派手な戦歴は大型有名艦に奪われながらも、地道に己の任務をつとめ
あげた小艦艇たち。
ドッコイ、オレら大海軍の雑役夫。汚れ仕事もなんのその!!
とかく地味で目立たない彼らにも栄光の日々はあったはず。
お願いだからこんな彼らにも大いに語ってもらって、珠には日の目を見せてあげて。
時代・国名は問わない。あまりにもマイナーな存在ゆえ、ファンも少ないだろうが
以下の艦種たちだ。
潜水母艦・海防艦・河用砲艦・魚雷艇・駆潜艇・特設巡洋艦・特設監視艇
敷設艦、艇・給油艦・工作艦・標的艦・病院船・砕氷、測量艦
内火艇、カッター類・その他雑役船など
今日も浩平君と一緒に下校した。
結構遅くまで学校に残っておしゃべりしていたのですっかり遅くなってしまったけれど、
私は幸せだった。
「じゃあな、先輩」
「うん、ばいばいね浩平君」
学校から自宅までは目と鼻の先だ。
浩平君が手を離して、歩き出そうとした瞬間…。
「キキ――!!ドガッ!!」
すぐ近くでとんでもない音がした。
車のブレーキ音?そして何かを撥ねた音?そして…。
「へへ!ちょろいもんだな」
「おー、いたいた。さーてと!」
ドアが開く音がして、聞き慣れない男の人の声がする。
「え?え?」
戸惑う私の手を誰かが強引に掴み上げる。
「へっへっへっ!つっかっまえた〜と!」
「お〜〜!激マブじゃねーか、この娘か?お前の言ってた娘って?」
「そうそう、ところで知ってるか?この娘『盲目』なんだぜ」
「へ〜、そりゃ好都合だな、要は俺達が何したとしても『この娘には犯人が誰なのか
解らない』って事か?」
「そーいう事!」
「え?なに?何なの?」
そう呟いた瞬間、私の身体は見知らぬ手に無理やり引っ張られ何かの中に押し込められた。
「さあ、パーティーの始まりだ!」
男達が狂気乱舞する中、私はただ黙って震える事しか出来なかった…。
つづく
3
敷設艇が好きです。
でも、鋼製掃海艇のほうがもっと好きです。
モルモット掃海艦見たらよだれ出ちゃいます。
バリバリバリバリ・・・ヒュードカーン
戦後に南極観測船になった宗谷は戦中はどの艦種に属してたの?
運送艦ですね。
おいらの叔父は海防艦に乗ってたぞ。
ちゃんと終戦まで生き残ったんだから大したモノだ。
その代わり戦後、露に捕獲されて叔父はシベリアに行っちゃったけどね。
よく生きて帰ってきたよ・・・本当に。
>>6
戦前からの生き残り
ボロ船だったのを大改装して南極観測船にした。
魚雷も喰らったりしたが(不発)生き残ったんだよ。
プロジェクトXでやってた。
病院船といったら氷川丸。宗谷と同じく強運が売り。
12 :
名無し三等兵:02/03/23 23:18
宗谷は確か耐氷貨物船。
13 :
名無し三等兵:02/03/23 23:39
ボロチャエベツ>地領丸>宗谷
14 :
特設雑務艦隊:02/03/23 23:46
あと、付け足し。
小艦艇に乗り込んでいた人たち。
ヒューマンな方向の話も可とします。
日本軍の重武装掃海艇あそこまで行けば、カコイイ!
12センチ単装砲 3基とは…
日本の掃海艇は確か上陸地点の砲台との撃ち合いを想定していたんですよね(他の艦艇
に任せればいいのに何というか)。
実際、まんまの状況になって撃沈された艇があったと記憶するのですが
>>16 ワシントン条約などの規制を逃れるため、海防艦などの条約外の船にイパーイ大砲を乗せてどうにかしようとしたようだ。
>実際、まんまの状況になって撃沈された艇があったと記憶するのですが
海防艦だった(と、思う)けど「戦争論」で上陸支援の任務中(だったと思われる)船が一撃で轟沈してましたね。
実際には、何度も敵弾に被弾して沈んだようですが。船が沈む寸前まで撃ちつづけたいたのは本当のようです。うーん、凄い!
小ツッコミで悪いが、潜水母艦って小艦艇なのか?
19 :
特設雑務艦隊:02/03/24 08:15
>>18 実際には大艦の部類でしょうが、縁の下の力持ちとして確保します。
それに光人社「日本の軍艦」では第13巻 小艦艇I
PHP文庫「日本海軍艦艇ハンドブック」では(その他)に分類されてるようなので。。。
小艦艇といえばアメリカが戦争始める時に使う小道具だな。
1)どっかの小国の紛争・緊張地域に小艦艇を派遣する。
2)領海侵犯で撃沈される。
3)「攻撃を受けた」と言って戦争開始。
この手は5回くらい使ってないか?>アメリカ
>20
米西戦争の時は戦艦じゃなかったっけか?
>特設雑務艦隊 殿
水上機母艦はおやつに含まれますか?
