1 :
名無し三等兵:
艦隊司令長官(中将)クラス以上は、
高木武雄(6艦隊)の最期に異聞があるほかは、
よく知られているが、
戦隊司令官(少将)クラスになると、どういう活躍をしてどういう
最期を遂げたのか、よくわからない人が多い。
将官は、戦略単位の部隊の司令官であるから、
たとえ戦争末期であっても、その最期はぜひ把握しておきたいと思う。
たとえば、
渋谷紫郎少将
江戸兵太郎少将
中川浩少将
梶岡定道少将
高橋一松少将
門前 鼎少将
伊集院松治少将
など。
2 :
名無し三等兵:01/09/30 00:00 ID:2TDoCXiU
ニダ!
3 :
名無し三等兵:01/09/30 13:31 ID:kvebjiCE
3タ゜ー!!
4 :
名無し三等兵:01/09/30 16:34 ID:iMdJ.lDk
6艦隊長官の高木中将は、
サイパンかテニアンにて最期ということになっているが、
米軍上陸の日は、日本にいた、という記事を読んだな。
5 :
名無し三等兵:01/10/01 00:42 ID:LgwYLh3w
梶岡定道 海兵39期
六水戦司令官、第十八戦隊司令官などをへて昭和19年4月8日第六護衛船団司令官
昭和19年9月12日戦死 任中将
海兵同期 西村祥治 志摩清英 原忠一 岡敬純 角田覚治 木武雄 伊藤整一
江戸兵太郎 海兵40期
夕張艦長、二水戦司令官などをへて昭和19年8月20日第31戦隊司令官
昭和19年11月25日戦死 任中将
高橋一松 海兵40期
厳島艦長、津軽艦長などをへて昭和19年7月8日第二護衛船団司令官
昭和19年8月4日戦死 任中将
海兵同期 城島高次 左近允尚正 寺岡謹平 大西瀧治郎 醍醐忠重 福留繁 山口多聞 宇垣纏
中川浩 海兵42期
阿賀野艦長、日向艦長などをへて昭和18年12月16日三水戦司令官
昭和19年7月8日戦死 任中将
門前鼎 海兵42期
大湊防備隊司令、舞鶴防備隊司令などをへて昭和19年6月1日第三護衛船団司令官
昭和19年6月9日戦死 任中将
海兵同期 加来止男 岡田次作 小柳富次 石川信吾
伊集院松治 海兵43期
金剛艦長、三水戦司令官などをへて昭和19年4月8日第一護衛船団司令官
昭和19年5月24日戦死 任中将
海兵同期 木惣吉 有馬正文 中沢佑 矢野志加三
渋谷紫郎 海兵44期
阿武隈艦長、那智艦長などをへて昭和19年11月15日第101戦隊司令官
昭和20年1月12日戦死 任中将
海兵同期 松田千秋 黒島亀人 柳本柳作
6 :
名無し三等兵:01/10/01 00:42 ID:LgwYLh3w
梶岡定道 海兵39期
六水戦司令官、第十八戦隊司令官などをへて昭和19年4月8日第六護衛船団司令官
昭和19年9月12日戦死 任中将
海兵同期 西村祥治 志摩清英 原忠一 岡敬純 角田覚治 木武雄 伊藤整一
江戸兵太郎 海兵40期
夕張艦長、二水戦司令官などをへて昭和19年8月20日第31戦隊司令官
昭和19年11月25日戦死 任中将
高橋一松 海兵40期
厳島艦長、津軽艦長などをへて昭和19年7月8日第二護衛船団司令官
昭和19年8月4日戦死 任中将
海兵同期 城島高次 左近允尚正 寺岡謹平 大西瀧治郎 醍醐忠重 福留繁 山口多聞 宇垣纏
7 :
名無し三等兵:01/10/01 00:43 ID:LgwYLh3w
梶岡定道 海兵39期
六水戦司令官、第十八戦隊司令官などをへて昭和19年4月8日第六護衛船団司令官
昭和19年9月12日戦死 任中将
海兵同期 西村祥治 志摩清英 原忠一 岡敬純 角田覚治 木武雄 伊藤整一
8 :
5=6=7:01/10/01 00:43 ID:LgwYLh3w
すまんしくじった。
9 :
名無し三等兵:01/10/01 23:28 ID:nGSHmouQ
>1です。
5さん。ありがとう。さすがです。
第31戦隊、第101戦隊、というのは、どういう編成なのでしょう。
中川少将の三水戦ですが、海戦ではなさそうですので、
これは旗艦が雷撃されたのかな。
10 :
名無し厨尉:01/10/01 23:49 ID:5RtJrUJc
第31戦隊は機動部隊護衛のハンター・キラー部隊として編成されたものです。
実際はフィリピンへの増援作戦ですり潰されてます。
旗艦は防空巡洋艦に改装された「五十鈴」(後に駆逐艦「霜月」)。
米潜キャバラの雷撃でアナンバス諸島沖で撃沈、司令部は全滅しています。
第101戦隊は船団護衛向けに編成された部隊。ハルゼー台風の前に護衛していた
ヒ86船団もろとも全滅しています(参考「海上護衛戦」大井篤)。
11 :
名無し三等兵:01/10/01 23:53 ID:MCX7pYDU
木村昌福少将も入れていいですか?
