スリムも飛行機が必要だった。彼の第一四軍は、日量七五〇トンが物質が要る
と算出されていたが、メイクテーラ作戦がフル稼働する三月以降は、これが
一二〇〇トンに上る。ある朝、インパールの司令部で上空を飛行機が飛ぶの
を聞いたが、これは自分に割り当てられていたダコタ機三個中隊で、急に中国
へ向かうよう命令されたのだと知って仰天した。彼は、手に入る飛行機を全部
使って、日に七千回の出撃が必要なのに、予告なしに七五機を失うのはひどい
痛手だ(Lewin,Slim 217頁)。紛糾のもとは、中国情勢である。シェンノート
航空隊が、やがて日本本土を空襲するはずだ。その中国のアメリカ軍前進基地
に対し、その使用を封殺するために日本の中国派遣軍が一号作戦を発動し、
飛行場群の奪取を狙っているのだ。
<ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻 291頁>