ドイツ戦艦を語るスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
233名無し三等兵:02/09/28 09:38 ID:LGJH+tt4
昔、1/700WLシャルの砲塔をビスのに換装、煙突もう一本つけて
偽O級造ってました。
スンマセン、プラモ板逝ってきます・・・
234名無し三等兵:02/09/28 09:58 ID:???
どうしてドイツヲタはドイツ軍艦と比べて日本軍艦を評価するのだろう。
ドイツ軍艦と比べて貶めるのなら、大西洋や地中海でUボート壊滅の
時期でさえ閉じこもったままだったソ連軍艦がふさわしい。
235名無し三等兵:02/09/28 11:30 ID:???
>>232
同意。

っつーか、213=210とかは斜めに読んでやれよ。
そしたら成仏して来なくなるだろ。
23692:02/09/29 01:08 ID:???
講和条約の内容が決定する間での期間、抑留艦隊司令官のロイターが
何を考えていたのかはもう想像するしかないが、概ね以下の場合を想定して
心の準備をしていたのではなかろうか?
1:講和が不調、乃至はドイツ側が講和条約を批准しなかった場合・・・・・戦争再開となるため、艦隊は自沈せざるを得ず。
2:講和が成立して、講和条約の内容が海軍の受忍限度の範囲内だった場合・・・・・・・大人しく艦艇を連合国へ引渡す。
3:講和が成立したが、講和条約の内容が海軍の受忍限度を超えていた場合・・・・・・・ドイツ海軍の名誉を守るために自沈。

上記は個人的な想像だが、大体こんなとこだったろうと思う。
実際のところ、1の想定は殆んどあり得ないことなので、2か3の
どちらになるかが問題で、3だった場合に艦隊を自沈させるのは
これはもう海軍軍人の意地みたいなものだろうか?

ところで、講和条約の内容が我慢できるかどうかをはロイター司令官一人が
判断することになるとすると、少し危ういことになりそうな気もするが、
ロイターも命令遵守を旨とする高級軍人の一人だから、条約が受忍できそうかどうか微妙だった場合は、
ロイターは勝手なことはしなかったろうと思う。

そして1919/5/7、終に講和条約はドイツに手交された。
その内容は、・・・・・・・海軍軍人なら誰が見ても受忍限度を超えていた。
23792:02/09/29 01:37 ID:???
ベルサイユ条約でドイツ海軍に許された陣容を今更のように書くと、
人員は16500、排水量1万トン以内の戦艦6隻。
同じく6000トン以内の巡洋艦6隻、800トン以下の駆逐艦12隻、
200トン以下の水雷艇12隻だけ。航空機や潜水艦の保有は禁止。
これでは沿岸警備用としても充分に機能するかどうか? 
238名無し三等兵:02/09/29 01:56 ID:???
>>237
見方を変えると、28cm主砲搭載の10000t「重」巡洋艦6隻と、15cm砲搭載の排水量6000tの
「軽」巡洋艦6隻の計12隻の巡洋艦と駆逐艦12隻なら、航空機と潜水艦の保有禁止は
厳しいところだが、欧州の英仏伊海軍と比べたら足元にも及ばないが、それ以外の
欧州各国の海軍と比べたら遜色は無いと思う。
独逸本国の沿岸警備ならなんとかなるんじゃないかな。
(あくまでも希望的な見方です)
239ゆうか ◆1boPv5wk :02/09/29 02:01 ID:lmT+yIn0
>>238
ワイマール海軍が目指したのはまさにその方向です。
バルト海・北海の制海権を確保できる能力を求め、
主要な仮想敵は北欧諸国やソ連・バルチック艦隊です。
英仏はこの際二の次です。
もっとも、近海用としては水雷艇12隻は圧倒的に足りませんが(汗
24092:02/09/29 02:27 ID:???
>>238
まあ連合国側の意図としては、それこそ「これからは沿岸警備用の海軍で我慢しろや!」
ということですから、国家として2度と大国にならないということなら、
沿岸警備用海軍としてこれで充分と言えない事もないかもしれない。
ただ問題は1919年当時のドイツ帝国海軍の高級軍人が、この条約の内容を他の条項との
兼ね合いも含めて、如何のように受け取ったかと言うことで、
ロイターの目にはドイツの無力化にしか見えなかったのでしょう、おそらくね。

