【配給】銃後の国民生活について語ろう【闇市】

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1名無し三等兵
苦しい苦しいと言われている
WW2時の連合国、枢軸国、中立国
の銃後の国民生活について語ろう!
2名無し三等兵:03/09/06 03:54 ID:???
どーでもいいが微妙に板違いの感
3名無し三等兵:03/09/06 04:51 ID:???
日本では1942年に成立した食料管理法により米の配給精制度が始まった。配給とはいっても
タダでくれる訳ではなく、1人あたりが1月に買える米の量を制限するというものであった。
配給の基となったのが米穀配給通帳、通称米穀通帳である。当時、車の免許証やパスポート
の保有者はごくわずかであり国民健康保険もなかった為、身分証明書としても使用された。
なお、驚く無かれ米穀通帳が廃止されたのは1981年6月11日の事である。
4名無し三等兵:03/09/06 08:35 ID:HkQXByMq
そう聞くと物資の制限が始まったのは太平洋戦争以降と思いがちだが、
昭和12年にゴムが切符制(配布される切符なしには購入できない)にな
ったのを皮切りに、翌年には石油製品、綿糸、小麦、パルプなどが次々
に配給制もしくは統制となり、国民生活は逼迫していった。
真珠湾攻撃で国民が快哉を叫んだ背景には、10年以上続いた戦時経済の
圧迫感からの解放があったのである。
5キャミー・ジャック・シー:03/09/06 09:15 ID:znvWfuto
神田神保町の古書センター(だっけ?ガラス張りのエレベーターのある)の
2階だか3階だかにある店には、配給切符らしいものがダンボールにイパーイ
入れられてハダカで売ってたな。
意外と古物としての価値はないみたい。
でも、何か逼迫した当時の経済状態が伝わってくるようで、「軍事ヲタのくせ
に戦争の暗い面は見たくない」漏れは、そそくさとその場を後にしたんよ。
6ベリヤ ◆kn9Q000cUU :03/09/06 10:29 ID:???
アメリカでは、1943年から肉などの配給が実施されたが、
量は一人当たり一週間に1.1キログラム。日本とは比較にならない。
1945年11月まで続いたが、それでも闇肉が出回ったらしい。
7名無し三等兵:03/09/06 18:28 ID:Xy4zgPbm
>>6
配給製でも、一人1100グラムの肉が配給される国、アメリカ。
 こんな国と戦争しても勝てる訳ないな。
8名無し三等兵:03/09/06 19:18 ID:???
>遊郭の入り口、魔窟の入り口に放列を布くおでん屋には、家庭では手に入らない
>、品の豊富なことを見よ。卵がある。はんぺんがある。尤もある筈で、一ケ廿銭
>も三十銭もする、うかうかと良い気になって食ふと三円四円は直ぐかかるのであ
>る。
>金から云えば、どうせロクな遊びをしていない連中から取るのであるから一向に
>構わないが、物が惜しい。家庭へ返して貰いたい。

小さな軍需会社のお偉いさんでも、ツテが無くても切符もなにも
小金でカナ−リ良い目をしてたし、そういうのが多かったからね。
某監督も遅まきながら赤に感化して親の悪行の真の意味を
知ったときはさぞ愕然としただろう。
9名無し三等兵:03/09/06 19:24 ID:Xy4zgPbm
>>9
 まあ、その某監督が、学習院大卒業できたのも、実家が軍の下請けやって、
財を成したからだけど。
 その監督が「親父の商売は汚い」と親に言っても。
 親が「その汚い商売のお陰で、坊ちゃん大学に進学できたんだろ」と言われたら
反論できんわな。
 でも、同世代の奴には嫌われただろうね。「軍と癒着して、甘い汁吸いやがって」
てね。
10名無し三等兵:03/09/06 19:32 ID:yiZvQvle
数少ない軍ヲタ監督に下手な皮肉はよせや
11名無し三等兵:03/09/06 19:38 ID:Xy4zgPbm
 >>10
 某監督の実家は下請けレベルだろ、戦後、大財閥を構築した訳ではないし。
 戦争で大財閥に成長した会社も存在すると、思われ。
 
12名無し三等兵:03/09/06 22:56 ID:6LB8hbfI
下町なんて聞くと温かみがありそうだけど、戦前は失業者も多いし
仕事も安定しない人がおおかったらしい。
内職に励んでも、ガキが小遣いせびってしかたなくやったら
紙芝居見てモンじゃ焼なんか食ってやがんの。貯金?無理だよ。
しつけも糞もない..親はひたすら内職..もう悲惨

