>>218-227 >>578-583 >>700-702 の続き。
少し想像してみよう。
もし、あなたが道なき深い森の中で、一人きりにされたとしたら?
それもなんの前触れもなく、置き去りにされたとしたら? 体力を温存しようと、
じっと助けを待ち続ける? それとも活路を切り開くべく、みずから歩き出す?
やがて体力に限界が訪れたら、あなたは何を思う? 死を感じたとき、自分にそれに
抗う力がないと悟ってしまったとき、あなたはそれをどう受け止める?
ここに、その選択を迫られている男がいる。数百年、この森で生き続けてきたであろう
巨樹に男は身を寄せ、漆黒の夜が明けるのを待っていた。ぱちぱちと火の粉をあげる焚き火、
そのやわらかな熱が男を包み込む。木々のわずかな隙間から垣間見える、蒼天の夜空に輝く星々も、
その夜空を統べる金色の月も、今宵この男を癒すことはかなわぬように思えた。
さながら男は森の幽鬼のような装を呈していた。藪漕ぎで切り刻まれた手、泥だらけの戦闘服、
くたびれきった背嚢、まるで男が森に侵食されているかのように見える。だがすべてが汗と泥と血で
汚れ切ったような男の持ち物の中で、肩にかけた小銃だけはその鈍い輝きを失ってはいない。
黒光りする銃身は森においてまるで異質であった。そして男の瞳も、この窮地にあってすら
その輝きを失ってはいない。男は憔悴した表情を浮かべてはいるものの、大きく見開かれた瞳は
決して絶望に濁ってはいない。
「死ぬまで戦え」
それが男の、唯一の答えだった。
「みんな大丈夫かなあ……」
大和三曹はひとりごちた。結局、あの日に降下してから数日余り、大和三曹は部隊の誰一人として
合流することはかなわなかった。一個中隊、約二百数十名の誰ともだ。無線は通信士でない大和三曹は
持ち合わせていない。笛を吹いたり、初めはかなり気が引けたが数時間毎に一発だけ、八十九式を
撃ってみている。だがこれもいまのところ不発に終わっていた。
「地図にこんなでかい森はないし、青木原にまで突風で吹き飛ばされたはずがあるまいし……それに――」
そう、あの降下中にみたあのユーフォーらしきものだ。
「――あれはいったい何だったのかなあ?」
だが、いくら考えてみても分からない。あの光はミステリーサークルのような、というよりはむしろ、
なにやらあやしい儀式に使われるような紋様を描いていたようにも思えた。しかしそれとて現状を
打破するに何か役に立つと言うものではない。
「うーん……」
それっきり黙りこんでしまう。空腹はつらいものではあったが、この程度なら空挺レンジャー課程を
突破した者なら誰でも耐えられるだろう。ただしそれとて終わりがあるとわかっているから無茶が
出来るのだが。とにかく自分で能動的に事態を解決出来ぬなら、今は待ち続けるしかなかった。
ちょっとした山ヤなら誰でもわかることだ。大きくあくびをして、ごろりと横になる。
(なーに、今にヘリが飛んでくるさ。そして激務休を頂きだ)
そんな不敵に笑う大和三曹の耳に、かさりと藪をかき分ける音が飛び込んだ。
「おっ?」
がばっと飛び起きる。助けが来たのだろうか? 誰何の声を上げるべく、もう一度口をあける。
と、その瞬間――
『おい、そこのおにいさん! 早く逃げろ!』
空気を媒介としない、声ではない声。そんな警告が大和三曹をつらぬいた。
(はあ?)
大和三曹は首をかしげた。
(いまのは人の声だったよな…?)
