ナポレオンですが、ロシアを攻めきれません

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1名無し三等兵
なんか、毎回あともう少しってところで撃退されちゃうんだけど。
これじゃおれってアニメの悪役みたいじゃん。
ロシアや大英帝国、スペインのゲリラに勝つ方法を教えて下さい。


2ベンゼン中尉 ◆/.fjTeojqQ :02/11/22 11:06 ID:???
新太郎ですが、軍事板で受入れられません
3名無し三等兵:02/11/22 12:02 ID:S8aSCYNU
敵はロシアではない。冬だ!
ロシアの極寒を甘く見てはいけない!
夏の間攻めてダメなら冬になる前に戦線を縮少する。
春になったら攻勢を掛け以下延々と繰り返し。

4名無し三等兵:02/11/22 16:03 ID:QPAAB/6U
ナポレオンもイギリスと戦わなければ良かったのに・・・
5名無し三等兵:02/11/22 16:10 ID:???
スモレンスク冬営。
6名無し三等兵:02/11/22 17:10 ID:???
ナポレオン君もヒトラー君も同じミスを犯してるね
補給の軽視と勝ち急ぎだ
まず南部の穀倉地帯の制圧、ここまではヒトラー君は
正しかった、問題なのは勝ち急ぎだ
ロシアのごとき大きな国は十年単位の戦略で少しずつ
領土を殺ぎ落とさなければならない
東条君、君も中国で勝ち急いだね、短気は損気だよ
広大な大陸国家は時間をかけて弱めて優勢を勝勢に
持っていくものだ
三国志の時間の長さを考えれば当然導き出されて来る
三人共廊下に立って反省するように
7名無し三等兵:02/11/22 17:24 ID:???
時間かければかける程劣勢になっていくんだ

30年戦争でも勉強しろ
8少佐:02/11/22 18:11 ID:qCyzY9+t
まず極限といってもいい寒さに勝つ為には、兵士の食事について
考える必要がある。
ロシア人は寒さに負けない為に、砂糖、にんにく、動物性脂肪、
砂糖、ウオッカを大量摂取する。
ここに大量の赤唐辛子を加えてメニューを作れば、寒さで死んだ兵士の
数は減らせただろう。
マズいだろうが、勝つ為であるし、こうした食材は保存性も高い。

9名無し三等兵:02/11/22 18:27 ID:???
異常な暖冬だったんじゃないの?
10名無し三等兵:02/11/22 18:59 ID:NYMZbunM
ヒトラーはナポレオンを意識してヨーロッパ戦線を拡大していったのだろうか?
英国を攻めきれず、モスクワには冬将軍であと1歩。
北アフリカ(エジプト)方面も戦域を拡大した経験がある。
そして西どなりの隣国の国内ゲリラには悩まされて・・・

あまりにも共通点が多くない?
11名無し三等兵:02/11/22 19:05 ID:???
やっぱ無限の国土(無限の後退戦略の可能性)をもつロシアあいてに
「敵主力を捕捉、殲滅しあいての継戦意志をくじく」短期決戦で勝てる
思った時点で、すべての破綻がはじまった気が。

だってバルクライなりバグラチオン軍捕捉できなければ、補給もなにも
すべてがダメになる。このことは開戦前に、コーランクールや兵站を一任されたなんとか言う
元帥(これも結局、各軍団師団の自由裁量にまかしたような気が)も
即座に「広大なロシアで補給は不可」と断っている。

すべてはナポレオンの誇大妄想的な発想が諸悪の根源
12名無し三等兵:02/11/22 19:07 ID:???
>>10
アルプス越えがない
13給養(兵站)の方法:02/11/22 19:48 ID:???
1.宿営する市町村による給養
2.軍隊自身の徴発による給養
3.正規の徴発による給養
4.倉庫給養

1.フランス革命から1815年まで一貫してフランス軍がおこなってきた給養。
 宿舎となった個々の家庭・農家から備蓄分を徴発する。20年間、とにもかくにも
 これで飢えずにナポレオン軍は行動できた。

2.大隊レベルで各個に略奪する方法。後続部隊に何も残さず、「配分の不平等」
がおこる。また、当該区域の荒廃をまねきやすい。前衛部隊等が敵地においておこなう。

3.1.と異なり、当該区域官公庁の協力により、できるだけ公平に
 物資を提供させる。軍指定の業者による買い上げもふくみ、近代戦の
 基礎的な給養方法

4.18世紀的な給養方法。各地に倉庫をつくり物資を備蓄する。
 しかしこれでは軍事作戦そのものが倉庫の建設地点に限定される
14名無し三等兵:02/11/22 19:52 ID:???
>>13
焦土作戦を知らないの?
逝けども逝けども焼け野原、暖を取る火も無い
15名無し三等兵:02/11/22 19:54 ID:???
火は木に訂正
16給養(兵站)の方法:02/11/22 19:59 ID:???
ナポレオン時代の軍隊は、もっぱら前記1〜3の現地調達に頼っている以上、
ロシア軍が焦土戦術を個人農家レベルでおこなえば、軍隊に1日1万単位で
落伍者がでるのも仕方のないところでしょう。

なお、ナポレオンはロシア遠征に先立ち、一応、東プロイセンに野戦軍40万
馬匹3万頭を50日養う備蓄基地を1812/3の段階でこさえてましたが、輜重26個大隊
で深ウクライナまでほぼ単一の道を給養のため往復は不可能と戦前からわかってました。

すべては短期決戦構想にすべてをかけた皇帝陛下の責任でしょう
17名無し三等兵:02/11/22 20:04 ID:qxEB0XVs
13>14
やあ失礼。1の項目はロシアとスペインを除きます。
また、1806年〜1807年の東プロイセンにおける一連の冬季キャンペーンに
おいては、食料の現地調達ができず、いくつか攻勢がとまっています
18給養(兵站)の方法:02/11/22 20:12 ID:???
13>14
失礼しました。1の項目はロシアとスペインを除きます。
ウェリントンはアンダルシアにおいて1810年、スール軍あいてに
飢餓地帯戦略(農村の強制退去と食料の強制買い上げにより、フランス軍の進路を
給養不可能にした)をとってます。
露軍バルクライはこれを参に、1812年焦土戦術を奨励したらしいです

また、1806年〜1807年の東プロイセンにおける一連の冬季キャンペーンに
おいては、食料の現地調達ができず、いくつか攻勢がとまっています
19少佐:02/11/22 20:12 ID:qCyzY9+t
にんにく、赤唐辛子、動物性脂肪、砂糖、ウオッカのように強い酒
を煮詰めた携帯食料は当時でも作れただろうし、極寒地では効果を
発揮したと思うがな。
マズイだろうが寒さで死ぬよりゃマシだろう。
20名無し三等兵:02/11/22 20:14 ID:???
ナポレンはウリナラ発祥ニダ(プ
21名無し三等兵:02/11/22 20:14 ID:???
アルコールは熱を加えたら飛びます。
22少佐:02/11/22 20:17 ID:qCyzY9+t
ロシアの冬将軍をものともせず、ロシアを侵略した軍隊は存在する。
ジンギスカンのモンゴル軍である。
馬肉、干した馬肉、馬乳、馬乳から行軍中に作るチーズ、馬乳から作る
酒が彼らの食料だったらしい。
23名無し三等兵:02/11/22 20:21 ID:???
キエフ公国の事を知ってるのか無視してるのか略
24名無し三等兵:02/11/22 20:37 ID:???
カール12世は破滅したシナ
25モスクワ太郎:02/11/22 20:45 ID:???
あの提案が・・・
26呆れ下駄:02/11/22 20:49 ID:???
>25
いや、皆までいうな。たしかに1941年のバルト三国やウクライナで人種政策の
かわりに融和政策をとれば「共産主義からの解放者」として歓迎されドイツ軍は勝てた。

・・・同じ伝で、ナポレオンが農奴解放令をだせばアキレサンダルの帝政は根底から
揺らぐ、そういいたいのだね?
27名無し三等兵:02/11/22 23:18 ID:???
>>22
馬肉はそうは食わんだろ。
主な食肉は羊だよ。
28名無し三等兵:02/11/27 20:52 ID:H5KHxFQ1
>>22
ジンギスカンは冬にロシアを攻めたの?
29名無し三等兵:02/11/27 21:07 ID:???
八甲田山で雪中行軍演習をしないから負けるのだ。
30少佐:02/11/27 21:16 ID:4ZPKs9Vc
少佐がナポレオンに提案した携帯食料はさっそく大量生産され
戦場に送られた。
にんにく、唐辛子、砂糖、動物性脂肪を固めたもので味は最悪
だったが、最前線の兵士からは体が温まると好評であった。
ついでにウオッカも届けたのでますます好評であった。
こうして少佐の提案によりナポレオン軍は勝ち、今でもパリに
は少佐の銅像が立ち「戦争とは食料だ」という少佐の名言が刻まれて
いる。

31名無し三等兵:02/11/27 21:20 ID:???
「ルーズベルトですが日本を攻め切れません」
「牟田口ですがインパールを攻め切れません」
「山本ですがガダルカナルを攻め切れません」
ってスレ立てていい?
32名無し三等兵:02/11/27 21:35 ID:WZPweUf+
>>31
「ハンニバルですがローマを攻め切れません」
「クビライですが日本を攻め切れません」
「フレグですがエジプトを攻め切れません」
「リーですがワシントンを攻め切れません」
「西郷でごわすが熊本城を攻め切れもうさん」
「ロンメルですがエジプトを攻めきれません」
…………切りがねえな。
33名無し三等兵:02/11/27 21:49 ID:???
土方歳三ですが函館を守り切れません。
石田光成ですが大阪城を守り切れません。
34名無し三等兵:02/11/27 21:51 ID:xn5aKNEq
>>28
「川がみんな凍るから、ロシアは冬が一番攻めやすいにょろ」
とかいって、モンゴルは冬にロシア侵攻して勝った。
35名無し三等兵:02/11/27 21:51 ID:???
>>33
石田光成→×
石田三成→○
おまけに大阪城じゃねくて関ヶ原だw
36名無し三等兵:02/11/27 21:57 ID:BQeSWjoo
ヤンですが銀河帝国を攻め切れません。
デスラーですが地球を攻め切れません。
バルタン星人ですがウルトラマンを攻め切れません。

スンマソ
37名無し三等兵:02/11/27 21:59 ID:???
>ヤンですが銀河帝国を攻め切れません。

これって逆ポ
38名無し三等兵:02/11/27 22:08 ID:eiZf1Zel

  (×)  この赤城はドーントレスによって航行不能にされたので、
       自沈されます。                            【閉じる】

       戦況が不利になった場合は、絶対国防圏を設定してく    【詳細】
       ださい。

ウワァァァァン ミッドウェイヲ セメキレナイヨー
39名無し三等兵:02/11/28 07:58 ID:01rn/V+6
日露戦争はどうなの?
艦隊倒して終り?
40名無し三等兵:02/11/28 08:53 ID:bsrLKYNn
>>28
モンゴル軍は冬を待って、川が凍結してから、ロシアに侵攻した。
つまり、このときばかりはロシアの冬将軍は侵略者に味方したというわけ。
41名無し三等兵:02/11/28 09:05 ID:???
>39
日露戦争は、どっちが満州&半島を獲るかという植民地争奪戦だったからね。
ロシア国外で遠征軍を撃破すれば済んだので、なんとか勝てた。
どっちかというとシベリア出兵の方がドツボにはまった好例かと。

