栄光の三八式歩兵銃

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114ガバ
407 名前:名無し軍曹 投稿日:2001/08/20(月) 23:17
日本はなぜ6.5mmから7.7mmに転換したか?

どうもね、戦争を目前にして小火器の口径を転換するのが間違いとか、そもそも6.5mmを採用したのがいけない、、だから日本軍は駄目なんだ、、という意見が戦後多い、ほんとにそうなのか?検証してみよう。、

19世紀から20世紀になる頃、無煙火薬を使う近代的なボルトアクション小銃が各
国で続々開発採用された。
6.5mmの30年式実包もこの頃、採用されたのであるが、
小銃の口径を見てみると、6.5mmクラス、7mmクラス、7.62-8o(口径.30
)の3クラスに大別される。

第一次世界大戦前後においてクラス別に使用した国を列記してみると
6.5mm●日本、●イタリア、●スエーデン、ノルウェー、ルーマニア、ポル
トガル、●オランダ、ギリシャ
7mmクラス、●スペイン、メキシコ、ブラジル、チリ
7.62-8mmクラス
●アメリカ、●イギリス、●ドイツ、●フランス、●オーストリア、デンマー
ク、●チェコ、●ロシア、●ベルギー、●スイス、アルゼンチン、トルコ
国名の前の●は、ある程度の規模の軍事力を持ち、小火器の生産能力をもつ国とそれに順ずる国だ。(ご異存はあるかもしれないがとりあえず)

(つづく)
115ガバ:01/11/28 21:20
そしてさらに6.5mmクラスを分類する。
同じく第一次世界大戦前後、併用使用する機関銃も6.5mmクラスだった国
日本、イタリア、スエーデン、ノルウェー、オランダ(LMGのみHMGは8mm)
その他のルーマニア、ポルトガル、ギリシャは機関銃のみ7.62-8mmクラス

・・・・・・ここまで第一次世界大戦前後の状況・・・・・・・・・・・・・

そしてさらにその中から、第二次世界大戦前に機関銃を7.62-8mmクラスに変更した国
日本(7.7mm92式HMG.99式LMG)イタリア(HMGのみ8mmブレタ)スエーデン(HMGのみ8X63)ノルウエェ(HMGのみ7.9X61)

オランダのみは弾薬の共通性を重んじシュワルツローゼHMGを6.5mmに改修しようとした。


そしてさらに小銃も7.62-8mmクラスに変更した国
日本(7.7mm九九式)
イタリア(7.35mmカルカノ)
スエーデンは重機関銃を扱う兵士のみ弾薬補給を考え8mmの小銃を配布した。
ルーマニア(第一次大戦でボロボロになり兵器不足のため、ドイツフランスなどから7.62-8mmクラスの兵器を輸入した。
ポルトガルは隣国スペインと同じくドイツから軍事支援を仰いだため、小銃、機関銃とも7.92mmに転換した。

整理すると第一次世界大戦以後、オランダ以外の世界中は7.62-8mmクラスの重機関銃を装備しようとしたわけだ。
そして小銃も7.62-8mmクラスの方が望ましいとする国が多かったわけだ。

