地味な存在ながら侮りがたい沿岸砲について語りませう
2
3?
4 :
名無し三等兵:03/05/24 01:59 ID:vvOYqWWI
フィンランドの呉海軍造工廠製沿岸砲萌え
いま日本に沿岸砲ってあるの?
鼻くそ出すぎ!もう寝る!
>>5 実用はあるかどうか知らないけど、
遺跡はけっこうあるよね。
日本の要塞ってスレがそれについて詳しかったのだけど・・・。
とりあえず、下田に黒船の頃の沿岸砲があるね。
まあ、沿岸砲に船は勝てないといわれていたのだが
9 :
名無し三等兵:03/05/24 20:55 ID:vvOYqWWI
>>8の戦訓を無視してノルウェーの沿岸砲台にボコボコにされたドイツ海軍は何考えてたの?
たしか去年の国際観艦式のとき
観音崎の砲台で礼砲を撃ったと聞いたが。
11 :
名無し三等兵:03/05/24 21:27 ID:GL+zgyke
フォーンブロワー海軍士官候補生にでてくる仏軍海岸要塞の42ポンド砲ってどんなのですか?
やきたまマンセー
セバストポリの砲台も元々沿岸砲として設置されたんだよな。
マキシムゴーリキー
とりあえずオアフ島の50口径16インチ沿岸砲が最強と言ってみる
北海道だと、函館に要塞があって、1902年に第一期工事が完成。
御殿山第一、第二、薬師山、千畳敷に28cm榴弾砲など16門を装備。
ただ、日露戦争時、津軽海峡でロシア艦艇が通商破壊を行っているにも関わらず、
一発も発射することなく、第二次大戦では旧式化し、高竜寺山南東低地に高射砲陣地
を設け、これが活躍しただけに終わる。
本州側には大間崎に海軍艦砲を転用した砲台を設置し、大間崎対岸の汐首岬に二カ所の
砲台、北海道白神岬と青森竜飛崎に各一カ所ずつ砲台を設けて、1940年に完成。
東京湾要塞のうち、大房岬には、1932年竣工の砲台があり、20cm連装砲塔が二基、40m
間隔で設置された。
渥美半島先端部には、伊勢湾防衛用に、1943年に編成された独立重砲兵第38大隊の
1個中隊が駐留し、伊良湖岬に近接した宮山東麓から山頂に掛けて陣地が設置され、
日露戦争時の28cm榴弾砲が4門、45m間隔で砲台に置かれていた。
大阪湾防衛には紀淡海峡に要塞が設置されているが此処の詳細は不明。
下関要塞には1891年に竣工した火の山砲台が壇ノ浦北側に、4基設置され、第一、
第二砲台が28cm榴弾砲が各4門、第三砲台が24cmカノン砲8門、第四砲台には、
28cm榴弾砲が2門設置され、早鞆瀬戸、周防灘方面を指向していた。
下関市街地北側には、1897年完成の一里山堡塁があり、これは火の山砲台の防衛
用と下関市街地背面防備用。此処には12cm速射カノン砲4門があった。
もう一つ、長府街道を防備するために、竜司山堡塁があり、此処には同じカノン砲が
6門配備されていた。
戦場が野堡塁は、関門海峡に臨み、15cm臼砲4門、12cmカノン砲8門を設置し、金比
羅山には、28cm榴弾砲8門が4砲座に分かれて設置され、響灘を指向。
老の山砲台は響灘、小瀬戸を指向し、1890年竣工、27cm28口径榴弾砲10門を各2門
ずつ砲座に設置されていたが、1926年に廃止。
なお、此処には照明灯まで備わっていた。
彦山南端、田の首の西には、1888年に竣工した田の首砲台がある。
これは下関要塞最初の砲台で、27cm28口径カノン砲4門を各1門ずつ設置した
もので、その西側に隣接して1889年に竣工した24cm36口径カノン砲6門を
設置している筋山砲台があった。
これも1920年に廃止となっている。
響灘・玄界灘防護には、角島南西端に1940年竣工の角島砲台があった。
此処には、九六式15cmカノン砲4門の砲台で、150cm射光機が設置されている。
東側に観音崎砲台があり、7cmカノン砲が2門設置されていた。
蓋井島には第一砲台、第二砲台が南東端に設置され、1935年竣工で、前者が
45口径15cmカノン砲4門の砲台、後者が7cmカノン砲が2門設置の砲台だった。
最後に下関要塞には太平洋戦争中、六連島に30cm榴弾砲4門と、7cmカノン砲2門
設置の砲台が構築されている。
18 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/24 23:25 ID:hV5wv0pH
>16
加太の大川、友が島、淡路島の由良の要塞ですね。
しかし、眠い人さま・・恐るべき博学です・・。
コレヒドール要塞は口ほどにもなかったな(藁
21 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/25 16:28 ID:CnHraSbO
独逸も結構沿岸砲設置してるよね。
ビスマルク級に載ってるのと同じ奴とか、
H級戦艦に乗るはずだった16インチ砲とかも
沿岸砲台にしたらしいし。
>>22H級戦艦に乗るはずだった16インチ砲を
シャルンホルスト級に搭載できていれば史実以上に活躍できたのに。・゚・(ノд`)・゚・。
ロシアには核攻撃にも耐えられる沿岸砲がある。
縦穴をめちゃ深く掘ってる。もう使ってないだろうが。
伊勢・日向から撤去した3基の砲塔はどうなったのだ?
