昭和20年8月20日 ソ連軍 樺太真岡侵攻

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1名無し三等兵
この戦いについて色々と調べたいのですが、ネットではあまり資料となる
サイトもなく、ここにスレを立てさせていただきます。

率直に訊きますが、市街戦があったと思いますが
日本軍はソ連軍相手にまともに戦えたのでしょうか?
2巨大ネコ ◆rpNEKO/A :02/03/01 22:42
  ∧∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (,,゚Д゚)  < 走るのは面倒だがとりあえず2はgetしておく
  /  |    \_____
〜(,,_,,)
3名無し三等兵:02/03/01 22:48
少なくとも激しい戦闘があったとは思えない。ソ連側の資料に書いてあるのは
もっぱら占守島の戦いの方らしい。
>>1

●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を22
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1014529400/l50


5名無し三等兵:02/03/13 00:25
国境付近で、数の上では激しい戦いではなかったが、非常に少数の日本軍守備隊が、
T34を要する圧倒的な数のソ連軍を4時間足止めしたらしい。
6名無し三等兵:02/03/13 00:43
T-34だからまだ戦えた。
スターリン戦車だったら一方的にボコボコにやられた。
7名無し三等兵:02/03/16 13:42
樺太の戦闘は日本軍にとっては絶望以外の何物でもなかっただろうな。
真岡では、白旗を掲げて武装解除している最中に猛攻撃を受けたし、
停戦軍使が何回か問答無用で殺されているし。

資料がかなり少ない(資料となりうるものはソ連が没収したとのこと)
から忘却の彼方へ・・・
8名無し三等兵:02/03/16 13:46
興味はあるが実態がわからんので誰かロシアに逝って
資料を発掘すれ。
9名無し三等兵:02/03/17 23:34
ロスケは郵便局で死姦しました。
処女だったんだろうな・・・。
10名無し三等兵:02/03/18 02:06
前から思ってたんだが、千島、樺太、思い切って領有権を放棄して、それから協同統治(歴史的経緯を理由に)
するのはどうだろう。あの辺りは演習場として最適だし、経済開発、融資を大量に行えば、そのうち買収もできるんじゃないか。
11名無し三等兵 :02/03/18 02:21
>>10
領有権放棄したら共同統治も危ういでしょ。
ロシア人が唯一敬意を払うのは力ですぜ。
12名無し三等兵:02/03/18 02:23
>>11
海陸空自衛隊で大演習を樺太でやるのは?
経済効果が大きいからロシアは了承するだろうし、力の誇示にもなる。
13名無し三等兵:02/03/18 02:25
つうかとうの昔にサンフランシスコで北千島と樺太は放棄したろうが。

あれを「放棄してない」と言い張るのは共産党と右翼だけだぞ。
14名無し三等兵:02/03/18 02:28
>>13
ハァ?右翼?
幕末に樺太にいた日本人を虐殺したロシアの蛮行を知らないで逝ってんのか?
15名無し三等兵:02/03/18 02:31
>>13
ロシア人ハッケン!
16名無し三等兵:02/03/18 02:32
北千島は放棄したが南樺太には言及してなかったと思ったけど、違ったっけ?
実質的には放棄だけどね。
いずれにせよ北方四島に関して、ムネオみたいな物言いは言語道断だな。
17名無し三等兵:02/03/18 02:35
 第二章 領域

第二条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接す
る諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

http://duplex.tripod.co.jp/joyaku/js27-5.htm
18名無し三等兵:02/03/18 02:35
>>8
ロシア人が本出してたよ。
パブロフみたいな奴ではないから一度読んでみたら。
19名無し三等兵:02/03/18 02:50
>>17
17じゃないけど補足しておこう。
SF条約についてはソ連は調印を拒否。
ということで連中もこの条約の効果を受けることはない、というのが我が国の立場。
平和条約が締結されるまではね。

20名無し三等兵:02/03/18 02:56
>>19
んな事は知っとるよ。放棄したという事実を指摘しただけだろ。
じゃあ付け加えるか。「一方的に」放棄したと。満足か?

日ソ共同宣言

http://www.room.ne.jp/~lawtext/1956T020.html
9【平和条約・領土】
 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。
ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。


この後ようやく「領土問題として国後島・択捉島の問題が存在」する事が確認
されて今に至ってる訳だろ。

だから「そんな時点で騒ぐのは右翼と共産党」と言ったんだ。

オマケだ共産党の見解を乗っけてやるよ

http://www5.ocn.ne.jp/~jcpc-net/siryousitu/territory/a6505.htm
21名無し三等兵:02/03/18 03:07
http://www5.ocn.ne.jp/~jcpc-net/siryousitu/territory/a690306.htm

おっとスマン意図的に間違えた。しかしどうやらソ連と仲が悪かった日本共産党
も樺太まではヤヴァイと思ったらしいな。こりゃ勘違いだったようだ。スマソ。
22名無し三等兵:02/03/18 20:10
サンフランシスコでは、北千島放棄とは言ってない。放棄したのはクリール(千島)
後になって、南千島は別なんて、一休さんみたいなこと言ってる。
乱暴者あいてにとんちが通用するのか、お笑いねたとして見物させてもらおう。
23名無し三等兵:02/03/19 18:34
22だが。要するに、恥ずかしくて死にそうなんだよ。そういう主張するの。
大油田が眠っているとでもいうのなら、少々恥ずかしくても我慢するが、あの程度の島のことで名を捨てたくはないね。
24名無し三等兵:02/03/19 19:13
>>23
もう黙れ、吐き気がする。
25名無し三等兵:02/03/19 19:24
そうだろう、吐き気がするだろう。それが恥の感覚というものだよ。
26名無し三等兵:02/03/19 19:55
>>1 あるいは誰でもよいから聞きたいのだが 8月15日に降伏している
以上ソ連軍が 樺太であれ千島であれ 日本本土であれ「侵攻」してくるのは
法律上は何の問題もないと思うのだが? 日本側が抵抗したならそちらが問題。
27鉄板住人:02/03/19 20:05
日本の法律?ソ連の法律?後付けの法律?
そもそも双方の秩序の解釈の違いにより撃ち合いに
なるのでは?

厚木基地を爆撃しながらマッカーサーが降りてきても
ミズーリーが景気付けに艦砲射撃しても法律上の
問題はない?

よくわからん。
28鉄板住人:02/03/19 20:10
アメリカ軍による占領は受け入れるが
ソ連軍による占領は受け入れない、という
態度が交戦理由なら、日本側が問題だと思う。
現実問題として選択の自由はない。

でも確か、降伏の軍使を射殺したんじゃ
なかったっけか<ソ連軍
何が何でも交戦して占領という実績を
つくるためじゃないのかなと邪推してみる。
29名無し三等兵:02/03/19 20:32
樺太については知らないが、少なくとも占守島については

149 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2000/12/10(日) 01:18
過去ログ全部見ましたが、どうやら皆さんの理解がそれぞれでゴチャゴチャ
になっているようなので、手元の資料で占守島攻防戦の時系列を整理したい
と思います。

・15日 終戦。同日、ソ連司令部は千島・南樺太への侵攻作戦を下令。
 占守島へは「奇襲上陸の後、攻略せよ」と戦闘行為を容認している。
・16日 大本営陸軍部、大陸令一三八六を発令。戦闘行動の即時停止、
 しかし自衛のための戦闘は容認している。これによると、18日午後4時
 が全戦闘の完全停止日となっている。
・同日 占守島守備隊第91師団、連合軍軍使が到着したときに速やかに
 武装解除に移れるよう、武装解除準備を命令。
・同日午前 島北端国端岬にソ連偵察機来襲。午後三時、偵察機再び来襲。
・同日午後十時 ソ連軍、ソ連領ロパトカ岬より国端岬沖合の沈船に対し
 て砲撃。当時沈船は海軍の洋上砲台となっており、また竹田浜への砲撃
 のための標定砲撃と思われる。
・17日午後1時 ソ連軍戦闘機五機、竹田浜周辺の陣地を爆撃。
・18日午前0時 ソ連軍、ロパトカ岬の砲兵隊と海軍艦艇で、竹田浜
 周辺へ砲撃開始。第91師団、自衛戦闘を開始すると同時に、第五方
 面軍司令部に対しその旨連絡。
・同日午前1時 ソ連軍、竹田浜に夜間上陸を開始。同刻、第五方面軍
 司令樋口季一郎中将、占守島守備隊に対し正式に自衛戦闘開始を指令。