因みに6隻の戦艦とは、ブラウンシュヴァイク級とドイッチュラント級の
旧式戦艦で当分は我慢しろということです。
どちらにしても、1919にスキャパでベルサイユ条約の内容を知らされた
ロイターが、希望的にこれを見るのはチョット無理だったでしょうね。


241238:02/09/29 23:32 ID:???
>>240
ヴェ条約保有を許された前ド級戦艦の一隻が、第二次大戦の口火を切った
戦でポーランドの要塞への艦砲射撃をやったのは、皮肉といえば皮肉。
24292:02/09/30 23:53 ID:???
さて、条約の内容を知らされたロイターは「条約が批准されれば
抑留艦隊を連合国側に引渡す。」という態度を貫く。
但し、それ以前にイギリス側に艦隊占領の兆候を認めれば、躊躇なく抑留艦隊を
自沈させるより他は無いと考えていた。しかしながら、そんな決断を出先の司令官が独断で行うとすれば、
これは余程の度胸が必要な筈で、咄嗟の判断で決断できるようなことだとはとても思えない。
やはり、ずっと以前に自沈を決断し、一部の部下と計画を練っていたと思う。
ロイターが講和条約の内容を知ったのが1919/5/11とされ、1919/6/20にドイツ議会が条約締結に賛成し、
1919/6/21に抑留艦隊が自沈、1919/6/28に講和条約が調印される。
これらの日付を見ると、ロイターがヤッチマッタようにも見えなくはない。
ロイターは議会の動向を自分が全く知らされておらず、講和条約が不調に終わると、6/20以降
イギリス海軍が艦隊の強奪に来る可能性が高かったと後々主張している。
或いはそうかもしれないが、それでもロイターが条約の内容を知った当初から
艦隊の引渡しを拒否する決断をしていた可能性も濃厚にある。
243名無し三等兵:02/10/01 12:56 ID:???
最強WW2ドイツ軍を語らせてもらおう。
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/army/1011578993/l50
24492:02/10/03 01:17 ID:???
さて、ロイターによってドイツのHSFは引導を渡され、1919/6/21にスキャパで自沈してしまった。
結果どうなったか?
まずイギリス。実はイギリスは抑留艦隊が自沈して大喜びだった。自前の大海軍を持ってる上に、
その海軍が財政上の耐え難い負担で、必要さえ無くなれば直ぐにでも縮小をしたいぐらいなのに、
いまさら格下だと思ってる海軍の主力艦なぞ手に入れてもしょうがない。寧ろ、賠償艦としてフランスやイタリアが
領有を主張していたのが頭痛の種だった。放って置けば、日本までも領有を主張しかねない。
今やイギリスにとって、他国の海軍拡張は悪夢だった。
可能ならば自分達の一存で、大西洋に曳航して処分したいぐらいだったのに、厄介な問題をドイツ人が
勝手に処理してくれて、こんなに有難い事は無かった。
アメリカには如何でもいい問題だったし、フランスやイタリアにはどうする手立ても無かった。
そしてドイツ。ドイツにとって抑留艦隊は交渉の手札でもなんでもなかった。
ほぼ無傷で残した艦隊が、仮令接収されるにせよ、祖国の立場を維持する上で多少なりとも
貢献するだろうとの見通しは浅はかな幻想だった。
結局のところ、連合国は敗戦国とまともな交渉をする気なぞ無かった。
こうしてドイツ大海艦隊は、どう考えても馬鹿馬鹿しい末路を迎えた。