12 :
名無し厨尉:01/10/01 23:58 ID:5RtJrUJc
>11
戦死されてはいませんよね。
戦後にガンで亡くなられたそうですが。
13 :
名無し三等兵:01/10/02 00:43 ID:EVwbGjTM
1です。
10さん、ありがとう。
もう少し解説していただけるとうれしいです。
「ハンター・キラー部隊」とは、はじめて聞く名称ですが、
どういうものでしょうか。
101戦隊は、ほかの第1護衛船団、第2護衛船団など
とどこが違うのでしょうか。
ヒ86はものすごく重要な船団だったから、通常の護衛船団より
編成を違えて「戦隊」と呼称したのか。
14 :
名無し厨尉:01/10/02 18:47 ID:kKAbDcsQ
ハンター・キラーってのは
対潜掃討部隊のことです。海防艦と旧式駆逐艦で構成されてました。
「(臨時)護衛船団司令官」という役職は護衛部隊の「頭」のみを
準備するというシステムで、船団出航に合わせ「体」である参謀、護衛艦艇は近場のもので
編成するという前代未聞のでっち上げシステムでした。
これでは優れた部隊運用ができるわけも無く、日本の対潜戦術のお粗末さと相まって
上記の結果になった次第です。
この反省から編成された「固有の麾下部隊」を持つ対潜部隊が、
1944年11月に編成された101戦隊です。
後に同種の目的をもつ102〜105の各戦隊が編成されています。
15 :
名無し三等兵:01/10/02 23:40 ID:0DRwAplw
14さん、レスThanks
実にクリアな説明、感服です。
護衛船団司令官の件、たしかに、こんな組織力の
発揮できないシステムでは、うまくいきませんね。
中川浩 海兵42期
阿賀野艦長、日向艦長などをへて昭和18年12月16日三水戦司令官
昭和19年7月8日戦死 任中将
ですが、これはサイパン玉砕のときですね。
三水戦司令官が、どうしてここにいたのか。
任官途上に敵上陸で移動できなくなったということでしょうか。
質問ばかりで、恐縮。
門前少将の経歴は少し変わっていますよね。
日向の副長やってたと思ったらガダルカナルで飛行場建設の
設営隊長だなんて。
17 :
名無し三等兵:01/10/03 03:32 ID:eOM.Y6u2
第1航空艦隊司令長官角田覚治中将はテニアンで手榴弾抱えて米軍戦車部隊に突入した、という話をきいたことがある。
もし事実なら、この人らしい生き方だと思う。自決ではなく突入、戦死という最期はあまり聞かないから。
18 :
名無し厨尉:01/10/03 22:16 ID://Xn/NFs
自分の仮定で申し訳ありませんが、3水戦が既に1個の部隊として運用されておらず、
(艦艇も旧式駆逐艦ばかりですし)統合指揮を執るため、直属司令部である中部太平洋方面艦隊司令部のある
サイパンに上陸されていたのかと(トラックは孤立していましたし)
手許の三水戦の載っている最後の資料ですと、旗艦は「名取」となっていますが、
こちらは中川提督の戦死1ヶ月後に戦没しています。だから既に旗艦の役割は解除されていたのではと思ったのです。
自分は同艦の士官だった松永市郎氏の著作「先任将校」を未読なのですが、ひょっとすると
当時の「名取」の立場がわかるかもしれませんが。
ttp://www1.odn.ne.jp/~car56040/kaigun/hyuga/s13.htm 門前提督の副長時代の写真
以前宇垣提督のサイトを探していて見つけたものです。
19 :
名無し厨尉:01/10/03 22:22 ID://Xn/NFs
20 :
名無し三等兵:01/10/03 23:35 ID:21ulcu/k
>18 的確な着眼ありがとうございました。
松永市郎「先任将校」は持っていましたので、
ちょっと見てみましたが、4月には内地にいて
訓練、6月上旬にマニラに進出、その後、7月
にかけてパラオに3回緊急輸送をした、と
書いてありました。
三水戦についての記述は、みあたりませんでした。
でも、ご指摘のように、中部太平洋艦隊司令部と