浮上したガトー級の四〇ミリ機関砲でバリバリ反撃されて蹴散らされる駆潜艇には涙が出る。
小艦艇て事なら日本の海防艦粟国ですかねえ。ただ
船団護衛をしてただけなのに海軍型B24に対艦誘導
爆弾バットを叩き込まれて大破した相当難儀な船だから
なあ。
24 :
名無し三等兵:02/03/24 09:26
工作艦明石
日本海軍唯一の本格的工作艦
艦内には内地の工場にもない最新式の工作機械を備え、
トラック島でフル稼働して戦線を支えた
米軍の優先攻撃目標でもあった。
トラック空襲で沈没。
25 :
名無し三等兵:02/03/24 09:42
二代目大和
26 :
特設雑務艦隊:02/03/24 10:54
>>21 能登呂、若宮程度なら良いのじゃ?
過去に給油艦、二等海防艦としての艦歴も有ったぐらいですから。
能登呂の木製天蓋など個人的に見て興味をそそるオイシイ、パーツだと思います。
27 :
マリアナ太郎:02/03/24 11:01
>>24 トラックだっけぇ?
パラオだったような気がするのだが・・・・。
日振級全般なんてどうだい?
家のじいちゃんが改・日振級?の『四阪』に乗っておった。
東京に空襲にきたB-29に対して攻撃を掛けた事もあるそうで、
127粍砲は全然当たらないのに25粍だと撃墜が可能だったとか。
………25粍ってそんなに高いとこまで届いたっけ?
それとも、『味方にとっても鬼畜』ルメイの命令で低い所を飛んでいたせい?
29 :
名無し三等兵:02/03/24 11:54
日振クラスですな、船団護衛のはずがなぜかパラベーンを搭載したオチャメなところがカワイイ。
>パラベーンを搭載したオチャメなところがカワイイ。
オチャメというか、イージス艦に短魚雷というか(笑)
31 :
名無し三等兵:02/03/24 12:44
>>18 潜水母艦は軍艦(艦首に菊の御紋章つき)扱い
>>21 水上機母艦も軍艦
>>27 1944/03/30
パラオ西水道付近で二等駆逐艦若竹・第31号哨戒艇・工作艦明石・
運送艦佐多・石廊・大瀬、空襲により沈没…だそうな。
トラックから脱出途中の災難らしい。
>>28 四阪は公式には御蔵型に分類(一般的には日振型でOk)
海防艦に積んでいたのは120oですね(十年式45口径高角砲)
最大射高10.000mらしいけど砲側目視測距だし、分あたり
10発ぐらいしか射撃できないらしいから気休め程度か?
(連装・単装各一基)
96式25oは最大射高6.000mだそうです。
余談ですが…海防艦四阪は
1944/12/15日立造船桜島造船所にて竣工
1945/12/01特別輸送艦に指定
1947/07/06賠償艦として中華民国に引渡し
中華民国海軍軍艦「恵安」となる
1949 内戦により中共所属となる
以後不明
これも余談(w
同型の生名は海保の巡視船「おじか」として1963(S38)まで活躍。
(海防艦から気象観測船を経て巡視船になったのは計5隻)
32 :
河用砲艦一族:02/03/24 12:53
ゴルゥアー!!誰やワイを遊覧船みたい、いうてるやつはー^^
これでも菊のご紋はっつけてた時代もあったんや。
伊良湖みたいに、モナカや豆腐、こんにゃくばっかり作っとったんやないでー^^
家格がちゃう、家格が。
33 :
ろび太郎 ◆5r7LAros :02/03/24 13:12
魚雷艇のどこが悲惨なのだ?
「漢」を感じるフネだと思うのだが?
さ〜て、来週のサザエさんは? フネです(以下略)という突っ込みは
御容赦。
>33
いあ、>1が言いたいのは「このまま(ふれられないのは)悲惨」という
ことなのでわ(笑)
35 :
名無し三等兵:02/03/24 14:12
「宗谷」や「明石」がOKなら、給糧艦「間宮」は?
運送艦という肩書きながら、実際は動く食料工場。
まさに、縁の下の力持ち。
竣工から沈没まで、一度も予備役に入ることは無かった。
まさに、連合艦隊の雑役夫。
でも、15820トンもあるから、さすがに小艦艇とは言えないか。
36 :
ろび太郎 ◆5r7LAros :02/03/24 14:24
んーたしかに記録に残るような華々しい話は聞かない・・・。
37 :
ろび太郎 ◆5r7LAros :02/03/24 14:26
>>35 いかに縁の下の力持ちとは言え乗組員は
「オラも戦艦にのりて〜だがや!」とか
逝ってたろうな。
いや、特設水上機母艦とか・・・・
君川丸あたり、波で壊されても壊されてもひたすらアリューシャンに水上機を
運ぶあたりがなんとも縁の下。
南遣艦隊の香椎がいいです〜
重巡に偽装するため、煙突のダミーを付けてたり。
遺族会の写真集見せてもらいました〜
とぉう!
>33
ん〜、でもぉ。
日本の魚雷艇ってエンジンが悲惨だったから全然速度が出なかった
訳でぇ〜。
米国のPTに刺激されて、その対抗馬となるものを作ってみたところ、
凌波性は悪いし、速度も出ないし、武装も貧弱だし…で良いとこなかった
ような気がするわけでぇ。
試作品はイタリアのイソッタ・フランスキニとかドイツのダイムラーベンツの
エンジンを積んで、そこそこ性能が良かったけど、量産化する際にはそんな
エンジンは手に入らないから、トヨタのトラックのエンジンを搭載したところ、
25knotまで速度が落ちた、と。
無いよりましだから量産化してフィリピンとか、南洋で使ったんじゃなかったかな。
ところで、陸軍艦船についても此処に含めて良いのか知らん。
丸レ艇とか震洋とか・・・。
特四内火艇・・・ちと違うか。
>40
陸軍の「特潜特火点」だっけ?
