続・独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

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78名無し三等兵
「世界歴史体系 フランス史」(山川出版社)P316
 ダルランが統治した時期には、ボーキサイトを安価でドイツに売り渡したり、
ベルギーから預かっている金をドイツに引き渡したりしたが、特質すべきことは
航空機の共同生産である。ドイツはかねてよりフランスの航空機産業に強い関心
をもっていた。フランス側も失業対策や、プラントをドイツに引き渡さなくて
すむことなどから、ドイツの注文に応じた。ドイツは休戦協定に反するかたちで、
自由地区の兵器産業や航空機産業にも発注する。フランス政府も、自由地区内の
航空機工場へドイツ軍が機材を発注するのを追認した。一九四一年四月に、
工業生産大臣のピュシューがドイツ軍向けの兵器類の製造を約束する。同時に
仏独間で航空機の共同生産計画の協議がなされ、一九四一年七月二十八日に
調印された。この協定でフランスは、ドイツに従属したかたちでの航空機生産
を認める。この結果、フランスはユンカース五二型輸送機の生産ではおおいに
ドイツに貢献することになる。一九四三年には、ドイツはフランスの全航空機
産業を併合した。かくしてフランスは毎年、工業生産物の三割から五割におよぶ
物資をドイツに供給するのである。航空機の一〇〇パーセント、自動車・建設・
石炭・セメント・造船の七五パーセント、ゴム・塗料・化学・織物の六〇
パーセントがドイツ向け製品であった。