軍縮で使うあての無くなった砲がずいぶん沿岸砲に流用されていますね。
道交法。
28 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/25 21:29 ID:nBI4jqGF
29 :
名無し三等兵:03/05/25 21:35 ID:OztG/zLs
28サンチ榴弾砲って南方の孤島防備に転用してなかった?
どう考えてみても、機雷の方が安上がりだし効果的。
今はヘリで155mm砲も運べるわけだし。
31 :
_:03/05/25 21:42 ID:???
32 :
:03/05/25 21:45 ID:???
33 :
名無し三等兵:03/05/25 21:54 ID:OztG/zLs
ロシアに売った日本陸軍の38式12センチ榴弾砲がふぃんらんどに捕獲されて使用されてなかった?
34 :
名無し海漕:03/05/25 21:54 ID:qvd9Rjne
>10 それは旧式の3in砲ですね。とマジレス
>>33 現在この砲はスオメンリンナ島にあるフィンランド海軍沿岸砲兵博物館
の門前に展示されている。砲尾に刻まれた「弐千百四拾参基、呉海軍
造兵廠、明治参拾壱年」の文字は今でもはっきりと読み取ることができる。
(梅本弘 雪中の奇跡より)
おや、ギシュクラさんがお見えになっている。
補完有り難う御座いまする。
でもって、昨日の続き。
日清戦争に際して、清国艦隊が日本艦隊を襲うのは、必ず玄界灘から関門海峡を通って、
呉・広島を襲撃するであろうと言う想定の下、日清戦争直後に広島湾に多数の砲台を築いて
います。
まず、厳島北西岸の中央より少し南に、9cm速射カノン砲2門を一つの砲座に、計4門を設置して
いる室浜砲台がある。
此処には、更に野砲の砲座も準備されており、対岸の本州側には堡塁が設けられた。
厳島海峡に面したところには、1900年に完成した鷹の巣砲台があり、此処には28cm榴弾砲6門
が備えられていた。
その鷹の巣砲台の対岸には、大那沙美島砲台があり、1899年に24cmカノン砲4門を備える。
大那沙美島の隣にある西能美島には、岸根鼻堡塁砲台があり、27cm36口径カノン砲4門と、
9cm速射カノン砲を4門が配置され、奈沙美瀬戸と西方航路を護っていた。
その南500mの地点には、24cm36口径カノン砲6門、9cmカノン砲が2門を1901年に設置した
鶴原山砲台を設置し、その東には更に9cmカノン砲が2門を設置している。
そして、西能美島の最高所には1901年竣工の三高山堡塁砲台があり、28cm榴弾砲が2門
の砲座が3つ設置されていた。
この三高山〜岸根鼻の間は軍用道路で連絡されている。
早瀬瀬戸の防備には、倉橋島に早瀬第一、第二堡塁砲台があり、第一堡塁砲台には28cm
榴弾砲が6門編成の砲台を構築していたが、こちらには配備されず。
第二堡塁砲台には、1903年竣工で、9cmカノン砲を装備。
2門一砲座で、第一、第二砲座の4門の首線方向は199度、第三砲座の2門の首線方向は250度