同居していたということは、ありそうですね。
となると、この時期は、いったいいくつの水雷戦隊
がまともな建制を保てていたのか、気になりました。
21 :
名無し三等兵:01/10/03 23:49 ID:XqBFMu5o
自分の遠い親戚が塩沢大将なんですが、最期について詳しく知る方はないでしょうか。
戦争直前に暗殺されたってことしか聞いてないんですが。
22 :
88式:01/10/03 23:56 ID:GAI/j5mw
23 :
名無し三等兵:01/10/03 23:56 ID:21ulcu/k
山本五十六と海兵同期の塩沢幸一大将ですね。
暗殺って初めて聞きました。
山本五十六より1年早く大将に昇進した32期トップ
ですね。人事総覧には、
15.9.5 横鎮長官
16.9.10軍事参議官
18.11.17 没
としかありません。
私も大変気になります。
24 :
名無し厨尉:01/10/03 23:59 ID://Xn/NFs
>20
1水戦、2水戦、10戦隊だけでしょうか。
開戦時の5個水雷戦隊が・・・(;´Д`)ウツー
>21
塩沢大将は昭和18年5月山本元帥国葬の際の司祭長を務められており、
昭和18年11月に軍事参議官として亡くなられています。
暗殺された、という話は聞いたことがありませんが。
戦前に暗殺された海軍大将は、確か斎藤実大将(予備役時)だけだったと記憶しますが。
養命酒造のご子息で、海兵32期首席ですね。
25 :
21:01/10/04 00:10 ID:oClelypA
>24
どうもありがとうございます。
暗殺って話は自分の記憶違いだったみたいですね。
親戚から聞いた話なんですが、中学の時女遊びして退学処分食らって
その後、海軍士官学校に合格したことがわかったらその退学処分は取り消されたという
武勇談を聞いております(笑)
確か長野県唯一の大将なんですよね。
26 :
:01/10/04 00:25 ID:22SCdU/c
27 :
名無し三等兵:01/10/05 08:50 ID:DR2.0yuQ
>22
情報ありがとうございました。このwebはすごいですね。
>21
このwebの情報によると、病没のようですね。
詳しい経歴が載っていました。
28 :
名無し三等兵:01/10/05 11:48 ID:kuKC8BmA
高橋一松は他の艦船を逃がすため、「松」ただ1隻で敵艦隊に突入して散った
「松」の沈没原因を「空母機の空襲」としてる本があるけど、真相は↑
29 :
名無し三等兵:01/10/05 22:24 ID:pmyDDf0Y
結局、太平洋戦争における日本海軍の提督の戦死、
つまり、現職が少将以上で戦死した人は、
聯合艦隊司令長官 大将 山本、古賀
方面艦隊司令長官 中将 南雲
艦隊司令長官 中将 角田、高木、遠藤、伊藤、宇垣、山県
戦隊司令官 中将 鈴木、西村、橋本
少将 五藤、渋谷、江戸
水雷戦隊司令官 少将 早川、伊崎、秋山、中川
航空戦隊司令官 少将 山口、有馬、杉本、市丸、山田、長谷川
護衛船団司令官 少将 伊集院、梶岡、門前、高橋
特根、根拠地司令官少将 辻村、岩淵、大田、千田、柴崎、秋山、八代
参謀長 少将 矢野、緒方
方面艦隊通信長 少将 伊藤
艦長 少将 猪口、阪、篠田、貝塚、島崎、石井、大塚、草川、杉浦
工廠長 中将 佐藤
の49名だと思います。
もし、訂正事項があれば、ぜひレスいただきたく。
艦長、参謀長、工廠長を除くと、
36もの司令部が壊滅したことになるのですね。
(有馬、宇垣は少し違う)
これでは、いくらなんでも、まっとうな人員リソースの
補充ができる気がしませんね。
30 :
名無し三等兵:01/10/06 00:07 ID:uVb0gcBI
かわいい従兵を道連れに、艦と運命をともにした艦長って絶対いると思う。
31 :
名無し三等兵:01/10/06 00:13 ID:TKrZ9C/k
少し逸れるけど明治末期か大正に練習艦かなにかが爆沈して
太平洋戦争ごろ指揮の一線にいたはずの生徒が大勢死んだ事故無かったけ?
