化歩兵開発上の問題は技術革新と数量化した兵器効果
データを、敵に対して与える効果を軸とする諸兵科連合志向よりも優先する強迫観念
に根底がある。諸兵科連合志向は広範な歴史研究なしでは不可能である。この歴史
研究は戦術級戦闘史を含むべきであるが、このような研究は稀である。
406名無し三等兵:04/01/22 06:14 ID:???
 また教義と編制の趨勢の調査も重要である。米国陸軍機械化歩兵教義の
変遷は戦力開発過程に組織的な歴史研究が必要であるという問題を照射した。
TRADOC(訓練教義集団)の前身である戦闘開発センター(Combat Development
Center)の歴史研究は書籍データ班にも欄が与えられていた。Virgil Neyの
"Evolution of the Armored Infantry Rifle Squad"ではこの欄で”MICV70
の(中略)兵器体系開発”に触れている。Neyのような研究が機械化歩兵戦闘
開発に影響を与えていれば、機械化歩兵教義と配備をめぐる混乱のかなりを
避けえたであろう。
407名無し三等兵:04/01/22 06:43 ID:???
 TRADOCの創設は陸軍にとってあきらかに利益であった。が、その一方で
戦闘および戦力開発に歴史研究を組み込む最低限の組織的枠組みを失って
しまった。機械化歩兵教義とブラッドレー車両開発で生じた問題は、単に
ドイツとイスラエルの長所をまねするなどとったよりもより一層広範な歴史
的視点が伴っていればかなりの程度軽減することができた。残念ながら、
歴史を誤って用いたり、そもそも用いなかったりすることは新味のあること
ではない。ある古手の英国の歴史家が曰く、

 歴史の教訓はめったに学ばれたり気にかけられるということがない。世界は
2つの力に直面して視界がぼやけている。一つは(中略)機械的モデルと手段に
よる無歴史的、工学的な問題解決方法であり、これは(中略)視点を全くもたず
そもそもモデルや手段に入力できぬものは考慮しようがない。
408名無し三等兵:04/01/22 07:01 ID:???
 米国陸軍機械化歩兵教義の場合、戦力開発に歴史研究と視点を欠いた代償が
以前よりも退化した1982年のブラッドレー歩兵小隊編制である。この編制では
当時の2組からなる歩兵分隊を辻褄合わせで維持している。つまりブラッドレー
車両自体を分隊内の組の一つとして扱っている。もう一方の組は降車した他の
歩兵である。本研究はブラッドレー開発の過程において、降車人数が7名から
6名に最後には事実上5名となったことを見てきた。この降車人数の減少は火力
を増強する為であった。あきらかに小型分隊支持者をのぞいてはこのような編制
を提案したり、望んでいたものはいない。武器運搬手段としてのブラッドレー
の役割が主要な関心事となっていた。砲塔搭載し安定化された砲は元来想定され
ていた1名でなく2名を砲塔要員として必要とした。国防総省の意向によるTOW
誘導弾発射機の搭載により、車両内の容積が減少して降車人数はさらに1名減少。
TOW発射機の再装填のためにさらに1名を車内に残す必要が出た。
409名無し三等兵:04/01/22 07:19 ID:???
 歩兵にはこの動きを止めて降車行動の意義を守る影響力も、あるいは望みすらも
なかった。降車能力を保持することは兵科偏愛的な動機ではなく、諸兵科連合への
重点を維持しようと苦労していた陸軍の利益にもなることであったが。最初の
ブラッドレー装備大隊が配備につくと降車部隊が頑健でないことは明らかとなった。
1個機械化分隊を車両1両と5名組で編制する教義的根拠は中東戦争の戦訓の偏向的
解釈にあった。装甲車両と対戦車兵器運搬手段としての必要が搭載歩兵の価値を
損なうこととなった。
410名無し三等兵:04/01/22 09:43 ID:???
 機械化歩兵教義の変遷は戦力開発における問題をありのままにさらけ出している。
特定の兵器の決定性を強調する被支援=支援の枠組みは諸兵科連合を損なった。究極
的にはこれは教育問題である。どのように諸兵科連合教義を確立するのか。自身及び
他者にどのように教育するのか。本研究は被支援=支援枠組みによる切り口を教範や
一般の記述から削除すべきであると提言する。さもないと兵科偏愛が薄ら見える戦術
や兵器能力の議論ばかりとなるだろう。

 兵科に熱中して見えなくなっている者を考慮すると、戦力開発者がほぼ数量を基礎
として精力を注ぐのも理解できる。彼らは客観的基準を必要とする。そうすることで
実際の戦闘経験や部隊運用、言い換えれば、固有の歴史は脇に零れ落ちる。
411名無し三等兵:04/01/22 10:08 ID:???
 後世からブラッドレーの最善とはいえぬ登場の原因について批評するのは確かに
容易い。戦力開発に歴史研究がほとんど組み込まれていなかったとすると、教義
開発も同程度かそれ以上に組み込まれていなかった。陸軍の戦力開発における教義
開発の位置付けは示唆に富んでいる。それは第一段階とされていた。教義開発に割り
当てられた資源の乏しさを踏まえると、それは初期のさほど重視されぬ点検であった。
教義開発は費用節約手段として要求を実現するための第一段階であったようだ。教義
の変更は新たな調達計画への流れを阻むことがありうる。この教義の位置付けにも意義
はあるが、他に良い言葉がないので用いるのだが、邪意である。これは測定可能な
技術成果がため、戦闘経験の内省と史的な教義先例の分析を隅に押しやる体系に
ふさわしい。

412名無し三等兵:04/01/22 10:26 ID:???
 技術が教義を先導すべきと論じる者には、ブラッドレーと機械化歩兵教義の変遷は
反例となる。最近の流行の映画の台詞をもじるなら、”建てたら彼らがやってくる”
のは真であるが、建てただけでその建物が住人の必要を満たすというのは必ずしも真
ではない。1982年に陸軍は機械化部隊編制と全体の組成を大きく不均衡なものとした。
米国陸軍で最大の火力を持つ部隊、つまり機械化部隊は降車機動を遂行する能力が
減退したことで柔軟性をかなり失った。これにより機械化部隊は諸兵科連合戦闘団と
いうよりも火力提供部隊となった。この能力の欠如は直ちに戦闘訓練センター
(Combat Training Center 仮想敵対抗演習場)であらわとなった。
413名無し三等兵:04/01/22 11:33 ID:???
 教義はもちろん容易く操作できる。ここ20数年の米国機械化歩兵の変遷で欠けて
いたのは広範な歴史研究に基づく教義の探求である。仮に戦闘開発集団(Combat
Developments Commad)内の研究群(Research Group)のようなものが影響力があり
米国IFV開発に発言することができていたらば、9名分隊3個の編制は1999年という
遅くではなく、1982年という早きに実現していたかもしれない。もちろん、歩兵に
対する作用は結果に至る過程に過ぎない。目標あるいは結果は有効な戦闘力である。
緊密に統合された諸兵科連合戦闘団というより有能な陸軍が目標であり、歩兵固有
または歩兵の中心的役割を保つことではない。何よりも、本研究ではある兵科が
主要、枢要、決定的であるとする主張は諸兵科連合を損ない、素人的で非歴史的
であると述べてきた。
414名無し三等兵:04/01/22 13:17 ID:???
 米国陸軍における諸兵科連合の現況をみると、IFVの導入により作り出された
不均衡のもとで陸軍は苦労し続けているといえる。本論文執筆時点で陸軍は
”中”重量旅団の編制開発に直向きに取り組んでいる。この部隊は、”軽部隊は
軽すぎ、重部隊は重過ぎる”という問題に対して提案された。ひとたび展開性の
問題が解決すれば、本当の問題は陸軍の主戦闘部隊は機能する諸兵科連合戦闘団
なのかということにあるのではないだろうか。諸兵科連合戦闘団ではしばしば、
当初不可能に見えた地形であっても、歩戦協同は戦術級諸兵科連合戦闘の中核で
あり続けるのではないか。
415名無し三等兵:04/01/22 13:28 ID:???
 提言

 機械化歩兵を”真”の歩兵以下の何かとして扱う制度や表現から、その役割
を確立した上でより良い方法に換えること。歩兵の機械化戦闘における固有の
貢献を歩兵科が確立せず、あるいは不作為によりブラッドレー装備機械化歩兵
の開発は問題をはらんだものとなった。本研究はドイツ軍の概念、機械化歩兵
の主要な特徴は乗車戦闘と降車戦闘間を迅速に転換できることにあるを借りる
ことを勧める。
416名無し三等兵:04/01/22 13:43 ID:???
 この機械化歩兵の主な性格を適切に認識すると、機械化歩兵は機械化という点
において乗車行動と降車行動間の転換を敏捷に行えるという特徴があるということ
である。これは単純に役割と任務を定義する慣習とは際立った対比を示している。
米国陸軍野外教範における任務一覧表は目的に適うが、その時点での脅威により
限定されるのが不可避であるという点で融通が利かない。例えば米国陸軍はもはや
西欧に対するソヴィエトの機甲大集団による侵攻という脅威には面していない。
その結果、もし陸軍が今日M113MICVの後継を設計するとしたら、防衛評論家が
少なくとも当時と同様の熱心さでTOW誘導弾発射機を設計にいれるよう主張するとは
考え難い。
417名無し三等兵:04/01/22 14:16 ID:???
 徒歩の人間が機械化戦闘に対してどんな貢献をできるのかを野外教範の記述の
焦点とすべきであり、IFVのさらなる火力ではない。もしこの逆が真であるならば、
陸軍は機械化部隊内に歩兵を一切必要とするか否か考えるべきであろう。徒歩歩兵
は、多様な武器を隠密に侵透し突破して到達した予想外の要地から運用できるという
固有の能力を持った兵科として記述されるべきである。この表現は降車機動の概念
と戦場でそれがもたらせる効果を定義する最初の試みでもある。機械化歩兵を拘束
戦力、或いは戦車重部隊が機動する支点を与える部隊としてみる考えは第2次世界
大戦以前の時代からの過度に専門化した役割への後退である。残念なことにこれら
の考えは現在(1993年6月)版の陸軍根幹教義教範FM100-5作戦に含まれている。
418名無し三等兵:04/01/22 14:35 ID:???
 降車機動を強調するにあたって留意すべきなのは、火力も重要であり、それ以上に
武器の多様性も重要だということである。歩兵固有の汎用性は降車機動を遂行できる
ことによる。この能力により、歩兵は敵にとって思いがけぬ地点から高度に強力な
誘導弾、ロケット、爆薬、機関銃、そして様々な武器を運用することができるのであり、
諸兵科連合戦闘団の他の資産とあいまって敵を板ばさみに追い込むのである。小銃、
手榴弾、銃剣による近接突撃は歩兵の重要な機能であり続けるが歩兵の役割をこれのみ、
あるいはこれを中心とすることは現代戦場における歩兵の価値の大半を失うことになる。
419名無し三等兵:04/01/22 14:49 ID:???
 先にあげた中旅団或いは暫定旅団計画に携わる者の多くは疑いも無く歴史研究と
事例研究を参照するであろう。必要に迫られて、歴史に基盤を置く教義研究に努力
を注いでもその場しのぎであり散漫なものとなりがちである。彼らが考えに深みと
文脈を与えるような歴史研究集団をその場で作るようなことは期待できない。
繰り返すが、陸軍の戦力開発過程は広範な歴史的視点による組織的方法の支援が
必要である。

 機械化歩兵が教義上の孤児から諸兵科連合戦闘団で対等の仲間となるまでの辛い
道中に17年間かかった。その旅はまだ終っていない。暫定旅団が同様の回避可能な、
辛苦に満ちた、配備までの道中をせずにすめば陸軍とその奉仕する国家にとって利益
となるであろう。歴史に基盤を置く教義研究が、中旅団戦力開発で生じる問題を解決
できるかどうかは分からない。が、より確実に言えるのは、正しい問題を提起する
にはそれが不可欠であるということである。

#ここで本文終わりです。思ったより長くかかり直訳調になりました。
読んでくださった方有難う御座います。
420俄将軍:04/01/22 19:13 ID:???
>>419
お疲れ様でした。
421Lans ◆EDLansNRRQ :04/01/22 23:30 ID:???
ぱち。ぱち。ぱち。ぶらぼー!

お疲れ様です!
422海の人 ◆STEELmK8LQ :04/01/23 00:04 ID:???
 や〜ほんとにおつかれでした:-)
 陸戦関係の論文は、あんまり目に触れないので、とっても勉強になりましたですよ:-)
>419様
ごきげんよう。
膨大な量の翻訳、まことにお疲れ様でした。
424名無し三等兵:04/01/23 01:20 ID:???
おつです
すごく、ためになりました
425対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/23 09:14 ID:???
おつかれさまでした〜。
大変勉強になりましたよう。

感想としては、少し、正規戦争寄りに重心がかかってますかね。
降車歩兵の面制圧能力、あるいはもっと単純に、マンパワーの意義についても
考察が欲しかったというか。
426トルエン大尉:04/01/23 15:29 ID:???
>>419
大変おつかれさまでした!いやー感動しました(w
とくに

>乗車戦闘と降車戦闘間を迅速に転換できることにある

>歩兵は敵にとって思いがけぬ地点から高度に強力な
>誘導弾、ロケット、爆薬、機関銃、そして様々な武器を運用することができ
>敵を板ばさみに追い込むのである。

には目からウロコでした。

>>425
それを入れるとビッグゲームに(謎
427名無し三等兵:04/01/23 15:48 ID:???
有難う御座います。
>425
歩兵の価値、様々な任務、作戦において列線中隊の数を揃えることの意味
では軽歩兵師団関係の話を追うと出て来ると思います。1983年以降の正規歩兵師団
の転換と軽歩兵師団の創設の話などで見つけられるかなと思います。
>426
ドイツの機甲擲弾兵の教義が偉大だということだと思います。
兵科雑誌でドイツの事情紹介の話をドイツの軍人が書くことがあるのですが
その位置付けが何となく分かったというのも収穫でした。

第9歩兵師団(自動車化)の話を扱った本をネットで見つけられました。
こちらは350ページを越えます。
また、第2歩兵師団の重+軽編制について1997年時点で論じた論文もありました。
第8軍(韓国在の米軍)が北朝鮮との戦争の際に第2歩兵師団がどのような任務を
遂行するかとそれに適しているか否かの話です。米本土在の第3旅団が改編され、第6騎兵旅団が
韓国展開している現在どうなのかという点で繋がるかと思います。
428トルエン大尉:04/01/23 16:05 ID:???
>>427
>ドイツの機甲擲弾兵の教義が偉大

禿同です。機械化の本質を突いていますね。
429対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/24 10:01 ID:???
んであ、名無し整備兵様より賜った独機械化歩兵教義(概説)

「機械化部隊は、特に敵の歩兵および対戦車部隊と戦闘する。装甲戦闘車は
強力な火力、高度の機動力を有し、渡渉性能も優れているが、装甲防護力には
限度がある。」
「乗員は核及び化学戦手段に対し防護されている。」
「機械化部隊は、状況により乗車戦闘し、装甲戦闘車の機動力及び防護力を
十分に活用する。」
「下車戦闘時、装甲戦闘車の搭載火器を持って火力支援する。機械化部隊は、
乗車・下車戦闘を迅速に反復しつつ戦闘を行う」
「戦車部隊が増強された場合、機械化部隊は敵の対戦車火器を撃破して
戦車部隊を防護するとともに、戦車部隊の火力を補足する。」
「機械化部隊は、戦車又は対戦車部隊の増強を受け、各種戦術行動を行うことができる。
なお、防御の場合は通常下車をする。」

これは「FM100−5」とか「FM3−0」に相当する大雑把なものなので、
個々の作戦については参考にならないかもしれません、との事です。
430名無し三等兵:04/01/25 11:32 ID:???
>429 機械化歩兵と戦車の協同を意識して中心に据えて書かれているような感じです。
師団級の作戦について野外教範を読んでおいたほうが翻訳もやりやすいかもと
思い当りました。

今やっていること
軽師団の話を追いつつ、第9歩兵師団(自動車化)の話を読み進めて
タコマニューストリビューンを読むのを続けています。
morterized experience は大隊長や師団参謀などが執筆者として登場するので
細かな話も出て来ると期待しています。もともと現在の軽師団が出る直前に
第9歩兵師団が展開性を重視した師団へと改編され、その動きで得た成果を
還元しつつ軽師団が作られたとしています。しかし、軽師団についてはまた
いろいろと議論があるようです。
431名無し三等兵:04/01/26 18:14 ID:???
訳出した論文では、第2次世界大戦の戦例として機甲師団内での交差編成の
話を扱っていましたが、歩兵師団はどうだったのかという観点を含んだ話を
軽師団と戦車がらみでしている論文、それからHTTB(高度技術実験団)と
第9自動車化師団をSBCTと比較している論文があることが分かりました。

また、二重の孤児論文では根幹戦闘教義の変遷について触れている点が
大きいということを改めて思い当たった次第です。DePuyが書いたFM100−5は
ネット上に置いてあるので読めるのですけども、Wassのエアランドバトルの
ほうはまだ探しておりません。
432トルエン大尉:04/01/26 18:22 ID:???
>>431
乙です!それは面白そうですね。
433名無し三等兵:04/01/27 03:01 ID:???
HAVE GUN, WILL TRAVEL:A TANK COMPANY IN THE LIGHT INFANTRY BRIGADE
概要
1997年に最後まで残っていた師団下独立戦車大隊が解隊されて、陸軍の軽部隊に
常時配属されている戦車大隊、戦車中隊はなくなった。陸軍の当座の対策は
合州国内の重師団の何れかに即応中隊(Immediate Reaction Company)を割り当て、
紛争作戦を支援させるというものであった。本研究は歩兵旅団の支援
をする戦車と、第1次世界大戦からソマリアに至る戦闘作戦やJRTC(統合準備
訓練センター 小規模紛争向けの仮想敵訓練センター)における仮想戦闘作戦に
おける常時の歩戦協同としての連隊戦闘団とを取り上げる。

 これまでの戦争や紛争作戦は、あらゆる戦闘状況において固有の戦車中隊が
配属されるようにするのを野戦指揮官が至上命題としていたことを明らかに
する。隊としての一体性による利点に留まらず、諸兵科連合訓練とその実践の
必要性を彼らは認めていた。

 本研究の結論は、作戦上の要求に応じるには、軽歩兵旅団のMTOE
(modified table of equipment 修正編制並びに装備定数表)に固有の
独立戦車中隊が含まれる必要があるということである。

#表題が訳せないのでそのままだしました。”銃を持て、旅をするのだ”
という感じでしょうか。三重孤児論文でもフィールドオブドリームスの
引用がありましたが、これも何か映画か文学由来でしょうか。
#ということで軽師団+戦車ではなく、軽旅団+戦車でした。失礼しました。
#1997に解体されたのはM551シェリダン装備の第82空挺師団内の戦車大隊です。
空挺師団の即応旅団に固有の戦車中隊が配属される必要性を論じているのだと
思います。まだ未読です。
434対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/27 10:10 ID:???
>表題
うる覚えですけども、クレジット会社の宣伝文句だったかな。
「出かけるときは、忘れずに」の類だったような(違うかも)

当時だと、M551シェリダンの後継としてのM8AGSが、まだ生きていた頃のお話
という事になるでしょうか。
>軽歩兵旅団のMTOEに固有の独立戦車中隊が含まれる必要があるということである。
軽戦車なのかなぁ。
435名無し三等兵:04/01/27 10:32 ID:???
Have Gun, Will Travel
http://www.museum.tv/archives/etv/H/htmlH/havengunwil/havegunwil.htm
南北戦争後を背景とするTV放映の西部劇 1957年〜1963年であることが
判明 主人公の名前はpaladineだそうです。

M8 AGS
http://www.globalsecurity.org/military/systems/ground/m8-ags.htm
1997年会計年度にて、国防長官に予算の面から人員削減を迫られたため陸軍はAGS計画を中止。
当初では26両の初期低率生産が予定されていたとあります。ということですので
M8は制式化されたが計画は中止となり配備を予定されていた戦車大隊は解隊されたということ
で考えて良いかと思います。第82空挺師団以外に軽師団にも配備される予定はあったので
しょうか。空挺師団というか、初期投入戦力の火力増強という議論でしたら随分遡って
論文があるのですけども。

#三重孤児と書き進め方が随分異なります。
436クマ:04/01/27 10:50 ID:e94uhNcH
はじめまして
>>433
> HAVE GUN, WILL TRAVEL
これ、西部劇の題らしいです。
日本でも1960年ぐらいに「西部の男パラディン」という放題で
NHKで放映されたとか…
何でもパラディンというガンマンの活躍を描くお話みたいですね。
(ただ、「暴力番組追放」運動の煽りを食って放送が
打切り、以後民放で放映されたとか…こういうのは昔
からあるんですねぇ)
tp://www2.starcat.ne.jp/~retrokan/TVW60.htm
tp://www.google.com/search?q=cache:VxjcqkQ4eaYJ:plaza.harmonix.ne.jp/~ayami/memopad/feature/doc_f01.html+%22HAVE+GUN,+WILL+TRAVEL%22&hl=ja&start=15&lr=lang_ja&ie=UTF-8&inlang=ja

ちなみにそもそもの意味に関しては「銃を持っているから行っちゃう
よ」という用心棒の売り込み文句ということみたいです。
tp://www.google.com/search?q=cache:94_TvO8NiqQJ:page.freett.com/phosphorescence/diary200203.htm+%22HAVE+GUN,+WILL+TRAVEL%22&hl=ja&start=10&lr=lang_ja&ie=UTF-8&inlang=ja

437436:04/01/27 11:18 ID:???
あぁ…
あげてしまうは前に他板でつかったハンドルそのままだは
おまけにネタまでかぶっているは…
書き込む前にもっと注意しないといけなかったですね。

どうも済みませんでした。(つД`)
438名無し三等兵:04/01/27 14:00 ID:???
>436さん はじめまして。リンク先を拝見して喫茶店にこの問題を教えてくれた
客の素性について色々と妄想を逞しくするのでした。情報有難う御座います。

今四苦八苦しながら読んでいるところです。特に第三章の変数比較法の説明が
今一つ分かりません。斜め読みして飛ばしました。次章の分析を見る限り
特に軽戦車限定の話ではないようです。ただ、歩兵師団内の歩兵連隊内の戦車中隊に
拘っている節があるような気がします。これは、中対戦車防御の必要性を1989年に
訴えた論文と通じるところがあるかなと。120mm砲搭載固定砲塔駆逐戦車を歩兵大隊
の対戦車中隊に装備することと、軽師団に装輪対戦車車両の必要性を論じていました。
439対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/27 14:15 ID:???
ググれば出てくるなぁ・・・_I ̄I○iii >ぱぱ がん うぃる とらべる。

M8は2ACRの軽騎兵化にあたって導入されるはずでした。
2個軽騎兵大隊、偵察大隊、航空大隊、支援大隊基幹。
M8は軽騎兵大隊に各41輌、連隊で82輌との事ですが、実現すれば偵察大隊にも
配備されたんじゃないかなぁ、とは思います。
また、軽歩兵師団、空挺師団に突撃砲大隊(原語不明)として配するつもりだったと。
440名無し三等兵:04/01/27 21:44 ID:???
>439 LACR(軽装甲騎兵連隊)の話を最近見たのですが、火の元はM8だとは
気付きませんでした。
 一応、用心棒の話を読み終えたのですが、軽旅団隷下に戦車中隊を置くべきだと
いう主張はしていますが、戦車の種類については触れずさらなる課題だと
していました。三重孤児論文では触れていなかった第2次世界大戦の歩兵師団と軍団隷下の
戦車大隊とを歩戦協同させる話、朝鮮戦争での連隊隷下の戦車中隊、ベトナム戦争
での旅団隷下の戦車中隊などを取り上げていました。最後にSBCTにも触れており、
諸兵科連合編制をしている点とMGS小隊に注目しています。
#第9自動車化師団でTOWの一斉発射というか、集中管理という話が出てきます。
陣内にまで敵機甲部隊を引き込んで設定しておいた火網で一斉に撃滅するとかいう
戦車伏撃を考えていたのでしょうか。
441名無し三等兵:04/01/28 10:34 ID:???
WW2の機甲師団内の機甲歩兵大隊に関する別な論文を見つけたので
三重孤児論文への補足として訳そうと思います。これはSAMSとかMMAS
じゃないです。最近テロとの戦いの戦略について批判的な見解の論文が
出たことで話題になった陸軍戦争大学のほうから出てます。
用心棒論文は保留して置きます。
諸兵科連合旅団を機甲旅団を改編して作るべきという論文と、
師団を編制に残すべきかという論文もあるのが分かりました。これらとの
関連で用心棒論文を見るべきなのでしょうか。
442対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/01/28 16:43 ID:???
>>440
臼砲の手元の資料(というか雑誌記事)と曖昧な記憶では、M8と軽装甲騎兵の
どっちが卵で、どっちが鶏なのかは分かりません。
ただ、M8AGSとFSVなる将来戦闘車輌が2ACRの装備として挙げられており、
当面はハマー系でこれを代用して検証する、という方向だったような。
でも、ハマーでやっちゃいましたね。>今次イラク戦

第9自動車化師団のTOW集中に関しては、諸兵科連合大隊の編制が気掛かりです。
この時代のTOW搭載戦闘車輌といえばM901かLAV-ATなのですが。
共に近接戦闘車輌としては問題があり、3単位編制の根幹戦闘単位に組み込むには
無理があります。
このあたりに踏み込んだ文献は、目にした事が無いのです・・・・・・
よいうか第9師団そのものが、話題性に比して、妙に露出少なかったイメージが。
なにせ臼砲、海ヲタなんで(苦笑)
443名無し三等兵:04/01/29 13:42 ID:???
>442
第9自動車化師団については、暫定編制ということでTOW搭載ハマーが編制に
大量に組み込まれていました。それを集中して管理するという話だと思います。
”第9歩兵師団の自動車化”各大隊ごとに書かれている章にまだ到達していない
もので編制表をあげるのはもう少し御待ちください。

439の突撃砲大隊はassult gun battalionの可能性があるかもしれません。

#今、軽師団の戦術機動力増強を主張する話を読んでいるんですが
軽師団導入前のHシリーズ歩兵師団は3個、第7と第2と第25だったと書かれて
いました。第2歩兵師団は韓国展開の第8軍が1個師団だけになる前は
純粋な歩兵師団だったと始めて知った次第です。現在は第10と第25のそれぞれ
2個旅団、それから空挺師団と空中強襲師団と空挺旅団が1個、そして
SBCT旅団へ改編済みが1個で、2個が改編中。

#101のイラクからの帰還のニュースが出ていました。第4歩兵師団は4月5日まで
にはほぼ全ての部隊が帰還の予定だそうです。
こうなると、サマラにSBCT-1が投入されていたのは、第4歩兵師団と協同で
運用していろいろ検証する目的だったのかもと思います。当初はキルクークに
展開する予定だったそうですし。
444名無し三等兵:04/01/30 10:21 ID:???
<軽装甲騎兵連隊
 1995年12月付けの論文で扱っているものがありました。Force XXIと関連付けて
います。ハマー装備でもM1装備でもない、例えばM8を装備した軽装甲騎兵連隊であれば
米本土に帰還した装甲騎兵連隊でも世界中どこでも展開できると論じています。

