続・独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

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99名無し三等兵
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一九四五年四月七日 土曜日
<前略>
 しかし最終的な結果を見ると,その数字は恐るべきものとはいえ,予想どおり
期待をはるかに下回るものであった。出撃したドイツ戦闘機のうち,基地に戻っ
たのはたった一五機でしかなかった。パイロット七七名が戦死もしくは行方不明
となり,残りはパラシュートで脱出に成功した。無意味な犠牲であった。ドイツ
側は一三三機の喪失を認め,敵機五〇機を撃墜したとしている。たとえこの数字
が正しいにせよ,戦局の推移には何ら影響を及ぼすことはなかった。対照的に
アメリカ側は戦闘機による五九機を含めドイツ機一〇〇機を撃墜し,それに
対し失った爆撃機はわずか八機であったと報告している。おそらくどちらかの
数字が多すぎ,どちらかが少なすぎるのだろう。