スチルウェル事件は、アメリカの世論の方向をかえてしまった。スチルウェル
解任までは、シェンノートはアメリカで、つよい支持をえていたが、スチルウェル
解任の陰謀に加担した結果、彼の人気はそこなわれた。
さらに重大なことには、シェンノートの行動によって、陸軍省内部の批判者は、
彼に対する反対の立場をつよめる結果となった。
シェンノートは、スチルウェルの後継者であるウェデマイヤー中将を信頼
していたが、ウェデマイヤーの上官であるアーノルド大将とマーシャル大将は、
もはや信頼できなかった。
彼らは、シェンノートの使用価値は、彼と蒋介石と合体したことによって、
そこなわれてしまったとおもっていたので、シェンノートは陸軍省によって、
指揮官という地位から早急に解任されることになった。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
陸軍長官のヘンリー・L・ステムソンは、マーシャルの意見に同意したばかりか、
さらに一歩前進していた。もしスチルウェルを召還するならば、彼と交代して中国
に派遣される者と蒋介石との関係を阻害する、重大な過失をおかすことになる、
という意見を、ルーズベルトに提出した。
陸軍省内のおおくの人間の意見を総合して、スチムソンは、蒋介石とシェンノ
ートに対抗して、スチルウェルを支持しなかったのは、ルーズベルトの失敗である、
となげいた。スチムソンは、シェンノートを、“最低の貢献で最大の援助をアメリカ
からひきだすために、蒋介石の手さきとして使われた男”と見ていた。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より