になっている。
その対岸の西能美島には、1901年の竣工でクルップ式12cmカノン砲4門を持つ大君低砲台がある。
呉軍港の南面を護るのは、音戸瀬戸に面して設置された高烏山(休石)砲台で、
9cm速射カノン砲を4門を備えていた。
更に、呉市街地の北東の大室山にも大室山堡塁砲台があった。
これは1903年竣工だったが、火砲の不足で、備砲されていない。
最後に、呉軍港背後の大空山にも28cm榴弾砲2門を1砲座とした2砲座を設置した
大空山砲台があった。
また、呉軍港の東側には、更に1899年に設定された芸予要塞があり、本土の忠海
港に冠崎砲台が設けられている。
このほか、1901年に毒ガスの島として有名な大久野島に北部、中部、南部に砲台が
築かれ、北部には24cm26口径カノン砲4門とクルップ式12cm25口径カノン砲4門を
併設。
中部には28cm榴弾砲6門を据えた。
南部は北部と同じだが、別に9cm速射カノン砲を4門備えている。
これらの大口径砲は、旅順要塞攻撃のために取り外されている。
更に来島にも来島堡塁砲台があり、北部、中部、南部の各砲台があった。
北部には24cm26口径カノン砲4門と9cm速射カノン砲4門を設置。
中部には28cm榴弾砲6門を据え、南部には12cm速射カノン砲を2門が設置
されていた。
これらの砲台は、軍縮に伴い、1924年に廃止されて居る。
>>8 下関の話がでてきたので思い出したが、四ヶ国連合艦隊による砲台被占領という事例もありますな。
そういやロシアには130mm自走沿岸砲システムがありますが(配備はされてないと思うけど)・・・、
最後の沿岸砲ってことになるんでしょうかね。
SSM-1こそ現代の沿岸砲
41 :
名無し三等兵:03/05/26 23:02 ID:ICGKRCD4
地対艦ミサイル連隊よりも
沿岸砲兵連隊って呼ぶほうがカコイイな。
ついでに魚雷発射管も設置したいんですが。
数年前、まだ”ミリバラ”の和訳が出てた頃
スペインあたりの装備一覧の中に「<沿岸砲>380mm×・・門」
等というのを見て、かなり興味を惹かれた事がある。
>>43 実際にあったみたいだよ。
うろ覚えだけど、沖縄にあったとどこかで読みました。
方向は固定してあって、来たら発射と。
しかし、上陸部隊に押されて、結局は放棄となった様子です。
46 :
43:03/05/27 00:19 ID:???
>>45 沖縄にもあったんですか。
WW2で独海軍の重巡ブリュッヒャー(?)が
陸上(沿岸)からの魚雷で撃沈されたと
聞いたことがあったので…
>>44 やっぱ自前で作ってるんですかね?
47 :
:03/05/27 01:06 ID:???
しばらく前の軍事研究か何かに、ロシアが榴弾砲か何かを転用か改良したような
沿岸砲システムを開発したとかしないとか、っていう話を読んだ気が・・・。
壱岐は黒崎砲台と対馬は豊砲台の41サンチ連装沿岸砲塔萌え。
お勧めの本ありますか?