32 :
名無し三等兵:01/10/06 01:19 ID:c7lOwdYg
33 :
名無し三等兵:01/10/06 08:50 ID:kV7VGAWg
34 :
名無し三等兵:01/10/07 23:54 ID:sebaOBtk
>>31 これは、大変興味深い話ですね。
でも、将官人事総覧をみてもよくわかりません。(当然か)
もし、大正1年任官とすると、海兵39期であって、
遠藤9艦隊、伊藤2艦隊、山県4南遣、高木6艦隊、角田1航艦
と5人もの長官戦死者を出した期ですから、
この前後となると、歴史的にかなり重みがありますね。
何をさがせばよいか、きっかけがあればよいのですが。
>>33 これは、何年の事件ですか。
35 :
名無し三等兵:01/10/08 08:59 ID:hauAZ7c6
>>34 「松島」爆沈は明治41年4月30日午前4時の事
練習艦隊の一艦として台湾の馬公軍港に在泊中に、後部火薬庫の爆発(原因不明)で沈没
415名の乗員のうち、艦長以下222名が死亡
1月25日から始まった練習艦隊の巡航(三景艦で編成)は、海軍兵学校35期生を乗せて
横須賀→香港→サイゴン→シンガポール→ペナン→ツリンコマリー→コロンボ→バタビア→マニラを経て、
4月27日に馬公に入港、あとは母国に帰るだけの楽しい寄港だった
「松島」は現地で解体
不幸な最期ゆえ、「松島」の艦名は二代艦には継承されなかった(他の姉妹艦「厳島」「橋立」は二代艦あり)
戦後になって、海上自衛隊の掃海艇に「まつしま」(元哨戒特務艇135)の名が継承された
36 :
31:01/10/08 09:23 ID:fGltutms
>>33〜35 多謝!
調べてみると松島爆沈事故では海兵35期175人中34名死亡しており
同期には高須四郎、野村直邦、近藤信竹の3人がいましたから指揮の一線にいた人よりは上のようです。
あと島津忠重(島津家第30代当主)も35期でした。
37 :
名無し三等兵:01/10/08 21:06 ID:1wKeM.6c
34です。
>>35,
>>36のみなさま、
大変参考になりました。
開戦時は、
高須1艦隊(35)、近藤2艦隊(35)、高橋3艦隊(36)、
井上4艦隊(37)、細萱5艦隊(36)、清水6艦隊(36)、
塚原11航艦(36)、南雲1航艦(36)
が、各長官ですから、
この事件は、結果的に、開戦時の艦隊司令長官人事に、
大きく影響したことになると思います。
もっと言うと、35期の最先任は18.4.29付けで大将に
昇任していますから、もし逸材がいれば、
古賀長官(34期)の後任候補になったかもしれません。
最初の件は、開戦時の戦術が、
あとの話は、レイテ海戦以降の戦争指導が
異なったかもしれません。
まさに、歴史にifはない、の典型的な例ですね。
とても勉強になりました。
38 :
名無し三等兵:01/10/08 21:15 ID:Aw8tV4HQ
将官自決の先鞭を切った山口の罪は重い。
生き恥をさらしても戦っておれば、また違ったろうに。
39 :
名無し三等兵:01/10/08 22:51 ID:bnEWrakc
>>38さんに刺激されて、少し調べてみたのですが、
陸戦とマリアナ以降を除くと、司令部の壊滅(または司令官の戦死)は、
五藤6戦隊、秋山3水戦、伊崎2水戦、くらいで、
これらは直撃を受けたか、旗艦沈没でどうしようもなく、
司令官自決は、後に続いていないと思います。
ただし、38さんの言うように、司令官は残るべきだと私も思います。
ついでに司令部の壊滅についてですが、
司令部壊滅の憂き目を見るのは、マリアナ以降に集中しているのに、
それまでに肝心のGFが2度も壊滅しては、本当にこれが現実か、
と思うくらい近代戦の基本を把握しきれていなかったと感じます。
40 :
名無し三等兵:01/10/09 13:23 ID:Fi.ZIPBg
>>39 橋本信太郎(第5戦隊司令官)
昭和20年5月15日、「羽黒」に座上中、英駆逐艦隊と交戦して戦死、司令部全滅
が、欠けてます
41 :
奈菜氏造兵大尉:01/10/09 17:27 ID:pYzxB0sA
南東方面艦隊兼第十一航空艦隊参謀長
中原義正中将がいないような・・・・。
ラバウルで空襲にあい、その傷が元で
東京で戦病死されたのでは・・・・。
開戦時の人事局長でしたね。
42 :
名無し三等兵:01/10/10 00:56 ID:0NwuTO6.