245名無し三等兵:02/10/03 10:40 ID:???
FLEET IN BEING…の末路あわれ…
24692:02/10/05 21:12 ID:???
以下は個人的な考察。

まず、一体ドイツは何故唐突に大艦隊の建造に着手し、その艦隊にはどんな存在意義があったのか?
ということ。
19世紀末の頃、イギリスは膨大な海外領土を抱え、しかもこれら遠隔の領土と本国の海上交通路が
文字通りこの島国にとって生命線だった。だから2国標準主義みたいな無理をしてでも大海軍を
創設し、維持するのが国是だったわけ。
一方ドイツ。ドイツもこの時期には海外領土を持っていたけどイギリスほどの依存度は無い訳。
それに引き換え、西隣はフランス、東側にはオーストリアやロシアがいて、それ故大規模な陸軍を
を保持しないとならない。
それ故、ビスマルクが大海軍の必要性を認めなかったのは、以下の2点からだろうと思われる。
1:イギリスを刺激して、際限の無い建艦競争に巻き込まれ、しかも勝利の目途が無い。
2:国富を海軍の整備に費やせば、肝心の陸軍の維持に支障をきたす。

但し、ビスマルクも身分相応の海軍は持たざるを得ないことは承知していたし、
そこそこの予算措置は彼の時代にもされている。ただ彼は、イギリスを刺激し
国家財政を危機に追い込むような馬鹿な建艦計画は立てさせなかった。

247名無し三等兵:02/10/06 02:16 ID:???
>>242
ロイターが講和条約の詳細を知ったのは、6月20日の「ザ・タイムズ」という話もある。
本国政府は講和条約を受諾、反対意見を提起するのも無理だし講和条約を無視すればさらなる悲劇は必定、
ならばということで、見張りの居留守を狙ってかねてより計画していた自沈を決行したそうな。
248名無し三等兵:02/10/06 03:08 ID:???
>>246
ビスマルクとかヴィルヘルム1世などプロイセンの旧派(悪い意味にあらず)にとっては、
プロイセンの安寧こそが優先され、ドイツ統一(帝政)も結果としてそうなっただけのこと。
だから欧州の力の均衡には関心があっても、海外領土獲得にはあまり関心がない。
軍事も大事だが、それよりも外交による同盟政策・勢力均衡に注力する。

しかし新しい世代と他の邦国の人々は、大国ドイツにふさわしい世界政策を求める。
加えて英露仏の植民地政策の動向や、迷走するヴィルヘルム2世治下の外交政策が、
海軍軍備拡張に拍車をかける。