日本の要塞設置砲は、明治時代に設置されたもので、東京、大阪、呉などの重要部には、
主砲として明治20年に制式化された、イタリア式の青銅製28cm榴弾砲が設置され、その
総数は220門を数えた。
明治23年、イタリア式を基にした国産の青銅24cmカノン砲が、同32年には27cm30口径、
36年には27cm36口径砲が採用されている。
ただ、その最大射程は27cmカノン砲が13,000m、24cmカノン砲が10,000m、28cm榴弾砲
に至っては最大射程は8,000mに過ぎない。
そこで大正期に更新が計画され、2億6,000万円で、七年式の各種砲を製造した。
まず、七年式10cmカノン砲は最大射程10,500mだったが、要塞砲としては小口径でなお
かつ、軍縮で不要となった海軍艦艇の備砲が調達できるようにあったため、製造中止と
なった。
七年式15cmカノン砲は明治45年に制式化された四五式15cmカノン砲の固定陣地型で
あり、真打ちは、七年式30cm榴弾砲を製造した。
ただ、この砲は、ソ満国境要塞用で、砲身を切りつめて重量を軽減したものが七年式
30cm榴弾砲(短)として製造され、フィリピン、東京湾第三海堡に設置された。
大口径沿岸砲の更新は、ワシントン条約によって海軍戦艦が廃棄されたため、その主砲
を転用出来るようになった。
ただ、大重量の艦艇用砲塔を絶海の孤島が主な地域に設置するには非常な困難が伴い、
海上運搬用に専用船を発注し、据付用に120tクレーンを製造、更に砲塔操縦用動力は、
艦艇搭載時の水圧式をそのまま用い、水圧用原動機としてディーゼル機関を新潟鐵工所
に発注した。
このほかの付帯設備(照明用発電機、圧搾空気機関)は市販のものを使用している。
で、その準備を2年掛けて行い、大正13年から昭和7年まで海軍砲塔の設置が
行われた。
30cm45口径連装砲塔は、戦艦鹿島のものが東京湾千代ヶ崎砲台に1基、長崎
県的山大島に1基、同じく、戦艦伊吹のものが、青森県津軽大間第一砲台に1基、
豊予海峡鶴見崎砲台に1基、戦艦生駒のものが、房州洲崎第一砲台に1基、それ
ぞれ設置されている。
25cm45口径連装砲塔は、戦艦安芸のものが、三浦半島三崎城ヶ島砲台に1基、
20cm45口径連装砲塔は、戦艦鞍馬のものが、房州大房岬大房岬砲台に1基、
30cm50口径連装砲塔は、戦艦摂津のものが、対馬竜ノ崎第一、第二砲台に各
1基。
そして、八八艦隊の遺産とも言うべき、40cm45口径連装砲塔が、戦艦土佐用の
ものが釜山港外外張子嶝と長崎対馬豊砲台に各1基、巡洋戦艦赤城のものが、
長崎県壹岐黒崎砲台に1基設置されています。
>44 >46
1995年版見てますけど、Denmarkには150mm砲が沿岸要塞に配備されていますね。
Norwayには、要塞が26カ所にあり、75mm、105mm、120mm、127mm、150mmの
各種砲と未だ魚雷中隊を4個保有しているとか。
Finlandは、D-10T戦車砲塔を流用した100mm砲と、122mmM60砲、130mmM54砲
が170門。
Swedenは、75mm、120mmが主力。
Portugalにも、150mm砲15門と152mm6門、そしてこちらには234mm砲6門がある
そうです。
Spainは、6inch砲52門、これは英国のヴィッカース社製かな、305mm砲16門、こ
れもヴィッカース社製臭いが、381mm砲3門がありますね。
381mm砲は砲の補給体系的にはヴィッカース社製かもしれませんが、ドイツの
クルップ系であるかもしれませんね。
これらは、スペインの植民地というか北アフリカの飛び地、セウタ・メリリャに配備
されているそうです。
東欧では、Bulgariaが100mm砲150門、130mm砲4門、Polandが、沿岸砲兵大隊6個に、
152mmM-1937砲を装備しています。
アジアでは、中国が85mm、100mm、130mm砲を、北朝鮮が122mmM-1931/M-1937、
130mmSM-4-1、152mmM-1937の各砲を有しているようです。
南米ではBrazilが、57mm、75mm、120mm、150mm、152mm、305mmの各種合計377門
を沿岸・高射砲旅団二個に、何故か内陸国Paraguayにも、対艦用ヴィッカース社製Mk.V
152mm砲が6門ありますね。
沿岸砲が戦艦に対し優位であると言われるきっかけになったガルポリ上陸戦
の際トルコ軍が配備していた沿岸砲の種類を知ってる方いますか?
28cm砲と15cm砲があったらしいですが詳細よくわかりません。
55 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/28 00:17 ID:2xzfI185
世界の要塞とかいう本にセバストポリ要塞にまだ戦艦の砲塔を
転用した砲台があるとか書いてあったような記憶が・・・。
買っておけばよかった・・・。
水雷といえば加太要塞にもそういう設備があったとか聞きました。
56 :
じんべえ:03/05/28 00:29 ID:74pGVbJN
ウォッゼ島の砲台は珍品だった
なんと「三笠」の15センチ副砲三門と
「春日」の15センチ副砲三門なのだ!
