>>424 まぁ、NATO加盟の際のお義理ではないかと思っております。
後は、彼の国に武器を輸出した罪滅ぼしというか…。
東欧って第2次世界大戦後の言葉だったような・・
それまでは中欧なんだけどな・・・・・・・・・。
>>430 ん〜?
「中欧」=ハプスブルク帝国自体は第一次大戦で消滅したので、第一次大戦後
に成立したのが「東欧」だと思いましたが。
軌道修正。
さて、1944年に入ると、4月から本土が米陸軍航空隊の爆撃を受けるようになります。
当初はBf-109の2個中隊しか本土にありませんでしたが、夏には戦闘機6個中隊に
増強され、秋には、Bf-109Gを8個中隊、Me-210が3個中隊、Fw-190Fが2個中隊に
加え、夜間戦闘機隊も創設されました。
1944年秋からは本土にソ連軍が攻め込んだため、戦闘機隊はその防戦に勤め、輸
送機、連絡機は包囲されたブダ=ペシュトの救援を行いましたが、1945年1月、休戦協定
が結ばれ、終戦となりました。
しかし、それを潔しとしない人々がドイツ軍と共に戦い、1945年4月になるまで、空軍は
抵抗を続けています。
今日は、マジャール王国空軍の捕獲機について少し。
捕獲機と言っても、記録に残っているのはほんの少数で、余りネタにもなりゃしないけど。
1939年、Poland崩壊時に国境を越えて亡命した機体が3機ありました。
1機は、P.11aで残りが、RWD-8。
P.11aは戦闘練習機として、戦闘機学校で用いられ、後に民間に払い下げられてスポーツ機
となりました。
また、RWD-8は、連絡兼初等練習機として空軍で用いられています。
更に、Slovakiaとの軍事衝突で、Avia B.534を1機Gyorの飛行場に不時着させ、それを修理し
て戦闘練習機として用いました。
1943年初頭に、この機体は民間に払い下げられ、工科技術大学のスポーツ航空部に所属
して、グライダーの曳航に使用されました。
最終的には、1945年にGyorの飛行場でソ連軍に撃破されています。
ソ連との戦闘では、幾ばくかの機体を捕獲していますが、殆どがドイツ軍に引き渡されてい
ます。
記録に残しているのは、UT-2初等練習機1機だけで、連絡飛行隊で雑用任務に就いていま
した。
マジャール空軍兵士は、これをSanyiと呼んでいたそうです。
このほか、米軍機、ソ連軍機をいくらか捕獲していますが、Il-2は、1942年に破壊された2機
から1機分を再生したそうです。
これは、1943年のソ連軍の攻撃で失われました。
再び、Il-2が捕獲されたのは1945年初頭で、技術研究と戦技研究に用いられました。
434 :
426:03/03/23 13:14 ID:pIQL8XG8
>>434 いあいあ、有り難う御座います。
特にBulgariaのHe-51は貴重ですね。
ネタふりのためにも、こういう画像は定期的にいただけますと助かります。
明日からどこにしようかな。
436 :
426:03/03/24 16:06 ID:1rA4P/k8
437 :
426:03/03/24 16:10 ID:1rA4P/k8
>437
うぇ〜ん、見られないでつ。
時間がないので、ネタも振れない。
来週まで保守モードで失礼でつ。
439 :
426:03/03/27 17:09 ID:???
戦前のアルバニア空軍の画像がホスィんですが。陸軍・戦中の対パルチザン民兵
でもいいです。とにかくアルバニア軍の画像がホスィ。
かば◎ちんに帝国陸軍戦車語せちゃダメっしょ!
モデルアートの解説は酷かった・・・・・・
毒にも薬にもならんかったヨ
むしろあの文なかった方が良かったかも・・・
つか帝国陸軍戦車解るヤシに書かせれ!!
