>288
例えばだ。>280の様な発言をする奴に対して「陸軍も金があれば大機甲部隊を
創設して、ドイツ流の機甲戦術を導入したドクトリンを作り上げていた」なんていって
納得すると思うか?
漏れはとてもじゃないがそうはおもわんぞ。戦車の数は増えた&質的向上が
あったかもしらんが、戦術自体に革新がありえたとは思えない。
つまりはそう言うこと。
>>290 日本陸軍にも機甲戦術を説く先覚者はおったわけだし
金が腐るほどあればそういう連中に金を回して効果が
あるかどうか実験する余裕もあるわけだしそうすれば
例の欧州視察報告を元に革新的戦術を編み出した
可能性もあるわけだしそもそも「電撃戦術」なるものは
現場司令官の独走が偶然に生んだ産物であって何もドイツ
だけが考え出せたものではないし
>>291 機会があれば暴走したかった気持ちは、師団長や軍指揮官の方が上だったりして。
んで、結果として少壮将校の独断が抑制されていたりして。
勝てば政府が追従してくれるという甘えた幻想がクソ
>291
陸軍はどうかわからんが、海軍自身は艦隊決戦に特化した歪な編成という
自覚はあった。しかも、主力を削減せずに給油艦をはじめとする支援艦艇と
護衛艦艇の増強が可能ならためらわなかっただろう。
(陸軍がいくら馬鹿でも、戦車の大量導入するなら、独逸から技術導入が全く
ないというのは不自然だし、その過程で、独逸風の戦術に変質していくだろう、
といのは好意的すぎる見方かね?)
>>294 陸軍さんは、栄達のほうが興味あるらしいから、組織を新戦術に合わせて、自力改変するのは、著しく困難と推定するのだが
海軍と陸軍と別々に建軍したのが間違ってた。
一軍にすべきだったのだ。
それなのに今の自衛隊は三軍に分かれてる。
どうしようもないね。
>>296 釣りはやめれ。
まあ、いちおう幕僚会議で統合されているのだが
一式戦で零戦に空戦で勝つ方法を教えて下さい。
やはり徹底した編隊行動によるロッテ戦しかないのでしょうか?
当方、一式戦2型乗りです
>>298 雲間からいきなり飛び出して一撃離脱
太陽を背にして襲撃
陸軍はマレー以降の戦訓の活用、海軍は海上護衛のプライオリティーが
高くなって以降の艦隊運用を調べれば、
>>294は火葬戦記波の妄想だと
言うことが分かる。
>>294 学研の「戦車と砲戦車」とか見ると、独ソにこそわずかに遅れているかもしれないが、
運用思想的には日本もそうそう遅れてはいないように感じる。
>>301 しかし、それを軍全体に波及できなかった。
組織、組織文化論だね。
303 :
300:03/06/28 13:37 ID:???
>>301-302 俺の言いたいのは正にそこ。一部の人間が先進的考えを持っていたとしても、
それを全体に敷衍出来ないのが日本陸海軍だったとおもっている。
その一部人間の考えが、金さえあれば実験出来て有効性が確認される>
そこから軍全体が改革される、なんつー事を言う
>>294みたいのは馬鹿
そのものだと思う。
>>303 いやいや、陸軍はハードこそ時代遅れだったが、運用思想は全軍的に見ても
そうそう遅れていなかったといいたいんだが。
>>304 たとえば?
機甲戦力の運用だって、強固な兵器での、迅速な緊要地形突破にすぎないし、追撃も旧弊な理解のまま。
反撃に備えて、緊要地形を逆占拠するなどの、作戦的な新発想も少ないような…
いずれにしても、半可通の糞コテは消えたか。
>>306 いずれって、なにがどういずれなんだか…
>>305 例えばドイツ軍と日本軍の機甲運用のいちばん大きな差って何だと思う?
>>308 それを提示するのは、「陸軍の発想は世界水準から見ても落ちていない」と主張する人々でしょ?
>>309 「大きな差は無い」って主張してるんだから、逆では?
>>311 じゃあ、逆に問うわ。
どれくらい迫っていた?
ドイツは装甲化のまえに、自動車部隊の運用をやっていたし。指揮官にも演習含めて教育があった。無線も普及していたし。
どう?
日本陸軍って、包囲撃滅が好きだったり、機動力維持のために大砲を軽くしたり、
ドイツ的な機甲運用が育つ土壌としてはそう悪くないと思う。
フランスやイギリスあたりよりもいいくらい。
>>313 好きだけど、達成したことは「ごろつき」相手ばかりじゃない?
理念と実践とのあいだに、大きな差があるような。
>>312 語ると本一冊になっちまうので、例の本を見てもらうと早いが。
ハードに付いては本当に揃わなかった。
けど、機甲軍なんか編制したり、ハーフトラックとか自走砲とかも含まれた
諸兵科連合の機甲師団の編制を理解できていたのは間違いないだろ。
>>314 そうそう。思想はいいんだけど、装備がね。
ハードがトータルでへぼい。
>>315 本一冊分でもいいから、語って根拠を示してホスイ
機甲軍が編成された時点で戦車+機械化歩兵+自走化された砲兵の諸兵科連合の機甲師団の運用思想を理解していたのだから、
フランス的あるいはイギリス的な歩兵+歩兵戦車という運用思想よりは進んでいたといえるんじゃないか?
