続・独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

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98名無し三等兵
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19321717 P49
 ドイツ,アメリカ両軍の報告による損失数を比べると,評価検討のため
入手もしくは参照した数字を見る限りでは,大きく異なる結果が示されている。
これは一九四四年十一月二日の戦闘だけにあてはまるものではなく,双方の
数字が大まかに合致していたり,相互に対照できるような関連を見いだせる
ことすらも極めて稀である。従って一方の撃墜数と相手側の損失数が食い違う
のは何ら珍しいことではなく,敵側の損失はたいてい過大に報告されている。
撃墜報告の中には翌日,あるいは一週間もたってから訂正しなくてはならない
ものもある。同様にして味方の損失が,とくに公式発表やコミュニケなどで,
過少に示されることもしばしばである。
 ドイツ側の損失報告によれば,戦闘機部隊は十一月二日に少なくとも九八機
を失い,そのうち二四機は突撃部隊の機体であった。第I戦闘機軍団の文書で
は一二〇機,うち突撃飛行隊のもの三〇機という数字が挙げられている。
アメリカ側は,先に述べたとおり,敵戦闘機一三四機撃墜を報告している。
 アメリカ第8空軍の公式記録には,十一月二日には合計四〇機の四発爆撃機の
損失が記されており,そのうちの二六機がドイツ戦闘機に撃墜されたとしている。