仕事の無い兄ちゃんが紙芝居屋なんかして、何のことは無い町内で金の取り合いですよ。

これが一変したのが軍需景気..アル意味やな話しだよな。


13名無し三等兵:03/09/06 22:58 ID:???
ヒヒヒあんちゃんアメリカのアメはウマいのうヒヒヒ
14名無し三等兵:03/09/06 23:05 ID:yiZvQvle
>12
今の価値観で戦前の下町を判断しちゃダメだよ。
物の価値観が違うんだから。
失業してても仕事も安定していなくても生きていける共同体なんだ
から、貯金するような考えははなからないんだよ。
金の取り合いじゃなくて、狭い町内で富の分散をはかってたんだよ。
15少佐:03/09/08 19:28 ID:hnbvxVpU
戦争には一見悪の面しかないように思われるが
実は違う。なぜなら戦争が起こると、銃後の
犯罪発生率が低くなるからだ
16名無し三等兵:03/09/08 20:02 ID:WrKmpMuO
 >>15
 まあ、そりゃ、精力・体力が充実している20代の男性が徴兵される
からな。
 実際、戦時中は強姦犯は激減したよ。(内地限定)
(理由)
・ 若い男性が戦地に行ったため。
・ 若い女性が化粧もせず、服装はモンペ。色気もへったくれもない。
 化粧品はこの時代は、贅沢品のため、一般人は闇でのみ購入可能。(恐ろしく
高価だけど)
17名無し三等兵:03/09/08 21:12 ID:9CT7lxHt
>>15
そりゃ自暴自棄による、はけ口が犯罪に向かわなくある効果もあるから。
破産・失恋あたりで刃物を持ち出す率も相対的にへるでしょうし。
18名無し三等兵:03/09/10 07:02 ID:sxs82yBP
>>6見て思ったんですが、
戦中のアメリカでも物資統制するほど資源が無かったんですか?
19●のテストカキコ中:03/09/10 07:08 ID:???
http://ula2ch.muvc.net/ (このカキコは削除しても良いです)
20少佐:03/09/10 07:32 ID:zaMLvlzi
戦時中の日本の海はまだ公害なんてもので汚染されてないんだから、
タイやヒラメがウヨウヨいただろう。
そして簡単に釣れただろう。
釣りをする人なら解るよね。
毎日大きいタイやヒラメが釣れれば、食生活はいいもんじゃないか。
21名無し三等兵:03/09/10 09:35 ID:???
少佐は密猟と言う言葉を知らないらしい。
22名無し三等兵:03/09/10 12:40 ID:rkfN2hhF
>>3
俺が小学6年の時に廃止された。
それまで近所の米屋がほぼ独占販売で
殿様商売だったのを覚えてる。
23名無し三等兵:03/09/10 12:42 ID:???
>>18
ディズニー映画つくる余力がある国。
日本とドイツと戦争しても戦闘機が余る国。
贅沢は敵なんて言葉とは縁も縁も無い国。

24少佐:03/09/10 12:50 ID:zaMLvlzi
海では魚介類がいくらでも採れただろうし、山では山菜、キノコ、
木の実がいくらでも採れただろう。
半世紀前の自然はまだ公害に汚染されてない訳で凄い豊かだよ。
25少佐:03/09/10 12:56 ID:zaMLvlzi
いいか?
洗剤混じりの生活廃水などどこの家庭からも出てなかったし、
ウンチも肥料で使われてた時代だよ。
また高速道路やダムも無かった時代だ。
タイ、ヒラメ、イノシシ、鴨なんかはいくらでも採れただろう。

