佐藤大輔1 皇国のパシフィックストーム症候群

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(前文略)
ところで、筆者は数多の都市伝説を取材し、あるいは見聞してきたが、その過程は常に第3者的
視点からではなく、時に筆者がまさにその当事者としてかかわりを持ったものも少なからずあった。
本書の新書版を上梓したときは、それらの体験談は紙面の都合上割愛せざるを得なかったが、
このたび文庫版の出版というまたとない機会を得たため、その中でも特に印象深い後日談という
べきエピソードについてご紹介させていただこう。

201X年、筆者がとある出版社からの依頼によって瀬戸内海の市町村を取材していたときの話である。
筆者は、取材旅行の一環として呉市に赴き、ひととおりなすべきことを終えた後、ふと思い立って
同市某所にある墓地へと足を向けた。
その墓所の片隅、よく手入れされた一角に、本書の登場人物の一人である"運用員長"が眠っている
ためである。(「最後の一人まで―ある海軍軍人の決意―(本書150頁)」参照)
私が著述家として世に出るきっかけとなった本書、その中でも特に印象深かった彼のことが、あれから
何十年と経ったこの時、ふと思い出されたからである。
見晴らしはよいが、それゆえたどり着くことが極めて困難な―少なくとも、都会育ちの筆者にとっては―
山地にある墓所にたどり着いたとき、運用員長の眠る場所に一人のうら若き女性が立ち尽くしているのを
筆者は目撃した。

年のころは20代始めだろうか。今時の若者らしく金色に染めた髪に、絶滅した装いともいうべき白い
ブラウスと紺のスカートのその女性は、筆者が近づくのも気にとめず、ただひたすらに運用員長の墓石に
向かってじっと手を合わせ、瞑目していた。
近寄ってみると、その女性は髪を金髪に染めていたのではなく、地毛が金髪―つまり、外国人女性であると
わかった。
「失礼ですが・・・・・」
筆者が思わずその女性に声をかけた理由は、まさに彼女が外国人―白人であったためだ。
>>976
運用員長の生涯と、外国人女性。それだけで、筆者の心には閃くものがあった。もしや、この女性は。
黙祷を破られ、訝る彼女に名刺を渡して自己紹介し、ここに来た経緯を説明すると、彼女はわずかに
目を見開いた。筆者は尋ねた。
「もしかすると、あなたは台風X号が呉を襲ったとき、生き埋めになりかけた?」
女性は、いくらかためらいがちに、しかしはっきりと首を縦に振った。
私が彼女―ファイナから聞いた話をここでくどくどしく再現する必要はあるまい。
よって、簡単に纏めることとしよう。
ファイナは、運用員長によって(そう表現しても誤りではあるまい)九死に一生を得た後、刻苦勉励に励み、
このたびめでたく消防士試験に合格し、呉市消防局に配属となったのだという。
我が祖国が、しばらく前から実施していた在日外国人に対する公務員試験受験資格の付与、その恩恵を
うけた形の彼女は、念願かなって呉市の安寧を保つ職を拝命した後、ここに訪れたのだという。
「なぜ、ここに?」
尋ねる私に、ファイナは元気な笑みと共に答えた。
「私を助けてくれたのは、勇敢な水兵さんと、優しくて頼りになる運用員長さんですから。
水兵さん―今は海曹さんでしたけど―と、運用員長さんにお礼を言うのは当然じゃないですか」
彼女が生まれて間もないころにこの世を去った運用員長の話は、両親から何度も聞かされたという。

だが、ファイナ自身は、運用員長に対する感謝を一日足りとも忘れたことはなかったにも関わらず、
今日、初めて運用員長の墓前に来たのだという。
「だって、運用員長さんにお会いするのは、私がその恩返しをできる人間だってことを証明できる
ようになってからだと思ってましたから」
本書にも収録した通り、運用員長の"声"によって命を救われた呉市民の数は何十人にも登る。
その中で、こうして彼の遺志―最後の一人まで、必ず助け出す―を受け継ぎ、現実のものと
するべく日夜研鑚をたゆまないファイナのような人間もいる。

60年以上前にたった一人のユダヤ人少女を助けそこなったことから、永遠の任務に精励すること
となった運用員長。もしも彼がファイナのことを知れば、きっと心から満足することだろう。