たぶん、皆さんご存じなのかも知れませんが、時系列はこのようになっていま
す。見にくくてすいません・・・。
これを見ると、ソ連軍の攻撃がいかに国際法上でも不法な物だったのかが解る
かと思います。
すいません長々と・・・。

以上過去スレより。
30名無し三等兵:02/03/19 20:35
占領に関する国際法というものもあるわな。

非戦闘員の安全・生活の保障、
戦闘員に関しては捕虜としての待遇を保証しなければいけない、といった。

ポツダム宣言の受諾が、真に無条件降伏かどうかについては議論があるが、
無条件降伏といっても、様々な国際慣習や慣習として遵守されている国際法、
そして自然法に基づく権利を侵す権限は、占領軍にはない。
31ばばぼん♪:02/03/19 20:41
え〜、法的なアレとかはともかくといたしまして、
「千島・樺太での対ソ戦について知りたい」という方には、
中山隆志著「一九四五年夏 最後の日ソ戦」をお勧めいたします。
著者は元防衛大教授。初版は国書刊行会から1995年に出てます。
去年、中公文庫から文庫版が出ました。こちらはまだ十分入手可能です。
32名無し三等兵:02/03/19 20:42
ソ連を擁護するつもりは全くないが 黙っていても 武装解除・占領できるなら
なぜ血を流す馬鹿な真似をする必要があるのか?
日本軍にも ソ連には降伏していないorしたくない とおもっていたのでは?
北海道に侵攻したいのなら なおさら・・・
>32
だって、既にアメリカと対立関係に入り始めていたでしょ?彼ら。
このまま行ったら、欲しくて欲しくて仕方がない南の不凍港を持って行かれちゃう。
でも、真っ当に行ったら絶対手に入らない。
そこで、武力使ってでも攻め込む価値はあると判断したわけだ。
34名無し三等兵:02/03/19 21:13
「生きて虜囚の 辱めを受けず」がしみついている将校なら降伏より 抵抗して
玉砕を選んだだろう。 戦う理由は後付け。
まして ノモンハン事件で 重傷を負って ソ連の捕虜になった将校が自決を
強いられたのをみていれば。
35壱学生:02/03/19 21:18
逆の立場から見れば、アメリカは日本を「アメリカに対して」降伏させるために
原爆を使用した、って言う研究もある。
欧州では「占領した国がその地域・国を占領・支配を継続する」っていう原則が
できちゃったもんだから(これも西側とソ連の対立の結果だけど)

すれ違いさげ。
>34
書き込みが日本語になっていませんが、どう判断すればよいのですかね。
何故に突然ノモンハンの話に飛びますか?
3734ですが:02/03/19 21:25
>>36
あなたの読解力の不足では? 他の人はわかりますね?
38軍オタ:02/03/19 21:26
>>37
全然。
39名無し三等兵:02/03/19 21:30
>>20-22
なんでそう意図的に間違った文章を引用するかねぇ

あまりにもおかしいと思ったので調べてきたよ。現在の日本共産党の主張だ。

http://www.jcp.or.jp/faq_box/02-0303faq.html
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/201005_faq_tisima_kaitetu_.html


〈問い〉 千島問題への日本共産党の立場は政府の「四島返還」とは違うと聞きましたが、どうしてですか。
〈答え〉 千島問題では日本共産党は、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の南千島と得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)
までの北千島の、全千島返還を求めています。

また、如何にも共産党らしい主張だなぁ。せっかくなら南樺太も…。
40賛成はしないが:02/03/19 21:33
もしも投降して生き残っても、屈辱に満ちた死を強要される羽目になる
そう考えて、どうせ死ぬならとなったと言いたい訳ね?
41名無し三等兵:02/03/19 21:45
>>32
フィンランド等でソ連がやろうとしたことを参考にすれば、
一挙・圧倒的に日本軍を撃破、
あとはプロパガンダで、この正面では、日本軍から攻撃を仕掛けたと主張、
国としての中立条約違反をうやむやにするつもりだったのでは、
と漏れは考えている。
42名無し三等兵:02/03/19 21:47
日本のここまでの経済復興は予測していなかったろうね。
43名無し三等兵:02/03/19 21:53
日本軍全体で見れば、ほとんどの部隊が、
いわゆる「陛下の命令」にしたがって素直に降伏している。

厚木の海軍部隊等と違い、それまで戦闘を経験していない部隊が、
あえて「陛下の命令」に反し、戦闘を開始(継続ではない)するには、
特別な状況=ソ連からの攻撃を考慮しないと説明が付かない。
44名無し三等兵:02/03/19 21:57
首相・陸軍大臣東条英機の「戦陣訓」と、
「大元帥」の降伏命令、どっちがおもい?

旧陸軍軍人で、東条英機の方が重要、なんて答える人間、いるのか?
45名無し三等兵:02/03/19 22:24


中公文庫にこの戦い扱った本があるぞ。
46ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/03/19 22:42
ロシアは半永久的に返さないだろうね。
彼等は北方領土問題なんてないと言っているよ。
ロシア固有の領土だってさ。
47名無し三等兵:02/03/19 22:45
葛根廟事件はかなり腹立つぞ。
葛根廟駅近くの平原に逃れてきた婦女子を大半とする2千余人の日本人避難民が、
ソ連軍機甲部隊に追い付かれたんだ。
まず、戦車隊の14台が避難民を蹴散らし、踏み潰していった。
それを向かいの丘で見ていたソ連兵は「まるでマッチの軸がはねられ、潰される
ようであった」と証言。
さらに、自動車隊からソ連兵が降りて来て、マンドリン(機関銃)掃射を幼児にも
情け容赦なく浴びせ掛け、最後に銃剣でトドメを刺していった。
あたり一面は血の海。なぶり殺しにされたのは千数百人。
「ソ連が満州に侵攻した夏」半藤一利(文芸春秋)より。


339 名前:こぴぺ 投稿日:02/03/19 19:56 ID:/e/IkGUs
ドイツには今でも「ドイツ人女性に1940年代後半のことを聞いてはいけない」という言葉があるそうです。

満州のある都市での出来事。侵攻したソ連軍は、日本人女性200人を一般人が大勢いる路上で白昼堂々、強姦しはじめた。4歳から70歳を超える老人までが輪姦された。悲鳴、嗚咽、絶叫、その場は地獄となった。
舌を噛み切って自ら死を選ぶ者、噛み付いた挙句に撲殺される者、中には性器を抉り取られて殺害された人もいたという。

たまたまある列車を覗いた者は悶絶した。そこには日本人女性3名が素っ裸にされ、虫の息で横たわっていた。一人は恥毛も十分に生え揃わないあどけなさを残す少女で、恥部が青黒く腫れ上がっていた。

ソ連軍の進駐当時のハンガリーのブタペストで起こったこと。
街は廃墟と化した。ソ連軍は瓦礫に埋まって怪我で苦しむ女性を引きずり出し輪姦した。その極悪非道さは、市民の憎しみを駆り立てたという。
48名無し三等兵:02/03/19 23:03
>>32・34
降伏後のソ連の不法攻撃に驚いた日本側は、在マニラの米軍司令部に停戦仲介を依頼
している(「流氷の海」光人社)。
全責任はソ連側にあり。

>>37
意味不明。
49名無し三等兵:02/03/19 23:45
最近、意味不明のレスをして、「読解力の不足」とか言う奴多いな。
公共の掲示板なんだから、読みやすい文を書くように心がけろ。
50`ddd:02/03/19 23:48
ロシア人ってDQN?
51名無し三等兵:02/03/20 00:47
みんな、そろそろ取り返しに行こうか?
休憩は十分だろ?
52名無し三等兵:02/03/20 00:49
気分的に言えばロシアがボロボロになって
「申し訳ありません!どうか受け取ってください!謝罪も保証もしる!」
と言って来るまで放置プレーでかまわないような気がするが
53名無し三等兵:02/03/20 00:57
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1014989961/
から、意味のありそうなレスをコピペ。
あっちすぐ無くなりそうだし。

