続・独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

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44名無し三等兵
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 ドイツの軍事的予備はとっくに尽きかけていた。二月二七日ヨードルは
ヒトラーに、二月に約束された五万二二一五人の兵のうち到着したのは
わずかに一万一九〇二人に過ぎなかったと激しく苦情をいっているルント
シュテットの電報をみせた。マルチン・ボルマンは五〇万以上の脱走兵が
ドイツ国内に隠れているとみて、二月中旬以降この“臆病の流行病”退治
運動を始めていた。彼の部下は大管区指導者カール・ハンケが最近ブレス
ラウ狂気の防衛に有効であったといっている“名誉ある死を恐れる者には
死と不名誉を”のスローガンの下にそういう連中を公開絞首刑にすること
を提案した。ヒトラーはヒムラーに脱走兵を恥じさせて部隊に帰らせる二つ
の思い切った解決策を提案した、「男性の態度に適切な影響」を与えるため、
ドイツ婦人指導者ショルツェ=クリンクに婦人大隊を創設することを相談する、
第二に十五歳の少年六〇〇〇人を徴募してヒムラーの後方防衛線を強化する
というものだった。ボルマンは部下への覚書の中で、「これはいまやわれわれ
が戦線を強化するために婦人と十五歳の者を召集しているということである」
と辛辣にのべた。