とそこでふと思い当たる節があった。
「ああ、なんだ。幻聴か」
ぽん、と手を打つ。
「空挺レンジャー課程でなんべんか聴いたっけなぁ」
懐かしそうにうんうんとうなずく。
『お〜い? もしも〜し?』
「なんだ、しつこい幻聴だなぁ」
どさりと座り込む。もう幻聴を聴きだすまでに血糖値がさがっているのだろうか。大和三曹は背嚢を
ごそごそと探り始めた。
「まだチョコレートがあったっけ?」
だがしびれを切らしたのか、「声」は気勢を荒げた。
『あのなあ! ひとがせっかく親切で警告してやってるのに、幻聴とはひどいんじゃないか?』
「なんだよ、やべえなあ俺」
しぶしぶ大和三曹は背嚢から顔をあげた。焚き火が照らし出すわずかな明るみにはやはり誰もいない。
深刻そうな表情が大和三曹に浮かぶ。
「う〜ん…」
どうやら相当頭に栄養が行っていないようだ。近藤ならいつもの事だと悪態をつくだろうが、
今度ばかりはそうもふざけていられない。
「しかたねえ、虎の子の鳥飯を食うか……」
『おにいさん、こっちだ、こっち』
「ああ?」
まるで脳に直接語りかけるような声にも指向性があるのか、大和三曹は先ほどより近い声が聞こえた
方向へ、再度視線を走らせる。
「ありえん」
大和三曹はぷいと横を向いた。
『現実から目をそむけるなよ〜』
悲しそうな声が追いかけてくる。しかたなくもう一度振り返ると、そこには子供の手のほどの小人が
立っていた。ピーターパンのような緑色の服を着て、肩には小さな袋を提げている。そしてその顔は――
「スーパーひとしくんか? おまえ?」
『なんだよ、それ?』
小人は首をかしげた。キモいと言えばキモいのかも知れないが、なかなかこれはこれで愛嬌がある。
アイボのような玩具なのだろうか。そんなものが森の中にあるはずもないが、今の大和三曹には
人の痕跡が、ただ嬉しかった。
「へえ、ちゃんと問いかけにも答えるんだ。よく出来とるなぁ」
大和三曹は空腹も忘れて近寄った。
「う〜ん、まさに本物だな」
『なんだかよくわからんが、本物と言われて悪い気はしないな』
誇らしげに胸を張ってみせる小人。しかし見れば見るほどそっくりだ。吹き出しそうになるのを必死に
こらえて大和三曹は続けた。
「おう。そのでかい鼻といい、張り出した頬骨といい、そっくりだ」
『……そいつってハンサムなのか?』
「いや、全然」
すまし顔で答えてのけるあたり、大和三曹もなかなか上司の影響を受けているのかも知れない。
小人の反応を見て大笑いするところもだ。初めの拒否反応も融けるように消え、大和三曹はすっかり
この小人に夢中になった。小人はそんな大和三曹に罵詈雑言をあびせてくる。
『それにしても命の恩人にむかってそれはないんじゃないか!?』
「ちょっとまて、機械仕掛けのスーパーひとしくんがいつから俺の命の恩人になったんだ?」
ふと聞き捨てならない事を口にする小人。大和三曹はぴくりと眉根を寄せたが、それでもどうにも
この愉快な小人をからかい続けてしまう。
『上まあ正確に言えばこれからなる予定な訳だが。それに俺は機械仕掛けじゃない……しまった!!』
「いやあ、それにしても実によくしゃべるスーパーひとしくんだ。誰が作ったんだ?」
『そりゃおにいさん、おっとさんとおっかさんがえ〜んやこら、と作ったに決まってる…
だからそうじゃなくてだな――』
がさりと、ひときわ大きく藪をかきわける音が、おかしな二人の会話をぷっつりととだえさせる。
藪をかきわけ、焚き火に照らし出されたその姿は、人か獣か、大和三曹には区別がつきかねた。
『あちゃ〜』
小人が額をぺしりとたたいた。
「ありえん……」
しかし今度ばかりは大和三曹も目をそむけはしなかった。
その獣、身長はたいして高くはない。猫背なせいもあるだろうが、せいぜい胸くらいの高さだ。
二足で歩き、四肢は驚くほど太い。そして手には人間の太ももほどの太さの棍棒を持っている。
なにより奇怪なのはその顔だ。どこまでも醜く歪んだ顔はとても正視に堪えない。吐く息は耐え難い
臭気を放ち、その歯は人のものではない。そして赤黒く、にごり切ったまなこはうつろに大和三曹を
映し出していた。
『喰屍鬼だ…』
「喰屍鬼…?」
ごくりとつばを飲み込む。だがそれすらも吐き出したくなるような悪臭があたりを漂う。
じりじりとにじり寄って来る、喰屍鬼。どう見たって友好的な奴には見えない。正真正銘の、化け物だ!
心臓が早鐘のように打ち続ける。まるで初降下の時のような、じわりと染み渡るこの感覚は恐怖か、
それとも……?
『逃げるぞ!』
小人が叫んだ。瞬間、それまでの緩慢な動きからは想像もつかない迅さで喰屍鬼が飛び掛ってくる。
「!!」
頭を狙い、真横に振りぬかれた棍棒をとっさにしゃがみこんでかわす。うなりをあげて掠め飛んでいく
棍棒に気が遠くなりそうになりながら、大和三曹はそのまま喰屍鬼の膝を狙いタックルをかけた。
神速で飛び込み、膝裏を刈り込むように腕を引き、全身のバネを使って押し倒す。膂力では圧倒的に
上回ると思われる喰屍鬼がいとも簡単に倒れた。
押し倒した瞬間、大和三曹は凄絶な笑みを浮かべた。
(こいつ、ガードポジションをとらねえ!)
馬鹿力だが、あきらかにこのような格闘には素人だ。ガードポジションとはタックル時に倒されたとき、
相手の腰か片足を、両足を使って締め上げ、マウントを取られないようにすることだ。
(寝技なら、いける!)