4 名前:名無し三等兵 投稿日:02/03/17 03:39
 他スレからのコピペでよければ。

長門(艦齢25年) 妙高(艦齢16年) 涼月(艦齢3年)
鳳翔(艦齢23年) 高雄(艦齢13年) 冬月(艦齢1年)
隼鷹(艦齢3年) 酒匂(艦齢1年)  春月(艦齢1年)
葛城(艦齢1年) 潮(艦齢14年)   宵月(艦齢1年)
笠置(未完成)  響(艦齢12年)  花月(艦齢1年)
伊吹(未完成)  雪風(艦齢5年)  夏月(艦齢1年)

松型24隻  旧型駆逐艦6隻  水雷艇6隻  海防艦30隻

潜水艦
丙型2隻 伊-400型3隻(未完成2隻) 改甲型1隻(未完成2隻) 20 名前:名無し三等兵 投稿日:02/03/17 03:59
>>1
架空ではなく1945年8月22日午前5時過ぎ、ソ連の潜水艦に
襲われた3隻の樺太からの引き揚げ船の1隻・海軍の特設砲艦・
第二新興丸が魚雷攻撃を受け船尾を破壊されたが、とどめを刺すために
浮上してきた2隻の潜水艦と砲戦を交え、12サンチ砲と25ミリ連装
機銃で1隻を撃破、1隻に損傷を与えた。日本海軍最後の海軍魂をみせた
瞬間であった。
この戦いは、第二次大戦最後の海戦かあるいは、戦後、最初の自衛権発動
なのか、いずれにせよ第二新興丸は損傷しながらも留萌港に達した。
54アジア人民の声:02/03/20 05:59
ソ連軍の暴虐非道ぶりを言い立てる人の90%以上は 同時に第2次大戦中の
日本軍の残虐行為や 従軍慰安婦の強制連行は「絵空事」「中・韓の謀略宣伝」
と言っており その決まり文句は「皇軍が悪事を働くはずがない」なのです!
55名無し三等兵:02/03/20 06:03
某研氏の飛躍を再び!!                      

投票所 http://ccs.slyip.com:38420/test/vote/tvote.cgi?event=2chd
56日本人民の声:02/03/20 06:20
日本軍の暴虐非道ぶりを言いたてる人の90%以上は、同時に第二次大戦後
のソ連軍の残虐行為や、慰安婦を持たない現地調達の強姦は「絵空事」
「右翼の謀略宣伝」と言っており、その決まり文句は「赤軍が悪事を働く
はずがない」なのです!
57名無し三等兵:02/03/20 06:32
関東軍と朝鮮半島の日本軍がソ連軍に対して抗戦したら米軍はどうする
つもりだったんだろう?俺が関東軍の司令官なら避難民が米軍占領下の
南朝鮮に逃げられるように時間を稼ぐけど。
58名無し三等兵:02/03/20 08:13
スレの流れからヤヤそれるが、郵便局ネタをTVで2時間程度のドラマ化をして欲しいな。
映画にするほどの濃い事件ではないけど最後のインパクトは強大だからね。

キャストは(叩かれるのを覚悟で言ってしまうと)若年層に見てもらうために、
モー娘あたりを黒髪おさげにしてな・・・
(黒髪にすると近所のネーチャンに成り下がるヤツもいそうだがそれもまた良し)

59あびき:02/03/20 17:39
沖縄のひめゆり部隊のことは教えても
樺太の郵便局の女学生の話は決して学校の授業で習うことはない。
「日本軍の民間人虐殺」についてはしつこいほど刷り込まれるが
葛根廟事件について教師が教えることはまずない。

>>58
腐れサヨクに支配されている民放が絶対にやるはずはない。
仮にやったとしたら、
「日本の加害を無視し被害ばかりを強調している」という投稿が
朝日新聞に載るのが関の山。

60名無し三等兵:02/03/20 19:42
>>59
確かにテレビアカヒはやんないだろうけど、
日テレではやらないかな?
61だけんちょも:02/03/20 19:50
>57
その親分がまっさきに逃げ出して
62名無し三等兵:02/03/20 23:11
ラストシーンはスローモーションで毒をあおって
もだえ苦しむところでテロップが流れ出す。

BGMは中島みゆき

ベタだがこれが良いの
63名無し三等兵:02/03/23 06:22
真岡には日本陸軍第88師団の兵士が防衛任務についていましたが、15日に
終戦となったため、憲兵隊の建物からも撤退しトーチカも存在せず、日本兵は
真岡の郊外の峠で避難民の流れを誘導しており、はるか後方にいました。
20日5時40分頃、真岡北方8kmの幌泊監視哨からソ連軍艦らしきものが
4,5隻幌泊に向かってきたが、すぐ方向を変えて真岡に向かったと真岡郵便局
に連絡があり、直ちに各方面に連絡された。大隊本部からの指示は「分隊は
現状維持、発砲は絶対禁止、ソ連艦艇の種類、数及び上陸の状況を報告せよ」
であった。仲川大隊長は直ちに聯隊本部に報告し、状況確認のため大和田少尉を
長とする将校斥候を市街に派遣した。ところが大和田将校斥候の報告に先立ち、
不意に猛列な艦砲射撃が始まり、真岡市街の一部が炎上しているようで黒煙が
立ち上がるのが見えた。
64浪人:02/03/23 08:56
ソ連軍は暴虐非道ぶりが有名なのは知っていたけどイマイチ世界には伝わってないと思うよ。
日本軍も戦争でいろんな犯罪行為を行なったのはたしかだけどソ連軍は酷かったらしいと聞いたことがある。
ソ連軍が占領した東独逸地域や満州・樺太(サハリン)地域で悲劇的な行為が行なわれたのは事実でしょう! 
戦争は酷いものです!
65名無し三等兵:02/03/23 10:21
>>9
今更ながら「九人の乙女」のことな。
実際はわからんがみんな若くして命を絶ったのだから悲劇だな。
66名無し三等兵:02/03/23 14:32
あっ 厨房が遣って来ました、軍事版の皆さんこれでお別れです。
さよなら〜 さよなら〜 
67名無し三等兵:02/03/23 14:40
?
68TAMAや:02/03/23 15:11
スンません。厨的質問なんだけど、満州方面で、終戦後、ソ連軍の侵攻を引き止め
て民間人避難の時間を稼ぐ為に、T−34相手に特攻作戦をやった航空部隊が
あったってほんとっすか?誰かマジレスきぼんぬ。
6963:02/03/24 08:40
ソ連側戦史では「真岡で激しい市街戦がり日本軍が頑強な抵抗を示したので反撃し、
多くの日本兵が戦死し、多数を捕虜にした」となっている。しかしこれは全くの
作り話しであることが判明している。
ソ連軍が真岡に上陸した際、真岡市街や港湾を守る戦闘部隊はなく、トーチカ
その他の防御施設もなかった。東側台上に配置された監視哨二個分隊も射撃する
ことなく荒貝沢に撤収していた。港湾や市街で攻撃され死傷し、捕虜にされたのは
ほとんどすべて一般人であった。鉄道や豊真山道沿いに後退したのも日本軍では
なく、必死の避難民であった。
不幸なことに警防団や国民服を着ていた人達が、軍隊と区別されずに特に狙われ
たようである。ソ連軍はここでも自ら作り出した幻影と激戦を交えたようである。
70名無し三等兵:02/03/24 09:50
ドイツや日本の部隊が降伏の軍使を送ってきた時、ソ連兵は何故即座に撃ち殺したのでしょうか?
降伏を受け入れて武器を捨てさせてから横一列に並ばせて穴を掘らせてバババ!!とやったほうが手軽な気がします。