なぜ?
第一次世界大戦でなにが起こったの?
質問ばかりしないで、たまには自分で考えてみよう〜〜
116ガバ:01/11/28 21:23
424 名前:名無し軍曹 投稿日:2001/08/22(水) 20:40
(中略)
さて6.5mmが7.62-8mmクラスに大口径化された理由だが。
そのとおり、威力の問題である。
ただ直接的な威力の問題とその他の威力の問題がある。
まず運動エネルギーによる殺傷力の問題。
第一次世界大戦は人類史上初の総力戦で、4年の長きに渡った。
そこで得られた教訓としては、戦傷で一度戦場を離脱した将兵の治癒により戦場
への復帰、ということだ。
要するに6.5mmでは痛めつけ方が足りない。
完全に殺すか、手足をもぐぐらいしないと駄目だということだね。
さらに第一次世界大戦までは、皆が言うとおり、小火器の目標は人馬だけだった。
軟目標である人馬を殺傷できれば事足りた。
ところが、WWTでは、軽装甲の車両、飛行機などが出てきた。
通常のトラックのように装甲がなくても、破壊するには貫通力が必要である。
さらに燃料など可燃物に火をつけたい。
こういった要求にたいし、特殊弾丸といわれる各種の弾丸が使われる。
テッコウ弾、焼夷弾、曳光弾、テッコウ焼夷弾など。
これらは、小口径、小さい弾だと製造がむずかしい、コストがかかる。
さらに小口径であれば、焼夷剤などの充填量が少なくなり効果も少ない。
そしてこういった特殊弾丸をメインに使う銃機関銃から大口径化に踏み切ったわ
けだ。
最近でも、小銃が5.56mm化しても機関銃が同じにならなかったのは、5.56mm
での特殊弾丸のコストと効果の問題だ。
117ガバ:01/11/28 21:42
480 名前:名無し軍曹 投稿日:01/08/30 21:35 ID:WAhNrG1A
(中略)
本来、38.99のデーターをあげたいところなんだが、あいにく弾道計算ソフトがどっかに行ってしまったので、これで勘弁してくれ。
6.5*55と.30-06の各射程での残存エネルギーである。
6.5*55はスエーデェンにて開発され、1893年に採用された。
ノルウエーなどにも採用された優秀は実包である。
30年式実包よりやや強勢で、6.5mmクラスの最優秀実包とも言われる。

6.5*55 口径6.5mm弾丸重量140グレイン
銃口エネルギー:2021フィート/ポンド、
射程100ヤード:1720
200:1456
300:1224
400:1023
500:850

.30-06 口径7.62mm弾丸重量150グレイン
銃口エネルギー:2820
100:2281
200:1827
300:1445
400:1131
500:876

(注)100ヤードは91.4m

これで見てもらうと、銃口では約40%も.30-06の方が強力だったのが100ヤードで33%、200で25%、300で18%、400で11%、500で3%と差が縮まってきている。
どういうことか?というと、前に書いたSD値の違いである。
小口径でも、SD値(口径断面荷重)を高くすれば運動エネルギーが保存できて、ひいては存速が落ちないし、弾道も低伸する。
遠距離での威力が確保できて、有効射程が延びる。
こういったやりかたを「長重弾」というんだ。
(つづく)
118ガバ:01/11/28 21:42
最近では、従来の5.56mm実包(M193)の射程が短いことが疑問視され、この長重弾の手法を取り入れSS109という実包が開発された。
SS109は従来55グレンだった弾丸を71グレイン(だったか?)に変更して、SD値を上げた。
さて、それで日本の小銃に戻るが、三八式歩兵銃は、この長重弾の手法で遠距離での殺傷力を確保したのだ。
銃口のエネルギーが低いということは、これの反比例である反動も小になる。
日本人の体格は現在ではやや向上したとは言え、それでも欧米人に劣る。
まして、明治の日本人、昭和はじめの日本人はさらに劣る。
射手の体格が劣っても命中精度と威力を確保するためといえると思う。
そして日本軍の想定する戦場は広大な中国大陸だ。
さらに貧弱な財政、工業基盤の日本は、小銃の威力に少しでも期待をかけたい。
さらに小口径することにより火薬は弾丸に使われる材料を節約できる。
(セコい話と思うだろうが、莫大に消費される小銃弾薬の単価を節約することは、結果おおきな節約となる)
こういったことで明治の先人が知恵を絞ったのだろう。
結果はどうなったか?
119ガバ:01/11/28 21:43
481 名前:名無し軍曹 投稿日:01/08/30 21:35 ID:WAhNrG1A
その前に近代的な小銃の変遷について触れたい。
近代的小銃の条件しては。
無煙火薬、小口径高速弾化、連発式、頑丈な機関部、一動作で装填できるクリップ方式などであると思う。
この条件の中で特記すべきは、小口径高速弾化だろう。
1886年、フランスで無煙火薬が発明され、小銃の初速の大幅な向上が可能になり、小口径化された、冒頭にあげた(なにか画期的な新技術)とは、まさにこれだろうね。

