252 :
533:
ラバニの娘の話
http://www.afgha.com/?af=article&sid=28633 アフガニスタンは「独立したメディア」を必要とする
ガルフニューズ 2003年1月2日 タニヤ・グースージアン
元アフガン大統領のブルハヌディン・ラバニは歴史書で女性解放の先駆
者のように書かれることはないかもしれないが、20歳になる彼の娘ファ
ティマはそれには脚注をつけ加えたいと思うだろう。
「父は女性の権利に全然反対していません! 父が大統領だった時には
女子学校がありましたし、女性はブルカの着用を強制されていませんで
した」と彼女は言った。「父は女性の教育を支持しているし、女性にも働く
場があると考えています。私を見てください。私は男女共学の学校に通っ
たんですよ!」
253 :
533:03/01/03 15:32 ID:qetsCEi2
流暢な英語を話すファティマはシャルジャ(※アラブ首長国連邦)にある
アメリカン大学でジャーナリズムを学んでいる。
この気力旺盛な女性は、去年ハミド・カルザイに道を譲るために自発的
に大統領の座を降りた彼女の父が西側のメディアに「ムラー」のステレオ
タイプで描かれているのを悲しんでいる。
「メディアは父をステレオタイプ化しています。多分見かけがそう見えるか
ら。メディアは間違った印象を受けています。父は本当はとても開かれた
心を持っています」と彼女は述べた。「彼にも限界はありますが。……父
は自分流のやり方で穏健派なのです」
彼女は数か月前にタイム誌に出た記事を引き合いに出した。それはラバ
ニについていろいろ述べていたが、ファティマによると「まったく事実では
ありません。でもそれはたぶんアメリカの雑誌だからでしょう」。
254 :
533:03/01/03 15:33 ID:qetsCEi2
ラバニの政府は、タリバンがアフガニスタンの大部分を制圧する以前で
は最後の民主的に選ばれた大統領だったが、「穏健派イスラム」であり
「比較的進歩的」だったと広く考えられている。
タリバン支配地域に比べると北部の状況は良かったかもしれないが、そ
こでもラバニの大統領在任中(1992-1996)に重大な人権侵害や女性に
対する暴力があったと国連は報告している。
ファティマはアフガン人の新しい世代の一員であり、戦乱で荒廃した故国
を近代化することに熱意を抱いている。
卒業後は彼女はこの国のメディアを刷新することにエネルギーを使うつも
りだ。
255 :
533:03/01/03 15:33 ID:qetsCEi2
「アフガニスタンのどの政治指導者も、彼らの狭い関心に応える新聞や
雑誌しか持っていません。これらは自分たちを賞賛して反対派を批判し
ています。誰も民衆がどう思っているかなど気にかけません。私たちには
独立したメディアが必要です」と彼女は述べた。
彼女の兄ジャラルはカナダに住んでいるが、オマイド(希望)という雑誌を
運営している。これは一般アフガン人が投稿した詩と、人間的興味のあ
る他の記事に特徴があり、ファルシー語と英語で発行されている。タジキ
スタンで発行してアフガニスタンに発送されている。
ファティマはアフガン・ソ連戦争のさなかにパキスタンで生まれた。1996
年にカブールのパキスタン大使館が攻撃されたのち、家族はロンドンに
居を移すことを余儀なくされた。1年後に彼女の父は家族をUAEに住ませ
ることに決めた。
256 :
533:03/01/03 15:34 ID:qetsCEi2
アフガニスタンの外で成長したにもかかわらず、ファティマは「どこにいよ
うといつも自分はアフガン人だと感じています」と言う。
彼女は自分の父は政治的義務を果たすあまり、家庭生活をあまり顧み
ないと説明するが、それでもラバニはいつも子供たちの野心を「支持して
いる」という。「父は教育には厳格です。父は私たちに、何があろうと学業
は終えなければならないし、修士号は取らなくてはいけないと言っていま
す」と彼女は述べた。
「父は私がジャーナリズムを勉強しているのを喜んでいます。父は多くの
ジャーナリストを相手にしてきたので、重要な職業であることを知ってい
るのです」
ファティマと9人の兄弟姉妹は主に母親の手で育てられた。母のことを
彼女は「強い女性」と表現している。
257 :
533:03/01/03 15:34 ID:qetsCEi2
「母は父にとっても、兄弟姉妹にとっても大きな支えでした。私たちは母
にうんと頼っています」と彼女は言った。「母は戦争未亡人や孤児のため
にバダフシャン州(アフガニスタン北部)に孤児院を開設しました」
ファティマは自分も姉妹も政治や社会問題に関心を持つようになったと
言うが、それはたぶんこの母が見本になっているのだろう。
「兄弟の誰も政治的野心は持っていません」と彼女は言った。「母はとき
どき私に、あなたが次の大統領よと言ってからかいますが。…」ファティ
マは大統領になりたがってはいないが、政界入りの可能性は否定しない。
「アフガニスタンでは物事が変化しています。5月に帰ったとき、私は変
化を感じました」
彼女の父はときどき彼女が女性運動家や政治家の会合に出るのを許し、
そこで彼女は見聞し学んだ。
258 :
533:03/01/03 15:34 ID:qetsCEi2
父から学んだ教えの一つは、他人を過度に信用するな、大部分の人間
は金と個人的関心で動いているからだ、というものだ。
「父は私に、もし私が政治にかかわるなら、民衆というのは忠誠がない
ものだし、めったに本当のことを言わないことを忘れてはいけないと言い
ました。また友人は賢く選べ、発言には注意深くあれとも言いました」と
彼女は述べた。
ファティマはしかし、父の方針のすべてに賛成してはいないことを進んで
認めた。
「私には私の見方があります。たぶん私はアフガニスタンの外で見てきた
ことに多少影響されていると思いますが、私は物事を違うように見ていま
す。父がアフガニスタンを統治した方法は、私ならやるだろうという方法
とは違います」と彼女は感慨深げに言った。
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533:03/01/03 15:35 ID:qetsCEi2