>44
もう少し理解可能な書き込みをしてくれ
47 :
名無し三等兵:02/11/12 14:21 ID:VBiLsIts
>贔屓の引き倒しという点は大いに目立つけど
贔屓の引き倒し過ぎだしなあ。
第1次ノモンハン事変(引き分け)と第2次ノモンハン(殲滅)混同してもしょーがないのに。
>45
44は駄通だから無理です
朝鮮戦争が韓国軍UN軍対北朝鮮軍中ソ義勇軍だったように
支那事変=日中戦争はソ連義勇兵航空隊とも戦ったから
事実上の日中ソ戦争だった。
50 :
パブロフ二等兵:02/11/13 22:50 ID:4jmvGcRt
ドイツヲタどもはマンシュタインなど戦後書かれたドイツ軍将校の回想録
しか読まないし、コヴァ右翼どもは大東亜戦争史観しか頭にない。
グラスノスチ以降のロシア側資料にもっと目を向けるべきだ。
>>39 機甲面では若手将校を中心に猛烈な反省が出たけど
結局、ノモンハン戦を紙の上でしか見なかった上に潰された。
53 :
名無し三等兵:02/11/13 23:33 ID:UyBOup5c
>日本軍は何か教訓を学んだのでせうか?
てか教訓しようにも敗戦の原因は「指揮能力の不足」にされちまったんだけどな。
ノモンハン経験者は本土に帰還させず関東軍勤務、指揮官は左遷だし。(須見大佐もなあ)
>50
そのロシア資料に日本語訳されて出ている本はありますか?
56 :
パブロフ二等兵:02/11/13 23:42 ID:4jmvGcRt
57 :
パブロフ二等兵:02/11/13 23:52 ID:4jmvGcRt
独ソ戦史にせよノモンハン戦史にせよ、ロシア側資料がもっと読まれる
必要があると思う。
58 :
パブロフ二等兵:02/11/14 00:12 ID:Tk73sJrT
上の本でも解説してるように、独ソ不可侵条約はノモンハンと呼応して為されたものだ。
平沼首相が欧州情勢は複雑怪奇と言って退陣したことも、記憶されるべき。
ソ連の戦略はこうだった。
>日本陸軍がボロ負けばかりだったというのと、満州帝国は
>日本陸軍の傀儡にされていたというのは両立しない。
そらいくらノモンハンで負けた負けたつうても、総崩れとは程遠かったから。
それに中国軍は抗日とはいってもその実態は非情にお粗末なものだったし・・・
要するに日本軍が弱かったのは貧乏だったからだ。
貧すれば鈍す
>>50 その通り。左翼も田中芳樹の著作しか読まないからな。
63 :
名無し三等兵:02/11/16 20:22 ID:NXbauKkB
当時、戦車って、歩兵の支援兵機しか考えられなかったと聞いたが
64 :
名無し三等兵:02/11/16 22:46 ID:RCoyekwJ
>63
つーかノモンハン当時の戦車部隊はエリートで歩兵直協なんて夢のまた夢だったそーな。
(おかげでピアノ線にからまってスタック状態で撃破)
65 :
打通さん:02/11/17 11:29 ID:???
満州国建国が中国に対する領土侵害とはいえないことは、日ソ中立条約で
確認されたとおりのこと。
またアメリカや国連の承認うんぬんするのなら、中華人民共和国だって承認
されたのは建国から20年以上経った1970年代になってからのこと。
66 :
名無し三等兵:02/11/17 11:45 ID:mp0SRIIg
打通は逝って良し
ノモンハンは辻と小松長の謀略だろ
67 :
打通さん:02/11/17 12:16 ID:???
謀略は大成功で、ソ連は満州国を承認。
ノモンハン事変を日本陸軍の敗北と解釈するにせよ、ソ連が満州国を
承認した事実はやはり不動。ソ連さえ認めた満州国の価値を見直すべき。
満州厨は放置。
69 :
名無し三等兵:02/11/17 12:44 ID:mp0SRIIg
打通さん、でも、ソ連に攻めこまれたじゃん
ノモンハンの日本軍は、空では勝ったが、陸上では、ボコボコにやられてたじゃん
宮崎は別だが
70 :
名無し三等兵:02/11/17 12:50 ID:SKLAjzMq
>ノモンハンの日本軍は、空では勝ったが
前半戦ではそうだが、後半戦でソ連空軍に新型機が配備され
日本陸軍航空隊が交代無しで戦って疲弊してくると
空でも劣勢になった。
71 :
打通さん:02/11/17 12:56 ID:???
