1 :
名無し三等兵:
軍ヲタに聞く
武士道とは何ぞや?
やせ我慢
死ぬことと見つけたり。
以上
それを軍をたに聞く意図は?
潔く散るのがどうとか、そんな答えを期待してるのか?
はっきり言って、意味無し。
武士道とは死に狂いである。
葉隠より
「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」
-新渡戸稲造
まあイギリスでいうところのキリスト教にあたるような、
道徳体系では。
キリスト教的道徳は、今でもイギリス人の根底にあるかもしれませんが
武士道は日本人の心に残っているのでしょうかね。
新しい道徳体系があるとすれば、それはなんでしょう。
死ぬことと見つけたり
そのようなものは、戦前に絶えたと思うが
「生きて虜囚の辱め」をうけず、自決を選んだ
モーデル元帥は、武士・認定ですか?
葉隠れを引用する人が多いな
一つ一つの行動に対し行動とは即ち死であると
覚悟を持って行動する事だろうか
ゆえに外れた行いは慎まれる訳であり
毅然として事に当たるというもの
只死そのものは目的ではない筈だ
12 :
鈴木 貫太郎:02/09/26 01:10 ID:JLKgg7EI
「武士道は決して武を好む精神ではない、正義、廉潔を重んずる精神であり、慈悲を尊ぶ精神である。」
軍事的にはマターク意味が無かった。
>>13 ではジョンブル魂の恐ろしさを軍事的に考察してください
ジョンブル魂って負けるとフェアプレー精神とかで日本軍ツエー、ヒトラーユーゲントサイコーとか褒めちぎる奴でしょ
探せば世界中に類似のものはあるんだろうな。
どこの国のヤクザも「我々は仁義を重んずる男の集団」と(一応)言うようなもんで。
>8
では、坂井三郎氏はサムライではないと言うのだな?!
武士ではないと仰せられるのだな?!
>>17 まぁ昔は街を守る野武士連中みたいなものだったから
通った理屈だよな。
いまじゃ太刀の悪いビジネスマンだしな
太刀を帯びたビジネスマン(萌え〜
>>16 いいえ違います
ボクシングで例えるならば
フックを撃つと見せかけて肘撃ちをかました後
懐に潜り込むと見せかけてヘッドバットを噛まし
試合後にはもの凄く爽やかな笑顔で
「ナイスファイト」
と言う精神です。
>>22 しかも妙にネチネチとした攻撃が好まれるんだよな。
諸君は武士だろう?
諸君は武士だろう?
武士ならばだ、自分を否定する憲法をどうして守るんだ?
諸君の中に、一人でも漏れと一緒に起つヤシはいないのか?
減らず口は世界一かもしれん
作戦が失敗して
「何、端が遠すぎただけ」
家が爆撃されて
「パーティーに人が沢山来るんでね、改装したんだよ」
>>25 その台詞を口にしながら、どんなえげつない手を使って
復讐(逆切れ含むが)してやろうかと考えているんだよな。
武士道>イワン>>>>ゲルマン魂>>ヤンキー魂>ジョンブル魂>>チャンコロ
ヤンキーをジョンブルの下に置き、
ゲルマンの下にネイティブアメスピを加えてほしい。
ローマンスピリッツはどこに入りますか?
浪花のド根性はどこに入りますか?
またも負けたか(以下略
グルカ兵>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>イタリア兵≒大阪兵
つまり限りなくイタリーの位置に近いと?
どっちも私欲がからむと強いぞ
35 :
乃木希典:02/09/26 02:19 ID:???