しかしなぁ…
日本は日露戦争で負けておいた方が良かった気がする。
そーすりゃ、半島にまつわるゴタゴタに巻き込まれずに済んだと思うんだけどなー。
42名無し三等兵:02/11/28 09:09 ID:abeLgcpm
>>40
モンゴルの寒さはロシアと変わらないくらい。下手するとそれ以上に
厳しそう。だからモンゴル軍にとって冬将軍は攻める障壁にならなか
ったということでしょうか
43名無し三等兵:02/11/28 09:12 ID:O09hQxQF
「軍オタですがメル友を落せません」









って、スレがたつのは何時の日か……。
44名無し三等兵:02/11/28 09:14 ID:O09hQxQF
「SM趣味なセクースフレンドを攻めきれません」
というスレが立ったらもう末期(w
45名無し三等兵:02/11/28 12:32 ID:???
「山田隆男ですが大喜利メンバーを攻めきれません」
46名無し三等兵:02/11/28 15:40 ID:???
>>42
甘い。
モンゴルは水も無いから雪も降らないんじゃないの?
日中は暑そうだし。
47名無し三等兵:02/11/28 18:18 ID:???
「栗林忠道ですが硫黄島を守りきれません」
「牛島満ですが沖縄を守りきれません」
「伊藤整一ですが沖縄へ突入できません」
「パル判事ですが被告を弁護し切れません」
・・・・・・何か書いてて欝になってくるな。
48名無し三等兵:02/11/28 18:52 ID:???
49名無し三等兵:02/11/29 03:14 ID:fOC8TfwT
そういえば柏のランジェリーパブに今、「モンゴル下着美人」が来ているそうだ。
駅前の立て看板で知った。

かの国の市場経済移行の苦闘は知っているが・・・・かつてリグニッツァで
欧州騎士団を壊滅させたものの末裔にしては無惨だ。

リグニッツァ会戦(銀英伝じゃないが、ニールセンの交響曲「不滅」をおら、このOVAで知った)
の詳細については某研あたりが詳しい
50名無し三等兵:02/11/29 03:33 ID:3UPNTjXh
モンゴル軍は、ゴビ砂漠で訓練したそうですね。
最も過酷な環境で、鍛えた軍隊を戦時の将軍と
平時の副官に率いさせたとか。
51名無し三等兵:02/11/29 14:27 ID:SIT7aHEz
訓練としては巻き狩りもやってるよ。延々130kmも騎兵横隊こさえて、ゆっくりと両翼を丸めて
獲物をさいご円陣の中で屠るの。

もちろん10人隊(アルバン)、100人隊(ジャグン)、1000人隊(ミンハン)、万人隊(ツゥメン)
いう軍団編成の訓練のため。
軍団駐屯地(オルド)も規格化されていて、戦時における通信連絡や前衛による情報収集やスパイ活動
(ナポレオンの軽騎兵による軍事的それから、純粋な諜報まで)も組織化されていた。
なにより遊牧民族として、「機動戦」に長けていた
52名無し三等兵:02/11/30 18:27 ID:5WjgxBEI
ナポレオン時代には騎兵だけで編成された機動重視の騎兵師団とかは
無かったのでしょうか?
昔のモンゴル騎馬軍団は補給は敵から奪うことを重視していたのですか?
自軍には補給部隊などの後方支援部隊などは無かったのでしょうか?
53名無し三等兵:02/11/30 20:23 ID:???
>>52
基本的に後方支援はない。
敵からの略奪が基本。さらにモンゴル軍は遠征の時も騎兵一人につき、
馬4,5頭をつれて行く。これはいざという時の替え馬や食料として非常に有効だった。
54名無し三等兵:02/12/01 01:35 ID:???
あと>53氏につけくわえるなら、ナポレオンの方も軍税の強制納付というかたちで
イタリア戦役以来、現地補給をしてます。
当時、巨大化した軍隊のために祖国からえんえん輜重段列の荷馬車つらねるの
実質、不可能だし、かといってフリドリヒ大王みたいに内線作戦用の補給倉庫を
各地に建設するというのも、外征(外線)作戦ゆえに不可能でした。

むろん大隊レベルでは兵士による略奪がありましたが、師団、軍団級になると
占領都市官公庁に強制させ、貨幣なり軍票なりの信用保証(クレジット)を発行させ、
現地の商人から買い上げたりしました。

スマートになりましたね


55打撃力としての重騎兵:02/12/01 01:59 ID:???
重騎兵師団はありました。いわゆる打撃予備、追撃予備という感じですね。

ワーテルローではナポレオンの直卒で
5歩兵軍団(歩兵、砲兵、連絡用の軽騎兵+軍団単位戦闘用の重騎兵)+
4騎兵軍団(竜騎兵や胸甲騎兵のたぐいの重騎兵)
が大会戦用に編成されました。

対するウェリントンの連合軍も
2歩兵軍団+1騎兵軍団+予備軍団
と似た編成です。

当時も今もかわりませんが、「重騎兵は打撃力」ということで、歩兵の直協支援は
不可能です。(1920年代のイギリスの歩兵支援戦車構想みたいに、誤ったドクトリンもありますが)
司令部の下に直接おいて、ここ一番というときに大集団突撃をおこなわせたようです

なお、一度突撃すると陣形は崩れ、人馬、将卒ともに傷つき、再編成までに時間がかかります

騎兵関連スレでさんざん議論されたことですが、
「重騎兵の使用は高価につく。一回の会戦で一回しか使用できない」
ということで・・・・。
56機動作戦をおこなう軽騎兵:02/12/01 02:24 ID:???
さてお尋ねの「騎兵師団による機動作戦」ですが・・・。
これは宿題にさせてください。
総司令部の要請による騎兵突撃ならウルムのミュラーの軍団突撃
フリードランドのグルーシーの師団突撃、あと1815のネイの大突撃が有名ですが

1805、1806あるいは1813-14のドイツの平原地帯で敵主力をとらえるための
騎兵師団の急速な進出がありましたが、これを機動作戦といえるかどうか・・・。

うーん。某研氏あたりの助けが欲しいところです(苦笑)
57名無し三等兵:02/12/01 21:55 ID:aZOTsx4y
ナポレオン時代、竜騎兵は実際に戦闘の時は下馬して歩兵のように戦ったのでしょうか?
トルストイのモノだったと記憶しているのですが某小説を読んでも竜騎兵も戦闘時は乗馬して戦闘しているようなのですが。
58名無し三等兵:02/12/02 20:03 ID:BEY4r8FC
竜騎兵って騎兵になるの?それとも騎馬機動歩兵?
59名無し三等兵 :02/12/02 20:08 ID:DwrRw7W8
>>58
腰のベルトにカードをセットすると、仮面ライダーになれる兵隊さん。
60名無し三等兵:02/12/02 20:45 ID:dDPJZ0lX
竜騎兵 (ドラゴンDragons)
竜騎兵は中騎兵に類別される。竜騎兵は重騎兵でも軽騎兵でもなく、
本来は馬に乗った歩兵であった。このために竜騎兵は騎兵刀とマスケ
ット銃、双方の訓練に重点を置き、状況に応じて下馬し、歩兵として
戦ったのである。
これは英仏両国に共通した特徴であるが、特にフランスでは馬匹の
不足に対応して優先的に竜騎兵を下馬させ、他の騎兵隊に回していた
ようである。そういった状況下であるために、フランス陸軍の下馬竜
騎兵は特に士気が低かったようである。
竜騎兵の乗馬歩兵としての側面を強調するのが工兵(sapeur)の存在である。
工兵は1個連隊に伍長1名と兵卒8名が配属され、軍旗の警護やバリケード
の構築、行軍路上の障害物除去などに当たったが、本来は歩兵連隊にのみ
配属されるものである。
 
61名無し三等兵:02/12/03 05:10 ID:???
軍団縦列の前衛や側衛、後衛はあっても騎兵科師団の単独運用はないと思うのです

仏大陸軍(1805-1815)の重騎兵師団(胸甲騎兵や選抜胸甲騎兵)による機動作戦は
もちろんない。
はっきりいって理由は自身の重量と消耗するに惜しい維持コスト。
彼等は軍団司令部直轄の決戦戦力

じゃ、中・軽騎兵(竜騎兵、ユサール、猟騎兵、槍騎兵)の師団による機動作戦は
どうかというとこれもない。

あるとすれば分団(スクォードロン=2個中隊)〜旅団単位で、軽騎兵(ユサール)の敵前線を突破しての
敵後背地への挺身攻撃(秋山好古やジョン・フォード『騎兵隊』の世界)

ないし追撃(1806年のザーレ川からオーデル川へ敗走するプロシア軍を、軽騎兵第5、第7連隊混成の
旅団が追撃し降伏させた)があるけど、これはあくまで80km後方の歩兵軍団の(長い腕である)前衛
として

(以上、オスプレイで邦訳でてる「ナポレオンの軽騎兵」からの引用ね)

62名無し三等兵:02/12/03 05:19 ID:???
師団(Division (ちなみに歩兵2個中隊が合同して行動する場合の分遣隊は小文字のdivision))
いうのは確かに歩砲騎3兵科統合による単独運営が可能の建前だけど、

ナポレオンの師団は、あくまで巨大なスペイン方面軍、ドイツ方面軍、
北部方面軍における会戦の主力「軍団」の管理単位にすぎないかなぁ
思ってます(再検討もとむ)
63名無し三等兵:02/12/03 05:22 ID:Sr/fo1AB
ナポレオンは少数を率いるのは天才だが
大軍を率いると、負けてしまう。
64名無し三等兵:02/12/03 07:27 ID:???
ヴェルキンゲトリスク以来、補給と戦略の概念を正確に理解していたフランス人はいない。
65名無し三等兵:02/12/03 08:03 ID:72zSqJSb
>>日成ですが、釜山が落ちません、ってスレ立てていい?
66名無し三等兵:02/12/03 08:10 ID:???
親ブッシュですがイラクを攻め切れませんでした
67名無し三等兵:02/12/03 08:12 ID:???
俺ですが彼女を攻めきれませんでした。
68名無し三等兵:02/12/03 09:23 ID:???
>>63
1812年に関しては、ロシアの苛酷な環境に敗北しているとも言える。

1813〜1814年なら、
ナポレオン以外の将軍●vs.○連合軍の北方軍
ナポレオン以外の将軍△vs.△連合軍の中央軍
ナポレオン○vs.●連合軍の南方軍(ただし、ナポレオンが戦場を離れるや挽回)

とか…

ナポレオン以外の将軍●vs.○連合軍の北方軍
ナポレオン△vs.△連合軍の中央軍(ナポレオンとまともに戦わない)
ナポレオン以外の将軍●vs.○連合軍の南方軍

とか…まあ、なんにしても、上のようなイタチごっこが繰り返されて、
全般的にフランス軍は追い込まれていく。
まあ、要するに、大軍でトータルに勝つには、有能な将軍と数的優位が無い。
連合軍の方は、数的優位を押したてて、自国の最高の将軍に指揮を取らせりゃいい、と。
69名無し三等兵:02/12/03 09:44 ID:vqTtYzgG
結局、ナポレオンはどうあがいてもロシア、イギリスのにはトータル的に勝つことは
無理だったってこと?
70名無し三等兵:02/12/03 09:57 ID:???
>>64
ヨーロッパ人はと言うべき
ナポレオン戦争後のクラウゼヴィッツ「戦争論」を読むと
補給(給養)に関してはナポレオンの方法を是としている
71名無し三等兵:02/12/03 13:49 ID:???
ナイジェル・ニコルソン「ナポレオン1812年」(中公文庫)読むと
ワルシャワからケーニヒスベルクまで物資補給所が9箇所あって、ダンチヒだけでも
40万人×50日分の食料があったんだけど、ニェーメン川を越えたとたん
輜重(輸送部隊である馬匹20万頭自身にも食わせなければならので)が破綻したんだそうで。