変な潜水艦とかありましたね。
>41
SB艇とか大発とかマル輸艇とか…。
陸軍空母とかあきつ丸とか…。
>42
それはマル輸艇。
45 :
名無し三等兵:02/03/24 19:31
河川用砲艦「安宅」。
当初の計画通り「勿来」って言う名前だったら面白かったのにー(笑)
>44
失礼、S20に正式制定された「5式浮沈特火点」でした。
動けて潜水艦みたいなのはその2とか3型で、正式化には間に合ってません。
約7t。
47 :
特設雑務艦隊:02/03/24 21:25
>28
お爺さまが海防艦「四阪」に乗艦されていたとのこと。
輝かしき戦歴があった事、お聞きになってました?
45年6月26日横須賀より大湊方面へ「宗谷」を含む3隻の護衛中、
米潜「パーシェ」と交戦。これに対し爆雷16個投下小破させ、2隻は失いましたが
「宗谷」だけはなんとか守り抜きました。
48 :
名無し三等兵:02/03/24 21:32
給兵艦「樫原」忘れてない?
うっ・・・・・小艦艇・・・・萌え燃えだね・・・・。うちの知り合いが主力艦より大好きだって・・。
もっとこの手の艦艇の生産・配備・整備が早く始まってりゃー輸送船団の護衛とかで
実力を発揮・・できたかな・・・。
あの量産型の海防艦・占守級(?)が個人的に萌えるねー。
50 :
名無し三等兵:02/03/24 21:42
>>11も書いているけど、氷川丸は思いで深い船だなぁ。
うちの父親が山下公園のそばに勤めていてね、子供の頃によく「ひかーまる」に
連れて行ってもらったもんだよ。
当時は何もわからなかったけれど、この「ひかーまる」が戦前から活躍していた
ことを知り、プラモにまでなっていたんで驚いたよ。
51 :
名無し三等兵:02/03/24 21:59
給兵艦「樫原」忘れてない? てば。
大和級の砲弾運ぶだけに作られた輸送船の名前なんだっけ?
53 :
名無し三等兵:02/03/24 22:08
>>48 51
言いたい事はわかる。
だがな、「樫原」じゃなくて「樫野」だっつーの。
ちなみに、「橿原」なら香取型練習巡の4番艦だ。建造中に開戦で工事中止になったがな。
>>53 軍ヲタにとって致命的なミスを犯しました。鬱陀汁脳。
55 :
名無し三等兵:02/03/24 22:11
>47
な、なんと!!そんな話は聞いたことがなかったです。
祖父はあの船の軍医だったそうです。
まだ在命なので近いうちにまた話を聞きに行ってきます。
58 :
名無し三等兵:02/03/24 22:30
千葉の公園でつい最近まで静態保存されていた艦ってなんだっけ?
十年位前に見学した記憶があるんだけど。
59 :
名無し三等兵 :02/03/24 22:32
>>58 巡視船「こじま」。確かその前は海防艦だったような・・・。
60 :
名無し三等兵:02/03/24 22:40
>52 55
砲弾、じゃなくて砲塔だけどね。
ちなみに樫野は11000tもあったんで、やっぱ小艦艇とは言い難い。
61 :
名無し三等兵:02/03/24 22:43
輸送艦2号萌え〜♪
一度間宮の洗濯板を食ってみたいよ。
横須賀の海軍カレーみたいにどっかが特産品として売り出さないかな
63 :
特設雑務艦隊:02/03/24 23:22
給糧艦「伊良湖」 いらこですよ、いらこ。語感的にも給糧艦がハマリですな。よく命名したと思う。
戦艦いらこ?(笑)いくらなんでもねー
ちなみに伊良湖の一日の食品生産能力
食パン2500キロ、菓子パン一万個、大福もち一万個、饅頭二万個、最中6万個、羊羹2200本
飴1200キロ、ラムネ7500本、アイスクリーム5000個・・・・・
これじゃあ、福留のどアホがよう肥えるわけですな!
64 :
名無し三等兵:02/03/24 23:25
ここは帝国海軍艦艇のみですか?
65 :
名無し三等兵:02/03/25 00:01
>63
何人ぐらいの乗員数でしょうか?
すごい生産能力ですね。
>64
MTBとかSボート、Rボートとかですか?
>65
425〜361名で随分幅があるんだけど…。
67 :
名無し三等兵:02/03/25 04:39
特二式内火艇
艦艇じゃないか・・・
68 :
特設雑務艦隊:02/03/25 21:51
雄雄しい艦名の多い帝国海軍艦艇の中でこれほど女性的イメージを連想させる艦艇は
無いのではないでしょうか?
その名は砲艦「舞子」 まいこと読みます。まあ、別な意味で女性をイメージさせる艦で
海防艦「満珠」 マンジュ がありますが、私の知る限り「舞子」がトドメを刺すのではないでしょうか?