1872 独・墺(オーストリア)・露三帝同盟
1875 仏の軍拡による戦争の危機、英・露による独の予防戦争に対する干渉、独・墺接近
   しかし墺・露はバルカンで対立
1887 地中海協定でトルコ・地中海の現状維持、しかし英は独との直接同盟は拒否
1890 ビスマルク解任
1890 独・露再保障条約更新ならず
1894 露・仏同盟
   独英の関係、通商問題等で悪化
1898 独ティルピッツの建艦計画
   ファショダ事件、仏のアフリカ進出に対し英は孤立政策を放棄
1901〜英独の同盟ならず
   ボーア戦争、義和団事件、日露戦争、モロッコ事件等を経て英仏露の接近
1904 英仏協商
1907 英露協商
1908 英・独の建艦問題調整は失敗、独艦隊増強へ
249名無し三等兵:02/10/06 08:27 ID:???
けっこういいすれではありませんか。 (^^)//""""""パチパチ
また〜り また〜り
25092:02/10/06 15:18 ID:???
>>247
6/20のタイムズの記事と言うのは、おそらく6/16付のタイムズの記事のことでしょう。
スキャパのロイターのもとには、大体3,4日遅れで英字紙が届いたそうです。
内容は「6/21正午までにドイツが条約を受託しない場合、連合国は戦争再開の最後通牒を
発するだろう。」という一種の観測記事で、この記事がロイターの行動に影響を与えたことは
否定しようがありません。
但し条約の内容そのものは、もうこの時期には水兵まで熟知していたそうです。
25192:02/10/06 16:05 ID:???
>>248
確かに、ドイツの海軍拡張を大国化するドイツの世界戦略の一環と捉えることも出来るかも知れません。
ただそれにしたって、失敗しないやり方というものを考える必要があって、
拡張を推進した二人にそこらへんの配慮があったのかどうかが疑問ですね。
後々書くつもりでしたけど、問題点は以下の2点だと思います。
1:フランスの孤立化、なかんずく英仏の離反はビスマルクがいようがいまいが、
ウィルヘルム2世の治世でも必要な外交戦略だったと思います。
これを失っては海軍が少しばかり増強されても、とても安全保障上の損失は埋め合わせできません。
2:この時期、海軍力で英に対抗するのは、もうハナから英の土俵で勝負するはめになり
絶対に勝利を得られない。 ドイツの目腐れ程の海外領土と違い、英には海外領土や連邦内国家が
いくつもある。さらに、それらには大きな港湾があって、そこには大規模な貯炭場や補修用ドックや
兵員の休養施設が幾らでもある。 またジブラルタルを始めとする重要な海峡部も全て英が抑えている。
翻って、この時期のドイツには確か碌な海外貯炭場すら無かったと思いました。
フォークランド沖海戦のとき、シュペー側の艦はヒドイ整備状態で、英に対して
10kt近く劣速だったといいますが、サポート施設の無い艦隊の末路はこうならざるを
得ないでしょう。
だから、水上艦の勢力を拡張してこの時期の英に対抗するつもりなら、途方も無い
大艦隊でも作らない限り、実は実戦では本土周辺海域で不利な勢力で消耗戦を強いられるか、
でなければ艦隊温存主義に陥るかのどちらかだったでしょう。
普通の頭脳があれば、こんな選択肢は最初から取らないと思います。
大体海外領土なんて、この時期はもう獲得できる余地は殆んど無いんですから。
ウィルヘルム2世とテルピッツにとっては、実は真の目的は大艦隊の創設で
はなくて、国家の安全補償だと言うことが分からなくなっていたのでは?
それとビスマルクの外交政策は軍事力の後ろ盾が必要ですから、彼は軍事の
重要性を骨の隋まで承知していたと思いますよ。
252名無し三等兵:02/10/07 23:27 ID:???
>>251
レスどうも。
ティルピッツの艦隊計画は確か「危険(艦隊)思想」という奴で、英海軍と戦った場合、
英側が勝つにしても海戦で重大な打撃を被って、仏露より劣るものになってしまう、
そういう結果を目指すものだったと思う。
ドイツ艦隊がイギリスの海洋覇権に危険を与える規模になると、外交上のカードも増える
というわけで。
外交面での努力はビスマルクのそれに比べるべくもないが、2世治下でも色々やっており、
英との関係では改善、悪化の局面変化がめまぐるしい。
孤立へのきっかけは独露関係だけど、これも墺とルーマニアが絡むし、やはりビスマルク
並みの人物がいないと難しかったのでは、と思う。彼でも1900年頃であれば行き詰って
いたかも。
あと艦隊法は、内政面での取引材料の側面もあったように思うが、ウロ覚え。
253名無し三等兵:02/10/07 23:36 ID:???
>>251
それとビスマルクの場合、当然軍事力の重要性を理解しているけど、他国と戦争をする場合、
必ず外交政策により相手国を孤立化させている。
ご承知と思うが、対デンマーク、オーストリア、フランスいずれの場合にも。
その点、第一次大戦前夜、ニ正面戦争は避けられないが参謀本部が何とかしてくれる、と
一種思考停止状態になった政府首脳とは明らかに異なるものと思われ。
254名無し三等兵:02/10/08 01:48 ID:???
画質は非常に悪いがビスマルクの航行中のカラー写真ハケソ
多分ライン演習作戦の前の姿だと思ふ。
ttp://users72.psychedance.com/img4/img20021008014139.jpg
ttp://users72.psychedance.com/img4/img20021008014046.jpg
255名無し三等兵:02/10/08 11:53 ID:???
↑禿げしくワラタ
25692:02/10/08 22:11 ID:???
>>252
こちらこそレス有難う御座います。
テルピッツの危険理論ですが、これには彼自身も認めざるを得なかった以下の重大な
落とし穴がありました。
1:ドイツの整備する艦隊が抑止力として機能するまでの過程の期間、これはドイツ
にとって実に危険な時期となる(危険水域などと言われてます)。
2:当時のドイツの国内工業生産の成長率は英を凌駕する勢いでしたが、
造船に限ってはまだ大差をつけられていましたから、もし英が対抗措置として
海軍力の整備に力を注いだ場合、ドイツは海軍力の差を縮められない。
つまりドイツは危険水域を抜けられなくなる。
3:そもそもこの計画は、英が「栄光ある孤立」政策を続けていることが前提で、
英が仏露と同盟を組んだりすれば、危険理論そのものが破綻する。
上記の危惧はどれも杞憂では済まなかったと思います。

