一応、昨日の続きを備忘録的に書いておくでし。
一次資料としては、3つ。
まずは、730氏が書いていた、「現代史資料6 『関東大震災と朝鮮人』」、それと、警視庁編『大正大震火災誌』、
東京市発行『東京震災録』。
後は聞き書きとして、1943年に編纂された、吉河光貞検事の『関東大震災の治安回顧』があり、関東大震災
五十周年朝鮮人犠牲者・追悼事業実行委員会編『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺
事件』がある。
これらを元に、関東大震災六十周年朝鮮人犠牲者・追悼事業実行委員会編『かくされていた歴史−関東
大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件(増補版)』が編まれている。
さて、殺害された人の数であるが、内務省警保局のまとめでは、
朝鮮人:231名 中国人: 3名 日本人:59名であるが、これは、実数ではなく、刑事訴追を前提にした
人数である。
うち裁判で認定された殺害人数は、以下の通り。
東京地裁管轄:39名、横浜地裁管轄:2名、千葉地裁管轄:74名、
前橋地裁管轄:18名、宇都宮地裁管轄:6名、浦和地裁管轄:94名。
合計すれば233名となる。
しかしながら、実数としては以下の2つの調査結果の数字が挙げられている。
大正期の学者である吉野作造の調査、金承学が中心となった、独立新聞の調査。
前者、吉野作造調査(「遺稿・朝鮮人虐殺事件」)では、合計2,711名。
内訳は、東京:724名、神奈川:1,327名、埼玉:551名、千葉:141名、栃木:4名、茨城:44名、群馬:18名、長野:2名。
後者、独立新聞調査では、合計6,415名。
内訳は、東京:1,347名、神奈川:4,106名、埼玉:588名、千葉:324名、栃木:8名、茨城:5名、群馬:37名。
なお、中国人に対しては、後に日本政府が中国大使館に対して正式に遺憾の意を表明し、20万円の賠償金を支払って
いるので、「虐殺が無かった」と言う根拠は崩壊している。
ちなみに、埼玉県熊谷市での虐殺に関しては、東京日日新聞1923年10月21日付報道で43名、大阪毎日同年10月20日
付号外で42名、東京朝日新聞同年10月17日付報道で58名となっており、吉野作造調査の61名と大体一致するが、
死体を焼却した火葬雇いが記者に対しで48名の焼却を行った旨証言している。
このほか、土葬した者が20〜30名となっており、総数は80名近くに上る。
熊谷以北では、神保原で42名、本庄で100名以上(警察署内で85名が殺害)、寄居で1名(飴売り)、児玉で1名(警察
が後に墓を建立)、深谷で1名(轢死したことになっている)と言う数字があり、埼玉だけでその総数を超える。
つまり、233名というのは一種のフェイクに過ぎないと言える。
最後に、対外的には日本政府は、1923年9月3日に次のように声明していることを
指摘しておく。(日本政府震災朝鮮人関係文書より)
"Those found guilty will be strictly punished.
Information Bureau Foreign Office
Sep.3rd.1923"