国民党の最後の大物、張学良も死んだし、国民党の幹部は長寿だね。
確か、孔子の正統な子孫だった孔祥煕とかもいたな。
188 :
名無し調査員 ◆h2HByRZM :02/03/12 00:13
当時の北ベトナム政府が世界的なアメリカ介入、戦争拡大反対、地域民族自決の世論
を形成してアメリカに「全戦力」を投入させず、自らは南北の全兵力を主導的に運用
し文字通り総力戦をできたのだから、北ベトナム側の優位性とアメリカの失敗は明白
だったと思われ。
ベトナムの背後にはソ連や中国だけではなくベトナム連帯、アメリカの大国主義に反
対する様々な要素が味方していたし。まあ台湾より孤立していなかったかな。
189 :
名無し三等兵:02/03/12 12:50
>>184 累計はわからないなー
最盛時はたしか20万人を派兵して、そのうち前線で
泥にまみれていたのは5万人だったという記事を
読んだことがあるけど、これって空軍とか海軍は
入っているのかな?
190 :
名無し三等兵:02/03/12 13:00
ベ平連なんてヴァカ者の集団もあったしな・・・
ソ連に亡命した米脱走兵はどうなったんだろう?
191 :
一等自営業 ◆kawD31MU :02/03/12 13:05
>>184 米軍のベトナム派兵1968年10月が最大で536.100名です。
前線(?)で、つまり拠点の防衛陣地では五万弱が
陸軍では三分の一か五分の一くらいが、ローテーションで
戦闘任務についていました。
延べ人数はわかりません。
192 :
名無し三等兵:02/03/12 14:43
米の敗因としての「逐次投入」は本質的な要因では無いような・・・
欧州正面でソ連と対峙している状況では、元々本格的な戦争をアジアで行う余裕
はないし、南ベトナムにそれだけの価値もない。
米国はなるべく安上がりに南ベトナムを存続させようとしたが、コミットする内
に戦力を増強する羽目になった、元々勝てない戦争だった、というのが真相では?
ケネディが撤収を考えていたのも、介入が初期の段階だから(まだ)現実性があ
っただけの話で、ジョンソン・ニクソンの政策と簡単には比較できないと思う。
軍事レベルでは、逐次投入の結末が教訓かもしれんが、より大きいレベルで言え
ば、軍事力の投入は国家の死活的な利益が関わっていない限り慎重に行うべき、
というのが米国の得た教訓だと思う。
もともとアメリカにはベトナムに対して死活的な利害がなかったから、
最初の方は兵力をあまり投入しなかった。
だけどいったん介入を始めると、アメリカの威信や同盟国からの信頼性がかかっていると
アメリカは思い込んで、介入の度合いを深めていったってのが実情だと思う。
あと、ゲーム理論でいう「ドル・オークション」っていう心理状態
(博打打ちが負けが込むとそれを取り戻そうとしてより大きな博打を打つ心理状態)や、
自国の行動には正しい意味があると思い込みたがる、一貫性を重視する心理が働いていたとも想像できる。
だから、「逐次投入」ってのは結果論だと思う。
北ベトナムに侵攻することが可能だったとしても、米軍のこのような行動は、
中国の介入を招く可能性がある。米政府が最も憂慮したのが、大陸で中国と
全面戦争に突入することだった。
朝鮮戦争以来、歴代の米政府はかかる事態を回避するため、アジアへの軍事
介入には概して慎重だったが、これに反対し、ベトナムへの派兵を決定した
のが、柔軟反応戦略をひっさげて登場したケネディとそのブレーン達だった。
だから、ベトナム戦争に対するケネディの責任は、一般に思われている以上
に大きい。「もしも」彼の政権が存続しても、ベトナムから綺麗に手を引け
たとは思えない。
ただ、アイゼンハワーの大量報復戦略だと、
「介入する=核使用も考慮」と「介入しない=見捨てる」の二択しかないし、
アメリカにとって「自由は不可分」だから、地域によって優先順位をつける
ってのもアメリカ流の思考じゃなかったからね。
だからアジアで何かあるたびに、「共産勢力は周辺的な地域で米を挑発している」
って考えて、フラストレーションがたまっていたのも事実。
そういう流れがあるから、ケネディの柔軟反応戦略に対して一概に批判はできないと思う。
>195
難しいところですね
確かにダレス流の2者択一では、低烈度の紛争は抑止できないし、それへの批判か
ら、柔軟反応戦略が出てきたのは事実。
とは言え、共産側の全ての行動に対応してたら、米国と言えども国力の限界に突き
当たってしまう。だから尚更、介入の有効性と戦略上の必要性を厳密に見極わめ、
選択的に「反応」する必要がある。
そういう意味で、中国との協調なしに究極的なベトナム問題の解決ができない以上、
あの戦争は柔軟反応戦略の危険性をよく示した例だと思う。
>196
うーん、アメリカにとって共産中国は国共内戦終結以来、
「不倶戴天」の敵だったからね。
中国と協調してのベトナム問題の解決は
当時のアメリカにとって現実的な選択肢じゃないと思う。
それに54年のジュネーブ会議の際は中国は米介入を恐れて
北ベトナムを押さえたけど、
結局60年代にはベトナム戦争にいたったことを考えると、
中国もアメリカも、ベトナムの民族主義を押さえ切ることができなかった、
と考えるべきじゃないかな?
