■アッシリア軍の戦術■

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1名無し三等兵
古代オリエント最強の、アッシリア軍の戦術について語ってくれ
2名無し三等兵:02/02/03 22:30
剣で敵を切り裂きます。
槍で敵を貫きます。
弓で敵を射抜きます。
人が人を殺します。
3巨大ネコ:02/02/03 22:31
兵隊が敵をやっつけます
4名無し三等兵:02/02/03 22:34
1が何か書き込まんとネタスレになるぞ
5名無し三等兵:02/02/03 22:36
本当に最強か?蒙古やアレクサンダー大王よりも強かったという
証拠はなんだ?
6名無し三等兵:02/02/03 22:39
確かに古代オリエントにおいては相当に強力な軍事力を有していたがな
7コピペ:02/02/03 22:39
ナホム書2:4-5
その勇士の盾は赤くいろどられ、その兵士は紅に身をよろう。
戦車はその備えの日に、火のように輝き、軍馬はおどる。
戦車はちまたに狂い走り、大路に飛びかける。
彼らはたいまつのように輝き、いなずまのように飛びかける。

悪魔のように強くて残虐な軍だったらしいね。
8名無し三等兵:02/02/03 22:41
とりあえず「王家の紋章」を既刊全巻通読
話はそれからだ>>1
9名無し三等兵:02/02/03 22:44
無茶をいう・・・(w
10名無し三等兵:02/02/03 22:48
言われてみれば真面目に絵にしてるのあれだけか
11コピペ2:02/02/03 22:50
アッシリアは軍に本格的な騎兵隊を加えた初めての国です。
馬術は、ヒッタイトから奪い取った製鉄のテクノロジーとともに
帝国の軍の背骨として機能しました。
帝国はいち早く馬の機動力や敵に与える威圧感に目を付け、
王直属の機関に馬の産地を管理させていました。

おい、暇つぶしに相手してやってるんだから、
1もなんか語らんか
12名無し三等兵:02/02/03 22:51
>>11
同時期のほかの文明圏と比べて、どう?
13名無し三等兵:02/02/03 22:51
主な特徴は高い動員能力、鉄器、戦車、攻城技術
重装歩兵を保有していたことから少なくとも隊列を組んで戦っていたと推測される
騎兵もいたが、実質的には騎乗歩兵だったと言われている
また、当時の鉄製武器は青銅製武器に対してコストを除けばそれ程有利ではなかったという説もある

141:02/02/03 22:52
完成されたされた徴募制、高度に訓練された兵士、優れた装備

戦車、弓箭騎兵、軽装歩兵、重装歩兵。攻城戦特化部隊など
諸兵科を組み合わせた優れた戦術は、あまりの強さに周辺諸国の脅威であった。

そして異常なまでの残虐さ・・

漏れの知ってる知識はこれくらい
15名無し三等兵:02/02/03 22:54
こういうスレっていいね。
9割方が近代物ばっかりだからね・・・
161:02/02/03 23:00
>>11
騎兵って弓が主兵器だったみたいね。
当時は鞍もあぶみもなかったから、槍でつくと反動で後に飛んでいったり、
剣をふり下ろすとそのままそっちの方へ落っこちるそうだ。
171:02/02/03 23:01
弓自体は有効射程距離が300メートルはあった。金属製の鏃をつければかなりの殺傷力がある。
会戦時には重奏歩兵の前に展開し、まず矢で一撃を加えた。攻城戦時にはまず破城槌が城壁を破壊し、
裂け目から弓箭隊の支援のもと重奏歩兵が切り込む。