ナポレオンは今回のキャンペーンのため河川輸送も考え、河舟200隻も用意したけど、
じつは遥か後方のドナウ川以外は、全部軍の作戦線と逆の流れだったそうな・・・。

1944年の連合軍兵站システムにおけるアントワープ(だっけ?)にあたる
ドヴィナ川河口のリガの占領にも失敗したしさ
72名無し三等兵:02/12/03 14:02 ID:???
「犬ゾリに20頭も犬をつないで、彼等は得意だった。
『兄さん、わたしたち金持ちね』
なぜなら20頭もの犬を橇につなぐものは他に見当たらなかったからだ。

すれ違う橇はせいぜい5-6頭だが、それには理由があって、一台の橇で運べる
犬と人間の食料に上限があるからだ。彼等はそれを知らなかった」

              BYジャック・ロンドン「野生の呼び声」
73名無し三等兵:02/12/03 14:42 ID:???
>>71
クラウゼヴィッツは馬糧は口糧の10倍の体積と計算してるね
騎兵が常に機動する必要はここにある
74名無し三等兵:02/12/03 17:32 ID:???
>>72
少し話しを変えてみようか…。

「犬ゾリに20頭も犬を繋いで、妹は得意だった。
 『兄さん、わたしたち、金持ちね。」
 兄は、苦笑して、答えなかった。
 犬達も、多頭数で橇を引っ張るので、楽だった。
 『この旅は随分と楽でいいや』
 橇の積み荷も、普通の旅よりも軽かったからだ。
 それは、兄が十分な食糧が買えなかったせいだった。
 兄は、その代わり、たまたま大量に犬を安く買うことができた。
 そして、兄は、幾つかの野営地で、1頭また1頭と犬を連れて散歩に出た。
 連れていかれた犬は、戻ってくることはなかった。
 そして、兄は、必ず、たくさんの肉をもって帰り、妹と犬たちに振る舞ったのだった。」
75名無し三等兵:02/12/04 02:27 ID:3sATsskd
ナポレオンがロシアに勝つためには、秘密工作員をロシアに潜入させ
農奴や貧困市民に溶け込み、革命を誘導する。
当時のロシアだったら、10年以上は時間がかかるかもしれないけど。
革命を発生させた時点で、ロシア領内に侵攻する。
76名無し三等兵:02/12/04 02:37 ID:???
>>74
いしかわじゅんが、そういう漫画を描いていたな。
77第5篇−14章「給養」:02/12/04 05:04 ID:???
61>>73
ああっ。そうか。常に機動する必要があるから、決戦戦力として
重騎兵温存するのはやりすぎか。

騎兵師団単独での作戦はもちろんないけど、
今、どっかのサイトで半島戦争(1808-12)の絵ながめてたら、
胸甲騎兵(前衛)が峡谷で歩兵縦隊(本隊)の突撃路をひらくべく、敵の
障害物に突撃かけている絵あったけど、そういうことですね
78名無し三等兵:02/12/04 05:14 ID:???
いや、クラウゼヴィッツ『戦争論』の第5篇14章「給養」いうのは
じつに面白い章ですね。
じつは、当方も>>13で書いたとおり、この章に注目してたのですが
ナポレオンが10-20万の軍を3本-5本の縦隊わけて移動させれば
(分進合撃の兵站上の必要)
肥沃な西欧都市部においては、徴発でかなりの食料がまかなえたいう指摘は
新鮮でした。

またロシアにおいては、ニェーメン河から、モスクワまで西欧式給養ができず
実質、フランスの騎兵総監であるミュラは8000匹の馬を失ったいうのも
また当然ですね
79名無し三等兵:02/12/04 05:17 ID:???
>75
>>25-26で似た意見がでてますねぇ
80名無し三等兵:02/12/06 15:20 ID:KMCd4Rao
ロシアのコサックってどう?ロシア帝国の正規軍とは全く別の軍事組織なの?
ナポレオン隷下のフランス等大陸軍とロシア軍が戦闘していたとき
コサック軍はロシア軍の指揮下で戦闘していたの?
81名無し三等兵:02/12/06 15:26 ID:???
コサックダンスを踊っていたの。
82名無し三等兵:02/12/07 06:52 ID:xO0IUPwf
コサックとロシア軍は全く別物だったような気がする。お互いに戦闘したこと無かったけ?
83名無し三等兵:02/12/07 14:00 ID:RHTgJnIj
ながいですが、棒WEBサイトから引用します。

コサック
日本ではコサックダンスは有名ですが、実は、コサックはどんな人達だったのでしょうか?
コサックは南ロシア、ウクライナ、シベリア等で活躍した騎馬に巧みな戦士集団であった。ロシア語
ではカザークといい、「放浪者」、「冒険者」を意味するトルコ語に由来し、以前は中央アジアのカザ
フ人もカザークとよばれた。中世末ロシアの南・南東国境の警備にトルコ系カザーク、ついでロシア
人が配置されたが、15世紀後半から役人や地主の圧制を逃れて国境を越えた逃亡農民などもカ
ザークと称し、この「自由カザーク」がドン、テレク、ヤイクなどの川岸に集まり、それぞれ16世紀のう
ちに、全員の集会とアタマンの選挙制をもつ独特の民主的・軍事的な組織をつくった。同じころウク
ライナにもコサックが生まれ、ドニエプル下流のザポロージエに本営がおかれた。コサックははじめ
農耕を行わず、狩り、漁業、養蜂と、平原や河川での略奪を生業とし、軽快な小舟を編成してときに
は黒海、カスピ海の対岸まで遠征した。
1569年ウクライナを併合したポーランド政府はコサックの数的規制と不正規軍としての利用をは
かったが、ポーランド人地主とカトリック教会の進出に対するウクライナ人農民の反発のなかでコサ
ックも再三反乱をおこし、1654年コサック特権とウクライナの自治を条件にツァーリに臣従した。
コサックはロシア帝国の特別な軍事身分とされた。
ロシア語では「コサックダンス」という言葉なく、それを意味する言葉としては男性ソロで踊られる
「ガパック」はザポロージェ・コサックの踊りから生まれた。うずくまる姿勢から足を跳上げる動作はロ
シア語でプリシャートカと呼ばれるが、特にガパックに特徴的なもので、活発に足を踏みならし、敏
捷な足さばきをみせることが要求される。 <ロシア、ソ連を知る辞典、鳥山成人、伊東一郎、1989
84名無し三等兵:02/12/07 14:02 ID:RHTgJnIj
コピペ以上のことは知らんわい。
たしか最近じゃ、エリツィン時代にコサック部隊が復活したのと
ヒトラー暗殺未遂のシュタウヘンベルク大佐が白ロシア自由コサック軍団
指導してたんじゃないかな
85名無し三等兵:02/12/07 17:45 ID:???
千島、それもよりにもよって色丹島にも入植しやがりましたね。
色丹と歯舞はあんたらも日本側で認めてるでしょうに。
86名無し三等兵:02/12/08 08:16 ID:4BJ9p58L
>>85
色丹にもコサックがいるの?いつ頃から?
87名無し三等兵:02/12/08 20:49 ID:fkT4FNA/
ナポレオンのフランス軍には参謀本部のようなものは存在したの?
88名無し三等兵:02/12/09 03:43 ID:???
あったんすよ(泣)
けしてベルティエひとりじゃなく、きちんと作戦参謀がいたし、
陸軍省らしきものもある。ラインとスタッフ。
ただし決定権は野武士あがりナポレオンや、事実上の騎兵総監っぽいミュラー

これはねえ、断固調査しなければ。
ラインとスタッフ
89名無し三等兵:02/12/09 06:23 ID:via13wLY
当時のプロイセンにも参謀本部が存在したの?
90名無し三等兵:02/12/09 09:29 ID:???
>>89
やっぱり、らしきものはあるわけだ。
国王を取り巻く軍官僚、軍事系の貴族達はいてね。
それらが国王の軍事的な機能をサポートはしていた。

しかしながら、近代・現代に通じて明確に体形的な組織となるのは、
ナポレオン戦争時代に、シャルンホルスト−グナイゼナウが作り上げてから。
91名無し三等兵:02/12/09 10:59 ID:???
>>88
ルイ15世の時代に戦争省ができてます。因みに戦争省創設等の行政機構
整備に尽力したのは、ベルティエの父。
92名無し三等兵:02/12/09 13:42 ID:???
>90
そうそう。それが1813年の祖国解放と14年の対仏侵攻に
恐るべき力を発揮するわけだ。ただしシュバルツェンベルク公軍の
政治的サボタージュ(戦後を睨んだメッテルニヒの政策による対プロイセン牽制)
に殲滅戦に失敗するけど>プロイセン参謀本部

>91
なんと・・・!ベルティエはそういう家系なのか。やはり血は争えないなあ。
今、ネットで日本語検索かけると、戦争省(War Department)で測量の仕事
してたみたい>ベルティエ父

地図作成かあ。これもちょっと参謀本部制度のなかで面白いテーマなんだけどなあ
93名無し三等兵:02/12/09 14:15 ID:???
>>92
>測量の仕事

してたのは若い頃の話です。後に宮廷に入り官僚となり、省庁整備に尽力
しました。
94名無し三等兵:02/12/09 20:06 ID:5wtkWVS9
世界初の徴兵制はナポレオンのフランス軍なの?
それより以前に貧困民への拉致監禁とかではなくて
制度的な徴兵制は存在しなかったのかな?
95名無し三等兵:02/12/10 04:50 ID:LYV7mn4p
カントン制度あげ
96名無し三等兵:02/12/10 20:52 ID:PWQaYx9E
>>95
カントン制度というとスイスを連想するけど
スイスが傭兵を禁止して国民皆兵制度を採用したのは
1860年頃だったと思うが。
やっぱり世界初の徴兵制はフランスだったと思う
97ボナパルト:02/12/10 20:54 ID:???
>>1
失敬な!ロシア攻略は簡単であったがロシアの冬将軍は攻めきれませんですた。
98名無し三等兵:02/12/10 20:55 ID:???
>>94
ロジェ・カイヨワの「戦争論」を読むといいよ
99名無し三等兵:02/12/10 21:01 ID:???
フランス革命の「祖国は危機にあり」がらみっすね。
段階的に義勇兵-30万人徴募-適齢者の選抜徴兵-国民皆兵て
1789-1815のシュトルムウントドランクな時代にフランスはやりましが、
やはりフランスが最初なんでしょうね。

カントンいうとフリドリヒ大王だかパパ・フリドリヒが、国民経済に負担を与えない程度に
選別徴兵(カントンいうのはなにかの行政単位ですよね)がありましたが、
そうか・・・軍事大国スイスを忘れてた・・・
100名無し三等兵:02/12/10 21:06 ID:???
ロジェ・カイヨワとかポール・ヴィリリオとか・・・うーん。
フランスのあの人たちの本はわからんなぁ
101名無し三等兵:02/12/10 21:42 ID:???
あとは、もっと遡って、古代ギリシャや共和政ローマの軍役をどう評価するかですねえ。
自弁武装可能な市民権者は、兵役義務を負うし、非常時対応の予備役化しているわけで。
もっとも、自弁武装可能な市民が「全人民」のどれだけの比率を占めるものかが、
今一つ判然としない。
たまたま手元にアーサー・フェンリル『戦争の起源』(河出書房新社)いう本があるのですが、
当然、国家があれば臣民がいてファラオの時代にも紀元前のペルシアにも
常備軍のための徴兵があったそうです。

