1 :
PANZER読者:
私は戊辰戦争マニアです。自分は自分の結婚式のとき、江戸幕府海軍総裁榎本武揚の軍服、そして、
あの詰襟の官軍の軍服を着ました。官軍の軍服の時には、ハグマ、シャグマの髪飾りをつけました。
当時の軍装は洋装と和装の混じった和洋折衷です。
多くの皆様、ここで集いましょう。
2 :
名無し三等兵:03/06/09 15:44 ID:Yh3rRUVA
自営業阻止
余裕の2ゲット
…は無理か
宮さん〜聞いて海戦切手吊ってくる
4 :
名無し三等兵:03/06/09 16:03 ID:P2j78E4R
山口県民ですがいまだに会津では山口県人は嫌われているというのは本当でしょうか?
幕軍を勝たせるにはまず公方を更迭しましょう
そして、総司令を小栗にする
これで五分五分くらいでは?
エミュー銃三千丁もらっても勝てない香具師は何やっても勝てない
薩長軍が勝てたのは政争の勝利によるもの。
兵器の優劣だとか近代化とは関係無い。
むしろその面では、幕府側の方が勝っていた。
>>9 佐賀軍は結構イイもの持ってるよ
でも、それが近代化って訳でも無いけど
幕軍は第二次長州征伐を成功させなきゃ苦しいね
>>4 マジです。
わしも山口出身の東京在住。出身を聞かれる度に相手が会津の人だったらどうしようとビビる。
>>11 会津+桑名人の子孫です。
会津、桑名人の長州に対する敵愾心は年寄りの代だとすごいです。
薩摩に対してはほとんどないみたい。でも今の人は普段は意識しないよ。
13 :
紫暗号:03/06/11 16:50 ID:lKa374Dj
↑一時期、沖縄の人間が鹿児島の人間を嫌悪したと
似ているな
>12
その薩摩と長州の差って、何故ですか?
>>14 薩摩は西南戦争で警視庁抜刀隊(旧会津藩士)が大暴れして
仇はじゅうぶんに取ったから。
じっさい「戊辰の仇じゃ!」と言った隊員は多かったらしい。
>16
まあ、薩摩っぽはあまり政治を牛耳らなかったけど、長州は無能なくせに総理大臣を独占し無為無策な精神主義で日本の近代化を遅らせたからな・・・
だいたい、攘夷を名目に政争しておいて、政権とった後に鹿鳴館などでケトウに媚びうるような外道は、墓を暴いて鞭打ちしたいね
徳川慶喜がやる気を出せば勝てた
最初から大将がやる気がないんだから負けて当然
>>17 武家精神を捨てられない薩摩に政権を持たすほうが近代化は遅れた罠。
>>18 とりあえずあの敗北主義者は敵前逃亡罪で死刑が相当
鳥羽伏見の戦いでだれよりも最初に軍艦に乗って敵前逃亡してる
制海権は佐幕軍が握ってるんだから大阪に誘い込んで
開陽丸のクルップル砲を薩長軍にお見舞いしてやれよ
21 :
12:03/06/12 01:14 ID:???
>>14 うちの場合、母方(桑名)、曾婆ちゃん(会津)なんで
普通の会津人の感覚と多少違うかもしれないけど、
江戸時代、薩摩藩が長良川の治水をしてくれたことが
薩のイメージアップになってるみたい。
長州は遺体の埋葬を禁止したことが嫌われる一番大きな理由かな。
>>20 同意だな。
徹底抗戦をすると部下に告げたのであれば指揮官はケツをまくってはいかん。
指揮官は進軍においては部下の前に立ち、後退においては部下の後ろに立たないと。
大体、途中までやる気見せといて自分だけ逃げ帰るという心情がなんというか。
海上機動で後背を絶つとか色々手はあるだろうによ…。
小栗上野之介をトップに据えれば?