萌え〜〜!
18名無し三等兵:02/02/03 23:01
戦車を集団運用したかどうかは明らかではない
アッシリアの戦車は主に弓で戦ったと言われており、
恐らく弓騎兵的に運用されたと思われる
また、戦場での旗印としても重要だったことはまず間違いない
ただし、戦車が機動力を発揮できるのは平坦で堅固な地盤が
必要であり、戦場を選ぶ兵科だと言える
19名無し三等兵:02/02/03 23:04
当時の馬具で弓を放つのって大変そうだな。
20名無し三等兵:02/02/03 23:05
>>12
中国では春秋時代の入り口だな。東周に変わった頃だ。
戦国期に入ればアッシリアとは比べ物にならないくらいの動員兵力だったが
同時代ではアッシリアのほうが強そう。
21名無し三等兵:02/02/03 23:06
乗馬した場合の弓は、せいぜい20bの距離から撃ってたようだ
22名無し三等兵:02/02/03 23:11
当時の壁面彫刻等を見ると、アッシリア騎兵は現代の騎兵のように馬の背に乗らず、
後方の臀部に乗っている
これは、当時の小柄な馬では背中で人間の体重を支えきれなかったからで、
人間を乗せて疾走することなど出来ず、戦場での運用はまず不可能だった
このため、当時の騎馬は戦場までの運搬が主たる任務で、
騎乗者は戦場では徒歩で戦ったと推測されている
当時の小柄な馬では戦場での戦術行動は不可能であり、
これが戦車が隆盛を極めた一因となった
23名無し三等兵:02/02/03 23:30
>>22
大型の馬は主にどこで発達したの?
24名無し三等兵:02/02/03 23:31
>22
なにげに武田騎馬軍団荒らしがやってきそうな文だな。
25半角騎馬軍団:02/02/03 23:34
          . .__          _________
      ヒ    .|大|        /   
     ヒ     .|き|      /  
     /     .|ぼ|     /   
     ン  ||   |ん|   <  おまえら エチーな画像ください!
  _∧ .∧(oノヘ |ぬ|     \   
 (_・ |/(゚ー゚ { | ̄        \________
    |\Ю ⊂)_ √ヽ
   (  ̄ ~∪ヽ)^)ノ
    .|| || ||  ||
    '~ ~ '~ '~
26名無し三等兵:02/02/03 23:37
>>20
他の文明圏というとインドとエジプトは近すぎるしエジプトは実際征服されかけたんだっけ?
27名無し三等兵:02/02/03 23:41
>>23
アラビアとヨーロッパの馬が大型だよ。頭が痛くなるような専門用語は
忘れたが。
28名無し三等兵:02/02/03 23:41
あっ
シリア軍の戦術
29名無し三等兵:02/02/03 23:49
>>22
馬の臀部に乗っているなら、騎乗戦闘は絶対無理だろうね
鐙は無い、鞍も簡易的な物、蹄鉄も無い。
戦場に出れるだけでも、すごいと思うぞ、古代人は無茶だな。
30名無し三等兵:02/02/04 00:13
関係ないけど駱駝の乗用利用っていつ頃から?
31名無し三等兵:02/02/04 00:20
ヒッタイトがそばにいたんだから強いわな…
ていうかなんでヒッタイトはあっさり滅びましたか?
32名無し三等兵:02/02/04 06:43
>>31
ヒッタイトもアッシリアも無茶しすぎて滅びました。
ていうかヒッタイトの衰退の一因になった「海の民」ってのも謎っぽいんですが…
フェニキア人の先祖かなんかですか?
33名無し三等兵:02/02/04 22:32
やっぱりこのスレこれ以上レス付くの難しいかな。
たまには趣向が変わって面白いと思ったのだが。
34名無し三等兵:02/02/04 23:56
鉄器文明のはしりであるヒッタイトだが、なぜ、彼らは
製鉄技術を手に入れることが出来たの?
35名無し三等兵:02/02/05 00:00
>34
宇宙人と技術提携を結んだのだ
36名無し三等兵:02/02/05 00:01
ヒッタ>投石のHP2倍、射手の攻撃力+1、

と言ってみたりするテスト。
>34
隕鉄の加工技術から発達しました。
隕鉄を加工しているうちに『自前で作ったろう』と言う事になったのね。
貴重な隕鉄が山と武器に加工され……うわーん、ちょっと残しとけよ(泣)
38名無し三等兵:02/02/05 00:08
関連スレかな?

