249 :
名無し三等兵:02/10/19 20:28 ID:WAsFNv9W
>>248 集まるのは不可能、とは書いてないような。
源頼朝の奥州征伐の時の数十万は、実際は、殆んど戦闘してない。
おそらく、全軍が奥州に到達するよりも早い段階で勝敗はついたと思われ。
文献では薩摩の兵も参加してることから、当然、奥州まで到達するのに時間がかかり、
こういう地域の兵は、ほとんど、というか全く戦闘には参加してないはず。
実際は、関東辺りの数万の兵だけで、勝負はついたと思われ。
つまり、これは政治的デモンストレーションのようなもの。
関東に全国から数十万の兵を動員することが出来る政治権力が存在してる
ということを、京都朝廷の連中に知らせるため。
実際、京都朝廷は、鎌倉方に早く武装解除するよう使者を送ってる。
しかし、鎌倉方は無視して、すぐには解散はせず、そのままにしてたと思われ。
>>250 ついでいうなら、奥州を目指した兵が28万近くで、
全軍が奥州に集結したかというと、そうではないだろう。
九州の兵などは、もっと手前で留まって、引き返したかもしれんし。
>>248 おまえの論理、おかしい(藁
何も数十万の兵の食料を、奥州で現地到達するわけないだろうが(藁
それぞれの兵が、自ら本国から、食料を持ってくるわけで。
<恐らく奥州の人口はどう多めに見積もっても200万程度
その程度の地域に鎌倉軍28万が展開して食糧が確保できると思うか? >
という、おまえの考え方は、おかしいだろう。
>>245 元寇が無くて、鎌倉幕府の崩壊は、意外と早く訪れたと思われ。
そもそも、鎌倉幕府の土地制度というのは、元々、150年から200年で
限界を迎える制度のわけで。
封建領主の土地は、子供達に分配されて相続されていくのだが、
当然、代が重なりごとに分け与える土地が無くなっていく。
いずれ、どこかで破綻するか、あるいは制度変換に迫られ、その時点で、
いろいろ、政権に異変があったかもしれない。
元寇の恩賞を与える土地が無く、それが原因で鎌倉幕府の崩壊を早めのも確かだが、
元寇が無くても、意外と早い段階で、鎌倉幕府は崩壊していたかもしれない。
>>251 つまり全国から28万の兵が手弁当で奥州に向かったということか?
そりゃおかしい(藁
そもそも奥州に200万も人口がいるわけない
>>254 人工無能の人?
相変わらず読み違えてない?
Y/ニニ|>o<|\
/ //\___\
|/ / === |  ̄
| / ・ ・ |
\(6 (_λ_)\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ _ ||||||| _| <おまえらおかしいのだ
|(( \□ ̄□/| |
\  ̄ ̄ ̄ ノ \__________
/ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|了
/ |: | ̄ ̄ ̄ ̄
| |______|
| | | | | | | |
| | | | | | | |
( ̄)| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
~ | 人 |
|__| |__|
/(( | | ))\
>>253 何で手弁当なんだよ(藁
そもそも、食料を全部、現地調達するという考えのほうが異常だろう。
普通、食料は本国から遠征先へ武器と共に持っていくほうが常識だろう。
ちなみに第二次世界大戦の旧日本軍の一部は、食料を現地調達しようとして
飢えて全滅してます。
普通、食料なんてものは、現地調達できるかどうか保障はないし、
強引に現地調達しようとして、原住民との間に軋轢が生じると厄介なので、
本国から持って行く物なんですよ。そんなの常識。
あと、奥州の1200年頃の人口は、200万人もいない。
だからといって、奥州へ十数万の兵を派遣出来ないかというとそうではない。
奥州攻めでは、兵糧に豆を煮たものを用いました。
それを俵に入れて運んだところ、豆が糸を引いていたので(以下自粛)
1名当たり1年間に必要な食糧、馬の飼い葉や武器、装備の補充、その他諸々の必需品
全てを一度に輸送する訳じゃなかろうが、それだけの量の補給品をどうやって輸送するのだろうか?