イギリスのカーンの辺りでは、いまだに歩兵と支援用の戦車の平押しをやってるわけだし。
最小抵抗線の突破という発想があったのかどうか…
それと、独ソより遅れていたことは異論ないよ。
>>318 しかし、軍(軍団編成じゃないので、議論しづらい気もする)レベルでの統合までは行っていない。
ドイツは機甲軍団で運用したし、ソ連も開戦初期は大きすぎる編成だったけど、そうだった。
日本はどうよ。機甲を支援する編成構造だったか?
軍団(軍?)レベルでない、編成上の軍であって、ミニチュア的なモデル編成にすぎないのでは?
と、突っ込んでみる。
>>319 ソ連は超戦車T34があっただけで
戦術・戦略的に優れたものはないだろ
ずっとソ連式電撃戦だったわけだから
>>312 うん。だから、あえて機甲「師団」と書いた。軍レベル(≒戦略レベル)までいってない。
脳内では、そこまでいっていたかもしれないが、部隊にはなってないね。
モデル編成というのは当たってると思う。
しかし、真に軍(軍団)レベルの部隊が編成できなかったのは、
運用思想の遅れよりも資源面の制約の方が大きかったんじゃないかなぁ?
で、繰り返すけど、独ソよりは遅れていたように思う。
とくにソ連の理論完成度はスゲー。
>>323 話をループさせないでくれ〜。
逆に、資源があったら、機甲軍団化したと思える?
そもそも、日本には実践レベルの指導者(めいた)ひとはいても、理論家はいなかったわけだし。
ソ連のスゲーところは、戦車部隊だけでなく、空挺部隊も対地攻撃機さえも
すべて縦深突破理論の中に「軍の正式なドクトリン」のレベルでキチンと位置付けられていたところ。
それも30年代早くから。
ドイツはまだまだ正式なドクトリンになっていない頃の話。
>>324 運用思想的にはモデル部隊の編成まで言ってたんだから、技術面での裏づけさえあれば、
実現した可能性は決して低くないように思う。
技術面というのは、資源の多少とはまた別の問題だから。
例えば、当時のチェコとか技術はいいでしょ。ZB26とか。
>>326 師団レベルは、あくまで戦術部隊の集合で、最小の作戦編成に過ぎないでしょう?
それを、モデル的に一個(あるいは、やや増強して軍編成)としても、それを軍団レベル運用と比較にはならないよ。
だって、突破正面も、深度も狭すぎて、やっぱり単なる「作戦境界内部での、戦術行動の当否」にすぎないわけだから。
マレー半島にしろ、中国にしろ。
日本に戦術に関しての理論家ってだれがいるかな?
陸軍に限らず海軍でも。
例えば、空母機動部隊の運用の理論家ってだれ?
山本五十六もどちらかというと軍政家で戦術理論家ではないよね?
329 :
名無し三等兵:03/06/28 15:00 ID:p9kwUyVJ
日本で戦車が欧州ほど発達しなかった理由の一つに、陸軍の想定していた
満州の地での対ソ連戦において、満州の地質的な要素で大型戦車の運用は
難しいと考えていたことがあげられると学研本にあったぞ。
満州には欧州の乾いた地面ではなく、湿地帯が多いらしい。
でも、その後のT-34は湿地帯でも平気で進撃してきたけど・・・。
>>327 現実での日本と独ソとの最大の差はそこかも。
しかし、ソ満国境じゃ歩兵の機動力が基準でも軍レベルでけっこうでかい機動考えてたみたいだし、
真の機甲軍団を編成できる状況があれば、「やや増強して軍編制」よりも一段規模が大きい運用を
考えるようになっていたように思う。
ま、どこまでいっても推測だけどね。
>>321 日本の師団って欧米の軍団的な性格があったように思う。
とくに日本の師団、欧米の軍団を支援する直轄部隊の運用に関して。
>ソ連型ドクトリン
「皆、それを理解した上で発言してる」
そう重い鯛、面い大河・・・・と、釣ってみる w
333 :
名無し三等兵:03/06/28 15:23 ID:UNm7R7Kp
零戦が優秀だったのは対爆撃迎撃に大きな効果のあった
斜目銃を搭載可能だったからである。
一式戦は斜目銃を搭載できぬほどの脆弱は機体だった。
1936年版の赤軍野外教令って、少なくともバルバロッサでのドイツ軍レベルなんだよな。
>>312 あとドイツ軍で電撃戦の思想が受け入れられやすかったのは、
第一次大戦で浸透戦術の効果が実証されていたことが大きいと思う。
スレ違いの話題でスレストしちまった。スマソ。