家柄的にも問題ないし
長州は、ゆ・る・さ・ん。
戦争屋ルーズベルトを、許しても
残虐共産主義者、スターリンに目をつぶっても
恩知らずのちょんを、見逃しても・・
長州は、ゆ・る・さ・ん。
列藩同盟裏切った連中も、憎々しいがそれは別としても
長州だけは、ゆ・る・さ・ん。
代がどれ程、変わろうと孫が曾孫になろうとも
ご先祖様の恨みだけは、子々孫々まで受け継いで
恨み果たし遂げる、その日まで絶対に許さん。
奴等は、それだけの事をしたのだ。
草むらを踏み分け、藪を切り開き、川底を浚い続けても
何千人の群集に紛れ、隠れ住むとも
か・な・ら・ず、、見付け出し、恨みの眼光で呪い続ける。
どんな事があっても、利権政治家がセレモニーを開いても・・・
長州だけは、ゆ・る・さ・ん。
>>24 激しく同意
当方の曽曽祖父、切腹させられたよ。鳥羽伏見の戦い薩長勝利の功労者でありながら
長州の連中、文久三年八月政変の首謀者は松平容保公を除いて全員殺している
ルサンチマン(・∀・)イイ!!
福島県の人は愛憎の念が強く、昔(場合によっては先代にも遡って)有ったことを
延々と忘れない。さらに自分より対等ないし下と見ている者に上に立たれる事を
この上なく嫌い、あの手この手を使ってそれを引きずり降ろそうとする。
そう云う土地柄なので、この地方からは偉人や著名人は発生し辛く、まれに上京
して大成した者が居ても故郷人には怨嗟の対象でしかなく、自然と故郷との縁が
薄くなる。
・・・と司馬遼太郎は云ってるね。出典は『歴史を紀行する』だったかな。
福島県民だったけど浜通りなので会津のことはよく知らね。
>25
貴方の曾曾祖父は何処の藩の方?
文面からではどうも掴みづらい。
戊辰戦争の幕府側というとやっぱり会津・長岡が主流なんだね。
俺も一応奥州列藩同盟だったところの出身(新潟県内)だけど
小学校の修学旅行は会津だったよ。
なぜ会津だったのかその当時はよく理解出来なかったけどね。
そして今は土方歳三の生家のすぐ近くに住んでる。なんか不思議
>>27 福島県を朝鮮半島と置き換えても読めるね。
先祖がアホだと敵どころか子孫まで呪ってしまう悪い例だな。
───────────────────────────−──────―
────────‐───────────−────────────―─‐
─‐────────────‐────────‐∧_∧ ───‐──―──‐
─────‐∧ ∧,〜 ────────────‐(; ´Д`) ────―─‐──‐
──−──‐( (⌒ ̄ `ヽ───_ ───────‐ / /─―/ヽ────―─‐
──―───‐\ \ `ー'"´, -'⌒ヽ──────‐| |長州人‐─‐/ | | ─────―
―‐――──‐ /∠_,ノ _/_───‐―──―─‐| | /─―/ | |―────―‐
─────‐ /( ノ ヽ、_/´ \―────‐──‐∪ ./──,イ ∪ ────―─
────‐ 、( 'ノ( く `ヽ、 ―────―‐| /−─/|| | ──−───―
───‐‐/` ―\____>\___ノ ──────‐|/──/ || | ────‐─―‐
───/───―‐/__〉.───`、__>.―‐―───‐─―‐| || | ─────―─
──/──‐──────────────―−───‐(_)_)─────―─
─/────────−────────────‐──────────―‐
───────────────────‐─────────―─────‐
・・・・・・・・・・ 31 ・・・・・・・・
お前、、長州出身者だな???
憎い、憎い、憎い、憎い
呪ってやる、絶対に呪ってやるぅぅ
この地球上の、何処に潜もうとも
決して逃がしはしない、、、
例え代が変わっても、血を薄めても
その罪業は消せはしない、、、
どんなに無関係を装っても、その地に
生まれ落ちた、だけで同罪だ、、
貴様等のせいで、喉を血で染め呪詛を吐き続けた
幾千人の恨みを思い知れ。
誠実に正義を、一途に貫き通した末に逆賊の
汚名を着せられた、恨みを思い知れ。
34 :
25:03/06/13 22:26 ID:???
漏れは天領出身
天註組に代官所の役人が首切られて
晒されたとかいう言い伝えがある
当時、代官所は大して人がいなく、代官はまったくついてなかった
死んだ爺さんが言うには天領は余り年貢の取り立て厳しく無かったと
ヤター!朝鮮人みたいな連中に呪われるってことは法則発動だから
幸せになれる(w
戊辰戦争は鳥羽伏見で幕府軍が朝敵になった時点で勝敗は見えてるだろ。
>>33は極端だなあ。
長州嫌いとはいえここまでアレじゃないっすよ。会津。
昔何年かすんだことがあるんですが、
閉鎖的で余所者には冷たいけど慣れれば「三泣き」ってくらいいい土地でし。
福島県の浜通り、中通り、山通りって、風習とか方言とか違ったりするんか。
静岡の駿河と遠江みたく。
それとも、単なる天気予報の区分けの為?