下手に戦闘を起こしたら自分達が死ぬ可能性もあるのに・・・。
71名無し三等兵:02/03/24 10:03
手軽じゃないだろ。
戦闘下で射殺した方が手軽。
72名無し三等兵:02/03/24 10:50
>>70
その件に関しては、当のソ連側の記録が一切無いので、公式には不明のままですが、
当時、既に終戦はほぼ成立しており、
降伏を受け入れるとそのまま戦後調停の場に持って行かれます。
交渉の流れによっては、放棄しなければならないこともあります。
米英の横槍も十分考えられます。
ソ連側としては「完全勝利、占領済み」を既成事実としたかった、
というのが通説のようです。
73名無し三等兵:02/03/24 10:51
命令に 「戦闘し、」という一語が入っていたのかもしれん。

なんせ政治委員つきの軍隊、
命令を忠実に実行しなかったときリスクを考えると、、、

ソルジェニーツィンの本に書いてあったが、
スターリン下のソ連では、徹底的な計画経済のため
強制収容所に送り込む人員数にもノルマがあり、
担当者、少しでも怪しむ理由がある人間は、
無理矢理罪をきせて収容所行きにする状況だったそうだし。
(スターリンをたたえる拍手を、グループの中でいち早くやめた人間を
反スターリンでしょっ引いたとか。)
7463:02/03/24 16:27
悲劇であったのは、真岡の一般町民が幻の日本軍に擬せられたことである。
高橋町長は人々を非難させ、1人学校の仮町長室にいた。ソ連兵が侵入して
取り調べた時、英語で「町長、町長」と言ったが通じず、北浜町の岸壁に連行され
他の人々と一列に並ばされて、自動小銃を乱射され重傷を負った。逃げる民間人
は背後から無差別に射撃された。
これが「ドイツ国民が降伏を拒否して味わったような危険と破壊から日本国民を
回避させる(ソ連の参戦理由)」行為であろうか?逆である。
降伏を受け入れた無抵抗な市民を虐殺する戦争犯罪であった。
75名無し三等兵:02/03/25 06:30
ソ連軍の残虐行為を言い立てれば それで日本軍の 中国 東南アジアでの
蛮行が消え去るわけでも 免罪されるわけでもない sage
76名無し三等兵:02/03/25 06:41
中でも涙なくして語れないのは、通信維持のための電話交換という職務の
重要性を自覚し、優先引き揚げの指示を断って郵便局に残った9名の乙女
たちの最後」である。ソ連軍のあたりかまわぬ乱射乱撃の中で、彼女らは
最後まで泰然として職場を守り、いよいよソ連兵が迫るや静かに毒薬を
仰いで花と散った。「皆さん、さようなら、さようなら、これが最後です」
の言葉とともに、その短い生涯を閉じた健気な乙女たちの死を忘れること
はできない。
77名無し三等兵:02/03/25 06:44
日本軍の残虐行為を言いたてれば それでソ連軍の 満州 樺太での
蛮行が消え去るわけでも 免罪されるわけでもない
78名無し三等兵:02/03/25 09:19
>76
でも屍体を犯されてしまった、とかいうオチはないの?
79名無し三等兵:02/03/26 02:24
そんなことに興味を持つな。

まあ、どこの軍隊でもありますが、強姦とかってなんか惨いあね。
80鉄板住人:02/03/26 04:28
人間が丸くなってしまった時に読む良スレage
81名無し三等兵:02/03/26 06:16
仲川大隊長は当初から軍使の派遣を考え、発砲は禁止していた。谷間には依然
霧がたちこめており、霧の中で彼我衝突する事態も予想されたので、7時30分
頃、軍使の派遣を決定した。
8月20日早朝、大和田少尉は疎開荷物の荷役などの作業隊長として出発すること
になっていた。やがて霧の彼方から豊真山道をこの荒貝沢めざして住民がなだれ
をうって避難してくるのが見えた。避難民の中にはこの朝、引き揚げ船に乗りこむ
ばかりに用意していた人もいた。しかし、寝巻き姿のまま、胸元をはだけ、はだし
のままの人も多かった。砲声に驚いて寝巻きにゲタのまま飛び出したものの、
着替えに戻ることができなかったのであろう。途中ゲタを捨てて血だらけの足で
集団に遅れまいと必死の形相の人たちもいた。
大和田少尉はこの人たちを見ると、武装解除のため道ばたに積み上げてあった軍服
などの山に駆け上がり、「その格好で逃げ切れるものではない」とズボンやシャツ
軍靴などをやり、恐怖にゆがんだ顔に「ここはわれわれ軍が食い止める。一刻も
早く豊原まで行きなさい」と声をかけた。
82名無し三等兵:02/03/26 11:59
っでこの時の対ソ連軍の日本軍の戦果はどうだったの?
やっぱり日本軍屁タレだった?
83みる:02/03/26 12:29
>82煽りっすか?┐('〜`;)┌
84名無し三等兵:02/03/26 18:01
露文訳者の江川卓氏は女を漁りに来たソ連兵に
拳銃を突き付けられながらも必死に説得。
なんとか帰ってもらえたらしい。

85名無し三等兵:02/03/26 18:05
それ凄いね。もっともソ連兵もよく引き下がったもんだ。
どんな風に説得したんだろう?
86名無し三等兵:02/03/26 18:27
>>85
ソ連兵のなまりが酷くてあんまり話が通じなかったみたい。
そんで江川氏逆ギレw
言い合ってるうちに帰っていった。
度胸あるなぁ・・・・
87名無し三等兵:02/03/26 20:44
仲川大隊長は軍使・村田副官以下の人員を決定した。軍使・大隊副官・村田徳兵
中尉、随員・中前軍曹(大隊本部書記)、通訳・金山軍曹(朝鮮出身者)、護衛兵
7名、逓伝哨(いくらかの距離ごとに兵を置いて連絡をとるもの)7名、軍犬1頭
この軍犬は不測の事態が起こったとき放つためのものであった。総勢17名で
あった。
軍使の口上文は日露両国語の二通りを通信紙に記述し、白旗も濃霧の中で軍使で
あることをたやすく確認できるように敷布大のものを携行せしめるなど、万全の
準備をした。村田中尉は軍使にでる直前、両親にあてて手紙を書いている。
その内容は、自分をこれまで育ててくれた感謝の言葉。そして今回、重大任務を
与えられ、帝国軍人としてまた樺太人として恥ない立派な行動をするつもりです
と記している。そして、ソ連軍は狂暴につき、万一自分になにかあっても失望する
ことなく、元気で長生きしてくださいと結んであった。
軍使がソ連軍に申し入れる内容は次のようなものであった。
一、われわれは大日本帝国天皇の軍隊なり。
一、8月15日正午、終戦の大命降下し、日本軍は自主的に戦闘行動を中止した。
貴軍隊はこれを知らないのか。
一、われわれは戦闘をする意志がない。よって貴軍隊は直ちに戦闘行動を中止して
ほしい。
一、直接、指揮官相互において話し合いを行い、平和裏に事を運びたいので貴意を
得たい。
88名無し三等兵:02/03/26 20:55
長文コピペしてる人、誰も読んでないから貼らなくていいよ
89名無し三等兵:02/03/26 21:35
>>87
気にせず続けて下さい。
90名無し三等兵:02/03/27 10:34
>>87
どこからの引用かは知らぬが ここまで聖人君子的な軍人を描写されると
メーキングが見え見えで かえって文章全体の信頼性がなくなるよ sage
91名無し三等兵:02/03/27 11:01
>>82の質問に答えられないということは、
82の言う通りだったの?
>91
相対的に見れば確かにヘタレ。
でも、彼らがおかれていた状況なんかを勘案に入れれば、
奇跡的な善戦、と言っても差し支えないと思う。
93名無し三等兵:02/03/27 12:31
>>82の判断基準は
負け=ヘタレということでよろしいか?
94名無し三等兵:02/03/27 12:38
>92、93
というか単に具体的な戦果を聞きたいだけだと思うが。
95鉄板住人:02/03/27 12:43
一方的に弄られまくりだったからこそ、話題となる戦場じゃないか。
始めるのも終えるのもルールも何もかも敵の手中にある。

俺は>>82は勘違いか何かしているんじゃないかと思う。
戦果を求めてこのスレにくると、正直やってらんないよ。

>94
そういう細かい事を知りたいのなら本を調べるのが宜しかろうかと。
前のほうに数冊文献の名前が出ていただろう?