39です。
>>40,41さん、コメントありがとう。
39では、マリアナ以前を抽出したので橋本5戦隊は、書きませんでした。
マリアナ海戦以降では、司令部壊滅がさすがにどっと増えますね。
中原少将の件、ありがとうございました。
18.12.1出仕、19.2.23没、になっていたので、
抜けていました。
上記のことは全く知りませんでした。
ちなみに、どの史料から上記情報を得られたのか、
お教えいただければさいわいです。
43 :
奈菜氏造兵大尉:01/10/10 01:13 ID:GrCAtqLI
44 :
奈菜氏造兵大尉:01/10/10 01:17 ID:GrCAtqLI
ちなみに中原中将は重傷を負う前日に
中将に昇進していますね。
戦地にいるとはいえ昇進した翌日に死に至る傷を負うとは・・・。
45 :
名無し三等兵:01/10/12 23:39 ID:CfKntY5U
良スレあげ
46 :
名無し三等兵:01/10/14 10:40 ID:Pddbp+Rj
有馬正文、「特攻」で・・・
47 :
名無し三等兵:01/10/14 20:43 ID:EChB/XWH
>>46 有馬提督の特攻のことですが、
全将兵に、もはや事態はこれほど深刻であることを、
精神性抜群の提督が、特攻によって範を示されたという話、
また
ダバオ誤報事件による部隊壊滅の責任を痛感されておられた、
という話はよく知られていますが、
自分の第26航空戦隊および司令部はその時どういう状況で、
(隷下の201航空隊:零戦隊は、ダバオ誤報のあと空襲で壊滅)
また、その後どうなったのか、
知っている方がいれば教えてください。
日本人て、組織を運営する「責任」がやはり乏しいのかな、
と山口提督の件も合わせて感じてしまいました。
48 :
名無し三等兵:01/10/15 23:02 ID:yDeH7oXn
>>29 の修正です。
太平洋戦争における日本海軍の将官の戦傷死、
つまり、現職が少将以上で戦傷死した人は、
聯合艦隊司令長官 大将 山本、古賀
方面艦隊司令長官 中将 南雲
艦隊司令長官 中将 角田、高木、遠藤、伊藤、宇垣、山県
戦隊司令官 中将 鈴木、西村、橋本
少将 五藤、渋谷、江戸
水雷戦隊司令官 少将 早川、伊崎、秋山、中川
航空戦隊司令官 少将 山口、有馬、杉本、市丸、山田、長谷川
護衛船団司令官 少将 伊集院、梶岡、門前、高橋
特根、根拠地司令官少将 辻村、岩淵、大田、千田、柴崎、秋山、八代
参謀長 中将 中原
少将 矢野、緒方
方面艦隊通信長 少将 伊藤
艦長 少将 猪口、阪、篠田、貝塚、島崎、石井、大塚、草川、杉浦
工廠長 中将 佐藤
の50名。
ただ、伊藤正徳の「連合艦隊の最後」では、
提督の戦死は、
元帥2、大将5、中将56、少将252となっています。
むろん、これは戦死後の階級ですので、
元帥から中将までの63名が対象で、死後中将昇進は、
松村寛治、中原義一郎、安田義達、佐藤康夫、有賀幸作の2階級特進のほか、
41期の堀勇五郎が20.6.13に羅津方面特根司令官で没、
44期の高田さとしが、20.3.10に安浦海浜団長で没
の7名が含まれますが、それでも6名不足です。
知っている人がいたら、お教えいただきたく。
49 :
名無し厨尉:01/10/15 23:27 ID:4zlK4xT8
遅まきながら手許の資料と29氏のデータをもとに年表にまとめてみました。
<昭和17年>
2月・クェゼリン空襲(1日)
第6根拠地隊 司令官 八代祐吉 40期 少将
6月・ミッドウェイ海戦(5〜6日)
第2航空戦隊 司令官 山口多聞 40期 少将
10月・サヴォ島沖海戦(12日)
第5戦隊 司令官 五藤存知 38期 少将
<昭和18年>
4月・山本GF長官前線視察(18日)
連合艦隊 司令長官 山本五十六 32期 大将
7月・クラ湾海戦(6日)
第3水雷戦隊 司令官 秋山輝男 41期 少将
・コロンバンガラ島沖海戦(12日)
第2水雷戦隊 司令官 伊崎俊二 42期 少将
11月・タラワ陥落(25日)
第3特別根拠地隊 司令官 柴崎恵次 43期 少将
50 :
名無し厨尉:01/10/15 23:29 ID:4zlK4xT8
<昭和19年>
2月・マーシャル諸島陥落(6日)
第24航空戦隊 司令官 山田道行 42期 少将
第6根拠地隊 司令官 秋山門造 42期 少将
・ラバウルにて傷病死(23日)
南東方面艦隊 参謀長
兼第11航空艦隊参謀長 中原義正 41期 少将
3月・?(26日)
第22航空戦隊司令官 司令官 長谷川喜一 42期 少将
・GF司令部ダヴァオ疎開(31日)