「マイコ」は帝国艦艇ではありますが、ポルトガル娘でありんす。
明治42年イギリス生まれ、ポルトガル政府マカオ警備艦としてそのまま、「マカオ」を名乗っておりました。
先の大戦で当時すでに年増ではありましたが、帝国海軍の旦那はんに接収ではなくお金を払ってもらい身請けされました。
今となっては、詳細なスリーサイズはわかりませんが小柄でありんした。100トンくらいでしょうか。
切った、張ったの修羅場の経験も特に無く平凡な一生であったと感じております。
69 :
へんくつ海軍好き:02/03/25 22:08
>68
でもお仕事は砲艦だからある意味では一番切った張ったをやる艦種ですね。
小さくても組ならぬ国の御紋を背負ってシノギをば。
それに旦那ハンはこけて取られてますから、葡→日→中とその流転だけで
充分波瀾の生涯かも。
>68
スリーサイズでやんすが。
133トン・36.5×6×0.6メートル。
ヤーロー缶で250馬力を出し、11.8knot。
6ポンド(57ミリ)単装砲×2、機関銃2丁で乗員24名。
と、このようになっておりやす。
各国の河用砲艦も味があってよろしいなぁ。
旧イタリアの鳴海なんつ〜のも。
71 :
名無し三等兵:02/03/25 22:32
沈んでいた帝国海軍の海防艦?を引き上げて、海自が
護衛艦として暫らく使っていた船があったはずだが。
米国貸与のほかの船とスタイルが異なり、なかなか
味があった。
なんと言う名前だったか? 「わかば」だったかな?
このスレを見てひさしぶりに思い出しました。
>71
それは丁型駆逐艦
73 :
名無し三等兵:02/03/25 22:45
74 :
特設雑務艦隊:02/03/25 22:47
>69
>70
了解しました。イタの先達たち、宜しくご指導願います!
75 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/25 22:56
コンクリート船萌え〜♪
>75
広島県の安浦にあったりして。
>75
遂に降臨されまいたな!ベータ藤原さん。もっとカキコ
78 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/25 23:11
>>76 さま
>コンクリート船
この前、見てきたし〜♪
仕事の休憩中、抜け出して見に行ったんですが、率直な感想を言うと、
「良くこんな船が浮かんでたなぁ……」
でした。
船倉には水が入ってて底は見えませんでしたが、案外深そうでした。
79 :
へんくつ海軍好き:02/03/25 23:20
コンクリート船って国策丸とかそういう類のやつですか?
今読んでる本にこんな艦が…。
260総トンの元ロシアの捕鯨用貨物船、明治37年2月10日に捕獲されたもの。
明治38年7月4日に雑役船(潜水艇母船)に編入され、大正9年に潜水艇母艇に
類別され、昭和2年に除籍。
ロシア時代の元の名前は「アレキサンドル」。
で、中国での当て字を用いて、「歴山」となった。
(ちなみに、エジプトのアレキサンドリア市は「歴山府」と言うらしいし、アレキサン
ダー大王は「亜歴山大王」とか「歴山大王」という字を充てたとか。)
この艇が歴史に名を残したのは明治43年4月15日のこと、第6潜水艇遭難時に
その母艇となっていたもので、その捜索・救助に当たったことで知られている。
戦後の航路啓開業務でも活躍した駆潜特務艇をほめてやりたい。
木造であったため、掃海に大活躍。
逆にイマイチであったのは掃海特務艇。
鋼船だったので、磁気機雷に弱かった・・・・。
>>79 へんくつ海軍好き さま
その通りです。
ちなみに私が見てきたのは第一第二「武智丸」です。
83 :
へんくつ海軍好き:02/03/26 20:00
>82
ぐわあ。まだあったんですねえ現物。若松港の駆逐艦桟橋な
のてのは丸系の本ではよく見ましたが、驚きましたですハイ。
考えたらコンクリート製なら桟橋や防波堤にはうってつけな
ものですね。
84 :
名無し三等兵:02/03/26 21:00
85 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/26 21:05
仮装巡洋艦をマラッカ海峡に送って海賊どもを蹴散らせてしまえ!!
87 :
へんくつ海軍好き:02/03/26 21:50
>86
第24戦隊(愛国、報国姉妹)おもいだして鬱になるの漏れだけでしょうか。
その話題。
88 :
名無し三等兵:02/03/27 20:33
砕氷艦「大泊」(おおどまり)は、どんな生涯だったっけ?
写真だけはあちこちで見かけるが。
>>85 ベタ藤原様、ありがとうございます!
コンクリート船って以外と奥が深いですね(w
私的にはリンク先の戦時標準船にも興味がありまして、
なかなかいいものを見させていただきました。
戦標船の武装、または船舶砲兵関連のサイトを探しているのですが、なかなか見つからなくて…
情報お待ちしてます!(スレ違いですみません)
鵜来級萌え萌え!!
でも、ござしいて、毛布で寝るというのは
やりすぎでは・・・。
一号型もイイ!!
91 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/29 20:02
>>91 ベタ藤原様、そうだったのですか。
どうもありがとうございました。砕氷艦では船体の老朽化も
早かったのでしょうね。
わ〜い、魚雷艇で〜す。
実は、日本軍の戦艦に真っ二つにされました。
悲しい〜な、しかし、艇長さんは大統領になりました。
94 :
名無し三等兵:02/03/29 21:40
合板木製だからね。
マッカーサーがフィリピン脱出したのもこれだよ。このときは乗せるやつと置いてくるやつを間違えたってローズベルトにこてこてに怒られたんだよ。
95 :
Mr.ダイオキシン ◆kmNaURZ6 :02/03/29 21:49
13号駈潜艇なんてどうでしょう。
96 :
名無し三等兵:02/03/29 21:49
駈? どうやって出したの?