鹿行なんてフツー読めねえぞ、カナ振れ天気予報!
てか、北部、中部、南部、西部ときて何で鹿行となるんだ、東部じゃ駄目なんか茨城県?
一体どういった教育をすれば、100年以上前の恨みをこれほどまでに
継続できるのか? これはこれで興味有るな。
この前映画館で「ラストサムライ」の予告編をみた。
かなり勘違いな日本の描写もあったが、会戦シーンがあるみたいなので
ある意味楽しみ。やっぱり南北戦争末期の変形オーダーミックス隊形のような
戦い方をするのかな?
>>39 むちゃくちゃ違うよ。浜通り→言葉汚い。気分屋。サッパリしてる。
中通り→地味で堅実。ブランド志向。
会津→頑固。ただ頑固(w
>>40 ジジババの昔話が「戦で負けた藩士の死体を埋葬することさえ禁止された・・・」
なんですよ。
でもまあ、ソレを言うなら関が原の恨みを300年間言いつづけてきた長州には
負けますけどね。
母は中通り出身で浜通りのオヤジの家に嫁いできた。
浜通りの言葉の汚さ・乱暴さにかなり引いたらしい。
44 :
25:03/06/16 13:52 ID:???
>>42 関ヶ原もひっくるめてお返しされたよ
淀藩の稲葉家だが、関ヶ原の時は小早川秀秋の一番家臣です…稲葉正成
長州とは一生仲良くなれん。
もっとも大江家とは親戚なので、毛利と私は同じDNAを持っているのだが…
ついでに坂本竜馬も明智家の末裔だから同じDNA…(稲葉正成の奥さんの
父は斎藤利三で明智光秀の筆頭家臣で本能寺&天王山の戦い主力。斎藤利三の
母は明智)
幕末だが、実はかなり親戚の骨肉の争いだったりする
会津藩士の生き残りで、箱館戦争後も斗南藩に行かないで
そのまま北海道に住みつづけた人がいたらしいけど、
そういう人は多かったの?
白虎隊に涙涙・・・
会津藩校「日新館」に昨日いってきやした!!
白虎隊の遺品に涙腺がゆるみました
意外だったのが畑俊六大将の遺品 なんでも会津の郷土軍人だそうで
大礼服 勲章 そして元帥刀と恩賜の軍刀が展示されていた
元帥刀と恩賜の軍刀って小烏丸造りだったのね 初めて知った
跳ぶが如くで西郷さんを演じた福島県出身西田敏行の地元の評判
はどうなんでしゅか?
話は少しずれるが、志茂田カゲキ著「大逆説!戊辰戦争(だったっけ?)」では
河井継之助(長岡家老)と、佐川勘兵衛(会津家老)が大活躍して楽しかった。
>>48 彼の作品は、トンデモ本になるのでは。
(孔明の艦隊とか)
>>49 一連の作品でも、関ヶ原に次ぐくらいの可成り初期の作品。
孔明の艦隊よりかは、まだ読める。
実はまだ持っていたりするが(苦藁。
>>49 かなり普通の作品だよ。白虎隊の描写は凄くて悲しかったなぁ。
>>47 まあ多少福島でも責められたらしいが
それよりむしろ鹿児島で評判悪かったらしいぞ。
太ってりゃ西郷さんってわけじゃないって
まあ末期は肩パットすぎだしな。
欲しいけど服が売ってないよ!
学生服じゃネ
西田さんは山県狂介もやってたから、抵抗無いよな
っていうかいつまで恨み辛みいってんだお前ら馬鹿みたい
何で幕末の話するとすぐにルサンチマン持ち出すかな・・・
軍板で幕末関連スレが育たない理由ってこれか?