#当時流行していた概念と結び付いて分析している点はあるかと思います。
が、この論文の場合は軍団の前衛として騎兵の任務をこなすにあたってという
観点で論じており、その点では現在にも通用するかと思います。
#自営業氏の”街道上の怪物”の挿話と同じネタを扱った話を見つけました。
戦車主兵論ともとれなくもないですが、一方ドイツ側は諸兵科連合で対抗していると
とれなくもない話です。KVUの写真と88の写真が添えられていました。
445名無し三等兵:04/01/30 11:06 ID:???
機甲による路上阻塞(1941年6月)
独軍は1941年6月22日にロシア侵攻を開始。北方軍集団は東プロイセンとリトアニア
国境から前進した。D+1日に北方軍集団下の第6戦車師団はリトアニアの町Rosseine
の占領とDubysa川に掛かる車両橋2つの奪取を命じられた。Rossienie占領後、師団は
戦闘団Rと戦闘団Sを編成し、それぞれ橋頭堡を確保。戦闘団RはRossienieからほぼ北の
Lydavenai村近くの橋に割り当てられた。午後早くには各車列は渡河し、2つの橋頭堡同士
も連絡を確立。橋頭堡付近の掃討作戦により戦闘団Rは中尉1名を含む約20名の捕虜を得、
トラック1両に載せてRossienieへ後送。軍曹が後送を統率した。
446名無し三等兵:04/01/30 11:57 ID:???
 Rossinieへの半ばというところで、捕虜を乗せたトラックの運転手は路上に
ロシアの戦車1両を見つけた。トラックがゆっくり停車すると捕虜は運転手と軍曹
に殴りかかった。ロシアの中尉は軍曹の機関短銃に突進した。その後の格闘で
独軍軍曹は力があったため右腕をふりほどいて、中尉を殴りつけた。中尉と
他のロシア捕虜数名が倒れ臥した。捕虜が再び迫る前に、軍曹は左手も振りほどき
集団の只中に機関短銃を撃ち込んだ。銃撃の威力は絶大で中尉と数名が逃れたが、
他は死んだ。

 軍曹と運転手は空のトラックで橋頭堡に戻り、橋頭堡への唯一の補給路がKV型の
重戦車により塞がれていると指揮官に報告した。その間にロシア戦車の乗員は
師団と橋頭堡間の電話線を切断した。
447名無し三等兵:04/01/30 12:08 ID:???
 ロシアの作戦は不明であった。橋頭堡の指揮官は状況を判断し、戦車との遭遇
から考えて橋頭堡後方への攻撃を予想した。従って直ちに全周防御を部隊にとらせた。
対戦車中隊が指揮所付近の高地に移動、砲兵中隊の1つは射向を転じて南西にとり、
公平中隊は防御陣地前面と道路に地雷設置の用意をした。橋頭堡南東の森に展開して
いた戦車大隊は反撃の準備をした。

 その日中、ロシア戦車は動かなかった。翌日6月24日の朝、師団は補給トラック12両
をRossienieから橋頭堡に送ったが、全12両がロシア戦車により撃破された。正午近くに
独軍は偵察を送り出したが、ロシア軍の総攻撃が差し迫っている徴候は見られなかった。
448名無し三等兵:04/01/30 12:19 ID:???
 独軍は負傷者を橋頭堡から後送できなかった。戦車を迂回しようとしてみたが
路外に出た車両は泥に足をとられてしまい、周囲の森に潜んでいるロシア軍の餌食
となった。この日、50mm対戦車砲中隊1個が道路打開のためロシア戦車を撃破せよと
の命令を受けた。中退はこの任務に自信があった。最初の砲がKVから1000ヤード内
に接近すると、独軍の動きに気付かずそのまま動いていなかった。それから30分掛け
て、中隊はよく偽装した上で、射程内へと接近した。

 なおも戦車は動かなかった。損傷を与えて放棄させれば、獲物にできると中隊長は
感じたが、ともかく射撃を決心した。約600ヤードから放った初弾は直撃。第2弾と第
3弾が続いた。戦闘団指揮所付近の丘に集まっていた将兵は射撃大会の観衆のように
歓声をあげた。それでも戦車は動かなかった。
449名無し三等兵:04/01/30 12:41 ID:???
 第8弾が命中する頃には、ロシア戦車乗員も中隊の射撃位置を見つけ出した。慎重に
狙い、76mm砲弾数発で砲2門を撃破し、他に損傷を与えて中隊全部を沈黙させた。損害
が大きく、さらに損害を出すのをさけるため砲員は後退を余儀なくされた。暗くなる
まで損傷した砲は回収できなかった。

 50mm対戦車砲が3インチ装甲を貫徹できなかったことから、88mm高射砲の徹甲弾
のみが有効と判断された。同日の午後、Rossinie付近の陣地から88mm砲1門を引き
出して、戦車に慎重に接近させた。戦車はこの時点では橋頭堡の方を向いていた。
枝で充分に偽装して、路上に並ぶ焼けた独軍戦車達に隠れて、砲は戦車から900ヤード
の森端まで無事に辿り着いた。
450名無し三等兵:04/01/30 13:44 ID:???
 独軍砲側員が砲を位置につかせようとしているそのとき、戦車の砲塔が旋回し、
射撃。砲は溝に吹き飛ばされた。全弾直撃し、砲側員は多大な損害を受けた。
戦車の機銃が妨害するため、砲と独軍兵の遺体は回収できなかった。ロシア人は
移動中の砲は脅威とならないのを分かっており、あえて砲が近づくのを妨げず、
確実に撃破できる距離まで待ったのである。

 一方、橋頭堡の補給物資量は低下し、部隊は緊急時用の缶詰糧食を食べざるを
えなくなった。参謀会合が開かれ、さらなる手立てと戦車対策が検討された。
工兵分遣隊が夜間作戦で爆破を試みることに決した。工兵中隊が志願者12名を募る
と、他部隊が失敗したことをうまくやってのけようと中隊全体が意気込んで
120名全員が志願した。そこで点呼をとり、10番目毎の兵が任務に選ばれることと
なった。分遣隊は任務について説明を聞き、詳細な指示を受け、爆薬その他必要装備
を受領した。
451名無し三等兵:04/01/30 13:56 ID:???
 暗闇に紛れて分遣隊は中隊長に率いられて出発した。経路は400高地に通じ、
そこから戦車の位置する周囲の森へと続く砂道で殆ど用いられていない。工兵が
戦車に接近すると、うっすらと星明りに輪郭が浮かび上がった。半長靴を脱いで、
戦車をよく観察し、任務達成の段取りを付けようと道ばたへと匍匐した。

 道の反対側で突然、物音がした。黒い数人の人影が見分けられた。独軍は
降車している戦車乗員だと考えた。暫くして、戦車の側面を叩く音が聞こえ、
砲塔ハッチがあがった。人影は何か物を乗員に渡していた。皿同士がぶつかり
合う音が聞こえた。独軍はパルチザンが戦車乗員に食料を届けにきたのだと
結論した。パルチザンを攻撃しようという思いは強かったし、簡単だとも
思えた。が、そうすると、戦車乗員に気付かれて任務が台無しになるかも
しれない。約1時間後、パルチザンは撤退し、戦車の砲塔ハッチは閉じた。
452名無し三等兵:04/01/30 14:07 ID:???
 工兵がやっと仕事に掛かったのは0100ごろだった。履帯と車体側面に爆薬を
括りつけて信管に点火したあと後退。猛爆発が大気を切り裂いた。爆音の残響が
消えるかというとき、戦車の機銃があたりを薙ぎ払い始めた。戦車は動かなかった。
履帯は損傷を受けたようだが、機銃射撃が濃密なため接近して観察できない。
任務達成が不明なまま分遣隊は撤収し、橋頭堡に戻り報告した。12名中1名が行方
不明となった。

 未明少し前に2度目の爆発が戦車のあたりから聞こえ、再び機銃射撃の音が続いた。
暫く経って、静寂に戻った。
453名無し三等兵:04/01/30 14:22 ID:???
 その日の午前中、戦闘団R指揮所あたりの兵らが日常業務に取り掛かっていたところ、
裸足の兵が手に半長靴をさげて露営地をふらついているのが見えた。指揮官がその一人
ぼっちの兵を止まらせた。皆の視線が集まった。大佐は彼に兵らしからぬ服装を問い
質した。このささやかな劇の主要人物二人はすぐさま会話に没頭して声は聞こえなく
なった。

 話しているうちに大佐の顔が明るくなり、数分後には兵に煙草を差し出た。兵は
見る目にも戸惑いつつ受取った。しまいには大佐は兵の背中を叩き、握手して、別れた。
兵は未だに半長靴をさげたままだった。見ていた者の好奇心はその日の命令が示され
裸足の兵による次のような報告があるまでやまなかった。
454名無し三等兵:04/01/30 14:38 ID:???
 私はロシア戦車を爆破する為送られた分遣隊の観測手です。全ての準備が整って
中隊長と私は通常の2倍の爆薬を履帯に括りつけ、観測所にした溝に私は戻りました。
溝は破片からは安全なほど深く、私はそこで爆破の結果を見届ける為待機しました。
爆発後、戦車が一帯に散発的に機銃射撃を加えた。およそ一時間後、静まり返って
から、私は戦車に忍び寄り爆薬を括りつけたところを調べました。履帯の半分が
なんとか破壊されていたが、それ以外には損傷は見当たらなかった。集合地点に戻る
と、既に分遣隊は撤退した後でした。半長靴を探しているうちに置いていかれた爆薬
を見つけました。それをもって、戦車に戻り、よじ登り砲身に結びました。そこだ
けでも壊してくれればということであり、爆薬はそれ以上の損害を与えることはでき
そうにない量でした。私は戦車の下に潜んで爆破しました。戦車は直ちに森端を銃火で
包み、射撃は夜明けまで続いた。夜明けにやっと戦車の下からはいでることができた。
爆破の結果を調べると、残念なことには爆薬は弱すぎた。砲はわずかに損傷したのみ
だった。集合地点に戻ると、半長靴が見つかった。履こうとしたら小さすぎた。多分
誰かが間違って私の半長靴を履いたのだ。それで私は中隊に遅れて裸足で帰ってきました。
455名無し三等兵:04/01/30 14:46 ID:???
 これで行方不明1名と朝方の爆発と機銃射撃のわけが分かった。

 独軍は3回失敗した。戦車は未だに道路を塞ぎ、思うままに射撃できた。4番めの策
として急降下爆撃機を呼んで攻撃させるというのがあったが、回せる機体がなく取り
やめとなった。急降下爆撃機が戦車に直撃させられたかは疑問があるが、直撃以外で
は除去できないことは確かであった。
456名無し三等兵:04/01/30 14:56 ID:???
 5番目の策は危険を計算の上でロシア戦車乗員を騙すことが含まれていた。
欺瞞がうまくいけば独軍の損害は最小限となると考えられた。戦車部隊が道路
東側の森の複数の地点から正面攻撃に見せかける一方でRossinieから88mm砲1門
を持ってきて破壊するというものだった。地形はこの作戦に適していた。森は
密ではなく、戦車の機動には障害とならなかった。

 独軍戦車は展開し、ロシア戦車を三方から攻めた。ロシア乗員は明らかに
興奮して砲塔をあちこちに回して、森から慎重に射撃する独軍戦車を射撃
しようとした。
457名無し三等兵:04/01/30 15:18 ID:???
 その間に、88mm砲は戦車の後方に陣地をとった。初弾は直撃し、戦車乗員が砲を
後方へ向けようとしている間に、第2弾、第3弾と命中。致命傷を負い、戦車は動か
ないままとなったが、燃えなかった。さらに88mm徹甲弾4発が命中。すると最後の
命中のあと、あたかも攻撃者に挑戦するが如く、戦車砲が上に向けられた。

 ロシア戦車にもっとも近かった独軍が降車して獲物へと近づいた。7発中、
わずか2発のみが貫徹、他5発は深いへこみを作っただけなので彼らは大いに
驚いた。50mm対戦車砲の命中跡は8箇所見つかった。工兵攻撃は履帯損傷と
砲身がわずかにかしいだだけだった。独軍戦車による損傷は見つからなかった。
好奇心に駆られて戦車によじ登り、ハッチを開けようとしたが開かない。
突然、砲身がまた動き始め、独人の大半は散り散りになった。2人の工兵が
咄嗟に砲塔下部の命中穴に手榴弾を入れた。くぐもった爆発が起き、砲塔ハッチ
ガ吹き飛んだ。内部の乗員の体はばらばらとなった。
458名無し三等兵:04/01/30 15:27 ID:???
 独軍は戦線のこの正面でのKVとの最初の遭遇をうまくこなせなかった。戦車1両
が強力な独軍部隊の補給路を48時間に渡り塞いだ。

 分析
 熟練した戦車乗員による抗戦を面白く記述している。第一日後で機動を生かして
逃走することもできたであろうし、そうできるならばしたであろう。恐らくは
その場に留まり死守せよとの命令を受けて居たのであろう。

#1986年付けの米陸軍機甲学校の読本 戦車戦闘 の第2次世界大戦の章の
最初の挿話です。第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、
最後が第4次中東戦争を扱っています。第4次中東戦争は米国の大学に留学して
いたイスラエル戦車将校の経験談を含みます。
459トルエン大尉:04/01/30 18:12 ID:???
>>458
乙です〜!

>#自営業氏の”街道上の怪物”の挿話

はオイラも読みました。やはり戦車ですなぁ(w

>7発中、わずか2発のみが貫徹、他5発は深いへこみを作っただけなので
>彼らは大いに驚いた。

オイラも大いに驚いた(w

しかし、工兵による対戦車攻撃もこの頃はまだ確立されていなかったんだなぁ・・・・
460名無し三等兵:04/01/30 19:35 ID:???
はじめから戦車大隊と88mm砲の連携で攻撃すればとも思いますが、
橋頭堡にいた戦車大隊を背後に回して攻撃を準備させることもなかなか難しかった
のだということをまず感じました。戦車の機銃射撃の話がよく出てきますが
同軸機銃だったのか、それとも違うのかなどは不明です。

 また、立場を変えればKVUに歩兵がついていればさらに頑強な抵抗が
できたかもと思います。
461名無し三等兵:04/02/01 06:45 ID:???
 拡張の尖兵を戦車小隊がつとめる場合の技術

 筆者は機甲師団の戦車小隊長であり、しばしば拡張任務の際にpoint commander
(?尖兵指揮官)に任じられることがあった。

 師団は終始”結婚”隊形を用いた。つまり、戦車小隊が尖兵に任じられると
機甲歩兵の相方も尖兵の一部となるのである。

#上の読本から三重孤児で扱われていた諸兵科連合の例に近いものを
見つけてきました。
462名無し三等兵:04/02/01 07:05 ID:???
 機甲拡張(armored exploitation)の先導車両に乗り組むのは、しばしば証明
されたことであるが、健康に悪い。少なくとも神経に緊張を強いる。この任務を
全く、簡単かつ楽で血気盛んな米国青年に魅力的なものにかえる手立てなど勿論
ありはしない。けれど、長いうちには自身の試行錯誤と、他の試行錯誤を観察する
ことにより、(アイルランド人の幸運と相俟って)ある程度の方法ができあがった。

 尖兵部隊を指揮し、隊形を決定するのは、大抵は戦車小隊長だった。戦車小隊長
は沢山の隊形を試した。その際考慮すべき事項がある。

#luck of Irish 慣用句の模様 或いはマジナイか、まじないの込められた品
の可能性あり
463名無し三等兵:04/02/01 07:12 ID:???
 柔軟性が重要である。地形、天候、予想される敵の抵抗、前進速度も考慮すること。

 厄介なことに歩兵小隊のハーフトラック間では通信ができない。戦闘が進展し、
ハーフトラックが分散すると、統制をどうするかが大きな問題となる。(特に
交替があった場合)
464名無し三等兵:04/02/01 07:35 ID:???
 既に述べたように、幾つかの隊形がほぼ標準となった。一つは戦車とハーフトラック
を交互に縦列とすること。これには幾つか欠点がある。まず、戦車の火力を分散させ過
ぎ、小隊長が統制するのを困難にすること。そしてまた、歩兵の統制も非常に困難とな
ること。ある優秀な戦車小隊長はこの隊形を用いたし、彼が指揮を取れる状態であれば、
うまく機能した。彼によるとこの隊形の利点は歩兵分隊が前を走る戦車を近接対戦車手段
から防護できることにある。

 が、筆者はこの隊形では欠点が利点を上回ると信じる。
465名無し三等兵:04/02/01 07:58 ID:???
 小隊長の多くが用いた隊形としては次のようなのもある。戦車3両、歩兵小隊長の
ハーフトラック、戦車2両、歩兵小隊のハーフトラック4両。歩兵小隊長が状況を
把握でき、また、戦車小隊長と必要に応じて協議できるよう前方に位置している。
さらに、歩兵小隊は固まっており、不必要に砲火に晒されぬよう後方に位置し
部隊一体で攻撃をできる。

 この隊形は大変うまくいったが、装甲の薄い車両を前に出しすぎ、歩兵小隊長
が以前として自分の小隊から離れすぎる。そして、ハーフトラックがその後方の
戦車2両の射撃の妨げとなることがある。筆者はこの隊形を数ヶ月使ってみたが
、最後には戦車を前に横隊で並べて、歩兵は後方に縦隊で纏めることにした。

#当時は小隊5両編制
466名無し三等兵:04/02/01 11:09 ID:???
上訂正 最後には、まず戦車をついで歩兵を全て縦列で並べることにした。

#つまり、
戦 戦 戦 戦 戦 歩 歩 歩 歩 歩 となります。
467名無し三等兵:04/02/01 13:37 ID:???
 集団としてまとまって乗っている歩兵は、場合によっては素早く降車して行動する
ことができた。筆者は、これら以外の隊形で時として素晴らしい成果が得られたこと
にも注意を払っている。

 歩兵の戦車跨乗については沢山のいんちき話が書かれたり、話されてきたりして
いる。跨乗は部隊によっては日常的に行われていた。5,6人の歩兵が不機嫌そうに、
大抵は濡れそぼって、大抵は凍えつつ、みじめに先導戦車の後部や側部張り出し上に
乗っているのを見ることがよくあった。
468名無し三等兵:04/02/01 13:46 ID:???
 跨乗歩兵は近接対戦車防御のためである。とりわけバズーカが命中すると
多くは死亡する。また、対戦車砲火、機銃射撃、その他でも死亡した。彼らが
跨乗してさえなければ、戦車は相互支援戦術(wing man tactics)や火力偵察
(reconnaissance by fire)を用いることでバズーカ装備歩兵は恐れるに
足らないものとなる。拡張任務中にバズーカを喰らうのは、眠っているからである。

 勿論、夜間移動では、各戦車に2,3名の歩兵が跨乗のは良いし、停止したとき
にはある程度の防護を与えてくれる。その場合でも歩兵が役目を果たせるだけの注意
力と活力があるように頻繁に交替させる必要がある。
469名無し三等兵:04/02/01 14:57 ID:???
 尖兵部隊内では、小隊長車はどこに位置すべきか。我々や他の師団では
小隊長は先頭車両だった。故パットン将軍が曰く、”スパゲティを押し込む
ことはできない。引かねばならない。”実際に、これには将校の威信や
小隊の士気では利点となる。が、必ずしも小隊長車の乗員の士気にはあてはま
らないし、筆者はいわずもがなの目立ち精神の萌芽を嗅ぎ取ってしまう。

 また、訓練された将校であれば、指示通りに経路を辿れると思い勝ちである。
が、残念ながらこれは常にそうなるとは限らぬ。実のところ、筆者が固く
確信するのだが、独軍が道表示標識を壊してしまうと、米軍機甲部隊の半数
は迷子となるか、少なくとも目立って速度を落とさざるをえないであったろう。
 
470名無し三等兵:04/02/01 15:06 ID:???
 ”教本”では、先頭は戦車班(tank section)、続いて小隊長、そしてもう一方の
戦車班であるべきとしている。これはいいやり方である。的確であり使える。小隊将校
が先頭車両に乗ると、自車の戦闘に忙殺されてしまい、適切に小隊を運用できなくなる
ことがあまりに多い。あまりに忙しくて中隊長に状況報告できないことすらある。
混乱し、機能せず、時間を徒らに費やしてしまう。

 もし、小隊長が3両目の車両に乗っていれば、昔ながらの生きるか死ぬかの稼業
に掛かりきりになる前の数瞬に、配置を決め、報告することができる。
471名無し三等兵:04/02/01 15:24 ID:???
 もう一つの利点は、各戦車に交替で先頭につかせられることである。疲れていない、
用心怠りたりない車両を先頭に置くことができるようになる。そして、小隊将校の
節約にもなる。彼らを養成するのに政府資金が少なからず使われている。

 ひとたび、隊形或いは行軍序列が決すると、次の問題が生じる。尖兵隊は
どの速さで進むべきか?拡張段階では速度は常に重要である。速度は奇襲に
資し、人命を救うのであり、軽視してはならない。長い目でみると、迅速かつ
積極的な前進が人命を救ったのは抗えぬ。そして、この点でも、ある方法に
より、生存し、任務を達成する可能性はより大きくなる。
472名無し三等兵:04/02/01 15:39 ID:???
 手短に言うと、厳格に用いれば、迅速に妨げをうけず前進し、損害を最小に押さえ
られるちょっとしたある方法がある。こういった方法を、機甲師団の多くでは明らかに、
自己流の”積極的な”指揮官達は速度を欲するあまりに”本を投げ捨てている”ため、
見過ごしている。この誤りがゆえ、不必要な混乱が起き、実際に時間が失われる。
前衛部隊間に距離を置かせないのがその例である。

 これにより以下のようなことが生じる。先頭部隊がある程度頑強な抵抗に
遭遇すると、細切れに投入され、切り刻まれ、その結果の混乱により遅延が
生じる。かりに間隔が取られていれば、つまり、尖兵、先遣隊、そして前衛
間に距離が置かれていれば、自体はよりゆっくりと混乱せずに進展し、各部隊
指揮官は指揮を果たす時空間を与えられ、自隊を計画的、的確な戦術で用いる
ことができる。こうして、抵抗を素早く圧倒できるのに充分な戦力を行使できる。
 
473名無し三等兵:04/02/01 17:48 ID:???
 勿論、部隊間の距離は大きすぎてはいけない。拡張に関する教言にも
”直ちに強く打て”とある。が、無闇に打つだけでは、不必要な損害を受ける
ことになり、戦争術とはいえぬ、銃後の戦車生産能力に依存しているといえよう。

 尖兵小隊はどのように移動すべきか。一定の速度で縦列で道路を移動すべきか。
これは大抵の師団で、拡張段階で行われていることである。が、これは賢い方法
でも、一番速度のある方法でもない。さらにこれは一番堅実な方法でもない。
 
474名無し三等兵:04/02/01 17:56 ID:???
 あらゆる点で最善の方法は躍進移動(movement by bounds)である。
これは、先遣隊についてである。躍進移動が良いというのは以下の理由から
である。前衛隊指揮官(先導戦車中隊長)は尖兵小隊からある程度距離を
置いて後続する。置く距離は地形により異なるが、視界内で、500ヤード
を超えない。前衛隊指揮官は一定の速度で進む(この速度はしばしば戦闘
指揮官が指定する)。前衛隊指揮官には砲兵前進観測員や、可能ならば
前進航空統制官が随伴する。
475名無し三等兵:04/02/01 19:17 ID:???
 前衛隊指揮官の前で尖兵小隊が行動する。一方の班の掩護の下で、戦車班3両が
掩蔽物から掩蔽物へと迅速に移動する。交互に躍進することで高速が得られる。
抵抗にあった場合、前衛隊指揮官は停止し、状況を把握し、直ちに行動する。
尖兵と前衛隊指揮官との間には距離があるので、支援をうまく用いることも、
離脱し、縦列を引き返させることなく障害や拠点を迂回することもできる。

 筆者は戦争の後半、エルベ川への前進中にこの方法を用いた。ことに迅速に
移動する戦闘指揮官すら交互躍進で移動する前衛隊に速度を落とすよう要請する
ことがあった。
476名無し三等兵:04/02/01 19:36 ID:???
 移動については先導小隊の用いる方法について考えておこう。既に述べたように
先導する戦車3両は、もう一方の班の掩護下で掩蔽物から掩蔽物へと素早く移動する。
この素早くとは最大速度でということである。付け加えると、戦車は移動中は
回避行動をとるべきである(勿論、敵との接触が直ちに予期されるときのみである。)
可能ならば、地形と天候の許す場合には、先導戦車は並進か、修正楔隊形(modified
wedge)で移動する。大抵は、一両は道のどちらか側を、一両は道とジグザグ交差して
移動する。筆者は先導戦車は掩蔽物から掩蔽物に移動すると述べた。勿論、
ある掩蔽位置から次の掩蔽位置までの距離が遠いこともあるだろう、この場合は
躍進距離は停止している班の射撃支援を受けられるところまでとする。600ヤード
を超えないようにすること。先導戦車は突然停止し、もう一方の班が素早く
移動する。
477名無し三等兵:04/02/01 19:49 ID:???
 小隊長車がもう一方の班の前で発進して迅速交互躍進を先導すると、隊の
移動速度は最大となる。これに対して、前方の班が引き続き先導するのが最も
安全である。つまり、前方の班は停止中、これからの経路を把握し、次の停止
位置を選び、火力偵察する機会があるからである。ここで双眼鏡の用い方を
少々論じてみるのは良いであろう。

 筆者は反論の恐れなく、うまく、素早く、常に戦車長が双眼鏡を用いれば
多くの、多くの戦車が救えたと言明できると感じている。試してみたものには
たちどころに明らかなのだが、平滑な路面上ですら走行中の戦車上では双眼鏡
を使うことはできない。これは躍進移動について大きな論議となっている一つ
である。双眼鏡でさっと偵察することで弾数を大いに節約できる、というのは
代わりになるのは火力偵察であるからである。これもまた、筆者が迅速な移動
と急停止を強調する理由である。
478名無し三等兵:04/02/01 20:07 ID:???
 筆者が最初に経験したのは、実のところ、実戦に入って1,2時間のことだったが
操縦手は滑らかな停車をするよう訓練されすぎていることだった。停止するように
命じられると、操縦手は滑るように奇麗にやさしく停止する。筆者は戦車が減速
する間に前方を観察しようと双眼鏡を目に当てた。車両が停止するまでは震動の
ため双眼鏡を使うのは不可能だった。15ヤードか20ヤード滑るように停止する間、
ある程度の速度という僅かな有利すら失い、筆者は視界が利かず戦車は容易い獲物
となる。言うまでもなく、命令次第急停車するのは操縦手の技量の一部となった。

 双眼鏡の論議は当然偵察一般の話へと繋がる。機甲前進の拡張段階では、速度と
奇襲が不可欠である。援護部隊も、先導戦車小隊より前方の偵察もない。もし、
先導戦車小隊長が生き延びたければ、彼は3つの偵察方法に頼ることにある(
常に肝に銘じておかねばならないのは、速度と奇襲はかなりの有利であり、小心な
注意過剰前進で損なわれてはならない。)3つの偵察方法とは、双眼鏡の使用、
火力偵察、降車人員偵察である。この3つに加えて4番目もあるかもしれない。
この4番目は筆舌にしがたい。多くの人には信じ難い。笑われるだろうが、
”ドイツ人を嗅ぎ出す”というもので、我々はやっていたと信じていたし、
今でも信じている。
479名無し三等兵:04/02/01 20:39 ID:???
 それはともかく、より正統な方法について論議しよう。双眼鏡の使用については
既にある程度論じた。几帳面な手入が双眼鏡に必要であることは言うまでもない。
埃と雨を拭う為拭き取り布は手頃でなくてはならない。首紐は丁度良いきちんと
きまった長さがある。焦点距離は分かっていなくてはならない。本能的である必要
がある。走行中に、戦車長は危険そうな地点を選んでおき、止まるや否や、それぞれ
を素早く見たあとに、もう一度ゆっくりと見ていく、というのもここで述べておこう。