「共産主義は平等を愛す思想だとういうが、武士道の精神は自己犠牲であるから
共産主義より上である。」
あー、で、そろそろマジレスしておくと、そもそも士道論争というものが歴史上あっ
て(江戸に入って100年ほどしてからだったっけな)、その時、いわゆる葉隠的戦闘
者の武士道と江戸武士的文武両道、官僚としての武士道で論争があったのよ。
従って、そもそも武士道という言葉自体が色々なモノを含みます。葉隠も武士道の一
派だし、他も然り。これ、というのは無い。
仏教の精神と言っても多様なのと一緒やね。
あまり歴史に詳しくないんですが・・
戦後の教育では、旧日本軍ってのは「武士道を曲改して兵隊に強制した」
怪しい軍隊みたいな言い方をされることが多いみたいで、「武士道」という
思想も同様に「危険な自殺的な思想」みたく解釈されてる気がするんですよ。
で、ちょっとヨーロッパの戦記なんかを読んで考えたんですが、
武士ってのは、国民の数パーセントに過ぎない階級なわけですよね。
戦争時には領内の住民を徴用して兵隊にするわけで、当然武士は指揮官の立場
つまり西洋の軍隊、現代の軍隊でいう「士官」「将校」「将軍」にあたると。
武士道というもの、つまり「武士のモラル」を「将校のモラル」だと考えると
WW2の軍隊、たとえば日本に限らずソ連軍やドイツ軍なんかの戦記を見ても
「将校」が捕虜になるまいとして自殺する。あるいは将軍が捕虜になるまいと
自決するっていうケースが結構あります。
自決とまではいかなくとも「武士道的モラル」を将校や将軍が自然と身に付け
実践している、という印象を受けることが少なくないんです。
逆に「兵隊」は、われ先に雪崩を打って逃げてる場合が多々あります(特にソ連
つまり「武士道」というのが「将校」「将軍」のモラルだと考えると
世界的に見ても決して不自然な思想ではないと思うんです。
つまり「剽悍な日本人特有の思想」ではないと思うんですよ。
38 :
37:02/09/26 03:32 ID:???
↑変な文章でスミマセン
結局僕が言いたいのは、旧日本軍ってのは「将校」「将軍」級のモラルを
平時には一市民に過ぎない「兵隊」にまで適応しようとしたって事に問題
があったのではないかということなんです。
今でも民間会社では「経営者」級のモラルを下っ端に強制している。
我が韓国には花郎道がありますが、何か?
42 :
名無し三等兵:02/09/26 08:28 ID:5rSx4Sda
まあ、いわゆる宗教みたいなもんだろ、
大名共が武士達が好き勝手にやらない為に考えだした押さえつけのシステムかと。
誰が考えたかしらんけど。
数からいえば農民出身最終学歴尋常小学校のくせに武士道とかいう輩がほとんどじゃねーの
武士道は武士階級であることを必ずしも要求しているわけではない(江戸期は例外として)。武士で
あるから武士道なのであって、武士階級であるから武士道なのではない。
そもそも、武士に階級があるとしてそれは殆どの場合、血です。家が武士なのです。軍人の家系と一緒。
となれば、いくらでも例外は生じ得る。秀吉の例を出すまでもなく。
生まれや階級を制限した思想はむしろ、宗教と言った方が良い。
>42
それはむしろ、儒教・儒学の思想。武士道に忠節は欠かせませんが、江戸期の武士道では
君主が道に背いたならば積極的に諫言するべしという思想。死なばもろともは葉隠のよう
な戦国時代の武士道です。
∧||∧
( ⌒ ヽ メール欄別スレのまんまだった……
∪ ノ
∪∪
>>45 瓦となりて生くるより
玉となりつつ砕けよや
誤字は幾万ありとても〜♪
∧||∧
( ⌒ ヽ もいっちょ……
∪ ノ
∪∪
水雷たろ〜のせいなるぞ♪
49 :
名無し三等兵:02/09/27 00:36 ID:737PewFm
女でも武士になれますか?
青い目の異人でも武士になれますか?
幼女猥褻は士道不覚悟でせうか?
>>50 全く問題ない。ラモス留偉殿の例もある。
黒田節にもある通り、大和心になりぬべし。
>>44 葉隠は戦国の武士の忠義のあり方を書いた本ではありませんよ。
葉隠が完成したのは享保元年(1716年)江戸時代が始まってから110年たっています。
既に追い腹禁止令も定着して戦国の気風はなくなっていた時代です。
葉隠の書く武士道とは戦時に於ける武士の忠義のあり方ではなく、平時に於いて主君に仕える武士が
どのような覚悟であるべきかと言う規範を示したものです。当時の主君への諫言とは即ち自分の死と引換えに
道を示すというもので、当時流行った主君押し込めも首謀者は切腹などが多かったようです。
切腹するというもので、
↑最後の1行は失敗
>>52 福岡人?
酒を飲め飲め 飲むならば 日の本一のこの槍を・・・
>>55 その通り。ただ、一発でばれるって事は、黒田節って
ひょっとして九州以外ではマイナーなのか?
武士道もフランス風にはメメントモリで
イギリス風には騎士道精神
ドイツ騎士道をなめるな。漏れのケツをなめろ!
