続・独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
59名無し三等兵
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P230〜231
 第二次大戦を通じ、もっとも長期的で、大規模で、かつ激しく破壊的
だった戦闘の一つ、それは英米空軍によるドイツ大空襲だった。しかし、
その実態はあまり世間に知られていない。空襲は一九三九年から始まっていたが、
本格的になったのは一九四三年の「戦略爆撃攻撃作戦」が軌道に乗ってからである。
この作戦で、四発の戦略爆撃機が百五十万トンの爆弾をドイツ領内に投下し、
戦闘爆撃機(単発・双発を含めて)がさらに百十万トンの爆弾を落とした。
≪中略≫
 爆撃行で受けた損害もまた大きかった。空軍の戦死傷者は十五万九千人(英米軍半々)。
未帰還機は爆撃機で二万一千九百十四機(うち英軍機は一万一千九百六十五機)、
戦闘機で一万八千四百六十五機(うち英軍機は一万四十五機)に達した。
爆撃に参加した爆撃機はのべ百五十万機、千機につき十五機の損耗率である。
戦闘機はのべ二百七十五機で、こちらは千機につき七機の損耗率だった。
 爆撃の発信基地は、ほとんどイギリス。ここから発進した爆撃機が投下した
全爆弾の半数はドイツ国内に落ち、二ニ%はフランス国内に落とされた。
一方、イタリアを発進基地とした爆撃行の標的は、主にイタリア領内(総計中の十四%)で、
オーストリア、ハンガリー、バルカン諸国が七%、残余の地域が七%である。