昭和19年1月31日、「三笠」の副砲三門は米艦隊と撃ち合い、
重巡「ルイスビル」を損傷させた後、砲台員もろとも破壊されてしまった
>55
現在はガングート級の3番艦で事故で除籍となったポルタワから
30.5cm砲を取り外してそれを使ってますよ。
大戦期にはマキシム・ゴーリキーIとマキシム・ゴーリキーIIの
二つの30.5cm連装砲がありましたが今は三連装の砲塔一基だけです。
>47
BEREG 130 mm
ロスボルニジェのカタログに出てきます。
ハワイ砲台の406o砲も含めてよいですか?
漏れの38mm榴弾砲も含めてよいですか?
61 :
山崎渉:03/05/28 15:49 ID:???
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
嘉手納基地の第一ゲートの北側、基地内にあるゴルフ場に「ウカマジー」という
円錐カルスト台地があり、此処に海軍第11砲台または平安山砲台と呼ばれた
平射砲陣地があった。
実際に海軍が砲を操作した訳ではなく、砲の操作教育と陣地構築が海軍によって
行われたから、こういう名前が付いている。
此処には、12cm〜14cm程度の中口径砲が一門設置され、弾薬庫と観測所が
設置されている。
この砲台は、第62師団直轄として独立歩兵11大隊の管轄となり、救護班の海軍女子
挺身隊も14名勤務していた。
1945年4月1日の上陸作戦に当たって、その上陸正面に位置したこの砲台は艦砲射撃
の的となり、砲台員はその日のうちにほぼ戦死し、女子挺身隊員も4月1日〜2日にかけ、
3名を残し、上陸してきた米軍によって包囲射撃などで死亡している。
64 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/29 01:00 ID:f87nhgd+
沖縄にはもう一つ、中城湾を防備するために設置された砲台がある。
これは、琉球王国の国家的祭祀場で、現在は世界遺産の斎場御嶽に隣接し
て設置されている。
これは、1942年に重砲兵第七連隊第二中隊が構築したもので、知名と久手堅
長堂原の二カ所に砲台が、その南東に観測用の吉岡隊陣地壕があった。
此処には、12cm速射カノン砲が3門ずつ配備されており、4月上旬の米軍上陸に
は、その艦船に対して砲撃を行った。
しかしながら、米軍に集中攻撃を受け、砲が破壊され使用不能となったと言う。
参考というか、何というか。
「The Coast Defense Study Group」
www.cdsg.org/
67 :
名無し三等兵:03/05/30 23:01 ID:U3P6gRk/
一寸珍しい話を一つ光人社 潜水艦攻撃 木俣滋郎によれば
1944年五月三十一日松輪島の陸軍の九六式15cm加濃砲と三個歩兵中隊が配備さ
れてました。でそこへガトー級潜水艦へリングが接近。機関銃が射撃を浴びせ
さらに15cm弾が二発命中。見事撃沈。
余談ですが陸軍は海峡付近の砲台では聴音機を海底に設置しており自前で
聴音手を設置していたとはしらなんだ。
68 :
名無し三等兵:03/05/30 23:04 ID:7KXS5WaJ
海軍面目丸つぶれ。
陸軍は他にも輸送船に野砲を積んだり涙ぐましい努力を
台湾にも各地に砲台があったりする。
澎湖諸島の西嶼島南端に西台要塞がある。
此処は、海から50mの高さにある絶壁上にあり、澎湖湾と本島の馬公港防備のために
設置されたもので、それらは珊瑚石とセメントで構築され、周りに堀が張り巡らされている。
これは、清国時代の1888年に、当時の台湾巡撫である劉銘伝が構築させたもの。
駐留兵は1500名まで収容可能だった。
この砲台はもともと1883年に構築されていたが、清仏戦争で攻撃されたのがきっかけで、
更に整備されたもの。
此処には、アームストロング砲4門が配備されていた。
日清戦争では、最初に澎湖島が攻撃を受けたが、日本軍は本島の東部に上陸してしまい、
砲の威力は減殺され、結局、二日で清軍は降伏した。
他に台湾の砲台は二カ所あり、一カ所は、台南にある、二鯤シェン(魚偏に身)砲台である。
此処は、1874年、日本の台湾出兵を契機に沈葆驍ェ築いたもの。
台南外港安平地区南部にあり、台南港を防備している。
此処にも、海側の城壁内側にアームストロング砲9門が配備されていた。
日清戦争後には、劉永福の台湾民主国最後の拠点として、5ヶ月に渡って本拠地となった。
