続・独ソ開戦から60年、本当はどうだったの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
153名無し三等兵
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P238、239
 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日
の正午の会議で、総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団
引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、救えると思うのは幻想にすぎ
ない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この
災厄でこれまで中央軍団にどれだけ損害があったか、静かに訊ね、「一二
から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団に上る
でしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは
三五万の訓練済みのドイツ兵をロシア側に奪われたのだった。