個人的には、ソ連軍を一時足止めし在留邦人の脱出のための時間を稼げた事は、
(それでも悲劇は起こったが)悲劇の規模縮小に一役買ったと思う。
上げた戦果よりも相手の行動を押さえ込んだと言う事が重要。
97名無し三等兵:02/03/27 13:10
午前7時30分、仲川大隊長は軍使・村田中尉以下を本部前に集合させ、次のよう
に訓示した。
一、諸君は樺太兵団将兵と樺太在住民の命を双肩ににない、この難局に対し平和裏
に事態を収拾しようとする使命を帯びている。
一、相手は諸君が充分承知しているとおり、わが軍がなんらの抵抗もしないのに、
一方的に艦砲射撃を加え、上陸を敢行、放火、略奪をほしいままにしている。
一、われわれは刀折れ、矢つきて戦闘を中止したのではなく、天皇のご命令により
敵と戦うことなくして自ら矛をおさめ、自主的に戦闘を中止した帝国陸軍の精鋭で
ある。どうか日本軍人として終始立派な態度、行動をとり、この大任を無事に
果たしてくれるように切望する。
軍使・村田中尉はこれに対し、「ただいまの訓示並びに注意事項を守り、帝国陸軍
の軍使として正々堂々その任務を果してまいります」とふだんと変わらず力強く
答えた。水筒のコップで水さかずきがかわされた。大隊長は軍使一行を第一線陣地
の位置まで見送った。村田中尉がさしのべた手を「しっかり頼む」と堅く握り返し
たものの、その心中、実に名状しがたいものがあった。午前8時前であった。
(引用:1945年夏 最後の日ソ戦 中山隆志、国書刊行会、及び
樺太 1945年夏 樺太終戦記録 金子俊男、講談社より)
9888式:02/03/27 13:57
 ニダニダ
 戦争に於いて重要な事は作戦目的であり、戦果と云うものはそれに付随する些末事項
だと思うニダ
 戦果だけで物事を見るのは本末転倒甚だしいと思うニダ
 明示されている訳ではないが、作戦目的が「在留邦人脱出の為の時間稼ぎ」とした場合、
ウリ的には立派に職責を果たしたのだと思うニダ
99名無し三等兵:02/03/27 17:34
>>82
樺太での対ソ戦の戦果は私の知るかぎり日本側での記録は見たことがありません。
中立条約違反の侵略で日本は対ソ宣戦布告をしておらず、降伏後も赤軍の攻撃は
止まなかったので日本側の死傷者数は厚生省の調べでおおよそわかってますが、
ソ連が苦戦を強いられ予定外の抵抗を樺太兵団から受けたようです。
ソ連側には資料がありますが、全く信頼できず、おそらく8月18日の北千島
(占守島)の戦い(ソ連側、約2000名戦死)ほどは赤軍に死者はでていない
と思います。日本側がかなりの時間稼ぎをし、その間7万〜8万の民間人が
北海道への脱出に成功し、ソ連は北海道侵攻を諦めざるを得なかったのは事実
のようです。
100名無し三等兵:02/03/27 19:06
>>99
日本軍のそのときの兵装や規模はどのくらいだったのでしょうか?
大まかなものしか分からないようですからそれだけでもお教えください。
それに対してソ連軍のそれも聞きたいです。
101名無し三等兵:02/03/27 20:28
ソ連軍では「奴隷狩り」も行われていたと聞きます。
では、降伏者は素直に受け入れるべきではなかったのでしょうか?

それとも奴隷狩りがおこなわれたのは満州限定だったのでしょうか?
102名無し三等兵:02/03/28 05:34
>>100
樺太国境の日本側の警備は、ポーツマス平和条約の規定を守り1939年(昭和
十四)以前においては少数の国境警察が担任するだけで、具体的作戦準備は皆無
であった。同年末、北樺太のソ連軍増強に対抗するため、樺太混成旅団(歩兵
25聯隊)が新編された。1943年5月アッツ島玉砕によって、これまで対ソ
一辺倒であった樺太混成旅団は対米戦に転じ、独自に海岸地域の偵察を行い、
対米作戦準備を始めた。と同時に歩兵第25聯隊に加え歩兵第125聯隊が編入
され、歩兵二個聯隊となった。同時に輜重隊も編入された。6月には正規軍隊の
配置されない南部を主体に特設警備大隊三個、特設警備中隊七個の編成配置が
命令された。さらに11月、南部の常駐警備部隊の必要が認められ、第30警備
隊の編入が発令された。先に編成された特設警備大・中隊は第30警備隊に隷属
することになった。翌1944年3月、樺太混成旅団と第30警備隊をあわせて
樺太兵団が編成された。
同年3月、樺太唯一の後援部隊として期待していた日本陸軍屈指の精強部隊・
第7師団(旭川)は道東移駐を命じられて対米専念となり、樺太兵団は独力で
全樺太を防衛しなければならなくなることが予見された。1945年2月28日
樺太混成旅団を基幹とし、新編の歩兵第306聯隊を加えて第88師団が発令
され、3月27日編成を完結した。師団の編成定員は20388名であった。
103名無し三等兵:02/03/28 09:45
>58
既に映画化されてるぞ。
「樺太1945年夏・氷雪の門」ってタイトル。
104名無し三等兵:02/03/28 13:07
昔その映画見たことあるが、なかなか写実的で当時樺太在住の人もよくできて
いると評判だった。しかし、マスコミ関係者にサヨクが多いのでテレビでは
確かやってないと思う。
105名無し三等兵:02/03/28 13:24
初めて知ったよ、その映画。
106名無し三等兵:02/03/29 06:38
大隊長は軍使のことを心配しつつ、本部にて図上の諸計画を考えているうち、
午前9時少し過ぎ、四囲の静けさを破り、突然自動小銃の断続音が3回か4回、
沢の入り口方向からした。不安がかすめた。9時半を過ぎても逓伝哨からは
何の知らせもこない。軍犬も帰ってこない。焦燥が増してくる。
午前11時ちょっと前、軍使の護衛兵だった松本一等兵が、第一線の兵士に
付き添われ、顔を血に染めて帰ってきた。「部隊長殿・・・村田副官殿がやられ
ました」というのみで、あとは感情が高ぶって泣くばかりであった。
107名無し三等兵:02/03/29 13:11
>>90
停戦軍使・村田中尉はいろんな文献で立派な人だったことは、明らかです。
また、軍使に出発前、両親に宛てた手紙(事実上、遺書となった)は実家に現存
しており、私も写真ですが拝見しました。ですから、実名記述してますから、
軍使への中傷、誹謗、侮辱は慎むようにお願いします。
108名無し三等兵:02/03/29 15:54
あっそう
109名無し三等兵:02/03/30 06:33
仲川大隊長が松木一等兵(106の松本は松木の誤りです)から受けた報告に
ついては、戦後同一等兵が村田軍使の父にあてた手紙からわかる。
「朝、私たちは激しい艦砲射撃の中で陣地配備についていた。応戦の命令は出ず
私たちの身にも危険が迫ってくるのを感じた。「早く、早く」陣地では皆が
射撃命令をじれったそうに声を出して待っていた。その時1人の伝令がやって来
て、命令を読む。次々と氏名を呼び大隊本部に集合せよという。私の名前もあっ
た。本部前に集合した。大隊長の訓示があり、その目の光が印象に残っている。
「各自は42部隊(歩25)を代表する軍使・村田副官の命令を守り、恥ずかし
くないよう行動してほしい。副官の命令がないかぎり射撃してはいけない」と
注意を受け出発した。格兵の目が内心の緊張と興奮のために、ギラギラ光って
見える。深い霧を進んで行くうちに、私は映画や絵で見たシンガポール陥落の
歴史的な情景が脳裏をかすめた。そのことを小声で前を行く村田副官に話す。
副官はただ「うんうん」とうなずくだけ。しばらくして「はずかしくなく、
万一のときは清く死す」とぽつんとこう言った。その時私は信頼している副官
のそばにいることに心強さを感じた。みんなは無言。先頭は遊佐兵長の白旗。
そのあとに整然と隊伍を組んで進む。いろいろなことが脳裏を去来した。
荒貝沢入り口が近づいた。そこまでの距離は実に近く感じた。
前方の様子が霧でわからない。停止した副官は眼鏡を取り出して見ていたが、
右手の小高い丘には何も見えない。前進、30メートルほど進んで鉄道踏み切り
にさしかかった時、突然その丘にソ連兵が姿を現わし、軍使の停止を求めながら
近寄ってきた」
110名無し三等兵:02/03/30 07:49
あまり延々と引用すると 著作権法違反になるよ 許可は取ってあるの?

