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海の人:
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当時、中部方面総監の任にあった当時陸将の松島悠佐氏ですね。
松島さんに限らず、当時の初動で動いた隊員一人一人が、もたもたと明確な指示を
出さない行政・政府に、イライラとした時を過ごしました。
海の人のいた部隊も、緊急支援に備えてありったけの缶飯を集め、毛布類もできる
限りで積み込んで待機完了したのが当日の午前中であったのですが、結局災害派遣
要請が遅れに遅れた挙げ句、当初の防衛庁に対する命令が関西方面の部隊に限った
ものであったために、ようやく出港できたのは翌日の昼間ということがありました。
小川和久さんも著書「なぜヘリは飛ばなかったか」の中で述べておられますが
あれはまさに「人災」でした。
これこそまさに、本当に泣ける話です。