>>48 あれは正直頭抱えた(w
楽しいことは楽しかったがな(藁
まあ、長岡の第一次落城〜奪還までは、史実どおりなんだがな。
実際、継之助が生きてても、長岡の第二次落城が避けられたかは疑問なんよ。
山県が例え、奪還作戦の中で死ぬようなことがあっても。
城の奪還作戦において、市北部に孤立した薩摩兵相手に、相当の損害を出してんのよ、同盟軍側は。
この薩摩兵相手の戦闘で流れ弾に当たって、継之助は重傷を負ったわけだが(薩摩兵は信濃川を渡河して撤兵…)。
例え山県が死んでたとしても、薩摩の黒田もいたわけだし、比較的短期間で事態収拾したでしょう。
兵数的には官軍の優勢は変わらんわけだし、山県が死んだとしても、奇兵隊が消滅するわけでなし…。
んで、薩摩兵は健在と。それほど中核は変わらんと思うのよ。
しかも、柏崎・新潟への新政府軍の上陸。
下越地方の雄藩である新発田藩の官軍側への参加。
包囲態勢ができつつあったわけだからね。
関東地方からの援兵も進みつつあったはずだし。
ナポレオン並みの各個撃破できる機動力がありゃあ別だろうけどさ。
それやったらマジで妄想戦記だろうな(藁
河井継之助は軍政家としては優秀だと思うが、作戦指令としては如何か物かと。
実際、渡河作戦では後れをとり、主力が健在のまま長岡城を陥落させられている。
どこか幕末〜明治初期で、ネトゲ作ってくれる所ないかな。
面白いと思うけど。
>>57 どうですかね…軍政家としてどうかと思うが、前線指揮官としてはなかなかと思われる、
後の元帥、山県有朋氏の先手を取り、一応は敗走にも追い込んでるわけですから、
前線指揮官としては悪くないと思われますが?
主力健在のまま、長岡上が落城させられたのは、寡兵ゆえに、当初の前線となった、
長岡南部の朝日山周辺に兵力を集中させざるをえなかった要因が大きい。
健在の主力を手際よくまとめて、見切りよく後退したあたり、戦機を的確に四d寝入ると思います。
さらには、長岡北方に薄く官軍の防衛線が広がるや、直ちに適切な反撃にも転じている。
ただし、寡兵が最後まで祟っている。
大沼地である八町沖渡渉などという奇策中の奇策に頼らざるを得なかったあたりに、
それが如実に表れてますな。
60 :
名無し三等兵:03/06/17 13:00 ID:llhdlcUq
大東亜戦争に負けたとき、会津のおばあちゃんが
「日本は負けていない!負けたのは薩長じゃ!」
と叫んだとか。
>>60 藩閥支配は、奥羽越列藩同盟の中心的存在であった仙台藩の地の出身である
原敬が、最初の政党内閣の首班となった時点で終わったとされるわけですが…。
根が深いのか、ネタなのか…。
62 :
名無し三等兵:03/06/17 13:39 ID:VYBMTdJz
>>61 おい、原敬は盛岡出身。つまり南部藩。伊達と一緒にすな。
63 :
山口県民:03/06/17 13:42 ID:???
映画奇兵隊みろよ
>>62 ふん、南西の方からすれば、どっちがどっちか区別がつかねえよ。
というのは冗談にしておいてくれ、マジでスンマソ…。
いかんな…日本史全般の知識が偏りすぎてる…
回線切って逝ってくらあ。
>>59 河井継之助より桑名藩の立見尚文の方が前線指揮官としては有能、朝日山攻略戦も彼の功績は大
同盟の敗北は、河井を同盟軍の総督にして指揮権を一元化することができなかったのが痛いな。
じっさい、薩長の兵站は現地調達主義→これは帝国陸軍に引きつがれる補給軽視
そこいらの弱小藩を恐喝して、軍資金も兵力も供出させて膨れ上がった兵力、
時勢にのっただけのカス(土佐の岩村など)が指揮しているようでは・・・
こんなのに負けるなんてついてないね・・・
>59
一介の弱小藩に完全洋式装備の部隊を編成させた事や、その戦力を持って中立
を保とうとした状況把握能力は評価に値すると思うけど。
戦闘指揮に関しては正面の敵に目を奪われすぎて、遊撃部隊に対抗する予備戦力
を用意しなかったのは減点材料と云わざるを得ない(後知恵意見は承知)。
>65
幕末で立見尚文(鑑三郎)並の戦上手な奴は数えるほどしか居ないわな。
ゲリラ部隊では無く正規軍を扱わせていたらどうなってたか、興味が尽きない。
67 :
59:03/06/17 15:07 ID:???