世界史板、素材の歴史...金属、ガラス、プラスティック、繊維
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1009897856/
39名無し三等兵:02/02/05 00:38
>>37
それはトルコの地にある程度まとまった量の隕鉄があったということですか?
>39
最初、高貴な物の武器として。

材料が少なくて異常に高価。

どうにかして作れない物か……。

と言う流れで行ったので比較的大きな隕鉄が落ちていたのかもしれませんが、
そんなに多かったわけではないのでは。
製鉄技術の戦略的重要性に思い当たった人が居たのでしょう。
41名無し三等兵:02/02/05 00:59
なるほど。
何か、中国の製鉄に関して言うと、どうも初期の段階では
質の高いものが作れなかったために農具利用が先だった節が
あるようですが、イン鉄利用なら最初から良質の物が作れますね。
42名無し三等兵:02/02/05 00:59
ヒッタイトやアッシリア時代の鉄は露天掘りだった筈だが
で、金属としては銅や青銅の方が格上だったらしいし、
当時の金属技術では武器としての強度も鉄の方が下だったらしい
唯一の利点は安く大量に揃えられる点で、
金属製の武装を装備した兵隊を手早くたくさん揃えることが出来た
これが、当時の鉄製武器のアドバンテージだったそうだ
夢のない内容でごめんね
43名無し三等兵:02/02/05 01:04
ファランクスってどこの戦術なの?
誰かからバルカン・ファランクスの語源と聞いた。
44名無し三等兵:02/02/05 01:04
イン鉄ってインドの鉄?
45名無し三等兵:02/02/05 01:06
>>44
インド哲学
46名無し三等兵:02/02/05 01:06
>>43
オリエント全般
47名無し三等兵:02/02/05 01:08
あ、あと砂鉄もあったな
48名無し三等兵:02/02/05 01:10
>>43
重装歩兵の密集隊形の事だっけ?
49名無し三等兵:02/02/05 01:41
>43

ファランクス(pharanx)はギリシア語。もともとは戦列くらいの意味だったけど、
後にギリシア特有の歩兵の密集隊形を指すようになった。大体、8列以上の
縦深を持った重装歩兵の隊列からなる。

これ、やっぱりオリエントの影響なんかな。明後日になったらその辺のことを
書いた学術書が届くんだけど。
50名無し三等兵:02/02/05 06:51
ここは召還スレ?
51名無し三等兵:02/02/05 09:14
ギリシャて歩兵しかない軍隊なんだな。
52SSBN:02/02/05 10:28
攻城戦が得意だったのとか残虐な統治ぐらいしか思いつかないです。
反乱を起こした都市の人間の皮で柱を装飾したんだっだか?

関連スレっぽいもの(世界史板
「海の民」とは何者か?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/998929365/
ヒッタイトについて
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1012091896/
53名無し三等兵:02/02/05 10:49
>51

古典期(ペルシア戦争からペロポネーソス戦争にかけての時代を仮にそう呼びます)の
ギリシアに騎兵が存在しなかったわけではありません。

たとえば、クセノポン「ギリシア史1.2.16」(BC411)には、アテナイ人のアルキビアデースが、
騎兵と重装歩兵でもって敵を追撃したとの記述がありますし、2.1.4(BC400)には、ラケダイモン人
(スパルタ人)がアテナイ人に騎兵300を供出するように要求したとの記述があります。

これらの騎兵は偵察任務および追撃任務に使用ている記述が史書にはあり、槍で
武装していたことは少なくとも確実です。戦闘に際しては重装歩兵のような密集隊形を取り、
戦列を整えたとの記述もあります。戦闘に際しては、翼側に配置されました。

歩兵との比率や、どのような人が騎兵となったのか、あるいはその武装などについては
今手元にあるものだけでは調べきれませんでした。なお、歩兵についても、ギリシアでは
別に重装歩兵のみが存在していたわけではなく、ペルタステースと呼ばれる円形の盾のみが
身体の防御手段だった軽歩兵や、投石兵、弓兵などがいたことが、史書の記述から読み
取れます。

54名無し三等兵:02/02/05 11:46
ファランクスは側面を衝かれると弱い。ギリシャは山がちの地形で騎兵が
運用しにくかったことも影響している。
55 :02/02/05 15:04
AOEでファランクスを試したら
投石器の集中砲火を浴びて全滅しました。
56名無し三等兵:02/02/05 15:17
たしかペロポネソス戦争の何処かで軽装歩兵にぼこぼこにされてましたな>ファランクス
>42
むう、手元の資料と違う事が書いてある………。
58名無し三等兵:02/02/05 15:34
う〜む資料の欠片も手元に無い。
59名無し三等兵:02/02/05 15:52
ペルシャの編成は、アッシリアのそれとはやはり違うのだろうか?
オリエント式軍隊の直系というイメージがあるのだけど・・・
60名無し三等兵:02/02/05 19:37
ペルシアの編成