外交面では確かにウィルヘルム2の治世でも色々な局面が展開しているのでしょう。
というか、正直私はこの分野にはあまり詳しくないので、語るべきものを
あまり持ち合わせていません。
25792:02/10/08 22:17 ID:???
>>253
ビスマルクのニ正面戦争回避の外交手腕については全く同意します。
あの大モルトケが、ビスマルクの品性を毛嫌いしながら、彼に黙々と服したのは
その外交方針と手腕を信頼していたからに他ならないと思います。
もっとも、軍事作戦に関する問題には口出しをさせませんでしたが。


25892:02/10/08 22:34 ID:???
257の続きですが、この危険水域の時期について
テルピッツ達海軍拡張論者はどう主張したかと言うと、
遮二無二主力艦を造って、この危険水域を突破する。
つまり、ドイツが海軍大国になる為に一か八かの賭けをしろ!
ということでしょうか。
軍人の癖に、口が達者で政治向きだったテルピッツですが、
時代によっては、こんな暴論が案外受けたりするものかもしれません。

259名無し三等兵:02/10/08 22:48 ID:???
>>254
見たこと無い写真ですな。
貴重な写真ありがとうございます。
260 :02/10/08 23:02 ID:YemFCdiw
>254
いやいやそこまで建造できればモデラー的に充分エライ。やったモン勝ち。
261名無し三等兵:02/10/08 23:16 ID:???
現在、当方ツェルベルス作戦時のシャルンホルストを製作中。
どなたか、シャルンホルストの各部画像をアップしている
サイト等は御存じないでしょうか?

探せど探せど、遠くから見た画像ばっかりなんです。
正面からではなく、横から撮影した近距離画像だと嬉しいです。
どなたか助けて下さい、よろしくお願いします。
262名無し三等兵:02/10/08 23:32 ID:???
>>254
惜しいことにラジコンのアンテナが見えている。(w
263名無し三等兵:02/10/09 00:05 ID:nkfjl7G1
92氏のおかげで、かなり興味深いスレになりました。

子供の頃に読んだ本での記憶で、
20世紀の初頭、経済力(指数は覚えてない)で
ドイツがイギリスを一時追い抜いた(世界一)ものの、
後方からあっという間に米国がぶっちぎって、
第一次大戦前夜には、独英合わせたよりも米国が大きくなってたと思います。
経済の2国標準か?