最後が、基隆の二沙湾砲台で、基隆内港の入り口に設置されていた。
基隆には、1876年に近代的な砲台が築かれていたが、清仏戦争ではフランス軍に破壊された。
このため、1887年にドイツ人技師を招いて再建したもの。
此処にもアームストロング砲が配備されている。
しかし、日清戦争時、此処もこの砲台の南東20kmの地点に上陸した日本軍が陸側から攻撃し、
防備を直ぐに破られて陥落している。
>>69 海軍は自走砲作ったりと涙ぐましい努力を…
73 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/01 00:59 ID:lddnjVLj
北陸へ出張。沿道で幕末の砲台を見る。
そういえば神戸と西宮に勝海舟設計の砲台がありました。
物の役に立たなかったそうですが・・・。
>73
まぁ、勝海舟設計ですから(w。
和田岬砲台と西宮砲台ですね。
西宮は、1854年にロシア船ディアナ号が天保山沖に現れたために、尼崎藩が西宮町波止場神社に
大砲2門を設けたのが最初。
とは言え、これは一時的で直ぐに撤去され、1863年に勝海舟によって、大坂町奉行所、勘定奉行所
が施工して、総費用25,000両で建築開始。
堡塔の石材は付近の三ヶ村から採出したが、主に岡山の北木島、白石島から海路運搬されたものを
使用。
1866年完成で、石造円形の堡塔で、高さ12m、直径17m、外部2層、内部3層で、二階に大砲2門を据え
て、方形の砲眼12個を開き、四方に筒口を向ける設備で、土塁は入口一カ所を山側に開いて、入口と
堡塔の間には一文字の土塁を有す。
同じものが、和田岬、川崎、今津に作られました。
川崎、今津のものは、後に取り壊されましたが、和田岬と西宮のものは現存しています。
まぁ、砲自体が臼砲とか、前装式滑腔砲なので、先進国の線条式カノン砲に比べると
射程が劣り、尚かつ、発砲煙が砲台内に充満し、射撃が出来なかったらしいです。
これが国の史跡にしていされているのは、何だかなぁと思うのですけどね。
今日船の科学館言ったんだが、工作船の真横に、「陸奥」の40産地法が、「いかにもねらってます」みたいな感じでおいてあったのは、何か意味あるのかな?
76 :
名無し三等兵:03/06/02 21:04 ID:DT46zLS/
77 :
名無し三等兵:03/06/02 21:13 ID:QD+lCk7W
>>75 館長か係員かにエスプリのきいた方がいらっしゃったのでしょう。
そのエスプリをもうチョイ2式大艇にまわしてほしい...
・・・単に置き場所の関係だと思うが。
79 :
名無し三等兵:03/06/02 23:21 ID:DT46zLS/
ついでに難局「探検」船宗谷の修繕費も、、、、そろそろ船として認めて貰えなくなりそうだ。
80 :
名無し三等兵:03/06/03 18:03 ID:+fvoWqCC
そういえば沿岸砲台と軍艦が撃ち合った戦いといえば1940年のノルウェー
戦があるよね。哨戒艇と沿岸砲台とどっかから発射された魚雷でドイツの重巡洋艦と軽
巡洋艦を沈めたんだっけ。
81 :
名無し三等兵:03/06/03 18:05 ID:VRohpWoP
ウェーク島からの砲撃で駆逐艦疾風が爆沈 全員戦死
ってこれは有名だったな
ソ連の沿岸砲はUボートも沈めているぞ
83 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/04 00:33 ID:G+FfaayN
眠い人さま
堺の旧港にも砲台の遺跡があります。
こうしてみると幕末に作られた砲台というのはけっこう多いですね。
>83
その手のを含めていいなら鹿児島湾岸には
薩英戦争の砲台跡ってのが結構あります。たいていは石碑だけですが
大砲を復元して置いてある所もありますよ。
>>84殿
ですね。台場の殆どは現在陸地になってしまってますが。
薩英戦争時の台場には後の日本を背負う人々が参加していますよね。
弁天波戸砲台では後の首相、山本権兵衛(当時12歳)が弾薬運搬。
沖小島砲台には後の海軍元帥、井上良馨(当時17歳)戦闘中負傷。
大久保一蔵は久光公と砲台の連絡を。
東郷平八郎は兄弟と共に詰所に待機中だったかな。
因みに祇園州砲台跡地には東郷平八郎が祀られていますね。
86 :
67:03/06/04 22:20 ID:???