戦闘前衛・側衛:戦車、軽騎兵
第一線及び主力両側に配置
我主力の展開掩護、敵の展開妨害、我の側背防護及び間隙閉塞
敵側背への迂回攻撃及び退路遮断

主力第1梯隊:楯兵、投射兵(投槍兵、弓兵、投石兵)
敵投射兵の排除、敵主力の漸減、第2梯隊の攻撃掩護

主力第2梯隊:軽歩兵(楯、槍または剣を装備、多くは弓も装備していた)
突撃による敵主力の撃破

予備:軽騎兵、軽歩兵
主力後方で待機

 かなり諸兵種連合を意識した柔軟性と縦深性の高い編成で、
十分な展開地積と準備の余裕さえ確保できれば
ギリシアのファランクスなど敵ではなかっただろう
 ただし、ファランクスのような兵科を所有していなかったため、
決定的な衝撃力に欠けていたが、これは柔軟な運用で対処できると
考えていたと思われる

 ただし、正面幅も縦深も確保できない橋頭堡でファランクスの
殴り込みを喰らったマラトン戦以降、ギリシア傭兵による
ファランクスを編成するようになる
61名無し三等兵:02/02/05 21:22
BC490年の八月始め、およそ2万のペルシア軍が、アテナイからおよそ40km東北にあたる
マラトンに上陸した。マラトンは東西に広がる砂浜の海岸で、600隻の船からなるペルシア
軍の上陸地点としては最適の地点であった。

ペルシア軍が上陸したとの知らせは、烽火によって速やかにアテナイに伝わった。アテナイは、
スパルタに援軍を求めたが、宗教的理由からスパルタの遠征軍は9日後でなければ移動を開
始できないとの報がアテナイにもたらされた(この宗教的理由のために、マラトンの戦いがいつ
起こったのかが、ある程度特定できる)。

アテナイは同盟軍のプラタイア軍とあわせて1万の重装歩兵をマラトンに急派し、マラトンの平原
から海岸沿いにアテナイへ至る道が、山と海によって扼されている地に布陣した。軽歩兵と軽
騎兵、そして弓兵が中心であったと考えられるペルシア軍は、アテナイ軍からおよそ5km離れた
位置に布陣していた。

アテナイ軍は、そのほとんどが重装歩兵からなる自軍を中心部が薄く、両翼が厚くなるように
布陣していた。それに対しペルシア軍は程度の高い歩兵を中央に配し、両翼に騎兵と軽装歩兵を
配していた。

双方が布陣してから5日目の早朝に戦闘が始まった。イニシアチブを取ったのは、ギリシア軍で
彼らはおよそ1500mの距離を走ってペルシア側に攻撃を仕掛けた。彼らが攻撃を決断したのは、
敵の指揮官が行き詰まった状況を打破するために、船で兵力の一部をギリシア軍の後方に
再上陸させようとしたためであった。

戦闘は、数に勝るペルシア軍が、ギリシア軍の薄い中央部を突破して優位に戦局を進めているか
のように見えた。しかし、優勢なギリシア軍の両翼は敵の翼を突破し、敵を包囲下においた後、
一部はそのまま機動を続けて敵の策源である上陸船団に突入するに至った。

ここに至ってペルシア軍は大混乱に陥り、ギリシア軍は勝利を掴んだ。ヘロドトスによれば、
ペルシア軍の死者は6400名、それに対してギリシア軍の死者は200人に過ぎなかったと伝えら
れている。

この紛れもない大勝利はギリシア軍の重装歩兵の持つ装備によってもたらされたとも考えられる。
ホプロンと呼ばれた大盾は直径約90cmほどもあり、たいていの飛び道具を防ぐことができた。また、
彼らが装備していた兜、胸甲、脛当ては白兵戦闘にさいして有効な防御手段となったと考えられる。