そしてこの基準に見合う小銃が採用されたのが
日本:1997年、30年式歩兵銃
アメリカ:1903年、スプリングフィールド1903
ドイツ:1898年、98モーゼル(1888年のM88とするか、迷うなぁ)
フランス:1890年、MLe1890
イタリア:1891年、M1891カルカノ
イギリス:1889年 りー・メトフォード
ロシア:1891年、M1891モシン・ナガン
オーストリア:1895年、M95マンリカ

こうして前々世紀と前世紀をまたいで近代的な小銃が出揃ったわけだ。
戦艦でも企画的な英戦艦ドレットノードにちなんでド級戦艦という区分があるように、
こちらも近代ライフルの開祖モーゼルにちなんで「モ級小銃」とでもするか。
120ガバ:01/11/28 21:47
494 名前:名無し軍曹 投稿日:01/09/01 18:06 ID:qv2R/fk2
(中略)
それで「モ級小銃」だが。
確立以後、WWUまでの間にいくつかの点が直され、ほぼ同じような形態となった。
まずは銃身長だろう。
モ級小銃は、それ以前の小銃の習慣を引き継ぎ、2種類の長さがあった。
すわなち歩兵銃と騎兵銃。
歩兵銃はおおむね銃身長75-80p、
これは黒色火薬の時代、この程度の長さがないと火薬の圧を有効に使えなかったこと、白兵戦の際、銃剣をつけて戦うにの手頃な長さ(原則長いほうがいいが重
量や取り回しの問題から自然に定着した)として定着した。
そして騎兵銃は45-55cm
騎乗での操作性の問題、馬上から撃つことが滅多にないが、長いと騎乗中、邪魔になる。

この歩兵銃と騎兵銃が統合された。
理由は単一銃にしたほうが、生産性、保守、訓練などで便利だというのと、白兵戦という戦闘形態や戦闘兵科としての騎兵の存在がむずかしくなってきたからだ
ろう。
これはモ級小銃の基本的な性能に由縁すると思う。
早くなった連射速度(再装填の時間も含めて)と長くなった射程により、攻撃側にとって決戦の際、白兵戦に到るまでに、飛来する弾丸の数と、弾丸に身をさら
す時間が長くなった。
要するに生存確率が下がった。
例をあげて計算すると歩兵の進撃速度が時速10Km、騎兵が30Km(馬のスピードは想像がつかんがとりあえず)モ級小銃が射程1000mで連射速度が毎分7発
(再装填の時間もいれて、ある程度狙い込むという前提である、通常6〜7発が実用発射速度とされている)
単発元込めの小銃(黒色火薬使用)が射程500mで連射速度4発(これは私の推定)
これで計算するとひとりの兵士が敵一人当たりに浴びせられる弾丸はモ級小銃で歩兵に対し42発、騎兵に対し14発、射程を同じ500mでも21発と7発となる。
これに対して単身元込めで歩兵に対し12発、騎兵に対し4発。
(最近、数字にとんと自信がなくなった、誰か検算してくれ)