 論議が大変ある事項:火力偵察に入る。これに関しては筆者は2回完全に意見が
変わった。戦闘の初期の頃は、大変しばしば用いていた。暫くして、奇襲の要素を
失わせる、騒がしいと感じるようになった。その後、ライン川を渡った直後に巧妙な
伏撃に突っ込んでしまった。その後は、いずれにせよドイツ内の地上であるから遠く
疑わしいものは何でも撃つようになった。トラクターやその他怪しげな形をした農業
機械の平均寿命は実に短くなった。
480名無し三等兵:04/02/02 06:32 ID:???
 真面目な話、着実に移動しようとしたら火力偵察はほぼ必要である。時には
弾薬の浪費であることもあるが、確実に士気を高揚させる。自隊の士気はあがり、
敵の士気をはっきりと妨げる。けれど、慎重に統制しうまく用いる必要はある。
躍進運動と、双眼鏡でよく見張ることで大抵射撃せずにすむ。後続に何らかの信号
で火力偵察しているだけだということを伝えるのも重要である。信号として
同軸機銃の短連射2回などはどうであろう。信号を取り決めておかないと、後続の
ハーフトラックの歩兵が.30口径や.50口径に小銃を目に入るもの全てに撃ち始めて
しまい、事態を完全に混乱させてしまう(混乱というのはFUBARの控え目な言い方
である。)深い森、垣根道、側翼の一軒屋などは火力偵察すべきである。
弾薬、とりわけ砲塔即応弾薬は使用してはならない。場合によっては探索射撃を
制約する重要な要素となることもあるだろう。

FUBAR fucked up beyond all recognition あらゆる認識を上回る混乱
俗語。
481名無し三等兵:04/02/02 07:07 ID:???
 3番目の偵察方法は戦車将校の多くが最も見過ごしている。降車人員偵察
(dismounted personal reconnaissance)である。降車偵察する時間がない
ことは多い。が、筆者の信じるところでは、鋼鉄の殻から出て、寂しく、
とても静かな無人地帯へ身をさらすのを避けているだけである。また、筆者の
体験談だが、1944年8月3日フランスのYvreで狭い路地を曲がったとたん、
4号戦車と何と30ヤードで顔を付き合わせた。戦車は有人であり、明らかに
待ち伏せていた。せかしたり、命令したりの必要がない砲手のおかげで、筆者は
この文章を今書くことができる。

 この経験の後は、必要な場合には降車して覘きにいくようにした。戦車と
出くわす位なら、丘の稜線や街角からこっそり覘くほうが良い。こうすれば
幸運を切らさないでおける。
482名無し三等兵:04/02/02 07:25 ID:???
 統制(control)については多く語られている。個々の戦車、小隊、中隊の統制。
最初にすべきものを最初に片付けねばならない。戦車を上手い乗り手が馬を操るが
如く統制できるようになるまでは、彼は戦車乗りという名前にふさわしくない。
統制は車内通話によるけど、それだけが全てではない。まず、何らかの体系、
信号、標準手続が必要である。この手続は少なくとも小隊、中隊全体で同じである
べきだ。実際のところ、機甲部隊全体を通して同じであるべきである。
標準手続と並んで、より一時的ではあるが車長と操縦手の互いの緊密な理解の上に
成り立つ要素である。これは長い実践で得られるものであり、あったほうが大変望
ましいが標準手続さえあれば不可欠というわけではない。標準手続の重要さを
筆者が実感したのは、編制変え(breakdown)と損失のため、大変短期間のうちに
全く異なる7組の乗員と組んで戦闘した際の誤解を通してであった。
483名無し三等兵:04/02/02 09:18 ID:???
 ひとたび、個々の戦車の統制が達成されたらば、(これは砲塔搭乗員(turret crew)
間の手続をも含む、身振り、つつき、叩くほうが車内通話よりも手早い)、班と小隊の
統制へと進める。伝達速度と分かりやすさの点で、手、腕信号は必須であり、知的能力
と訓練度合いと関する者の創意のみが制約となるだけである。こういった信号が必須で
あるもう一つの原因は、無線が絶え間なく故障することである。この常に起こる故障は
設計に原因があるでなく、作戦遂行にあたり戦車無線を酷使するのが必須であるゆえ
である。常時電源を入れられており、整備している時間がとれないのである。

 手、腕信号(hand and arm signals)と並ぶのが単純で、しかし厳格な標準
作戦手続(standard operating procedures)を確立することである。これは
アメリカンフットボールで用いられる作戦に似た単純な動きに似ているものも
ある。また、責任分担の範囲のことでもある。各戦車長はそれぞれ責任範囲が
あり気を払わなくてはならない。筆者の用いた手順は自車と第一班についての
ものだった。筆者が停車するか、停車するよう信号すると、2号車は可能な場合は
常に筆者の車両の右側に並び直ちに右手を捜索する。3号車は左側で同じことを
する。後続の班はさらに右と、さらに左を受け持ち、信号を受けたら直ちにどちら
へでも運動する用意をしておく。
484名無し三等兵:04/02/02 09:47 ID:???
 これに関しては苦い経験で学んだ教訓がある。独軍の対戦車砲は、相互支援して
誘い込むように配置されている。つまり、不注意な者を罠にかけるようになっている。
初めの頃、上記の手順を用いて2号車と3号車は適切な位置についていた。が、小隊長
車が正面を射撃していると、2号車と3号車の注意は当然ながらその弾先に向いてしまい、
命令が無くても正面の目標を射撃し始めてしまう。側面からの砲火で撃破される場合が
でてきた。最悪なのは、誰もどこから砲撃が加えられたのか見ていないことである。
この経験で、2号車と3号車の戦車長は正面を無視して自身の担任範囲を見るように
なった。当然ながら、小隊長の指示を受ける為、数瞬見るが責任範囲を厳格に捜索
する。

 小隊の統制は多くの上になりたつ。経験と実践が勿論、統制を確立する最良の
方法である。そして、最後の手段として教本に出て来るのが、いわゆる指揮官の
範例である。何ものもこの方法に取って代われはしない。が、指揮官がその頭脳、
技術で良く評価され、隊員に全員は一人に、一人は全員を確固として根付かせる
までは何の効果もない。筆者は小隊より大きい部隊についてはこの方針を勧める
わけではないが、絶対の信頼に及ぶものはないと確信している。絶対の信頼と、
絶対で、完全な戦友愛を醸成できるならば、道は容易となる。成功する望みは
現実的となる。
485名無し三等兵:04/02/02 10:04 ID:???
 戦車小隊長は将校共通の問題を抱えている。各車両には5名が乗り組む。小隊長も
その5名の一人である。当然、戦車長として、多数の車両関係の、純粋に肉体的な任
務をこなさねばらなない。燃料補給を手伝わねばならないし、砲を清掃しなければ
ならない。履帯を交換するのを手伝わねばならない。戦闘中は見張りもしなければな
らない。これらの任務を単にこなすだけでなく、熟練してうまくやり遂げねばならな
い。恐怖を露にしてはならない、部下の士気を必死に護らねばならないからである。
拡張任務中に、部下も戦車も限界に達した時は、その仕事は何倍にも増す。配慮を
一瞬たりとも欠かしてはならないときもある。もし指揮官が部下を純粋に気遣い、
弱点と長所を完全に理解し、本来の貴き精神を尊重するならば、これらは容易く
達成できよう。

 当小文には、脚注はつけない。研究の参照もない。ある人物の研究と試行錯誤
と多くの者の試行錯誤、彼らは欧州のいずこかに白十字となっている、の産物である。

分析
これは機甲小隊長にとって一級品の大変役に立つ忠告である。幾歳月の戦闘により
筆者は交互援護、火力偵察、範例による先導、手信号、降車偵察の価値を学ぶとった。
486名無し三等兵:04/02/02 12:11 ID:???
#この読本は小隊、中隊級の機甲戦闘を扱っていると前書きにはあります。
内容的には大隊や師団の作戦の中での小隊に焦点をあてたものもありますが。
#訳出は目次順にはしていません。
#次は三重孤児論文にでてきたバイエルランの目撃した第4機甲師団の攻撃の
話を見つけたのでこれの予定です。読本は他文献からの引用もしているそうなので
著者がこれを読んだかはちょっと確かめていません。論文末の参考文献と
章脚注をみればさらに詳しい書籍や原典が出ている可能性はありますが。入手できる
ものからということで。
487名無し三等兵:04/02/02 14:04 ID:???
#途中、戦闘指揮官と訳しているのがありますが、これは
各師団下の戦闘司令部司令官の可能性があると今気づきました。
488名無し三等兵:04/02/02 16:32 ID:???
今回のブツ、ド素人の私にも判り易い、いい文章ですね。
適当に実例を交えて、読者を引き付けるし。

当スレ、ひたすらROMさせてもらっております。勉強になります。
489トルエン大尉:04/02/02 22:47 ID:???
>>486
乙です。
いやー実戦はためになるなぁ〜
490名無し三等兵:04/02/03 11:12 ID:???
>488 489 レス有難う御座います。今回の話はとても分かりやすかったです。
しいて云えば、混乱したのが尖兵小隊と先遣隊と前衛の区別位で他は大体素直に
分かる事が出来ました。

 Singling攻撃の話は読んだのですが、人名が多く出て来ること、付図の
家に振られた記号が潰れていて読み取れないことなどから苦戦しています。
とりあえず、第4機甲師団についてネットで検索しました。

#なぜか最近、CGSCもCMHも見れなくなりました。なんでだろう。
グーグルだとキャッシュは残っているんですが、図表と画像が見えなくなります。
CALLに続いて英語圏+軍関係でないと見れなくなったのだろうかと疑ってみたり。
491名無し三等兵:04/02/03 11:53 ID:???
まず第4機甲師団の編制について
US Armored Division:
Generic Table of Equipment and Organization Combat Units 1944-45
h ttp://us4tharmordiv.tripod.com/ArmorTO.htm
機甲大隊×3
機甲歩兵大隊×3
師団偵察大隊×1
戦闘司令部×3
機甲工兵中隊×3
機甲砲兵大隊×3
配属
対空大隊×1
駆逐戦車大隊×1

#重編制機甲師団は2と3のみです。軽編制でした。各大隊の内訳は以下に続きます。
492名無し三等兵:04/02/03 12:21 ID:???
機甲大隊
・大隊本部 戦車3両 M3ハーフトラック1両 ジープ4両 小銃分隊2個
・・機甲中隊×3
・・・機甲中隊本部 戦車2両
・・・機甲小隊×3 各戦車5両
・・機甲中隊×1
・・・機甲中隊本部 M5A1スチュアートかM24チャーフィーを2両
・・・機甲小隊×3 各M5A1スチュアートかM24チャーフィーを5両
・偵察小隊×1 3班編制 各12.7mm機銃搭載ジープ2両
・迫撃砲小隊×1 M21ハーフトラック搭載81mm迫撃砲3両 M3ハーフトラック1両
h ttp://www.wwiivehicles.com/html/usa/m4_mortar_carriage.html
・整備小隊×1 M32B1装甲回収車3両 レッカー車3両 ジープ3両
h ttp://www.armyvehicles.dk/m32b1.htm
・突撃砲小隊×1 M4A3/105mm か M8 HMC Stuart 3両 M3ハーフトラック2両

#M4A3/105mmは105mm榴弾砲搭載のM4派生型 M8 HMCは75mm榴弾砲搭載ハーフトラック
h ttp://perso.wanadoo.fr/did.panzer/USArmDiv-Light.html
こちらの資料はほぼ同一ですが、突撃砲小隊にM10が4両加わっています。
#”突撃砲”というのは仏語に訳しにくいんだろうか?
493名無し三等兵:04/02/03 13:04 ID:???
機甲歩兵大隊
・大隊本部 M3ハーフトラック2両 小銃分隊2個 バズーカ2門 ジープ2両
・・機甲歩兵中隊×3
・・・機甲歩兵中隊本部 M3ハーフトラック2両 小銃分隊2個 バズーカ2門
・・・機甲歩兵小隊×3
M3ハーフトラック3両 小銃分隊3個 BAR2丁 バズーカ3門 M3ハーフトラック1両
60mm迫撃砲1門(3名砲側員) M3ハーフトラック1両 中機関銃班2個 12.7mm重機関銃班1個
・・・対戦車小隊×1
57mmM1対戦車砲3門 M3ハーフトラック3両 ジープ1両
・・支援中隊×1
・・・支援中隊本部 M3ハーフトラック1両 小銃分隊1個 ジープ1両
・・・小隊×1 M21ハーフトラック搭載82mm迫撃砲3両 M3ハーフトラック1両
・・・小隊×1 M3ハーフトラック3両 12.7mm重機関銃班3個 中機関銃班6個
・・・小隊×1 M7プリースト3両 M3ハーフトラック2両
・・・小隊×1 M3ハーフトラック1両 12.7mm重機関銃搭載ジープ5両

#中機関銃とは7.62mm機関銃の模様。
M7プリーストは105mm榴弾砲搭載オープントップ自走榴弾砲
h ttp://gunpoint-3d.com/model-M7_Priest.html
#支援小隊それぞれの区分は不明 迫、機関銃、砲兵、だとして、残る1つが
偵察なんでしょうか。
494名無し三等兵:04/02/03 13:25 ID:???
師団偵察大隊
・師団偵察大隊本部 M8グレイハンド3両 M3ハーフトラック3両 小銃分隊3個 ジープ2両
・・偵察中隊×3
・・・偵察中隊本部 M8グレイハンド3両 12.7mm機銃搭載ジープ3両
・・・偵察小隊×3
M8グレイハンド3両 12.7mm機銃搭載ジープ6両 騎銃分隊1個 60mm迫撃砲3門

・・偵察中隊×1
・・・偵察中隊本部 M5A1スチュアート2両
・・・偵察小隊×3 各M5A1スチュアート5両

・・支援中隊×1
・・・支援中隊本部 M3ハーフトラック1両 ジープ1両
・・・小隊×4 M8 HMCスチュアート2両 M3ハーフトラック1両

#仏語サイトによると偵察大隊下に配属?されるのが
M8グレイハンド1両 M3ハーフトラック2両  M10 2両  M32装甲回収車1両 
レッカー1両 大型トラック12両 ジープ3両
このほか、各単位部隊の編制でも師団偵察大隊について異なる点が多い。

#M8グレイハンド 37mm砲搭載装甲偵察車 
h ttp://www.wwiivehicles.com/html/usa/m8_armoredcars.html
#M10 76.2mm対戦車砲搭載の駆逐戦車 旋回砲塔だが上面は開放されている
h ttp://www.wwiivehicles.com/html/usa/m10_tankdestroyer.html
495名無し三等兵:04/02/03 14:05 ID:???
戦闘司令部×3
M3ハーフトラック3両 大型トラック1両 騎銃分隊3個 ジープ3両 M5A1スチュアート3両
航空連絡班1個

機甲工兵中隊×3
・機甲工兵中隊本部 M3ハーフトラック2両 小銃分隊2個 バズーカ2門
・機甲工兵小隊×3
M3ハーフトラック4両 小銃/工兵分隊4個 バズーカ4門 BAR2丁 爆薬

砲兵大隊×3
・砲兵大隊本部 M3ハーフトラック2両 騎銃分隊2個 ジープかM4A3OP搭乗の観測班6個
・砲兵中隊×3 各M7プリースト6両 M3ハーフトラック1両

#M4A3 OP sherman op tanksでググルとビットマンに撃破された戦闘の話が
出て来るほかは不明。砲兵観測戦車だと思われる。主砲が生きていたかダミーかは
不明。
h ttp://home.earthlink.net/~piglt/778tbn.html
こちらでは戦車大隊本部には3両 戦車があり、それぞれ大隊長、副官、砲兵観測員用
だが、実際には彼らは戦車を使用せず予備となって各中隊が使用したとあります。
#batteryは場合によって小隊と中隊に訳し分けた。砲兵大隊下では中隊とし、他では小隊とした。
#teamは班で統一
496名無し三等兵:04/02/03 14:37 ID:???
対空大隊 (48両)
・対空小隊×12 各 M16かM15かM19 4両

駆逐戦車大隊 (36両)
・駆逐戦車中隊×33 Tank Destroyer Companies @
・・駆逐戦車中隊本部 M3ハーフトラック2両 ジープ2両 8人編制小銃分隊2個 バズーカ2門
・・駆逐戦車小隊×3 それぞれ M10かM18かM36駆逐戦車4両 M20 2両 騎銃分隊1個 バズーカ2門
・駆逐戦車偵察中隊
・・駆逐戦車偵察中隊本部 M3ハーフトラック2両 ジープ2両
・・駆逐戦車偵察小隊×3
それぞれ M8グレイハンド2両 12.7mm機銃搭載ジープ5両 8人編制騎銃分隊2個 60mm迫撃砲2門 バズーカ2門

#M15 37mm高射砲搭載ハーフトラック
#M16 四連装12.7mm機銃搭載ハーフトラック
#M18 76mm砲搭載駆逐戦車
#M19 40mm連装機関砲搭載対空装軌車両
#M20 12.7mm機銃を車上旋回台座に装備した装輪装甲車
#M24 75mm砲搭載軽戦車
#M36 90mm砲搭載駆逐戦車
h ttp://www.wwiivehicles.com/html/usa/index.htm

#これで編制表は一応終わり。
497名無し三等兵:04/02/03 15:19 ID:???
師団戦歴
http://en.wikipedia.org/wiki/US_4th_Armored_Division
1941年4月15日開隊 1944年早くに英国へ移動
1944年1月〜7月 英国にて訓練
1944年7月11日ユタ海岸に上陸
7月17日 Coutance地域への進撃と確保で戦闘参加
7月28日 Nantesへ向かい南に旋回し、Brittnay半島基部を切断
8月12日東へ向かい、フランスをたちどころに横断しLoire北に到達
9月11日〜13日 Moselleで敵を粉砕
9月16日 Nancyの側翼を機動しLunevilleを奪取
9月27日〜10月11日Chambrey〜Xanrey〜Henamenilの防御線を維持
ここで暫時休息
11月9日 Viviers付近を攻撃
11月12日 Bois de Serresを掃討
11月21日〜22日 Dieuzeを通過しSaar川を渡河
12月8日に増援を受けるまでに
橋頭堡を確立し拡大 SinglingとBiningを奪取
12月18日 独軍アルデンヌ攻勢開始2日後 戦闘加入
北西へ急進しベルギー入り19時間で150マイルを行軍
Bastogneで包囲されている第101空挺師団を救援し包囲の独軍を攻撃
6週間後、Luxembourg市から東方へ躍進 Moselle川をTreir、Wormsの南方及び東方で渡河
1945年3月24日〜25日 Rhine川渡河 終夜前進し
翌日Main川をHanau南方で渡河しなおも前進
3月29日 Lauterbachを攻略
4月1日Werra対岸のCreuzburgを攻略
4月4日 Gotha攻略
4月12日 Saale川渡河 追撃続行
5月6日 チェコスロバキアに入り、Otara川のStrakoniceに橋頭堡確立 前衛はPisek

#訳す予定の攻撃は1944年11月21日〜22日にSaar川渡河後、12月8日増援受けるまでの
橋頭堡からの攻撃でSinglingでの戦闘のうち初日と翌日の2日間です。
498名無し三等兵:04/02/03 17:06 ID:???
機甲師団編制表 T/O 17 1943年9月15日
h ttp://www.jeroenkoppes.com/ww2/units/Arm.Div.1943.asp
師団本部
・・戦闘司令部本部×3
・・機甲大隊×3
・・機甲歩兵大隊×3
・・偵察大隊(機械化)×1
・・機甲工兵大体×1
・・機甲衛生大隊×1
・・機甲師団砲兵
・・・機甲砲兵大隊(105mm自走榴弾砲装備)×3
・・弾薬及び整備大隊×1
・・機甲通信中隊×1
・・憲兵小隊×1
・・師団軍楽隊×1
・・師団本部中隊×1

#こちらは図表で見やすいです。1943年型機甲師団編制表の定型なので
配属の対空大隊と駆逐戦車大隊は載っていません。これが軽編制の機甲師団です。
1942年型機甲師団編制表もありますが、これは前述の通り、第2と第3のみの編制です。
#装備定数表と編制表を一緒にするとTOEと言うのですが、こちらはT/Oと
なっています。つまり編制表のみだと思われます。装備定数表が別に定められて居る
可能性があります。
#エイブラムスとドイツ軍の機甲師団編制、歩兵師団編制についても調べとく
ほうがいいのかもしれませんが、訳す予定の文章では独軍は部隊としては顔を出さないので
今回はなしにして置きます。
499名無し三等兵:04/02/03 17:48 ID:???
続いて師団隷下部隊名
h ttp://www.jeroenkoppes.com/ww2/units/4th%20Arm.Div.htm
機甲大隊:第8、第35、第37
機甲歩兵大隊:第10、第51、第53
機甲砲兵大隊:第22、第64、第94
第144機甲通信中隊 第25騎兵偵察大隊(機械化) 第24機甲工兵大隊
第4機甲衛生大隊 第126機甲弾薬大隊 

Singling戦闘時に師団に配属されていた部隊
第489対空砲大隊(自走化) 第86化学迫撃砲大隊A中隊 第995架橋工兵大隊
第177砲兵群( 08.11.1944-07.12.1944)
第253機甲歩兵大隊(19.11.1944-07.12.1944)
第179砲兵大隊(155mm榴弾砲装備)(23.08.1944-17.12.194)
第945砲兵大隊(155mm榴弾砲装備)(24.11.1944-05.12.1944)
第26歩兵師団第328歩兵連隊第1大隊(06.12.1944-08.12.1944)
第811駆逐戦車大隊

#砲兵群の規模は
h ttp://fifthfield.simmins.org/na.html
こちらによると、砲兵群本部+砲兵大隊3個程度でしょうか。

#戦闘の記述で大佐が9個砲兵大隊の支援を要求した話が出て来るので
配属砲兵の大隊数は重要かと思います。Singlingでの戦闘後のバストーニュ戦
では配属部隊が増えるのが目立ちます。CMHの師団史資料からの抜粋のようです。
500名無し三等兵:04/02/04 00:29 ID:???
500
501名無し三等兵:04/02/04 14:54 ID:???
>500 500レス到達しました。SBCT関連でご質問があればどうぞ。
RPGで車体正面エンジンハッチ、つまり鳥篭装甲で覆われている部分より上を攻撃された
車両が1両出ています。指大の穴が装甲に空いたが車両は行動続行、後に配管系統に損傷を発見という話です。
h ttp://www.tribnet.com/news/iraq/stryker/story/4689081p-4641404c.html
#指大の穴というのは、昨年のRPG騒ぎを思い出します。メタルジェット噴流のあける
孔は装甲にもよるのでしょうが、意外と小さいのだと思いました。
#現在はストライカーは中旅団とされているけども、どのように機能するのだろう
という話を正規戦の中での諸兵科連合の話をあちらこちらから集めてきている段階です。
本当は第9歩兵師団(自動車化)の体験談を見るほうが早いのですが、
遠回りをしています。読本「機甲戦闘armor in combat」が面白いせいでも
あります。論文を読んでいると当時の流行の概念の各兵科への導入という視点で
読み飛ばしてしまいがちで閉塞感があったのですが、これは機甲科のための読本
とはいいながらも戦闘を良く取り上げていて面白いです。

>499訂正 大佐が要求したのは6個砲兵大隊の砲撃でした。

現在、地図と引き合わせながら読んでいます。とりあえず記述に登場する人名
一覧を作成したほうが良いようです。Singlingの市街地図の家屋番号は分からなくても
行動線と家屋形状からどうにかなりそうです。問題は拙い翻訳で図抜きでどれだけ
伝えられるかにありますが。こちらは問題。読本全体でpdfファイルで17.2mbあります。
Singlingの戦闘についての部分はこのうちの29ページ。ロレーヌ地方の
軍、軍団級戦況図、ザール川以東の第4機甲師団の橋頭堡からSinglingへの掛けての地図、
Singlingへの攻撃計画図、Singling市街詳細図などがあり、Singlingの地勢理解と
建物配置は戦闘経過を追う上で欠かせないかと。
502トルエン大尉:04/02/04 16:42 ID:???
遅レスマソ

ドイツ戦車の優性は無線機にある、という定説があるが、手信号が有効というのはアメリカ軍人にしては面白い。
双眼鏡が走行中はおろか完全に停車するまで使えないとか、緩やかに止まるな、とか大変興味深いです。
503名無し三等兵:04/02/05 11:49 ID:???
SinglingのMAPについてですが、検索したらネット上にありましたので
URL貼っておきます。当方は何故かCMHを見れないのですが(汗。
h ttp://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/smallunit/smallunit-singling.htm
本文内容はざっと見た限り、機甲戦闘と同一 付図と画像はむしろ充実して
います。村の中心を通る街道上の西方から村中心広場への視界、教会などの
画像があると戦闘経過を把握するのが楽になります。
504名無し三等兵:04/02/05 15:41 ID:???
h ttp://perso.wanadoo.fr/ligne.maginot/sf_rohrbach/cartes/carte_sfroh1.htm
singling bining rohrbachの地図です。
Singlingはマジノ線の一角を構成していた村です。
マジノ線のトーチカを1944年当時、独軍が利用して防衛陣地にしていました。
このサイトはマジノ線を扱っています。Singlingの各所にあったトーチカの画像を
見ることができます。
505名無し三等兵:04/02/05 15:49 ID:???
h ttp://www.multimap.com/
こちらで周辺を確認することもできます。Singlingについては位置を
確認できるのみです。

#これで一応、等高線は入っていませんが各目標の位置関係の把握ができると
思います。
#村にホテルが無いのかも知れません。
#続いて、1944年当時の機甲歩兵小隊編制を捜索。
#独軍の編制については大隊の勢力が100名〜200名に減少という記述があるので
必要かどうか考えています。
506名無し三等兵:04/02/05 16:36 ID:???
h ttp://www.stormpages.com/garyjkennedy/toe/armoured/us_armored_rifle_company.htm
中隊本部
 中隊長 軍曹 操縦手 車上射手 ラッパ手 伝令 要員3名
整備班
 整備班長 自動車軍曹 自動車整備兵3名 武器整備兵2名
管理班
 中隊軍曹 糧食軍曹 補給軍曹 中隊事務兵 操縦手2名 調理兵6名 要員22名

対戦車小隊
小隊本部
 小隊長 小隊軍曹 操縦手 
対戦車分隊×3(57mm対戦車砲装備)
 分隊長 砲手 砲側員4名 弾薬手3名 操縦手

小銃小隊×3
小隊本部
 小隊長 小隊軍曹 小隊先導手 小銃手8名 操縦手
軽機関銃分隊
 分隊長 副分隊長 機関銃手2名 機関銃手助手2名 小銃手5名 操縦手
60mm迫撃砲分隊
 分隊長 迫撃砲手 砲手助手 弾薬手2名 小銃手2名 操縦手
小銃分隊×2
 分隊長 副分隊長 小銃手9名 操縦手

#となっています。が、12月6日の戦闘では操縦手はハーフトラックについて
集結地に残り、各小隊の戦力も定数には達していなかったのでした。
#対戦車小隊については記述で全然触れられていなかったです。迫撃砲分隊と
機関銃分隊は登場します。    
507名無し三等兵:04/02/05 19:13 ID:???
WurfGeratについてはこちら
h ttp://www.discounttrainsonline.com/DML-Military-Models-Military-scale-16-Shweres-Wurfgerat-With-Crew/itemDML-70200.html

#戦闘経過中 登場する独軍のロケット兵器です。たぶん、これと似ていたと
思います。

ついでburp gunとは
自動小銃、機関短銃の類だということが判明。
508名無し三等兵:04/02/06 12:40 ID:???
small unit actionに収録されているほうのSinglingを読み終えました。
独軍の戦力と米軍の戦力が詳しく書かれている他はほぼ同一、ところどころ
戦闘の推移が分かりやすいように記述が増えている所が有りました。
例えば、村の北側通り裏手の鉄条網の位置と意味などはそのおかげで分かりました。

#ネット上にあるおかげで登場人物一覧を揚げるのが楽になりました。
次にとりあえず挙げて見ます。戦車の装填手や砲手などは一度きりのみの
登場で、戦車長の名前だけ押さえておけば流れは分かるのですが参考までに
入れておこうかと。
#あとは、家屋番号の判読、#28、#44、#45、#14、学校、教会位が分かれば
戦闘経過はきっちり訳せるかと。現在はっきりと位置が分かるのは#11と#17と
#37、#38、#39、それから各トーチカです。特に#28がどの家屋なのかは
重要です。
509名無し三等兵:04/02/06 13:34 ID:???
まず指揮系統から機甲師団は3個機甲大隊と3個機甲歩兵大隊で編制、任務と状況に
応じ、これを戦闘司令部A、B、Rがやりとりしてそれぞれの下でTF(任務部隊)を
編成します。TFはさらにteam(戦闘団)を編成して任務に当てます。
TFAbramsでは各中隊の同文字毎に組み合わせてteamを編成していました。
12月6日当日は以下の編成をとっていたことが記述から分かります。
指揮官名が判明しない部隊と記述に登場しない部隊は省いてあります。
第35機甲大隊と第53機甲歩兵大隊についてはTFOdenに配属されていたのだと
思います。砲兵大隊が1個しか出てこないのは他は全て移動中だったと
記述にあります。
510名無し三等兵:04/02/06 13:37 ID:???