97 :
名無し三等兵:02/03/29 21:58
>>85 毎日、音戸の漁港の所を通るけど、コンクリ船だったとは、(驚)石碑も航空
戦艦伊勢のものかと勘違いしてました。
98 :
名無し三等兵:02/03/30 01:03
海洋観測船「海洋」クラス(277t)にも萌え。
軍令部→鎮守府の作戦系ではなく、海軍大臣→水路部
という軍政系に属するフネ。
同クラスの「第5海洋丸」は戦後、ベヨネーズ列岩の
海底火山の爆発(明神礁)により沈没。
99 :
名無し三等兵:02/03/30 04:36
>>93 戦艦じゃねえだろ、駆逐艦『天霧』やろが。
100
101 :
Mr.ダイオキシン ◆kmNaURZ6 :02/03/30 20:41
>96
”く”で探しました。
102 :
名無し三等兵:02/03/30 20:47
面白そうなスレだね。
後で来よう。
>99
93は朝日新聞の読みすぎと思われ
104 :
名無し三等兵:02/03/30 21:33
105 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/30 21:40
ソ連の河川砲船(?)にT−34の砲搭が付いてたのには笑ったな(^^;
106 :
名無し三等兵:02/03/30 21:47
>>105 河川用モニターというのが正式呼称では?
確かT62あたりの砲塔が埋め込んであったと
思われ。
107 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/30 21:51
>>106 さんへ
『河川用モニター』と『河川砲艦』とは別物なの?
今月の『丸』のグラビアページに、その『河川用モニター』が載ってたんだけど、
それはT−34だったよ。
108 :
名無し三等兵:02/03/30 22:01
帝国海軍のことは知らないが、
海自の初期の主力だったPFも今となっては懐かしいな。
「さくら」とか、木の名前がついたのが、長浦の海に
浮かんでたもんだ。
世艦の写真でも省みられることなく、気の毒。
>107
モニターは浅喫水の船体に大口径砲を搭載してるんだべ。
河川用砲艦は小さいけど、外洋航行能力もある程度あったべ。
んだども、砲自体はそんなに大きくないべ。
日本でも89式の57ミリ砲を搭載したAB艇が建造されたべ。
ロシアのこと笑えないべ。
>107
>109の補足
『モニター』は南北戦争の同名鑑が原形であり基本的に
低乾舷砲塔式装甲艦をさします。
Tー34砲塔のその船は第二次世界大戦の「BKA 1125」型ですが、
モニターや砲艦より小型のこの船は『砲艇』(モーターガンボート)
と分類されるようです。
>>109 眠い人 さま
>>110 さま
教えていただきありがとうございます。
サイズ的には、
「河川用砲艦>モニター>モーターガンボート」
なんですかね?
しかし、なぜ、眠い人はなまってるの?(w
110ですが書き込んでから調べ直したら、
「BKA 1125」型は『砲艇』(モーターガンボート)より
アーマードボートと表記している資料が多いですね。
『装甲艇』と訳すべきか?
>111
モニターっつ〜てもえげれすのもので一番大きいのは38.1センチ連装砲を
一基装備しとって、8000tクラスなんだべ。
河川用だと、例えばM15で23.4センチ単装砲装備で540t、それより軽易な
M29で15.2センチ単装砲2門装備355tだべさ。
一方の河川用砲艦はFly級で98t、10.2センチ砲1門、Insect級だと、645tで
15.2センチ単装砲2門になるべ。
んだで、「モニター>=河川用砲艦>>>モーターガンボート」になるべ。
ち〜と北の人と仕事してたら訛りが移ったべ。
114 :
名無し三等兵:02/03/31 03:33
交通船『飛鳥』
115 :
名無し三等兵:02/03/31 22:18
マインボートなどはどう???
116 :
名無し三等兵:02/03/31 23:36
宗谷の名は海上保安庁が持っているみたいなので、次期砕氷艦につかないか。
117 :
名無し三等兵:02/03/31 23:40
じゃあ、太郎か次郎に決定!
わんわんわん
118 :
名無し三等兵:02/04/01 02:16
アリ輸送の大発なんかも悲惨。
>118
小艦艇発掘スレになって来たなあ。プロペラ艇といってみるテスト。
ゲタ船で23cm砲搭載・・・・横に向かって撃てたのだろうか?と、ちと不安(笑)。
121 :
名無し三等兵:02/04/01 22:58
マイナーな艦を挙げて喜んでるだけじゃなく、もー少し詳しく語ろう。
っつー訳でガイシュツだが砲塔運搬艦「樫野」。
任務から言って内地を離れることはほとんどなかったと思うんだけど、高角砲と機銃
積んでるんだよね。何考えてるんだ?
あと、17年9月に本土近海(台湾だったか?)で米潜に速攻あぼーんされてるんだが、
信濃以降も大和型戦艦作るんだったらやっぱもっぺん作ることになったんだろうなあ。
122 :
名無し三等兵:02/04/02 16:30
>>121 『艦長たちの太平洋戦争』に「樫野」艦長が取り上げられて
いましたね。
高等商船出身の方だったと記憶していますが…。
123 :
名無し三等兵:02/04/02 16:49
>>121 砲塔を運ぶフネゆえ「武蔵」の主砲3基をお役御免。
以後は輸送艦となり、釧路から原木を運んだり、海南島
から鉄鉱石を運んだりしていたそうな。
17年9月に台湾〜沖縄間で米潜の雷撃によりあぼーん。
124 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/04/02 20:09
ドイツの夜間戦闘機指揮船『トーゴ』の事を知ってる人、誰か居ません?
