第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2

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597名無し三等兵
ブロンベルク事件にオレが最初にであったのは、7〜8年前だと思うけど図書館でみた本だった。
題名は覚えてないし、当時はあまりそんな強い印象もなかった。
当時覚えていた内容を思い返すと、1939年9月3日、ドイツ軍のポーランド侵攻直後だった。
第一次大戦後、ポーランドに奪われた西プロイセン地方に住むドイツ系住民百万のその後の運命だった。
その日は、日曜日で教会の礼拝に行く途中のドイツ系住民の婦女子に、ポーランド人がこん棒や、斧などもって
襲い掛かり虐殺した。 そのことだけが記憶に残っていた。

最近になって出会ったのが「世界戦争犯罪辞典」でたまたま新橋の本屋で見て、この項目が載っていた。
開戦前から、ポーランドは国内のドイツ系住民に弾圧を加えていたが(結局は、それがヒトラーの望んでも居なかったが結果として
ポーランド撃つべしとプロイセン系将軍から突き上げられたことは容易に想像できるが)それが開戦の大きな要因であろう
ことは容易に想像できる。 9・3にドイツ軍が迫っているとして、地元のポーランド警察や一般のポーランド住民、はては敗残のポーランド兵も
加わって、武器や無線機などかくしていないかどうかを調べると言って、ドイツ系住民の家に押し入り、暴行、殺人、強姦、略奪、放火をはたらいた。
このことは戦後も1960年末にいたるまで調査がおこなわれ、当事者、目撃者の尋問により、当日虐殺されたドイツ系住民の名前3841人を割り出した。
そのリストに載っていないものを考慮すると4000〜5000人にのぼる。 イェドワブネよりも虐殺規模はおおきい。 しかし、敗戦ドイツには何も言えない。

イェドワブネのユダヤ人殺しの件を聞いたときも、ポーランドのブタ野朗と思った。 やったことよりもそれを隠し、しかもその罪を敗戦で何もいえない
ドイツになすりつけること自体卑劣国家だと思った。