【開発】 航空機メーカを語るスレ 【生産】

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393眠い人 ◆gQikaJHtf2
閑話休題。

質問スレにてLockheedの歴史について教えて下しいっつ〜のがあったけど、米国企業は取り上げてないんだな。
てな訳で、Lockheedについて少々。

The Lockheed Aircraft Co.は、1932年に設立された企業ですが、その前史があります。

1904年、Allen Lougheadと言う青年が、San Joseに居ました。
彼は、同年に操縦を学び、暫く操縦士として活動した後、1913年にModel Gと言う三座水上機を製作、
Christoffersonに、Alco Hydro-Aeroplane Co.を設立して、営業活動を続け、1915年には、この
機を用いてパナマ・太平洋博覧会で乗客輸送(遊覧飛行)を行い、600名を乗せて4,000ドルを稼ぎ
ました。

この資金を基に、Allenと、彼の兄弟のMalcomが1916年3月、Santa Barbaraに於いて
Loughead Aircraft Manufacturing Co. を設立し、John K. Northropを主任技師として、大型の
飛行艇F-1を開発します。
1918年、F-1は初飛行に成功しますが、第一次大戦が終了した為、海軍の採用は見送られ、暫くは
忍従を強いられます。
この間、1920年にはOaklandに工場を持つ、Christofferson Aviation Co.と合併しています。

1926年、Santa Barbaraを引き払い、Burbankの小さな工場に移ります。
また、この年、Lougheadでは発音がわかりにくいと、社名をLockheedに変え、Lockheed Aircraft Co.
となります。
此処でVegaを開発し、それが久々の同社のヒット製品となり、以後単発小型流線型旅客機を次々に
開発します。

しかし、開発費を得る為、1929年7月、Lockheedは投資家組織が設立したDetroit Aircraftの傘下に
なります。
ところが、この会社は投資回収を先行させ、各社が行う新規投資、製品研究を禁じ、為に各社は
大きな損害を被ることになりました。
394眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/04/24 23:25 ID:???
1932年4月、投資家の逃避と1929年の大恐慌の波に洗われたDetroit Aircraftは没落しますが、
その前に、Loughead達は、トンネル会社としてVega Airplaneを子会社化し、各種研究、投資を行って、
1932年6月21日、改めて、Stearmanを援助したRobert E. Grossによって、Lockheed Corp.として再出発
し、最初は全金属製Orionの開発を提案しますが、却下され、改めて双発旅客機Model10 Electraの
開発を行い、1934年に初飛行に成功し、これは、Executiveの移動用などに大いに重宝されました。

これの開発とその成功で、Model12 Electra、14 Super Electra、18 Load Sterと言った各種の高速旅客機
を開発します。

特に、Model 14は各国に輸出され、英国ではMunich会談に向かうChamberlainの乗機と成ったほか、
日本では陸軍と大日本航空が導入を決定し、立川飛行機では製造権購入と技術提携を行い、1939年から
本格生産を開始しました。
立川製はエンジンがハ26に換装されたほか、客席を再設計していました。
1940年以降は川崎航空機でも生産を開始、川崎では14の欠点だった低速時の安定性不良改善や、搭載量
の増加のため、胴体をストレッチした一式貨物輸送機を製作しています。
ちなみに、奇しくもLockheed 18の改善点も全く同じだったりします。

また、軍用機メーカーとしては、英国が発注したModel14改造のHudson哨戒爆撃機を手始めに、18改造の
Ventura哨戒爆撃機が製造され、これらは、米陸軍でA-28/29、A-34、AT-18としても用いられ、米海軍では
PBO-1、PV-1、PV-2として生産されました。
なお、これらの軍用機Versionについては、1938年に傘下に置いたVega Airplane Co.を1941年に完全子会社
化し、1943年に吸収してVega Divisionで製造されています。

更に、Model22と言う双発の重戦闘機が開発され、これはP-38として採用されました。
これ以降の機体は、K.K.Johnsonによって行われ、彼はその後、P-80、F-90、F-104などの戦闘機開発の他、
Skunk Worksを率いて、U-2、YF-12、SR-71、F-117の原型機などの開発に携わることになります。
395眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/04/24 23:26 ID:???
また、民間機として、Model 14のOwnerだったHowerd Hughesの依頼を受けて、彼の息の掛かったTWA向けに
高速旅客機Model 49 Constellationを製作し、これは発展を重ねてL-749、L-1049、L-1649と進化していきます。
同時に海空軍向けに、C-69、C-121、EC-121(WV)も製造していました。
ちなみに、C-69の爆撃機型としてB-30と言うのも提案したりしています。

1950年代の民間機のジェット時代に対応する為、Lockheedはターボプロップを選択し、L-188 Electraを製作します
が、最初のCL-303案はAmerican航空の要求に適合せず、CL-310案が採用されました。
ところが、新規就航の直ぐ後に2件の重大事故を起こし、その対応に追われている間にB.727などの新型機が就航し、
多大な損失を被りました。

対潜哨戒機としては、PV-2がトラブル続きで、新たに専用機として、P2Vが製作され、これは米海軍の主力対潜機
に採用されました。
その後継として、L-188を基にしたP3Vが製造され、これは今日に至っています。

一方で、戦術軍用輸送機として、西側代表的な機体となったL-100、軍用名C-130が製作され、これも長らく主力生産
機種となっています。

Lockheedはラムジェットについて幾つかの実験機を開発していますが、宇宙開発、ミサイル開発への進出は遅れ、
地上発射は抑えられていたので、人工衛星、SLBMの開発を始めました。
海軍と共同でSLBMを開発、これをPolarisと名付け、社内組織にMissile System Div.を設け、その生産に
入る頃になる1961年6月より、Lockheed Missiles and Space Co.に社名を変更しています。

その後、C-141、C-5などの輸送機開発などを経て、1977年に再度社名を変更し、Lockheed Corp.とし、
社内組織を、Vegaから発展し、新工場を建設したMariettaを拠点として輸送機開発・製造部門となった
Lockheed-Georgiaと、従来からのLockheedの拠点であるCalifornia各地で、戦闘機などの小型機開発、
研究部門となっていた、Lockheed-Californiaに分けました。
396眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/04/24 23:27 ID:???
民間機部門では、久々に開発したAirbusであるL-1011 Tristerが大転けに転け、会社経営を危うくしま
すが、丁度、軍需関係の受注で一息つき、1987年には完全分社化を企図した、
Lockheed Aeronautical Systems Group(LASG)に社名を変更しました。
この時、旧Skunk Worksも独立し、Lockheed Advanced Development Co.(LADC)となっています。

1993年3月1日、A-12計画とATF採用で敗れ、苦境に立ったGeneral Dynamicsを買収して、Fort Worth
部門が新たに誕生し、1995年3月15日には、Lockheed Corp. & Martin Mariettaとなりました。
この会社の航空機開発・生産部門はLockheed Martin Aeronautical Sectorで、これは、Mariettaに
本拠を置き、旧Lockheed社製航空機製造を主な事業とする、Lockheed Martin Aeronautical Systemsと、
Palmdealに本拠を置き、先端技術開発を行う、Lockheed Martin Skunk Works、Fort Worthに本拠を置き、
旧GD社製航空機製造や軍用機開発を主とする、Lockheed Martin Tactical Aircraft Systems、更に
物流を担当する、Lockheed Martin Logistics Managementと、ミサイル、ロケット、人工衛星などを開発する、
Lockheed Martin Aero & Naval Systemsに分かれています。

この会社は、1997年、更にB-2以外製造する機体が無くなったNorthlop Grummanを買収して、その傘下に
組み込み、現在に至っています。