ドイツ軍ファンにお馴染みのFLAK36 88mm高射砲
結構沿岸砲として活躍してますよね。アフリカで確かトライバル級駆逐艦
を食ってますよね。イギリスの駆逐艦艦長が書いた「殊勲の駆逐艦」朝日ソノラマ
なんか読むと艦砲射撃中に反撃を受けて僚艦が損害を受けたり筏を曳航して
88ミリの射撃と同時に筏に火を放って欺瞞してみたりそんな逸話がありました。
ほかに88mmの戦果をご存知の方いますか?
M1ロングトム155ミリ重砲
こいつが元々沿岸砲だったとは。餓島で金剛 榛名と交戦したのは知ってましたが。
最近知ったのですが米国沿岸に配された406ミリ砲と90ミリ砲のギャップを埋めるた
めだったとは。
しかしこんなもんを前線までとんでもない量を掻き集めてぶっ放すなんて正直
反則。
バト・カレーにあった38cm砲を持つリンデマン砲台がドーバー越えで
英国の砲台と撃ち合って一撃で撃破した逸話の詳細を知っている
方は情報キボーン
>>44 6インチ砲200門、8インチ砲24門、12インチ砲12門、15インチ砲12門すげえ
スペイン沿岸砲台萌え
89 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/06 23:56 ID:1GFoage6
世界の要塞購入
セバストポリの戦艦砲塔、よくこんなの残っていたなぁ・・・。
砲塔を動かすツァーとかやったら客が呼べるかも。
>砲塔を動かすツァー
誰か生き残ってる人居たっけ?
漏れも一瞬思った
92 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/07 01:27 ID:wml+yPi0
すみません・・・ロシア皇帝になっちゃってますね・・・。
>>87 そいつはH級戦艦用だった16インチ砲台では?
図書館で歴史群像のガリポリ上陸作戦の号を借りてきたけど
沿岸砲の事はほとんど書いてなくて(´・ω・`)ショボーン
聖戦age
今月の最貧前線、ドイツの海軍砲台の話ですな。
>>86 固定じゃないけどタイガー戦車が米巡洋艦と撃ち合ってる
99 :
名無し三等兵:03/06/17 20:14 ID:3+Z+34BF
>33とか>35が挙げてる
フィンランドにある呉海軍工廠製の12糎砲、
これが冬戦争の時カレリアで大活躍だったとか聞いたんだけど?
http://www2u.biglobe.ne.jp/~taro/tinian.peipeinigul.htm 第五十六警備隊小川砲台 砲台長 小川 和吉(海軍大尉)
アン式15糎海岸砲3門が三カ所の洞窟にかくされて居た。
米艦にもみつからず、米艦は悠然と近づいて來るのを見て居た小川隊長が發射準備
命令を出して居た。 米艦驅潜艇が距離2,800米真横に進行中、3門の砲が火を吹い
た。 6發総て命中、驅潜艇は轟沈した。 米軍はこれを日本軍機雷に寄るものと考え
ていたので、其の後も見つかる事はなかった。 昭和19年7月24日テニアン港より米
軍上陸敢行の時、米艦驅潜艇ノーマン、スコットや戰艦コロラドに26發の命中彈を
あたえた。
命中彈の中にはカロリナス柴田砲台の3門も含まれて居る。
其の後、米軍の攻撃により、小川砲台70名の隊員の中、生存者は青森縣 中村春一
(先任伍長)、栃木縣 相良智英(上水)の2名。 柴田砲台70名の中、生存者は静
岡縣 渡辺 正(兵曹)、秋田縣 藤田松次郎(兵曹)の2名。
この地を整備されました市長 ハーマンM.マングロナ様に厚く御禮申し上げます。
1996年8月
横森部隊鴇田隊有線隊員 森岡 利英(記)
碑文全文原文のまま。
ぺぺノゴル砲台についてのページですがアームストロング砲は日本軍の沿岸砲
として引っ張りだこですね
>>87 詳細という程じゃないですが、ビスマルク級の主砲として有名な38pSKC/34ジークフリード砲みたいですね。
ドーバ越えでワンストン砲台の15インチ砲を一発の直撃弾で破壊したそうです。
ドーバー海峡だと砲台同士の撃ち合いがあったんだね。