あんまり関係ないレスですまそ。

264名無し三等兵:02/10/09 00:16 ID:???
>263
P・ケネディ「大国の興亡」かな。
265254:02/10/09 00:16 ID:???
矢張りばれたか・・・
>>262
おかしいですね〜アンテナは艦橋の中に収納してあるはずなのに・・・
超能力ですか?
266262:02/10/09 00:39 ID:???
心頭滅却すれば、艦橋も素通しとなる。(w

だめだよ、カマ賭けたら引っかかっちゃ。
まぁ、本当に1/1のスケールだったら、波はもう少し細かいはず。
それと前後の甲板の沈み方がアンバランス。

模型としては見事なものだから、もうちょいピントのあった写真をキボンです。
267254:02/10/09 01:15 ID:???
>>266
ふむ、矢張り波の大きさが不自然か。
この写真はカメラ素人の友人が撮ったものでデジタルズーム最大で撮ったものです。
矢張り軍事板の人はちがいますね。
http://members.tripod.co.jp/reoparudo2000/P08150089.jpg
http://members.tripod.co.jp/reoparudo2000/P7100032.jpg
http://members.tripod.co.jp/reoparudo2000/P7110058.jpg
ちなみにこのビスマルクは作りかけで数年間放置されつい最近ラジコンとして生まれ変わったものです。
本来ならこういうネタは模型板でするべきでしょうが勘弁してください。
おまけ
http://members.tripod.co.jp/reoparudo2000/P7100066.jpg
268名無し三等兵:02/10/09 01:22 ID:???
>>256
つまるところ戦争はまだない、というか起きないのではないかと思っていたのだろう。
これは欧州列強に共通だけど。実際には、植民地、通商、バルカン問題等々火薬庫への
導火線に火をつけまくっていた。
これに気がつかないし、気がついても処理をする機構も人もいない(今日と異なり)。
そんな中での建艦競争は、違った意味での「危険」理論だったと思う。
1912年には巨額の財政圧迫にたまりかねた英が、独に対して一時休止を求めているしね。

内政面では、農産物関税引き下げで打撃を受けた農業界と、艦隊増強で恩恵が期待できる
重工業界との同盟という側面もあったとか。この両者の同盟により、労働者代表(社民党)
等に対抗できるとの期待があってのこと。ちなみに社民党などは艦隊法に反対。
実際、政府側にとって議会での労働者代表による抵抗は、ビスマルク時代より各邦の自己
主張と並んで頭痛の種であった。
海軍問題は、皇帝とティルピッツ系の海軍万歳路線だけではない面もあると思われ。

しかし92氏のお陰で、久方ぶりに学生時代の本なぞ見返す機会が得られましたよ。
(ロクに読みもせず講義を聴いていなかったことも判明したが・・・)
ヨーロッパ史というか歴史はやはり興味深い、またご教示よろしく。
269254:02/10/09 01:29 ID:???
>>261
htp://users72.psychedance.com/img4/img20021009012821.jpg
270名無し三等兵:02/10/09 01:29 ID:???
>>267
おお、なかなかイイじゃないですか。
271名無し三等兵:02/10/09 14:59 ID:???
269=254>
それ、グナイゼナウでっせ。
27292:02/10/10 00:47 ID:???
>>268
こちらこそ、色々御教示いただき有難う御座います。
ドイツ海軍(及びその拡張)に関する問題が皇帝とテルピッツだけで
語れないのは仰る通りです。ご覧のように、ここでは私は意図的に皇帝と
テルピッツに切り口を絞って書いていますが、そこら辺は私の知識量と
守備範囲の狭さに起因すると思して、お目こぼし下さい(笑。

ところで艦隊増強と産業界の関係についてですが、この時期(20世紀初頭)
ドイツの重工業は目覚しい勢いで発展していて、当然海外でも市場は広がります。
例えば同じ時期、戦艦ドレッドノートの装甲の為に、英はクルップから鋼鉄(クルップ鋼)を
購入したりしています。
こんな例を見ると、ドイツ産業界が本来拡大を目指すべき市場は、実は英仏等欧州列強への
輸出拡大であって、それを阻害するようなドイツ海軍拡張など、仮令目先の利益が確保
出来たにせよ、平和と言う最も重要な市場環境を破壊しかねない、忌まわしい産物で
あったと思います。何でそれが分からない? と思うのは所詮後生の後知恵でしょうか?