そして、ペルシア戦争の緒戦での大勝利がギリシア側にもたらした心理的影響も無視することが
できない。彼らは自分たちの重装歩兵戦術がペルシア帝国にも通用することをこの戦いを通して
知ったのである。
62名無し三等兵:02/02/07 07:38
結局ファランクス戦術ってローマに負ける頃まで続いてたんだっけ?
63名無し三等兵:02/02/07 09:46
社会から見ると、集団歩兵戦術じゃないっぽいね
多神教だし、奴隷制だし。
安い装備の庶民が活躍した文明じゃない。
64名無し三等兵:02/02/07 12:34
>60-61
ふむふむ、なるほど
両翼の防御に欠けるファランクスの左右を十分な数の騎兵で固めてやれば、
負けはないわけだ・・・て、マケドニア軍がそれか
65SSBN:02/02/07 13:28
>>64
でも確かマケドニアはローマに負けてません?
戦術が変わっていたのか。騎兵戦力でローマが勝っていたのか。
やっぱりアレクサンドロス大王なしだとダメなのかもw
66ななしさん:02/02/07 13:41
>65
モノの本では、オトリで陽動したマケドニアン・ファランクスを、レギオンで包囲して
ボコッたらしいね。

そのころのファランクスは槍の長さが5メートル逝ってたらしいし。
機動性無さ過ぎ。
67SSBN:02/02/07 14:07
>>66
レギオンで包囲ってことは四方八方から槍が飛んでくる。怖いなぁ。
で、その会戦はこれかな?
http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/kinosuk.html
68ななしさん:02/02/07 14:15
>67
む、私の話は少しまちがってますな。
この頃のマケドニア軍は「槌と鉄床」は使わなかったんでしょうか?

いくらサリッサが長くても投げ槍の方が遠くまで届きますからね。
そこらから槍が飛んできたら怖すぎ。
6961:02/02/07 15:51
>64

マラトンの戦いのときのアテナイ軍の編成は、知られている限りではほとんどすべてが
重装歩兵で、騎兵は含んでいなかったと考えられています。

対するペルシア軍は、騎兵と歩兵からなる諸兵連合部隊(だいたい、>60氏が書いてお
られる通りです)だったのですが、マラトンの戦いについて書かれた古代の史書には、
ほとんど騎兵についての記述がありません。

これについては諸説ありまして、迂回機動したペルシャ騎兵は沼沢地と障害に阻まれて
戦闘に参入できなかったという説、士気が低かったため真っ先に逃げ出したという説、
戦場を迂回して再上陸を図ったペルシア軍部隊に大部分が含まれていたという説、騎馬
を海輸するのが困難であることから、そもそもそれほど多数がペルシア軍には参加して
いなかったという説などがあります。

ただし、マラトンの戦いはむしろ例外というべきで、このあと行われた戦争での諸戦闘に
は、多くの場合騎兵やその他の補助兵科が参加していました。しかしながら、ほとんどの
戦闘では重装歩兵が主力兵科として戦闘の帰結に決定的な役割を果たしています。

この時代の騎兵は、ほとんど装甲されていなかったため、>53に書いたように偵察任務や
戦闘の帰趨が決定して敵が潰走をはじめた時の追撃などに用いられていたようです。
あとは敵の騎兵に対抗するために使用されたり、迂回機動して敵の後方を撹乱する任務を
与えられることもありました。
70名無し三等兵:02/02/07 16:18
>69
説明ありがとう
当時の騎兵の衝撃力ではまともな隊列を敷く歩兵には手がでなかったという
ことか・・・
ファランクスを圧倒するには、側面・背後を歩兵で攻撃するしかなくて、古
代でそれができたのは、部隊の練度が隔絶していたローマ歩兵だけだった、
という解釈で良いのかな?
71名無し三等兵:02/02/07 17:09
アッシリアから一気に時代が下がって、ギリシャ・ローマになってしまったな。(w
古代オリエントは、あまり語ることがないのかな。