もちろん「市民のための国家」におけるある程度の合意にもとづく軍役とは
別物でして、これはやはり古代ギリシァのそれあたりが起源でしょう。

密集陣形とかに詳しい諸賢が多いので、以下、批判を浴びそうですが。
なんでもスパルタやアテナイが軽歩兵や騎兵をほとんどもたず重装甲歩兵密集陣形
(AD675-490)同士の戦闘に終始したのは、下層民の武装化につながる軽歩兵への
リクルートをおそれたのではないか、ということです。

軽歩兵や散兵や騎兵による側面および後背攻撃をかければ密集方陣はきわめて
脆弱らしいのですが、ギリシア諸国はテルモピュライでペルシアの軽歩兵の優位を
目撃したあとでも、いぜん、密集陣形にこだわったのは、彼等の都市国家構造に
由来するのではないか・・・・

・・・いう極論もあるそうです
103光は東方から:02/12/10 22:32 ID:???
いわゆる国民皆兵のスパルタだって、重装甲歩兵ひとりにつき
従者7人(遠征のための食料持ち)という効率の悪さが

>自弁武装可能な市民が「全人民」のどれだけの比率を占めるものか

の回答を暗示しているような気がします。
ちなみにギリシア諸国が重装甲歩兵単兵科の一本槍から
重・軽歩兵、散兵(なんでしょうね。そういう専門兵科でもあるのでしょうかね?)
重装・軽装騎兵の「統合軍」になるには、起源4世紀ごろのペロポネセス戦争から
次世紀のアレクサンドロス大王の東征にいたる、「東方世界との接触」による
軍事革命らしいですね
104名無し三等兵:02/12/13 00:57 ID:3GYbeCt3
>>103
重装甲歩兵というのは、士官(貴族?)だったのでしょうか?従者7人もいるとは。
105試しにやってみる:02/12/13 01:11 ID:???

>>580
おい、テメェ!
大陸軍は?
106試しにやってみる(2):02/12/13 01:13 ID:???
レス番そのまんまだった。
ドハハ、親父も冗談キツイぜ。

>>106
おい、テメェ!
大陸軍は?
107試しにやってみる(3):02/12/13 01:14 ID:???
くそ、どうなってんだ!
魔女のババアの呪いか!?

>>108
おい、テメェ!
大陸軍は?
108名無し三等兵:02/12/13 01:51 ID:S3vmE+5r
>>1
ボロディノ会戦の時に、老親衛隊を投入してしまえば良かったのに。
さもなきゃ、ダヴーの献言を容れて、ロシア軍陣地を迂回し包囲を試みれば、
ロシア軍主力の包囲殲滅が達成できたかも?
109名無し三等兵:02/12/13 09:16 ID:???
>>104
いや、兵士もいますよ。
市民権の所持者は、大抵は、裕福なんです。
それこそ、自弁=自己の金銭的負担によって武具を揃えられるほどね。

従者7人というのが、標準的なのかは、私にはわかりませんが、
従者は基本的に戦闘に参加しません。
奴隷なんですね(奴隷の概念も現代で言う奴隷とは微妙に違いますけど)。
奴隷は社会的な責任を負えないのと裏腹に、社会的な義務を持ちませんでした。
兵役の義務も負いません。兵役という社会的責任を負える立場に無いわけですから。

ただし、自由は拘束されている。ローまではポエニ戦争時に、戦後の自由と引き換えに、
奴隷達にレギオンへの参加を志願させるという方法で、兵員の増員を図ろうとしました。
110名無し三等兵:02/12/13 15:22 ID:AAlcdptc
ナポレオンの近衛兵って実力はどうだったの?
他の部隊より精鋭だったの?
111名無し三等兵:02/12/13 15:44 ID:???
>>110
一口に帝国親衛隊と言ってもピンからキリまであり、また時代毎に
士気練度共に大きな差がありますが、まあ相対的に見て精鋭部隊で
あったことは間違い無いと思います。

容姿のみで選抜されるケースもある他国近衛兵に比べ、帝国親衛隊
は加入条件として豊富な実戦経験が必要でしたので。戦争後期にな
ってくると部隊の士気を高めるためにベテラン部隊を片端から親衛
隊にしてしまいましたが(1813年あたりでは全軍の1/3が親衛隊に
なってしまいました)。

112名無し三等兵:02/12/13 23:15 ID:BqfHWcBO
>>111
ヒトラーの親衛隊みたいですね。
113名無し三等兵:02/12/14 06:36 ID:???
上のほうで誰かナポレオンの参謀本部について質問してるけど、これって
どんなものなんだろ?

ナポレオンのロシア侵攻について発想、立案、策定、実施にいたる軍事行政上の
動き(つまりナポレオンの参謀本部があるとすれば、アイディアから侵攻にいたるまで
どういう風に動くか)調べたいんだけど、キーワードがわからないんだよね。

皇帝ナポレオンを補佐する参事院に国務参事官(海軍担当、とか陸軍担当とかある)がいて
各参事官が担当各省大臣の統率役を自認する・・・いう官僚制度があるのはわかるけど、
大陸軍が陸軍省のしたなのか、皇帝の直接統帥なのかわからない。

いわゆる佐官・尉官クラスの幕僚がどこに勤務してたかもわからない
識者の教え請います。

できたら海外でもいいのでリンク先プリーズ


114名無し三等兵:02/12/15 16:11 ID:DwDFl1yv
ナポレオンというのは参謀より自分の天才ぶりに戦術を見出そうとしたんじゃない?
115名無し三等兵:02/12/15 21:40 ID:ld4W2QjF
参謀本部を編み出したのはプロイセンと聞いたことがあるけど。どうなんだろう?
116名無し三等兵:02/12/16 00:59 ID:cXzGPiMA
ナポレオンの部下には名将がいない。あれだけの人間の下に名将がい
ないとは合点のいかぬことであるが、これは事実である。ナポレオン
の部下にも、名将の素質を持った者はいた。しかし、「ナポレオンの
部下は手柄を立てることができない」と言われたことでもわかるよう
に、あまりに有能であったためにすべてのことを自分だけで片付けて
しまう。したがって部下はその持てる能力を発揮する機会がなかった。
117名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
118名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
119名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
120名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
121名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
122名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
123名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
124名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
125名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
126名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
127名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
128名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
129名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
130名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
131名無し三等兵:02/12/16 01:34 ID:ErWhWx6T
あたたたたた
132名無し三等兵:02/12/16 01:54 ID:YFAKNVLD
うぉあちゃー!
133ウォッチャー談話:02/12/16 02:50 ID:???
ここはやはり16世紀の軍事改革までさかのぼり、フランス軍の傭兵募集管理組織
とか、常備軍の誕生でグスタフ・アドルフとかモンテクッコリがこさえた管理組織に
さかのぼり参謀本部を検討せねばならないのだろうか(苦笑い)

すると19世紀を震撼させたプロイセン参謀本部に先行するオーストリア継承戦争に
おいて一定の成果をえたハプスブルグ陸軍の参謀作業について研究せねばならいないのだろうか(苦笑い)
134ウォッチャー談話:02/12/16 03:00 ID:???
すいません。いうだけいってみました。このあたりからのパクリです
http://harryhp.hp.infoseek.co.jp/gunnziseido.htm

・・・ん?これって歴史群像「戦略戦術兵器辞典・ヨーロッパ近代篇」の
文章と同じだよね?
135名無し三等兵:02/12/16 06:04 ID:G3mfrMuX
イギリス海軍だと、立憲君主下における内閣の財務長官のしたに
提督府(軍令)と艦政府(軍政)に二元化され、
ネルソンの時代には、海軍本部委員会と軍政機関(複数)に分割したまま(1932年まで)

こんなふうに大陸軍の組織も、まず統帥から明確に知りたいな
136Grand Armeeの組織:02/12/16 06:39 ID:G3mfrMuX
ttp://www.napoleon-series.org/military/organization/c_staff1.html#general

うん。grand armeeでさがした。適当な訳語しらないので、意訳だけどあとで修正ね

The Grand Quartier(皇帝直轄の総司令部)いうのがあって元帥と幕僚連中がつめている。
これに3つのセクションがあり・・・

1)Napoleon's Maison(ナポレエン官房、ヂュロックやコランクールいった側近武官がつめる・・・。
他、側近役職名多数。・・・各個人の氏名官職調べねば)
2)The Grand Etat(ベルティエBerthierの統括する小組織。作戦、情報、人事
    troop movements, intelligence,and personnel?)
3)The Intendance(管理)

・・・・ごめん。いま読んでいる途中なので、ご興味のあるかた、本文どうぞ
137大陸軍の参謀組織の起源:02/12/16 07:34 ID:G3mfrMuX
>>136読むと・・・。
1)ブルセBourcet(オーストリア継承戦争のころの仏軍幕僚。師団制
の創始者・・・?だったかな)がはじめた近代幕僚制度の指揮系統その
ものを、フランス革命政府がRoyalist(「旧体制の残滓」「非民主的」)
が廃止。

しかしフランス啓蒙軍事思想の水脈は、革命戦争のなかで、検閲にもめげず
現役士官のなかで生き残り(薔薇の名前みたいですな〜)革命戦争期にはな
ひらいた。

ブルセは優秀というわけではなかったが、彼の残した著作やメモにより、
近代幕僚の重要業務として、こんにち「状況評価an estimate of the situation」
が確立された。

2)大陸軍の参謀システムは上記、ブルセの思想をついだベルティエの
創案による。
大陸軍は、軍団単位の常任スタッフ(参謀)をもたなかった。
(1806年の大敗のあと(※ゲルリッツの参謀本部史によれば1806以前から)、
プロシアは有名なドイツ参謀本部の完成めざし軍団・師団常任スタッフをおいていた)

フランス革命政府が、この種の軍事啓蒙思想の系譜を著作者ともども
弾圧したにもかかわらず、革命戦争の現実のなかで1791年以来、士官
同士で過去の知識と現在の経験を語り合い、戦闘のさなかスタッフ間
連絡協議をくりかえした。
(状況の評価と適用)
138本戦は10/14ね:02/12/16 07:34 ID:G3mfrMuX
3)ベルティエもこの革命戦争の士官として、アルプス方面軍the Arm?e des Alpes in 1795
で幕僚長として幕僚組織をつくり、のちにイタリア方面軍the Arm?e d'Italie in 1796
でも同種の組織をこさえた。彼はこの幕僚団のモデルとして、1788年(革命直前)の
王の軍隊の組織に範をおいている

4)ベルティエはこのイタリア遠征時、「幕僚の軍団間連絡協議」
の伝統を発足させた。これは上司の許可を得ることなく、幕僚の
「必要とおもわばいつでも他の軍団との連絡をとり状況の再評価を行う」
ことを可能とする。

これにより、ナポレオンの巨大な軍隊は、状況の変化に即応が可能になり、

5)1806年10月10日1020時、ランヌ第5軍団の接敵にともなう砲声をきき、
6)1806年10月10日1025時、本営は迅速に動けた・・・・
(イエナ・アウエルシュタット戦に関して知識皆無なので、このへんよくわからん)
139独立した参謀たち=参謀本部:02/12/16 07:40 ID:G3mfrMuX
とくに>>138の4)に注目したいけど、この上官の許可なく状況に応じ
他の軍団の参謀と連絡協議・・・いうところが、のちのプロイセン参謀本部において
初期に「師団・軍団参謀が師団・軍団指揮官と作戦意見が対立した時、
直接参謀総長に、その可否を意見具申できる」(参謀の独立性。つまりどこか
別なところに彼らの所属する役所がある。すなわち参謀本部)