現地調達だけで全てを賄うのは不可能だが、全く現地調達に頼らず長大な補給線を抱えて戦うのもまた不可能
輸送する連中だって飯を食うだろうし
鉄道発達以前においては、程度の差こそあれ現地調達は不可欠な補給手段だ
敵地に侵攻する前にはあらかじめ詳細な偵察を行うのは常識だから、
現地調達の見込みがないような地域には侵攻しない
むしろ軍勢を養えるだけの資源のある地域こそ戦略的に重要な拠点と言える
例えば28万の大軍勢が奥州に侵攻するとして、関東の穀倉地帯を策源とするにしても
食糧だけで1日数十トンに達する輸送を行うことなど不可能だ
安土桃山時代のように数百石から千石級の船舶による海運が発達していない鎌倉時代においては
馬車による輓馬輸送に頼るしかない
馬車1台につき輓馬1頭、積載量500キロとしても、数百台の荷車が毎日奥州へ向けて出発することになる
毎日それだけの補給を維持するためには、数千から下手をすれば万を超える馬車が必要になる
その巨大コンボイも当然食糧を消費するし、護衛部隊もつけなければならない
その半分の部隊が奥州に達していないとしても、だから可能だと言えるような数字ではない
中世日本においては現地調達に全く頼らずに野戦軍を運用することなど不可能だ
太平洋戦争中の日本軍が現地調達に失敗したから現地調達はできないと決めつけるのは変だ
中近世の戦争では現地調達に頼らずして戦争はできない
むしろ、輓馬輸送しか輸送手段のない鎌倉時代においては、現地調達に大きく頼らなければならない
だからこそ、現地調達で養える限界を超えた兵力の野戦軍を運用するなど不可能だ
奥州合戦で28万の軍勢が奥州に攻め入ったり、承久の乱で19万の軍勢が京に攻め入ったりするのは
常識的に考えて不可能
納豆は源義家の前九年の役の時の故事ですな。
>>261 馬鹿な奴だな、まだわかんないのか?
誰も奥州に28万もの大軍が攻め入ったり京都に19万の大軍が攻め上がったり
できるなんてことは言っていない。
国全体の動員能力とある戦場(地域)への投入可能兵力は違うんだ。
後方で治安維持や連絡線の保持に当たる兵力が戦役に対して
動員された兵力としてカウントされているはずなんだよ。
>>262 相手を罵倒することで論破しようとしてるのか?
>>261は中世日本で現地調達に頼らずに戦争することは出来ないと言ってるだけなんだが
こっちは
>>206で
>それは日本全土で動員可能な兵員の上限であり、
>それらの兵員を一つの地域に集中できることとは違う
>当時の10万以上の兵員が集結したら確実に飢える
と言ってるんだが意図的に無視してるのか?
それに対してそっちは
>>209で
>10万くらいの兵力を集中させることは難しくないと思われ。
と反論してるんだがな
で、それに反論してると人口無脳とか馬鹿とか罵倒を始める
言ってることが矛盾してるのはそっちだ
264 :
名無し三等兵:02/10/20 03:49 ID:TJ6TH/8E
むぅ…。
やはり軍板のスレは、ひと味違うな…。
>>234 そりゃ戦国時代に入ってからでは?
しかも伊達正宗なんかは、騎馬武者に鉄砲をもたせた、一種のカラコール戦術みたいなものも展開しているようだし。
鎌倉時代にしても、せっかく長射程の弓を馬上であやつる技術があるのだから、その攻撃力を活かさない手はないと思ふ。
265 :
名無し三等兵:02/10/20 10:10 ID:urNWZOyB
やっぱ誇張だったんかな。
奥州合戦で28万とか承久の乱で19万とか言われるとそれだけでおかしいと感じるけど実際のところはどのくらいの兵力だったの?
当時の輸送力からどれだけの兵力の運用が可能だったか教えてください。
あと荘園時代にはすでに船による輸送が主流になっていたことを付け加えておきます。
267 :
名無し三等兵:02/10/20 11:21 ID:uwlxG2JT
>>264 そういったものは、江戸期に入って創作されたものが多いので。
安易に肯定できません。
268 :
名無し三等兵:02/10/20 11:52 ID:vWoF0G90
269 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/10/20 16:43 ID:TigD09uL
まあ蒙古襲来絵巻ではモンゴル軍側の歩兵は
短弓ではなく長弓の様な物も使用している様だが
これは彼等の短弓同様強化弓なのだろうか
(そうであるとすれば日本の合成弓より射程は長いのではないのか)
しかしアラブ軍が十字軍のクロスボウでやられたとの記述も有るが
アラブ軍の歩兵は長弓やクロスボウでは無く短弓を使用していたと言う事なのか
(矢張り中国の様な騎兵からのクロスボウ使用も無い訳だろうか)
アラブ軍の矢は十字軍の重装騎兵には通用しなかった(from アラブが見た十字軍)
271 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/10/20 17:27 ID:TigD09uL
>アラブ軍の矢は十字軍の重装騎兵には通用しなかった(from アラブが見た十字軍)
上まあ十字軍の時点ではプレートアーマーは無いし
盾で防ぐとしてもこの時点では装甲の無い馬がやられるのではないのか(苦笑
272 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/10/20 18:00 ID:TigD09uL
まあ後パビスの様な防弾装備は
アラブ軍側には有ったのかと言う事だろうが
273 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/10/20 19:11 ID:TigD09uL
蒙古襲来絵詞(スゲ、一発で変換できた)の戦闘シーンって、そんなにいい加減なの?