ノモンハンの勝敗うんぬんよりも、ソ連さえ認めた満州国建国の価値に
ついてもっと語られるべきだと思う。当時は無名だった石原莞爾率いる
少数の装備劣弱な関東軍に対し30万以上の張学良軍が一瞬で崩壊。
現地住民は日本軍大歓迎で、満州国の五族協和はかなり進んでいた。
ノモンハンの日本陸軍敗退に呼応してのレジスタンスなど、皆無だった。
終戦時、満州軍では日本人指揮官を殺害して、開拓民などを襲った部隊もあったようだが
必死に武器を援助してこれではね・・・
73 :
打通さん:02/11/17 13:02 ID:???
だからさ、日本がソ連軍に惨敗したのは大東亜戦争末期のソ連参戦の時だけ。
ノモンハン事変は、事実上引き分け。これは満州国には何らの影響も無かった。
74 :
名無し三等兵:02/11/17 13:08 ID:6Cxn88kv
打通よ、その時は、北大営にすでに、重砲で標準しており、そして、
ぶち込んだのだから、大混乱した、それだけ
なんか、ぶつぶつ、句読点の、多い奴と、
だつう、しか、いない、スレ、だなあ
76 :
打通さん:02/11/18 10:24 ID:???
満州国については、日本の侵略云々する前に最低でも次の3点が記憶されるべき。
●関東軍の独走だけで、30万以上の張学良軍が一瞬で崩壊した
●国境で対峙するソ連でさえ日ソ中立条約で満州国を承認
●中立条約を無効化したヤルタ協定でも、満州の中国への無条件返還は明確に否定
ノモンハン事件に「幕」日ソ双方相当に損害 本多 壯ニ
画報躍進の日本 昭和十四年十一月号
欧州新情勢に伴い日ソ両国は外蒙国境ノモンハンに於ける紛争をして停
戦、ここに四ヶ月に亙る国境の暗雲は一掃をみたが、十月三日、陸軍当局
は次ぎの如き発表をなしたが、この事件の解決は、近代戦闘における精神
物質両方面統合の重要性を確認せしめた。兵は国境を守り、軍は訓練に徹
す。赫々たる武勲と戦果をもって、この大きな犠牲を活かさねばならぬ。
『ノモンハン事件に対して我方は終始不拡大方針を堅持し、専ら局地的
解決を期待して来たのであって現地の戦況は地形、兵力その他諸般の関係
上八月中旬に至るまで多少の波瀾はあったが、概してハルハ河畔において
両軍相対峙して小戦闘を繰り返し、戦況は大なる発展を見るに至らなかっ
た、其の間わが空軍は優秀なるソ連軍に対して極めて大なる損害を與へて
赫々たる戦果を納めたことは周知の通りである。然るに八月下旬に至るや
、ソ連軍は極めて優秀なる砲兵及び機械化部隊を伴ふ大兵団をもって攻勢
に転じてきたために茲に拠るべき他物もなき呼倫貝爾の平原において彼我
数万の大軍と近代科学の粋を集めた惨烈極る一大開戦が展開せらるるに至
ったが、我軍は劣勢なる兵力をもってよく十日間に亙る死闘を続け、此間
優勢なソ蒙軍、特にその圧倒的な機甲部隊に対して果敢なる反撃を反復し
てこれに甚大なる損害を與へた。
元来帝国は支那事変の処理に徹底するため満ソ及び満蒙国境事件に対し
てはなるべく小兵力をもってこれを局地的に解決する方針をとって来たこ
とは前述の通りであるが、偶々国際情勢の急転、特に欧州戦乱の勃発に伴
ひ日ソ両国間に於いて一転、停戦の協定の成立をみるに至ったのである。
本戦闘において彼我兵力の懸絶、特にソ連軍の絶対優勢なる機甲部隊より
わが方の損害は固より多大の数に上ったが、ソ蒙軍の損害もまた我に劣ら
ぬ夥しい数に上った模様で特に飛行機、戦車、装甲自動車の損害は甚だし
かったやうである。
殊にソ軍は欧ソ方面から有力なる新兵器団と多数の飛行機、戦車等を送っ
て本戦闘に参加させるに至ったことは注目に値する。本戦闘に参加したわ
が軍は多数の損害を出したにも拘わらず、全軍の士気愈々旺盛で停戦協定
成立後も尚厳然として国境の警備を固めている。因に去る五月ノモンハン
事件発生以来停戦に至るまで我軍の損害は、死傷者及び戦病者を加えて約
一万八千名である。
時恰も皇軍の主力を挙げて対支聖戦に邁進しつつある秋、本事件参加部
隊は劣勢なる兵力を以って機甲部隊其他近代装備の完備せる優勢なるソ蒙
軍に対し炎熱不毛の僻地に於て四ヶ月の長期間に亙り能く国境防衛の重責
を完うして帝国の支那事変処理の大方針は微動せしめなかったもので、本
