お前らのジーちゃんの戦争体験 その2

130USMARINES
 自分の母親の兄は陸軍軍医。
 亡母の話では、かなり破天荒な人だったらしく、医務室で「インターナショナル」の鼻歌かましてアカの本を読んでいたらしい。
 頭の回転が速すぎて、周りの人間にペースを合わせるため、いつもボーっとした顔をしていた。
 ウデが良いのか、人柄のおかげか、それでも上官からは好かれていたらしく、家によく「偉いさんから」と言ってお菓子やお米を持ってきては、近所にも配っていた。
 開戦前には、怪しげな集会に出席したところを特高にパクられて、取調中に財布の中から師団長(だか偉い人の)の名刺かメモが出てきて連中を慌てさせたらしい。
 逮捕されたと知らされた家族(母含む)は、生きた心地もしなかったらしい。
 が、翌日には涼しい顔して帰宅して、母親(バァチャン)にスリコギで嫌と言うほど殴られた。
 叔父は、タンコブだらけの頭をさすって母に「特高や憲兵よりオカンが一番恐い」と言ったそうだ。
 開戦後も内地勤務が続いたが、「ガダルカナル」を聞くようになった頃、南方へ行く事になった。
 叔父が言うには「向こうじゃ軍医が足りない」からだそうだ。
 しかし母は、叔父が帰宅後コッソリと近所の朝鮮人街の病人を診ていた事がばれたのが原因だと信じていた。
 出征の日、いつもボーっとした顔をしている兄が真顔で「何が何でも生きろ。死ぬな」と言った。
 周りが無邪気に沸く中で、母は泣きじゃくっていたそうだ。
 叔父は、便乗した輸送船が潜水艦に喰われてそのままMIA。
 空っぽの骨箱が届き、葬儀には朝鮮人街の代表も出席した。
 母は叔父の言いつけを守って神戸大空襲・戦後の混乱を生き抜き、自分を生んでくれた。
 親戚の大半が戦中派なので話には事欠きませんが、今夜はこの辺で。