あの名将の意外な一面

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256名無し三等兵
戦後、日本政府がカーチス・ルメイに勲章を授与した事は反米ウヨの間でもあまり知られていないようだが、授与当時は騒ぎにならなかったのだろうか?
257名無し三等兵:02/10/11 08:41 ID:g1QyAhZa
>チッポケなバカ者共の出っ歯を(略
想像して禿しくワラタ
258名無し三等兵:02/10/11 09:01 ID:???
ハルゼーってウィンチェスターの水平ニ連が凄く似合いそうだ
259名無し三等兵:02/10/11 09:21 ID:???
ハルゼー提督のイメージとパットン将軍のイメージが重なるのは
私だけでしょうか?
260名無し三等兵:02/10/11 10:33 ID:4oLATnfk
>259
ハルゼーはいかにも叩き上げの水兵というか、レッドネックみたいな感じだけど、パットンは南部の田舎の大地主的キャラという印象がします。
勘違い貴族趣味だし。
261名無し三等兵:02/10/11 10:45 ID:s4Qehoz5
関係ないが、昨夜のBS−2「海の勇者・ホンブロワー」の登場人物で
フランス王統派の伯爵(少佐)がオレ的には理想的人物に見える。
262>256:02/10/11 11:06 ID:XDJZpWJf
当時、国会でも問題になってるし、昭和天皇のちょっと気にしていた。
263名無し三等兵:02/10/11 13:31 ID:???
>>253
やっぱアメ公なんざ碌なモンじゃねぇな
国家体制はまずかったがドイツ軍の方が遥かにマシ
264【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:37 ID:xW3on237
◆誕生編
1906年11月、オハイオ州コロンバス生まれ。米国では小数派のフランス系。
19世紀初めにカナダへ移住したフランス人が先祖。
父は鉄道工事や便利大工をしながら米国中西部を放浪する人だった。疲れを知らぬ
頑丈な身体を持った無口な人だった。
母は英国系で、小柄だが休む間がないほどの働き者で陽気だった。正式な教育は
受けていなかったが結婚前は独学で小学校の教師をしていた。
父はオハイオ川に沿った村での農業を営んでいたが、貧乏から抜け出すため鉄道工事の
仕事を求めてコロンバスに移り、ここで結婚した。ルメイは6人兄弟の長男である。
ルメイはこの両親から疲れを知らぬ体力と父の強い意志、無口な正確を受け継いだ。
265【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:38 ID:xW3on237
◆青春編
ルメイの特徴のひとつは、目標を定めると、その目標に向かって進む、意視力の強さだ。
少年時代は自転車を買うために新聞売りをした。二部ごとに1セントの手数料を貯め自転車を買った。
高校時代は自動車が欲しくて、ほとんど動かない自動車を安く買い、何年もかけて動くようにした。
少年時代から飛行機に憧れていたルメイは飛行機乗りになる目標をたてた。
当時、一級の飛行学校は軍関係以外にはなかった。ウエストポイントに入りたかったが駄目だった。
ウエストポイント入学には連邦議員の推薦がいる。ルメイ一族には、このコネがなかった。
ウエストポイントが駄目となれば、地元のオハイオ州立大に入って予備士官となる道がある。
学資はない。製鉄会社で一週六日間、午後二時から深夜三時までの九時間の重労働で35ドル稼ぎ、
これを学資とした。深夜の重労働のため早朝の授業はほとんど出られなかった。
卒業できなかったが予備士官コースは全て習得し、予備士官となることができた。
予備士官よりも、国境警備隊に入ったほうが陸軍の飛行学校に入学しやすいと聞くと、ためらわずに
大学を中退して国境警備隊に入り、ここから飛行学校の学生を希望して、運よくすべり込んだ。
ルメイのすぐ下の弟ロイドも、高校を出ずに陸軍へ一兵卒として入り、陸軍大佐になっている。
266【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:38 ID:xW3on237
◆軍隊編
1940年1月当時、ルメイは一陸軍大尉で、飛行隊どころか飛行小隊を指揮したこともなかった。
1929年10月にパイロット資格を取得したのち、平凡な飛行隊勤務を続けた。
1936年、戦争では戦闘機より爆撃機がより決定的な力を持つと考えるようになり、爆撃隊を志望して許された。
1937年、第305爆撃隊に着任する。当時のルメイは小規模の陸軍航空隊のなかで、新型爆撃機B17による
長距離飛行の航法術に強いという評判があるくらいの目立たぬ士官だった。
1942年5月、中佐に進級して第305爆撃隊長となって以降、ルメイの活躍ぶりが明らかになった。
精力絶倫のルメイ中佐は、昼夜の区別なく部下を鍛え上げる。音を上げた部下たちは、ルメイに
「鉄のロバ」の名称を進呈した。
1942年秋、爆撃隊を引き連れて英国に渡り、ドイツ爆撃作戦に新戦術を編み出す。
翌年には大佐、さらに准将に昇進。
1944年8月には38歳で少将に進級。第20爆撃集団司令官となり、B29による重慶からの
日本本土爆撃にたずさわった。
1945年1月にはグァム島に司令部を置く第21爆撃集団司令官となって、日本全土の主要都市を
焼き払った。3月には死者10万におよぶ大空襲、8月には広島、長崎に原爆を投下した。
267【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:39 ID:xW3on237
◆ルメイの実像
アゴの張った大きないかつい顔で、いつも葉巻をくわえている。ニコリともしないし、
口も殆んど聞かない。部下や大衆に受けるようなゼスチャーはまったくできない。
ぶっきら棒で、妥協しない。単純一徹で意志がきわめて強い。彼をよく知る友人は
皮肉の意味を込めて、ルメイを「外交官」と呼んだ。
彼の風貌からくるイメージで見過ごされがちな点が二つある。
ひとつはルメイが大変な戦術家で、次のような新戦術を次々と編み出したことだ。
爆撃機のかすがい型編隊飛行、長時間同方向飛行による爆撃法の導入。夜間、低空爆撃戦術(日本本土空襲)。
戦後、ベルリン危機に際しての空輸作戦(当時、ルメイは欧州派遣米空軍司令官)。
核のカサによる防衛戦術(戦略空軍司令官として)。
もうひとつは、彼が部下統御に心を砕いていたことだ。これは彼の次のような三原則によく現れている。