4/1 4月馬鹿保守(嘆。
や〜っと仮復帰。
さて、Bulgariaについて話をしてみませう。
この国はトルコより独立し、黒海に面した国であったが、12世紀の大Bulgaria帝国
を夢想して周辺各国との争いが絶えなかった。
何しろ、そのころのBulgariaは、Romaniaの一部とGreeceの殆ど、更に、Belgrade
近くまで領有してたりする。
1912年には、Serbia、Montenegro、Greeceと組んでTurkeyを相手に第一次Balkan戦争
を戦い、Macedoniaを得た。
SerbiaはRussiaの支持の下でアドリア海への通路を要求、ItalyはAlbaniaの占領を望み、
GreeceはItalyによるドデカネス諸島占領に抗議し、二重帝国はあらゆる勢力拡大を阻止
しつつ、Bulgariaを援護すると言う混沌状況の中、1913年にBulgariaがSerbiaを攻撃し、
第二次Balkan戦争が始まる。
このときは二国間戦争だったはずなのに、各国の思惑により、Serbia支援のために
Romania、Greece、Montenegro、Turkeyが参戦。
これに対し、Bulgariaを支持する二重帝国は支援を行おうとするが、GermanyとItalyが
これを阻止し、結果として、Romaniaは南ドブルジャを、Greeceはマケドニアを、それぞれ
Bulgariaより割譲される。
これが、第一次大戦でBulgariaが同盟側に立って参戦する原因となったのである。
444 :
名無し三等兵:03/04/06 07:32 ID:4ENCc7Gf
かば◎ちんあげ
445 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/06 22:14 ID:CDJTZvDG
眠い人さま
いつもながら凄い知識ですね。感服いたします。
あまり無理はなさらぬように。
なんか第二次バルカン戦争でトルコまでが周辺諸国と一緒になってブルガリアを叩いているのが微笑ましい…
>445
有り難う御座いまふ。
そろそろ落ち着きそうなので、じっくりやっていきたいと思いまふ。
>446
トロツキーの著書にバルカン戦争というルポがあります。
邦訳も出ているので、某所古本屋で購入しようとしているのですが、なかなか。
448 :
名無し三等兵:03/04/10 00:32 ID:HGNGFPDo
かば◎ちんあげ
さて、そのBulgariaですが、第一次大戦では1915年にドイツと友好・同盟条約を
締結し、10.14に参戦します。
その代償に、Serbia領のマケドニア(現在のマケドニア共和国)を同盟諸国から
獲得します。
そして、Greece、Romaniaが連合国側に参戦した場合に、これを撃破した暁には
Greece領マケドニアとRomaniaのドブルジャを獲得する権利を持っていました。
後者の権利は、1916年にRomaniaが参戦し、12月に全土を制圧した時に発生しま
した。
ドブルジャは、1918.5.7のBucharest条約で正式にBulgariaのものになります。
しかし、4ヶ月後、前年に連合国側に立って参戦したGreeceから行われた連合軍の
マケドニア攻勢により、Bulgaria軍は崩壊し、同盟国側としては、9月末、最初に戦線
を離脱してしまうのです。
第一次大戦後、Bulgariaも敗戦国となり、1919年11月27日、ヌイイー条約
を締結します。
これにより、Serbiaにマケドニアを中心とした国境地帯の一部を割譲し、
Romaniaにはドブルジャを返還し、Greeceにエーゲ海に面したトラキア西南
地方を割譲した上、空軍保有の禁止、保有兵力上限2万人という枠を嵌め
られます。
このため、戦後は難民問題とYugoslaviaに対するマケドニアの主権要求が
主な政治課題となりました。
敗戦後、政治の舵取りをしていたのは、農民党と言う政党で、首相のスタン
ブリスキーは、農民に対する土地改革、マケドニアとBulgariaの一体化を
推進してきました。
これに反発したのが、旧体制勢力で、彼らは軍を動かし、1923年に将校団が
決起して、首相を射殺し、共産党と農民党を解散に追い込みました。
更に、世界恐慌で経済が混乱し、国家社会主義勢力が台頭すると、バスに
乗り遅れるな、とばかりに、1934年、ツヴェーノと言う保守派将校組織のクー
デターが起き、ゲオルギエフ大佐による独裁体制が確立します。
その大佐は1935年に失脚し、国王ボリスIII世の直接統治が始まるのです。
とりあえず良スレage保守。
バルカン戦争ってエロ小説だったよな。
そんな深い背景があったとは知らなかったよ。
453 :
山崎渉:03/04/17 10:35 ID:???