59 :
55:02/09/27 02:13 ID:???
>>56 漏れも福岡人だがほかの県の人で黒田節を知ってた人に会った事が無い。
槍と思わしき物を持ったダークスーツのおっさんに出会うと
結婚式だなぁ〜と思う
>53
んだ。
鎌倉時代から戦国時代に至る武士道に影響を与えたのは儒教より禅の教えでしたね。
儒教をベースに武士道をいわば再構築したのは矢張り江戸幕藩体制を堅持するため
であろうか。
米内海軍大臣も、葉隠はいかんと仰っていたそうで、戦線でも冷静な軍人なら分かっていたのでは?
陸軍のDQN参謀連はどうだったかわからんが。
武士道ですか〜
んなもんが、日本の精神的エトスのはずないです。
江戸時代、最も多かったのは農民のはずですが何か?
農民の倫理・職業観・ビヘイビアに立脚しない、日本人精神論をかましても、虚しいだけなんですけど何か?
武士道は、西南戦争において、士道の権化のような薩摩士族達が、
農家の次男、三男が銃を持つ歩兵が主力の政府軍に、
ヘタレのように叩き潰された時点で、本来、否定しさらねばならないものであった。
それを、やはり不平士族の反乱を起こした佐賀にルーツを持つ、
葉隠れなんぞを珍重して、軍人精神の根幹に据えようなんて考えた時点から
旧軍はおかしくなった。
破産し切った企業の思想を引っ張り出してきて、企業経営をやるようなもの。
非合理の極み。
おいおい「農民の〜」階級闘争史観かよ…
しかも非合理の極みとは,,,トホホだな
まあなんだかーんだ否定したい奴だけががレスを並べるに
終始するんであろうけど
今じゃ考えられなくなった事だけに否定はたやすいしね
>65
この流れで階級闘争史観とは随分強引だね、団塊世代おじさん。
67 :
名無し三等兵:02/09/27 21:24 ID:737PewFm
>21
『シックスストリング・サムライ』かよ?
ところでこの中で葉隠や新渡戸稲造の武士道を呼んだことある人は居る?
69 :
名無し三等兵:02/09/27 21:27 ID:GQqUeYky
>>64 ちなみに、葉隠は佐賀鍋島藩では一貫して禁書。トンデモ本扱い。
佐賀藩の人間もたいていは判ってたと思う。
71 :
55:02/09/27 21:32 ID:???
葉隠は武士道としてというより奉公人としての武士のあり方、主君への仕え方をといた本だ。
それが旧軍によってどう使われたかは勉強不足で知らないけど、葉隠の精神で山本常朝
が最も強調したのは「恋の至極は忍ぶ恋」「恋し(死)なん 後の煙に それと知れ つゐにもらさぬ 中のおもひを」
という和歌に示すように主君に認められようが、認められまいが変わらぬ忍ぶ恋のような忠義であった。
72 :
55:02/09/27 21:33 ID:???
旧軍でもリアル葉隠信者は、みんな死地へ飛ばされたって誰かが書いてた。
「上官の命令=天皇の命令」っていう考え方ができない人間は危険分子と
見なされたらしい。
葉隠はそんな狂信的な雰囲気はないと思いますがね。
人間すいたことをして過ごすのが一番とか、
自分(筆者=常朝)はごろごろ寝ているのが好きだとか。
のんきなことも書いてありますから。
戦前の軍人の異常な精神主義のベースとなったのは葉隠に代表される武士道思想よりも、
むしろ欧州から招かれ旧軍を指導したヨーロッパ人の思想じゃないでしょうか。
お、反論来たな。
>53
平時における(つまり、当時は江戸期だが)武士道というものを提唱したのは山鹿素行ではないかな。
彼の指導論は士の職分や君臣の義と言ったものを重視している。
しかし、葉隠は違うだろう。>55にある
>「恋の至極は忍ぶ恋」「恋し(死)なん 後の煙に それと知れ つゐにもらさぬ
>中のおもひを」という和歌に示すように主君に認められようが、認められまいが変
>わらぬ忍ぶ恋のような忠義であった
であり、既にカキコした『死に狂い』であり、『義より上に道はあり』であり、『理
非の外』だ。これが平時武士の心得かね。
あなたの言う通り、戦国武士の心得とは言えないかもしれない。というより、戦国的、
前時代的武士の価値観だわな。ちと書き方がまずかったか。
葉隠の出典時期については了解しています。
てか、専攻哲学なんだけど士道論争モロにレポートで題材だったのよね。おかげでネタ
スレばかり行くくせにちょっと頑張ってみる自分(苦笑)
77 :
1:02/09/27 23:20 ID:???