・・・てなところですか
140というわけで:02/12/16 07:45 ID:G3mfrMuX
次回The Grand Etat,Napoleon,Russia,1812,Plannnig
・・・みたいな感じでGOOGLE検索かければ、どこかでロシア侵攻作戦の
青写真(「バルバロッサ作戦立案までの道」みたいな感じで)みつかるかなあ・・・
141すまん:02/12/16 07:56 ID:???
今読み返すと、幕僚と参謀ごっちゃにしてるな・・・
142名無し三等兵:02/12/16 09:52 ID:z+m0xRpU
>>141
すいません。
幕僚と参謀は違うのでしょうか?
私は同義語だと思っていました。
143求む!識者の批判!!:02/12/16 14:47 ID:n+4F8I1l
いや、わたしもよくわからないのです。日本語のほうが。
現代の自衛隊でどのように使用されるか知りませんが、
幕僚(本営幕内につめる軍人ALL)と参謀(謀りごとに参与するプランナー)

厳密な日本語における意味、誰か教えてほしいところです
それとNapoleon's Maisonはナポレエンの小宮廷とでも訳したほうがいいのでしょうか?
やはり親征の軍隊(軍事政権の首班たる国家元帥がみずから率いるので)
144名無し三等兵:02/12/16 18:10 ID:???
>>143
旧軍における幕僚の定義は

「司令官以上の指揮官の司令部の職員として置かれ、指揮官の隊務をその各
分掌事項に関して補佐するもの」

だそうです。旧軍では参謀、副官、各科長などがこれにあたります。まあい
わゆる「スタッフ」の総称として捉えればいいかと。

自衛隊では旧軍色を薄めるため意図的に「参謀」という言い方をしないよう
になったようです(師団の幕僚長などど言われると、ちょっと当惑します)。
しかしその実体はやはり「スタッフ」として認識して良いと思います。運用
(作戦)、補給等の各部門の幕僚がおります。
145名無し三等兵:02/12/17 14:38 ID:QIT8Drgd
なるほど。ほぼ同義・・・としてとらえて良いのですね。
作戦参謀、情報参謀、補給参謀、・・・・本部管理をつかさどる総務は
さすが参謀とはいわないでしょうが・・・。

いやありがとうございます。
146目標は短期決戦!目的は敵野戦軍の捕捉殲滅!:02/12/17 14:42 ID:QIT8Drgd
リデルハートが「戦略論」内で、上記タイトルを実現するため
ナポレエンはバタイヨン・カレー(大隊方形)いわれる陣形の
非常に攻撃的な軍団陣形(前衛+側衛+本陣+後衛)いわれるものを
複数、ロシア国内におくっているんですよね
1812年。

ぞくに「分進合撃」いわれる概念が、これなんですが、ちょっと
これ検討したく、参謀制度についてお尋ねしました。

師走なんで、ちょっとカキコできませんが・・・
147名無し三等兵:02/12/19 00:00 ID:???
なにげに面白く為になるスレ
148名無し三等兵:02/12/21 09:41 ID:???
○○ですが××できません系のスレでは、一番良スレに進化してる罠。
149 :02/12/26 23:33 ID:Bc2k3Vhh
1812年の春にナポレオンの使用しうる兵力は55万ぐらいであった。
そしてモスクワ遠征のため六月上旬にダンツィッヒを出発したときは約45万の兵力である。
それが二ヶ月後の八月上旬にスモレンスクに到着した時は13万に激減している。
九月上旬、ボロジノで戦ったときは12万に減り、九月中旬にモスクワに入った時は11万であった。
出発してから三ヶ月あまりの間に四分の一以下になっていたのである。
もちろん減った30数万人が戦死したわけはなく、大部分は逃亡兵になったのであった。
(中略)
ナポレオンは破れてパリに帰ると、すぐ徴兵令を改正し、またたくまに60万の大軍を編成して見せた。
そしてそのうちの50万を引き連れて再びドイツに侵攻し、
一時は局地的な勝利もあったが、結局は敗れて、
五月に50万いた軍隊は十月中旬には10万以下に減じている。
(中略)
50万を徴兵することは比較的やさしいが、その50万の兵を使うことは難しいのである。
(中略)
ナポレオンの強さはフリートリッヒ大王の強さと同質のものであった。
それはすぐれたリーダーシップによる強さであり、
優れたリーダーが戦場を直接に掌握している範囲での強さである。
その範囲を超えたときに、忽然としてナポレオンの限界が現れてきたのであるが、
この「大規模」という魔性が軍隊に入り込んできたことを、
この天才的なワンマンリーダーはまだ気づいていなかったのである。
いな、彼のみならずヨーロッパのどの指揮官も気づいていなかったのである。
ただ一人、ナポレオンに散々に打ち破られ、ついには戦病死したプロイセン陸軍のシャルンホルストを除いては。
---------「ドイツ参謀本部」渡辺昇一著 中公文庫-----------
150名無し三等兵:02/12/27 19:14 ID:???
>>149
ゲルリッツの方を引用した方が良いと思われ。
151  :03/01/03 01:29 ID:kFzxgxCj
責めることできたの?
152あぼーん:あぼーん
あぼーん
153            :03/01/04 03:20 ID:U6SAuhtw
おい!!>>1でてこい!
154名無し三等兵:03/01/04 03:25 ID:???
某雑誌でナポレオン漫画の連載がはじまったけど
あれって、何か月連載続けられるんだろ。
155名無し三等兵:03/01/04 10:15 ID:M1KYZRHI
テスト
156名無し三等兵:03/01/05 20:49 ID:???
渡辺昇一は札付きのアホ
157 :03/01/06 01:51 ID:3xxKARP0
>>156
149への反論どうぞ。
158名無し三等兵:03/01/06 15:32 ID:???
55万人は国境での話でしょ。
逃亡者や、そこら辺に駐屯した兵隊もいるから、55万人全員が志望して3000人だけ帰ってきたというのは、おかしい。
159名無し三等兵:03/01/06 17:07 ID:???
>>158
食べられたのでは?
160 :03/01/07 02:18 ID:9jkNY7MP
>>158
死亡ではなく逃亡兵では?
161名無し三等兵:03/01/07 02:29 ID:???
その大兵力がすべてフランス軍だと考えると不思議だが実のところ
フランス軍は多くの同盟国(被占領国)の軍隊の寄せ集め部隊であった。
事実、イタリアのある公国の部隊などは途中で戦線を離脱して国に帰って
しまっている。
また行軍時の行方不明は逃亡した兵よりも病気や飢えで脱落した兵が大部分
であることも書き添えておく。
162名無し三等兵:03/01/09 00:56 ID:wvWI1P8f
ところでフランスの外人部隊はナポレオンの頃にもう、存在してたの?
すれ違いでスマソ。
163名無し三等兵:03/01/09 22:56 ID:???
その昔岸田恋の「戦争と平和」で読んだんだが、
ダヴーがロシア遠征に反対したというのは本当なのだろうか?
実際有能な人だった様だが、
あのマンガはダヴーが御贔屓だったからなぁ。
どなたか知ってる方の意見もとむ。
164名無し三等兵:03/01/10 04:11 ID:vR0G0dXe
>>162
大陸軍自体が外人部隊の塊のような・・・
165山崎渉:03/01/13 04:25 ID:???
(^^)
166名無し三等兵:03/01/17 15:28 ID:WQs68KE9
>>164
フランス軍としての外人部隊は存在したの?
167名無し三等兵:03/01/19 12:31 ID:???
手品のネタばらすな
168山崎渉:03/01/22 11:27 ID:???
(^^;
169名無し三等兵:03/01/26 03:17 ID:???
あげ
170名無し三等兵:03/01/26 03:19 ID:???
間違えた、あげだったスマソ
171名無し三等兵:03/01/31 11:11 ID:t01lCApe
>>166
ナポレオンが最初に採用したんじゃなかったけ?
外人部隊。
172名無し三等兵:03/02/01 08:16 ID:???
今のフランス外人部隊の直接の起源は、1830年の七月革命で王位についたルイ・フィリップが
こさえたそれですね。王署名の部隊創設公文書の日付は1831/3/10です。

創設の直接の動機は、革命直後で1815-1830の旧体制の抵抗勢力を吸収し
国外にていよく追い払ってしまうためですが、まさか王の軍隊にひきうけさせるためにも
いかない。
で、1815年以来半給で不遇を囲ってたナポレオンの大陸軍の退役士官を再雇用して
フランス外人部隊(欧州中のならず者も流入してます)を創設。
「アフリカ軍団」の名の元に、植民地になったばかりのアルジェリア警備に
国内の厄介モノたちを送り出したようです
173名無し三等兵:03/02/01 08:31 ID:???
欧州には中世以来の傭兵いうか戦争請負業者がいて、簡単には調べきれませんね。
ヴェネチア共和国もナポレオンの侵攻に際して東欧系傭兵を雇って抵抗してますし、
ブルボン王朝にも外国人連隊なり軍団があったような・・・???

ナポレオンの軍隊にもウェストファリア公国とかライン連邦諸国とか今はなき
同盟国がたくさんあって、ロシアに攻め込んだ1812年当時、揮下の軍隊はそうとう
国際色豊かだったようです。
そのほかに「傭兵」「外人部隊」として、フランスの国庫から給料を貰っている
○○軍団いっぱいあったでしょうね
174名無し三等兵:03/02/10 23:34 ID:???
ナポレオン時代のvoltigeur(仏.軽業師)とtirailleur(仏.=skirmisher)
(どちらもいわゆる散兵skirmisherとして訳されることが多い軽歩兵light infantry2種)
なんだけど、この区別がわからない。
これがわからないと,いわゆるl'order mixte(オーダーミックス陣形いう縦隊
と横隊のくみあわせ。これの前衛に軽歩兵が散開して、突撃援護をおこなう)
がわからぬ若輩ですが・・・
(下手に質問して論争に巻き込まれるのは怖いので、しばらく自閉症モードで
すすみます)
175名無し三等兵:03/02/11 00:15 ID:???
このスレは最終的には、ナポレオンの決定的破滅とつながるロシア遠征を
語るもののようですが、大陸軍は>164氏の仰るとおり、多国籍軍の顔をもつようですね。

ヴィースラ軍団Vistula Legionやスイス人連隊Swiss Regiments(ベレジナ渡河で
サン・スール元帥に「彼らは自然より強い」と後衛にあたった部隊や、ベルティエ参謀長が
封されたスイス領地の私兵the Neuchatel Battalion of Swiss)と英訳されるいくつかの
部隊、あるいはコルシカ義勇兵Tirailleurs CorsesやTirailleurs do Po(これは
ポーランド?それとも北イタリアのポー川周辺かな?)
外国人部隊が従軍してます。これらはすべて「同盟ではない傭兵」のようです。

「傭兵のようです」と推測形で書くのは、給与支払いPayをおこなうナポレオン帝国の行政機構全体が
よくわからないからです。学研の赤本にそのへん小論よせてる小栗了之教授の
「フランス革命と独裁」(1985荒地出版)いう小冊子ができがよかったので、
同じシリーズの「ナポレオン帝国の栄光と没落」(1980 同)取り寄せて読んでみましたが
通俗読み物以外の何物でもなくがっかりした記憶があります。
(ソースとしてthe CampaignではなくChandler's the dictionaryをつかっているあたり
やはり本業のフランス革命研究にくら余技の感がいなめません)