そういや、アッシリアは軍の移動のために帝国内の道路を整備したんじゃなかったかな。
こういうのは、ここが最初?
72SSBN:02/02/07 18:11
アッシリアに関するページでこんなのみつけました。
http://www.wnn.or.jp/wnn-b/mesopotamia/warfare/story/sto_set.html
えっと。ひらがな振ってあるって事は子供向きなのかもしれない。
途中の
http://www.wnn.or.jp/wnn-b/mesopotamia/warfare/story/page10.html
これ装甲歩兵ですかね?円形の盾。長槍。
鎖帷子みたいの付けてるようにも見える(このときあったかどうかは知りませんが)
73名無し三等兵:02/02/07 21:22
アッシリアで検索しても、エイジオブエンパイア関連サイトばかりでてくる・・
74名無し三等兵:02/02/07 22:07
75名無し三等兵:02/02/07 23:42
>61
すまん、重箱の隅だけど気になったので聞くね
鎧を着込み、楯と槍構えて隊列組んだまま1500メートルも走り続け、
更に突撃なんて出来るもんだろうか?
76名無し三等兵:02/02/08 00:18
>>75
ヘロドトスに言ってくれ。(w
77名無し三等兵:02/02/08 00:41
>>75
もちろん全力疾走ではなく駆け足で至近距離まで近づいたのだろうし、
敵方も前進してくるだろうから、1.5km走りまくりではないのではないかな?
78名無し三等兵:02/02/08 00:53
古代オリエントの戦争はキンタマの取り合いだったそうですな。
7961:02/02/08 01:00
>75

原文見て確かめてみましたが、「駆け足で(toi dromoi)」とは書いてあるけど、
どれくらいのペースなのかはわかんなかったです。

ただ、陣形崩れるほどの速歩だったとは思えないし、盾は相当重かった(なにしろ
手だけではもてないので、肘のあたりと手の二箇所で支持するようになっていた)
ので、長時間の突撃はできなかったでしょう。

ですので、>77氏のおっしゃっている通りだと思います。
80名無し三等兵:02/02/08 02:01
マケドニアがローマに敗れたのは、ローマの戦術の優秀性云々以前に、
当時既にマケドニアには有力な騎兵部隊を整備するだけの国力がなく、
騎兵戦力でローマ軍が圧倒的に優位だったから
81名無し三等兵:02/02/08 12:47
アッシリアの戦術について語ろうにも、実際にどのように戦ったかの記録が無ければ…
坂上田村麻呂の野戦戦術について語れる奴が居ないのと同じでは?
82名無し三等兵:02/02/08 19:14
83名無し三等兵:02/02/09 17:44
>>82
やっぱアッシリアについては詳しくないね。
84ジョニー=六d:02/02/10 00:02
アッシリアはたしかに軍事大国というイメージですね。

たしか騎馬でロシア方面から移動してきたキンメル人には
苦戦したと記憶しておりますが・・・

何度も滅亡寸前になりながらも生き延びたのがBC7Cの
大発展につなっがたんでしょうね。

アッシリアの王ではメロダハ=バラダン2世が好きだな〜
85名無し三等兵:02/02/10 00:25
アッシリア王といえば、やはりスーパースター(w)アッシュール・バニパルであろう。
有名すぎたせいか、聖書では最後の王として燃える宮殿に身を投げたとか捏造されてるらしいけど。
86山野野衾:02/02/10 01:23
>85
世界の「暴君・凶王事典」に出てきそうな方ですね(藁。どこまで本当か分かりま
せんが、時代と場所が異なれば興味の湧いて来る人物です。
セミラミスはそれ以上によく分かりませんが、考える分には楽しい。
87名無し三等兵:02/02/10 05:25
結局アッシリアの鉄製武具は鍛鉄なのか鋳鉄なのか?
古代秦はそっち方面の鍛鉄精錬技術が流れてきたので、
強かった説があるので、アッシリア鋳鉄説はショックだぜ。
88名無し三等兵:02/02/13 11:44
age
89無知蒙昧でできること:02/02/15 19:22
age
90名無し三等兵:02/02/16 17:56
アッシリアの攻城用戦車が好きです。
91名無し三等兵
>>87
鍛鉄って事は隕鉄のみから作るの?
やっぱ鋳鉄のほうが…まぁ全部が
全部鋳造だとするとそちらのほうが
凄い技術だが…