125 :
名無し三等兵:02/04/02 20:22
ミサイル艇配備記念@舞鶴
>124
最初に夜間戦闘機指揮船に改造されたのは、ヴィシーフランスの貨物船St.Odette。
これが徴用され、Odysseusに改名された。
この船は武運拙く、1942.12.28に英国の潜水艦によって撃沈される。
次いで改造されたのが、同じくマルセイユで捕獲されたフランス貨物船で、これは、
Kretaと改名され、1943年に完成したが、イタリア降伏で兵員輸送船にされ、コルシカ
からの撤退に使用され、1943.9.21にこれまた英潜水艦に撃沈。
それ故南部戦線での指揮艦は高速で小回りのきく方が良いと言うことで、ユーゴより
イタリアが鹵獲した駆逐艦Dubrovnikとイタリアの駆逐艦Corsaroを接収し、主マストに
フレアレーダーのアンテナを搭載し、ピケット艦として使用した。
で、本題のTogo。
前身は1938年進水のディーゼル貨物船Togo。
ドイツ海軍徴用後、1940年に敷設艦、1942年特設巡洋艦(14号艦Colonel)
に種別変更されたが、爆撃により損傷。
1943年にデンマーク海峡のギャップ解消を目的として本国の夜間戦闘機
指揮艦となり、Togoに再改名。
前部にフレヤレーダーアンテナ、後部にヴュルツブルグ・リーゼ・レーダー
を設置。
5,042総トン、5,100馬力、速力16knot。
武装:10.5センチ×3、40ミリ砲×2、37ミリ砲×4、20ミリ4連装機関砲×5+
フェーンロケットランチャー。
この艦は大戦を生き残り、1946年にアメリカに引き渡され、アメリカはノル
ウェーに譲渡した。
ノルウェーではSvalbardと言う名前で使用され、1982年当時、パナマ船籍の
貨物船Lacasielleとして使用されている。
127 :
名無し三等兵:02/04/02 23:59
>>123 一応は「給兵艦」なのに、原木やら鉄鉱石やらってなんか情けない…
128 :
名無し三等兵:02/04/03 00:16
駆逐艦のような小艦艇は、商船の護衛から艦隊の防空や護衛まで何でもこなす。
多様性に優れた艦艇です。
その上、速度や航続性を重視したため装甲が薄く防御力が弱い。
だから大戦中はアメリカ軍は駆逐艦乗りを潜水艦乗りと共に最高に勇気あるもの達と称えました。
日本は馬車馬と同じと菊の御紋を掲げることも認められない補助艦艇と低く見なしましたが。
この辺が個人の才幹を重視するアメリカとともかくブランド嗜好に走りやすい日本人の違いでしょうね。
>127
情けないどころか海南島から鉄鉱石運んで来るなんて
46cm砲運ぶよりも何十倍も価値があります。
130 :
名無し三等兵:02/04/03 00:43
>>123 確か信濃の空母化決定が17年の6月。
砲塔運ぶ仕事がなくなった途端にあぼーんとは何だか出来過ぎですな。
しかし、新しい給兵艦作るよりは、砲塔残して儀装して、呉に回航して砲塔積んだ
方が低コストだったんじゃないかなあ。
なんか理由があってそうしなかったのかな。
>129
はげどー。
131 :
名無し三等兵:02/04/03 02:30
>>130 禿同!!
それと「樫野」最後の任務は、バリックパパンからニッケル鉱
を輸送するというもの。
この航海中に米潜の雷撃を受けた模様。
132 :
名無し三等兵:02/04/03 02:43
砲身を荷揚げする際、1本ずつ木の枠に入れ、その上から
黒い布で覆い、クレーンで持ち上げたそうな…。
隠蔽工作?…バレバレやんけ。
133 :
名無し三等兵:02/04/03 07:38
「樫野」だけで終わるのか?このスレ。
134 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/04/03 07:41
>>126 眠い人 さま
夜間戦闘機指揮船『トーゴ』の件、ありがとうございます。
『トーゴ』以前にもその手の船が作られてたとは知りませんでしたわ。
小艦艇の中でも剛の者達も語りたい。
やはり海上護衛戦、大井篤氏の「血沸き肉躍らざる戦記」どころか、意外と敵潜相手に奮戦しておる。
浮上砲戦を受けて立ったり、体当たりもしていたようだ。
136 :
名無し三等兵:02/04/04 03:35
昭和19年11月11日
第4号海防艦は、八丈島北方を航行中、搭載間もない
三式探信儀により敵潜水艦を捕捉探知し、爆雷攻撃を
敢行してこれを撃沈。
海防艦として初の単艦感状を授与された。
>137
しっかし、ひどいことする国ですなぁ・・・絶句。
>>97 さん
>石碑も航空戦艦伊勢のものかと勘違いしてました。
なぜそ〜ゆ〜勘違いをしてしまったのか、気になって仕方がないっす(^^;
なんで「伊勢」の石碑かと思っちゃったんでしょう? もし良かったら教えて
下さい。
戦争末期、海防艦第89号、150号、「屋代」の三隻が船団護衛中、イリューシン2型、
Yak9を主力とするソ連軍航空隊に攻撃されたが、迎撃に成功し、一隻の損害も出さずに虎口
を逃れている。
>137
解体/公園整備名目で、土建屋にカネ廻したいだけだろうに。
貴重な歴史/文化遺産をあんなやつらどもに、くーーーーーーーーっ。
ですな。
米国にある和製航空機は、絶対にこのDQNな国に戻ってこないでくれ。
142 :
名無し三等兵:02/04/05 01:26
>141
禿胴。フライアブルの疾風をおきものにした実績ありなDQN国ですからね。
モノの価値が判る者の手にあった方がいい。
そういえば大阪の公園で、旧海軍「大和」のマストを見たなあ。
適当な感じで保存されていたよ。朽ちるに任せてたtっていうか。
>31
海防艦「四阪」は何と1980年代まで中国で現役であったようだ。
"惠安"艦於1949年四月廿三日長江突圍之役由艦長吳建安中校帶領投共,
廿八日被空軍派機炸沉於燕子磯,後於1953年十二月廿四日
為中共航務工程總局第二工程隊撈起送上海整修,
1955年重新武裝成為中共之護衛艦,仍名"惠安";
1982年將火砲換裝為三門100公釐砲,四門37公釐砲.