噂では岡本明「ナポレオン体制への道」(ミネルヴァ書房)がそこそこいいらしいのですが
おそらく大学図書館あたりにおいてあるフランス近世経済史もふくめて、洋書を
あたったほうが早いようです
176>175補足:03/02/11 01:23 ID:???
ナポレオン時代軍装有名サイトHistfigによれば・・・
ttp://www.histofig.com/history/empire/uniformes/france/france_hl_fr.html
(欧米のナポレオン研究はこないだマレンゴ戦勝200周年記念やったとおり、
歴史があるのでネット資料も、わりとソースなしでも信用してますが、基本は
あったほうがいいのでしょう・・・)

皇帝近衛より強いという話の11e Regiment d'Infanterie Legere(第11軽歩兵連隊)
(17/March/1788創設されたコルシカ人王立猟兵部隊が起源)がのちに
Battlion Valaisan(ナポレオン支配のスイス領内親仏共和国ですかね?)+
Tirailleurs do Po(同じく親仏北伊ピエモント共和国軍団出身者いうことなのでPo川流域義勇兵いうことですね)
が加わり、最強伝説が形成されたようです。
それを証す戦史については、いずれ調べなければならないでしょうが
リンク先をみればわかるとおり、フランスのunites hors ligne(外国人戦列)
はざっとみてもクロアチアや鷲は舞い降りた風の反英アイルランド人義勇兵、
スペイン捕虜やらプロシア義勇兵等、多々あります
177フランス外人部隊の起源:03/02/11 02:22 ID:???
直接の起源は>172のルイ・フィリップ部隊創設署名1831/3/10ですが

Napoleon Series Org.(ここのBBSはオスプレイとかのライターさんの溜り場で
面白いです)のアーカイブで以下の小論(1902年著の本を参照してるらしい)を発見しました。
ttp://www.napoleonseries.org/reference/military/organization/pioneers.cfm

上記によれば1806/2/15におもにアウステルリッツ戦(1805/12/2)の戦争捕虜で
「白色義勇兵"Pionniers Blancs" (white pioneers) 」とありますが、

>176のリンク先Histfigによれば第1外国人義勇連隊(Reiment de la Tour d'Auvergne)
はオーストリアやロシアの捕虜をもとに1805/9/30に創設されたとある。
大陸軍がウルム会戦(1805/10/20?)めざしライン川を越えたのは9/25だから
すると戦争捕虜des prisonniers de guerre第1陣だかを構成要員としたことでしょうか?
Le regiment de la Tour d'Auvergne est cree le 30 septembre 1805, l'effectif provenant
essentiellement du recrutement des prisonniers de guerre autrichiens et russe

いずれにせよ、フランスにおける外国人部隊の歴史は15世紀、
ルイ11世の近衛スコットランド連隊the Scots Guard of Louis XIまで遡ろうと思えば遡れますが
「国家の概念」のない当時に内外を云々してもはじまらないので、このへんで・・・
178177補足:03/02/15 04:48 ID:???
Digby Smith「Napoleon's Regimets」(p218)によれば
1805/9/30にRegiment de La Tour d'Auvergne(※後述)内に
ドイツその他の諸国外人部隊3個大隊がWeissenburgで創設されたとあります。
これがのちに1811/8/3 1er Regimet Etrangerとして独立してます

じつは>177書いた直後から、戦争捕虜第1陣が義勇兵として祖国に弓ひく
不自然さが気になり、調べましたが仏語および神聖ローマ帝国〜ライン連邦史
わからず難渋してます。

おそらくDigbySmithのいうとおり、仏領Weissenburg(ドイツ国境である
例のアルザス・ロレーヌ地方です)で創設(※後述)されたバーデンなりバヴァリアなりの
ドイツ義勇兵で、「神聖ローマ帝国におけるハプスブルグ覇権に抗するため」
の政治的な意図を付与されてるような気がします、あくまで妄想です。

※Regiment de La Tour d'Auvergne
ttp://96.1911encyclopedia.org/L/LA/LA_TOUR_D_AUVERGNE_THEOPHILE_MALO.htm
オーベルニュ伯?THEOPHILE MALO (1743-1806)に率いられた革命期〜統領政府期に
ライン・スイス方面で勇名をはせた第1フランス擲弾兵連隊(1800/4/27)とのこと。
ナポレオンは、1805年の外人部隊創設に際して、ライン諸国に名を知られた
オーベルニュ伯の名前をもって連隊名とした。
Jhon Elting「Swords around a throne」(p358)によれば加えて
ナポレオンは同連隊をフクロウ党残党もふくむ王党派の和合吸収機関として
同連隊に名誉あるオーベルニュ伯の名を冠したとか・・・
>149
「ロシア遠征の50万とも55万ともいわれる軍勢がどこに消えたか?」
の原因としては、従来、以下の4つがあげられてるようです。

1兵站の失敗(短期決戦構想の破綻)
2軍律の崩壊(日々の食料確保・略奪のため、ごく初期から行軍離脱が目撃された)
3不衛生によるペスト・コレラの蔓延(これが20万人ちかくしめる?)
4天候(冬将軍)

↓1812年戦役でよく見かけるニーメン川かわモスクワ〜ベレジナの往復における
大陸軍44万2000(諸説有り)の減少と気温の相関図ですが
ttp://uts.cc.utexas.edu/~jrubarth/gslis/lis385t.16/Napoleon/

これの元ネタはCharles Joseph Minardが1869年11月に出版したそれですが・・・。
ttp://www.math.yorku.ca/SCS/Gallery/minbib.html
ttp://www.math.yorku.ca/SCS/Gallery/images/enpc/img01.jpg(原図)

これだけみると、非常に単純で僕自身も「ふ〜ん。なるほど、そりゃ
ナポレオンはロシアで負けるわけだワナ」と納得してしまいます。
ただ
「兵士の行軍速度が15〜20マイル/日なのに兵站馬車は10〜12マイル/しかすすまない。
そりゃ最初の1ヶ月で馬が1万頭も死ぬワナ」
だけでは寂しすぎるので、しばらく一見無関係に見えるナポレオン軍の司令部や
軍隊の歴史について、ちょっとこれからもダラダラ調べて書き連ねてみようと
思います。

うざかったらご容赦を
180名無し三等兵:03/02/15 15:00 ID:???
>163
ダブーがロシア遠征に反対したのは事実です。
いくつかのナポレエン本で読んだ記憶があります。
が・・・。
ナポレオンの元帥の大半が反対しましたが、とりわけ彼は軍事的観点から
反対したようですが、ソースがみつかりません。

グーテンベルグでとりあえずコランクールの回想録 章/1812年だけ
読んでみましたが、ここじゃないですね・・・
181名無し三等兵:03/02/17 09:06 ID:???
   
182名無し三等兵:03/02/17 13:25 ID:KDXKh1rB
age
183名無し三等兵:03/02/17 13:26 ID:???
おい、せめきれませんスレばかり上がってるぞ!!
184名無し三等兵:03/02/25 10:16 ID:QhME0if9
1812年戦役の時、フランス軍の捕虜で戦後、帰国できたのは多かったのだろうか?
185名無し三等兵:03/02/25 14:58 ID:???
>>174
 Voltigeurs、Tirailleurs、どちらも散兵任務に就く歩兵。1810年の軍制
改変で制定。

 擲弾兵からの選抜部隊がTirailleurs、その他の部隊からの選抜兵が
Voltigeur。従ってTirailleursはすべて戦列歩兵、Voltigeurは戦列・軽歩
兵両方が存在する。Voltigeurs、Tirailleursともに帝国親衛隊に所属。
186名無し三等兵:03/02/25 20:12 ID:XXeOSo0P
>>185
>Voltigeurs、Tirailleurs、どちらも散兵任務に就く歩兵。

プロイセンに例えると猟兵(イエーガー)になるのでしょうか?
187名無し三等兵:03/02/26 06:30 ID:???
>185
なるほど。これですね
Voltigeurs(若親衛隊?所属)黄色い襟章(←はVoltigeursのみ)
ttp://www.ifrance.com/uniform1812/voltigeurs_et_tirailleurs.htm
Tirailleurs(同)赤い襟章(←赤はGrenadiersやChasseursとかにも見られる???)
ttp://www.ifrance.com/uniform1812/tirailleurs.htm

なるほど。このほかに前述のTirailleurs du Po & Corsican Tirailleursいうのが
1810年以前にもありましたが、これはあくまで外人部隊いうことらしいですね

188名無し三等兵:03/02/26 06:45 ID:???
>186
そうです。プロシア軽装歩兵にあたる猟兵Yaeger(創設は1744年。オーストリア継承戦争当時)が
フランスのそれに該当すると思います。
欧州における戦闘様式の変化はこの軽装歩兵(戦列を作ることのない非正規兵集団)
をぬきにして語れぬだろうと、最近踏んでおります。

1744年のフレデリック大王の猟兵は、ハプスブルグ帝国のハンガリー・クロアチア
軽歩兵(1740-41年にフレデリック大王の侵攻をくいとめた)に対抗したものですが、
このハンガリー・クロアチアの山岳歩兵は1737-9年の対トルコ戦で活躍したらしいです
189英国軽歩兵史:03/02/26 07:04 ID:???
すなわちプロシア-ハプスブルグは東欧、さらにはトルコを起源としてますが
ナポレオンの半島戦争当時、活躍したイギリス第95ライフル連隊
はじめ、英国の軽歩兵はどちらかといえばアメリカ植民地での経験を創設の動機としてるようです。

the Highlanders at Fontenoy (1745)はじめ1740年代にはすでに英国は軽歩兵を
もってましたが、本格的な創設はやはりフレンチ・インディアン戦争における
原住民を駆使したフランス軍に対抗してGeneral James Wolfe (1727-59) や
Lord Amherst (1717-97)の案によって1755年につくられた現地小部隊が起源のようです。

その後アメリカ独立戦争で民兵(ミニットマン、でしたっけ?)のケンタッキー・ライフルを駆使
した地形ゲリラ戦に、イギリスの横隊戦術が破れたことに鑑み、おもにGeneral Sir John Mooreの指導で
育成されてたようです。

(※ 英国において最初の軽歩兵)
190185:03/02/26 15:58 ID:???
>>187
 もともとフランス軍においてTilraileurは軽歩兵全般を指す用語でした。
しかし18世紀後半よりこれらの部隊は猟歩兵(Chasseur)と呼ばれるよう
になったため、Tirailleurという用語は使用されなくなりました。

 1809年の軍制改変に伴う親衛隊拡大にともないTirailleurs-Grenadier
とTirailleues-Chasseursの2個連隊が編成され(それぞれ近衛擲弾兵、
近衛猟歩兵より分離)、さらに1810年にはTirailleurs-Grenadier連隊と
一般兵からの選抜部隊Conscrits-Grenadierを併せてTirailleurs連隊が
編成されました(これ以外の選抜歩兵たる散兵はVoltigeursと呼ばれるこ
とになりました)。
191名無し三等兵:03/02/27 14:33 ID:Sn24xIyh
>190
ありがとうございます。今、話しているのはあくまで「独立した軽歩兵部隊」
なのですが以前、demi-brigade編成調べた時に、「散兵任務につく中隊」とか
ご指摘の18世紀以来のChasseurが当方の雑多な頭では一緒になってしまい(笑)
整理したくお尋ねしました。

これらを踏まえた上で、やはり1792-1800(含マレンゴ-ホーエンリンデン戦)あたりの
共和国-統領政府の軍隊の戦歴とか調べてみたいものです
192189補足:03/02/27 14:38 ID:Sn24xIyh
英軍の軽歩兵の起源はもちろん、アメリカ起源なのですが、
1777年のサラトガ・ブルゴイン陥落に驚異を感じ、緊急に
国王ジョージの実家であるハノーバーから4000人の猟兵を
呼び寄せ、かつ国産及びドイツからのライフルの輸入をおこなったとの
記述を、古いGUN雑誌から拾いました。