>>66 立見が屈指だってのは認めますわな。
河井に決定的に欠けていたのは実戦経験。
そのあたりが、予備兵力を置いていない…まあ、置き切れんのだけど…という部分に現れているというのは、確かにそのあたりの限界があるでしょうな。
ただ、朝日山攻撃が最初の采配だった…そこはそれ、指揮官足るの胆量、度胸というテンで不足はなかったと思われなんて食い下がってみたりしてね(苦笑)。
他戦線含みで、ランク付けするなら
立見>土方>大村>河井、山県>板垣、榎本>薩摩兵を率いた誰でも>>>>>>>>>>>>>>岩村のクソカス
なのが、自分の脳内序列のわけですが…(苦笑)
>じっさい、薩長の兵站は現地調達主義→これは帝国陸軍に引きつがれる補給軽視
>そこいらの弱小藩を恐喝して、軍資金も兵力も供出させて膨れ上がった兵力、
>時勢にのっただけのカス(土佐の岩村など)が指揮しているようでは・・・
他にも薩摩や長州の軍制の欠陥が後に尾を引いた例はありますかね?
昔読んだ本では「長州は一貫して砲兵軽視」とかありましたが。
>>12 藤堂高虎の遺訓が聞いたのか、勝ち馬について裏切ったのに
よくそんなことがほざけるなあ・・・・
桑名人は恥知らず。
70 :
12:03/06/17 20:30 ID:???
>>69 桑名藩は松平家。藤堂家の津藩とはちがうよ。会津藩主の実の弟。
桑名藩は意見が二分して、藩主は越後の飛び地領の柏崎経由で
会津鶴ヶ城や五稜郭を転戦。一方は城に残って新政府に降伏した。
うちの先祖はお徒歩だったけど五稜郭まで従った、で明治になってからは
隠居した定敬公に目をかけてもらったそうです。
71 :
62:03/06/17 22:14 ID:???
>64
> ふん、南西の方からすれば、どっちがどっちか区別がつかねえよ。
思わずワラタ。(w
いや、それが一般的な見方かも知れない。北の人間も他人のこと言えないし。
72 :
名無し三等兵:03/06/18 07:54 ID:V7WZLsXs
3年前萩を旅行したとき、人好きっぽいおばあさんが話しかけてきて、
まぁいろいろ面白い話を聞いたのだけど、そのなかに
「最近は会津との中もだいぶ回復してきて、このあいだ親戚の娘が
とうとう会津に嫁入りした。時代は変わったもんだ。」
なんてことを言ってた。
こんな話が出てくること自体からして、年寄りの中にはわだかまりが
残っているのだだと思った。(笑
73 :
名無し三等兵:03/06/18 11:29 ID:sbOle3kZ
ヨシノブ将軍はワザと負けた。
彼の政治力は・・・(略
74 :
名無し三等兵:03/06/18 11:32 ID:44hx3jzt
75 :
小栗:03/06/18 11:32 ID:9ojKMcxH
フランスが金貸してくれたらなぁ・・・・
薩摩と肥前と土佐と防長カタにくれてやるのによう・・・
>75
そゆ事を裏でやってるから、薩摩と肥前と土佐と長州から見放された訳で。
しかしフランスに限らず、生糸は採れるわ金の産出するわ絵画・陶磁器などの
工芸品も豊富と、当時の諸外国から見たら日本は美味しい植民地候補だったろうな。
兵士も命令に従順で精強だし傭兵に適任で、グルカ兵の様に重宝されただろう。
77 :
小栗:03/06/18 12:00 ID:9ojKMcxH
>>76 見放されるって・・・あんた・・・
いやね、ロッシュが借款協力囁くもんだからさぁ!上様の紅葉山のお文庫金や
最後の分銅金まではたいちまって・・・
横浜のフランス陸戦隊だって助けてくれるはずだったのに・・・・
あの座頭上がりのくそや労!
78 :
小栗:03/06/18 12:03 ID:9ojKMcxH
おれが赤城山に何万両もだとぉ?
そんな金あったらガットリング銃を百丁そろえるわ!
でもまあ薩長の芋ども、御金蔵が空で慌てたらしいな。いい気味だ!