第4機甲師団 師団長 Hugh J. Gaffey少将
・戦闘司令部A Herbert L. Earnest准将
・・Oden任務部隊
・・Abrams任務部隊 Creighton W. Abrams中佐
・・・第37機甲大隊 Creighton W. Abrams中佐
・・・第51機甲歩兵大隊 Dan C. Alanis少佐
・・・team A
・・・・第37機甲大隊A中隊
・・・・第51機甲歩兵大隊A中隊
・・・team B James H. Leach大尉
・・・・第37機甲大隊B中隊 James H. Leach大尉
・・・・第51機甲歩兵大隊B中隊 Daniel M. Belden中尉
・・・・第704駆逐戦車大隊B中隊
・戦闘司令部B
・・第8機甲大隊 Albin F. Irzyk少佐
・・・第8機甲大隊C中隊 William J. Marshall中尉
・・第10機甲歩兵大隊
・・・第10機甲歩兵大隊B中隊 Robert F. Lange中尉

支援 第94機甲砲兵大隊B、C中隊

Bining攻略
第328歩兵連隊第1大隊
第37機甲連隊D中隊(軽戦車)
511名無し三等兵:04/02/06 13:58 ID:???
509訂正
まず指揮系統の人名を並べます。ついでにこれまでのおさらい。
機甲師団は3個機甲大隊と3個機甲歩兵大隊で編制、任務と状況に
応じ、これを戦闘司令部A、B、Rがやりとりしてそれぞれの下でTF(任務部隊)を
編成します。TFはさらにteam(戦闘団)を編成して任務に当てます。
TFAbramsでは各中隊の同文字毎に組み合わせてteamを編成していました。
12月6日当日の編成は記述によると以下の通りです。
指揮官名が出てこない部隊は部隊名のみの登場、全く記述に登場しない部隊は
省いてあります。省かれた部隊のうち第35機甲大隊と第53機甲歩兵大隊につい
てはTFOdenに配属されていたのだと思います。砲兵大隊が1個しか出てこない
のは他は全て移動中だったと記述されていました。

#実は装填手など乗員の名前が分かる戦車は損害を受けた車両です。
APが命中して脱出、誰々が戦死、誰々が負傷という話が丁寧に出てきます。
512名無し三等兵:04/02/06 21:22 ID:???
ここで訂正。Small unit actionがでたのが1946年でこれにSinglingが
収録されたいたことが判明。Armor in combatは1986年だから順序は逆でした。
失礼しました。
513名無し三等兵:04/02/07 08:35 ID:???
ということで指揮系統と各都市位置関係を押さえた上で戦闘の背景まで
進めてそこで人名詳細一覧を出す形にします。
ところで、closing with the enemyの冒頭にも引用されていることが判明
しました。実際の戦闘経過は混乱の極みなんですが、バイエルランの台詞
が引用されてます。また、infantry in combatの意味合いも大きいようです。

#SBCT-1はモスルと一帯の指揮を101空中強襲師団から引継ぎ。
SBCTの旅団長ではなく、フォートルイスからTFオリンピアが派遣され
その少将が指揮をとりその下にSBCT-1は入ることになります。
川に落ちて行方不明となっている米兵の捜索が続いています。ボートが
転覆した際に一名が行方不明となり、その捜索をしていたOH-58が川に墜落し
さらに一名が現在に至るまで行方不明です。
514名無し三等兵:04/02/07 09:05 ID:???
Singling (1944年12月)

 独軍精鋭教導師団長Fritz Bayerleinは1944年12月6日、Singling北方の
丘に立って、南方の開けた丘を第4機甲師団の戦車が町に正面攻撃をかけるのを
見ていた。戦後、このときを回想して職業上の関心から
”戦車に理想的な地形における素晴らしい戦車攻撃であり、ほとんど見たことのない
域に達していた”と語った。

 Bayerlein中将には超然と感嘆している余裕があった。米軍戦車が行動している
その時点では、攻撃は彼の問題ではなかった。彼の師団は、前進してくる米軍の
後方を切断せんがため南方へと進撃しようと10日間に渡り損害を被ったあげく、
第11戦車師団に救援されて撤退したばかりだった。彼自身が残っていたのは
隷下の駆逐戦車部隊に救援部隊に一時的に配属されたものがあるからだった。

#tank destroyer units 駆逐戦車か?対戦車自走砲か?突撃砲か?
h ttp://www.eliteforces.freewire.co.uk/Panzer%20Lehr/oob.html
こちらでは1944年6月時点でStuGつまり3号突撃砲がいます。
また4号戦車(lg)とはラングのことでしょう。それを証するのが
h ttp://www.achtungpanzer.com/pz10.htm
こちらによると6月時点で62両が配備されていたとあります。
従って駆逐戦車だと思います。
515名無し三等兵:04/02/07 09:21 ID:???
 Bayerleinが称賛したSingling及びBiningへの攻撃は12月3日にHugh J. Gaffey
が第4機甲師団の指揮を継承したもとでのLorraineにおける最後の行動だった。1ヶ月
近くも師団はフランス戦役で一番、困難な地形と悪天候のもとで戦闘していた。人員
と装備の損害は大変に大きかった。それは絶え間ない雨で航空支援ができず、湿地地形
により戦車は道路に制約されるか、不整地攻撃中の機動性が大幅に低下したため、
敵の準備防御の前に容易い獲物となったためである。

 Lorraine戦役を通じて師団は小規模で柔軟性のある任務部隊(通常、戦闘司令部
あたり2つ)を運用し、任務部隊はさらに小さく中隊規模の戦車か歩兵、或いは
戦車と歩兵へと分けられていた。これらの戦闘団(team)は任務部隊指揮官が主力の
前進を抑する抵抗拠点に対処したり、村を掃討したり、前進を安全ならしめる高地
を確保するといった必要に応じて編成された。この点においては、Singlingへの攻撃
は目的を達成できなかったとはいえ、戦役での典型的な戦術といえる。
516名無し三等兵:04/02/07 09:41 ID:???
 この戦闘は防御側有利の地形で、独軍が知悉し強化する時間が十分にあった場合
どんなに困難なものになるかを示している。天候に関しては、戦車乗りは皆
戦役を通してもっとも頑強で記憶に残る敵だとしているが、Singlingは例外だった。
戦闘当日は、雲が掛かってはいたが雨は降っていなかった。泥は集結段階を除いて
戦闘経過に影響がなかった。

 戦闘行動の詳細な記述で興をそそられるのは、戦場での混乱振りの描写である。
これは上級司令部にまで及んでいた。軍団では以下に記述する戦闘経過については
全く知られておらず、その日の経過は当初の計画通りだったと上級司令部では
されていた。1944年12月 071200 G-3定期報告(XII軍団)第115号では、

 第4機甲師団の戦闘司令部AはBiningへの攻撃を正午頃開始。町南方にて
第38(原文ママ)機甲大隊と第53歩兵が火力基盤を形成し、第37機甲大隊が
西方から攻撃。Bining(Q6549)の攻撃進展につれ、戦闘司令部Bha戦闘司令部A
を超越しSingling(Q6249)を攻撃。同地の抵抗は、歩兵、戦車、無数のトーチカ
内の対戦車砲、30〜40発の砲兵集中射であった。SinglingとBiningでの戦闘は
厳しいものであったが、日没時には戦闘団AはBiningとRohrbach(Q6549)に在り。
Singlingは1730時点で掃討されず(以下略)
517名無し三等兵:04/02/07 09:49 ID:???
 実際には、以下の記述の通り、戦闘司令部AはSinglingを攻撃し、戦闘司令部B
到着までに南側と東側を確保。Bining攻撃は午後遅くに開始され、行ったのは
第37機甲大隊の軽戦車中隊が支援する第328歩兵連隊の1個大隊であった。さらに
戦闘司令部Aは一部隊としてRohrbachに到達しなかった。
518名無し三等兵:04/02/07 10:24 ID:???
 攻撃の背景

 1944年12月6日の、第37機甲大隊B中隊と第51機甲歩兵大隊B中隊によるSingling
への咄嗟攻撃は、11月10日のNancy東方の集結地からドイツ国境への遅々とした困難な
第4機甲師団の前進の最北東端とであった。軍事的観点からは、Singlingはその町で
はなく、その地形が重要である。およそ50軒の石造りの家からなる農村であり、
Achen(Sarre川近郊の)から街道をBitcheとドイツ国境に向かって東へ半マイルに
位置する。簡素な四角い教会、褐色砂岩造りの学校、市場広場を囲んで、
白、赤、黄、青、ピンクに塗られたコンクリ壁で赤いタイルを葺かれた家が固まって
いる。大抵のLorraineの村々と同じく、大通りに面して厩があり肥やしが前庭に
積み上げられている。が、見かけは何の変哲もないSinglingであるが、軍事的に
はまた違う面がある。農家の壁は3フィートの厚さの鉄筋コンクリートであり、
庭塀は高くて厚く、コンクリのトーチカが町入り口東と西、北の丘と谷、南稜線
にあった。SinglingはMaginot線の内部にあり、南西から北東への稜線上の位置
が戦術的に重要であった。Maginot線の北方と東方に対する要塞計画では、
Singlingは第2線の要塞線の要であった。南方と西方に対して防御する独軍にとって
Rohrbachへの南西からの攻撃に対して理想的な強化された外哨であった。
Rohrbachは鉄道と道路の重要な中心であり、軍事駐屯地もあり、Biningは
Rohrbachへの南からの道を制していた。
519名無し三等兵:04/02/07 10:42 ID:???
 RohrbachとBinigは三方を高地に制された谷間に位置しており、戦術的には守り
難い。当時、攻撃を命じた第12軍団と、第4機甲師団の右翼である第7軍(第15軍団)
にとって町北方の高地を占領してこれらの町を制することが重要であった。
第12軍団の主要目標はSarregueminesであり、これはSarre川に面したドイツ国境の
重要都市である。RohrbachをSarrengueminesから東に走る鉄道と主街道が通過して
いる。さらには、当時第15軍団靡下部隊が攻撃していた広大な森林地帯(Foret-de-
LembergとForet-de-Montbronnを含む)から北に抜ける道路の中心でもあった。
520名無し三等兵:04/02/07 11:08 ID:???
Rohrbachを目標としてみた場合Singlingと切り離すことはできない(地図2と
地図3を参照。)Rohrbachに南から入る主街道は高地上を走るが、一連の小丘を
超えており、攻撃に適さない。他の手としてはValee d'Altkirchの稜線西側が
ある。稜線の東側はもちろん、Rohrbachへの道を制する上記の丘に対して露出する。
一方、稜線西側はSinglingから正面に直射を受けることになる。Singlingは数
フィート比高があり、稜線の曲がり鼻に位置するおかげで、稜線西側の接近経路
を南方数キロまで管制する。従って、稜線東、稜線西の経路ともに戦車が攻撃距離
に入るまでに敵観測下に入るので、不適である。が、稜線西側の経路は比較的
側射を受けないですむことから成功する可能性があると考えられた。この経路で
Biningを攻撃するにはまずSinglingを奪取するか無害化する必要がある。稜線の走行
と通過不可能なVallee d'Altkirchの氾濫地形ゆえ、攻撃部隊はSingling東に出た
のち南東に90度旋回してBiningへ入る高地へと進むことになる。Singling攻撃が
困難なのは経路が制約される事に加えて、Singling自体が北方の1200フィート稜線に
より管制されていることである。この稜線はMaginot線の主防御線である。
521名無し三等兵:04/02/07 11:27 ID:???
 任務がいかに困難かは12月5日にCreighton W. Abrams中佐指揮する第37機甲大隊
が明らかにしていた。同大隊はSchmitvillerからRimlingを限界として可能な限り
前進するよう命じられた。が、攻撃はSinglingから1000ヤードで停止した。難地形
と濃密な砲撃、及びSinglingとその一帯からの直射が原因である。泥と敵砲火に
より、中戦車14両を損失した。町南方の稜線を越えた際一斉に撃たれて5両損失し、
他は泥つく地形で擱座したところを砲撃により破壊されるか、一時的に行動不能と
なった。大隊は実質2個中戦車中隊にまで減損して、前進不可能となり、349高地
北西に再集結した。その晩(12月5日から6日にかけての晩)に、戦闘司令部Aは
師団から翌日の攻撃計画を受領。戦闘司令部BがSchmittvillerから前進して
Singlingとその東高地を奪取。戦闘司令部AのAbrams任務部隊、その主要な戦闘
部隊は第37機甲大隊、第51機甲歩兵大隊、第94砲兵大隊(105mm榴弾砲)、
第704駆逐戦車大隊(1個小隊欠)は、BiningとRohrbachを攻撃し、さらに北方の
高地を偵察。戦闘司令部AのOden任務部隊はその間にEichel川のDomfessel橋頭堡
から前進し、DehlingenとRahlingを奪取してAbramsを支援する位置につく
(地図2参照。)
522名無し三等兵:04/02/07 12:00 ID:???
#ここで地図2が入ります。
表題は「第4機甲師団 1944年12月6日の計画」等高線は25m毎(#15mかもしれない)
縮尺は1マイルが1.85cm、図の大きさは縦17.5cmで横13cm。

TFAbramsがSingling南西の349高地北西に集結し、同地点から攻撃軸を示す矢印が
Singling南方で緩く東にまがりRohrbach南のBiningを指しています。
一方、TFAbrams集結地の南西にはSchmittvillerがあり、こことさらに南西
Eichel川対岸のVoellerdingen間に戦闘司令部B部隊が存在することを示す点線在り。
CCB部隊の攻撃軸はTFAbrams集結地を貫いてSinglingに到達しています。

一方、Rohrbach〜Biningを経て南方、Eichel川へと繋がる主街道方向、
Eichel川のDomsfessel橋頭堡にOden任務部隊が集結しており、ここから北東の
Dehlingenを通過したのち、Rahlingにてこの主街道を指すように矢印が伸びています。

Valee d'Altkirchは地図ではAltkirch Valleyと表記され、Rohrbachから南に
伸びる主街道と、Abrams任務部隊集結地、 Schmittviller、CCBの攻撃軸を結ぶ線
との間を南西に向かって伸びています。

523名無し三等兵:04/02/07 13:12 ID:???
 Abrams中佐は戦闘司令部Aに最初にSinglingを攻撃することを認めるように勧めた。
戦闘司令部BはいまだにVoellerdingenとSchmittviller周辺におり、Abramsの集結地
までは抵抗を受けずに行軍できるとしても、戦闘司令部Aと並進して攻撃を開始する
時刻に間に合わないと彼には分かっていた。戦闘司令部Bが遅れるため、戦闘司令部Aは
東へ攻撃する際に側面をSinglingにさらすことになる。東への旋回を可能とするために
Abrams中佐は戦闘司令部Aに最低6個砲兵大隊の支援を要求した。(ところが、彼は
知らなかったのだが、彼が翌朝攻撃した時点で、第94を除く他の砲兵は全て行軍途上
にあった。)Abramsは攻撃目標と砲撃支援についての進言と彼の計画が受け入れられなか
った場合のBining攻撃計画とを連絡将校に戦闘司令部Aに持っていかせた。

#ここから攻撃の経過に入るので人名詳細一覧を次に貼ります。
実は所属不明の人名が幾人かあるのですけどもそれは最後に並べて置いて
判明したら訂正を入れるということで。
524名無し三等兵:04/02/07 14:49 ID:???
Taskforce Abrams
the 37th Tank Battalion, commanded by Lt. Col. Creighton W. Abrams, =equivalent two medium companies
team B
B company 14tanks one is 105 assult gun
Capt. James H. Leach
FA observer 1st Lt. Donald E. Guild
1st Platoon, commanded by 1st Lt. William F. Goble, gunner, Cpl. Therman E. Hale. driver, Tech. 5 John J. Nelsen. loader, Pvt. Joseph P. Cocchiara
Sgt. Kenneth L. Sandrock  Sgt. Robert G. Fitzgerald
Sgt. Emil Del Vecchio S/Sgt. John J. Fitzpatrick
2nd Platoon under 2d Lt. James N. Farese loader Pfc. William J. Bradley The gunner, Cpl. Hulmer C. Miller
Sgt. Joseph Hauptman's tank developed engine trouble, ran only in first gear
loader, Pfc. William J. McVicker

S/Sgt. Bernard K. Sowers Sgt. John H. Parks

3 d Platoon, under 1st Lt. Robert M. Cook loader Pvt. Charles R. McCreer
S/Sgt. Max V. Morphew's radio failed and he did not bring his tank up at all.
Sgt. Giles W. Hayward
Gunner Cpl. Angelo Ginoli bowgunner Pvt. John H. Furlow loader, Pfc. Vern L. Thomas

105-mm assault gun, commanded by Sgt. Robert G. Grimm
525名無し三等兵:04/02/07 14:50 ID:???

51st Armored Infantry Battalion Mal. Dan C. Alanis, 180 combatants
B company 57 infantrymen
1st Lt. Daniel M. Belden
Company 1st Sergeant Dellas B. Cannon
Headquarters runner Pfc. Melvin P. Flynn
Pfc. John E. Tsinetakes Pfc. Kenneth L. Bangert Pvt. Frank LeDuc
mortar sqd
S/Sgt. John W. Herring
machine gun sqd
S/Sgt. Patrick H. Dennis

#3 platoon
2d Lt. William P. Cowgill radio operator runner Pfc. John T. Stanton
#1sqd Cpl. Ralph R. Harrington Pvt. Grover C. Alexander Pvt. Joseph C. Bridges, Pvt. William M. Convery, Pfc. Frank M. O. Asplund, and Pfc. L. W. Battles
#2d Squad Sgt. John McPhail Tech. 4 Ben A. Todd

2d Lt. Theodore R. Price 
Tech/Sgt. Lovell P. Mitchell
S/Sgt. John Sayers Pvts. Rudolph Aguilar Randall S. Brownrigg
Sgt. Elmer White Cpl. Frank B. McElwee

1st Lt. Norman C. Padgett, Pvt. Lonnie G. Blevins
#2 sqd Pfc. Phillip E. Scharz Pfc. Lewis R. Dennis
526名無し三等兵:04/02/07 15:13 ID:???
Abrams任務部隊
第37機甲大隊(Creighton W. Abrams中佐) 
B戦闘団
第37機甲大隊B中隊(James H. Leach大尉)
砲兵観測員FA Donald E. Guild大尉
第1小隊(William F. Goble大尉)
小隊長車乗員 砲手 Therman E. Hale伍長 操縦手John J. Nelsen5等技術兵
装填手 Joseph P. Cocchiara2等兵
Kenneth L. Sandrock3等軍曹(車長)  Robert G. Fitzgerald3等軍曹(車長)
Emil Del Vecchio3等軍曹(車長) John J. Fitzpatrick2等軍曹(車長)

第2小隊(James N. Farese少尉)
小隊長車乗員 装填手 William J. Bradley1等兵 砲手 Hulmer C. Miller伍長
Joseph Hauptman3等軍曹(車長)Hauptman車装填手 William J. McVicker1等兵
Bernard K. Sowers2等軍曹(車長) John H. Parks3等軍曹(車長)

第3小隊(Robert M. Cook大尉)
小隊長車 装填手 Charles R. McCreer2等兵
Max V. Morphew2等軍曹(車長) 
Giles W. Hayward3等軍曹(車長)Hayward車乗員 砲手Angelo Ginoli伍長
前方機銃手John H. Furlow2等兵 装填手 Vern L. Thomas1等兵
Robert G. Grimm3等軍曹(105mm榴弾砲搭載M4車長)

#5等技術兵は伍長相当
http://www2.powercom.net/~rokats/wwii_era.html こちらを参照しました。
3等軍曹>2等軍曹>1等軍曹とそれぞれ訳した
sergent>Staff sergent>first Sergent
527名無し三等兵:04/02/07 15:39 ID:???
第51機甲歩兵大隊(Dan C. Alanis少佐)
B中隊(戦闘可能は57名)(Daniel M. Belden大尉)
中隊1等軍曹Dellas B. Cannon
中隊本部 伝令 Melvin P. Flynn1等兵 
John E. Tsinetakes1等兵  Kenneth L. Bangert1等兵  Frank LeDuc2等兵
迫撃砲分隊 John W. Herring2等軍曹
機関銃分隊 Patrick H. Dennis2等軍曹

第1小銃小隊 (Theodore R. Price少尉) 
Lovell P. Mitchell技術軍曹 John Sayers2等軍曹 Rudolph Aguilar2等兵
Randall S. Brownrigg2等兵 Elmer White3等軍曹 Frank B. McElwee伍長
第2小銃小隊(Norman C. Padgett大尉)
Lonnie G. Blevins2等兵  Genar W. Ferguson2等兵
第2分隊 Phillip E. Scharz1等兵 Lewis R. Dennis1等兵

第3小銃小隊(William P. Cowgill少尉)無線手兼伝令 John T. Stanton1等兵
第1分隊 Ralph R. Harrington伍長 Grover C. Alexander2等兵
Joseph C. Bridges2等兵 William M. Convery2等兵 Frank M. O. Asplund1等兵
L. W. Battles1等兵
第2分隊 John McPhail2等軍曹 Ben A. Todd4等技術兵(3等軍曹相当)

#さらに救援部隊の氏名が続きます。
528名無し三等兵:04/02/07 15:46 ID:???
救援
戦闘司令部B
第8機甲大隊(Albin F. Irzyk少佐)
C中隊(William J. Marshall中尉)
第1小隊(George Gray少尉)
小隊長車 砲手 Tauno H. Aro伍長
第2小隊 (Edwin J. De Rosia2等軍曹)

第10機甲歩兵大隊
S-3(作戦担当参謀)Abraham J. Baum
B中隊(Robert F. Lange中尉)(戦闘可能兵数は35名〜40名)
Robert J. Victor少尉
James W. Leach少尉

#歩兵の場合、小隊本部に属しているのか否かは大抵かかれていないので
その場合は小隊本部に続けて書きました。一応所属不明は探して解決しました。
救援の原語はreliefです。増援だとreinforceなのでこう訳して見ました。
以下本文訳に戻ります。
529名無し三等兵:04/02/07 16:56 ID:???
 計画の変更

 Dan C. Alanis少佐指揮する第51機甲歩兵大隊は12月6日0700にSchmittviller
付近の露営地を0800の躍進開始に向けて戦車と合流するために出発。計画では
B戦闘団はBining郊外まで戦車と歩兵輸送車両との交互車列で前進。が、丘の上で
すらも湿っており、ハーフトラックにへばりつくため露営地に操縦手とともに残置
して、歩兵は戦車後部上面に跨乗した。歩兵が跨乗したのは0835(Belden中尉は
時計を見て開始から遅れているのを不安に感じた)、依然として計画ではB戦闘団は
Biningを攻撃することになっていた。彼らはSinglingから3000ヤード離れた
大隊集結地の付近に、ローマ街道の西に居た。
530名無し三等兵:04/02/07 18:13 ID:???
>527 訂正 Boldenは大尉でなく中尉でした。失礼しました。
531名無し三等兵:04/02/07 18:45 ID:???
 車両縦列先頭の第37機甲大隊A中隊は1マイル北で、前日同様の濃密な砲撃と
Singlingからの猛烈な直射により停止していた。0830時に第94機甲砲兵大隊の
B、C中隊がSingling北方及び東方に煙幕集中射。隣接する6目標に131発撃ち込み
南西からの微風により煙幕はSinglingを覆ったが、敵砲火は相変わらず激しい。
こののち、1時間程度、車両縦列は前進しようともしなかった。第37機甲大隊A中隊
は目標は殆ど見えなかったが町に射撃。同大隊B中隊は大遠距離から臨機目標に
向けて射撃するも、効果は不明。B中隊はSinglingの西と東の果樹園に戦車2両、
町中央から射撃する砲を発見。この町中央の砲は自走砲であり、攻撃中の中隊に
とって、日中の過半は懸念の的となった。
532名無し三等兵:04/02/07 18:58 ID:???
#ここで地図3入ります。表題は
「Singling攻撃 Abrams任務部隊 1944年12月6日」
図の内容

前図の集結地からAbrams任務部隊の0830〜1015間の位置が点線で描かれた
ローマ街道沿いにあり、そこから
第37機甲大隊A中隊はSingling〜Rohrbach間の街道方向へ攻撃
B戦闘団はSinglingを南方から攻撃

第37機甲大隊の突撃砲小隊はSingling西方の346高地にて支援
第37機甲大隊D中隊(#軽戦車中隊)と名称不明機甲歩兵大隊(一部欠)が車列
後方に位置し待機
戦闘司令部BはSchmittvillerに位置

敵位置はBining北西高地に対戦車中隊1個 Singling北方丘に機甲擲弾兵大隊
(名称は読み取れず) 
 この他、Welschoff FarmがSingling北方丘のさらに北に見えます。

Oden任務部隊については何も書かれていないです。
533名無し三等兵:04/02/07 19:22 ID:???
 敵砲は火力戦闘によって無害化できぬと結論し、Abrams中佐は自身の主導により
各1個戦車中隊と歩兵中隊で町を攻撃し確保し、その間にAbrams任務部隊の残りが
東に旋回してBiningへ向かうことにした。Abramsは町奪取の任務を戦闘団Bに
与えた(地図3参照)、戦闘団Bに詳細な計画を作成する時間はなかった。

 Leach大尉は攻撃命令を与えられ、Belden中尉に伝えたが、歩兵は各車両に
分かれて跨乗しており、Belden中尉は小隊長にすら命令を伝達できなかった。
(小隊長の一人は夜になってもBiningに居ると思っていた。戦車長はBiningだと
思い込んでいたのでSingling北方のWelschoff農場をBiningの兵舎だと考えて
いた。) Leach大尉はJames N. Farese少尉の第2小隊を左に、William F. Goble
中尉の第1小隊を右に、Robert M. Cook中尉の第3小隊を支援として展開させた。
指揮戦車は第1小隊と第2小隊の間、第3小隊の前を動く。第2小隊の戦車は歩兵を
載せておらず、残り11両が歩兵を跨乗させていた。(第1小隊が5両、第3小隊が4両、
それに指揮戦車と砲兵観測員車である。)歩兵小隊は広く散開することになった。
第2小隊11名は4両の戦車に跨乗した。1015時の攻撃前に、第94砲兵大隊が107発の
HE(高性能榴弾)をSinglingに射撃、うち3発は時限信管、残りは着発信管だった。
第37機甲大隊の突撃砲は煙幕展開任務を引き受け、戦車が目標に到達するまで
町北方を射撃し続けた。大隊A中隊は東に転じ、一日中、Singling=Bining間道路と
その先を射撃し続けた。駆逐戦車1個小隊が、攻撃を支援する位置についたが、
敵の濃密な砲撃により後退を強いられてほとんど有効な射撃はできなかった。
駆逐戦車大隊の他の小隊は集結地に残り、翌日Biningに入った。