連合艦隊 司令長官 古賀峯一 34期 大将
5月・死亡認定(3日)
第9艦隊 司令長官 遠藤喜一 39期 中将
参謀長 緒方真記 41期 少将
・?(24日)
第1護衛船団 司令官 伊集院松治 43期 少将
6月・旗艦「松風」を父島沖で米潜ソードフィッシュが撃沈(9日)
第3護衛船団 司令官 門前鼎 42期 少将
7月・サイパン陥落(8日)
中部太平洋方面艦隊 司令長官 南雲忠一 36期 中将
兼第14航空艦隊 参謀長 矢野英雄 43期 少将
第6艦隊 司令長官 高木武雄 39期 中将
第3水雷戦隊 司令官 中川浩 42期 少将
第5根拠地隊 司令官
兼第2海上護衛司令官 辻村武久 42期 少将
第1連合通信隊 司令官 伊藤安之進 42期 少将
・?(8日)
南東方面航空廠 航空廠長 佐藤源蔵 40期 中将
51 :
名無し厨尉:01/10/15 23:29 ID:4zlK4xT8
8月・テニアン陥落(2日)
第1航空艦隊 司令長官 角田覚治 39期 中将
・?(4日)
第2護送船団 司令官 高橋一松 40期 少将
・ビアク陥落(25日)
第28根拠地隊 司令官 千田貞敏 40期 少将
9月・?(12日)
第6護衛船団 司令官 梶岡定道 39期 少将
10月・台湾沖航空戦(15日)
第26航空戦隊 司令官 有馬正文 43期 少将
・レイテ沖海戦(24〜25日)
第2戦隊 司令官 西村祥治 39期 中将
扶桑 艦長 阪匡身 42期 少将
山城 艦長 篠田勝清 44期 少将
武蔵 艦長 猪口敏平 46期 少将
瑞鶴 艦長 貝塚武男 46期 少将
11月・第3次多号作戦(11日)
第2水雷戦隊 司令官 早川幹夫 44期 少将
・斉州島沖・米潜スペードフィッシュが撃沈(17日)
神鷹 艦長 石井芸江 39期 少将
・台湾海峡・米潜シーライオンが撃沈(21日)
第3戦隊 司令官 鈴木義尾 40期 中将
金剛 艦長 島崎利雄 44期 少将
・アナンバス諸島沖・米潜キャバラが撃沈(25日)
第31戦隊 司令官 江戸兵太郎 40期 少将
<昭和20年>
1月・ヒ86船団護送
第101戦隊 司令官 渋谷紫郎 44期 少将
2月・マニラ戦(26日)
第31特別根拠地隊 司令官 岩淵三次 43期 少将
3月・航空機事故(7日)
第4南遣艦隊 司令長官 山縣正郷 39期 中将
・硫黄島戦(17日)
第27航空戦隊 司令官 市丸利之助 41期 少将
4月・某の岬沖海戦(7日)
第2艦隊 司令長官 伊藤整一 39期 中将
5月・ペナン沖海戦(16日)
第5戦隊 司令官 橋本信太郎 41期 中将
羽黒 艦長 杉浦嘉十 46期 少将
6月・?(12日)
第26航空戦隊 司令官 杉本丑衛 44期 少将
・沖縄戦(13日)
沖縄特別根拠地隊 司令官 大田実 41期 少将
7月・横須賀空襲(18日)
長門 艦長 大塚幹 40期 少将
・呉空襲(24日)
日向 艦長 草川淳 38期 少将
8月・沖縄特攻(15日)
第5航空艦隊 司令長官 宇垣纏 40期 中将
52 :
名無し厨尉:01/10/15 23:50 ID:wi0jXEbU
自分の手許の資料不足により、かなり穴がありますが
フォローしていただければ幸いです。
>47
当時は機動部隊のように空地分離が推進されていて、
航空戦隊は所轄地域の基地・機材管理を行い、
作戦は艦隊司令部が直接指導していました。
ただし、艦隊長官寺岡中将の日記によると、有馬提督が
出撃した10月15日はクラークフィールドの26航戦に
同基地の航空部隊の指揮を委ねていたそうです。
1航艦戦力は201空・761空・153空が手許にあり、ダヴァオ事件前は約250〜280機
ということははっきりしているのですが、事件後は不明です。
事件で60機を損耗したとあるのですが、それ以降台湾沖でさらに損耗したといったところでしょうか。
当時の26航戦司令部は先任参謀は吉岡忠一中佐(海兵57期・ハワイ作戦時の1航艦航空参謀)です。
53 :
名無し厨尉:01/10/15 23:55 ID:CpmFNAx/
また、有馬提督の特攻は士気高揚の意図もあったと言われてますね。
当時高級将校は生き残り、下士官兵ばかりが損耗する中で
高級将校も戦死しなければならない、と考えられていたようです。
これも提督なりの「責任」ないり範の示し方だったのではないでしょうか。
この辺は菊村到「提督 有馬正文」(光人社)を引用している本からですが。
54 :
名無し厨尉:01/10/16 00:00 ID:/P6NU1OR
そういえば、本日が提督の命日ですね(ギリギリかな)?