>>78 小栗忠順はそんなに度量の狭い漢じゃねぇよ
金バカバカ借りなくても、ちゃんと長州征伐の軍資金調達したし
日本初の株式会社兵庫商社作ったのも小栗だし
米国政府との交渉まとめて金の流出をくい止めたのも小栗の功績さ
幕政改革を語らない偽小栗は帰りなされ(´ `)ノ
80 :
名無し三等兵:03/06/18 15:51 ID:v66BWMEs
>>77 援助は確かに期待したが兵力の派遣は考えて無かったよ
当時はロシア、イギリス、フランス、アメリカ共に
不介入の協定みたいなものがあったから
小栗も期待してなかった
81 :
名無し三等兵:03/06/18 17:23 ID:gqG2GLOs
,、-‐-.、_,、-――‐-、,_,...、---、
,/三ニ≧\ ,、-.、.,\三ミヾ 、
//'"フ/ ,-‐〃ヘ,,∠ニ、, ヽ,'.,ミ、川ヽ\
'7' /,.//////\ヾ.' ,ヽ. '.,i | |,! ',',`i
!,' .,' ,' / / ! .|| __ヾ\.',\ |ノ// i i. |
´〉,' ,'i | i/ |.| ||'゛ ,...__.~', ' ,',レ-、| / | / | | 攘夷厨の長州は引っ込んでください。
', .i | |i┼!_|l |! ' '"( `>',.i 、i,ヾi〉i | i | |
'、' 、 !,.'゙(._ヽ `´ !|.|i '!/、|.i ',. | |.iヽ、
\',iゝ`´,| |l|, || i |', ', ', ト、'、__
| |iヽ, .ヾ _,,. ノ |i| ト、',',', '‐、!、. ̄
!,|!,. ヽ、`''''"~´ /./!| i~\'‐',、ヾメ
',`' ` .、.__ ,.. '´/'´ ノ ' _,、 ゝ‐、'!
ヽ/ / ,、.ゝ
/ / ,‐'゛ _,‐'べ,
/ / ,、 '゛ ,/' \
/ /´ , '´ ,/' ヽ,
/ .// / ,/' i
/ / / //' / i
ノ / i'.,/i ', | / i
(i / ,/' / ', | / i
このスレ見てると山口県出身の俺は鬱になる・・・
会津の人間は、未だに薩長を恨んでるそうな
終戦の際のとある老婆の言
「日本が負けたんじゃない、薩長めが負けたんじゃ!!」
長岡の場合だと、岩村をクソカスには言うが、特段、対地域での恨み言はあんまりでないようだな。
(萩と会津の仲介を市長が買って出たのも、その表れか)
あと例の「米百俵」の故事を称揚する結果、戦争を主導的に引き起こした河井の評価は落ちるようだ。
長岡ではない戦場にされた周辺市町村では、河井をクソミソに言うところもあるようで…
長岡も城は丸焼けで、城下も戦禍をこうむっているはずだが…
地域差って面白いな。
歴史にIFはいけないんだが、
もし、鳥羽伏見で幕府軍が勝っていたらいたらどうなったのだろうね。
錦の御旗に楯突いた逆賊として最終的には江戸が火の海になったのだろうか?
戦争が長引き列強の介入があり植民地と化していたのだろうか?
はたまた、薩長が降伏して幕府体制が続いたのだろうか?
ウーン、どっちにしても今のような(一応)豊かな国にならなかったかもしれんな、
北朝鮮みたいな国になっていた可能性も高いわけだ。
>>85 というか、江戸を焼くような戦争になったら、完全に民心が西と東で割れてたよ。
完全に東は東、西は西の国になってたかもしれない。
その意味では、江戸開城を西郷とまとめた勝海舟や、
幕府内でそのお膳立てをした山岡鉄舟、高橋泥舟(まとめて「幕末の三舟」という)の
功績はでかいもんだよな。
87 :
86:03/06/20 14:11 ID:???