"惠安"艦後成為中共唯一的一艘訓練艦,
直到1990年新的"鄭和"號訓練艦服役後方才除役,
目前北京軍史館有一艘"惠安"艦的模型.
(一說"惠安"艦取代了1954年五月十八日
被國府空軍4架F-47戰機於浙江外海草鞋嶼附近擊沉的
"瑞金"艦名,原"瑞金"號為一艘美製運輸艦所改裝的砲艦.)
「四阪」=「恵安」
>144-145
なんと………そうすると祖父は中国に旅行に行ったことがあったはずなので、
別スレに書き込んだ発言も船を観ての物だったのかもしれません……。
147 :
名無し三等兵:02/04/06 22:16
飛行艇母艦「秋津洲」などはどう?
148 :
名無し三等兵 :02/04/07 03:04
「雪風」は舵輪だけになって戻ってきた。
149 :
名無し三等兵:02/04/07 04:52
標的艦「大浜」。
航空機爆撃訓練用に建造されたが、竣工が昭和20年。
一度も爆撃訓練に使用されないまま、連合軍機の爆撃を受けてあぼーん…(涙
150 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/04/07 09:48
>146
お祖父様の発言とは何ですか?
解説きぼんn
152 :
名無し陸戦隊:02/04/08 01:50
「25トン型砲艇」
昭和15年〜19年にかけて80隻あまりが建造。
大陸特有のクリークに適し、大発の援護、沿岸での
匪賊掃討に活躍。
武装は13ミリ連装機銃1基を搭載。
ディーゼルで150馬力、速力11ノット。
153 :
Browney:02/04/08 02:11
日本の小艦艇は、人間魚雷の回天。
それに小火艇で突っ込むのもありましたな。
ボートで艦艇に突っ込むなどイスラム原理主義がイージス巡洋艦に突っ込んだ例を思いだすが。
ともかくあまり良い印象はないですね。
大量の魚雷艇で敵を攻撃するというのもあったが、それにしても結果は悲惨きわまりなかったからな。
小艦艇というのは、結局のところ。沿岸部の防衛など役目が限られてるし。
154 :
名無し陸戦隊:02/04/08 04:10
「25トン型砲艇」
戦後、海上保安庁が所有した「しらうめ」「あさぎり」
「はつしも」「あきしも」「きよしも」の5隻はその
後進。
千葉市議会の議事録がネットから検索できまっせ。
http://www.db-search.com/chiba-c/ 「海洋公民館」でサーチすると色々出てきて面白いですが、喋ってる内容には暗然とさせられますね。
http://www.db-search.com/chiba-c/dsweb.cgi/document|1|guest02||14683|1|1,-1,1|1047|32666|1,-1,1|1047|32666|5,4,1|1|1|20479|74|1,0,0|1,0,0#hit0 http://www.db-search.com/chiba-c/dsweb.cgi/document|1|guest03||14293|1|1,-1,1|1047|32666|1,-1,1|1047|32666|3,2,1|15|19|10606|4|1,0,0|1,0,0 http://www.db-search.com/chiba-c/dsweb.cgi/document|1|guest03||14293|1|1,-1,1|1047|32666|1,-1,1|1047|32666|3,2,1|15|19|20479|52|1,0,0|1,0,0 http://www.db-search.com/chiba-c/dsweb.cgi/document|1|guest03||14293|1|1,-1,1|1047|32666|1,-1,1|1047|32666|3,2,1|15|19|18376|58|1,0,0|1,0,0 千葉市はどうも「市民ネットワーク」という左翼がかなりの勢力を占めているみたいですが、保守系の議員にとってすら「海洋公民館」は単なる小汚いハコモノだったんだなあという感じです。
まあなくなっちまったモンはしょうがありませんが、せめて海の科学館の二式大艇は雨ざらしにしないでくれ〜
http://www.db-search.com/chiba-c/dsweb.cgi/document|1|guest03||14293|1|1,-1,1|1047|32666|1,-1,1|1047|32666|3,2,1|15|19|18376|58|1,0,0|1,0,0 市議会議員山口晴美たんが、この国の地方左翼のあり方を端的に現わしてますねえ。
(1)まず脈絡なく「女性国際戦犯法廷」に言及。基地反対を主張。
(2)海洋公民館跡地は子供たちの遊び場にしましょう!