26名無し三等兵:03/09/10 13:05 ID:???
当時の、日本の人口はね・・・
27名無し三等兵:03/09/10 13:09 ID:???
少佐:パンが無ければケーキを食べればいいじゃない!
28少佐:03/09/10 13:17 ID:zaMLvlzi
漫画「はだしのゲン」には明らかな嘘がある。
ゲンの一家が食べ物に困って広島の太田川で子エビを釣ろうとして
釣れず、「あんちゃん腹減った」などと言う描写があるのだが、
今でも広島の太田川では下流に行くと、スズキ、黒鯛、ウナギ
の大物が釣れるし、鯉が広島のシンボルになってるように昔は鯉なんか
大物がウヨウヨ泳いでいた。
また漫画で描かれる大田川は子供の膝くらいの小川だが、実際は
広島で一番大きい大河だよ。
汚染されてない半世紀前なら入れ食いだったのは言うまでも無い。
29少佐:03/09/10 13:21 ID:zaMLvlzi
また同じく「はだしのゲン」では貧しくてイナゴの佃煮を食べる
という描写があるのだが、まだ農薬が無い時代だからイナゴなど
前が見えなくなるくらい飛んでたね。
網でパパッとやればすぐドンブリ一杯採れたよ。
イナゴが平気だったら、いくらでも食えたのよ。
30名無し三等兵:03/09/10 13:26 ID:???
>イナゴなど前が見えなくなるくらい飛んでたね。
オイオイ、それでは稲作はどうなるんだよ。
31名無し三等兵:03/09/10 13:41 ID:???
少佐、あたいは江戸時代になぜ飢饉が起きたのかわからなくなってしまいました
32名無し三等兵:03/09/10 14:00 ID:???
>>少佐
ダムが無いと水力発電が出来ませんが?
そうか、戦時中は水力発電は無かったんだ(笑
33名無し三等兵:03/09/10 14:56 ID:aKYRz8Cu
戦時中の漁業は油不足で船が沖に出ることが出来なくて
苦労したそうだが。
養殖もあんまりやっていない。
魚群探知機は無い。
乱獲で沿岸から魚が消える
労働力も不足

もう、悲惨だな
34名無し三等兵:03/09/10 15:05 ID:???
少佐は縄文時代の人間か?
稲作が始まってから稲の生産量を前庭に人口が増えて来たんだから
山菜や魚介類だけで人口が支えられるわけないだろ
35名無し三等兵:03/09/10 15:30 ID:???
>>31
飢饉は共産主義者の捏造。
日本は豊かな国でした。

日本は世界で貧しい国だったの?第二弾
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1052741269/

戦争論3でも戦争中に飢えた事など無い。
いわゆる戦争はひもじい論は大嘘である事が明らかになっています。



36名無し三等兵:03/09/10 15:32 ID:???
>>34
縄文時代に土器が日本で発明されて
ドンクリなどの救荒作物が食べられるようになりました。
水に晒すだけでは駄目で灰汁抜きが必要だからです。
当然朝鮮にはそんなものはなかったので人口は激減していました。
日本から移民して古墳や土器を伝えた事が明らかになっています。
37名無し三等兵:03/09/10 15:32 ID:???
コヴァかよ
38名無し三等兵:03/09/10 15:33 ID:???
>>33
油が不足したのは大嘘です。
日本人には発明という知恵があり、
テンビン油でも飛行機を運用するスベが
ありました。
日本はかくも豊かだったのです。
39名無し三等兵:03/09/10 15:35 ID:???
>>37
日本が貧しかったとする連中は
日本は世界で貧しい国だったの?の第1弾で論破されています。
つまり、日本は豊かだったという事が確定しています。
40名無し三等兵:03/09/10 15:44 ID:???
>>33
少佐によると、「当時の民間船は石炭で動くものばかりだよ」だそうです。
41名無し三等兵:03/09/10 15:47 ID:???
山本夏彦氏の「誰か[戦前]を知らないか」
によると食料配給が始まったのは昭和15年。
しかし16年になっても帝国ホテルのフルコースで
肉の代わりにオムレツが出て、フランスパンが出た。
昭和19年の11月の空襲まで帝都は平穏無事で
オデン屋もそば屋も普通に営業していた。