#戦車中隊の小隊長の階級を誤っていました。GobleもCookも大尉でなく
中尉が正しいです。失礼しました。
534名無し三等兵:04/02/07 20:07 ID:???
 B中隊は砲兵準備射撃に膚接するように迅速に前進し、走行しつつ射撃した。
計画の隊形はすぐに崩れた。第2小隊のJoseph Hauptman3等軍曹車はエンジンが
故障し、一速でしか走れなくなり落伍した。第3小隊のMax V. Morphew2等軍曹車
は無線が故障して車長は思い通りに走らせることができなくなった。第3小隊の
残り3両は、先導車両が危険となるほど射撃をして、第1小隊と第2小隊の車両が固まり、
ついには射撃を停止するよう命じられた。戦車乗りが見る限り、反撃の射撃はなかった。
中隊が町に近づくと、第1小隊は東に、第2小隊は西にそれぞれ旋回した。第3小隊は
その間に入り、横一線となった。Singlingの町に少々足りぬ約600ヤードから700ヤード
の長さで13両が並び前進していく形になった。Fares少尉の戦車だけが突出していた。
Bernard K. Sowers2等軍曹車とJohn H. Parks3等軍曹車を50ヤードほど間をあけて
先導し、Fares少尉車はSingling南方の丘端を移動し、左に転じて果樹園に入った。
(地図4参照 #記事末尾の市街建物配置図のこと)。農家の石壁のすぐ南にある
隆起にFares車があがったとき、徹甲弾3発が命中し、直後炎上した。Fares少尉と
装填手William J. Bradley1等兵は戦死。砲手ulmer C. Muller伍長は軽傷。
他の乗員は脱出した。SowersとParksはこれをみて戦車を後退させ、隆起の背後の
窪地に入れてHauptmanに追従しないように無線で伝えた。
535名無し三等兵:04/02/07 20:26 ID:???
#ここで市街地建物配置図を説明します。
まずAachenとRohrbachを結ぶ街道が東西に通っています。この街道は村の中心の
市場広場に西側から入るあたりで南に向かって緩やかにうねります。このうねり
はじめるあたりに家屋#28が街道北側、その向かいに路地を隔てて学校があります。
学校も街道北側です。この東西方向を走る街道と南北方向から合流する枝道沿いに
農家の建物が並んでいます。うち南東からうねりながら市場広場に入る道沿い、
同じく市場広場に北東から入る道沿い、市場広場西入り口、#28と学校を
隔てる道沿い、そして主街道沿いがそうです。建物の数は全部で50軒ほどです。
#39は主街道沿い最東端の農家です。#15、#16、#17は主街道南側、村の西端
まで並ぶ建物です。#11は村に南から入る道を#不明とともに跨ぐように建てられて
おり、この建物を北に潜ると#12や#9、#10に囲まれた塀のある庭園に入ります。
市街地南側は果樹園が複数拡がっています。
536名無し三等兵:04/02/07 22:31 ID:???
#535続き そしてSinglingはマジノ線要塞の第2線防御の要地だったそうで
トーチカが複数あります。
 まず、東西を通る主街道、村の西端から離れた街道沿いに2個。1個は
対戦車砲用で、もう1個は機関銃用で街道に南から張り出しています。
 ついで主街道の北側、市場広場の曲がり鼻に北側からくる枝道、これは
村に向かって坂を登っていく道ですがここにも1個トーチカがあります。
 そして、南からうねりつつ市場広場に入る道、ここも建物が並び始めて
2軒目を過ぎたあたり、道から少し南側に引っ込んだところにももう一つ。

この他、すでに本文中に書かれていますが、村の建物は頑丈なものが多く
戦車砲の直撃には堪えられないとしても榴弾砲の砲撃には耐えられる構造のものが
ありました。各小隊が村にしがみ付くのにこのような建物に籠もるという手を
使います。
537トルエン大尉:04/02/07 23:01 ID:???
>>536

乙です(w

やはりこうゆう拠点の歩兵(戦車も)が篭ると掃討にはやっかいですね。
今日、COMMANDマガジン(SLG誌)95年4号にシングリンの戦闘が載っているのを見つけました。
あわせて読んでみようと思います。
538名無し三等兵:04/02/07 23:03 ID:???
#本文に戻ります

 Fares少尉車に命中した砲弾を撃ったのは石造りの納屋脇にいた5号戦車か、
同じ方向にいた牽引式75mm対戦車砲であろう。いずれにせよ、Fares少尉が飛び
込んだのは敵の戦車と防御掩体の巣であった、完璧な防御陣地であり、敵は
効果的に用い、戦闘団Bは一日中、戦闘し、策を講じたが全く成功しなかった。

 村の建て込んでいるあたりから75ヤードほど、主街道のすぐ南に大きな2階建て
の石造りの家と石造りの納屋とMaginot線のトーチカが2つある。一つは大きな
天蓋のあるトーチカで、北に向いて対戦車砲を据えるために造られたもので、これは納屋の
西にあった。北東と南東へそれぞれコンクリの側壁を伸ばして南西に向いた
対戦車砲に良好な射界を与えていた。牽引式対戦車砲はここに据えられていたの
だろう。このトーチカから南東への果樹園は茂みが薄く、丘の傾斜もなだらかであり、
この方向から攻撃してくる戦車の砲塔はトーチカから150ヤードのところで露出する。
 
 もう一方のトーチカはこれと比べると大変小振りで、主街道を制する機銃座と
して設計されたのだろう。道に張り出しており、その東の農場の建物の高い壁と
一緒になって、トーチカ背後に位置する戦車を広場方向から掩蔽する。主街道は
広いS字カーブを描いており、南方から街中心部に入ってくる攻撃部隊は、道路
南側にいる砲を見ることできない。その一方でその砲は主広場までの通りの全長
にわたり制することが出来る。
539名無し三等兵:04/02/07 23:57 ID:???
 この地域には少なくとも5号戦車3両、自走砲2両、牽引式対戦車砲1門、機関銃1丁
(ドイツの.42口径か、或いは米国の.50口径)、直接攻撃や包囲を阻止し、
日中は主街道を横切ったり、通ったりするあらゆる移動、街南方、及び南東方へと
思いのままに撃つことができた。Sowers2等軍曹とParks3等軍曹は斜面をあがり、
無線アンテナを覘かせただけで徹甲弾射撃を受けると分かった。

#独軍の.42口径の機関銃? MG42は7.92mmですから.31口径といったところ。
MG34も口径は同じです。これはSmall Unit Actionでも.42口径と書かれています。
質問スレで伺ってきます。

>537 コマンドマガジンは日本語版なら持っているかも。気付きませんでした。
情報有難う御座います。ついでにgを読まないのも知りませんでした。仏語辞書は
ネット上にもあるので確認を怠っていたというかそのような使い方を考えてなかったです。
歩兵は比較的、砲迫を受けて負傷するほかはどうにかなるのですが、戦車が
散々な目にあいます。北側高地から村の中を見下ろせるし、村西側からは
主街道沿いに射線が通るので、主街道に出ることができません。
また、歩兵が横切る度に機銃射撃をし、活動が活発になると砲撃を建物に加えたりします。
540トルエン大尉:04/02/08 00:04 ID:???
>>539
>コマンドマガジンは日本語版なら持っているかも。
を。そうでしたか(w
読んでいて、なんか見たことある状況だなーとデジャブ感があったので(^^;
541名無し三等兵:04/02/08 00:11 ID:???
 暫くの間、敵の防御する戦車の巣窟の戦力に思いが至ったのはParks3等軍曹と
Sowers2等軍曹のみだった。戦車1両と砲1門しか見なかったが、前進不可能である
ことは分かっていた。勿論、Leach大尉(#第37機甲大隊B中隊長)にFarese少尉車
が撃破されたことは報告したが、Leach大尉はより差し迫った問題に掛かりきり
だった。彼の目前50ヤードのところに自走砲(SP)が居たのだ。

#今日はここまで。あと19Pあります。次は「歩兵攻撃」
同時に複数の出来事が生起するので、記述はあちらこちら舞台を変えますし
時系列を戻ることもあります。
542名無し三等兵:04/02/08 00:16 ID:???
#ドイツ側からしたら、街に米兵が流れ込み、西側からの反攻は多数の戦車により
困難。東側は主街道上から北の谷を見下ろす形になり、ここを突撃するのも困難。
街中の歩兵部隊は戦わずに降伏するので、歩兵の援護が得られない。という状態
になるかなと。歩兵の圧力が増大する中、夕暮れまでよく踏みとどまったとも
言えるかなと思います。
543名無し三等兵:04/02/08 09:06 ID:???
 歩兵攻撃

 歩兵を跨乗させた戦車小隊2個がSinglingの南の生垣に到達すると、戦車は
歩兵が降車できるよう速度を落とした。Belden中尉は小隊長達に先駆けて降車した。
最初に彼のところに来たのは、William P. Cowgill少尉だった。彼の小隊は
たまたま比較的近い同士の戦車に跨乗していたのである。Belden中尉はCowgill少尉
に、最初の3軒は無視して街に入って左側を奪取するよう命じた。Theodore R. Price
少尉は街右側を奪取するよう命じられた。Norman C. Padgett中尉には、”Cowgillに
続け”と命じた。後になってPadgett中尉は”私は支援だった”と淡々と語っている。
これが計画だった。指揮官も兵も、街のことも敵のことも全然知らなかった。彼らは
状況に応じて仕事を分割することで、家々を掃討するつもりだった。小隊長全員と
かなりの割合の兵は新しく来たばかりの補充だったが、全員戦闘経験があり、市街地で
戦闘したこともあった。
544名無し三等兵:04/02/08 10:49 ID:???
 減損した戦力(150名〜200名)であることを考えると、敵大隊は装備良好だった。
Singlingで接触した3個中隊は牽引式75mm対戦車砲1門、81mm迫撃砲少なくとも5門、
軽機関銃8丁〜10丁、重機関銃1丁、20mm対空砲3門、Wurfgerat、鉄枠に支持された
木枠から200ポンド、36インチのロケット弾2発を同時に発射する簡易ロケットランチャー
を装備していた。
545名無し三等兵:04/02/08 10:59 ID:???
 敵の防御計画でSinglingとBiningが比較的重要であったことは、Singlingを
戦車と砲兵の支援を受けた1個大隊が確保し、Biningには第11戦車師団第61対戦車
大隊第1中隊が守備していたことでもわかる。同中隊は4号戦車車体に旧式の75mm
対戦車砲を搭載したものを8両装備していた。捕虜の証言によると600ヤードを超える
とシャーマン戦車の正面を貫徹できなかった。Bining付近には、正確な位置は分から
ないが、第111機甲擲弾兵連隊第2大隊の1個、或いは2個中隊が位置していたが、同連隊
の第1大隊はその存在を知らなかった。この地域には恐らくは戦車中隊が最低1個いたが
どの部隊かは不明である。付け加えると、敵は補充大隊B(Marsch Battal'on B)
、250名ほどの老齢、不具その他の人員かならなる防御構築用の大隊も運用していた。
546名無し三等兵:04/02/08 11:24 ID:???
#ここでSmall unit actionsにのみ出て来る記述を入れておきます。

彼らが攻撃する相手は第111機甲擲弾兵大隊第大隊の全4個中隊(第11戦車師団
の機甲歩兵部隊)であり、戦力は攻撃する米国歩兵部隊の3倍から4倍。
名称不明部隊の”戦車”(恐らくは自走砲)、第11戦車師団固有の
第113砲兵大隊の5個中隊 (各中隊は105mm榴弾砲を3〜4門装備)、
第208国民砲兵軍団(Volks Artillery Corps)の少なくとも5個砲兵大隊
(75mm〜210mmの様々な口径の砲を装備)に支援されていた。
3日前、第111機甲擲弾兵連隊第1大隊本部はSinglingに在り、中隊は
Hinsingen近郊に展開していた。 12月4日、中隊はSarralbeを経由して
Voellerdingenへ移動。そこで第4機甲師団戦闘司令部Bと戦闘し、その日か
晩には明らかに撤退してSingling付近に入った。撤退後の当初の任務は
Oermingen攻撃であったが、Singling防衛に変更された。

#これが544の前に入っています。
547名無し三等兵:04/02/08 11:33 ID:???
 戦闘団Bが対決する敵はこのように強力でとりわけ重火器において装備が
攻撃側よりも優越していた。一方では、戦闘開始前に、士官から”米国陸軍
で最も優秀な師団の一つ”である第4機甲師団と対敵していると告げられていた
部隊もあった。この日、敵はこの事実を身をもって知る機会を与えられたの
だった。
548名無し三等兵:04/02/08 11:59 ID:???
 Cowgill少尉(歩兵第3小隊長)はJohn T. Stanton1等兵、無線手だがこの日は
伝令をこなしていた、とともに小隊の先頭で街に入った。中心広場に近づいたとき、
家屋#44の脇に敵自走砲が停車しているのが見えた。
(# 家屋#44は市場広場に南からうねりつつ入る道と東からの主街道に挟まれた
先端に位置し、市場広場に角を向けて面している)#44は砲撃で炎上しており、
広場は濃い煙で見えなかった。Cowgillは振り返り、戦車に追随するなと警告を叫んだ。
Padgett中尉(#一覧表>>527 大尉でなく中尉です 訂正します)は彼の第1分隊の2名
とともに付近にいた。彼は自分の小隊の集結を待つ必要はなかった。彼らはPadgett
を見ていて、降車したら後続するように訓練されていた。訓練どおりに彼らは振舞ったが
第2分隊は他で掃討をしており(この先に記述あり)午前中ほとんどを費やしていた。
Cowgill少尉が警告を発すると、Leach大尉(>>526 GobleとCookは中尉です)が
降車して、通りを自車の前で進んできた。自走砲はこの時点で明らかに気付いて
おらず、車長の頭が砲塔から見えた。Padgett中尉、Leach大尉、Cowgill少尉と
兵2名は砲塔内に引っ込ませるために射撃し始めた。すると、自走砲は動き、
西に車体をめぐらす前に、通りを教会へと後退した。その間に、さらに歩兵が南
からやってきた。Belden中尉が近づいた頃には、通りは一杯だった。立腹して
Belden中尉は散開して両側の家に入れと叫んだ。Belden中尉の叫びは機銃の連射
ほどには利き目がなかった。彼が叫んだ直後、自走砲が機銃を撃ったのだ。第3小隊
(Cowgill少尉)の第1分隊は、最初の半時間程度はともに行動していたのだが、
Ralph R. Harrington伍長の指揮のもと、通り西側の家にもぐりこんだ。John McPhaii
3等軍曹指揮する第2分隊は通りの東家屋#45に飛び込み、通りはほぼ空になった。

(#45 #44に隣接 南隣り)


549名無し三等兵:04/02/08 12:27 ID:???
 Belden中尉には自走砲は見えていなかった。彼は兵士を止めて前方で何が
起きているのか聞いた。返事は”機関銃”だった。”もし機関銃巣があるなら、”と
Belden中尉、”戦車をもってこよう。”摩訶不思議にこの話が後方へと伝わり、
”もし”の部分が落ちてしまい、第1小隊のKenneth L. Sandrock3等軍曹車が
敵機関銃巣を掃討するよう命じられた。Sandrock車は街東の果樹園に乗り入れて
いた第1小隊から西に移動して、教会の尖塔が敵観測所であるかもしれぬとので
乱射し、街へ南から入る通りを進んだが機銃巣は見つからなかった。それから
Leach大尉(37機甲大隊B中隊長)に会い、Sandeock3等軍曹は家屋#6の背後に
戦車を入れた。この日はこののち、第1小隊から離れたままとなった。

(#6は#44の通りを隔てた向かい、南側から市場広場にうねりながら入る道
西側に位置する)
550名無し三等兵:04/02/08 14:16 ID:???
 その間、敵自走砲は広場で方向転換を終えて主街道を西へと向かった。Leach大尉は
トミーガンを自走砲めがけて撃ち続けた。このため、自車の射線を塞いでしまい
自走砲は逃げてしまった。Leach大尉は追おうとはしなかった。Farese少尉車
(第2小隊)を撃破した戦車の報告を受けていたので、第3小隊を街西を通らせて
側面から逃げる自走砲を捉えることにした。そこで、自車を家屋#6と#7の間に
後ろから入れて、西側から広場を制することにした。
(# #7は#44と通りを隔てた向かい、#6の北隣で、主街道と南から入る道
とのなす角にあります)そしてCook中尉(第3小隊長)を呼んだ。Cook中尉の部隊の
戦車3両、Cook中尉車、Giles W. Hayward3等軍曹車、Robert G. Grim3等軍曹の
105mm突撃砲は、南から街に入る道2本の間を進んでいるところだった。正面には
大きな農場の建物(家屋#11)が炎上しており、煙の為北への視界は数フィートだった。
Cook中尉は燃えあがっている農場の建物の右側に小隊各車を先導してゆき、敵自走砲
を追うために主街道へ近道しようとした。彼らが近づいていく間に、Cook中尉車の装填手
Charles R. McCreer2等兵は、Farese少尉車が左手の果樹園の中で撃たれたのを見た。
彼はCook注意に報告したかもしれないし、Cook中尉自身も見たと思ったのかもしれない。
が、いずれにせよ、CookはFarese少尉車が撃破されたのを知らないまま、左翼の敵戦車
の存在を考慮せずに行動していたのである。彼は燃えている農場の建物(家屋#11)の
角とその北隣の家屋#9との間に戦車を入れた。この2軒の間には、煙のせいで見えなかった
が、低い石壁が巡り、#11の正面に広がる壁に囲まれた庭園へと2フィートばかり落ち込
んでいた。この見えない壁に45度で衝突してCook中尉車は危なっかしく左履帯のみでかしぎ
、暫し、転覆しかねなかったが、重い音をたてて元に戻った。Grim3等軍曹車とHayward3等
軍曹車は、先頭のCook中尉車が土手を壊してくれたおかげで難なく後に続いた。
551名無し三等兵:04/02/08 14:32 ID:???
 3両が入った庭園は北と西をコンクリ塀で囲まれており、塀の北西角は6フィートの高さ、
他は4フィートの高さだった。塀で囲まれていても、煙から出たあとでは、稜線に突然身を
さらけだしたかのように乗員は感じた。というのも、土地が北方向へ数百ヤードにわたって
傾斜しているため、北方向からは塀は遮る役目を果たしていなかったからである。
主街道を隔てた向こうは、2つの低い石塀に囲まれた小庭があり、谷間へと未舗装の
小道が下りていた。本来はCook中尉はここに留まるつもりはなかった。彼はどこか
左手にいる自走砲をとらえようとなおも考えており、主街道をよぎってから西へと
進もうと段取りしていた。Cook中尉はその自走砲の砲が今や通りを制しており、
もしCowgill少尉がおりよく現れて警告しなかったら遅きに失するところであった。
552名無し三等兵:04/02/08 14:55 ID:???
 Cowgill少尉の小隊は自走砲が広場から逃走してすぐに街西側へと動き始めた。
Cowgill少尉と第1分隊の兵2名(Harrington伍長とGrover C. Alexander2等兵)
は主街道南側を進んだ。(第1分隊の他4名は家屋#7付近に残り、後に街北で
別の任務を遂行することになる。)Cowgill少尉、Harrington伍長、Alexsander
2等兵は家屋#10まで進み、そこから主街道を西200ヤードのところで道の両側に
自走砲が1両ずついるのが見えた。(#家屋#10は551の庭園の東側の建物、
主街道の南側に連なる建物です)そして、Cowgill少尉が家屋#10を回り、Cook
中尉の小隊各車が入り込んだ庭園へと入った。少尉はCook中尉に気付いて、
”ドイツ人の戦車が西3軒先の建物陰にいます”と知らせた。Cook中尉は、
戦車は主街道北側に見える家の裏にいるのだと思い、自車とGrimm3等軍曹の
105mmで主街道に面した塀の角を撃ち崩させた。この射撃に恐らく敵は苛立ち
打ち返してきた。75mm砲弾1発がCowgill少尉の立っていたところから遠くな
い#10の北西隅に着弾した。Cook中尉は降車してCowgill少尉とともに砲撃を
受けた建物の東側へと回って歩いていった。
553名無し三等兵:04/02/08 15:27 ID:???
 一方、Cowgill少尉小隊の第2分隊はMcPhail2等軍曹の下、自走砲の機銃射撃で
追い込まれた家屋#45から移動していた。家屋#45には敵がいないことを確かめた上で
主街道をよぎり、家屋#28へと入った。これは奇麗な背の低い石造りの家で道からは
引っ込んでおり、鉄柵が上に巡られた2フィートの高さの塀に囲まれている。
#28で、McPail2等軍曹と部下は地下室に市民12名が隠れているのを発見した。
彼らを数分間身体検査した後、分隊は主街道北側の掃討を続ける為家を出た。
McPail2等軍曹とBen A. Todd4等技術兵は正面玄関から出て、学校へと駆け出した。
3人目が続こうとしたが、機銃弾が前庭に撃ち撒かれたので家に引き返した。これ以後
この日中、#28は西の敵戦車の直射下となった。Cowgill少尉は主街道の反対側に
立っており、McPhail2等軍曹に敵の自走砲が見えるかと大声で聞いた。McPhailから
は見えた。Cowgill少尉は射撃するように命じた。Cook中尉は自走砲の正確な位置が
分かり、戦車に戻って#9と#10の間の路地に後ろから乗り入れた。ぎりぎり通れる
位の狭さだった。Cook中尉はGrimm3等軍曹とHayward3等軍曹に自走砲のことを伝え、
Grimmに必要な場合には庭からでられるかどうか聞いた。Grimm3等軍曹はできると
答えた。Cook中尉はそれから、Leach大尉を呼んで南西から敵砲を攻撃するよう戦車を
送れないかと伺った。Leach大尉は第2小隊のSowersに炎上している農家(#11)を
通リ抜けて、自走砲を攻撃するよう命じた。Sowers2等軍曹は取り掛かったが
数ヤードしか進めなかった。塀を抜けて西への門から戦車の鼻先を覘かせるなり、
撃たれた。前進は不可能と結論してSowersは果樹園に戻った。
554名無し三等兵:04/02/08 15:44 ID:???
 敵への対応はこれまでのところ、街の造りも敵配置も不明のままに行われていた。
そこで、Cowgill少尉はこれを解決すべく、Cook中尉が戦車を動かしている間に
2名の部下と西へと家々を通って冒険に出た。

 その頃、McPhail2等軍曹とTodd4等技術兵は、自走砲に数発撃ったあとで
さらに良い目標、北の谷間にいる敵歩兵を見つけた。この敵歩兵には他に2組の
街にいる歩兵も注意を注いでいた。Cowgill少尉小隊の第1分隊(Joseph C. Bridges
2等兵、William M. Convery2等兵、Frank M. O. Asplund1等兵、L. W. Battles
1等兵)は分隊長Harrington伍長がCowgill少尉についていったとき、広場に残った。
彼らは谷間のトーチカ近くに15名〜18名のドイツ兵を発見した。第1分隊は主街道を
よぎり、#28の庭に射撃陣地を占め、ドイツ人の中に撃ち込んだ。ドイツ人が散開する
までに2人に命中したと思われた。主街道の反対側の教会脇で将校が停止するよう命じる
まで第1分隊は撃ち続けた。
555名無し三等兵:04/02/08 16:07 ID:???
 その将校は第1小隊長のPrice少尉だった。第1小隊はSinglingの南の小さな
トーチカ2つで無抵抗のドイツ兵11名の武装解除に時間をとられ街に最後に
入った。Price少尉の任務は街東側を占領することだったが、着いてみると
Padgett中尉の部隊(第2小隊)が既に街の東側家並みを進んでいた。Cowgill少尉
の部隊は西側に居た。Price少尉は北側に行く事に決めた。Lovell P. Mithcell
技術軍曹と4名が広場南西の家々を掃討し、John Sayers2等軍曹と6名が家屋#35
を占領した。Price少尉は小隊の残りと主街道を横切り、教会の裏に入り、教会と
#35との間の舗装された路地を進んだ。Rudolph Aguilar2等兵とRandall S
Brownrigg2等兵を北東隅にその方向からに備えて配置して、Price少尉と4名の兵
は路地を教会の北側へと回った。角で既に第3小隊の兵が発見した、トーチカの周り
のドイツ兵が見えた。北西のどこかから連射してきた。Singlingの北への傾斜は急
だったのでPrice少尉の部隊は#28の先の家々の屋根越しに撃ち返すことができた。

# #35は恐らくは、主街道を広場から東に進んで1軒過ぎた北側の家。
教会は恐らくは、町広場北側、#44と主街道をはさんで北側の建物
556名無し三等兵:04/02/08 18:16 ID:???
 この援護のもとでPrice少尉とElmer White3等軍曹は街中心から北東に
伸びる家並みの背後の谷間へと進もうとした。が、出だしから家屋#34と家屋#35
との隅を繋ぐ鉄線が厳重に裏道を塞いでおり、阻まれてしまった。少なくとも高さは
6フィートあり、よじ登ると敵に姿を晒しすぎることになる。切断する必要があった。
小隊のワイヤーカッターは、2日前に後送された兵に預っていたのが、カッターも
持っていってしまっていた。White3等軍曹は#34にワイヤーを切れる道具を探しに入
った。Whiteが中にいるうちに、谷間のドイツ兵は降伏するつもりになった。
彼らが降伏する気になったのは、Pirce少尉小隊と第3小隊の4名の兵の絶え間ない小火
器射撃ばかりでなく、Cook中尉の小隊の戦車の榴弾射撃と機銃も原因だった。
Grimm3等軍曹車は数百ヤード先の一人で居たドイツ兵に30口径を100発ほど撃ち、
殺害した。数分後、Grimmはドイツ兵6名が躍り出して谷間のトーチカに駆け込む
のが見えた。彼自身の言葉によると、”榴弾で彼らのドアをしめてやった”。
Cook中尉小隊の全3両は北1200ヤードの稜線に散発的に榴弾を撃った。特定の目標
と交戦するためというより、ドイツ戦車が現れそうな稜線への距離を知っておくため
だった。ともかく、その結果として、敵の方向に大量に射撃することになり、
ほどなくして、Price少尉はトーチカで白布が振られているのを目にした。そこで
彼は主街道の向かいの兵に射撃を停止するよう命じた。12名のドイツ兵が丘を登って
きて、Price少尉に降伏した。いくらか英語を話せる一人が降伏したがっているが
怯えて出てこれないドイツ兵が谷間に5名居ると伝えた。ドイツ兵が武装解除された
あとで、Price少尉は一人を戦友を呼び集めに丘下にやった。
557名無し三等兵:04/02/08 19:31 ID:???
554訂正
主街道の反対側の教会脇で→通りの向こう側の教会脇で

#教会の位置を違って考えていたので誤りました。訂正します。
#原文では一々、通りと主街道を区別していないのですが、訳する時は
位置関係と、特に西から自走砲に撃たれる可能性のある通りであることを
考えて、区別して訳しています。
558名無し三等兵:04/02/08 20:15 ID:???
 そのとき、敵迫砲撃の斉射が広場にあった。一発が家屋#34に命中し、中にいた
White3等軍曹は弾片と飛び散った木片で頭部に負傷した。屋外にいた第2小隊の
Sayers2等軍曹とRandell S. Browrigg2等兵、家屋#43にいたFrank B. McElwee伍長
は軽傷。Price少尉と部下は路地から身をかがめて戻り、広場に面した家々を占領
しはじめた。彼らはそので一日中過ごすことになる。Price少尉は敵が北へ連なる
家並みを確保していると信じていたが、攻撃しないことに決めた。理由は側翼の
小隊との接触が北に前進すると失われるためである。軍使として送り出したドイツ兵
と5人の捕虜志願者は現れもしなかった。第1小隊が捕虜としたままだった11名は
道を南へと送られた。彼らが出発しようという時、さらに2名が丘を学校目指して
登ってきて、McPhail2等軍曹とTodd4等技術兵に降伏した。McPhailは2名を
広場を渡って南への通りまで護衛していった。そこで、Price小隊の捕虜11名が
通りを歩いているのを見て、2名に彼らに合流するよう身振りで指示してMcPhail
は学校に戻った。McPhailとToddは2階にあがり、谷間の敵を撃つ仕事を再開した。
Cowgill小隊の第1分隊の4名はトーチカにいきある物は何でもとることに決めた。ドイツ兵がまだ
中にいるかもしれなかった。が、一人も居らず、変わりにWelschoff農場の方向から
機銃射撃を受けた。Battle1等兵が脚に負傷して分隊はその場に数時間に渡って
釘付けとなった。