(3)ガイドライン反対!有事に千葉市が公立病院を負傷兵に優先的に提供するのは許されません。
(4)中国、韓国との友好を深め、フェスティバルを開きましょう。
ウヨサヨネタは専門板でやって欲しいなぁ。
荒れるから…。
救難曳船「栗橋」
1898年12月24日、スウェーデン海軍のサルベージ母船「Hercules」として竣工。
1905年5月、日露戦争に際して日本海軍が購入。
救難曳船「栗橋丸」(栗橋)と命名し、旅順港におけるロシア船引き揚げに活躍。
第二次大戦中は横須賀港務部に所属、戦後も生き残り、復員輸送船として使用。
1946年12月、第二復員省から大蔵省財務部に移管。
1948年5月1日、大蔵省から運輸省臨時掃海艦船部に移管され、巡視船「栗橋」として就役。
北方警備に従事。
1951年8月1日、海上保安大学練習船に変更され、所属は海上保安庁となる。
この間、第三管区海上保安部横浜海上保安部から広島海上保安部に移籍。
1954年6月15日広島海上保安部にて解役。
1955年3月解体。
意外に小艦艇の艦歴でも面白いものが多いようで。
慌てて購入したのって春日、日進だけではないんですな。
158 :
名無し三等兵:02/04/08 17:48
一寸の虫age
ウヨサヨネタはマズイね。スマソ。
とにかく二式大艇はなんとかしてくれ〜
>>159 さん
>とにかく二式大艇はなんとかしてくれ〜
え? 地方在住で良くわからないのですが、船の科学館にある二式大艇がどう
にかなりましたか?
二式大抵関連のスレにも乗ってますが
吹きっさらしで潮風にビュービュー吹かれております。
靖国の97式戦車も錆だらけですし、実に勿体無い話です
>>161 さん
ああ、そういう状況なのは知ってたんで一安心(?)なんですが。
「志賀」 の話しの後だったもんで、私しゃ、てっきり解体する話でも持ち上がった
のかと、早とちりしたもので(^^;
すみませんでした。
163 :
名無し三等兵:02/04/08 23:43
「駒橋」にも海上保安庁移管の話があったそうだが
老朽化がひどくて沙汰止みになったらしい。
>>151 さん
>お祖父様の発言とは何ですか?
大渦さん本人が書きこんでくれないんだけど、これじゃないかな?
名言スレにあった奴。
647 :大渦よりの来訪者 ◆Bzr3neko :02/04/06 00:16
「あの船は幸せだよ、国が滅びたあともあんなに大事に扱って貰えたんだから……」
個人的には名言だと思う、旧帝国海軍軍医であった祖父の台詞。
かつて乗っていた『四阪』の話をしていたとき。流石に寂しそうだった。
165 :
名無し三等兵:02/04/12 22:40
帝国海軍唯一の砕氷艦「大泊」はガイシュツ?
大戦中も地味ーに北方警備を続け、生き残るも老朽艦のために戦後まもなく解体。
引揚船に使われたかどうかは、手許の資料では確認できませんでした。
166 :
名無し三等兵:02/04/16 00:08
小艦艇age
167 :
名無し三等兵:02/04/18 00:05
>>165 氷に乗り上げて、ポンプで汲み上げた海水の重みで氷を割る、と言う、何だか迂遠な
方式を取ってたそうですな。
砕氷能力は1m厚の氷に対応していたそうだけど、流氷原では時速何ノット出たのやら…
>>164 すまそ、その通りです。気がつかずに放置プレイしてました。
>>151殿、申し訳ありませんでした。
>164 & >168
なるほどですね、
蘇聯制式100粍砲3門をもらった四阪=恵安と言い
これに対する
台湾に移った雪風=丹陽と言い・・・
170 :
名無し三等兵:02/04/23 22:23
砲艦「舞子」たんハァハァ…
171 :
名無し三等兵:02/04/23 23:14
満州国江防艦隊について語るのはアリですか?
そう言えば、今月の歴史群像太平洋戦史シリーズ37は、
「帝国陸海軍 補助艦艇」
だよ。
特設監視艇まで触れている。
お勧めかも。
173 :
名無し三等兵:02/04/23 23:42
海防艦丙、丁型、敷設艇、掃海艇(日)こいつら
統一船体にできなかったのか。
174 :
名無し三等兵:02/05/03 14:21
機関が異なるでしょ、丙型と丁型では。
丙と丁の船体は殆ど同じじゃなかったかな?
ただディーゼルエンジンの生産が追いつかなかったので、作成が簡単な
単式タービンにしただけで。
タービンの方が少し(1ノット位だったかな?)速度も上がったし作成はし易かったらしいが、
欠点は燃料を沢山積まねばならないので航続距離が落ちる事。
敷設艇は適当な商船を改装した特設艇が多かったんじゃなかったかな?
実際そんな凝った艦は要らないとおもうが。
海防艦と掃海艇って船体を一緒に出来るの?
そういえば日本の掃海艇って鉄製だったような・・・。
176 :
名無し三等兵:02/05/04 04:14
177 :
名無し三等兵:02/05/04 04:24
日本の補助艦船は一品モノが多いので好き。
>>167 それって砕氷船の標準的な氷の割り方だけど。
何故迂遠?
武装トロール
敷設艦<箕面>って可哀相・・・
軍艦籍に入っているという理由だけで解体されるなんて・・・。
しかも、数年後には同じ戦標船から改造した掃海母艦<桑栄>が就役しているし。
だったら、最初から解体なんかすなっ!と、言いたい。