瞬間、鬼の空挺レンジャーの血が駆け巡る。押し倒した勢いもそのままに、大和三曹はマウント
ポジションを取りにいく姿勢で全体重を乗せたテッパチの頭突きを食らわせる。
「グフェェ!」
喰屍鬼が悲鳴ともつかぬ声を漏らす。しかしもはや大和三曹にためらいはない。両膝を喰屍鬼の腕を
砕かんばかりに打ちつけ、左手を手首に、棍棒を右脇に挟んで瞬時にして取り上げる。そして悪鬼の
ごとく棍棒を顔面に打ちつけ始めた。
「ギフェェェ!!」
「このぉ! 野郎っ! 早くッ! 死ねよっ!!! 」
『おおっ!?』
小人が驚嘆の叫びをあげる。よもや喰屍鬼を相手に徒手空拳で挑むとは! しかし無謀とも思えた
その男はいまや勝利を収めようとしている!
幾度となく叩き込まれる棍棒の殴打に、もはや喰屍鬼の顔は万物の創造主すらも目を背けるであろう
有様と成り果てた。だがいまだその肉体は逆襲を試みようと、暴れ続け、反抗をやめはしない。
その強靭な肉体で、ブリッジを仕掛けあわや大和三曹を跳ね上げようとすること数度。
「おいっ! そこのっ!」
『はっ、はい!』
地獄の番犬もすくみ上がるような声で大和三曹は小人を怒鳴りつけた。しかし殴り続ける手は
とまりなどしない。
「俺の鉈を持って来い!」
『お、おい……おにいさん…?』
「はやくしろっ!」
もうなにも言えず、小人は一目散に巨樹の傍らに放り出してあった弾帯へ駆け寄った。
「オラッ! オラッ! オラぁぁぁ!」
鉈を引きずり振り返れば、凄惨な光景がただただ繰り返される。蒼き月光と、黄金色の焚き火が
映し出す、夜の惨劇。喰屍鬼の悲鳴とも、断末魔ともつかぬ絶叫、肉がちぎれ、骨が砕ける音。
そして男の気違いじみた咆哮。決して沈黙することのないはずの森が、今はこの惨劇に目を
背けるかのように静寂のそこに沈んでいた。
(いったいどっちが魔物なんだ?)
小人はそんな感を拭いきれなかった。
『ほ…ほら。これだろ?』
「早くよこせッ!」
大和三曹が鉈を受け取った、そのわずかに連打がやんだ瞬間、喰屍鬼は最後の気力を振り絞ってか、
大和三曹を跳ね上げた。
っく!」
跳ね飛ばされた大和三曹にはあきらかに焦りの色がうかがえた。
(あれだけぶち込んで、何故倒れない!?)
もはやスタミナは限界に近づいていた。ただでさえここ数日ろくに食事をとっていないのだ。
絶対的に有利な条件でしとめ切れなかった自分の甘さに舌打ちしながら、大和三曹は身構えた。
大きく肩で息をしそうになるのを歯を食いしばってこらえる。喰屍鬼はおぞましき怒声をあげながら
棍棒を再び手にした。
(だめだ、もうあれはかわせない)
胸中でうめき声を上げる。あの棍棒を食らえば一撃で昏倒は免れないだろう。ましてもうあの連打で
息が上がってしまっている。
(一発で仕留めるしかねえ……なら!!)
再び喰屍鬼が突進を仕掛けてくる。同時に大和三曹の左手がうなりをあげた。
「ギフェェェェェ!!」
喰屍鬼の腹には、鉈。深く突き刺さったそれを恨めしそうに見やる喰屍鬼。だがそれを強引に引き抜き、
喰屍鬼は勝ち鬨をあげた。
(ついに男は丸腰になった。これでもう阻むものは何も無い。この男には地獄の苦しみを
味わわせてくれよう。生きながらに引き裂き、喰らい尽くしてくれる!)
小人は喰屍鬼の暗い心を読み取り、怖気に震えた。やはり人間が丸腰で魔物に挑むなどという
こと事態、あまりに無謀すぎたのだ。男はと言えば木のほうにふらふらと歩いていったかと思えば、
みょうちくりんな棒をいじっているだけだ。
『おにいさん! もう逃げ――
小人の再三の警告は、またしてもかき消された。八十九式自動小銃が放つ、5.56ミリNATO弾の
咆哮によってだ。音速の数倍で飛来する、わずか数グラムの金属片。それがばらばらに喰屍鬼を
引き裂いていく。銃口からは目も眩むような閃光がほとばしり、発射ガスが大和三曹のほおを叩いた。
束の間、森はその閃光に照らし出される。ある弾丸は腹に命中し、横転を繰り返しながらその臓物を
引っ掻き回し、引き千切り、ぶちまける。またある銃弾は頭部に命中し、その分厚い頭蓋をいとも粉々に
打ち砕き、脳髄を滅茶苦茶に混ぜ切り、後頭部からそれを吹き出させる。骨にぶつかれば、その骨を、
肉に触れれば、その肉を、全てを完全に破壊し尽くし、5.56ミリNATO弾はさながらランプから
解き放たれたジンのごとく、破壊と硝煙の香りを残し飛び去っていった。
続く
ヤター、やっと戦闘までいけたYO!!
しかしなんというか、シリアス路線で行くつもりが
途中でお笑いになったり、またシリアスになったりと
落ち着かないなあ・・・
どうっすか、みなさん?