42名無し三等兵:03/09/10 15:49 ID:???
米、味噌、酒、ビールは配給制になったが、飢えるにはいたらなかった。

アフリカなどで乳のみ子の飢えた写真がよくあるが、
日本にはその手の写真が無い。
無いのは当然。誰も飢えてなどいなかったのだから。
と真相を告げておられます。
43名無し三等兵:03/09/10 15:52 ID:???
日本が貧しくなったのは日本の軍部のせいではなく、
アメリカが資源をとめ、都市を破壊し、生活の基盤を
破壊したからです。
さらに言及すれば野坂の蛍の墓はフィクションであると
野坂自身が認めています。
つまり、あれはまったくの出鱈目なんです。
彼は共産主義者であり、そうした連中が嘘をつくのは
いわゆる「体験話」の出鱈目ぶりでもわかります。
森村の石井本、沖縄の悲劇本。
すべて赤い人らの創作なのは有名ですね。
44名無し三等兵:03/09/10 16:44 ID:???
ゆんゆん♪
45よんでみた前:03/09/10 16:49 ID:???
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/html/9910200473.html
終戦このかた「満州事変から敗戦までの15年間は真っ暗な時代だった」と説かれてきた。
しかしそれは真実なのか?当時の日記を引きつつ、巷間に流布する「戦前」観の虚偽を鮮やかに衝いた表題作。
日本人の漢文・和文の教養の喪失から文化の断絶の姿を描いた「明治の語彙」―胸のすく切れ味の16篇を収録する。
46名無し三等兵:03/09/10 23:56 ID:???
85 名前:メディアみっくす☆名無しさん :03/09/10 22:39 ID:MrsTIHJ6
野坂の親戚のおばはんが
「セツ子殺したのはおまえか?」
と知らん人にすごまれたらしい・・・・・。
47名無し三等兵:03/09/11 00:10 ID:???
戦時中、温泉旅行がブームとなったというのは本当か?
48名無し三等兵:03/09/11 01:17 ID:???
あ〜か〜い 林檎に 唇寄〜せ〜て〜
49名無し三等兵:03/09/11 01:45 ID:???
ほ〜しの〜 流れに〜 身を 占って〜
50名無し三等兵:03/09/11 04:01 ID:???
ア〜カシア〜の雨〜にうたれて〜
51名無し三等兵:03/09/11 06:52 ID:DKMbRXpn
データーの一部を取り出して強弁
相手の話は無視する
地球は丸くない事も証明できそうだ
ほかにスレ立ててみれば 
地球は丸くないッてスレあったかな?
52名無し三等兵:03/09/13 01:38 ID:???
粋なジャンパ〜の アメリカ兵の〜 影を追うよな〜 あま〜い風〜
53名無し三等兵:03/09/14 21:35 ID:jn6wVt8F
>>23
ばーかアメリカだって物は足りなかったんだよ
石油は配給制で牛が足りなかったから満足に軍靴も作れなかった
もっと勉強してから書き込め(pu
54眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/09/14 21:51 ID:???
>47
1938年に支那事変特別税法に基づき、通行税が復活し、50km未満の3等(当時の
東海道線は3等級制でした。)以外は全部の運賃にこれが付加されています。

で、表向き不要不急の旅行は禁じられていましたが、戦勝を祈願しに伊勢神宮に
行くとか、皇祖を参拝しに橿原神宮に行くとか言うように、御陵参拝、神宮参拝は
例外的に認められていましたので、懐に余裕がある人々は、結構そう言う場所への
旅行を頻繁に行ないました。

お陰で、昭和大恐慌で青息吐息だった鉄道会社が持ち直したりしています。
ただ、1941年以降、不要不急路線として行楽地への路線が廃止されたものも段々
と出てきた訳ですが。
55さいたま右 ◆v.Y8LnGqJc :03/09/14 22:24 ID:???

    _(   @)___   内の祖母は農家にもかかわらず
   / 爪゚∀゚) /\ 戦中は田螺を食していたそうな。   
 /| ̄ ∪∪ ̄|\/   
   |さいたま .|       
56名無し三等兵:03/09/15 14:42 ID:eWkE3r50
「銃後の妻」を、「十五の妻」と聞き違えた奴がいる
15歳幼な妻か15人の妻か
57名無し三等兵:03/09/15 19:39 ID:???
>>56
前者だと個人的にはウマーなわけだが。
58名無し三等兵:03/09/19 15:47 ID:???
関係ないけど、田螺の煮物は昔から見合いの席の定番料理であった。どんなに貞淑な
娘さんでも田螺の煮物を食べる時には顔を上げると言われており、海原雄山のモデル
にもなった食通の北大路魯山人の好物でもある。もっとも、彼の場合味を追求するあ
まり半生で食べてジストマに罹っているが。
59名無し三等兵:03/10/07 00:59 ID:???
良スレage
おまえらセミの筋肉くったことある?
あぶって喰うと結構(゚д゚)ウマー
60名無し三等兵:03/10/08 04:52 ID:???
>>59
この前油で炒めて食ってみた。
エビっぽい味

3匹食べたが、2匹は真っ黒焦げになってしまい油臭くなってしまった
最後の1匹は丁度良くウマー
61逝け袋キター!愚痴:03/10/11 09:25 ID:???
ギョーカイ(外食産業)の本に、虫さんは「難消化性蛋白質」って書いてありますた。
その号にトチモチの作り方が載ってましたが、ドングリに似た実(ドングリ=の実
だと思ってたら違うんだって)を挽いて何度もアクを取る手間のかか割に美味しく
ないモノだが、救荒食物として作り方が伝承されている、とか。
戦時中も食べたのかな?