誰でも過去は 意識的あるいは無意識に美化する物だという好事例だね
111名無し三等兵:02/03/30 08:29
サヨにとってはこういう話は面白くないんだろうな。
112 :02/03/30 10:05
>>110
さっさと半島に帰れば?
113名無し三等兵:02/03/30 10:44
>>112

お前もうざい。ワンパターン。
114みる:02/03/30 11:19
>109 続ききぼんーぬ。
115 :02/03/30 11:39
いや 超賎人は叩くときたたかんと
116名無し三等兵:02/03/30 13:27
放置できないやつはチョソ
117名無し三等兵:02/03/31 02:25
私たちの分隊は踏み切りの上にいた。副官は、白旗の遊佐兵長、中前軍曹、
通訳・金山軍曹とともに前に進み出た。先に出た軍使を取り囲むようにして、
10メートルほど手前でいったん止まった。
ソ連軍は銃を置けと要求、村田中尉の指示で一行が道路端に叉銃(3丁か4丁の
銃を立てかけること)すると、同行している軍犬も電柱にしばるように要求、
その指示に従った。こうして武装解除するとソ連兵が近づいてきた。
軍使の申し入れに対し、ソ連軍はまるっきり受け入れる様子がなく、1人のソ連
兵が銃をかまえて村田副官に立ち撃ちの姿勢をとった。副官は胸元の銃口を手で
横に押しやって、なお話しをする。金山軍曹が懸命に通訳に当たっていた。
そのとき、さきほどのソ連兵は、突然副官の体に銃を向けるなり銃を乱射した。
「伏せろ」だれかの叫び声で、私は副官が倒れる姿を見ながら線路わきの排水溝
に飛び込んだ。ソ連兵が最初の乱射と同時に駆け集まって、自動小銃(マンダリ
ン)をかまえていっせいに撃ちはじめた。私は自分の小銃をとって排水溝を
30メートルほど走った。そしてさらに走って小山に登り、防空壕を見つけて
飛び込んだ。そこには逃げ遅れた住民が入っていた。5,6分銃声が止むのを
待って「夜になったら逃げて部隊のいる方にくるよう」言い残して飛び出し、
夢中で本部に向かって走った。まもなく友軍陣地が見えた。私は状況を報告した」
以上が松木一等兵の状況説明である。
118名無し三等兵:02/03/31 02:40
>>117
All lies and jests, still a man hears what's he wants to hear
And disregards the rests.
119名無し三等兵:02/03/31 02:45
you see?
120名無し三等兵:02/03/31 06:47
>>110
主に2冊の書物から引用してますが、両書とも重複するところはあっても、矛盾
する個所はありません。また、引用は文章そのままではなく、要約もしているし
私自身の調査情報も含まれており嘘がないことを確信しております。
平成10年には樺連会員の真岡在住者より詳細な聞き取りもやっており、ここで
述べられていることは事実と自信を持っております。
意識的、無意識的に美化していることはありえません。
そのように聞こえるならあなたが聞きたくないことか、事実をねじまげたいのか
どちらかでしょうね。歴史の事実に対し、ひねくれた考えを持つのは止めましょう。
121名無し三等兵:02/03/31 12:39
>>118
英語でしか意見言えないのかよ。
You are a coward.
you see?
122名無し三等兵:02/03/31 14:15
>>120
「意識的に美化していることはありえません」とは言えるが
「無意識的に美化していることはありえません」と言えるのかね? アフォか!
123やんやん:02/03/31 14:45
>122 君のひいじいさんひいばあさん達の書いた文章や手紙を読んだことは
あるかや?
読んだ事ないんだろなぁ・・・美化だって。ぷっ藁
春厨の季節だがや・・・
>120いいから続き更にきぼんぬ。
124名無し三等兵:02/03/31 16:05
>>123 >122 君のひいじいさんひいばあさん達の書いた文章や手紙を読んだことは
あるかや?

意味不明を通り越して デムパだな 一度病院で診てもらったら?
125名無し三等兵:02/03/31 17:12
だあ。煽り合いはやめろ。
九人の乙女の御霊も悲しんでおるぞ。
126やんやん:02/03/31 23:40
>125そだね。やめとこ。
だがこれだけは一言。
漏れの一族は当時満州にいた。彼らが戦って時間稼いでくれてなかったら、
今ごろは・・・・

だから彼らには本当に感謝してる。ただそれだけ。じゃあねー藁
127名無し三等兵:02/04/01 06:53
この軍使一行がソ連兵の射撃を受けたとき、逃げ遅れて近くの物置小屋の陰から
見ていた住民がいた。前田貞夫さんは、戦後そこに住んでいた阿部安太郎さんの
母親にその状況を聞いている。当時60歳ぐらいだったその人は、次のように
前田さんに話した。「この朝の引き揚げ船に乗るため港に向かう途中、ソ連の
軍艦を見てあわてて引き返した。いつか家族とも分かれ分かれとなり、再び家を
出ようとすると、ソ連兵はすでに踏み切りを渡って2,30メートルのところに
来ていた。あわてて引き返し、物置小屋の陰に身をひそめてじっと動かずにいた。
ところが、荒貝沢の奥から将校と一団の日本兵が白旗を掲げて進んで来た。
その先頭が踏み切りにかかった時、飛び出してきたソ連兵が停止を命じた。
そして手まねで銃を置けと命じ、自動小銃で撃った。そのとき日本の将校は軍刀
を抜くが早いか何か叫んで敵の方に突入し、それに兵も一団となって続き、
ソ連兵はどっと道を開いて逃げたが、将校は少し走って酒屋のそばの橋の付近に
倒れた。あとの兵隊も自動小銃の乱射で傷つき、バタバタと倒れた」
それからしばらくして、付近の住民はソ連兵に捕まり、北浜町の塩倉庫に連行さ
れたが、その人達の話しでは、倒れている軍使の一行のそばを通りぬけた時は、
まだかすかに息の残っている兵もあったという。
128名無し三等兵:02/04/01 18:12
17名の軍使一行の内、生還者は、遊佐上等兵、松木一等兵、大田一等兵の3名。
戦死の公報が入っているのは、村田中尉以下8名。生死不明が、金山軍曹、金田
青海一等兵ら朝鮮人と残り3名であった。
ソ連軍は、卑怯にも軍使一行を武装解除の後、射殺しており終戦5日目にして
尊い若者の命が奪われた。
森鴎外は日露戦争の始まる前に、「(日本が)勝てば黄禍、負ければ野蛮」と
いう名セリフを残している。まさに、1945年8月9日以降は、ソ連による
野蛮が横行していた。
129名無し三等兵:02/04/02 06:45
軍使射殺は直ちに聯隊長に報告された。しばらくして、自衛あるいは暴行鎮圧
のための止むを得ぬ兵器の使用の指示が大隊に届いた。
下士官駐止斥候の報告では、敵は戦車らしき車両、火砲、自動車などの陸揚げを
実施中で橋頭堡を逐次山腹まで拡大しつつあり、上陸した敵兵は町の諸所に、
自動小銃をもって射撃し、非戦闘員たる真岡町民を殺傷し、また放火、略奪を
始めているとのことだった。
ソ連軍は3時30分ごろになって、はじめて豊真山道に沿う地区から仲川大隊長
の前に進出して来た。ここで避難民の退路を保持していた大隊との間に小戦が
交わされるようになった。しかし、ソ連軍主力はこの日市街地から進出しなか
った。ソ連軍機は1日中、真岡・逢坂に対し、間欠的に爆撃を繰り返した。
130名無し三等兵:02/04/02 07:22
>意味不明を通り越して デムパだな 一度病院で診てもらったら?
122が春房なら、今の無知と若さ故の教条的な「戦争と平和」に対する考え方を恥じる
時が来るかもしれない。もう既に未成年ですらないのなら、病院でも直らないだろうね。
哀れむよ…。