後、塩沢提督は次席卒業でした。申し訳ありません
55 :
名無し三等兵:01/10/16 09:58 ID:neOPFj9J
>>51 大塚幹は阿川弘之の「軍艦長門の生涯」では「ヨボヨボ」とか言われてた
実際には背中にデキモノがあったりして健康状態は良くなかったそうだ
56 :
名無し三等兵:01/10/17 02:32 ID:IdUNbvTl
>>52 Thanks!!
?のところで追記できるところはしました。
あと「坊」の岬の誤植を修正しました。
3月・?(26日)
第22航空戦隊司令官 司令官 長谷川喜一 42期 少将
5月・船団護送中 スマトラ沖で潜水艦「レートン」が撃沈 海防艦 壱岐(24日)
第1護衛船団 司令官 伊集院松治 43期 少将
7月・?(8日)
南東方面航空廠 航空廠長 佐藤源蔵 40期 中将
8月・4804船団護送中に小笠原沖で米13巡洋艦隊と交戦 駆逐艦松撃沈(4日)
第2護送船団 司令官 高橋一松 40期 少将
9月・船団護送中 南シナ海で潜水艦「グローラ」が撃沈 海防艦 平戸(12日)
第6護衛船団 司令官 梶岡定道 39期 少将
4月・坊の岬沖海戦(7日)
第2艦隊 司令長官 伊藤整一 39期 中将
6月・?(12日)
第26航空戦隊 司令官 杉本丑衛 44期 少将
57 :
奈菜氏造兵大尉:01/10/17 03:07 ID:MzIWrumK
48殿
それでも6名不明というのは
戦死して少将から中将に昇進して人の事ですか?
戦死しても中将のままだった人間や、
兵科以外の将官も含まれているのでしょうか?
48殿
海機21期 近藤一馬中将 南西方面航空廠長 1945.4.29
海機24期 福地英男少将 中国軍需監督部長 1945.8.17(自決)
海機26期 上野権太少将 GF機関長 1944.3.31(海軍乙事件)
大正5年任官 高田六郎軍医少将 GF軍医長 1943.4.18(海軍甲事件)
大正6年任官 須藤巌軍医少将 横鎮附(前第101病院長) 1944.12.28
会計3期 山本亀次主計少将 艦本出仕 1945.8.13
(前艦本臨時資材部長)
この方々を入れるといいのでは?
>戦死して少将から中将に昇進して人の事ですか?
「昇進した」ですね。変な日本語を使ってしまいました。
失礼しました。
会計→海経です。たびたびスマソ。
60 :
名無し三等兵:01/10/18 00:54 ID:RugSYuXf
>>57,58殿
海機、軍医、海経は、抜けていました。
ご指摘、ありがとうございました。
近藤、上野、高田、須藤は、戦死後中将昇進なので現職少将での戦死
であることを、私も確認しました。
ただ、福地少将は自決ですので、中将昇進は、ないのでは。
そうしますと、中将までの63名に含まれない将官の没になりますね。
伊藤正徳が、提督の戦死者の中に自決者を含めているのか不明ですので、
この数の定義は不明です。
でも、大変参考になりました。
61 :
名無し三等兵:01/10/18 01:05 ID:RugSYuXf
>>51,55
7月・横須賀空襲(18日)
長門 艦長 大塚幹 40期 少将
大塚少将は、私の手持ち資料では39期になっています。
合う→遭うでした。
誤字脱字毎度毎度済みません。
あと、近藤中将は中将で戦死なさっております。
もし、近藤中将が23期(海兵39期とコレス)で、
中将昇進がもう少し早ければ、
機関科初の大将になっていたかもしれませんね。
大塚少将は39期です。
大佐で予備役になって、開戦直前に充員召集されています。
少将になったのは定年制の関係かなと推察します。
66 :
名無し三等兵:01/10/18 10:37 ID:9s3rNlN2
67 :
名無し厨尉:01/10/18 16:07 ID:4mUbOq5R
68 :
名無し厨尉:01/10/18 16:12 ID:4mUbOq5R
69 :
名無し厨尉:01/10/18 16:32 ID:sRTnjaHJ
>56
あ、フォローどうもです。
第13巡洋艦隊というと「千代田」を撃沈したデュポーズ少将の部隊ですね。
自分で見つけたミスとあわせて再度発表できればと思います。
戦争後半攻める側だったということもあるでしょうが、連合軍将官の戦死者は
少ないですね。フィリップス、ドールマン、キャラガン、スコット提督だけでしょうか。
70 :
名無し三等兵:01/10/18 17:12 ID:k2wBTXf8
>>69 アリゾナが爆沈した際に戦死したキッドと、
ルイヴィルに乗艦中、特攻機の攻撃で戦死したチャンドラーがいる
ちなみに、キッド・カラハン・スコット・チャンドラーは
