戦闘機不足の一つの理由は、ジェット機を製造する工場と、その組み立て
をする飛行場を、第15航空軍が何度も執拗に爆撃していたからだった。ドイツ
は一四〇〇機のジェット戦闘機を製造したが、そのうちのごくわずかしか飛ば
せなかった。レーゲンスブルクの飛行場はこの戦闘機の基地の一つだった。
第15航空軍が一九四五年二月八日の偵察飛行で撮影した写真では、四八機の
ME262が飛行場に駐機していた。第15航空軍は何度もこれに攻撃を加えた。
第455爆撃機群と、そこに属する第741飛行隊も、この二月の攻撃に参加
した。爆撃機群は一二機のME262を破壊し、四機に損傷を負わせた。他の
爆撃機群も同じような損害を与えていたから、敵は壊滅したも同然となった。
その後、ME262が単独で、あるいは小集団を組んで現われることはあったが、
飛行隊規模の編隊で出現することはついぞなかった。陸軍航空軍の公認の歴史
にもこう記されている。「あの優秀なジェット戦闘機が現われるときはいつも
少数だった・・・・・・ほとんど抵抗されることなく、ある飛行場から別の飛行場へと、
あるいはドイツの前線の背後に閑散としたアウトバーンへ飛んでいくさまは
ドタバタ喜劇のようだった」