昭和12年10月1日(上海戦の最中)、ロンドンで吉田駐英大使が日本の新聞記者
に次のように語りました。
「“5日に行われる反日大会の司会”をカンタベリー大主教が引き受けたので抗議の
書簡を送った。大主教は、支那側の逆宣伝による根拠なき作り事を何ら確かめもせ
ず受諾している」と。
また10月2日の中外新聞は
〔ロンドン発1日同盟〕 支那軍の全面的敗退に狼狽した支那側のデマ宣伝はいよ
いよ露骨を加えてきた…ロンドン駐在支那大使館では毎日のように日本軍を中傷
する記事を流して、英国民の反日気勢を煽っている。
その上在支外国通信員を動かす等の間接方法をも併用、絶体絶命、泣き落とし政策
で英国民の同情を得んと必死になっている。従って日本側の反駁ないし抗議はとも
すれば無視されがちである。…外人目撃者のいない場所に関しては、今なお…デマ
が行われている。
9月28日のロンドン・タイムスは 「英国政府は26日、支那側のマークを付したる
日本軍飛行機二機が広徳・安徽方面に現れ、爆弾を投下したとの支那政府の覚書を
受領した」 と報道し、ラジオも同趣旨の放送を行った。
と伝えています。
英国は、中国の流すデマを何ら確かめもせず垂れ流しているのです。
それだけではありません。香港は10月初め(上海戦の最中)には、中国への武器
輸送基地となっていました。
広東の兵器工場は日本軍の爆撃で使えなくなったので、飛行機は香港で組み立て
られてから空中輸送され、自動車は広東まで鉄道で運ばれて、そこから道路を奥地
に輸送されていました。
駄通も 今年で 4年目か
早く死ね
この時の武器援助も半端なものではありません。ソ連をはるかに上回るものです。
当時の、新聞に発表された記事では
英国より支那に支給しつつある武器弾薬で十月中旬現在確実に判明せるもの
(×印は交戦法規で禁止されているもの)
既に支那に到着せる物
飛行機 高速度戦闘機2機、 軽戦闘機6機、 駆逐機5機、 偵察機40機、
V・I七型偵察機9機、 爆撃機10機、
その他30機、 合計102機、 飛行機捜査聴音器20台、 高射砲四門、
高射砲弾80トン、 同3800箱、付属器具20箱、 強烈爆薬(T・N・T一箱50ポンド
入り)2200箱、 敷設水雷100内外
十月中旬支那に向け輸送途中にあったもの
飛行機7機、 飛行機用モーター12台、 飛行機部分品250トン、 飛行機用機関銃70挺、
×焼夷弾十万発、爆弾(大型)105箱、 高射砲22門、 野砲8門、 武器220箱、
機関銃150挺、 小銃2000挺、小銃(自動式九ミリ)2600挺、 同(ヴィーカス7.2ミリ)
3000挺、 小銃弾180万発、 同8740箱、 弾薬396トン、機関銃及び弾薬101箱、
弾薬(数量不明)、 同31トン、 戦車10台、 十型戦車13台、装甲自動車42台、
乗用自動車150台、 無電機3台、 ガスマスク8箱、 軍需品200箱、
×クローリンガス入り筒150箱、×ガス円筒入り6筒、 敷設水雷23個、 各種爆薬物200箱、
ダイナマイト70箱、 ×液体ガス(数量不明)、手榴弾280箱、 ブラックパウダー95箱、
特別軍需品13箱、 弾丸及び弾薬30(単位不明)、×チューブ入りガス10(同)、 (後略)
とあります。 新聞は「英国より支那に輸送されたガス類およびダムダム弾が、
すでに戦場鹵獲品中に多数発見せられつつあることは人道無視の行為であって…」
と英国を非難しています。