事件の犠牲となった多数の将兵の功績は永久に忘るべからざるものである。
併しながら近代科学の粋を尽くした本事件の経験は軍の精神的訓練の重
要性は固より軍 の機械化等物質的戦備の充実が如何に近代戦闘に於て重
大なる意義を有するかを愈痛切に 訓へたもので、今後皇軍は訓練の精到
を期すると共に一層急速に物的戦備の充実に邁進すべきを痛感するのであ
る。』
本事件によって吾人はイデオロギー的強化のみに気を取られて、国家の
物質力を軽視す るが如き傾向に対し何よりの教訓であったと思ふ。
おわり
◎ノモンハン戦闘始末が発表された、一万八千の勇士に対し
て満腔の感謝を捧げるとと同時に、対戦車兵器として、火炎
放射器よりも原始的なサイダー瓶にガソリンを入れたものの
方が有力だと云う事を我々国民に納得できる様に、議会を通
じて説明して頂きたい。我々国民は軍費の為には実に莫大な
負担をして最新兵器の整備に努めて来た訳だと思っているの
ですから.......。 (同誌の巻頭言より抜粋)
>>81 で、日本戦車オタならだれでも知ってるあの有名なヤラセ写真も出てくると。
83 :
名無し三等兵:02/11/18 14:48 ID:Vjpv/L8K
>>77-81 要するに事件後63年を経て元の思考形態に戻ったってことですな?
彼らは。<小田洋太郎・田端元『ノモンハン事件の真相と戦果』
84 :
名無し三等兵:02/11/20 03:21 ID:4AUgDSkg
当時の日本軍にとって金のかかる戦訓は無意味であります。
克服不可能な戦訓は士気を落とすだけであります。
精神力であります、万歳突撃であります。
86 :
第三師団:02/11/20 04:23 ID:???
「おいおい、万歳突撃やで!」
「よっしゃぁ、つっこめおらぁ」
「ゴルァ!いきなり何すんねんワレ!あーメガネとびよったメガネメガネ」
「はいな」
「あーごっつぁんです、おおハルハの空は明るいのぅ・・・て違うがな!
誰がいきなりつっこめーいうたんや、ゴルァゴルァ」
「そない言いなさんなー。万才突撃ゆうたんはあんさんやで」
「逝ってよし」
87 :
名無し三等兵:02/11/20 08:22 ID:a3sTNkMK
陸軍航空隊はノモンハンで大損害を蒙っている。
この頃の陸軍航空隊の第一線兵力はごく小さなもので、
そのうちの中核戦力を投入して消耗した。
機材の損失も重大だが、それ以上にベテラン搭乗員を多数失った
ことは、太平洋戦争初期にまで影響を及ぼしている。
ついでに言うと、驚くような誇大な戦果報告をそのまま認めてしまう
杜撰さもこの頃から。戦果を誇るパイロットの報告を覆して士気を
損なうことを恐れ、ナアナアで済ませてしまう事なかれ主義。
陸の上の戦闘なのだから、やる気があれば地上の残骸を調査して
戦果を確認することもできたが、無論やっていない。
ノモンハン戦の教訓を検討し生かすことをせず、無かったことにしてしまう
のと、根は同じ。
航空戦も結果的に見ればソ連:日本=2:1の比率だったらしい。
89 :
名無し三等兵:02/11/22 11:26 ID:Z/Da6VVJ
結果は大敗。戦闘は五角か。死傷者の数は、殆ど同じ。捕虜の数は日本軍のほうが
多い。帰化した人もかなりいたらしい。
」
90 :
名無し三等兵:02/11/22 11:30 ID:Z/Da6VVJ
しかし、あれだね日本軍は上にいく程馬鹿になるというソ連の元帥の意見は
的を得ているな。
91 :
名無し三等兵:02/11/22 11:38 ID:y1uhY09c
損害比率・損害数を問題にされる方に質問。
日満軍で計算してますか、日本軍のみですか?
92 :
名無し三等兵:02/11/22 11:40 ID:pGG4R5tt
それならソ連側もソ連軍のみか、モンゴル軍も含むかで変わってくるのでは?
93 :
名無し三等兵:02/11/22 11:46 ID:y1uhY09c
私の印象ではソ蒙軍対日本軍で計算されているものが多いように思いました。
いや、どの資料がだ!といわれると手元にないので困るのですが。
モンゴル軍は装甲車師団等を保有し、補助戦力ではなく主戦力の一部であったとしてカウントされるのに対し、満州国軍(国軍なのか?あそこにいたのは)
はカウントされてない印象があるもので。