(^^)
ほしゅ
>452
あ、あのTurkey軍兵士がどこぞの家に入って、そこの奥方とか女中とか
娘とかを見境無しに犯すとかそう言う話ですっけ。
河出書房の本か何かで挿絵を見た覚えがありますけど。
この辺はギシュクラ・ヤーノシュ氏辺りが詳しそうな(苦笑。
456 :
山崎渉:03/04/20 05:31 ID:???
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
山崎対応ほしゅ。
458 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/24 23:59 ID:IrfvoE81
眠い人さま
え?名前ぐらいは聞いたことがありますが、中身までは・・・。
ところで山崎某って何なんです??
バルカン戦争まで遡っても罰は当たるまい。
で、Bulgariaに対する諸国はと言うと、まず、SerbiaとGreeceが挙げられます。
そしてRomaniaがあります。
今回はRomaniaについて話を進めていきましょう。
RomaniaもTurkeyから独立した国でした。
最初の元首クーザ侯爵はその後の暴動で退位し、ホーエンツォレルン・ジグマ
リンゲン家から国王を迎え入れ、独や二重帝国と同盟関係を結びました。
そして、同盟諸国との関係も深く、軍隊はPrussiaを手本に育成されています。
しかし、第二次バルカン戦争では、RomaniaはSerbiaを支持し、そのSerbiaの
反二重帝国政策を嫌った二重帝国との関係が悪化。
これがきっかけで、第一次大戦にはRomaniaは中立を宣言し、連合国から、
マジャールのバナート、トランシルヴァニア、ブゴヴィナの領有を保証された
ため、1916年に連合国側に立って参戦します。
ところが、連合国の支援が不十分で、特にロシア軍が足を引っ張り、国内を
蹂躙され、4ヶ月で全土を占領されてしまいました。
>>458 age荒らし、全鯖対応、全自動というつわものスクリプトです。
461 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/26 17:46 ID:txh+iHdm
>460
迷惑な代物ですなぁ・・。
世界史でもモータースポーツでも見かけるのはそのせいですか・・・。
第一次大戦当時のRomania戦線については、Hans Carossaというドイツ人の
作家が、軍医大尉として従軍した有様を、「ルーマニア日記」という作品に
描いています。
彼はGoetheの弟子を自認し、その戦記文学は格調高い文章に仕上がっています。
ルーマニア日記は1924年に出版されたものですが、大戦当時の従軍体験を基に
描かれただけに、なかなか真に迫ってきます。
「九時になって、旗を掲げた一人のユダヤ教の指導者に導かれた、十三人のルー
マニア兵が、銃と弾丸を持って現れた。ドイツ軍と共に戦っていたハンガリー軍の
大尉に会いたいと申し出てきて、正式に降伏した。
その一幕は少しばかり芝居がかっていた。
芝居がかるとなると、ハンガリーの兵士達も、ルーマニアの兵士達も、我々ドイツ人
よりは遥かに上手に役をこなした。」
「我々みんなにとって、何よりも最大の苦しみは喉の渇きであった。
渇きは、飲むという事に対する酷い嫌悪感に結びついている。
血のべたべたと付いていた斜面から垂れてくる雪融け水の中には、始まっている腐敗
の兆候がたっぷりと溶け込んでいる。
だからそんな水で、紅茶さえ沸かそうとは思わないし、況や、飲み水に用いるなどとん
でもない話である。」
「到着した時はもう深夜だった。その村の名は覚えていない。どの家ももう歩兵で溢れている。
我々はやっと、住み手のない略奪された小屋に宿を見つけた。小屋には干草も未だ少しは
有った。
他のものは毛布と濡れた外套の下に身体を伸ばした。私の燃えさしの蝋燭は、ゆらゆらと
燃え尽きてしまう。今のうちに寝床を確保しなければ。」
今は岩波文庫から再版されているみたいですね。
463 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/04/29 00:34 ID:RJoKYga6
情報感謝です。注文してみよう。
464 :
名無し三等兵:03/05/01 12:05 ID:LTkdeomF
465 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/02 23:41 ID:vXSUEErr
>464
1TV局がでしょう。ハンガリー全体がとち狂っている訳ではありません。