1.部下にはどんな小さな仕事でも、その重要性を理解させること。
2.指揮官は目標をはっきりさせること。また、部下の高いモラル維持するには、モラル維持のための
  なにごとでも、少しずつ改善させること。
3.部下の誰が任務をやり遂げたかについて、指揮官は常に真剣に見守り、これをはっきり公示すること。

この三原則を実行すれば部下はちゃんと仕事をする、というのだ。
268【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:39 ID:xW3on237
◆ルメイ、その後
戦後、1947年に40歳で空軍中将となり、翌年のベルリン危機当時は欧州派遣米空軍司令官。
1950年の朝鮮戦争勃発に際してはソ連軍との全面戦争の危機が深刻化し、戦略空軍司令部が
設置されてその司令官となる。1951年、米軍史上最年少(44歳)の大将に昇進し、のちに
空軍参謀総長(1961〜65年)。ベトナム戦争では米空軍を指導し、「北ベトナムを石器時代に
戻してやる」と公言した。1965年退役。

◆大都市爆撃に関する公言
「私は、日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の家屋は、
 すべてこれ軍需工場だった。スズキ家がボルトを作れば、隣のコンドウ家はナットを作り、向かいの
 タナカ家はワッシャを作るといったぐあいに。・・・東京や名古屋の木と紙で出来た家屋の一軒一軒が
 すべて我々を攻撃する武器の製造工場になっていたのだ。これをやっつけてなにが悪いことがあろう。
 日本では、女も、子供までが軍需産業に携わっていたことは以上のとおりだが、残虐さは戦争そのものに
 帰せられるべきである」
「君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まされたとしよう。そんなときはきっと、
 何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を火に包まれた子供の
 泣き叫ぶことを思い浮かべるに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたいなら、
 そんなものは忘れることだ」
―――カーチス・E・ルメイ少将
(第21爆撃集団司令官、日本本土の都市空襲に参加する爆撃機搭乗員への発言)
269名無し三等兵:02/10/11 16:49 ID:mpZW+Xtn
>>268
さすがアメリカ空軍が誇る鬼畜。
感動した!!
270名無し三等兵:02/10/11 17:18 ID:???
なかなかの人物だ.。
やはりただものではなかったな。
271名無し三等兵:02/10/11 17:47 ID:???
辻とは鬼畜としての格が違う。
ルメイ流石だ。
272名無し三等兵:02/10/11 18:00 ID:???
>267
はっきり言えばめちゃくちゃ有能な人間じゃないか。
敵の将軍だからという理由で、こちらに武器を向けたからという理由で、
彼を悪し様に罵るような知能程度の人間が闊歩してるかぎり、
日本人はま彼のような優秀な外国人によって再び殺戮される運命から逃れられまい。
273名無し三等兵:02/10/11 18:28 ID:6AfRt5zx
ルメイは正規の士官学校でなくROTC(予備役士官訓練隊)を出て将官に
なった希な人物。正規学校を出た軍人が嫌がるような汚れ役を引き受けて
のし上がったハングリー精神旺盛な性格とみるべきだと思う。