それと当時社会民主党の反対運動は海軍協会の拡張支持運動に圧倒されてしまいましたが、
海軍協会の最大のスポンサーは、実は皇帝其の人だったそうです。



27392:02/10/10 01:03 ID:???
すみません、資料読み直したら訂正個所がありました。

>海軍協会の最大のスポンサーは、実は皇帝其の人だったそうです。
皇帝は海軍協会の後援者で、最大のスポンサーはやはりクルップのようです。

274名無し三等兵:02/10/10 01:39 ID:???
>261
メジャーなとこしか知りません。
ttp://www.warships1.com/GERbb08_Bismarck_pics.htm
275名無し三等兵:02/10/10 12:13 ID:???
276名無し三等兵:02/10/12 02:39 ID:???
>>272
>英仏等欧州列強への輸出拡大

これは保護関税の問題で難しい。
となると植民地確保になるわけだね。今じゃ考えられない話だけど。
ちなみに>>268で書いた独の農業関税引き下げ(1891-94)は、他国、特に穀物輸出国側に
有利となるものだが、その反対給付として独の工業製品に対する関税を引き下げてもらおう
とする意図があった。
しかし被害を被る農業界(既に没落したユンカーも含む)はたまったもんじゃない。
この反発勢力と艦隊増強で恩恵を受ける工業界との連携(どちらも保守)が、艦隊法通過の
基盤を作ったということらしい。社民やリベラル勢力の伸張を抑える有力な連合になるから。
因果は巡るという奴かな。列強の気ままな帝国主義的侵略・拡大の中で。
そうした過去の反省、ベルサイユ条約体制も含めて、今のEU体制となったのでしょう。
277名無し三等兵:02/10/12 15:14 ID:???
>>267
3枚目がカコイイ!
1枚目は友鶴事件を思わせる(w
27892:02/10/13 00:25 ID:???
>>276
なるほど、ブロック経済ということでしょうか?
私はそこらあたりの事情は、守備範囲外なんで不分明ですが、
ただ20世紀初頭の経済統計を論述した著作を読んだ事がありますが、
それによれば当時のイギリスの輸出先の第1位はインドですが、
2位はドイツなんですよね。
それだけで何か言えるかどうかは分かりませんが、個人的には、
自由貿易態勢を希求するような変化の胎動と言うか、一種の
萌芽みたいなものはあったんじゃないでしょうか?そんな気がします。
30年後の世界恐慌で、一旦は消えて無くなりそうになりますが。

そもそも少なくとも当時のドイツは、イギリス製の工業製品が
流入しなくなれば市民生活に相当の支障がでるだろうと、
確かそんな想定が書かれていたようですが。
そのせいかどうか、ドイツ海軍の拡張に関して当初はイギリスは
寛容な態度をとりますよね。あれはイギリス側でも、ドイツが
自国の経済にとって重要な市場であるという、そういう認識が
ある程度はあったんじゃないか? そんな気がします。
まあ、こんなことは色々と視点の異なる資料を読まないといけないんでしょうが。