あれ、幕府に論功を要求するために描かせたんでしょ。
相手もプロなんだから、そんなに下手なことは出来ないと思うんだけど。
>>264 ROMっているんですが、
伊達正宗の騎馬鉄砲部隊って史実でもあったんでしょうか?
某光栄の戦国ゲームにそういう部隊が出てきたのですが、
講談らはともかく、史実としてはどういうものなんでしょ。
>>267 伊達正宗のあれも講談の類?
史書などには載ってないのですか?
>>269 モンゴル軍の「てつはう」なる兵器はいったいなんでせう。
>>270 アラブ軍といえばビザンチン帝国や西ゴート王国、ササン朝ペルシア
らも攻略したり、領土を侵食していますが、あれらは重装騎兵だった
ようにおもうのですが。
特にペルシャ軍。
>>274 伊藤博文や源頼朝などの日本の常識と思われる語句は
初期登録されていませんが、なぜか金日成とか毛沢東とか
周恩来、蒋介石、袁世凱などの中国、朝鮮の歴史人物らは
一発変換できます。
曹操、文帝、武帝、光武帝、洪武帝、乾隆帝、雍正帝・・・・
日本語IMEはどこの国の人間によって作成されているのか
とても不思議です。
手榴弾の一種。金属製でイボイボのついた球形の容器に火薬を詰めた物。
導火線を使って爆発させる。
小型の投石機などで発射したりもしていた。
>>279 伊藤博文を伊東裕文と書いても誤字で済みますが、
金日成を金要損とか書いてしまうと謝罪と賠償を
請求されかねないからです。
>>268 そんな事言うと自演出来ないじゃないか……。
モンゴル話は終了ですか。
284 :
名無し三等兵:02/10/26 03:28 ID:Vzi+swII
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<=( ´∀`)<俺は生粋のチョッパリだけど
( ) \ この話を聞いてなかないやつは
| | | \ 人間じゃないな ニダ
〈_フ__フ \________________
286 :
名無し三等兵:02/11/04 18:36 ID:xwPFXrMm
李舜臣復活!
287 :
陳舜臣:02/11/04 20:36 ID:???
台湾人ですが、何か?
乱中日記読むから維持sage
宣祖実録は日本じゃ読めないんですかね?
つか、スレタイにある人名って何処の人?
291 :
:02/11/16 22:10 ID:???
292 :
291:02/11/16 22:29 ID:???
『和名類聚抄』に、日本全国の石高(正確には「束」という単位)が掲載されています。
無論、大まかな数字でしょうが、判断の助けにはなるかもしれません。
これによると、10世紀における陸奥+出羽の石高は848,268+305,200=1,153,468
です。(日本全国で13,811,339石)
奥州合戦の頃には、何割か増えているかもしれません。
私は軍事には詳しくないので、115万石というのがどの程度の動員力を示すものか、皆様ほどの判断力を
有していません。
293 :
名無し三等兵:02/11/16 23:14 ID:L21waDP5
戦国時代だと百石につき6人ぐらい。
115万石だと7万ぐらいか。
まあ、実際は、最大5万ぐらいだろう。
294 :
291:02/11/17 03:27 ID:???
『土佐国群書類従』所収「兵賦考」には、
「三十石に騎馬一人」「三百石ノ分限ニテハ、主人一人供者九人」
「御国(土佐)ニシテミレハ二十万石ノ御分限ニテハ七千五百人也」
とあります。但し、外征では半分になります。
数字そのものは大阪夏の陣頃のものです。
295 :
名無し三等兵:02/11/28 21:22 ID:1JZdq3Et
age
まぁ英雄は英雄であると素直に認めることも必要だよ
李舜臣は活躍したにもかかわらず無能官吏に嫉妬を受けて
更迭されたっていうし・・・あの国の人じゃなかったら
九鬼義孝ぐらいには重用されてたのではと思う。
まぁ朝鮮史唯一無二の英雄ってことですな
でもなんか朝鮮の血統じゃなくて支那の血を引いてると思うのは
漏れだけか??w
あと、ハングルを作ったナントカという王様を付け加えてあげると親切だね。
298 :
名無し三等兵:
世宗大王の事かな(漢字間違ってるかも…)?
聞いた話なんだが,ハングルは識字率向上の為,下賎の衆専用の文字として開発されたため,
元々文字を読める階級の連中は使う気も,また実際に使うことも殆ど無かったらしいですね.
で,実際に広めたのは朝鮮総督府,そして独立後の漢字追放(!?)運動により現在に至る,と.