62名無し三等兵:03/11/17 12:02 ID:???
test
63名無し三等兵:03/11/27 18:17 ID:Iq+wsgqv
軍ヲタはチョン嫌いだろ
64名無し三等兵:03/11/27 19:19 ID:???
少佐のせいで話が変な方向に
65名無し三等兵:03/11/27 21:31 ID:???
>>61に亀レス

ドングリ(クヌギやコナラ、シラカシなど)の渋はタンニンだから、灰
(まあ主成分は炭酸カリウム)入れた湯で煮れば灰汁は抜けるが、
トチノキの渋味にはサポニンが含まれこれは同様のアルカリで煮る時間が
24時間とか掛かる(その前に挽いて粉にする必要もある)ので大変らしい。

パリの街路樹のマロニエ(セイヨウトチノキ)も同じ仲間。
66名無し三等兵:03/11/27 21:59 ID:???
山田風太郎の『戦中派虫けら日記』『戦中派不戦日記』辺りがわかりやすくていいかも。
大都市では少なくとも昭和19年秋頃まで食糧もそれほど不足してなかったみたいだし。
67名無し三等兵:03/12/23 15:49 ID:???
良スレだな。ageるぞ。
68名無し三等兵:03/12/23 16:10 ID:???
都市部と農村で著しく事情が違うから、「戦前は」とひとくくりには出来ない
69名無し三等兵:04/01/25 01:41 ID:???
保守
70名無し三等兵:04/01/25 02:53 ID:???
昭和20年ころでもロッパはごちそう食べてたとか、山田風太郎氏の日記にありましたね。
まあロッパは芸人として名をなしてましたし、実家はいいところですしね
71名無し三等兵:04/01/25 19:51 ID:???
戦争前夜はとにかく仕事は無かったって良く聞くね。
戦争中は統制国家になって仕事は割り振りになったみたいだけど。
ここらへんが知りたいな。
72名無し三等兵:04/01/26 00:51 ID:???
集団疎開した児童がひもじさで眠られなかったとか、帰宅したら痩せていて
親が泣いたとか親戚から聞いたから、カロリー的には厳しかったようだね。

入営する息子に好物を食わせようと親が食材探して奔走する話もあるし、
地域差と、コネのあるなしが大きかったのだろう。

極端に食材の種類が減って質も落ちたそうだが、都市部の話だけど
飢えるまではいっていなかったと、当時を体験した親戚は言っていた。
ふすまなんざ、食えたもんじゃないそうで。
73名無し三等兵:04/01/26 04:50 ID:???
ウチの親は石鹸を囓ったそうです。
やはり食えたもんじゃないそうで。
74名無し三等兵:04/01/26 08:00 ID:???
>72
自然食の店で、ふすま買って食ってるオレって……
75名無し三等兵:04/01/26 11:59 ID:???
ウチの親は、終戦記念日にすいとんを食べて当時の苦労をしのびましょうとか、
今日だけは日の丸弁当の日、なんて催しは大嫌いだった。

なぜかというと、一度参加したのだけれど、どんなにまずく作っても
当時の数十倍美味しくなってしまうから。当時のすいとんが
どれくらいまずかったかというと、お腹が空いていてもマズイのだそうだ。

>>74
コーリャンや稗、粟も、米粉も、今の食材とはくらべものにならない
くらいまずくて、別物。都会の人間にとっては苦しみだったそうだよ。

上の方で、日本には飢餓がなかったって書いてあったけど、飢餓が起きて
いるんじゃあ、すでに行政は機能していない状態。飢餓がおきてないから
といって庶民の食生活は平気だったというわけではないだろうよ。
76名無し三等兵:04/01/28 23:18 ID:???
きみたちにはほしがりません勝つまではの精神が足りない。
贅沢は敵だぞ!
77名無し三等兵:04/01/28 23:53 ID:???
>76
そう言うことを抜かしていた連中が一番贅沢してた訳何だがなぁ(藁
78名無し三等兵
贅沢は素敵だ