いかん…
>>86の「完全に東は東…」
の前に一行挿入してくれ。
「鳥羽伏見で幕府軍が勝てる、という事態は、自分は想起しにくいのだが、」
>>84 二本松の人々は三春の人を嫌っている人が多いと聞いたが。
後の自由民権運動家で、衆議院議員の河野広中が三春藩兵として参戦した
ことを述懐した際、大層二本松の人に対して逆撫でするような事を言ったこと
が原因とか。
89 :
名無し三等兵:03/06/21 05:08 ID:K9MazT3k
>>85 錦の御旗は岩倉が勝手に挙げたものだから玉体さえ手に入れればどうとでもなる
90 :
名無し三等兵:03/06/21 09:36 ID:8XAVxl1f
俺の地元でも似たような話があるよ。
俺のところ、佐竹さん(秋田市)なんだけどその南に岩城町ってのがあってな。
起源は初代藩主佐竹義宣の弟である岩城吉隆。
信濃川中島に減転封されるが、秋田に移された兄義宣の指図が
遠国のためにままならないので、近くへ移して欲しいと願い出羽亀田へ移封された。
ここで終われば一族の団結を誇れる美しい話なのだが。
江戸時代の300年間に「金を貸せ!、金返せ!」で険悪な関係に…
戊辰戦争にて、久保田藩で若手藩士が仙台藩の使者を斬殺する事件が発生。
ここにいたって佐竹さんの十八番「日和見」が炸裂し、列藩同盟を離脱。
(佐竹さんは源平合戦の頃から日読みをしまくり。「文」の家柄上仕方が無いのか…)
岩城氏(出羽亀田藩)は列藩同盟側で参戦。怒涛の進撃をするも
本家の地形防御戦術と官軍の増援によって敗北を帰した。
で、ここまでは「歴史の一ページ」なのだが…
現在の岩城町は秋田市のベットタウンとして発展。多くの住民は秋田市へと通勤している。
で、合併協議会で当然の如く秋田市への編入と思われていたが…
町の実力者(じーさまたち)が「町の独自性云々」を言い出し住民投票へ。
(もっとも広域行政サービスが隣の本庄市・由利郡と提携していると言うのもあるが)
どうも維新(と幕藩時代)の恨みを引き継いでいたらしい…
投票方法は前代未聞の「18歳以上」(工房も投票可)の住民によって行われ…
その結果は「町の独自性」は維持されましたとさ
教訓:「家族の間でも金貸すな」
>88
www.soyusya.com/rekishi/pages/miharubosin/huroku.html
このサイトによれば、二本松、三春両藩の対応の違いが領内の戦禍の有無を
もたらして、後に憎悪に発展したということになるようだけど。
まあ、二本松からみれば裏切りといえなくも……。
明治まで、宇喜田家の島流しが続き,加賀藩の宇喜多家への仕送りが続いていたのには笑った。
93 :
名無し三等兵:03/06/28 01:22 ID:/getAkCd
>92
昭和いや、平成になってから宇喜多家の中の人は何してるんですか?
>>93 92だが、八丈に住んでいるみたいだよ。
その事実を知った番組で子孫の宇喜田さんが出ていた。
いまは浮田という姓になってるそうだ。
>94
なるほど、平成の御代になつても島流しは変わらないんですね。
98 :
名無し三等兵:03/06/28 12:35 ID:b2dglXlv
中公新書「幕府歩兵隊」を読んでいるのだが、
薩長の近代装備、幕軍の旧装備、とよくいわれてるけど、
幕府軍の前線に居た歩兵隊はすごい装備してるし、
よく訓練されていたようで、おどろいた。
幕府は旗本御家人に無駄飯くわしてたのがイタイ
>>92 宇喜田秀家が島にともなった二人の男児のうち
長男の秀高は宇喜田姓を継ぎ、次男の秀継は
浮田姓を名乗ったとのことである・・・。
明治三年になってはじめて恩赦がおこなわれた。
当時、宇喜田家は島に二十戸あったが、そのうちの
七戸が江戸に帰り、後の十三戸は島に残留した・・・。
浮田信家海軍大佐(50期)は15代目の子孫にあたる
「続 海軍くろしお物語」 福地周夫 光人社 より引用
だそうです。
重いっつーか、自ら重くしてるっつーか
【罰ゲーム】
レベル1:官軍のコスプレ+白シャグマで会津若松に行く。
レベル2:日本軍のコスプレで韓国に行く。
レベル3:SSのコスプレでイスラエルへ…
>>103 レベル1:その辺の爺さん婆さんが襲いかかってくる
レベル2:年寄りはポカーンとした顔で眺め、若いのが殴りかかってくる
レベル3:シオニストに殺される