#Frank B. McElwee伍長の所属は不明 #43は#45の東隣なのでPrice小隊か
本部つきの小隊のどれかだと思われる。
559名無し三等兵:04/02/08 20:38 ID:???
 街の東からPadgett中尉(第2歩兵小隊)も谷間の敵歩兵を見ていたが、それより
も懸念事を2つ抱えていた。一つはWelschoff農場の西800ヤードから撃ってくる
ロケットランチャー(Wurfgerat)で、もう一つは北東稜線上の敵戦車7両だった。
Padgett中尉は家屋#39(#街の東端、主街道の北側に面している)におり、中尉は
西側に並ぶ3軒の小さな家を難なく抜けて第1分隊とともにここに来た。これらの家
には怯えた市民が数人いるだけで、彼らは集められて#39に入れられた。家屋39は
良い家だった。外見には普通の農場の建物だったが、実のところは鉄枠入りの3フィ
ートの厚さの鉄筋コンクリ壁の要塞だった。それでもPadgett中尉は不安だった。
砲撃とWurfgeraet(どっちにしろ手前に着弾していると判断した)からは守られて
いるが、敵戦車には大して役には立たないからだった。家よりも頼もしかった
のは第1戦車小隊(Goble中尉)4両が#39と主街道を挟んだ果樹園にPadgett中尉が
#39に入ったのと同時に来たことだった。敵装甲部隊は、脅威ではあったが、
直接行動には遠すぎた。Padgett中尉は伝令を出してBolden中尉に状況を報告させ
また、第2分隊を連れてくるように命じた。伝令がPadgett中尉にとり時間内に
帰ってこなかったので、中尉はLonnie G. Blevins2等兵を同じ任務に送り出した。
ことだった。
560名無し三等兵:04/02/08 20:56 ID:???
 Blevins2等兵は、家屋#3、街に入ったBolden中尉(歩兵中隊長)が
中隊指揮所を最初に設置した家屋になおも中隊指揮所があると考えて伝令に
出た。ところが、Bolden中尉は家屋#3には30分と留まらず、無線を設置して
第51機甲歩兵大隊に街にいることを報告するだけしかいなかった。Bolden中尉
はそれから家屋#28に移動した。Blevins2等兵は#44に着き、そこでPrice小隊
の兵にあって、敵の砲が西から射界に収めているので広場を横切らないように
と教えられた。Blevinsは#44の後ろを回り、通りを南へ#3へと向かった。
#3には誰も居らず、通りの西側を戻り#5まで来た。戦車乗員が一人、第1小隊
のSandrock3等軍曹車か砲兵観測員車の、が呼び止めて戦車に近寄ってきて
降伏したドイツ兵を頼まれた。#7でBlevinsと捕虜はBattles1等兵に会った。
彼はまだ谷間のトーチカに向かう前だった。Battles1等兵が捕虜を見ている
間にBlevinsが機銃集束弾の中を主街道を#28へダッシュした。数分後
Blevinsが戸口に再び姿を見せて、Battlesに捕虜を送ってよこすよう身振りで
示した。任務の半分を達成して、Blevins2等兵は第2分隊を見つけなければ
ならなかった。偶然にも彼は#44の付近で彼らに会う事が出来、指揮をとって
いたPhillip E. Scharz1等兵に伝言を伝えた。
561名無し三等兵:04/02/08 21:16 ID:???
 Scharzの分隊はこの日で最も目覚しい成果をやすやすとあげてきたところだった。
他の歩兵は#2と#3の間を通り迂回した街の最南の建物を調べていると、仏人を
見つけた。ドイツ兵が中にいないかと訊くと、仏人は首を振ったが、分隊の一人が
地下室の窓から無線アンテナが伸びているのが怪しいのに気付いた。分隊の4名が
家を包囲し、Scharz1等兵とLewis R. Dennis1等兵が中に入った。地下室には
28名のドイツ兵と2名のドイツ将校が居た。一人として抵抗しなかった。彼らは
身体検査の上で後送された。家を捜索すると、大量の小火器と弾薬が発見された。
分隊が家からでてくると、Price少尉とMcPhail2等軍曹により送られた捕虜13名が
道を歩いているのに会った。家に敵がいたのを発見したあとでは、通り沿いの他の
家も時間をかけて捜索したので、広場に着くのは遅くなった。そこでBlevinsが
彼らと会った。
562名無し三等兵:04/02/08 22:59 ID:???
 Blevinsは、Sharz1等兵に分隊を街の東へ連れてくるようのとの伝言を伝える任務
を達成したときに、Price少尉小隊の4名の兵に負傷させた敵砲迫が教会一帯に着弾
した。Blevinsは主街道を横切り、家屋#7にBattles1等兵を探しにいった。
Battlesと一緒にいたのは中隊1等軍曹のDellas B. Cannonで指揮所に向かうところだった。
Cannonは#28へ駆けて渡り、Blevinsが続いた。それから#39へと戻った。

 Cannon1等軍曹が指揮所に入ってほどなくして、75mm砲弾が建物に命中した。
John E. Tsinetakes1等兵が剥がれ落ちた漆喰で切り傷を負ったが、他には
負傷者はなかった。砲撃は、通りでのこのころの活動で敵の自走砲の1両が
撃ってきたのだと思われた。いずれにせよ、Canon1等軍曹は自走砲のところまで
西にいき、近くから見ていることに砲撃のせいで決めた。彼は学校から来たばかり
のMcPail2等軍曹を共に行こうと誘い、2名は出発した。彼らは知らなかったが
まさにその道筋を既にCowgill少尉(第3歩兵小隊長)が2度も通っていた。


#>558 訂正 Frank B. McElwee伍長はPrice小隊に所属
563名無し三等兵:04/02/08 23:38 ID:???
 Cowgill少尉の第3戦車小隊の占領した庭からの最初の旅を口火を切ったのは
Grimm3等軍曹車の家屋#12のドアに対する12.7mmの連射だった。Cowgill少尉と
部下2名は#12に入り、屋根裏にあがった。屋根の壊れたタイルの間から敵の
自走砲2両は見えたものの、その先は見えないことが分かった。彼らは西へと
探検を続けた。どういうわけか、そこから先の西3軒の屋根には辿り着けなかった。
最後の建物(家屋#17)は西側の壁に開口部がなかったのでそれ以上進むことが
できなかった。Cowgill少尉らは引き返して、#16と#15の間の中庭を通って
南塀の開いたところを抜けて、Singlingのどの庭ににもあるようなコンクリ塀に
囲まれた庭園果樹園に入った。彼らは塀の切れ目まで匍匐してゆき、自走砲2両に
唾を吐けば当る距離にいることに気付いた。その先には、200ヤードと離れずに
3両の敵戦車の輪郭が並んで見えた。Cowgill少尉らは直ちにCook中尉の陣地へ
報告しに戻った。CowgillはBolden中尉に”西に敵戦車5両”と伝え、ついで
Cook中尉を壁の観測所に連れて帰った。Harrington伍長とAlexsander2等兵は
#12に残された。Cowgill少尉はそこが小隊本部として最適だと決めた。
564名無し三等兵:04/02/09 00:04 ID:???
Cook中尉はドイツ軍の戦力と陣地、そして彼らを駆逐することの困難さを深く
印象付けられて偵察から戻った。ドイツ軍は主街道と街西の稜線の先端を制して
おり、戦車が攻撃するのは不可能だった。砲撃が、友軍と近接していたけども
最も論理的な対応に思われたので、Cook中尉は中隊砲兵観測員のDonald E. Guild
中尉を探しに出向いた。Guild中尉は歩兵中隊指揮所にBelden中尉(歩兵中隊長)
とLeach大尉(戦車中隊長)とともにいた。Cook中尉が加わって、将校4名は
問題を討議した。Guild中尉は友軍に過度な危険を与えずには砲撃できないと
感じていた。迫撃砲のほうが良いが、迫撃砲班は3名にまで減少しており、砲
に付き、弾薬を運ぶ人員が足りず、迫撃砲を持ってきていなかった。代わりに
バズーカを装備していた。Cook中尉は主街道に手榴弾と戦車の迫撃砲で煙幕を
張り、煙幕背後で戦車が主街道を横断し、北西から敵を攻撃することを提案した。
実のところでは、Cook中尉は煙幕だけでも自走砲を後退させられると感じていた。
提案はまじめに取り上げられなかった。というのはLeach大尉は歩兵のバズーカを
使うことに傾いていたからである。これが決定となり、任務はCowgill少尉に与え
られた。
565名無し三等兵:04/02/09 00:20 ID:???
 Cowgill少尉はBelden中尉に折り返し、バズーカと援護する小銃手を要請した。
彼の計画は小隊指揮所のある屋根裏からドイツ軍をバズーカで射撃するというもの
だった。Guild中尉の助言では自走砲が砲を屋根裏に向けて撃つまでに2分かかる
ので、ロケットを撃ち移動するのには十分な時間だと考えられた。Belden中尉は
Kenneth L. Bangert1等兵とFrank LeDuc2等兵を中隊本部のバズーカとともに
送った。本部伝令のMelvin P. Flynn1等兵が家屋#7を占領している機関銃分隊
と迫撃砲分隊の7名のところへ向かった。彼の伝言は、
”Cowgill少尉がバズーカを撃つ兵を援護する小銃手を求めている”というもの
だった。その結果、中隊本部のもう1門のバズーカを携行していたJohn W. Herring
2等軍曹と迫撃砲分隊の2名の兵、機関銃分隊長Patrick H. Dennis2等軍曹が
#12へと向かった。機関銃分隊の他の兵はその日の残りを#7にいたままで過ごし、
射界が取れないので銃を設置することも出来なかった。

#ここで本日は終わりです。次は「Singlingでの両者手詰まり」
あと10Pです。
566名無し三等兵:04/02/09 14:14 ID:???
 Singlingの手詰まり

 Cowgill少尉らが街西方の戦車を攻撃する準備をしている間に、北方の敵機甲部隊
がSinglingへ反撃を準備していることを示唆する一連の出来事が起きた。北方の戦車
が東へ移動するのが目撃された。街に砲兵準備集中射撃があった。西方の敵がその
地域の我が方戦車(第2戦車小隊 Fares少尉小隊、小隊長車撃破、1両エンジン1速のみ
2両生存)に対して新に攻撃してきた。そして街東側へ戦車が来た。

 敵戦車(3両から5両)が北方で、明らかに路上を移動しているのをGrimm3等軍曹
(街の中央の塀に囲まれた庭園にいる第3戦車小隊の105mm砲搭載M4車長)が観測し
報告。距離が遠すぎたので射撃しなかった。それにGrimm車の砲は自走砲に備えて
塀の裂け目から北西へ向けていた。Hayward3等軍曹車(第3戦車小隊)は北方の
稜線に照準を合わせていたのでGrimmは北方への射界をHaywardに任せていた。
Cook中尉(第3戦車小隊長)は家屋#8と家屋#10の建物の間の中庭に戦車を入れて
北方を観測できるようにした。突然、街西方に白い信号弾が1発昇っていった。
ほぼ間髪を入れず、短時間の濃密な集中砲撃が街を揺るがした。軽から中口径砲弾に
混じり、迫やロケットも着弾。のちに戦車乗りが見積もったところでは、砲撃は
1個大隊の5分間の集中射撃に相当し、つまり、同時に20発もの砲弾が着弾したという
ことである。
 
567名無し三等兵:04/02/09 14:38 ID:???
 第2戦車小隊(街西南方の果樹園にいる戦車小隊)の区域では砲撃の数分前に
戦車乗員がその時点ではほとんど注意をはらわなかった出来事があった。ドイツ兵が
一人、第2戦車小隊の前の隆起に突然現れ、50ヤードと離れていない果樹園を歩き
回った。戦車が照準をドイツ兵に合わせて射撃する前に、いなくなってしまった。
その直後にあった濃密な砲撃により、小隊各車は果樹園の小道脇のキャベツ畑へと
数ヤード後退した。砲撃の終了後もその場かに留まった。数分後、奇禍により
Hauptman3等軍曹は自車を失う羽目になった。ドイツ軍の徹甲弾がHauptman車の
正面100ヤードの隆起の頂にあたって、跳弾しHauptman車の砲塔右側面に食い込んだ。
装填手William J. McVicker1等兵が戦死。仮に西方のドイツ軍戦車が出歩いて
いた歩兵が見つけたところにいる戦車に跳弾して命中するよう狙ったのだとすれば
驚くべき精確な狙いである。ともかく、戦車乗りの反応は彼らが北西からの監視に
まだ身を露出しているというものであり、Leach大尉が暫時不在であるのでCook中尉
にHauptmanは報告、Cook中尉はSowersとParks(第2戦車小隊の残り)に戦車を
安全なところへ移動することを命じた。SowersとParksはともに第3戦車小隊の背後、
家屋#11の陰に移動した。
568名無し三等兵:04/02/09 15:10 ID:???
 第2戦車小隊が移動しつつあるとき、Grimm3等軍曹は何の気無しに双眼鏡を
北方1200ヤードにある稜線上のトーチカに向けた、そこで何分か前に敵歩兵を
数名見かけていた。まさにドイツ戦車の長砲身75mmが彼目掛けて火を吐き、撃つ
ところが目に入った。近くに弾着し、Grimmは瞬間、撃ち返すか逃げるか考えた。
自車の105mm砲は動力旋回ではなく、20秒以内に砲を向けることはできない。長
過ぎる。彼はギアを入れるなり庭から後退して出た。Grimmが動き始めた時、
第2弾がHayward車のスプロケットに命中し、破壊。続く数発で、Hayward車に
4発が命中、Hayward車は燃え始めた。砲手Angelo Ginoli伍長とJohn H. Furlow
車体前方機銃手が戦死。Hayward3等軍曹と装填手Vern L. Thomas1等兵は負傷。
Grimmは家屋#9と#11の間を通ってかろうじて逃れた。#9と#11を出たところで
深い泥にはまり擱座。乗員は脱出し、Grimmは第2戦車小隊のSowersに車両を引き出
してもらった。

# #9と#11との間、Cook中尉車が危うく転覆しかけたところ。
入ったときは#11が砲撃で炎上し煙で前が見えず塀に右45度の角度で
ぶつかり、続いて道路より2フィート低い庭園に突っ込んで左履帯で
車を支える感じだったのだと思います。うまく訳せてませんが。
ともかくCook中尉車が塀を壊して土手を崩してくれた御蔭であとに続く
2両はすんなり庭園に入ることができたわけです。
ここで庭園と訳していますが、実際にはSmall unit actionsの画像説明を
みると肥えが積み上げられていたそうなので農家の庭が正しいです。
失礼しました。 
569名無し三等兵:04/02/09 15:37 ID:???
 第2戦車小隊、第3戦車小隊、第1小隊のSandrock3等軍曹車、中隊長車、
砲兵観測員車が全て固まって市場広場の南西、三方を建物に囲まれ、街で
唯一戦車が安全なここに集まった。戦車と歩兵双方にとって、少なくとも
同等の戦力があり、地の利を占める敵に対して、この手持ちでは攻撃で
街の陣地を確保することはできないことがますます明らかになりつつあった。
そこで、敵も手詰まりとする配置をとり、時間を稼ぐことにした。彼らは
戦闘司令部Bの救援を待ち望んでいた。Abrams中佐が既にLeach大尉に救援
中隊が既に向かっていると伝えていた。その間に、不必要な損害を出すことは
なかった。Price少尉(第1歩兵小隊長)は部下4名が砲撃で軽傷を負ったあとは
ドイツ軍が反撃してこない限り屋内にいるように命じた。Padgett中尉の部隊
(第2歩兵小隊)は要塞と形容できる家の地下室に立て篭もり、中尉自身はベッド
を見つけて、他に行けるところもなかったので、そこを小隊本部とした。
570名無し三等兵:04/02/10 22:01 ID:???
#>540 家のどっかにあるのですが、探せてません。ネットで目次一覧を見た
限りでは4号の米軍戦闘団の話あたりが怪しいです。そのものずばりの名前は
ありませんでした。むしろ探してしまうと正解を先に読んでしまうことになるので
暫く探さないで置こうかと思います。
 昨日の米紙の記事でネット上に車列護衛の話、が多数出ていることに気付きました。
SBCT-1が担任地域を引継いだ101の本部中隊長の話などもあります。走行間射撃は
たとえ狙いが不正確なままであろうと訓練すべきとしているのが目に付きました。
101の場合は、LMTV(軽中級戦術車両、要するにトラック)とハマーで車列を組んで
いるわけですが。SBCTの場合もトラックは多数あるわけで、護衛に使える車両に
ストライカーが入ったり、偵察にストライカーが使えたりする状態だと思います。

#クウェートでSBCTの女性軍人が性的暴行を受けた事件は余波が続き
ラムズフェルドがペンタゴン高官に同種の事件について対応がどうであったのか
調査させる話に発展。また、ティグリス川に転落した行方不明の米兵に関して
懸賞金が出ています。
#陸軍は駐屯地に将兵を置く期間を延長し、将校の場合は少尉から大尉、兵の
場合は2等兵から分隊長までを同じ駐屯地で過ごし、その後も学校や募集官などを
経て同じ駐屯地へ戻る方針へ転換するとのこと。

SBCT-1の場合は歩兵大隊の1個はブラッドレー装備していた部隊、
1個は25歩兵師団から来た部隊だったはずで残る1個は新設
部隊が初期作戦能力獲得までは人員が固定する措置が取られていた
そうですが。これと同時に現役33個旅団(10×3−1+2(装甲騎兵連隊)+2(独立空挺旅団)
から45旅団への改編を行うとのこと。師団砲兵以外の砲兵、つまり軍団砲兵が
大幅削減される模様。そして、軽歩兵旅団、空挺旅団、独立軽歩兵大隊、独立空挺大隊を
増やす見込み。とはいえ、イラク駐留に間に合うようにすぐに部隊ができるというわけには
いかなそうですけども。ここいらは別の米紙の社説にF-35とF-22とJSFへ投資するのは
いいが額が大きすぎるので削減し、一方で他への投資をふやしてはという話が出ていたりします。
571トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/02/10 22:46 ID:???
>>570
乙です(w

4号であってます。比べて読みましたが、commandよりこちらの方が詳しいですね。
commandは多少省略してます。
572名無し三等兵:04/02/12 11:51 ID:???
#>571 情報有難う御座います。いまsmall unit actionの全文をコピペして
翻訳しているところです。教会と学校の位置を確認することができました。
カラーの地図だと分かりやすいです。北の谷と街の南にあるトーチカの位置が
分かればいうことはないんですが、どうも建物配置図には収まらない位置にある
ようです。
573名無し三等兵:04/02/12 21:58 ID:???
敵戦車は、なおも北方で攻撃に出る徴候をみせており、Padgett中尉は対応を講じるのに懸命だった。
中尉は伝令のBlevins2等兵を主街道の南側にいる第1戦車小隊(Goble中尉指揮)へ警告のため送った。
Goble中尉の北東方向への視界は6〜7フィート高さの茂みと林檎並木、主街道北側の家屋と茂みで塞がれて
いた。それからPagdett中尉は自身で砲兵観測員に集中射を、破壊は無理にせよ妨害する為に実施で
きないか探しにいった。彼は中隊指揮所に入ろうとしたが、三度入ろうとするたびに家屋#37の西側
に着弾する機銃射撃のため引き返さざるを得なかった。4度目に通り抜けてBelden中尉に報告したが、
Guild中尉は見つからなかった。Pagdett中尉が自身の小隊指揮所に戻ったのは午後遅くなってからだった。

 Padgett中尉がBelden中尉のところへ行こうとしていたその間、砲兵前進観測員のGuild中尉は
家屋#33(#村の広場から北東の家並みを教会、#34と進んで次が#33)の観測所から敵戦車を
標定(spott)してLeach大尉(戦車中隊長)に知らせていた。Leach大尉は自分でGoble中尉に伝えた。
Goble中尉はドイツ軍が攻撃してくるならば主街道を来るか、主街道北側の家並み背後を来るかだと
判断し、部隊右翼のRobert G. Fitzgerald3等軍曹に丘を下って道際から15ヤード内に占位させた。
その位置からは北東への視野が開ける。Fitzgeraldは照準を敵戦車が報告されていた北方稜線の
1400ヤードにあわせた。ところが、最初の敵戦車が出現したのは、家屋#37と家屋#38の間から
150ヤード以内で、教会へ向かっていた。敵5号戦車とFitzgerald車はほぼ同時に視認したが両者とも
即座には発砲できなかった。敵戦車は砲塔を旋回させ、Fitzgerald車は砲を俯かせた。Fitzgeraldが
先に零距離で撃ち、5号戦車に命中し、炎上させた。戦車から一名飛び出て家の背後に走り隠れた。
Fitzgeraldは更に2発燃えている戦車に撃ち込んだ。
574名無し三等兵:04/02/12 22:01 ID:???
 その後、Padgett中尉小隊の歩兵に敵戦車が北東から接近しているとの警報を受けて、Fitzgerald車は
生垣を通り抜け、北と東への視界が良好な曲がり角付近まで主街道を東に進んだ。敵戦車1両を発見
したが、照準を修正する前にドイツ戦車は煙幕を発射し、数秒のうちに、蛸が自分の煙幕の陰に
隠れ逃げるように、うまく姿を消した。ロケットがFitzgerald車の近くに着弾し始めた。これが
Welschoff農場近くの砲兵隊による狙いをつけた射撃なのか、それとも単なる街への地域集中射撃の
一環であろうと、Fitzgeraldは判明できるまで長居するつもりはなかった。西方へ引き返して生垣の
隠蔽に入り、そこで戦車を降りて、Goble中尉と一緒にPadgett中尉の指揮所へと行き、谷間の
北東方向にいる5号戦車を見た。5号戦車は道の東へ砲を向けてており、戦車乗員達のみている方角とは
直角に向いていた。
575名無し三等兵:04/02/12 22:02 ID:???
 Fitzgeraldは自車に戻りこの敵戦車を射撃することにした。再度戦車を東に移動させ、2本の木の間
から敵を視界に入れた。第二弾が命中し、さらに1発撃ち込んだ。そして800ヤードほどの距離でこちら
を向いている5号戦車に1、2発撃った。同車には丘の背後のEmil Del Vecchino3等軍曹車も射撃した。
75mm砲弾と76.2砲弾ともに敵の正面装甲で弾かれてしまった。Fitzgeraldは生垣の背後に戻ることにした。
再び家屋#39(#Padgett中尉の指揮所)に入ると敵自走砲がWelchoff農場付近を東に移動しているのが
見えた。東に移動して再度自車を露出する危険を冒すよりは、自走砲が農場を回ってこちらの射界に入る
まで待つ事にした。が、自走砲は現れなかった。農場の建物に隠れて第1戦車小隊の戦車に射撃して
きたのかどうかは分からない。が、自走砲がみえなくなってから少しして、Goble中尉車に徹甲弾2発が
立て続けに命中した。初弾でGoble車は炎上、Goble中尉と砲手のTherman E. Hale伍長が負傷した。
第2弾は砲塔を貫徹し、運動力を失うまで中で跳弾して、最後には操縦手のJohn J. Nelson5等技術兵の
膝の上に落ちた。Nelson伍長は熱い砲弾を振り落とし、戦車からよじ出て、装填手のJoseph P. Cocchiara
2等兵と一緒に燃え上がる戦車から逃げ出した。慌てていたので間違って主街道を街中央まで全速で駆け
て行った。戦車がどこにいるかを歩兵に聞くばかりいたあと、南にいると方角を教えられて彼らはSower車
(第2戦車小隊)のところに辿り着き中に入った。
576名無し三等兵:04/02/12 22:03 ID:???
 Goble中尉車が撃破されてのですぐさま、John J. Fitzpatrick2等軍曹が小隊の指揮を継承し北方の敵
から身を隠す為に後方の稜線背後に後退するよう命じた。後退中に榴弾1発がDel Vecchio3等軍曹車
の正面で爆発し、弾片を撒き散らした。敵はGoble中尉車めがけて撃ち続けた。他車は損害なく掩蔽に
辿り着いた。

 街の反対側ではCowgill少尉(第3歩兵小隊等)のバズーカが家屋#12の屋根裏から敵自走砲1両に
射撃する準備を整えつつあった。(主街道にいた自走砲2両のうち1両はこの時点で撤退していた。)
#12の東の庭ではHayward3等軍曹車(第3戦車小隊)が炎上していた。McPail3等軍曹(第3歩兵小隊
第2分隊長)とCannon中隊1等軍曹は敵自走砲を見るため西へ向かっている最中だった。彼らは
既に偵察がされてその結果行動が取られているのを知らなかった。彼らは炎上している戦車の脇を
走りぬけ、Harington伍長(第3歩兵小隊第1分隊長)を教会で拾い上げ、Cowgill少尉が既に辿った
家屋#17の脇の壁への経路を進んだ。Cowgill少尉が観察した壁の切れ目から見て、3名は戦車と
トーチカの脇にいたドイツ兵に射撃した。一人に命中し、そのドイツ兵は坂を転げ落ちた。5,6発
ほど撃ったのち彼らは引き返した。Cannon中隊1等軍曹とHarrington伍長は#12の地下室に行き、
そこでPatrick H. Dennis3等軍曹とHarold A. Hollands3等軍曹と会った。彼らは地下室の窓から、
屋根の中から射撃すべく準備しているバズーカ手を援護すべく備えていた。
577名無し三等兵:04/02/12 22:04 ID:???
 バズーカ2門のうち旧式のほうは発射できなかった。もう一門から屋根裏の3名は5発を続けて
自走砲目掛けて発射した。最後の1弾のみが命中したが、砲塔の右側面から欠片を削り取っただけ
だった。が、それでも自走砲の乗員が砲から飛び降りので、地下室の4名によりうち2名が撃たれた。
これが起きるや否や、5号戦車が損傷を受けた自走砲の脇にきて#12の側面に1発撃った。同時に
北方からもう1発が建物の根元に命中した。地下室の兵に漆喰が降り注いだ。2発とも危ういところで
逸れていたが、1名が負傷した。Cowgill少尉は部下を家屋#13へ移動させた。この家屋も壁の厚い、
要塞のような農家であった。ここで第3歩兵小隊は敵2度目の短時間の激しい砲兵集中射撃を受けたが
、建物に3発が命中したもののほとんど損傷を与えなかった。
578名無し三等兵:04/02/12 22:06 ID:???
 戦闘司令部Bの救援

 午後も遅くなってきていたが、一時間かそれ以前に行われている筈の救援はまだだった。正午ちょっと
過ぎにAbrams中佐は戦闘司令部AのHerbert L. Earnest准将にSinglingを戦闘司令部Bに手渡して自身の
目標であるBiningとRohrbachへ向かうよう命令を受けた。自部隊の戦車と歩兵が街にいるという知らせを受
けて、Abrams中佐は第8戦車大隊長Albin F. Irzyk少佐に第51機甲歩兵大隊長のAlanis少佐の面前で、”目標を
戦闘無しに引渡す準備はできている”と伝えた。Singling方向からの絶え間ない射撃にも関わらず、救援部隊
はこの後は街は掃討ずみとの前提で行動した。