このへんワーテルローで活躍したKGL(キング・ジョージ・レギオン)の
創設にも関わる話なので・・・
193名無し三等兵:03/02/27 14:57 ID:BuwFXbbF
食を制するものは戦をも精す
194名無し三等兵:03/03/01 06:46 ID:5aaeOd7s
>>188
猟兵Yaegerなどの軽装歩兵は元々は
非正規部隊だったのでしょうか?
195名無し三等兵:03/03/01 07:55 ID:Bk+6CyaQ
射撃の上手い猟師をなんかをスカウトしてエリート部隊にしたんだよ
196名無し三等兵:03/03/03 16:15 ID:JhH+tk1o
戦列歩兵と軽装歩兵とではどっちがエリートだったのでしょうか?
近衛兵なんかは戦列歩兵だったと思いましたが。
擲弾兵も戦列歩兵の1種ですよね。
そういえば現代のドイツで猟兵(Yaeger)といえば
空挺や空中機動、山岳部隊だけですよね。
197名無し三等兵:03/03/03 20:22 ID:???
独り立ちだったらしいね。
198名無し三等兵:03/03/04 00:44 ID:iur0TDzB
アメリカ軍はその源がプロイセン陸軍になるという話は本当なのでしょうか?
199名無し三等兵:03/03/05 02:02 ID:ZrVQloaq
>>198
アメリカ独立戦争のときにプロイセン陸軍の軍事顧問団が独立軍に付いたらしい。
200名無し三等兵:03/03/05 04:26 ID:ArwF5XeH
世はココアを飲みたい
201名無し三等兵:03/03/05 04:30 ID:ArwF5XeH
世はウンコもしとうなった・・・
202名無し三等兵:03/03/05 04:36 ID:eXrZDUIh
>198-199
ステューベン?男爵(1730-1794Friedrich Wilhelm Augustus von Steuben)
なんてのがいますね。7年戦争後、フリドリヒ大王の幕僚として活躍した男で
で退役。その後、アメリカ独立を睨んでパリに事務所を開設してたベンジャミン・
フランクリンにリクルートされ、(対英戦略を睨んだフランス王国陸軍省の意向もあって)
1777年9月渡米。

大陸会議に無給の志願を申し出、受諾。彼は英語がダメなので、アレキサンダー・ハミルトン、
ナサニエル・グリーン(独立戦争時の米側英雄たちです)の2人を補佐に、フランス語で
米側に軍事指導をおこなったようです

ttp://www.ushistory.org/valleyforge/served/steuben.html
ttp://www.americanrevolution.com/WinnIndValleyForge.htm
203アメリカのメッケル少佐?:03/03/05 04:56 ID:eXrZDUIh
>202のリンク先によれば、彼はまずヴァレイ・フォージ(独立戦争時の
アメリカの北部戦線の要衝)に赴任して、選抜100人からなるモデル中隊を
創設・訓練したようです。
彼のアメリカ大陸軍の創設寄与は以下の2点

1)
当初、命令や吶喊は独仏語でやってたらしいですが、やはり不便を感じ
ベンジャミン・ウォーカー大尉なる御仁から英語を習い、そのほうめんは
英語で統一したようです。
いずれにせよ18世紀式の戦争は、戦列を維持することと、縦列から横列への
陣形変換、号令にあわせ銃の再装填速度をあげる以外、歩兵操典もたいした
記述はありませんが、植民地の軍隊はそれすらも出来なかったので、
(植民者=市民の軍隊ゆえあたりまえですね)有効な訓練だったようです

2)駐屯地・野営地の設計
野営する軍隊の、衛生や守備を考えた数百ものテントの配置方法を
マニュアル化。トイレや獣肉処理を周辺におく(以前の乱雑なテント配置では
それすらならなかった)など、欧州における1世紀に渡る経験をアメリカ大陸軍に
輸入し、その後南北戦争頃までの米陸軍のスタンダートとさせた
204というわけで:03/03/05 05:12 ID:eXrZDUIh
>198氏の回答は、たぶん、この男爵のことだと思います。
100人の士官候補生は、そのまま各中隊にかえりこのプロシア男爵式の
教練を伝え、これが大陸軍の組織的戦闘の基礎となったようです

彼はその後、ワシントンの司令部に勤務して、Regulations for the
Order and Discipline of the Troops of the United States通称ブルー・ブックス
なる訓練教本を上程してます。

以上、詳しい戦歴については煩雑になるので省略しますが、ヴァレイ・フォージにつ
いては独立戦争映画の傑作ヒュー「炎のランナー」ハドソン監督アル・パチーノ主演
「レボリューション」が荒涼とした雰囲気でよかったです。

南部戦線・英雄神話・親米視点「パトリオット」と
北部戦線・脱神話・反米視点「レボリューション」は
見比べると、その双子の陰陽ぶりに多いに興味をそそられます

ttp://www.patriotresource.com/otherfilms/revolution.html
205ぼくもココアは好きですがな(笑:03/03/05 05:35 ID:eXrZDUIh
次に独立戦争時の英側ドイツ人部隊ですが
ドン・トロアーニいう有名イラストレータの絵が素敵なリンク先参照ですが・・・。

「米独立戦争時の英大陸派遣軍」
ttp://www.revwar75.com/crown/index.htm
1)英正規軍
2)植民地王党派部隊(13植民地の独立に反対する連中ですね)
3)ドイツ連合軍(The German Auxilliariesって義勇より連合でいいんですかね?)

この3)の独人部隊を見るといろいろブランズウィック公の連隊とか
アンスバッハ公の軍隊とか。ハノーバー出身の国王ジョージ三世の縁戚がらみで
いろいろありますが本スレで問題とするならやはり
Hesse Cassel Regiments [Grenadiers, Jagers, Chasseurs, Garrison]
あたりですね
206h:03/03/05 05:44 ID:xvgReEzr
◆ピンクエンジェル◆↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.pink-angel.jp/betu/index.html
207>192補足:03/03/05 06:00 ID:eXrZDUIh
神聖ローマ帝国とかドイツ諸侯国について知識皆無でうまく訳せないのですが
ttp://www.geocities.com/Pentagon/Fort/2862/

アメリカ植民地民兵のライフルマン(指揮官狙撃とか森林における近接ゲリラ戦闘)
に対抗して英国はHesse-Cassel公国や Anspach公国はじめドイツ諸国から
イェーガーを緊急雇用してます。
1781年ニューヨークには821人のHesse-Cassel猟兵と 245人のAnspach猟兵が、
またBrunswick(のちのワーテルローで親子2代の悲劇を演じるブランズウィック家ですかね?)
やその他のドイツ諸侯国からイェーガーを雇い入れ、おもに親仏カナダ国境で
「北」からの浸透圧力を防いでたようです。

このHesse-Cassel公国??(さあ、このへんわからない)の猟兵が
どうやら神聖ローマ帝国内最古最強らしく一番古い文章では1631年
公主ヴィルヘルム5世の時代、王家の森番・狩猟管理人とし近侍したと
記録があります。
戦時においては非正規兵として(outside the common order of battle)
偵察や狙撃、伝令として活躍したようです

ttp://www.hessen-militaer.de/mizi_englisch/jaeger.htm

このプロシア猟兵を起源とする緑の猟兵服は各国が模倣したようですが
これはぼくより詳しい人がいると思うので、お任せします
208軽歩兵にこだわる理由:03/03/05 06:10 ID:eXrZDUIh
>196氏
軽歩兵は戦闘の要所要所で独立した判断と経験が要求されるのでヴェテランが
なるものらしいです。
>>185&190氏が、そのヴェテランが近衛軍団にエリートゆえ編入されてく過程を
述べておられますが、じつは僕もこのへんよくわからないのです。

じつは「軽歩兵の戦闘運用」「近衛軍団の戦闘運用」等を調べていけば
おそらく一部のマニア・ウォーゲーマー以外本邦であまり知られてないだろう
「ナポレオン時代の戦闘の実体」がわかると推測して、いろいろ軽歩兵に
こだわっているのですが・・・。

ロシア1812戦役スレでやるのもなんですが、結局、ロシア軍が戦闘を忌避して
奥地へ逃げたのは(バルクライ経由のスペインにおける焦土戦術の成功伝聞もありますが)
ナポレオン軍への恐怖があったからと思うのです。

ではその恐怖の源泉である「仏軍の戦闘上手」の源泉はというと、やはり
18世紀から19世紀への転換点である軽歩兵戦術あたりかと・・・

209185:03/03/05 16:47 ID:???
>>208
いわゆるオーダーミックスにおいてフランスに一日の長があるのは確か
だと思います。

革命期のフランス軍は散兵戦術を多用しておりますが、これは

・そもそもフランス王国軍に比較的多数の軽歩兵が存在した(1788当時
 で12個大隊)。
・革命軍の士気が高く、散兵戦闘を行うことが可能だった。

等の要因に依ると思われます。また当初単体で行われることが多かった
散兵戦術が、1797年以降縦隊との複合隊形として用いられるようになっ
たと言うのも重要な変化だと思います。こうしてみると大陸軍のオーダ
ーミックスの嚆矢は革命軍にあると見ることができるかも知れません。
210185:03/03/05 17:40 ID:???
追記

してみるとデュムリエの功績はもっと称えられてしかるべきかも
知れません。
211名無し三等兵:03/03/06 14:11 ID:sYX28LEn
仰るご意見、じぶんも激しく同意です>185氏
いろいろ周辺を調べてみても、結局は「祖国は危機にあり」の一連の戦争こそ
大陸軍の基礎だと信じます。

R/D氏のサイトをみれば答えは一発なのでしょうが、自身の勉強もかねて
牛歩の歩みでこのへん、お付き合いのほどを(w
212名無し三等兵:03/03/06 15:37 ID:IdEK5Vck
>>95
遅レスだけど、徴兵制は18世紀のスウェーデンとロシアの方がフランスより先に
採用してるよ。
213名無し三等兵:03/03/06 15:57 ID:???
腰折ってごめんね。おぢさんどうもオーダーミックスという言い方がイヤでねー。
なんかいい言い方ないものか……。
214名無し三等兵:03/03/07 03:45 ID:7K4moX2c
>おおだあみっくす
「縄文時代」いうことばが同時代の言語ではなく、あくまで後世の「ソレをさす
表現様式」みたいなものでしょうかね。
たぶんこのあたりの一次資料なり信頼のおけるネット論文(??う〜ん・・・)
あされば、おぉだあみっくすl'order minceだかmixの当時の表現様式みつかるかもしれません。
宿題ですね。
当時横列は、cordonシステムとか表現されてたので、該当する物言いさがしてみましょう

革命戦争以前の1770年代末に「縦列VS横列どっちが優れているか論争」
いうのがフランス軍部であったらしいのですが、
1792年以降の現実の戦場ではともかく前衛散兵線ひいて援護射撃してやるから
、被弾正面のせまい縦隊密集で遮二無二つっこめいう雰囲気じゃないかと
妄想して、現在、調査中です。

(おそらくジャン・ジャック・アノーの文化人類学的映画「スターリングラード」の
あの冒頭のように、督戦を担当する政治委員なりいたりしてとこれまた妄想。
なにしろプロではなく市民の軍隊なので)



215名無し三等兵:03/03/07 04:04 ID:Kystqn7P
広すぎる土地を持つ国家にはなかなか勝てません。
攻めても攻めてもいくらでも退却し防備を固めてしまう。
そして冬がやってくる。
216名無し三等兵:03/03/07 04:05 ID:7K4moX2c
>>209
>フランス王国軍に比較的多数の軽歩兵が存在した(1788当時12個大隊)