>197
あ、いやいや、中国の介入の恐れがあるので、北ベトナム潰滅を目標とする
ようなオプションを取れない、従って、エスカレーション戦略を取っても、手詰
まりしかない、という程度の意味で。
対中関係で言えば、大量報復は駄目、柔軟反応戦略も駄目、と言う認識か
ら、結局、核兵器が存在しても古典的な外交は可能であると主張したキッシ
ンジャーが中国との接近という逆転を成し遂げたことで、米国はベトナム戦争
を(政治的には)克服したのだと思う。
199 :
一等自営業 ◆kawD31MU :02/03/12 22:15
スレ違いですが、「ワンス アンド フォーエバー」の日本語スーパーなしの
試写会を見てきました。公開は初夏の予定です。二時間二十二分。
1965年11月14日中部ベトナムのイア・ドラン渓谷での第1騎兵師団第一大隊の
戦いです。良かった!!
200 :
名無し調査員 ◆h2HByRZM :02/03/12 23:40
>>192 >>195 大筋で賛同。
元々アメリカはインドシナ地域に利害関係には希薄でした。まあ仏領でしたしね。
アイゼンハワーの対アジア共産主義拡大阻止路線を再考せず(ケネディ時代に再考
しようとした矢先に暗殺)継承し、間接的支援による特殊戦争が64・65年には完全
に破綻してしまった訳ですか。(破綻させた解放民族戦線の意義は大きいですね)
ちなみにベトナムがコミンテルンの国際共産主義運動(第6回大会モデル)の正統
性から明らかに逸脱しており共産主義革命より民族解放を重視した微妙なニュアン
スを含ませて、アメリカに「非戦」のメッセージを送っていたのですが、微妙すぎ
て今も昔も理解の範疇を越えているようです。
>>199 それで熱意が湧いて再度ベトナムを題材した作品を作られることを期待しております。
201 :
名無し三等兵:02/03/12 23:54
要クイックタイムですが、予告が見られます
www.apple.com/trailers/paramount/we_were_soldiers/
202 :
名無し三等兵:02/03/14 22:17
>>201 見ました。 なんか戦闘を全面に出すベトナム戦争物も、在りそうでなかったような。
203 :
名無し調査員 ◆h2HByRZM :02/03/15 03:39
2002初夏、祭りの予感…(藁
204 :
名無し三等兵:02/03/19 23:21
もっと語ろうよ。
軍事的にはベトナムって盛り上がらないからねぇ。戦闘の詳細が明らかでないからでしょうが。
戦後30年になれば(2003年アメリカ発か?)新資料の公開が進むだろうと言う話。
調査員的にはベトナム側資料のほうが手に入りやすい立場なんでよく知りません(w
まあ、マターリとやるのが吉。
「We Were Soldiers(邦題ワンス・アンド・フォーエバー)」は軍板的に良いかも。
206 :
名無し三等兵:02/03/20 02:37
開高健の[ベトナム戦記]読んだage。
65年3月に出版されたのに早くも南政府の敗北を確信させる内容でした。
同朋舎の「NAM 狂気の戦争の真実VIETNAM1965-75」に迫るような
良い文献ある?
>>72 ナムには30数種だかの高地民族が居て、特殊部隊に協力してたようだが、
モンタニャードは皆あぼーんされて今は居ないって事? てゆーか、
サイゴン政府や米軍に協力を拒否した部族はどれだけいたんだろう。
207 :
名無し三等兵:02/03/20 02:41
エリアスが危な〜〜〜〜い!!!!!!!!!
┃
凹╂凹 ふぁっく う゛ぃ
「DISPATCHES」とか「ジャングル・クルーズにうってつけの日」とかは
既出かな?