 Irzyk少佐は第8戦車大隊C中隊と第10機甲歩兵大隊B中隊を送る事に決めた。歩兵はSinglingの南3000
ヤードの集結地域に1時間以上もいた。C中隊長Willam J. Marshall中尉に命令が届き、戦車は動き始めた。
命令は歩兵を拾い上げて、Singlingに入り、街にいる戦車中隊指揮官と接触し、歩兵と戦車の外哨を
引継ぐ事だった。外哨に加えて、偵察が北方に送られる予定になっていた。Marchall中尉は”先の
部隊がしたのと同じように街に入る”よう指示されていた。第10機甲歩兵大隊B中隊の35名〜40名を
全車に乗せて、Marshall中尉はこの指示をそのまま実行しようと出発。戦車は第37戦車大隊B中隊
(#Leach大尉指揮)の轍を追って1400時頃移動し始めた。
579名無し三等兵:04/02/12 22:07 ID:???
 街南縁で第1戦車小隊(Geroge Gray少尉)は少尉が先頭に立ち、Farese少尉(#第37戦車大隊B中隊
第2小隊)の轍を追って北西に旋回した。Farese小隊の撃破された戦車は、もちろん、そのまま撃破され
た場所にいた。Gray少尉は戦車のハッチが開いており、乗員の気配がないことに気付いたが、
戦車が行動不能だとは考えても見なかった。家屋#14の角に近づくと、前方の道路付近に、戦車1両が
見えた。街に敵はいないと思っていたので彼は米軍の戦車だと考えた。そのため、Marshall中尉が
状況を無線で聞くと、少尉は”角を曲がり次第報告する”と返答した。

 そのとき、徹甲弾2発が命中し、砲手Tauno H. Aro伍長は戦死。Gray少尉は重傷で、家屋#13の
Cowgill少尉(第51機甲歩兵大隊B中隊第3歩兵小隊)の指揮所へ運ばれた。時を同じくして
McPhai3等軍曹、Cannon中隊1等軍曹、Harrington伍長西の壁越しの偵察行から帰還してきた。
580名無し三等兵:04/02/12 22:08 ID:???
 Gray少尉車が撃破されると直ちに、Marshall中尉は第2戦車小隊(Edwin J. De Rosia2等軍曹指揮)
に東に移動しGray少尉を撃破した敵戦車を後方から包囲するよう命じた。De Rosia2等軍曹は
さほどいかぬうちに、位置不明の北方と東方の敵から直射を受けたことを報告した。Marchall中尉は
全戦車に街南の稜線反斜面に後退するよう命じた。Gray少尉車に跨乗していて、撃破された際に下車
して家屋#49付近に集結した兵を除き、歩兵は後退する戦車に跨乗したままだった。第10機甲歩兵大隊
B中隊長Robert F. Lange中尉は街に入り、Belden中尉(第51機甲歩兵大隊B中隊長)と接触。同時に
Marshall中尉はIrzyk少佐と協議すべく、自車で第8戦車大隊に戻った。

 Lange中尉は街の外側でLeach大尉が戦車にいるのを見つけともにBelden中尉と話すために家屋#28
に行った。3名の指揮官が合意したのは、Cowgill少尉(第3歩兵小隊 街西側)とPadgett中尉(第2歩兵
小隊 街東側)をその場で交替、Price少尉(第1歩兵小隊 町北〜中央)は救援をうけず街中央から
最初に撤退することになった。第10機甲歩兵大隊B中隊はその僅かの兵を2個小隊に分割。一つは
15名、一つは18名。Lange中尉は下士官1名を小隊長に決定を告げ、街まで案内するために送り出し、
Leach大尉はMarshall中尉を戦車の救援の手筈を協議するために探しに行った。
581名無し三等兵:04/02/12 22:09 ID:???
 午後はゆっくりと過ぎてゆき、Abrams中佐は懸念し始めた。中佐は自隊の戦車を出来る限り早く
Singlingから引き出したかった。そこで救援の進行具合を知るためLeach大尉(第37戦車大隊B中隊長)
を呼び出した。
Leach大尉は不在だったので、Cook中尉(第37戦車大隊B中隊第3戦車小隊長)が無線に出て、
報告した。報告はさほど頼もしい内容ではなかった。街西方に敵戦車5両、正面の稜線を3両から
5両が移動しているのが見える。街の右手で第1戦車小隊が敵戦車1両を撃破。第3戦車小隊
の位置を詳らかにした上で、大規模な敵砲撃を受けつつあり、敵は北方に煙幕を展開していると
という内容だった。(Cook中尉はこの時点では、Fitzgerald3等軍曹車(第1戦車小隊)の射撃を
逃れる為に5号戦車が展開した煙幕だということを知らなかった;彼はドイツ軍の反撃の前触れかも
しれないと考えていた。)Cook中尉はAbrams中佐に第51機甲歩兵大隊の歩兵はなおも街で前哨を
果たしており、第10機甲歩兵大隊は交替中。また、彼は歩兵部隊の指揮官と接触して
おらず、Marshall中尉と協議中のLeach大尉からも何も聞いていないと報告した。

 Abrams中佐は暫く立って無線で折り返しCook中尉に中隊の戦車をまとめ、第51機甲歩兵大隊の歩兵
を拾い上げて、Leach大尉が見つかろうと見つかるまいと直ちに出発せよと命じた。Cook中尉は全
戦車に即座の撤退を伝達。が、撤退は交替の歩兵が陣地を固めるまでの半時間さらに遅れた。
582名無し三等兵:04/02/12 22:11 ID:???
 Lange中尉(第10機甲歩兵大隊B中隊長)はBelden中尉(第51機甲歩兵大隊B中隊長)の配置と
殆ど変えなかった。ただ、敵の夜間侵透に対して防御するため建物外に部下の大半を置いた。
Lange中尉は一日中、直射により妨害を受けた家屋#28ではなく家屋#45に指揮所を確立した。

 一方、Leach大尉はその間に、第8戦車大隊C中隊の陣地に到着した。Marshall中尉は不在だったが
De Rosia2等軍曹車の無線で話す事が出来た。Leach大尉はSinglingの状況を以下のように知らせた。
街には敵自走砲が4両いるが、うち1両はバズーカで撃破されたと考える、敵歩兵が街北を占領している
(Lange中尉は後に、街北に外哨を置くが敵はいないと報告した)、パンター戦車1両が街北東にいて、
同方向に戦車が露出すると射撃する。Leach大尉はMarshall中尉に救援するのに時間はどれだけかかるか
を聞いた。Marshall中尉は、Irzyk少佐に待機するように命じられたばかりであり、”私の命令が
変わらない限り”街には入らないと返答した。
583名無し三等兵:04/02/12 22:13 ID:???
 この計画変更は街の歩兵には知られておらず、予定通りに救援を終えつつあった。
負傷者の大半は、Morphew2等軍曹車(第2戦車小隊))に乗せて既に後送済みだった。同車は無線が故障
していたので戦闘は不可能だが負傷者を急送することはできた。大隊では正規の救急車両は使える
ものがなく、これはHayward3等軍曹車(第3戦車小隊)が午後早くに撃たれた際にCook中尉が確認してい
た。負傷者の数名は後退する歩兵により後送されることになっていた。Cowgill少尉とPadgett中尉は部下を
率いて道路を南下し、家屋#3付近(#街市場広場に南からうねり入る道にそう家並みの道左側、街の外れ
近く)で戦車と会合した。Price少尉は交替を待たずに、最初に部下を移動させ、Padgett中尉の第2分隊が
午前中に掃討したトーチカ二つの脇で戦車と会った。そこで、彼らはこの日最後の捕虜、寝ぼけていた
ドイツ兵が降伏するため飛び出してきたのを捕えた。彼は12.7mm機銃弾帯を纏って地面に寝転がり、捕虜に
なった事に何の関心も示さなかった。

 Cook中尉が戦車を街から出したのは既に暗くなりつつあった。手筈どおり歩兵を集め、
街南方400ヤードのところでLeach大尉(第37戦車大隊B中隊長)とMarshall中尉(第8戦車大隊C中隊長)を見つ
けた。第2戦車小隊と第3戦車小隊が共に街から出て、街右手(# 南方から見て)からは第1戦車小隊がさらに
南で合流すべく後退していた。そのとき、敵の大規模な集中砲撃があり、彼らの間に着弾した。奇跡的にも第2
歩兵小隊のGenar W. Ferguson2等兵が脚に軽傷を負っただけだった。撤退を援護すべく、全戦車は北に砲塔を
廻らしてSinglingへ撃ち返した。敵戦車は応射し、徹甲弾の曳光が濃くなりつつある闇の中を流れていった。Del
Vecchio軍曹車の数フィート内に2発着弾し、Marshall中尉中隊の戦車が火力戦闘を引き継ぎ、敵の注意はMarshall
中尉の部隊へと移った。
584名無し三等兵:04/02/12 22:14 ID:???
 Leach大尉部隊の戦車が撤退した後、救援した歩兵中隊は戦車の直接支援無しで3時間以上Singlingに留まった。
この間、西方の敵がFarese少尉小隊の撃破された戦車2両に忍び込み、バッテリー充電器を始動させた。敵は戦車
を操縦して持ち去ろうとしたのだろう。家屋#14(#家屋#11と対になって南から主街道に通じる枝道を跨いで
いる建物の西側)の歩兵外哨はエンジン音を聞いて、待ち続けていた救援の戦車だと思った。Cowgill少尉の担任区
域を受け継いだ小隊の指揮官Robert J. Victor少尉は分隊長の一人と外に出て調べに向かった。片方の戦車の25フィ
ート内に近づいて、Victor少尉と分隊長は立ち止まった。戦車の上の3名の輪郭が妙だった。外套は長すぎ、ヘルメ
ットは傾きが急すぎた。Victor少尉と軍曹は騎銃1丁しか持っていなかったので、指揮所に戻り、もう一人兵を呼び
武器をとった。再び戦車に近づくと、機銃の連射を受けた。Victor少尉らも小銃と手榴弾で応じた。敵は後退したが、
その晩遅く、戻ってきて戦車に火を付けた。

 Lange中尉は、その間も街の外哨陣地が薄いのを不安に感じて、Marshall中尉と会いに出かけた。彼の言うところ
では、”自分で戦車を動かせないかやってみる”つもりだった。Marshall中尉は日没後、大隊にIrzyk少佐に召喚さ
れて戻っていたので、De Rosia2等軍曹が暫時指揮を取っているのが分かった。Irzyk少佐と第10機甲歩兵大隊S-3
(#作戦担当)参謀Abraham J. Baum大尉がこの時点で中隊地域に居た。
585名無し三等兵:04/02/12 22:16 ID:???
 夜間も街を確保し続けるべきか、撤退すべきかが論じられた。Irzyk少佐の当初の計画では
戦車1個小隊を歩兵支援に送るつもりだったが、Lange中尉と話した後で決定を翻した。彼はすでに
疑いを抱いていたのだった、というのは北と東の高地を全て敵が占領しているのに街を確保する
に足る理由があるとは思えなかったのだ。Lange中尉は動かせる50名弱の部下では外哨を薄くせざる
を得ず、敵が外哨を夜間に探り出して陣地全体に侵透するのは容易いことだと報告した。
また、Irzyk少佐はLange中尉が言及した事件にも注目した。一時間かその位前に(いまや2000時頃だった)、
James W. Leach少尉指揮下の街東側小隊が街広場でドイツ軍の野外炊飯車を待伏せして射撃
の上捕らえた。ドイツ軍の野外炊飯車は熱いスープを運んでおり、少なくとも中隊1個分は量があった。
Irzyk少佐はこれを少なくとも中隊規模の敵が街外周西方と北方にいる証拠だと考え、街内の我が軍は
ドイツ軍に対する砲撃を妨げているだけだと判断した。

 こうしてIrzyk少佐はSinglingからの撤退を命じた。撤退を欺瞞するためにDe Rosia軍曹が丘の反斜面で
戦車をあちらこちら走らせて、部隊が街に入りつつあると思わせるようにした。一時間後、歩兵は
家屋#47(#村の市場広場に南からうねりながら入る道に沿う東側の家並みの中ほどにある)
付近に集合し、南400ヤードの戦車陣地へと後退した。彼らは陣地を掘り、夜間の間戦車の外周を
警戒した。Singlingに居た数時間の間に、敵迫撃砲により5名の軽傷者が出ていた。
586名無し三等兵:04/02/12 22:17 ID:???
 歩兵がSinglingから自軍が撤退したと報告して5分以内に軍団砲兵は大規模な同時弾着射撃
(原注 多数の砲からの砲弾が同時に目標で炸裂する集中砲撃の1種。このような集中砲撃は
敵の士気を挫く効果と、敵が個々の砲座位置を観測で突き止めるのを防ぐ効果がある)をSingling
に対して行った。翌日(12月7日)、戦車と歩兵はSinglingの稜線縁にまで戻ったが、救援が来るまでの
間、前進しないようにと命じられていた。第12機甲師団の救援部隊はその晩に来た。Singlingが奪取
されたのは12月10日の事だった。

 Singlingでの戦闘の最終結果は大規模な行動も目覚しい成功もなかったことが分かる。
直接参加した第4機甲師団の損害は22名で、うち6名は戦死。中戦車5両を喪失。判明した敵の
損失は5号戦車2両と捕虜56名だった。
587名無し三等兵:04/02/12 22:21 ID:???
 Singlingでの攻撃は大変不利な戦力比で行われ、咄嗟にその場しのぎで行われた機動による
あらゆる混乱を伴っている。攻撃自体は手詰まりであった。が、戦闘司令部Aとしては直接的には
戦術的成功だった。12月6日の午後、ドイツ軍主力がSinglingに交戦するのにかまけている間に、
戦闘司令部Aの他部隊がSingling脇を通過して主目標であるBiningに到達した。これは第328歩兵連隊
第1大隊と、第37戦車大隊D中隊(軽戦車)により成し遂げられた。さらなる目標であるRohrbachには
戦闘司令部Aは入れなかった。


ドイツ軍が大変強固な防御準備をしている地域を探索する事により、Singlingでの行動は
後の第12機甲師団による前進の道を開いたといえる。

#これで最後です。Singlingの攻撃はClosing with the enemyの冒頭にも
引用されています。次は朝鮮戦争の章から訳せそうなのを見つけてやってみようかと。
現在463kbなので512kbまで1スレは書き込めるし、1レスは最低1kbのようだから
と考えるとスレを跨ぐかもしれません。タコマニューストリビューンのニュース
纏めと論文の概要紹介(これまではきちんと論理を紹介できなかったのですが)を
やって次スレでもいいかもしれません。
588名無し三等兵:04/02/12 23:47 ID:???
>>第2弾は砲塔を貫徹し、運動力を失うまで中で跳弾して、最後には操縦手のJohn J. Nelson5等技術兵の
膝の上に落ちた。

こんなことってあるんだ……。
589対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/02/13 04:35 ID:???
毎度毎度お疲れ様です〜。
昨秋田舎に引越して以来、情報収集能力の低下に参り切ってた臼砲の憂さは、
このスレのおかげで完全に吹き飛んでます(自己中心にも程がある ^^;)

そうですねぇ。少しSBCTから離れているので、少し雑談&時事ネタで凌いでみますか。
軍団砲兵の縮小と、軽歩兵(空挺含む)の増強は、興味深い。
・・・本来なら編成スレでヤっても良かったんですが、沈んだし( つ皿T)
590名無し三等兵:04/02/13 09:42 ID:???
>588 朝鮮戦争の話だと煙越しに猛射して敵の応射を誘い、位置を突き止める
話なんかもあります。この話自体は戦闘直後に軍歴史家が現地で取材して写真撮影
してますので、直接本人から聞いたのだと思います。それにしても第4機甲師団と
第12機甲師団との関係はホーンブロワーとボライソーの関係なのかも、と勘ぐって
みたり。歩兵の数も随分減損というか編制定員に不足しているのが眼につきました。
救援の歩兵中隊は2個小隊に編成して予備は本部のみの状態にしているみたいですし。 

実は5等技術兵というのは結構適当訳です。
兵、軍曹の場合、数字が小さいほど偉い、というか階級が上ですが
テクニシャンの場合は数字が大きいほど上になります。軍曹の場合は
サージェント、スタッフサージェント、ファーストサージェントで
並べてそれぞれ3等、2等、1等としてしまいましたが、これも本当はまずいです。
スタッフちゅうのはラインとスタッフのスタッフなのでそこからうまい訳が
あれば楽になるのですけども。

>589 州兵と軍団砲兵の砲兵大隊を削減するという話でした。スライドが
あるのでもう一度見直して見ます。それにしてもパワーポイントファイルは
容量が大きいです。PDFに変換?して送っている場合などもありますが。
あと、中尉がいつの間にか大尉に化けていたりというミスなどがあるので
気を付けます。
591海の人 ◆STEELmK8LQ :04/02/13 10:21 ID:???
>587
 おつでした〜、週末にもいっかいゆっくり読み直します:-)
592名無し三等兵:04/02/13 13:42 ID:???
中旅団を編成しつつあるときに軽旅団が増設されるという展開まで
第9歩兵師団(自動車化)に似てきました。経過の上では作戦能力を獲得して
実戦についているのが大きな違いなんですが、この後どう変化するんでしょう。

スライドをもう一度見てきました。
FY04 1LT BCT  2 AA SLT IN Bns  2 LT IN Bns
FY05 R/O ABN BCT  6 LT IN Bns
FY06 2 LT BCT 2 LT Bns 2 ABN IN Bns
FY07 1 LT BCT 1 ABN BCT 6 LT IN Bns


LTは軽 ABNは空挺 AA SLTは空中強襲 BCTは旅団戦闘団 Bnは大隊でsは複数形
R/Oが不明です。予備役との混合部隊でしょうか。

これで旅団数はFY04に36、FY05に39、FY06に43と増えることになります。
FY06とFY07との間には意志決定点というのが置かれています。増設の規模を
見直す時期があらかじめ計画で定められているのだと思います。
また、スライドは概要案となっていますので実現するかは不明です。
ただし、その第1段階と見られる現役の定員を一時的に3万人嵩上げする措置は
既に実行されているという発表があり、続いて家族の引越しと本人の転勤となる
部隊所属の変更も減少させるという話が出てきています。
593436:04/02/13 23:14 ID:???
>>587
お疲れさまです。

第4機甲師団といえば、Military Review誌2003年11-12月号でも取り
上げられていますね。
://www.cgsc.army.mil/milrev/download/english/NovDec03/cameron.pdf
これは1944年9月のナンシー包囲戦における第4機甲師団の作戦から、
SBCTやオブジェクティブ・フォースに関する教訓を引き出そう、とい
う主旨の記事のようです。

ちなみにナンシー付近の戦闘に関する論文もネットにありました。
"The 4th Armored Division in the Encirclement of Nancy"
://www-cgsc.army.mil/carl/download/csipubs/gabel.pdf

両方とも、今読んでる最中ですが、機会があれば内容紹介でも…

>>592
>R/O
DoD Dictionaryには"receive only"の略、としかでておりませんでし
た。
ググッても結局解らなかったし(つД`)
まさか"reserve only"なんていうことはないでしょうし…
594名無し三等兵:04/02/13 23:42 ID:???
>593 有難う御座います。内容紹介楽しみに待っています。調べると
第94機甲砲兵大隊の話も出てきました。砲兵前進観測員のGuild中尉は
そちらでも登場していました。

<R/O
http://www.globalsecurity.org/
こちらのHOT DOCUMENTS の BUilding Army Capabilitiesが
元の文書です。
その後考えてみたのですが、DRB(師団即応旅団)の話と
絡むのかもしれません。元々この話は昨年の7月頃にこのままのイラク駐留規模を
継続すると陸軍の現役、州兵、予備役それぞれに過大な負担がかかるという指摘
を議会調査局かGAOか、たぶん議会調査局だったと思いますがしたことで
初めて知りました。その中で陸軍の即応態勢の見直しや、展開している部隊と
原駐屯地にいる部隊の比率、つまり輪番制で部隊を交替させる場合の比率を現行の
規模で様々に設定した場合、どうなるかなどが取り上げられていました。

その前後にイラク駐留部隊の交替はどうなるという発表が陸軍副参謀長
(シンセキ退役後、シューメーカー就任までの代行だったと思います)から
あり、その中では部隊増設については確固とした方向はないというような
話だったと思います。ということでこの議会調査局?の報告書をもう一度
探せば分かるかもと今思いつきました。
595名無し三等兵:04/02/14 00:16 ID:???
失礼しました。議会予算局でした。時期も9月でした。
CRS(議会調査局)でもイラク関係の話が沢山出ているので勘違い
していました。
h ttp://www.globalsecurity.org/military/library/report/cbo/
ここの一番上の文書です。たしか海兵隊を輪番に組み込んで前方展開を
見直してという話をしていたはずです。

>594 訂正 第94機甲砲兵大隊のサイトはこちらです。
h ttp://www.geocities.com/afa94th/Saar/saar.htm
596トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/02/14 15:03 ID:???
>>587
大変お疲れさまでした。
確かに主目的はバイニン攻略ですからね。
でもそれなら果樹園ルートの進撃はしなくてよかったかも(w
597名無し三等兵:04/02/14 22:09 ID:???
>596 バイニンは対戦車中隊だけだったと書かれていますね。
軽戦車中隊と歩兵大隊1個で攻撃したということです。
南から迫っていたTF Odenはどうしていたのか知りたいところです。
軍歴史家の叙述の手際が良くて枝葉はきちんと落とされているので
シングリンの戦闘だけに集中してしまいますけども。

<米陸軍の戦力構造について
 army magazineにWasse准将が寄稿しています。その前も元将官が師団増設
について書いていました。MRでも遠征力と持続力とについて書いていましたし
近代化と師団増設とはなかなか両立し難いような見方が多いです。
SBCTへの改編はアラスカでもはじまっており、2個旅団が掛かりきりになっています。
SBCT#2は今年には作戦能力を獲得してイラク展開に行く可能性があるでしょうけども。
そうすると、今度は第2装甲騎兵連隊(軽)が改編に入ることになりでしょうし。
598名無し三等兵:04/02/16 11:02 ID:???
<米陸軍の戦力構成
1999年5月のSAMSで歩兵の数に注目した論文と、装輪部隊の可能性をみている
論文がでているようです。また、旅団中心の師団の話については
1996年12月に出ています。歩兵の数に注目した論文は表題が
忍者戦における相撲取りというもので面白いかも。1999年5月はライマーから
シンセキに交替する時期前後だと思うのですが、詳しい事はまだみていないです。

<議会予算局の報告書
 様々な選択肢を実行した場合にイラクとイラク外の戦争に備えられる旅団数を
計算しているのが目に付きました。

<シングリンの戦闘
街西にいる戦車3両と自走砲2両から南東方向への視界が通るか通らないかで
Farese少尉の戦車小隊を向けるべきか向けるべきでないかが決まったのかもと
思います。バイニンの防御がシングリンに比して薄いのは当初は分からなかった
でしょうし。街南のトーチカを制圧して捕虜をとっただけであとはシングリンの
南縁の丘に戦車と歩兵を置いて夜間を過ごすことができたというようにも思えます。
599名無し三等兵:04/02/16 13:17 ID:???
SBCTについて その3
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1076904716/
早手回しですが建てて起きました。あと40レスくらいはこちらで可能な筈です。
600トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/02/17 18:37 ID:???
600get and 乙です(w

>街西にいる戦車3両と自走砲2両から南東方向への視界が通るか通らないかで

コマンドでは果樹園には稜線があるのですよ。射線は通らないようです。
撃破されたM4も稜線を越えたところで撃たれてますね。

601名無し三等兵:04/02/18 06:06 ID:???
>600
 果樹園には窪みがあるのだと考えていました。すると、シングリンから
南東への観測をしていたのは教会の尖塔か、街南のトーチカなどだったのかも
しれませんね。街の中の広場までの射線が通るのが問題なのは街自体を確保する
のに、北東への家並みからも敵歩兵を駆逐する必要があるからで、その場合は
街北の谷間の向こうの稜線から覘かれてしまう位置ではなく、街の西側を
回りたかったのかも。
 
 また、チームAの位置もちょっと不思議です。シングリンからRohrbachへの
街道は街の東で北の農場を巡るように北側に大きく曲がっているので
あまり北側に出すぎると農場の敵と戦闘することになります。どこにいたのだろう。

#ドイツの重戦車大隊の研究をしている論文を見つけました。
歩兵師団や軽師団に戦車大隊を、常時配属するか、編制内に組み入れるかを
主張する話や、駆逐戦車を開発する話を念頭において読むと面白いかも。
#ちょっと次スレを立てるのが早すぎたようで、話が平行してしまっていますが
こちらもぎりぎりまで使おうかと。
#チグリス川に落ちた兵士の遺体が発見されました。
雑談スレで知ったのですが、1MEFの13MEUがイラクに向かいつつあるようです。
2ACRもイラクから撤退する時期が近づいていると思います。
ハマーと装甲ハマーからストライカーへの装備更新、場合によってはコマンチ
を装備する可能性もあるのではないかと。 
602名無し三等兵:04/02/19 18:00 ID:???
いじレス。Lansさん頑張って下さい。
603名無し三等兵:04/02/20 15:49 ID:???
Lansさんといえば、編制スレは復活しないの?
604名無し三等兵:04/02/20 21:32 ID:???
>594 Round Outの略かも。州兵が現役師団を補うための制度で
特定の現役師団が展開するとき、必要に応じて州兵が加わって完全な編制に
なる制度です。

>603 纏めてくれる人がいないとちょっとスレ維持が難しいかなと。
何か話題がありましたら立ててくれても嬉しいです。当方、2スレを維持するので
精一杯かなと。

#1993年に199MIBから2LCRへの移行の際にLAV-25を編制にいれた案が
JANUSとEAGLEでテストされていたことが判明。こうなると海兵隊でのLAV-25
の歴史も知りたくなります。昨年12月のGAO報告書では、SBCT1について装備受領
の遅れから中隊級戦闘や参謀作業などでやや訓練不足が見られたとのこと。
#JANUSはシムの名前、EAGLEもシムの名前。
#11ACRのベトナムでの経験を調べた論文がありました。シェリダンや騎兵戦闘車両
の話に使えるかなと。
605名無し三等兵:04/02/21 13:37 ID:???
>604続き
 11ACRのベトナムでの作戦(1969年1月〜1970年6月)までを扱ったもの
である事が判明。ベトナム戦争での機甲部隊の活動の例として描いています。

面白かったのは、工兵部隊と鋤を付けた戦車が協同して、ゲリラの跳梁で不通と
なっていた幹線道路を打通する話でした。道路上の地雷を工兵が除去、道路脇の
密林を戦車が鋤で切り開いて、道路両側に空き地を開く。この道路際の密林沿いに
クレイモアをトリップワイヤ付きで仕掛けることで待ち伏せを防ぐ。
これが発展して、カンボジアからサイゴンまでのベトコンや北ベトナム軍の補給路
と交差する幹線道路沿いを切り広げ、さらに密林の中へもいくつか切り開いた線を
伸ばし、これをヘリの偵察攻撃チームと組み合わせるようにしていくことになります。
シェリダンについては、装備更新の過程について書いていましたが悪くは
書いていません。
#ゴム農園は機甲部隊にとって通行しやすい地形ということ
南ベトナム軍との共同作戦もかなり行っていたことなども書かれています。
606名無し三等兵:04/02/22 11:44 ID:???
ずっと前のネタですが、TOW 対バンカー弾の資料がありました。
TOW2Aの弾頭部を爆風破片効果のある榴弾に変更して500発作るそうです。

目標とするバンカーと家屋の規格、家屋の場合は二重鉄筋コンクリート等
の条件も書かれていたんですがちょっと略語などが多くて分かりませぬ。
607Lans ◆EDLansNRRQ :04/02/24 02:08 ID:???
すまん。編成スレ復活は会社の仕事が一段落するまでまっちくり…
今日の帰宅は午前1時…今、夕飯食い終わって、明日の6時半には起きて会社に逝かねばならんのだ…
3?歳には厳しい毎日である(自滅
608名無し三等兵:04/02/24 03:03 ID:???
>607 頑張って下さい。応援してます。スレが立つ日を楽しみに待っています。