じつは以下のKevin Kiley氏の論文から僕は、引用剽窃が多いし
調査の指針としてるのですが・・・。

こちらをのぞくと、その最終12ケ大隊の創設の動機は、

1740年代(オーストリア継承戦争当時)、ボヘミアやバヴァリアやアルザスの
辺境自由民(無税と入植の権利とひきかえにハプスブルグ王家に忠誠を誓う人々)が
フランスやプロシアとの紛争にあたり、後方補給線襲撃や森林遊撃戦を
果敢におこなった戦訓をふまえたものらしいです
『(このゲリラ戦により)敵主力と接敵することなくわが軍は著しく消耗した』
ことに鑑み、おそらくは鎮台、国境警備的な性格とぼくは思うのですが・・・。

これらが革命戦争期、単独でどのように改変・運用され、
あるいはdemi-brigadeにおける散兵戦において、どのような影響があったのか
やはり調査すべきでしょうね。

えんえん同じことやってるように見えますが、これでも少しづつ少しづつ(w

ttp://www.napoleonseries.org/articles/military/doctrine.cfm
217名無し三等兵:03/03/07 04:48 ID:???
>215さま
うわっ。ここが1812年戦役スレいうのころっと忘れてました(汗
クラウゼヴィッツ『ナポレオンのモスクワ遠征』(原書房)によれば
プロイセンからの亡命軍人であるプールと皇帝によって、初期の防衛計画
はたてられたようです。

奈翁軍42-60万侵攻の噂に対してロシア軍は当時、対トルコ戦の講和の
遅れで西欧・対仏正面に全兵力40万のうち18万しかふりむけなかったようです。
プールは国境から遥か離れたドリッサに野営陣地をこさえ、ここで
補給線ののびきった仏軍を叩くいう初期計画をこさえたようです。
(ウェリントンの1810年ポルトガルにおける敵補給線をのばして
トレス・ヴェドラス陣地で決戦する・・・いうのがヒントになってるらしいのですが。
知識皆無でまるでわかりません)


クラウゼヴィッツのこの1812年戦役史の信頼性がどうとか、以前
世界史板のどこかで論議があったようですが、とりあえず手近の
資料ではこれしかわかりません。

亡命プロシア将校へのロシア軍部における位置付けは、トルストイの
「戦争と平和」を読むと、だいぶ批判されてますが、このへんも調べてみると
面白いかもしれませんね
218名無し三等兵:03/03/07 05:12 ID:???
>214
プロ市民、
恐いよ~
219名無し三等兵:03/03/07 09:38 ID:???
>>216
当初軽歩兵大隊は猟騎兵連隊に1個ずつ配置されていましたので、その時点で
はおそらくは猟兵的運用をねらっていたのだと思います。軽歩兵大隊が独立的
運用を開始するのは12個大隊になった1788の事です。

この1788の時点で軽歩兵大隊は全て猟歩兵中隊で編成されており、かつ戦列歩
兵連隊の1個大隊のうちの1個中隊が猟歩兵でした。ここに明確に混合隊形に
おける散兵運用の意図を見てとれると思います。

ところが1897年の軍制においては戦列歩兵連隊(この年連隊は半旅団となりま
したが)における猟歩兵中隊は消えております。しかし散兵戦術は用いられて
いようなので、この次期においては擲弾兵中隊、若しくは一般の小銃兵中隊が
散兵任務についていたことが伺えます(軽歩兵連隊においては同じくカラビニ
エ中隊、若しくは猟歩兵中隊がこれを行っていたのでしょう)。

1800頃からは各連隊が独自に散兵任務専門の中隊を編成するようになり、これ
を追認する形で1804年に正式にボルテュール中隊が成立した、というのが流れ
だと思います。

私も1788〜1800年位までの散兵戦術の実態については大変興味があります。良
い文献があれば良いのですが・・・
220185:03/03/07 10:58 ID:???
上、「1897年の軍制」は「1797年の軍制」の誤りです。
221216:03/03/09 05:14 ID:VQHDvyEJ
>>219

非常に興味深いご教示ありがとうございます。
鎮台・国境警備とおもわず憶測でうめてしまいまいましたが、仰る編成なら
すでに平地戦闘における連隊前衛の組織だった狙撃兵(散兵)運用が構想さ
れてたのでしょうね。

どうもこの時期の散兵戦術、ひいては本体の横列斉射から縦列突撃への変換
について、ぼくも体系だったカキコができたらと苦慮してるのですが、資料
がなくて困ってます。

前述のKevin Kiley氏の論文のくりかえしですが・・・。
7年戦争後、敗戦国フランスの軍事啓蒙思想家Mesnil-Durandの機動戦理論にもとづき
1778年9月ノルマンディーのVaisseux駐屯地で、歩兵44個大隊、竜騎兵6個大隊、砲兵
中隊もふくめての縦隊VS横隊、ないし混合陣形(l'ordre mince)の大演習がおこなわれました。

18世紀型の戦争では、敵味方が決戦しやすい平地をえらんで初めて横隊を展開し、
斉射戦をくりひろげるの(すでに前衛散兵はいましたが)で、この地形を読んで
機動戦(速度戦)をくりひろげる演習は、縦隊や混合陣形の評価も含め、査察した
保守的な元帥連中には悪評だったようです。
(高地奪取の思想はもちろんありましたが・・・)

「地形は指図できない(ゆえに軍事理論の範疇外だ)」と、19世紀以降から見れば
恐るべき倒錯が残った時代です。
ゆえに、現役士官連中の間では語り継がれた、この縦隊突撃、あるいは混合陣形の
運用も、1791年版操典(the 1791 Reglement)まで正式とはされなかったようです



222↑あれ?Reglementは軍制かな??:03/03/09 06:04 ID:VQHDvyEJ
資料が無くてどうしても核心の外側をとびまわるのですが・・・(苦笑

>散兵戦術において革命期フランスに一日の長がある。
いうお話。

【オーストリア】
革命期、たとえばオーストリアなどは18世紀前半に活躍した
the Grenzers等よばれる辺境武装自由民を、「同化政策」のため戦列歩
兵や民兵組織にくみこみ、すでに1792年の革命戦争開始当時、猟兵とし
ての性格を失ってたようです。
マレンゴ戦においてもその名声のわりに、組織だった戦列戦闘にはまったく
むかなかったと当時の記録(ハプスブルグ士官の罵声)が残ってます。
いずれにせよ、1807年の軍制?(the 1807 Reglement)でフランス同様の
選抜歩兵制度(前衛や側衛に専門に展開する部隊内散兵中隊)をとるようになったようですが・・・
223一種の浸透戦術でしょうね:03/03/09 06:40 ID:VQHDvyEJ
【プロシア】
またマレンゴ戦研究においてシャルンホルストなどは、1806年の大破局以前から
散兵戦術の有効性を当局に勧告してたようですが、「自由行動可能な散兵は
(封建的なプロシアでは)扱いが難しい」と、現場士官たちから採用を
拒絶されたようです。

・・・。
いずれにせよ革命期のフランスの前衛散兵+縦隊や横隊の攻撃は、
初期の混乱から立ち直り、最終的には精緻をきわめたようです。

1791年の操典では混合陣形(l'ordre mince)の大隊レベルのダイア
グラムおよび行軍時の側衛散兵についてのみ明記され、92年の開戦後も
当初は、敵砲兵への狙撃等、火点潰しにあてられたようですが、その後、
縦隊陣形l'ordre profondの突撃時の援護等の中隊レベルの運用がはじま
ったようです。
>>219の組織の変遷年次がそのあたり関わってると思います)

革命精神の為せる技か、中隊、大隊、連隊レベルで可能な限り地形を利
用した前衛散兵線展開による突撃訓練(この総称がいわゆるオーダーミ
ックスなんでしょう)がおこなわれました。
最終的には1806年のアウエルシュタット戦で師団内の連隊が、連隊内の
1大隊が、大隊内の1中隊が、つねに前衛に展開し、敵の弱点に火力戦で
浸透し、後続の縦隊に突撃路をひらくレンジャー的な有機一体戦闘をおこな
ったらしいです。

この散兵の有効性から、>219で仰るフランスにおける軽歩兵legereと戦列歩兵
ligneの組織分離が(といっても制服に黄色の襟章がつくかつかぬかの差らしいですが)
1800年以降、ナポレオンにより行われたようです


中隊、大隊、連隊レベルで、
224資料について:03/03/09 07:00 ID:VQHDvyEJ
フランス共和国の軍隊について、いくつか世界史板で推薦をうけたので
すが、良さそうなのは絶版が多く途方にくれてます。
オスプレイのエッセンシャル・ヒストリー物は費用対効果のうすい安本で・・・(苦笑

個人的にファンである元陸士のKevin Kiley氏は>>216リンク先末尾の著作を
参考にしてるようです。ちょっと面白いのは、ダブー元帥の散兵戦術案内
(1811)ですね。読んでみたい〜(笑)と思います。

Napoleonic literatureの全資料、CD-ROM(わずか10$かそこら!)になってるようですが、
これ国外販売してくれないので、そのうち友人にでも頼んで入手しようかと思います。

あとロンドンのGreenHillいう出版社って面白そうな革命期軍事研究書
だしてるようですね(ご存知でしょうが)
225山崎渉:03/03/13 15:34 ID:???
(^^)
226名無し三等兵:03/03/15 21:14 ID:ZHonicmZ
保全age
227名無し三等兵:03/03/21 01:17 ID:???
巡回保全
228オレ様用メモ:03/03/22 02:24 ID:???
Corps des Grenadiers a pied
  Vieille Garde
    Grenadiers a pied
    Veterans
  Moyenne Garde
    Fusiliers-grenadiers
  Jeune Garde
    Tirailleurs-grenadiers
    Conscrits-grenadiers
    Tirailleurs
    Flanqueurs-grenadiers
Corps des Chasseurs a pied
  Vieille Garde
    Chasseurs a pied
  Moyenne Garde
    Fusiliers-chasseurs
  Jeune Garde
    Tirailleurs-chasseurs
    Conscrits-chasseurs
    Voltigeurs
    Flanqueurs-chasseurs
    Gardes Nationaux
229名無し三等兵:03/03/23 03:59 ID:???
↑いつの?
230名無し三等兵:03/03/31 01:55 ID:JjmGZ9a9
このスレの住人は、こちらのスレの住人と共通なのか?

http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1047811641/
231名無し三等兵:03/04/02 23:05 ID:0qFsTkL6
ポニャトフスキーを使え、ポニャトフスキーを!
232名無し三等兵:03/04/08 14:27 ID:???
         
233名無し三等兵:03/04/09 22:13 ID:McI9Q7HD
age
234名無し三等兵:03/04/09 23:43 ID:???
今の米軍なら、ナポレオンもヒトラーもなしえなかったロシア征服が出来そうだな。
235名無し三等兵:03/04/10 04:06 ID:???
>>234

なんかObjectiveMoscowとかInvasionAmerikaとかってバカゲーム(規模も馬鹿馬鹿でしたな)思いだしますな。
てか並べてるうちに嫌になる罠(謎
236山崎渉:03/04/17 11:29 ID:???
(^^)
237山崎渉:03/04/20 05:42 ID:???
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
238名無し三等兵:03/04/26 22:52 ID:???
  
239モンゴル:03/04/26 22:57 ID:???
>234
征服しましたが、なにか?
240名無し三等兵:03/04/26 23:39 ID:???
アメリカって、俗に言う世界島に踏み込んで戦った事ってないよね。
艦載機が届かない範囲で戦ったこともないし。
241名無し三等兵
>>240 福島発言「空母からB52が飛び立っている」を思い出した