ハンガリーの国会でも議員がこの件にふれて「日本に申し訳なく思う」旨
の発言をしています。当事者のTV局はちっとも懲りてないのが腹立たし
くはありますが・・・。
さて、Romaniaについてもう少し語ってみる。
占領後、屈辱的なBucharest講和条約により、主にBulgariaに領土を喪失
しますが、連合国の攻勢により、枢軸諸国が崩壊したため、占領状態は
無くなり、大戦後のどさくさに紛れて、兵をロシアと二重帝国に出して、ブゴ
ヴィナ地方、トランシルヴァニア、ベッサラヴィアを確保。
ヌイイー条約でBulgariaからドブルジャ地方を奪い返し、トリアノン条約でマ
ジャールからブゴヴィナ地方、トランシルヴァニア、そして、バナート地方の
3分の2を確保し、なおかつ、マジャールで戦後成立した世界で2番目のソヴェ
ト共和国の打倒に於いて白軍を支援し、更にサトマール、オラディア、アラド
を割譲させ、戦前に比べると国土と人口は倍になりました。
しかし、急速に領土を拡張したため、国内にはマジャール人を筆頭に少数民族
が25%に上り、国民国家から多民族国家へと変質していきます。
また、周辺各国からの領土の割譲による漁夫の利的国土拡張は、マジャール、
ソ連、ブルガリアとの緊張関係を生み出し、周囲に友好国は殆ど無い状態を
生み出します。
国内は一応民主政治が保たれていましたが、少数民族問題、農業問題で常に
緊張状態を孕んでおり、なおかつ、周辺諸国との緊張状態に伴う、軍事支出、
経済的自立のための工業化を外資に仰がざるを得ず、その発展を急速に進め
ることで、国の大部分を占める農民の反発を受け、遂にその政治体制は崩壊に
向かいます。
そして、1930年、皇太子時代に王冠を捨て、王位を息子に譲ったCarol I世が帰国
し、専横を始めるのです。
467 :
名無し三等兵:03/05/06 22:29 ID:ztTf06kE
>466
オラデアとアラドは行ったことがありますよ。
両方とも巨大な星型要塞があります。
アラドは現役の軍の施設なんで写真が撮れませんでした。
>467
ほえ〜、まだ軍の要塞だったのですか。
物持ちが良いというか何というか…何かこのスレみたいだ(w。
星形要塞の話はこのスレをず〜っと遡れば出ていますよ。
469 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/10 22:08 ID:3XfPFi6R
アラド要塞は軍の施設ですが、要塞機能としては使ってないでしょう。
外構部分は市民広場みたいになってますし・・・。
中はどうなってるのでしょうね。
470 :
名無し三等兵:03/05/10 22:12 ID:uqRixArG
珍しいんでマジャール語のF4Uコルセアの本買ったけど、結局写真を見るだけに終わった
471 :
名無し三等兵:03/05/13 23:19 ID:tC5kam/O
初めてレスさせていただきます。
私はこのテーマ・分野に関してはまったくの素人なのですが、こちらのスレの
過去の内容を見させていただくとオーストリア海軍に関する記述が結構多いの
に驚きました。
私はオーストリア海軍に非常に興味関心があるので、また何かのきっかけでこ
の話題に触れられればと思いレスさせていただきました。
472 :
名無し三等兵:03/05/14 06:59 ID:KIwaMTyb
このスレは面白そうだな。後でじっくり読もう。
473 :
__:03/05/14 07:01 ID:???
とりあえず、圧壊深度から一旦浮上。
>>469 流石に今の時代はちょっと要塞って…ですね。
中は兵舎なのでしょうかね。
>>470 むか〜しむかし、就職活動で上京したときに池袋の某模型店で珍しい
チェコ製F4Uを買った漏れ。
家に帰って中を開けてみると、胴体に湯が回って無くて、パーツがちょちょ
切れていたという悲しい思い出を思い出してしまいました。
>>471-472 いらっさいませ。
今はRomania話をボソボソやってますが、今度は二重帝国ネタでもやりませうか。
詳しい人も色々出入りしてますから、お気軽に(ぉ。
>>470 少しならハンガリー語読めまっせ.
ヒアリングで相変わらず苦労してますのやけど.
476 :
ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/14 23:46 ID:Pjo6ss4P
>474
歴史板のハンガリー史スレもホルティねたで盛り上がってますよ。
今月のARMSマガジンの巻末の連載でオーストリア海軍がチョコっとやってますよ