>We Were Soldiers
|先生!ベトコンは竹笠に黒パジャマじゃないと
|(;´Д`)ハァハァできません。
\_____ _____
.|| ∨ .....| || || | :
.|| .| /ヽ || ||] | :
__[口]_||__◎__| / )ノ || || | :
________∧_∧\ // ....|| || | :
|| ̄ ̄|| ̄ ̄||( ´Д`)// \ || .| ::
||__||__/ /_| \|| .| :: ::
|| ̄ ̄|| __( C /.. ̄| \ .| :: ::
||__|| \ ヽつ ̄ ̄ ̄ ̄\ \| ::: :::
 ̄ ̄ ̄ ||.\_______\ | :::: ::::
||\ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| | :::: ::::
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||\ ^ヽ ::::
|| || \ `〜、
>We Were Soldiers
>ベトコンは竹笠に黒パジャマ
この映画では解放民族戦線民兵はその通りの格好で出てきますよ。ハァハァしてください(w
ガブリエル・コルコの「ベトナム戦争」邦訳版読んだ人います?おすすめ。高いけど。
「負けた戦争の記憶」も読めばいいYO!
WWIIよりべ戦の事研究する方が好きな漏れ。
珍しいのかもな。
WWIIってピュアに戦術・戦略・装備とかの要素で語られるけど、
ベトナムはなんてゆーか現代に通じる文化も絡んだりとか、
もっと複雑で(こういっては不謹慎だが)面白い。
写真もカラーだしね。
ARVNに居た日本人についてもっと知りたヒ・・・
213 :
名無し三等兵:02/03/22 23:56
新潮文庫の「エアアメリカ」も面白いですよ。
その同朋舎のごっつい本、昔は新古書で二千円ぐらいで売っていたんですが
今じゃプレミアついてます。何でだろ?
↓はBDQの隊員ですが、昔のヤンキーかと思いました(w
www.landscaper.net/images/42ndarvn.jpg
>その同朋舎のごっつい本、昔は新古書で二千円ぐらいで売っていたんですが
>今じゃプレミアついてます。何でだろ?
文華堂で4000円位でしょ。プレミアは信じられんくらいです。転売ヤーになろうかな(w
まだ他でも神保町界隈で売ってたYO!今でもあるでしょう。
あそこで売ってた石川文洋の「写真記録ベトナム戦争」(超高価格)を革命的に購入したのは誰なんだろう。
>新潮文庫の「エアアメリカ」も面白いですよ。
それは未読です。著者は誰ですか?
銃と鉄帽同じでも、服のシルエットでGIとARVNは区別つくよな。
世界最悪の戦闘服の噂も聞く陸自の旧迷彩服着て戦闘訓練やった事あるんだが、
あれは、現用とちがって
>>214のみたいに細身のシルエットなんだ。
で、その戦闘服は、水にぬれたりすると纏わりついて動きにくかった。
ARVN・・・布の節約なのか?
>214
クリストファー・ロビンス著 松田銑訳です
ISBN4-10-233101-8 C0197
エアアメリカが東南アジアで実際に何をしていたかを当時のパイロットの
証言を交えて綴っています。
長い間、表紙にだまされてました(w 読んでみると面白かったです
>216
興味深いので取り寄せてみようと思います。ありがとうございます。
ベトナム本でお勧めを考えて見ましたが、
「…そのときぼくはへっぴり腰でシャッターを切った!」鍵和田良輔・第三書館
サイゴン解放に立会いコンチネンタル・ホテルを通過する解放軍の写真を撮った
ことで有名な鍵和田良輔氏のルポタージュ。
私も長い間表紙と出版社(サヨ)に騙されてました。面白いですよ。
218 :
名無し三等兵:02/03/23 02:16
エア・アメリカは大言壮語の歴史書じゃなく、裏方の飛行機の運ちゃんたちの
ルポルタージュだからね。
あれは名著。
とくに農業援助でラオスだかベトナムにいって、そのまま現地人の王国作り上げた
あのおっさんの話しなんか、ジョゼフ・コンラッドじみてて好き
219 :
名無し三等兵:02/03/23 03:27
「プラトーン」のDVD買いましたか?
