1930〜50年代の米陸軍機甲戦術を考察する

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1名無し三等兵
さて今日の我が国を初めとする、西側諸国の戦術ドクトリンについて
何か考えるとき、やはり米陸軍のそれはひとつの理想というか、
典型になると言って良いと思われます。
というわけで、現代の米陸軍機甲戦術の原点がいかにして
形成されていったか、第二次大戦前から朝鮮戦争後までを中心に
語っていくスレにしたい。
2名無し三等兵:03/07/18 20:16 ID:iVtk1JDl
自営業阻止成功したら統帥綱領購入する!
3名無し三等兵:03/07/18 20:17 ID:iVtk1JDl
むう。今月厳しいんだが…
今度の日曜にでも買ってくるかー
4名無し三等兵:03/07/18 20:19 ID:???
自作自演?

ま、無害だからいいけど
こういうときはIDを隠したまえよ
5名無し三等兵:03/07/18 20:21 ID:iVtk1JDl
いやすべて1だが。
何故自作自演だと思いますたか?
6名無し三等兵:03/07/18 20:21 ID:???
あ、よく見たら違う

ごめんね
7名無し三等兵:03/07/18 20:22 ID:???
時期が時期だったもんで
夏厨と誤認してしもうた
8名無し三等兵:03/07/18 20:23 ID:iVtk1JDl
何だ勘違いかー。でも確かにちょっと立てる時期間違ったかな。
9ばばぼん♪ ◆.N0YKuUJPw :03/07/18 21:01 ID:???
>>2
>>3
その意気やよし!
10名無し三等兵:03/07/19 16:44 ID:???
最近は厨ばかりでこういうスレが伸びないな
11名無し三等兵:03/07/19 19:11 ID:???
>>10
こういうテーマで語るには正確な知識が必要だからね。

語るとすればまずパットンの話からになるのかな?
12わんにゃん@名無しさん:03/07/22 13:06 ID:???
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
13名無し三等兵:03/07/23 11:22 ID:???
30年代の低迷期からだろ
資金もやる気もないモンロー主義にどっぷりつかって
騎兵と変わらない任務を与えられた小さな菱型戦車のM2
ヨーロッパの電撃戦を見て75mm砲を積んだ戦車が必要だと考えたけど
実現できなくて、やむなくスポソン配置にしたM3リー
やっとこさ砲塔に75mm砲を積んだM4
機甲戦術らしきものが生まれるのはヨーロッパで血を流してからだな
14名無し三等兵:03/07/24 01:17 ID:6s42oOsm
WW2前後の不思議としては駆逐戦車への異様な執着。
すなおにM4を強化するかM26の開発を急げと思うのは
素人のあさはかさ?その辺の思想的背景が知りたい今日この頃。
15名無し三等兵:03/07/24 01:32 ID:???
どうせ星型エンジンで腰高だから
16名無し三等兵:03/07/24 11:32 ID:FpdvVfkn
>>14
戦前は日本陸軍以上に金欠でピーピー、
機甲どころじゃなし(研究はやってた。アイクも論文書いてる)

フランス戦でパンツァー見て機甲マンセーになったのは、列国陸軍も米陸軍も一緒
但し列国が歩兵師団の対機甲火力を増強しようとに対戦車砲を選んだとき
代わりに対戦車自走砲(駆逐戦車)を選ぶ余裕があった

高機動、重火力の駆逐戦車が敵戦車の相手をするなら
後は歩兵支援の中戦車がありゃいいじゃん、つーことでM3・M4大量産
自動車産業の国だけあって足周りは良く、迂回・追撃と何にでも使えたので
戦争に勝てました。とさ
17名無し三等兵:03/07/24 11:52 ID:FpdvVfkn
欧州反攻前に独重戦車(虎、豹)の情報は得ていたが、本気にしなかった。
実際に遭遇してから重戦車の開発を本格化させたが
もちろん間に合わなかった。

と言っても、戦車兵が4号やヘッツァーから撃たれても
みんな「タイガー、タイガー」と報告するのでややこしいが、独重戦車と遭遇するのは稀で、
主な敵は対戦車砲だったので、
HEが撃てるM4で実は十分だった
1814:03/07/24 16:34 ID:???
回答感謝。

>但し列国が歩兵師団の対機甲火力を増強しようとに対戦車砲を選んだとき
>代わりに対戦車自走砲(駆逐戦車)を選ぶ余裕があった
この辺は一応知ってました。戦争入る前は駆逐戦車と戦車に役割を分ける
というには情報不足もあるだろうしまあ仕方がないかなと思うのです。
しかし戦争に入ってからも続けたというところが疑問。製造の手間でいったら
双方さほど変わりなさそうですし明らかに戦車の対戦車能力を拡充したほうが
合理的だったと思うのですが。しかも実際駆逐戦車がした仕事は陣地潰しで
仕事がかぶってるし。朝鮮戦争期の米師団のように対戦車隊に戦車を組み込めよ!
と考えちまいます。それほどまでに駆逐戦車と戦車の分離を「続けること」に
意義があったのだろうか?ということをいいたかったわけで。

結局>独重戦車と遭遇するのは稀で
今んところ重大な問題じゃないし ま いいかていう感じでやってるうちに戦争が
終わっちまったてこってすか?
19名無し三等兵
>>18
官僚的な理由も大きかったと思うよ。
開発主体を調べてみ。