>601 コマンチ キャンセルされた模様
Army Kills Comanche Helicopter Program
http://www.foxnews.com/story/0,2933,112225,00.html
クルーセーダー自走砲に続きキャンセル 2006年から生産に入る予定だった

#2LCRの装備はどうなるんでしょう。
OH−58Dのままか、それともティーガ−でも輸入するか
オスプレイで偵察というのもなさそうですし。UAV関係が充実するというのも
ありそうですが。SBCT1の場合は、OH-58Dの部隊が直接支援をしているか、
TFオリンピアに組み込まれているかのどちらかです。シューメーカー参謀長の
16の関心領域のうちの一つが陸軍航空となっていますので、何か改革があるの
でしょうか。
609対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/02/27 13:08 ID:???
OH-58Dのまま、って事になるですかねぇ。
あるいはAH-64Dで多少増強するか。
改革の有る無し、あるいは中身となると、米陸軍の最近の動向見てると
予断は許されないですなぁ。

ここでSBCT中隊小銃小隊の疑問点。
本部5名+小銃分隊9名x3個+火器分隊7名+車輌斑8名=47名。
ストライカーは乗員2+搭乗9名、4輌で44名が定数なので座席が3つ足りない。
FMの編制図を見てると3号車のVCがPSGとなってるので、これが兼任ぽい。
すると後2人は、どうしてるのですかね。
小隊本部のMEDが中隊MEDICAL EVAC TEAM、FOは中隊本部あたりに随行していて、
常に小隊と共に行動してるわけでは無いのかな?とか思ってはみたものの。

という保守パピコ。
610名無し三等兵:04/02/28 23:05 ID:???
>609 小隊軍曹はハマーでというのも考えてみたのですが、こうすると
負傷者後送や補給に便利というだけの理由なのでたぶん違います。
 単にストライカーは大きくて余計に人が乗れるようになっているというのは
どうでしょう。
 イラクで活動しているときはたぶんジャベリンなどの弾薬を最大限、或いは
3日間の補給物資とされるだけの量を積んで走っているとも思えませんし。
611名無し三等兵:04/03/01 01:50 ID:???
海兵隊をハイチに投入する模様。1個MEUなのでLAVも見られそうです。
612名無し三等兵:04/03/02 16:44 ID:???
パンツァーを読んだら、AMX-10PとマーダーTの話でした。
このライターさんはよく歩兵戦闘車などの話を書く人です。HS30については
スイスで開発された車両だったとのこと。エンジンの車内配置レイアウトの変遷
などの話も面白かったです。
 それと、モワク社のピラーニャシリーズの記事も出ていました。
613対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/03/03 22:06 ID:???
PANZERの記事は、機械化歩兵の戦術に触れるところが少なくて、物足りなかったですね。
その主武装(この場合20mm機関砲)の仮想敵IFVに対する有効性が、どの程度重視されるのか。
まぁ冷戦期の西側(日本含む)のIFVなら、その投入局面では、かならずBMPとの交戦が
想定されるわけですが。

3RCT演習の記事中に、イラク派遣部隊指揮官、番匠一佐の姿がありました。
なかなか(いろんな意味で)ユカイな方のようで(^^;
614名無し三等兵:04/03/04 01:21 ID:???
>613
<機械化戦術
パンツァーの記事は戦術よりも兵器の造りに向き勝ちなのでやむを得ないかと。
以前も松村氏の連載が短期で終ってしまいがっかりしたことがあります。
ICVというか、MICVの第一世代にして改修を重ねて現役という視点は面白かった
です。

<番匠1佐 昨年の演習の写真をイラク派遣に合わせたのかもしれませんね。
演習場の中の地形が分かればいろいろと96式の路外踏破性について分かる写真
なのかもしれませんが、夏の北海道の野山だったら行動可能な地形なのかもと
思いました。冬の降雪、積雪時はどうなるかが問題ですけども。
615名無し三等兵:04/03/05 10:47 ID:???
スレ数がどうにも多いので危険とみて保守しときます。
616名無し三等兵:04/03/05 12:20 ID:???
<4日間に1個旅団
MR1152の第1章14ページ目に出てきます。政治指導者の意思決定点、つまり
もはや”賽は投げられた”とみなす前に十分な戦力を投入するか、或いは戦力を
投入する能力があることを整備することで抑止するという考えのようです。
従って、
受入国の戦力が崩壊する前
阻止対象国の政治指導者が決断し、臍を固める前
にある程度の地上部隊を遠距離精密火力と組み合わせて投入できることが必要だと
議論しています。

書かれてたのは2000年で、1999年10月よりはあとですが、筆者はIBCT発表以前から
迅速な戦力投入を可能とする部隊を構想してきた人たちなので4日間の根拠は
ここいらかもしれません。
617名無し三等兵:04/03/05 15:54 ID:???
>616続き もともとはDSB(防衛科学委員会)の1998年夏季研究での成果を元にしたという
ことです。その更に前、1996年夏季研究でも、小規模の展開が楽にできる部隊と
遠隔火力の組み合わせを研究しています。これも参照されています。

#DSBって、確かリチャード=パール氏が関わってた気がします。するだけで
まだ調べてませんが。イラク戦争前に何かの委員会を辞任してたんですが確か
こんな名前の組織でした。リチャード=パールという人はネオコンの一人というか
領袖の一人とされる人物です。
618名無し三等兵:04/03/06 02:23 ID:???
616続き MR1152に登場する軽機械化中隊の編制
中隊 FCV-C2×2 AHMW×2
機甲小隊×2(FCV-ATK×4)
歩兵小隊×2(FCV-INF×4)
機甲偵察小隊(FCV-RCN×4)
対戦車/対空小隊(FCV-AT/ADA×4)
機甲小隊?(FCV-FS×4 FCV-ARES×4)
戦務支援小隊(AHMW×12)
・輸送
・衛生
・整備
FCV(将来戦闘車両) AHMW(先進高機動車両)ATK(攻撃)ARES(先進ロボット交戦システム)

#機甲小隊?としたのは、記号では小隊規模で機甲を表す図式のみでとりたてて
小隊の名称はなかったため。
#ということで、中隊=14両ではなく、FCV34両 AHMW16両の大所帯です。
さらに偵察、対戦車、火力支援も中隊固有で中隊長が指揮を取ることに。
これがペントミック師団風に旅団下のBG(戦闘群)に配分されて戦闘するとのこと。
組織の平坦化はこの頃の流行みたいですが。FCVは短期的展望ではLAVなどの16t
程度車両を念頭に置いているので、IBCTの諸兵科連合中隊の走りと言えるかも。
619名無し三等兵:04/03/06 03:06 ID:???
>616続き とはいえ、この構想はIBCTを4日間内とするのではなく、
統合部隊の中の初期投入地上部隊を軽機動歩兵部隊と軽機械化部隊に分けてます。

まず同盟支援部隊が米軍との接続を確保し支援を提供。
次いで軽機動歩兵部隊が紛争の起きた週に投入されて、敵の攻撃を抑止または頓挫
させ、重要拠点を防御。続いて軽機械化部隊が投入されて主導権を情報支配なども
活かして奪取するか、あるいはさらなる来援到着の時間を稼ぐという流れになって
います。

#実際には軽機動歩兵の祖形たる第82師団は貴重でイラク戦争では最後近くの展開です。
即応旅団を持つ関係上、他での情勢変化に備えてもいるわけで。そして、SBCT1は
82空挺に続いてではなく、戦後の駐留に使われることになりました。イラク戦争期間は
旅団規模の演習に向けた期間でした。また、大規模な航空攻撃開始と同時に地上部隊が
イラク領へと進撃しているのもこの構想での紛争の流れと合わない点があります。
#構想中でコマンチが微妙な扱いを受けているのが興味深いです。2000年当時
は1256機生産予定だったそうですが(付録A)、中期展望ではコマンチよりアパッチ
としたり、そもそも航空部隊は維持性を高める為に少数に絞られています。
620名無し三等兵:04/03/06 10:23 ID:???
ちょっと、ガジェット中心の戦争理論に走りがちな纏め方だったかもと反省。
どうしても、新しい議論が出て来るとどんな装備が使われていて、それはこれまでの
装備よりもどれだけ優れているか、従来の相応する兵器と対決するとどうなるのか
という観点で興味が湧いてきてしまい、結果として編制表を装備中心に見て
しまうんですね。三重孤児の筆者が排撃している理解の仕方なんですが、なかなか
抜け出せません。
621名無し三等兵:04/03/06 21:59 ID:???
さらに反省。どうも戦争理論としては群集戦術、スワームに繋がる方向が
当時の議論であったようです。遠隔精密火力と組み合わせるべき地上部隊の話
にさらに情報と通信の進化と支配を組み合わせると出て来るようです。
 スワーム戦術というのはMR1100が歴史的な例を取り上げて分析してます。

これにたいしてMR1152では、JANUSを用いて、単に観的者に留まらぬ地上部隊
例えば、固有の間接精密火力を持つ(HIMARSのダモクレス、EFOG-M)部隊が
頑健であること、つまり多少の攻撃と乱数にも堪えられることを証しようとしている
節があります。軽機械化戦力投入の前、軽機動歩兵の価値を示すことに話を絞っていますが。
ちなみに部分部分を食い散らかしながらの紹介なのですけども、ここでも投入部隊の規模は
旅団とされています。これは陸軍であろうと、海兵隊であろうと統合作戦からみているので
差し支えないのですが、陸軍だと旅団、海兵隊だとMEBということになります。

海兵隊はSea Dragonという計画の中でHunter Warriorという分隊が独立して
行動する実験を1個MEUを用いて行っています。これはかつてのRMAスレで81式さん
が論じていたネットワーク化した細胞の話をなんだか思い出す実験です。

#”衝撃と恐怖”の地上軍へ与えた影響なんでしょうか。地上部隊の低烈度紛争への
早期投入、主要地域戦争への増援などに始まる軽歩兵師団とは別の流れと考えるべき
なのかも。

#三重孤児論文で取り上げられていた歩兵、機械化歩兵を扱った歴史家Richard Simpkinが
1985年のRace to SwiftでNATOがWTOと対決する際の側翼で運用される快速部隊を構想
していたとも書かれています。本が出たのは1985年。イギリスの歴史家にして軍人なので
NATOの立場からという違いはあるようですが、面白そうです。
622トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/03/06 22:11 ID:???
>>620
乙です(w
兵器が先か?戦術が先か?ですね(w


>>616
>政治指導者の意思決定点、つまり
>もはや”賽は投げられた”とみなす前に十分な戦力を投入するか、或いは戦力を
>投入する能力があることを整備することで抑止するという考え
はなんとなくそんな感じがオイラもしてました。
恐らくイスラム圏や韓国などの非友好的な国から撤退するのでは?
と思っています。
623対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/03/07 01:38 ID:???
>>614
の3RCTの演習記事中に、60式自走無反動砲(2Divですら現役・・・・・・)も登場してますたが、
キャプションに「このような地形で動けるのは、装軌車輌の有利な点と言える」
とありました。
取材中、なんらかの印象を受けたのではないかとか、予断ありありで言ってみます(笑)

>第一世代IFV
真の意味での第二世代IFVは、未だ登場していないのではないかと思ってます。
ソ連は、まぁ別かもしれないですが。

とレスしようとしたらアク禁でした。
解除されたので再投稿。
またも浦島太郎状態(苦笑)
624名無し三等兵:04/03/07 11:53 ID:???
>623 でも、積雪と泥などでなければ、軽量な車両に関しては装輪と装軌で
踏破性に違いはないという話も聞きます。東長崎が出した”攻撃か、それとも自衛か”
でも96式が登場するのですが、今一つ良く分からないです。

<60式 第二師団でもなお現役
無反動砲を搭載した歩兵支援車両として見ればそれなりに有用性があるということ
なのかもしれません。後継を作るとしても優先順位が低くなかなか現れないということも
あるかと。イギリス陸軍だと76mm砲搭載の軽戦車などがあるのですが。
625対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/03/07 12:44 ID:???
60式自走無反動砲の機動力の評価は、北部方面隊と西部方面隊ではかなり違うとか。
その話を聞いた時は、むしろ積雪時の機動力に不安があるという印象でした。
(最低車高が低い為、すぐ亀さんになる)

>60RRSP後継
むしろMGSが近いのかも知れません。通常は普通科中隊対戦車小隊に配されますし。
あ、今は普通科連隊の対戦車隊にまとめられてるんですっけか。
英軽戦車は偵察部隊所属で、歩兵中隊/大隊に建制で組み込まれてないですね。
626名無し三等兵:04/03/07 22:10 ID:???
<最低車高 WTMで分かったのですが、90式のほうがティーガ−Tなどよりも
高いです。ロシアやウクライナの馬車も車軸が高い位置にあり、車輪が大きかった
という話なども思い出します。

<歩兵支援車両としての後継
車体の大きさからするとスコーピオンやシミターなどが近いかと思うのです。
スコーピオンならフォークランドで歩兵支援の実績もあるかと思います。が、
大隊に固有で組み込まれていないのは大きいですね。他だとドイツの空挺が
使うウィーゼルの機関砲搭載型などがありますが、これは20mmだった気がします。
 あとは、60式とよく似ているアメリカのオントス、シェリダン、
それからAGSなどになるかと。 
627トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/03/07 22:26 ID:???
2月号の軍研。ストライカー旅団を12隻の高速輸送艦で640kmを10時間で輸送可能で
なんと「陸軍」の水兵が乗り組んでいるとのこと。
保守カキコ。
628名無し三等兵:04/03/07 22:39 ID:???
Part of I Corps HQ may leave Ft. Lewis for Zama
http://www.globalsecurity.org/org/news/2004/040304-icorps-zama.htm
第一軍団司令部の座間移転が検討されていることを伝えるニュースです。

>627 情報有難う御座います。
陸軍の水兵というのが面白いです。また、高速輸送艦というのはFSS
のことではないのかも。アルゴル級って12隻ないと思うのです。
確か、港湾以外で荷役をするための人工桟橋や埠頭の運用をする部隊は陸軍
なんですが、これのことかも。

#ストライカーの輸送って、自走と船にC-17とC-130は見たことがあるんですが
鉄道でやったことがあるのかどうかは忘れました。画像はなかったような気がします。
たしか、新型船型の船で運んだ事もあった気がします。
629名無し三等兵:04/03/07 22:51 ID:???
これがFSSですが、8隻しかいないので違います。
h ttp://www.fas.org/man/dod-101/sys/ship/takr-287.htm

これが陸軍の船舶です。装備物資揚陸用に一通りあります。
h ttp://www.fas.org/man/dod-101/sys/ship/army.htm
h ttp://www.fas.org/man/dod-101/sys/ship/Joint_Interoperability.jpg
630トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/03/07 22:54 ID:???
>>628
乙です。
高速輸送船はアルゴル級ではなく、戦域支援艦(TSV)と呼ばれる双胴船で速力40ノットで巡航し可能。
現在は4隻就役していて、なんと民間船。チャーターだそうです。米軍は17隻を建造予定。
乗り組員は「陸軍」第469輸送分遣隊の水兵です(w
631名無し三等兵:04/03/08 01:19 ID:???
>630
HSV オーストラリアのインキャット社が造っている船ですね。
h ttp://www.globalsecurity.org/military/systems/ship/hsv.htm
Westpac Expressの運用についてなど色々情報がネット上にありそうです。
アルゴル級も民間船舶扱いで人員が常駐するほかは現役編入の際に人員が
追加されて運用されるそうです。LCU-2000などは自走して大洋を超える能力が
一応あるようですが、TSVとなると高速フェリーと変わらないですね。

この線で、将来は陸軍のアーセナルシップとか陸軍の航空支援船とかも
ありうるでしょうか。NTACMSを搭載した商船構造の船がアパッチの為にSEAD
をしてやるとかそういう感じです。
632名無し三等兵:04/03/10 12:14 ID:???
いじレス投下。AOEとか第九歩兵師団の自動車化経験を読まなくては
ならないといつも思っているんですが、なかなか手が出せません。
AOEのほうは、師団改編の歴史で手軽なのが他にあるせいで、第九自動車化師団
は2003年に戦争理論と絡めた話が出ているせいなんですが。
633名無し三等兵:04/03/10 13:16 ID:???
タコマトリビューンの同行取材特派員の帰国を歓迎する記事からの抜粋

記者の帰国を歓迎する
Mike Gilbertがイラクから戻った。
わが社の軍事記者はほぼ6ヶ月をイラクで昨年来過ごした。まず第62衛生旅団、
ついでフォートルイスから派遣されているストライカー旅団に彼は同行取材していた。
彼が帰国したのは水曜日の夜だった。マコード空軍基地からのC-17が直接
イラクのモスルからドイツに飛び、そこからジョージアのサバンナ、それから
タコマへと戻ってきた。彼がいうに戻ってきて一番感じた事は安全だと実感
できることだそうだ。
「毎晩か一晩おきに、一発か二発か迫撃砲を我々が寝ているところ(前方作戦
基地)に撃ち込んで来た」と彼は語った。
「クリスマスは主基地から出て他に泊まっていたが、そこで3日連続で
迫撃砲攻撃を受けた」「そこを出た後で、私の寝場所から遠くないところに
いた大尉が戦死した。」「家に帰ってきて一番のことは安全だと感じられる
こと、家族と一緒にいられるということだ。」
ここ数日は、ごく普通のことばかりしていた、スターバックスでコーヒーを
飲むとか、雑貨店に行くとか、メキシコ料理店で家族一緒に食事をするとか。
イラクでは好きなところに自由に運転していけなかった。

一方、イラクを懐かしんでいることにも彼は気付いた。
「イラクでは、行く先どこでも、極当たり前のことでも, 国の将来が
まさに今現在に掛かっているという雰囲気があった」
「人々が共に働いて、物事を良くして行こうという了解があった。」
アメリカ人が、国家の進展のために毎日働くという感覚を感じ取ってくれればと
いうのが彼の願いだ。
634名無し三等兵:04/03/10 13:23 ID:???
Mikeから、読者が送ってくれたEメールに感謝するとの伝言をお伝えする。
「故郷からの便りは大きな意味があった」「何が起きているのかを
人々に伝えるのは私にかかっていることに気付かされた。」

Mikeは数週間の休暇をとる前に書く予定の記事が少なくとも一本ある。
まもなくタコマニューストリビューンに掲載されるので待っていて欲しい。

また、当社ではスタッフライターのAdam Lynnを第81機甲旅団が
イラク到着後に同行取材させる予定です。同旅団はフォートルイス駐屯の州兵です。
(Published 11:03AM, March 9th, 2004)

#senseというのが訳しにくくて、雰囲気にしたり、了解にしたり、感覚に
したりしています。
635対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/03/10 15:50 ID:???
毎度乙鰈です。

>60RRSP(陸自の表記ではSPが後に来るそうです。米軍式だとSPRR)とMGS
大きさや性能より、配備と運用の比較ですね。
普通科(歩兵)中隊長指揮下の、直協(直射)支援火器というカデコリ。

>陸軍水兵
舟艇部隊は、各国にあるのですが。
まぁ米軍だと、スケールが違うという事でしょうか(笑)
我が帝国陸軍なんか軽空母造ったくらいなんで、負けてはいないのですが、勝っても虚しいのう・・・
636名無し三等兵:04/03/10 20:39 ID:???
>>62-63
90mm低反動砲なんてどうでしょうね〜?フランスはトン数ヒト桁で運用している実績
ありますし、APFSDSも使用可能ですし。
637トルエン大尉 ◆ja0BUvrq2. :04/03/10 20:56 ID:???
>我が帝国陸軍なんか軽空母造った
潜水艇まで造ってしまった(まるゆ艇)(w
638名無し三等兵:04/03/11 17:13 ID:???
future forceの話 各BCT(旅団戦闘団)には固有のヘリ部隊は無し
一方、師団下の航空旅団は以下のように編成替えする構想であることが発表されました。
重師団と軽師団毎に現役師団も予備役師団も共通の編制にして、部隊編成を
楽にできる”規格性”を達成するとのこと。
ttp://www.globalsecurity.org/military/library/news/2004/02/040223-d-6570c-004.jpg

現行の軽歩兵師団の編制
h ttp://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/toe/lid.htm
攻撃大隊(3×8 OH-58D)
強襲大隊
・指揮航空中隊(8 UH-60 3 EH-60)
・強襲中隊×2(15 UH-60)
騎兵大隊
・騎兵中隊(20 ハマー)
・航空偵察中隊×2(8 OH-58)

改編後軽師団航空旅団(現行軽歩兵と空挺師団のこと?)
攻撃大隊×2(3×10 OH)
強襲大隊(3×10 UH)
支援大隊(8 UH 12 CH 12HH)
前方支援大隊
UAV中隊

#要するに大幅に強化されてます。OHというのが何かはちょっと御待ちください。
OH-58Dは退役なんですが、アパッチDVなのか、新規開発するといっているヘリなのか
はちょっとややこしくて分からないのです。

#陸軍はプロペラ貨物機を持っていたことを知りました。
639名無し三等兵:04/03/11 19:03 ID:???
数字で比較すると
OH 40→60 UH 30→42 指揮統制UH 8→8 HH 0→12 EH 3→0となります。
HHとはCH-47DやFのことです。確かAOEの軽歩兵師団の航空旅団はDivision86
のときに拡大されていた気がします。

#でも総勢で陸軍航空が拡大するのかどうかは不明です。軍団直下の航空旅団などに
ついては触れられていないため。いや、もともと師団改編が中心なので独立旅団には
触れていないのですけども。

<歩兵中隊長の手持ちの直射歩兵支援火器
<90mm低反動砲 ブラジルや南アフリカも装輪装甲車に搭載したのがありますね。
でも90mmって米軍はパーシング以来の口径かも。機関銃の射程外から撃てるだけの
腕の長さと当り具合があれば望みはあるかも。AGSが一度ぽしゃる前の提案には
75mm砲を使った車両もあったと思いました。

<陸軍船舶
船舶砲兵と秋津丸などですね。TSVの戦域支援というのが気にかかります。戦域と
いっても中東軍はアフガンとイラク、ソマリアなどを含んでいますし。
640名無し三等兵:04/03/11 22:58 ID:???
重師団下の航空旅団
全般支援航空大隊
・支援航空中隊×3(UH-60 16機)
・指揮航空中隊(UH−60 8機 EH-60 4機)
攻撃大隊
・攻撃中隊×3(AH-64 8機)
騎兵大隊
・騎兵中隊×3(M1戦車 9両 M3CFV 13両)
・航空偵察中隊×2(OH-58D 8機)
・NBC偵察分遣隊(M93E1 6両)

改編後
全般支援航空大隊(UH 8機 CH 12機 HH12機)
強襲航空大隊
・強襲航空中隊×3(UH 10機)
攻撃航空大隊×2
・攻撃航空中隊×3(AH 8機)
航空支援大隊
UAV中隊

UH 48→30 UH 8?→8 CH 8?→12 OH 16→0 AH 24→48 HH 0→12 EH 4→0
#現行の指揮航空中隊のUHにはUH-60CCとUH-60とに分かれるはずですが内訳不明。
#第1機甲師団の場合はEH-60が19機居たりすると師団毎の頁で書かれてます。
師団毎の違いはあるようです。
641Lans ◆EDLansNRRQ :04/03/12 01:01 ID:???
>640
あ、航空旅団から騎兵大隊がなくなってる。
この手の騎兵大隊の存在価値は高いと思うのですが・・・
もしかして師団直下に移行とか?

ちなみに私は
いやっほーぅ装甲騎兵大隊最高!なんで(汗
642名無し三等兵:04/03/12 09:56 ID:???
>641 よく分からないのです。この話はコマンチキャンセル後の陸軍航空に
ついて記者団に説明した内容なので、話の焦点は騎兵でなくてヘリにあるため
触れられていませんでした。

一つ考えられるのは1個師団下に5つできるというBUA(旅団行動部隊?)のそれぞれが
偵察部隊をもつのではないかということです。でもそうすると、大隊となるか
中隊となるかは分からなくなりますね。
イラクから帰ってきた第3歩兵師団が既に新たな編制を取っているとのことですが、
航空旅団も既にこの重師団型の編成をとっているとのことです。

ちなみにボーイングとシコルスキーのヘリ部門については今後ブラックホークなど
が発注され、さらに近代化改修を行うのでコマンチキャンセルの打撃はどうなるかは
不明とも言っていました。

#第二次世界大戦のコブラ作戦後、フランスをザールあたりまで突進した時期は
ACC(装甲車列上空援護)とかいう戦術が取られて居たそうです。
各車列の先頭部隊に航空機と無線連絡できる車両に航空将校乗せて近接航空支援
させたり、車列の前方路の偵察をさせたり、航空阻止させたりしていたとのこと。
 車列のかなり前方まで攻撃することもあったそうなので、これが今の縦深打撃や
縦深形成作戦などの原型なのかもしれません。これがイラク戦争でのアパッチ捕獲
やアナコンダでのアパッチの損害などで見直されているということかも。

#クラーク退役陸軍大将のコソボについての本もまさにこの話です。
SEADはATACMSにやらせればアパッチが投入できるという話をしてるとか(まだ未読(汗。

#ここでTSVにATACMSの海軍版を載せてSEADさせ、さらに別のモジュール搭載した
TSVからアパッチ発進、さらに別のTSVからはSBCTが卸下後、直ちに前進とか妄想する
わけです。
643対潜臼砲 ◆VVUq8Fu.ow :04/03/12 15:31 ID:???
>Future Force航空旅団
騎兵大隊は分割されてBCTに配されるか、1個BCTが騎兵大隊を含む偵察重視な
旅団になるんではないかとか予想。

>TSVの戦域支援
“戦域”という表現から、専ら高速輸送性能に依る支援でしょう。
イラクやアナコンダにおけるSEADの問題は、手段ではなく、目標の抽出にあったと
思われます。
アパッチの損害は不意急襲射撃によるものでしたから。
644Lans ◆EDLansNRRQ :04/03/12 22:25 ID:???
今日はとっても、いやっほーぅ!でつ。
BookOffでイズビー「ソ連地上軍」を確保しますた。

いやぁ、ようやく入手。しかも状態は非常に良いです。
価格もBookOff標準の1/2(喜

ついでに芙蓉書房のレグラム版「戦争論」もあったので、即時確保。
この間の連隊戦記に続き、大収穫でつ!!!!!
645名無し三等兵
>643 
<騎兵大隊 旅団を師団間でやりとりしてプラグ&プレイするという話があるので
旅団同士での部隊のやりとりは余りないかもしれません。

<戦域支援
これまではC-130が運ぶものだと思って居たのですが、船舶なのだろうかと
思ったのでした。
今回のイラクへの展開の場合
フォートルイスからタコマ港までは自走、ここで大型中速RORO船
(LMSR)2隻に搭載してパナマ運河とスエズ運河?(喜望峰まわりではないと思います)を抜けて
クウェートで揚陸、航空機をマコードから乗ってきた人員と合流して2週間程度訓練。
車列を組んでバグダッドを経由してサマラ近郊に展開。サマラでの作戦を終えた後
モスルへと移動。

 完全に破壊された偵察型車両の代替と衛生型車両、計2両はモスルまで
空輸していますが、これは良いとして仮にサマラとモスルの距離が遠く、
海を挟んでいたとしたらTSVを使うのだろうかと思ったのです。

>644
おめでとうございます。手元に確保できず図書館で済ませています。
RPGの撃破確率ですとか、ソヴィエトの砲兵の目標配分と大隊、連隊、師団の
第一目標と第二目標の絡みだとかがややこしく書いてある本だったと思いました。
確か自走砲が直射支援を行う為尖兵中隊に随伴しているとか。あとこの絡みでは
諸兵科連合(戦車とBMP)の実現がどの階梯で行われているのかもややこしく
書かれていて難儀したのです。そしてさらにこれに第一梯団と第二梯団が絡むの
でした。