なんだかんだ言ってもやっぱベトナム物映画はコレだね。
220 :
名無し三等兵:02/03/23 03:36
221 :
名無し三等兵 :02/03/23 04:55
>>173 たしかNHKでやっていたNAM戦場カメラマンの番組でVCカメラマンが戦後
作った映画ですとダイジェスト版でやってたなあ。
ビデオ撮ってたから探してみるわ。
222 :
名無し三等兵:02/03/24 00:22
>>1 もし望みなら、小一時間でも語ってやるがどうだ。
223 :
名無し三等兵:02/03/24 00:30
石川文洋氏の写真なら、同氏著の朝日文庫「戦場カメラマン」でも見られる。
あの写真と、撮影時の状況も記されているね。
224 :
名無し三等兵:02/03/24 00:42
よく言われることだが、アメリカ兵が「なぜ戦っているのか分からない」
という士気の問題も見逃せない。
おまけに国に帰れば反戦運動&ヒッピーが盛んな状態。
病んだアメリカを作っただけの戦争だった。
225 :
名無し三等兵:02/03/24 00:53
北ベトナムの士気も戦争末期には落ちてきたとも読める小説があったけど。
何だったかな。
作者はベトナム人だった。
226 :
名無し四等陸士:02/03/24 00:57
>>223 石川氏は、写真講演会の時に直にお話を伺えましたが、米兵の戦場写真
を解説する時に「この軍曹は3日後に死にました」という淡々とした
口調で説明なさるので、人の死が日常化していた様子が生々しく聞こえ
ました。
あと印象的だったのは70年のカンボジア政変で政権を握ったロン・ノル
の軍隊を「ARVNはまだ良かったですが、この軍隊は本当にどうしょうも
ない軍隊でした」と語っておられた事でした。
>>224 でも、べトナム戦争を通じて、黒人の
社会進出が加速したって聞いたぞ。
勿論それだけ前線に黒人兵が多かったって事だが。
あと、アメリカは情報操作の大事さを痛いほど教訓にできたんじゃないかな?
まー介入の根拠だった「ドミノ理論」も半分か1/3位は当たってたわけだし。
でも・・・こんな風に善意に解釈しても
やっぱり「病んだアメリカを作っただけの戦争だった。」の一言で
説明が終わるんだろうな。
>>225 ∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ 越\ / バオ・ニン著『戦争の悲しみ』(発行:めるくまーる)のこと?
(# ・∀・)< なんか500人の大隊で生き残ったのは作者を含む10人だけとか、
\ 結構すごい話が出てくるけど、、、、、
230 :
名無し三等兵:02/03/24 17:51
ベトナム国内では
当時の人民軍内の脱走兵や戦意喪失者を描いた映画やドラマが
何本もつくられてるらしいのだが
日本には輸入されないのかな
231 :
名無し三等兵:02/03/25 20:35
「地獄の黙示録」の話をしていて、ワルキューレの行進の話になったとき、
「ベトナム戦争では、攻撃をするときに実際になにかの曲を流していた」
と聞いたんだけど、本当っすか?
そんな話俺は聞いたことない。
あったとしてもジゴモクのようにヘリや攻撃機からの空襲の時だけだろうねー。
地上戦で掛けるわけないし。
>>232 おそらく「都市伝説」のようなものだが、こんな伝説を聞いたことがある。
第23歩兵師団の某火力支援基地。規律が弛緩していて
ラジオで音楽番組をガンガンかけながらパトロールを行うのも日常茶飯事。
結果待ち伏せにあって1個小隊全滅。
兵隊連中はパトロールの中止を強訴。
FSBの指揮官は、兵隊からのフラッギングに怯え、やむなくパトロールを、最小限に(?)。
そのFSBは、けっきょくNVAの夜間奇襲で蹂躙されたとさ。チャンチャン。
坊さん達は、何に抗議して火達磨になったの?
仏教徒弾圧に?やっぱり戦争に?
>>106 なんで鉄帽被らないのかって?
熱いんだよ!東南アジアはマジで糞熱いんだよ!
モンスーンだかなんだか知らないがン十キロもある荷物を抱えて
日中熱気と湿気まみれのジャングルを何時間も歩いてみろ!
あんな重いの被ってたら俺の頭は熱いを通り越して痛くなってくるんだよ。
現実、仮に小銃弾が鉄帽に当たってみろ。ボール紙みたいなもんなんだ。
と、漏れの妄想の中の一米軍兵卒が語ってるyo。
まー、鉄帽も防弾ベストも、防ぐのは榴弾砲の破片であって、
普通に銃撃戦やる距離から小銃弾に直撃されたら貫かれるって有名な話しだし。
小銃弾を防ぐような奴を作ると、きっと動けないくらい重くなるんでしょう。
NVAの探検家みたいなヘルメットは、殆ど防弾効果無いってききました。
以上、超遅レスでした。
防厚帽らしいですね。
×以上、超遅レスでした。
防厚帽らしいですね。
↓
○防暑帽らしいですね。
以上、超遅レスでした。
お ち つ け 漏れ。