キッド級駆逐艦(DDG-993〜996)の名前にもなってる
キッド級駆逐艦は元々イラン向けの駆逐艦だったが、
イランで革命が発生したためアメリカが買い戻したもの
71 :
名無し三等兵:01/10/19 00:30 ID:c3hTjZKK
話がいろいろと展開してきていますね。
まず、戦死後昇進ですが、人事総覧によると、
予備役後再召集の草川少将(38期)は日向艦長で戦死していますが、昇進せず。
あの角田覚治中将(39期)が、なぜか任大将の記述なし。
同じく、あの西村祥治中将(39期)も、任大将の記述なし。
予備役後再召集の大塚少将(39期)と石井少将(39期)も、任中将の記述なし。
あの宇垣まとめ中将(40期)も、任大将の記述なし。
佐藤源蔵中将、鈴木義尾中将、中原義正中将、橋本信太郎中将、
も同様に、昇進せずの記述。
もしそうなら、戦死後の大将昇進でも、
たとえば中将任官1年は停留とかいった
条件がつくのでしょうか。
39期は、遠藤喜一、伊藤整一、山県正郷、高木武雄が戦死後大将、
これに南雲中将を加えると、伊藤正徳氏のいう大将5名になります。
また、再召集は、中将になれない規則があるのか。
72 :
名無し三等兵:01/10/19 00:36 ID:c3hTjZKK
>>69,70さん
鋭い視点、ありがとうございます。
戦艦POWのフィリップス
軽巡デロイテルのドールマン
防空巡アトランタのスコット
軽巡サンフランシスコのキャラガン
ですね。
全部で6名ですかぁ。
米司令部を壊滅させる攻撃、という観点だと
自決正否といった国民性の違いもありますが、
どうも日本は攻めきれていないという
印象をうけます。
もっとも、日本もマリアナ海戦以降に
提督の戦死が急増していますから、
大差がないと、司令部壊滅はむつかしいということでしょうか。
宇垣纏(字合ってます?)中将は
昇進どころか生き残っていたら銃殺ものでしょう。
充員召集後の少将昇進者で中将になった人いたと思いますよ。
石井少将、大塚少将は名誉の戦死なので
中将に昇進しています。
中将から大将って云うのはなかなか難しいんですよね、やっぱり。
76 :
名無し三等兵:01/10/20 01:34 ID:NxBEx75G
>>73 レスありがとうございます。
戦死者の場合、平時の規則に関係なく、
戦死後進級のルールを設けてもよかったと思います。
角田中将なんて、
ダッチハーバ攻撃、南太平洋海戦など、戦果を出して
いただいているので残念。
77 :
名無し三等兵:01/10/21 09:26 ID:G0pk4HRQ
>>62 >>75 有泉大佐と、石井少将、大塚少将の戦死後昇進は、
こちらでは調べても見つかりませんでした。
どういった史料に因られているのかお教えいただきたく。
78 :
名無し三等兵:01/10/21 11:03 ID:LEEyQHNt
>>74 宇垣だと自決しそうだけど・・・
それも逮捕前に
80 :
名無し三等兵:01/10/26 16:42 ID:AxBhp4T5
>>74 死に場所が伊平屋島じゃなくて別のところになっただけかも
>>78も言ってるが、銃殺にされるぐらいなら自分で果てるでしょう
>>78 >>80 確かにそれは言える。
ところで、
宇垣中将って沖縄特攻以外に
なんかしょっ引かれるような事しましたっけ?
82 :
名無し三等兵:01/10/29 20:05 ID:KWJotWyJ
>>81 別に宇垣はしょっ引かれることはさほどしてないような・・・
左近允尚正みたいに捕虜を殺しまくったか?
田中頼三提督はいつ頃亡くなられたのでしょうか?
84 :
名無し厨尉:01/10/29 20:46 ID:vtvYdrki
>>80 黄金仮面に限ってそんなことはないでしょう。
それこそデスクワークか花形部隊にしか居なかったぶん捕虜殺害なんてことも
ありえないでしょうし。
>>83 昭和44年に亡くなられています
85 :
83:01/10/29 21:40 ID:WQho5Hk/
86 :
名無し三等兵:01/11/04 11:18 ID:28uJWpNw
age
87 :
名無し三等兵:
そういえば、
>艦隊司令長官 中将 角田、高木、遠藤、伊藤、宇垣、山県
のうち、角田、高木、遠藤、山県中将の最期について
あまり具体的なことの書かれた書物がありませんね。
どなたかご存知ですか。
ついでに、
>戦隊司令官 中将 鈴木、西村、橋本
についても、 大和の伊藤中将や飛龍の山口少将のような記述
のある書物はみたことがありません。
山城の西村中将の場合は、生存者がほとんどいないから無理でしょうけど。
これも、ご存知の方、おられませんでしょうか。