続き希望。
131名無し三等兵:02/04/02 20:16
菅原少佐が伝達した山沢聯隊長の指示は次のようなものだった。
「真岡に上陸したソ連軍が豊原市に侵入すると、豊原以北の住民の北海道引き
揚げが不可能になる。しかし、終戦の大詔が出た事でもあり、ソ連軍と話し合い
をして、双方そのままで対峙して時間を稼ぐことが必要である。このため、上司
から別命あるまで現位置に留まることが得策である。なお、現位置の保持困難な
場合、次の要点は熊笹峠である。万一敵がこれを認めない場合は、自衛のため
交戦してもやむお得ない。この場合でもこちらから先に発砲しないように」
樺太方面におけるソ連軍の不信行為、なかんずく真岡における軍使射殺等につい
て、方面軍は大本営を通じて抗議した。関東軍がソ連軍代表に申し入れたところ
ソ連側は「該事件の時期、地点、軍使の編成、任務、人名、当時の状況、貴方面
軍において採りたる処置に対し承知したし」と悠長な返事をよこしただけで、
情勢急展開の中でウヤムヤに終わった。
132名無し三等兵:02/04/02 21:27
84の元ネタは天声人語だね。

日本人はどうしてこんなにロシア文学が好きなのか。
その一方でロシアやソ連という国への警戒心は昔から根強い。
その落差に驚く事がある。 ロシア文学者の江川卓さんの死に接して改めてその事を思う。

江川さんとロシアとの遭遇は決して幸せな遭遇ではなかった。
父親がロシア語学者で、江川さんも独学でロシア語を勉強していたが、思わぬかたちで
役立つ事となる。

ソ連のチェコ侵攻の年の68年、抗議行動をする江川さんの名を紙面で見た読者が、声欄に
こんな投書をしてきた。
日本の敗戦時の平壌でのこと。女子供が避難していた宿舎にロシア兵が毎晩押しかけた。
「女を出せ」と叫んで発砲する。
その旅に、一人の青年が落着いた態度でドイツ戦線帰りの荒々しいロシア兵と相対し
ピストルを突きつけられながらも臆せず堂々と話しを付けて追返してくれました。
これが当時旧制高校2年の若き江川さんだった。

江川さん自身はのちに
「ピストルの銃口で胸をぐりぐりやられながらの応対だから、度胸だけは十分すぎる程ついた」
が「私のロシア語はいやが上にも品のないものになっていった」と回想している。

父親はソ連に連行され収容所で亡くなった。
「好意をもっていたロシア人のこの現実」に江川さんは引き裂かれる思いだったろう。
しかし、ロシア文学への愛着は消える事はなく、晩年までロシア文学への良き導き手だった。




133名無し三等兵:02/04/03 06:54
マッカーサー元帥の通達に基づき、大本営は16日4時、大陸命第1382号を
もって、直隷各最高指揮官に対して「即時戦闘行動ヲ停止スヘシ 但シ停戦交渉
成立ニ至る間敵ノ来攻ニ方リテハ止ムヲ得サル自衛ノ為ノ戦闘行動ハ之ヲ妨ケス」
と命令した。しかし、ソ連軍の侵攻正面で起こっている戦闘は、すべてソ連軍か
ら攻撃を受けて自衛上これに応戦したのであって、この命令も現任務続行に等し
いものであった。
この停戦の遅れは、大本営の責任だけではなく、8月15日以降にソ連軍が強襲
攻撃によって各地に戦面を拡大したこと、第五方面軍がソ連軍の北海道進攻を
警戒して、第88師団に自衛戦闘の継続を強く指導したことによる。
この判断は正しかった。ソ連軍は北部北海道の占領を当初の目標に設定していた
からだ。日本軍は、第五方面軍の指導によって、まず停戦、その場において交渉
ソ連軍が進攻を続けるならば、その位置において断固自衛行動を敢行するという
ものであった。ソ連側は、日本軍がまず停戦して白旗を掲げ、武器を捨て降伏せ
よ、ソ連軍は上司の命令に基づき、日本軍の行動の如何にかかわらず、予定目標
大泊に前進するという。これでは交渉は成り立つわけがなかった。
134名無し三等兵:02/04/03 08:33
>>133

おいおい! 衣の下から本音が丸見えになってきたようだな

>この停戦の遅れは、大本営の責任だけではなく、8月15日以降にソ連軍が強襲
攻撃によって各地に戦面を拡大したこと、第五方面軍がソ連軍の北海道進攻を
警戒して、第88師団に自衛戦闘の継続を強く指導したことによる。
この判断は正しかった。ソ連軍は北部北海道の占領を当初の目標に設定していた
からだ。

降伏した以上 ソ連が北海道侵攻を企んでいるから 抗戦するという言い分は
成り立たないよ
結局のところ ソ連に降伏するのはいやなので 居留民の保護や軍使の件を
口実にして 戦争を続けたかったのが真実だろう

いっそのこと 樺太方面軍は ソ連軍の北海道侵攻を阻止するため降伏後も
勇敢に戦いましたと書けば すっきりするし 支持する日本人もたくさんいると思うが
135名無し三等兵:02/04/03 09:07
>>132
物凄い高校2年生だな。
136名無し三等兵:02/04/03 10:41
>>135
「旧制高校」だよ。
137名無し三等兵:02/04/03 14:04
>>134
おまえもサヨの本音が出てきたな。日本軍が降伏後も戦いたかったなんて、
なにを根拠に言っているのだ。スターリンが北海道の北半分を占領するのは
既定の行動だったことは今や明らかだ。おまえロシアのスパイだろう?
ソ連軍が無差別攻撃を止めないので自衛戦闘したのは、各種資料で
明らかだ。
ソ連が停戦軍使を殺害したのは3度に渡るの知ってるのか?
おまえの親兄弟が殺傷されても、降伏したからといっておまえは見殺しにするの
か?本当におまえはどうしようもない馬鹿だな。ロシアに亡命した方がよさそう
だ。