ところで、建艦競争が泥沼化した大きな一因として、両国の考え方の相違を
お互いが理解していなかった点も上げられると思いますが。
ドイツにとって、第1次及び第2次海軍整備法を執行することは、法治国家の
政府としての義務でした。だから外交交渉の事情で、変更したりするのは彼らには
不可能だった。
またイギリスにとっては海洋支配は国家存続のための主注だった。だから、他国の
海容支配は、権利だとか国際法とかの問題以前に、自分達の生殺与奪の問題に
他国が介入するのと同義だった。
このドイツ人の法律万能主義をイギリス人は理解せず、イギリス人の海洋支配欲の背景を
ドイツ人が理解しないまま、お互い耳を閉じて相手に自分の主張を訴えかけるだけの
交渉をしていた、という説を読んだ事があって、私結構卓論だなと思ったりしてます。
27992:02/10/13 01:19 ID:???
ところで、ドイツ海軍に話を戻しますが、
WW1のドイツ大海艦隊の主力艦をですが、WW2のように
通商破壊に使用できたかどうか?
これは難しい。理由は以下の通り。
1:まず大西洋への出口が無い。
2:イギリス海軍が、直ぐに大兵力を出動させてくる。
3:海外に整備用ドックや貯炭施設が無い。
4:戦艦は鈍足だし、巡洋戦艦は航続距離が短い。
 *巡洋戦艦の航続距離は、例えばザイドリッツが14ktで4200nmしかない。
  但し、巡洋戦艦についてはこの時期イギリス側も脚が短め。
  
結局通商破壊には、潜水艦や仮装巡洋艦を使わざるを得なかったし、またそれらの
艦種の方が圧倒的にこの作戦には適していた。
因みに、仮装巡洋艦として「ゼー・アドラー」が投入されたのは、帆船なら
もう少し作戦期間を長く設定できるだろう、という目論見。
280名無し三等兵:02/10/15 23:33 ID:???
>>278
>>279
大雑把に分けると、19世紀前半は自由貿易主流、19世紀後半は保護関税主流、大恐慌期はブロック
経済、第二次大戦後、原則自由貿易のGATT体制ではなかったかと思う。
例えばアメリカは、南北戦争による自由貿易派南部連合の没落後、北部産業資本の意を受けた保護
関税に復帰、以後怒涛の如き発展を遂げる。ロシアも90年代に同様の政策を採る。
いずれも後発工業国ゆえの国内産業振興のため。
先行工業国イギリスが、工業地盤沈下のなか自由貿易体制を維持したのは、金融・海運・加工業の
反対が強かったためと、19世紀後半までの絶対優位のもと蓄積した海外投資からの莫大な利子・
利潤の受取り、広大な植民地との貿易、海運業からの高収益があったため。これが貿易赤字を補う。
有力国が急速な工業化を遂げる中、英のような先行者利益がなく、米のような広大な国内市場と
豊かな資源を持たない新興ドイツが、世界帝国を維持せんとする英と対立する局面が出てくるのは
ある意味必然かも。もちろんそれが即戦争を意味するわけではないけど。
経済関係の脱線に巻き込んで申し訳なし。本線に戻しませう。

考え方の違いは当然あったでしょうね。今のような定期的協議や国際機構があるわけでもなし。
それとそれまで大国間紛争の局外にいた英帝国が、他国の発展の中、世界規模での帝国主義大競争
(対独のみならず一時期の対仏・露も含めて)における当事者になってしまったことも泥沼化の一
因かと。調停者がいなくなるわけですから。

ドイツ大海艦隊の主力艦を海上交通戦に投入するのは、お説のごとく困難だと思う。
仮にフランスはブレストあたりを占領しても、航続距離がネックかな?
ちなみに当時の潜水艦も大半は航続距離が短かったような。それとも後年のZ型くらいはあったの
かな。輸送潜水艦は長大航続距離を誇っていたようですが。
「ゼー・アドラー」は、艦長ルックナー伯爵でしたっけ。一度本を読みたいと思いつつ、いまだ読
んでおりません。
あのフネの投入は誰が決めたのですかね。
281名無し三等兵:02/10/16 08:52 ID:???
>280

 ゼーアドラーが投入されたのはルックナーが皇帝に直訴して、皇帝の
裁可を受けた結果です。それ以前に海軍司令部自体は「帆船で一体何を
やるのだ」とルックナーの提言を退けてますので。
282名無し三等兵
>>281
皇帝マターだったのか・・・。時代を感じさせる話ですな。
サンクスです。