朝鮮征伐に対する軍事分析

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608名無し三等兵
碧蹄館会戦についていえば、
合戦参加者である天野源右衛門(当時立花家臣)が覚書を残していて、
それには敵の軍勢を「二万余」としている。
江戸時代に書かれた軍記物語の類では明軍の兵力が誇張される傾向があるようだ。

一方、蔚山包囲戦を明の史書はこう記している。
「この戦いはこれを謀ること数年、海内の全力を傾注し、
朝鮮通国の兵を挙げたにもかかわらず、一旦にして委棄してしまった。
後に敗報が明京に至るに及び、朝廷をあげて恨みなげいた」

当時の明朝が必死で戦争をしていたことがよくわかる。
江戸時代の人にとっては、ほとんど世界そのものであった大明帝国の
国の総力を挙げた反撃が、兵力4〜5万だったなんて想像もつかなかっただろうから、
仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど。。。