138やんやん:02/04/03 14:11
>137
そのくらいにしといてやりなさいな。
悲しいが、そいつはほんとにダメだ。放置プレイに限る。
かまわん!続ききぼんぬ!
また-りマジレスでいこうぜ・・・・
139名無し三等兵:02/04/03 22:44
いかに交渉しても、目的地占領までは前進を続けるというソ連軍が、早晩樺太
南部に進入してくるのは明らかであり、自衛戦闘によって南部樺太を死守せよ
という方面軍命令を師団が実行すれば、否応なく両軍の大衝突となり、軍民とも
大きな惨禍を被ることは明白であった。峯木師団長は21日、方面軍参謀長・
萩三郎中将に電話をかけ、事態がここに至った以上、武装解除を行いソ連軍の
進駐を許す他ない旨、方面軍司令官の認可を要請した。遂に方面軍司令官・
樋口季一郎中将も「城下の盟もまたやむお得ない」と語った。
22日午前、知取中央消防署で鈴木参謀長、蟹江特務機関長、尾形樺太庁警察
部長らがソ連軍のアリモフ少将と会見し、峯木師団長がもたらした関東軍と
ワシレフスキー元帥との間の協定に準じ、協定は何の悶着もなく成立した。
その際、鈴木参謀長は「邦人に対する略奪、暴行、強姦などのないこと、真岡に
上陸したソ連軍の砲爆撃を直ちにやめること、真岡で発生した軍使射殺の再発
防止、日本軍を捕虜と称せずその名誉を傷つけないこと、停戦伝達のため各地に
派遣する将校にソ連軍将校を同行させること」などを要求した。
いずれも直ちにソ連側の同意を得た。正式停戦協定成立は、22日正午過ぎで
あった。しかし、せっかく円滑に行われたこの合意の多くは、ほとんど実行され
ることはなかった。
140名無し三等兵:02/04/04 08:04
このころ、真岡ではまだ激戦が続いていた。荒貝沢の歩兵第25聯隊である。
消耗戦となり陣地はじりじり後退し、大部隊のソ連軍を前にし損害も増えてい
った。しかし、将兵の士気はすこぶる高く、村田中尉を失った無念さは隊員の
敵愾心を強くしていた。紳士的で心優しかった中尉の面影は、まだ隊員一人一人
に鮮明に残っていた。
避難民の退路確保のため、仲川大佐は熊笹峠で敵を阻止することにした。
21日早朝、留多加から転進した第三大隊(藤田幸夫大尉)が到着した。
熊笹峠の守備を強化するため、歩兵砲大隊長・菅原少佐が派遣された。1時30
分、熊笹峠に到着した菅原少佐は「我々は住民の引き揚げ完了まで死守する」と
宣言した。
141名無し三等兵:02/04/04 20:45
>>134
文章を省略すると、サヨクの人は揚げ足とってすぐにいちゃもんつけたがるん
だね。本筋を失ってはいけないよ。
133を補足すると、大本営は、この大陸命に基づく「戦闘行動停止のための
局地停戦交渉及び武器引き渡し容認」の指示は、各戦域の状況によるものとし、
関東軍に対しては16日付であったが、第五方面軍に対しては19日付(大陸指
2546号)となった。このため樺太方面における停戦は、満州方面の大勢よりも
遅れることになった。
これは無理からぬことである。外地であった満州と内地であった樺太、それに
北海道に隣接しているため簡単に停戦命令を出せなかったのは当然である。
142名無し三等兵:02/04/04 21:35
左翼も右翼もきらいだが、公平に見て、条約を破って侵略してきたソ連に対して
>>140の「我々は住民の引き揚げ完了まで死守する」
と戦い抜いた先人に対して感謝する。
でも、そういうと左翼は「沖縄」うんねんいうんだろうなぁ。
あ、やっぱどちらかというと左翼のほうが嫌いだわ。
143名無し三等兵:02/04/05 07:07
22日4時、ソ連軍は攻撃を再開した。艦砲を含む砲爆撃が熊笹峠に集中され、
ソ連軍歩兵はその支援下に自動火器を射撃しつつわが陣地に近迫した。
第四、第九中隊は手榴弾戦を交えてこれを撃退した。11時、聯隊砲中隊長・岡島
哲夫中尉の指揮する70名(聯隊砲2、機関銃1)が到着し、ただちに戦闘に加入
した。彼我の砲撃、手榴弾戦、白兵戦が入り乱れ、機関銃分隊や衛生隊も白兵戦
を敢行して陣地の保持に努めた。激戦が連続して損害は逐次増加した。
144赤尾敏:02/04/05 09:05
 (一)日の丸愛国維新推進のため−。

 現在革新陣営と言われている社、共、日教組、総評などの唱える革新は、
赤旗の非目的マルクス・レーニン主義による中・ソ一辺倒の共産革命勢
力であり、日本の国体、国威、国柱に反逆するものであるから、排撃すべ
きである。日本の革新は、明治維新を手本として、民族主義の立場
で、日の丸平成維新でなければならない。

 (二)道義建国の理想に基づき、君民一体の日本的民主主義を確
    立し、政治の倫理化を期す。

 (三)敗戦、屈辱の亡国憲法を改正し、平和と独立のため自衛
    軍備の強化。

 (四)参議院を廃止せよ
 衆議院と同質の参議院は屋上屋を作る無駄であるから行政改革の
手本として参議院を廃止せよ。

 (五)日米安保体制を強化して、共産帝国主義の侵略に備える。

 (六)北方領土、南樺太、全千島列島の反還要求(政府の言う四
    つの小島だけではない)。

 (七)赤色教育に反対し、歴史修身道徳などの復活を計り、日本
    的精神文化の昂揚を期す。

 (八)資本主義の欠点を修正して大資本の横暴を押え国民生活
    を国家で保障す。

 (九)政治ストやキリ無し賃上げ闘争を禁止し、物価の値上げを押える。

 (十)待合、高級料亭、キャバレー、競輪、競馬、競艇、ゴルフ等の粛正。
145名無し三等兵:02/04/05 09:35
国家社会主義日本労働者党の結党声明?
146赤尾敏:02/04/05 09:39
愛国党決起文だ!!


  ○腐ったごまかしのインチキ自民党にも投票するな!
  ○赤旗の社・共等にも一票も入れるな!
  ○あいまい、フラフラの日和見主義の民社、公明等も否定せよ!
  ○ふざけた保守、革新両方とも投票拒否でけっとばせ!

 それが政界是正の契機となるのだ。この侭では日本滅亡だ!
 全国民の目ざめで維新革命の大国民運動を捲き起し直接民主主義
の理念に基き、日の丸維新の烽火を上げよ!自衛隊も警察も学生
青年も、労働者農民も、サラリーマンも決起せよ!

 

 全愛国者は
  赤尾敏に投票せよ


147名無し三等兵:02/04/05 09:53
気違いスレだな ここは!
148やんやん:02/04/05 10:46
自作自演か?せっかくの良スレが・・・・・・・・・悲しいよ漏れは!
かまわんウヨ、サヨ無視放置にて本題いこうぜ!!
漏れはもっといろいろ知りたいよ!!
149名無し三等兵:02/04/05 13:13
右翼の人へ
ここは、樺太・真岡で昭和20年8月20日以降、何が起きたか真剣に歴史の事実を
探っているスレです。便乗してかってな書き込みは迷惑。
あるいはサヨクのいやがらせの可能性もある。無視・放置が適当なのでムダな
抵抗はするな!
150名無し三等兵:02/04/06 06:38
22日夕刻、山沢聯隊長は「俘虜となるも停戦せよ」という師団命令を受領した。
同聯隊長は、ロシア語の堪能な第一大隊、村山康男・主計中尉以下5名を軍使と
して、午後8時20分ころ逢坂を出発させた。軍使一行は自動車上に大白旗を立て
て熊笹峠に前進、逢坂西方4km付近でソ連軍トラックに道をふさがれた。
敵は一個小隊ほどであった。操縦手がトラックを停止させたところ、武器を捨て
ろと手まねし、武器を持ってないとわかると下車を命じ、整列した5人を右から
不意に射撃した。2回目の集中射撃で軍使以下3名が倒れ、ラッパ手と操縦手は
負傷したが、大白旗を振ってようやくソ連軍は射撃を止め、ラッパ手にメモを
持たせて帰し、操縦手は人質として留め置かれた。ラッパ手は10時に逢坂に到着
し、聯隊副官・石黒粂吉大尉に報告した。メモには「午前零時ラッパを吹かせて
聯隊長が峠に来れ」とあった。聯隊長は石黒副官を軍使として派遣、自ら来れの
要求を受けて聯隊長自ら交渉に赴き、23日2時ころ戦闘停止を確認した。
151名無し三等兵:02/04/06 06:59
誰かよ、じいさん、おやじが体験してない?
生生しい体験談聞きたいよ。江川氏みたいなやつ。
152名無し三等兵:02/04/06 16:16
右翼も国家社会主義があり、左翼と似ている。
153名無し三等兵:02/04/07 02:52
>>152同。
というか、その主張たるや、じつは1部分違うだけで、同じに見えるね。
日本のサヨは、かなり変わってるね。
フランスなんか、サヨ政権の時、武器売りまくりでしたしね。
おっと板違い。すまそ
154ちょとちがうけど:02/04/07 03:15
>151
おいらの友人の母親は樺太引き上げ者だよ
まだ生きてる
落合近くの村だったらしい
線路づたいに逃げたと聞いたYO
155名無し三等兵
真岡に上陸したソ連の兵力は、混成一個旅団と言われる。軽戦車20数両と
迫撃砲10数門を所有した。これだけの部隊を揚陸するソ連の輸送船団は、
戦艦または巡洋艦、駆逐艦などに護衛され、総数10隻を越え、威風まさに四囲を
圧する大部隊であった。護衛艦の主砲は、菅原歩兵砲大隊長が20日朝、第一大隊
に向かうとき、逢坂の東1キロ付近にその砲弾が落下していたといい、そのこと
からみて射程1万メートルを越えるものだった。