なんと高麗は元に「強要」されて、仕方なく日本に「遠征」したのだそうである。
これも大嘘である。『高麗史』によれぱ、元寇の発端は高麗の忠烈王が元の世祖にしきりに働きかけ、
執拗に東征を勧めたことによる。(下條正男『日韓・歴史克服への道』)
しかも高麗軍は日本で何をしたか。
最初に侵略を受けた壱岐・対馬の二島では、住民は男はことごとく殺され、
女は手に穴をあけられて数珠(じゅず)つなぎの捕虜にされた。
二百人の童男童女は高麗軍に連れ去られ、忠烈王に献上された。
今も泣く子を黙らせるため、母親が子に「モッコ(蒙古の訛り)来るぞ」
とあやす言い方が全国各地に残っているが、元寇から七百年を経過した今なお、
日本人の蒙古・高麗に対する潜在的な恐怖心は消えていないのである。
当時の日本人の恐怖は、想像するだに余りある。