騎兵は進撃速度が速いので突撃の間に受ける弾丸の発数は少ないが、人馬合計で表面積が歩兵よりかなり大きい、さらに遮蔽物を利用できないので生存確率が低
い、しかし騎馬のまま切り込み敵を蹴散らすという効果は大きく、長い間、騎兵の突撃は効果的な戦闘手段とされていた。
これが白兵戦に持ち込むまでの生存確率が下がったことにより、騎兵が廃れ出した。
その後、機関銃により完全に決戦兵科としての役割を絶たれる。
モ級小銃の確立からWWTあるいはWWU前までの間、機動力を生かしての侵攻や偵察で余命を保ったが、自動車や兵器の進歩(騎兵は耐攻撃性に乏しい)のため、完全に消え去る。
日本でも昭和14年に騎兵科は廃止された。
騎兵が廃れりゃ騎兵銃も重要ではなくなる。
歩兵も白兵戦の機会がめっきり減った。
白兵戦になる前にケリがついてしまうようになった。
それで長い歩兵銃も要らなくなった。
長くなったが、こういった理由で、小銃の長さが各国で統一されだした。
大体50〜65Cmが標準の長さになった。
一番早いのは米英。
英は1902年にSMLEを、米は1903年にM1903(M1903の騎兵銃は研究されたが採用されなかった)
ドイツは1908年にM98の騎兵銃(ker98、騎兵銃といいながら騎歩兵共通使用された)を採用。
フランスは1934年にMle1907/34、続いてMle1936
日本は1939年に九九式短小銃。
ソ連は1930年、あまりに長すぎるモシンナガン歩兵銃を切り詰めるが、騎兵銃も並行採用、そして1944年に1944騎兵銃を全面採用
イタリアは複雑な動きになる、1938年に歩兵銃、騎兵銃を採用してイタリアのみ
が両建てであった
121ガバ:01/11/28 21:49
495 名前:名無し軍曹 投稿日:01/09/01 21:32 ID:nkeixu5w
(中略)
口径転換の主な理由は、こんな問題が考えられた。1.補給上の問題、2.殺傷
能力の増大、  3.反動軽減の問題、4.銃身命数の増大、5.特殊実包
政策の成否 などである。」

それでね、結局、WWTで、各国、特に日本軍が想定してような長射程による小銃
の撃ち合いを行う野外決戦っていう想定が崩れてしまったんだ。

WWTの結果や日露戦争、日中戦争で日本得た戦訓を私なりに整理すると、
6.5mm小口径長重弾の近距離での殺傷力不足
遠射程での殺傷力を保つより中近射程での絶対的殺傷力重視。
長射程で小銃を撃ちあう局面がなかった、すくなかった。
さらに、歩兵側の兵器の充実により今後もないと判断された。
長すぎる小銃の取りまわしの不便さ。
騎兵の衰退、白兵戦の機会減少
特殊実包の使用機会増加。
こんなところではないかと思う。
これらを組み合わせると2.3.5の答えは自然と出てくると思う。
特殊弾丸の製造を易くして、焼夷剤などの充填量を多くするにには口径を増加させえばいい。
殺傷力をあげるには運動エネルギーをあげればいいんだが、そうなると反動が増加してしまう。
さらに銃身を短くすれば、軽くなりマズルブラストも強くなり反動が増加してしまう。
対応としては、装薬量を軽くして、さらには弾量の軽めの弾を使うことによって遠射能力は下がっても中近距離の殺傷力を確保しつつ反動を軽減する。
ただ、ここでひとつ疑問があるんだが、小銃での特殊実包使用はそれほど機会があったのだろうか?というのがある。
その他の理由により、口径の拡大の方針が決っていたので、付け加えたのではないかと思うのだが。
実際、小銃での特殊実包の使用状況、必要性などを知りたいものだ。
4の銃身命数の増加であるが、これは圧開弾などの技術もそうだが、九九式で決定的なのは銃身内のハードクロームメッキだ。
以前に書いたので、再度詳しくは書かないが、ハードクロームメッキをすることによって銃身命数はのびるのだが、まぁ長持ちすれば長持ちするほどいいのは当たり前。
ただ旧来の小銃には銃身命数と尾筒(機関部)の命数が大幅に違い、不経済だった。
この差を近づけることも目標だったのではないだろうか?