因果さん!ガンバッテ!
78 :
名無し三等兵:02/09/28 01:34 ID:Uj370dzl
武士に怨霊なし!!!!!
おれは葉隠は原書じゃなくて抄録本や三島由紀夫のものしか
目を通していないけれど>53の解釈のほうがあってると思う
戦国の世は裏切りと下克上の世であり、家臣は恩賞が全てだし
果たして主君に忍ぶ恋のような忠義なんて考えがうまれるだろうか
あるイギリスの歴史学者が言ったのだが、日本の歴史を研究すればする程、
日本人が信じられなくなるそうだ。
曰く、日本程、裏切りを頻繁やる連中はいない、との事。
確かに飛鳥時代から日本の大きな戦には、裏切りはつきものだったしなあ。
サラリーマン武士が一般化した時代の武士たちに戦国武士の気概を持たせようとした
思想書という解釈でいいんじゃないか<-葉隠。
『ただもう死に狂いなり』という心得は主君への諫言の時のものじゃなくてやはり
合戦の時のものだろうし。
>>80 イギリス人にだけは言われたくないような気がする。
>>81 >イギリス人にだけは言われたくないような気がする。
禿同!
逆に言えば、日本人に戦国時代までのクレーバーさが有れば、開国→維新も、
大恐慌→第二次世界大戦も、うまく立ち回れたのかなあ、と思う。
やはり300年の泰平が、日本人から現実的な行動論理を奪い、建前、理想論と
言うか、官僚的な行動様式に押し込めてしまったのかなあ。
俺もごっぐ氏の見解に相当賛成。
ただ、「出世しなさい」のくだりを読むと 常朝タンは究極のサラリーマンは戦
国武士と考えていた節も窺える。
>サラリーマン武士が一般化した時代
士道論争というのはまさにそれらしい。つまり、戦場で命を賭けて戦う事が無くなって
久しく、戦国時代的な武士の思想というものが徐々に江戸期のものに変わる……という
仮定で。
江戸期の武士道をまさに象徴するのが山鹿素行であり(言うなれば時代を捉えた新潮流)、
葉隠(他に三河物語も挙げられている)はそれに対する一種、戦国的武士道を維持しよう
とするアンチパワー(消えゆくものを嘆く断末魔の抵抗と言えなくもない)。
思想史的にどちらが受け入れられたかといえば、言うまでもなく前者で故に広く武士道と
認識されるようにもなった。
この武士道はまさに『道』であり、言うなれば聖人のそれだった。人間として行うべき…
…道徳精神でもあったわけだ。
私は思想史でこの問題を勉強しているので、ちょっと皆さんと見方が違うのだろうが……
時代状況、思想的状況とからめてみるとこんな感じらしい。もちろん、葉隠だって殺伐と
した戦国的発想一本槍ではないだろう。著者当人にしても合戦場を駆け回っていたわけで
もなし。ロマンチシズムも含んでいるから、のどかなところもあるのかもしれませんね。
>>83 泰平のなかで観念的になりすぎた長州の一部士族がいなければ、開国
すらもああもうまくはいかなかったのでは?
今の時代武士階級というものは存在しない。
己の律し方によって武士道にもなり、○○にもなる。
『独リ慎ミ、己ヲ律ス』ことのできるのが武士道といえるのではないかと思われ。
『「武士道」を軍事的に考察』してないけどね。スマソ。
ひとえに武士道といっても広義になりすぎて論点が定まらないな。
軍事的に考察するなら時代と場所の焦点をしぼったほうがよさそうだ。
「薩摩藩における武士道教育とその成果」みたいに。
89 :
名無し三等兵:02/10/08 22:07 ID:Olbkm/ac
そもそも葉隠では軍事的なことを想定してないんだから、武士道を軍事的に考察するなら
適切な素材ではないだろう。三河物語とかにすれば?
漏れは三河物語読んでないから語れないけど、戦国武士の中でも忠義に篤いと言われる三河武士が
中核の話だけにいい考察が出来るのでは?
pupu